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422 名前:灰色服の男[] 投稿日:2012/03/11(日) 21:11:39 ID:GI5KIph20
どうも、灰色服の男です

珍しく丸々二日の時間が取れたのでさくっと書いてみました
説明くさいシーンが多いですがご勘弁下さい

時間があれば書けるんですよ、時間があれば……

http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0721



漢中にある流星屋の執務室で、一刀は目の前に置かれた書状をじっと見つめていた
正規のルートで入手した物ではないが、本物である事は間違いない
それに書かれた文面を幾度と無く読み返すが、内容が変化する訳も無い
ただただ気鬱になっていくだけだ

「おおよそは歴史通りって訳だ」

何処か忌々しげに呟くが、聞いている者はいない
常に傍らに控える音々音さえ遠ざけての思考の時間だ
椅子から立ち上がり、背後の棚から何かを取り出す
大分色褪せてきているが、それは『世界史』の資料集
一刀と共にこの世界へ飛ばされたバックの中に入っていた物である

「董卓による専横……か」

幾度と無く読み返したページを一瞥し、深く溜息を吐き出す
今の所、この世界の流れは『一刀の世界』の歴史と大差は無い
このまま進めば『反董卓連合』が結成され、その後は群雄割拠の時代に突入する

「でも……既に少しずつ歴史は変化している」

音々音――陳宮が呂布の配下でない時点で歴史は変化している筈だ
ここまでは歴史通りに来ているかも知れないが、この後は流石に分からない
歴史通りに流れるかもしれないし、全く異なる流れになるかもしれない
或いは『一刀の世界』の歴史をベースに僅かな変化で流れるかもしれない
要は全く分からないという事だ

「どうなるかな……」

歴史の修正力という言葉がある
それは歴史を変えようとする力に対して、歴史(時間)そのものが修正を加えようとする力の事だ
『親殺しのパラドックス』の回答の一つでもある
過去へと戻って親を殺そうとしても、結果としては親を殺せない
歴史は不変であるという考え方である
小説家半村良の『戦国自衛隊』がいい例だろう

これとは逆に歴史――というか世界は一つではないという考え方もある
それが『平行世界』という考え方である
これは何も机上の空論という訳ではない、立派に近代物理学の議論の的にもなっている
世界(歴史)は一つではなく、微妙に異なった世界がそれこそ無数に存在すると言う理論だ
これも『親殺しのパラドックス』の回答の一つである
例え過去へ戻って親を殺したとしても、自分の世界の歴史にはなんの関係もない
俗に言う架空戦記小説の多くがこの前提を取っている事が多い

果たしてどちらが正しいのかは不明だ
そもそも一刀にはこういった知識もあやふやな形でしか知らない
だが、例えどうあってもやらねばならない事くらいは十分に理解しているつもりだ

「月と詠を、助け出す」

そう決意を口にして、再び書状に目をやる
袁紹による反董卓連合結成の呼びかけ、その文面を燃えるような目で見つめた



異説恋姫・06
謀略の脚本(シナリオ)




ここの所、一刀は忙しい日々が続いている
その理由としては、商工連合の議長に就任してしまった事だろう
今まで議長を勤めてきた『長老』が老齢から病を患い、議長職を辞したのは二月ほど前
次代の議長を誰にするか一時紛糾したが、一刀を推す声が非常に多かった
商工連合や漢中総督府の生みの親であり大陸随一の豪商、そしてかなりの知恵者
他に適任者がいなかった事もあり、商工連合としては一刀に就任を依頼したのだ
一度は断った一刀だったが、何度も懇願されては断れなくなる
元々の人のよさも合わさって、遂には議長への就任を承諾する事となった訳だ

「けどまぁ、そのお陰で出来る事もあるし」
「何か申されましたか、一刀殿」

音々音が不思議そうな顔でこちらを覗きこんでくる
何でもないよ、と手を振ると音々音は手にしていた竹簡を差し出してきた

「人民公社による開墾作業は順調なのです、この分ならば今年の収穫量は大分期待出来るのです」
「そか、良かった」

竹簡に記された数字を目で追いながら、一刀の顔に笑みが浮かぶ
音々音が言う人民公社とは、今で言う屯田制度を行う漢中総督府の一機関の事だ
モデルになったのは、『一刀の世界』で中国に実在した、その名も人民公社である
総督府が買い上げた土地に、流民や棄民を住まわせて農作業に従事させる
ある程度の給金が支給され、収穫期には収穫に応じた量の税を納めるシステムだ
収穫量が多ければ税率も高くなるが、収めた分の残りは自分の物に出来る
頑張ればその分、収入が増えるだけあって、従事する者達は必死になっている
今や、漢中周辺は大規模な穀倉地帯へと変化しつつあった

