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182 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 23:41:36 ID:bv0XaTWB0



 「無じる真√N04」



 公孫賛に拾われた翌日、一刀はその城の主である公孫賛に玉座の間へと呼ばれていた。
 公孫賛に指示されたとおりに一刀が玉座の間へ入ると、そこには部屋の主であり一刀を呼び出した当人でもある公孫賛と趙雲がいた。
「来たな北郷。さっそくお前の扱いについて話そうと思ってな」
「なるほど、それで呼ばれたわけか」
「あぁ、うちも別に裕福なわけではないからな。ただ置いておくというのは、他の者たちに示しがつかないんだよ」
「まぁ、そりゃそうだろう。世話になっている以上何かしらで還元しないとな」
 それはかつて一刀がいた"外史"にて彼の身によくしみ込む程には体験し、実感してきた。
(働かざるもの食うべからずというのが当たり前なんだよな、この世界では……)
 どんなことでもいい、何かをしなければ生きる術に辿り着けない……そんな世界なのだ、今いるのは。一刀は公孫賛との会話で改めてそのことの確認を行うことができた。
 一刀が入ってきてから未だ口を開いていなかった趙雲が感心したような口調で一刀に語りかけてきた。
「よくわかっておいでですな。天の世界でもやはりそうだったのですかな?」
「いや、俺が元々いた世界ではある一定の年齢を超えるまでそういうことを考えなきゃならないってことは滅多になかったかな」
「なるほど、どうやら平和な世界だったようですな」
「まぁ、少なくとも俺の周りは平和だったよ。争い自体は、あったけど離れた場所でのことだから実感もなかった」
 そう、一刀が"元々"いた世界……それはこことは時代自体が違った。
 それは平和な世界、そして時代だった。多くの人間からすれば戦争など他人事、一刀を含め若者たちは学校へ通い様々なことを学んでいた……それだけ安全に囲まれた世界だった。そして、それはある時まで続いていた。
(そういえば……あいつは元気なんだろうか……及川)
 かつての友人――もう会うこともないであろう存在。そんな懐かしいことを考えつつ一刀は言葉を付け加える。
「ただ……俺にはそんな経験があっただけだよ」
 正直、"元々"いた世界に関しての記憶は意外と多くは出てこなかった。
 それよりも一刀が生きるために色んなコトをした前の"外史"に関することのほうが記憶として多く残っている。
(もしかしたら、戦乱の世を駆け抜けたときの記憶が強烈すぎたってことなのかもな……)
 かつての自分を懐かしみ、感慨にふける一刀を特に気にせず公孫賛が口を開いた。
「なるほど、まぁ以前の話はまた別の機会に訊かせてもらうとして、本題に移ろう」
「わかった。それで結局のところ俺はどういった扱いになったんだ?」
「それなんだがな……取りあえず客将という扱いにさせてもうことになった」
「取りあえず?」
「あぁ、北郷の働きを見て、本格的な扱いを決めることになったんだ。」
「俺の働きを見る?」
「あぁ、私としては北郷を信用するにたる人間だと思ってるのだが他の者たちがな……」
「まぁ、そりゃそうだろうな」
「ちなみに、私も信用できると思っておりますぞ」
 一刀と公孫賛の会話を黙って聞いていた趙雲がくすりと笑いながらそう告げる。
「ありがとう、趙雲」
「まぁ、そういった理由からしばらくは様子見ということになったわけだ」
「なるほどな。で? 俺はなにをすればいいんだ?」
 かつての外史では内政面、軍略面において一刀を支える軍師を務めた女の子を筆頭とした知に長けたものたち、軍を組織したときからずっと共にいた少女のような武に秀でたものたちによって多少鍛えられたことを思い出す一刀。
 武については、いまだからっきしではあるものの頭を使う仕事に関しては多少こなすことが出来るだろうと、一刀は自負していた。
「そうだな……まだ、北郷がどの程度の能力を有しているのかわからないからな。おそらくは雑用が主になるだろうな」
「雑用か。内容は特に決まってはいないのか?」
「そうだ。基本的には自分で探してもらうことになるだろう」
「わかった。自分なりにやれることを探してみるよ」
 正直、自分で思っていたよりも重要な役回りではなかったため少し拍子抜けしたが、すぐにそれでも十分だ、と一刀は思った。
「おや、それで満足なのですかな? 北郷殿は」
「あぁ、最初のうちはそれもしょうがないだろ」
 不思議そうに訊ねる趙雲に一刀は笑顔で答えた。一刀は悟りを含めた表情でそれに一言付け加える。
「なんというかさ、"ささいなことからでも学べるものっていうのは割とあるだろ?」
「ふむ、確かにそれは正論。北郷殿は良い心がけをしておりますな」
(これも、あの世界で"みんな"に教えてもらったことだよ……)
 趙雲の反応に微笑を浮かべながらも一刀は内心で昔を思い出していた。
「話は以上だ。あと、しばらく趙雲と共に行動してもらうぞ」
「それはまた、どうして?」
「城内の案内が必要だろうということだ。それと……」
 そこで公孫賛が淀んだ。彼女の態度を見れば、一刀にも答えを予想することは十分可能だった。
「俺の監視……というわけか」
「あぁ……そのとおりだ。すまない」
「気にしないでくれよ。それが公孫賛の本意じゃないっていうのはわかってるからさ」
「そうか、本当にすまないな」
「いや、二人が俺を信じてくれるように俺も二人を信じてるから気にしないでくれ」
「おや、二人というと私もですかな?」
 一刀の言葉を聞き逃せなかったらしい趙雲が聞き返す。
 何故、当たり前のことを訊くのだろうと思いながら一刀は口を開いた。
「そのつもりだけど、違ったかな?」
 そう告げたところで一刀は、さすがにまだ信頼を得てないのかな、と思った。
 そんな一刀にわずかに微笑みかけながら趙雲が答えを口にする。
「いえ、そのようなことはありませぬよ。ただ、少々驚いただけです」
「そうか……よかった」
 趙雲の返答に一刀は思わず内心でほっと安堵のため息をついた。
