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無じる真√N-13話 前編
改訂版です。
思った以上に量が増えたので前後編に分割しました。



 「無じる真√N13」 前編




 少々の波乱はあったものの、彼はなんとか劉備三姉妹、趙雲との再会の挨拶を無事に交わすことができた。
 だが、いつまでも再会を祝している程に暇があるというわけでもない。
 一刀、公孫賛も共に反董卓連合に参加する以上、諸侯が集まる軍議へと向かわなければならなかった。
 一頻り再開の挨拶を交わして落ち着いたところで、一刀はそのことを切り出した。
「なあ、そろそろ行かないとまずいんじゃないか?」
 そう訊ねると、公孫賛が落ち着き払った表情で首を縦に振る。
「あぁ。そうするとしよう。もうそろそろ開始となりそうだからな」
 そう言うと、公孫賛は先頭となって軍議の行われる幕舎へ向かいを歩き始める。が、
「あ、ちょっと待って貰ってもいいかな?」
 劉備が歩き出そうとした一刀たちを呼び止める。公孫賛は踏み出そうとした一歩を引きながら劉備の方へと振り返る。
「どうかしたのか?」
「えっとね、わたしは軍師と一緒に行く予定なんだよね」
「へぇ、軍師か……その様子だと、有能なようだな」
「うん。すっごく頭が良くって、いつも助けて貰ってるんだ」
 えへへと気恥ずかしそうに、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべる劉備。
 なんとなく、一刀はとある少女のことを思い出してしまう。自分も劉備の立ち位置にあったときは百あるうちの百以上の力で支えて貰っていたものだった。
 だが、今、彼は逆に公孫賛を自分の持てる限りのもので支えようとしている。
(不思議なもんだな)
 一刀の頬は不思議と緩みうっすらと笑みを浮かべていた。その横で公孫賛が劉備へと返答する。
「そうか、わかった。それじゃあ、私たちはゆっくり向かってるから。後から合流できるようならしてくれ」
 劉備はその言葉に笑顔で頷くと慌てた様子で自分たちの陣へと駆けていった。
「あ、待つのだー!」
「まったく……困った御方だ。もう少し落ち着きを持ってもらわないと。あ、それでは、我々も失礼」
 眉を八の字にして苦笑を浮かべる関羽が二人に一礼して劉備の後を追って駆け出していった。
「さて、私も本陣へ戻っておくとしましょうか」
「うむ。そうしてくれ。一応、遣いは出しておいたからお前についての事情は既に伝わっているはずだ。星が訪ねても何ら問題はなく通されるだろう」
「星、これからよろしくな」
「ええ。それでは失礼」
 片手を挙げて告げた一刀の言葉に口元で小さな曲線を描いて答えると、趙雲はすたすたと公孫賛軍の陣へと歩いていった。
 相変わらずな様子を見て一刀は小さく息を吐き出す。顔には他人には気付かれない程度に笑みを浮かべていたが、すぐに普段の表情に戻り公孫賛の方を振り返る。
「さて、行こうか」
 そうして、二人は劉備に告げたとおりあまり早くはない足取りで幕舎へと向かい歩を進めていく。
「……それにしても、不安だ」
「ん? どうしたんだよ」
 軍議の間へと向かう中、妙に険しい表情を浮かべている公孫賛を不思議そうに見ながら一刀は訊ねる。
 公孫賛は一度深々とため息を吐くと一刀に目線を向ける。
「今回の連合結成を呼びかけたのは誰だか知っているよな?」
「袁紹だろ、それがどうかしたのか?」
「ああ、その袁本初。これがまた一癖も二癖もあるやつでな……いろいろと面倒なところのあるやつなんだ」
「はは、何となく分かる気がする……っ」
 一刀は思わず乾いた笑いと本音を口から漏らしてしまう。
 慌てて口元を抑えて視線を僅かに彼女から反らす。
「そうか。ああ、何も無く済めば良いのだが……」
 公孫賛は深々とため息を吐いて首を振る。一刀の失言にはどうやら気がついていないらしい。
 その様子に一刀は安堵すると同時に先が思いやられるなと肩を落とす。
 袁紹、字は本初。
 この人物を一刀はそれなりに知っている。かつていた外史≠ナも一刀は出会っていたからだ。
 とにかくいろいろな意味で凄い$l物であるのは間違いなかった。
 公孫賛のなんともいえない様子からしてもこの世界でも一刀が知っている常識外れ≠フ袁紹なのだろう。
 そうして二人して影の差した顔をしているところへ、一度戻った劉備が追いついてきた。
「お待たせー」
「ん? あぁ、桃香か……どうやら間に合ったようだな」
 駆け寄ってくる劉備の方を二人は振り返る。
 劉備の傍に二人の少女が付き添うように……というよりは劉備に付き添われるようにして立っている。
「ええと、その二人が……もしかして」
 公孫賛はずっと劉備の背後へ隠れるような形を取っている小柄な少女たちへ視線を巡らせる。
「うん、そうなんだ……ほら、二人とも」
 劉備が促すことでようやく少女たちは一刀たちの前にしっかりと立つ。
 二人の少女は両者ともに小柄で年齢は想像しにくそうである。また、共にほとんど同様の形状の格好をしている。
(水鏡女学院の制服か何かなのかあれは?)
 一刀はそう思いつつもよく見れば二人の服装には僅かな違いがあることに気がつく。
 肩口で切りそろえられた淡黄色をした髪の少女……こちらは紅紫を基調とした上着、白い腰布の下地が青紫である。
 それに対して、浅紫色の髪を両側で尻尾のように纏めている少女の方は上が上着は青紫、腰布の下地は紅紫であり、微妙な違いがある。
「え、えっと……あ、あのその……と、桃香さまの元で軍師をしておりましゅ、しょ、諸葛亮、字を孔明と申しましゅー! は、はわわ」
(相変わらず人前が駄目なのか……それもそうか。それに、ベレー帽はやっぱり被ってるのか)
 諸葛亮の頭の上にちょこんと乗っている彼女の上着同様紅紫色をした帽子を見ながら一刀は懐かしい思い出に耽りそうになる。
 自己紹介を終えた諸葛亮が顔中を紅潮させて下がると、今度はもう一人が先の折れたとんがり帽子のつばを持っておどおどと一歩前に出る。
「……あ、あの……朱里ちゃんと同じく桃香さまの元で軍師をしていましゅ……はぅ。ひょ、ひょうとうしゅげにゅ……あぅぅ」
 帽子の下の両側頭部から伸びた藤紫の尻尾を二本とも垂らして少女は俯いてしまう。
「え、ええと……」
 カミカミの自己紹介をされた公孫賛は困惑したように頭を掻いて二人の軍師を交互に見る。
「孔明……は分かったんだが、そちらは……」
「あ、ひゃ、ひゃい! ほ、ほうちょう士元でしゅぅ」
「ほ、包丁?」
