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947 名前:岡山D ◆V9q/gp8p5. [] 投稿日:2011/09/28(水) 21:15:23 ID:CCbGRqFo0
 
 本当にお久しぶりです、岡山Dです。

 懲りずに又投下させてもらいます。
 [交じり合う人達]です。
 以前も書きましたが、本当に山も谷も無いです。


注意事項
 ・この作品は、魏ルート・アフターであり、萌将伝は含まれておりません。
  ですので、萌将伝と食い違う場面が多々ありますがご勘弁ください。
 ・キャラ同士の呼称や一刀に対しての呼び方が本編と違う場合が有ります。
 ・ストーリー上オリジナル設定(脳内妄想)が有ります。
 ・関西弁や登場人物の口調など、出来るだけ再現している心算ですが、
  変なトコとかが有ったらゴメンナサイ。
 ・18禁なシーンに付いては期待しないで下さい。

 以上についてはご容赦のほどを。
 
 
 SS初心者なので、至らぬ事も多いかもしれませんが、よろしくお願いします。
 もし、感想・批評などございましたら、避難所の方へお願いします。
 
 本編はtxtで専用UP板にアップしましたのでご覧ください。
URL→http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0693



交じり合う人達
    もしくは
      一刀・春蘭のおもろい夫婦道中記


  本格的な夏は未だ少し先であるが、ここ建業は初夏とは思えぬ夏本番を思わせる日が差している。そんな日差しにまいっている
 のか只だらけているのか、呉の国主たる孫伯符こと雪蓮はだらしなく執務室の机の上に身を投げ出していた。
「全く、暑いわねぇ……。今からこんなのだと今年の夏は思いやられるわねぇ……」
  そう言って雪蓮は隣の机で書き物をしている冥琳に眼を向ける。同じ様に暑さを感じているのか、冥琳の額にもうっすらと汗が
 滲んでいる。
「あーぁ、わたしも洛陽に行きたいなぁ……」
  祭からの一刀に関する報を聞いてから毎日、いや冥琳と顔を合わせる度に繰り返す雪蓮の言葉に冥琳は一瞬筆を止めるが、直ぐ
 に何事も無かった様に再び筆を走らせる。他の者が見れば取るに足らない様な仕草でも、『断金の仲』と称される二人にとってそ
 の変化を見逃す事は無い。
「そりゃぁ思春と穏の二人の人を見る眼を疑うわけじゃぁ無いけど……、そんな手間を掛けなくてもわたしが行けば一度で事足りる
 でしょうに……」
  そう言って雪蓮は冥琳の整った横顔を見ながら愚痴る。雪蓮の言は既に何度も冥琳から却下を言い渡されており、覆る事は無い
 のは承知しているが、どうやら雪蓮は冥琳の反応が面白くてからかっているのであった。要するに彼女は退屈しているのである。
「ふ〜んだ……。冥琳のバカ……、けちんぼ……、イケズ……、おたんこなす……、あんぽんたん……」
  雪蓮は飽きもせず他愛の無い悪口をブツブツと次から次へと続けていく。暫く続けていると流石に冥琳の筆が止まった。
「……行かず後家」
  雪蓮がその言葉を発した瞬間、冥琳の手に有った筆が音を立てて二つに折れた。そして冥琳はゆっくりと雪蓮の方へと視線を向
 け、雪蓮に近付いて行く。その顔は微笑を湛えているが、眼は決して笑っていない。そんな雰囲気を醸しながら近付いて来る冥琳
 を雪蓮は見ながら「やばい、言い過ぎた……」等と内心思っていたが、冥琳の視線から眼を逸らす事も身体を動かす事も出来なかっ
 た。
「あっ、あのね冥琳。今のはじょ……」
「雪蓮、この暑さの中ちゃんと執務室に居るので多少の悪ふざけは大目に見ていたが……。天の遣い殿の件は以前に言った通りだ、
 変更は無い……」
  冥琳は瞬きすらせず、雪蓮の顔をジッと見詰めたまま話を続ける。
「雪蓮……、この際だからはっきりと言っておく……。わたしは決して行き遅れではない……」
  冥琳の只ならぬ雰囲気に腰が引けていた雪蓮であったが、懲りもせずまた口を滑らせる。
「なんだ冥琳も気にしてるんじゃない。そんな事気にしなくてもわた……、痛いっ……、いひゃい!」
「つまらない事を言う口は、この口か?この口なのか!」
  冥琳は容赦無く雪蓮の左頬を抓り上げる。傍から見れば臣下が国主に手を上げている由々しき場面ではあるが、この二人のして
 いる事なので側に控えている文官や侍女達も「何時もの事」と見て見ぬ振りをしている。
  そんな所に穏がひょっこりと顔を出した。
「雪蓮さまぁ、冥琳さまぁ。お時間よろしいでしょうかぁ〜」
「おお、穏か。どうかしたのか?」
  声を掛けてきた穏に顔を向ける事無く冥琳が答える。もちろん雪蓮を抓り上げている右手を離す事は無い。一方、雪蓮は縋る様
 な視線を穏へと送っている。
  穏も一瞬視線を雪蓮に向けるが、何事も無かったかの様に話し始めた。
「明命ちゃんの部下の方から一報が届きましたぁ。どうやら北郷さんは襄陽に派遣されるそうですぅ。しかも暫くの間逗留する可能
 性が有るそうですぅ〜。到着は月が替わって中頃かと」
  穏からの報告を聞いた冥琳がそちらに身体を向ける。もちろん雪蓮を抓っている手を離す事は無い。冥琳が身体の向きを変えた
 事で雪蓮は抓られたまま引っ張られている状態になっている。雪蓮は目尻に涙を貯めている。
「めいひん……いひゃい、いひゃいってばぁ……」
  雪蓮は涙目で冥琳に懸命に訴えかけるが、彼女はそれを無視して穏との会話を続ける。
「ふむ、それは些か間が悪いな……。洛陽に行っても会えないのでは意味が無い」
「ですよねぇ〜。なら思春ちゃんは今蓮華さまと江夏に居ますから穏が思春ちゃんと合流して襄陽に行きましょうか?穏も江夏や荊
 南の現状を直接見て確認出来るのは嬉しいですしぃ〜」
「ああ、ではそうしてくれるか。見遣い殿と我々が接触するで有ろう事は向こうも織り込み済みだろうし……。まぁ警戒はされるだ
 ろうがな」
「了解しましたぁ〜。……でも北郷さんを襄陽に派遣するって事は」
「ああ、魏も南部の整備や開発を本格化させるのだろう。荊州の境界線の確定まではこちらに気を使っていたのか北部や涼州に重点
 を置いて荊北は必要最低限に抑えていたからな。しかし、あちらの出方によってはこちらも手を変えねばならん。……ん〜、後出
 しされた様で好かんな。これは荀文若の手か、それとも程仲徳か……」
「まぁ、本当に気を使っていただけかもしれませんしねぇ〜。あちらの動きが急に活発になったのは半年程前からですしぃ〜」
「そして見計らった様に御遣い殿が還って来た。何か関係があるのか?」
「さぁ……。今回は前回の様な『お告げ』は無かったですしぃ〜」
「ふむ……」
  冥琳は穏との会話が一段落した所で何やら思案気な顔付きに変わった。その時冥琳の雪蓮を抓っていた指から力が抜けた。それ
 を見逃す雪蓮ではなく、するりと指から抜け出した。
  そしてやっと冥琳の手から開放された雪蓮が赤くなっている頬を擦りながら恨めしそうに冥琳を見ていた。しかし、表情にこそ
 出さ無いが、冥琳を見詰める雪蓮の目の奥に胡散臭い光が灯っている。往々にしてこういう時はろくな事を考えていない雪蓮であ
 るが、それを見逃す冥琳ではない。
「もうっ!痛いじゃないの冥琳!!何よ、他愛の無い戯言じゃない……!」
  そう捨て台詞を残して部屋を出て行く雪蓮。
「(イイ事を聞いたわ、襄陽なんて船で行けばすぐじゃない。到着が来月の中頃って事は……、やばいその頃ってば越からの使者が
 来る頃じゃない!流石にそれを反故にしたら冥琳怒るわね……。蓮華が居ない今はシャオを名代にするのは……無理か。まぁ暫く
 は大人しくしておいて使者が帰る頃はゴタゴタしてるだろうからその期に乗じて……。よし、その手でいこう)」
  そう正にろくでもない事を考えながら廊下を満面の笑みで歩く雪蓮であった。そんな雪蓮を見る城の面々にはきっと先がとがっ
 た尻尾が見えていたに違いない。
  そんな雪蓮を無言で見送った冥琳と穏は彼女がこの場からかなり離れた事を確認してからお互い顔を見合わせおもむろに冥琳が
 口を開いた。
「では穏、後で話を詰めてから思春に予定の変更について指示を送ってくれ」
「は〜い、判りましたぁ〜。で、雪蓮さまの方は……」
「ああ、来月の越の使者との会談直後から雪蓮とわたしは越の使者の見送りも兼ねた南部への視察を入れておいてくれ」
「それまでは流石の雪蓮さまも大人しくしていると?」
「越との会談を反故にするほど雪蓮もバカではあるまい。荊州も気に為るが、南部の安定も必要だ。わたしも直に己の目で見ておき
 たいしな。ここに蓮華さまでも居ればまた話が違っていたろうが……」
「なる程ぉ〜、流石にお二人は判り合っておられますねぇ〜」
「ふっ、戦場で天性の勘で動く時の雪蓮ならば読み切れん時も有るが、こういう平時の悪巧みの時は読み易い」
「では皆さんお留守の間の指揮は祭さまでいいですねぇ」
「ああ、それでいい」
「ではではぁ〜その線で話を進めておきますぅ〜」
  そう言い残して穏は部屋から退室する。一方冥琳は元居た椅子に腰を下ろし「ふぅ〜」と大きな溜息を吐いていた。
「(さて、あちらはどう出てくるか……、そして天の遣い殿との接触は我ら呉にとって吉となるか凶となるか……)」
  そんな事を思いながら冥琳は強い日差しに照らされている庭を眺めていた。
  今が嵐の前の静けさだったと冥琳が感じるのはまだ暫く先の事である。



         〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜



  一刀の襄陽派遣に伴い、一つの問題が発生していた。それは誰が一刀に同道して襄陽に行くかと言う事であった。
  露骨に一緒に行きたがった者、顔には出さないが行きたがっている者、頼まれれば一緒に行くのもやぶさかではないと言う者等、
 反応は様々であった。間違っても一刀を放し飼い……元い、一人にする等という選択肢は無かったが、早々に国主たる華琳は除外
 された。そしてそれを一刀もあっさり認めた為、その後の会議中華琳は非常に機嫌が悪かったのはご愛嬌である。
  先ず初めに一刀が抜ける為警備隊の凪・猪々子・斗詩が除外され、次に近々に幾つかの会談や折衝を控えていた為三軍師が除外
 された。勿論、華琳が除外された為、その親衛隊である季衣と流琉も除外された。結局、襄陽を中心とした州内の治安の引き締め
 の為に春蘭が、兵士の再教育の為に沙和が先ず同道し、遅れて施設などの改修の為に真桜と騎兵の編成の為に霞が準備が出来次第
 合流する事と成った。春蘭が一刀に同道する為、自動的に洛陽の守りの為秋蘭は残る事に成る。ちなみに、麗羽は「一刀様の留守
 はこの袁本初が守りますわ!」と自ら宣言し、洛陽に残る事に成った。勿論、三軍師達が同道しない代わりに将来の軍師候補と言
 える文官達が同道するが、洛陽から連れて行く春蘭の部隊も最小限に抑えられ案外こじんまりとした印象であった。
  一刀の襄陽派遣を聞きつけた蜀の面々も襄陽・江陵経由で成都に向かう事と為り、数日後の出立に向け皆準備に取り掛かってい
 た。

  皆が一刀達の襄陽派遣の準備をしている頃、一刀本人は『洛内視察』を行っていた。様はサボりである。ただし、自分の襄陽派
 遣に関する準備や派遣中の業務の引継ぎ等は既に終らせており、今の視察は自分が留守にする事の挨拶回りの側面も強いので、厳
 密には完全なサボりとは言え無い。しかし、本人はそう思っていても一刀の周りに朱里や雛里、そして璃々や鈴々まで連れていて
 は傍から見れば仕事をサボって遊んでいる様にしか見えない。実際、一刀は片手には串焼きをもう片方の手は璃々と手を繋いでお
 り、然もありなんであった。
「なぁ、鈴々。この後季衣や猪々子とご飯食べに行く約束なんだろ?大丈夫なのか?今こんなに食べて」
  特大の串焼きを片手に二本づつ持って嬉しそうに食べている鈴々はさも当たり前の様に一刀の質問に答える。
「大丈夫なのだお兄ちゃん。この位は何の問題も無いのだ」
「そっ、そうなのか。ならいいんだけど」
  一刀の質問に答えるやいなや、再び串焼きを頬張る鈴々を一刀は溜息混じりに眺めていた。
  こうして本当に美味しそうに、そして嬉しそうに食べる様を見るのは一刀としても嫌いでは無い。同様にいい顔で食べる季衣や
 猪々子にも一刀は食べ物をよく与える為、華琳や秋蘭から甘やかし過ぎだと小言を言われる事もしばしばであった。
  しかし、一刀は不思議に思う事が有る。なぜ季衣や猪々子、そして鈴々はコレだけ食べても体形に変化が無いのかと。確かに以
 前に比べれば背は高く成ってはいるが、別に太っている訳ではない。かと言って、部分的に肉付きが良くなっている訳でもない。
 同様によく食べる春蘭や翠は一応自分の体形を気にしている。美食家で知られる華琳や麗羽も同様である。季衣達を見ながら沙和
 が愚痴を言いながら恨めしそうに彼女達を見詰めていたのを見た事は一度や二度等では無かった。「世の女性達は羨ましい限りだ
 ろうな」等と考えている一刀であった。

