[戻る] [←前頁] [次頁→] []

364 名前:一壷酒 ◆1KOsYU0skY [sage] 投稿日:2011/02/12(土) 22:18:04 ID:YbfbJ60A0
さて、今回は、オリキャラが出てきますので、ご注意ください。
ついに一刀さんに、華佗と黄龍以外の男友達が!?
注)今回、名前だけ出て来る不動如耶(ふゆるぎきさや)さんは、春恋乙女のキャラです。
なお、焔耶さんはござる口調になったりしません。

また、それとは別にかなりの残虐描写が出てきますので、これもご注意ください。苦手な方は、避ける方が
いいかもしれません。

★投下予定:
特別なことがない限り、毎週土曜に投下します。なにかありましたら告知します。
◇注意事項◇
・『真・恋姫†無双』魏ルートの後の話となります。
しかし、魏ルートの続きかと言われると違います。あくまで新しい物語とお考え下さい。
・ハーレムものです。
・魏軍以外の人物への呼び方・呼ばれ方は、原作になるべく近くしようとしていますが、知り合う
シチュエーション等が異なるため、原作中とは相違があります。
・史実とゲーム内情勢に関する独自解釈があります。
・アブノーマルな形でのセックスやそれに類する行為が出てくることもあります。
・題材の関係上、戦争や戦闘が関わってきます。それに伴い死の描写や、異なる時代背景の倫理に基づく
表現が出てきます。もちろん、これらは差別などを意図したものではなく、世界を表現するためのものです。
 また、あわせて、http://ikkonosake.kuon.cc/faq.htmlなどもご参照ください。
 以上の点に不快感、違和感、ひっかかりを覚えられる方はお読みにならないことを強くお勧めします。
・サイトに関連地図のページをつくりました。参考になるかもしれません。

 UP板にて、メールフォーム及びメールアドレスを公開しています。ご意見ご感想等ありましたら、
どちらからでも、お気軽にどうぞ。フォームのほうはお名前、メールアドレスの記入が必要ありません。

いつも通り、本編はtxtで専用UP板にアップしましたのでご覧ください。
URL → http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0613
※なお転載は不要です。(まとめサイトにまとめていただく時を除く)


玄朝秘史
 第三部 第三十六回



 1.遭遇


 二人が主要街道を離れたのは、必要からだった。
「このまままっすぐ行けば、四日……いや、五日ほどで江陵につく」
「うん」
「その間通り過ぎる邑がどれもこれまでのような具合なら、喰うものが手に入らん」
 森で一刀と稽古したその夜に見つけた邑でも再び拒否の姿勢を受けたが故の焔耶の言であった。
「どうするかなあ」
「さすがに江陵近くになればこれほどまでに閉鎖的ではないだろうし、三日ほど絶食しても死にはすまいが、なにか障碍にぶつかると……」
「日数もそうだが、そもそも、逃げ切れなくなる可能性が出てきちゃうな」
 白眉が横行している以上、なにかあることを考えなければならない。腹を空かせてそれに対するのは避けたいところだった。
「一日ほど遠回りになるが、この近くの土豪に知り合いがいる。いけすかん女だが、儲けをふいにするような奴じゃない。金はあるのだから、なんとか売らせることもできるだろう」
「よし、そうしよう」
 彼女の提案に一も二もなく賛成した一刀であった。すでに彼は空腹を覚えていた。
 そんなわけで、彼らは道を外れ、焔耶の知人の土地へと向かった。
 これまでも見てきたように、その土豪も――少なくとも一部は――既に収穫を進めており、彼らにわけるくらいの余裕はありそうだったが、売り渡すのをかなり渋った。こちらの苦境を見透かした上での交渉術だろうと見当をつけた一刀は、時間短縮のために、目の飛び出るような額を申し出ざるを得なかった。
 それでも江陵につくまでは困らない分の食べ物を得られたのは、ありがたいと思うべきなのかもしれない。
 そうして二人が街道へ戻ろうとする途上で、その集団をみかけることになったのだった。
 まず気づいたのはもちろん焔耶。彼女は一刀に声をかける手間を惜しみ、黄龍の手綱を横から掴むと二頭の馬を近くの林へと駆け込ませた。
 馬を隠した後で、二人は灌木の下に伏せる。
「いったいなにごと?」
「人が来る。十人どころではない。ともかく様子を見よう」
「うん。わかった」
 一刀が了解の意思を示すより早く、焔耶の視界には、それが見えてきた。ざっと一〇〇から一五〇ほどの人群れ。手に手に粗末な武器を持ち、形ばかりは行軍らしきものを行っている。
「白眉かな」
 彼女に遅れてその集団を視認した一刀が押し殺した声で言う。
「そう考えるのが妥当だな。どうする?」
「蹴散らすのは簡単だが、この前のように背後に大集団がいると厄介だ。しばらくは様子を見よう」
「そうだな」
 二人は茂みの中から、その集団が進んでいくのをじっと観察する。不意に焔耶が一刀の脇腹をこづいた。
「あいつらの眉を見ろ」
「え?」
 言われて注意してみれば、通り過ぎていく人々の誰一人として眉を白く染めている者はいない。
「白眉じゃないのか?」
「しかし、このあたりにいる武装集団だぞ? 白眉でなければなんだ?」
 言いながら焔耶はなにか思いついたか、思案げな顔になる。
「まだ本隊と連絡が取れていない連中ということはないか? だから、まだ白く染めていない」
「いや、どうだろうな。彼らに完全な指揮系統があるとは思えない。ほとんどは勝手に染めて参加していると思うよ。それにあれは仲間を見分けるためのものだろう? 連絡が付いていないならなおさら白く染めておくだろう」
「仲間に狙われたくはないか。たしかにあのような小集団ならば、そういう印をはっきりさせそうなものだな。ではなんだろう?」
「うーん?」
 二人して首をひねっているうちに、人々は彼らの潜む茂みの前を通過していく。
「少し探ってみる?」
「……正体不明の連中を後に残すのは、不安があるな。よし、しばらくしたら跡をつけよう」
 二人は列が全て行きすぎ、姿を見られる恐れのなくなるまで、そのまま地面に伏せていた。
 後を追うのはそう難しくなかった。一〇〇を超える人間の動きとなれば、意図的に痕跡を隠しでもしなければ、どちらに向かったのかを判断するのはたやすいことだ。まして、通り過ぎてからそう時間も経っていないとなれば。
 一団は、人気のない荒れ野に向かっていた。
 焔耶と一刀は今度は茨の茂みを見つけて、そこに隠れた。目当ての人の群れは、彼らから見ると下方に位置する野原にいた。
「迷彩服とか開発すべきかなあ」
 ちくちく肌を刺す棘に閉口しながら、一刀は独りごちる。
「なんだそれは」
 集団から目を離さず、焔耶が訊ねてくる。彼女も茨の棘が気になるようでもぞもぞしていた。
「土とか草木の色に合わせて、目立たなくするためのしかけだよ。いろんなパターン……模様があって……。隠れやすくなるかなあ、って」
「ふうん。しかし、いまはそんなもの必要ではないようだぞ。奴ら、夢中のようだしな」
 彼女の言うとおり、眼下の集団は、綺麗に――とはいっても、魏軍の基準ではとても認められないものだが――整列し、指導者らしき数人の男女の合図に従って、槍や剣を振り回している。
「あれって……訓練だよな」
「そのように見えるな」
 一刀は不審そうに顔をしかめ、答える焔耶もまたよくわからないといった表情をしていた。
 そんな二人を他所に、彼らはかけ声と共に武器を振り上げ、振り下ろし、方向転換の動きを練習していたりする。
「白眉ってあんなに訓練するのかなあ」
「軍を形作る以上、最低限の規律は必要だし、それを養うのに訓練は重要だが、しかし……」
 一刀と焔耶、両者共に疑問を呈するのは、その一五〇あまりの人々が、あまりに真剣に見えるためだった。焔耶などから見ればへっぴり腰のどうしようもない動きに過ぎないが、それをなんとかなおしていこうとする姿勢は如実に感じられるし、なにより、その動きへの熱の入り様と言ったらなかなかのものだ。あれならいい兵になる、と彼女は思っていた。
「白眉も熱狂的なところがあるけれど、なんだか違う気がするな」
「もっと近づいてみるか?」
「そうだなあ……っと」
 一刀の声を途切れさせたのは、稚拙ながらも陣形を組んだ一団の中央に立てられた旗だった。
「あれは……」
「少なくとも白眉ではないようだな」
 わずかな風にたなびくその旗には『義』の一文字が躍っていた。


