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880 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 00:01:21 ID:2m6KHuzQ0



 「無じる真√N03」



 白馬隊に囲まれたまま馬に揺られ揺られ公孫賛の治める城へと一刀は到着した。
 それまで公孫賛と共に乗っていた白馬――公孫賛にとっての愛馬――を彼女が厩舎の者へと預けるのに付き合いそれからすぐに彼女によって城内の一室へと一刀は案内された。
 部屋へと辿り着くと公孫賛が一刀の方を向いた。
「さて、この部屋で話をすることにしたいのだが問題ないか?」
「あぁ、もちろん構わないよ」
 一刀はそう答えるやいなや公孫賛によって室内にある席へと案内される。
 そして、互いに席へと着くのと同時に共について来ていた公孫賛の護衛と思わしき兵たちの方へと公孫賛は顔を向ける。
「事情を訊くのは私が行う、他の者は許可無く立ち入ることを禁止とする。いいな」
「はっ」
 先程行われた一人の兵と公孫賛のやり取りのことが未だに記憶にあるからなのか、兵たちは彼女の指示に素直に従い部屋から退出していく。
 そして、兵たちがいなくなった後に室内にいた侍女と思しき女性たちが退出しようと部屋の出入り口へと歩み始める。
「あ、ちょっと」
 その流れを一刀が眺めていると、正面にいる公孫賛が侍女らしき女性たちの中から一人を適当に選び呼び止めた。
 呼び止められた侍女が公孫賛の傍へとやってくると公孫賛はすぐに口を開いた。
「悪いのだがお茶を二人分頼む」
 公孫賛の言葉に「わかりました」と一礼をすると侍女は部屋から出ていった。
 その後ろ姿を視線で追い終えると、一刀は微笑を湛えたまま公孫賛に話しかける。
「悪いな、茶まで出してもらって」
「なに、気にするな。そもそもこちらが連れてきたんだからな」
「そっか、ありがとな」
「だから礼なんかいいって! まったく……さて、茶が来る前に自己紹介をさっさと済ましてしまうとしよう」
「あぁ、そうだな。俺もそれがいいと思う」
 そこまできて一刀は未だに自己紹介を交わしていなかったことに気づいた。そして、一つの疑問がふっと一刀の頭に思い浮かんだ。
 そして、その疑問をそのまま目の前にいる公孫賛へと投げかける。
「あのさ、ちょっと訊きたいんだけど」
「ん? なんだ?」
「つまりは……さ、名前もわからないやつを連れてきたってことだよな、公孫賛はさ」
「確かに、そういうことになるな」
「それって、すごく無用心な気がするんだが……」
「あっははは! 確かにそのとおりだ! 普段の私だったら無闇にはしないな……こんなことは」
 一刀の問いに公孫賛は爆発したように愉快な笑い声を上げる。そして、何の迷いもなくその疑問を肯定してみせた。
 そんな公孫賛の答えと愉快に笑う様をまじまじと見ながら一刀は新たな疑問をすでに抱いていた。いや、それこそが一刀が目の前で笑う彼女に問いたいことだった。
「それならなんで俺を連れて来ようと思ったんだ?」
 そう、いくら優しいというか人が良いというか面倒見が良いというか、微妙に損な性格をしているとはいえ、公孫賛がしたことは異常なのではないか。そう一刀は思う。
 出会ってから互いに名乗ってすらいない、もちろん初対面なため素性が割れているわけでもない。そんな人間をいきなり連れ帰るなんて普通の人間にはできないはずである。
 せめて、あの場で名前を訊ねるくらいのことはするはずだろう。しかも、話をするこの部屋にしても彼女は護衛をまったくつけていない。それらが一刀にはとても不思議に見え続けている。
「あぁ、それなんだが……」
 公孫賛は一刀の質問を受け、まるで自らが発する言葉を自分自身に確かめさせるように丁寧に言葉を紡ぎ始める。
