はじめに
はい、そういうわけでおまけ第二回は「五胡」です。 一刀
って、あれ、なんで続いてるの!?どやら、作者が気に入っちゃったみたいですねー。
今回からは「玄朝秘史」について語るというよりは、主に歴史上の物事をとりあげるわ。真・恋姫のゲームや二次創作を楽しむ上での雑学と思ってもらえばいいわね。
もちろん、その中で「玄朝秘史」でも扱ってることがあれば触れてくけど。
一刀
完全に趣味で作ってるな。そういう酔狂な人だから、50人ハーレムとか無茶な話書き続けてるんじゃないですかねー。
本編で使えなかったネタがもったいないので、せっかくだからというのもあるみたいですよ。
ああ、愛紗さんが亞莎ちゃんに手作りのごま団子をごちそうしたら、体中の穴という穴からあんこを噴き出して悶絶したとか、そういう。
きゃー!!
そんなネタは最初からない!
まあ、いま誰かさんが捏造したネタはともかく、本編ではやれない話をやろうというのはあるみたいね。
一刀
話の流れとか、世界観から乖離してると、ぶっとんだ一発ネタとしてしか出来ないもんな。そうそう、宝ャが巨大化して、それに乗り込んだ風が血の涙を流しながら「私は日輪を目指して真っ直ぐ進む!」「最終正義顕現!」なんて叫ぶネタとかも使えませんし−。
一刀
なんだか知らないけど、えらい勢いで月と穏が逃げていったぞ。ネタ話はそれくらいにして、話を戻しますよ。
まず、最初にはっきり言っておきますが、五胡とは、五種類の異民族のことではありません。
一刀
あれ、でも……。蜀ルートでは第九章第一節において
『五胡っていうのは匈奴・鮮卑・羯・邸・羌っていう五つの部族の総称だよ』(桃香談)
『五胡は後漢王朝の西部に接する国』(朱里談)
という発言があるわね。
そのあたり、どうなんですか桃香さん。
あー、えーと、蜀ルートではそうなんじゃ……ないかな?
この説明は、その所在を『西方』に限っている点や国と称している点など、不審な点が多いので、後々に考察してみたいと思います。
ちなみに、本来、『邸』は『氐』と表記します。恋姫なりの表記でしょう。
一刀
ええと、とりあえずその蜀ルートでの説明は正確性に難があるってことなのかな? じゃあ、五胡ってのはなんなんだ?異民族であることはたしかよ。ただし、五というのに確定的な数字としての“5”の意味はないわね。
一刀
うーん?それでは、異民族自体に馴染みのないおにーさんのために、最初から説明するとしましょう。
漢人の成立と異民族
さて、一刀殿は漢の創始者を知っていますか? 一刀
項羽と劉邦の、劉邦のほうだろう?ちなみに、私の小覇王というのは、項羽が覇王と呼び慣わされたことからきてるのよー。
でも、最終的に負ける人間にあやかるのってちょっと微妙よねー。
項羽の出身地が呉に近かったのもあるんじゃないかしら。
まあ、それはともかく、漢の高祖が劉邦だというのは間違ってはいないけれど、実質的には漢は秦の後継よね。
初めての統一を成して皇帝を名乗った、秦帝国ですねー。
劉邦さんは、秦の行きすぎたところを修正しつつ、乱を治めて引き継いだってところですか。
その通り、漢は多くを秦から受け継いでいます。時代的に次の代だっただけではなく、統治の制度そのものを色濃く受け継いでいるのです。
もちろん、風の言うとおり、秦がやりすぎてしまった部分については緩めたりもしていますが。
一刀
ううむ、始皇帝の影響恐るべし。秦は戦国時代の各国を征服、併呑して統一を果たすわけですが、統一後は各国の国境にあった塁壁を壊し、逆に北方の塁壁をつなげるという事業を行います。
一刀
ん? それってもしかして、万里の長城ってやつ?あら、よく知ってるわね。
といっても、一刀殿がイメージするような雄大で高くそびえる長城は後世のもので、この時代では、馬が飛び越えられない程度の土盛りや木造の壁でしかありませんが。
馬の越えるのを阻害して、足止めしてる間に軍に連絡がいけばいいわけだからね。それで十分だったわけ。
ただ、これは防壁であると同時に、権力の限界点を示すものでもあるのよね。つまり、自分たちの支配がここまで及ぶのだぞ、という宣言。
そうですね、事実、漢の武帝の時代に領土が広がると、西に大きく伸びましたから。
で、そうして「支配の及ぶ地帯」を長城で囲うとですね、一つの意識が生まれてくるのですよ。