  ちなみに、一刀と鈴々は真名の交換を済ませている。きっかけは一刀の屋敷の池で水遊びをしていた璃々が発端であった。
  初めは本当に他愛も無い水遊びであったが、そこに鈴々と一刀が加わった事で水遊びが水の掛け合いに変わった。そこに翠が加
 わり、霞と真桜の乱入で話が大きくそして大掛かりな物へと変貌し、最後は春蘭も加わってそしてノリのいい洛陽の住民達をも巻
 き込み、何故か魏蜀双方の軍師が陣頭指揮を執る水掛合戦へと昇華していた。
  そして両軍今正に激突しようとした瞬間、騒ぎを聞きつけた華琳と秋蘭、そして凪達警備隊に解散を命ぜられ、大騒ぎは終息を
 迎えていた。
  その騒ぎの渦中、一刀は突然鈴々から真名を告げられていたのであった。
「お兄ちゃん!これからは鈴々の事鈴々と呼んでイイのだ!」
「えっ?!」
  お互いずぶ濡れで片手には桶を持った状態で宣言された一刀は突然の鈴々の行動にキョトンとしていた。
「鈴々、こんなに楽しいのは久しぶりなのだ!嬉しいのだ!洛陽に付いて来て良かったのだ!!」
「そうなの?」
  イマイチ要領の掴めない一刀は小首を傾げながら鈴々に問い掛ける。そんな一刀に鈴々は満面の笑みで答えた。
「そうなのだ!だからこんな楽しい気持ちにしてくれたお兄ちゃんにお礼の意味もこめて鈴々の真名を預けるのだ」
  そうイイ笑顔で話す鈴々を前にして、鈴々の真名を預けられた一刀がイイ気分にならないはずが無かった。
  恐らく朱里が言っていた魏と蜀の格差等の影響で蜀の内部に知らず知らずの内に影が落ちていたのかもしれない。そんなものを
 鈴々や璃々が敏感に感じていたのではないだろうか。そんな事を一刀はふと感じていた。そう考えれば、先程の鈴々の言葉や璃々
 の少々はしゃぎ過ぎな態度も納得がいく。
  そんな鈴々の頭を撫ぜながら一刀も笑顔を返す。
「ありがとう、鈴々。大切に預からしてもらうよ。よし!なら負けないように頑張って水を掛けるぞ!」
「応!!なのだ!」
  そう言って二人は手に持っている桶に水を汲み走り出す。そして目の前に現れた小柄な人物に桶の水を掛けた。二人が歓声を上
 げていると、その水を掛けられた人物が雫を垂らしながら二人に顔を向けた。その顔を見た一刀は「時間よ戻ってくれ」等と心の
 中で叫んでいた。その水を掛けられた人物こそこの国の主たる曹孟徳こと華琳であったからだ。
「楽しそうね……、一刀」
  そう怒るでも無く、笑うでも無く、淡々とした口調で一刀に話し掛ける華琳。そんな華琳を見た鈴々は一刀の後ろに隠れ、一刀
 は両手を挙げながら脂汗を流していた。
  この騒ぎの終息後、水掛合戦に加担していた魏蜀の面々は全て城に連行され、玉座の間で正座のまま華琳・秋蘭・桂花三人の果
 ての無い説教を懇々と受けたのであった。



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  洛陽を出立した一刀は、襄陽までの道すがら同道していた朱里と雛里から質問攻めにあっていた。彼女達の質問は天の国の様子
 や文化、果ては暮らしや風俗そして一刀の個人情報まで多岐に渡っていた。真名の交換も済ませ、気兼ねしていた部分が無くなっ
 た事も有り、ある意味容赦が無くなっていた。これは今に始まった事ではなく、洛陽に滞在している頃から既に始まっていたのだ
 が、そんな二人の変化を嬉しく思っていた一刀は彼女達の質問に可能な限り答えていた。
  その道中、一刀はある発見をしていた。料理の腕は壊滅的だと思っていた春蘭が塩だけを使った丸焼き系の料理の腕前は中々な
 ものだったのである。特に採って来た獣を小刀で器用にさばくところ等は紫苑や朱里達からも賞賛を受けていた。本人も料理につ
 いて褒められる事に慣れていないのか、顔を赤くし照れている春蘭を見た一刀は、彼女を再評価し認識を改めるのであった。

  襄陽に到着した一刀達を出迎えたのは襄陽の役人や住人達だけではなく、朱里達を迎えに来た襄陽に到着したばかりの蜀の面々
 も含まれていた。
  そしてその中に一刀は懐かしい顔を見付けていた。それは趙子龍こと星であった。
  始めてこの大陸に降り立った時、右も左も判らぬ一刀を黄巾の者達から救ってくれたのが彼女である。
「お久しぶりです、趙雲さん」
  彼女に近付きそう声を掛ける一刀。
「暫く見ぬ内に変わりましたな御遣い……いや北郷殿。この度は当方の可愛い軍師達が世話を掛けたそうで」
  そう言って一刀が差し出した右手を握り返しながら星が答えた。
「世話を掛けたなんてそんな……。こちらこそ出過ぎた事をしたかと恐縮しています。今宵は宴席を設けます気兼ね無くお越し下さ
 い。勿論趙雲さんの部下達にも酒等を振舞いましょう」
「それは重畳。わざわざ来た甲斐が有るというものです」
「後ほど使いの者を送ります。では今宵に……」
  そう言って戻っていく一刀を星はずっと眺めていた。そこに紫苑が近付いて来た。
「どう星ちゃん、久しぶりに会った見遣い殿は……」
  そう問われた星は紫苑に顔を向ける事無く口を開いた。
「やはりあの時あの御仁と……、いや無粋な繰言は止めましょう。時を巻き戻す事は出来ませんからな」
  そう言って自嘲的な笑顔を紫苑に見せる星。そんな星に紫苑は苦笑いを返しながら二人は朱里達の方へ向かうのであった。

  一刀の本当に簡単な挨拶で宴が始まり、星と一緒に朱里達を迎えに来ていた公孫賛こと白蓮を一刀は星から紹介されていた。
  白蓮は一刀との挨拶も早々に、初めて聞いた時から信じられないでいた大人しくなった麗羽についての質問をしていた。そんな
 麗羽に直に会った朱里達にも話を聞いていた白蓮であったが、自分の目で見るまでは「ネコをかぶっているのかもしれない」と納
 得しきれない様であった。
  しかし、アレがネコをかぶるなんて芸当が出来るのだろうかとも思う白蓮。白蓮が思うに、麗羽の性格は良くも悪くも自分に正
 直だと言う事だ。
「う〜ん……。朱里達にも聞いたし、北郷殿の口から直節聞いても麗羽の事がどうも……。いやっ、別に北郷殿の事を信用していな
 い訳ではないぞ。ただこう……何と言うか……その……」
「ああ、気にして無いよ公孫賛殿。まぁ、ウチでは一番付き合いの長い華琳も初めは面食らってたみたいだし」
「やっぱりそうなのか。これは一度会ってみたいな」
「うん、機会が有ったら是非そうしてやってよ。麗羽も南皮時代の事や公孫賛殿の事懐かしそうに話してたし」
  そう言って一刀は空になっている白蓮の杯に酒を注ぐ。一刀の話を聞いた白蓮は驚いた様な顔をしたが、注がれた酒を一気に飲
 み干した後は良い笑顔になっていた。
「そうだな。うん、是非会いたい」
  そんな白蓮を見ながら、一刀は色々な因縁も有っただろう白蓮と麗羽の不思議な関係を感じていた。そして一刀は白蓮とはいき
 なり普段通りの話し方で喋っている自分に気付く。白蓮については麗羽達から多少は聞いていた事が影響しているのかと思ったが、
 一刀は彼女の飾らない人柄に好感を持っていた。
「しかし、北郷殿も災難だったな。こちらの世界に戻って来て一番に出会ったのが麗羽達だったとは……」
  そう言う白蓮に一刀は笑顔で答える。
「いや、そうでもないかな。かえっていきなり洛陽の城内にでも現れてた方がイヤだったかも……」
  白蓮は自分が想像した答えと違う答えを口にした一刀を不思議そうに見ていた。それは隣で二人の話を聞いていた星や側に居る
 春蘭や沙和も同様であった。
「こちらの世界から消えた時は皆とは碌な別れすらもせずに勝手に消えちゃったからなぁ……。いきなり還って来て「やあっ」って
 のもねぇ……」
  そう照れた様なばつが悪そうな顔で一刀は笑っていた。
「それもそうか……」
  そう言って白蓮は手の杯を口に運んだ。そして再び一刀が注いでくれた杯の酒を口に含んだところで「案外彼とは気が合うかも
 知れない」等と考えていた白蓮であった。
「(うん、愛紗は何やら警戒していたけど、たんぽぽの言っていた通りいいヤツじゃないか。これからは長い付き合いに為るだろう
 から真名を交換した方が……イヤ駄目だ、会っていきなり真名を許すような軽い女だとは思われたくない。先ずは字でいいって所
 から始めて段階を踏んでから……、でも朱里達とは真名の交換を済ませてるし、出遅れるのは嫌だしなぁ……)」
  等と白蓮が一人悶々としていると、一刀が口を開いた。
「それに……」
「それに?」
「それにこちらに戻って来た時に出会った麗羽は少なくとも連合の時に初めて会った麗羽とは既に違っていたよ。聞けば俺が消えた
 後も苦労していたみたいだし」
「そうかぁ?あの三人組で苦労してたのは斗詩だけだと思うぞ」
「ははっ、そうかもしれないな」
  そう言って笑い合う二人。
「(いっいかん、どの場面で言い出せばいいのか切欠が判らなくなってきた……。ああ……、何でわたしはこんな性格なんだ……)」
  結局白蓮は襄陽を立つまで一刀に真名どころか字で呼ばれる事も無かった。しかし、唯一の救いは一刀に名前を忘れられたり、
 間違えられたりする事が無かった事であった。