 再び舌が上手く回らず公孫賛に名前を伝えられなかった少女は更に取り乱してしまったようだ。一層帽子を深く被っておろおろと小刻みに震えてしまっている。
 一刀は、かつて彼女よりは軽度とはいえ随分と人前が苦手で混乱しやすい少女の相手をした経験がある。そして、彼はそれを生かし緊張を煽らないよう静かに彼女へと近づいていく。
「あ、雛――」
 一瞬、劉備が何かを言おうとしたが一刀に任せることにしたのか口ごもってしまう。
 一体どうしたのだろうかと首を傾げたくなったが、一先ず目の前の少女を優先しようと聞き流し、その場でかがみ込むようにして中腰になって少女の頭に掌を乗せる。帽子の中にあった空間がそれによってなくなりぺちゃんこになってしまうが構わずそっと撫でる。
「……え?」
 少女が驚いたような顔で一刀を見上げる。
 一刀は緊張させないようできるだけ自分の中でも柔和な笑みを浮かべ、安心させるよう弾力性のある声でそっと囁きかける。
「取りあえず落ち着こう。まず、深呼吸から」
「……え、えっと……その、すぅーはぁー」
 一刀の言葉に従い少女はか細いながらも深くゆっくりと呼吸を繰り返していく。
 暫くそれを繰り返していくと、少女の表情は大分落ち着いたものになっていた。
「……ふぅ。もう、大丈夫……です」
「うん。よかった。それじゃあ、もう一度自己紹介をお願いしようかな」
 そう言って一刀は公孫賛の隣へと戻る。
「……わ、私は鳳統、字を士元と言います。その、桃香さまの元で軍師を務めさせていただいております」
 今度は無事に自己紹介をこなした鳳統は可愛らしくぺこりとお辞儀をすると諸葛亮同様、すぐに下がってしまう。
「ふむ。では、こちらの番だな……私は公孫賛。字は伯珪。よろしく頼む」
「は、はい。よろしくお願いしましゅ!」
 公孫賛の自己紹介に諸葛亮と鳳統は再度かちこちに固まってしまった。
「で、隣にいる男が」
「北郷一刀、白蓮の元でやっかいになってる身だよ。よろしく」
「まあ、私的参謀とでも言ったところかな」
 公孫賛の補足説明に一刀はぎょっとして彼女の方を見る。公孫賛が「どうした?」と言わんばかりに不思議そうに見返してくる。私的なとはいえ、参謀という扱いだというのは一刀自身、初耳だった。
「……ね、ねえ、朱里ちゃんもしかして」
「う、うん、きっとそうだよ」
 何やらちびっこ軍師同士でこそこそと頷きあっている。
「どうかした?」
 そう一刀が訊ねると、諸葛亮は声を掛けられたことにびくっと小さく撥ね、淡黄色の前髪を揺らしながらおどおどと一刀を顔を見上げてくる。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが、北郷さんって、もしかして……あの北郷さんですか?」
「あの北郷さんが、どの北郷さんを指してるのかわからないんだけど?」
「……そ、その。あの、天の御遣いと噂される北郷さん……ですよね?」
 諸葛亮の説明に首を捻る一刀に対して鳳統の補足説明が入る。
「ああ、そのことか。まあ、そう呼ばれてたりすることはするんだけど……実際はそんな大層なもんじゃないよ」
 照れくさくなり頬を掻きながら一刀は答えるが、諸葛亮と鳳統の二人は肯定されたことで余計に固くなってしまっている。
「はわ、はわわ」
「あわわー」
 顔を見合わせて目を丸くしている二人に一刀はため息混じりに「仕方ないとはいえ、こっちが困るんだけどな」と呟きながら二人の前にしゃがみ込んで目線をあわせる。
「二人とも、聞いてほしい」
「……?」
 泳いでいた二人の目が一刀を捉えたところで言葉を続けていく。
「異名なんかに囚われずよく俺を見てほしい。実際の所、そこまで畏まるような対象じゃないんだ、俺は」
「で、でも……」
「それに、そういう扱いってなんか背中がむず痒くなっちゃうし落ち着かないんだよな。はは」
 そう告げると一刀は頭を掻きながら眉尻をさげて苦笑を浮かべる。
「ま、そいうわけだから」
 言葉を発しながらその分厚い掌を二人の頭に乗せて軽く撫でる。
「気軽に頼むよ。な?」
 そう言って一刀は二人に向けてにかっとやんちゃな少年のように快活に笑う。
「ひゃ、ひゃい!」
「……わ、わかりましゅた」
 何故か返事は一層混乱の混じったものとなってしまっていた。気のせいか、一層恥ずかしそうに顔を赤く染めている。
「そもそも伏龍≠ニ鳳雛≠ニ称される将来有望な軍師様にそんな態度されたりしたら俺まで緊張しちゃうよ」
 その言葉に合わせるように困惑の混じった顔をする。
「しょ、しょれほどの者では……」
「……ないでしゅ」
「いやいや。謙遜しなくていいさ。誰がなんと言おうと二人の頼もしさは変えようがない事実だよ。桃香が羨ましいくらいだ」
「…………」
 すっかり二人とも黙り込んでしまい、一刀は頬を掻きながら慌てて言葉を付け加える。
「ま、俺が緊張しないように……助けると思って気兼ねしないで接してくれよ」
 そう言うと、一刀は二人の頭から手を離してさっと立ち上がり公孫賛と劉備の顔を見る。
「ほえー」
「…………」
 何故か二人とも鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「どうしたんだよ、二人してぼけっとしちゃって。それより、ほら、さっさと行こうぜ。これ以上時間を食うわけにもいかないだろ?」
 そう声を掛けると、二人は頷きはするものの黙ったまま口を開かない。気のせいか口元に笑みを浮かべながらも眼は据わっている。
 意味がわからず首を傾げながらも一刀は歩き出す。
 その後を追いかけるようにして動き出す面々。
「あ、待ってよ。一刀さん」
「一人で先に行くんじゃない」
 公孫賛が劉備を後方に置いて、一刀の隣へ並ぶようにして位置取りをする。
「桃香さま」
「どうしたの?」
「北郷さんって、何だか不思議な人ですね」
 その言葉に劉備のものらしきくすっという小さな笑いが聞こえる。
「そうだね。わたしも面白い人だと思うよ」
 背後から聞こえるそんな話声に気恥ずかしくなる一刀、その顔を公孫賛が半眼で睨むようにして見つめてくる。
「なあ、お前……随分、手慣れてないか?」
「んー、まあ、ちょっとばかしね。彼女たちくらいの女の子を相手にしたことがあったからな」
 苦笑混じりにそう答えると一刀は笑いながら顔を上げる。
 澄み渡る青空が少しぼやけている。その光景を捉えている瞳が少し湿っていたようだ。
(白蓮、星、愛紗、鈴々に継いで朱里……か)
 胸に去来する様々な想いをそっと仕舞い込むように瞼を閉じると、一刀は眼に溜まった過剰な水分を押さえ込むのだった。