一刀
意識?「こちらは自分たち」
「あちらはよその人」
と言えばわかりますかね。
一刀
ああ、共同体意識かな?そのとおり、それが、『中華』という意識です。そして、この意識が、長く続く漢王朝と相まって『漢人』を生み出していくのです。
ですから、明確な血統でつくられている民族ではなく、大きな地域に広がって雑居している人々が持つ共同体としての意識こそが、漢人というものを支えていたと言っていいでしょう。
特にこの時期、北の匈奴が強大だったのが、それに拍車をかけたわよね。
初期の漢は匈奴に負けっぱなしでしたからねー。
高祖その人が包囲されたりしてますから。
そういった強大な敵対者が外に存在することにより、人々はさらに内の結束を強めていったわけです。
そして、自分たちではない人々、異民族も意識されていくことになるわけよ。
中華と夷狄、華夷意識ね。
一刀
ははあ。なんとなくわかってきた。実際の部族はともかくとして、人々は夷、戎、狄、蛮などと異民族を大まかに分けて呼称しました。その他にも様々ありますので、ここにざっと紹介しましょう。
異民族の呼称
ほれ、妾が儒教の経典、いわゆる経書から抜き出してやったぞ。- 『周礼』より
-
……四夷、八蛮、七ビン(注)、九貉、五戎、六狄の……
- 『爾雅』より
-
九夷、八狄、七戎、六蛮、これをもって四海と謂う。
お嬢様、名家っぽーい。
ちなみに、このほか、史書には三胡、四戎、四貉、五胡、六夷、七狄、八夷、八戎、百戎、百蛮などが見られますねー。
一刀
ふむふむ。儒教の経典にしろ、歴史書にしろ、異民族を示す言葉と数字を合わせるのは慣用的に使われてる表現だったってことかな?
そのとおり。百蛮や百戎、百越などの単語を見て、たくさんということの表現だな、と思っても、百種類の部族がいたと思う事はないでしょう。それと同じく、三や五、八という数字も数字そのものに確定的な意味はないのです。
また、そもそもバリエーションとして多くあるのは、いわゆる四夷、蛮夷戎狄ね。
東夷・北狄・西戎・南蛮と記号化されて表現されることもあるけど、これも数字と同じく綺麗に収めるための表現よね。
美以ちゃんたちの南蛮は、その表現を後からあてはめられたに過ぎないってわけですねー。
一刀
実態を表しているというよりは、文学的に見栄えがよかったり、理論的に収まりが良いようにしてみてるってことか−。いくつもの事例を見てみないとわかりにくいもんだな。
さて、数字や方角と一字で、異民族の概念を本質的と言うよりは文学的に表すことを理解していただいた上で、肝心の五胡に話を戻します。
実はこの表現、史書で確認できる最古の記録は『晋書』の中に出てくる詔の文でして……。
西暦で言うと350年頃、つまり、三国志の時代から軽く百年は後の話なんですねー。
一刀
ええと、たしか官渡が200年、赤壁が208年か。えらい先だな。
もちろん、「五胡」として公式に出てきたのがその時というだけで、それ以前にも胡族全般についての呼称の中なりなんなりで使われていたって事もあるでしょうけどね。
さて、さらに後代、南北朝時代に入ってくると、この修辞的な用い方をされてきた数字を具体的に定めていくという動きが出てきます。
たとえば、九夷を九つの部族であるとするような記述が『後漢書』東夷列伝に存在します。
- 『後漢書』東夷列伝より
-
夷に九種あり、ケン夷、于夷、方夷、黄夷、白夷、赤夷、玄夷、風夷、陽夷という
五胡の場合さらに遅くて、現在言われているような、匈奴・鮮卑・羯・氐・羌に定まったのは、六世紀後半とも十三世紀にまで下るとも言われています。
一刀
えらい……後の話だな。理由は簡単よ。それらの時代になるまでに割拠していた諸王朝にしても統一した王朝にしても、いずれもその出自は五胡だからよ。
名前の通りの五胡十六国時代はもちろん、その後の隋、唐にしても、皇帝は当然のこと、貴族、高位の軍人の多くも鮮卑の血筋ですからね。
一方で漢化、つまり土着の文化に同化しようとしていたところもあり、おいそれと自分たちの出自に関して確定させるわけにはいかなかった、というところでしょうかねー。
一刀
時代が離れ、自由に考察することが出来るようになった、か。その反面で、昔の実態を考えず、本を字面通りに解釈するようなことも起こってしまったわけかな?