 一刀はその様子を変だと思いながらも彼女の言葉をじっと待つ。
「何故か、心の底でお前は信用できる人間だって感じがしてさ……」
「え、それって、どうい――」
 どういうことなのか、一刀がそう聞き返そうとしたところで誰かが扉の向こうから声をかけてくる。
「どうやらお茶がきたみたいだな。おい、入っていいぞ」
 訪問者に対して公孫賛が入ってくるよう促すと扉が開き始める。
「失礼します」
 入ってきた人物がそう告げるのを聞きながら一刀はその声に聞き覚えがあるような気がして一瞬思考が止まる。
 その間にもお茶を運んできた人物が一刀たちの元へと歩み寄ってきていた。
「お茶をお持ちいたしましたぞ。"伯珪殿"」
「あぁ、ありが……!!」
 礼を言いながらお茶を受け取ろうとする公孫賛の手が止まった。それはお茶を持ってきた女性が彼女にとって思いがけない人物だったからなのだろう。
 そして、一瞬の間のあとに、公孫賛がその人物の方へと勢いよく顔を向けた。そして、公孫賛の反応を見ていた一刀も同様に顔を向ける。
 二人の視線の先にいたのは先程の侍女ではなかった。
 女性には違いなかったが、青みがかった髪をしており一際長く伸びている後ろ髪中央部分を束ね、残りは肩辺りまでの長さといった髪型をしており、なによりも切れ長の目が彼女の妖艶な蝶のような美しさを際立たせている。
 格好もまた異なっていて、所々に紫色の装飾のついた白い着物のような服を身に纏いそれを紫の帯で止めている。また、着物と同様に白を基調としている帽子を頭にかぶっている。
 そして、その人物は公孫賛と見つめ合ったまま不敵な笑みが浮かべている。が、その瞳は明らかに、新しい玩具を見つけた子供のものであると一刀は思った。
 そして、なによりも一刀を驚愕させたのはその女性の顔に見覚えがあるということである。いや、むしろありすぎるくらいである。
 呆然とする一刀。目の前の二人がそれに気づくこともなくこの沈黙がまだ続くように思われた時、硬直状態から解放された公孫賛が動き始めた。
「お、おい何故、お前がここに来てるんだ」
 公孫賛の顔からは驚きが薄れ半分程となっていた。まさに驚き半分呆れ半分といった表情でその人物を見ながら声をかけた。
 その人物は――不適な笑みを浮かべ続けている女性は、一刀がいた"あの外史"において数多くの戦乱を共に駆け抜けた大切な者たちの一人だった女の子……そう、彼女は
「趙雲」
 公孫賛が名前を呼ぶのと一刀が趙雲の"もう一つの名前"を心の内で読んだのはほぼ同時だった。
 公孫賛に指摘された趙雲は、やはりにやりとした笑みを浮かべたままで返答を行おうと口を開く。彼女が何を言うのか、一刀にはおおよそ予想がついていた。
「なに、つい先程伯珪殿が天の御遣いと思しき人物を拾って――おっと、連れて帰ってきたと耳に挟みましてな。噂に聞いた天の御遣いというのがどのような人物なのか私自身気になっておりましたゆえ」
「はぁ……興味本位で侍女からお茶を受け取って代わりに持ってくることで部屋へ入ったと……」
「ええ、まさにそのとおり。伯珪殿の言葉通りですよ」
 呆れた様子の公孫賛と愉快そうに笑う趙雲を見比べながら一刀は心の中で一人笑った。
(やっぱり……本当に面白いもの好きなんだな)
 そして、目の前にいる趙雲が自分の知っている"彼女"との違いはなさそうだと一刀は思った。
(違いは無いけど、俺のことを知らないんだよな。会えたのは嬉しい……嬉しいけど、ちょっと寂しいよなぁ……って、感傷にひたっちまったな……駄目だな、俺は)
 自嘲の言葉を心の中で呟くと、一刀は頭を冷静にして今一度二人へと目を向ける。
 一刀が自分の世界に浸りしばらく見ていないうちに二人はなにやら言い合っている……というには様子がおかしい。
 明らかに公孫賛が趙雲に食ってかかっているように見える。
「あのなぁ、お前も聞いているだろう」