 2.談


 彼らに接触してみようという一刀に、焔耶は当初、
「動きも見たし、あの程度の人数では脅威にはならない。よくわからんが、関わる必要もないだろう。気になるのなら、本隊に知らせるよう手立てを考えるほうがいいのではないか」
 と不干渉を主張したが、彼女とて関心がないわけではなかった。結局は、一刀の意見に折れた。
 その代わり、彼と彼女はしっかり武装し、いつでも逃げられるよう馬に乗って彼らの前に姿を現すことを約束させた。
「旅人だと言えばいい。彼らが白眉でないのなら、いきなり襲われたりはしないはずだ」
「交渉については、お前の領分だろう。そこは任せる。ただし、ワタシが逃げろと言ったら、必ず逃げろ」
「了解」
 そんなわけで、二頭の騎馬は道を進んでいたら珍しいものを見つけたとでも言うような風情で、彼らの側を通りかかることになる。
「やあ、旅の人」
 意外にも先に声をかけてきたのはあちらの方であった。陽気な声の若い男が、一刀たちに向けて手を振っている。塊から離れた指導者たちのうちの一人であった。
「どうも、こんにちは」
 慎重に一刀は挨拶を返す。警戒を示す様は、必ずしも演技というわけでもなかった。
 一刀が口を開いてから、一団は動きを止めてしまったが、一人の女性が鋭く叱咤すると、慌てたように訓練を再開した。
 男はその女性を含めた数人と声をかけあうと、背後に二人――先程の女性と、もう一人の少女――を引き連れて、一刀たちに近づいてきた。
「少し話を聞きたいんだけど、いいかな?」
「ええ、いいですよ」
 男は一刀と焔耶の馬に並ぶようにして歩き出す。しばらく行ったところで、一刀と焔耶は馬を下りて彼らに対した。
 男は剣を鞘に収めていたし、他の二人は武器を担いでいるものの、害意は無いと見て取ったのだ。さらに言えば、三人程度なら馬に乗り直す時間も十分にとれると焔耶が判断したからでもある。
「このあたりは物騒だよ。夫婦二人きりで旅をするにはちょっと時期が悪いんじゃないかな」
「だ、誰が夫婦か!」
 男がのんびりと切り出すのに、焔耶が怒鳴り返す。
「あれー? 違った? てっきりそうだと思ったんだけど」
「阿呆。こいつとワタシが夫婦なわけがあるか! どこに目をつけているんだ」
「少々言い過ぎではないでしょうか、旅の人」
「なにぃ?」
「鶫(つぐみ)姉(ねえ)、鶫姉、喧嘩売らないでよ。すんげー強いよ、この人」
 ぎゃんぎゃんと焔耶がやりあっている内に、一刀は三人の観察を終えていた。
 男は若いと言っても一刀よりは年かさで三十前後。柔らかな物腰の持ち主で、言葉遣いも軽いが、おそらくはこの一団の頭目ではないだろうか。少なくとも会話を主導するのはこの人物だ。
 焔耶を嗜めようと口を挟んだ砂色の髪の女性は二十代半ばといったところか。なかなかの美人で、恐ろしげな槍を携えている。武将たちの武器をよく見知っている一刀から見ても悪い出来の得物ではなかった。つまりは、一般に手に入るものの中では、最高級ということだ。
 三人目の少女は、眠そうな瞳が目を惹く。背に負うのは大ぶりな弓。焔耶の力を見抜くというのはそれなりに武術の心得があるのだろう。
「そんなことは猫(まお)に言われなくともわかっています」
「じゃ、やめてよねー」
「まあまあ、猫も鶫も」
 女性二人をなだめようとする男。その様子に、さらにかみつこうとしていた焔耶の腕をつかみ、彼女と目線を交わす一刀。それで焔耶は不機嫌そうに黙り込んだ。
「物騒なのはわかっていますよ。なにしろ俺たちも騒ぎにまきこまれて仲間とはぐれたんですからね。いまは合流するために江陵に向かっているところです」
「それは……大変でしたね」
 鶫と呼ばれた女性――これはおそらく真名だろうから、一刀も焔耶も口に出さない――が、心底同情すると言った表情で頷いてみせる。どうやら、彼女は何ごとも真剣に受け止める性質であるらしい。
 男は肩をすくめ、その話題を流すようにして話し出す。
「お二人さんは北から?」
「ええ。襄陽から」
「そっか。じゃあ、お互いに情報交換といかないか? 俺たちは元々南の出だから、道も教えてやれるよ」
 二人は目配せしてから頷く。
「それはありがたいですけど、あなたたちは何者なのかな?」
「ああ、すまない。俺は杜伯侯。こっちは仲堅に叔豹。さっきこいつらが呼びあってたのは真名だから忘れてくれ。そして、俺たちは」
 と、男――伯侯は女性と少女を紹介した後で、背後の集団の中で翻る旗を指さした。
「江陵義勇軍。世が乱れるに耐えきれず、ついに武器をとって立ち上がった義士ってわけさ」

