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304 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:08:05 ID:Q6dQvMDA0
こんばんは、清涼剤です。
急激な気温変化で私は風邪を引きましたが、みなさんは如何お過ごしでしょうか
恋姫武将や漢女のように年中元気でいたいものですね。

さてさて、それはさておき
無じる真√N:88話をお送りいたします。

(警告)
・アブノーマルな描写が入ることもあります。
・18歳以上向けのシーンも時折あります。
・資料を元に独自な考えで書いています。
・話の流れも同様で資料を元にアレンジを加えています。

以上の点に思うところがある方は読む際にはよくご注意ください

メールアドレス、URL欄にてメールフォームなどご用意してあります
ご意見、ご感想のある方は、お好きな媒体から、お気軽にどうぞ

次回は来週か再来週の週末になると思います。

url:ttp://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0770



 「無じる真√N88」




 荊州江夏。その更にさきにある夏口。そこに船団が滞在していた。ちょうど、そのあたりには大陸を断ち切るかのように大きく流れる雄大なる長江がある。
 長江の流れに押されないよう碇を下ろし、船団は位置を確保している。その中心ともいえる旗艦の楼台、その先端部に一人の少女がいた。
 空と同様に黒く染まる水面に浮かぶ二つ目の月。それを見つめながら彼女は用意させた胡床に腰掛け、足を組み、その太ももに肘を乗せて頬杖をつきながら溜息をついた。
「なんか、つまんなーい」
 孫尚香は、この船団を率いて、つい先頃まで水戦を繰り広げていた。相手は江夏太守黄祖。孫呉にとって、いや彼女の家族、孫家にとって、また勢力拡大していくうえで見過ごせない相手だった。
 非常に重要な一戦だったはずである。少なくとも、彼女がまだ本拠の建業にいた頃にはそうだった。
 この一戦を大きな飛躍の足掛かりとするためにと、皆一致団結の思いを強め、その下準備も余念なく行われてきた。
 孫尚香は、姉を中心とした船団の活躍が見れるものだと胸を躍らせていた。しかし、現実は孫策の死によって状況を大きく変えざるをえなくなってしまっている。
 思い描いていたものとの差に多少不機嫌な孫尚香の顔色をうかがいながら呂蒙が話しかける。
「あ、あの。小蓮さま。夜明けまでには方策を考えなくては……」
「わかってるわよー。もう」
「小蓮さまがなんだかご機嫌斜めなご様子です」
 胸の前で祈るように両手を組んだ周泰が眉尻を下げる。彼女は、徐州侵攻の軍に参加していたが、今は黄祖討伐へとまわされてきていた。
 周泰がこの水軍へと来たのは、恐らくは代理なのだろうと孫尚香は思う。本来は甘寧が主力となるところだったが、諸事情があり、結果として周泰がその人に着くことになったのだ。
 呂蒙と周泰という、現在の船団で主な戦力となっている二人の少女を孫尚香は交互に見やる。この二人を筆頭に、今回の遠征に参加している将兵は比較的若輩ものが多くなっていた。
「ついでにいえばおっぱいも……」
「小蓮さま?」
「なんでもないわよ……はぁ」
 小首を傾げる二人に孫尚香は視線を逸らす。胸的にも若輩ものが多いとはいう気になれなかった。何しろ、その言葉は諸刃の剣なのだから。
 呂蒙と周泰の胸を見て、自分のそれを見下ろす。どう見ても一番小さい。
「むー」
「え、えっと……なんですか」
「な、何故、私たちを睨みつけているのでしょう?」
「べっつにー。ホント、やんなっちゃう」
「小蓮さま……」
 周泰がしょんぼりと肩を落とし涙を浮かべながら孫尚香を見つめる。視線を受けた孫尚香は溜息をつく。
「あーもう、悪かったわよ。まあ……別に亞莎たちのせいじゃないしね」
「そうなんですか?」
「うん。なんていうかさー。雪蓮お姉ちゃんのことがあってから冥琳もお姉ちゃんも変わっちゃったなって、ね」
