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806 名前:一壷酒 ◆1KOsYU0skY [sage] 投稿日:2011/06/05(日) 23:03:12 ID:tdA5/l8E0
玄朝秘史第三部第五十回をお送りします。いやあ、五十回とか長すぎですねw
今回は、華琳様にかなり割かれて、大食い大集合までたどり着けませんでしたw

★投下予定:
しばらくは日曜日更新になるかと思います。

◇注意事項◇
・『真・恋姫†無双』魏ルートの後の話となります。
しかし、魏ルートの続きかと言われると違います。あくまで新しい物語とお考え下さい。
・ハーレムものです。
・魏軍以外の人物への呼び方・呼ばれ方は、原作になるべく近くしようとしていますが、知り合う
シチュエーション等が異なるため、原作中とは相違があります。
・史実とゲーム内情勢に関する独自解釈があります。
・アブノーマルな形でのセックスやそれに類する行為が出てくることもあります。
・題材の関係上、戦争や戦闘が関わってきます。それに伴い死の描写や、異なる時代背景の倫理に基づく
表現が出てきます。もちろん、これらは差別などを意図したものではなく、世界を表現するためのものです。
 また、あわせて、http://ikkonosake.kuon.cc/faq.htmlなどもご参照ください。
 以上の点に不快感、違和感、ひっかかりを覚えられる方はお読みにならないことを強くお勧めします。
・サイトに関連地図のページをつくりました。参考になるかもしれません。
・現状、玄朝秘史の掲載場所は私のサイトとこの外史まとめサイトのみです。投下告知を避難所にて行って
おります。それ以外の場所でのファイル配布などは行っておりません。

 UP板にて、メールフォーム及びメールアドレスを公開しています。ご意見ご感想等ありましたら、
どちらからでも、お気軽にどうぞ。フォームのほうはお名前、メールアドレスの記入が必要ありません。

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玄朝秘史
 第三部 第五十回



 1.帰朝


 収穫も終わり、黒々と掘り返された土の上を冷たい風が吹く。目を遠くに転じれば、人の手の入っていない平原が北の河岸まで続いていく。その上にも、きっと風は吹いているのだろう。
「広いなあ。狭いけど」
 前者は大地全体のことを、後者は人の手の入っている部分のことを思いつつ、一刀は言った。広大な大地に比べると、人は点と線でしかその居住地域を確保できていない。
 それがいいことなのか悪いことなのか、彼には判断できない。ただ、かつての――彼の過去の大半を占める――世界と比べた時、その違いを実感するのだ。
 実際にはかつての彼の世界にもこんな風景はあったのだろうけれど。
「なにをしていらっしゃるんですか、一刀さん」
 振り返れば、黝い髪をおかっぱにした女性が金色に輝く鎧姿で立っていた。
「ああ、斗詩。準備は終わったの」
「はい。麗羽様のほうは。あとは翠さんですね」
 北伐総大将たる麗羽、そして、涼州を代表し、実質的な軍の統率者である翠。この二人は洛陽入城に際して、式典を行うために、壮麗な装いをすることになっていた。軍の勝利をもたらしてくれた馬たちを飾るために、馬具も特別なものを用意することになっているくらいだ。
 麗羽より翠が手間取っているのは、彼女がそういうことになれていない上に、面倒を見てくれる斗詩のような人物がいないからだろう。とはいえ、彼女も今後はそういったことに慣れていかないといけない立場なのだ。
 とことこと彼女は一刀の傍に寄ってくる。
「なにしてたんですか?」
 横に立ち、一刀と同じ方向を向きながら、彼女は再度訊ねかける。
「ん。眺めていた」
 なにを、と彼は言わない。なぜ、とも彼は告げない。それでも女はそこにある何かを見つけようとするように、じっと彼の見つめる大地を眺め渡した。
 二人はそのまま並んで北に向かい続ける。その中ですっと斗詩の手が一刀の手の中に滑り込んだ。驚いた様子も見せず、彼はそれを握り返す。
 斗詩がはにかんだ。
 手を繋いだまま、彼らはなおしばしの間立ち続けていた。
「そろそろいくか」
「そうですね」
 口ではそう言いながら、二人の足は動かない。一刀が顔を横に向けると、斗詩も柔らかな表情で見つめ返してきた。
「久しぶりの洛陽だね」
「はい。久しぶりに帰りますね」
 帰る、と斗詩は自然と口にしていた。そのことに、男の笑みが深くなる。
「ああ、帰ろう。俺たちの家へ」
 二人はうっかりそのまま手を繋いで皆の所へ戻り、さんざん周りからからかわれることになるのだった。