「それは、先程護衛の者や侍女たちに言い付けたことですかな?」
「やっぱりわかってるんじゃないか。まぁ、それでも一応言っておくぞ。この者とは私が一対一で話をする。だから、趙雲は退室してもら――」
「おや、もしやお気に召されたのですかな」
「なぁっ!? ばっ、そっ!」
「ふふふ……」
 明らかに公孫賛が趙雲に弄ばれている。そう判断した一刀は公孫賛へと助け船を出すことにした。
「おいおい、せ……じゃなくて趙雲さん……でいいんだよな? あのさ、俺まだ自己紹介してなくてさ、さっさと済ましたいんだけど……」
 趙雲の"もう一つの名前"を言わないよう最新注意を払いながら語りかける。
 そして、そのまま公孫賛にも問いかける。
「公孫賛も別にいいだろ、一人増えるくらいはさ」
「うぅん……し、仕方ないな……」
 もうすでに消耗しきっている公孫賛がゲンナリとした顔で首を縦に振った。その様子に一刀が苦笑いしていると。
 趙雲の視線が一刀へと向けられる。先程と変わらない様子に見えるが、一刀はわずかにその瞳に含まれているものが異なるような気がした。
「すっかり忘れておりましたな、これは申し訳ない」
「いや、別に構わないんだけどさ」
 一刀がそう言うと、趙雲は席につきながら一層一刀を注視し始める。そして、先程から感じる彼女の何かを探るような視線が強まる。
 一方では、そんな趙雲の視線から逃れた公孫賛があからさまにほっとした顔を浮かべていた。そんな二人を見ながら一刀は聞こえないようにため息をついた。
(やれやれ……相変わらずだな)
 だが、そんな二人の様子……それだけのことで一刀は心が不思議と暖まった気がした。
 そんな、自分でもよくわからない想いを隠しつつ一刀は話を続けようとするのだが、視線を向けた先の趙雲が何故か再び公孫賛の方を向いてしまっていた。
「ところで、伯珪殿?」
「な、なんだ?」
「自己紹介がまだであるということは、この者を素性もわからぬままに連れてきたということなのですかな?」
「いっ!? いや、その、あ、あぁ……そのとおり……です、はい」
 趙雲の吊り上がり気味な紅の瞳、綺麗で美しいはずのその目に見つめられた公孫賛。
 はじめは誤魔化そうとしていたのだが最後には諦めたらしく公孫賛はがっくりと項垂れながら正直に答えた。
 その様子にやれやれと言った様子で肩を竦める趙雲。だが、その様子を眺めている一刀には彼女の声がむしろ楽しいという感情が含まれているように思えた。
「まったくもって無用心ですなぁ……伯珪殿は」
(うぅん……助け舟のはずが泥舟だったかな……すまん公孫賛)
 心の中で公孫賛に詫びながら今一度口を挟む一刀。
「いや、それもう俺が公孫賛に言ったから」
「おやおや、件な人物自身から指摘されたのですかな……伯珪殿?」
「うっ……」
 一刀の出した二度目の助け船も泥舟だったらしく、効果も逆だった。
「しかし、そのことはもうしてしまったわけですし。まぁ、咎めずにおくとしましょう」
「あ、あぁ、すまないな……趙雲」
「で? 連れてきた理由というのはなんなのですかな?」
 その質問は一刀も訊きたかったものだった。先程は途中で趙雲が来たために中断となってしまい訊くことができなかったので先を聞きたいと思っていた一刀にはちょうど良かった。
「り、理由は……」
 何故か口ごもる公孫賛がわずかに口を開くと、彼女の声以外の音は無くなり辺りが静かになった。趙雲も一刀も口を閉ざして公孫賛へ視線を注いでいる。
「理由は、この者がおそらく”天の御遣い”であるからだ!」
 公孫賛の答えに一刀は首を傾げる。
(あれ? さっきと違う……)
「ふむ、確かに理由としてはそこまでおかしいものではありませぬな」
「そ、そうだろう、そうだろう」
 趙雲の言葉に、一人納得したように笑顔で頷く公孫賛。
「ですが、まだ根拠が足りませぬ」
「根拠だと?」
