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210 名前:一壷酒 ◆1KOsYU0skY [sage] 投稿日:2011/11/06(日) 00:06:51 ID:ApF/RAR60
すいません。雨のせいで家に帰るのが遅れました。
玄朝秘史第四部第四回『伝国玉璽』をお送りします。
今回のあのシーンも第二部終了時には予告していたんですが、いやー、なんと二年かかりましたねw
文化財と考えるとあれなんですけどね……w

★次回予定
次回、第四部第五回『靖王伝家』は、11月12日に投下予定とさせていただきます。


◇注意事項◇
・『真・恋姫†無双』魏ルートの後の話となります。
しかし、魏ルートの続きかと言われると違います。あくまで新しい物語とお考え下さい。
・ハーレムものです。
・魏軍以外の人物への呼び方・呼ばれ方は、原作になるべく近くしようとしていますが、知り合う
シチュエーション等が異なるため、原作中とは相違があります。
・史実とゲーム内情勢に関する独自解釈があります。
・アブノーマルな形でのセックスやそれに類する行為が出てくることもあります。
・題材の関係上、戦争や戦闘が関わってきます。それに伴い死の描写や、異なる時代背景の倫理に基づく
表現が出てきます。もちろん、これらは差別などを意図したものではなく、世界を表現するためのものです。
 また、あわせて、http://ikkonosake.kuon.cc/faq.htmlなどもご参照ください。
 以上の点に不快感、違和感、ひっかかりを覚えられる方はお読みにならないことを強くお勧めします。
・サイトに関連地図のページをつくりました。参考になるかもしれません。
・現状、玄朝秘史の掲載場所は私のサイトとこの外史まとめサイトのみです。投下告知を避難所にて行って
おります。それ以外の場所でのファイル配布などは行っておりません。

 UP板にて、メールフォーム及びメールアドレスを公開しています。ご意見ご感想等ありましたら、
どちらからでも、お気軽にどうぞ。フォームのほうはお名前、メールアドレスの記入が必要ありません。

いつも通り、本編はtxtで専用UP板にアップしましたのでご覧ください。
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※転載は不要です。(まとめサイトにまとめていただく時を除く)