 その日、洛陽に入城することとなった面々は、いくつかの集団からなっていた。
 翠を中心とする北伐涼州方面軍、一刀と流琉の荊州白眉討伐軍、それと、朱里と鈴々の蜀勢。
 北伐勢は凱旋の式典のために華々しい行進が予定されていたが、それに白眉討伐軍が混じるのは望ましくないと華琳たちは考えて、一刀に別の門から入るよう伝えていた。朱里と鈴々もそれに従うことになる。
 そんなわけで、彼らは人々が集まっている大通りを避けて、洛陽市中をひっそりと進んでいた。一刀個人としても、派手派手しい歓待より気が楽であった。
 だが、その途上、彼らを待ち受けていた一団があった。
「はーい、お帰りなさいですよー」
 魏軍の兵たちの先頭に立っていたのは、頭の上に宝ャをのせた風。彼女はいつものように飴をくわえながらのんびりと声をかけてきた。
「あれ、風……?」
 流琉以下も異口同音に彼女の出現に驚きの声をあげる。三軍師の一人として、北伐勢の出迎えに出ていると予測されて当然の人物だ。
「蜀の軍師殿をお迎えにあがるのも、おろそかにするわけにはいきませんからねー。風が買って出たというわけですよ」
 皆の疑問にあっさりと答えて、風はひょこひょこと前に出る。
「朱里ちゃんと鈴々ちゃん。それに蜀の皆さんは、滞在場所へ案内させてもらいますので、うちの兵についていっちゃってくださいー」
「はい、ありがとうございます。それで、あの、風さん、桃香様は……」
 頭を下げた後で、朱里は近寄ってきた風に対して声をひそめて訊ねる。風は調子を変えずに答えた。
「いまは歓迎式典に出ていますが、すぐ会えるようになるかとー。ただし、今日は宴席がありますから……。ゆっくりお話しするのは明日以降でしょうね」
「そうですか……」
 仕方のないところだろう、と朱里は自分を納得させる。それから、宴席と聞いて、ごはんにおっさけ〜、と適当な歌を作って歌っている鈴々を見て笑みを浮かべた。
「しばらくよろしくお願いします」
 そうして蜀勢は魏軍に導かれて城へと向かっていった。
「なあ、風」
 蜀兵の大半が視界から消えつつあるところで、一刀は自分の前に座る風に声をかけた。彼女はそそくさと一刀の鞍に乗り込んでいた。
「はい?」
「なんで俺たちも一緒に行かなかったんだ? 兵営は違うけど、城に行くのは変わりないだろう?」
「そうですね。どこか寄るところがあるんですか?」
 風の連れてきた兵は朱里たちと共に去り、残されているのは母衣衆と親衛隊だけだ。流琉もそのことを疑問に思っていたらしく、小首を傾げた。
「さっき朱里ちゃんに言ったように、今日は色々と予定があって、みなさんとても忙しいのですよ。まあ、それが風たちの仕事なのだから仕方ないのですが」
「そうですね……。あ、そうだ、私、厨房のお手伝いしたほうがいいですか?」
 民に見せるための式典も、その後の宴席も、どれも政治的行動であり、今後の西涼建国と、魏と新生国家との親交を作り上げていくために必要なことだ。酒席での何気ない会話も、今後の国家の動きに様々な影響を与える。翠はもちろん、華琳たちにも時間などないことだろう。
 それにしても、料理の心配をする流琉は少々気の回し過ぎと言えた。
「いえいえ、それは。それよりも、そんな目の回るような忙しさの中でも、やるべきことは他にもあるわけです。たとえば、こうしておにーさんと久闊を叙すといった」
 んー、と伸びをして、風は一刀の胸に倒れかかり、その美しい金の髪を彼にこすりつける。その感触に喜びを感じつつ、一刀は話をはぐらかされているように思う。
「それはいいんだけど……」
 だが、風はさらに聞きただそうとする彼を遮って続ける。
「さて、その中で一番忙しいのは誰だと思いますか?」
「ん。まあ、翠と華琳だろうな」
「正解です。では、正解のおにーさんたちは、進路を恋ちゃんの邸にとって下さい」
「いや、だから、説明をだな」
 言いながらも、一刀も流琉も馬を進める先を聞いて、その行程を脳裏に描き出している。ひとまずはこのまま真っ直ぐ進むのでいいはずだ。よく訓練された親衛隊と母衣衆は主の動きに応じて、ぴったりとついてくる。
「えー、ここまで言ってわかりませんかー?」
「わかるかっ」
「えと、翠さんはさっきまで一緒だったわけですし、向かう先には……華琳様がおいでなんですよね? だから、私と親衛隊がいる」
 不満そうに言う風を叱りつけるようにする一刀に対して、流琉は考えながらぽつぽつと口にする。
 わざわざ忙しい人物の名前を挙げさせた後で宮城以外の場所を指定するとしたら、そこにその人物がいると考えるのは当然だ。そして、流琉は曹魏に二人いる親衛隊長の片割れなのだ。
 その様子に、飴をくわえた軍師の少女はうんうんと満足げに頷いていた。
「ほらー、流琉ちゃんはわかってるじゃないですかー」
「華琳が? 抜け出る時間なんかあるのか?」
 わかっていなかった一刀としては、首をひねるしかない。
「だからこそ恋ちゃんの邸なんですよ。恋ちゃんが家族の様子をみるために、城に入る前に邸に寄ることは予想……というよりもねねちゃんから打診されていますし、周囲も許容することです。そこに紛れることで、華琳様もわずかの間、列を離れて単独行動することができるというわけですよ」
「ふうむ」
 説明されてみれば、なるほどと思える部分もある。恋が動物たちの様子を見たがるのは当然だし、わき立つ見物人たちも、それを邪魔しようとは思わないだろう。
 そこで、注目は途切れるわけだ。華琳が姿をくらますとしたら、その機しかないだろう。だが、そんなことまでして時間をつくるのは、なんのためだろうか。
 考え込む一刀に、女性二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。揃って押し出すような息を吐く二人。
「なぜ、華琳様がそんなことをするのか、おにーさんは理解出来ていないみたいですね」
「ん……。俺に会いたいからとかじゃないだろう、まさか」
 冗談めかして笑う一刀に、風と流琉は再び視線を交わす。
「おうおう。そのまさかだよ。相変わらずのにぶちんだな」
 久しぶりの宝ャのどすの利いた台詞に、彼としては苦笑いを浮かべるしかない。後ろを向いていた宝ャをよいしょと元に戻して、風は付け加える。
「ただし、華琳様が甘い気分でおにーさんをご所望なされたのか、他に意味があるのか、今日でなくてはいけないのか。そのあたりは風にはわかりませんし、推察する気もありません。風たちは成すべき事をしたまでですから。そこは、おにーさんが考えて下さい」
 いずれにせよ、と彼女は調子を変えて言った。
「それまでの道中は、風が勝ち取ったというわけですよ」
 そうして、風は再び体の力を抜き、その重みを後ろの男の胸に預けるのだった。