  宴も終わりに近付いた頃、その輪から一人離れて庭に向かう星に一刀は気付いた。
  一人輪から離れた星は庭の四阿に腰を下ろしていた。そして宴から持ち出した酒瓶を取り出し手酌で一人呑み始めていた。そこ
 に一刀が現れた。
「隣よろしいかな?」
「これは北郷殿。よろしいのか主賓が抜け出しても?」
「旅の疲れも有るのか皆それぞれ部屋に引き上げて行きましたよ。そちらはどうです?趙子龍殿には少々物足りませんでしたか?」
  一刀の問い掛けに星は笑顔で答えた。
「いや、久々に良い宴でした。あの可愛らしい軍師達と見えた北郷殿なら察していただけるかと思いますが、最近は少々陰鬱な事が
 多ござってな……。あれらがあんな良い顔で呑んでいるのは久しぶりに見ました」
「なら良かったですよ」
「はい、ですから私も気分良く呑ましていただきました。で、空を見れば良い月が出ているではありませんか、ならば月を見ながら
 一献傾けるのも一興と想いましてな」
  そう言って星は月を見上げていた。そんな星の言葉に安心したのか一刀も同様に月を眺める。そして一刀が持参した酒瓶を取り
 出し、それを星の空になった杯に注ぎ始めた。
「おや、これは?」
  一刀に注がれた物が普段の物と違う香りに星が気が付いた。
「これは蜀の方に頼んで趙子龍殿に届けていただこうと思っていたあちらの酒です」
「ほう……」
「ですが折角本人にお会い出来たのですから自らこうして酌でもさせていただこうと……」
「では遠慮なく頂こう、……その前に北郷殿」
「何か?」
「話し方、普段通りでよろしいぞ」
「ああ、やっぱり……。変?」
「いささか」
  星に指摘され話し方を一刀は何時も通りに戻した。そしてその後は一刀は星に乞われて向こうの世界の話をしたり、逆に一刀に
 乞われて星が三国の面々の人物評等を話していた。
  星と色々話している内に一刀は面白い事に気付く。星が向こうの世界について疑問に思ったり、興味を持つところが魏の面々と
 は少々違っていた。人物評についても同様で、桂花や稟の人物評とは些か、いや人によってはかなりの違いが有った。星の人とな
 りについては風から多少は聞いていたが(何故星ちゃんの事がそんなに気になるのかと風からは散々追及はされていた)、彼女の
 元来の性格も有るのだろうが己の仕えるべき主を探して大陸を歩き回った経験が生かされているのだろうと一刀は思う。魏以外の
 人間と殆ど接触の無かった一刀にとって、それは羨ましくも有り難くも有った。
「そうそう、忘れていた訳ではないのだが言いそびれていた事があった」
「何?」
「月と詠からの伝言でな……。洛陽では大変世話になった、北郷様には大変感謝している。……そう伝えてくれと」
  そう星から言われた一刀であったが、不思議そうな顔で小首を傾げていた。そんな一刀を見て星が口を開いた。
「北郷殿、どうされたのだその様な顔をして……」
「洛陽……?世話になった……?」
  一刀は思い出せないのか眉間に皺を寄せ考えている。
「何だ、北郷殿は忘れてしまっているのか……。月も可愛そうに……」
「んっ?」
「いや何でも……。北郷殿、連合の折攻め入った洛陽で二人組みの女の子を助けませんでしたか、戦場にはそぐわぬ雰囲気の」
  星に言われ思い出した一刀が「おおっ」と声を上げた。
「そう言われれば確かに……。二人組みの女の子を保護して確か蜀の人に預けたんだったか……。一人は儚げでまるでお姫様の様な
 子と、もう一人は三つ編みでメガネを掛けた気の強そうな子」
「なんだかんだと細かい所まで覚えておられる様で……、二つ名は伊達ではありませんな。それはともかく、その二人が月と詠。今
 も元気で成都の城で侍女をしております」
「へー、元気にしているなら良かったよ」
  一刀の言葉を聞いた星が破顔し声を上げて笑い出した。それを見た一刀はキョトンとしている。
「北郷殿、何も聞いておらぬのか……。そのお姫様の様な子が董卓、メガネを掛けた気の強そうな子が賈駆ですぞ」
「はあぁっっっ……?!」
  一刀の驚きを隠さぬ、大きく口を開けた顔を見た星が益々大きな声で笑い出す。何かツボに入ったのか、開いている方の手で一
 刀の肩をバンバンと叩きながら久方笑っていた。かなり酒が回っているのもあったのかも知れない。
「いや、失礼した北郷殿。しかし、風達も肝心な事を北郷殿に教えんとは人が悪い。……ふむ、いやこれは……」
「いやこれはって何さ?」
「んっ……、いやそれはこちらの話。しかし、天の酒も美味であったし、面白い話も聞かせて頂いたし、面白い物も見せて頂いた。
 北郷殿の人となりも判ったし……。北郷殿、これからは私の事は星とお呼び下され」
  そう言って星は一刀に微笑みかける。それを見た一刀も微笑を返す。
「ありがとう星、預からせてもらうよ。知っているだろうけど俺は真名が無いから北郷でも一刀でも好きな方で」
「はい、風や稟からその事は聞き及んでおります。では私は一刀殿と……。では改めて乾杯といたしましょう」
  そう言って二人は杯を掲げ飲み干した。そして星は満足そうな顔で空の月を眺めていた。それにつられて一刀も月に目をやる。
  暫く二人月を眺めていたら突然星がポスンと一刀の肩口にもたれ掛かってきた。
「やはりあの時一刀殿と別れたのは失敗でしたな……」
「星?」
  一刀が星の方に目を向けると、彼女の頬が紅く染まっていた。それは酒の所為であろうか、それとも……。
「あのまま別れずにいたら……。もしかして今とは違った未来に成っていたかも……」
「どうだろう……。あの時の俺では、多分星の役に立てたかどうか……」
「その様な事は……、一刀殿は……余人を引き付ける何かが在ります……。それに……」
「それに?」
「それに……、一刀殿は我が主桃香さまに……よく……似て……おられる……」
  そう言って星はすうすうと寝息を立て始めた。その寝顔は穏やかで、もたれ掛かっている相手に対して安心しきったものであっ
 た。

