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885 名前:メーテル ◆999HUU8SEE [sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:11:56 ID:T8mGJPDc0
わたしの名はメーテル……規制された女。
本スレ規制のため、こちらに投下させてもらうわね。
分割数は19よ、鉄郎……。
886 名前:袁術公路(1/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:13:55 ID:T8mGJPDc0
 時刻は夜半過ぎ。
 空気が澄んでいるのか、東京にしては珍しく、綺麗に星が見える夜。
 闇の中を小石を跳ね上げ、人気のない道を駆ける影一つ。
 夜道を走るその男子学生の両脇には、二枚の銅鏡と石でできた玉爾が抱えられている。

「待てよ!」
 制止の声を耳にして、男子学生の足が止まった。
「その手に持ってるやつ、どっから持ってきたんだよ」
 がさがさと音を立て、声の主が木刀を手にして茂みから出てくる。
 立ちはだかるように現れた彼もまた、走っていた学生と同じ制服を着ていた。
 聖フランチェスカ学園の制服である。
 それ自体は何の変哲もないただの学生服だ。そもそもここは、聖フランチェスカ学園の敷地
内であるからして、それを着た生徒がいるのは当然と言えば当然だ。
「っていうか、おまえ、うちの学校の生徒じゃないだろ」
 だが、その制服を見知らぬ少年が身につけているのを昼間歴史資料館で見たのが、彼の今宵
ここにいる訳だった。
 聖フランチェスカ学園は元女子校で、最近になって共学になったために男子生徒は少なく目
立つ。
 そのために、殆どの男子生徒同士は顔見知りのはずなのである。
 例え学年が違おうと、まるで見たことがない男子生徒というのはいかにも不自然。
 であるのに見かけた覚えのない男子生徒の存在が、彼の中で引っかかりとなって行動を起こ
させる契機となったのは確かだ。
「その手にした銅鏡と石の玉爾を、」
 返せと、彼がそう言いかけたとき、少年が初めて口を開いた。
「……北郷一刀」
887 名前:袁術公路(2/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:15:16 ID:T8mGJPDc0
「え? 何で俺の名を――」
 言い終わる前に、
「殺す!」
 少年は弾かれたように一刀へ向かって飛び出した。
「な? ……わぁっ!?」
 驚きに声をあげながら、一刀は膝を屈するような形で、頭を狙った蹴りをすんでのところで
回避した。
「わっ、ひっ、ほっ!」
 続けて踵落としからはじまった電光石火の連撃を、手にした木刀を使ってなんとか捌いてい
く。
「なんなんだよいきなり!?」
「北郷一刀! ここで貴様を殺せば今度こそっ! はぁっ!」
「――!? 話を聞けよ! くそっ!」
 一撃で骨を粉砕しかねない重い蹴りを、一刀はなんとか紙一重でいなす。
「ちくしょう!」
 一瞬の間隙。
 一刀は蹴りの連打が途切れたその隙に、慌てて後退して距離を取って木刀をやや寝かせて地
滑りに構えた。
 突然襲われた衝撃で、相手が素手であることの余裕など吹っ飛んでいる。
 対面する相手の蹴りには、明確な殺意が宿っている。命のやりとりなどしたことのない一刀
にも、油断すれば自分の命が危ないことは容易に知れた。
 緊張の糸が引き絞られる中、ジリジリとした間合いの取り合いがはじまる。
「突端が開く前におまえを殺す!」
「だから何のことだかさっぱりわからないってのっ!」
 蹴りと木刀、リーチの差は明らか。であるというのに、一刀は決定的な一歩を踏み出せずに
いた。
888 名前:袁術公路(3/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:16:07 ID:T8mGJPDc0
 少年が放つ肌がひりつくような気迫を受けて、前に踏み出すのが躊躇われたのだ。
 あるいは踏み込めぬその一歩こそが、両者の間に横たわる差そのものだったのかもしれない。
「ふん、怖じ気づいたか。来ないならこちらからいくぞっ!」
 一刀が踏み込んでこないのを見取った少年は、そう言って迷いなく鋭く深く踏み込んできた。
「うおおおおお!!」
「くそっ! 手加減できないからな!」
 川面を跳ねる石切のように一気に距離をつめてくる少年に対し、一刀はすり足での歩方で横
移動を行う。
 まばたきの時間で、その距離は零に。