「ただ、北郷殿に対して、目を光らせ続けはしますが」
「え? なんで?」
「さぁ? 何故でしょうな……ふふ」
 一刀が驚いて趙雲の方を見る。彼女はただ面白そうに微笑むだけだった。
(まぁ、目を離して俺がどこかに行ってしまうっていうのも困るからだろうな)
 仕方なく一刀が内心でそう結論づけたとのと、公孫賛が口を開いたのは同時だった。
「これで、話は終わりだ。北郷、今日の内に城内を見ておくといい」
「あぁ、わかったよ。ありがとう」
「それでは、私もこれにて」
「あぁ、それじゃあ」
 公孫賛に軽く手を挙げながら別れの挨拶をすると一刀は扉へと向かう。その後ろに趙雲が続いた。そして、二人は退室した。
 廊下へ出たところで趙雲が一刀に質問を投げかけた。
「さて、北郷殿。まずは、どこから行きますかな?」
「そうだな、ならまずは――」
 行きたい場所を趙雲に告げ、一刀は彼女に従い城内を案内してもらった。ちなみに、一刀は書庫、厨房、中庭、修練場など城の中の設備を中心に見ることにした。
 本当は街も見たいと思ったのだが、しばらくは外出許可をもらえないらしい。
(やっぱ、公孫賛の部下たちの信用を得ないと難しいかな……)
 そんなことを一刀が思っていると、街への外出が一刀には許されていないということを説明していた趙雲が興味深げに一刀に質問をした。
「ふむ、北郷殿は街が御所望ですかな?」
「ん? まぁ、一目見ておきたいとは思ったかな」
「ならば、抜け出そうとお考えか?」
「いや、それはまったく考えてないよ」
「おや、そうなのですか? 私ならば、誰にも気づかれることなく抜け出す方法くらいは知っておりますが?」
 そう訊ねる趙雲に苦笑しつつ一刀は首を振る。
「いや、誰かに気づかれるとか気づかれないとかじゃないんだ。"今の環境"が壊れる可能性のあることは、できるだけしたくないんだよ」
「それは、どういうことですかな?」
「あぁ。おそらくなんだけど、この城内にいるほとんどの人たちは俺を置いておくことをよしとしてない」
「えぇ、おそらく北郷殿の考え通りでしょう」
「だろ。それでさ、公孫賛はそんな反対の声を押し切ったりと無理をしたりしてまで俺を保護してくれた。その厚意を無為にしちまう可能性のあることなんて、俺にはできないよ」
「ふふ……つまりは伯珪殿のためと…」
「そうだな、それに監視の趙雲にも迷惑はかけたくないからな」
「そこまで、お考えか……いやはや、我が予想を裏切りますな、北郷殿は」
 一刀は、趙雲が意外だというような顔をするかと思った。しかし、彼女はどちらかというと予想が当たったというようであり、それでいてどこか嬉しそうに微笑んでいた。
(そんなにわかりやすいのか俺は……)
 わずかに落ち込みそうになるのを堪え一刀は更に言葉を続ける。
「まぁ、それもあくまで"今の環境"だからだけどな」
「では、現状が変わったら抜け出すと?」
「まぁ、この城にいる人たちの信頼を得られるようになったら……そんな環境を手にできたときは気分転換にでもやるだろうな。バレても、怒られる程度だろうし」
 趙雲にそう語りながら一刀は照れくさそうに、そして愉快そうに笑う。
「だからさ……その時は、秘密の抜け道の件よろしくな」
「くっくく……」
「ん?」
「あっははは、くく……ははは」
「え?」
 唐突に笑い出した趙雲に驚く一刀。
「面白いう御仁だ、他者を気遣い尊重する真面目な発言をしたかと思いきや、今度は、仕事を抜ける不真面目な発言とは……ふふ」
 徐々に笑いを押さえながらも趙雲は愉快そうな声色で告げた。そして、そんな様子のまま彼女は一刀をじっと見つめる。
「まったくもって不思議ですな、北郷殿は」
「そんなことは無いさ。他者を気遣ってあげられる程、俺は善人じゃない。仕事を抜け出すのと一緒なだけさ。ただ自分のしたいようにしようと思ってるだけなんだよ」
「つまりは、ご自分の願望を叶えているだけであると?」
「あぁ、俺自身が負担をかけるのに耐えられないっていうのが理由だからな」
 頬を掻きながらそう答える一刀に趙雲がぽかんとした表情をする。
「そ、それは、気遣いとは違うのですかな?」
「まぁ人から見れば趙雲の言うとおりなのかもしれない……だけど、俺自身はそれをただの自己満足だと思ってる。だから……多分違うんだと思うけど……でも、うぅん」
 そう、自分が誰かの負担になってしまうことが嫌だという思い。それはあの"外史"でも思っていたことである、
 だからこそ、ここではそのあたりにもっと気をつけていきたい。そう一刀は内心で決意したのだ。ただそれだけのことなのだ。
(とはいえ他人からすればそう見えるわけだし、気遣いなのだろうかこれは……いや…でもなぁ)
 未だ結論が出ず頭を捻り続ける一刀を見ながら趙雲が笑みを零す。
「ふふ……まぁ、そういうことにしておきましょう」
 一刀が悩むのを止めるように、趙雲が含みある微笑を浮かべたままそう告げた。
「ところで、規則を破らずに街が見れるとしたら、北郷殿はいかがいたしますかな?」
「それなら、見たいかな……いや、見たい!」
「わかりました、ならばとっておきの場所へご案内するといたしましょう」
「い、いいのか?」
「えぇ、特別ですぞ」
 そう言って片目を瞬かせると、趙雲は歩き始めた。一瞬呆気にとられた一刀は我に返るとすぐに彼女の後を追った。
 頬を風が撫でる。一刀がそれを心地よく感じていると趙雲が口を開いた。
「さぁ、ここからなら街が見えますぞ」
「おぉ……すげぇ」
 一刀の口から簡単の言葉が漏れる。理由は、現在二人が立っている場所にあった。そこは、城壁の上。それよりも高みに位置する鐘桜……の屋根の上だった。
 もちろん、そこには手すりのようなものなどあるわけも無い。昔の一刀であれば膝が震え体中をぶるぶると震えさせていただろう。
 だが、かつて場所は違えど目の前にいる趙雲と同じ姿をした"彼女"に連れてきてもらったことのある一刀にはたいした恐怖が訪れることはなかった。
 いや、正直ちょっと怖さはある。足を踏み外して落下すればただでは済まないのだからそれはしょうがない。
 それでも表情だけは平然としている一刀に趙雲が声をかける。
「おや、北郷殿は高いところは平気なのですかな?」