 2.再会


 恋の邸は相変わらず緑の気配が強かった。落葉樹は丸裸になってしまっているものもあるが、冬の空気の中でも分厚い葉をつけている木々も立っていた。その合間には何匹もの動物たちが潜んでいる。
 森の一角を切り取ったとも思えるその場所で、大木の一本にもたれかかりながら、一刀は待っていた。時折猫が木々の間から顔を覗かせた。秋蘭の猫たちも、その中に混じっている。
「一刀?」
 声が聞こえる。少しの間離れていただけなのに、なんて懐かしいのだろうと、彼は思う。
「こっちだ」
 応じると、すぐさまがさがさと低木を避けながら、彼女が現れた。金の髪をゆるく丸めた大陸の覇王。そして、彼の愛する人。
 彼女が現れた途端、周囲が明るくなったような、そんな気さえする。それは、今の華琳が正装に身を包んでいるからだけではあるまい。
「風に聞いていると思うけれど」
 一刀に近づいていきながら、華琳はぶっきらぼうに切り出した。
「時間がないの」
「うん」
 彼も数歩歩み出て、二人はちょうど円形に開けた場所で向き合う。華琳は腰に手をあてて彼をまっすぐ見て、一つ頷いた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
「無事ね?」
「華琳も無事みたいだね」
 余計な事は言わず、二人は頷き合う。華琳はくるりと目を回して何ごとか考え、それから彼に手振りで示した。
「話したいことは色々あるけれど……そうね、屈んで」
 男は言われたとおり、膝を折って顔を彼女と同じほどの高さにした。そのあたりを示すような身振りだったのだ。彼女の手がすっとあがり、彼の頬に触れる。くすぐったいと同時に実に温かなその指の感触に、一刀はわずかに身を震わせる。もう片方の手が同じように彼の頬に触れ、次いでがっちりと彼の顔を固定するように挟む。
「私の目を見なさい」
 引き寄せられ、間近で彼は華琳の深い青の瞳を覗き込む。その瞳が自分の奥の奥、彼すら知り得ないような秘密の場所を見つめているような不思議な感覚を、彼は覚えた。同時に、蠱惑的な彼女の香りもまた彼は感じている。
「よし」
 どれほど見つめ合っていたか。それだけ言って、華琳は彼を解放した。
 一刀はなにも訊かなかった。なんであれ、彼女は求めているものを得ただろう。いや、あるいは見つけられなかったか。
 出来れば前者であってくれればよいと彼は思った。華琳の期待に反したくはない。
「私の用事は終わり。私の用事は、ね」
 元の姿勢に戻った男に、華琳は思わせぶりに呟く。彼はその意図をしっかりとくみ取った。
「じゃあ、少し俺のわがままを」
 彼女の腕を取り、引き寄せる。小さな体が彼の腕の中にすっぽり収まった。かぐわしい香りが立ちのぼる金の髪に、彼は顔を埋める。
「もう少し……」
 彼の腰に手を回し、しばしお互いの体温が混じり合うのを楽しんだ後で、華琳はもどかしげに囁いた。
「え?」
「もう少し、その、ぎゅってなさい」
 その甘やかな声に抵抗できる者などいないだろう。一刀は力を込めて彼女を抱きしめた。華琳もまた彼の胸に頬を押しつける。
 二人は、枝を絡め合わせ、いつしか癒合した二本の木のように、そこに立ち尽くした。
 そして、どちらからともなく離れた。
「じゃあ、また後でね」
「うん。後で」
 言って、華琳は立ち去ろうとする。そこで思い出したように体を戻し、一気に告げた。
「そうだ。どこかで漏れ聞いて動転するといけないから伝えておくわ。白眉がこの都でも蜂起して、その際に天宝舎も標的になったけど、冥琳や紫苑、それに秋蘭のおかげで、一切被害はないから。あなたの子供たちは無事。秋蘭も、月も、冥琳も、紫苑も、璃々も無事。わかった? 理解した? 突然薪割りを始めたりしないわね?」
「わかった。ありがとう。でも、薪割りはもう忘れてくれ」
「じゃ、ね」
 情けない顔つきで言う一刀に、高く響く笑い声をたてて、華琳は立ち去った。


 宮城に入り、その惨状に驚きつつも、一刀は天宝舎に急いだ。被害がないと聞いていても、逸る心は止められなかった。そんな彼の足を緩めたのは、同じように天宝舎に向かっているらしき女性の姿だった。
 めいど服を着た詠は、ついさっき取り込んできたらしい洗濯物を運びながら、彼の事をじろりと見た。
「ずいぶん寄り道してきたようね」
「予定とそう変わらないよ?」
 並んで歩きながら、一刀は彼女の荷物を持とうと提案したが、旅の汚れのついた人間に綺麗な洗濯物を持たせられるわけがないと拒否されてしまった。
「予定と違う行程だったと聞いたけどね」
「俺たちが予定通りに行くことの方が珍しいだろう。戦絡みなら余計に」
「まあね」
 天宝舎の入り口まで来ると、彼女は翡翠色の髪を振りながら足を止めた。扉をおさえて彼女が通れるようにしている一刀のほうを見やり、眼鏡を煌めかせる。
「言っておくけど、月たちは無事よ。阿喜たちも、みんなね」
「ああ、華琳に聞いた」
「華琳に?……そう。ならいいわ」
 それから彼女は彼と共に館の中に入り、ひょいと肩をすくめた。
「まったく、冥琳も無茶するわよね。いくらここを守るためだからって、城の中で火攻めなんて」
「無茶ではないとわかっていたからやったまでさ」
 階段を下りてきた黒髪の女性に、あら、いたの、と詠は驚いた風もなく言って去っていく。闇色の面の下で、唇の端が持ち上がった。
 一刀はたっぷりとした黒髪をたらす見目麗しい姿貌の人物に片手をあげて挨拶した。
「やあ、冥琳。雪蓮は翠たちと一緒にいるよ」
「ああ。あれとは後で会うさ。まずは、無事の帰還、なにより」
「うん。みんなを守ってくれたようで、ありがとう」
「皆、私の娘たちさ」
 当然のことだとでも言いたげに彼女は言った。皆、と。そのことに一刀は言いしれぬ感謝と喜びを感じる。
 彼は思わず駆け寄って彼女の手を取った。腕を組み、そのまま娘たちの部屋に向けて歩き出す。
「手を借りるほど耄碌はしていないが?」
「エスコートさ」
「えすこーと?」
「高貴なる女性に仕える護衛の騎士がその主を連れていく……儀礼的行為だね」
 護衛の騎士と高貴なる女性か、と冥琳は笑う。
「おそらく、私の方が強いと思うがな」
「そこは勘弁してくれよ」
 そうして、くすくす笑いを引き連れて、二人は消えていく。
 彼と彼女の娘たちの部屋に。


