[戻る] [←前頁] [次頁→] []

711 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 02:18:19 ID:SQLoO5ZK0
久々ですが董√最新話を桃香します

http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0438

今回微妙にサブタイに偽り有りです
これから年末に掛けてまた忙しくなるので間は空くと思いますが、一応年内には完結の予定です
それでは次回最終章『天壌無窮』で



「霞が……死んだ……?」
 伝令のもたらした報告に、曹操は思わず立ち上がっていた。
「それは本当なの!?何かの間違いとかじゃないの!?」
「張将軍は董卓の首まであと一歩の所まで迫りながら呂布に阻まれ……。驍将の名に恥じる
事の無い、見事なご最期であられました……」
 報告する兵士の声が震える。
 それが何より情報の正確さを物語っており、報告を受けていた一同呆然とする。
「……それで、残った者は?春蘭達はどうしたの?」
「一時狄道の城に退かれ、曹操様の指揮を仰ぐようにと」
「そう」
 心を落ち着かせるように息を吐くと、曹操は腰を下ろした。
「華琳様!ウチも、ウチも涼州に行かせて下さい!姐さんの仇、取らせて下さい!」
「沙和も一緒に行きたいのー!凪ちゃんの事も心配なのー!」
「ボクも霞ちゃんの仇を取りたいです、華琳様!」
「華琳様、お願いします!」
 李典・于禁・許緒・典韋等が曹操に向かって懇願する。
 軍師達は何も言っていないが、表情を見れば同じ思いで居るのは一目瞭然だった。
「………………暫くは現状のまま待機」
『華琳様!?』
 長い沈黙の後、曹操の発した言葉に諸将が色めきたった。
 一方で軍師達は沈痛な表情を浮かべている。
 それは曹操がそう言う決定を下すであろう事が分かっていた様にも見えた。
「納得出来へん!」
 声を上げたのは李典だった。
 彼女は言葉遣いが似ているせいか霞と馬が合い、親しく接している仲だった。
「どう言う事でっか!?華琳様は姐さんが討たれて悔しないんですか!?それとも姐さん
が元々魏の人間ちゃうからどうでもええっちゅうんですか!?所詮は降将やからと──」
「黙れ、李典!!」
 曹操が怒声を発した。
 そのあまりの迫力に、李典の身体は硬直し、一言の言葉すら発せない。
「主に向かってその言い草は何か!言葉を控えよ!」
「ぐ……せ、せやけど──」
「李典!」
 今度は荀ケから叱声が飛ぶ。
「アンタ、本当に華琳様が何も感じてないと思っているの?霞の死なんてどうでも良いと、
そんな風に考えていると本気で思っているの?」
 普段曹操に無礼があればキャンキャンと喚き散らす荀ケが、今は静かに諭すような口調
で李典に語り掛ける。
 それが逆に彼女が本気で怒りを覚えていると感じさせた。
 同時に頭に上った血が徐々に下がっていった。
「前回の大敗に続き今回も霞達が敗れた事で我が軍は甚大な損耗をしています。それは兵
力のみならず、軍資金や兵糧・武器等の物資に至るまでかなりの数になります。今すぐに
涼州へ再戦を挑む余裕等は全くありません」
「正直今回の霞ちゃんの遠征もギリギリだったんですよねー。ま、霞ちゃんは少数精鋭で、
しかも騎馬隊のみの短期行程で行ってくれたから何とかなったんですけど」
「分かる?今の状況で無理に攻めたとして、勝っても負けても甚大な被害を被る事は確実
なの。そんな時に劉備や孫策が攻めてきたらどうなると思うの?。霞は大切な幕僚だけれ
ど、死んだ者の為に国家そのものを危うくする訳にはいかないのが現状なのよ」
 軍師達が現在の状況を説明する。
 それは冷えた李典の頭には充分に入り込んだ。
 同時に自分が犯した罪の深さを思い知る。
「申し訳ありまへん、華琳様!この李典、罰は如何様にも!」
「華琳様、お許しをなの!沙和も一緒に罰を受けるから、真桜ちゃんを許して欲しいの!」
 平伏する李典の横で、于禁も跪いて必死に親友の為に許しを請う。
 だが──
「二人とも、幾ら頭を下げたところで、この私に無礼を働いた罪が許されると思うの?」
 曹操が冷厳な声で言い放つ。
「李曼成。我に無礼を働いた罪により、官位剥奪の上国外追放を命ずる!」
「ヒッ!?」
「うぐ……」
 于禁が息を呑み、李典が歯噛みして無念の表情を浮かべた。
「──と、言いたいところだけれど」
『ふぇ?』
 不意に曹操の口調が和らぎ、二人がキョトンとする。
「私の想いもあなた達と同じよ。霞は大切な我が家臣。それを失って黙っていられる訳が
ないでしょう?」
「そ、そやったら──」
「けれど今すぐに出兵する余裕が無いのは確かよ。だからそうね……一年、いえ半年待ち
なさい。それまでに力を蓄え、必ず霞の仇を討つ事を約束しましょう」
「ほ、ホンマでっか!?」
「この曹孟徳に二言は無いわ。だからあなた達二人の役目は、それまでにしっかりと兵士
を鍛え上げ、今度こそ涼州に打ち勝てる軍を作り上げること。良いわね?」
「分かったのー!いっぱい、いっぱい頑張るのー!」
「ああ、任せたって!ウチらで最強の軍に仕上げて見せたるわ!」
「桂花、稟、風!」
「はい!」
「はい」
「はいー」
「あなた達三人は半年の間に充分な物資を確保し、必勝の策を練り上げなさい。
『御意』
「後は春蘭達ね。──誰かある!」
「ハッ!」
 一人の兵士が進み出た。
「狄道の城に向かい、城を守る夏侯惇達に我が命を届けなさい。半年後、我等は再度涼州
へ侵攻する。それまで狄道をしっかりと守り抜くようにと」
「了解であります!」
 伝令役を言い付かった兵士がすぐに部屋を駆け出して行く。
 その背を見送りながら、曹操は独りごちた。
「見ていなさい、董卓、呂布。我が曹魏の怒り、思い知らせてあげる」
 
