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503 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2013/07/13(土) 22:34:05.18 ID:w9B5Xx7T0
どうもこんばんは、清涼剤です
無じる真√N:86話をお送りいたします

解消されていないことが多々あるわけですが
それでも、この章はこれでおしまいっ!
……まあ、おっつけ解消されていくとは、はい

(警告)
・アブノーマルな描写が入ることもあります。
・18歳以上向けのシーンも時折あります。
・資料を元に独自な考えで書いています。
・話の流れも同様で資料を元にアレンジを加えています。

以上の点に思うところがある方は読む際にはよくご注意ください

メールアドレス、URL欄にてメールフォームなどご用意してあります
ご意見、ご感想のある方は、お好きな媒体から、お気軽にどうぞ

url:ttp://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0765



 「無じる真√N86」




 徐州小城南部の公孫賛軍本陣で、将兵の準備が整った報告を受けた後も一刀は、ただじっと待機を続けていた。
 日は最高潮を過ぎ去ろうとしている。それでも、戦場の熱気のためか、激しい暑さを彼は感じている。
 孫権軍を待ち受ける態勢を変えることはないものの、相手が進軍してくるのを待つことが決まっているためそんな暑さに耐えてじっとしているのだった。
 現時点での兵数は、紛う事なき劣勢である。孫権の方が圧倒的に大軍を率いている。報告からもそれは間違いないだろう。
「うーむ……」
 腕組みをしたまま一刀はうろうろと本陣の中央をぐるぐると回っている。彼は二の腕に添えた手の人差し指を動かして、トントンと二の腕を叩く。
 鳳統はそんな少年を見て困った顔をしている。
「あ、あの。少し落ち着かれては……?」
「ん? あ、ああ。そうだな……うん、落ち着こう」
 鳳統と顔を見合わせながら一刀は頷く。しかし、指の動きは一瞬止まっただけで再開している。
 今回の事態に関して、一刀は気を張りつづけておあり、精神的に休まる暇なく問題が立て続けに起こっていたように感じていた。
 そして、今彼の中で大いに靄を作り上げているのはやはり孫呉とのことである。
「孫策」
「え?」
 ぼそっと呟いた一刀の方を鳳統が見やる。
 一刀は、眼を細めながら大仰に口を開く。
「いや、孫権が言っていたんだ。孫策を俺が殺したとかんなんとか……」
「……ご主人様が孫策さんを?」
「そう。本気で姉の敵って感じで俺を睨み付けてきた孫権がはっきりと言っていた」
 一刀は「うん、間違いない」と付け加えてなんども首を縦に振る。
「……でも、孫策さんはちゃんと生きているはずです」
「そう、そうなんだよ。だから、俺はあのとき余計に混乱したんだ。何が起こっているのかさっぱりで」
 一刀は右手で頭をわしゃわしゃと掻き毟る。
「どこかで食い違いが生じたんだろうとは思うんだけどなぁ」
「使者の件も恐らく無関係ではないでしょうね……」
 鳳統も顔をうつむかせて考え込む。
 二人して、口を閉ざすと沈黙がすいすいと流れていって場の全てを支配しようとしていく。そんな折、足音が響いてくる。
 具足の音にはっと一刀が顔を上げると、彼らの元へ兵士が駆け寄ってくるところだった。
「報告! 孫権が現れました! まもなく前衛が交戦状態に入ります」
「やっと来たか……」
 一刀は、片手を帽子のつばのようにしながら前方を眺め すっと眼を細めながら息を吐き出す。
 その間も兵士の報告は続いている。
「軍師殿の狙い通り、確認した敵兵は元々の数分の一程度になっています」
「……そうですか。うまく、敵軍の陽動ができたみたいですね」
「上手くいったようで何よりだな。寡兵で敵を釣るとは、さすがは雛里だよ」
 一刀が感心したように唸ると、鳳統がぎゅっと握りしめた帽子で顔を隠す。ちらりと見えた表情ははにかんでいた。
「あ、ありがとうございましゅ……。何にしても、義勇兵の皆さんのおかげで孫権さんの兵力を分散させることに成功しました。今なら主力部隊の数とこちらの兵数が拮抗しています」
「なるほどな。確か左右の森で展開した陣ごとに急ごしらえで見せかけの砦を設けさせたんだよな?」
「……はい。ですから相手が砦攻略に慎重を期している今しばらくは時間稼ぎができているはずです」
 事前に鳳統が行った志願兵の利用方法がこの敵軍の陽動だった。
 数が少なく、また訓練もまだな義勇兵を戦力の水増しに用いることをせず、彼らに旗や幟を多く持たせ張りぼての強度度外視な砦に掲げさせたのである。
 敵の注意を引くことが重要だった。しかし、寡兵であることを敵が察することがないように細心の注意が払われた。
 その結果、孫権軍の猜疑心を煽り、各砦への対処を決断させ、敵兵力の分断を図ることに成功したのだった。
「その稼いだ時間のうちに、援軍が来ることを期待するわけか」
「……そうです。では、既に先行して合流している華雄隊と趙雲隊にそれぞれ伝令をお願いします」
「はっ!」
 鳳統の命を受けた兵士が一礼した後、一目散に駆け去っていく。
 つい先頃、趙雲と華雄がこちらへ向かっているという連絡を受け、伏兵の役目を与えてたいたのである。
 要するに鳳統が伝令兵を遣わせた理由は孫権の部隊への奇襲の合図だった。
「それでは、ご主人様……孫権さんの元へ向かいましょう」
「ああ。んー……まともに話ができるといいんだけど」
「……今、向こうの兵数は減り、逆にこちらはしっかりと兵数を残している状態です。つまり兵数で劣ることはないわけですから、きっと大丈夫ですよ」
「ん。そうだな、よし……行こう。孫権の元へ!」
 やってきた馬に跨がり、二人は孫権軍と交戦中の前衛と向かうのだった。

