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477 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2012/12/31(月) 21:06:37.54 ID:oF53VIG2T
どうも、清涼剤でございます
投下ペース遅く、内容もあれで申し訳ない限りです
取りあえず今年のSS納めをさせていただきます

それでは、今回は無じる真√N:77話をお送りいたします

(警告)
・アブノーマルな描写が入ることもあります。
・18歳以上向けのシーンも時折あります。
・資料を元に独自な考えで書いています。
・話の流れも同様で資料を元にアレンジを加えています。

※意見などありましたら、スレなりメールやURL欄のメールフォームなり
こちらのレスポンスなりからどうぞ。

今年最後のSS、内容が少々乏しいですが楽しんでいただけたら幸いです
それでは、来年もどうぞよろしくお願いいたします……よいお年を

URL:ttp://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0748



「無じる真√N77」




 辺りを覆うのは漆黒の闇であるようで純白の光であるように見える。そして彼女の目の前に広がるのは白であるようで黒な世界。
 墨汁に羊の乳でも垂らしてしまったときに生じる表面の乱れのような混沌の空に浮かんでいるのは太陽のようであり月でもある存在。
 その完璧なようで不安定な存在に照らされながら周瑜は奇妙な浮遊感にその身を包まれていた。。ものすごく既視感を覚える、その感覚に周瑜は顔をしかめる。
「ここは……前にも……。そうか、夢か」
 確か、孫策に関する報告を建業へと送った後、すぐに淮陰を出立し、そして……どうしたんだったろうか。
 どこかで休息を取ったんだっただろうか…砦に寄ったのだったか、夢の中だからか現実が曖昧になっている。
「夢とは少々異なるのですよ。美周郎」
 苦笑混じりに肩をすくめる周瑜の頭上から声が降り注ぐ。それは、かつての夢でも聞いた声。
 老人のようであり、童子のようである。また男のようであって女のようである、不可思議な声質。
「またか。一体何者なのだ貴様……」
「何、私はただのおせっかい焼きですよ。そう……あなた方のためのね」
 笑いを含むような言い方に周瑜はいぶかしげに眉を寄せた。
「私、たち?」
「ええ。あなたや孫権、孫呉の方々……そして、孫伯符」
「……どういう意味だ。そもそも何故、そのようなことをする必要がある?」
「いえね。このような形で貴女に接触を図ったのも。全てはある方のご意志によるものなのですよ」
「ほう、何者かは知らぬがそのようなこと、容易には信じがたいな」
 最も触れられたくない箇所。特に今は更に周瑜にとっては過敏となっている箇所をついてくる声に彼女は苛立ちを覚え始める。
「普通ならば、そうでしょう。では、これならどうでしょう」
 だが、そんな苛立ちも。声に促されるようにして現れた人影を前にすると霧散してしまった。
「冥琳」
「…………な、これは、どういう……ことだ」
「どういうことも何も。貴女にはわかるはずですよ……」
 確かに周瑜にはよくわかる。頭では理解出来ている。だが、目の前の光景を彼女は受け入れられない。
「嘘だ」
 と周瑜がつぶやくと。
「誠よ」
 目の前のソレは答えた。
「そうか……これは夢だったな」
「でも、現実でもあるのよ」
「何を言っているんだ……覚めろ、覚めろ! こんな馬鹿げた夢など覚めろ!」
「そんなに感情をむき出しにするなんて。貴女らしくないわよ、冥琳」
「くっ。だが、おまえを前にして冷静になど……いられるわけがないだろう、雪蓮」
 周瑜は苦み走った顔で睨み付けるように孫策を見る。
 現実では死んだはずの彼女は確かに目の前にいる。夢だからと言えばそれまでだが、それにしては周瑜の範疇を逸脱している。どう見ても自立行動しているように思える。