「何時までこうして手をこまねいているんですか!?」
 霞の死から数日、狄道の城に篭ったままの夏侯惇達に痺れを切らした楽進が二人に食っ
て掛かった。
「霞様が討たれたのですよ!?今この地に居る自分達がやらずして、誰が霞様の仇を討つ
と言うんですか!?」
「お前の気持ちは分かるが少し落ち着け、凪」
「うむ。今の戦力ではとても西涼を陥とせるものではない。むざむざ犬死するだけだ」
「だからと言って何時までもこうしていたって埒が明きません!春蘭様も秋蘭様もそんな
に死ぬのが怖いのですか!?」
「莫迦を言うな!この夏侯元譲、生まれてこの方一度たりとも戦での死を恐れた事など無
いわ!だが我等が無駄死にをすれば華琳様の覇業に支障をきたす。私はただ、華琳様の不
利益となる事のみを怖れるのだ」
「姉者の言うとおりだ。我等の命は等しく華琳様の為に存在する。霞は確かに大切な仲間
であり、掛け替えの無い友ではあるが、それはあくまで華琳様を頭に戴いた上での話。酷
な事を言うが霞の為にこれ以上華琳様の兵を損耗する事は出来ん」
「そ、そんな……」
 楽進が愕然とした表情を浮かべる。
「まあ、そんなに落ち込むな。華琳様の事だ。霞の死を知ればきっと軍勢を引き連れて援
軍に来て下さる。そうしたら一気に西涼まで攻め込み、董卓や呂布の頸を上げれば良い。
──なあ、秋蘭?」
「む?う、うむ……」
 夏侯淵が歯切れの悪い頷きを返した。
 彼女は今の魏の状況を把握しているのだ。
「……分かりました」
 楽進にとっては二人も霞同様に尊敬できる上官である事に変わりは無い。
 その二人に押し止められ、不承不承引き下がった。
 そして更に数日が過ぎ、長安からの早馬が到着した。
「……半年……待て、ですって……!?」
 伝令の言葉を受け、楽進が呆然と呟いた。
 握り締められた拳が怒りに震えている。
 霞の弔い合戦に向かえる時を一日千秋の思いで待っていた楽進に対し、伝令が伝えた曹
操の言葉は軍の態勢を整えるまで半年掛かる事、それまでは涼州への橋頭堡として狄道の
城をしっかりと守り通す事、そして無断で出陣した者は誰であろうと厳罰に処すと言う物
であった。
「堪えろ、凪。二度の敗戦で魏は大きな損害を被った。華琳様もギリギリのところでされ
た決断なのだ」
 楽進を気遣うような表情で夏侯淵が諭す。
「秋蘭、お前こうなると分かっていたのか?」
「確信は無かったが、おそらくこのような判断を下されるのではないかとは思っていた。
先の戦いで我等が受けた損害はあまりに大きかったからな」
「むぅ……言っている事は分かるのだが、どうにかならんものだろうかな?」
「無理だろうよ。先ほども言ったように、華琳様もこれ以上は譲れないと言うギリギリの
ご決断だろうと思う。もしどうにかなるものなら、我等が何か言うまでもなく行動に移さ
れている筈だ」
「……うむ、そうだったな。厳しいようで誰よりもお優しいお方だ。御自身の覇業の礎と
なって散って逝った霞や将兵達に対して何も思わぬ筈が無い。その華琳様が無理だと判断
されたのなら本当に無理なのだろう。私はあまり考えるのは得意でないからな。華琳様が
そうお決めになったのなら、それに従うまでだ」
「凪もそれで良いな?辛いとは思うが、ここは一先ず心を抑えて──」
「……得……ません……」
「凪……?」
「納得出来ません!納得出来ません!!何故、ダメなのですか!?戦いで損耗しているの
は敵も同じ筈です!確かに我が軍の方が損害は大きいかも知れません。ですが、もう一度
戦えば絶対に勝てるではないですか!ここで止めれば戦力を回復させられるのは我々だけ
ではありません。時間を置いて敵が万全の状態に戻れば、霞様の死は全くの犬死ではない
ですか!そんな事、自分には到底納得出来ません!!」
 血を吐くような楽進の叫びに、夏侯姉妹が苦渋の表情を浮かべて顔を見合わせた。
 楽進の気持ちは彼女達にも充分理解できるものであったし、何より霞は姉妹にとっても
仲間であり友人だったのだ。
 だがそれでも二人にとって曹操の命令こそが絶対だった。
「諦めろ、凪。既に華琳様が決定なさった事なのだ。今ここで我等がとやかく言ったとこ
ろで事は覆らん」
「うむ。これ以上言うのなら、華琳様への叛心ありとしてお前を捕らえなくてはならなく
なる。その様な真似、私や姉者にさせてくれるな」
「……………………失礼します」
 唇を噛み俯いていた楽進だったが、やがて呟くようにそれだけ言うと部屋を出て行った。
「……凪の気持ちも分かるだけに辛いな」
「うむ。だがここは堪えてもらわねばならん。暫くは一人にさせておこう。一晩頭を冷や
せばあ奴も落ち着くだろう。そうしたら改めて話をしてみようではないか」
「そうだな」
 しかし後に二人はこの時楽進一人にした事を激しく後悔する事となる。
 
 その夜、練兵場の一角に、多数の人影が集っていた。
「全員揃ったな」
 壇上に立つ楽進が集まった兵士達を見渡す。
 その数二六四八人。
 張遼騎馬隊の生き残り達である。
「今から話す事は、魏の将軍ではなく、楽進と言う一人の人間の言葉として聴いて欲しい」
 兵士達がそれぞれ頷くのを見て、楽進は口を開いた。
「華琳様は半年待てと仰られた。おそらくそれは国家を担う御方の判断としては正しいの
だろう。だがそれが納得できるか否かは全く別物だ。半年もの間、霞様の無念も晴らせず
忸怩たる想いを抱えて過ごすなど自分には耐えられない!」
 楽進はそこで言葉を区切り、兵士達の顔を見回した。
 誰一人視線を逸らす事無く、彼女の次の言葉を待っている。
 その様子に小さく頷くと、楽進は言葉を続けた。
「我等は今より西涼に向けて攻撃を仕掛ける!」
 兵士達の間から『おお』と歓声に近い声が上がった。
「無論これは一軍を預かる将としては許される行為ではない。それ故自分は先ほど将の職
を辞し、この城の事は夏侯淵・夏侯惇両将軍に一任するとの書置きを残してきた。だから
お前達は自分の命令に従う義務は無い。そもそも相手の強さを考えればこの人数で仕掛け
るなど正気の沙汰では無いだろう。ただ一矢報いる為だけに命を捨てなければならないと
思う。それに万が一首尾よく董卓を討てたとしても、軍令違反を犯した我等にもはや帰る
場所など無い。もう一度問う。ここに残り、華琳様と共に天下の為に力を尽くす事で霞様
の志を継ごうとする者は右袒しろ。或いは自分と共に全てを捨て、霞様への想いと共に死
へ赴かんとする者は左袒しろ!」
 楽進の言葉が終わるや否やの内に、全員が左袒しその場に跪いた。
「我等が命、楽将軍へお預け致します!」
 小隊長を務める事もある熟練の兵士が代表して告げた。
 その言葉を受け、楽進が彼等に向かって深々と頭を下げた。
「……ありがとう。よし、全騎直ちに出撃だ!」
 二六四九人の決死隊は密かに狄道の城を発った。
 
「姉者、起きろ!大変な事になった!姉者!姉者!!」
 翌朝夏侯惇は、まだ日も昇りきらない内に激しく扉を叩く妹の声で起こされた。
「うにゅー……何だ、秋蘭?こんなに早くから……。みゅー……もう少し寝かせろぉ……」
「寝惚けている場合ではないぞ、姉者!凪が、凪が!」
「ん?……おい、秋蘭!凪がどうしたのだ!?」
 普段冷静な妹の只ならぬ様子に、流石に頭が切り替わったのか夏侯惇が跳ね起きる。
「ああ、姉者!これを、これを見てくれ!」
 扉を開けると同時に飛び込んできた夏侯淵が、一片の竹簡を差し出した。
『夏侯惇様、夏侯淵様。
 曹操様の命に背き、勝手な真似をする事お許しください。
 しかし自分にはこのまま霞様の仇も討てずに過ごすなど耐えられません。
 ですから自分は魏の将官を辞して、ただの楽文謙として董卓の頸を奪ります。
 両将軍にはどうか狄道の城と残された兵達を宜しくお願い致します。
 自分は不忠の臣ながら、曹操様の下で覇業の一端を担えた事は生涯の誇りです。
 願わくば李典・于禁の両名には曹操様の悲願が成るその日まで、自分の分まで忠誠を尽
くして欲しいとお伝えください。
 それでは、さらばです』
「こ……これは……!」
 竹簡に目を通した夏侯惇の身体が激情に震えた。
「もう一度凪と話をしようと思って探していたのだ。だが普段ならとうに起きている時間
だったのに姿が見えん。部屋へ行ってみたのだが返事も無くてな。何やら胸騒ぎがして中
へ入ってみたらこれがあったと言う訳だ」
「あ……あの大莫迦者がぁっ!!」
 夏侯惇が竹簡を床に叩きつける。
「秋蘭、後を追うぞ!凪の首根っこ引っ掴んで連れ戻してやる!……このままむざむざと
凪まで死なせては、霞に顔向けできん」
「だが我等が二人とも行ってしまってはこの城の守りはどうする?いずれ華琳様が西涼を
攻めるにあたってここは決して失う事は許されない要衝だぞ」
「ならばお前がここを守れ。どの道私は防衛戦などと言うまだるっこしい戦は苦手だ。お
前が城を守ってくれるのならば、私も安心して凪を追える」
「うむ。姉者、気をつけてな」
「おう!」
「……凪、無事に戻ってくれ……」
 窓の外を眺めながら夏侯淵が呟く。
 外は豪雨だった。