「いや、そういう程度の話じゃないと思うぞ、この高さは……」
「ふふっ、どうやら完全に大丈夫というわけではないようですな」
「まぁな、情けないけど少し怖さはあるよ」
「いえ、それだけ軽口が言えるならば十分でしょう」
「はは……趙雲にそう言ってもらえるなら、そう思えてくる気がするな」
「えぇ、信用してくださってかまいませんよ」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
 趙雲は苦笑いしたままそう答える一刀を微笑ましげな表情で見ると口を開いた。
「さて、用件は街を見ることでしたな。ならばこちらへ」
 そう言って趙雲は一刀の手を掴み引き寄せる。そして、助けを借りながら一刀は趙雲の隣に足をついた。
 それと同時に趙雲が動く。
「お、おい……」
「おや、どうかしましたかな?」
「わかってやってるだろ」
 不満気にそう告げる一刀。その躰を背後から抱きしめるように両腕でがっちりと捕まえている趙雲が首を傾げる。
「私は、ただ北郷殿が落ちないようにとしているだけですが?」
「いや、背中に……こう、ね、当たってるんだよ……」
「なにがですかな?ふふ……」
「やっぱり、わかってるだろ……はぁっ……あんまり感心しないぞ、そういうの」
 それだけ言うと一刀はしょうがないといった諦めの表情を浮かべ、すぐに顔を綻ばせ爽やかな笑みを浮かべた。
「まったく……それじゃあしっかり抑えていてくれよ」
「しかと引き受けた……ふふ」
 趙雲の拘束を剥がすのをすっかり諦めた一刀は街へと視線を向けた。
 そこには広大な景色が広がっていた。長く連なる家々、中には店があり人が集まっている。また、道があちらこちらに交差しながら通っている。
 その上がたくさんの人間が歩いている。中には道ばたで店を開く露天商を覗く者もいる。他にも表情は見えないが楽しそうに駆け回る子供の姿が見えた。
「しかし、ここからの眺めはすごいな……」
 一刀は、かつての"外史"でも似た光景を見たことがあった。だが、それでも感動した――どころではなく感慨無量となった。
「ふふ、それはそうでしょうな。それで、屋根と比べるといかがですかな?」
「あぁ……全然違うな。なんて言うか、街のほとんどを見渡すことができるな」
「えぇ、また、その中には、多くの人が生き続けております」
「そして、その人の数だけ生活、人生が存在する……か」
「えぇ、しっかりとその目に焼き付けておいてくだされ」
「もちろんだ、これだけの数の人生を背負っている公孫賛……俺は、俺なりに彼女を支える存在になりたいと思う」
「ふふ……なかなかに良き答えですな」
「趙雲も誰かを支えられるようになれるといいな……」
「そうですな……私も支えるべき者を早く決めるべきかもしれませんな」
「……まぁ、満足いく相手を見つけることだな」
 一刀がそう告げると趙雲が不思議そうな声で聞き返す。
「おや、お誘いにはならないのですか?」
「はは、まさか。第一、これは本人が決めるべきことだろ。違うか?」
「いえ、仰るとおりです……ふふ」
「まぁ、趙雲なら見つけられるさ」
「……意外と早く決まるやもしれません」
「そうか……」
(あの時は、俺のもとについていたがこの世界では誰につくのだろう? もしかしたら、まだ見ぬ英傑の元へ……)
 そんなことを考えていると趙雲が優しく微笑んだ。
「そのような顔をなさるな、別に私は消えませぬよ……」
「え?あ、いや……悪い。そうだよな、すぐってわけじゃないんだもんな」
 そこまで言われて一刀は自分がわずかに表情を曇らせていたことに気づく。どうやら、いつか来る趙雲との別れを寂しく思ってしまったのが顔に出たらしい。
「……ふふ」
「なんだよ、笑うこと無いだろ」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
「え?」
「おっと、これ以上は言うわけにはいきませんな」
「……わかったよ。無理には訊かないさ」
「時期が来れば、お話しますゆえそれまでお待ちくだされ」
「あぁ、期待しないで待ってるよ」
 その後も内心で考えてみたのだが、結局一刀には彼女が何に対し笑っていたのか答えを出すことは出来なかった。
 しばらく二人して街をじっと見つめ続けている内にときがすぎた。
 そして、街から視線を外したところで趙雲が一刀に語りかける。
「それで、街を見たいと仰った理由はそれだけですかな?」
「あっ、やっぱり気づいてた?」
「それは、もちろん」
「そっか……実は街を見て少しでも案を思いつきたかったんだ」
「それはまた何故ですかな?」
「いや、今日一日あちこち見せてもらっただろ。そのときに結構公孫賛を見かける確立が高かったなと思ってさ」
「ふむ、確かにそうですな」
「それはさ……きっと、公孫賛一人が軍事から内政までの管理をやってるからなんだと思うんだ」
 一刀自身、太守というものを務めたことがあった。そして、そのときの経験から気づいたことを述べる。
「太守ってのは、仲間がそれぞれ得意な分野で活躍してくれれば自ずとその分野に関してその仲間に頼るようになる」
 趙雲は口を挟まず沈黙を続けている。一刀の話を聞くことに専念しているのだろう。
「だけど、太守自身の能力が仲間より秀でている場合は最終的に太守頼りとなってしまう……そうなると太守に負担が集まることになる」
 そこまで言うと一刀は一呼吸入れる。
「それでさ。少なくともこの城を見た限り、公孫賛より秀でた人材というのは趙雲くらいだなと俺は思ったんだ。まぁ、あくまで今日一日の公孫賛の動きから予想したってだけなんだけどな」
 この日あちこち見て回っていた一刀は、軍事関連の場、内政関連の場などの重要な要所要所で公孫賛を見かけていた。
 そして、そのことから導き出した予測が今言ったとおりのことだった。一刀はその考えを言ってから一つ気になった。趙雲はどうとらえているのだろうか、と。
 そんな一刀の疑問を察したのか趙雲が口を開いた。
「ふむ、なかなか良い観察眼をお持ちのようですな」
「そうか? そんなにすごくはないと思うぞ」
「いえ、普通の者は通りかかっただけの場所をそこまでは見ていないものでしょう」