「まぁ、いずれは完全自由農業制にしなきゃいけないだろうけど……今はこれで十分だな」

これも『世界史』の資料集から得たアイデアだが、今の所は上手くいっている
実はこの手法は、ほんの数年後に『一刀の世界』の曹操が行う屯田制度とほぼ同じ物だ
ただ、一刀が実際の参考としたのは日本の屯田兵と、中国の人民公社の二つ
曹操がそういった屯田制度を行っていた事は、知らなかったのである

「そういえば、ねね。例の件はどうなったかな?」
「各地に投下した資金がモノを言っているようなのです、文句は出ないと思いますぞ」

その答えを聞いた一刀の顔に、先程とは違う意味の笑みが浮かぶ
半年前から大陸各地の諸侯に便宜を図ってきた甲斐があるというものだ
これで一刀と音々音が頭を悩ませて練り上げた計略を発動させる事が出来る
後は、その計略が事前の予測通りに上手くいくかどうかにかかっている

「上手くいくさ……なぁ、ねね」
「はいなのです」

自信に満ちた、軍師の笑みを浮かべる音々音に、一刀は頼もしげな表情を見せた




この時期、漢王朝の財政状況はお世辞にも褒められた物ではなかった
税収は滞り、横領が蔓延り、上層部は腐敗していた
この状態ではまともな政治を行うなど到底不可能だ
一部の良識ある者達は何とか再建を図っていたが、それは余りにも微力だった
遂には各地の有力諸侯を頼って洛陽から落ち延びる始末だ
これでは政治的腐敗は更に加速する一方で、既に歯止めの聞かない状況に陥りつつあった

それに拍車をかけたのが霊帝の死去後に起きた後継者争いだ
宦官の筆頭・張譲と大将軍・何進との間で起きたこの政治的内紛は、漢王朝の更なる衰退を招いた
結果だけ言えば何進は殺され、旧何進派に洛陽を追われた張譲は、新たな後ろ盾を得て戻ってきた
それが天水太守・董卓、つまり月である
もっとも、月としては衰退著しくも漢王朝の為に、少帝及び陳留王を保護する考えだった
だが、少帝及び陳留王は張譲に言い包められ、結果として張譲の後ろ盾として洛陽に入る事になってしまったのだ

しかし、ここでもまた予想外の出来事が起きる
洛陽入りした張譲だが、ほんの数日で殺されてしまう
これを実行したのは旧何進派の武官であったと言われる
曖昧なのは、張譲を殺した直後に彼もまた警護の兵に殺されてしまったからだ
血生臭い事が続いたが、これで月も漸く開放されるかと思っていた
しかし、運命のサイコロは更におかしな出目を出していく事になる

今度は漢王朝そのものが月達を利用しようと動き出したのだ
自分達の政治的不手際を全て月達に背負わせ、悪逆非道の董卓という虚像を作り上げた
自分達は被害者であり全ての悪事は董卓に起因する――そういった噂を流布し始めたのだ
この策謀の中心となったのは主に宦官・十常侍である
王朝には反十常侍派もいたが、彼らとて自分達に火の粉がかかるのは遠慮願いたい
保身を図るという意味で、両者は消極的協力関係を築いていたとも言えよう
その結果、稀代の暴君・董卓という虚像だけが暴走を始めた

これに『乗った』のが、袁本初(袁紹)である
名族出身の彼女は、この機会を利用して自身の名を上げる事を目論んでいた
実際に董卓が悪逆非道の暴君であるかどうかはどうでもいい
ただ悪名高く、漢王朝を乗っ取ったと噂の董卓を討てば、名声を得られるのは事実だ
その為、漢王朝の流した董卓の噂を虚像と薄々知りながら、弾劾する書状を各地へとばら撒いた
後の世に言う、『反董卓連合』の結成を呼びかけたのである



