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286 名前:一壷酒 ◆1KOsYU0skY [sage] 投稿日:2012/12/12(水) 00:01:08 ID:T3bjGzPU0
こんばんは、一壷酒です。
玄朝秘史の第四部第二十九回『漢中決戦 その二』をお届けします。
うう、ぎりぎり12時まわってしまった……。
なんとか戦闘シーンも書けました。戦争で兵が入り乱れるシーンもこれから増えますなあ。むーん。

さて、次回ですが、年末に入りますので、少々予定を立てるのが難しくなっております。
来週には予定を明らかにしたいと思っております。

◇注意事項◇
・『真・恋姫†無双』魏ルートの後の話となります。
しかし、魏ルートの続きかと言われると違います。あくまで新しい物語とお考え下さい。
・ハーレムものです。
・魏軍以外の人物への呼び方・呼ばれ方は、原作になるべく近くしようとしていますが、知り合う
シチュエーション等が異なるため、原作中とは相違があります。
・史実とゲーム内情勢に関する独自解釈があります。
・アブノーマルな形でのセックスやそれに類する行為が出てくることもあります。
・題材の関係上、戦争や戦闘が関わってきます。それに伴い死の描写や、異なる時代背景の倫理に基づく
表現が出てきます。もちろん、これらは差別などを意図したものではなく、世界を表現するためのものです。

 以上の点に不快感、違和感、ひっかかりを覚えられる方はお読みにならないことを強くお勧めします。

・現状、玄朝秘史の掲載場所は私のサイトとこの外史まとめサイトのみです。投下告知を避難所にて行って
おります。それ以外の場所でのファイル配布などは行っておりません。

 UP板にて、メールアドレスを公開しています。ご意見ご感想等ありましたら、お気軽にどうぞ。

いつも通り、本編はtxtで専用UP板にアップしましたのでご覧ください。
URL → http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0744
※転載は不要です。(まとめサイトにまとめていただく時を除く)
287 名前:一壷酒 ◆1KOsYU0skY [sage] 投稿日:2012/12/12(水) 00:06:02 ID:T3bjGzPU0
追記:年末なので、ちょこっと間が開くかもしれませんが、
休みに入ればばりばり書けるはずなので、ちゃんと書きためたいと思ってます。
[省略]