 †

 戦場はまさに兵士の海。
 剣戟唸る大荒れの海、歩兵同士がひしめき合い、日の光を受けた水面のようにギラギラと刃があちらこちらで煌めいている。
 そんな大海原を船のように進みゆく一刀達は、孫権が率いている主力部隊へと近づいていった。
 ただ彼女と話がしたい。その一心で白刃を踏むような道程を彼らは突き進んだ。そして、願い叶うかなその先に孫権の姿を見ることに成功する。
「いた、彼女だ!」
 一刀は目的の人物を発見し接近を狙うが、流石に敵兵に阻まれて一定以上の距離を詰めることはできない。
 味方と敵の兵士を挟みながらも、なんとか一刀は声を張り上げる。
「孫権ー!」
「くっ、思っていたより敵の数が……陣形を変えろ! 闇雲に展開しては敵の思う壺……む?」
 声が届いたのか険しい表情の孫権が、一刀たちの方へと視線を配る。
 一刀は自身の存在を強調するように手を振りながら、再度名前を呼ぶ。すると、気づいた孫権がはっと息を呑む。
 それから彼女の顔がみるみる紅潮していき、くわっと鬼のような形相を浮かべて一刀を睨めつける。
「北郷一刀! 貴様、一度ならず二度までも態々自分から訪れるとは……この孫仲謀を軽んじているとみてよいのだな! いや、みなす!」
「なんだか、火に油そそいだ気がする! いや……落ち着こう。よし、孫権……聞いてくれ! 孫策のことなんだけど……」
 一刀がそこまで口にしたところで、矢が彼の肩を掠める。
 上着だけでなく、下に来ている服や皮膚までもが裂かれ、そこが異常な熱を帯び始める。
「ぐっ……どこから……飛んできたんだ?」
 一刀の周囲にはちゃんと護衛もいた。何より乱戦に近い前線の中で的確に自分の元へと矢を届かせるようなことができるのだろうか。
 そんな疑問を抱くのも一瞬の事で、一刀はその場に蹲ってしまう。
 熱さを和らげるために肉体が空気を欲しているのか、彼の呼吸は激しさを増す。
 全身に上手く力が入らなく、一刀は自分の位置を掴めなくなりそうになる。
 それでも歯を食いしばると彼は両方の脚に力を込めて立ち上がる。
「ここで諦めたらダメ……だよなぁ」
「ご主人様!」
 鳳統が泡を食ったようにふらつく一刀の体を支える。
 一刀は鳳統の肩に手を置くと、そのまま直立の姿勢を保ち、下腹に力を込めて叫ぶ。
「孫権! 孫策は……生きてる! 死んでなんかいないんだーっ! ……ごほごほ」
 声は声にならず。咳き込みながらの苦しい吐息に紛れて霧散してしまいそうだったが、それでも一刀は言い切った。
「ご主人様、傷に障ります。ここはもう退いてください!」
 鳳統の小さな手が一刀の服の裾を一生懸命引っ張る。
「姉様が……生きている、だと……? 馬鹿なことを……っ!?」
 一刀の言葉に気を取られ惚けた顔をしていた孫権に目がけ、どこからともなく矢が飛びかかった。
 すんでの所で襲い来る暴矢を南海覇王で防いだ彼女の顔に憤怒の表情がよみがえり、カッと一刀に鋭い視線を飛ばしてくる。
「おのれ、卑怯な! そのような甘言で誑かそうとは……いや、これも我が未熟さ故か。だが、もう二度と騙されはしない。そして、必ずや貴様の首級を挙げてみせる!」
「くそ……逆効果かよ……そ……んな……」 
 やはり戦乱の中での対話は難しかったのだろうか、そんなことを考えながら一刀の意識は雪のように真っ白な世界へと溶けていった。