 一刀は彼らの正体を知った驚きを押し隠すようにしながら、自分のことを阿刀、焔耶を如耶と称した。焔耶のそれは、彼の高校時代の先輩の名なのだが、呼ばれた方はそんなことを知るよしもない。突然出てきた偽名だったが、それでも、彼女は必要以上に反応を示すことなく黙っていた。
「三人は字からすると兄妹かな?」
「うん。義理だけどね」
「たまたま伯侯様と私の仲堅という字が繋がりがあったので、義兄弟の契りを結んだ後、この娘の字を合わせたのです」
「猫はみなしごだから、字とか立派なものなかったんだよ。猫って真名だって魁兄(にい)につけてもらったもんだし」
 三人は妙に熱の籠もった声で返した。もしかしたら、兄妹と言われるのが嬉しいのではないかと一刀は思う。
「義兄妹、か」
「ああ。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を……ってわけさ」
 伯侯が口にした途端、隣に立つ女性の肩がひくりと動いたのに、一刀は気づかずにはいられなかった。それを認めた様子もなく、叔豹がぼんやりとした声で続ける。
「まー、劉備さまたちの剽窃だけどねー」
「精神もまた倣えばよいのです! よいですか、誓いはそれだけではないのです。我ら三人、姓は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救おうと誓ったではありませんか! あのお三人のように国を建てるまではいかずとも、民のために身を粉にして働くことこそが尊いのですよ。世の乱れに対してぐずぐずと動かぬよりは、たとえ模倣であろうとも、我らもまた自ら動くことが必要とされるのです。もちろん、あの方々は前例がない中で、理想を実現するための民と国を持つまでになったことからして英傑の中の英傑であり、我らと比べるべくもないかもしれませんが、しかしですね……」
 幸い、焔耶の苛立ちは爆発することはなかった。仲堅が滔々と三姉妹を賛美し、その精神を称え、義勇軍の大義を語り続けたからだろう。
「あー、鶫。そこまでね。いまはこの人たちの話を聞くのが先だしね」
「はっ。す、すいません!」
 赤くなって口をつぐむ仲堅。叔豹はその様子ににやにやと視線を向けていた。
「そうだな、じゃあ、まず俺たちの方の素性だけど、元々江陵に住んでたり、その近隣の邑にいたりした人間でね。義勇軍を結成して北のほうに来てるんだ。ただ、まだ出来たばかりで、色々と準備も必要だから、この近くの邑で厄介になってる。まあ、用心棒だね」
「百人ぽっちじゃねー。それくらいしかできないよ」
「なにを言うのですか。邑一つと言えど、守れるのならば、これは十分に役立っているのですよ。その上、これが元となり人々が私たちの名を聞けば……」
 再び説教を始める仲堅の姿にはもう構わず、伯侯は一刀に訊ねる。ああ、この人たちはこういう感じなのね、と思う一刀。
「その、お仲間と離ればなれになったきっかけって、やっぱり白眉?」
「眉は白く塗っていたよ」
 一刀は愛紗たちと離ればなれになった経緯と、その後山の中を抜けてきた話を彼らにしてみせる。自分たちの正体を明かすつもりはなかったので、白眉との戦闘に関しては詳細を語る事はしなかった。
「その白眉の群れについて、もう少し詳しい話を聞けないかなぁ? なんだったら、今晩は俺たちといっしょの邑に泊まったらいい」
 一通り聞き終えて伯侯が提案するのに、一刀は目を丸くする。そこまでのこととも思わなかったのだ。だが、この土地と共に、彼ら義勇軍について知るにはそれもいいかもしれないと彼は思う。
「どうする?」
 焔耶もまた値踏みするように三人と、そして、離れた場所で訓練を続けている集団を眺める。
「もう午後も遅い。こやつらに道を詳しく聞いておけば、進むはずだった分も取り戻せるだろう」
「じゃあ、君たちの邑に泊まっていくことにするよ」
「よし、決まりだね」
 そこで伯侯は笑みを深くして、居住まいを正した。
「それにしても、こんなところで、いったいなにをしてらっしゃるんですか、御遣い様?」
 その言葉が、彼以外全員の度肝を抜いたのは間違いなかった。


