こんにちは。一壷酒です。玄朝秘史、第四部第十三回『北郷一刀』をお送りします。
さて、今回はとても短いです。おそらく、読んだらびっくりするくらい短いですw
さすがにおまけもつけてますが、それだけでもあれなので、第十四回をすぐに投下する予定です。
そんなわけで第十四回は早ければ明日の日曜日(12日)、遅くとも月曜夜(13日)投下となります。
◇注意事項◇
・『真・恋姫†無双』魏ルートの後の話となります。
しかし、魏ルートの続きかと言われると違います。あくまで新しい物語とお考え下さい。
・ハーレムものです。
・魏軍以外の人物への呼び方・呼ばれ方は、原作になるべく近くしようとしていますが、知り合う
シチュエーション等が異なるため、原作中とは相違があります。
・史実とゲーム内情勢に関する独自解釈があります。
・アブノーマルな形でのセックスやそれに類する行為が出てくることもあります。
・題材の関係上、戦争や戦闘が関わってきます。それに伴い死の描写や、異なる時代背景の倫理に基づく
表現が出てきます。もちろん、これらは差別などを意図したものではなく、世界を表現するためのものです。
以上の点に不快感、違和感、ひっかかりを覚えられる方はお読みにならないことを強くお勧めします。
・サイトに関連地図のページをつくりました。参考になるかもしれません。
・現状、玄朝秘史の掲載場所は私のサイトとこの外史まとめサイトのみです。投下告知を避難所にて行って
おります。それ以外の場所でのファイル配布などは行っておりません。
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玄朝秘史
第四部第十三回『北郷一刀』
1.登極
その日、少女は唯一の同胞(はらから)を手に入れた。
(玄朝秘史 第四部第十三回『北郷一刀』終/第四部第十四回に続く)
◇蓬莱王朝の初期官職(帝国暦一千八百年記念刊行『太祖太帝と皇妃たち』より抜粋)
『蓬莱朝における官職、ことに初期の名称は、その職務の大幅な変化にもかかわらず、秦漢代のそれを引き継いでいることが多い。
たとえば上級職でいえば三公や丞相がそうであるが、その職務はまるで前時代とは異なっている。それにも関わらずその名称を継承したことについては後世の人間からすると首を傾げたくなる。これについては、漢代の官職を名前だけでも受け継ぐことで官僚層の抵抗を和らげ、新たな職責をかつての官職に付け加えていくことで、王朝交替を円滑ならしめる知恵であったと考えるべきであろう。
あるいは、我々には想像するしかない時代の空気とでもいうべきものが、その名称の継続性を支えたとも……(略)……
なお、各組織については所属した主な皇妃(一部皇妃以外も含む)の名と役職を挙げ、その後、概要を記した。
一 王侯
漢中王:劉協
仲王:袁術
西涼王:馬超
幽王:公孫賛
南蛮王:孟獲
魏公:曹操
呉公:孫権
蜀公:劉備
蓬莱朝成立時点では蜀漢において漢の継続を主張する一派の象徴たる劉協を漢中王に封じ、辺境に四人の王を配している。劉協に漢中王をあてるのは、一見すると蜀漢の懐柔策にも見えるが、この後の経緯を鑑みるに、挑発に近いものであるとも考えられる。
注目すべきは戦乱の時代を治めた魏、呉、蜀の王を公に格下げしていることであろう。これは……(略)……
二 内朝
二ー一 尚書
尚書令:諸葛亮
尚書左僕射:董卓
尚書右僕射:陳宮
帝の秘書官。上奏を事前に検討するが、漢代のように上奏を握りつぶすことは出来ない。司徒府、丞相(相邦)府に同内容の上奏が届けられるためである。そのため、権限は縮小し、より個人的な相談役としての色彩が強くなっている。初期には蜀漢勢力とは対立関係にあるため、副長官である二人の尚書僕射が統括していたものと思われる。
二ー二 近衛
太僕:袁術
執金吾:張遼
太僕は漢代は九卿の一つとされた帝の車馬を管理する役職。漢代には権限が分散されほぼ名所職化していた感があるが、蓬莱朝では実際に帝が行幸する時の御料車などの整備を担当した。太祖太帝の時代に既に自動車があったという伝説は主にこの役職の重要度が高いせいか。
執金吾は宮城の警護を担当する役職だが、張遼ほどの人物が担当するほどの重責ではない。これは、後に西域都護に任じられるまでの一時的な処置だったと考えられている。
二ー三 その他
本来あるべき社稷の管理などは初期には整備されていないが、これらは太祖太帝時代を通じてゆっくりと形成されていく。注目すべきは、後宮の統括を置かなかったことであろう。
数多くの皇妃が重要な職についていた状況にそぐわないようにも思われる、この事情を考えてみよう。
そもそも、後宮が肥大化するのはなぜであろうか。それは、後継者を生み出す後宮という場所が、一つの権力集団として確立しようとするためである。そうでなければ、後宮は単なる皇帝の家庭に過ぎない。
外部の官僚組織に対抗するため、あるいは均衡をとるための組織や格式を持つことが、蓬莱朝における後宮に必要であったかといえば……(略)……