 孫尚香は細い両足を椅子の上に引き上げて、膝を抱えるようにして座り直す。
 河風を受けてぱたつく裾を抑えながら呂蒙が目を細める。
「確かに人が変わられたように……」
「し、しかし、仕方がないのではないでしょうか? 雪蓮さまが命を落とされたとなればやはり、あらゆる感情の波が立つと思いますし」
 孫尚香と呂蒙の顔を周泰は慌て半分といった様子で見る。
「まあね。シャオだって、やっぱり許せないと思ったし、絶対仇は討って欲しいとは思っているもん」
「ええ。ですから孫呉の総力をあげてでもという意気込みになるのは致し方ないとは」
「ですです。ですから、一段落つけばきっとお二人も元に戻られますよ」
「そうかもね。でも、シャオ的にはやっぱりどうかなぁって思う」
「どうしてです?」
「敵討ちを成し遂げたいっていう気持ちはわかるけどさ、それって雪蓮お姉ちゃんの夢をつぐことよりも大事なの?」
「それは……」
「そもそも、ここで黄祖を討つ。それはずっと前からみんなの目標の一つだったわけでしょー。それに冥琳自身が丹念に下調べをして、緻密に風土や気候を元に航路や戦場を考えていたはずなのに。当の本人は仇討ちに夢中。これでいいわけー?」
「冥琳さまが件のことで何をお感じになり、どのようにお考えなのか……それは推し量ることは私にはできませんが、しかし、心中はお察しできるのではないかとは……」
 呂蒙は困った顔でそう答える。やはり彼女としても孫呉の内部で起こっている事態についていけていないのだろう。それも致し方ないことではあると孫尚香は思う。
 孫呉の支柱となっていた孫策の訃報。それは諸将を始め、多くの人間に動揺をもたらした。そして、生じた混乱の中、周瑜だけは毅然としたままで、意気消沈している者たちに活を入れるように、立ちこめた暗雲を振り払うように、彼女はみんなを率先してくれた。
 だが、そんな周瑜でも何かがおかしかった。そう孫尚香には思えてならない。
「冥琳のばか……」
「一体、どのような展望をお持ちなのでしょうか……。やはり、冥琳さまは私などには遠く及ばぬ存在なのですね」
 肩を落とした呂蒙の呟き。彼女は、左右の裾をあわせ、両腕を中に隠した状態で眉を顰め、難しい顔を浮かべている。
「今回の水戦についてだってそうですし。冥琳さまの水軍の調練や編成、計画もまだまだ私には真似できそうにもありません」
「そりゃあ、孫呉きっての名軍師だもの、そうそう追いつける相手ではないわよ。でも亞莎、雪蓮お姉ちゃんのように冥琳から世代交代が行われるときはくるでしょうから、冥琳の鼻を明かすくらいの軍師になってくれなきゃ困るんだからね!」
 孫尚香は、胡床の上から飛び降りると、呂蒙の前に立って上目で彼女の顔を見上げる。孫尚香は人差し指を顔の横に立てながらじっと呂蒙に視線を注ぐ。
「そ、そう仰られましても。私にはそんな……まだまだ若輩者で……」
 呂蒙は困った顔をする。
「頭も良くないですし……どちらかといえば、学問は苦手で。勿論、努力はしているつもりですが」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。亞莎が頑張ってるのはみんな知ってるもの。それに、努力は必ず亞莎にかえってくるわ! だから、自信を持っていいの」
「は、はい」
「さ、それじゃあ。さっさと方策を考えましょう」
 孫尚香はぱんぱんと手を打つと、目を瞬かせ微笑む。
「そうですね。冥琳さまからお預かりした水路図を元に思案していきましょう」
 呂蒙が水路図を指しながらいう。孫尚香や周泰もそれをのぞき込む。
「ここまでの水戦で、敵軍は漢水の入口を固めるように陣取っている艦を残すのみかと思われます」
「蒙衝の方は、大方片がついていると考えてよさそうかな?」
「はい。明命の率いる隊の戦果が大きく、相手の蒙衝は大方壊滅させられたかと思います」
「そっか。明命もお疲れさま、ありがとね」
「いえ。自分に課せられた任務を果たしたまでです」
「後は入口を塞ぐように留まっている艦を沈めるだけかと」
「それじゃあ、火計でもしかけてみるー?」
 孫尚香ははやる気持ちをおさえもせずにそう尋ねてみる。しかし、呂蒙な首を縦に振らなかった。