  眠ってしまった星を抱き上げ、一刀は彼女の部屋へと向かって行く。途中出会った侍女に一刀は「もし紫苑が起きていれば呼ん
 で欲しい」と告げ、星の部屋の前で紫苑なり侍女が到着するのを待っていた。程なく紫苑が現れ後を彼女に託し、一刀は星を寝台
 に寝かせると其の場を後にした。
  一刀が去り、見送った紫苑が部屋の扉を閉めたところで星に話し掛ける。
「星ちゃん、一刀さんは帰ったわよ。……狸寝入りはおやめなさい」
  紫苑の言葉が終るやいなや星がスッと目を開いた。
「ふむ……。送り狼なるものを期待したのだが……、一刀殿は紳士であったな。いや、私の誘い方が甘かったのか?もう少し胸か裾
 を肌蹴た方が……」
  星の言葉を聞いた紫苑が微笑を零す。
「星ちゃん……。わたくしの前だからといって無理して強がるのはお止しなさい」
  紫苑の言葉を聞いた星は何事か言いたそうであったが、何も言う事無く着ていた服を脱ぎ捨て掛け布団に包まってしまった。
「紫苑は意地悪だ……」
「ふふっ。ではおやすみなさい星ちゃん」
  そう言って星の衣服を整えて紫苑は部屋を後にした。
  そして自分のとった行いを思い出して眠れぬ一夜を過ごす星であった。



  一刀が襄陽に赴任し約十日が過ぎていた。既に蜀の面々も既に襄陽を立ち、襄陽の再開発の計画も道筋が見え始めてきていた。
  襄陽の再開発とは言っても、襄陽自体既に北荊では大きく発展している都市であり、根本から大変更等を行う訳ではなく、今後
 の発展の為に都市部の整理や周辺の検分が主であった。税制や法に関しては洛陽で施行されているものを基準とし、襄陽に合わせ
 て細かい変更はあったものの根幹に変更は無い。軍備に関しては三国が接する土地柄の為、多少の増強は行ったが主に防衛を主と
 しているもので呉や蜀が目くじらを立てる程の物では無かった。この後、騎兵隊を配備した事が問題に成りかけはするも、その時
 は今とは状況が変わっていた為か余り大きな問題には成らなかった。
  治安については魏が北部や涼州に重点を置いた事や南荊州の開発を呉や蜀が先行していた為、北荊に賊達が流れ着いた事もあっ
 て一時期治安が悪化しかけた事もあったが、それを放置しておく華琳では無く今は改善され始めていた。それに業での一件が噂と
 して広まり始めていたところに今回の春蘭の襄陽への来訪と、着任早々規模の大きな賊の集団を春蘭の指揮の下いくつか潰した為、
 結果こちらでも賊達の自主的な投降が目立ち始めていた。勿論一刀は投降した者達を受け入れ、一部を除いてその者達を適材適所
 に再配置し、軍務や警備に付かせる者達は沙和の徹底的な再教育が施された。それらにより軍や警備の人数は短期間の内に予定し
 た数を揃える事になった。
  この投降したり捕虜にした賊達の取り込みに付いては当然反発も小さくなかった。特にこれらの賊に襲われた経験のある者達に
 してみれば、例え食うに困って賊に成り果てた者であろうと、賊にさらわれやむを得ず手を貸していた者であろうと、どんな事情
 が有ろうとそれらは等しく賊である事に変わりは無かった。
  しかし、そんな彼らにも少なからず同情の声が有ったのも事実であった。もしも戦が長引いていたならば、自分達も賊に身を窶
 していたかもしれなかったからだ。それは口にこそ出さないが、皆が感じている事であった。その為、一刀以下三国の立役者達の
 説得も有り、多少の混乱や反発が有ったものの、一部の凶悪犯や更生不可能な者達を除いて彼等の受け入れは概ね順調に進んでいっ
 た。多くが屯田兵として軍が受け入れたり沙和の徹底的な再教育の後警備隊に配属された事も有るが、合わせて彼らを受け入れた
 数によって年貢や税の軽減措置も行われた事が都市部だけではなく、周辺の邑々も受け入れが進む側面でも有った。
  勿論これらの政策はただ賊達を許した訳では無く言わば執行猶予であり、再び賊に身を窶す者や犯罪に手を染める者等は、容赦
 無く断罪された。しかし、数年間(人によっては十数年)真面目に仕事に打ち込めば魏の民として戸籍が手に入った為、思った以
 上に再犯率が低かったのも事実であった。
  これらの方針で一時的とはいえ年貢や税の減少が生じたが、それらは一刀や真桜の尽力による新技術の民間への移転や、農耕従
 事者の増大による生産増で数年の内に解消されていたのを付け加えておく。


  その日一刀は春蘭と共に襄陽郊外を視察に来ていた。この日の視察は新しい農地と新たな造船所の建設用地の選定が主であった。
  その為長江の側に居たのだが、長江は数日前に上流で降った雨の所為で水量も増え荒れた状態になっている。そんな川を眺めて
 いた一刀達の下に周囲の偵察に出していた斥候が慌てた様子で近付いて来た。
「夏侯将軍!北郷様!」
「何事だ!」
  斥候の慌てた様子に何かを感じた春蘭が反応した。今迄少々退屈していた春蘭の顔がその瞬間武人の顔に変わった。
「はっ!報告いたします。この先の川岸に商人の物らしい船が座礁しており、それを狙った賊共が集まっております!数は約五十!」
  報告を聞いた春蘭が一刀の方に振り向き口を開いた。
「ほう、襄陽のこんな近くで寝惚けた事をするとは余程命が惜しくないようだな。北郷!かまわぬな!!」
「ああ、任せる」
「よし全員騎乗!直ぐに向かうぞ!」
「応!!」
  視察の為共に連れていた者達は十五人程であったが、彼等は皆春蘭の部隊の選りすぐりである。この程度の人数差など苦にも成
 らない。特に春蘭はここ数日は視察続きで襄陽の着任早々の賊退治以降荒事が無かったのでかなり張り切っている。訓練で手合わ
 せしようにも霞も季衣も居ないここ襄陽では相手が居らず、一刀や沙和は他の仕事で忙しそうにしており、特に一刀は打ち合わせ
 だの視察だので昼間は殆ど構って貰えず鬱憤も溜まっていたのだろう。
「北郷!お前は後ろに下がって……いや、わたしの側を離れるなよ!」
「ああ、了解した」
  賊達の元へ向かう為に馬を駆る春蘭の顔は実に晴々としていた。