 3.褒美


「ええと、あれはどこかな? 長城の予算書の……最初の概算」
「あ、はい。ここにあります」
 竹簡を掘り返そうとしていた一刀に慌てた様子で書類を差し出すのは、柔らかな印象の女性。かわいらしいめいど服を着た月から書類を受け取って、一刀は目を通し、一つ頷いた。
「ああ、これこれ。ありがとう」
 書類から目を離し、彼から見て右手の席に戻る月を見て、彼はふうと息を吐いた。
「ごめんね、月。帰ってきてから、秘書みたいな仕事ばかりさせちゃって」
「いえ……。詠ちゃんと一緒にご主人様のお手伝いができるのは楽しいですし、側仕えとしては普通ですから」
 洛陽に戻ってから十日が経つ。初日はもちろん、その後も洛陽の皆は仕事に忙殺されていた。北伐の後始末、白眉の処理、西涼の建国準備、それに白眉の乱で棚上げにされていた業務再開の支度。その中でも一刀はどれにも関わるため、大忙しだ。
 それでも、戦の準備や戦闘に出るのに比べれば、はるかに平穏な日々であった。
「まあ、月がいいならいいんだけどね。……ありがとう」
「はい」
 嬉しそうに月は頷く。実際、彼女がいてくれるおかげで、かなり仕事は捗っていた。ねねや詠や冥琳も協力してくれているのだが、彼女たちは彼女たちで仕事があるし、一刀は打ち合わせの回数も多いので、細かい書類を作ってくれる月の存在はありがたかった。
「それで、ご主人様、そろそろ北伐の最終報告の時間ですよ」
「ん。もうそんな時間か。じゃあ、行くよ」
 書類をまとめ、立ち上がった一刀に、月が導くように手をあげる。
「ではお着替えを。正装を用意してあります」
「いらないだろう。そこまで格式張った席でもないよ」
 一刀の正装と言えば、彼にとってはかつての学生服。儀式張った場でもない限り、進んで着ようとは思わないものだった。なにしろ、着心地が最高とは言い難い。
「だめです」
「いや、だって、みんな顔なじみだぜ? いまさら……」
「だめです」
 にっこり笑って繰り返され、一刀は折れた。