「火計を使用するのは、今回の場合だと下手に沈没させても余計な損害が出かねません」
「そうなの?」
「あの艦がいるのは丁度、この辺りでも水深の浅いところのようです。もし沈めたりすれば艦が邪魔となり、どかすためにも大きな手間がかかってしまいます」
 そう言って呂蒙が水路図の一点を指で示す。そこには確かに周瑜の字で何やら書き込まれている。
 水深がどのくらいなのか、気をつけるべき点などが書かれているようだ。
「そうすると、どうしたらいいわけ? 蒙衝を使ってもダメだろうしぃ。むむむー」
「やはり、敵が艦をあそこに停滞させるために用いている碇をどうにかするのが定石ではないでしょうか」
「なるほど。碇につながれた縄を断ち切れば艦は動く……そうすれば、後は遠慮なく叩きつぶせちゃうわね」
「ならば、その任は私が!」
 周泰が丸い目を半月にするように鋭くする。
 孫尚香は呂蒙の顔をうかがってみる。呂蒙は逡巡した後に口を開いた。
「相当覚悟のいる工作となるはず……、明命は、それでも構いませんか?」
「当然なのです! 孫呉のため身命を賭して成功させてみせます」
「凄い意気込み……。小蓮さま。工作隊の指揮を明命として、すぐに編成してもよいかと思いますが。いかがでしょう?」
「誰よりも危険なことをさせるわけだから心配。でも明命なら大丈夫よね。信じてるわ」
「はい。ありがとうございます!」
 孫尚香の言葉に周泰は胸の前で拝むように両方の手のひら同士をあわせて微笑む。
 とても命をかけて任務に挑むよう告げられた者の顔には見えない。
「それじゃあ、シャオたちがすべきことは……明命が工作を行うために動くのにあわせて、篝火をたいて、それから小舟を出して敵の気をこっちに向けさせるって感じかしら?」
「はい。それで問題はないと思います」
 孫尚香の質問に呂蒙が小さく頷く。
「明命。闇に紛れる必要があります。向かうならもう少し夜が更けた頃合いでいいと思いますよ」
「了解しました! 取りあえず、準備に入ります」
 そう言うと周泰は軍令を取って、すぐさま駆けだしていった。
「明命の隊が上手くやってくれれば敵の艦も流されるだろうから、勝負所はそのときね」
「そうですね。幸いちょうど輸送船がこちらへ向かっていますから、恐らくは明日の朝頃に夏口へ侵入し、敵の船を撃沈。そこから城まで向かうことも可能だと思います」
「なるほどねー、流れは大体わかったわ。ありがとうね、亞莎」
「いえ、そんな……これが私の仕事ですから。えっと、それでは……失礼します」
 照れくさそうに火照った顔を隠しながら呂蒙は楼台を後にして自分の持ち場へと戻っていった。
 まん丸の月が自分の役目を終えようとし、空気が冷たくなってきた頃、ようやく闇が薄れて先が見え始めたので孫尚香は楼台の手すりに身を乗り出すようにして、よく目をこらす。
 はっきりとは見て取れないが、影が動いている。大きな影が少しずつ動いているのが確認できた。
「敵の艦がうごいているわ! これって、明命の工作が成功したと考えていいのよね?」
「ええ、まず間違いないかと」
 顔だけ振り返って孫尚香が尋ねると、呂蒙が首を縦に振る。
 もう一度河の先へと目をやる。やはり相手の艦は徐々に流されている。気づけば、少しずつ空が明るくなっている。もう朝なのだ。
 将兵の声も歓喜の色に彩られていく。孫尚香も手すりを掴む手の力を自然と強めていた。
「伝令船が到着しました!」
「周泰隊の状況は?」
「周泰殿を始め、半数が戻ってきたようです。ですが、残り半数は……」
「そっか……やっぱり厳しい作戦だったのよね」
 多少の被害がでるのは戦の常、とはいえ、孫尚香の小さな胸は痛む。服の胸の辺りをぎゅっと握りしめながら彼女は前を見据える。
 呂蒙が心配そうな顔を孫尚香に向ける。
「小蓮さま……あまりお気になさらないほうが」
「わかっているわ。大丈夫。ありがとう、亞莎」
 孫尚香は両手を合わせるように叩くと、軽く息を吐いて旗手の方を見る。
「全軍を進めるわ。合図を!」
「御意!」
 呉軍の各船が進み始める。夏口の入口を塞いでいた邪魔な艦は既に位置をずらされている。