  賊の頭目は少々焦っていた。
  暫く前は中原等と比べればここら一帯はまだ仕事がし易かったのだが、最近はここ荊北も段々と締め付けが厳しくなりもっと南
 部にでも行こうかと思っていた矢先に襄陽にあの夏侯惇が来たと聞きつけた。夏侯惇は噂通り襄陽に来た早々に大きな賊の集団を
 二つも血祭りに上げ(勿論コレは一刀達が意識的に流したデマ。実際は死んだ者は十数名で残りは上記の通り沙和の再教育中)た
 と聞き、益々こんな所はおさらばしようと言う気持ちが強くなっていた。夏侯惇の軍勢が襄陽に帰ったのを確認し、移動しようと
 した矢先、座礁した商人の船の話が舞い込んできた。襄陽から余り離れていないのが懸念材料であったが、船の大きさもたかが知
 れておりしかも川岸の直ぐ側で座礁しているとなれば、江賊ではない自分達でもたいした時間もかけず何とかなると思っていた。
 賊の頭目はこれをここいらでの最後の仕事にしてここを離れるつもりでいた。
  しかし、事はそんなに簡単には進まなかった。
  頭目は水夫をなめていた。日頃船など襲う事など無いのだから仕方が無いのかもしれない。水夫の力自慢や気の荒い者達が「は
 い、そうですか」と船や積荷を渡す道理が無い。何人かが船に取り付いたが、そこから遅々として事が進まない。
  そんな頭目があるものに気付く。十数騎の騎馬がこちらに凄まじい勢いで近付いて来る。そして頭目はその先頭近くでたなびい
 ている旗を見た瞬間青ざめた。その旗に描かれている文字は「夏侯」の二文字。それは頭目を死へと誘う者の名前である。
  頭目の首が胴体から離れ、長江に叩きこまれるまでたいした時間はかからなかった。

  春蘭の登場と、春蘭に斬りかかった者達や頭目の末路を見せ付けられた残りの賊達は皆武器を捨て恭順の意を示す。これ以上逆
 らっても頭目達と同じ目に合うのは誰の目にも明らかであった。
  余りのあっけなさに春蘭は少々拍子抜けしていたが、縛り上げた賊達や負傷者を川岸に下ろしていた時それは起こった。
  何度かの大きな波を受けた商船が突然動き出したのだった。船には商人から事情を聞き今後の事に付いて話していた一刀と春蘭、
 そして春蘭の部下数名が取り残されてしまった。船は流れに乗って岸から離れていくが、怪我をした水夫達を岸に下ろしりするの
 に人を割いていたので残った少数の水夫だけでは何とか船を安定させるのが精々であり、施設も何も無い岸に接岸するのは難しい。
  それを水夫や商人に確認した一刀は岸を併走している春蘭の部下に伝えた。
「俺達は問題無い。心配するなと沙和に事情を伝えてくれ!落ち着いたら連絡を送る!」
  そう一刀は岸辺に居る部下に大きな声で伝える。それを聞いた部下が了解の合図を返した。
「おっ、おい北郷。大丈夫なのか?わたしは船の事なぞ判らんぞ」
「んっ?大丈夫だろ、……きっと……多分。そうだ商人殿、このまま向かうと夏口で良いのですか?」
  一刀の質問に商人が答える。
「はい、左様で御座います。夏口には先行した身内の船も居りますし、あそこまで行けば川幅も大きくなりますので落ち着くかと」
「では夏口までよろしくお願いします」
  そう言って頭を下げようとした一刀を慌てて商人が止めに入る。
「およし下さい北郷様。北郷様と夏侯将軍は我々の命の恩人で御座います。幸い浸水なども在りませんでしたのでお二人や部下の方々
 は私の名に掛けて無事に夏口まで送らせて頂きます」
  そう言って商人は深々と頭を下げ礼を取った。そして商人に促されて揺れる甲板から船内へと三人が向かう。その途中、春蘭が
 一刀に話し掛けた。
「なっ、なぁ北郷。いいのか?何の許可も取らずに呉の領内に入って……」
  そこまで言って春蘭は何か思い出したのか渋い顔になる。
「ん〜……、まぁ今回は一応不可抗力だし……、別に江夏や呉の内部情報を探る気なんか無いし、長居をする気は無いけど、江夏の
 現状は見てみたいかな。正式に申し込めば許可は難なく下りるだろうけど、それをやると良くも悪くも街の人達が構えちゃうんだ
 よなぁ」
「それは仕方ありません、北郷様。人は良いところを見せたい、悪いところは隠したいと思うのが人情で御座います」
  商人は苦笑いで一刀に言葉を返した。そして呉や蜀にも商売でよく行っていると言う商人から一刀がそのそれぞれの国について
 話を聞いていると、一刀の横に座っていた春蘭がスッと立ち上がった。
「どうかした春蘭?」
「いや、わたしは甲板に行く。やはりわたしは船は性に合わん。身体を動かしている方が気が楽だ」
「判った、気を付けろよ」
「ああ……、お前はここに居ろよ。揺れる甲板から河にでも落ちられては堪らん」
  そう言って外に出て行く春蘭。それを一刀と商人が笑顔で見送った。そしておもむろに商人が口を開く。
「噂とは違い、お優しい方で御座いますね」
「ええ、不器用なところもありますがいいヤツです」
  そう笑顔で答えた一刀を商人はマジマジと見詰めている。そしてボソりと呟いた。
「こちらの噂は真の様で……」
「何か?」
「いえ、こちらの話です。おお、そういえば夏口で下りられるならばそのお召し物では少々具合が悪う御座いますな。代わりの物を
 容易いたしましょう」
「何から何まで……、お手数を掛けます」
「いやいや、この様な事お気に成さら無いで下さい。北郷様に頂いた恩に比べれば造作も無い事で御座います」
  そう行って商人は奥に消えて行った。
  後はこれ以上何事も無く夏口に無事到着するだけであった。



  夏口で商人の言う身内の船と合流し、何とか港に接岸出来た。一刀達はそのドサクサにまぎれて夏口に上陸するか、普通に上陸
 するか寸前まで決めかねていた。そしてそんな事を考えながら夏口への接岸作業を眺めていた一刀に春蘭が声を掛けてきた。
「なっ、なぁ北郷。本当にわたしはこんな服を着ねばダメなのか?」
  春蘭が普段では滅多に見せない照れた様な真っ赤な顔で一刀に尋ねる。そんな春蘭の姿を見た一刀は「もしここに秋蘭が居れば
 悶えているだろうなぁ」等と考えていた。
「ああ、何時もの格好だと武家の者だと直ぐにばれちゃうだろう。今の俺達は濮陽から来た商人一行だからな。それと暫くの間は俺
 は『史忠』春蘭は『夏胡蝶』だからな」
「『しちゅう』?『かこちょう』?」
「俺達がここに居る間名乗る名前だよ、偽名。俺の方はご先祖さんの名を借りた。春蘭のは……すまん、いい名が思い付かなかった。
 流石に天和達みたいに真名を名乗る訳にはいかないだろう」
「それはそうだが……」
  春蘭は偽名の事よりも今の格好の方が気になる様である。商人から借りた春蘭の服は旅装束にしては少々派手で豪華であった。
 普段の動き重視の春蘭の格好に比べれば全体的な露出は少なく、むしろ清楚な印象の方が際立つが、一転大きく開いた胸元が大人
 の色気を醸しだしている。背も高く体形の良い春蘭が着ているので目立つ事は請け合いであった。勿論、春蘭の特徴の一つである
 蝶の眼帯も外され、今は替わりに布が巻かれており、尚且つ前髪を垂らしていた。
  偽名については一刀自身のモノは直ぐに決まったのだが、春蘭については少々悩んだ経緯があった。一刀が言っていた様に真名
 を名乗らす訳にもいかず、かといって一刀の知識の三国志の武将の名を適当に名乗らせるわけにもいかなかった。実際に以前一刀
 は警備隊や軍、そして文官の中に目立っていないだけで聞いた事の有る名の人間に気付いた事が有ったからだ。と言う訳で迂闊に
 名を使う訳にはいかず、そう思い考えた末に思った以上にひねりも何も無い結果になってしまった。