ですね。
書物をその字義通りに解釈する、という手法が隆盛する時代というものは繰り返し訪れるものですしね。元々が意味がある文字だけに、そのとおり解釈してしまったのでしょう。そして、代表的な五部族をあてはめた、と。
まあ、実際にこの時代に代表的か、というと疑問符がつくのだけどね。それもまた後世の意識からの流れというか……。
なんにせよ、そんな経緯で後世の五胡のイメージは定まっていったと言うことなのですよ。わかりましたか、おにーさん。
一刀
うん。だいたいは。
なんだか頼りないわね。まあ、いいわ、次いくわよ。
真・恋姫†無双における取り扱い
以上見てきたように、五胡が五つの民族を指すとされたのは、かなり後代の意識だということですね。ましてやそれが匈奴・鮮卑・羯・氐・羌であるとなるのはだいぶ後の話です。
ただ、一つだけ注意しないといけないのは、その五胡に五つの部族があてはめられた時代を十三世紀と見積もったとしても、三国志演義の成立よりは早い、ということです。
ここで万が一知らぬ者がいるといけないので、私が解説しよう。
現在中国では三国演義、日本では三国志演義や三国志通俗演義と呼ばれることが多い小説の成立については、元代中期から明代中期まで様々な学説が存在する。最も多数派なのは明初という説だ。
その多数説に従って、明の初期と仮定したとしても、1300年代後半となる。すなわち、十四世紀半ば以降だ。
三国志演義は成立の時点からして、十二世紀前の出来事を描いていたわけだ。
このことを皆、心しておくように。
し、思春? これでいいかしら?
は。すばらしい解説であったかと。
では、帰りましょう。
一刀
え、ええと、ありがとう蓮華に思春。簡単に言うと、五胡の概念の成立は後代のことだったけれども、それよりさらに後に作られた演義や、そこから発展してきた恋姫には後代の認識こそが色濃く表れているって事かな?
そうね。前にも言ったように、蜀ルートなんかでは、五つの部族だと言ってるわけだしね。
うん、そう説明したよー。
はい。では、ここからはその件について考察していきましょう。
まず、知っての通り、恋姫シリーズで五胡が最も重要な役割を果たすのは、真・恋姫の蜀ルートですね。
他は正直、ろくに出てきません。
すごい数で攻めてきたのだ!
あの兵数も白髪三千丈式の誇張と考えないと少々問題があるような気もするのですが……。そのあたりは蜀ルートでは間違いない事実であったとして考察していきたいと思います。
まず、前にも言ったけど、蜀ルートでは『五胡は後漢王朝の西部に接する国』としているのよね。
そして、終盤の五胡の大攻勢は南、西、南西から大軍勢がやってくるのよ。
一刀
南蛮、抜かれてないか? その侵攻ルート。
まあ、美以ちゃんたちが成都にいて、気が抜けていたというところでしょー。
ここで注目したいのは、北方からの侵攻がないことです。蜀ルートの時点は赤壁後の決戦ですから、魏軍は主力が南方に展開しています。
五胡は、明らかに手薄な北方正面から攻めてきていません。
西が正確にどこを指しているのかわからないのだけど、魏の兵士が伝令を持ってきていることから、涼州を指していたとも考えられるわ。
それにしたって、河北と中原を略奪できる北方や東北方から攻め寄せて来てはいないのよ。
朱里ちゃんの発言通り、五つの部族が完全に一体化した国家として動いていたとしたら、このような現象はありえませんね。
西北方面にいる羌、西から南にかけて存在する氐はともかく、匈奴、匈奴の支流である羯、それに鮮卑は北方にいるわけですから。
一刀
ってことは、西方に位置する、という発言も考え合わせると……。
西方の胡族
蜀ルートでの五胡は、氐と羌を主に想定しているということね!ああっ、一番いいところを!
さ、さすがは華琳様……。
ふふん。
でも、稟? 二つばかり疑問があるわ。
なんでしょうか。
まず一つは、あの諸葛亮が五胡を国と称したこと。
もう一つは、羌と氐という西方の胡族だけが動いた理由よ。
そ、そのあたりはゲームにはまったく描写されておりませんので……。
ゲーム中の情報を基にした推論になってしまいますがー?