 同刻、西涼──
「魏軍が攻めてきた!?」
 夢現で雨音を聞きながら微睡の中に居た一刀だったが、扉の外から掛けられた兵士の言
葉に跳ね起きた。
 急ぎ玉座の間に向かうと、既に西涼の諸将が揃っていた。
 それぞれ兵士の声で起こされたらしい。
「それで詳細は?」
 一刀が訊くと、詠が首を横に振った。
「それが魏が攻めて来た、とだけは聞いたんだけど、詳しい事は後ほど報告するとだけ伝
えてボクが部屋を出る前に走り去っちゃったのよね」
「ああ、私の時もそうだったな。他の人間を起こしに行かなくてはならないからと」
 華雄が言葉を継ぐ。
「それならわしが聞いたぞ」
 そこで桔梗が口を挟んだ。
「その兵によると敵の先鋒は『楽』の旗を掲げた騎兵が数千。更に夏侯の旗の下に二万が
続き、『曹』の牙門旗中心に『許』『典』『荀』『郭』『程』『于』『李』等々、曹魏の
主だった将に率いられた十万が援軍として向かっていると言う事であったな」
「十三万近い兵ですって!?」
「それは今の魏が出せる兵力の全軍に近い数なのです!」
 軍師二人が驚きの声を上げる。
「け、けど全軍をこっちに回して、呉や蜀に対する備えはどうするって言うんだよ!?」
 翠の上げた言葉はもっともだった。
 詠や音々音もそれを考慮して当分は魏からの攻撃は無いと踏んでいたのだ。
「まさか霞の死にあの曹操が怒りに我を忘れたのか?」
「たんぽぽ達ちょっとしか会った事は無かったけど、曹操ってそんな感じの人じゃなかっ
た気がするんだけどなぁ」
「だが敵が攻めて来たと言うのなら備えぬわけにもいかんだろう」
「華雄の言うとおりね。けど今の西涼にそれだけの戦力に攻められたら持ち堪えるのは難
しいわ。せめて先鋒を迎え撃って敵の出鼻ぐらいは挫いておかないと」
「幸い外は豪雨なのです。この天気なら大軍と言っても連携を取るのは難しいですから、
奇襲を用いれば寡兵のこちらにも勝機は充分にあるのです」
「そうね。なら主力は華雄に率いて貰うわ。その両翼に翠とたんぽぽがそれぞれ三千の騎
兵隊で敵の動きに備えて。恋には遊撃をお願いするわね。桔梗は五千を伏せてボクが合図
を出すまで待機しておいて」
 詠の指示に諸将が頷く。
「詠ちゃん、私は?」
「月は城に残って」
「え?でも……」
「月が戦場に出る意味は士気高揚よ。でもこの豪雨じゃ月の姿は味方からも殆ど見えない。
戦況が分からない状態で君主の居場所も定かでないんじゃ却って兵士の不安を煽る事にも
なりかねないの。だから月には城郭の上でしっかり存在を示していて欲しいのよ。城内に
居れば身の安全は保証されてるわけだから、兵達も安心できるでしょ?」
「なるほど、確かにそれは言えるな」
「と言うわけだからアンタも城で待機ね」
「え!?お、俺もか?」
「当然でしょ。月は兵士を安心させる。アンタは月を安心させるのよ。良い?何か不測の
事態が起きた時は、アンタが身を挺して月を守るのよ?」
「そう言う事か。分かった、任せておけ」
「ま、そんな事態、万が一にも無いと思うけどね。そうでなきゃアンタなんかに月の事を
任せたりしないわよ」
「うーん、そうだろうなぁ。期待されてないのは残念だけど、月が安全なのに越した事は
ないし」
 一刀が苦笑交じりに言った。
「それじゃ皆も無事に戻って来てくれよ」
 一刀の言葉に皆も一斉に頷いた。
 
 西涼の城から南に一里の場所で城の様子を窺う者達が居た。
「将軍、どうやら伝令の兵は巧く城内に潜り込んだようです」
 兵士の言葉に楽進は頷いた。
「情報はきちんと厳顔に伝えられているだろうか?」
「おそらくは。我等は張将軍が西涼に居た頃からの部下ですからね。昔からの董卓麾下の
人間には顔が知られている可能性もありますが、涼州へ来て日が浅い厳顔ならばその心配
もありません」
「よし、なら敵は野戦を選ぶな」
「偽情報では十万以上を擁していると伝えてあります。篭城しても勝ち目があるとは思っ
ていないでしょう。──しかし驚きました。まさか楽将軍がこの様な計略を用いる才があ
るとは思って居ませんでしたので」
「烏桓征伐では稟様のやり方と色々勉強させて頂いたからな。賈駆や陳宮相手に通用する
か不安だったが、どうやら犬死しなくて済みそうだ」
 そう言うと楽進は右手を高々と掲げた。
 固く握られたその拳には一房の布が巻き付けられていた。
 それは霞が彼女にお守りとして渡した偃月刀の飾り布だった。
「聞け!今こそ霞様の仇を討つ時が来たぞ!あの日の無念を、憤りを思い出せ!今、霞様
の魂は我が拳に宿っている!我等は最期まで霞様と共に在るのだ!」
『おおおおぉぉぉぉぉぉ────!!』
 普段無口な楽進の熱弁は、兵士達の闘志を大いに奮い立たせた。
 そして楽進が西涼城に向かって右腕を突き出した。
「全軍、続けぇぇ──っ!!遼来々────っ!!」
『遼来々!!遼来々!!遼来々!!』
 鬨の声と共に全員が駆け出した。
 