  結局、一刀達はドサクサにまぎれて潜り込むのではなく、正規の手続きを取って江夏に入る事とした。これは「下手に忍び込ん
 で怪しまれ、動きを束縛されない方が良い」との商人からの助言も有り、それも一理あると一刀達もそれに従う事にした。商人が
 言うには今の江夏は商いを活性化する為、入ること自体は案外容易いとの事だった。その分、中の警備は厳しいとも一刀は聞かさ
 れていた。
  商人から交易品と幾ばくかの金子を借り受け、呉の領内に店を持つ為先ずは江夏を視察に訪れた商人夫婦の体でいく事となった。
  ちなみに一刀と春蘭が夫婦を装う事はまだ春蘭には伝えていない。
  江夏の入り口での荷の検めもあっさりと通過し、無事宿に着いた一刀達は安堵していた。一方、春蘭の部下の一人は夏口の港近
 くに宿を取り、いざと言う時の為の馬を手配し控えている。
「史忠様と奥方様ですね。お話は伺っております、ようこそおいで下さりました。聞けば呉に店を出されるとか、今後ともご贔屓に
 お願いいたします。ではお部屋にご案内いたします」
  そう言って一刀達を宿の主が先導する。その後を付いて行く一刀達であったが、春蘭の様子がおかしい。真っ赤な顔をして動き
 もギクシャクとしている。
「どうかしたのか?」
  一刀の問いに挙動不審な春蘭が先導する宿の主に聞えぬ様一刀の耳元で小さな声で答えた。
「だっ……、だってお前。わたしがほん……いや史忠の奥方って……、わたし達が夫婦だ等と……」
  春蘭の表情が可笑しくて、声を出しそうになるのを無理やり抑える一刀。その後ろを付いて来る家人役の春蘭の部下達も笑いを
 堪えている。そして春蘭の腰に手を回し、彼女の耳元で一刀は呟いた。
「そう言う事だからよろしく頼むよ奥様」
  一刀の言葉に消え入りそうな小さな声で「はい……」と返した春蘭であった。

  翌日から精力的に江夏の街を見て回る一刀と春蘭。未だ史忠の妻役に慣れていない春蘭の反応が少々おかしいところも有ったが、
 先ずは無難にこなしている。一刀の人たらしの腕と愛想の良さも相まって、三日もしたら宿の者や宿の近所の者達と気安く話す様
 になっていた。
「おや史忠さん、今日も奥方と江夏見物かい?仲のよろしい事で」
  昼食を取りに来た飯屋で女将にそうからかわれる。常に一刀と春蘭は共に行動していた為、仲の良い夫婦と評判になっていた。
「からかわないでよ女将さん。やっと口説き落として夫婦になったのにへそ曲げて逃げられちゃったらどうするのさ」
「そうかい?」
  そう言って女将が春蘭の顔を覗きこむ。一瞬女将と目が合った春蘭は直ぐに顔を赤くして俯いてしまった。
「で、ご注文は?」
「ああ、お勧めを二つ」
  注文を聞いた女将が厨房へ行き何やら伝えていた。それを目で追っていた一刀が春蘭に話し掛ける。
「色々見て来たけど感想はどう?」
  一刀に促されて春蘭が顔を上げる。
「街にも活気が有るし良い街だと思うぞ。後、警備については少々物々しいかな、窮屈な感じがする」
「うん、それは俺も感じたな。商人殿の言っていた入りを甘くしてる反動なんだろうけど……。これが呉のやり方なのかなぁ。だけ
 ど流石に江賊については話を聞か無いな。やっぱり水軍については呉の方が一枚も二枚も上手だな」
  一刀の言葉に春蘭は渋い顔をする。
「まぁ、水上戦に限ればな。陸上戦なら負けん」
「ああ、信頼してるよ。でもやはり江賊対策は呉に……」
  その時一刀に話し掛ける者が居た。
「おお、史忠さん。この間の話をもう少し詳しく聞きたいのだが……。それと面白い話が一つ」
「ええ、構いませんよ。……すまんちょっと行って来る」
  先日知り合った南部から来たと言う商人に声を掛けられ、その一団に向かう一刀。
「ああ……」
  とだけ答え春蘭は商人の方へ向かって行く一刀を目で追っていた。そんな春蘭に声を掛けてきた女性が居た。
「奥さんダメよちゃんと旦那様繋いでおかないと」
「えっ?ああ、確かおなじ宿の……」
  そこに他の客に料理を届けた女将が声を掛ける。
「なんだい二人とも置いてけぼりかい」
「そうなのよ。昨晩史忠さん達に当てられてちょっと旦那に何時もより多めにおねだりしたら未だ起きて来ないのよ……。ダメね。
 回数なんか史忠さん達の半分以下なのに……」
  どうやら女将とこの女性とも顔見知りのようで、気安い感じで話をしている。そんな彼女の話しを聞いた春蘭は目を見開き真っ
 赤な顔で彼女の顔を見ていた。
「あっ当てられてって……」
「案外あの手の声って聞えちゃうのよ。だって、二人が宿に着てから毎晩……」
「うわぁぁぁ……!」
  春蘭が慌てて彼女の話を遮る。それを見ていた女将が声を上げて笑っていた。
「いやぁ、若いってのは良いねぇ。ウチのなんか尻すら触ってこないよ」
「ふっ二人ともこんな所でやめてくれ」
「いくら奥さんがベタ惚れでもちゃんと手綱はとっておかなきゃダメよ」
「そうだねぇ。ありゃぁ佳い男だけど気も多そうだしね」
「わっわたしは……、その……女らしい事は全然ダメで……。でもアイツはそんなわたしでも……」
  真っ赤な顔のまま小さくなっている春蘭に彼女がぐいっと顔を近づけて来た。
「ダメよ!そんな卑屈になっちゃぁ。あんな佳い旦那さんなんて他には居ないんだから絶対逃がしちゃダメ。い〜い?」
「おっおう……、いや……はい」
「ならこうするの……」
  三人の作戦会議は一刀が話しに一段落つけて帰って来るまで続いていた。女将も加わっていたので店の機能が停滞したのは言う
 までもなかった。