ええ、もちろんそれで構わないわ。
そうやって出てこない部分を、既にある情報から推測して補うのが面白いのだしね?
では、まず、第一の疑問についてですが、三百万という膨大な兵力を動かすことができた以上、蜀ルートにおいてはなんらかの部族連合のようなものがあったものと思われます。少数の部族で動員できる兵力ではありませんから。
さらに、蜀に入る時点から、孔明は西方を警戒しております。しかし、一方であのルートにおける魏は西方をそれほど警戒していたような描写はない。
まあ、赤壁に大兵力を投入しているものね。
なんとかなる、という予想を抱かせる程度のものだったのでしょうね。
はい。ですから、おそらくあのルートでは大陸の南西方向、つまりは氐を中心とした部族連合が求心力を高めたのでしょう。南蛮程度には国家体制も出来ていたのではないかと推察されます。
ふむ。だから、朱里は五胡を国と称した、と。
そして北方の匈奴や鮮卑には氐の権威は届いていなかったために、魏は後背を襲われることを考えずに済み、南方に兵力を投入できたというわけね。
しかし、それは二番目の疑問につながりますねー。
なぜ、あの歴史の流れでだけ、西方の五胡の圧力が強大化したのか。
一刀
あー、そこは、俺が蜀にいたから、だと思うよ。
ああ、魔羅の気配に天誅を下さんとたちあがったわけね。
一刀
違うわっ!いや、ほら、俺って外史の起点ってやつらしいから、桃香達と出会ったことであの外史における歴史の流れが形成されたんじゃないかと……。
えー。なんですか、その夢物語。
それは……ちょっと、誇大妄想的な……。
一刀
いや、あなた方、さっきまでかなりメタな発言してましたよね?
ゲームとかルートとか言ってましたよね!?
やだなー、軽い冗談ですよ。
一刀
うう、ひどい……。
物語の大きな要因まで含めた場合、たしかに一刀殿が言うとおりなのだと思われます。他のルートで五胡が中原に関与してこないのも、そのせいでしょう。
しかし……。
そういう要素を取っ払って考えた場合、氐や羌を刺激したのは、やはり南蛮征服でしょうね。
蜀に天の御遣いがあると南蛮征服はかなり手際よく進み、さらに美以ちゃんたちもなつきますから、蜀と南蛮の一体化が他のルートより強くなります。
蜀自身が強大化すると共に、外から見れば、異民族を取り込む方針がより強く感じ取れるわけです。
一刀
当然、蜀に近い異民族は次は自分たちの番だと警戒する、か。
強い作用にはそれなりの反作用がついてくるってことね。
蜀が強化される原因でもあるという意味では、一刀がいるから、というのも間違ってはいないことになるわね。
どこにいっても種馬なのは変わらないのに、歴史の流れは変えちゃうのね。
一刀
ひ、否定しきれない自分が憎い。
各部族
さて、話を戻しまして、「玄朝秘史」ではどうかというと、歴史上の認識とゲームでも取り入れられている後代の認識、両者のいいとこ取りです。基本的には「いろんな部族をまとめて呼ぶ」ように使っていますが、その対象が五部族とも重なるので、あえてどちらとはっきりさせずに使ってるところはありますねー。
北伐なんかでは、実際に各部族にあたるから、『五胡』としてまとめて取り扱うことがないしね。
一刀
それに五部族にだけ限定すると、五部族には入っていない烏桓とか別なのかって話になってしまうものな。そういうことです。
さて、いま話に出た烏桓を含め、いくつかの異民族について、簡単に触れていきたいと思います。
まずは烏桓やな。これは、五胡には入っとらんが、五胡の内の鮮卑より前から河北とは接触のあった部族や。元は東胡っちゅう、匈奴に攻め滅ぼされた部族の末裔やっちゅう話や。東胡の遺民のうち、烏桓山に拠ったんが烏桓、鮮卑山に集ったんが鮮卑になったんやて。
幽州あたり、つまり東北方面にあって、後漢を略奪したり、後漢に従って鮮卑を攻めたり色々やっとったけど、史実では最終的に孟ちゃんに攻め滅ぼされて曹操軍に吸収されとるわ。
鮮卑は烏桓と同じく東胡の裔じゃの。昔は烏桓より北におったせいで、烏桓の陰に隠れて、あまり中原とは接触がなかったのじゃ。
後に匈奴の弱体化などもあって、強大化して漢の北方を脅かすようになりおった。
