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517 名前:風曰く、[sage] 投稿日:2009/07/08(水) 00:23:35 ID:G2STD9To0
七夕とは全然関係無いですが董√最新話を投下します
今回はちょっと長すぎてまとまりがなくなってしまいました
魏が絡むと長くなってしまうのは悪い癖ですね

http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0334

それでは次回『張遼落日』で



 馬騰が死んだ。
 涼州のみならず大陸に広くその名を轟かせた一代の英雄だった。
 彼女が居なければ、一刀や月も今こうして無事で居られたかは分からない。
 将官から兵士・民草に至るまで、全ての涼州人がその死を悼んだ。
 中でも娘である翠の悲しみは深く、普段明朗闊達なだけにその悲痛な慟哭は聞く者の涙
を誘った。
 しかし葬儀の翌日には何時も通りの表情に戻っていたのは流石と言うべきか。
 そしてその翠が馬騰の遺言として一刀達に語った内容は驚くべきものだった。
「月を後継者に!?」
「わ、私が……?」
「ああ、元々はあたしが母様に進言した事なんだが、母様も認めてくれた。これから先は
あたしが月の部下だ」
 あっけらかんとそう言う翠に、一刀も月も言葉を失う。
「ちょ、ちょっと!アンタ何を考えてんの!?」
「何を、って言われてもなぁ。ほら、あたしって戦は得意だけど政ってやつは苦手でさ。
だからそっちはそう言うの得意な奴にやって貰ってさ、あたしは戦働きに専念した方が国
の為にも良いかなって。詠だって月がまた西涼を治める様になったら嬉しいだろ?」
「そ、そりゃそうだけど……。で、でもこんだけ世話になっておきながら、馬騰が死んだ
途端に国を乗っ取る様な真似したら月の名に傷がつくじゃない!」
「これ以上傷つく名前も無いと思うのですよ」
「ねね煩い!」
「心配無いって。あたしやたんぽぽがしっかり外に向かって馬騰の遺志だって事を喧伝す
るし、西涼は元々月が治めてたんだからこの街の人間は月がどんな人間か知ってるだろ」
「そうだよねぇ。月が生きてるって知って喜んでる人はいても残念がってる人なんて見た
事ないもんね」
「ほう、それはさぞかし善い領主殿であったのじゃな」
 長年暗愚な君主に仕えてきた桔梗の言葉には羨望に似た響きが混じっていた。
「でも死んだ筈の月がいきなり生きてたって言っても他国の人は信じるのかな?」
「何の為に韓遂との戦いで董の旗を大将として掲げたと思ってんだよ?辺境とは言っても
他国の間諜くらいは入り込んでるだろうし、大概の所はもう知ってるんじゃないか?」
「あ、それもそうか。でもそれ、月は良いのか?」
「……私はまだ志を失くしたわけじゃありません。この先も人々の為に戦っていかなくて
はならないのに、生きていると知られる事を怖れていてはこの先覚束ないでしょう」
「覚悟は出来ておる、と言う事かな?」
「私の志はもう、私だけの想いではないですから」
 月が何かを抱きかかえるかの様に胸の前で腕を組んで首肯した。
 その脳裏に浮かぶのは散って逝った者達の姿か。
「…………うむ」
 暫しその姿を見つめていた桔梗が一人頷くと、突然月の前で跪いた。
「月殿。この厳顔、只今より貴君を我が主と仰ぎとうなりました。何卒幕下にお加え下さ
るよう、お願い申し上げまする」
「き、桔梗さん!?」
「わしは死に場所を探す華雄を見かねて付いていたに過ぎぬ身。成り行きで戦に手を貸し
はしましたが、いずれは御許を去り、傭兵でもして何時か戦場の露と消える宿命と思うて
おりました。じゃが気が変わった。わしは貴殿の創る国と言うものを見とうなりました。
ついてはこの老骨朽ちるまで、存分にお使い下されませぃ」
「……ありがとうございます、桔梗さん」
「これより先は主従の関係。わしの事は桔梗と呼び捨ててくだされ」
「え?あの、へぅ〜、それはぁ……」
「あはははっ!月の呼びたい様に呼べば良いと思うぞ」
「アンタは少しくらい敬意を払いなさいよ!」
「おぐぅっ!?」
 月の頭をポンポンと撫でながら笑う一刀が詠にふくらはぎを蹴られた。
「バカばっかりやってるなよ、ったく。──それで月は母様の遺言、受けてくれるのか?」
「はい」
 迷いは無かった。
「馬騰さんが私に託してくれたのなら応えたい。だから皆さんの力、これからも貸して下
さい」
 皆が頷く。
「そして翠さん」
「ん?」
「もし……もし私が、洛陽の頃に流れた噂の様な暴君に変わったと感じたら、その時は私
を斬ってくれますか?」
「月っ!?アンタ何を──」
「詠ちゃん、私は戦が嫌いだよ。本当なら皆笑って仲良く過ごせたらそれが一番だと思う。
ただ、今は戦わないと得られないものや守れないものもあるから戦うの。でも私はそんな
に強いわけじゃないから戦っている内におかしくなっちゃうかも知れない。戦の中に生ま
れる狂気を、私達だって沢山見てきたでしょ?──或いは劉備さんなら同じ様な想いを抱
えて戦っていても自分を見失うことなんか無いのかも知れないけど、私は皆がいてくれな
きゃこうして立っている事も出来ないくらい弱いから。だから、その時は翠さんが、馬騰
さんの想いを私が踏みにじる様な真似をしたと感じたら、あなたに斬って欲しいです」
「……ああ、分かった。そんな事は絶対に無いって確信してるけど、万が一の時には必ず
あたしがこの手で」
「ありがとうございます。それと皆さんに知っていて欲しいのは、私は天下の統一などは
考えていないと言う事です。私が戦うのはあくまで苦しんでいる人々の為。太守や州刺史・
州牧の人達が民衆を苦しめている国とは戦いますが、劉備さんや曹操さんや孫策さんみた
いに上手く治めている人達と敢えて戦おうとは思っていません。ただもしもその人達が力
で攻めて来たりするのなら、その時は決して躊躇いません。大切な人達を守る為にも」
 普段口数の多くない月が、これほどまでに自分の意思を表に表した事を一刀は内心驚き
ながら聴いていた。
 内気で大人しいこの少女がこれほどまでの激情を秘めていたのかと。
 そしてその全てが弱い人間に代わって泥を被る為の覚悟なのだ。
 だからこそ彼女を支えたいとも思う。
 この優しい少女が穏やかな日常に戻れる日まで、傍に居続けようと誓ったのだった。
 こうして新生董卓軍は動き出した。
 
 一刀達が新体制での新たな国造りに腐心している頃、大陸では各地で大きな動きが起こっ
ていた。
 まず袁術を滅ぼした孫策は楊州の反抗勢力を一掃して地盤を固めると、陸遜に命じて山
越の討伐を行った
 これは国境を脅かす賊を払うと共に、朱桓や丁奉ら呉の次代を担う将へ経験を積ませる
意図があったと思われる。
 また自身は周瑜・黄蓋・呂蒙と言った主要な将を率いて江夏に向けて出兵、先代孫堅の