「いや、それはいたのが公孫賛だったから目に入っただけだよ」
「なるほど、北郷殿は女性にはすぐ目がいくとわけですか」
「まぁ、かわいかったり綺麗だったりしたら、つい――じゃなくて!」
「おや、違っておりますかな?」
「いや、確かにそれもあるんだよな――いやいや、そうじゃなくて、太守である公孫賛がいたからだよ!」
 乗せられそうになりながらも一刀はツッコミを入れる。
「まぁ、その二つであると……そういうことにしておきましょう」
「そういうことって……がくっ」
 最後まで意見を変えない趙雲に一刀は肩を落とした。
(だめだ。やっぱこの人にはかなわない……)
「まぁ、それらを見ただけでそこまでの結論に達することができたのですから北郷殿はそれなりに頭が切れるようですな」
「うーん、俺はそんなに頭良くないんだけどなぁ……」
 かつての"外史"でもまるっきり駄目だったと一刀は思う。いつも軍師や年上で経験豊かな女性に頼っていたのだからそれも仕方なかった。
「確かに、敵にした場合に脅威となるかは微妙なところでしょう」
 趙雲の評価に、あぁやっぱりな、という感想を一刀が抱くのに重なるように趙雲が言葉を付け加える。
「ただ、味方であれば思わぬ力になりうるだけのものはあると思いますぞ。まぁ、今私にわかるのは北郷殿の考える力に関してだけですが……」
「なるほどな……」
 趙雲の話を聞いた一刀は顎に手を添えて考える。
(考える力か……きっと、それは俺が元々この時代の人間じゃないからなのかもな)
 だから、この世界の人と考え方が違う。そして、他の人に見えないものが見えてくるのかもしれないと一刀は思う。
 実際、かつての"外史"ではそうだった。
「それで、未来の英傑殿よ。街を見ましたが、なにか案は思いつきましたかな?」
「案か……悪いけど、今すぐには思いつかないな。できれば後で言いたいんだけど……だめかな?」
「いえ、思いついたときでよろしいですよ」
「わかった。思いついたら報告させてもらうよ。ただ……」
「ただ?」
 まだ言葉を続けようとする一刀を趙雲が訝るように見つめる。
「公孫賛たちにそれを言うのなら俺の名前は出さないでくれないかな?」
「ふむ、なんとなくではありますがお考えはわかります。ですので、まぁよろしいですよ」
 そう答える趙雲の言葉にはどこか不満気な様子が伺えた。それに一刀が苦笑を浮かべていると、趙雲が質問を投げかけてくる。
「よろしいのですが、案の出所はいかがいたすべきですかな?」
「あぁ、それなんだけど。もしよかったら趙雲の案としてくれないか?」
「私の?」
「あぁ、趙雲が悪い案だと判断したら俺に突っ返してくれればいい。ただ、良い案だと思ったら、そのまま趙雲の手柄としてくれ」
「それで、よろしいので?」
「俺の考え、わかってるんだろ。なら訊くのは野暮ってもんじゃないか?」
「確かに……仰るとおりですな」
「まぁ、そういうわけで頼むよ」
「えぇ、その時には……」
「さて、俺もそろそろ自分のやることを考えたいし、自室に戻るよ」
「では、送っていきましょう」
「わざわざ、悪いな」
「いえ、では行きましょうか。北郷殿」
 そう言いながら趙雲は鐘桜の屋根から一刀を下ろすため彼の手を握った。
 一刀は、彼女の手をしっかりと握り返した。
 こうして、北郷一刀がこの国で過ごす新たな生活が本格的に始まるのだった。
200 名前:無じる真√N[sage] 投稿日:2009/03/02(月) 00:20:20 ID:WbJ0cfv00



 「無じる真√N」拠点01



「ふぅっ……」
 公孫賛は、筆を止めて一息ついた。現在彼女は自室にて政務を黙々とこなしていた。それこそ普段以上に集中して、である。
 それには理由があった、少し前に流星の落ちた場所で"奇妙な拾いもの"をしてからごたごたしていたため、本来の予定と実際にこなした仕事量とにずれが生じて、政務が少々たまってしまっていたからである。だが、それもようやく終わった。
 ふっと息を吐くと、公孫賛は今まで机の端に避けていた書簡の束を見る。
「とはいえ、まだこれだけあるんだよなぁ……」
 そう、今終わったのは遅れていた分。つまり、通常の予定にある分は未だ全然手が着いていない状態なのだ。もちろん、それにだって期限があるわけであり、疲れたからと言って手を抜くことなど出来はずもない。
 それ以前に彼女が手を抜けばそのつけが国へとまわることになるのだ。それを理解しているからこそ公孫賛ははじめからそんなことを思いもせずにただひたすらに政務の処理をこなしているのだ。
(しかし……まったくもって太守というのは、忙しいものだ)
 長いこと務めている役目であるが仕事量の多さには未だに慣れない。いや、感覚的な慣れはある。しかし、躰は慣れることなど無くいつも同様の疲れに襲われる。
「はぁ……一体どれだけの間政務を続けてるんだったかな……」
 ふと、そんなことが気になった。一刀に関する処置の決定を行った後、公孫賛はずっと自室に籠もりため込んでいた政務処理に追われていた。
(そういえば……あれから、あいつとはろくな会話すらしてないな……ってなにを考えてるんだ、私は! まったく……出会ってからたいして経ってないのに、なんであいつのことが……こんな……)
 そのまま公孫賛は考える最近この"北平"に来た少年のことを。どこか不思議な印象を与えているのにとっつきやすさも感じさせるその風貌と行動。
 それだけでなく、何故か多くの者を惹きつけつつもある。
(あいつは……本当に何者なんだろうか――――――)
 そのまま公孫賛は、より一層思考の深みへとはまっていく。
「――――はっ!? し、しまった! なにをしてるんだ私は!」
 ついついもの思いにふけってしまい、公孫賛は少々長めに筆を止めてしまっていた。おかげで政務が滞ってしまっている。
(あ、危なかった……意識が現実に戻ってよかった。こ、これ以上、政務を遅らせるわけにはいかないからな。というか、いつの間にか割と時間が経ってる……まずいな)
「まったく、これもあいつのせいだ……あいつの……」
 そして、再度公孫賛は自体を引き起こした原因である少年のことを想い、考えにふけっていく。
「はっ、いかん!