玄朝秘史
 第四部第二十九回『漢中決戦 その二』



 1.来寇


 共に決戦を志向するといっても、蜀漢側と蓬莱側ではその姿勢に自ずと差異が生じる。
 自らが拠る地にある蜀漢はいざとなれば漢中城内に籠もる事も可能であり、補給にも事欠かない。
 一方で蓬莱はその補給線は極端に伸びてしまっている。荊州側からの漢水経路にしろ、漢中と関中を隔てる峻険な山地を越えてのものであろうと、物資を送るのは非常に難しい。
 ことに漢水沿いはこれまでの進軍で安全を確保できているが、たとえば長安から山地を抜けて漢中に補給を送るとなれば、その途上が安全とは限らない。
 いずれにせよ、蓬莱軍は長期戦を行うのは難しく、蜀漢軍はその消耗を待って戦を有利に導ける。
 それが兵法の道理というものであった。
 だが、そこに別の要素が加われば、当然、その状勢は変化する。
 それは、蓬莱軍が、待ち受ける蜀漢勢の前に姿を現す、少し前の事。
 四つの報せが、蜀漢の諜報網にかかり、最重要の優先度をつけられて、漢中の朱里と雛里の元に届けられた。
 三つは北方から、一つは南方から。
 一つは、かつての魏軍首脳部が、城と共に南下しているという報である。
 だが、そもそも世界にこれまで存在しなかった巨大建造物『移動宮』を説明できるだけの語彙を持っている者が、どこにいるだろうか。
 結果として、その報せから状況を掴むことは難しかった。ただし、魏軍中枢部が南下しつつあるということそのものは理解され、巨大な重圧として、蜀漢にのしかかった。
 一つは、涼州より移動する軍勢が確認されたという報せであり、もう一つは、幽州から南下した騎馬の一軍が西へとその方向を変えたという報せであった。
 この二つはその対象こそ違え、ほぼ同じような報告である。
 一つは白蓮が率いる白馬長史と烏桓の騎馬軍であり、もう一つは当然、翠が率いる涼州の騎馬勢。
 それらの勢力が揃って漢中を目指していることがはっきりとした。
 問題は、それらの勢力が掲げている旗であった。
「数日前までは、いずれも、己の旗……つまり、公孫と馬の旗だったそうなのですが……」
 一刀たちと対峙する、まさに前夜の軍議の場で、朱里は言いにくそうに口ごもる。
「別の旗を掲げ直した、と同様に報告にあります」
 雛里が同じように困った顔で続ける。それに対して、星がおかしそうに口元を袖で覆った。
「さっさと言ってしまうほうが良いと思いますがな。どうせ、もう皆予想はついておるのですから」
「丸に十字の北郷旗……だね」
 星が促すのになおも躊躇う軍師たちに代わってずばりと言ったのは、漢の大将軍、桃香である。彼女の言葉に、朱里と雛里はしゅんとした顔で頷いた。
「……北郷旗、か」
 ため息のような声を漏らしたのは、誰だったろう。
 いや、誰もが同じ気持ちだったかもしれない。
「白蓮ちゃんは蓬莱の領地を堂々と横切っているから、当然といえば当然かもね」
「いや、あれはあれでなかなか食わせ物。もし我らに協力するつもりなら、ぎりぎりまでとぼけて進んできたかもしれませんぞ」
 紫苑が苦笑と共に呟いた言葉に、星は、かつて客将として身を寄せていた人物の評を語る。だが、彼女は肩をすくめ、こう言った。
「……まあ、それも北郷旗を掲げたとなれば、ありえませぬが」
 策略となればとぼけることはできても、嘘をつくことはできない。それが白蓮という人物だとよく知るからこそ、星はそう言うしかなかった。
「はい……。残念ですが、もはや、涼州も幽州も敵に回ったと考えるしかありません」
 こくんと頷いて星に同意する朱里。その朱里に、鈴々が訊ねた。
「どれくらい時間があるのだ?」
「到達するまでということなら、六日……長くて十日というところでしょうか」
「十日かー」
 大軍が勝負を決するには心許ない時間であった。ましてや蓬莱側の消耗を待つには、あまりに短すぎる。
 逆に、十日をすぎてから新たな兵力として翠たちが乱入するのを許した場合、それだけで蜀漢軍は瓦解しかねない。
 それだけ、まとまった集団が新規投入させるというのは恐ろしい事なのだ。そして、そのことを知っている兵が多ければ多いほど、こちらの士気が落ちる。
「ただし、白蓮さんと翠さんが最初から連携していないのであれば、両軍が行き当たったところで、多少の混乱が生じます。道も狭いので、先を争うようなことがあれば……」
「とはいえ、そのあたりは期待しすぎても……」
 朱里の推測に対して雛里が警告するように言うのに、愛紗が頷く。
「五日の内に勝てねば、勝ちきるのは難しいな」
 桔梗や紫苑もその結論に頷いてみせる。五日のうちに、ということがこれで決まった。
「ところで、もう一つなにかあると言っていなかったか」
「はい。そうなのですが……」
 焔耶の問いに、雛里はかわいらしく小首を傾げ、難しい表情になる。
「これも、ちょっとわかりにくくて……」
「要領を得んのか?」
 桔梗が言うのに、雛里は近くに置いてあった竹簡を開きながら答える。
「はい、実は、報告を持ってきた者が、熱病に罹りまして……うわごとの中から聞き取ることしか……」
「なんと、それは……」
「南方帰りのため、念のために成都で隔離しているのですが、そのために余計に情報の精度が悪くなっているんです」
 竹簡には、そのうわごとが書き取られているらしいが、それを覗き込んだ紫苑は顔をしかめて肩をすくめた。
 そこにあったのは、正直、なにを言いたいかさっぱりわからない文章であった。
「美以ちゃんたちのことをなにか言ってきているらしい、というのはわかるんですが。なにをしようとしているのかは……わかりません」
「もう、調査に人を出してるんだよね?」
「はい。成都から人をやっていますが、そこから報告が上がるのはまだ……」
「では、ひとまずそちらは無視するしかないな。構うには時間も、余裕もない」
 愛紗が仕方ないというように結論づける。事実、それに構う余裕は無かった。明日には蓬莱軍の姿が目視できるはずだし、なにより、その後に続く華琳たちや、翠、白蓮の勢力を考えると、南方で何が起ころうと、後回しにせざるを得ない。
「そう、ですね……」
 雛里もまた、少々不安げになりながら、そう頷くほか無かった。