「来たぞ!」
 激しい雨音に混じって響く蹄の音に華雄が反応した。
「よし、華雄隊は敵先鋒を正面から迎え撃つ!両翼から馬超と馬岱が横撃を掛けるまで敵
を抑え付けるぞ!」
 騎兵に備えて長槍を構えた華雄の隊が姿を現した敵騎馬隊に吶喊した。
 しかし敵はぶつかる寸前に急転回して華雄隊の勢いを逸らす。
 直後に部隊の右端から怒声が上がった。
「どうした!何があった!?」
「部隊右より敵襲です!」
「何だと!?馬超の部隊はどうしたのだ!」
「それが馬超将軍も三方より攻撃を受けているとの報告もあり──」
 伝令の兵の言葉が終わらない内に、今度は左軍から注進が届いた。
「馬岱将軍の部隊が複数の敵部隊に包囲を受け苦戦中との事です!」
「チッ、已むを得ん。宋果と左霊に一千ずつ率いて馬岱の援軍に向かうよう伝えろ。──
一体奴等何時の間に我等に近付いたと言うのだ!?この様子では夏侯惇や夏侯淵の部隊も
間近に迫っているかも知れん。場合によっては我等だけで敵の二万を迎撃する事になるぞ。
お前達、気を引き締めろよ!」
 豪雨で辺りの状況がよく掴めない華雄は、よもや敵が自分の部隊の三分の一にも満たな
い小勢であるとは思っても居なかった。
 楽進は部隊を百騎ずつに分け、様々な方角から波状攻撃を掛ける事で自軍を多く見せて
いたのだ。
 視界の利かない今の状況だからこそ出来る戦法だった。
(だが何時天候が回復するとも分からない。雨が上がって視界が良くなったらこんな小勢
はあっという間に蹴散らされてしまう。その前に何としても董卓の下に向かわなくては)
 月は戦う術を持たない。
 だから必ず後曲に控えるか城内に残る筈だと言うのが楽進の読みだった。
 その為彼女はその両方を想定し、月が戦場に居た場合は自分で討つと決め、ひたすらに
敵軍の最後方を目指して駆け続けていた。
「将軍、敵後曲の旗が見えました!」
「旗印は!?」
「『賈』と『陳』、それに深紅の呂旗です!『董』の牙門旗はありません!」
「董卓は城に残ったか。なら董卓の命は奴等に任せ、我等は賈駆……いや、呂布の頸を狙
うぞ!」
 その無謀とも言える下知に、異論を唱える者は居なかった。
 全員の脳裏に霞の最期の姿が映っていた。
「往くぞ!遼来々──っ!!」
『遼来々!遼来々!遼来々!遼来々!』
 楽進の部隊が叫ぶと、戦場にいる全ての魏兵が一斉に遼来々の声を上げ始めた。
『遼来々!遼来々!遼来々!遼来々!』
 その声に合わせて各部隊の動きが鋭さを増した。
 それはまるでそれぞれの部隊が霞に率いられているかの様であった。
 二十以上に分かれた部隊が縦横無尽に戦場を駆け回る。
 小勢であるが故に味方の兵に動きを遮られる事も無い。
 一方で四方八方から間断なく攻撃を受けている西涼軍は、豪雨による視界の悪さもあっ
て苦戦を強いられていた。
 先だっての偽情報もあり、正確な敵の数を把握し切れていないのも要因の一つである。
 その様子を見ようと、一刀は城壁の上から懸命に目を凝らしていた。
 視界が悪い事に代わりは無いが、上から見下ろしている分下よりはマシに見える。
 ぼんやりとではあるが、戦場の動きも見えてきた。
「……うーん……ん?何か……敵がやけに少なく見えるな。小部隊が色んな角度から連続
で攻撃をして……あっ!」
 ハッとして一刀が月に顔を向けた。
「俺達とんでもない思い違いをしてたんじゃないか!?」
「どう言う事……ですか?」
「相手は大軍なんかじゃなかったって事さ!──おい、誰か!」
『ハッ!』
 一刀が呼び掛けると三人の兵士が進み出た。
「急いで詠の下に向かって伝えてくれ!敵は寡兵だって!あと桔梗さんに敵情を伝えたっ
て言う兵士も見つけ出して、ここへ連れて来てくれ!」
 一刀が言うと三人が何やら目配せをした。
 その様子に嫌な物を感じた一刀が月を背中に庇う。
 すると三人が同時に剣を抜いた。
「き、貴様等何をっ!?」
 周りの兵士が驚いて三人を取り囲む。
「董卓様、お命貰い受けます」
「き、桔梗さんに偽情報を伝えたのはアンタ達か!?」
「全ては張将軍の無念を晴らす為!」
「し、霞の部下か……」
「貴様が将軍の真名を呼ぶなぁっ!」
 一人が一刀に向けて剣を突き出した。
「遼来々!」
「わわっ!?」
 咄嗟に剣で防ぐ。
 鞘から抜く間も無かったが、普段恋や華雄達一騎当千の武人と向き合っているお陰か、
どうにか初撃を剣で受け止める事が出来た。
 一刀が攻撃を防ぐと斬りかかった兵士は一瞬驚いた様な表情を浮かべたものの、すぐに
二手三手と剣を繰り出してくる。
 恋達とは比ぶべくもないとは言え、その兵士も中々の腕で一刀程度の技量では防戦に徹
するのが精一杯だった。
 このままでは一刀が斬り倒されるのも時間の問題だった。
 一刀が倒れれば後ろに控える月は一撃で討ち果たされるだろう。
 周りの兵士達も残りの二人が決死の覚悟で防いでいる為に一刀の手助けを出来ずに居た。
(クソッ、このままじゃ月まで……!)
 一刀は恐怖に身体が震えるのを感じた。
 当然自分が殺されるのも怖いが、それ以上に月が死ぬと言う事実が怖かった。
 霞を失ったばかりで、この上月まで死ぬなど耐えられることではない。
(……月を守れないくらいなら……!)
 一刀が剣を握る手に力を込めた。
 相手の剣を払っている内に鞘は抜け落ちている。
 後は刺し違えるつもりで行けば目の前の男は倒せると思えた。
 残りの二人は周りの兵士達がどうにかしてくれる。
 一刀が人を手に掛ける覚悟を決めたその瞬間だった。
「止めてください、臧覇さん!」
「!?」
 月の叫びに兵士の動きが止まった。
「曹性さんも侯成さんも、もう止めて下さい」
「……何故、私達の名を?」
「知らない筈がありません。私の為に命を懸けてくれていた人達の名前なんですから」
「何と……」
 三人の顔に動揺が浮かぶ。
 本来天上人にも等しい一国の王が、一兵卒の顔や名前を覚えているなど考えられない事
だった。
「あ、あの、もしかして我々も……?」
 三人を取り囲む兵士の一人が恐る恐る尋ねた。
「勿論ですよ、胡赤児さん。そしてあなたは李粛さん。あなたは──」
 一人一人を指差しながら順番に月がその名を呼んでいく。
 中には名を呼ばれた瞬間に涙を浮かべる者も居た。
「お願いします。死なないで下さい」
「私達が死ぬつもりだと?」
 月はその問いに答えず、ただ真っ直ぐに兵士の顔を見つめた。
「……確かに我々は生きて戻るつもりはありません。ですがそれで良いのです。あなた様
を斬り、張将軍の仇を討てればこの命に未練はありません」
「曹操さんの為ではなく、あくまで霞さんの為、なのですか?」
「紺碧の張旗の下で野を駆ける事、それこそが我等にとっての全てだったのですよ」
「……なら私はあなた達に斬られるわけにはいきません。そんな──無意味な死を迎えて
は霞さんの想いを無にする事となりますから」
「俺達の覚悟を無意味なものだとっ!?」
「よせ!──我々が張将軍の想いを汲んでいないと言われるのですか?」
 激昂しかけた仲間を抑え、一刀と相対している兵士が訊いた。
「それはあなた達が誰よりも分かっているのではないですか?」
 その答えに、兵士は小さく苦笑を漏らした。
「……随分とお強くなられたのですな。張将軍と共にお仕えしている時は、正直何時乱世
の波に呑み込まれてもおかしくない、か弱い少女でしかないと思っていたものですが」
「色んな人達との出会いや別れが私を成長させてくれました」
「それに引き換え我々は、ただ張将軍に従うのみで何も成長していなかったと言う事です
か。あの方の想いすら理解する事が出来ないほどに」
「アンタ達だって本当は分かってたんだろ?こんな事しても霞が喜ぶ筈なんて無いって。
でもアイツの死が悲し過ぎて自分でもどうにもならなくて、前に進む事も出来ないくらい
に苦しくて、こんな無謀な行動に出ちゃったんだろ?」
「あなたの言うとおりなのでしょうな、天の御遣い殿。ある意味我々は張将軍の死を受け
入れられずに狂っていたとも言えます。ですが失って狂えるほど大切に思える御方に仕え
る事が出来たのは幸せであるとも思うのですよ」
「……ああ、分かるよ。俺だって月が死んだりしたら正気ではいられないと思う。だけど
それで死んだ人間の想いまで見失っちゃダメなんだよ。それはその人の生き様を汚す事に
なっちまう。俺はこの世界に来てまだ日も浅いし、霞との付き合いも短かったからこんな
偉そうな事を言う資格は無いかも知れないけど、それでも霞が俺達に託してくれた想いを
無にする訳にはいかない。だから……っ!」
 一刀の言葉は後半声が掠れ震えていた。
 しかしそれでも彼の気持ちは伝わったのか、三人の兵士は武器を捨てその場に跪いた。
「我等三人、董卓様の下に降ります」
「ありがとうございます、皆さん」
 月が三人に向かって深々と頭を下げ礼を言った。
「ですが一つ条件がございます」
「何でしょうか?」
「楽将軍を止めてください。あの方は我々以上に強い張将軍への想いに視界が塞がれてし
まっています。ですがあの方はこの国の行く末に必要なお方です。この様な場で死なせて
良い人間ではありません」
 一刀と月が顔を見合わせ、共に頷いた。
「分かった。必ず
 言って一刀が駆け出した。
 その後姿を見送っていた兵士の一人がフッと口元に笑みを浮かべた。
「張将軍程の方が、何故あの様なさして取り得も無さそうな少年に真名をお許しになった
のか不思議に思ったものだったが……」
「ああ、今なら分かるな」
「不思議な光を持っておられる」
 他の二人も頷いた。
「はい。私が強くなれたのも、誰より一刀さんに出会えたからなんですよ」
 そう言って月が浮かべた微笑は、霞の死によって闇に閉ざされた兵士達の心を照らす、
優しい月明かりの様であった。