玄朝秘史
 第四部 第四回『伝国玉璽』



 1.世人


「じゃあ、お城に届けておくよ」
「うん、お願いね。おじさん」
 にっこりと少女が微笑むと、まるでその場に花が開いたかのような明るく、元気な雰囲気が広がる。見る者もつい微笑んでしまうような空間だ。
 それを作り出した少女は傍らに尻を落とす白虎に近づくが、いつもならしなやかに腰をあげる虎は、なにかを伝えたいかのように首を振ってその場にとどまる。
「どうしたの、周々」
 小蓮は複雑な形に結い上げた髪を揺らしながら虎の顔を覗き込んだ。がうがう、と小さく声をあげる周々。
「え? おじさんを城まで連れてく? あー……うん、まあ、そうしたいならいいけど。おじさーん。周々が荷物届けるまで見届けたいみたい。この子、ここにいていいかなー? 邪魔にならない?」
 彼女に頼まれたものを集めて包装しようと店の奥に入りかけていた店主が振り返り、少女と白虎の姿を見つめる。
「うーん。俺はいいけど……。お客さんが驚かねえかな」
「周々ちゃんなら、ここいらじゃ知らない奴の方がもぐりだし、いいんじゃないかい?」
 店の奥で帳面をつけているおかみが、店主に声をかける。それを受けて、彼もぽりぽりと頭をかいて同意した。
「それもそうか」
 小蓮が大使として赴任する間に、洛陽の一部の商家では、彼女と周々はすっかり人気者になっていた。なにしろ可愛らしい少女と、それに付き従う美しい白虎である。まして、猛獣であるはずの虎が聞き分けよく、暴れることもないと来たら人気が出ないわけもなかった。
 そんなわけで、周々は、国元への土産物を城に届ける親爺さんを見守るため、その店の軒先に残ることとなったのだった。
「おじさん、おばさん、ありがとねーー」
 元気よく挨拶をして店を出た小蓮がしばらく進むと、すっとその後ろに影が寄り添った。長い黒髪を垂らすその女性が背後に現れても、小蓮はまるで動じない。
 周々の代わりに直接の護衛についた明命に、シャオは最初から連れだって歩いていたような口調で話しかける。
「んー、なんか、町中も落ち着いてきたね。さすがにみんな慣れてきたのかな? あの星にも」
 彼女が見上げる空には、真昼でも輝く星がある。北天にその存在を主張する客星は、出現後かなりの期間を過ぎてもまるで光を弱めることがない。
 その光は、気にかけるにはあまりに大胆で、かえって無視するしか方法がないような存在にも思えた。
「慣れはあるかと思います。ただ……」
「ただ?」
 ちら、と振り向いて明命の顔を覗いてみれば、彼女はシャオが思っていたとおり、深刻そうに眉を下げていた。
「町中にもわずかに漏れているようでして、例の……一刀様の件が」
「ああ……。ふうん」
 その言葉に小蓮は納得の言葉を漏らしたが、明命は不思議そうな表情をさらに強くする。
「なに?」
 その気配を感じ取ったシャオが促すのに、明命は声をひそめた。
「いえ、普通はあのような話を聞けば、民としては不安を煽られこそすれ、落ち着くという反応はあまりないのではないか……と」
「まあ、いわば、予想的中なわけだもんね。あの星があそこに現れて、それで一刀が……ってなったら」
 腕を頭の後ろで組み、いっそ楽しそうに呟いて、小蓮は歩みを進める。
「でも、たぶんだけどね。一刀だからだと思うよ」
「一刀様だから、ですか」
 例年よりはわずかに人通りの少ない洛陽の通りを歩きながら、二人は言葉を交わす。周囲の人々は、正月らしい挨拶や雑事に忙しく、彼女たちがこの国の行く末について重要な話をしているなどと、考えもしないだろう。
「明命だってこの都に大使として駐留していて、華琳はじめ魏のみんなの人気のほどは分かってるでしょ? 江東での孫家を超えるくらい熱狂的だよ、都の人たち」
「たしかにそうですね」
「その中でもずば抜けてるのは華琳、それに一刀だよ」
 大通りに出たところで一気に増えた人の波をすり抜けるようにして歩きながら、小蓮は真面目な顔で話し続けていた。明命は引き込まれるように、彼女の話を聞いている。
「華琳は、まあ、当然として、一刀の場合は天の御遣いってことより、警備隊長時代の印象の方が強いみたい」
 あれはいつだったっけかな。彼女は心の中で呟きながら続ける。
「前に、冥琳にそのあたりを聞いてみたことがあったけど、華琳にしても、春蘭にしても、人気は人気だけど市井の人間がそうそう簡単には近づけないんだよね。当たり前なんだけどね」
「それはそうでしょうね。一度顔見知りにでもなれば、隔意は感じないでしょうが、やはり……」
「うん。そこまで踏み込むきっかけがないとね。その点、一刀は警備隊長として、この町のいろんな人たちに接する機会が多かったから、親しみを抱かれている部分があるんだって。その辺が孫家で言うと、シャオの立場に近いって冥琳は分析してたよ」
「ははあ」
 感心した明命がこくこくと頷く。同じとは言わないまでも、似たような部分があるというのは彼女にも理解出来た。
「うちとはちょっと違うにしても、それだけ洛陽のみんなは親しみを感じて、安心してるってことなんだと思うな。一刀が帝になるってその意味とかまでは理解していなくてもね」
「そうですか。それならば……。しかし、一刀様ご自身については少々心配ですね」
「心配? なにが?」
 その問いに、明命はわずかに頬を赤らめた。
「え、ええと、ですね。華琳さんが一刀様に例の件を伝えて以来、私は一刀様ご自身か、無理な時はお部屋を見張っているわけですけれど」
「うん、知ってる」
 知らないわけがない。
 蓮華直々の言いつけであるが、蓮華自身は常に見張っていろという意図ではなかったろう。しかし、真面目な明命は報告に来る時以外、ほとんどの時間を一刀の監視に振り分けていた。
 根を詰めすぎていると見た穏の勧めもあって、わざわざ小蓮が町に出て、明命にも気晴らしをさせている真っ最中なのだから。
「そのー。あの夜以来、毎晩……どころか、日に何度も、女の方と……」
「別におかしくないんじゃない? 一刀だし」
 顔をさらに赤くして言う明命に、小蓮は軽く答え、そして、艶然と微笑んで唇に指をあてる。
「昨日の夜はシャオのところに来てくれたよ?」
「はい。洛陽におられる恋人の数を考えれば、そう問題でもないと思うのですが、しかし、その……重圧で、せ、性欲が増しているのではと……亞莎が心配しておりまして……」
「んー……。まあ、そういうところもあるかもしれないね」
 そういうことか、と小蓮は思う。頭のいい人間は、どうも余計な事まで心配しすぎる。
 一刀に体力がないとか、そもそも女性を相手にする意欲がないとかならばともかく、好きなようにしているのだろうに、気を回されてしまうとは大変なことだ。
 あるいは、これが明命や亞莎流の嫉妬の形なのかもしれない。
 なんにしても愛されているってことかなー、と彼女は口の中だけで呟いた。
「でも、それで解消されるんならそれでいいんじゃないかな?」
「そうでしょうか?」
 だってさ、と彼女は小さく笑った。
「一刀にとって、女の子はただ欲望のはけ口ってものじゃないでしょう? 違う?」
「そ、それはもちろんです!」
 ぐっと拳を握り込み、保証する明命。その様子に微笑みを向け、小蓮は彼の事を思い浮かべながら言った。
「だったら、シャオはいいと思うな。好きな相手を抱いて、それで心安らぐなら。シャオだったら、もーっと頼って甘えて欲しいって思っちゃう」
「そ、それもわかりますが……」
「明命? 一刀に限って女に溺れるようなこと心配してるなら、無駄だよ。一刀がもしそんなに単純なら、華琳が国を任せようなんて思うはずないもん」
 本当に、そんな単純な男と結ばれるような華琳であったなら、呉が負けることもなかったかもしれないな、などと小蓮は皮肉な思い付きを脳裏に浮かべる。
「シャオだって、姉様だって、そんな男にはひっかからないし、なにより」
「なにより?」
「そう単純じゃないからこそお姉ちゃんは色々と警戒してるんだし、一方で協力することも考えられるんだよ」
 それから、彼女は雑踏を通り抜けるために歩調を緩め、明命のほうを見やって、こう言うのだった。
「自分の惚れた男くらい信用してあげるものよ、明命」
 と、まるで姉たちのような口調で。