 さて、彼女たちが話題としていた南へと、目を向けてみよう。
 そこは深い森の中。
 普段は鳥やなにとも知れぬ獣の鳴き声でうるさいはずのその場所が、妙な静けさに満ちていた。
 なにか、息をひそめているかのような、張り詰めた静けさ。
 そして、突如、地響きが轟く。
 木々を揺らし、葉を揺らし、大地そのものを揺らし、その音は移動してくる。
 そうして、音が近づくと同時に、振動はさらに強くなる。
 振動は耐えがたいほどになり、鳥や動物たちはすでにその隠れ家を逃げ出している。
 逃げおくれた不幸な穴熊が一匹、尻尾を丸めて穴蔵のすみで震えていた。
 めきめきと木々をへし折り、信じられないほどに巨大な体がその姿を現わす。
 四つの足が硬い下生えをばりばりと割潰し、それでも邪魔になるものを、長い鼻が器用に持ち上げてどかす。
 そんな風にしながら、それは大きな耳をばたばたと揺らし、突進し続ける。
 その灰色の巨大な姿は──象。
 しかも一匹だけではない。次々と密林の中から姿を現わす象たちの列は途切れることがない。
「にゃはははーっ。すすめすすめなのにゃー」
 その背には、猫によく似た姿の少女たちが幾人ものっかっている。
「ミケ、トラ、シャム、行くのにゃー」
「おうにゃー」
 何人もの南蛮兵をのせた象たちは進む。
 密林に生える木々の実りを象の鼻がむしり取り、それを象と、それに乗る南蛮猫たちが分け合う。
 そうやって食べる間も止まらずに、彼らは行く。
 何百、いや、千を超すと思われるほどの象が、その背にちびっこたちを十人近くも乗せながら、走り続ける。
 その後ろを、みゃーみゃー言いながら追いかけるのは、象の背に乗るのと同じ姿形をした、南蛮兵たち。
 いつ果てるとも知れぬくらいに延々と、彼女たちの列は続いていた。
 走る者が疲れると、前を走る象の背に飛び乗り、這いのぼる。それを受けて、背に乗っていた者が下りて走り出す。
 そんなことを、彼女たちはずっと続けているのだ。
 彼女たちは進む。
 北へ、北へと。
 南蛮の領域を超え、森が切れても。
 成都の横を通り過ぎ、関所――彼女たちにはよくわからない邪魔なもの――をぶち破りながら。
 北へ、北へ。
 全ての争いに終止符を打つために。

 そして、この時、蜀漢側も蓬莱側も気づいていない事態が荊州で起こっている。
 数え役萬☆姉妹に傾倒し、蓬莱の帝のためにという旗印の下、幾万もの民衆が煽り立てられ、駆り立てられ、酔いしれながら、走り出した。
 その結果巻き起こされた玄武の大西進。