 まず懐に飛び込んできた少年の蹴りが、風を切って眉間を狙い撃つ。
 一刀はそれを、
(ドンピシャだ!)
 予期していたかのように上体を捻り、頬にかすらせるだけで回避した。
 地滑りというのは刀を下に構える構えであるのだが、これは必然的に上半身の防御が手薄に
なる構えなのだ。
 一刀は無防備を晒して、少年の攻撃を回避可能なものに誘導したのである。
 そこには、相手が最初から頭ばかりを狙ってきていていたことも加味されている。
 だが正直なところ、本当に頭を狙ってくるかは賭けだったのだが、そうまでしなければ埋ま
らない差が両者の間にあったのも事実だ。

「だああああああああ!!」
 続いて攻撃を回避した一刀は、捻ったバネもろとも全身の力を込め、そのまま下から上への
すくい上げる一撃を放った。
「チィッ!」
 舌打ちと共に、今度は少年の身が翻る。
「なっ!?」
 一刀の口から驚きの声が漏れた。
 少年は跳ね上げの一撃を、片足だけでバク宙するという曲芸師さながら動きで避けたのであ
る。
889 名前:袁術公路(4/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:16:57 ID:T8mGJPDc0
 けれども、ここで少年にとっての予期せぬ出来事が起こった。
「しま……っ!」
 アクロバティックな動作のために、彼が小脇に抱えたものの一つが、地面へと転がり落ちた
のだ。
 落ちたのは、石の塊である。
「おっしゃ! まず一つ!」
 それを見た一刀が、すかさず地面へ手を伸ばす。
 このとき、初めて少年の顔が焦りの色に変化した。
「やめろ馬鹿! それに触れるな北郷一刀!!」
「やめろと言われて誰がやめるか!」
 一刀はそのまま、石の玉爾に触れた。

 瞬間、突如として目の前の夜が払われた。

「な、なんだこれ!?」
 玉爾から光が濁流のように溢れ出したのだ。
 しかも闇を裂いて流れ出した光が、まるで意志でもあるかのように絡みついてくる。
 それに合わせるように、一刀の視界も白く染まっていく。
「――――っ!!」
 なにが起こっているのかわからない未知、その恐怖に悲鳴をあげようとするが、それすらも
声にならない。
 逃れるためにもがこうとするが、意志に反して体は石になったかのように動かない。
890 名前:袁術公路(5/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:17:57 ID:T8mGJPDc0
「くそっ、もう幕が開くのか!?」
 そうしているうちに、次第に意識が薄れていく。
「北郷一刀! おまえ……世界……真実……目…………絶望……っ!」 
 途切れ途切れに聞こえる叫びを遠く耳にしながら、一刀は遂に意識を失った。