 †

 軍議の開かれる幕舎へと足を踏み入れると、そこには重苦しい雰囲気が漂ており空気までも重く沈んでいるように感じられた。
 原因について彼は予測が付いていた。彼が経験したかつての外史≠ナも似た雰囲気を味わったことがあるのだ。
 既に諸侯は並んでおり、後は公孫賛と劉備が入れば揃うという状態だった。
(あれ? 気のせいか、少し違うな)
 居並ぶ諸侯の中に違和感を覚えた一刀は改めて見回そうとする。だが、その瞬間、一人の女性が胸を反らして一同に対して声高らかに自己紹介を始めた。
「おーっほっほっほ! わたくしが、このわたくしが袁本初ですわ!」
 全員が集まったのを確認するやいなや金髪の縦巻き髪と巨乳を揺らしながら高笑いしている女性……彼女こそが袁紹だった。
 一刀は代わりのない袁紹の姿にやれやれと肩を竦めながらかつての経験と照らし合わせる。
(どうせ、まだ総大将が決まってないんだろうな……結果は分かりきってるのに)
「これはこれは、伯珪さんではありませんの」
 居並ぶ諸侯の中に混じっている公孫賛に対して袁紹が声を掛ける。
「ああ、久しぶりだな……本初」
 微妙に流すように応じる公孫賛は一刀を連れたまま自分の席に着く。劉備もそれに続いて自分の席へと移動する。
「では、早速始めるとしましょう。仕切りはこのわたくしが行いますわ。おーっほっほっほ!」
 バカみたいな袁紹の笑い声を合図とするように軍議は開始された。
 もっとも、その展開は一刀の知るものとおおよそおなじだった。やはり、連合の総大将は未定のままだった。
 理由も恐らくはどの諸侯も厄介な役回りを御免被ると言わんばかりに立候補などせず沈黙を通しているといったもの。また、袁紹は誰かに推薦して貰うのを待っているらしく、それとなく……というよりはあからさまに推薦を要求するような言い回しを繰り返しているだけで立候補は全くしない。
 諸侯もそれをわかっているだろうに適当な相づちを打つだけで一向に推薦しようとしない。
「このまま堂々巡りになるのかねえ……」
 流石に初見ではない一刀はただ呆れを交えた視線で全体を見ていた。
 もっとも、一刀もまた推薦をする気はない。といよりはできないのだ。推薦しようものならば、それによって公孫賛軍にしわ寄せが来ることはわかりきっているからである。
 そうして膠着状態が続く中、劉備がなにやら鳳統、諸葛亮の両軍師とこそこそと話をしている。
 一刀がまさかと思うのと同時に、劉備が全体に向けて意見を発した。
「いつまで、こうしてるつもりなんですか!」
 諸侯の瞳が一斉に劉備を捉える。彼女はそれに僅かな動揺を見せながらもたどたどしくも洛陽の民の事、自分たちがもたつけばそれだけ救出が先に伸びることを語った。
「いいかげん、決まらないのなら……わたしが推薦します。袁紹さん、お願いできませんか?」
「あら? わたくしですの? まあ、別に頼まれては断るのもやぶさかではありませんけれど……」
 眼は爛々と輝いているというのに口ぶりだけは躊躇しているように見せているのは見栄だろうか。
 ちらちらと諸侯を見ては自分を見たりと挙動のおかしい袁紹を直視しては流石に劉備も何をすれば良いのか気付かないはずもなかったのだろう、彼女はふっと息を吐き出すと全体を見渡す。
「それじゃあ、この中で異議を申し立てる方はいますか?」
 これまで成り行きを見守っていた諸侯、その眼はどこか死にゆく虫けらに対するかのような冷たさと売られる家畜を目の当たりにしたときの哀れみのような色が見え隠れしている。
 公孫賛もそんな諸侯の心の内を理解しているらしく一刀の隣で額を掌で抑えつつ、苦々しく顔をしかめている。
「あちゃあ……桃香の奴……」
「伯珪さんは? どうなんですの」
 気がつけば、意思確認の順番は公孫賛へと回っていたらしい。
「……私も、その意見に賛成だ」
「白蓮、いいのか?」
「仕方あるまい。とはいえ、これで桃香は大きな負担を背負うことになる。心配だな」
 ひそひそと話す一刀たちを余所に意思確認は続けられていく。
「別に、構わないわ」
 金髪の巻き髪の少女。それは一刀にとってよく覚えのある少女。
(相変わらず、堂々としてるな……)
「私たちも特に異論はないわ」
 そう答えたのは女性、その容姿に見覚えはなかった。それは、初めて見る人物であり、先程一刀に違和感を与えた原因だった。
 だが、彼女の姿は誰かに似ている。
 褐色の肌。額の紋章。石竹色の髪。露出の高い服。
(……呉? 孫呉? いや、この時機で言うと……)
 初めて眼にする女性について考察している一刀の耳にまた聞き慣れぬ声が届いてくる。
 視線を向けるとそこには袁紹を胸や巻き髪、さらに背丈を小さくしたかのような容姿の少女がいた。
 先ほどまでは袁紹に似ているだけあって袁紹を出し抜いて自分がと考えているのをそれとなく滲ませていたのだが、どうやらもうどうでもよくなってしまったようだ。
「妾も構わぬのじゃ。それよりも蜂蜜水はまだかや?」
「もう少し我慢してくださいね、お嬢さま」
 小柄の袁紹もどき少女に催促されている女性はにこりと微笑んで宥めている。どうやら長く世話をしているようだ。
(その割には侍女とかって雰囲気でもないんだよな……)
 その女性は一刀の着ている学生服にも似た厳つさと柔和さが融合したような白地が基調となっている軍服のようなものを身に纏っている。
 疑問符を頭に浮かべながら一刀が首を傾げるまもなく袁紹は機嫌の良さそうな満面の笑みと共に高らかに総大将の宣言をする。
「あらあら、仕様がありませんわね。よろしい。このわたくしが総大将を務めるといたしましょう」
 それから一頻り高笑いをし続けると、満足したのか袁紹は早速指示出しらしきことを始める。
「では、劉備さんとやらにはわたくしを推挙してくださったお礼に先陣を切らせて差し上げますわ」
「…………」
 劉備が渋い顔で諸葛亮と鳳統の方を見ると二人は主君に対して頷くとひそひそと語りあう。すぐに先陣を切ることに対しての策を考えているのだろう。
 袁紹はそんな彼女らの様子に気付くことなくぺらぺらと劉備に先陣を切らせる理由を捲し立てるように早口で述べている。
「たく、お人好しだな。桃香は……」
 そうぼやきながらも、一刀は自分の存在を主張するように手を挙げる。
(これ以上は黙って見ていられるかよ)
「あ−、袁紹さん? ちょっといいかな」
 その一言に場に居座る何十もの瞳が一刀の方を向く。一身に集まる視線に怯みかけながらも一刀は袁紹をじっと見つめたまま意見を口にしていく。
「劉備陣営の戦力はこの中でも低い。先陣を切らすにはちょっと無理がないか?」
「何ですの貴方? 今、わたくしは劉備さんと語らっおりますの。関係のない貴方の言葉は必要ありませんので黙ってなさいな」
 じろりと一刀を睨みながら、袁紹は『劉備』と『関係ない』という部分を強調して一刀の意見を取り合おうとしない。
「私も、どうかと思うぞ。本初」
「……白蓮」
「な、なんですの! 伯珪さんまで、このわたくしの采配に文句がおありだとでも仰るつもりですの!」
 劉備とはまた違ったお人好し、それが公孫賛なのだ。それを一刀は改めて実感する。
(そうか、白蓮も相変わらずなんだよな)