 3.義士


「元々、洛陽で官職をいただいていたんですよ。反董卓連合の時に官を辞して、荊州に来たってわけで。少々物騒だったんでね」
 伯侯と一刀は二人きりで伯侯の私室にいた。扉の外からは、わいわいと騒ぐ声がする。ここは、義勇軍の面々が邑から与えられている家の一つだった。
「まあ……たしかにあの頃はね」
 わーっと扉の向こうで歓声が沸く。漏れ聞こえる単語からすると、どうやら、焔耶と仲堅が力比べに腕相撲を始めたようだった。
「で、こっちに引きこもる前に勝ち組連中の顔を見てやろうと……。すいません、御遣い様。当時の感情を繰り返しているだけで、いまそう思ってるわけではないんですよ」
「いや、その御遣い様ってのはやめようぜ。一刀でいいよ。それに、丁寧に話す必要もない」
 その申し出に、伯侯は顎をかいて視線を外していたが、考え直したのか、力を抜いた。
「そうかい? じゃあ、そうさせてもらおうかな。俺のことは魁って呼んでくれ」
「うん。わかった」
 真名を差し出すのも礼の一つだ。受け取って置かなくてはならないだろう。
「まあ、ともかく、袁家はじめ、お歴々の顔を眺めてから洛陽を出たんだ。その時に、ばっちり一刀の顔も見ていたってわけ」
「うーん。目立たない顔だからばれないと思ってたんだけどなあ」
 正直、もし正体が割れるとすれば愛紗か焔耶だろうと思っていた一刀である。両者とも髪に特徴があるし、なによりあの美貌だ。
「まあ、ことさらに隠し通さなきゃいけないってわけでもないから、いいか。特に君たちみたいな相手なら」
 魁はびっくりしたように目を丸め、しばらく一刀の顔を見つめていた。
「信用してくれてありがたいよ」
「いやいや、いまは、白眉じゃないってだけで、ありがたい存在なんだぜ。俺たちにとっては」
「それもそうか」
 二人はひとしきり笑いあった。

 義勇軍の皆と食事を摂った――それは、実にあたたかな食卓で、一刀は久しぶりに多くの人たちとあけっぴろげな会話をした――後で、一刀と伯侯は再び部屋に戻った。魏延であると明らかになった焔耶は、仲堅、叔豹に請われて稽古をつけにいったようだ。
 二人は酒を酌み交わしながら白眉のことについて話し合っていたが、いつの間にかそれは荊州全体の情勢、そして、大陸情勢、さらには全体的な政治論へと広がっていった。
「一刀の言うことは規模は大きくても、結局、金のやりとりだけじゃないかなあ?」
 大陸経済圏構想を語ってみせたところで、魁が疑わしげにうなる。
「いや、でもな。まずは食べるものや着るもの、生活を支える全般を皆に行き渡らせるのが大事で、そのためには……」
「もちろん、一番大事なのはそれだと思うよ。食べてかなきゃ生きていけないし、足りんものを余ったところから運んで、手に入るようにするのも大事だ。でもさ」
 そこで彼はぐいと杯を飲み干す。酒を注いでくる男の目を、彼はじっと覗き込んだ。
「それでも白眉は起きたよ」
 ぐ、と一刀は喉をつまらせたような音を出す。それは、彼自身が悩んでいる事だった。いったい、なにが人々を乱へと追い詰めたのか。
 それを理解しない限り、再び同じようなことが起きないとは限らない。
 もちろん、理由は複合的なもので、なにかこれといった単純なものが見つかるわけもない。だが、それでも、一つ一つ見つけて対策し、潰していかないといけないのだ。
 それについて、魁は彼なりの考えを持っているようだった。
「正直なところ、三国の政は、黄巾前の漢の政よりかなりましだ。胃袋は満たしてくれるわけだからね。でも、もう一つの胃袋までは満たせてない」
「もう一つの胃袋?」
「希望とか夢ってやつだよ」
 そこで魁はかりかりと頬をかく。自分が言ったことが、あまりに漠然としていたような機がしたのかもしれない。
「もしくは、安心かな」
「安心か……。みんな不安だったのかな? いや、いまは白眉がいるから不安だろうが」
 戦乱が終わって以後も、それだけの不安要素があったろうか、と考える一刀。もちろん、戦乱の後の時代だ。騒がしいことはあっただろう。魏では軍が再編されたし、宦官は宮廷を追い出され、呉では王が変わった。北伐という大規模な軍事行動もあったし、荊州の国境線が画定されたりもした。
 しかし、その大半は、一般の人間にとっては遠い世界の出来事ではなかったろうか。
「そういう直接的な脅威とも、ちょっと違うんだよな」
 考え込む一刀に、魁は苦笑して言葉を選ぶ。
「一刀の前でこれを言うのはどうかと思うんだけど、俺は曹操様がどっちつかずにしないでくれてたら、といつも思うんだよ」
「どっちつかずって?」
「一気に漢を滅ぼして、三国の連合にしてしまえばよかったのにってことさ。いや、魏が漢にとってかわるのだってよかった」
 一刀は眼を細め、なにも答えない。実際の所、魁はかなり危うい部分まで踏み込んでいた。
「いまはさ、魏、呉、蜀があって、漢がある。いわば二重の状態だろ? そこがさ、わからないんだよ」
「わからないっていうと?」
 慎重に、一刀は訊ねる。目の前の人物を信用していないわけではない。その逆に、このずけずけとものを言う男が、下手なことに巻き込まれるのが嫌なのだ。
「呑み込めないっていうのかな。この状態が不安になるんだよ。そう、この状態こそが、不安なんだ」
 かつんと音を鳴らして、魁は杯を置く。
「三国の騒乱は、学のない人間でも知っている。それはわかってるだろう? 彼らは黄巾やその後の戦乱を経て、はじめて、自分が住むのが漢という国で、その上で曹操、孫策、劉備という三つの陣営が生き残ったのを知った。そこで思うわけだよ、俺たちがお上って思ってたのは、なんだ? これからのそれはどこだ?」
 身振り手振りを交えつつ、彼は言う。それは、彼の見知った民たちが言語化出来ていない思考の代弁だったのかもしれない。
 だが、魁は諦めたような笑顔で口調を変える。
「漢を滅ぼしたら滅ぼしたで、安定が望めなかったかもしれない。いや、あの時点で性急にやれば、危険のほうが高かったろうね。だから、これは空論だってわかってるんだ」
「まあ……ね」
 一刀は話が危険な領域から離れてほっとする。それと同時に彼が示唆してくれたことを、一刀は心に刻みつけた。この話は、忘れてはいけないことだと、彼は悟っていた。
「それでも中原はいいと思うよ。自分たちが漢土に住む漢の人間だっていう認識が染みついてるからさ。その上で魏の善政の恩恵を受けて、心の安定と体の保障、ふたつの胃袋が満たされているわけだ」
「中原は比較的落ち着いてるね」
「でも、南は違う。そこまでの安定は望めない。特にこの荊州なんか、三国に引きちぎられつつ、荊州でもあったりして、つけこみやすい土地だろう。実際、白眉はこれほどまでに湧いてる」
「……他ならぬ俺が、分割の音頭取りしたからな」
 それにはあえて触れようとせず、魁は遠くを見つめる瞳で続ける。
「俺は元々は荊州の人間じゃない。さっきも言ったとおり、動乱が起きてからやってきた新参者だ。でも、だからこそ見えるものもある。たとえば、この地の人々の気風やらといったものも」
 その口調に、なにか邪魔をしてはいけないような気がして、一刀は一人手酌で酒を飲む。
「荊州は、いろんな意味で中途半端なんだ。北部は中原に入り込んでいて、江東の民ほどの開拓者精神はない。でも、未開拓の地もたくさんある南方の地というのもたしかだ。さらには、三国それぞれの所属に分かれてる。自分の立場を不安に思うには格好の土地かもしれない」
 だが、彼はこの土地を離れなかった。さらにはこの土地が乱に巻き込まれるに至って、義勇軍として立ち上がったのだ。
 それはきっと……。
 一刀の思考が進んだとおり、彼はまるで恋する相手をのろけるように呟いた。
「それでもね、俺は好きなんだ。この荊州がね。そして、ここに住む人たちも」
 一刀は無言のまま、彼の杯に酒を注ぐ。
 言葉は要らなかった。その代わり、彼らの顔は、鏡に映したように似通った、あたたかな笑みで彩られていた。