「皆さん、よく集まりましたわ。これだけ集まれば、悪逆董卓を討つ事など容易い事ですわね」

如何にも自分は名族です、といった雰囲気を纏わせた少女が高笑いをしながら口を開いた
ここは反董卓連合(以下連合)の駐屯地に張られた天幕の中である
駐屯地とは言うが、集まった諸侯全てがこの地に駐屯している訳ではない
少し離れた地に駐屯している軍勢も多く、この場には司令官級だけ来ている所もある
それは兎に角、今、ここには連合の全ての将が集まっていると言って良かった

「ねぇ、ちょっといいかしら、麗羽?」
「何ですの、華琳さん」

話の腰を折られたのが不満なのか、やや湿度の高い視線を向ける袁紹
その視線の先では、小柄ながら才気煥発とした少女が悪びれるでもなく座っていた
彼女こそ曹孟徳、つまりは英雄・曹操である
徹底した実力主義者にして万能の天才、乱世の奸雄と恐れられた三国志時代の主人公の一人
少なくとも『一刀の世界』ではそう呼ばれる存在だが、この世界でも大きな違いはなさそうだ

「気になる事があるんだけど」
「何ですの、早くおっしゃって下さいな」
「何で、商人がいるのかしら?」

そう言って、曹操は視線を投げかける
その先には居並ぶ諸侯とはまるで異なる雰囲気を醸し出す人物がいた
言わずもがな漢中の豪商、流星屋・北郷一刀である
確かに商人が、言わば軍事同盟の中にいるのは違和感がある
それは他の諸侯も感じていたらしく、先程からちらちらと横目で一刀を見る者も多い
だが、一刀本人はそんな雰囲気など何処吹く風、と言わんばかりに涼しい顔をしている

「あら、言っていませんでした?」
「何をよ」
「北郷さんは、連合の補給を請け負ってくれましたのよ」

その言葉に、曹操は軽く驚いた様子で一刀に顔を向ける
ここは口を開くべきかと思ったのか、一刀はゆっくりと立ち上がった

「どうも、ご紹介に預かりました流星屋・北郷一刀です」

軽く自己紹介をするが、実はここの諸侯は一刀の事を知っている者の方が多い
流星屋の名は広く大陸に広まっているし、その世話になっている者も多い
諸侯の中には金を借りている者もいるし、弱みを握られている者もいる
だからこそ、一刀がここにやって来た理由を半ば緊張しながら考えていた訳だ

「この連合の兵站線に関しては私ども、漢中総督府が担当させて頂く事になりました」
「それは、兵糧や馬や武具に関しても?」
「全てです」
「……補給部隊の警護は?」
「ウチの護衛総隊が勤めます。皆様方には戦に集中して頂ければ」
「そこまでする理由は?」
「皆様と同じように、義憤に駆られまして」

曹操の質問にも人の良さそうな笑顔を浮かべながら答えていく一刀
だが、その笑顔の裏では冷や汗が流れていた
何せ相手はあの曹操だ、緊張するなという方が無理だろう
ここで万が一にも疑惑を持たれたら全てが水泡に帰してしまう
そういった意味ではここは一刀にとって戦場に等しかった

「ふぅん……一つだけ聞くわ」
「何でしょうか」
「耐えられるの?」
「例え、この戦が三年続いても問題ありません」

心の奥さえも見透かしそうな曹操の視線を受けながら、一刀ははっきりと答えた
これは嘘ではない
実際にそれだけの補給体制を流星屋及び漢中総督府は備えているし、行う事も出来る
ただ、本当に三年もこの連合体制を維持していれば先に根を上げるのは諸侯の方だろう
この時代の軍事作戦というのはそれだけ国力を大きく削ぐ事なのだ
それだけに、面倒な補給全般を一刀が請け負ってくれるのは、正直有り難い事の筈だ
内心の動揺を抑えながらも笑顔を絶やさない一刀に、曹操はふぅんと小さく頷いて見せた

「まぁ、いいわ。頑張って頂戴」
「はい、有難う御座います」

曹操とて流星屋と、その背後に控える漢中総督府の持つ経済力は理解している
だからこそ袁紹が言った一刀への兵站の全面委任に納得したのだろう

(何とか成ったか……)