「総括すると、おおむね順調に推移したと考えていいようね。白眉の件は除くとしても」
 全員の報告が出そろった後で、桂花はそう結論づけた。華琳も同意するように頷く。
「あとは白蓮……幽州か?」
 春蘭が桂花に対抗するかのように呟くのに、秋蘭が頷く。
「その辺りは、長い目で見るしかないだろうな。白眉の騒乱については収拾まで遠くはないだろうが、人心の安定は今日明日でなされるものでもない。こちらが落ち着いた頃には鮮卑がまたぞろ動くことも考えられる」
「長期的な課題ですねー」
「そうね。それについては、今後軍事面、民政面ともに考えていかなければならないわ。ただ、白蓮や凪、それに霞の所見も聞きたいし、ひとまず別の機会としましょう。もちろん、意見がある者は上申するように」
 秋蘭と風の意見を聞いた上で華琳が告げ、それが議了の宣言となった。
 場に漂っていた緊張感が緩み、気を張っていた翠や、麗羽に代わってほとんどの報告を書き上げた斗詩が安堵の様子を見せる。一刀もほっと一息吐いていた。
 彼らはそれぞれに幾人かで小集団を作り、今後の見通しや、報告にはなかった個人的な話などを始める。
 そんな中、三軍師と夏侯の姉妹と話していた華琳は会話が一段落したところで、よく通る声で言った。
「麗羽と一刀、少し話があるわ、残りなさい」
 その二名が指名されたということは、他は去れということだ。皆は三々五々、一刀や麗羽に挨拶をして部屋を出て行く。最後に、叱責でもされると思ったのだろう桂花がにやにや笑いながら、せいぜい頑張りなさいと嫌味ったらしく言って姿を消した。
「で、なんですの? 華琳さん」
「ここではなんだから、私の部屋に行きましょう」
「はあ」
 皆が去った後黙ったままの華琳に訊ねかける麗羽に、彼女はにこやかに笑って立ち上がる。一刀と麗羽はそれに従って歩き出した。
 だが、とある角で直進した華琳に、麗羽が首を傾げる。
「……華琳さん、道が違うのでは?」
 記憶が確かならば、華琳の執務室はこの角を曲がるはずだと思って、麗羽がその方向を指さす。しかし、横を歩いている一刀に否定された。
「いや、これでいいんだ。向かってるのは華琳の私室だから」
「ええっ!?」
 何度も通っている一刀はともかく、麗羽は華琳の私室に行くのは初めてのことだ。そもそも、私室に通されるのは、よほどの親しい者だけなのだから。自分を呼ぶなら多数ある謁見の間やいくつかある執務室のどれかでいいはずだ。
 彼女の驚きように意地悪く微笑むだけで、華琳は先を急ぐ。一刀に促され、麗羽も不審げながら歩みを進めた。
 そして、三人は華琳の私室に入ると、華琳が手ずから入れた茶とおそらくは流琉が作ったであろう菓子を食べて談笑を始める。
「そういえば……華琳さんがわたくしたちに用事だったような、そうでないような……?」
 さんざん茶を飲み、菓子を食べた後で、麗羽はそう呟く。その様子に一刀と華琳は揃って微笑んだ。
「用事と言っても大したことではないわ。北伐総大将殿を、個人的に歓待してあげようかと思っただけ。一刀と一緒にね」
「あら……そうですの?」
 麗羽はその顔(かんばせ)に意外そうな表情を浮かべる。わざわざ私室に呼ばれたからには何かあると考えていたのだろう。ちらっと目を向けられて、一刀が口を開いた。
「麗羽もわかってると思うけど、今日が北伐の最終的な報告会だったとはいえ、実際には戦況や経緯を既に華琳は知っていたし、俺も聞いていた。涼州での麗羽の頑張りも、二人とも知っているんだ。それで相談して、麗羽にご褒美をあげるべきだということになったんだよ」
 同意を得るような視線が華琳に飛び、彼女は茶杯を卓に置きながら麗羽を見る。
「ええ。長城の件は未だに少々大げさすぎると思う点もあるけれど、あれも事業として西涼が引き継ぐという約束は翠から得ているし、涼州の進軍では余計な事もせずそれなりにとりまとめていたようだから? 御輿としては及第点でしょう」
 漢の大将軍であり、名門袁家の主である袁本初の名は使い出がある。反董卓連合の時のように邪魔をしたり抜け駆けしたりしないだけでも十分に役に立つのだ。だが、華琳はそれに留まらず、少し笑みを強くして続けた。
「ただし、白眉の乱が起こり、一刀と私、共に洛陽からいなくなった状態でも一切疑念を持たずに涼州の安定に専念したことは、評価に値しないでもないわ。一歩間違えれば思考停止でしかないけれど、愚直は愚直で時に必要でしょうからね」
「ええと……随分と迂遠な物言いですけれど、褒められていると思ってよろしいのかしら?」
「あなたに与えるにしては、かなりの賛辞だと思うけど?」
 ふふん、と鼻を鳴らして、華琳は言い切る。その様子に、悪戯っぽく麗羽も笑みを返した。
「わかりましたわ。それで、この茶会というわけですのね」
 得心したように大きく頷く麗羽。彼女にしてみれば、華琳と一刀と過ごすこの時間こそが褒美だと考えていたのだ。
「まさか」
「これは単なる雑談。これからが本番よ?」
 だが、一刀は手を振って否定し、華琳もそれに乗る。
「本番……? 我が君」
 一転不思議そうに一刀の方を見やるのに、彼は安心させるように笑いかける。
「うん。実はね、俺と華琳、二人で麗羽をかわいがってあげようと思ってね」
 その言葉を聞いて、麗羽は固まった。
「麗羽?」
 不思議そうな表情を顔にはりつけたまま沈黙した彼女の肩に一刀が手を乗せると、ひゃっ、と麗羽は小さな声をあげる。
「そ、そ、それは、あ、あれですわよね。華琳さんと我が君と、三人で閨に行くと……その、そういう」
「そうなるわね」
 声を震わせて訊ねかける麗羽に対して、華琳は落ち着き払って茶杯を傾けている。そこで、再び麗羽はぽかんと口を開けて固まった。
「ご不満?」
「ごめん、麗羽。もし、俺たちが考え違いをしているようだったら……」
 ぽっかりと口を開いたまま、瞳だけを動かして自分たちを交互に見ている麗羽の様子に一刀は謝罪の姿勢を見せた。それに対する麗羽の答えは、いっそぴしゃりとしたものだった。
「いえ」
 それまでのようにどもることもなく、はっきりと彼女は否定した。それは、一刀と華琳、二人の当初の目論見を肯定することになる。
 だが、麗羽は改めて確認するように、おずおずと切り出した。一刀ではなく、華琳に向けて。
「……本気、ですの?」
「嫌なら無理にとは言わないわよ。いい加減つんけんしあうのも飽きたし、仲良くするいい機会だとは思っているけれど、無理強いするつもりはない。あなたは女もいける口なはずだけれど、膚をあわせるほどではないというなら、それはそれでありだと思うわよ? ここでお茶を楽しむのを続けるという選択も悪くないわ」
「二人で我が君に抱かれることと、三人で愛し合うことは、違いますわよね?」
「違うわね」
 麗羽はそこで茶杯を持った。残っていた茶を一息に飲み干し、彼女は華琳を真っ直ぐ見つめる。その手が、卓の下で一刀の膝に乗った。すがりつくように。
 彼は、麗羽の手を右手で握ってやった。左手はすでに華琳と握りあっている。
 二つの大きさの違う、けれど、彼からすればどちらも細く小さな手が、同じように震えていることを、一刀はしっかりと感じていた。
「わたくしを……愛して下さいますの?」
「さあ? それをさせられるのはまさにあなた自身だけじゃないの? それよりも、麗羽。あなたの方こそ私を愛せる? 唾棄すべき下品の出、宦官の孫でちんくしゃの小娘を?」
 麗羽はその問いに答えた。
 いつもたたえているあの笑みで。
「憎んでいる間も、愛しておりましたわ、ずっと」