 4.異変


 焔耶と一刀は義勇軍と別れてから、ほぼ半日、義勇軍に教わった近道――森の杣道を辿った。
「それにしても、ああいう人たちがいるっているのは、心強いよな」
「ワタシとしては、さっさとどこかの軍に合流して欲しいものだがな。あの程度の人数で独自行動をされても……」
「それはそうかもしれないが、結局は俺たち、既存の枠組みにいる人間から見たら、だろう? 彼らには彼らの考えってものもあるしね」
 焔耶は一刀のそんな様子を面白がるように眺めやる。
「あいつらがよほど気に入ったようだな」
「そうだね。三人には真名も預けて貰ったし、いずれ、この騒動が鎮まったら、また会って話そうと約束もしたよ。魁とはもっと議論したいな。そういう焔耶も、鶫たちと意気投合していたじゃないか」
「まあ……。あの二人はなかなか腕がいい。特にあのちっこいのは、桔梗さまに預けたら、化けると思うぞ」
「ああ、猫は弓が得意のようだからね」
 そんなことを話している内に、森を出る。一刀は久しぶりに空を見ると思ったくらいだ。それほど深い森というわけでもなかったが、道に気をつけようと下ばかり見ていたからかもしれない。
「馬に乗れ」
 開けた場所に出た途端、焔耶が鋭く言った。一刀はそれに不思議そうな顔を返す。
「え? でも、今日はもうあの邑に……って、なんか揉めてるのか?」
「ああ」
 彼女の警告の意味を悟り、男は黄龍の鞍にまたがる。彼らの目指していた――魁によれば開放的なはずの――邑の前では幾人もの人々が押し問答していた。
「避けていこうか」
「そうだな、少なくとも落ち着くまでは待つ方がいいだろう」
 二人は邑の入り口あたりで口論している人々を刺激しないよう、ゆっくりと馬の向きを変える。しかし、やはり騎馬は目立つのだろう。数人が気づいて指を差した。
「まずいかな?」
「いや、敵意は感じんが……」
「そうか。じゃあ、驚かせるようなことはせずに……」
 二人は馬の動くまま、離れようとする。その先を遮るように、五人ほどの人間が駆け寄ってきた。
「お待ちください、お待ちください」
「お嬢様、旦那様、どうかお待ちを!」
 口々に声をかけてくるその様子に、焔耶が呆れたような顔になる。
「なんだあれは」
「……話してみようか。武器も持っていないようだし」
「暗器などいくらもある。気を抜くなよ」
 注意をしてくる焔耶もその態度は曖昧だった。彼らに近づいてくる者たちは、なにやら哀れをもよおすような恐慌に襲われているようだったから。
「なにかな?」
 一刀が少し大きな声で切り出した問いに、わっといくつもの口が開く。あまりに入り交じってよくわからないので、一度遮り、少しは筋の通った話をしそうな男から話を聞くことにする。
 彼の――あるいは彼らの――話によれば、今朝方、大きな炎と煙が見えたのだという。それはこの邑の北東にあたる、おそらくは隣の邑で、人々はその様子を見に行くかどうかで言い争っていたのだった。
「あの邑には知り合いも親戚もたくさんいるんです。実はうちとこの女房もそこの出なんで。だけんど、いまの世の中考えっと、ただの火とは思えやせん。実際、大きな炎が見えている時に駆けつけるんは、長老が禁じましたんで」
 その名称は出さない。けれど、彼が言っているのは紛れもなく白眉のことだ。この邑の人間は、隣の村が襲われたことはほぼ確信している。だが、半日も過ぎたなら襲撃者も去ったろうから、助けに行くべきだと考える者と、より慎重な者の間で意見が分かれているというわけだ。
「ここには牛や痩せ馬しかおりやせん。もし様子を見に行って、下手に見つかったら、その……」
 当然生きては帰れまい。それだけならまだましで、この邑に襲撃者を招き寄せることだってありうる。
「それで俺たちに見てきてほしいと?」
「無茶な話とは思いやす。けんど……」
 焔耶は邑の人間たちが指さした、炎と煙が見えた方角の空を見つめながら腕を組む。いまはなんの痕跡も見えず、夕暮れが広がるばかりだ。
「火が見えたのは明け方と言っていたか。いつまで煙は出ていた?」
「もくもくと出ていたんは短い間だけで。ただ、細いんはついさっきまで見えてやした」
「ふむ」
 この騒ぎが起きたのは、煙という目に見える危険がなくなったためでもあるようだ。
「少し相談させてくれ」
 二人は人々から馬を離し、声を潜める。
「白眉の襲撃、だろうね」
「ああ。夜明けを狙って火をつけ、混乱の中を押し入ったのだろう。おそらく、生存者はおるまいよ」
「どうして?」
 彼女の推測に一刀は首を傾げる。襲撃を邑が撃退できたとまでは思わないが、全員が殺されたというのは飛躍ではないかと思ったのだ。
「火と煙の時間からな。奴らがワタシの予測通り、火をつけてから守りを破ったか、乗り込んでから火をつけたかはわからん。だが、いずれにせよ最初の火は突入の機かその直後だろう。これはいいか?」
「うん。でも、火を攻撃に使うのはあまり好きじゃないな」
 火は原始的な恐怖と警戒の感情を呼び起こす。だからこそ一刀たちは犬を追い払うのに利用したのだし、古今の戦で火攻めが用いられるのだ。白眉の場合は人を恐怖させ、混乱させて抵抗を奪うために火を使ったのだろう。
「お前の趣味はいまはいい。ともかく、遠くから見えるほどの火は短時間で消えた。消されたのだ。賊にしたところで、燃やし尽くしては略奪もできんからな。しかし、その後も煙は見えた。住民が生きていたなら、捕らえられていたにしても、火を消させてもらえるよう頼むだろう。賊のほうも、住民を生かしているのなら、消火くらいはさせても構うまい。それがなかったというなら……」
 彼女の言うことを理解すると共に、一刀は深いため息をついた。
「たまらないな」
 焔耶はなにも言わない。ただ、その臙脂色の瞳が鋼のような硬い光をたたえていた。
「こういうことは、無くさなきゃいけない」
「ああ」
 ぐっと拳を握りこんで一刀が言うのに、焔耶が重々しく頷く。
「じゃあ、行くか」
「いいのかい?」
 なんとなしに焔耶は止めるのではないかと思っていた一刀は、その言葉に驚いてしまう。
「当たり前だろう。ここで彼らを見捨てていけば、桃香様に叱られてしまう。ワタシはあの方ほどの器はないかもしれんが、その心を慮ることは出来る。民を救うのにためらう必要もないしな」
「それはそうだ」
 なんだか嬉しそうな顔で言う一刀に焔耶は複雑な表情を向ける。
「だが、期待はするなよ。さっきも言ったようにすでに潰滅している公算も高い。それに、千人相手に足手まといつきで戦う気もない。まずは状況を把握せねばな」
 なにかできるとは思うな、と彼女は釘を刺しているのだった。ただ逃げ帰るだけの偵察行になる可能性もあるのだ。
「うん。そうだな。でも……いや。ともかく行こうか。急げば、朝までには戻ってこられるかもしれない」
 夕暮れの空を見上げながらの一刀の予測に焔耶が頷く。目当ての邑への道や周囲の地形などを聞くため、二人は人々の側に馬を進めるのだった。