冷や汗三斗の心持だが、それを顔には出さない
商売人の意地で笑顔を貫き通した一刀は、小さく、誰にも気付かれないように息を吐いた



軽い宴が始まった天幕を辞して、一刀は自分の天幕へと帰る途中だった
今回は連合軍の駐屯地のど真ん中という事もあり、護衛を引き連れてはいない
だからだろうか、すっと自分に近付いて来る人影も簡単に見つける事が出来た

「久しぶり、星」
「相変わらずですな、北郷殿」

どこか猫のような笑みを浮かべて近付いて来たのは星だった
今は公孫賛の客将としてこの連合軍に参加している
相変わらずの様子に、一刀の顔も少なからず綻ぶ

「そんなに変わってないかな、俺」
「いやいや、商売人としてです」

星は先程の一刀の言葉の幾つかが真っ赤な嘘である事を見抜いている
短い間だったが一緒に仕事した間柄だ、人となりは理解しているつもりだ
それでなくとも星は物事の裏を読む力に長けている、誤魔化しは効かないようだった

「で、如何ほど吹っ掛けたのです?」
「相場の三倍。輸送や護衛の経費は別料金でね」
「ふむ、そして請求書は……」
「漢王朝と袁家に、ね」

始めに請求書を出した時の顔良の驚いた顔が今でも忘れられない
もっとも、よく見もせずに許可の印を押した袁紹に対してはもっとすごい顔で見ていたが
生まれついての金持ちというのは金銭感覚がおかしくて助かる、とは一刀の弁だ

「悪い顔をしているぞ、北郷殿」
「失礼だな、これでも良心的な価格設定のつもりなんだが」

お互いに、にやにやとしながら歩を進める
今回の一刀は流星屋主人というより、漢中総督府代表としてここに来ている
そして総督府の駐屯地と公孫賛の駐屯地は比較的近い位置にあった
並んで歩く二人だったが、やがて星が表情を改めた

「で、本当の所はどうなのですかな」
「さっきの答えじゃ不満かな?」
「商売人としてはそうでしょうが、別の答えもあるのでしょう?」
「さて、ね」

曖昧に濁す一刀だったが、これは言外に星の言葉を認めているに等しかった
あくまでも口を割らない一刀の横顔を、星は少しだけ見つめていたが、やがて頷いた

「まぁ、よいでしょう。北郷殿を信じるとしましょうか」
「ありがとう」

素直な感謝の言葉を向けられて、星が面映そうに微笑む
そのまま暫く歩いて、双方の陣の篝火が見えてきた所で、一刀が口を開いた

「そういえば明日、ちょっと面白い事をする予定なんだ」
「ふむ、何ですかな」
「まぁ……新商品のお披露目式みたいなもんだよ、楽しみにしてるといい」

子供のように目を輝かせる一刀は、そのまま夜空を見上げた
大気汚染も人工の光もない原野の夜は、満点の星空だ
元いた世界では中々見られない星空に、一刀は大きく深呼吸をした




ほぼ同時刻、場所は洛陽
月達の駐留する屋敷は周囲に篝火が焚かれ、静かに佇んでいた
既に自分達が暴君の濡れ衣を着せられている事は知っていたが、どうする事も出来ない
漢王朝、それに大陸の殆どが月達の虚像を信じている以上、反論しても信じては貰えない
それにもしも洛陽から脱出したとしても問題の解決にはならない
地元天水に戻れば、今度は連合軍が天水まで追ってくる可能性もある
そうなれば今度は天水の民に迷惑が掛かってしまう
それを月は殊更恐れた、だからこそ今も洛陽に駐屯を続けている訳だ

「もっとも、連合軍としては洛陽を解放すれば納得すると思うのです」
「ボクもそう思うけど、万が一を考えるとね」

屋敷の奥まった一室で、会話を交わしているのは詠と音々音だった
数日前に数名の護衛に護られながら洛陽に入った音々音は、洛陽支店で行動を開始していた
表向きは連合軍向けの補給物資にかかる経費の請求だ
ついでに今まで金を貸し付けていた宦官や官軍の将への取り立ても行っている
遅かれ早かれ漢王朝が崩壊する事は目に見えている
だったら今の内に回収できる分はしておこうという算段だ
もっとも、表があれば裏もあるのは何処の世界でも同じ事