 まるで、孫策が本当は死んでおらず生きて周瑜と言葉を交わしているようだ。
「ねえ。冥琳……私が死んじゃったこと、やっぱり悲しい?」
「と、当然だ。態々、決まり切ったことを聞く必要などないだろう……」
「まあねぇ。でも、冥琳の口からちゃんと聞きたかったのよ。悲しんでくれてるっていうのは、やっぱり少し嬉しくもなっちゃうでしょ?」
「私は心を抉られたようで、非常に腹立たしいのだが?」
「あはは。まあ、そこはさ、ほら。あなたも死んだら、そのときはいくらでも、ね?」
「くだらぬ冗談を……まったく、貴女って人は」
「まあまあ。それでね、私が貴女にお節介を焼くようお願いしたのよ」
「は? 何故、そんなことを」
「もちろん。大切な貴女たちが実りある未来を掴めるようによ。もっとも、私の知るみんなは……掴めなかったけれどね」
「何を言っているんだ。訳がわからんぞ」
「いい。呆れないで聞いてちょうだい。私はね、貴女の知る孫伯符じゃないの。私は、別世界の孫策」
「別……世界? な、何をばかげたことを」
 唐突に現れた孫策はこれまた突拍子もないことを宣ってみせた。周瑜はそれを受け入れない姿勢を見せながらも内心動揺で充ち満ちている。
 断片的ながら見た、もう一人の自分。もう一つの孫呉。
 それらは彼女の中で引っかかり続けていた。だからこそ、孫策の言葉が心にいやに響く。
「呆れないで聞いて、と言ったでしょ。貴女が生きる世界と同じような世界がいくつも存在するの。それらは数多の流れと可能性を持つ世界」
 孫策の瞳は真剣そのもの。普段の冗談やふざけがあるようには周瑜にはとても思えない。
「その数多くの世界でもね。私は死んじゃうの」
「なんだと……」
「そして。やはり、冥琳は悲しんでくれる、怒ってくれる。でもね……ここからが大事なの、聞いて」
「あ、ああ」
 気持ち重さを増した孫策の声色に周瑜の両肩もずしりと重しを乗せられたように沈む。
「貴女は私の夢を叶えようと。そして、時には復讐をと心血を注いで大陸制覇に乗り出したわ」
「やはり、そうなのだな。まあ、どの世界であろうと私ならそうする。この私だってそうする」
「うん。ただ、どうあっても成就しないのよ」
「…………そうか」
 周瑜にとって聞きたくない言葉だった。だが、別の世界から来たという孫策が言うのなら事実なのだろうとも彼女は思う。
「よもや、成就しないのだからやめておけなどと、戯れ言を抜かす気ではないだろうな?」
「そんなこと言わないわよ。ただね、あなたには助言がいると思うの」
「そんなものがなくとも……と、言いたいが。ダメだったのよね。それなら……必要か」
「大変ものわかりがよろしい。そこでね、あなたのために、色々と手を打ってくれる人が現れるわ。現実の方でね」
「ほう。その人物は本当に役に立つのだな?」
 目の前でごく自然に……いつも周瑜に接するときのように語っている孫策の言葉に、周瑜もまた自然な心となり一言一言に惹かれかけてしまっている。
「ええ。なぜなら、あなたをここに誘い、以前から接触を図っていた人ですもの」
「あの声のか。少々信用できない気もするが、雪蓮がそう言うのなら、少しは信じてみるか……」
 惹かれつつあっても、それでもまだ迷いはある。周瑜は信じたかった、孫策を。別世界であろうとなんだろうと、もう二度と会えないと思っていた彼女を。
 だから信じることにしてしまった。信じると決めてしまった。
「ふふ。ありがとう、冥琳……夢、叶うといいわね」
「かなえてみせるさ……絶対にな」
「ん。頑張ってね。冥琳。私も見守ってる。それと、時折、あなたの心やここに現れるから」
「そうか。それは心強いな」
 にこやかな孫策の顔に周瑜の表情も自然と和らいでいく。そして、その反面、彼女の内に宿るどす黒い炎は一層激しく燃えさかる。
「お二方……そろそろ、よろしいですか?」
「ああ。すまないな。すっかり忘れていた」
「やれやれ。本当に貴女にとって、彼女は重要なのですね。まあ、いいでしょう。そこの孫伯符が言ったとおり、私があなたの補佐を務めましょう」