 またしても意識を別の方へ向けてしまい手を止めてしまう……。だめだだめだと思い公孫賛は頭を振って意識を切り替える。そうすることで一度頭の中を無に戻すのだ。
(これも、全部あいつが……)
 そう思いながら公孫賛はこうなり始めた元凶へと想いを馳せていく。

それは一刀が北平に来てから何日か経ったある日のことだった。
 公孫賛は玉座の間にて軍議を行っていた。そして、それも終わりへと向かっていたときのことである。
「さて、今回の報告と議題に関しては以上でいいか?」
 そう言いながら公孫賛は、軍議に参加している者たちの顔を順に視線で追っていく。
 誰しもが首を縦に振ったり口々に肯定の旨を伝えたりしている。中には、この軍議の中で趙雲によって提出された意見を賞賛するものも含まれていた。
 一度その話題が出ると、主に文官たちによって口々に褒め称えられていく。そして、十分収穫があったとして、臣下たちは終わりで構わないだろうと口を揃えて答えた。
「申し訳ありませぬが、報告したいことがありまして、よろしいですかな?」
 もうお開きという雰囲気の中、ただ一人――趙雲が挙手した。公孫賛ももう終わりでよいかと思っていただけに興味を引かれる。
「なんだ趙雲、言ってみろ」
「はっ、先程提出した案についてなのですが」
「ふむ、なんだ、なにか問題でも?」
「いえ、実はあの案は私のものではありませぬ」
 趙雲が真実を口にすると、臣下たちが騒然としだす。やれ、「一体何者が考えたのか」やら、「ぜひとも会ってみたいものだ」やら「あれほどの案を考えつくなど相当切れ者に違いない」などとどんどん感想を口に出していき盛り上がり始める。顔を見ればわかるが見所のある才を持つ者の存在を知って興奮しているようだ。
 そんなこんなであぁでもないうでもないとぺちゃくちゃと喋り続ける臣下たちを呆れた表情で眺めつつ公孫賛はため息を吐いた。
「まったく……」
 やれやれと言った様子で肩を竦めつつ公孫賛は深呼吸をする。そして、息を深く吸い込んだところで胆に力を込めて言葉を一気に口に出す。
「えぇい、静まれ!」
 臣下たちはその一喝によって躰を硬直させて公孫賛に謝辞すると、口も開かず、一切動かなくなった。それによって場が静かになったところで公孫賛は趙雲に問いかける。
「それで、趙雲にその案を授けたものとは何者だ?」
「はっ、その者というのは……」
 静寂に包まれる室内に、誰かが息を呑む音だけが聞こえた気がした。この場にいる全員が趙雲の言葉の続きを聞き逃すまいと集中している。
「北郷殿です」
「!?」
 趙雲が口にした名前に公孫賛の耳がぴくりと動く。薄々は可能性として考えてはいたが本当にそうだとは思わなかったのだ。
 そして、それは臣下たちも同じらしく全員が首を傾げたり口々に「一体どなたでしたかな」などと言ったりしている。
 その光景に公孫賛は呆れと腹立たしさがわき上がってくる。
(こいつら……散々非難めいたことやらあいつを貶すようなことを私に行ってきたくせに当の本人を忘れているのか?)
 臣下たちのあまりの様に公孫賛は情けなくなり、ため息を漏らす。
 そして同時に思う、一刀がそれだけの案を出したこと――もとい才を隠し持っていたことが意外だったと。
 公孫賛の持つ印象は、はっきり言ってあまりさえない人物というものだった。
(ま、まぁ……その……や、優しいところが取り柄なんだと思っていたが……)
 未だ混乱の渦から抜けれずにいる臣下たちを意識から除外しながら公孫賛がそんなことを考えていると、顔をにやつかせている趙雲が声を掛けてくる。
「おやおや、伯珪どのはおわかりのようですな」
「当たり前だろ、まったく。それで? お前らは本当に覚えていないのか?」
 趙雲に当たり前だろうと仕草で伝えると今度は臣下たちへと視線を注ぐ。誰も覚えてる者はおらず、ただ「申し訳ありません」などと言って頭を下げるだけだった。
(まぁ、一度か二度くらいしか会ったこと無いんだったな、こいつらは。まぁ……それなら覚えていろと言うのも酷な話か……)
 そんなことを思いながら趙雲に視線を向けると手で隠しているものの口元が緩んでいるのが見えた。
 そこでようやく、彼女がわざと遠回しに言っているのだと気がついた。はじめから伝えつもりがあったのならもっと"わかりやすい名称"があるはずなのだ。
(これは間違いないな……趙雲め、こいつらが困惑しているのを楽しんでるな。いや、この先のこいつらの反応も楽しむつもりだな)
 そこに考えが至り再度趙雲を見る。先程以上に口端が吊り上がっている。趙雲のその表情から目を逸らすと公孫賛は「まったく性格の悪いやつだ……」と内心で愚痴りながらため息を吐いた。
「おい、趙雲。もういい加減、こいつらにもわかるように教えてやれ」
「は。では、よりわかりやすいように別の名を申し上げることにしましょう。その者が持つ異名、それは……」
 趙雲の言葉に臣下たちのかぶりつくような視線が集まる。呆れている公孫賛を覗く誰しもが趙雲に注目している。
「"天の御遣い"……ですよ。ふふ」
「…………やっぱりか」
 公孫賛はそう口にせずにはいられなかった。何故なら、目の前で臣下たちが驚愕の声を上げているからである。
 素直に驚きを表す者や「あの男が?」と嫌疑的な者、「あのような案を思いつくとは……」と感心する者、「意外とやり手なのだろうか……」と再度一刀について考えようとする者など同じ驚くにしても様々な反応をしていた。
 そんな中で全員が行き着いたのは「ならば、何故それを自ら提案しなかったのか?」という疑問だった。
 そして、それについて臣下たちが首を捻っていると趙雲が肩を竦めながら口を開いた。
「わかりませぬか? なら、不肖この趙子龍が説明いたしましょう。その理由……それはこの場にいるあなた方にあるのですよ」
 その言葉に全員の表情が歪む。「何故、自分たちが?」と同時に口にすることから全員が同じことを思っているのが伺える。
 そして、あからさまに不愉快さを露わにしている臣下たちをちらりと見るだけ見て趙雲はその理由を告げていく。
「もし、彼の者が直接提案したら貴公らは素直に受け入れましたかな?」