三 外廷
蓬莱王朝の政府機構の基本は五権分立として知られる。立法、司法、行政、軍、監察考査で構成される五大組織がそれぞれに独立していた、とされる。
もちろんこれは近代的な感覚から過去を見ているもので、実際にそれを企図して政府をおおまかに五つに分けたのかどうかはわからない。そもそも、皇帝権力が頂点にある以上、全ては未分化な状態であり、これらの組織形態を分立と称してよいのかという議論が……(略)……
三ー一 司徒府
司徒:曹操
光禄大夫:荀ケ
太中大夫::陸遜
立法を司る。古来、君主権力優勢の状況下では行政と立法は未分化であり、あえて分けて考えようとする者もいなかったが、蓬莱朝では司徒府を立法の専門機関として独立させた。
大夫たちは司徒府の合議に出る資格を示すもので、それぞれの役職名に意味はあまりない。
三ー二 司空府
司空:劉備
廷尉:程c
衛尉:楽進
度支中郎将:呂蒙
司法刑罰を司る。法解釈及び裁定を下す廷府と、実行部隊(警察組織)である衛府、屯田を司る屯田部にわかれる。衛府は魏軍の郷士軍からその人員と伝統を引き継ぐため、軍としても十分働ける組織である。
実質は三つに分かれているが、名目上は衛府の下に屯田部があり度支中郎将が統括する。
また、土木工事や建築などに関する行政も司空府に属した。これは、罪人に刑罰として賦役が課せられることが多かったことも関係していたと言われる。
ただし、『帝の道』の維持管理に必要な部門を集めただけという推測も可能である。
なお、帝の道の関係で軍部の監視も行うため、監察部門と衝突することも。
三ー三 相邦府
相邦:賈駆
大鴻臚:郭嘉
大司農:周瑜
少府:張勲
行政を司る後の丞相府。初代の賈駆のみは、丞相ではなく相邦を名乗る。これは古来(戦国時代以前)より存在した役職であり、漢代には相国と称されていた最高の官位であった。
漢代に相邦を相国としたのは初代劉邦の諱を避けたためで、漢が避けたものをあえて使うことで蜀漢を挑発する意図があったものと思われる。事実、蜀漢の滅亡以後は丞相とされた。
なお蓬莱朝の丞相は、漢代の丞相のように官の最高位に立つものではない(司空、司徒、太尉と同等である)ため、常置される。
大鴻臚率いる外交部門、大司農率いる農政、医療部門、少府率いる財政部門が三本柱となる。
三ー四 太尉府
太尉:孫権
太学:鳳統
監軍(卿):于禁
式部:道天
式部大輔:道地
式部少輔:道人
監察及び考査を司る。軍及び地方官の監察を担う監察部と、官僚登用及び教育を司る文部にわかれる。
軍の監察を司る太尉が頂点であるのは、軍部の暴走を防ぐことが第一と考えたためであろう。なお、太尉に皇太子最終候補の一人が着く場合、太尉ではなく大司馬と呼ぶのが慣例である。ただし、権限などは変わらない。
監軍は軍を監察する役目そのものを言うことが多いが、中央の官位として言われるとき(おおむね監軍卿と呼ばれる)は軍の育成部門を監察する部門の長官を指す。
式部は典礼、舞楽などを担当する部門である。
三ー五 軍部
大将軍:袁紹
禁軍、右軍、左軍の三編成。
右軍と左軍は方面軍で、右が北と東、左が南と西を担当するとされているが、そのあたりはかなり弾力的に運用されており、事態に応じて編成が変化する。
方面軍なので常置とは限らないが、基本的には常置された。置かれない時代は、周辺諸王の軍団をそれに擬した。
大将軍は禁軍と右軍、左軍のとりまとめ役。直接に指揮する兵はなく、初期にはお飾り的な側面が強かったが、後に兵権を取り仕切ることとなる。ただし、強大な権力がある分軽々には動きにくく、よほどの国家的緊急時でない限りは禁軍と方面軍の調整役を務めた。なお、三公の一つである太尉は主に大将軍の監察を通じて、軍を監視する。
三ー五ー一 禁軍
驃騎将軍:孫策
左車騎将軍:華雄
右車騎将軍:呂布
衛将軍:黄蓋
鎮軍大将軍:夏侯惇
撫軍大将軍:夏侯淵
これらの将軍職はいずれも権限が強大すぎた(ほぼ全軍を統括できた)ためか、全て後に名誉職化した。
三ー五ー二 左右軍
征東大将軍:公孫賛
左征東将軍:顔良
右征東将軍:文醜
征南大将軍:孟獲
左征南将軍:関羽
右征南将軍:張飛
征西大将軍:(後に張遼)
左征西将軍:李典
右征西将軍:(後に黄敍)
征北大将軍:馬超
左征北将軍:許緒
右征北将軍:典韋
鎮東大将軍:孫尚香
左鎮東将軍:甘寧
右鎮東将軍:周泰
鎮南大将軍:黄忠
左鎮南将軍:厳顔
右鎮南将軍:魏延
鎮北大将軍:馬岱
左鎮北将軍:趙雲
右鎮北将軍:韓浩(皇妃に非ず)
左右の軍は、四征大将軍、四鎮大将軍以下に二十四の軍団を擁する。各軍団の所定人員は一万騎だが、時代によりかなりの幅がある。
大将軍は部下達に渡す兵を出す兵戸を配されるのに対して、それ以下の将軍は、兵を配される。四征大将軍は四万戸、四鎮大将軍は三万戸。
さて、ざっと初期に皇妃たちが任じられた官職を見てきたわけだが、知っての通り、王朝成立時点では蜀漢は健在、孫呉もまた独自の力を保っており……(後略)』