「ふん。この私を信用させられるよう努めることだな」
「ええ、心得ていますよ。そうそう……一つ耳寄りな情報を」
「なんだ?」
「私にも限界はあるのですが、一部記憶をあなたに取り戻させてあげましょう。貴女がいるのは生まれ変わった世界なのでね」
「そうか。役に立つというのなら、なんだろうと受け取ろう。構わん」
「ではでは……気をしっかり持ってください」
 声がそう言うと、周瑜の頭にずしんと言う音がする程の衝撃が走る。彼女は脳内に鉛でも打ち込まれたように重さに顔をゆがませる。
「く……これは……北郷? やはり、北郷か」
 前見たとおり、北郷軍なる勢力が存在している。そして、どうやらそれを前にして苦渋の表情を浮かべているのを感覚として彼女の中に入ってくる。
 飛び交う怒声、乱れる軍列に漏れる悲鳴。少しずつ攻め込まれている。圧倒的に不利な状態になっているようだった。
 このままでは……。そう思った矢先、砂嵐のように視界が乱れる。
 再び鮮明になったかと思ったら場面が変わっていた。周囲を炎に包まれた中、目の前に孫策の姿を見ている。
 何を思って、何を言っているのかは霞に覆われたようでわからないが。感傷に浸っているのだけは感じる。そして、恐らく北郷軍に負けてしまったのだということも。
「そうか。このときも私は雪蓮のために……そして、それを打ち砕いたのが、北郷……」
 ギリッという音が聞こえた。それは、周瑜の口元から耳へと伝達された音。ギリギリと力の限り歯を食いしばっていた。
「おのれ……北郷」
「冥琳。その北郷よ」
「雪蓮?」
「その北郷こそ。前の世界でも、この世界でも私を殺した……憎き敵よ。あなたの、私の……そして、孫呉の敵!」
 孫策の顔に影が差している。瞳が忌々しげな感情を包有しているのがわかる。周瑜は、孫策の顔を見ているだけで彼女の無念と憤りをまるで自分のことであるように強く感じることが出来た。
「敵……北郷は敵。滅すべき敵……」
「そうよ。あいつを倒さない限り、貴女たちに未来はないわ」
「北郷……北郷……」
「貴女が敗れた後、蓮華たちは捕まり……そして……」
「そして……?」
 だが、孫策はただ眼を伏せて首を振るだけ。それでも、なんとなく周瑜は察する事ができた。
「北郷……一刀。許すまじ敵。悪鬼のような男め……必ずや、その首級をあげてやる」
「頑張ってね。冥琳」
「ああ。必ず、奴の首をあなたの墓前に供えてみせよう」
 周瑜は固く決意した。天下に覇を唱えるだけでなく、北郷一刀の抹殺も絶対に全うしてみせようと。
 その胸に先ほどから滾る黒い炎は、その深みを増していく。彼女を包む混沌の底知れなさのように、どこまでも、どこまでも。

 †

  呉の本拠となっている地、建業の城内は嵐に見舞われたかのように慌ただしかった。
 数日前に早馬が届いてから、超弩級の緊張感がそちこちから溢れんばかりに満ちはじめたのである。
 血気盛んな武将が憤りを隠すことがないだけでなく、普段は粛然とした様で風を切って歩く文官たちすら、ここ数日は血相を変えてその足を速めて城内を駆けている。
 事態はまさに、緊急事態。呉の国は今、風雲急を告げる動きが起こり始めている。
 その中心にある孫権は、玉座の間へと向かうため廊下を歩きながら天を仰ぐ。
 彼女の艶やかな口元から零れ出るため息が上る先には灰色の雲。薄暗い壁はどこまでも広がり、まるで光を孫権から奪い取ってしまうかのように覆い被さっている。
「にわかには信じがたいが……このようなことが起こるとは」
 唇をかみしめると、孫権は短くなった後ろ髪をそっと髪で鋤ながら玉座の間へと足を踏み入れる。
 玉座。その前へと赴き座るだけでいいのだが、どうにも一歩一歩が泥沼に足を取られたかのように重い。
 これまでは一時的に預かるだけの、形式的なくらいの気持ちが彼女の胸にはあった。しかし、今は違うのだ。これまでとは一線を画す存在と孫権はなったのだ。
「果たして、私にできるのだろうか」