敵である黄祖を討ち取った。
 また時同じ頃、曹操が徐州へ向けて侵攻を開始した。
 いち早くそれを察した劉備は、勝算無しと見て取るや徐州を放棄し、遠く益州を目指し
逃亡した。
 途中張飛や趙雲の活躍もあって曹操の追撃を振り切った劉備は、黄忠・魏延と名だたる
名将を配下に加えながら瞬く間に益州を席巻し、遂には益州牧の劉璋を追放して蜀を建国
するに至った。
 一方の曹操は劉備を叩くと言う本懐は得られなかったものの、図らずも無傷で徐州を手
に入れた余勢を駆って官渡に軍を展開、河北の最大勢力袁紹と対峙していた。
「ざっと三十万と言ったところかしらね。麗羽本人はどうしようもない莫迦とは言え、流
石腐っても名門と呼ばれるだけの事はあるわ」
 見渡す限りを埋め尽くす金色の軍隊に、曹操がそんな呟きを漏らした。
 一方の曹軍は総勢十数万。
 袁軍の半分にも満たない兵数だった。
「数の上では圧倒的に不利だけれど、我が軍の軍師達はこの状況から如何にしてこの私に
勝利を捧げてくれるのかしら?」
「華琳様!私めにお任せ下さい!予め袁家の将の幾人かに調略を仕掛けておきました。既
に張郊・高覧・許攸など一部の将からは寝返りの確約を得ています。合図を送れば直ちに
袁紹へ叛旗を翻すでしょう。内と外の両方から攻められれば、如何に大軍と言えど打ち破
るのは容易であると思われます」
「華琳様、私の方で独自に情報を集めたところ、袁軍の兵糧物資が烏巣に集められている
との事実が分かりました。機動力に長ける霞の騎馬隊で急襲し、敵の糧秣を焼き払えば、
敵軍の士気は低下し我等の勝利は揺ぎ無いものとなるでしょう」
 荀ケと郭嘉が続けざまに献策を行った。
 より勝利に貢献した方が後の曹操の寵愛を受けられるだろうと知ってか、両者の間では
見えない火花が散っている。
 そんな二人の様子に満足気に頷くと、曹操は一人口を閉ざしている程cに目を向けた。
「風、あなたは私に何か策を献じてくれないのかしら?」
「んー、袁紹さんに勝つ為なら、稟ちゃんと桂花ちゃんの策があれば充分だと思うのです
よー。なので風は袁紹さん達に勝った後の為の策を用意するのですー」
「麗羽に勝った後?どう言う意味なのかしら?」
「…………ぐぅ」
『寝るなっ!』
「おおっ!」
 荀ケと郭嘉に両側から頭を叩かれて程cが跳ね起きた。
「アンタね、華琳様の御前なのだからもう少し緊張感を持ちなさいよ!」
「いやいや、緊張のあまり意識が飛んでしまったのだと言う方向で一つご勘弁をー」
「どう言う方向よ!」
「桂花、良いからあなたは黙りなさい」
「華琳様ぁ。……御意」
 不承不承荀ケが引き下がる。
「それで?」
「つまりですねー、ここで勝つ事は勿論重要なのですが、それはこの戦に関しての勝ちで
しかないと言う事なのですよ。袁紹さんは腐りきって蛆が沸いていたとしても名門袁家の
当主ですからねー。一度くらい負けても再度こちらに戦いを挑めるくらいの地力は持って
いると思われるのです。流石にその時には多少なりとも周到に攻めてくるでしょうから、
ちょっとウザイかも知れませんねー」
「なるほどね。要するにあなたはこの戦いで二度と麗羽が起ち上がれなくなるほど、完膚
なきまでに叩き潰せ、そう言いたいわけね?」
「そゆことですー」
「けどそんな事どうやってやるのよ?」
「おうおう姉ちゃん、そいつは後のお楽しみって奴よ。この場で種明かしするなんてのは
野暮ってもんだぜ」
「とゆー事で秘密ですよ、桂花ちゃん」
「良いでしょう」
 大きく頷くと、曹操は眼下に控える魏の将兵に向かって高らかに呼び掛けた。
「聞け、曹魏の兵達よ!今より我等は荀ケ・郭嘉・程c以上三名の策を用いて、袁紹軍を
この大陸から完全に駆逐する!敵兵力は強大なれど、所詮は袁紹の如き愚か者に率いられ
た烏合の衆に過ぎぬ。この私、曹孟徳に率いられた汝ら精兵が敗れる道理など何処にも無
い!今この時この戦いを以って、我が覇道を天下に知らしめす宣誓の狼煙とする!各員、
奮励努力せよ!」
『おおおおおぉぉぉぉぉ──────っ!!』

 激戦は十日以上にも及び、曹操が勝利した。
 序盤は数で優る袁軍が押していたものの、荀ケにより調略を掛けられた将達が部隊を率
いて寝返り始めると、残った将達の間に疑心暗鬼が蔓延し、連携がズタズタに寸断された。
 時を同じくして霞が袁軍の兵糧基地である烏巣に焼き討ちを仕掛けた。
 曹操に別働隊を編成する余裕など無いと高をくくっていた袁紹は、重要拠点である烏巣
の防備を固めておらず、守備隊は霞の攻撃で大混乱に陥った。
 それでも守将の淳于瓊は寡兵をよく指揮して戦ったが、彼女が楽進に討たれるに至って
遂に烏巣は陥ちた。
 烏巣からの補給が途絶えた事を知った袁軍内部には更に混乱が広まり、脱走する将兵が
相次いだ。
 それにより当初曹軍の二倍以上の兵力を擁していた袁軍だったが、九日目には十万弱に
まで減ってしまっていた。
「どどどどういう事ですのぉぉぉぉ────っ!?」
「まあまあ麗羽様ってば落ち着いて」
「これが落ち着いていられますか!あのクルクル小娘、姑息な手ばかりつかって恥ずかし
くないんですの!?そんなにわたくしが怖いのであれば、素直に降伏していれば良かった
のですわ!そうすればわたくしの愛玩物として傍に置いて差し上げたものを」
「……それが嫌だったんじゃないかなぁ……?」
「何か言いまして?」
「い、いえ、何も!それより麗羽様、ここは一旦退却した方が良いんじゃないですか?」
「あの小生意気なクルクル小娘に背を向けろと言うんですの!?」
「そんな意地張ったって無駄ですってば、姫。ここは斗詩の言うとおり、一度退いて態勢
を立て直した方が良いっすよ」
「そうですよぉ。袁家の声望を以ってすればこれくらいの敗戦、いくらでも立て直し可能
なんですから」
「…………分かりましたわ。華琳さんなんかに背を向けるのはつくづく業腹ですけれど、
ここはあなた達の顔に免じて退いて差し上げる事にしますわ」
 顔良・文醜の二人から諫められ、袁紹が渋々ながら退却を決断する。
 だがそれこそが程cの待っていた機だった。
 まるで袁紹軍が退却する方向を知っていたかのように次々と伏兵が襲い掛かる。
 それが十度繰り返された時には、既に袁紹に付き従うのは顔良と文醜のみと言う有様で
あった。
 しかもようやく曹魏の追撃を振り切った頃には、本拠地である南皮からは大きく離れて
しまっていた。
「こりゃ南皮は今頃陥とされてますね」
「ぬぁんですってぇぇぇ────っ!?それではわたくし達は何処へ帰れば良いと言うん
ですの!?」
「帰る場所なんかないですよぉ」
「再起不能って奴っしょ」
「そ、そんな……このわたくしが、名門袁家の当主たるこの高貴なわたくしが、あの様な
ちんくしゃ小娘に負けるなんてぇぇぇ────っ!!」
 袁紹は両手で顔を覆ってその場にへたり込んでしまった。