「えぇ、この者が”天の御遣い”であるという根拠が」
 そう告げる趙雲の表情は先程よりも真面目なものへと変わり、その瞳に含まれている一刀の何かを探るような彼女の視線も強まっている。
(やはり、ふざけどころはある程度はわきまえているんだな……)
 その問いに、同じように比較的、真剣な顔になった公孫賛が答える。
「うむ、根拠だな。それは全部で三つある」
「ふむ……お聞かせ願えますかな」
「あぁ、もちろんだ。まず一つ、それはこの者の現れた場所というのが流星の落下した場所だということだ」
「なるほど。しかし、それは伯珪殿と少数の兵しか確認しておられませぬな」
「あぁ、確かにそれだけではまだ理由としては薄いだろうな。そこで、次だ」
 趙雲に指摘されても先程までとは違い、まったく動揺を見せず自信溢れる顔のまま話を続けていた公孫賛が、言葉を続けようと口を開きかけたところで何かを考えるように腕を組んで数秒黙り込んだ。
「……悪い、ちょっと外に出てくれ」
 口を開いたかと思うと公孫賛は一刀と趙雲を連れ、部屋の外へと出ると言い扉へと歩みだした。
 公孫賛の申し出を拒む理由も無かった一刀と趙雲も彼女の後に続いて外へと出た。
 廊下へ出るとすぐに公孫賛が一刀を陽の下へと出した。そして趙雲へと向き直る。
「うむ、これで良いだろう。趙雲、この者の来ている服を見てみろ。どうだ、日の光を浴び光り輝いているだろう?」
「ほぅ、確かにこれは面妖……いや失礼、不思議な……」
「これも理由としては"あり"じゃないか?」
「そうですな……うむ、これもまた根拠の一つとなりましょう」
 わずかに考える素振りを見せた後、趙雲は頷いた。
 趙雲が二つ目の根拠に納得したところで三人は部屋へと戻った。
 部屋へ戻ると先程とまったく変わらない固いに戻る三人。
「さて、三つ目だが……これは至って簡単だ」
「ほぅ、どのような答えか楽しみですなぁ」
 はっきりと言い切った公孫賛に趙雲が意地の悪い笑みを浮かべる。
「最後の根拠は、この者が名乗ってもいない私の名を知っていたということだ」
「……それはただ単に以前見聞したことがあったという可能性もあるのでは?」
「うっ……た、確かにそうかもしれんな……」
 趙雲に指摘されると思っていなかったのか公孫賛は呻くと黙り込んでしまった。どうやら押され気味のようだ。そう思い一刀は、形勢逆転の一手を打つ。
「そのへんで、許してあげてはどうかな”趙子龍殿”」
「ほぉ、我が字をご存知か」
 公孫賛をその鋭い視線でちくちくと攻めていた趙雲が顔を一刀の方へ向ける。その瞳が完全に一刀の方に興味を移したことを表している。
「まぁ、それくらいはわかるさ」
「ふむ、他になにかわかりますかな」
「そうだなぁ……」
 ここは、だめ押し……いや完全に決定的な一発となるものを決めてみせると一刀は一人意気込んだ。
「趙雲さんの異名の一つを俺は知っている」
「ほぅ、それは興味深い……言ってみてくだされ」
 挑戦的な瞳で一刀を趙雲が見つめる。その視線を受けながらも一刀は心の内で勝てると確信していた。だが、同時にこれでだめだったら……とも思っていた。
(いや、弱気になるな! 趙雲…というか彼女と言えばあれしかない!)
 そう自らを鼓舞すると一刀はすぅっと息を吸い一瞬口を閉じ呼吸を止める。
 そして、
「メンマ道の探求者だ!」
 一刀は思い切り叫んだ。
 が、気分が高揚していたためだからだろうか、一刀は思わず趙雲へ向け掌を見せるように腕を突き出しながら叫んでしまった。だが、正直なところ一刀は言い終えてからそれがちょっと恥ずかしくなった。
「なっ、な、なな……」
 だが、肝心の趙雲が口を魚のようにぱくぱくと開閉したままで反応を見せない。
(あ、あれ、ま、まずったかな? やっぱり、もっとまともな異名のほうにしておくべきだったか! "常山の昇り龍"とかの方がよかったのか?)