 †

 公孫賛が北郷一刀が率いている別働隊の本営へと到達したとき、彼の姿はどこにもなかった。
 しかし、そんなことを気にしている暇もない彼女は馬超らと共に孫権軍への対策に乗り出した。
 鳳統の話を聞くと、先に到達していた趙雲と華雄が左右両翼の伏兵として孫権軍本隊へと挟撃を仕掛けたという。
 その動きに虚を突かれた孫権軍の黄蓋と、周泰は偽りの砦のことを察して慌てて趙雲、華雄の両隊へとそれぞれ向かった。
 そして、本隊同士、両翼同士の激突という形で戦場は荒々しさを増している。
「なるほど、星と華雄なら恐らくは大丈夫だろう。問題は孫権率いる本隊か」
「はい……。時間はありません。今すぐ、前線を押し返すべきです」
 報告を聞いたうえでの公孫賛の言葉に鳳統がこくりと頷く。
 鳳統の表情にはどこか焦りがあるな、と思いながらも公孫賛はすぐに動き出す。
「わかった。直ぐにでも前線の援護に行くとしよう。雛里、後曲のの指示はお前に任すぞ」
「御意」
「馬超は、雛里の指示に従って動いてくれ。何か効果的な手段があるようならそちらを」
「おう。任せとけ、まだ暴れたりないんだ。思いっきりやってやるぜ」
 拳を握りしめた右腕の二の腕に掌を勢いよく添えて、意気軒昂の程を見せる馬超。
 彼女に頼もしさを感じながら、公孫賛はすぐに休憩に入っていた兵達を召集し、出陣の準備を整えた。
 将兵の疲弊もあるのは理解しながらも、ここが正念場と彼女は奮起させる。
「我らが得たこの地にいらぬ厄災を招く輩、今ここで追い払わん。皆、この戦、最後の一戦はここにあり。全身全霊であたるのだ! 突撃!」
 普通の剣を掲げてそう高らかに号令を発した公孫賛は己の意気と将兵の怒号に押されるようにして騎乗している白馬を進めていく。
 前線ではなおも拮抗した状態が続いている、孫呉の気迫に押されかけてはいるが、それでもよくもっている方だろう。
 公孫賛は近衛兵達と共にその血しぶき舞い散る中へと駆け込んでいく。
 自軍の歩兵が道を空け、騎兵が敵軍前線へと切り込む。槍や刀が歩兵の群れへと突っ込む中で舞い踊り、孫呉の兵を斬り伏せていく。
「孫呉の兵たちよ、我らに畏怖を抱くならば、すぐに退くがいい。もし今すぐその身を反転し駆け去るというのなら見逃してやろう!」
 騎兵の投入で動揺しているのを見越した公孫賛の一言は、孫権軍の前線をじわじわと浸食していき、徐々にその顔は狼狽の色を増していく。
 曹操軍への警戒に賈駆と多少の兵を残してきたとはいえ、公孫賛軍の主力が合流した今となっては孫権軍に遅れをとることはない。
 それを肌で感じているからこそ、孫権軍の兵卒の多くは心を揺り動かされているのだ。
 孫権軍に広がる揺らぎを見極めた鳳」統の声が後曲より飛ぶ。
「……今こそ、低下している孫権軍の意気を完全に挫きます。弓兵部隊、一斉掃射を」
 その言葉と共に孫権軍へと嵐の最中のような勢いで矢の雨が放たれる。
「うわあああああああ!」
「退け、退けーっ!」
 孫権軍の前衛が崩れ始めて潰走しだす。
 前線の兵達が矢の斜線上から逃れようと後退をしていこうと前衛が下がろうとする一方で、態勢を整え切れていない中軍の足は止まっていた。
 結果、隊列は乱れ、孫権軍はにっちもさっちもいかなくなっている。
「おっしゃ、敵はいい的になってくれてるみたいだ。遠慮なくいくぜ、突撃ーっ!」
 横合いから不意に現れた馬超が、混乱状態の孫権軍の横っ腹を殴りつけるように騎馬隊を率いて突っ込んでいく。
 馬超隊が一当てする度に孫権軍は波打ち、人馬共に乱れ走り、先頭を見失った蟻の群れのようにごった返していく。
 そして、その最中……公孫賛は、本陣の孫権と敵軍の後曲からやって来る周瑜の姿をその瞳に捕らえた。
「く……やはり鳳統が厄介だったか。降ったとはいえ、劉備への思い入れも強いため二心あるかと踏んでいたけれど」
「冥琳、すまない。戦況はあまり芳しくはないようだ……」
 口惜しそうにしている周瑜へ孫権が声をかける。
 その孫権に対して首を左右に振ると、周瑜は眼を細めて嘆息する。
「孫権様、どうやら曹操にしてやられたようです
「なんですって? 曹操に……? それは一体どういうこと?」
「斥候からの情報によれば、曹操軍はどうやら我らに公孫賛の戦力を惹きつけさせ、その間に損耗を極力避けるようにして撤退を成功させる腹づもりだったようです」
「私たちが囮ってことね。曹操め、姑息な真似を……」
「ですが、元々はこちらが先に仕組んだこと。そっくりそのまま返されてしまうのも仕方ないと諦めましょう。それよりも、孫権様」
「くっ、わかっている。全軍に通達せよ、我らも撤退する! 」
 苦渋に満ちた顔の孫権が発する苦々しい号令に倣って孫権軍は一斉に反転、しかる後に公孫賛軍の追撃を警戒しながらも引き下がっていった。
 気がつけば日は西の空に沈み始め、赤みが頭上を支配しようとしていた。まるで戦場から出た数多の血飛沫を浴びたかのように。