  その夜、夕食を済ませた一刀は部屋で今日見て回った所で気が付いたところをまとめて書き物をしていた。そして明日にはここ
 を引き払って襄陽に戻る事を春蘭に告げる。すると一刀の対面の席に座っていた春蘭が立ち上がり神妙な面持ちで尋ねてきた。
「なっ、なぁ一刀。わたしはお前の言った役回りを上手くこなせていたか?」
「どうしたんだ春蘭」
「いや、わたしと居てちゃんと一刀と夫婦に見えていたのだろうかと思って……。わたしは秋蘭の様に気の効いた事は出来ないし、
 華琳さまや流琉の様に女らしい事も出来ない。だからもしかして一刀に迷惑を掛けて……」
  そんな不安そうな春蘭の手を取り、一刀は自分の膝の上に春蘭を座らせた。そして春蘭の肩を腕で抱え込む様にし、ゆっくりと
 落ち着いた口調で話し始めた。
「大丈夫、ちゃんと夫婦に見えてたよ。ここいらじゃ評判の仲の良い夫婦って言われてるんだから。飯屋の女将さんや宿の主人にも
 冷やかされてたじゃないか」
「だが、商売人達はお世辞で言っているなんて事も……」
「大丈夫だって。俺は会う人や行く先々で良い夫婦だ、綺麗な奥様だって言われて鼻が高かったよ」
「そっ、そうか……。なら良かった」
  どうやら春蘭はそれがずっと気になっていたらしい。一刀の言葉を聞いて安心したのかそのまま一刀の胸にもたれ掛かる。
「何時もの凛々しい春蘭も好きだけど、頑張って俺の奥さんを演じてくれた春蘭も可愛かったよ」
「わっ、わたしも嫌ではなかったぞ……、お前の奥さんと呼ばれるのは……」
  そう言う春蘭の顔は一刀からは見えなかったが、耳が紅くなっているのを見れば今の春蘭の顔は一刀には容易に想像できた。
  一刀は左手で春蘭を抱いたまま右手で彼女の頭を優しく撫ぜる。春蘭もそれが心地良いのか嫌がる素振りも見せず、一刀に身体
 を預けていた。少なくとも一刀はそう思っていた。
  しかし、春蘭の中ではある葛藤が起こっていた。
「(そういえば昼間の話でこういう時は確か……。しかし、本当に言わねばならんのか……?でも……ええい、ままよっ)」
  胸にもたれ掛かっていた春蘭が一刀の方に顔を向けた。今は一刀の顔を見上げるように見詰めている。それを一刀から見れば、
 頬を紅く染めた春蘭が上目遣いで自分を見詰めてた。そんな春蘭を一刀はただ可愛いと感じていた。
  江夏に来てからの春蘭はしおらしい一刀の妻の役を演じ様として一生懸命だったのだが、正直何時我慢の限界が来て普段の春蘭
 が表に出るかと心配もしていた。しかしそれとは裏腹にそんな思いは杞憂に終った。一刀は春蘭が自分が望まない役柄を何日も演
 じられるほど器用な性格であるとは思っていない(勿論いい意味で)。そんな彼女が見せた『しおらしい妻』の姿は本来春蘭が持っ
 ている一面であろうと確信していた。こんな姿は自分には似合わないと思い込んで内にしまい込んでいたのだろうとも一刀は思う。
 そして前回では見る事の出来なかった春蘭の色々な面を見ることの出来たこの機会を与えてくれた華琳に感謝していた。
  春蘭が意を決しておもむろに口を開いた。
「旦那様、今宵も可愛がってくださいませ……」
  春蘭のその言葉を聞いた一刀は、頭の中で何本かのネジが飛び、箍が外れ何か熱く滾るものを感じた。そしてそのまま春蘭を抱
 え上げ寝台へと向かった事までは辛うじて覚えていたが、その後の記憶はあまり明瞭ではなかった。気が付けば、窓から差し込む
 朝日の中一刀の腕を枕にスウスウと寝息をたてている春蘭が居た。
  こうして江夏での日々が終わり、襄陽へと帰還する事となった。



  翌朝、宿の主にここを引き上げる旨を伝え精算も済まし、何時もの飯屋で何時も通り女将に冷やかされながら朝食を摂り、沙和
 への土産を買い入れて茶屋で一服していた。すると春蘭が折角なので自分や洛陽の華琳さま達にも何か買って行こうという事にな
 り、(どうせ江夏に事故の結果の不可抗力とは言え潜入した事は華琳に報告が行くであろうし、よって隠し立てする意味が無い。
 実際この時点で既に沙和からの第一報が洛陽に送られていた)ここで待ち合わせと決め二人は別行動となった。

  数刻後、春蘭より早く待ち合わせ場所に戻ってきた一刀は一人茶を飲んでいた。こうなるであろう事は予測していたので別段慌
 てた素振りも無い。女性の買い物とは時間が掛ると相場が決まっている。
  その時、茶屋に入って来たある女性に一刀は気が付いた。その女性は少々疲れた面持ちで席に座ると何やら店の者に注文をし、
 大きな溜息を吐いていた。
  一刀はその女性に見覚えが有った。その女性こそ呉の国主たる孫伯符の妹孫仲謀であった。

  一方春蘭は華琳への土産にと入った服屋で唸っていた。洛陽の物とはまた違った呉の意匠の服は魅力的ではあるが、いかんせん
 露出が多い物が多く、それが春蘭を悩ませていた。そして暫く考え悩んだ結果、華琳と秋蘭と自分の物を一着づつ、そして何種類
 かの下着を選び店を後にした。
  買った荷物を大事に抱え、一刀との待ち合わせ場所に向かう為春蘭が来た道を帰ろうとした時、そんな春蘭の後ろに立ち声を掛
 ける者が居た。
「おい!こんな所で何をしている」
  急に声を掛けられた春蘭が史忠の妻夏胡蝶の笑顔で振り返る。
「はい、何でしょう……」
  振り返った春蘭は声を掛けてきた者の顔を見た瞬間、固まっていた。
「こんな所で何をしているのかと聞いている!夏侯元譲!!」
「げっ、げぇぇっ……、甘興覇!」
  声を出した後、後悔した春蘭であったが後の祭りであった。


                    交じり合う人達 了


おまけ

「雛里!いや、鳳士元!棋盤の上のお遊びと本当の戦場とは別物だという事をその身に思い知らせてくれようぞ!
 そして汚名は返上させてもらう!あなたの所為でここ数日はおあずけなのだからな!」
  洛陽の水掛合戦の最中、食堂の屋根の上を陣取り指揮所としていた稟が同じ様に通りを挟んで向かい側の民家の屋根の上に居る
 雛里に向かって叫んでいた。
  そんな稟を少し離れた路地から風が眺めている。
「いやぁ〜、稟ちゃん盛り上がってますねぇ〜。よっぽど雛里ちゃんに象棋で三連敗したのが悔しかったのですかねぇ〜。まぁ、あ
 の時はお兄さんが側で見てましたからねぇ〜。雛里ちゃんも容赦無かったですし……」
「それに稟のヤツ食堂の親父に景気付けだって酒を呑まされてたぜ」
「おおっ、そうなのですか宝ャ。それで稟ちゃんの本音がダダ漏れになっているのですかぁ〜。しかし、これ以上騒ぎが大きくなる
 と凪ちゃん達が動かざるを得なくなりますねぇ〜」
  一方雛里も屋根の上で稟を見詰めていた。
「あちらの指揮を執っているのは稟さん。そして積極的に動いているのは春蘭さんと霞さん、真桜さんが見えませんが何か絡繰を用
 意しているのかも……。どなたか伝令を!翠さんと鈴々ちゃんは正面に!お兄さまは後衛に!今は戦力を分散させるのは下策です。
 わたしの全身全霊をかけて、お兄さまだけは絶対に負けさせません!」
「はわわ!雛里ちゃん今の発言はダメだよ!不穏当だよ!」
  屋根の上に簡素に組まれた足場の上で怖い思いをしながら朱里が涙目で叫んでいた。

  そして春蘭は走っていた。
「どこだ北郷!隠れていないで出て来い!この間の屈辱今日こそ晴らしてくれる!」
「どないしてん惇ちゃん。一刀に何されたん?」
  隣を走っていた霞が春蘭に問い掛ける。
「あの様なモノを着せ……、しかもあんな格好で……、ごっ……ご主人様などと……。そっ、それに無理やり言わせずとも、ちゃん
 とお願いしてくれれば……やぶさかではなかったのに……」
「えっ?なんて?」
  途中からゴニョゴニョと小さな声で呟く春蘭の台詞が全て聞き取れなかった霞が春蘭に問い掛ける。霞と目が合った春蘭は真っ
 赤な顔になり、霞から顔を背け今以上の速さで走り出してしまった。
「うっ、五月蠅い!コレはわたしとほん……一刀との間の問題だ!霞には関係ない!」
「ちょっ、惇ちゃん何て?なぁ、ウチにだけ話してみ。何を着せられて、何て言わされたって?なぁ、誰にも言うたりせえへんから。
 なぁ、なぁて」
  今日も洛陽は平和であった。

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