 進むにつれて水の様子が変化していく。長江から漢水へと移動しているからだ。
「伝令兵ある!」
「はっ!」
「これから水軍同士が衝突をすることになりますが、周泰には後方の輸送船が接岸したら、船から降ろされる兵馬を率いて陸路から夏口城を攻めるよう伝令をお願いします」
 やってきた兵に呂蒙が指示をすると、兵はすぐに駆けだして小舟へと乗り移る。
「こっちの情勢次第では、私も行く!」
「し、小蓮様!?」
 孫尚香の言葉に呂蒙が目を丸くする。
「孫呉の戦を黄祖に見せてやらなきゃだもん。姉さまたちの代わりとしてもね」
 そう言って片目を瞬かせる。呂蒙は困惑を表に出した後、僅かな溜息と共に肩を竦める。
「わかりました。小蓮さまのおっしゃることもわからないわけではありません。では、明命と共に行動をしてください。くれぐれも独りでは動かれませんよう」
「わかってるわよぉ。子供じゃないんだからね!」
「ひゃ、ひゃい。申し訳ありません。つい出過ぎたまねを……」
「ああもう! そこは冥琳みたく、ふっ、私から見れば小蓮さまはお子様なものですから、くらいのことを言えばいいの!」
 周瑜のモノマネを入れながら孫尚香が言うと、呂蒙は「は、はあ」と気の抜けた返事をするのだった。
 それからすぐに呉軍の先鋒が立ちはだかる敵の水軍へと突っ込んでいく。その間に輸送戦と周泰に接岸をするよう合図を送る。
 孫尚香はそれらを確認すると、今度は呂蒙の指揮を見守る。
「先鋒が相手の出鼻をくじき、亀裂を生じさせました。それを起点として全軍攻撃を開始してください!」
 呂蒙の言葉に応じて、呉軍の全船が敵船団にできた亀裂を更に深いものとしていくように攻撃をしかけていく。
 総櫓でぐんぐんと船は進み、敵を蹴散らしていく。合間を縫ったり、横撃を加えたりなどは水軍ではたやすくできるはずもなく、旗艦へ敵軍の手が伸びてくるということはなかった。
 入口を塞ぐという手に頼っていただけで、それを打ち破ったいまとなっては勝敗はほぼ決しているといっても過言ではないだろう。
「ふう……今なら接岸して、陸に移っても大丈夫だと思います」
「わかった。亞莎もお疲れ様、もう一頑張りよろしくね」
「は、はい」
「それじゃあ、行ってくるわ!」
「御意です!」
 孫尚香は護衛の将兵を率いて接岸用の小舟へと乗り移る。旗艦では輸送戦のような接岸はできないためである。
 さきに接岸していた輸送船から用意されていた兵馬と合流して孫尚香たちは陸路を駆け出す。
 ひたすら駆け、夏口城へと差し迫る。
「もうすぐ決着がつくわ! それまで後もう一絞り、力を出すのよ、みんな!」
「応!」
 しばらく駆け進んでいくと、周泰の部隊が見えてくる。既に敵を押しつぶすように圧倒している。
 押されている敵軍へと横撃を駆けるように孫尚香は突っ込んでいく。
「孫呉の弓腰姫、孫尚香。推参!」
「小蓮さま! 立派なお姿、まさに晴れ姿です!」
「なんだか、子供を見守る母親みたいな視線を感じたんだけど……。まあいいや、いくわよー!」
 気合いの籠もった一矢で敵兵が馬上から転がり落ちる。さらに二つ、三つと矢を命中させていく。
 ただでさえ周泰隊に押し込まれていた敵軍は、孫尚香隊の出現で完全に意気消沈し、潰走しはじめる。
「このまま追撃をかけるわよ! 明命!」
「はっ、心得ております! 周泰隊、追撃の手は緩めず、敵一兵たりとも逃すなー!」
「うおおおおおおおっ!」
 兵たちの指揮は非常に高まっている。逃げる敵に追いすがり、次々と撃破していく。そして、その勢い衰えるまもなく夏口の城門が打ち破られた。
 呉軍はなだれ込むように夏口城へと攻め入っていく。敵の抵抗は少なかった。
「このまま城を占拠するわよ。それから黄祖を見つけ出して捕らえなさい!」
 それから程なくして黄祖は捕らえられた。水軍の方も予想通り孫呉の勝利で決着した。
 夏口における戦は、無事に孫尚香の勝ち戦として結末を迎えるに至った。
 その最中、彼女の心は勝利への喜びよりも、姉たちを憂う想いで充ち満ちていた。
「やっぱり。気になるのよねぇ……」
 建業の方を孫尚香は眺める。ずっと向こうの遠い空は暗雲が立ちこめていた。