 ――こうして、また新たな外史がはじまる。



 ◇◇◇

 荊州。
 その太守が住まう荊州本城にほど近い荒野。
 何もないそこにいま、二人の娘がいた。
「のう七乃や、流れ星が落ちたのは本当にこっちなのかや?」
「はいー。そのはずなんですけどねー」
 一人は黄色を基調にした中華風アレンジの肩出しワンピースを纏った、背の低いいかにもお
姫様といった少女。
 整った顔立ちに腰までの美しい金の長髪、すらっと伸びた手足。いまは幼くとも、数年も経
てば絶世の美女となることが想像に難くない美少女である。
 一方、七乃と呼ばれた少女は、主人に従う付き人といった風体でそのあとに控えている。年
の頃は主人である美少女よりも幾分か上であろうか。
 彼女が着ているのは白を基調にした軍服「風」の制服である。
 プリーツスカートとニーソックスの制服が似合う彼女も、間違い無く美少女の範疇に入る娘
であった。
「むぅ? それにしては何もないではないか」
「そうですねぇ……あっ、お嬢さま! 向こうになにか落ちてますよ、行ってみましょう!」
「うむ!」
 二人の名は美羽と七乃という。
 荊州太守である袁術と、その親衛隊長の張勲その人である。
 彼女たちは城の近くに流れ星が落ちたのを見て、ここへやってきたのだ。
891 名前:袁術公路(6/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:18:56 ID:T8mGJPDc0
「なんじゃこやつは?」
「人、ですねぇ」
 そうして二人が見つけたのは、仰向けに倒れている見たこともない服を来た少年であった。
 目は閉じられており、意識はないようである。
「そのようなこと、見ればわかる。妾はなぜこのような場所に人が寝ておるかと聞いたのじゃ」
「うーん。この格好を見るに、どこかの豪族か貴族の方みたいですけど」
 そう言って屈んだ七乃は、少年の着ている服をつまんで見せた。
 光を反射してキラキラと生地が光っている。七乃が手にしたそれは、実に不思議な素材でで
きた服であった。
 興味深そうにして寝ている少年をつつきはじめる七乃に対して、主人の少女はつまらなそう
に言った。
「ふん、そんなやつのことはもうよい。流れ星は、流れ星はどこなのじゃ?」
 そう、彼女たちは城の近くに流れ星が落ちたのを見てここに来たのであって、目当てのもの
はこんな少年ではないのだ。
 目的のものを探して、美羽はキョロキョロとあたりを見渡すが、周囲に広がっているのは何
の変哲もない荒れ地のみ。
 なにかが落ちた痕跡はない。
 美羽はしばらくそうやって周りを見ていたが、やがて何もないことがわかると、気分を害し
たように口をへの字に曲げた。
「何もないではないか。つまらん! 妾はもう帰るぞ!」
 少女がそう言って踵を返して歩きだそうとしたとき、不意に七乃がぱんと手を鳴らした。
「思い出しました!」
「ん? なんじゃ七乃、どうかしたのかや?」
「お嬢さま。この方もしかして、あの占い師の言っていた天の遣いの方なんじゃないですか?」
892 名前:袁術公路(7/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:19:56 ID:T8mGJPDc0
「天の、遣い?」
 美羽がなにを言っているのかわからぬという顔で聞くと、七乃は嬉しそうに話しはじめた。
「ほら、あれですよ。天下一の占い師って触れ込みの管輅さんが予言した、戦乱の世を治める
ために、天からの遣いの方が落ちてくるとかなんとかっていう」
 『きゃーっ、本物なんですかねぇ』とか言いながら喜色満面といった様子で少年の頬などつ
まみはじめる七乃の言葉を聞いて、最初キョトンとしていた美羽の顔色がゆっくりと変わりは
じめた。
「では七乃や、こやつは、天から落ちてきたということかやっ!?」
「そうなんじゃないですかねー。近くに流れ星が落ちた形跡はありませんし、そもそもそれ以
外にこの方がここで寝ている理由が思いつきませんよぅ」
 それを聞いた美羽は、しゃがみ込んでしばらく少年の顔をじっと見て、それから着ている服
を見た。
「天……天か……」
 そう呟いて少年の服を一通りいじったあと、七乃に向き直った美羽の瞳はキラキラとした輝
きを放っていた。
「七乃!」
「はいはい、何ですかお嬢さま?」
 次に自分の主人がなにを言ってくるかわかっている七乃は、それでも気付かない振りをして
聞いた。
「妾は、こやつが飼いたい!」
「えぇー? 駄目ですよー、またそんなこと言ってぇ。大体、一体誰が面倒を見るんですか?」
「妾が、妾がちゃんと世話をする、躾もする! 散歩も毎日連れて行くから!」
「えー、でもぉ……」
「飼いたいのじゃ! 飼いたいったら飼ーいーたーいーのーじゃー!!」
 美羽が手をぶんぶんと振り回しながら駄々っ子モード全開になったのを見て、七乃は内心深
くで溜め息をついた。
893 名前:袁術公路(8/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:21:01 ID:T8mGJPDc0
 実のところ、倒れているこの少年の素性を口にしたそのときから、なんとなくこうなるのは
わかっていたのだ。
「そこまでおっしゃるなら仕方ありませんねぇ。……ちゃんとお世話するんですよぅ?」
「うむ! 妾に二言はない!」
『そう言ってもどうせ三日で飽きちゃうんでしょうねぇ』と、そんなことを思って苦笑する七
乃であった。