 玉座へと、その安産型のお尻を起きながら孫権は深呼吸をする。深く深く息を吐き出すと、今度はその反動とばかりに大量の酸素を吸い込む。
 気のせいか、孫権には空気の味が痺れを含んだ刺激的なもののようになっているように感じられた。
 孫権が舌の痺れを口の中で癒していると、ずらりと居並ぶ諸将の中から甘寧が頭を垂れる。
「蓮華様。皆、集まりました……」
「そう……わかったわ。冥琳は?」
「こちらに」
「冥琳……」
 前へと進み出てきた周瑜の額には数滴のしずくが浮かんでいる。ここまで休まずにやってきた。ということなのだろう。
 紅潮していそうな状態なのに、いささか青白い顔の周瑜が一同を一瞥する。
「既に蓮華様。そして、皆の耳にも届いているとは思うが……雪蓮が……」
 周瑜の次の言葉を待ち、一様に口をつぐむ。沈黙が重々しい。この重みが今後とものしかかり続けるのかと考えると孫権は少しだけ、不安を覚えた。
 そんな孫権から眼をそらし、伏し目がちに周瑜が告げる。孫権が荷を背負う番になるということを。
「孫伯符が……暗殺された」
「それは本当なのね? 間違いなく姉様は……」
「残っていた矢に塗られていたのは相当の毒と思われます。そして、雪蓮はおそらくその毒を受けたまま河へ……」
「助かる見込みはやはり」
「恐らくないかと。残念ですが、あの流れではもう流されてしまったことでしょう。あやつと共にいたのも非戦闘員と言える大喬でした故に、希望は薄いでしょう」
「大喬……あの子も、まさか」
「ええ。ともに……流されてしまったようです。それを受けて小喬は今も……」
「そう。まあ、仕方ないことね。戦場に生きているわけでもない、普通の姉の命がこのような形でとは予想もつかなかったでしょうし」
 自分も姉を失ったばかりの彼女には小喬の気持ちが痛いほどよくわかる。
 いや、ある程度の、それも上辺と違いほんのちっぽけなものだったとしても姉が死ぬこともあると覚悟をしていた分、孫権の方がまだ傷は浅いのかもしれない。
「蓮華様。雪蓮のことは非常に胸中渦巻く想いもありましょう。ですが、このような事態に陥ったからこそ貴女にはしっかりしていただかなければなりません」
「そうね。姉様がいなくなった今……私が柱となっては呉を支えなくてはね」
「そうです。ですから、蓮華様には代理でなく。正式に孫策の雪蓮の後を継いでいただきます」
「………………正式に」
「そう。そして、必ずや孫呉の復興という夢を」
「わかっているわ。私とて、姉様とは同じ思いだもの。孫呉の王としての生を全うしてみせる心づもりよ」
「ならば、その言葉を心に刻み込み、我らはここに先々代、孫策へ対するのと変わらぬ忠誠を尽くすことを誓いましょう。よいな、皆の物」
「無論です。私は蓮華様のためならば、この身が裂けようが貫かれようが」
「ありがとう。思春……」
 孫権の側近とも言える甘寧の言葉は、彼女にとって非常に頼もしいものだった。そして、その頼もしさは人を後に連れて行く。
「わ、私も及ばずながらですが……」
 最近めざましい成長ぶりを見せ、着実に智と知を身につけつつある呂蒙。
「亞莎に負けてられません。私だって尽力いたしますよ。蓮華様!」
 呂蒙の言葉に慌て気味に倣う律儀というか忠義に熱いというか何にでも熱心な周泰。
「新しい世代の主を支えていくのは新しい世代。亞莎ちゃんにも、明命ちゃんにもしっかりと精進してもらわないといけませんねぇ」
 間延びした声で微笑ましそうにそう告げる陸遜。
「馬鹿者。穏よ、お主もまだまだ若い世代だろうが。二人に、特に亞莎に追い抜かれぬよう、常日頃から精進して権殿に仕えるべきじゃろうが」
「ふぇっ!? は、はいぃ」
 そんな陸遜を叱咤激励するのは、孫権たちの母親がいなくなってからは呉軍でも貴重な年長側であり母のようなところのある黄蓋。
「……雪蓮姉様のようにうまくいくかな。ちょっとシャオは心配かなぁ」
「こら、小蓮!」
「あはは、お姉ちゃんこわーい。迫力だけなら十分かもねぇー」