 2.予想


「……ですから、いま申し上げたように、全てはあの宦官の孫めが画策した卑劣な企てであって……」
「我らとしましては、もちろん、漢中王たる劉皇叔に全幅の信頼を……」
 ぺちゃぺちゃと舌足らずに喋る二人組がひとしきり持論を語り終えると、それまでじっとそれを聞きながら頷いていた三人がにっこりと穏やかな表情を浮かべながら立ち上がる。
 三人の行動を自分たちの言い分を聞き届けた徴と見たか、二人はしきりに頭を下げ、美辞麗句を連ねた挨拶をして部屋を出て行った。
「はあ……」
 彼らの姿が無くなると、そんなため息を吐く少女が二人。二人はまるで同じようにしてしまったことに顔を見合わせて微笑んだ。丸っこい顔で見つめ合う二人こそ、蜀に並ぶ者なき頭脳の持ち主たち。
 そんな少女たちの可愛らしい様子に温かな笑みを浮かべながら、紫苑は豊かな胸を揺らし、自らの椅子に座りこむ。その仕草を見る限り、彼女もまた、少々お疲れの様子であった。
「今日は随分長かったわね」
「ですね」
「はい」
 三人は言い合い、呆れたような表情を顔に張り付ける。朝廷の人間の訪問はこのところひっきりなしで、それを桃香に直に会わせるかどうか判断するのが三人の役割であった。
 この面談に愛紗や星が加わることもあるが、たいていは桃香に聞かせるまでもない愚痴のようなもので、皆で丁重に追い返すのが通例となっていた。
「それで、あの人たちの主張……ええと、華琳さんが蜀、呉を弱める方策をとった結果、一刀さんが帝に推された、という話はどの程度信じてよいものなのかしら?」
 まるで信用出来ない、という口調で紫苑は切り出す。
 彼ら二人の言い分では、魏は蜀や呉を弱体化させることによって統一を果たすべく動いていたというのだが、そんな迂遠なことをせずとも魏は実力で二国を圧倒できる。
 紫苑にしてみれば、結果から導き出した空論としか思えないものであった。
 朱里はその紫苑の口調に軽く苦笑いを漏らしながらも、真面目な態度で話し始める。
「あの人の……あるいは、朝廷側の総意としての狙いは、明らかです。我々と華琳さん、一刀さんたちの対立を煽ろうというのでしょう。その根拠となっている主張の一部は間違いではないと思います。それをどう解釈するかは別として、ですが」
「たとえば準備をしていたという話はその通りでしょう。華琳さんが一刀さんを帝にすることを決めたのがいつか、それはわかりませんが、ある程度の準備期間はあったはずです。その中で、一刀さんの下に恋さんたちを配置していることは役に立ったはず。……でも、これも結果論でしかありませんから……」
 朱里の言葉を引き継ぐようにして続けた雛里の語尾は曖昧に消えていく。紫苑はそれについて考えるように自らの頬に指をあてた。
「一刀さんのために集めたのか、一刀さんのところにちょうどよく集まったから決めたのか、どちらが先かはわからないものね……」
「そもそも、一刀さんのところに詠さんたちがいなかったとしても、華琳さんは一刀さんを帝にしていたかもしれませんしね。力というだけであれば、魏一国で十分ですから」
「一度覇業を成しながら、それを放棄して三国という形をとった華琳さん……。それが再び統一を望んだとき、自らではなく、自ら共にありたいと望む相手に任せる……。ある意味では自然な成り行きです」
 紫苑の言葉をきっかけにするように、二人の軍師は思考を言葉にしていく。
 朱里と雛里は昔からの学友でもあり、親友でもある。それだけにお互いの疑問を理解してしまい、議論が広がらないことがまれに起こりうる。それを回避するためには、様々な経験を積んだ紫苑や堅物の愛紗、破天荒な星といった人材が刺激役として有用であった。
「しかし、一連の会見から考えて、朝廷や豪族層に根回しや工作をしている節は見られません。あるいは、それがこれまでで一番の成果かもしれませんね」
「そうでなければ、ああまであからさまに我々にすがりついては来ない……。でも、朱里ちゃん。私たちがそこに食い込む理や利はあるのかな」
「難しいね。朝廷を取り込むことは、彼らの思惑……対立の構図に乗っかることになる。それが蜀にとって最善かどうかは……」
「新王朝と対立するなら、漢朝の権威は一つの力となるけれど、それを手に入れるために決定的に敵対することをよしとするかは……その危険に見合うかどうかよく見積もらないと……。そもそも桃香様のご意志がどうなのかな」
「そのあたりは、まだ……」
 二人の議論は速度を増して続いていく。当初は口をはさんでいた紫苑は、ある程度まで二人の舌が暖まったところで口を閉じていた。
「朱里ちゃん? 雛里ちゃん?」
 しばらく聞いていた彼女であったが、二人の話が仮定に仮定を重ねるようなものになりはじめたところで、声をかけた。
 二人の軍師が、はっとなにかに気づいたかのように彼女の方を向いた。
「一刀さんは、あなたたちとは話してくれないの?」
「いえ、そういうわけでもありません。私も朱里ちゃんも一昨日会ってもらいました。ただ、その時はほとんど……。桃香様に話したことと変わりはありませんでした」
「そう、つまり、蜀はこのままであっていいけれど、軍権を取りあげると?」
 こくり、と二人は頷く。紫苑は疑わしげな声音で二人に訊ねかけた。
「その話、二人から見て、実現度合いはどうなのかしら?」
 返事はなかなか返ってこない。なんの動きも見せず、紫苑のことを見つめたまま固まったようになっている朱里と雛里の頭の中では、様々な計算や思考が行われているのだろう。
 紫苑は、そのことそのものに恐怖を覚えた。彼女たちでさえ即答できないことなのだ、と。
 戦く紫苑をよそに、朱里と雛里は視線を合わせ、そして、揃って同じ言葉を発した。
「最終的には、実現するでしょう」
 と。
「実現、するの?」
 予想とはまるで違う答え、しかも二人が共に出した答えに、紫苑は度肝を抜かれた。
「はい」
「ただし、どんな形かはわかりませんが」
「形というと?」
 すう、と息を吸い、二人は説明を始める。紫苑は思わず身を乗り出していた。
「国の基本は、人です。そして、それを支える富です。しかし、国と国との力関係を決めるのは、やはり武です」
「武がなければ、富を守ることも民を守ることも出来ません。そして、平和的な交渉をするにしても、その背後には、厳然と武が存在するものです」
 二人の主張に、紫苑は頷く。武将として、そして、政にも携わる身として、二人の言葉は実にすんなりと理解出来た。
 なにより、彼女自身、桃香たちの圧倒的な武力に対し、町を守るためにあえてその門を開いた経験があるのだから。
「それを取りあげるということは、国家としての死活問題に他なりません。強制力のない国に、誰が従うでしょうか。軍権は中央……一刀さんたちが保障すると言いますが、それが、どれだけ機能するものか」
「個人的な意見を正直に言うならば、機能はするでしょう。一刀さんの発想がどれほどのものであったとしても、その周囲には知恵者が多数いますから。でも、そのことを知っている人間は限られます。いえ、知っていてもそこまでの信頼をよせるには躊躇う者も出て来るはずです」
 雛里はそこで言葉を切り、くいと顎を引いた。まるで、言いたくないことをこれから言うとでもいうように。
「そうして、協力を渋る者に、一刀さんたちが最終的に示すものも、また武」
「そういうこと……。現状の国力だけを考えれば、最終的に一刀さんの望みは叶う、と」
 どさり、と紫苑は背もたれに体を預ける。いずれにせよ、魏と蜀との力関係が問題になってくる。そして、それを覆す術が無い限り、実現は避けられないということだろう。
「苦労をしても平和裡に進むか、それとも血を流すことになるかは、いまはわかりませんけれどね」
 朱里は言いながらわずかに笑って見せた。暗い未来を振り払うかのように。
「ということは、わたくしたちの出方次第では、最悪……」
「魏……いえ、一刀さんが蜀、呉を戦で打ち倒し、血まみれの地平で独裁を果たす、そんな未来もありえる……かもしれないんです」
 細い声で雛里は言う。恐れるように、忌むように。
「もちろん、一刀さんの案はまだ固まったものではありませんし、検討する時間もあります。違う形を提案することも可能でしょう。いずれにせよ、桃香様が対話を望む限り、そして、我々もそれを支持する限り、最悪の事態は訪れないと確信しています」
 宣言するようにそんなことを言う朱里の顔は、しかし、内容とは裏腹に、きわめて真剣かつ深い憂いを帯びたものであった。