「さて、そうと決まれば、この方を連れて城まで戻りましょうか」
 主人が満足したなら、こんなところに長居する理由もない。
 いくら太守居城のお膝元であるとしても、城壁を越えればそこは安全地帯ではないのだ。
「あんまり重たくないと、いいですねぇ」
 よっこいしょっと声を出して、七乃が一刀の体を動かそうとしたそのときだった。
「……あらぁ?」
 浮かせた少年の頭の下、そこから赤いものがドクドクと流れ出た。
「な、七乃!? こ、こやつ血が、血がいっぱい出ておるぞ!?」
「そうみたいですねぇ。あ、こんなところに石発見」
 七乃はそう言って少年の頭があったところを指さした。確かにそこには血まみれになってい
る拳大の石がある。
「きっと落ちてきたときに、この石に頭をぶつけちゃったんですねぇ。……なんて運のない」
「こんなに血が出て、大丈夫なのかや!?」
「うーん、頭ですからなんとも……。打ち所が悪いとまずいかも知れませんねぇ。早くお城に
連れて帰りましょう」
 血はドックンドックン勢いよく流れ出ている。明らかに尋常ではない。
 とりあえず止血をしようと七乃が体を抱き起こそうとすると、少年の口から「うっ」という
呻きが漏れた。
894 名前:袁術公路(9/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:21:59 ID:T8mGJPDc0
「やや、目を覚ますぞ!?」
 そう言って、美羽は少年の顔を覗き込んだ。

 ◇◇◇

 猛烈な痛みに意識を取り戻した一刀が目を開いたとき、そこに映ったのはこの世のものとは
思えぬ美少女の姿だった。
 細かな金の繊維を流したかのような、サラサラの長い髪。覗き込んでいるつぶらな瞳は、吸
い込まれそうになるほど大きく、極上の宝石のように光を放っている。
 肌の色は触れれば溶けてしまいそうな純白。けれどもうっすら紅潮させた頬の赤みが、神秘
的な白の上に乗って、犯しがたい雰囲気の中にも思わず触れてしまいたくなる暖かさを与えて
いる。
 着ている服はヒラヒラとした、いかにもお姫様といったものなのだが、この少女が着ると少
しも嫌味に感じない。むしろ当然のように思える。
 未成熟な体つきは、花開く前のつぼみのような、生命力と淑やかさに溢れている。
 全体として、高貴さと無邪気さの調和が恐ろしく高い領域で取られている。
 そして何より一刀を見るその嬉しそうな顔と言ったら、一度見れば二度と忘れられない。ま
るでそう、富士の山頂から見る御来光の如き輝きを発していた。
 何というかもう、その姿はこの世のものとは思えない。
 神々の造形ですらない。むしろ神だ。
 だから一刀は、

「……女神?」

 そう思ったままを呟いて、再び意識を失った。
895 名前:袁術公路(10/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:22:44 ID:T8mGJPDc0
 ◇◇◇