 †

 益州の成都。その本営に劉備軍は集まっていた。
 彼女たち劉備軍は、劉備が荊州の刺史となったあと、内政を行いながらも改めて天下へと進出するための算段をつけていた。
 主に諸葛亮の案だったが、江東の孫呉、北部の曹操の注意がそれている間に益州を勢力下におくことにしたのである。
 益州は劉璋の政治に嫌気のさしていた民や将の協力もあり、難なくなすことができた。何より、戦乱を生き抜いてきた劉備軍と益州でぬくぬくとして、時折五斗米道にちょっかいを出していた程度の劉璋軍とでは差は歴然というものだったのだから、それもまた致し方ないことである。
 そんなこんなで戦力の差を証明し続けた後、成都にて劉璋との会談が行われ、その末に劉備が益州をもその手に収めることが決まる。
 それからすぐに成都への軍の入城も滞りなく行われ、諸将は本営へと集まることになった。
 本営にいる劉備たちは現在、祝勝を喜ぶ雰囲気に包まれていた。
「荊州に続き、益州も無事に我が軍の統治下となりましたね、桃香さま」
 関羽が武人らしい凛々しい瞳に少しだけ曲線を描き、軟らかい目つきになる。
 ふふん、と鼻息を漏らしながら張飛が胸を張る。
「鈴々にかかれば劉璋のところの兵なんてへっちゃらへーなのだ!」
「これ、鈴々。降った相手のことをあまりそう貶めるものではないぞ」
「そんなこと言ったってしょーがないのだ。でもね、だからこそ、鈴々がいっぱいいーっぱい、鍛え直してやるぞー!」
「ふ、なるほど。それでは鈴々のお手並み拝見とさせてもらうとしよう」
「おう! 絶対愛紗のとこの兵よりも強くしてやるのだ!」
「ほう。言うでは無いか。大口だけは立派なものだな」
「にゃにおー!」
 関羽と張飛は、眉尻を上げて、血気盛んな犬同士のようににらみ合う。
 それを黄忠が間にはいるようにして宥める。
「ほらほら、二人とも。桃香さまのますますの繁栄を祝しているときなんだから、もっと笑顔じゃないと」
 両手を合わせて小首を傾げる黄忠。その顔には微笑を称え、彼女のひときわ豊かな胸からも発せられる、非常におおらかな空気が関羽と張飛を包み込み、穏やかな表情に変えていく。
「ま、まあ。それもそうだな。おめでどうございます、桃香さま」
「やったね、お姉ちゃん!」
 関羽と張飛が自分たちの主君でもあり、姉でもある劉備へと祝いの言葉を投げかける。
「ありがとう二人とも」
「どうかなさいましたか、桃香さま?」
 不意な黄忠の問いかけに、劉備はえっと驚く。
 黄忠とは、こういう人なのだ。いつもにこにこ太陽のような笑みを浮かべていて、のん気そうだが、ちゃんとみんなのことを見ている。
 娘がいる貫禄なのか、それとも彼女が生来持ち合わせているものなのかはわからないが、とにかく母性が強いのである。
 ずばりと劉備の心の靄を見抜いた母親特有の洞察力に感服しながらも劉備は言いよどむ。