 3.発議


 ぴりぴりとした緊張を孕んだ空気を最終的に破ったのは、袁家の二人組であった。
「あのさ、アニキ。あたいらの聞き間違いかもしれないんで、確かめたいんだけどさ」
 猪々子がそう切り込むと、一刀が小さく頷く。それを確認して、斗詩がすっと指を差した。男の掲げる世界地図に向けて。
「その、漢土を含んだ大陸全土を獲る、とそう仰いました?」
「しかも、まず、ってついてたよな、まずって!」
 わずかに震える斗詩の声に被せるようにして、猪々子が騒ぐ。その声でようやくのように、部屋に満ちた緊迫した気配は霧散した。代わりに、皆が興味深げに一刀のほうを見る空気が復活する。
 男は、華琳から返却された世界地図を畳んで机に置くと、大げさなほどの身振りで頷いて言った。
「うん。間違いないよ」
 そう、穏やかな声で。
「それは……五胡も併呑して、その先に進むってことだよね? 一刀兄様?」
「そうなるね」
「どこまで?」
 蒲公英の問いに、一刀は両手を広げてみせた。
「どこまでも」
 今度は沈黙は落ちない。その代わりに矢継ぎ早に質問が飛んで、一刀の方が目を白黒させることになった。
「ちょ、ちょっと待って!」
 いくつもの質問の合間に、彼は大きく声を張り上げる。途端にぴたり、と皆が動きを止め、部屋が静かになったことに驚く一刀。妙に息のあった女性陣に動揺しながら、彼は説明を始めた。
「え、ええとね。じゃ、じゃあ、最終的な目標と、その時に築けるものを話して、その後で、そのための方策について話すことにする。いいかな」
 皆が同意を示すのを確認して、彼は話し始める。
 それは、大まかにはこの世界全体を一個の経済圏として確立させ、巨大な共同体を作り上げるという話であった。
 世界中に道と航路を張り巡らせ、様々な文化とより多くの人々が集える状況を作り上げる。その監視者として、強大な軍事力を持った中央政府が監督、制御する。
 そんなことを一刀は語った。ただし、この時代に即した、武将たちにも受け入れられる話し方で。
「つまりは、平和を作り上げるために、この大陸から敵を無くすんだ」
 そう、彼は語った。
「無くすと言ったって、殺しつくす必要はない。こちらが圧倒できるだけの力を持っていれば、傘下とするのもそう難しくはないだろう。最終的には、現状、魏が呉、蜀に持っているくらいの影響力を保てればいいんじゃないかと思っている」
 緊密な一体のものである必要はない。緩い連合体であろうと、外に対してまとまるだけの下地があれば問題ないのだと、彼は説明した。
「うーん。ちょーっとひっかかるわねえ」
「雪蓮? ええと、どこが……」
 一通り話し終えたところで、低く雪蓮が呟いた。剣呑な空気を感じ取った一刀が彼女に問い直そうとする前に、雪蓮の横に立つ闇色の仮面の女が続けた。
「私も同じ意見だな。壮挙ではある。気宇な夢ではある。だが、それを成し遂げるまでの犠牲を、一刀殿が進んで選び取るとは思えない」
「なにもない状況ならば、のう」
 祭が付け加えるのに、冥琳は深く頷く。それを受けてか、ぴっと手を振り上げる者がいた。黒い外套を翻す音々音だ。
「ねねも同意します。国の目標とするまでもなく、数十世代を経れば、そのような状況は自然と出来上がるのではないですか? それまでに様々なことがあったとしても、各地の国々がそれを成すのが成り行きというもののはず。一国で、いや、お前がそれを求めるには、なにかあると考えます」
 言葉として形にできずとも同じようなことを考えていたのか、しきりに頷く者もいれば、言われてみれば、という風に首をひねる者もいた。だが、いずれも一刀の恋人であり、また、大半が政治家であり、武将である。
 一刀のことをよく知っているし、国のこともわかっている者が多いためか、彼の語る夢はどこか違和感をもたらしたようであった。
「うーん。さすがに隠せないか」
 しばらくは国内安定に専念する、とでもいうのが俺らしかったのだろうか、いや、しかし、騙すつもりはないしな、などと考えながら、一刀は腕を組み、どう説明しようかと言葉を選びだそうとした。
 大半の者は彼が口を開くのを待つつもりであったが、しかし、黒基調の服に身を固めた一人が、幾人かの壁を抜けて、前に出た。
「ねえ、一刀」