「……女神?」
 一瞬意識を取り戻した少年は、それだけ言うとがくりと意識を失った。
 そして言われた当の本人は、なにを言われたのかをわからないとばかりに呆気にとられた表
情をしていた。
「女神……?。こやついま、妾のことを女神と言ったのかや?」
「ええ、確かに言いましたねぇ」
「女神、……女神か……」
 その言葉の意味が理解として染みこんでいくにつれ、美羽の顔が次第に赤く染まっていく。
 それだけではない、口元が引きつったようにぷるぷると震えはじめた。
「あのー、袁術さま?」
「ふ、ふふ……ふふふふふふ」
「どうなさいました?」
「七乃や。妾はこやつのことが気に入ったぞ! 妾の美貌を見て、曖昧ながらも一言でそう評
したこと、実にあっぱれじゃ! 何としてもこやつを、妾の犬にしとうなった!」
「おー、ぱちぱちぱちー。お嬢さま気合い入ってますねぇ」
「うむ! そうと決まれば善は急げじゃ! 早くこやつを城に連れ帰って手当するのじゃ!」
「はいはーい。それじゃとりあえず応急手当しちゃいますねぇ」
 それだけ言うと七乃は懐から手巾を取り出してテキパキとした手際で応急処置をはじめる。
 その横で美羽は
「むふふふ。妾が女神とな……そうか、それほどに妾は美しいか。ふふ、うふふふ」
 と言いながら、顔をニマニマとさせるのだった。
896 名前:袁術公路(11/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:23:17 ID:T8mGJPDc0
 ◇◇◇

 一刀は夢を見ていた。
 この世のものとは思えぬ美少女の夢だ。
 若い……というより幼い少女が、一刀に向かって微笑みかけている。
 それはまさに天使の微笑み。
 汚れを知らない、清らかなる笑顔だ。
(君は……誰?)
 そう問いかけるも、少女からの返事はない。
 彼女はただ微笑みかけるのみ。
 一刀自身にも、自分の見ているものがなんとなく夢だというのはわかる。
 けれども、醒めたくない夢というのもときにあるのだ。
 この少女を見ていたい、見続けていたい。彼女の笑顔は一刀をそんな気持ちにさせるのだ。
 だが、何事にも終わりはある。
 一刀が見ている前で、少女の輪郭がにじんでいく。
(待って、名前を……)
 その言葉に、少女は応えない。
 ただ笑うだけ。
(待って、待ってくれ……)

 そして北郷一刀は目を覚ました。
897 名前:袁術公路(12/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:24:12 ID:T8mGJPDc0
「おお七乃や! やっと目を覚ましたぞ!」
 耳に入ってきた第一声は、女の子のそんな声だった。
 意識を取り戻したとき、一刀はなにかを掴もうとするように宙へと手を伸ばしているところ
だった。
 掴もうとしたもの、夢の少女はもういない。
「あらあら、やっとお目覚めですかぁ。寝坊助さんですねぇ」
 こちらに近づいてくるパタパタという足音が聞こえる。
 朦朧とした頭で、とりあえずそちらに顔を向けようとした一刀は、
「よもや三日三晩も寝続けるとはな!」
 思いがけず、夢の中の少女と再会を果たした。