「遼、来々ぃぃぃっ!!」
 楽進の拳が味方の兵士達を吹き飛ばしていく。
 涼州軍の最後方を目指して一直線に突き進む彼女の隊は、百人居た兵士も今や数人しか
残っていない。
 しかしそれでも士気衰える事無く、深紅の呂旗へとひたすら駆け続ける。
 そして部隊の兵が彼女独りとなった時、遂にその目に恋の姿が映った。
「見つけた、呂布!」
 楽進が馬の背に立ち、大きく跳んだ。
「呂ぉぉぉぉ布ぅぅぅぅ────っ!!」
 全身の気を右脚に集中させ、文字通り全霊を込めた跳び蹴りを放つ。
 渾身の蹴りを、しかし恋は──
「…………無駄」
 方天画戟を横薙ぎに振るって弾き飛ばした。
「ぐぅっ!」
 地面に叩き付けられ息が詰まる。
「ゴホッ、ゲホッ……ハァハァ……まだまだぁっ!」
 だがすぐさま立ち上がると、地を蹴った。
 瞬く間に間合いを詰め、鋭い突きを三連続で繰り出す。
 恋は上体を捌いて始めの二手を躱すと、三度目の突きは腕を掴んで止めた。
 そのまま無造作に投げ飛ばす。
「ガハァッ!」
 再度衝撃が楽進を襲った。
 全身がバラバラになりそうなほどの痛み。
 だが再び立ち上がると、怯む事無く構えを取った。
「遼来々!遼来々!!」
 叫び、疾る。
 やはり全ての攻撃を恋は躱す。
 しかし今度は反撃を受けなかった。
 間を空ける事無く蹴りを、突きを、手刀を続けざまに放つ。
「……お前、強くなってる?」
 恋が戸惑いの表情を浮かべて呟いた。
 その言葉通り楽進の攻撃は一手毎に鋭さを増し、防ぐ恋の表情も徐々に本気を帯びた物
と変わっていった。
「何なんだ、アイツは?前に対峙した時はあれほどの遣い手ではなかった筈だぞ」
「あの娘、死域に入りかけておる」
 華雄の呟きに桔梗が答えた。
 何時の間にか先程までの豪雨は止み、敵味方共に繰り広げられる恋と楽進の一騎打ちに
目を奪われていた。
「命そのものを燃やして限界以上の力を出していると言う事か。しかしそれにしても天下
無双と謳われた呂布とああも互角に立ち合うとは」」
「張遼への想い故か。わしは直接話した事は無いが、あやつを見ているだけでその人物が
窺い知れる。一度酒でも酌み交わしてみたかったものよな」
「私もお前や馬超に引き合わせたかったな。私がこの世で最も認めた武人を」
 話しながらも二人の視線は恋と楽進の戦いに注がれていた。
 楽進の攻撃は更に激しさを増している。
 竜巻のような激しい連撃を受け、初めて恋が一歩下がった。
「あの恋に退かせるとはのぉ。あの楽進と言う者が持つ天稟も素晴らしいものがあるな。
この先も鍛え続ければ、いずれは天下無双の二つ名はあの娘の物となるやも知れぬ」
「この先も鍛えれば、か。だがこのままでは……」
 華雄が憐憫を含んだ言葉を漏らす。
 桔梗も小さく頷いた。
「死域に入った者は一息毎に命を削り続ける。命の全てを燃やし続ければ往き付く先は死、
だけよ」
 今や楽進の武技は恋と互角の域にまで達している。
 しかしそれは華雄達には星が墜ちる直前の最後の瞬きの様に見えていた。
「そろそろあやつの命も燃え尽きる頃か」
 桔梗の呟きを裏付けるかのように、二人の間に今まで以上の気が張り詰めた時だった。
「止めろ────っ!!」
 二人を止める声が戦場に響き渡った。
 城門を飛び出してきた一刀だった。
「ちょっと、アンタ何しに来たのよ!?」
 咎める詠の声も耳に入らないかの様に、一刀は二人の戦う場へと駆ける。
 二人の身体が動いた。
「恋、止めろ!その子を、楽進を死なせちゃダメだ!恋、楽進を止めてくれぇっ!!」
 必死の叫び。
 だが届かない。
 楽進が地を蹴った。
 恋が迎撃の為に方天画戟を振り構える。
「恋、ダメだ!恋────っ!!」
 一瞬、恋が自分を見たような気がした。
 次の瞬間には楽進が恋の目前まで迫り拳を撃ち出した。
 恋は方天画戟を捨て左腕でその攻撃を受け止める。
 めきり、と嫌な音が一刀にまで聞こえた。
 しかし恋は顔色一つ変える事無く、続く膝が届く前に右拳を楽進の腹に叩き込んでいた。
「……カハァッ!」
 掠れた呼気を漏らし、楽進の身体がゆっくりとくずおれた。
「恋!」
 一刀が駆けつけた。
「恋、大丈夫か?」
「……大丈夫。生きてる」
 倒れている楽進を指差し、恋が言った。
「それは良かった……って、そうじゃなくてお前は大丈夫なのか!?」
 一刀が左手に触れると恋が僅かに顔を顰めた。
 見ると恋の腕は真っ赤に腫れていた。
「……折れた」
「折れ……!ゴメン!」
 一刀がいきなり頭を大きく下げた。
「……ご主人、様……?」
「ゴメン、恋。俺があんな事を言ったから……」
「……違う。ご主人様のせいじゃ、ない」
「でも!」
「……こいつが、強かった。それだけ。でも、こいつが霞ぐらい強かったら、手加減出来
なかった」
「死域に入ってなお、こやつと恋の間にはそれだけの隔たりがあったと言う事か」
 桔梗が何やらうんうんと頷いていた。
「でもよくやってくれたよ。何かお礼をしないとな」
「……(ふるふる)」
「遠慮しなくて良いって。欲しい物とか無いか?それともご飯?何でも言ってくれよ。俺
に出来る事なら何でもするから」
「……何でも?」
「ああ!」
「……………………」
 上目遣いにじーっと一刀の顔を見ながら何事か逡巡していた恋だったが、やがて俯くと
微かに頬を赤らめてポツリと呟いた。
「…………なでなで」
「へ?」
「なでなで」
 今度はハッキリと口にした。
「えーっと……それは俺が恋の頭を撫でれば良いのか?」
「…………(コクッ)」
「そんなので良いの?」
「……恋がなでなですると、セキト喜ぶ。ご主人様がなでなでしてくれると、恋が嬉しい」
「けど俺の頼みを聞く為に文字通り骨を折ってくれたってのにそれだけってのも……」
「…………ダメ?」
 恋が不安げに瞳を揺らした。
「いやいや、ダメじゃない!全然ダメじゃないぞ」
 そんな表情をされて一刀が抵抗できるはずも無く、恋の頭に手を載せるとなでなでと動
かした。
 恋が気持ち良さそうに目を細める。
 その表情に手を離し難く思えて撫で続けていると、
「ち・ん・きゅ・うー・反転きぃ────っく!!」
「ぶごぉっ!?ぐはぁっ!!」
 一刀の後頭部に跳び蹴りを喰らわせた音々音が、その勢いを保ったまま反転しもう一撃
ぶち当てる。
「そ……そんな、力と技を併せ持ったような技を、何時の間に……」
「フン!ねねの目が黒い内は恋殿とイチャイチャなんかさせないのです!」
「何やってんのよ、アンタ達は」
 その後ろから呆れ顔の詠が顔を出した。
「あ、そう言えば戦況は?──って、終わってるみたいだな」
「アンタが恋とイチャついてる間にとっくにね。楽進が斃れた時点で大半は戦意を失くし
たみたいだわ」
「そっか。それで被害状況とかはどうなんだ?」
「怪我人は多かったけど、死んだ人は少ないみたいね。向こうは結局少数だったし、こち
らとしても元は仲間同士って事で止めを刺すのは極力抑えていたし」
「それは良かったな。戦争で死ぬ人間なんて少ない方が良いに決まってる」
「……そうね」
「っと、それよりこの子を城に運んで手当てしないと」
 一刀が横たわる楽進を抱き上げながら言った。
「ちょっと、そいつ敵将よ?前回の戦いだって何人もやられてるってのに」
「分かってるさ。でも怪我してるんだから放っても置けないだろ?それに、この子が今回
仕掛けて来た理由は霞の為だ。アイツの為に命を懸けてくれた人を死なせられないだろ?」
「…………はぁぁぁ」
 詠が大きな溜息を吐いた。
「アンタって普段バカ正直なくせに時々狡猾よね。そんな風に言われたら誰も反対できる
訳ないじゃない」
「けど詠だって死なせるつもり、無かったんだろ?ツンツンしてるようで優しいからな、
詠は」
「う、煩いっ!いきなり変な事言うな!」
 サッと顔を赤くして詠が一刀をゲシゲシと蹴り付ける。
「痛っ!?痛いって、詠!止めろ、止めて、止めると良いな!」
「アホな事をしとらんで早う手当てをせんと、楽進が助からんぞ」
「え?でも見たところ大きな怪我は無いようだけど……」
 桔梗の掛けた言葉に一刀が腕の中の楽進を見下ろした。
「外傷はな。だがこやつは死域に入っておった。命が尽きる前に恋が止めたとは言え、限
界ギリギリだった筈じゃ。瀕死の状態と思った方が良いじゃろう」
「そ、それ早く言ってくれ!」
 一刀は楽進の身体を抱きかかえ直すと、城目掛けて走り出した。
「やれやれ。相変わらず女の事となると一生懸命になる奴だ」
 華雄の言葉に、兵士達を含めたその場の全員が頷いたのだった。
 その後、楽進は西涼の城で手厚い看護を受けたお陰で一命を取り留めた。
 だが限界以上に酷使された身体の消耗は大きく、目覚めるまでに五日を要したのだった。
 