 男の名を呼ぶ優しい声は、まるで歌声のように美しい。それもそのはず、彼女はその歌声で時代をひっくり返した歌姫の一人なのだから。
 けれど、いま、天和の歌声は、ただ一人に向く。
「ん?」
「難しいことはよくわからないけど、ここにいる人たちは、みんな一刀を裏切ったりしないと思うよ? 敵にしたりもしたくないと思う。もちろん、色々事情があるし、もしかしたら敵味方になることだってあると思うけど、でも、なんて言うんだろ。えーと……」
「一刀さんが信じてあげなきゃ始まらない。……天和姉さんはそういうことを言いたいんだと思う」
 困ったように言葉の接ぎ穂を失う姉を、人和が皆の列の後ろから補う。天和はぱんぱんと手を叩いて喜びを示した。
「そうそう。さすが人和ちゃん!」
「そうだよ、ばーんと行っちゃえ! いまさら躊躇ってどうするの!」
 後押しするように、地和が言うと、励ますような声が他にも飛んだ。
 一刀は彼女たちの気遣いに感謝すると共に、皆が声をあげる中で皮肉な笑みを浮かべて静かに彼の事を見つめる雪蓮の視線を意識もした。
 天和の言は間違っていない。最初から話そうとしなかったのは事実だし、信頼を示すにはこれから話すことを先に話すべきだったかもしれない。
 しかし、それよりも、おそらく彼女は彼が口ごもったのを重視したのだ。それは、かつて黄巾を率いたものの経験と、それによって培った勘が故のことだろう。
 たとえば緊急時に指揮官が咄嗟に命令を口に出来なければ、それだけで兵の信頼は薄らぐ。
 こういう時に、逡巡ではなくとも言葉を失って黙ってしまうことは、確実に躊躇と見られるのだと、彼は改めて認識し、そして、そんな立場の『先輩』である雪蓮の視線の意味も理解するのだった。
 彼の立場に同情を示しつつ、しかし、天和が割り込んだ機を生かせと主張するその視線を。
 よし、と彼は一つ気合いを入れて話し始める。
「ごく簡単に、みんなにわかりやすく言えば、俺のような人間が、これからも現れる可能性が高い」
「なに?」
「天の御遣いと言われているけれど、俺が本当の意味でこの地で思われている天から来たと思ってる人は、この中には少ないはずだ。俺は別の世界から来た。そして、別の世界は無数に存在する……らしい」
 とてつもない秘密を打ち明けられていると、紛れもなく彼女たちは悟った。その言葉の意味を理解出来ない者もいたが、彼の真剣さを疑う者は誰一人いなかったから。
「そして、それらの世界から影響力の強い人間が、この世界に来るかもしれないことを俺は知らされた。一介の学生――仕事もない書生だと思ってくれていい――だった俺とは比べものにならないような知識や経験を持った人物が現れる可能性もある」
 彼はそこで肩をすくめてみせた。なんだか疲れ切ったような仕草が、女たちの意識に残った。
「そういった人が、いい人ばかりなら、なにも問題はないんだけどさ」
 ため息を吐くように、彼はそう言った。
「様々な技術や知識をもとに、この世に戦乱をもたらす人間だった場合を、あんたは考えているってわけ?」
 皆の意識に一刀の話が染みこんだ頃、詠がそう訊ねた。一刀はそれに対してもう一度肩をすくめる。今度は軽い仕草で。
「まー、正直、技術の面では真桜級の天才でも近くにいない限り、そう大きな問題にはならないと思うんだが……」
「だが、天の御遣いというのは大きいだろう」
「一刀さんと同じように祭り上げられたり、もーっと強烈に利用されたりした場合、混乱の種にはなりそうですよね」
 白蓮が指摘するのを受けて、七乃が煽るようにけらけらと笑う。幾人かがそんな彼女の態度に顔をしかめつつ、真剣に考え込み始めたようであった。
「うん。俺は、それを防ぎたい」
「そのための大陸獲り、ですな?」
 祭が確認するように言うのに、一刀は頷く。翠はそれまで黙ってじっと彼のことを見つめていたが、ついに口を開いた。
「……なあ、一刀殿。本末転倒って知ってるか?」
「俺が混乱を引き起こすことになるってのはわかっているよ。それでも、わかっている人間がやらないといけないことだと思う。俺の存在を知らなければ、そもそも信じられないことだろう? 別世界からやってくる人物がいるかもしれないなんて」
「ふーん、そっか」
 翠は笑いながらそう言う。なんだか満足そうな笑みを浮かべて。
「あーあ」
 その横で、彼女の従妹が呆れたように肩を落としていたりしたが。