 そう言ってケラケラと笑いながら呂蒙と周泰の間に身を隠す孫尚香。どんなときでも明るさを忘れないよう努める孫権の妹。
「蓮華様。一先ずはこのくらいでしょうか」
 冷静に場を取り仕切るのは、自慢の姉が最も頼りにしていたであろう軍師、周瑜。
「そうね。皆、気持ちの整理なども必要だろうし、一度……解散しましょう。後々、また軍議を」
「は。では、これにて終了とする。軍議は明日、それまでに準備をしておくように」
 お開きとなり各々退室していく。
 孫策の訃報を受けて瞳に涙をためていた様子はその後ろ姿にはもう微塵も感じられない。孫呉は悲しみを糧に新たな一歩を踏み出す決意を固めた。
 後は全員の覚悟。そして、強い意志。
「姉様。権にも姉様のような揺るぎない覚悟と意志を……」
「おねーちゃんっ」
「ひっ」
「ふふふ。何、そんなに驚いてるのよ」
「な、なんでもない。それより、てっきりもういないと思ったけど、まだ何かあるの?」
「んーちょっとね」
 孫尚香は、微笑を浮かべたまま両手を後ろ手に組みながら、孫権の顔を除くように少しだけお辞儀のような姿勢を取る。
「その、さ。色々大変だとはおもうけど。がんばってね、お姉ちゃん」
「シャオ……ありがと。雪蓮姉様に劣らぬよう、頑張るわ」
 拳を握り、孫権が頷いて見せると孫尚香は最後に「でも無理しすぎないでね」とだけ付け加えて出て行った。
 それから、しばらく感傷に浸っていると周瑜が静かにやってきた。まるで気配がなく、身内であり家族同然の彼女に対して失礼ではあるが、孫権は少々気味悪く感じてしまった。
「蓮華様。折り入ってお話が」
「どうしたの冥琳? それは、先ほどの場では語れることではなかったのかしら」
「あの後に確証を得た故に……」
「え?」
「いえ。そうですね、蓮華様には事前に伝え、お覚悟をと思った次第です」
「覚悟……?」
 今は亡き姉に密かに願った言葉が周瑜の口から出てきたことに驚く。
「はい。既に我が思考は策を練っております。それを実行するための覚悟をしていただきたい」
「……流石ね、冥琳。いいわ、とにかく言ってちょうだい」
「単刀直入に申します。曹操と同盟を結ぶべきかと」
「なっ!? 何を言ってるの……」
「これは、雪蓮の仇を討つこと。そして、孫呉の未来を切り開くために最も大きな一手」
「ちょ、ちょっと待って。待ちなさい。少し、貴女の言っている意味が理解できないわ」
「最初から説明をすべきでした……失礼。まず、策の暗殺に関しての報告があります」
「なんだと。それは……本当なのか」
「ええ。つい先ほど届いたばかりですが、現場を捜索していた兵たちが見つけました。旗と装具を」
「…………それで、わかるのだな」
「判明したのは、旗印にあったのは劉の文字と公、それに十字の紋章」
「それは」
「更に、装具の様子は反董卓連合のときの奴らの兵のものと似た特徴があります。よって、暗殺を企て実行したのは」
「劉備と公孫賛……」
「はい。ですが その二人を焚きつけた……真の敵は別におりましょう」
 周瑜の顔に見える険が冷静な声とは裏腹の内心の怒りを如実に物語っている。
 いまいち、まだ実感がわかないが孫権にも少しずつ躰の奥で燃えたぎるものがある。噴火の時に向けて動き始める火山のように。
「何者なの、その真の敵というのは」
「それは後ほど。まず私が予測をつけた状況についてをご説明します」
「わかった。その状況とやらを語ってちょうだい」
「先ほども説明したとおり、雪蓮と大喬はこちらへの帰還の前に二人で遠乗りへ。警護もつけたのですが、まかれ……」
「姉様らしいというか……なんというか」
 孫策なら二人っきりで過ごすために、他者の追随を許さず大喬と二人になろうとするのは容易に想像出来る。
 しかし、それが今回は裏目に出てしまったのだ。
「二人だけとなったところを待ち伏せに遭ったのでしょう。袁術に攻め込まれたときか、曹操に見切りをつけたときかはわかりませぬが、劉備軍本隊と別れた残存兵、そして……少し前に下邳を曹操軍より奪った公孫賛軍の兵たちに……」