 名門の娘として我が世の春を謳歌していた身分から、一瞬にして全てを失ってしまった
衝撃は如何ばかりか。
 彼女の心情を慮って顔良も文醜も声を掛けられずにいた。
 やがて不意に袁紹が立ち上がった。
「猪々子、斗詩、行きますわよ!」
「へ?行くって何処にですか?」
「南ですわ」
「南って……何かありましたっけ?袁術さんは孫策さんに滅ぼされちゃいましたしぃ」
「何を言っているんですの?喩え生き残っていたとしても、美羽さんの所なんかに行く筈
無いではないですか。南へ行くと言ったら蜀に決まってますわ」
「蜀!?……って何処だっけ、斗詩?」
「確か劉備さんが最近手に入れた土地が蜀だったと思うけど……」
「無論その蜀ですわ」
「はぁ……でも何をしに行くんですか?」
 顔良が戸惑いも露わに尋ねると、袁紹はよくぞ聞いたとばかりに胸を反らして高笑いを
上げ出した。
「忘れましたの?反董卓連合での水関攻めの時、わたくしが寡兵の劉備さんに兵を貸し
てあげました事を。あれがあったからこそ劉備さんは手柄を立てる事が出来たんですもの。
きっとわたくしに多大な恩義を感じている筈ですわ。だからここはその恩を返す機会を与
えて差し上げようと言うのですわ。まあ、もしかしたらこのわたくしに王になって欲しい
とか言い出してくるかも知れませんけど、そうなったら引き受けてあげるのも上に立つ者
としての責務と言うものですわね。おーほっほっほっほ!!」
「…………」
「…………」
「な、何ですの、その目は?」
 二人の冷めた眼差しに、袁紹が鼻白んだ声を出す。
「あの時って兵力の少ない劉備さんに無理やり先鋒を押し付けたんじゃないですかぁ。兵
を貸したのだって先鋒を引き受ける条件としてだったんだし、恨む事はあっても恩は感じ
てないんじゃないかなぁ」
「虎牢関でも呂布にぶつけてたしな。あんな化け物の相手させられて恩義を感じるなんて
ありえないですって」
「何ですって!?そんな……何と言う恩知らずなのです劉備さんは!?」
「……あれを恩だと思う姫の方が変ですってばぁ……」
 顔良が疲れたような表情で溜息と共に呟いた。
「けど劉備んとこに行くってのは良い考えかもしんないよな。劉備って何かお人好しっぽ
いし、何だかんだ言っても助けてくれるんじゃないの?」
「まあ、確かに文ちゃんの言うとおりかも」
「ならさっさと蜀に行こうぜ。あたいさっきからお腹へっちゃってさ。蜀のご飯ってどん
なのかなぁ?」
「蜀は遠いんだからそんなすぐには着けないってばぁ。とにかく今日は近くの街で一休み
して、明日から蜀を目指そ?──麗羽様もそれで良いですか?」
「フン、仕方ありませんわね。ここはわたくしが一歩引いて差し上げますわ。そうと決ま
ればさっさと行きますわよ、斗詩、猪々子」
「はーい。──ところで斗詩、ここから一番近い街って何処だっけ?」
「うーん、ここはもう豫州に入っちゃってるから許昌辺りじゃないかなぁ?」
 顔良の言葉に先を歩いていた袁紹が動きを止めた。
「それどんな街?美味しい物いっぱいありそう?」
「よく分かんないけどあるんじゃないかな?この辺りで一番大きな街だし」
「よーし、決まりっ!早く行こうぜ、斗詩。ご馳走があたいを待ってるぜ」
「却下ですわ!」
 いきなり袁紹が話に割り込んできた。
 見るとその表情は激しい怒りに彩られている。
「許昌と言えば華琳さんの本拠地ではありませんの!あんなチンクシャ小娘のお膝元で泊
まるなんて、このわたくしの誇りが許しませんわ!斗詩、華琳さんの領土以外で一番近い
街まで行きますわよ」
「ええっ!?で、でも麗羽様ぁ、ここは曹操さんの領土のど真ん中ですから、そこ以外で
となると楊州か荊州くらいまで行かないとならなくなりますよ?」
「なら荊州ですわね。わたくし達は益州へ行こうとしているんですもの。楊州よりは荊州
の方が劉備さん達のいる蜀まで近いのでしょう?」
「ちょっ、姫、本気ですか!?」
「あら、わたくしは何時だって本気ですわよ。おーほっほっほ!」
 何がおかしいのか袁紹が高笑いをあげる。
「あたいお腹ぺこぺこなんすけど。せめてご飯だけでも食べてからにしましょうよぉ」
「だ・め・で・す!さ、それでは案内なさい、斗詩」
「はーい」
「ご飯……あたいのご飯……」
「文ちゃん、諦めよ?」
「おーほっほっほ!」
 こうして袁紹はこの大陸の勢力図から姿を消した。
 
 官渡の戦いから数日後、袁紹の支配下にあった街々での事後処理も終わり、許昌では戦
勝の宴が開かれていた。
「皆よく戦ってくれたわ。これで中原以北における我が曹魏の覇権は確立されたと言って
良いでしょう。特に数年は要するかと思われた袁紹との戦いを、官渡の一戦だけで終わら
せられる事が出来たのは大きいわ。これはあなたの策がもたらした勝利と言って良いわね、
風。よって此度の戦、戦功の第一は風の物とする」
 曹操の宣言に宴席が沸いた。
 中には程cに向かって羨望や嫉妬の眼差しを向ける者も居るが、概ねが祝福の言だった。
 そんな中、当の程cはと言えば──
「…………ぐぅ」
 寝ていた。
「起きなさい!」
「おおっ?」
 隣に座る郭嘉の手刀を受けて程cが顔を上げる。
「いえいえ、風が立てた策はあくまで戦で勝った事が前提の物ですからねー。もしかした
らあのまま数に押し込まれて負けていた可能性があるわけですしー。そうすれば伏兵に数
を割いていた分、こちらはより苦しい戦いを強いられていたでしょうねー。ですからここ
は最初の戦に勝つ要因となった人に勲一等をあげるべきではないかとー」
「ふむ。ならば風、あなたは誰がその功に相応しいと思うのかしら?」
「そですねー。桂花ちゃんの策も敵軍内に疑心暗鬼を沸き起こさせたと言う点ではとても
有効だったと思いますけど、決定的だったのはやはり烏巣の急襲ですかねー」
「その策を立てたのは稟だったわね。ではあなたは稟が今回の軍功第一に相応しいと?」
「もしくは実際に急襲部隊を指揮した霞ちゃんでしょうかー。この作戦自体、霞ちゃんの
部隊が持つ機動力があってこその作戦ですしー」
「なるほど、良いでしょう。では風の言うとおり、今回の軍功一位は霞に──」
「ちょい待ちぃ」
 曹操の言葉を遮ったのはその霞だった。
「その功、ウチよりも凪にやってんか」
「し、霞様っ!?」
 突然話題に出された楽進が驚きの声を上げる。
「その理由は?」
「簡単な事や。烏巣の敵将淳于瓊を討ったのは凪。あいつが生きとったら烏巣を陥とすの
はもうちぃっと時間が掛かっとったやろ。そうなっとったら戦の行方やってどっちへ転ん
どったか分からへん」
「で、ですが自分が勝てたのは相手が淳于瓊だったからです。烏巣を守っていたのが顔良
や文醜だったらこうは行かなかったでしょう」
「淳于瓊かて反董卓連合の頃の凪なら勝てん相手やったやろ。お前はそれだけ強うなっと
るっちゅう事や。それに凪が淳于瓊の相手を引き受けてくれとったからこそ、ウチも他の