 臣下である一刀が袁紹の提案にケチをつけることに問題はないとはいえないがまだましだった。
 だが、諸侯に名を連ねる一人である公孫賛が口を挟めばそれはすなわち軍全体への影響もあり得るのだ。
 それでもつい口出ししてしまったのはやはり公孫賛の人を気遣う性格によるものなのだろう。
「……そうですの。ふうん。わかりましたわ、劉備さんだけでは心配だと仰るのなら、そう、伯珪さんの軍も先頭に出てもらって構いませんわよ?」
「なっ!?」
 やはり、公孫賛軍へも飛び火してしまった。袁紹の無茶な言い様に流石に公孫賛もたじろいでしまっている。
「まってくれないか」
「また、貴方ですの? さっきから何度邪魔すれば気が済むのかしら? そもそもどちら様ですの?」
「ん? ああ、そっか知らなくても無理はないよな。俺は、北郷一刀。白蓮の元で世話になってる」
「で? そんなブ男がこのわたくしに……いえ、名家の出である袁本初に何を申すというんですの?」
「いやなに、ちょっとした忠告をね」
 顔では不適な笑みを造っているつもりだ。上手くいっているかは自信がない。
 膝は笑っている。
 このような場で、意見が通るかどうかも不明な相手、それも自分よりも大分上の立場にある人間にたいして意見を述べるなどそう経験したことがないのだから緊張もするものである。
 そんな一刀の硬直には特に気付いた素振りもなく袁紹は眉を顰める。
「忠告……ですの?」
 一刀は唾を飲み込むと一気に捲し立てるように語り出す。
「ああ、そうだ。連合における各陣営の戦力を考えてみると、公孫賛軍と劉備軍が共に前曲に出る……そうすると、均衡を取るのが難しくならないか?」
「……?」
 今一意味が分かっていないのか袁紹は首を捻る。
(混乱してるな。……ここが勝負所だ!)
 好機の到来を察知し一刀は笑う膝を叱咤し、気合いを込めると袁紹を強く見つめる。
「つまり、劉備、公孫賛の両軍が前曲を務めたとすると、残る陣営の中で袁紹軍を覗き左右にわけていくとなる。そうすると、どうしても左右均等な配置は難しい」
「でしたら、上手く兵の配置を換えれば……」
「それぞれの軍に特徴がある、それがわかってる以上、混ぜっ返しはあまりお勧めできないな。涼州連合と曹操軍の兵の質や種類は同じじゃないだろ? そういうことさ。それに、変に兵をごちゃごちゃにしたら命令系統が狂ってますます全体が危険になるだけだよ。そうすれば中心の袁紹軍もぱぁっ、てことになる」
「うぐぐ……」
 袁紹の中にある唯一絶対の考えであろう袁紹軍の位置……すなわち、大本営。そのことも計算に入れて説明をした以上、袁紹もおいそれと文句は言えないだろう。
 もちろん、この場にも何人かいる冷静かつ智謀に長けた者たちならば無理があると見破れる理論。
 そんなものでも、自分の軍が危機にさらされる≠ニいう自己防衛の感情を刺激された袁紹からすればまっとうな意見として受け入れてしまうだろう。
 もっとも、それと納得しきるというのは別である。案の定袁紹は泡を食ったように反論を述べる。
「そ、そそ、それくらいでしたらいっそのこと我が軍から連絡用の兵と優秀な指揮官を送っておきますわ」
 いかにも名案とばかりに腕組みする袁紹。
 対する諸侯の答えは、
「そんな余計な者を護る余裕はないわ。よって、無理」
「私たちも立場上、それは無理ね」
「妾はぜぇーったいにいやなのじゃ」
 揃って否≠セった。
「な、なな……」
 袁紹の肩がぷるぷると震えて、だんだんと振り幅が大きくなっていく。
「何故ですの! きぃーっ!」
「だから言ったんだよ。俺ら……いや、公孫賛軍までも前曲は無茶だって」
「……わかりましたわ。なら、劉備軍のみということでよいですわね?」
「それはそれで無理があるというものだろう」
 一刀の言葉に袁紹は震わせていた肩をぴたりと止め上目で睨んでくる。
「じゃあ、一体どうしろというんですの! この、屁理屈男!」
「へ、へり……おほん、いや、要するに公孫賛軍全体ってのは無理だけど俺の部隊なら一緒に前に出ても良いってこと。ただし、条件付きだけど」
「条件? 何ですの? この際だからさっさと申してみなさいな」
「俺の部隊、それに劉備軍への兵糧分配。それと、劉備軍への兵五千の貸与」
「んなっ!? 何故、このわたくしが!」
「だから、言ってるだろ? 条件だってさ。あれ? もしかして、袁家の当主ともあろう御方が小勢力の軍とたった一部隊に対する援助も惜しむのか? それほどケチな器だったのか?」
「そ、そんなことありませんわ! よろしい。その条件、呑もうじゃありませんの!」
 ついに決着が付いた。最低限の援助を引き出すことに成功したことで一刀はようやく安堵の息を吐く。
 話も一通り済んだと言うことで諸侯が自陣へと戻り始める。そうして、殆ど人が残っていない幕舎の中、公孫賛が袁紹に近寄る。何事かと劉備と一刀も傍にいく。
「なあ、本初。ところで、作戦はあるんだよな?」
「ええ、もちろんありますわよ」
「……だ、だよなあ。これだけの規模を率いるんだ。作戦が無かったらまずいよな」
 不安の残りを表すように引き攣る口元もそのままに頭を掻きながら公孫賛がちらりと劉備と一刀の方を見る。
「うんうん」
「…………」
 勢いよく頷く劉備の横で一刀は一言も言葉を発しない。内心、嫌な予感で埋め尽くされているのだ。
「それで、どんな作戦なんですか?」
「それはもちろん――」
「……雄々しく、勇ましく、華麗に進軍」
 巨乳を見せつけるように胸をはって自信ありげに高らかに告げようとした袁紹を遮り一刀は弱々しく口にする。
「あら? へえ、意外とよくわかってるではありませんの。ブ男のわりには良い感性をお持ちのようですわね。ま、このわたくしと比べたら長髪とつるっぱげですけれど、おーっほっほっほ!」
 口元に手を添えてアホみたいに笑っている袁紹から眼を反らして一刀を見る公孫賛と劉備、それにくわえて様子を見ていた諸葛亮、鳳統までもが目を丸くしている。
 一刀はそんな少女たちにただ乾いた笑みで返すだけだった。
「いやはや、総大将を務める人間にぴったりの作戦だよ。ホント……はは」
 半ば投げやりになるしかなく一刀は引き攣った笑みを浮かべる。
 一行は袁紹を残して幕舎を出ようと歩き出す。
「……な、なんと言っていいのかわからんな。流石に」
「ま、いいんじゃないか。袁紹さん! その作戦にあってるんなら、俺たちも自分なりに立ち回ってもいいってことかな?」
「ええ、当然ですわ。一々、この総大将たるわたくしの知恵をお貸しするなど面倒なことは出来るだけ避けたいんですの。ですから、最大級の危機に颯爽と現れるまでは自分でなんとかすることですわ! ただ、このわたくしが率いるに足るだけの戦いをしなさいな。良いですわね?」
「了解。と言うわけだから、俺たちは俺たちで動くとしようか。な? 桃香」
「え? あ、うん。そうだね。それじゃあ、袁紹さん。兵糧と兵の方、よろしくお願いしますね」
「わかっておりますわ」
「くれぐれも頼むよ」
「しつこいですわよ! 粘着男」
「ね、粘着……」
 念を圧しただけなのに、まるで元いた世界で言うストーカーのような名称に内心、ちょっとばかり傷つきながらも一刀は劉備たちとともに幕舎から立ち去るのだった。