「それで、こっちとしては出来るだけ苦戦しているように見せればいいのね?」
「はいです。そして時機が来次第、例の手筈で」

音々音が洛陽入りした裏の目的は、月達との繋ぎをつけるという所にあった
周囲を官軍に監視されてはいるが、商人ならば比較的自由に屋敷へと出入りできる
最悪の場合は金で買収するという策もあったが、それは使わずに済んだ

「そう言えば、ねねはウチの軍師を希望してたそうじゃない」
「最初はそうでしたが、今思えば一刀殿に会う為に天水へ行ったようなものです」
「惜しい事をしたわ……ねねくらいの軍師がいれば、恋も指揮官として出せたのに……」

本気で残念そうな顔で詠が呟く
詠の話に出てきた恋とは呂奉先、天下に知られた飛将軍・呂布の事である
天下無双として世に名高い呂布であるが、軍の指揮官としては正直疑問が残る部分がある
有能な軍師がいれば話は別かもしれなかったが、いないものは仕方がない
現在、呂布は月の親衛隊長として、この屋敷の一角で過ごしている

「恋殿を支える軍師、ですか……」

ふと、その様子を想像してみる
天下に名高い呂布の片腕として彼女を支える軍師・陳宮
何となく想像は出来るが、今の音々音にとって、それは現実感の薄いものだった

「やっぱり……ねねには一刀殿の補佐官をしてる姿の方がしっくりくるのです」
「ま、それもそうよね……」

何処か申し訳なさそうに言う音々音に、詠も同意するように頷く
有り得たかも知れない未来を考えるのもいいが、今はそれよりも大切な事がある

「ところで、月殿は……」
「部屋に……大丈夫、ボクも恋も付いてるわ」
「ねねと一刀殿の策もありますぞ」

お互いに信じる者の為に動く事を苦とも思わない者同士、二人の顔に笑みが浮かぶ
一刀と音々音が組み上げた、月達を助け出す為の策は静かに動き出そうとしていた




翌日、連合軍駐屯地ではちょっとした騒ぎになっていた
理由は――昨夜、一刀が星に言った『面白い事』が行われていたからだ

「今、皆さんの目の前に展開していますのは、我が護衛総隊の精鋭、『黒母衣衆』です」

妙に自信に満ちた表情で説明をする一刀の声を聞きながら、諸侯は目の前の光景に見入る
この黒母衣衆は言わば護衛総隊唯一の『攻める為』の特殊部隊である
全員が黒い外套(マント)と黒い面頬で揃えたその姿は、一種異様に見える
だが更に奇妙なのは、その黒母衣衆全員が構えている筒状の道具であった

「ご覧の通り、的は彼等より遠く離れた場所に設置しております」

確かに人型を模した標的は黒母衣衆よりもやや離れた箇所に設置されている
現在の距離で約100m程か、因みにこの時代の弓の適正射程もこの位である

「では実践に移りたいと思います」

一刀が目配せをすると、黒母衣衆の指揮官が配下に対して何事かを命じる
すると隊員達は筒状の道具の中に、黒い粉と鉛の塊を入れて、押し棒で押し固める
そして道具の機巧に火縄を差し込むと、一様に同じ構えを取る
全員が同じような体勢をとった事を確認すると、指揮官が大きく息を吸い込んだ

「撃ぇ!!」

一瞬の沈黙の後、指揮官の裂帛の叫びが周囲に響く
その次の瞬間には、今まで諸侯が聞いた事も無い轟音が響き、僅かに視界が遮られた
黒い粉、『黒色火薬』は火縄の火種によって爆発、6匁(約23g)の鉛の玉を猛烈な勢いで撃ちだした
強力な運動エネルギーを与えられた弾丸は、(人の目には)瞬時に人型標的に命中した
標的は一般的な鎧を着せられていたが、弾丸は軽々とそれらを貫き、勢いあまって標的達を薙ぎ倒した
後には黒色火薬独特の黒煙と硝煙の匂いが立ち込める中、誰もが唖然としていた

「如何ですか、これが我々の開発した新型兵器、名は『火縄銃』と申します」

全て想定通りの結果に満足そうな笑みを浮かべた一刀が口を開くと、一斉に諸侯の目が一刀に向けられた
これこそが、流星屋が極秘裏に開発と生産を行ってきた秘密兵器だ
当然ながらこれも一刀の知識と、『日本史』の資料を基に作り出した物である