「殺すっ!!」
 目を覚まし状況を理解した楽進の第一声はそれだった。
 寝台から跳ね起き構えを取る、が──
「う!?……く……っ」
 ぐらり、と身体を揺らし膝をついてしまう。
「なん……だ……こ、れは……?」
 身体が別人の様に重い。
 腰に力が入らず、今にも床に突っ伏してしまいそうだった。
「お、おい、無理するなよ。本当に危ないところだったんだぞ?」
「離せ!」
 慌てて支えようとした一刀の手を振り払い、気力で立ち上がる。
 だが膝はガクガクと震え、上体もふらついて心許ない。
「だから無理すんなってんのよ」
「そうそう。確かにこの前は恋と互角に戦ってたけど、今のアンタじゃたんぽぽにだって
勝てないんだから」
 詠と蒲公英が口々に言う。
 その言葉は揶揄するようなものだったが、声には気遣わしげな色があった。
 とは言え今の楽進がそんな事に気付く筈もない。
「クッ……!敵の眼前でこんな無様な……。殺せっ!!」
 どう足掻いても蒲公英に、ましてやその後ろに立つ翠や華雄に敵う状態では無いと悟っ
たか、今度は床に腰を下ろして自ら頸を討たせる様に頭を垂れた。
「おいおい。誰も殺すだなんて言ってないってのに、随分と極端な奴だなぁ」
「自分は敵だ。敵を生かしておく必要は無いだろう、錦馬超?」
「いや、意味ならあるぞ」
 一刀が横から口を挟んだ。
「誰だ、お前は?」
「あっと、そう言えば名乗ってなかったか。俺は北郷一刀。世間では天の御遣いなんて呼
ばれ方もしてるかな」
 楽進の目が僅かに見開かれた。
「お前が……。霞様がよく話していらっしゃった。親友、だったと」
「うん。俺はこの世界に来てまだそれほど長くないけど、それでもアイツは腹を割って話
せる、本当の仲間だったよ」
「……だったら、何故……?」
「え?」
「親友だと言うのなら、何故、霞様を死なせたぁっ!?」
 楽進が今にも掴みかからんとする勢いで吼えた。
「俺だって霞を死なせたかった訳ないだろ!」
「アレは真っ当な勝負だったのだ。張遼が強かったからこそ、呂布も本気で戦い、そして
ああいう結果となった。もしあそこで手加減をしたり、姦計を用いて奴を捕らえるような
真似をすれば、それこそ張遼の武人としての誇りを汚す事となる。仲間だったからこそ、
我等は正面からあ奴と戦ったのだ。──お前も本当は分かっているのだろう?」
 一刀を庇うように華雄が言うと、楽進は唇を噛み締めて俯いた。
「……それで……?」
「え?」
「それでお前達は自分をどうするつもりなのだ?」
「どうって……」
「自分を曹魏に対する人質にでもするか?だが無駄だな。自分は華り……曹操様の命に背
いて兵を出し、そして敗れた。そんな自分に人質としての価値なんか無いぞ」
「人質になんかするつもりは無いよ!君を生かす意味は、君の生を望む人達がいるからさ」
「自分の生を?敵を前にしながら戦う事も出来ない今の自分に、一体誰が生きろなどと?」
「少なくとも君について来た兵士達は誰一人として君の死なんか望んでいないな」
 一刀が窓際まで歩いて手招きをする。
 楽進は誘われるままに窓下を覗き込んだ。
「!」
 思わず息を呑んだ。
 そこには一心に祈る兵士達の姿があった。
「皆、君が目覚めるのを待ち望んでいたんだ。君に価値が無いなんて思ってたらあそこま
で一生懸命に祈ったり出来ないよ」
「アンタを死なせたら、今度こそ全員玉砕覚悟で最期まで戦うって言ってたしね」
「夏侯惇も君の身を案じていたしね」
「春蘭様がいらしたのか!?」
「ああ。君達との戦いが終わって半日ほど経ってからね」
 一刀は夏侯惇とのやり取りを楽進に話して聞かせた。