作戦をすむーずに行えたんやし」
「すむーず?って何?」
 聴きなれない言葉に曹操が疑問を差し挟んだ。
「天の言葉で円滑にとか、滞りなくとか、とにかくそないな意味や」
「ふぅん。それはあなたがよく話していた北郷とかって男に教わったの?確かその男が天
の御遣いを名乗っていたのだと記憶しているけれど」
「せや。ちっと頼りないところもあるんねんけどな、結構切れる所もあってん。ほら洛陽
で華琳も感心しとったやん、あの警備体系。あれも一刀の案やねん。交番制度ちゅうてな、
あいつの国はあれのお陰で天界の他の国と比べても特に治安が良いんやて。他にもな──」
 霞がまるで我が事の様に一刀の功績を並べ立てる。
「ふふっ、あなたをそこまで饒舌にさせる北郷と言う男、わたしも一目見てみたいものね。
さて、軍功の話だけれど、ここは霞の顔を立てましょうか。──凪、敵将淳于瓊を討ち取
り烏巣の攻撃、いえ袁紹との戦いそのものに大きく貢献したとしてあなたに功第一等を授
けましょう。以後より一層奮励努力するように」
「は、はいっ!!」
 楽進が緊張のあまりその場で直立不動と化す。
「おめでとさん、凪。今度何か奢ってや」
「凪ちゃん良かったのー。あ、沙和は古今亭の杏仁豆腐がいいのー」
 楽進の両隣で料理を頬張っていた李典と于禁が修復する。
 聞き様によっては体の良いたかりのようだが、それも長く共に過ごした親友同士ならで
はのものだろう。
 更に曹操が第二勲を郭嘉、三勲には先程第一勲を辞退した程cの名を挙げた。
 それ以外の諸将にもそれぞれ戦功に応じた褒章が約束され、宴は大いに盛り上がった。
「ところで霞」
 宴もたけなわとなった頃、曹操が霞の名を呼んだ。
「何や?」
「さっき話していた北郷とやらの事なのだけど」
「一刀の事?」
「逢えるかも知れないわよ」
「!?それって……」
「次は涼州を攻めると言う事ですか、華琳様?」
 横から口を挟んだ郭嘉の言葉に、しかし曹操は首を横に振った。
「いきなり攻めはしないわ。まずは使者を送り我等の下に降るよう説きましょう。無論、
あちらが拒絶をすれば戦う事になるでしょうけれど。韓遂の叛乱から数ヶ月、国を立て直
す時は充分に与えたつもりよ。これで未だ戦う力を持っていないと言うのならそれは無能
の証。叩き潰すのに何の遠慮も要らないわ」
「そう言えば馬騰の死後、涼州の牧は長子の馬超ではなく、董卓が継いだとか」
「血筋よりも国を治める才を優先したと言う事でしょうね。確かに反董卓連合の際に見た
感じでは、馬超は戦才はあるようだけれど為政者として足る器ではない様に思えたものね。
だからと言って血の繋がらない者をあっさり後継者に認めるなど簡単に出来る事ではない
わ。やはり馬騰と言う武将、噂に違わぬ傑物だったようね。つくづく生きてる間に相見え
る事を叶わなかったのが残念だわ」
 曹操が心底残念そうに溜息を吐いた。
「それで華琳様、使者の人選は如何しますか?」
「相手は仮にも漢の相国よ。それなりの地位にある者を向かわせなくては無礼にあたるで
しょうね」
「と、なると漢の位を持つ者と言う事になるでしょうが、この中で華琳様を除いて一番位
が高い人間となると……」
 夏侯淵が口篭る様に言葉を途切れさせて視線を彷徨わせる。
 その目が次に捉えた人物に曹操が頷いた。
「ええ。漢帝国の伏波将軍殿に赴いて貰うわ。──良いわね、春蘭?」
「へっ!?」
 自分に振られると思っていなかった夏侯惇がきょとんとする。
「あ、あのぉ……華琳様?自分で言うのもなんですが、こう言う場合に私は不適格なので
はないかと……」
「心配しなくてもあなたに董卓を説き伏せろなどと言うつもりはないわ。あなたはあくま
で涼州勢に対する礼儀よ。実際に降伏を説くのは──」
 言いながら曹操が宴席を見渡し、一人の人物に目を留めた。
「そうね。稟、行ってくれるかしら?」
「御意」
 翌日軍議の場において、正使を夏侯惇、副使を郭嘉とした涼州使節団の派遣が曹操の口
より発表された。
 表向きは馬騰死去についての弔問の使者となっているが、その実態が降伏勧告を目的と
したものであるのは言うまでもない。
 更に涼州側が降伏を拒絶した場合に備え、荀ケと夏侯淵を中心に討伐軍の編成も指示さ
れていた。
 そして霞は──
「河北やて?」
「そうよ。麗羽が居なくなったとは言え、冀州や并州辺りには親袁紹派を掲げる街や豪族
が叛乱の機会を窺っているし、袁紹と結んでいた烏桓や未だ帰趨が不明な黒山の賊軍の事
もあるわ。特に烏桓は馬術に長けた者が多いと言う事だし、対抗できるとしたらあなたの
率いる騎馬隊くらいでしょう」
「せやけどそないな事言うたら、涼州軍かて騎馬隊が中心やないか。あの錦馬超が率いる
涼州騎馬隊が大陸最強て呼ばれとるんは伊達やないんやで。……華琳、あんたまさかウチ
が月達と戦わんでええように気ぃ使っとるわけやないやろうな?」
「莫迦な事を言わないで。国家の大事にそのような私情をはさむ様な真似、この私がする
と思って?」
「……せやったな。すまん」
 曹操の眼光に、霞が素直に謝罪する。
「まあ、良いわ。霞の疑問ももっともでしょうね。私だって涼州騎馬隊の精強さは反董卓
連合軍の時に目の当たりにしているのだし、通常ならあなたの部隊を当てているところだ
わ。けれど先の韓遂の乱によってその数は大きく減じたと言う報告が入っている。確かに
涼州人は皆馬術に優れているようだし、騎馬隊も人数の補充は行えているでしょうけど、
以前の強さまで到達しているとは思えないわ」
「だからウチを外しても勝てる、言うんか?」
「敵を侮るつもりはないけれど、元々兵数ではこちらが圧倒的に多いのだもの。これくら
いの不利を持たなくては対等な戦いとは言えないでしょう」
「……わかった。あんたはそう言うんやったらウチはそれに従うだけや」
「結構。それでは稟が戻り次第、彼女を参謀として河北平定に向かうように。副官として
凪を付けるから、平定した街の治安維持を任せなさい。あとは河北の状況に詳しい張郊ら
を連れて行くと良いわ。稟と凪も良いわね?」
「御意」
「ハッ!」
「ウチも了解や」
 曹操が大きく頷き、軍議の終結を告げると、魏の諸将が慌しく玉座の間を後にする。
 一人残った曹操は座したまま愉しげな笑みを浮かべていた。
「ふふっ、董卓は私が相対するのに相応しい英傑かしらね」

 数日後、西涼に曹操からの使者が到着した。
「我が主曹孟徳より弔問の使者として遣わされた夏侯元譲と申す」
「副使の郭嘉です。この度は天下に名高き董相国にお目通り叶い恐悦至極」
 二人が恭しく頭を下げ儀礼的な挨拶を口にする。
 それに対し月も型通りの応答を返していた。
 夏侯惇と郭嘉と言えば三国志を齧った程度の知識でも聞き覚えのある名将である。
「ねぇねぇ一刀さん。弔問の使者にしては随分と大物を派遣してきたと思わない?」
 蒲公英の疑問には一刀も同感だった。