 4.相愛


 寝室に移った三人は、奇妙な沈黙に包まれていた。
 華琳は大きな寝台の上で枕にもたれかかるようにして座っていたし、麗羽はその寝台の端っこにちょこんと腰掛けていた。寝台近くに椅子を引き寄せた一刀が、そんな二人を見ている。
「なに笑ってるのよ」
 そんな彼の顔を見て、口を尖らせて、華琳は拗ね声を出す。
「いや、幸せだなと思って。こんな綺麗な二人を愛して、愛されていて」
 その言葉に、麗羽は嬉しそうに微笑み、華琳は満更でもない様子ながら、顔をうつむかせる。
「天下の美女二人ですものね」
 だが、麗羽のそんなうっとりとした言葉に、華琳は皮肉げに唇の端をつりあげて顔を戻した。
「あら、いつの間に二人とも美女になったのかしら?」
「あら、華琳さんは自分のことを美しいとお認めになりませんの? こーんなにかわいらしくて、お美しくていらっしゃるのに」
「なっ!」
 からかうように投げつけた言葉に、慈しむような視線を向けられて、華琳は絶句する。ますますにやける一刀のことを睨みつけてから、華琳は猛然と麗羽にくってかかった。
「あ、あんたねぇ……。日頃はちびだの発育不全だの薄い胸だの人にさんざん言っておいて、なに、それは!」
「あんなもの、照れ隠しに決まっているでしょう。それくらいわかりませんの?」
「どういう思考回路よ!」
 さらに麗羽は口元に手をあてて、笑みを隠しながら反論しようとする。そこで、一刀がすっと手をあげた。
「はいはい。じゃれ合いも度が過ぎると、いつもの調子になって喧嘩になるぞ」
 なにか言いたげに頬を膨らませる華琳を身振りで抑え、一刀は麗羽の方に向き直る。
「なあ、麗羽」
「なんですの、我が君」
 彼に制止されて言葉を呑み込んでいた麗羽がぷはっと息を吐き出す。息まで止めることはなかったはずだが、どうも彼女も随分緊張しているらしい。部屋に漂う甘い雰囲気を崩すが如くつっかかる華琳も調子を外しているようだが、ここは彼がうまく持っていくべきだろう。一刀はそう判断した。
「俺は君も華琳も美しいと思っている。麗羽も同意見のようだ。そんな綺麗な麗羽のことをもっとよく見せてくれないかな?」
 その言葉の意味を理解して、麗羽の顔は真っ赤に染まる。そんな彼女を見たことがなかったらしい華琳は驚きというより警戒の様子を強めていた。
「こ、ここで脱げと?」
「うん」
「二人に見られながら?」
「ああ」
 麗羽は立ち上がり、一刀の顔を見、華琳の顔を見た。そこになにを見つけたか。紅潮した顔はさらに朱の色を強める。そして、観念したようにその帯に手をかけた。
「いや、そこじゃない」
「え?」
「寝台の真ん中がいい」
 三人どころか、十人でも寝ることが出来るであろう寝台の中央を指され、麗羽は目を白黒させる。その間に一刀も寝台に上って華琳の横に座った。
「さ、おいで」
 腕を広げられ、呼ばれると、もう抵抗はできなかった。麗羽は倒れ込むように寝台に膝を落とし、そのまま膝立ちで寝台の中央――一刀と華琳の前まで進んだ。
 膝をがくがく震わせながら、彼女は立ち上がり、再び帯に指をかける。躊躇うよな視線が一刀に飛び、彼はそれに満面の笑みで答えた。華琳もどこか期待するような熱っぽい視線を彼女に送っている。
 帯が落ちた。
 上衣が落ちた。
 そうして現れたのは、黒い上下の下着をまとう、白い膚。ぷりぷりとした張りを感じさせるその膚は、二人の前に現れるや否や、ほんのりと桃色に染まった。
 熱をもった膚の上を、二対の視線が巡る。その度に彼女は体をくねらせ、その動きは、膨大な量の金髪を震わせた。豊満な胸から豊かな尻へと流れるくびれた腰の線。黄金の髪が絡まる桃色の膚。そして、普段は柔らかな笑みが刻まれる顔の、官能に濡れる表情。
 まだ、素肌の全てをさらしたわけでもないのに、明らかに彼女は燃え上がっていた。
「あらあら。指一本触れていないのに」
「麗羽は見られるのがいいんだよ。特に好きな人に、な」
 声もなく、麗羽は頷く。その仕草も欲情をひきたてるのか、麗羽は己を抱きしめるような格好になった。
 華琳はそれを見つめながら、何かを思い出そうとする。
「そういえば、あなた……。そう、一刀にお尻を打たれたあの時。それを見られて……感じていたわよね」
 首筋から肩口にかけての膚が、かっと燃え上がるように紅に染まる。その様子に、華琳は意地の悪い笑みを浮かべ、麗羽はぷるぷると震えながら、じっと彼女を見つめている。
「嬉しいの? 私に見られて。一刀に見られて」
 こくこくと泣き出しそうな子供のような表情で、彼女は頷いた。黄金の髪を震いながら、華琳と一刀、二人に向けて、麗羽は肯定の意思を示す。
「でも、感じすぎて、よく失神しちゃうんだよな」
「それはいけないわね」
 その麗しい肢体を扇情的に蠢かす様に一刀も興奮しているのか、しわがれた声で言うのに、華琳は酷薄な笑みを浮かべた。
「意識を失うなんて許さない。この私が見ているんだから。それとも、なに? 羞恥と快楽を我慢出来ないほど、あなたははしたないの?」
「そ、そんなことは……ありませんわっ!」