 †

「孫権軍への追撃も程ほどでやめておけ、深追いは却って損害を招くだけだ」
 そう指示を出して、公孫賛は長々とため息を零す。
 長らく張り詰めていた緊張の糸が緩んだからだろう、全身の力が抜けて彼女はその場にへたり込みそうになるが、そこは我慢して本陣へと馬を向けた。
 前線の将兵たちと共に本陣へともどった公孫賛は、ようやく肩の力を抜く。
「はあぁぁぁ……なんとか、どっちも追い払えたな」
「お疲れ様です。白蓮殿」
 丁度追撃を切り上げてきたのだろう、趙雲が槍を片手にしたまま公孫賛の方へと歩いてくる。
 まだ戦場の余韻が残っているらしく、趙雲は少し上気している白い肌に浮かぶ汗を手で拭う。
「いやはや、この度は二正面作戦どころか更にもう一面と……一時はどうなることかと思いましたな」
「まったくだ……。複数の相手とにらみ合わねばならんのが乱世の常とはいえ。星もよく務めてくれたな」
「いえ。これくらいせねば、むしろ私のいる意味がないというところですよ」
 趙雲はそう言うと、いつもの不敵な笑みを浮かべてみせる。
 公孫賛はそれに肩をすくめて答えると、辺りをきょろきょろと見回す。
「いつでも心強い限りだな、お前は。さて……」
「主でもお探しですかな」
「んなっ、いや……そそそ、そういうわけじゃなく、だな……その」
「んー? ではどういうわけです?」
 ニヤニヤと笑みを浮かべながら詰め寄ってくる趙雲から視線をそらすと公孫賛は一人の少女を見つけて声をかける。
「雛里!」
「あ……白蓮さん」
 公孫賛が駆け寄ると、鳳統はいつものおどおどした声色で返事をした。
「雛里も、よくやってくれたな。どうやら負傷者も最低限で済んだようだし。雛里がいてくれなかったらどうなっていたか」
「ありがとうございます。被害を極力食い止めることができて良かったです……」
 鳳統はホッと安堵した様子で胸をなで下ろす。
 そんな彼女をまじまじと見ながら趙雲が感嘆の声を漏らす。
「しかし。見事に相手の裏、裏とついていけたものだな」
「あれは、孫権さんの軍が怒り心頭の状態だったからです」
「なるほど……やつら、目の前すらまともに見えぬほどに湯気を発していたか」
 趙雲が感心した様に頷く。その横で公孫賛は眉を顰める。
「しかし、それ程までに憤怒させるようなことをした覚えは私にも一刀にも無かったはずだが……」
「あ、その件ですが。実はですね……」
 鳳統は甘寧を捕縛したときに話しきれなかった内容に触れつつ、ことのあらましを公孫賛や趙雲に行った。
 二人とも驚いた様子だったが、趙雲の方は直ぐにどこか納得のいったというような顔をする。
「雛里の言った通りだとすれば、孫権の言葉も頷ける。孫策を暗殺したという虚偽の流言が出回っているのなら……我らを討ちに来るのも至極当然」
「だが。そこは色々と気になるところがあるな……それが正される機会とて、あったわけだからな」
 公孫賛が唸るようにして言う。彼女が言っているのは孫呉への使者のことである。
「私たちが送った使者の話を聞いていれば、ちゃんとわかるはずですからね。孫策健在という事実は……」
 鳳統は考え込む素振りを見せたまま瞳を瞬かせ長い睫を振るわせる。
 どうにもまだ裏がありそうだと思いながらも、公孫賛は努めて明るく振る舞う。
「まあ、なにはともあれだ。一端の決着もついたし、早いところ城へ退くとしよう。今後のこともあるし……何より、将兵にもそろそろ休息を与えるべきだろ」
「そうですね。それでは、直ぐに手配をしてきますね」
 鳳統がそう言って駆け出そうとするのを公孫賛は引き留める。
「あ−、ちょっと待ってくれないか。雛里」
「はい?」
「最後に一つ、聞いておきたいことがだな」
「何でしょうか……」
 鳳統がどこかそわそわとした様子で公孫賛の顔をのぞき込む。
「いやな。その……だな。えーと、あの……一刀は……どうしてるのか、と思ってだな。ああ、いや。別に早くあいつの顔が見たいとかそういうことじゃなくてだな」
 公孫賛は手や腕を軽快に動かしながら、前半はしどろもどろ、後半はややまくし立てるような勢いで言う。
 隣で趙雲が吹き出しているが、そんなことは無視して彼女は鳳統をじっと見つめる。
 鳳統は親に怒られた童のようにしょんぼりと肩を落としながら、公孫賛に答えた。
「……ご主人様は先に城へお戻りになられました」
「先に? 何かやるべきことがあったか?」
「はて、私も少々思い至りませんな」
 趙雲も公孫賛と顔を見合わせて首を傾げる。
 鳳統はした唇を噛みしめると、ゆっくりと口を動かしていく。
「後ほど、ご報告しようと思っていたのですが。ご主人様は、敵の矢によって負傷を負い、搬送いたしました」
「負傷だと!」
 公孫賛と趙雲の声が重なる。
「はい……。傷はかすり傷程度だったんですけど。その……鏃に毒でも塗ってあったのか、倒れてしまわれて」
「くっ、なんたることだ。主を守るが我が務めと思っておったが……このようなことになるとは」
「まあ、まて星。何か事情があってのことだろう。私としても気にはなるが……まずは、陣の撤退だ。雛里、詳しい話は城に戻ってからでいいな……?」
「御意です」
 暗い雰囲気が漂う中、鳳統は軍の引き上げのためその場を去って行った。
 趙雲も直ぐに出て、自分の隊の指揮を再会する。
「一難去ってまた一難か……険しい人生だな、まったく」
 ため息交じりに肩をすくめる公孫賛。その言葉は彼女自身を指しているのか、それとも今頃病床に伏せっているであろう少年か、はたまた大陸という一匹の龍か。