「他の意図があるからに決まってるでしょ」
 詠が口を挟んだ。
「他の意図?それって──」
 一刀が言いかけたところで、郭嘉を見て訝しげな表情を浮かべていた華雄が口を開いた。
「おい、お前。戯子才ではないか?」
「ん?あなたは……ああ、華雄殿でしたか」
「どうした、稟。顔見知りか?」
「ええ。以前風と旅をしていた時に護衛をして頂いた事が」
 夏侯惇に問われ郭嘉が頷く。
「なるほど、華雄と言えば董卓殿の股肱の臣。董卓殿が生きていたとなればその下に参じ
ていてもおかしくはないですね」
「フッ、私もまさかこのような場所で会おうとはな。しかし郭嘉と言うのは……?」
「ああ、これが私の本名ですよ。郭嘉、字は奉孝。あの時は旅の最中故、万が一を考えて
偽名を使っていました」
「では一緒にいた娘も偽名か?確か程立と言ったか」
「彼女は本名ですよ。今は改名して程cと名乗っておりますが」
「それでお主等二人とも曹操に仕えておるのか?」
「これは厳顔殿も居られましたか。ええ、仰るとおり彼女も一緒ですよ。ところで厳顔殿。
他国の使者を前にその主を呼び捨てるとは、少々非礼が過ぎるのではないですか?」
「おお、それはそうであったな。いや、使者殿には無礼の儀、平に許されぃ」
 仰々しく頭を下げる桔梗だったが、その慇懃無礼な振る舞いに魏の使者達は余計に苛立
ちを感じているよう一刀には思えた。
「なあ、桔梗さんってわざとあの二人を挑発していないか?」
 詠に囁く。
「当たり前でしょ。敵国の使者を牽制するのは外交での常道よ」
「え?でもあの二人って馬騰さんの弔問に来てくれたんだろ?」
「アンタってホントに莫迦ね。そんなもの表向きの用事に過ぎないのに決まってるでしょ。
実際は従属を求めるとかそんなところじゃないの?」
「あっ、それがさっき言ってた他の意図ってやつか」
 得心が行ったように一刀が頷いた。
 桔梗の言動でやや張り詰めた空気が流れたが、その後は滞りなく儀式は進んだ。
 一応正使は夏侯惇の方だと言う事だったが、弔辞の読み上げは郭嘉が行っていた。
 滔々と並べ立てられる弔文の内容はは特別飾り立てられたものではなかったが、言葉の
端々から深い哀悼の意が伝わっており、西涼諸将の間から時折すすり泣く声も漏れていた。
「ありがとうございました」
 弔辞が終わると月は玉座から立ち上がると、二人の前に立って深々と頭を下げた。
「我々は主より遣わされた使者に過ぎません。その様な行為はお慎み下さい」
 郭嘉が慌てた様子で言う。
 流石に一国を預かる王から拝礼されるとは思っていなかったらしい。
「いえ、曹操さんの名代として来られているあなた達には曹操さんに対するのと同等の礼
を以って遇しなくてはならないと思います。先程の弔辞には馬騰さんの死を心から悼んで
くれている事が伝わってきました。他の国からも弔問に訪れて下さった方は幾人もいらっ
しゃいましたが、本心から悲しんでくださったのは曹操さんだけです」
「……華琳様は英雄馬騰と相対できなかった事を殊の外残念に思われていたからな」
 それまでは殆ど口を開く事のなかった夏侯惇が主の気持ちを代弁する様に言った。
「はい、その気持ちはよく分かりました。魏に戻られましたら曹操さんには私達がお礼を
言っていたと宜しくお伝え下さい」
 月の言葉に二人が頷く。
「それじゃ些少ではあるけどもてなしの宴席を用意してる。今夜はゆっくり寛いでくれ」
 翠が前に出た。
 微かに目が赤いのは先程の弔辞によるものであろうか。
「馬超か。久しいな」
「反董卓連合以来だな、夏侯惇」
 その言葉に詠が僅かに顔を顰める。
「別に悪気は無いんだから」
「……何も言ってないじゃない」
「お姉様たまに空気読めないんだよね。ごめんね」
「だから何も言ってないってば」
 一刀達が小声でそんなやり取りをしていると、郭嘉が口を開いた。
「お心遣いはありがたく思いますが、我等の用件がまだ済んでおりません」
「と、言いますと?」
「我が主君よりのお言葉を伝えます。董卓殿以下西涼の諸侯・将兵・平民に至るまで全て
の人間は城を空けて曹孟徳の下に降りその覇業を助けるべし、との事です」
 郭嘉の述べた言葉に、流石に一同の顔色が変わった。
「ちょっと、何よそれ!?それじゃまるで全面降伏じゃない」
「そうですが何か?」
「あるに決まってるでしょ!?ボク達はまだ曹操と戦ってもいないのよ?敗れて降伏する
と言うならともかく、今の段階でそんな要求呑めるわけないわよ!」
「しかし我が軍は総勢で三十万。翻ってそちらはせいぜい五、六万と言った所でしょう。
錦馬超や飛将軍呂布の名は私も聞き及んでいますが、この兵力差を覆せるものでは無いと
思いますが?」
「ハン!三十万だなんてハッタリが過ぎるんじゃないの?こっちだって大陸の情勢ぐらい
には気を配ってるのよ。袁紹と戦った時点でのそっちの兵力はおよそ十五万弱。袁紹軍の
残党を吸収していたとしても二十万に届くかどうかってところが関の山でしょ。彼我の戦
力差が三倍程度なら軍師の戦術次第でどうとでもひっくり返せるわ。董卓の懐刀と呼ばれ
たボクの頭脳、甘く見ないでもらいたいものね」
「反董卓連合軍六十万を相手に戦い抜いた賈文和の力を侮るつもりはありませんが……ま、
良いでしょう。そちらがそのつもりならこちらとしても全力でお相手するまでです」
 両軍師の間で火花が散った。
「ねねだっているのですぞー。魏の軍師なんかに──」
「…………ねね、メッ」
「モゴモゴー」
 恋に口を塞がれた状態で音々音が渋々引き下がっていた。
「それで董卓殿、あなたは如何なさいますか?我等に恭順するか、あくまで戦うか、主で
あるあなたの答えをお聞かせ願いたい」
「私は……私も詠ちゃんと同じです。この国の為に立ち上がった以上、脅されて唯々諾々
と降る訳にはいきません。それに、曹操さんとは目指す道が違いますから」
「……分かりました。我が主にはその返答、とくとお伝え致しましょう。さて、それでは
戦の準備もあります故、私達はこれで失礼します」
「待って下さい」
 一礼して踵を返す二人の背を、月が呼び止めた。
「何か?よもや使者として訪れている私達を捉えて戦を有利にしようなどと企てている訳
ではないでしょうな?」
「そうじゃありません。さっきも言ったようにお二人の為に一席設けてありますから、ど
うぞ今夜はこの城にお泊りください」
「月ッ!?」
「真意はどうあれ、曹操さんが馬騰さんの死を心から悲しんでくれていたのは事実だよ、
詠ちゃん。それは翠さんやたんぽぽちゃんも感じていたと思う」
 月の言葉に翠と蒲公英が頷きを返した。
「その気持ちをわざわざ伝えに来てくれた人達を追い返すような真似は出来ないよ。もう
日も暮れるし、このまま夜道を帰るのは危険だから、今夜はこの城に泊まってもらって、
明日の朝に出て貰った方が良いと思うの。──それでどうですか?」
「いや、しかし……」