 ようやくのように声を絞り出し、彼女は己を弁護する。その内に荒れ狂う快楽を押さえつけるように、彼女はさらに強く自分を抱きしめた。
「だったら脱ぎなさい。さあ、麗羽。あなたを見せてちょうだい」
 華琳の声は、厳しくも優しい。その子飼いの部下を叱咤するような声音に押されて、麗羽は一気に上下の下着をはいだ。
 そこに現れるのは、布に包まれていたときよりも張りのあるぶるんと震える大きな胸と、その頂点で屹立する鴇色の突起。そして、金に輝く股間の茂み。脇から腰、腰から太腿に至る線と、下腹部の柔らかな曲線に、華琳は思わずため息をついた。
「悔しいけど、なかなかのものだわ」
 それは最高級の称賛。
 麗羽はそれを受けて、たまらず頽れた。一刀が抱き留め、荒い息を漏らす彼女を、その腕の中に収める。
「我が……君」
 吐息のように、彼女は漏らした。
「さあ、次は華琳の番だ」
 体の中を流れる電流に驚くように時折体を震わせる麗羽の髪をなでながら、一刀は言う。少しうらやましそうにその光景を見ていた華琳は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「え? 嘘でしょ?」
「なんだったら先に俺が脱ごうか?」
 なんでもないように言う一刀。実際、彼はこの場で裸をさらすことに、それほどの抵抗を感じていないのだろう。男と女という差異もあれば、既に麗羽と華琳、双方と膚を重ねている事実もあった。
「わかったわよ!」
 そんな態度を取られてそれに甘えてしまったでは、華琳としても女がすたる。ここは一息に脱いで、乱戦にもつれこむのが上策だと彼女は判断した。
 判断したのである、が。
 麗羽と同じく、その指は、上衣を脱ぎ捨てたところで止まった。露わになった膚に刺さる視線を、彼女も感じたのだ。
 透けるような輝きを放つ膚。かわいらしいおへそ。そして、下着で覆われた小ぶりな胸と秘所。その全てが見られている。
 愛する男と、子供の頃から知っていて、大嫌いで、それでも気になっていたあの女に。
 己の体に自信はあり、だからこそ誰に見られるのも気にしなかった。
 だが、この二人が重なると……。
 華琳はその重圧にかえって気概を燃やした。だから、彼女はこう訊ねた。
「ねえ、麗羽?」
「はい……?」
「私の体、欲しい?」
 実に挑発的に、実に蠱惑的に彼女は訊ねる。見るだけではなく、手に入れたいかと、華琳は突きつけた。
 そうして、帰ってきたのは、小さな、しかし、たしかな肯定の声。その掠れ具合に、華琳は決断した。
 青の下着をゆっくりと外す。麗羽の視線を絡め取ることを計算して、指の動き一つ一つに注意を配りながら。下の布を足から外すときには、あえて片足を持ち上げて、その秘所が見えそうで見えないように工夫することさえ、彼女はした。
「華琳……さん」
 その効果は抜群。
 這うようにして一刀の腕を抜け出て、麗羽は華琳の足元に至る。彼女の体を上ってこようとするかのような麗羽の身を、華琳は抱き上げてやった。
「華琳さん……」
「麗羽」
 膚と膚がこすれる。柔らかな肉の感触は、その奥に秘められた熱を確かに感じさせる。
 触れあうような距離で、二人は見つめ合った。
 これほどはっきりと、麗羽の顔を見たことがあったろうかと彼女は考えた。この柔らかな美しさを目に留めたことがあったろうかと、華琳は考えた。
 これほどこの娘に近づけたことがかつてあったろうかと麗羽は感嘆した。この硬質の美しさをこの手に抱ける日が来るとは想像もしていなかったと彼女は歓喜した。
 口づけたのは、どちらが先か。
 十年先、二十年先、いつまで経ってもそのことで二人は口論したものだった。
 だが、一刀は知っている。
 二人が求めるようにその舌を伸ばし、相手の口腔に攻め入ったのは、まさに同時だったことを。
 舌と舌が絡み合い、胸と胸が押しつけ合われる。
 二つの黄金の髪が、絡み合った。
「さて、仲間はずれにされたような気分の一刀を慰めてあげましょうか」
 唇を離し、それでもなおつながる舌をお互いに名残惜しげに離してから、華琳はそんな風に笑った。
「あら、我が君はわたくしたちがいちゃついているくらいでやきもちを焼くような、心の狭いお方ではありませんわよ」
 なじるように麗羽が言う。華琳はさらに大きく笑った。
「一刀は、ね。でも、あの股間のきかん坊は駄目よ。ほら見てみなさい」
「あら、本当に」
 一刀は二人が抱き合っている間に服を脱ぎ捨てていた。そして、あぐらをかいたその股間では、隆々と立ち上がるものがある。
「さあ、ここからは、本当の意味で三人で愛し合いましょう」
 華琳と麗羽はその体を絡ませあいながら、男の元へ倒れ込んだ。その膝を這いのぼり、抱きしめようとしてくる腕に答え、そうして、彼の膚に己の膚をこすりつけた。
 華琳は麗羽を愛撫する手を止めず、男のものにからめる指を止めることもしなかった。麗羽は華琳の髪をなで、腕と足をより密着させようとし続け、男のものに舌を伸ばすことも同時にしていた。そして、一刀は二人の胸を両の掌で包み込むようにしながら、その膚をいとおしむ。
「なんて果報者だろうな、三人とも」
 一刀の漏らした言葉に、誰もが同意した。