 †

 冀州拠城へと引き上げた呂布や陳宮らは袁紹たちが迎え入れた後、日が沈み敵が引き返してくる可能性が低くなった頃まで待って、軍議を始めた。
 軍議の間では漸く今回の戦に関する戦果報告が始められた。とは言っても、基本的には袁家組は顔良のみが行い、あとは陳宮が纏める形だった。
 袁紹は陳宮側で却下。文醜は言わずもがな、そして張勲は未だに青い顔をして震えている袁術をあやすので精一杯といった様子だったためである。
「まずは恋殿とねねの方から報告しますぞー」
「……よろしく、ねね」
 隣にいる呂布にそう言われて、陳宮は大きく頷くと経緯を語り始めた。
「ねねと恋殿は北方の異民族対策に赴いていたわけですが、そちらの方はなんら問題はありませんでしたぞ」
「そんなことやってたのかー、お前ら」
「ぶ、文ちゃん……それについては事前に軍議で話が出たでしょ……」
 今初めて聞いたかのような反応をする文醜に顔良が乾いた笑いを零す。
「ただ、丁度終わった頃合いに曹操軍の動きについて早馬が届いたわけですな。そこでねねは一計を案じたわけなのです」
「一計ちゅうと、あれやな。恋のこととか、あいつのこととかやな」
 張遼が頷く。もしかしたら、おおよその察しはついているのかもしれない。
 陳宮は頷き返すと、話を続ける。
「霞たちが戻ってくるというのもわかっておりましたからな。少々兵の動きを調整したのです」
「そう言えば、なんだかみょうちくりんな動きでしたわねぇ」
「麗羽さまの用兵程じゃないと思うけどなぁ」
「猪々子、何か言いまして?」
「いえ、なんでもー」
 袁紹、文醜のやり取りに陳宮は口端を引きつらせながらも、すぐに視線をそらす。
「とにかく! まず、鄴の留守を預かっていた美羽が動きましたが、それは火を見るより明らかだったので予測は容易についたのです」
「そうなんですか?」
 顔良が尋ねると、陳宮の代わりに張勲が答える。
「そりゃあ、美羽さまですしぃ。なんと言っても袁家、ですからー」
「あ、ああ……なるほどぉ」
 妙に説得力のある言葉に顔良が納得したように頷く。気のせいか、言葉を失ったという方が適切にも見える。
「兵を率いて動くのはわかっておりましたので、美羽隊の副長に早馬を飛ばして攻城部隊の撹乱を任せたわけです。そして、その後恋どの部隊はその大半を馬超隊に組み込み、近衛十数騎のみを恋殿と共に先発させたのです」
「なるほど、自体は急を要する状況やったからな。兵が少なけりゃ恋は全速で進軍できるし、美羽と合流すれば兵の補充は可能っちゅうわけか」
「霞はよくわかっておるようですのー。恋殿はまさに武の境地に立たれるお方ですからなー。数千の兵でちんたらするより、恋殿が寡兵で素早く動くことこそ、あの時は最良だったわけなのです」
 呂布のことを、陳宮はまるで自分の事に用に鼻高々に自慢をする。
 もっとも、呂布の武勇に関しては一同理解しているため、誰もが同意の反応を示している。
「その後は、もう恋殿が八面六臂の大活躍で曹操軍をぎったんぎったんにして、追い返したわけですぞ。まあ、それはご存じとは思いますがのー」
「なるほど。ねねちゃん、よく動いてたんですね……流石、恋さんの軍師ですね」
 顔良が感嘆の息と共に言葉を吐きだす。
 陳宮はその言葉で一瞬のうちに頬が熱くなるのを感じた。
「う……そんな素直に褒められるとむずがゆいのです。それより、そちらの報告をするべきですぞ」
「ふふ。そうでしたね。それでは……えと、こちらとしては大きく報告するようなことは夏侯惇さんのことくらいで、あとはというと」
 それから顔良側からの基本的な報告が始まったが、宣言通り重大なことはなく、比較的滞りない形で進んでいった。
 やはり重要な案件といえば、捕らえた曹操軍の兵士や夏侯惇のことだったが、それは公孫賛や一刀の判断も必要となり、一旦保留となった。
「以上が、この拠点を中心とした流れと事後についてですね」
「よくわかったのです。バカなおばさんも予想外な頑張りを見せていたようですなー」
 顔良の報告に感心する陳宮。
「誰がおバカでおばさんですってーっ!」
「そりゃあ、麗羽さまのことじゃねっすか?」
「おだまりなさいなっ! なんですの、猪々子も、このわたくしをおばさんだと?」
 こめかみに青筋を立てる袁紹が、文醜の両頬を力任せに引っ張る。
「いふぁいっ、いふぁいっ、ほへんははい、へいははまー!」
「ふん。まったく……チンクシャに惑わされて心にもないことを言うものではなくてよ?」」
 袁紹は文醜の頬から両手を離すと、ふん、と鼻息を荒く吐き出しながらそっぽを向いた。
 痛々しい程に真っ赤に染め上がっている頬を摩りながら、涙目の文醜が口を尖らす。
「でもさぁ……麗羽さまが抜けてるのは公然の事実じゃないっすかぁ」
「まだ、言いますの! このく、ち、は!」
「ひぇぇぇぇぇ、とひぃ、ふぁふふぇふぇーっ」
 袁紹に指を口へと突っ込まれて、左右へぐいぐい引っ張られている文醜は両腕を振りながら顔良へと助けを求める。
 が、とうの顔良はどこか呆れた顔をしている。
「文ちゃん……自業自得だと思うよぉ」
「ふぉんふぁー」
 悲嘆に満ちた声を挙げる文醜に、場が笑いに包まれた。
 そんな馬鹿馬鹿しくて可笑しい光景が、本当に大きな戦が一段落したのだということを物語っていた。