 夏侯惇が西涼に到着した時には全てが終わっていた。
 所々に残る血痕と打ち捨てられた武具や旗等が戦いの残滓として残っているのみである。
「これは……まさか凪まで!?──おのれ、董卓!許さんぞ!我が名は夏侯元譲!貴様等
涼州軍を根絶やしにする者だ!出て来て尋常に勝負しろぉっ!!」
 一人城門の前に立ち大喝する夏侯惇を出迎えたのは、先の戦いで比較的損耗の少なかっ
た桔梗の部隊だった。更に一刀と詠もそれぞれの隊を率いている。
「よぉ来たの、小童。わしが厳顔よ」
「貴様の様な老い耄れに用は無い!董卓を出せ!この私がそっ首刎ね飛ばしてやる!」
「お主が如き三下に、何故我等の主が顔を見せねばならん。我等が主に会いたければ、曹
操自らがやって来い。それとも前に痛い目を見たせいで怯えておるのかな?」
「貴様ぁっ!華琳様を愚弄するか!?」
 夏侯惇が激昂する。
「桔梗さん、あまり挑発するのはやめてくれ。アイツ頭悪いからすぐに爆発するぞ」
「はっははは。それも面白いかもと思ったんじゃがな。何しろ恋と楽進のあのような戦い
を見せられてしまっては、年甲斐も無く武人としての血が騒いでしまってなぁ」
「アンタは戦の度に血が騒いでいるでしょうが!今もまた戦となればこっちだって少ない
被害では済まないんだから自重してよね」
「そうそう。曹魏とこれ以上泥沼に嵌る訳にはいかないんだからさ」
「やれやれ、酒と戦は武人にとっての命と言うのに、無粋な若僧どもよ」
 桔梗が拗ねたような口調で肩をすくめた。
 一方、夏侯惇はと言えば、
「貴様等、私を無視して何をごちゃごちゃ言っておるか!」
 頭から湯気を出していた。
 今にもこちらへ突撃を仕掛けて来そうに見えている。
「おい、夏侯惇。お前も少し落ち着いてくれ」
「フン、北郷一刀か。貴様、また私を誑かそうとしてもそうはいかんぞ」
「またも何も、お前を誑かした事なんて無ぇよ!そうじゃなくて、楽進は生きてるって言
いたかったんだよ」
「何!?凪が生きてるだと!?」
 夏侯惇がその隻眼を見開いた。
「凪は──楽進は何処に居るのだ!?今すぐ連れて来い!」
「それは出来ぬな」
「何だとぅ!?貴様等、凪をどうするつもりなのだ!?──ハッ!?ま、まさか北郷一刀、
貴様アイツをその汚らわしい股間のモノ専用肉便器にでもしようと言うのか!?許さん、
そんな事絶対に許さんぞぉぉぉ────っ!!」
「しねぇよ、そんな事!ってか、お前は少し人の話を聞けぇっ!!」
 大剣を振り回していきり立つ夏侯惇に一刀がツッコミをいれる。
「あのねぇ、楽進は今絶対安静の状態なのよ。下手に動かすとマジで死んじゃうわよ?」
「何っ!?凪は怪我をしているのか!?そ、それで具合はどうなんだ!?」
「目立った外傷は無い。だがあ奴、死域に足を踏み入れおった。その為に体力も気力も限
界に達し、今は昏睡状態に陥っている。正直助かるかどうかは五分と五分、と言ったとこ
ろであろうよな」
「お陰でこっちも呂布の腕を折られちゃったぐらいだしな」
「ちょっ、余計な事言うんじゃないわよ!」
「あ痛っ!?」
 口を滑らせた一刀の太股を詠が蹴り付けた。
「凪が……あの呂布の腕を……」
「その代償として今は生死の境を彷徨っているがな。だから今はお主等の下には返せぬ。
悪いようにはせぬと約束するから、ここは一旦退いてはどうじゃ?」
「……………………分かった。今は貴様等に凪の事を委ねよう。だがもしも霞に続き凪の
身に万一の事があったなら、その時は西涼の人間は民草に至るまでこの夏侯惇が根絶やし
にしてやるからそう思え!」
「その時にはこちらも全力を以って相手してやろうぞ」
 そう言って桔梗は愉しそうに笑った。
「フン!では我等は一旦城に戻る。──そうだ。北郷一刀」
「ん?」
「凪が目覚めたら伝えて欲しい事がある」

「『お前は何時までも私達の仲間だ。共に曹操様の悲願達成に向けて戦った戦友(とも)
だ。だから治ったらすぐに戻って来い。曹操様へなら私と夏侯淵が一緒に謝ってやるから』
だってさ。アイツバカだから伝言頼んでおいて曹操や夏侯淵の名前を真名で呼んでたから
そこは訂正して伝えてるけど、あとはアイツの言葉のまんまだよ」
「春蘭……様……っ!」
 楽進の瞳から涙が零れる。
「ま、早く魏に帰る為にも今はゆっくり休んで──」
「いや」
 ボロボロと涙を流していた楽進だったが、震える声で一刀の言葉を遮った。
「自分は魏には帰らない。ここへ来る前に二度と戻らないと決めた。そして必ず董卓の頸
を奪るとも。その決意は今でも変わらない。だからお前達は今の内に自分を殺した方が良
い。でなければ自分は隙を見て董卓を殺すぞ」
 楽進の目を見れば本気である事はその場の誰もが分かった。
 一刀達が言葉に詰まって互いの顔を見合わせた時だった。
「構いません」
「月!?ちょっと、アンタは来ちゃダメって言ったでしょ!?」
「良いの、詠ちゃん。私が逃げてちゃダメだと思うから。──あなたも納得できませんよ
ね、楽進さん?」
「……お前は自分に殺されても構わないと言った。それはお前自身の命にさしたる価値を
見出していないと言う事なのか?そんな者の為に霞様は死んだと言うのか!?」
「私は自分が死んで良い人間だなんて思っていません。いえ、沢山の人の想いを背負って
いる分、簡単に死んではいけないと思っています。だからあなたが私の命を狙うと言うの
なら、当然私は護衛をつけさせてもらいます。──華雄さん、お願いできますか?」
「無論」
「華雄さんは強いですよ、今のあなたよりもずっと。そんな華雄さんが付いていてくれて、
それでもあなたに討たれるとしたら、それはきっと天命なんです」
「ダメよ、そんな危険な!いくら華雄が強いからって万が一が無いとも──」
「大丈夫。月は死なないよ。だって俺が、『天の御遣い』が付いているんだから」
「アンタまで何言い出すのよ!?」
「心配するなって。──な、月?」
「はい!──だからあなたはここで見て下さい。見極めて下さい。私を。一刀さんを。こ
の国を。かつて霞さんが守ろうとしたものを」
 月の言葉に楽進が黙り込んだ。
 無言で逡巡する。
 やがて楽進が月の顔を見据えて言った。
「分かった。取り敢えず身体が治るまではこの国に滞在させて貰う。だが忘れるな。自分
は何時だってお前達を見ているぞ。もしもお前達が自身の言葉を覆すような真似をしたら、
霞様の想いを踏み躙る様な行いをしたら、その時はこの命に代えてお前達を殺す」
「ああ、もし俺達の行動がそう見えたのなら何時でも来てくれ」
「私達は決して逃げませんから」
 胸を張って楽進に答える一刀と月。
「ああもうこの二人は〜。ちょっとはこっちの心労も考えてよね」
 詠は一人嘆息するのだった。
 