「うん……。ちょっとね」
「お前らが喧嘩なぞするからではないのか?」
 魏延がむっとした表情を関羽と張飛へと向けて、じろりと睨みつける。隣にいる厳顔がため息交じりに魏延の頭を小突く。
「あいたっ!?」
「馬鹿者。その程度で気分を害されるほど桃香さまも狭量なお方ではあるまいて」
「た、確かに桃香さまはとても懐が深く広いお方……胸同様に。ですが、桔梗さま、それとこれとはですね」
「ええい、口答えするでないわ。まったく……」
「まあまあ、桔梗。その辺にしておいてあげたらどうかしら。ほら今は桃香さまのお考えを伺うべきでしょう?」
 魏延をしかりつけようとするも黄忠に宥められ、厳顔は早い溜息をつきながら肩を竦める。
「紫苑の言うことももっともだ。すまぬな、皆の者。桃香さま、どうぞ、その胸に秘めているものをお出し下され」
「私は」
 そこで劉備は息を呑む。言葉を押し出そうという喉の動きと、それをせき止める意思が彼女の中で反駁しあっている。
 逡巡の末、彼女はふうと大きく息を吐き出して肩を上げる。
「ちょっと、お腹空いちゃったなーなんて。えへへ……」
「と、桃香さま。お腹がって……」
 関羽が口をあんぐりと大きく開けて唖然としている。いや、他の面々も似たようなものである。
「まったく、お姉ちゃんはしょうがないのだ」
「あはは。いやぁ、つい」
「桃香さま、本当にお心を患われていたりはしていませんか?」
「大丈夫だよー。朱里ちゃんも心配性だなぁ」
「桃香さま……」
「私は元気だし、ご飯を食べれば疲れも吹き飛んじゃうって! だから、ね。紫苑さん」
「……そうですか。あの、もし何かお困りでしたら……その時は私でなくても構いませんので、遠慮なくお申し付けください」
「うん。ありがとう」
 心配そうな顔のままの黄忠にそう答えると、劉備は諸葛亮にやり残しがもうないことを確認して解散を言い渡し、食事に行くと一同へ言い残して部屋を出た。
 廊下へ出て、吹き抜けから西の空を見上げと、雲の隙間を滑り降りるように夕日が沈み始めている。
 劉備はあのとき、一瞬だけ、これまで溜め込んできたものを吐き出そうとした。だが、どうしても吐き出す気にはなれなかった。
 何故か躊躇してしまったのである。もしかしたら、徳の劉備を信じてくれている者たちの期待を裏切ることができないと思ったからかもしれない。
 一応、なんとか笑みは保てたはずである。作り笑いとばれている可能性は大いにあったが。
「はぁ……どうしよう。でも、こんな気持ちは抑え込んでおかないとね」
 劉備は拳を握りしめて自分を鼓舞する。
 そこへ、玄関の方から先ほどまで劉備がいた部屋へ向かうように兵士が駆けていく。何事かと思い、劉備は兵を呼び止める。
「どうかしましたか?」
「これは劉備様! 実は江夏が、江夏が奪われました!」
「えっ」