 †

 徐州小城へと戻った公孫賛は外が日も没し、すっかり暗くなっているにも関わらず一部の将と軍師を軍議の間へと招集した。
 趙雲、華雄、鳳統、それに馬超と曹操軍との戦の後始末を一区切り終えた賈駆がいた。
 今、公孫賛を含め五人の視線は一人の少女に注がれていた。
「あぅ……」
 全員から凝視されている鳳統が身を縮こまらせて困った顔をしている。
 公孫賛は深く息を吐き出すと、直ぐに表情を引き締めた。
「皆、気になるのはわかるが。一度、切り替えてくれ」
「わかっておりますとも」
「そうそう。誰かさんじゃあるまいし、メリハリはつくわよ」
 趙雲と賈駆の返答に続いて、他の者たちも一様に頷いてみせる。
 彼女たちの反応を全て受け終えると、公孫賛は咳払いをして馬超へと眼を配る。
「まずは、馬超。お前の話から聞かせてもらおう。助力はありがたかったが、何がどうなっているのかはまだ聞いていなかったからな」
「あ、ああ。構わないぜ。そうだな……話は、あたしらが曹操とやり合ってた頃に戻るんだけどな」
 そう言い出して、馬超は語り出す。彼女とその仲間達に訪れた奇跡的な話を。
 西涼での戦の最中、颯爽と西涼連合の救援に現れた張遼と董卓。
 結果として曹操軍に抗いきることはできなかったものの、張遼らのおかげで、馬超は母、馬騰を丁重に弔うことはできたという。
 話を聞いていて公孫賛は、なるほどと頷かずにはいられなかった。
「そうか。その礼をということで、我らの軍を救援しにかけつけてくれたというわけか」
 一刀が守りたかったのは、目の前の少女の心に違いない。公孫賛はなんとなく、そんな確信を抱いた。
「雛里が言っていた、あいつの行動による副産物とはこれのことか?」
「はい。馬超さんと側近を中心とした涼州兵が恩義を感じているなら、と思いました。また……それだけではなく。ご主人様が我が軍に引き入れた異民族の方々、それに馬超さんと行動を共にしているであろう張遼さんのことを考えたところ、恐らく、今回の窮地を脱することは可能だと判断しました」
「はぁ……そんなことまでとは凄いな、ちっこいのに」
 馬超が感心したように腕組みをして頷くが、鳳統は自分の胸元をぺたぺたと触って落ち込む。
「……あぅ」
「あれ? な、なんで落ち込むんだよ。ホントにあたしは凄いって思ったぜ!」
「いや、そういうことではなかろうて」
 趙雲が肩をすくめてやれやれと首を左右に振る。
「どういうことだよ。よくわかんねーぞ」
「要するにこれは軍師としてではなく、乙女としての問題ということだ。しかし、雛里よ。気に病む必要は無い、主も言っておったぞ、貧乳はすてぇたすだ、と」
「ふぇ!? む、むむむ、胸?」
 馬超が僅かに頬を赤らめる。彼女の力強かった瞳が弱々しくなり忙しなくあちらこちらを向く。
 鳳統も火照ったかのように顔を少し赤らめて、趙雲に聞き返す。
「……すてぇたす、ですか?」
「うむ。意味はよくわからぬが。まあ……その者の特筆すべき点とでも言うのだろう、主の話しぶりからすれば」
「えっと、つまりはその……ご主人様からすれば美点ということ、なんでしゅかっ」
「おおとも。主はあれでいて趣向の幅が広いようだからな。そんな噛むほど力まなくてもよいのだ、安心するがよい」
「あわわわわ」
 くすりと笑う趙雲の言葉に鳳統は一層顔を赤らめて帽子を深くかぶり直す。その際、見えた彼女の顔がどこか嬉しそうだったが公孫賛は悔しいので触れないでおいた。
 悔しいと言っても、別に自分が巨乳でも貧乳でもなく、比較的普通な胸だからとかじゃないぞ!
 と、誰にともなく心の中で弁解をした後公孫賛はため息を吐いて両手を叩く。
「はいはい。桃色談義はそこまでにして話を戻すぞ」
「胸がどうとか……そんなことを気にして何になるというのだ、まったく」
 呆れた様子で頷くのは華雄だった。流石は武人といったところかと公孫賛が思っていると、趙雲がにやりと笑ってその魔性の口を開く。
「ほほう。その割に、どこか安堵と上機嫌な様子が見て取れるわけだが、その心情は如何に?」
「星! 貴様、何を!」
「別に何でもないぞ。まあ、ご自分の胸に手を当てて考えてみてはどうかな?」
「おのれ……どこまでも私を愚弄するつもりか」
「ああもう。話が進まないんだから、あんたたちはちょっと黙ってなさい」
 こめかみに青筋を立てる賈駆が華雄達に指をずびしっと突き立ててそう言い放つ。