 5.惨状


 その邑にたどり着いたのは、とっぷり夜も更けた頃だった。
 それはあるいは、一刀にとって幸運だったかもしれない。闇に埋もれたものをいきなり見ないで済んだことを考えれば。
 だが、夜目が利く焔耶には、星明かりの下でもそれがしっかり見えていた。
「ほんとに人気がないな」
 気配がないことを確認して近づいたのではあるが、あまりにひっそりとした様子に一刀が呟く。
 打ち壊された土塀を通り抜ける前から漂っていた悪臭に、彼は顔をしかめた。血臭はある程度予想していたが、戦場よりもひどいように思えた。だが、彼には相変わらず荒れた様子がなんとなくわかっても、その細部までは見えていない。
 足を止め、ぎりぎりと歯を噛みしめていた焔耶が、諦めたように息を吐く。
「一刀」
「へ? え?」
 その呼びかけに彼は戸惑う。そんな風に名を呼ばれたのは、これがはじめてではなかったろうか。
「これから松明に火をつける。いいか。覚悟しろ」
「え? 焔耶?」
 火が、松明に移り、燃えさかる。それが照らし出した光景に、一刀は足の力が抜けるような気がした。
「そんな、そんな!」
 彼とて、何度も戦場に出たことがある。
 戦で死んでいく人間も、圧倒的武力で蹴散らされる姿も、罪人が無抵抗な状態で首をはねられる様も見たことがある。
 だが、この有様は、それとはまるで違う。
 人を殺すのに、それほどの傷は必要ない。腹を裂けば膝を突くし、首から胸に傷をつけられれば血を失う。頭を割るなら重い一撃だけで十分だ。
 手足をもぐ必要はないし、目をえぐる意味もない。
 腸を壁にひっかけてぶらさげるのは無用だ。
 まして、高い柱に串刺しにするわけはなにか。
 嬲り殺しであった。
「なんで。なんで、こんな事を」
 松明の灯りによって明らかにされた邑の状況を目の当たりにして、男の口からはそんな声が漏れ出ていた。
「……それが、賊というものだ」
 道だった場所に転がる誰かの首の、ぽっかりあいた眼窩を見つめながら、焔耶は食いしばった歯の間から声を押し出す。
 その人物――男なのか女なのか、髪を抜かれ、切り刻まれた顔からは判別しがたかった――の本来あるべき目とその周辺の組織は、当人の口の中におしこめられていた。
「一回りしよう」
「あ……ああ」
 一刀はばんばんと己の腿を叩く。がくがくと震える足を動かすためにはそうするしかなかった。
 邑の中に、動くものはなかった。
 全体を囲む土塀は壊され、家々の土壁もまた壊されていた。特に被害が大きかったのは、共用と思われる三つの倉と、裕福そうな家だった。
 倉は壁ごと壊され、中身は空だった。立派な家は家捜しした跡が如実に残されていた。
 だが、人はいない。
 生きている、住民は。
 死体は、道にも、家にも溢れていた。
 ある女は道の真ん中に両手両足を農機具の柄で縫い止められ、腹を引き裂かれていた。女とわかったのは、その顔ではなく、妊娠を示す大きな腹から。おもちゃ箱をひっくり返したように開口部から広げられた黒々とした内臓の合間に見える肉の塊がなんであるか、一刀も焔耶も口にすることはなかった。考えてはいけないと、二人ともわかっていた。
 焼け焦げた家の残骸の中にはねじくれたような遺骸が横たわり、その家の前には地面に打ち付けられた一本の棒。その棒に足を縛り付けられた、腕のない男が死んでいた。この男と焼死者との関係は想像するしかないが、きっと近しい者だったのだろう。そうでなければ、己の歯で足を食いちぎってでも、燃えさかる家に近づこうとしたはずがない。死んだ原因が足をちぎったためか、腕を斬られた出血のためかはわからない。
 邑の中でも最も裕福と思われる家の住人は、あるいは、まだましな死に方だったのかもしれない。彼らは自ら死を選んでいた。五人家族の全員が揃いの短刀で心臓を突き、首を切り裂いているのだから、見間違いようがない。だが、それでも母と娘の遺骸は辱めるように服をむかれ、卑猥な姿勢をとらされていた。
 邑の広場に突き立てられた幾本もの柱には、小柄な――おそらくは少年少女と思われる体が突き刺さっていた。ある少年は口から突き込まれた柱が下腹を破って飛び出ていたし、とある少女は肩先をひっかけられた状態で空中にぶらさがっていた。その乳房がえぐりとられているのを、二人は認めた。刃物ではない。人の歯によって。
 本当に喰ったのか、戯れに噛みちぎっただけなのか、それはわからない。どちらにせよ、おぞましい所行だった。しかも、その傷の周囲の血の流れ方などには、生きている間にそれがなされたと思わせるところがあった。
 二人とも声もなかった。
 予備動作もなしに、鈍砕骨が振られる。柱は音をたてて折れた。
 死体がどさどさと地に落ちたが、百舌のはやにえのようにつり下げられているよりは、よほどましだろう。
 ふらふらと歩み寄った一刀が柱から遺体を引き抜き始める様子に声をかけようとして、焔耶は小さく首を振った。
 彼女はあたりを見回すと、思案げに瞳を揺らす。
「少し、離れるぞ」
 返事はなかった。ただ、松明を手渡そうとすると、一刀はちゃんとそれを受け取った。
 それから、どれほど経ったろう。
「一刀!」
 焔耶が息せき切って走り寄ってきた時には、一刀は串刺しになっていた子供たちをようやく全員抜き去っていたところだった。
 彼は抱えていた死体をそっと地面に降ろすと、焔耶に振り向いた。
「焔耶。墓堀を手伝ってくれ」
「そんなことはどうでもいい」
 平板な声で言う一刀を、焔耶は切って捨てる。その様子に男は叫ばずにはいられなかった。
「どうでもいいだと!」
「そうだ、どうでもいい。次の被害を防ぐことに比べればな!」
 だが、相手の叫びはさらに鋭い。
 彼女の籠手はさっきからきしきしと金属同士がこすれあう音を出し続けていた。それは、その装着者の力の入り具合を明らかにしている。
「……なんだって?」
「お前が呆けている間に、やつらの痕跡を調べた。どれほどの人数だったかも知りたかったしな。そして、どこに向かうかも」
「あ……」
 言われて、一刀は気づく。
 この邑を全滅させた連中は去った。
 だが、なにもこの世から消失してしまったわけではない。根城に帰ったにしろ、どこか別の所に流れていったにしろ、この惨劇を作り出した無法人どもは、この近辺に野放しになっているのだ。
 なんて間抜けだったのだ。惨状に気を取られ、それを成した者が次にどうするかを考えないとは。
 そこで、一刀は首を振って思考をはじき飛ばした。自分を責めるのは後でもできるのだから。
 他所の邑に警告するにしろ、そいつらを打倒するにしろ、時間が勝負だ。
 彼は走り出しながら、同じように駆けている焔耶に訊ねる。彼女の返事はいずれも簡潔だった
「どうにか出来そうか?」
「約三百。なんとかなる」
「どっちへ向かった?」
「西だ」
 西――その方角には先程の邑も、そして、魁たちがいる邑もある。