 4.改革


「で? どうするん? あ、言うとくけど、うちは大陸獲るん、完璧に賛成やで。約束通り、羅馬まで行かせてもらうわ」
 いまから戦のことを考えているのか、興奮気味に唇をつり上げ、霞はそんな風に訊ねる。大目標は聞いた以上、そのためにどうするかを聞きたがる者も多くいる様子であった。ことに純粋な武将たちは、大きな物事より、身近なことを聞きたそうにしていた。
 一刀はうん、と呟いて、胸元から竹簡を取り出した。ぱらぱらと開きながら、今後の改革について発表し始める。
「そのために、この国の枠組みを大きく変更する。具体的に言うと、中央政府は領地支配を地方政府に任せ、関与しない。領域支配をその役割とする」
「どういう意味でしょう?」
 斗詩が首をひねるのに、一刀は予想通りというように頷いて説明を加える。
「各地はこれまで通り、魏、呉、蜀、西涼、仲、幽、南蛮。この七国に引き続き支配をしてもらうってことさ。田畑から徴収される税もそれらの地方政府が受け取る。
 中央政府はそれらの地方政府の上に立って、各地方間を超える問題や、国外と対する。具体的には、軍事、教育、司法、外交、国道の五本柱を掌握する。
 教育と司法についてはあまり説明の必要はないよね?
 民への教育を進め、法律は中央が決める。そういうことだ。それから、軍事面では、あらゆる兵権は中央が握る」
「は?」
「将軍の任命権とかいう話ではなく、軍団そのものを中央が育て、養い、派遣する。地方政府は兵権を持たない。各地方の争いは、全て中央の軍が抑制する。そんな仕組みを作るんだ」
 武将の大半がぽかんと口を開けているのは、一刀にしてみてもある意味、壮観であった。彼としてもこの話で相手が驚くのは既に慣れっこなので、彼女たちの反応を楽しむ余裕があった。
「そして、それを周辺に広げていく。国を解体する必要まではない。兵権をこちらに渡してくれれば、それで、一つの帝国の仲間になる」
 なんとか皆の理解が及んだと見た彼はそう続けた。
 それを受けて、おずおずと、先程とはまるで違う態度で霞が手を挙げる。
「えーとな……正直、三国から兵権を取りあげるんが既に無茶や思うねんけど、そこはまずおいとくわ。田租は地方……三国や新しゅうできる国が受け取るんやろ? せやったら、軍はどうやって養うん?」
「そうじゃな。旦那様のお話では、中央を支えるのはその武力が最たるものと思われまする。それを支える方策無くば、空論どころではありますまい」
 最も長く軍事に携わり、軍政についても詳しい祭の言は重いものがあった。一刀はそれに対しても、すらすらと答える。
「そこで、最後に出した国道が関わってくる。洛陽長安を結ぶような街道……幹線道路は、全て中央が管理する。河川も同様だ。治水と、道路の維持をやるってことでもあるね。これらの経路を通じて交易が促進されて、経済が回れば、中央へ金が入る」
「関税ってこと?」
「いや、関税は順次撤廃する。その代わりに商税を取る。具体的には、売買をしたとき、常に十分の一の税を取るんだ」
「取れぬとは言わぬが、しかし、それで足りるものだろうか? 試算の数字はあるか?」
 冥琳が言うのに、一刀は竹簡を手渡す。音々音や詠といった軍師や、祭や斗詩など数字にある程度強い者たちが揃ってそれを覗き込む。
「最初の内は軍屯なども併用していかないと難しいだろう。道の確保自体にお金がかかるからね」
「この数字は大ざっぱに過ぎますぞ!」
「そこは、これから詰めていくつもりで……」
 音々音の文句に詳しい話を始める一刀。
「まあ、ちょっと待って。お金に関しては中央政府を小さくして浮かすつもりなんでしょうから。それよりもっと前の話をしましょうよ」
 一刀と軍師たちの議論が大半の者にはわけのわからない細かいものになっていきそうな気配を察して、雪蓮が割って入った。冥琳がまだ検証したそうな音々音に竹簡を渡し、結局、ねねと祭の二人がそれを読み続けることとなった。
 一方、雪蓮はその怜悧な顔を一刀にまっすぐ向けて、鋭く訊ねる。
「そもそも兵権を取りあげられると思ってるの?」
「やるしかない。いずれにせよ、巨大な三つの武力が併存している状況を何代も引き継ぐわけにはいかないだろう。だいたい、戦乱の時代に膨れあがった軍を、そのままにしておくのはまずい」
 一刀はそう言ってから、雪蓮だけではなく、皆の顔を見渡した。
「ここにいる人間たちの中には、群雄として自ら一勢力を率い、育て上げた人々も多い。そういうみんなだからこそ、正直に言う。軍っていうものは、大きくするのには苦労するが、その規模を縮小するのは、もはや苦労どころじゃなく、絶望に近い。
 兵たちを帰農させるのが、どれほど大変か。一度膨れあがった軍という機構を満足させ続けるのがどれほどの労力か。みんなならわかってくれると思う」
 軍を縮小するということは、訓練された兵士を野に放つということだ。働き口が全て確保できればいいが、実際にそこまでの世話ができるだろうか。
 かといって、強大な軍を延々と維持し、三国の間で軍事的緊張を保ち続けるなど経済的にも、人心の安定にも打撃が大きい。
 どこかで数を減らさなければならないが、それを行うのは実に難しいと一刀は主張しているのだった。
 だが、三国の軍をひとまとめにし、それを道路の維持管理に向け、商業の振興を図ればどうだろうか。
 大規模治水事業にも、幹線道路の維持にも莫大な金銭と人員が必要とされる。軍をそれに充てることは、果たして不可能だろうか。
「つまり、外への目線も国道とやらも、膨れあがった軍の圧力を逃がすためってこと?」
「その側面は否定できないね」
 詠の質問を、一刀は肯定する。だが、詠はそれを聞いてさらに顔をしかめた。
「でも、結局は軍の肥大化は進むんじゃないの? まだまだ先があるわけでしょ?」
「それはそうだ。でも、効率化は可能だろう。少なくとも、この三国に無為に兵が養われる状況は解消できるはずだ。国道の整備や治安維持も彼らの仕事になり、それが兵たちを養う糧になる。悪い循環じゃないだろう?」
「先の状況はそうかもしれないな。だが大国二国から兵を取りあげるその困難はどうする?」
「出来れば、強硬手段は執りたくない」
「出来れば、ねえ……」
 冥琳に対しての一刀の答えは、強硬手段を執りうることも示唆している。その物言いに、幾人かは小さな声で彼の言葉を繰り返していた。
「うーん。でも、地方はどうするんだ? うちから兵権取りあげられたら、五胡を押さえられないぞ」
「私もそのあたりは気にかかる。烏桓が私に従ってくれているのは、白馬義従あってのことだ。私に従う兵がいない状況で、烏桓を押さえておくのは不可能だろう。私が中央の麾下に入ればいいことだろうが、それだと幽州は国にしないほうがいいだろうし」
 翠と白蓮の疑問は当然のものだろう。武力を持たないで、幽州、涼州をまとめられるはずがない。かといって、中央がその役を担うのならば、そもそも西涼王も幽王も必要ないはずであった。
「それに関しては、辺境での王制を特別なものにするという案を考えている。いずれは中央に軍の指揮権を譲ってもらうにしても、一代か二代の間は……」
 まだ色々と素案なのだけれど、と一刀が話しているちょうどそのとき、扉が叩かれた。
「はい?」
「失礼します。隊長……っと、これは……」
 扉をあけ、中にいる面々の顔を見て、銀髪の武将は大きな傷痕の刻まれた顔に驚きの表情を浮かべた。
「凪?」
「あ、その、華琳様が隊長を呼べと……」
「そうか」
 話し込んでいるうちに、評議の時間が来ていたのだろう。一刀は部屋を見回して、しかたないというように頷いた。
「皆、評議に参加しないか?」
「あの、ご主人様……」
「わかってるよ、月。でも、それくらいは許してもらうさ」
 これから始まるのは、華琳を頂点とした魏の評議である。それを知っている月が彼に注意を促すと、一刀はそんな風に笑って言った。
「無茶苦茶言うわね、あんた」
「なにしろ、俺の進退を決める場だ。それくらいのわがままは許されるさ」
 詠の文句をさらりと受け流し、彼はそこに立つ全員の顔を見つめる。
「それに、きっと、みんなが知りたいのは、個々の政策じゃなくて、俺の覚悟とかそういうものなんじゃないかな?」
 その言葉が彼女たちに行動を促した。