 が、鼻息が荒くなりつつある華雄は逆ににらみ返すと、ふっと笑みを零す。
「貴様とて、我のことを言えるのか! 本当は小躍りでもしたいに決まっておるわ!」
「いきなり意味わからないことを言わないでくれる?」
「ふん。わかっておるぞ、その冷ややかな表情の裏に隠れているものがなぁ!」
「べ、別に何もないわよ! 変なこと言わないでもらえる?」
「貴様とは腐れ縁のようなものだからな、今では手に取るようにわかるぞ、詠の内心などな」
 先ほどされた仕返しとでもばかりに華雄が指を突き立て、賈駆へと向ける。
 口元をひくつかせる賈駆だが、怒りからか恥じらいからか顔は真っ赤である。
「いい加減なことを言うなー! 終いには怒るわよ!」
「ふん。詠が怒ったところで恐ろしくもない。」
「なんですってー!」
 とうとういがみ合いを始める二人に公孫賛は頭痛を覚え始めるが、ため息をつくと大きく咳払いをする。
「胸の話はいいから、話を元に戻すぞ!」
「そうだぞ。まったく、公孫賛軍ってのはいつもこんなエロエロなことばっかり話してるのか?」
 公孫賛の怒声にも似た叫びに呼応して馬超が呆れた顔を浮かべて疑問を口にする。
 そんな彼女に趙雲がすすすと歩み寄る。
「そもそもの発端はお主なのだが?」
「あ、あたしぃ!?」
「そうだぞ、要するにエロエロなのは我らではなく、馬超、お主と言うこと……もがもが」
「わーわー、もう言うな。そんなこと言うなよー!」
「もごぉ、もごもごぉ!」
 気が動転した馬超が趙雲の口をふさいで言葉を封じようとしたようだが、鼻も一緒に覆っているため呼吸はできないだろう。
 公孫賛は苦笑を浮かべる。
「おーい、馬超。そのままだと星が窒息するんだが」
「ひゃあ、て、ててててて、手を舐めっ!? ……え?」
「…………」
 恐らく最後の抵抗だったのだろう。しかし、それもむなしく趙雲の体が脱力している。
 馬超もそれに気づいたのか、青い顔をして慌てて手を離す。
「だ、大丈夫か……おい、趙雲?」
「…………」
「ど、どうしよう。あたし……そんなつもりじゃ」
 趙雲の体を抱きかかえたまま、馬超が一同を見回す。
 逆に全員が彼女を見つめている。いや、正確にはその懐で微細な動きを始めている趙雲をである。
「ふむ。これはなかか弾力、大きさ共に……」
「ひゃぅっ! お、おま……気を失って……あっ、やめっ、あうっ……何を……してるんだ、このバカ!」
 真面目な顔で馬超の胸を揉む趙雲に恥じらいと怒りの混じった馬超の手刀が炸裂した。
 後には口を尖らせて不満げな顔をする趙雲と、胸を隠すようにして彼女を睨み付ける馬超という構図が残った。
「むむぅ、少しくらいよいではないか」
「いいわけあるか! 人が心配してるのに……む、むむ胸を」
「いやな、目の前にあれば調べたくなるのが人情というものだろう。惜しむらくは直ではないため、肌の艶やきめ細やかさなどがわからなかったことか」
「へ、変態だーっ」
 顎に手を添えて真面目に嘆息する趙雲を見て、馬超が悲鳴をあげる。
 そんな二人を前にしても公孫賛軍陣営の面々はあまり大きな反応はしない。
「いつものことね」
「いつものことだな」
「いつものことですね」
 三者三様だが、全員言ってることは同じである。
 無論、公孫賛も同意見である。
「まあ、別に今更気にすることでもないし、いい加減気になることもあるから先を進めるぞ」
「随分と冷たいものですな……」
「自業自得だっ!」
 むうと唸る趙雲に馬超がふんっと鼻息荒く言った。
 それを流しつつ、公孫賛は本筋へと話を戻していく。
「何はともあれ、馬超のことやその他のことに関してもわかった。冀州から届いた早馬の情報と照らし合わせてもなんら誤りはないだろう」
「そうね。二正面……いえ、三正面作戦に近い状況になっていた今回の戦を乗り切れたのはそのくらいのことがないと納得いかないし。むしろ妥当ってところだわ」
 軍師の顔に戻った賈駆も納得がいった様子で頷いている。
 他の者たちもみな、頷いており、なんら問題はなさそうだった。
「細かいことはまた別のときに改めてでも良いだろう。それよりだ、流石に皆、しびれを切らしてくる頃だと思うから聞くが……雛里」
「はい」
「一刀に何があった……?」
 それこそが、公孫賛の中での最重要事項だった。戦のことも何もかもほっぽりだしていの一番に聞きたかったことである。