「なるほど。そして、姉様は抵抗をしたのだろう。大喬を守りながら、だったのでしょうね」
「ええ、おそらくは。ですが、毒には勝てず。二人ともそのまま崖から落ちて、川面へと身を飲み込まれてしまった」
「それが、あなたの予想する事態の全貌なのね」
「その通り。ちなみに、死体の山が残っていたあたり、雪蓮も本当に奮戦したのでしょう」
「そうか。無様に散ったわけではないのね……」
「無論、我らが雪蓮がそのようなことは。ただ、やはり彼女が持ちこたえているうちに警護が追いつくことがきればと悔やむ思いはあります」
「そうね。でも、それを悔やんでも仕方ない……」
 そう、全ては既に起こってしまったこと。取り返しはつかない。どれだけ願っても姉は帰ってこないのだ。
 あの頃はもう……戻ってこない。
「以上のことがあったと推測されます故、蓮華さまはやつらに意趣返しは勿論ですが、それだけに捕らわれることのないように動くのです」
「ええ。それで、貴女には考えがあるみたいね。それが、曹操と……同盟をむすぶことに繋がると」
「公孫賛は曲がりなりにも、大陸に覇を唱える曹操と比較して遜色ない存在となっています。袁紹と袁術を飲み込み、青州黄巾党を取り込んだことで大勢力となっています」
「我々が拡大した程度の勢力ではどうあってもたちうちできないと?」
「いえ。討てないことはないでしょう。ですが、それは公孫賛だけ。もう一人、劉備を討つのは無理。もしくは非常に長く放置せざるを得ないでしょう」
 冷ややかな周瑜の瞳。冷静に先を見え据えているから、そう見えるのだろうかと孫権は思った。
「しかし、今もなお着実に力をつけ始めている劉備をそう長くは見過ごせない。時間を与えれば、劉備は一大勢力を築く恐れがあります」
「確かに……小勢力のはずが、上手く世を渡りいまだ生き延びているものね」
「ですから。最小限の消耗で公孫賛を討つのです」
「なるほど、そこで曹操を利用するという訳……」
「ええ。幸い、曹操も徐州の一件でやつらには借りがありますから。無難に承諾は得られるでしょう」
 確かに徐州における曹操軍の要ともいえる下邳が奪取されたうえ、奪還失敗した以上、曹操も何かしら思ってはいるだろう。そう思うと、孫権も曹操との同盟に対して成功するだろうという気がしてくる。
「そうね。それじゃあ、明日の軍議で詳細を決めた後、曹操へ使者を送りましょう」
「必ずや、上手くいくでしょう。ですが、それで満足はしてはなりません」
「どうして?」
「我々は上手く立ち回らないといけません。あくまで消耗は曹操の方が多くなるように、しかし、機嫌を損ねないよう細心に」
「難しいわね」
「ですが、孫呉が天下を掴むためには必要なことです」
 周瑜が中指で眼鏡の位置を直す。これからの動きに彼女なりに心血を注いでいくつもりなのだろう。その覚悟が彼女にはあるのだろう。
 一体、この建業に戻ってくるまでに彼女は何を思い、何を考えて来たのだろうか。
 そして、自分はそんな彼女に答えることが出来るのか。孫権は少しだけ、わからなくなった。
「蓮華様、しっかりしていただきたい。いいですか、もし、公孫賛相手には余り被害を生じさせてはなりません。その後に残る劉備軍との戦があります」
「公孫賛を破り、力をつける前の劉備を叩く……いけるかしら?」
「皮肉ではありますが、雪蓮の死を通して今の孫呉は一層の団結をしました。その上、我が軍は更に力を得るはず、故に可能です」
「そうね。もしかしたら今ほどの団結は母様が亡くなったとき以来かもしれない……」
「ですから、この周公瑾、何が何でも実現させてみせます。そして、これを成し遂げれば未来は見えてくると信じております」
「ほう。未来が?」
「ええ、何しろ、この大陸で注意すべきは曹操、公孫賛、劉備の三勢力、他は迎合するなり滅ぼされるなり、もしくは取り込まれて消滅するでしょう」
 確かに周瑜の言葉は的確なように思える。
 実際に覇道を進み強大化している曹操、覇道とは違う独自の道を歩みながらも不思議と強大化していく公孫賛、他二つと比べるといささか弱小だか仁や徳を重視する王道を貫く強固な意志を持つ劉備。