「良いではないか、稟」
 迷う郭嘉にそう言ったのは夏侯惇だった。
「折角なのだ厚意に甘えようではないか。私も丁度何人か興味のある者がいるのでな、少
し話をしてみたいと思っていたところだ」
「春蘭殿……。わかりました。董卓殿、ここはあなた方のご厚意に甘えると致しましょう」
「はい!」

 宴の席はそれなりに盛り上がっていた。
 夏侯惇は翠や厳顔・華雄達と戦談義に花を咲かせている。
 もっとも真っ先に話しかけた相手は恋なのだが、黙々と食べ続ける彼女相手では殆ど会
話が成立しなかった為に早々に諦めていた。
 一方郭嘉は詠を相手に論戦を繰り広げている。
 まだ幼く経験の浅い音々音では議論を交わすのに物足りなさを感じていた詠は、対等以
上に渡り合える相手を得て愉しそうに見えた。
 その音々音も最初は二人の論戦に加わっていたが、郭嘉のみならず時折詠からも突っ込
まれてしまっていた為、終いには不貞腐れて恋の横でやけ食いをしていた。
「皆愉しそうですね」
 月が一刀に酌をしながらそう言って笑った。
「ああ。夏侯惇さんも郭嘉さんも悪い人じゃなさそうだしな。けど、近い内にあの人達と
も戦わなくちゃならなくなったんだよな」
「…………」
 一刀の言葉に月が俯いた。
「別に月を責めてるわけじゃないぞ。俺達の理想と曹操の思惑が相容れないのは確かなん
だ。そこが譲れない以上、向こうの要求は容れられないだろ?」
「はい。私もそれは分かってます。曹操さん一代だけの間なら、あの人の言葉に従っても
良いと思う。でも、長く続けようとするなら、力だけで推し進めた平和じゃ保たない」
「ああ、だから俺達は──」
「邪魔をする」
 一刀の言葉を遮るようにして、二人の前に夏侯惇が腰を下ろした。
「や、やあ。どう、楽しんでくれてる?」
 咄嗟に愛想笑いを浮かべる一刀。
 しかしそんな一刀の言葉には返事もくれず、夏侯惇はその隻眼で射抜くように彼の顔を
見つめていた。
 暫く無言の時が流れる。
「えっと……あのぉ……俺に何か用?」
 先に沈黙に耐え切れなくなったのは当然ながら一刀の方だった。
 同時に夏侯惇が小さく溜息を吐いて横を向く。
「期待外れだ」
「え?」
「霞の奴が盛んに褒めるから一体どれほどの男かと思っていたのだがな。あやつめお前の
何処がそんなに気に入ったのだろうな」
「霞!?そうだ、霞はどうしてる!?元気なのか?怪我とかしてないか!?」
 霞の名に思わず一刀は身を乗り出していた。
「ええい、顔を近付けるな!そもそも随分と心配しているようだが、お前達にとって霞は
我等に降った裏切り者ではないのか?」
 夏侯惇が揶揄するように言った。
「……確かに霞とは敵味方に分かれちゃったけど、俺は──俺達は今でも霞の事は好きだ
よ。大切な仲間だと思ってる」
「……フン、霞ならすこぶる付きで元気だ。私達が国へ帰ったら、稟──郭嘉を伴って北
の征伐に向かう事となっている」
「え?でもあんた達は涼州へ攻めて来るつもりなんだろ?その時俺達にとって一番厄介な
のは霞の騎馬隊だと思ってたんだけど」
「見くびるなよ?お前達など霞がいなくても倒すなど造作も無いことだ」
 そう言って夏侯惇は豪快な笑い声を上げた。
「夏侯惇って結構良い人なんだな」
「ブボッ!ゴホッ、ゲホッ……い、いきなり何を言い出すのだ、貴様!」
「え?いや、だって話した感じじゃ凄く裏表の無い人だなって思ったし、俺達が霞の事を
心配してるのを知って近況まで教えてくれたじゃないか。霞が今度の戦に参戦しないとか
なんて事、普通は重要機密とかなんじゃないの?」
「……………………あ」
「もしかして気付かなかったのか?」
「貴様謀ったなぁっ!?」
「えええぇぇぇっ!?」
「人の好さそうなふりをしておきながらなんと卑劣な奴だ!それでも男か!恥を知れ!」
 ドン、と卓に両手を叩き付けて夏侯惇が一刀に罵声を浴びせる。
「ちょちょちょ、ちょっと待てぇ!今のは自分から喋ったんだろ!」
「何だとぅ!?それではまるで私がうっかり口を滑らせたみたいではないか!」
「そのまんまじゃねぇか!」
「あ、あの、二人とも落ち着いて……」
「ふざけるな!今のは貴様の悪辣な誘導尋問に引っ掛けられただけだ!」
「霞が元気か訊いただけだろが!」
「へぅ……」
「ええぃ、何時までも減らず口を!かくなる上はその舌を引っこ抜いて二度とそんな口を
利けぬように──」
「春蘭殿!何をしているのです!?」
 一刀に掴みかかろうとした夏侯惇の腕に、郭嘉がしがみ付いて止めた。
「放せ、稟!こやつは私を罠に掛けたのだ!武人としてこの屈辱は晴らさねばならん!」
「だから俺は何もしてないって!」
「黙れ、黙れぇ!ハッ!?ま、まさかこの宴席自体が我らを嵌める奸計だったのでは!?」
「……ハァ……。そんな訳は無いでしょう」
 郭嘉が疲れた様に言った。
「今ここで私達を害したとして、董卓殿に何の得があると言うのです?捕らえて人質にし
たとして、華琳様が私情を優先するような性格で無い以上交渉は困難。ましてや殺してし
まえば涼州は我が軍によって猫の子一匹残さず皆殺しにされるでしょう」
「し、しかしだな──」
「……華琳様に言いつけますよ?」
「うっ!?」
「使者として派遣されておきながら、宴の席で相手国の要人を手に掛けたなどと華琳様の
耳に入ったら、向こう一年は閨に呼んでもらえないでしょうな」
「…………クッ」
 色々と葛藤していた夏侯惇だったが、曹操の名を出された事が効いたのか渋々と再び腰
を下ろした。
「大変ご無礼を致しました」
 郭嘉が一刀に頭を下げる。
「い、いや、気にしてないよ」
「そう言って頂けると助かります。さて、こちらの夏侯惇もいささか酔ってしまった様で
すので、我等はそろそろ席を辞したいと思うのですが」
「あ、はい。そうですね、それではごゆっくり休んで下さい」
 月がそう答えると、郭嘉はまだ不満気な表情の夏侯惇を連れて宴席を後にした。
 主賓が居なくなった事で宴自体もお開きとなり、一刀も部屋に戻って床に就いた。
 翌朝早くに二人の使者は城を発った。
 同時にそれは魏との開戦を意味するものだった。
 
「さて、これで近い内に曹操が攻めて来るのは決定的になったわけだがどう戦う?」
「やっぱり兵力の差が問題だよな」
 城下を見下ろし華雄と翠がそんな風に話していると、詠がクスクスと笑いながら近寄っ
てきた。
「普段は何も考えずに突っ込んでいくアンタ達が難しい顔でそんな話してるなんて、雨で
も降るんじゃないの?」
「何だと?」
「どう言う意味だよ、そりゃ」
「アンタ達、まさか曹操相手にまともにぶつかり合おうなんて思ってるわけじゃないんで
しょ?正に対して正で当たろうとすれば、当然強い方が勝つわよ」
「なるほど。正で勝てぬ相手なら奇で当たれと言う事か」
「へぇ?まさかあの華雄の口からそんな言葉が出るとはね」
 詠が感心したような声を出した。