 †

 自陣へと戻りながら、彼女は隣を歩く親友の顔を見る。
 彼女と同じく、土地柄のこともあって褐色が眩しい肌に腰まで伸びた漆黒の直毛が垂れ、風に揺れている。
 眼鏡をくいと動かしながら親友が瞳を彼女の方へと向けてくる。
「……なんだ、雪蓮」
「あのさ、さっきのどう思った?」
「それは、袁紹のことか? それとも、あやつとやり合った男のこと?」
「少年の方よ。天の御遣いと称されるだけあってなかなか決まってたわよね。見た感じは頼りなさそうだけど、意外としっかりしてるじゃない」
 孫策は先ほど袁紹をやり込めた少年のことを思い出し口元をほころばす。
「まあな。あの発言はなかなかのものだと言わざるを得ないだろう。あの袁紹に虚勢を張って丸め込んだのだ。相手が相手だから知力としては計ることはできないが、あの度胸だけは評価できよう」
「うんうん、あれで劉備も助かっただろうしね」
「うむ。袁紹の性格をよく理解していたこと、それを利用して上手くやつを乗せたこと、そして、何よりもあの北郷という男が持つしたたかさには目を見張るものがある」
「へえ? そうなの……冥琳の目にとまるってのも凄いわね」
 まじまじと親友の顔を見つめると、彼女は気恥ずかしそうに眼を背ける。
「雪蓮、あまり私を過大評価するな。実際、そこまで大げさなことではない。北郷、あやつは劉備軍を助けつつも、ちゃっかり自軍の……いや、公孫賛軍の負担を削っていただけのことだ」
「どういうこと?」
「北郷は、自分の隊だけ劉備の援護をすることを申し出た。そして、その隊の兵糧は袁紹に出させる。そうすることで一部隊分、公孫賛軍は得をしているといえるのだ。もっとも、兵糧については、だがな」
「でも、兵糧って何だかんだいって戦ではかなり重要でしょ。大体、今回の規模を考えれば一部隊分って言ってもかなりの量になるじゃない」
「そう、だからこそだ。あの男、流れの中でそれとなく事をなしたのだ。無論、袁紹とて思考が変だとはいえ無知ではない。北郷が糧食を狙っていると気付けば提案を撥ね除け、別の方法を考えただろう」
「そうよね。私でもそうするもの、絶対に」
 では、袁紹は何故気付くことなく申し出を受理してしまったのだろうか。
「あの時は流れ上、ちょっとやそっとでは北郷の申し出を撥ね除けることが出来なくなっていた。更に、劉備軍への援助を同時に申し入れた」
 無駄に自分の家柄に誇りを持つ袁紹だからこそ、自分の偉大さを見せてやろうとでも思ったのかも知れない。なんとなく孫策にはそう思える。
「そして、劉備軍に混ざってしまたために、北郷の率いる一部隊くらい増えたところで……そう袁紹は思ってしまたのだろう」
「つまり判断力を麻痺させたってわけね」
「そういうことだ。だから、あの男は見た目に似合わぬしたたかさを秘めていると私には見えたのだ」
「なるほどね。あと、親しい者を護るためにはなりふり構わないって感じね」
「ほう、気付いたか」
 周瑜は意外とばかりに目を丸くする。
「当たり前よ。これでも一応、それなりの立場にいるんだから」
「違いない。そう、雪蓮の言う通りであの話の中で北郷は劉備を護った。普通には気付かないことだがな」
 そこで言葉を句切ると、周瑜は風で顔に掛かった黒髪を掻き上げ、ずれた眼鏡をくいっとあげる。
「本来ならば北郷の言葉は彼女の口から出ていた。そして、それを劉備がしていたらどうなっていた?」
「それはもう、体裁が良くなかったでしょうね」
「そうだ。だが、一部隊を率いているだけとしか他者からは思われない北郷が願い出たからこそ、外聞はさほど悪くはなかった。劉備が望む望まないなど言伝に聞いた者にはわかるまい。むしろ、ただ単に北郷が気を利かせただけ……そう取るほうが自然な反応だろう」
「ふうん。なんだか、奥が深い行動だった訳ね」
 そこまで計算していたのかはわからない。それでも、劉備のために自分を握りつぶせるだけの力を持つ袁紹に食ってかかった少年に孫策は少なからず好感を抱いていた。
「もっとも、どこまでが彼の考え通りだったのかは不明だ。しかし、いずれ我らにとって厄介な相手となる可能性は高いだろう」
 周瑜の説明を聞いた孫策は小さく笑う。
「やっぱり、私自身が出席したのは正解だったようね」
「そうかもしれんな。まったく、雪蓮の勘は怖いくらい正確だな」
「当たり前じゃない。これで生き抜いてきてるようなもんだもの」
 そう言うと、孫策と周瑜はどちらからともなく吹き出し、笑いあう。
 一頻り笑ったところで、少し痛む腹筋をさすりながら孫策は親友の顔を見る。
「ねえ、ちょっと面白いこと思いついちゃった」
「はあ? 一体、何を――」
 周瑜の言葉を遮りながら孫策は自分の考えを告げる。親友の顔がみるみる驚愕に満ちていくのが可笑しくて彼女は再び笑い出すのだった。

 †

 劉備たちと共に一刀は連合陣内を歩いていた。
 袁紹の所を後にしてから劉備は笑顔を公孫賛は汗を浮かべている。
「さっきの一刀さんにはびっくりしたよ」
「……まったくだ。未だに冷や汗が止まらない」
「まあ、俺自身もめちゃくちゃ緊張してたからな」
 頭を掻きながら一刀は苦笑を浮かべる。
「で、でも、凄かったですよ。わたしはそう思いまひた!」
 興奮冷めやらぬと言った表情にたどたどしい言葉で諸葛亮が一刀を見上げている。
 隣では鳳統が帽子のつばに隠れがちな瞳をちょこっと覗かせている。
「……えっと、朱里ちゃんの言う通りだと私も思います。その……とても頼もしく……思えました」
「そ、そこまで感心されるとなんだか恥ずかしいな……そもそも、あれは俺自身の力なんかじゃないわけだし……」
 褒められて悪い気がしないが、それ以上に罪悪感にも似た感情がわき起こる。
 先ほど、袁紹相手に行った交渉はそもそもが前の外史にて手にした知識や記憶をつなぎ合わせただけで一刀にとっては試験において不正行為をしたような気分でしかない。
(本音を言えば危なかったんだよな……何も考えないで突っ走ったら上手く言っただけのことだもんなあ)
 きっと、目の前にいる少女たち、特に一刀の知る名だたる軍師たちはきっと頭脳明晰であるが故に一刀に対する評価を大幅に誤認してしまったのだろう。
 そういった理由から複雑な感情を胸に抱いていた一刀だったが、気がつけば公孫賛軍の陣地へと到着していた。
 いつの間にか迎えに出てきた趙雲が一刀を囲っている集団へ加わっていた。
「おや、戻られましたな。お二人とも」
「ああ、留守番ご苦労」
 公孫賛が大仰な態度で応じるが趙雲はそれについては何も言わず、一刀へと声を掛ける。
「それで、軍議の方はどうなったのですかな?」
「ああ、実はさ」
 そう前置きすると一刀は一通り起きた事、話の内容を説明していく。
 趙雲は終わるまでの間、しきりに「ほう」やら「ふむ」やらと相づちを打ち、徐々に口元をにやつかせていき一刀が話し終えたときには普段の不適な笑みを口元に湛えていた。
「……なるほど。流石は我が主。やることが大胆ですな」
「そうかな? いや、そうかもな……でも、後悔はしてないよ」
「なかなか良きお答えですな。では、主の迷い無き決断に従いこの趙子龍、主と共に先陣へと参りましょう」
「え? 星ちゃんも一緒に前戦に来てくれるの?」
 瞳をキラキラと輝かせながら訊ねる劉備に趙雲はふふと口元に微笑みを浮かべる。
「主一人では何かと心配ですからな」
「どうせ俺はへなちょこだよ。悪かったな」
「良いのです。主には主の強さ≠ェあればそれで」
「……星」
「うむ。話も纏まったということで隊に動員する兵を決め、行くとしよう」
「……白蓮は自重しろって」
 息巻く公孫賛に一刀は冷静かつ冷徹な一言を突きつける。
「し、しかし……一刀だけいかせてもだな」
「何言ってるんだよ。星がついてくれるんだから心配はいらないよ。な?」
「ええ。我が命にかけて主は守り通して見せましょうぞ」
「というわけ……って、白蓮?」
 びしっと決めた趙雲から公孫賛へと視線を戻すと彼女の顔に影が差している。
「またかよ……また私はこんな役かよ……いっそのこと抜け出して私も……いや駄目だよな……流石に」
 何やらぶつぶつと呟き、どんよりとした暗雲を発生させる公孫賛に一刀はやれやれと肩を竦める。
「白蓮、聞いてくれ」
「……なんだよ?」
「俺は白蓮がちゃんと全体を纏めてくれるから安心して前に出られるんだ。それを忘れないでくれ」
「そ、そうかあ?」
「もちろんさ。白蓮無くして俺も無い」
「そうだよなあ! よし、仕方ないからいっちょ頑張るとするか!」
「じゃ、俺たち行くからその息でな」
 生気を取り戻した公孫賛が有り余る活力を発散させるように肩を回しながら陣内へと消えていく。
 彼女の影響からか、周囲の兵たちの間に異常な緊張感が漂っているように見えるが、一刀はそこまではフォローしきれないと顔を背ける。
「よっしゃ! 見事に仕切ってやるぞー! ほら、そこ! ちゃんと自分の持ち場にも戻れ! そっち!お前らは――」
 張り切りすぎなければ良いがと思いながら一刀は集まった兵を連れ、前軍を務める劉備軍の元へ向けて歩き出すのだった。
「……行こうか。ちょっと、心配だけど」
「本人は嬉しそうですし、あれでよいのでしょう」