 趙雲の指摘に、臣下たちが口ごもる。唯一出た言葉は「そ、それは……」程度だけで何も反論できずにいる。
 それはそうだろうと公孫賛も思う。実際に、一刀に関することで非難されたり、彼の誹謗中傷を聞かされたりなんてこともあったのだから趙雲の指摘は正しいのだ。
 そんなことを内心で考えて、公孫賛が一人密かに頷いていると、趙雲がやれやれと言った様子で口を開く。
「……でしょうな。そして、北郷殿の案をもし、伯珪殿が素直に受け入れてしまうことがあったとしたら反感を抱いたのではありませぬか?」
 その言葉を臣下たちは俯いたままただ黙って聞いている。趙雲の刺すような言葉が余程堪えているらしい。
 そんな様子を気に止める様子もなく趙雲は話を続けていく。
「そして……最悪の場合、将来において伯珪殿へふりかかる火の粉の火種となりうることもありましょう!」
 そう言って趙雲はその切れ長の目を一層鋭くして臣下たちを見つめる。
「あの御方は、そうなることを恐れ私に託したのですよ。しかも、その際に自分が考えたことは告げるな、いっそ、この趙雲の手柄としてくれればよいとまでおっしゃったのですよ。あの御方は……」
 その時のことを思い出したのか厳しい表情をしている趙雲の口元に笑みが蘇る。もちろんうつむき続けている臣下たちはそれに気づくこともなく沈黙し続けている。
「これで、あの御方がいかに伯珪殿のことをお考えかご理解いたしましたかな?」
 そう言うと、趙雲は不適な笑みを湛えた普段の表情へと戻る。その口元が必要以上に歪んでいるように見えるのは公孫賛の予想が当たっているのだろうか……それとも気のせいなのか、それはわからない。ただ、趙雲が愉快に感じているのは確かである。
 そんなことを考えている公孫賛と違い、臣下たちにはもう精神的な余裕が無いらしく先程までと比べ低い声色で「え、えぇ……」と趙雲の言葉に肯定の返事をしていた。
 公孫賛はむしろここからが気になった。趙雲の言葉をよく噛みしめつつ考え始めた部下たちが果たしてどのような答えを見せるのか、それはおそらく公孫賛の今までをも象徴することになるだろう。
(さて、私の元で働いてきたのならば答えは自ずと決まってくるとは思うが……これは見ものだな)
 臣下たちを興味深げに見つめる公孫賛。そして、しばらくそれが続いたところで臣下たちが顔を見合わせ何かを確認し合うような素振りを見せ、互いに頷き合っている
「……では」代表として一人がそう言うと臣下たちは口を一斉に開いた。
 そして、同じ答えが場に響き渡る。
「我々は、北郷殿を仲間と認めましょう!」
 その答えに乱れはない。誰一人として異なる意見を持つ者はいないのだ。そして、これで一刀は本当の意味で公孫賛軍の預かる身となるのだ。
(きっとこうなるとは思っていたが……やはり、そう答えてくれたか。私は良い部下を持ったのだろうな……ふふ)
 自分の望む答えを臣下たちが言ってくれた。それが嬉しくて公孫賛は顔を逸らしてわずかに頬を綻ばせた。
「ふむ、ようやく北郷殿に関してはご理解頂けたようですな。では、北郷殿の今後の扱いについては追々話し合っていくということで、よろしいですかな?」
 趙雲がそう訊ねると、臣下たちはそのとおりだと言うように頷いた。そして、今一度一刀に関して考えるべきだという言葉もちらほらと聞こえてくる。
 そういった話から話題は広がり、最終的に「北郷殿に対して謝るべきだろうか」という意見が飛び出し、臣下たちはそれに対してそうかもしれないと頷き会いだした。
 それを見つめながら公孫賛は、それはどうだろうな、と思った。なにしろ公孫賛が知る限り北郷一刀という人物の場合――。
「それは、あまり意味をなさないでしょうな」
 趙雲の告げたその言葉が公孫賛の考えを代弁していた。趙雲の真意がくみ取れず、臣下たちは不思議そうに首を傾げ口々に理由を聞かせてほしいと答える。
「あの御方は、貴行らがお疑いになることもやむなしと考えておられるのですよ。もしかしたらそれが正しいとすら思っているやもしれませんな」
 趙雲の説明に臣下たちはぽかんと口を開けたまま呆然としている。正直、公孫賛もまた開いた口が塞がらない気分ではあった。
 そんな反応を可笑しそうにしながら趙雲が口を開く。
「ふふ……ですので、おそらく貴公らが謝ったとしても、むしろあの方を困惑させるだけでしょうな」
 未だ呆気にとられたままの臣下たちに微笑を浮かべたままそう答える趙雲の瞳には"あの少年"の姿が映っている。公孫賛にはそう思えた。
 そこで、ふと、趙雲にとって一刀はどう見えているのかが気になったがその考えは臣下たちの声で掻き消された。
 我に返った趙雲が「どうすればよいのか」、「何も出来ないのだろうか」などと食らいつかんばかりに質問を投げかける。
 それに対して一層笑みを深めながら趙雲が口を開いた。
「なに、簡単なことです。あの方に対する見方を変えればよろしいのですよ」
 その様子にまたもや疑問を抱く臣下たち。そのどういうことか問いかけるような視線に趙雲が頷く。
「ですから、そうすれば……貴公らがなにをすべきかわかりますよ」
 それだけ口にすると、趙雲はもう言うことなどないと言わんばかりに臣下たちへ向けていた視線を公孫賛の方へ移した。
 それを切欠として、公孫賛は軍議の締めを行うことにした。
「よし! それじゃあ、本日の会議はこれで終わりとする。異論は?」
「ありません」と全員が答える。
 それに頷くと、公孫賛は号令を掛ける。
「うむ、では解散!」
 軍議の終了と共に臣下たちが玉座の間より退出していく。彼らはなにやら一刀のことについて話しているようだが、公孫賛にはその内容までは聞き取れなかった。
 そんな彼らの後ろ姿をいつもの笑みで見送り、最後に退室しようとする趙雲が部屋を出ようとしたところで立ち止まり、公孫賛の方を振り返る。
「そうそう、伯珪殿」
「ん、なんだ?」
「今回のことで、北郷殿が伯珪殿のことをどの程度想っておられるかおわかりいただけましたかな?」
 いつも以上に妖艶な笑みを浮かべながら趙雲が告げた言葉に、公孫賛は胸の鼓動が一際大きく打たれたのを感じた。