 漢中へ、漢中へ。
 あらゆる人々が、いま、漢中へ向かおうとしていた。


 2.飛将軍


 華雄隊と呂布隊の突撃に対し、蜀漢側は、相手の小勢に侮ることなく、張飛隊と趙雲隊の両者を動かした。
 率いる将の規格外れぶりを知っていれば、当然の措置であろう。
 元々先鋒部隊として待機していた両部隊は、突進を受け止めるだけならそれほど移動する必要はなかったが、あえて前進した。
 蓬莱軍本隊から飛来する矢の雨を躱すには、そのほうがよほどいいと悟っていたためである。
 彼らは、騎馬の蓬莱側とは比べものにならぬとはいえ駆け、そして、激突する。
 左翼で、蓬莱軍の衝突を受け止めたのは、星の部隊であった。
 彼らは馬の勢いにはね飛ばされる者も出しながら、その大半は踏みとどまり、馬上の敵と乱戦にもつれこんだ。
 この騎馬部隊を霞が率いていたならば、最初の衝突で最前列だけを削り取った後、向きを変え、旋回して再び突撃を行ったことだろう。それが騎馬の衝撃力を生かす最善の機動である。
 だが、その部隊を率いる将は、そうしなかった。
 なぜなら、彼女は呂奉先であったから。
「ね……」
 最初の突撃において方天画戟で斬り飛ばした敵の体の残骸を無造作に払い捨てながら、音々音の真名を呼ぼうとして、恋は途中で口を閉じた。
 いま、彼女の傍らに、これまで共に戦い続けてきた音々音の姿はない。
 恋自身が一刀の傍にいられない分、ねねは本陣で一刀の役に立つように、と置いてきたのであった。一刀、音々音、両者の安全を考えても、そのほうが良いに決まっている。
 寂しさを感じないわけではない。だが、それを戦場の高揚が覆い隠した。
 蜀勢の武将たちの強さは恋も良く知っている。彼女ですら本気の戦いをしたいと願う者が幾人もいるのだ。
 彼女はその高揚をまだその内に秘めたまま、命じた。
「旗を」
「はっ!」
 周囲の乱戦の中、恋の周囲だけは妙に静かである。最初の一振りが敵兵を吹き飛ばしてしまったから、と言うのは容易い。
 だが、その後も人馬入り乱れている中で彼女に近づく者がいないのは、やはり、彼女の発するなにがしかの圧力のためか。
 その静けさの中で、小さな声が響く。
「……蓬莱軍所属、親衛赤龍隊隊長、呂奉先」
 彼女は自らの名を名乗っているだけだ。
「……使命は、ご主人様を守ること」
 それなのに、近づく者はいない。
 それどころか、近くで戦っていた兵までが、動きを止め、彼女を注視し始めるのはなぜだろう。
「……だから、お前たちは、死ね」
 その言葉と共に、改めて掲げられるのは、紅の旗。
 血で染め上げられたと言われる、暗い赤を宿した旗に記された一文字は呂。
 即ち、深紅の呂旗。
「りょ、りょ、りょ、呂布だあああああっ!!」
 わかっていたはずである。
 遠目からも呂旗は見えたはずである。
 自らが突進を食い止める相手が、呂奉先であるということは、重々承知していたはずである。
 だが、それなのに、兵たちは、気づいていなかったかのように怖れ、戸惑った。
 それは、目の前にいる人間が、いかなる者であるかを、改めて知ったかのような振る舞いであった。
 そして、兵は、彼女から少しでも離れるために逃げ惑い始める。
「ちっ。居すくんでしまったか」
 少し離れたところで、兵を指揮しながら、恋のいる所へ近づこうとしていた星が、思わず舌打ちをする。
 こんなことになる前に一騎打ちに持ち込みたかったのだが、騎馬の衝撃を吸収させるのに手を取られて、一歩遅れてしまったようだ。
 まさか、自分の部隊が、これほどまでに恐慌に陥るとは思っていなかったという面も、否定は出来ない。
「恋が同じ軍にいた弊害が出た……ということか」
 一瞬、様々な対処を考えた星は、しかし、全ての方策を打ち棄てる。
 ただ一つの策を除いて。
「呂奉先!」