 †

 劉備軍の陣へと辿り着いた一刀を迎え入れたのは、劉備軍でも一、二を争う武人、関羽だった。
 彼女は側頭部で結った美しい黒髪をたなびかせながら駆け寄ってくる。
 眉を曇らせて全身から何やら申し訳ないと言わんばかりの空気を醸し出している。
「その……聞いたのですが、どうやら一刀殿に非常にご迷惑を掛けることに……」
「ん? ああ、別に愛紗が気にすることはないよ。そもそも、あれは俺が勝手にやったことで桃香に頼まれたわけでもないんだからさ」
「一刀殿……ありがとうございます」
 曇らせていた表情を僅かに明るくさせて関羽がにこりと笑う。
(俺はズルしたんだから感謝される資格もないんだけどな……)
 関羽の感謝の意を受けて苦笑を浮かべながらも一刀は心を曇らせる。そこへ、頭の後ろで手を組みいかにもぶらぶらといった様子で歩いていた張飛がやってくる。
「にゃ? お兄ちゃんどうしたのだ?」
「鈴々、実はだな――」
 不思議そうにしている張飛に対して関羽が事情を説明すると、彼女はぱあっと表情を明るくして一刀を目映いばかりの光を称えた瞳で見上げてくる。
「お兄ちゃんも一緒なの?」
「ああ、そうだよ。よろしくな、鈴々」
「やったのだ!」
 小刻みに飛び跳ねると張飛は「一緒、一緒、お兄ちゃんと一緒〜」と自作の鼻歌交じりにご機嫌そうにしている。
 そんな彼女の姿に一同は微笑ましさに包まれる。 
「ふふ、良かったね鈴々ちゃん」
「いや、しかしこうして考えてみるとやはり一刀殿には感謝せねばなりませんね」
「……だから、もういいってば」
 それから、一刀は必要以上に感謝の念を表す関羽と、陽気にじゃれついてくる張飛や劉備の相手をしつつ趙雲にからかわれたりと騒がしくせわしないやり取りを彼女たちと交わしていた。
 そんな折、彼らの元へ意外な人物がやってきた。
「お楽しみなところ、悪いけれど。ちょっと、いいかしら?」
 声を掛けられた途端、一刀たちはそれまでの馬鹿騒ぎをぴたりと止め、そちらへと注目する。
 そこには、先程の軍議でも見かけた劉備と比べても小柄に見える少女が立っている。
 彼女は小さく撒かれた金色の髪を手で掻き上げながら一刀たちの顔を観察するかのように見ていく。
「えっと……あの、ええと」
「我が名は曹孟徳。覚えておきなさい。劉備」
「は、はあ……それで、曹操さんはどうしてここへ?」
「なに、ちょっと声でも掛けておこうと思っただけよ。ほら、あなた中々いい線いってるから」
「へ?」
「そ、曹操殿! 一体、何を仰る!」
 曹操の言葉にぽかんと開口する劉備に代わり、関羽が激高に駆られて詰め寄ろうとする。
 だが、それを関羽に劣らずさらさらの長い黒髪をたなびかせた女性が止める。
「おい、貴様! それ以上、このお方に近づくな」
「何? 不埒な発言で我が主を侮辱したのはそちらではないか!」
「なんだと? そいつと、華琳さまを同列だとでも言うつもりか?」
 関羽と女性の間に目には見えない火花のようなものが散っている。
「姉者……その辺で止めておけ」
「止めるな、秋蘭!」
「いいえ、待ちなさい。春蘭」
「……華琳さま、しかし」
「いいのよ。関羽、ごめんなさいね」
「む。わかっていただけたのならば――」
「劉備を先に褒めたけれど、実は貴女のほうが私としては好みよ。ふふ、美しく凛々しいその均整の取れた顔立ちと身体……たまらないわね」
「なっ!?」
「な、ななななな、なにを……」
 舐めるような視線を向けられた関羽はざざっと交代して身を庇うようにして曹操を睨み付ける。
 曹操の臣下と思しき二人も目を真開いて驚愕を露わにしている。
「おやおや……愛紗もまだまだですな。主」
「俺に振らないでくれ。答えようがない」
「にゃははー、愛紗ってば変な顔してるのだ」
 特に被害も受けていないため好き勝手言う外野だったが、関羽にぎろりと睨まれて一様に口を閉ざす。
「ふうん、関羽は意外と初心なのね……さて、劉備」
「はい」
「本当に今回は挨拶をしにきただけだから安心なさい。それじゃ、失礼するわね」
 そう言うと、曹操は何故か一刀を一瞥して踵を返した。
(なんだ?)
 一瞬だけ何かこれまでと違う意味合いの視線を向けられたように感じ、一刀は曹操の背中を見送りながら首を傾げるのだった。