 そして、速く脈打つ心臓によって循環機能が増し、公孫賛の顔が熱くなっていく。
「なっ!? なななな……」
「ふふふ。では、私もこれにて失礼させていただくとしますぞ」
 趙雲は笑みを浮かべたままそう告げると、公孫賛が何か反論しようと口を開く前に退出していった。

 そこまで思い出したところで公孫賛は、自室であるにも関わらず叫ぶ。
「うあぁー!」
 公孫賛は顔を真っ赤にして机の上で身もだえる。むしろ、床を転がり回ってしまいたい程に恥ずかしい。
(はぁ、思い出すだけで顔が熱くなってくる。まったく、あいつがそこまで気をまわしてくれていたとはな……)
 当時と同じように速くなっている鼓動が収まるように深呼吸しつつ、一刀がしてくれたことに意識が向く。
「そういえば、まだ礼をいってなかったな……よし! そうだ、今日の分の仕事を早く片付けてあいつに会おう」
 そう決意すると、公孫賛は先程身もだえたときに投げ捨てた筆を拾い上げ政務へと戻っていく。
 不思議とそれ以降の仕事の効率は上がり、また公孫賛自身、普段以上に精力的にこなしていった。
 そうして、なんとか大半の仕事を済ますことが出来た公孫賛は、もうすっかり夕食時であることに気がついた。
「あれ? もうこんな時間か。気がつけば大分空腹だし……仕方ない仕事は中断して、なにか食べに行くかな」
 残りの仕事量を考えると寝る時間をわずかに遅らせれば十分だろう。そう判断し、公孫賛は部屋を出ていった。
 廊下を歩きながら公孫賛は先程考えていたことを思いだし、一刀を呼びに行くことに決めて彼の部屋へと足を向けた。
「ま、なんとか時間を開けられたんだ。北郷と夕食を取るくらいいいよな」
 誰にともなくそう問いかけ自分で頷いて答えると公孫賛はわずかに口元を緩める。
 公孫賛は、色んな可能性を想像する。
 部屋で大人しくしているのだろうか、それとも何か仕事を引き受けていて今もまだそれを続けているのだろうか、など気がつけば一刀のことだけを考えていた。
(もしかしたら誰かとすでに……あいつは、城内の者たちからも本格的に認められ始めてるからなぁ……何故かそうなったらなったであちこちぶらぶらするようになったし。しかも、趙雲も一緒のことが多いんだよな……)
 そして、新たな可能性が公孫賛の頭を過ぎる。もしかしたらもうすでに他の女と一緒にいるのではないか、その考えが公孫賛の中でぐるぐると回っている。
 気がつくと、一刀の部屋へと向かっている公孫賛の脚が速まっている。
(なんだろうなぁ……凄まじくムカムカしてきた)
 この感情は一体何なのか、そんな疑問より先にこのイライラをどうしてくれようかという考えの方が心を支配し始めたところで声がかけられる。
「あれ? 公孫賛じゃないか」
「あぁ、そうだが、何用だ!」
 あからさまなまでに不機嫌丸出しな様子と声で返事をしながら振り返るとそこにはずっと考えていた彼がいた。
「えっ? えっ? もしかして……俺なにかした!?」
「えっ!? ほ、ほぎょうお〜!」
 目の前で困惑を露わにしている一刀の顔を頭が認識した瞬間、公孫賛の心臓が爆発するのではというくらいに跳ね上がった。
 動揺する公孫賛を余所に、一刀は頬を掻きながら眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情で頭を下げる。
「えぇと、その……ごめん。自分じゃわからなかったけどなにかしたみたいだな。本当にごめん」
「うやっ!? え、いや、ちちちち、違うんだ、誤解なんだ」
 悲しげな瞳で見つめてくる一刀に公孫賛は何でもないと両手を振って答える。それを見て一刀の顔からわずかに悲しみが薄れる。
「そ、そうなのか?」
「あ、あぁ、ちょっと気が立ってただけだ」
「そ、そうか」
「あぁ……」
 なんだか互いに気まずくなり黙り込んでしまう。
(なんで私は、こいつに関することだと失態を起こしやすいかなぁ……私ってやつは)
 あまりの自らの間抜けさに公孫賛が頭を抱えて落ち込んでいると。
「だ、だったらさ、一緒に飯を食いに行かないか?」
「え?」
 思わぬ言葉、というより自分が言いたかったことを代わりに口にした一刀に素早く顔を上げる公孫賛。
「ほら、気が立ってるのはきっと腹が空いてるからだと思うんだよ。だからさ、もしよかったらなんだけど、これから一緒にどう?」
「あ……あぁ! 別に構わないぞ!」
 あまりの嬉しさに口元がにやけてしまうのではないかということだけが今の公孫賛の不安だった。そして、そんなこともどうでもいいほどにご機嫌だった。
 どこかほっとしたような顔をしている一刀が表情を和らげる。
「そうと決まれば、さっそく行こうぜ」
 そう言うやいなや、一刀はさっさと歩き出してしまう。その後を慌てて追いかけながら公孫賛は笑顔で文句を言ってやる。
「こら〜、一人でさっさと先に進むんじゃないー!」
「いや、もう腹が減っちゃってさ」
「はぁ……それじゃあ急いでいくか」
「おぅ! 行こうぜ!」
 そして、二人はすこし歩く速度を速めながら食堂へと向かうのだった。
 結局走ることにした二人は食堂へと辿り着き、すぐに注文を済ました。そして卓を挟むようにして料理を摘みながら会話に花を咲かせていた。
「いや〜さっきのは本当に驚いたよ」
「頼むから、忘れてくれ」
 一刀が先程の失態を思い出して頷きながらそう語るのを公孫賛は躰を縮こまらせながら制する。
(くぅ……はっきりいって嫌なところ見られたものだ)
 そう思い、膝の上においている手をきゅっと握りしめた。そして、今一刀がどんな表情をしているか気になり、顔はそのままにちらりと視線だけを向ける。
 一刀は、何故か頭を掻きながら苦笑を浮かべていた。
「いや、悪かった。公孫賛がそう言うならもう忘れることにするよ」
「あ、あぁ……ありがと」
 ぼそぼそと礼を言いつつ、公孫賛は内心でそういうやつだったなと目の前の少年を見つめた。そう、一刀というのは何気なく他人を気にかけるところがある。公孫賛はそれを共に過ごし、彼を観察し続けたことで近頃わかり始めていた。
(というか、観察していてわかったことって……そんなに北郷を目で追っていたのだろうか……私は?)