 6.強襲


 二人が半日ほど歩いていた森の北端を抜けるようにして、さらに西へ足跡が続いているのを見つけ、一刀と焔耶の焦燥は高まった。
 もはや二人は言葉を交わすまでもなく、魁たちがいるはずの邑に向けて馬を飛ばす。黄龍たちにも乗せている人間の焦慮が乗り移ったかのような、凄まじい疾走であった。
「見ろ!」
 焔耶の指さすそれは、一刀の目には、曙光のその最初の一差しのように見えた。
 だが、西から日が昇るわけもない。
 それは、炎であった。
「畜生!」
 彼には珍しい悪態をつきながら、一刀は武器を構え、焔耶の走る左斜め後ろについた。そこが最も邪魔にならない場所だと彼にはわかっていた。
 近づくにつれ、状況が明らかになる。
 邑は、燃えていた。
 つい昨日寝泊まりした邑は、炎に包まれていた。
 土壁の外側で戦闘が起きている気配はない。ということは、既に賊は壁の内側に入り込んでいるのだ。
 だが、そのことを考える前に、見張りだったのか、あるいは後衛の部隊だったのか、十五人ほどの一団が、二頭の騎馬めがけ大声でわめきながら突っ込んできていた。
「ワタシが処理する。そのほうが早い。お前は身を守っていろ」
「わかった!」
 鋼鉄の芯が入ったような声に、一刀は反駁しない。実際、この程度の人数ならば焔耶が倒す方が早いだろう。彼らの意識は、邑の中に侵入しているだろう賊のことに移っていた。
 最初の一撃が五人を倒し、四人がその巻き添えになる。焔耶は馬をまるで止めることなく、倒れた男たちを踏みにじった。黄龍もそれに続く。
 その間、一刀は邑を観察していた。
 門は破られていない。東の邑と同じく、土塀を打ち壊して侵入したのだろう。その侵入口らしきものは、北側と南側にある。その中で、炎が最も燃えさかっているのは北側だった。
 残る六人を次々と打ち倒した所で、一刀は声をかける。
「焔耶、あっちだ!」
「よし!」
 二人はそのまま邑の北側に馬を走らせる。破壊された土塀に寄るにつれ、その場に多くの人々が倒れていることがわかる。焔耶の見たところ、少なくともその死体の一部の眉は白く塗られていた。
「ここで激しくやりあったようだな!」
「ああ。突破された……」
 ようだ、と続くはずの言葉が途切れる。彼の目は侵入口のど真ん中で立ち尽くす女性に吸い付けられていた。
 砂色の髪は、炎にきらきらと輝いて。
 恐ろしげな槍は、半ばから折れ、大地に突き刺さる。
 そして、彼女はその槍にもたれかかるようにしてそこにあった。
 だが、まるでなにかに驚いたかのように見開かれた瞳は、もうなにも映さない。胸と腹と背中に蛮刀を刺し貫かれて生きていられる人間はいまい。
 最後まで立ち向かおうとして、その姿勢のまま命の火を消した武者の姿がそこにある。
 それは、紛れもなく義勇軍の中心たる義兄妹の一人、鶫の骸であった。
「止まるな!」
 主の無意識の要求に従って速度を落とそうとする黄龍の手綱を、焔耶は握りしめる。その合間にも、彼女に気づいて打ちかかってきた白眉の一人の頭蓋を陥没させている。
「あやつが、立ち止まることを望むと思うか!」
「くっ」
 無理矢理に視線を引きはがし、彼は手綱を打ち鳴らす。一刀は、尊敬すべき武人の横をすり抜けながら、一つだけ頭を下げた。そうしなければ、手の震えが止まりそうになかった。
「ともかく、魁たちと合流しよう! なんとかみんなをまとめて、生存者を守らなきゃ!」
 焔耶は走りながら、周囲を見回す。彼らが現れたのに気づいたか、周囲の白眉達が集まろうとしていた。
「邑の中央に行こう」
 二人は、不幸にも立ちはだかった白眉たちをはね飛ばしながら、猛然と馬を走らせる。
 結論から言うと、魁と合流するのは不可能であった。
 なぜなら彼は猫と折り重なるようにして亡くなっていたから。
 義兄を守ろうとしたのだろう。彼らの周囲には矢で打たれた死体がいくつもいくつも倒れていた。
 しかし、それは叶わぬ事だったらしい。
 義理の兄妹は、お互いにかばいあうようにして大地に倒れていた。
 二人の手はお互いにさしのべられ、そして、魁の頬には微笑みがたたえられていた。