 †

 本営の一室へ劉備が戻ると、主立った将たちは相も変わらず顔を揃えていた。だが、先ほどまでと異なり、皆一様に険しい表情を浮かべている。
 既に先ほどの兵から報告は受けていると見てまず間違いなさそうだ。
「みんな、まだ揃ってるみたいだね」
「桃香さま、実は今は、早馬のよこした情報によるとですね」
「うん。話は聞いたよ。江夏が孫権さんの軍に奪われたんだよね」
 説明をしようと前に進み出た関羽に彼女は頷いてみせる。関羽も瞳を伏せて首を一度だけ縦にふった。
 劉備は自分のつくべき上座へといくと、全員を見回す。そして、その中でもひときわ小柄な少女へと視線を向ける。
「朱里ちゃんとしては、これをどう見る?」
「はい。恐らくは孫呉の狙いはあくまで、黄祖さんだったのではないかと……」
「そういえば、諜報からの情報でも孫呉は黄祖との決着を望んでいたようだったな」
「愛紗さんの仰るとおりですね。それに、江夏を奪ってから更に荊州へと踏み込んできているのなら早馬が矢継ぎ早にきてもおかしくはないでしょう」
 諸葛亮の説明にそれぞれが頷く。各々で色々と考えを巡らせているのだろう。
 その中で、黄忠が諸葛亮へと質問を投げる。
「朱里ちゃん、他に孫呉が荊州を責めてこないと思う理由はあるかしら?」
「そうですね……先ほどの報告からすれば、孫権さん自身や周瑜さんは江夏を攻めて来た軍には加わっていないようでした」
「ああ、そういうこと」
「ん? どういうことなのだ? 鈴々にもわかるように頼むのだ」
「えっとね。孫権さんや周瑜さんがいないってことはつまり、本隊を注ぐ程に重要視しているわけでもないってことじゃないかなって考えたんです」
「なるほど! にゃ? でも、黄祖を撃つっていうのはあいつらの念願だったはずじゃないのか?」
「そうですね……。でも孫権さんたちにも何かもっと大きな考えがあるのかもしれません。何しろ美周郎さんが参謀を務めているのですから」
 諸葛亮が顎に小さな手を当て、ぱっちりとした目も今は細めている。孫呉の思惑について思考を巡らせているのかもしれない。
 劉備は暫くじっと諸葛亮の顔を見つめ続ける。彼女の視線にも気づくことなく「むむむ」と唸っていた諸葛亮が不意に劉備の方へと目をくれる。
「桃香さま。早い内に使者を出しておきましょう」
「使者?」
「ええ。向こうにその気がないというのはあくまで予想です。ならば、その予想をより確実なものとしておくべきかと」
「朱里の言う通りだな。彼奴等とて人、いつ欲を掻いて更なる領土拡大を図ってくるかわかったものではなかろう」
「うーん。それはないと思うけど……でも、孫権さんのところに報復はしませんよって伝えておくのはいいかもしれないね」
 諸葛亮と厳顔の顔を交互に見ながら笑顔を浮かべると、劉備はうんうんと何度も頷く。
 しかし、ふと気になる事項を思いつき劉備は首を傾げる。
「でも……江夏はどうするの?」
「それはもう、あちらにあげてしまってよいと思いますよ」
「なんだと! 朱里よ、お前は我が軍の土地をみすみすただでくれてやれと言うつもりか!」
「はい。更なる先を見据えていくのなら、ここは江夏の城の一つくらいは譲ってしまってもよいと思います」
「ほう、その心は?」
 腕組みをした関羽が声に重みを増しながら尋ねる。
 諸葛亮は仁王のような相手を前にしても怯むことなくこたえる。
「今、孫呉とことを構えた場合、一番得をするのは曹操さんです」
「あっ」
 誰かが声を上げる。
「公孫賛さんの軍がいるから大きく動けないとはいえ、西涼連合を破り、涼州を手にしてみせた方です。うかうか油断をしているとすぐに攻め込まれてしまうでしょう」
「でも、そんなの鈴々たちで返り討ちにしてやればいいのだ!」
「いえ。兵数もまだ曹操さんには及びません。それだけでなく、兵の質も問題です。荊州にしてもこの益州にしても大抵の将兵は長いこと本物の戦を知らずに来ています」
「引き替え、曹操のとこにおる将兵どもは歴戦の強者揃い……我らと違って、というわけじゃな」
「桔梗!」
「落ち着いて愛紗ちゃん。桔梗の言うことにも一理あると思うの。恥ずかしながら、私や桔梗のところが最たるもののはずだし。私たちの元にいる兵はやっぱり少し頼りないくらいで他の荊州、益州の将兵は推して知るべしといったところでしょう。ですから桃香さま、朱里ちゃんの進言、私は受けるべきだと思いますわ」
「そっか……。そうだね、江夏一つで孫権さんとの無駄な諍いを避けられるならそれが一番だよね。それじゃあ、準備の方、お願いしてもいいかな、朱里ちゃん」
「御意です」
 劉備の方へと向き直ると、諸葛亮は笑顔を浮かべながら大きく頷いた。
「あ、あとそれからですね。孫呉との締結が上手くいった場合、次の手も考えて置くべきだと思うんです」
「次の手だと?」
 関羽が訝しげな顔をする。
「はい。内政も大事だとは思いますが、それと同時進行で危険の排除はしておくべきじゃないかと」
「ふむ。危険か……やはり外敵ということだろうか」
「五胡や南蛮の動きは益州にとっては驚異ですものね」
 関羽の発言を受けて黄忠が目を細める。もしかしたら、益州でもまともな将たちとしては、かねてより頭痛の種ではあったのかもしれない。
「そうです。五胡と南蛮を共に警戒しつつ、討つべき方をしかと討伐しておくべきかと」
「なるほど。朱里ちゃんは既に何か考えているのかな?」
「一応の考えはあります。動きがより活発な方を抑えておくべきだと思っているんです」
「どっちのほうが活発なのだ?」
 張飛がくりっとした目を諸葛亮に向けながら小首を傾げる。
「南蛮です」