「この間の郭嘉に以前色々と教えを乞うた事がある。私の……思慮の足りなさで多くのも
のを失ってしまったからな」
「あれはアンタだけが悪いわけじゃないわ。ボクが甘かったのもあるもの。けどそれなら
ボクの考えてる事も分かるでしょ?」
「ああ」
「どう言う事だ?」
 一人翠が話が分からないと言う風に訊いた。
「涼州には涼州の戦い方があると言う事さ」
「ふぅん?よく分かんねぇけどあたし等の流儀で戦えば良いってんならその通りにやるさ」
「おーい、こんな所に居たのか、詠。華雄に翠も」
 城壁へ上がって来た一刀が三人に声を掛けた。
 月・恋・音々音も伴っている。
 一刀と月が領内を見回るのに恋が護衛として付き、音々音はその恋にくっ付いて来たと
言う形らしい。
「なあ、さっき牧を見てきたんだけどさ、涼州ってホント馬が多いよな。涼州人は子供で
も馬に乗れるって聞いてたけど、これだけ沢山馬がいるんなら納得だよな」
「まあな。あたし等は物心ついた時には馬で平原を掛けてたからな」
「私も最初に覚えたのが馬の乗り方だったな」
「ボクや月だって馬だけならそこらの兵士より乗れるわよ」
「へぇ、みんな流石だな。でもそれならもっと騎兵を増やせるんじゃないのか?今の涼州
軍は6万くらいだけど、その内騎兵は一万五千くらいじゃないか?桔梗さんの弓隊は別と
しても、歩兵隊からあと一万は回せるくらい馬が居ると思うんだけど」
「あのなぁ、そんな簡単に行く訳無いだろ?」
 翠が呆れた様に言った。
「馬を居るだけ全部騎馬として使っちまったら、戦が長引いた時にどうするんだよ?馬は
生き物なんだからな。ずっと乗り続けてたらすぐに潰れちまうだろ」
「あ、そっか。休ませる為の予備が必要なんだ」
「それだけじゃないぞ。今の騎馬隊は鍛えに鍛えた精鋭だからな。そんな所に調練の足り
てない騎兵を増やしたら折角の機動力が殺されちゃうだろ。あと確かに今は一万ちょっと
の馬が余ってるけど、その内の半分近くは戦に使えない馬だからな」
「どう言う事なんだ?」
「…………怪我」
 ボソッと恋が口を挟んだ。
「怪我?」
「ああ、恋の言うとおりさ。あの馬達の半分は前の戦で怪我をした事があって戦に恐怖感
を持ってる奴等なんだ。だから騎馬隊の中に入れても怯えて隊列を乱すから使えないんだ。
皆良い馬だったんだけどな」
 翠が複雑な表情を見せた。
「翠は本当に馬が好きなんだな」
「当たり前だろ。あたしは小さい頃から馬と一緒に育ってきたんだからな。特に黄鵬達は
家族と同じだな」
「……恋と同じ。恋もセキトは家族」
「ねねだって張々は家族なのですぞー」
 愛犬家二人が翠に共感していた。
「それにしても五千頭以上が戦力にならないってのは痛いな。どうにかして役立たせる事
は出来ないかな」
「無茶言うなよ。中には人が乗る事すら嫌がる馬がいるんだぜ?馬達だけで走らせて戦わ
せる事が出来るってんならともかく」
「何それ?馬にそんな真似出来る訳が──」
「待てよ、それ良いかも」
「ハァ?」
 指を鳴らす一刀に、詠が怪訝な表情を浮かべた。
「俺が元の世界に居た頃に読んだ本に載ってた内容なんだけどさ」
「何?久々に天の知識ってやつ?」
「と言っても書いたのはこの国の後世の人間なんだけどな。それってのが──」
「ええっ!?おいおい、そんな作戦本当に上手く行くと思ってんのか?」
「私も馬超と同じ気持ちだな。そんなやり方は古今東西聞いた事も無い」
 翠に続いて華雄も疑念を口にした。
 普段馬に慣れ親しんでいる者ほど、一刀の案が突拍子も無く思えたらしい。
「まあボクも効果の程はどうか分からないけど、試してみるのは良いんじゃない?どっち
にしてもこっちには戦力を遊ばせておく余裕なんて無いんだから、多少なりとも効果があ
るなら儲けもんってとこでしょ」
「まあ、確かになぁ」
「なら鍛冶屋や木工職人などにも協力して貰わねばならんだろうな」
「そうね。じゃあ取り敢えず一組分を作って貰って、二日後に試してみましょ」
 詠の主導で話が纏まった。
 二日後『それ』見た面々はその迫力と威力に度肝を抜かれ、実戦での運用が決定した。
 そして半月後、曹操が十七万の兵を率いて許昌を進発したとの報が入った。
 
 許昌を出た曹操は、まず空白地と化していた洛陽へ入った。
 そして太守不在を良い事に街々を荒らしていた周辺の賊徒や叛徒、更に曹魏に服するを
良しとしない豪族などを討伐、瞬く間に司州各地を掌握した。
 荒廃していた街の復旧の為に予備の物資を供出するなど人心の安定に励み、結果数千人
の志願兵が集まった。
 曹操は于禁に彼等の調練を命じ、街の防備の為に駐屯させた。
 およそ一月を掛けて司州での地盤固めをした曹操は、いよいよ涼州に向け長安を発った。
 涼州軍が動いたのはその数日後だった。
『おおおおおぉぉぉぉ────っ!!』
 魏軍が隘路に差し掛かった直後、鬨の声を上げながら涼州騎馬隊が襲い掛かった。
 五千の騎兵を率いるのは翠。
「チッ、敵襲だ!全軍涼州軍を迎え撃てーっ!!」
 夏侯惇の下知に従って魏兵が慌しく陣形を整える。
 しかし翠は一直線に魏軍の一角にぶつかると、彼等を嘲笑うかの様にそのまま戦場を離
脱していった。
 残された魏の軍勢が狐につままれた様な表情になる。
「何、今のは?牽制だったの?」
 流石の曹操も呆気に取られていた。
 だがそれを皮切りに、涼州軍はほぼ毎日魏軍に襲撃を繰り返した。
 翠が、蒲公英が、華雄が、桔梗が、恋が、多い時には日に二度三度と襲い掛かる。
 一度の襲撃での被害はせいぜい百〜二百程度だが、昼夜問わずに繰り返されるその行為
は、魏の将兵を心身共に疲弊させていた。
「華琳様、このままでは西涼に到着する頃には兵が疲れ果ててしまいます」
 曹操の天幕では魏の主だった将が集い、涼州軍の襲撃に対する対策を練っていた。
「そうね。涼州騎馬隊の強さは聞き及んでいたけれど、よもやこう言う戦い方をしてくる
とは思わなかったわ。隘路の多い涼州の地形も寡兵で襲撃を掛ける敵の作戦に有利に働い
ているわ。賈文和か。洛陽で戦った時も感じたけれど、かなりの策士ね。我が陣営に欲し
いくらいだわ」
「か、華琳様っ!?私だけではご不満ですかっ!?」
「風と稟ちゃんも居ると言うのに自分だけとは、流石は桂花ちゃんですねー」
「フフッ、あなた達の忠勤は嬉しいけれど、私が必要としているのは有能な者だけよ。私
の寵愛を望むのなら、賈駆より優秀な所を私に見せてみなさい」
 曹操が嫣然とした笑みを浮かべる。
「桂花ちゃんの様な愛され方は困りますけどー、それではこんな策は如何でしょうかー?」
「──ふむ、なるほど。悪くないわね。──秋蘭、彼女達は今司州を回っていた筈よね?」
「御意。我等の進軍に合わせて掌握した街々の慰問を行わせていますから、今頃は長安に
到着した辺りだと思われますが」
「丁度良いわね。早馬を出して早急に呼び寄せなさい」
「御意」