後漢との関係は烏桓と同じく、ある時は降り、ある時は攻め、といったところじゃの。強くまとめる者がおらぬ場合、懐柔されて貢納することが多いようじゃの。
補足しますとですねー、鮮卑はこの後の時代の主役とも言える存在なのですよ−。
鮮卑拓跋部と言われる部族は、数々の王朝を建てる原動力となっていきます。
また、丁零というトルコ系と言われる遊牧民を従えていたりします。
匈奴は大陸の歴史を語るのには欠かせぬ強力な遊牧民じゃな。
中原は戦国時代以来、延々と北方の匈奴の圧力を受けておった。漢が成立しても、しばらくは匈奴のほうが実質的な支配者と言えるような状態もあったほどじゃ。鮮卑、烏桓もかつてはこの匈奴に服属しておった。
しかし、後に内紛や漢からの圧力を受けて、東西、さらに残った東匈奴が南北に分裂し、後漢への従属化を強めていくことになる。
史実では曹魏に降った王族が抑留され、まとめる者がいなくなって弱体化してしもうた。
羌は西北にいた部族ね。半農半牧の生活をしていて、匈奴とも連携することがあったわ。
後に漢が西北方面を支配していくようになると、各地に分住させられ農耕化が進むけど、その分、漢は内側に火種を抱え込んでいくことになるわね。 後漢末期の混乱期には後漢中心部の羌族人口はかなりのものになっていたそうよ。
氐は南西部にいた異民族で、チベット系という説が有力だよ。
早くから農耕に従事していて、漢も征服して移住させる方式より、彼らの王を通じて間接的に支配することに力を入れがちだったから、他と比べれば比較的安定した関係を維持していたみたい。
でも後漢の末期から三国時代になると、彼らの力を借りようとほうぼうが争奪戦を繰り広げて、最終的に一部は魏、一部は蜀が取り込むことになったみたいだね。なかなか平和なままってのは難しいね。
山越は、外ではなく、呉の内部にいた異民族だな。呉の宿痾と言えよう。
元々百越と言われるほどの部族がいたが、江東、江南への漢人の進出が激しくなると山間部に押し込められ、漢人の賊や畑を捨てた人民、黄巾賊の残党などと結びついて乱を起こしたり、孫呉の支配を良しとせず抵抗を続けるなど、やっかいな問題を引き起こした。
ただし、孫呉はこれらの人的資源も利用した。孫呉の軍の半数は山越だったと言われるほどだ。そのために、統率が弱く弱兵でもあったようだが……。忌々しいことだ。
最後に羯。これは後々の五胡に入っています。しかしながら、匈奴の分派だとか、匈奴に服属していた部族だとか言われているようで、よくわかりません。実際の所、私たちの生きる三国時代にはあまり関係ないようです。
はい、みなさんありがとうございましたー。ここぞとばかりに出てきましたねー。
では締めにいっちゃいましょーかー。
最後に
さて、こうしてみてきた様々な異民族たちですが、現実の歴史上では我々の生きる後漢以降は、東アジア圏の主役になっていきます。漢が倒れてからは、一時期晋が統一するとは言え、実質的には長い間分裂期が続くわけですが、後に作られる隋、唐といった統一王朝も鮮卑などの北方遊牧民の系列が建ててますからねー。
ただ、恋姫世界で同じように動くかどうかはわからないわ。
どのルートでもそれなりに早く乱世が終息しているし、おびただしいほどの犠牲者は出ていないから、いわゆる五胡十六国時代は別の形で到来すると見るべきかもしれないわね。
「玄朝秘史」に至っては、五十皇家列伝のいくつかを見ればわかるとおり、逆に漢人由来の氏族のほうが騎馬遊牧民化しているようですからね。
まあ、「玄朝秘史」というタイトル自体、モンゴルを意識しているのは明白ですしね ー。
一刀
そのあたりは、今後の北伐の動きなどで描かれるところもあるかもしれないね。そですねー。では、今回はこのあたりで終わりですよ。
また作者の酔狂がこじれた頃にお会いしましょう〜。
うー、難しかったのー。
せやなー。色々ごちゃごちゃおるもんなあ。
お前達なにを言っている。簡単ではないか。
ともかく全部倒せばよいのだ。そうすれば、華琳様の民になるからな。いちいち細かく分ける必要もなくなる。
うむ、その通りだな、姉者。
まー、それも間違ってるわけやないのかもしれんけど……なあ。
ともかく、今日はこれでしまいやね。ばいばーい。
終!