 この三人には、いや正確には曹操、劉備と公孫賛の元にいる彼だ。孫権にはその三人からは何か他とは違うものが感じられた。
 彼に関しては、会話を交わしたりと言うことは殆ど無いが、うららかな日差しの元にいるような感覚が確かにあった。あれは何だったのだろうか。
「警戒すべき三勢力のうち、劉備と公孫賛という二勢力が消えれば、残るは曹操と我ら孫呉のものとなります」
「四つの勢力の内、二勢力となるわけね」
「はい。そして劉備を討つ際に今飲み込まれつつある荊州を奪う。そして、益州を抑えつつ、曹操を牽制し対等かそれ以上となる。これを天下二分の計と言います」
「天下二分の計ね。なるほど、姉様の敵を討つのに血眼になれば曹操を出し抜けないし、気をつけないといけないわけね……」
「ですが。うまくいけば、孫策に最高の供え物ができましょう」
 確かに孫呉の復興を成功させられるのならば、孫策も喜んでくれるだろう。
 だが、周瑜の話す天下二分の計に対して孫権には少しばかり気になる点があった。しかし、自分には計り知れない策を周瑜は巡らせているのかもしれないと思い孫権は特には口を挟まずにおいた。
「これをなすためにも覚悟をしっかりと決めてください」
「わかったわ。我が全てを賭すに値すること。相当の覚悟をしないといけないわね」
「それでこそ雪蓮の妹です……彼女のためにも、必ずや」
 周瑜の声に感傷はない、やはり彼女は既に覚悟を終えているのだろう。ただ、孫権には同時にその瞳には孫策しか映っていないようにも見えた。
「さて。最後に重要なことを言わなくてはなりません」
「重要なこと?」
「先ほど述べた真の敵です」
 周瑜の言葉に孫権は息を呑む。何故か周囲を気にしてちらりと室内を伺う。勿論、誰もいない。
 寝るときに物語をせがむ子供のような気持ちで孫権は周瑜を見つめる。
「真の敵……それは、その者の名は……」
「一体、誰なの」
「そやつは……天の御遣い=v
「まさか!」
「そう。北郷一刀、あの男です……やつこそが首謀者、間違いないでしょう」
「ほ、本当なの……冥琳」
 孫権の唇が小刻みに震える。何か、大切な何かが崩れていくような音が聞こえる。目の前がぐらりとゆがむ。
「劉備と公孫賛、この二人を扱いきるとすれば、その男しかないでしょう。それに私にしか知り得ぬ情報もあります故」
「あなたにしか知り得ないこと?」
「ええ。恐らく他の何者からも理解は得られないでしょうけれど」
「それは私にも言えないことなの?」
「申しても構わないのですが……にわかには信じがたいことですから」
「私は冥琳を信じているわ」
「ありがたいことですが。次元が違います……」
 なぜここまで周瑜は拒むのか、孫権にはいまいちわからない。何か、踏み込んではならない領域でも存在するかのようだ。
 そして、周瑜はそれを知っており、その中に身を投じているかのような物言いをしている。
 それ故にこの鋭い雰囲気を放っているのなら、その領域に踏み込もうとすることは、まるで勢いよく荒れ狂う長江に挑むかごとくの無謀さがあるということなのだろうか。
「おま……なぜここ……」
「どうしたの?」
「……そう……良い……な、大丈……と言うのな……信じよう」
「誰と……話しているの?」
「いえ。こちらのことです……。一応話はします、いいですか、蓮華様」
 虚空に向けて何かをボソボソとつぶやいていた周瑜が孫権の顔を見る。孫権は呆気にとられ、ただ黙ってこくりと頷くことしか出来ない。
「北郷一刀は……あらゆる世界を渡る存在らしいのです」
「は……はい?」
「信じがたいでしょうが本当の事です。やつは、ここと似た世界を渡り歩いては雪蓮を殺してきたというのです」
「姉様を……北郷が!?」
「そうです。この世界の発端となった世界でも、やつは……雪蓮を殺し。孫呉を崩壊へと導き、とどめを刺し」
 周瑜の発する一言一言がまるで鋭利な刃物となったかのようにして孫権の胸を抉る。動機が早まり、呼吸がままならない。汗が噴き出てくる……本能が危険領域への突入を感じている。