 一人悩む一刀が背中に冷たい汗が流れるのを感じたのと同時に趙雲が大声を上げた。
「な、なんとっ!」
「うぉっ!」
 身を乗り出すようにして一刀を見る趙雲。彼女の予想以上の驚きにむしろ一刀の方が驚いてしまった。
「よもや、我が好物、そして”メンマ道”に関してまで存じているとはこの趙子龍、感服のいたりですぞ!」
「な、納得してもらえたのかな?」
「もちろん、いたしましたとも……ふふ、そうですか……メンマ道を……ふふ」
 なんとか納得させることができたことに一刀が安堵の息を吐く。
「しかし、噂を聞いたときには眉に唾して聞いておりましたが、本当に存在していたとは……驚きですな」
「ま、まぁ、そりゃそうだろうな」
「おっと、忘れてはならないことがありましたな」
 ふと何かを思い出したような趙雲に一刀が首を傾げると、彼女は真剣な顔で一刀を見つめ始めた。そして、
「確かに、本物の天の御遣い殿であるとお見受けいたしました。これまでの非礼、お詫び申し上げます」
 そう告げるやいなや趙雲が一刀に対して深々と頭を下げた。
「えっ? いやいや、別に失礼なところなんてなかったって」
 急な趙雲の代わりぶりに一刀も面食らう。それに、一刀自身そんなことをされても落ち着かないのでなんとか顔を上げるよう勧める。
「いえ、あなた様を疑ってしまったのはこの趙子龍の目に人を見抜く力が未だ備わっておらぬため! そもそも、あなた様が本物であるということなど慧眼が優れている者ならばわかったはず! それができなかった私は未熟なのでしょうな……」
「いやいや、俺は別の世界から来たってだけで後は普通の一般人なんだよ。だからさ、疑わないほうが変なんだって……な、だからそんな自分を低く見ないでくれよ。なっ?」
「では……この未熟者をお許しになると?」
「いや、だから許す許さないじゃないんだって。というか、はじめから謝る必要なんかないんだよ」
 そこまで言うと、ようやく趙雲が頭を上げた。それに一刀はほっと安堵する。
 そんな一刀に趙雲が笑いかける。
「ふふっ、お優しい御仁なのですな」
「そんなことないって」
「いやいや、あれだけしつこく疑われたというにもかかわらず怒ることなどもなく水に流してしまうなど、そうそうできることではありませぬぞ」
「そんなことないと思うんだけどな……」
 あまりに褒めてくる趙雲に恥ずかしくなってきた一刀は頬を掻いて視線を逸らす。
「まぁ、それが、天の御遣い殿の良さなのでしょうな」
「あぁもう、この話は終わりだっ! 終わりにしよう。そうしよう!」
 さすがに、これ以上持ち上げられるのは耐えられないとふんだ一刀は無理矢理話題を切り上げた。
 そんな一刀を趙雲が可笑しそうに見つめている。
「ふふっ、それがよさそうですな」
「そうそう、終わり、終わり」
 趙雲も一刀の気持ちを汲んだのか他の話題へ移るのに同意した。
「ふむ……では、せっかくですので話題を変えるのならば、天の世界についてなにか話をお聞かせ願えませんか?」
「あぁ、構わないよ。そうだな、趙雲さんに合う話題は……」
「さん付けはしなくてよろしいですよ」
「わかった。それじゃあ趙雲でいいのかな?」
「えぇ、それで結構」
「わかった。今後は趙雲って呼ぶよ」
 一刀がそう言うと趙雲は満足そうに頷いた。
「それで、天についてなにを話していただけるのですかな?」
「んーそうだな……せっかくだから趙雲に俺の秘蔵のメンマ料理を紹介しようかな」
「おぉ! 天のメンマ料理ですか! ぜひともお教えねがいたいものですな」
「あぁ、それじゃあ今度作るよ」
「ふふ……それは素晴らしい。ぜひとも楽しみとさせて頂きますぞ」
「ははは……」
「ふふふ……」
 一刀と趙雲は互いに顔を見合わせて笑い出した。
 腹の底から笑いながら一刀は思う。どうやら、この世界でも"彼女"と仲良くなれそうだと……。一刀にはそれが嬉しくてしょうがなかった。
 と、そんな和み始めた二人は一つ大事なことを忘れていた。
「お、お前らぁぁ……いい加減にしろよぉー!」