 †

 一刀が意味がわからず首を捻っているのと同じ頃。
 劉備の陣を後にした彼女は、臣下の二人を連れて連合陣内を悠然とした歩調で進んでいた。
 何も語らぬ彼女に痺れを切らしたのか、右目が天色の前髪で隠れ気味になっている女性が口を開いた。
「華琳さま。劉備の陣へ赴いたのは一体何故なのですか?」
「さっき劉備に説明した通りよ。声を掛けに行っただけ」
「…………」
「あら? 私の言葉が信用できないのかしら」
「いえ、そのようなことは絶対にありませんが。ただ、少々引っかかるというか……」
 そこからは何も言えなくなったのか女性は口をつぐんでしまう。
 それを見て曹操はふっと口元を緩めると一言だけ告げる。
「秋蘭。貴女の考えは恐らく一部、あっているわ」
「え?」
 曹操の言葉に女性……夏侯淵がまじまじと見つめてくるが。もうそれ以上言葉を付け加える気など彼女にはなかった。
(何故かしらね。劉備も気になったけど、それよりもむしろ……)
「なあ、秋蘭。先ほどから、一体なんのことを話しておるのだ?」
「ふふ、そうだな。姉者には後で説明するとしよう」
「そうか。ま、いい、これから大きな戦だ。腕がなるというものだな」
 張り切る夏侯惇を尻目に曹操は一人、先のこと……やがて訪れるであろう近くて遠い未来へ意識を向けていくのだった。

 †

 曹操が出て行った後、一刀たちは一気に緩んだ空気の中へ安堵の息を溶け込ませていく。
 曹操が来たというだけのことで何故か場の空気がいつの間にか張り詰めていた。劉備に至ってはその緊張感から解放されてすぐに深呼吸までしている。
 それを苦笑いで見ている一刀も、正直、どこか息苦しさすら感じずにはいられず、少しその場から離れるようにぷらぷらと歩き出す。
(相も変わらず存在感は半端ないな……)
 一刀は知っている。今は諸侯の中で能力的に一つ抜きん出た存在であるしかない曹操がやがて大陸にその名を轟かす程の存在となる事を。
「あー、ちょっと。そこの人、いいかしら?」
「へ? 俺?」
「あら? 君はさっきの少年」
「……えっと、孫策さんでよかったかな? 桃香……いや、劉備に用でも?」
「ええ。厄介な役を引き受けてくれたからね、ちょっと劉備ちゃんに挨拶でもと思ってきたんだけど……」
 そう答えながら孫策は出陣の準備に勤しむ兵たちを避けながらきょろきょろと陣内を見回す。
「あ、孫策さん!」
「やあ、劉備ちゃん」
 孫策は、驚いた顔で駆け寄ってくる劉備に片手を挙げる。
「孫策殿……でしたな。一体、何用があって我らが陣へと無遠慮に入ってきのですか?」
「確か、関羽ちゃんだったわね。いや何、ちょっとばかり、劉備ちゃんをお借りしようと思って」
 先程と行っていることが違うため一刀は首を捻る。
「そうですね……理由を述べていただけるのならば構いませんが」
 表情は柔和なものだが、一刀には分かる。薄い仮面の下には激しく訝しむ関羽の顔があることを。
(愛紗は……まさに臣下の鏡というか、行き過ぎなところあるからな)
 かつて、彼女が持つ主君に対する忠誠心の強さと、必要以上の生真面目さを身をもって体験したことがあるからこそ一刀にはわかる。
 関羽は不器用すぎると言うことを。
「……下がれ下郎」
「なにっ!」
 やはり、孫策も関羽が隠しきれていない部分を察知したのだ。
(やっぱり……こうなるよなあ)
 薄々一刀自身、自分のいるところに何かしらの諍いなり事故なり発生するような気はしていた。
 それから、孫策は孫呉……あくまで一国の王として、関羽は劉備を護るための忠臣としてどちらも譲らずに口論を続ける。
「我は孫呉の王。王が会おうというのならば対等なる主人をすぐに出す……それが家臣である貴様がすべきことではないか!」
「巫山戯たことを! 相手が何者であろうと不信をぬぐい去れぬのならば易々と桃香様を渡しなどするものか!」
 徐々に空気は剣呑なものへと変わっていく。すぐ傍にいる劉備も急な流れについて行けずに呆然としている。
「……言いたいことはそれだけか?」
「何だと?」
「ふん、邪魔立てするのならばそれを退いてまかり通るのみ!」
「ほお……良い度胸だな。この関雲長を相手によくぞ言い切った!」
 両者は睨み合ったかと思うと、孫策は剣を、関羽は青龍偃月刀を構え緊迫した空気を辺りに充満させる。
(いやあ、孫策ってああいう人だったのか……って、そんな場合じゃないぞ!)
 のん気に新たに出会った人物を観察しようとしていたのを止めて一刀は泡を食って二人の間に入ろうと半ば転がるようにして進み出る。
「ま、待て愛紗! 落ち着け! って、あれ?」
「やめるのだー! へ?」
 一刀が入りこもうとしたのとは反対の側から短く切られた今様色の髪とちっちゃな虎の顔が姿を見せた。
 彼はすっかり忘れていた。こういった状況で一刀以上に即座の判断が可能な者がいたことを。
 だが、時既に遅し。後の祭りである。
 一刀ともう一人の仲裁人……張飛は見事に頭同士をぶつけることとなり、青き空へ向けて小気味よい音を響かせるのだった。
「い、いったぁ……もう、なにするのだ!」
「ぐあぁぁ……さ、流石鈴々。は、半端無く……痛ぇ」
 額の辺りをさすりながらむくれる張飛を見上げながら一刀は大地をごろごろと転がり痛みにのたうちまわる。
 しばらく沈黙が続く中、悲鳴を上げ続ける一刀の声に促されたかのように空気の漏れる音がした。
「あっははは! な、なに、この少年は! な、なっさけなー! あ、あんなちっちゃな子に頭突きでまけ……負けてる……くくく」
「……か、一刀殿、く……ん、ふふ、な、何を……うっくくく」
 物騒な様相を呈していた二人も表情を崩している。関羽は一見真面目な顔のままのようだが、眉や口端など所々がひくついている。孫策に至っては爆笑だ。
 一刀は痛む頭を抑えながらすっくと立ち上がり失礼な二人を睨み付ける。
「つぅ……な、何って、二人がなんだか危険極まりない雰囲気になってたから止めようとだな」
「ぷっ、は、半泣きで……半泣きで睨んでる……あっははははははははは!」
「そ、そこまで笑わなくてもいいだろう!」
「か、一刀殿……流石に、は、反則……あは、あはははは」
 必至に抗議する一刀だが、その結果は関羽まで大笑いさせるという皮肉めいたものだった。
 孫策に至っては腹を押さえているのと逆の手で一刀の顔を指さしている。
 そんな彼女の隣で一連の流れに口を挟まず見守っていた女性が腰下まで伸びた黒髪を揺らしながら口を開く。
「伯符……笑っては失礼よ。か、仮にもとめ、止めようと……くく」
「そ、そうは言っても……あんな、あんなの見たらわら、笑わずにはいられないわよ。くっくく」
 がっくりと肩を落としながらも一刀は孫策とともに来た女性を見る。
 孫家の娘たち≠ニ同じく褐色の肌、すらりと伸びた足とそれを包む腿まである薄布の靴下が日の光によって黒紅に輝いてみえる。
 そして……なによりも、その顔である。厳しさを感じさせる吊り上がった目尻、何処までも見透かされてしまうと錯覚してしまいそうな翡翠のような瞳。知的さを一層強めている眼鏡。
 一刀は彼女の事を知っている。胸に一つの傷を残して消えた女性。
「……周瑜、か」
 人知れず一刀はぽそりと呟く。
(何というか、むしろ、あっちに面食らってしまった感じだな……)
 一刀が周瑜に抱いていた印象と今、目の前にいる女性の雰囲気が違う。
 当時の君主といざこざを起こすほどに鬼気迫る様子だったという彼女……だが、一刀の失態を見てくすくすと笑っている周瑜は凛々しさはあれど周囲に対する辛辣さのようなものは感じられない。
「ほ、ほら……しぇれ――伯符。みろ、北郷が怒りのあまり黙り込んでしまったぞ」
「よ、よく言うわよ。あ、あなただって顔がにやつきっぱなしじゃないの」
「……そ、そんなことは」
「声、ずっと震えたままよ」
「っ!?」
 周瑜は指摘された通り、口元に当てた手がぷるぷると震えている。刃のように鋭い目尻にはきらりと光るものまで浮かばせている。
(どう考えても笑い堪えてるよな……)
 だが、不思議と怒る気にはならない。何故だろうか、彼女がこうして笑えていることに対する感慨の方が一刀の心の内を大きく占めている。
「あは、はぁ。もう、愛紗ちゃん!」
「……と、桃香様?」
「あんまり、無茶しちゃ駄目だよ。わたしなら別に構わないんだから」
「……申し訳ありません」
 劉備に叱られた関羽がしょんぼりと肩を落とす。
「まあまあ。愛紗にとってはそれだけ桃香が大事だってことなんだろ」
「うん、そうだね。だから……それに関してはありがとう。愛紗ちゃん」
「有り難き、お言葉です」
 関羽が劉備に頭を下げると、その一礼が終わるのを待っていたように孫策は真面目な表情を浮かべる。
「さて、おふざけはここまで。劉備」
「なんでしょうか?」
 劉備も流石に表情を引き締めている。それでもどこかほわっとしているが。
「我が名は孫策。呉の王よ。もっとも、今は弱小化してしまってるんだけどね。そして、隣が」
「周瑜だ。呉……そして、彼女を支える者だ」
「どうもよろしくお願いしますね。それで、あの、ご用件は?」
 肝心なところを早速劉備が訊ねると、孫策は小さく笑みを零すとその真意を語り出す。
「実はね、ここだけの話。貴女たちさえよかったら、協力してあげてもいいわよ」
「ええー!?」
 想像していなかった事態に、驚いた劉備陣営の将たちと一刀は声を上げた。
 孫策だけはおかしそうにくつくつと笑っていた。