 それからおよそ三月余りが経ち、楽進はまだ西涼に居た。
「よう、ここに居たのか」
 城壁の上から街を眺める楽進を見つけ、一刀は声を掛けた。
 その後ろには恋が付き従っている。
 楽進に折られた腕もすっかり完治していた。
「ここからの眺めは好きだ。人々の活気が良く見える。ここは良い街だ。これが、霞様が
守ろうとしたものなのだなと、素直にそう思える」
 この三ヶ月の間に楽進はかなり一刀達と打ち解けてきていた。
 未だ真名を許してくれるほどではないし、曹操への忠誠心も変わらずではあるが、最初
の頃の様に隙あらば一刀や月を狙ってくると言う事は無くなった。
「何か用か?」
「特に用ってわけでもないんだけどな。まあ、どうしてるかなって」
「身体が治ったのに魏に帰らずここに残っている事が気になるか?」
「それもあるかな。俺達と一緒に戦うって気は無いんだろ?」
「当然だ。自分はどこまでも曹孟徳の家臣だ。二君にまみえるつもりは無い」
「なら尚更──」
「以前も言ったとおり、自分は魏に帰らないと決めて城を出た。これは自分自身のけじめ
だ。それに自分にはお前達を見極めると言う目的が出来た。まだここを離れる訳にはいか
ない」
「え?俺達の事を信用してくれたんじゃないのか?最近襲って来ないからてっきり認めて
くれたものと思ってたのに」
「たった三ヶ月で見極められるほど底が浅い人間なら、霞様が討たれる筈が無い。確かに
今のお前達は言葉通りの行いを見せている。しかしそれが何時変わるとも分からない」
 だがその口調には以前ほどの敵意が無い事に一刀は気付いていた。
「分かったよ。なら気の済むまで俺達を見極めてくれ。そしてお前が本当に俺達の事を認
めてくれたら、その時は楽進の真名を預けてくれると嬉しいな」
「なっ!?ば、莫迦な!そ、そんな日など来るものか!」
 珍しく狼狽えた様子を見せると、楽進はプイとそっぽを向いた。
 と、そこへ──
「おーい、一刀さーん!!」
「あれ、たんぽぽ?」
 一刀の名を呼びながら蒲公英が駆け寄ってきた。
「もう、探したよぉ!」
「何かあったのか?」
「なんかね、蜀から使者って人が来ててさ、お姉様が一刀さんも呼んで来いって」
「蜀の使者?誰だ?」
「チラッと見ただけだから誰だかは分からないけど、なんだかはわはわ言ってるちっちゃ
い女の子と、ツンツン頭で態度のでかいいけ好かない奴だった」
 余程第一印象が悪かったのか、蒲公英は使者の様子を思い出してプンスカ怒っていた。
「ふーん?まあ良いや、とにかく行ってみよう。──楽進はどうする?」
「自分はここに居る。魏の将である自分が同席したとあっては余計な誤解も生じるだろう」
「そっか。それもそうかな?それじゃあ、また後でな」
 そして一刀は恋と蒲公英を引き連れ玉座の間へと向かった。
 一刀が到着すると既に西涼の主だった将が揃っていた。
「遅いぞ、北郷」
「悪い」
 翠に窘められ、一刀は小さく頭を下げた。
「それで蜀の使者ってのは……」
「諸葛亮と申します。お久し振りですね、天の御遣い様」
 小柄な少女が一刀の方を向いてペコリと頭を下げた。
「あっ、君はあの時の!?」
 それは彼等が洛陽を脱出した時に劉備達と一緒に居た少女だった。
「君が諸葛亮だったのか……」
(それにしても反董卓連合軍結成の頃から諸葛亮が劉備の下に居るなんて……。今更とは
言え、俺が居た世界での歴史の違いを思い知るなぁ)
「あの……どうかなさいましたか?」
 じーっと自分を見つめる一刀の様子に諸葛亮が居心地悪そうな表情を浮かべる。
「あ、ああ、ゴメン!いや、まさか天下に名高い諸葛孔明がこんなに可愛い女の子とは思
わなかったからさ!」
「は、はわわ!?しょ、しょんな、可愛いだなんて……」
 諸葛亮の顔がカッと赤くなって口調もカミカミになる。
「一刀さん……」
「このバカ……」
「うん、んんっ!」
「ち、違う!今のはそう言う意味じゃなくて……!」
 月・詠・華雄等からじっとりした視線を受けて一刀が慌てて弁解した。
「他国の使者をいきなり口説くとは礼儀知らずな。とんだ天の御遣いも居たもんだな」
 そこへ不機嫌そうな声が響いた。
 一刀が声の方を見ると、長身の女性が剣呑な表情で睨んでいた。
「えっと、君は……?」
「魏延。字は文長だ。フン、鼻の下を伸ばしてヘラヘラと。こんな奴が重職に居る様な国
と同盟だなんて、いくら桃香様のお考えとは言え理解出来ん」
 魏延は一刀に対してあからさまに侮蔑の言葉をぶつけて来た。
 初対面の相手から受けたその様に言われ、流石の一刀も気色ばむ。
「そ、そこまで言う事──」
「控えんか、焔耶!!」
 しかし一刀が抗議する前に桔梗が魏延の事を一喝した。
「き、桔梗様……」
「お主は何様のつもりか!此度の正式な使者はあくまでそこな諸葛亮殿であろう。貴様は
ただの従者に過ぎん。それが勝手に発言するばかりか、事もあろうにその国の重臣を罵倒
するなどどちらが礼儀知らずだ!己の立場を弁えぃ!」
 桔梗の迫力に魏延はただ口をパクパクとさせるばかりだった。
 だがやがて一刀の方に向き直ると、
「……すまん」
 渋々謝罪の言葉を述べた。
「一刀よ。腹立ちもあると思うが、こやつもこれで反省しておるじゃろうし、この場はわ
しの顔に免じて収めてくれぬか?」
「あ、ああ。うん、もう気にしてないよ」
 一刀がコクコクと頷いた。
「はわ、はわ、はわわわわ!──うん、んーごほん!で、では本題に入るとしましゅ──」
 オロオロとするばかりの諸葛亮だったが、場が収まったのを見ると気を取り直して話し
始めた。
 相変わらずカミカミではあったが。
「つまり劉備さんは私達涼州軍と同盟を結びたい、そう言う事なんですね?」
「はい、そうなんです」
 月が諸葛亮の話を復唱すると、彼女はにっこり笑って頷いた。
「けどそれって蜀には何の利があるっての?言っちゃなんだけど、ボク達の所は辺境の小
軍閥に過ぎないわよ?益州・南蛮に加えて南荊州の一部まで領する劉備軍とは比ぶべくも
無いと思うけど」
 詠が当然の疑問を口にする。
 しかしそれも諸葛亮にとっては想定内の言葉であるようだった。
「確かに涼州は小軍閥です。けれどそれを形作るあなた方は大国にも劣らぬ逸材ばかりで
す。天下無双の呂奉先や神威将軍として五胡に怖れられる錦馬超。その他の人達だって一
騎当千の勇将揃いです。更には董卓さんの懐刀として天下に名を轟かす神算鬼謀の賈文和。
そんな人達が忠誠を誓う董卓と言う人は、勢力こそ小さくても立派な英傑の一人です。何
より董卓軍に天が力を貸していると言う話は、今や民草の間にすら噂に上るところです。
それを実証したのが二度に渡る曹操軍の撃退ではありませんか。本当なら涼州はとっくに
曹操さんの手に陥ちて、華北全域が魏の領土となっていてもおかしくないんですよ?」
 楽進が敗れた後、曹操は涼州からの完全撤兵を指示していた。
 涼州軍との戦いの間隙を縫って、蜀呉の両国が不穏な動きを見せた為、それらへの対抗
措置として夏侯惇・夏侯淵の両将軍を呼び戻す必要が出来た為である。
 結果涼州軍は、かつて霞率いる魏軍に奪われた狄道の城を取り戻していたのだった。
「つまり劉備はボク達に曹操の背中を脅かす牽制役をやれって言いたいのね?」
「率直に言うとそう言う事です。けれどこれは皆さんにとっても利がある事だと思います。
いかに人材が揃っていようと曹魏と涼州の戦力の差は歴然。今は勝てていてもいずれは力
で押し切られてしまう事でしょう。けれど私達と同盟を組めば、涼州が攻められている時
には私達が魏を攻めます。そうすれば魏は涼州へ全力で攻め込む事が出来なくなるでしょ
う。そうして呉も加えた三方から魏に圧力を掛ける事で最終的に曹魏を倒そうと言うのが
この同盟の意味です。云わば曹操包囲網と言ったところでしょうか」
「そうして魏を倒した後はどうするつもりなんだ?」
「その時は三国で大陸を分割して治めるも良し、改めて雌雄を決するも良しです。とにか
く今は我々共通にして最大の敵である魏を倒すのが先決だと思うんです」
「うーん……」
 諸葛亮の返答に悩むように唸ると、一刀は月の顔を見た。
 彼の心中を察し、月が頷く。
「諸葛亮さん、この場ですぐに返答は出来ません。ですから一度劉備さんとも会談の場を
設けたいの思うのですが如何ですか?」
「はい、分かりました!それではすぐに帰って我が主にその旨を──」
「待って下さい!会談を申し込みたいのは劉備さんだけでは無いんです」
 月の物言いに好感触を得たと笑顔になる諸葛亮を、その月の言葉が押し止めた。
「と、言われますと……?」
「江東の孫策さん。この人も劉備さんと同盟を組んでいるんですよね?」
「あ、そう言う事ですね?はい、分かりました。孫策さんにも話を通しておきますね」
 得心がいった顔で諸葛亮が頷いた。
「それともう一人」
「もう……一人……?」
 今度こそ訳が分からないといった表情で諸葛亮が首を傾げた。
「はい、もう一人です。その人とは──」
 月が一旦言葉を切る。
 その言葉を継いで一刀が言った。
「──魏王、曹孟徳──」

 [戻る] [←前頁] [次頁→] [上へ]