「え、えええ!? な、一体、なに、が……!?」
「大丈夫かや? まだ怪我が痛むのかや?」
 そこには一刀の顔に触れ合うほどに顔を近づけて、そこにはあの夢の中の少女がいた。
「な、な、な、な、な」
「……んんー? おぬし、もしかして喋れんのか?」
 彼女の愛らしい唇から漏れた吐息が鼻にかかり、一刀の心臓がこれ以上ないほどに早鐘を打
つ。
 まったく自慢できることではないが、北郷一刀が生涯でこれほどまでに女の子に近づいたの
は、初めてのことであった。
「き、君は……君は一体……」
「なんじゃ、ちゃんと喋れるではないか。それなら早う返事をせぬか」
 少女が近づけていた顔を離し、少女は腕組みをして頬を膨らませた。
 対して一刀の方はと言えば、バクバクと音を立てる心臓を抑えるので精一杯である。
898 名前:袁術公路(13/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:25:19 ID:T8mGJPDc0
 彼女は夢で見たときも美しかったが、こうして実際に見ると、それよりなお一層美しさが際
だって見えた。
 頬を膨らませてむくれている姿すらも、愛らしく美しい。
 見ているだけでどうにかなりそうだった。
 一刀が胸に手を当てて呼吸を整えようとしていると、その額にひんやりとした手が当てられ
た。
「じゃあ熱の方を計りますよー」
「あ……」
 このときになって一刀は、少女の横に別の誰かが立っていることに気が付いた。
 そちらを見ると、そこには一刀の額と自分の額にそれぞれ手を当てて、体温を測っているら
しい女性がいた。
「んー、熱は下がったみたいですねぇ」
 少女のことで動揺して気付かなかったが、どうやら先ほど足音を立てて近づいてきたのが彼
女らしい。
「あの、俺、一体……」
「覚えていますか? あなたは城の外で怪我をして倒れていたんですよぅ」
「け、怪我?」
 と、そこまで思い至ったとき、唐突に意識を失う直前の記憶が蘇ってきて、一刀は慌てて体
を跳ね起こした。
「お、思い出した! あの泥棒は!?」
「……はい? 泥棒ですか?」
「そうだよ泥棒だよ! ……って」
 跳ね起きた一刀は、ようやく自分がいるその部屋のことに気が付いた。
 まず、一刀が寝かされていたのは、天蓋付きの大きなベッド。
 それだけで、自分の部屋でないことがわかる。
899 名前:袁術公路(14/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:26:05 ID:T8mGJPDc0
 だが、それ以上に特異であったのは、部屋の内装だ。
 テーブルや椅子、それに壁に掛けられた鏡や、窓、それら一切が見慣れないものばかり。
 いや、見たことはある、テレビの中でならだが。
「……何で中国風?」
 部屋にあるものは、何から何まで、これでもかと中華風で統一されていた。
 少なくとも、自分の部屋ではありえない。
「ちゅう、ごく? なんじゃそれは。七乃、知っておるか?」
「うーん、生憎私は存じ上げませんねぇ」
「ええぇ!? だって……どう見ても中国っぽい、けど……?」
 言いかけて、そこで一刀の目はようやっと、目の前にいる二人の着ている服に行った。
「それ、コスプレ、だよね?」
「こー、すぷれ? なんじゃそれは」
 少女が顎に人差し指を当てて、可愛らしく小首を傾げる。
 どう見てもコスプレだが、そうしている彼女は、とぼけているようには見えなかった。
「な、なにがどうなってるんだ!? ここは一体どこなんだ!?」
「えっとー、ここは荊州南郡。袁術さまの治める城、荊州城ですよ」
「け、けいしゅう?」
「うむ、そうじゃ! 妾の城じゃ」
「妾って……君の、城ぉ!?」
 思わず素っ頓狂な声をあげる。荊州というのが中国の地名を指しているのはおぼろげに察せ
られたが、それ以上に少女が自分の城だと言ったことに驚いたのだ。
 慌ててベッドの傍にある窓から外を見ると、確かにそれっぽい景色と、遠くに城壁のような
ものが見えた。
900 名前:袁術公路(15/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:26:57 ID:T8mGJPDc0
 その奇想天外な光景に言葉を失っている一刀に、二人は更に追いうちの言葉をかけた。
「あ、名乗るのが遅れましたねぇ。私は張勲です。そしてこちらにいらっしゃるお方が……」
「うむ、妾こそが名門袁家の正当なる後継者。性は袁、名は術、字は公路、真名は美羽。この