 信じられないような話、だけど、孫権は何故か心当たりがあるような気がしてしまっている。そして、周瑜の言うことを信じつつある自分がいることに驚く。
「孫呉の息の根を止めた後……蓮華様や小蓮さまたちを……」
「私たちを……?」
「手込めに。傷物にしたそうです」
「なっ!?」
 孫権は全身の血が一瞬で顔に集まるのを感じた。燃えているかのような程に顔中が熱くなってしまった。
 彼女は、まさか自分の相手が……そのような形でとは思ってもいなかったのだ。
「わ、わわわ、悪い冗談はやめなさい、冥琳」
「冗談ではありません。思春や穏たちも……」
「そ、そんな……」
「確か、蓮華様と思春の二人を……」
「もういいわ! 聞きたくもないっ!」
 孫権はもう限界だと言わんばかりに勢いよく立ち上がると、室内を落ち尽きなく歩き回る。
「な、なんてことなの……まさか、あの男がそ、そんな性欲の塊みたいな男だったなんて」
「北郷一刀は我らにとって怨敵なのです。突拍子もない話ですが、事実です。前の世界のみですが、記憶もあります」
「そう。冥琳も北郷に?」
「いえ、私は捕まることをよしとせず自害をしたようです。孫呉と最後を共にしたのです」
「そんな……何故、私はそのとき……」
「どうやら、既に北郷に捕まっていたのでしょう」
「…………そう」
 頷きながら、孫権はハッとなる。すっかり、周瑜の話す前の世界≠ェ本当にあること前提で話してしまっていた。
 これはいけないと彼女は自分の頬を軽く叩いて気を取り直す。
「待って冥琳。確証が欲しいわ、あなたの言う前の世界について……」
「やはり、信用できぬと?」
「いえ。あなたのことは信用してる。だからこそ、最後の一押しが欲しいの」
「……確証、か。ふむ、確かに必要かもしれません」
「流石に私としても、孫呉を担う立場となった以上、個人の思いだけで決断したくないの」
「それは当然のこと。蓮華様は別段悪くはありませぬ。ですから、あまりご自分を責めないでいただきたい」
 信じたいが、信じてはいけない。その葛藤が孫権の呼吸を細くしていく。信頼する周瑜のことは信じたいし、信じている。だが、呉を巻き込むとなるとそれはまた別。
 頂点に立つ者の運命を孫権は今、思いもよらぬ形で実感し始めていた。
「……しばし、お待ちを」
 そう言って部屋を痕にした周瑜が、戻ってきたときに孫権の前に置いたのは話に出てきた旗。
「まず、これらが劉備、公孫賛、そして北郷が関わった証拠。そして、そこで暗殺が行われた証拠……」
「証拠ね……っ!? こ、これは……」
 周瑜が差し出した包みを解くと、中には一降りの剣。それは恐らく唯一無二の剣。
「そう。偶然かはたまた意図してなのか……貴女に雪蓮が遺したのです」
「……南海覇王」
 姉が持っていた孫呉の王のみが持つことを許されるという剣、南海覇王。孫権は伝統の剣をそっと手に取る。
 孫権もよく知るそれは刃だけなく柄や鍔までもが血に塗れており、そこで展開されたであろう凄惨な光景が彼女の脳裏に容易に浮き上がる。
「この剣だけが……あったのです」
「そう。やはり姉様は……その者たちに殺されたのね」
「さぞかし無念だったかと」
「でしょうね。よし、やつらへの報復は絶対に完遂しよう。たが、それには捕らわれないように……だな」
「は。では、この剣は……磨かせておきましょう。新たな王のために」
「ありがとう。明日、正式に孫呉の王として……皆の前に立とうと思う。そのときには間に合わせておいて」
「御意。至急、専属の職人に取りかからせましょう」
「頼む」
 孫権が恭しく頷くと周瑜は再び南海覇王を手にして立ち去ろうとする。そのとき、孫権は彼女を呼び止めた。
「冥琳」
「……何か?」
 周瑜は振り返らない。一言で話が済むと察知しているのだろうか。ありえることだ。
「貴女の言っていた、前の世界……理解したわ」

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