 そう、この卓を囲んでいたのは何も一刀と趙雲の二人だけでなかったのだ。この城の主である公孫賛という三人目がいたのだ。
 その当人である公孫賛の叫びに一刀はようやく公孫賛の存在を思い出した。趙雲も同じだったようで目がわずかに泳いでいる。
「……あっ!」
「おや……」
「その反応……お前ら私のこと忘れてただろ……」
 両肩と声を振るわせる公孫賛はどこか哀愁を誘う気がした。よく見れば、顔には影がさしていた。
 その姿を見てまずいと思った一刀は素直に謝る。
「すまん、本当に申し訳ない」
「…………ふん」
 公孫賛はすっかりヘソをまげてしまったようで一刀から顔を逸らしてしまった。
「いやはや、相変わらず影が薄いですなぁ。伯珪殿は……ふふ」
(うわぁ、なんということを。今、明らかに公孫賛の躰がビクッってなったぞ)
「うぅ…………私なんて……」
「そ、そんなことないって十二分に存在感あるって」
 趙雲の言葉がとどめとなったのか公孫賛が膝を抱いて卓上に指でのの字を書き始めた。
 そんな反応を気にすることなく趙雲が一刀に質問を投げかける。
「ふむ、御遣い殿の中では伯珪殿の存在は大きいものであるということですかな?」
 一刀は思わずたじろぎそうになったが公孫賛を元に戻すのだからそうはいかないと思いなんとか堪える。
「出会ったばかりでこんなこと言うのはおかしいんだろうけど……公孫賛は俺の中で大きな存在と思える気はしている」
 それは一刀の偽りない思いだった。特に茶々も入れない趙雲を不思議に思いつつ一刀は続ける。
「だからさ、少なくとも俺にとって公孫賛は大きな存在だよ」
 そう、公孫賛はかつての"外史"で一刀が出会った大切な者たちの一人だった……。
 もちろん、この世界では会って間もない。だが、公孫賛のことを大切な者だと思えるだろうという確信が一刀の中にはあった。
「ほぅ……なかなか……」
 真剣な表情で自分の思いを告げた一刀を趙雲がなにやら興味深そうに見つめる。
「ん? どうした?」
「いえ、なんでもありませんよ」
(こちらから視線を外さずにそれは、無理が無いか?)
 未だ一刀を見つめる趙雲にそう心の中でツッコミを入れつつ、再び公孫賛へと視線を戻すと一刀の思いを込めた言葉が通じたのかようやく口を開いた。
「……ちょっと外に出てくる」
「ど、どうしたんだ」
「怒りすぎて、熱くなったようだ。だから少し冷ましてくる……すぐ戻る」
 その言葉を残して公孫賛はまるで逃げるように部屋の外へと駆けていった。その顔が真っ赤だったのは気のせいだろうか。
「大丈夫かな……」
「すぐに戻ってきますので大丈夫でしょう。まぁ、我らは座って待つとしましょう」
 そう言うと趙雲はさりげなく持ってきていた自分用の茶を啜った。
「そ、そうかなぁ……」
 納得は行かないものの一刀もそれにならって茶を啜る。
(あぁ……少し冷めちゃったな……)
 わずかに温くなった茶を飲んでいると趙雲が一言ぽつりと付け加えた。
「まぁ、御遣い殿は少し気にしたほうがよいかもしれませんな」
「え? それはどういう意味だ?」
 妙に気になる言い方をされた一刀はすぐさま聞き返す。
「ふふっ、それは自分で気づくものですよ」
「そ、そういうものなのか?」
「えぇ、そういうものです」
 そう言って趙雲は瞼を閉じて味わうように茶を啜った。
(どういうことだろう……趙雲は、なにかに気づいたようだけど)
 なんだかもやもやとした気分だったが最終的には、まぁいつかわかるだろう、と締めくくり思考を停止して茶を啜った。
「ん、温いな……」
 それから二人でのんびりとしていると落ち着いたらしい公孫賛が戻ってきた。
「悪い、待たせたな」
「いや、元々はこっちが悪いんだ。すまない、公孫賛」 
「ふふっお前は本当に面白いやつだな」
「な、なんだよ急に」
 一刀は、自分を見ながらくすくすと笑う公孫賛に思わずムスっと表情を険しくする。
「なんでもない……気にするな。ふふ」
「まぁ、いいや。というか、ようやく自己紹介できるのかな……」