だが、その開発には長い時間が必要だった
実は火縄銃そのものは比較的容易に製造する事が可能だった、苦労したのは火縄の機巧ぐらいである
それよりも問題だったのは、使用する黒色火薬の生成だ
黒色火薬に必要なのは主に木炭・硫黄・硝酸カリウムの三つ、これらを混ぜ合わせて生成する
だが、混合する割合や手順までは、『日本史』の資料にも流石に記載されてはいない
幸いな事に、大陸南部で天然の硝石が採掘出来る事は分かっていた
その為に硝石を大量に購入、人と時間と資金を割いて何度と無く実験を繰り返した
その結果が、今のデモンストレーションである
正に一刀の知識と職人達の技術の結晶と言えよう

「この新兵器がある限り、皆様の兵站路は確実に護りますので、ご安心下さい」

実はこのデモンストレーション、表向きは護衛総隊の戦力を不安視する声に応じてのものである
兵站路が脅かされては、戦闘に集中出来ないと言うのは其の通りだ
その不安を払拭する為にこのデモンストレーションを行ったのだが、やはりこれにも裏がある

「では、皆様、有難うございました」
「な、なぁ、北郷殿」

去ろうとする一刀に、公孫賛が躊躇いがちに声をかける
そら来た、と内心で舌を出す一刀だが、それを顔に出すような真似はしない
さして興味のなさそうな顔で、公孫賛の方を振り向く

「何か、公孫賛殿?」
「その……火縄銃か?それは、どの位で売ってくれるんだ?」

それは誰もが聞きたかった事だ
事前の説明で、火縄銃の利点は一刀から聞いている
それは『誰が扱っても同じような威力が期待出来る』という点だ
勿論、命中率などは慣れた人間と比べれば差は出るだろうが、問題はそれよりも威力である
弓矢などは経験の差が威力にも現れようが、火縄銃はそんな事は無い
誰が撃っても同じ威力で弾丸は飛んで行き、敵を打ち倒す
湿気に弱かったり、轟音が出たりといった弱点はあるが、それを差し引いても魅力は十分だ
極論を言えば、その辺にいる農民でも使用法さえ覚えれば兵士として使える訳なのだから

「申し訳ありませんが、実は暫く売りに出す予定は無いんですよ」
「どうしてですの?」

申し訳なさそうにそう言うと、今度は袁紹が口を開いた
これだけの新兵器、商売人である一刀が売り出さない訳が無い筈だ
間違いなく、引く手数多である筈なのに

「誰とは申し上げられませんが……買い手が付いていまして」
「全部という訳?」
「えぇ、生産した全量と――今後の生産分のかなりの量を」

曹操からの質問にも、一刀は笑顔で答える
その答えに、一刀を取り巻いていた諸侯からざわめきの声が漏れる
一瞬にして騒々しくなった周囲の状況に、一刀は内心で笑い声を上げていた



「雛里ちゃん、どう思う?」
「どう……って、朱里ちゃん?」
「流星屋さんが言ってた事、本当だと思う?」
「私は本当だと思うけど……嘘かも知れないって事?」
「可能性、だけど……」


「或いは嘘という事ですか、華琳様」
「そうね……理由は分かるかしら、桂花?」
「値を吊り上げる為、でしょうか」
「誰もが欲しがる品ならば、多少高くてもいい……それは確かにあるかも知れないわね」


「だがな、本当に買い手がいるだけかも知れんぞ、雪蓮」
「そうよねぇ……生憎とあの武器がどうやって製造されてるかも知らない訳だし」
「お前の感はどう言ってる?」
「そうねぇ……今の所、どっちでもない、かな」
「曖昧だな」
「生憎と未知の道具相手じゃこんなもんよ、冥琳」


各国の軍師や主君がそう噂しているを知ってか知らずか、一刀は我関せずという顔で笑みを浮かべている
この段階で既に策の一つは完成しているのだから、笑みも浮かぶ
一体誰が、火縄銃を大量に購入しようとしているのか、それは連合軍内部の誰かなのか
口にこそ出さないが、そういった空気が静かに、だが確実に周囲に流れ始めている
こうやって連合軍内部に不信と疑惑の種を植え付ける事
それこそが、一刀と音々音の策略の第一段階であった

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