 鳳統は肩を落とし、帽子のつばをぎゅっと握ると弱々しい声で語り出す。
「ことは、孫権さんの軍と衝突しているときでした。孫軍前衛に本陣が混じった辺りでこちらも本陣を前衛の援護を行うという名目で前進させました」
「事前に雛里は敵の兵力をばらけさせていたようだから、主力同士で踏ん張って時間を稼ごうとしたといったところか」
「はい。ですが、ご主人様には……ご自身だけの目的がありました」
「孫権への接触……か?」
 なんとなくだが、公孫賛の脳裏にその人物の名前がよぎった。
 鳳統は数拍置いた後、深呼吸をする。
「そうです……。ご主人様はなんとか誤解を解こうとしました。勿論、護衛で周囲は固めていたんです」
「なるほど。そして、突出したあいつは……」
「どこからともなく飛んできた矢を受けて。ごめんなさい……全て私の失態です」
 そう言って鳳統が深く項垂れる。
 公孫賛は左手を膝につき、右手で前髪を掻き上げるとため息を零す。
「あのバカ……。雛里、お前が気にすることはないさ」
「でも。私がお止めしていれば……」
「いや、あいつは一度、決めると止まらないからな」
「何気に頑固なところがおありですからな、主は」
 趙雲が頷きながら言うと、馬超と鳳統を除く全員がまったくだとばかりに大いに首を縦に振る。
 公孫賛は微笑を交えながら鳳統に言う。
「そういうことだから、あまりに気に病むなよ。幸い名医もいるし、毒で逝ってしまうということもないだろう。だから、そうだな……どうしても、というのなら。あいつの看病でもしてやってくれ」
「は……はい……」
 鳳統の返事は嗚咽混じりだった。ずっと気になっていたのだろう。戦場で合流したときの様子といい、公孫賛にもそれはなんとなくわかってはいたことだった。
 その後は、いくつかの報告を受けて解散ということになった。
 公孫賛はその後、しばらく残ったまま考えていた。今回のこと、今後のこと、そして一刀の事を。
「……考えていてもしょうがないか。休息を取ってすっきりしてからまた考えよう」
 そう自分に言い聞かせて、彼女は軍議の間を後にした。
 それから自室へと向かおうとしたのだが、途中気になってとある部屋へと向かう。
「流石に起きてはいないと思うし、顔だけ見れれば……」
 外は既に真っ暗闇だった。燭の灯りがなければ何も見えないだろう。
 公孫賛はそっと扉を開くと、窓から差し込む月明かりを頼りに寝台へと歩み寄る。
「やはり、少し苦しそうだな……」
 寝台で横になっている少年を見下ろして公孫賛は眉を顰める。
 少年、北郷一刀は額に脂汗を浮かべ険しい顔をしている。寝苦しいというわけではないだろう。
「……う、うぅ。ごめ……蓮……」
「謝るなら、元気になってからにしろ。バーカ」
 うめき声混じりに途切れ途切れに発した言葉に頬を綻ばすと公孫賛は彼の顔に浮かぶ汗をそっと手ぬぐいで拭い去り、その場を後にした。
 扉を開けて廊下へと彼女が出ると、丁度入れ違いになるように鳳統がやってくるところだった。
「あれ? 白蓮さん……?」
「ちょっと様子を見にな。雛里はもう看病をするのか?」
「はい。大事な方ですから……少しでも長くお側に」
「そっか。それじゃあ、一刀の事、よろしく頼むな」
「御意です」
「あ、くれぐれも、仕事に支障を来さない程度で頼む」
 公孫賛が冗談交じりのように明るい調子で言うと鳳統も表情を和らげて笑った。
「ふふ、勿論です」
「それじゃあ、私はもう行くよ」
 そう言って公孫賛は片手をひらひらと不利ながら廊下を歩いて行く。
 途中で振り返ったときにはもう、鳳統は廊下にはいなかった。
「あの純粋さ十割って感じは……ちょっと羨ましいかもな」
 両手を組み、両腕をぐっと天井へ向けて伸ばす。
「んー……ようやく一段落ってところかぁ。あらゆることが生じたから非常に大変だったなぁ。まあ、それも一応乗り越えたんだよな……本当にお疲れさま……一刀」
 公孫賛は今回もまさに心身を削った少年への労いの言葉を風に乗せて飛ばす。
 勿論、まだまだ彼女たちの抱える問題は山積みである。しかし、しばらくは曹操軍も孫権軍も再度行動を起こすことはできないだろう。
 だからせめて、今だけは、疲れ切った皆にささやかな休息を。

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