 5.推戴


 一刀の提案は華琳にはあっさりと受け入れられた。魏の重臣に、一刀の連れてきた二十人が加わり、玉座の間はなかなかに賑やかなこととなっていた。
 とはいえ、さすがに一刀預かりの人間は発言が許されないであろうことはほとんどの者が理解していた。
「さて、もう皆知っていると思うけど、私は一刀を帝に推したい。反対の者はいる? そちらからもなにか意見があればどうぞ?」
 壇上、玉座に座った華琳がそんな風に促すが、発言する者はいない。そもそも、明確に反対する者がその中にいないためかもしれなかった。
 一方、魏の人間たちにも動きはない。重臣十人が居並ぶとはいえ、華琳の意思を変えることが出来るとすれば三軍師、両夏侯の五人が揃っての反対くらいであろう。
 だが、軍師筆頭桂花は、華琳から視線を向けられた途端に跪き、以下のような言葉を主君に言上した。
「この男の欠点を挙げよというならば、いくらでもできます。本当に、いくらでも。しかし、それに意味がありましょうか。欠点と言うならば、劉邦は無学なやくざで、劉秀はたまたま皇族だったに過ぎません。
 国は帝一人で作り上げるものではなく、また、帝が最も優れている必要はありません。この男は天の御遣いとして知られ、それなりの支持を得てもいます。
 この男を帝にすると言うことの欠点もまたあります。華琳様でないというそのことだけで、世上では大きな瑕疵でありましょう。しかし、それもまた補えるものにすぎません。
 魏はもちろん、諸国いずれも次代は北郷の血を引く者が担う可能性が実に大きくあります。そのことを一概に利とは申せませんが、それを幸いとなせるだけの力が我らにはあります。
 利もあり、害もあるならば、害を除くが我らの役目。除けぬほどの害は、反対するほどの害は、こやつにはありません。
 それでも、もし、別の提案として、華琳様が帝になるというなら、我ら軍師全員、諸手を挙げて賛同いたします。
 ですが、いま、華琳様が北郷一刀を帝にするというその案にも、我らは賛成いたします」
 稟と風、二人の軍師が彼女の言葉を保証するように、相次いで跪く。黄金の髪を揺らす覇王は、信頼する軍師たちの言葉を受け、わずかに楽しげに頷いた。
「一つ、お訊ねしてよろしいでしょうか、華琳様」
 桂花たちの様子を眺めていた春蘭が、澄んだ声を玉座の間に響かせる。
「なにかしら、春蘭」
「北郷を認めぬ訳ではありません。こやつのことは、よくわかっています。華琳様のご判断を疑うわけでもありません。おそらくはその深謀遠慮は私になど考えもつかぬところにおありでしょう。しかし」
 そこで彼女は斜め後ろにいる妹のほうに視線を向けた。一つだけの瞳に、秋蘭は励ますように頷いてみせる。全ては姉に委ねると、言葉にせずに彼女は言っていた。
「私は……華琳様の臣として生きてきました。その上でお訊ねしたいのです」
 ごくり、と唾を飲み込み、彼女はずっとその胸に抱いていた疑問をその口にのぼらせた。
「華琳様ではだめなのですか?」
「ええ、駄目よ」
「しかし、華琳様……」
 言いかけて、春蘭は口をつぐむ。
 目にしたのは、彼女でさえ、ここ何年も見たことの無かった表情。
 それは、かつて彼女と妹が引き合わされた、利発だが生意気な、けれど、どこか影のある少女が浮かべていた顔に他ならなかった。
 希望に満ちた、穏やかな笑顔。
 かつて、官位を得、将軍としてこの国に貢献してみせるのだと語った、純粋な少女の顔。その時は、二人は自分の最も身近な部下になるのだと彼女は誓い、姉妹はその時から全てを彼女に捧げた。
 華琳が口にしなかったことは、たくさんあるだろう。自分にはわからぬことがいくつもあるだろう。
 そのことは春蘭にもよくわかっていた。
 けれど、彼女は得心していた。
 いま向けられている表情だけで満足だ、と。
「この夏侯元譲、もはや胸の内に一点の曇りもありません。全ては、華琳様のお望みのままに!」
 ばん、と己の胸を大きく叩き、彼女は自らの心を示してみせる。いつの間にか彼女の真横に移動していた秋蘭もまた姉に倣って自らの心臓の上に拳を乗せる。
「ありがとう、春蘭、秋蘭」
「はっ!」
 二人は跪く。姉妹の顔に浮かぶのは、言いしれぬほどの歓喜。
「どうやら、他に意見はなさそうね」
 ぐるりと見回して、なんの反応もないのに、華琳は一刀を手招いた。玉座と同じ高さまで上がってきた彼に、華琳は立ち上がって対する。
「誤解のないよう言っておくわ、一刀。私は、あなたの才能を評価している。あなたは欲望に呑まれないという希有な才能を持っているわ。権力も、金も、女も、あなたを堕落させることはできない。それは誇るべきこと。
 そして、なにより、自分にできることとできないことを理解して、人を使う術を知っている。……そのことごとくがあなたの女になっているのはある意味恐ろしいことだけど、まあ、いいでしょう。人たらしも、才能の一つだしね。
 ただ、一つ、強い意志を持ってほしいの。わたしのためでなく、ここにいるあなたの愛しい人のためでなく、魏のためでもなく、あなた自身のために、この大陸を思う、強い意志を。
 まさにこの大地を包み込む大空のような意志を。
 それができるのは、一刀、あなた一人なの」
 玉座の前に立っていた華琳は、すっと膝をつく。胸の前で手を組み、彼女は前に立つ男から一瞬も視線を外すことなく、こう、言い切った。
「我が盟友、北郷。曹操は、ここにあなたが帝位につくよう進言申し上げる」
 途端、床が鳴った。二十五あるはずの響きは、一つにしか聞こえない。
 季衣が、流琉が、凪が、沙和が、真桜が、そして、一刀が連れてきた二十人全員がその場で跪き、彼への敬意を示していた。
 彼はそれを見ていない。ただ、目の前の華琳が掲げた両手に自らの両手を重ね、こう答えるだけだった。
「うん。受けるよ」
「お見事。くだらぬ故事に従うようなら、斬り捨てていたところよ」
 場違いなほど軽く聞こえる返答に、しかし、華琳は実に満足げに頭を垂れた。金の髪の間から、にやりと笑う口元が見えて、一刀は苦笑するしかなかった。
「でも、華琳。俺が帝位につけば、三度断るような故事をはじめ、いろんなものをこわしちゃうよ?」
「いいんじゃない? それが天命ならば」
「そうか。じゃあ……まずは、華琳」
 引き上げるような動きに応じて、立ち上がる華琳。その手を外さぬまま、一刀はその深い碧の瞳を覗き込んだ。
「ん? 細かい話はこれから……」
 彼女が言うのを遮って、彼はこう申し出る。
「俺と結婚してくれ」