 苦しかったはずなのに。
 無念だったはずなのに。
 彼は笑いながら逝ったのだ。
 なぜだろう。そのことが、一刀の心に刻まれた。
 ――一刀は、吼えた。
 ずいぶん後になっても、一刀はこの戦闘のことをうまく思い出せなかった。
 魁たちの死体を見た後から意識は赤い色に塗りつぶされ、感情が入り乱れていた。呪いの言葉が際限なく唇から漏れ、己のことなど考えぬほどの勢いで武器が振られる。
 そんな断片的な『情報』は思い浮かぶものの、それが自分の経験として意識されることはついぞなかった。
 あるいは、この時、彼はまさに狂っていたのかもしれない。
 ――一刀は、殺した。
 白眉の群れにまっすぐに突っ込んでいった彼が生き延びることが出来たのは、一つには黄龍が主に劣らぬほどの憤怒をもって周囲の賊どもを蹴散らしたからであり、もう一つには焔耶もまたその激情をとてつもない武威として爆発させたからであった。
 ――殺して殺して殺して殺して殺して。
 そうして、武器を振るう相手がいなくなった時。
 彼は泣いた。


 生存者は、たったの三十五人だった。元々の住人が二四人、義勇軍がわずかに十一人。だが、夜が明けきる前に、住人二人と、義士一人が死んだ。
 焔耶は彼らに荷造りや死体の処理をさせなかった。そんなことをすればいつまでもぐずぐずと居続けることは明らかだからだ。
 ここを襲った連中が、他の部隊と連絡を取り合っていないとも限らない。この場所にいれば、報復を受ける恐れがある。ひとまず避難すべきであった。
 一刀はその処置に対してなにも言わなかった。ただ、黙々とけが人の面倒を見、必要とあれば肩を貸した。
 結局、彼らは焔耶と一刀に従って、森を抜けることとなった。二人が馬を連れ半日で抜けたその道のりを、二日もかけて。
 しかし、これでも途中から焔耶が先行し、先の邑に協力を頼んだからこそ出来たことであった。
 結局、生存者たちは邑にしばらく居着くことになり、義勇軍はわずか十名になったとはいえ、邑の警備を買って出た。
 そして、邑の壁に、義の一文字が描かれた旗が翻る。
 それは、戦塵にまみれ、ところどころ破れてさえいる旗であったが、それでも、そこに彼らが――魁たちの理想を継ぐ人々が――いるのだとはっきり主張していた。
 その光景を、一刀たちは邑から少し離れた場所から見ていた。
「……そろそろ行くぞ。あやつらに平和をもたらすためにも、我らは軍と合流すべきだろう」
 その冷静な口ぶりが、一刀の神経を逆撫でする。彼は挑みかかるように彼女を振り返った。
 それは、口に出す前から間違っているとわかっているはずだった。
「そりゃ焔耶はなにも感じないのかもしれないけどな。俺は人が死ぬのにも人を殺すのにも慣れてないんだよ」
 さっと焔耶の瞳が燃え上がる。対して、自分の言葉の意味を理解した一刀の顔は真っ青に変わった。
 慌てて口を開こうとする男の顔を、女が一瞥する。
 その視線の冷たさと、まるで平板な――仮面のような顔を見て、彼の舌は凍りついた。
 くるりと身を翻し、馬たちのほうへと去っていく黒い背中。
 その背中が何よりも雄弁に拒絶を物語っていた。



     (玄朝秘史 第三部第三十六回 終/第三十七回に続く)



○六割くらい本当な次回予告

 なんとか江陵にたどり着く焔耶と一刀。
 だが、そこで待ち受けていたのは、愛紗たちではなく――。
「たしかに武ではとても敵わない。ここに私一人なら、北郷様を無事助け出すことも可能でしょう。ですが、何人いますかな?」
 言った途端、背後に二つ、にじむように気配が生じたことを、焔耶は振り向きもせずに悟る。どこから出てきたか。移動した様子はまるでなかった。気づかぬうちから、ずっとそこにいたかのように。
「手の内を明かしますと、この宿屋全体を囲んでおります」
「くっ」
「どうぞ、武器をお捨てください、魏延将軍。悪いようにはいたしません」
「んーっ。んんん!」
 逃げろと言う叫びは、ふさがれて届かない。
 そして、彼らは思ってもみない人物と再会する……。

 [戻る] [←前頁] [次頁→] [上へ]