荊州の太守であるぞ、覚えておくがよい!」
「張勲に、袁、術?」
 その名前を聞いて、一刀は今度こそ目を丸くした。
 張勲の方は殆ど記憶にないが、袁術という名前なら知っている。
 中国の三国志に出てくる、皇帝を僭称して諸侯から袋叩きにあった男の名だ。
 劉備や曹操ほどビックネームではないが、そこそこ知られた名前だ。
 親が三国志ファンでつけた名前なのだろうか。
 だとしても、よりにもよってそんな人物の名前をつけるだろうか。あるいはこれが噂に聞く
『痛ネーム』というやつだろうか。
「ええと……君の名前は、袁術なの?」
「うむそうじゃ!」
 確認のため聞いた一刀の言葉に、袁術と名乗った少女は胸を張って答えた。
「な、なんだよそれ、まるで三国志みたいな名前……」
 しかしそう言う一刀の声は尻すぼみになって消えていった。
 袁術のした『胸を張る』という仕草に、思わず目が彼女の薄い胸へと吸い寄せられて、その
まま赤面してうつむいてしまったからである。
 いくらなんでもこんな小さな子の胸に目が行ってしまうなんてと、恥ずかしさに前を見てい
られなかったのだ。
 あのときなにが起こったのか。ここはどこなのか。なぜ二人とも日本を知らないのか。袁術
という名前もおかしい。そもそもこんな子供が城とはどういうことか。
 一切合切わからないことだらけだが、ただ一つわかったのは、袁術と名乗ったこの少女の姿
を見ていると、自分がのっぴきならない状態になるということだ。
 彼女を見ていると、頭と体が沸騰しそうになるのである。
901 名前:袁術公路(16/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:27:40 ID:T8mGJPDc0
「さんごくし……? また知らぬ言葉じゃ。それよりもおぬし、名は何という? どこの生ま
れじゃ?」
「えっと、俺の名前は北郷一刀。出身は東京の浅草だけど……」
 それを聞いて二人が顔を見合わせた。
「聞いたが七乃。こやつが言ったとうきょう、あさくさ、覚えはあるか?」
「いいえ、存じませんねぇ」
「それではやはり!」
「本物!?」
 そう言うと二人は手を合わせてきゃーっと小躍りをはじめた。
「わー、嘘みたいですぅ。やっぱりこの方、本物の天の御遣いさんですよぅ。ほらほら美羽さ
ま、握手握手」
「うむうむ! やはり妾の見る目に間違いはなかったということじゃな!」
 美羽に手をにぎにぎと握られて、一刀はますます顔を赤くした。
 だがそれでも、その言葉の中に覚えのないものが混じっていたのを聞き逃しはしなかった。
「天の御使いってなに? もしかして俺のことを言ってる?」
「そうですよー。先日管輅さんという占い師の方が、天から遣わされた御遣いがこの地に降り
立つっていう予言をしたんですよぅ。それで、空から落ちてきて、陽光を反射して煌めきを放
つ服を着ているあなたが天の御使いだと、ぴんと来たんです」
「あ、いや、ポリエステルだから光を反射してるだけなんだけど……って、そう言えば俺の服
は?」
「はい。汗を拭くのに邪魔でしたので、脱がせてあちらに」
 促されて見ると、丁寧にたたまれた制服がテーブルの上に置かれているのが見えた。
「あ、それはどう……も?」
 と、言ったところで一刀の中で一抹の想像が脳内を駆け巡った。
902 名前:袁術公路(17/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:28:45 ID:T8mGJPDc0
 それは袁術を名乗った少女が、恥ずかしそうに素っ裸の自分を拭いてくれている光景である。
「ぽりえすてる? 天の言葉とは珍妙じゃのぅ」
「そうですね、お嬢さま」
 二人はきゃっきゃと笑い合っているが、一刀はそう暢気に構えていられない。
「ぬ、ぬぉぉぉ……」
 一刀は呻いて体を折り曲げた。
 妄想した光景によって、股間がのっぴきならない状況に陥ってしまったのを悟られぬためで
ある。
(な、なんだ!? さっきからおかしいぞっ! なんか、袁術ちゃんのことを見たり考えたり
すると……!?)
 体の一部が痛いくらいに充血して、目の前がチカチカする。
 心なしか、頭もキリキリと痛む気がする。
「あれれ、大丈夫ですか一刀さん? あ、一刀さんって呼ばせて貰いますねぇ。傷でも痛みま
したか?」
「き、傷?」
「気付いておらんかったのか。頭に包帯が巻かれておるじゃろう」
 この子を意識するとまずい。そう思って半ば気を逸らすために、一刀は頭に手をやった。
 すると確かに、そこには包帯が巻かれているようだった。