 6.玉璽


 玉座の間が沸騰した。
 ある者は呆然とし、ある者は雄叫びのような声をあげ、ある者は飛び上がった。
 驚愕と嫉妬と祝福と羨望と怒りと歓喜と、それら全てを合わせても表現できない感情が、部屋中で爆発していた。
 その中で最も早く棒立ちの状態から復帰したのが美羽と七乃の主従だったのは、あるいは、彼女たちが彼女たちなりの予定を立ててこの場に来ていたからかもしれなかった。
「しまった! 玉璽を出す機を逸したのじゃ、七乃!」
 それは、極言すれば彼女が袖の中で握りしめていた巾着袋のおかげということになる。
「そうですねー。困りましたねえ」
「まあ、よいか。華琳が惚けている間に進めてしまおうぞ!」
「そうですねー、お嬢様。ちょっと怒ってますねー?」
「当たり前じゃ。妾を差し置いて……。ま、ここにおるものは皆そう思うておるじゃろ。華琳を祝福するのとはまた別にの」
 ふん、と一つ鼻を鳴らし、彼女はずかずかと段を上る。その後を当然のように七乃が追った。本来ならば、誰かが止めたのであろうが、こんな時だからこそできたことであった。
 そこではあまりのことに呆然と硬直したままの華琳と、心配そうに彼女を見つめている一刀がいた。
「一刀。漢の名家、袁家の当主たる妾が、新たな帝を目指すそなたに、贈り物じゃ」
 金糸で織り上げられた巾着袋をあけ、彼女は大ぶりな玉で出来た璽を取り出す。光の具合によっては七色に見えるような、不思議な光沢を持つ存在であった。
「ほれ、伝国の玉璽じゃ。帝にふさわしいなら、そなたが取るがよい」
「ふむ」
 反応のない華琳の手を名残惜しげに離して、ひょい、と一刀はそれを取る。美羽はふふんと満足そうに唸った。
「確認なんだけどさ、これって、たしか秦の始皇帝が作らせたものじゃなかったかな?」
「ええ、そうですよー。漢の高祖に伝わって、それ以来、ずっと伝えられてきたものですねー」
 一刀の問いかけに誰も答えようとしないのを見て、七乃がゆっくりと答える。大半は、華琳が固まっていることや、婚姻の申し出の方に気を取られているようだった。中には一刀の行動を興味深げに眺めている者もいたけれど。
「ということは、人が作ったものなわけだよね?」
 確認するように、再度一刀は訊ねる。
「まあ、そうなりますね」
「そうか」
 一刀は壇上を、美羽や華琳たちから離れるように歩く。掌に余るほどの玉璽を手に持ちながら歩く様は、なにか大きな感慨を抱いているように見えたが、その実は違う。
 彼は、必要だから距離をとったまでであった。
「俺は、新しい世を作る」
 右手に玉璽を掲げ、彼は宣言する。
「俺は、新しい秩序を作る」
 左手で鯉口を切りながら、彼は宣言する。
「伝国の玉璽は始皇帝が作らせたもの、人がつくったものをありがたがって、なにが天子か。なにが皇帝か」
 ぽーん、と玉璽が打ち上がったかのような錯覚を、見る者たちは覚えた。
「美羽。これを打ち壊す機会を与えてくれて、礼を言う」
 振られたのは三振り。
 玉璽であったものが床に落ちるまで、三度、一刀の刀はそれを断った。真桜の鍛えた刀は、玉をいともたやすく割り、砕き、破壊した。
 硬質の音をたてて、かけらが床に落ち、いつの間にか抜かれていた鞘が、それをだめ押しのように砕いた。
 だが、そんな衝撃を受けても、巨大な玉は全て破砕されたりはしない。かけらの半分ほどが段を転がり落ち、てんてんと転がって、ついに、とある人物の前へと至った。
「祭」
「はっ」
 彼は見つめる。彼の事を見上げる仮面の奥に潜む瞳を。その時、彼はなにを思ったろう。その時、彼女はなにを思ったろう。
 だが、刀を鞘に収めながら、まるきり平静な声で彼は命じた。
「砕け」
 いっそ嬉しいかのような仕草で、腕が振り上げられる。そこ握られる鉄鞭は、魏文長の鈍砕骨には負けるものの、無骨な鉄棒に他ならない。
「漢に仕えて二十年! 破虜将軍黄蓋、いま、訣別つかまつる!」
 覇竜鞭。
 そう名付けられた鉄鞭が振り上げられ、そして、四百年以上の時を経たそれを完膚無きまでに破壊した。




     (玄朝秘史 第四部第四回『伝国玉璽』終/第四部第五回『靖王伝家』に続く)

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