 よく通る声が、乱戦の音を、そして、逃げ惑う兵たちの声を凌いで、響いた。
「常山の昇り龍、趙子龍ぞここにある!」
 恐怖に襲われた兵たちが、はっとしたように彼女のほうを向いた。それでも既に遅く、背後から切りつけられる者も数多くいる。
 だが、この名乗りだけで、戦意を取り戻し、身を守ることを思いだした者もいたのは確かだ。
「我を怖れぬならば、疾く我と競わん!」
 そして、この挑戦の叫びが、周囲の動きを止めた。
 恋が手を振ると、蓬莱側の兵たちも、一歩馬を後退させる。星と恋の間に、誰も居ない空間が出来上がった。
「恋っ!」
 改めて真名を呼ぶ。これによって、周囲は完全に音を絶やした。声を発するのは、まだ死にきれず呻いている者たちだけだ。
「星……久しぶり」
 恋が方天画戟を手に歩み出ると、兵たちの列はさらに後退し、二人を中心に円陣が組み上がる。
 その様子を見て取ったのだろう。本陣側から趙雲隊を支援すべく動いていた一団も動きを止めたようだった。二人に対しての礼はもちろん、敵兵が動いていないところに兵を回す必要も無い。
 それよりも、一騎打ちが終わった後に、より有利となるよう兵を配しておくのが指揮官の務めだ。
 星はそんな戦場の左翼側の状況をちらと見て、安心したような声と共に、一歩踏み出した。
「少々つきあってもらおう!」
「……ん」
 構えられる龍牙と方天画戟。
 その特異な形状の武器に、両軍の兵がなんとも言えぬ息を吐いた。
 星の槍も、恋の画戟も。
 戦場で幾千、幾万の血を流し、武勲を立てている逸品である。
 そのまがまがしくも美しい武具に、兵たちは魅了されているようであった。
 そして、なによりも、それを構える二人の武者の立ち姿の、あまりの凄烈さに。
 恋は構えと言えるような構えはせずに、方天画戟を軽く握って。
 星は龍牙の二股の槍の穂先を地面すれすれに、両手で構える。
 ただそれだけなのに、兵たちはそこにとてつもない重圧を感じとった。まるで、周囲で空気が個体化したかのような息苦しさを、彼らは感じている。
「久しぶりの手合わせだが……これはこれは」
 そう呟く星の額に汗が噴き出る。兵たちとは比べものにならない程の圧力を、彼女は感じ取っていた。
「……ここは、戦場」
「はっ。そうだな」
 恋のほうも、普段とは口調が異なる。いや、声の質だろうか、と星は考える。
 熱く、重い声。
 飛将軍呂布の、本気の声。
 その声の中に、興奮に似たものを感じ取り、星は自らの中にも滾るものがあることをはっきりと自覚した。
 強敵とまみえることの歓喜と恐怖。
 相反しながら連動する感覚で胸を熱くしながら、星はじりじりとその穂先を持ち上げていく。半円を描き切ったところで止め、指をその軸に滑らせる。
 それだけの間に、彼女の脳裏では幾合も恋と打ち合っている。
 意識が動けば、体もわずかに動こうとする。その動きを読んで、相手はまた別の動きを取ろうとする。こちらはそのきっかけをつかみ、新たな動きにつなげようとし、相手は、それに対する牽制を行って……。
 そんなやりとりを、彼女たちは繰り返している。
 傍で見れば恋のほうがまるで動かず、星が構えを変えただけに見えるであろう。だが、打ち合いは既に始まっているのだ。
 ところで、星が持つのは二股の槍、恋が持つのは方天画戟――ただし、真桜が打ち直した改良版――である。
 方天画戟はなぎ払いと引っかけに適した刃を持つ。刺突にも向いているが、恋の持つものは、刃がより斬撃に向いているため、突くことに関しては弱いと言える。
 一方、槍は刺突のみと考えられがちだが、なぎ払いも有効であり、けして攻撃の幅が狭いわけではない。
 その中で、二人は相手に届く攻撃のため、幾千幾万の動きの中から、たった一つのものを選び取る。
 そして、ついに、二人の足が地を蹴った。