 絡み合い、繋がり合い、虐め合い、確認し合った。
 お互いの体液に塗れつつ、三人は並んで寝そべっていた。もはや挑みかかる体力すらない、そんな状態で、華琳と麗羽は、お互いにいがみあっていた時間を埋め合うように、懐かしい話を繰り返す。
「だいたい、あなたが毎回一位をとるから、あの娘が……」
「あらお言葉ですわね。あなたが、頑固だったのではありませんこと? それよりも華琳さんは……」
「そうは言うけれど、あなたのやりようだっておかしかったわよ。恋文を出すなら、ちゃんと……」
「そういえば、華琳さん。あのことを覚えてまして? 昔、華琳さんが一人で遠乗りに出て、大騒ぎに……」
 一刀は二人の思い出話を聞きながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
 とてもあたたかな気持ちで。


 5.北方


「はあ、あんた、あの聶壱の裔なんかね」
 内烏桓の長老は、馬をゆっくり進めながら、のんびりとした調子で訊ね返した。彼の横で同じように絶影にまたがっている霞が大きく頷く。普段とは違い、その服装は膚にぴったりはりつくような布巻と、多くの装身具からなっている。彼女の故郷、馬邑の装束だ。北方民族にはこちらのほうが馴染みが深いと、時折身につけているのだった。
「せやで。ご先祖はんは匈奴の報復を恐れて、張姓に変えたらしけどな……って、この話、前にもしたやんかっ」
「そうだったかのう」
 つっこむ霞に、長老はほっほと笑ってごまかす。
 聶壱とは、かつて漢の武帝の時代、交易を隠れ蓑に匈奴の単于を騙し、討ち取ろうという計画を実行した人物である。結局単于側に見抜かれ、聶壱は卑怯者として匈奴の報復を恐れる身となったわけだ。
 烏桓はその時点では匈奴に服属する部族だった。あくまで別の部族であるため匈奴の意識をそのまま引き継いでいるわけではないが、聶壱の名は烏桓の言い伝えにもあった。
「じゃが、わしらはわざわざ子孫を捜し出してまで仕返ししようとは思わんがのう。匈奴もそうじゃと思うぞ。当人はもちろん別じゃがな」
 長老は列を外れかけた羊の前に進み、ぶんぶんと縄を回しておどかしてみせる。羊は列に戻り、めえと鳴きながら進んでいく。霞と長老の周囲には、百頭を超えるもこもこした羊の群れがあった。まだ草が残る谷間へ連れていく最中なのだ。
「せやろなあ。うちの家伝でも、本当は匈奴側やのうて、漢の側からの害を考えて変えたってことになっとるくらいや。武帝もきつい性格やったらしいしな」
 めえめえ鳴く羊たちをみやりつつ、霞は皮肉げに笑う。実際の所、匈奴がわざわざ漢土にいる聶壱の家族を捜し出し、何か害をなせるとは考えにくい。漢人の土地で警戒すべきは、敵の王ではなく、その土地の権力者であろう。
「まあ、しつこい部族がおらんとは言わんがな」
「鮮卑んことか?」
「いや、わしらさ。ただし、個人への恨みじゃないわい。生き方への執着じゃの」
「ま……いきなり畑を耕せと言われても困るやろな」
 かつて東北の地から漢の領内に連行され、農民としての暮らしを強制された内烏桓たちは、故郷とは違うものの、再び牧畜生活へと回帰している。漢土の中でも半農半牧を貫いていた彼らは、ついに先祖伝来の生活様式を取り戻したのだ。
 たとえ北方からやってくる鮮卑を防ぐための緩衝勢力としてここに置かれているとしても、それは彼らにとって喜ばしいことのはずだった。
「故地に帰りたいっちゅうんはないん?」
 ふと、霞はそんなことを訊ねる。習俗を取り戻した後は、祖先の土地となるのではないかと思ったのだ。幽州の果てに帰ることを望んだりはしないのだろうか。
「そうさのう……」
 長老はその問いに、しばし考え込んだ。
「もしいまから同族の土地に行っても、別の氏族がおるわけで、そこに割り込むことになるわな。そうすれば、恨みを買う。それよりは、ここのほうがいいわい。鮮卑は捨ておったからな」
「そんなもんなん?」
「どうせ土地を広げれば別の土地で暮らすんじゃ。そう変わりはなかろうが?」
「そうかぁ……」
 霞は考える。やはり、農地を基本にする根付きの人間と、移動しながら暮らす人間は違うようだ。彼女は漢人の中ではかなり北方の人々と親しんでいる人間だと思っていたが、やはり根本の感覚は違うらしい。
 そこで、ふと彼らは揃って北東の方を見た。
「誰か来よるな」
「五百騎ってところやな」
 二人の見つめる先で、馬がたてる土煙が上がっていた。
 そして、その煙の中に公孫の旗が見えたとき、二人は同じように驚きに包まれた。

「ごたごたは終わったんか?」
「ああ。幽州ではな。念のためにこうして西進してきたけどな」
「それだけやないやろ」
 霞は言って顎をしゃくる。その先に、引き離された同族の再会を祝う幽州烏桓の男たちと、内烏桓の長老の姿があった。彼らに紛れるように、多くの羊たちが甲高い声で鳴いている。男たちは嬉しそうだったが、その野太い歓声に、羊たちは迷惑そうであった。
「まあな」
 白蓮はその顔に柔らかな笑みを浮かべながらその光景を眺める。数年前の彼女を知る者ならば、それは絶対に信じられない一幕のはずであった。公孫伯珪が、漢土の内と外、二つの烏桓のために橋渡しを行うなどと。
 それから祝宴のために男たちと羊たちが内烏桓の天幕の群れへと戻り、白蓮は部下の白馬義従たちもそれに同道させた。霞と二人、彼女は幽州における白眉の顛末を含めた最近の出来事を語り合っていた。とはいっても、霞の方はひたすら北方の監視で巡廻をしているくらいで特に話すこともなかったのであるが。
「なあ、白馬長史」
 話が途切れたところで、霞は切り出した。その指が、鞍にくくりつけた偃月刀の柄を弄っている。
「なんだ?」
 白蓮はゆったりと平原の風景を眺めながらのんびり聞き返す。その落ち着いた様子に、さらに霞は身を乗り出す。
「うちといっちょ勝負せんか。傷がついたら負け、っちゅう取り決めでどや?」
「おいおい。泣く子も黙る張文遠と戦えっていうのかよ。いくら退屈だったからって、無茶言うなよ」
「いや、無茶やない。いまのあんたには、無茶やないはずや」
 ええ顔しとるからな、あんた、と霞は言う。
 そのまっすぐな言い方に、白蓮はなにか気になった様子だった。彼女はがしがしと頭をかく。
「んー。じゃあ、一つ提案だ」
 白蓮はぴっと指をたて、そのままそれを遥か地平線近くに見える大きな丘に向けて倒した。
「まずは私と馬術を競おうじゃないか。あの丘まで往復して早いほうが勝ち。霞が勝ったら、その後打ち合う。私が勝ったら、陣に戻って酒でも飲む。どうだ?」
「お、ええなあ。そっちはそっちでえらい面白そうやんか」
 騎馬の腕では大陸で三本の指に入る二人。挑まれて拒めるわけがなく、口にした方も、その名にかけて負けるわけにはいかない。
 白蓮と霞は不敵な笑みを交わした。
「いくで」
「おう」
 二人の声と共に、それぞれの愛馬が大地を蹴って走り出す。
 かつて、反董卓連合の折、水関において、白馬長史公孫賛と、神速と名高い張遼――この二人が、その馬術を競ったという。その時、公孫賛は張遼に追いつくことはなかった。
 時は下って北伐が行われる最中、二人は北方の名も知れぬ土地で、再びその馬術を競ったと伝説は言う。
 しかし、その結果を記す史書は、現存しない。



     (玄朝秘史 第三部第五十回 終/第五十一回に続く)

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