「……本当だ」
「天から落ちてきたときに、頭を強く打ったんですよ。頭の後ろからたくさん血を流しちゃっ
て、大変だったんですから」
 言われてみれば、確かに後頭部がズキズキと痛む気がした。
「あいたたた……」
「ほらほら、まだ安静にしてなくちゃ駄目ですよー」
 そう言う七乃は一刀の体をベッドに寝かせると、布団を掛け直してくれた。
 不幸中の幸いか、きかん坊の暴走は痛みでどうにか収まってくれたようだった。
903 名前:袁術公路(18/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:29:24 ID:T8mGJPDc0
 一刀が内心で安堵していると、七乃に運ばせた椅子にちょこんと座って足をプラプラさせな
がら美羽が聞いてきた。
「ときに一刀よ。姓は北郷、名は一刀というのはわかったが、字と真名はなんというのじゃ?」
「字は……ない。それに、まなっていうのは?」
 その言葉を聞いて、二人は驚いた顔をした。
「なんと、おぬし真名も知らんのか!?」
「ああ、なるほど。天の国には真名がないのですね……」
「うん。だからそれがなんなのかわからないんだけど」
「えっとですねぇ。真名っていうのは、真実の名と書いて真名と呼びます。自分の命と同じく
らい貴く重いもので、心を許した相手や、自分が許した相手にだけ呼ばせる名前なんです」
「はぁ」
「私の真名は七乃、お嬢さまは美羽さまですね」
「うむ。妾は七乃を信頼しておるからな。七乃には真名を預けておる。それで一刀よ、おぬし
の真名はなんじゃ?」
「んー……そういうことなら、一刀ってのが、俺の真名にあたるのかな」
「な、なんじゃと!?」
「えっとつまり一刀さんは、初対面の我々にいきなり真名で呼ぶことを許していたということ
ですか?」
「んー。そっち流に言うなら、そういうことになるかなぁ」
 それを聞いた七乃はうーんと唸ったが、美羽の方はというと、彼女は最初こそ驚いた顔をし
ていたが、すぐにうんうんと一刀に向かって頷いた。
「よいよい。みなまで言うな。わかっておるぞ」
「へ?」
「妾のことを女神と呼んだのじゃ。神を前にしては、かしこまり真実の名を捧げる他あるまい。
そのことようわかっておる」
904 名前:袁術公路(19/19)[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:32:02 ID:T8mGJPDc0
「め、女神……?」
「そう照れずともよい。妾たちがおぬしを助けたとき、妾のことを女神と呼んだじゃろう?」
 そう言って、美羽は顔を赤らめて、むしろ彼女の方がもじもじと照れているような仕草をし
た。
「そのとき既に妾の心は決まっておったのじゃ」
「心って……?」
「それはな……」
 そこまで言って、美羽は言葉を切った。
 そして彼女はしばらく顔を赤くしたまま言い淀んで、それからなにかを決意した顔で手を掲
げ、言葉を発した。
「北郷一刀よ。妾のことを真名で呼ぶことを許す! 何せ妾はおぬしの飼い主じゃからな! 
主人と犬の契り、これは真名を預けるに足るものである!」
 号令を発するような、高らかなる宣言。
 それを聞いて、一刀の頭は真っ白になった。
「飼い……飼い主? 犬? 誰が? え?」
「ちなみに私のことは七乃って呼んでくださいねぇ、一刀さん」
「ちょ、ちょっと待って、どういうことだよ!?」
「どういうことも何も、あなたは美羽さまに命を救われ、飼われることになったんですよ。ね
ぇ美羽さま」
「うむ!」

 一刀は美羽を見た。
 この可愛らしい美少女に、犬と呼ばれる。
 年下の女の子の、ペットになってしまう。
 こんな子に、いいようにされてしまう。
 それは甘美で、背徳的で――
 そう考えた瞬間、突然ズキンと頭の奥が痛むような感覚を覚え、同時に下半身の息子は限界
を超えて膨張し……

「なにがどうなってるんだああああああああああああああああああああああああ!?」

 そして一刀は絶叫した。
905 名前:メーテル ◆999HUU8SEE [sage] 投稿日:2010/01/09(土) 22:38:09 ID:T8mGJPDc0
わたしの名はメーテル……投下終了を告げる女。
今回はある外史の北郷一刀が到着してから、怪我の後遺症が治るまでを区切りとする中編の最初よ。
年末年始のイベント投下の代わりにこれを置いていくわね、鉄郎……。

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