 3.華蝶


「はいっ、はいっ、はいはいはいぃっ!」
 星の鋭い呼気と共に、龍牙が走る。
 喉、両の肩口、みぞおち、丹田。流れるような動作で五箇所を突く。しかし、常人にはその動作はまるで見えないものだ。
 武人の中でも、それを何度かと見分けられる者がいても、果たして全て防ぎきれるかと言われれば、大半は難しいと答えるだろう。
 だが、一度の動作で同時に突かれたようなそんな突きを、恋は全て防いでいる。
 それどころか、龍牙の刺突を弾いた月牙――方天画戟についた横の刃――で、槍を巻き取るような動きさえ見せるほどだ。
 もちろんそれには乗らず、星は恋のかける力の方向をわずかにそらして、己の武器をしっかりと引き戻す。
 そこに、横殴りに方天画戟の一撃が飛んできた。かろうじて龍牙の柄で受け、その勢いに乗じる形で、星は後ろ向きに飛ぶ。
「十打って、三返される……か」
 互いに十歩ほど離れた場所で、二人は息を整える。さすがの恋でもこれまでの何十合かの打ち合いの中で息を乱しているのが、星にとっては小気味よく、かつ、ありがたかった。
 これで息も乱していないとなったら、さすがに化け物すぎて相手にする気が萎えてしまうかもしれない。
「だが、返される一撃一撃が、とんでもない」
 星の言葉通り、打ち込む数で言えば、星の方が勝る。それでも、受けている痛手では、どちらが多いかと言われれば、これはどちらとも言えない。
 膂力で恋が勝っていること、一撃の速度でもまた恋が勝っていること。
 この二つの要因によって、星が受ける一撃は、与える一撃に較べて強いものとなる。
「間ではこちら……。いや、どうだかな」
 恋が星を侮っているとは思わない。
 だが、まだ様子を見ている可能性はある。星の動きを読み切るまで守りきることも、恋ならば可能であろう。
 さらに言えば、今日一日で戦が終わるとも限らない。
 恋と華雄が初日の時間稼ぎを任されていることも、大いにあり得る。まして、翠や白蓮の存在を考慮すれば。
「やれやれ」
 彼女は肩をすくめた。白い着物に美しい糸の数々で彩られた羽が、ふわりと揺れた。
 その腕が、懐に入り込む。
「戦場でこれに頼ろうとは」
 恋が小首を傾げる。星が持ち出したものに見覚えがあるからだ。
「……ちょうちょ」
 美しい黄金の蝶を象った仮面。
 それは、蜀に現れるという正義の使者が身につけるはずのものであった。
 だが、星の手はその仮面を、自らの顔へと運ぶ。
「華蝶仮面、見参っ!」
 兵たちがどよめく。
 けっして明かされてはならぬはずの秘密が暴露された瞬間であった。
「いやああぁあああーーーっ!」
 先程までとは比べものにならぬほどの雷声で、華蝶仮面が飛翔する。
 その人物は、一介の武人にあらず。
 それが抱くのは、ただ一人の正義にあらず。
 そこにあるのは、この世の正義を体現する存在。
 早く、早く、ひたすらに早く。
 重く、重く、なによりも重く。
 単純が故に最短の距離を走る穂先は、恐ろしいほどに鋭い。
「はっ!」
 一息の間に、八連撃。
 急所だけではなく、その手に持つ方天画戟そのものへの攻撃も含めたそれを、恋は受け止めきれなかった。
 星が再び距離をとった後の空間に、赤い糸が、はらはらと舞い散った。
 それは、無敵と謳われる飛将軍の髪の数本。
 恋の手の一方が方天画戟から離れ、己の太腿を撫でる。そこに垂れる血を指で傷の周囲になすりつけるようにしてから、彼女の手は己の得物に戻った。
「……次はこっちから、行く」
 どん、と方天画戟の石突きが大地を打つ。それと同時に、恋が駆けた。
 大きく薙ぐ一撃を、華蝶仮面は上体を反らすだけで躱し、同時に蹴り上げた龍牙で、方天画戟を弾く。その勢いに逆らうことなく、恋は方天画戟を回転させ、石突きで、第二撃をお見舞いした。
 それもまた軽くよけようとした華蝶仮面の体が、なぜか引き寄せられるように前に出た。彼女は慌てて肘で体を守ろうとする。
「ぐっ」
 腕の上からでも、それは体に響いた。
「おやおや……」
 見つめる先で、恋が白い着物の袖を手放している。
 それ以上掴んでいれば、華蝶仮面にかえってひきこまれるとの判断であろう。だが、それ以前にいつの間に袖をつかみ取ったのか。
 そのまま、お互い動けば大打撃を与えかねない近距離で、二人は睨み合った。
「見えぬはずは……」
「……星なら、見えた」
「なに?」
 わけがわからぬ、というように仮面の奥の瞳が光る。
 恋は、ん、と一度唇を尖らせて続けた。
「見えないのは、ちょうちょの仮面……だから」
「なんだと?」
「いまは、ちょうちょに頼って……弱くなってる」
 それから、彼女は真剣な声でこう告げた。
「……早くて、重くても……それは、星の強さじゃない」
「そうであったか」
 すっと、恋が遠ざかる。華蝶仮面の追撃など考えもしていないような、軽い動きであった。おそらく、伝えるべきことは伝えたと考えたのだろう。
「はは。弱くなっている、か。なんともはや」
「……うん」
 数歩先で、方天画戟を構えなおす恋。その姿をじっと見つめて、華蝶仮面は己の仮面に手をかけた。
「ここは、趙子龍の正義を貫く場。いかに呂奉先相手であろうと、ものに頼っていてはだめか」
 仮面を外し、再び、その美しい顔貌が露わになる。見ようによっては実に幼くも見える、けれど、実に真っ直ぐな顔。
「行くぞ、恋」
 軽く、実に軽く構えて、彼女は息を吸う。
「我は無敵」
 深く、深く、彼女は入り込む。
 己の発した言葉を力と換えられる、精神の奥の奥。
 常はかかっている全ての枷を、外せるその奥へ。
 無敵である。彼女は無敵である。
 その思いを、真実へと変じさせる場所へ。
「我が槍は無双」
 肉体が、自動的に加減してしまうその力を、全て発するために。
 肉を痛め、骨をずらし、拳が砕けるほどの力を、己に発揮させるために。
 長く吸われた息が、彼女の体に火を入れる。
「これぞ趙子龍の一撃よっ!」
 常山の昇り龍、趙子龍の生涯において、最高、最強の一撃が、いま、放たれる。



(玄朝秘史 第四部第二十九回『漢中決戦 その二』終 /第四部第三十回に続く)

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