 †

 江夏での結果報告は劉備軍だけでなく、孫権軍の本拠、建業までも届いていた。
 現在、周瑜もまた、その建業に身を置いていた。
 建業は揚州丹陽郡に位置し、長江を始めとした河に守られた城である。そんな城の中に広がる街並み、その奥に位置する本邸の中に彼女はいた。
 現在の主君である孫権の部屋へと呼ばれていたためである。孫権の部屋は書簡の一つ一つに至るまで綺麗に整頓されており、几帳面な孫権の性格を表しているように思える。
 その部屋の窓際に卓と椅子が置かれており、向かい合うように周瑜と孫権が腰掛けていた。
 窓の外は中庭が遠巻きに見える。池の周囲を覆うように鬱蒼と生い茂る樹々の隙間より朝日が染み出ていて、それが池面を白く染めている。
「どうやら小蓮の方は上手くやったようだ」
 膝に手を乗せて背をぴんと貼るような姿勢で座っている孫権が言う。
 外から彼女へと視線を戻して周瑜は頷く。
「それは朗報だったかと。まあ、戦果もまずまずなようで何よりと言ったところでしょうか」
「あくまで、まずまず、なのね」
 孫権が口もとに手をやってくすりと笑う。
「でも、本当に良かったと思うわ。うん……これも冥琳の下準備のおかげかしらね」
「さあ、それは如何なものか。彼らの力があってこそだとも思いますからね」
「明命も亞莎も成長しているということかしらね」
 孫権は目を細めながら天井を見上げ、次の瞬間にはまた周瑜を見る。
 かつて、周泰たちと共に戦場を駆けたことを思い出しているのだろうか。そういえば周瑜はそれを見守っていたものだった。そのときは愛すべき親友がいたことも思い出す。
 今目の前にいる少女にその魂は受け継がれているはずである。姉妹と言うこともあって面影もあるし。
「ふ、そういう蓮華さまも随分と王としてのあり方が板についてきたようで」
 実際、孫権は君主としての自覚を持つことで少し顔つきも凛々しくなったように思える。
 しかし、それでも周瑜の心が満たされることはない。
「そ、そうかしら?」
「ええ。雪蓮に負けないような君主となっていただきたいものだ」
「うぐ……雪蓮姉さまのようにだなんて、まだまだ私にはとても……」
「焦らなくてもよいのですよ。雪蓮は雪蓮。蓮華さまは蓮華さま。ご自分なりのやり方であやつを超えればよい」
「そうやって簡単に言うけどねぇ、難しいのよ! んもう!」
「はは、そうやって怒ると雪蓮そっくりだ」
 さすがは姉妹だと周瑜は思う。孫権が頬を膨らませて上目に周瑜を睨むが、彼女は詰め込まれた空気を口から吐き出して肩を竦めた。
「まあ、いいわ。未熟ではあるが、姉さまに少しでも追いつくよう努めなくてはね。というわけで、冥琳」
「は。では、まずは江夏を得たことから始めましょう」
 孫権が君主としての彼女へと切り替わったのを察して、周瑜も説明をしていく。こうして孫権の私室で話すことかは置いておく。
「よろしく頼むわ。黄祖を討ち取ったことは非常に喜ばしいと思うけれど、劉備はどう思うかしら?」
「それなりに衝撃は受けるでしょうが、こちらに報復をしかけてくるというようなことはないでしょう」
「あら、それはどうして?」
「北に曹操を迎え、益州の西南は異民族の脅威に怯えている。そのような状況で更に我らとことを構えようなどと愚考はしますまい」
「なるほど。まさに四面楚歌となるよりはってことか」
「そういうことです。他の者がどう思うとしても諸葛亮だけは情勢を見極めた判断をすることでしょう」
 劉備軍の軍師、諸葛亮。彼女は見た目こそ子供のように幼いが、その脳漿に刻まれた知識と天性の才能は侮れないと周瑜は判断している。彼女は、諸葛亮の片鱗を垣間見ただけでしかない。しかし、周瑜としてはそれだけで判断材料として十分であり、また諸葛孔明という存在を認めるのにそれ以上要しはしなかった。
「劉備の使者が小蓮さまの元に届き、こちらにも早馬が来ることでしょう」
「ふむ」
「そちらの方は余り気に病むこともありますまい。次に曹操ですが、こちらも注意する必要はそこまでないでしょう」
「そうね。今の曹操の見ている先はどうにも私たちではないようだからな」
 間諜からの情報は既に入っている。曹操の元から情報を得るのは厳しくなってきてはいるが、それでもまだ引き出すことはできている。穴はあるものなのだ。どこの国にしても、無論自国にしても。
 改めて間者に対する警戒態勢を整え直しておこうかと周瑜は頭の片隅で考えつつ、孫権の言葉に頷く。
「漢中が今は気になっているようですし。南下してくるということはないでしょう。また、領内の豪族たちの方も反乱などの兆しもありませんし。揚州の問題もないでしょう。異民族の方もこれといった報告はありません」
「そうか。そうなると、やはりここは……」
「徐州、そして徐州を奪った勢いで冀州まで北上する、と」
「ああ、先の戦では少々急いていたこともあって失敗したが。しばらくの間、改めて国の内政に従事した後、改めて攻め込んでもよいだろう」
 決意じみた表情をする孫権の瞳が太陽光を反射する刃物の表面のようにぎらりと光る。
「まずは軍力の強化と国の統制、この二点。それから、同時に改めて長江を初めとした河と水路にも手を入れておきましょう。特に水路、徐州の拠点とのやり取りをもう少し円滑にいくよう整備しておくことは戦略上、重要かと」
「そうね。その辺りについてもやらせることにしましょう。いつ、公孫賛軍の反撃があるかもわからないし、連絡や運搬路を強固にするのは早いほうが良いでしょう」
「水路の件、そして先の二つをある程度まで水準を引き上げることができれば、それを陸遜や後進の者たちに任せることもできましょう」
「そして、なんの憂いもなく尽力できるようになったときには」
「必ずや、公孫賛軍。そして、北郷一刀の打倒を……」
 そう言って周瑜は眼鏡を人差し指で押し上げた。

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