「そうだな、何故かもの凄く時間がかかったような気がするが……」
 そう告げる公孫賛は疲れた表情だった。そんな彼女に同情しつつ一刀は同意した。
「まったくですな……困ったものです」
(しょ、諸悪の根源がぬけぬけとそんなことを……)
 口にする勇気は無いため一刀は心の中でのみ毒づいた。
 公孫賛も似たようなことを思ったのだろう趙雲を半眼でじと、と睨んでいる。
「というか、お前のせいだからな」
 一刀はその言葉にまったくもってそのとおりと思う。だが、やはり口には出さなかった。
「おや、それは心外ですな」
「というか、さっき私に謝ってないだろ!」
「確かに御遣い殿には悪かったと思いました。ですが、元々は伯珪殿の失態が原因だったのではありませんか?」
「うっ……」
「あぁもう! また時間を消費する気かぁっ! もういっそ、趙雲は公孫賛に謝罪しない代わりに失態を責めないってことでどうだ?」
「まぁ、それでよろしいかと」
「はぁ……私もそれでいいよ」
 脱線しかけた場がようやく落ち着く。それを頃合いとして自己紹介が始まった。
「それじゃあ、今度こそ自己紹介を行うとしよう。まず私からさせてもらうぞ」
 公孫賛はそう宣言すると立ち上がった。
「姓は公孫、名は賛。字は伯珪だ。幽州一帯を治めてる。まぁ、知ってるのかもしれないけどな」
「では、次は私ですな」
 自己紹介を終えた公孫賛が座るのを合図に趙雲が立ち上がる。
「姓は趙、名は雲、字は子龍。これが、我が名となります。現在は伯珪殿のもとで客将をしております。以後お見知りおきを、御遣い殿」
 そして、趙雲が座る。それを見届けながら一刀も椅子から腰を離した。
「俺は、姓は北郷、名は一刀。字と真名は無い。察しのとおり、異なる世界から来た。よろしくな、二人とも」
「ほぅ、御遣い殿には字が無いと」
「やはり、真名の存在についても知っているのだな」
「まぁ、一応はな。それと御遣いはやめてくれないかな? ちょっと恥ずかしい……」
「構いはしませぬ。ですが、それではなんと呼べばよいのですかな?」
「好きな呼び方でかまわないよ」
 一刀は笑顔で二人にそう告げた。
 すると、趙雲が妙に愁いに満ちた表情で一刀を見つめる。一体何事かと一刀と公孫賛が思いそれを言葉とするよりも速く趙雲が口を開いた。
「お兄ちゃんっ!」
「!?」
 一瞬、時が止まる。気のせいか一刀には世界の色素が反転した気がした。
「で、よろしいですかな?」
「ごめんなさい……いい加減なこと言って、本当にごめんなさい。お願いですから、そういった類は勘弁してください」
 土下座するくらいの勢いで額を卓にこすりつける一刀。
「おや、殿方はこういった呼ばれ方を好むと聞いたのですが」
「あぁ……うぅん……それに関しては、回答なしで」
 腕を組み思わず唸る一刀。正直、魅力的で少し惹かれはした一刀だったが、なんとか断ることができた。
(というか、お兄ちゃんの時の声、普段と違いすぎだ……可愛らしすぎだぁ!)
「…………」
「そこっ、ひくんじゃない!」
 いつの間にか公孫賛が黙り込んでいたのに気づいた一刀がそちらへ視線を向けると、公孫賛が微妙な表情で一刀から距離を取るようにわずかに身を退かせていた。
 あまりの反応にツッコミを入れた一刀に公孫賛が頭を抱える。
「はぁっ、まったく……まぁ、いいか……私は北郷と呼ばせてもらうぞ」
「では、私はひとまず北郷殿と呼ばせていただくことにしましょう」
 そう言うと二人は、それで構わないかと一刀に訊ねた。
 一刀は快諾の意が伝わるように笑顔を向けて答える。
「あぁ、もちろん構わないよ」
「では、改めて」
「これからよろしくな、北郷」
「よろしく頼みますぞ、北郷殿」
 二人が微笑を浮かべながらそう告げた。そして、一刀もそれに返す。
「あぁ、こちらこそよろしく」
 こうして、乙女たちが可憐に咲き乱れる世界での一刀の物語が再び始まった。

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