 そう思い、改めて記憶を辿る……確かに一刀の姿を追っているかのような視界の動きに覚えがあった。そんな記憶が出てくるにつれ、公孫賛は自分がわからなくなりそうだと思いつつ熱くなった頬を両手で押さえた。
「だけど、なんだか久しぶりに顔を見た気がするな」
「えっ?」
 赤くなっているであろう頬を隠すのに夢中だった公孫賛は一刀の言葉に驚いて、思わず両手を離してしまう。
「いや、たいして会えてなかったからな。ちょっと寂しかったんだよな……」
「っ!?……え、えぇと、いや、そのだな、わた――」
「はは……情けないよな。そこまで長い時間会えてなかったたわけじゃないのに寂しいなんてさ」
「そ、そそ、そんなこと、なぃ、無いぞ」
 わたわたとしながらも公孫賛はそう答える。そして、ついさっき遮られた言葉を今度こそ口にする。
「わ、私も……その……北郷に……会いたいと思ってたから」
 恥ずかしさのあまり、最後の方は小声になってしまった。
 まさか、一刀も会いたいと思っていてくれたなどと予想だにしていなかった公孫賛はもじもじとしてしまう。
(……いや、べ、別に嬉しいわけじゃ……いや、ちょっとは嬉しいが……あぁもう!)
 公孫賛が自問自答を頭の中で行っていると、一刀が口を開いた。
「ごめん、聞こえなかったんだけど」
「っ!?……な、なんでもない!」
「え、でも……」
「い、いいから気にするな!」
「そうか……ならいいけどさ」
 詮索されたくなくて思わず顔を逸らす公孫賛。その態度に首を傾げながら引き下がった一刀を横目に公孫賛はため息を吐いた。
(はぁ、さすがに二度も言えるわけないだろう……馬鹿)
 そう内心でごちるともう一度ため息を吐いて気持ちを切り替える。
「そ、それよりだ。実は北郷に話しておきたいことがあるんだが」
「話しておきたいこと?」
「あぁ、そうだ。最近、北郷が皆に認められ始めていることについてだ」
「それか、何故か急に話しかけてくれたり色々声をかけてくれたりするようになってきてるんだよな」
「うむ、そのことなんだよ。実はな、お前の立場向上に趙雲が関係してるんだ」
「え?」
 一刀は、目を見開いて見つめてくる。その様子を見ながら一つの事実をつきつける。
「お前、趙雲に自分の案を託しただろ」
「げっ、知ってたのか」
「なにせ、本人が言ってたからな」
「えぇっ! ほんとかよ! 口止めしといたのに……」
 一刀が宙を睨みつける。恐らくは趙雲の姿を思い浮かべているのだろう。
「ははっ、そのことも言ってたぞ」
「おいおい……全部かよ」
 自分の隠してほしかった内容だけでなく、そう言ったこと自体まで話されてしまったことに気が抜けてしまったのかがっくりと肩を落とした。
 その姿に苦笑しながらも大事なことを一刀に伝える。
「だが、そのおかげで認められるのが早まったんだぞ」
「そうか……なら、趙雲に礼を言っておかないとな」
 そう言うと一刀はうんうんと一人頷く。公孫賛は相変わらず馬鹿正直なやつだなと思いながらそれを見つめていたが、もう一つ伝えることがあったのを思い出した。
「それともう一つ、北郷自身は気づいてないようだからな注意させてもらう」
「え?」
 頷かせていた首を止めた一刀が公孫賛を見つめる。
「自分の手柄を趙雲に譲ろうとしてたようだが……それはあいつに失礼じゃないか?」
「失礼?」
「そうだ。あいつとて立派な武人の一人だ。何もしていないのに他人から手柄を譲られてあまり良く思わないだろ」
「っ!? そ、そうか……悪い、公孫賛。俺……」
 目を見開いた一刀は、椅子から立ち上がるとそう告げて公孫賛に頭を下げた。その様子に苦笑しつつ、公孫賛は口を開く。
「わかってるよ、早く謝りに行きたいって顔に書いてあるぞ」
「本当にすまない」
「いいって。それよりも速く行ったらどうだ?」
「あぁ! 行かせてもらうよ」
 公孫賛が手をひらひらと振ってさっさと行けと促すと、一刀は食堂の出入り口へ向かって走り出した。
 が、急に立ち止まると公孫賛の方を振り返る。
「おっと……公孫賛!」
「なんだ?」
 何をしてるんだか、公孫賛はそう思いつつ一刀を見やる。
「何から何まですまない。それと……ありがとう!」
「お、おい」
「今度、必ずお礼をするからー!」
 言いたいことだけ言うと、一刀は踵を返して駆けだした。その後ろ姿を見送りながらやれやれとため息を漏らした。
「まったく……って、お前らも見てるんじゃない!」
 いつの間にか、公孫賛の方を興味深そうに、それでいてにやにやと口元を緩めながら見ていた周囲の臣下たちに怒鳴りつけると、公孫賛は卓に肘を置くと頬杖を突いた。
「はぁ、結局一人になってしまったな……」
 だけど、今度は向こうから会う約束をしてくれたのだ。それで十分だし、よしとしようではないか。そう思い公孫賛はくすりと笑った。
 その後、公孫賛はいつか来る一刀の言う「お礼」に想いを馳せながら軽やかな足取りで自室へと戻っていった。
「どうやら、この後の仕事は、先程よりもはかどりそうだな……ふふ」

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