 †

 結局の所、話は孫策と劉備の間だけで済ませることができた。
 孫策の目的は孫呉の復興。その為に先ず、孫呉を取り戻さなければならない。
 そのためにも外の味方が欲しかった。劉備はそれに適している人物であると孫策は考え、今回の話を持ち込んだのだ。
「良かったわ。上手く纏まって……」
「ふん、本当はわかっていたのだろう? 滞りないものとなると」
「さあ? どうかしら」
 惚けながらも、先ほどの劉備たちの表情を思い出す。
 孫策たちが理由があるとはいえ、彼女たちに協力すると言った時、心の底から驚いていた。
(でも、あの娘の瞳の奥は揺らいでいなかった。意外と腹が座ってるじゃないの)
 劉備は、ほわっとしたどこか天然系の雰囲気が印象的だった。
 だが、それ以上に彼女の中で良く通っている太い芯が孫策には見え、劉備は大事なところで踏ん張れる種類の人間であると孫策の本能は識別したのだ。
 そして、周瑜も同じ事を思ったのだろう。孫策と似た表情を浮かべている。
「それにしても、劉備は意外としたたかな感じだったな……」
「そうね。きっと、そう遠くないうちに頭角を現すかもしれないわね」
 その後に一言、周瑜には聞こえないように付け加える。
「それに……彼も、ね」
「雪蓮?」
「なんでもないわよ。それよりも、しっかりわたしたちの証明≠しないとね」
「そうだな。如何に我らが真剣に呉を取り戻そうとしているか、奴らに知らしめてやろう」
 話合いの結果、孫策たちの本気を見せることが約束の条件となった。それこそ、劉備の意志であり、彼女のしたたかさを孫策たちに感じさせた原因だった。
 周瑜は未だ、そんな彼女の事を考えては孫策と比較し資質がどうのとぶつぶつと言っているが孫策の耳にそれらはまるで届いていなかった。
 彼女は先程、劉備とともにいた少年の事が気になっていた。
(それにしても……彼、以外と面白いじゃない。軍議の時は少しは頭が回るような印象だったけど……なんか可愛かったわね)
 孫策は、彼の顔を思い出しながら口元を綻ばしていく。
 誰にも教えることない共闘のもう一つの理由を達成したことが思っていた以上に嬉しかったのだ。
「……雪蓮、聞いているのか?」
「え? うん、もちろんよ」
 にこりと微笑み、訝しむ親友を誤魔化す。
(これから、もう少し観察できそうだし楽しめるわね……)
 一人の少年に対して、ここにまた一人の英傑という花の蕾が興味を示す。
 それは、もしかしたら既に彼の未来を暗示していたのかもしれない。

 †

 孫策たちが去り、今度こそほっと一息吐いた一刀たちは大本営からの連絡を受けて動き始めた。
 そうして、連合軍は洛陽へ向けて出陣する。
 先に立ちふさがるは水関。洛陽へ向かう上で関門となる要所である。
 行軍していく中、一刀は同じく前曲を務める劉備らとこの先について語り合っていた。
 水関の時点から董卓軍の優秀な将が陣取っていること、それを破るのも一苦労となりそうであること、話すべき事は掃いて捨てるほど存在していた。
 しかし、何よりも連合軍の総大将に対する不安点が多すぎなのが一番の理由だったりする。
「どうやら、水関には驍将・張遼と猛将・華雄の二人がいるようですね」
「……兵力も侮れないよ。朱里ちゃん」
「そうか……やっぱり華雄がいるんだな」
「主? どうかなされましたか?」
「いや、なんでもないよ」
 以前の流れと比べ、率いる将が増強されている違いはあれど、基本は同じであることに一刀は安堵と不安を同時に抱えていた。
「董卓軍はおよそ五万……内、主力と思われるのが約三万。いずれも装備の質、兵の質共に高いようですね」
「……士気も大いに騰がっているとのことです」
「ううん、なかなか厳しい戦いになりそうだね」
 劉備が呟いた一言は恐らくこの場にいる誰しもが思っていることである。
「取りあえずは、華雄の性格を考えて引きずり出す。これしかないんじゃないか?」
「そうですね。わたしも北郷さんの仰るとおりだと思います。鈴々ちゃんに挑発をしてもらうのが良いかも知れません」
「いーっぱい、いーっぱい、馬鹿にしてやるのだ」
「やれやれ、鈴々なら適任でしょう。それにしても、孫策軍がどう動くか、気になるな」
「……それは、何とも予測できませんね」
 劉備たちは先についてあれこれと話を進めていくが結局のところ孫策軍と敵軍次第という結果に収束していった。
「さてさて、どうなるのやら。主はどう思われますかな……主?」
「ん、まあ、なるように……なってくれればいいな」
 未だ遙か遠くにいる彼女の事を考えて一刀はぼおっと空を見上げる。
「雲に乗ることが出来たなら彼女の元へもすぐに行けるのにな……」
 そえぞれの想いを抱きながら一刀たちは水関へ向けて進む。どのような形であれ、結末を迎えるまでこの流れは止まることはできない。
 そう、それは進むことしかできない刻のように。

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