「では風の策の効果が出るまでは進軍を遅らせて防備を固めましょう。

「最近なんか皆の集まりが悪い気がするんだよな」
 翠が一刀にそんな事を漏らした。
「確かにな。お陰で曹操への襲撃回数も減ってるようだし、このままじゃ万全の状態の魏
軍とぶつかる事になるぞ」
 詠の提案した、魏軍に昼夜問わず攻撃を仕掛けて敵の疲弊を狙う作戦は確実に効果を上
げていた。
 一時期は魏の将兵もかなり疲れ切っており、初めの頃は百程度だった敵の損害も千に迫
る成果を上げた事もあった。
 しかし最近では襲撃回数の減少に伴い、敵も力を取り戻してきていた。
「一体何が原因なんだろうな?」
「ああ。月や詠達に訊いても心当たりが無いって言ってたし」
「華雄や桔梗も知らないって言ってたな」
「うーん……」
 そうやって二人で頭を悩ませている時だった。
「ん?あれ、たんぽぽじゃないか?」
「え?あ、本当だ」
 二人の視線の先には、こそこそと城を出て行く蒲公英の姿があった。
「ったく、もうすぐ調練が始まる時間だってのに、何処へ行くつもりだアイツ?──おー
い、たんぽムグムグッ!?」
 蒲公英を呼ぼうとした翠の口をいきなり一刀が押さえた。
「ムグムグ……ぷはぁっ!な、何するんだよ!?」
「しーっ!なあ、最近集まり悪い奴ってさ、兵の中でも特に若い奴に多いと思わないか?」
「ん?あー、まあ、言われてみれば確かにそんな気もするな。けどそれがどうしたんだ?」
「だろ?この間もさ、恋にねねの姿が見えないんだけど知らないかって訊かれたんだよ。
だからここでたんぽぽの後を付けたら最近起こってる事態の謎が解けるんじゃないかって
思ったんだ」
「なるほど!うん、確かにお前の言うとおりかもな。よし、じゃあ早速行ってみようぜ」
 そして二人は蒲公英の尾行を始めた。
 そうとは知らない蒲公英は、途中音々音と合流して街外れへと歩いて行った。
「あいつ等、こんな場所に来て何があるってんだ?」
 翠が呟く。
 その後も二人を付けていると、やがて何やら喧騒が聞こえてきた。
 声の方向へ進むと、大勢の人間が集まっているのが見えた。
 その中には街の民衆も居たが、殆どは涼州軍の兵士達だった。
 彼等の前には大きな舞台が設置されている。
「一体何があるんってんだ?」
 と、いきなり辺りに音楽が流れ始めた。
 それと同時に集まった者達の喚声が一層大きくなる。
 そして舞台の上に三人の少女が姿を現した。
『ほわあああぁぁぁぁっ!!ほわっ、ほわっ、ほわああぁぁぁぁ────っ!!』
 直後その場にいた全員が声を上げた。
「な、何だっ!?」
 その迫力に驚いた翠が目を白黒させる。
 そんな中、中央の少女が大きく声を張り上げた。
「みんなー、大好き────っ!!」
『て────んほ────ちゃ────んっ!!』
 少女に続いて集団が叫ぶ。
「みんなの妹────っ!!」
『ち────ほ────ちゃ────んっ!!』
「とっても可愛い────っ!!」
『れ────んほ────ちゃ────んっ!!』
 更に両脇の少女達が声を掛けると、集団もその都度後に続いて叫んだ。
 その中には蒲公英と音々音の姿もあった。
「一体何なんだ、こいつ等?」
「うーん、見た感じアイドルのライブみたいなものかなぁ?」
「愛奴琉?雷舞?何だそれ?」
「何でそんな暴走族の名前みたいな当て字なんだよ。──いや、アイドルってのは俺の世
界で大勢の前で歌ったり踊ったりして人を喜ばす職業だよ。で、ライブってのはその公演
の事さ」
「ああ、要するに旅芸人みたいなものか」
 翠が納得して頷いた。
 会場では少女達が歌い、観客が彼女達に声を掛けていた。
『ほわーっ!ほわっほわっほわあああぁぁぁぁ────っ!!』
「それにしても凄い熱気だな」
「涼州は娯楽の少ない土地だからなぁ」
「なるほどね。けどアイドルのファンの熱狂ってのは何処の世界でも凄まじいな。まるで
神様でも信仰してるみたいな──」
 そこで一刀の頭に何かが引っ掛かった。
「アイドル……信仰……それにあの掛け声……?」
 次の瞬間、一つの光景が脳裏に甦った。
『こ、この僕に何と言う侮辱を……!黄巾の同志達よ、あいつ等を叩きのめし、まずはこ
の地を張三姉妹に捧げるぞーっ!ほわぁっ、ほわぁぁぁぁぁっ!!』
『ほわぁぁっ!ほわぁっ、ほわぁぁぁぁぁっ!!』
「こ、黄巾党っ!?」
「え?何だって?」
 舞台に気を取られていた翠が聞き返した。
「なあ、翠。涼州って娯楽が少ない土地だって言ったよな?」
「あ、ああ」
「今までにこう言う旅芸人が来た事は?」
「え?んー、そういや、無いな。ここら辺は知ってのとおり辺境だからな。中央に比べて
人も少ないし、敢えて来る意味があるとは考えてないんじゃないか?」
「それなら何で今来てるんだ?」
「へ?どう言う意味だ?」
「旅芸人ってのはさ、各地を旅してるんだろ?当然大陸の情勢には詳しい筈だよな。それ
なのに何故曹操が攻めて来ているこの時期に、危険を冒してまで辺境の街で公演を開く必
要性があるのかって事だよ」
「……あっ!!」
 一刀の言葉に意味に気付き、翠が思わず声を上げた。
「じゃああれは曹操の……?」
「それに俺は前に聞いた事があるんだ。あの掛け声って黄巾党の連中が口にしてたものと
同じなんだよ。その時に部隊を率いてた張曼成って奴は占領した土地を張三姉妹って人に
捧げるって言ってた」
「三姉妹!?」
 翠が舞台上の少女達に目を向けた。
「偶然と言うには出来すぎだろ?」
「そう言えば曹操って黄巾の残党を吸収して勢力を大きくしたって聞いたぞ」
「首領を取り込んでいたなら、その兵士を引き入れるのも楽だよな」
「クソッ、全部曹操の計略だったのか!そうと分かったらあの三人を斬り捨てて──」
「待てよ!」
 今にも駆け出しそうな翠を一刀が引き止めた。
「な、何すんだよ!?放せ、北郷!」
「落ち着けって。彼女達を斬るのは逆効果だって。彼女達に対する信仰にも似た想いが、
黄巾の乱を引き起こしたんだぞ?今彼女達を殺せば、彼女達に魅了された人間達が俺達の
事をどう思う?下手をすればまた涼州が割れる事になるぞ。そうなったら曹操には絶対に
勝てない」
「クッ……じゃあどうするってんだよ?」
「彼女達以上にあいつ等を魅了する人間が居れば良いんだよ」

「ねぇ、天和姉さん、最近ちぃ達の公演を見に来る観客の数が少ないと思わない?」
「んー?そうかなぁ?そんな事も無いんじゃない?」
「そんな事あるってば!──人和、アンタもそう思うでしょ?」
「……確かに。昨日の公演の売り上げも、一番多い時の半分にも満たない」
 売り上げの勘定をしていた跳梁が、姉の問いにそう答えた。
「それに伴って進軍する魏軍への襲撃もまた増えて来ているみたいだし、このままじゃま
ずい事になるわね」
「どーゆー事ぉ?」
「私達が魏の意向で来ている事に感付いているんじゃないかって事よ。それにそもそも私
達は、歌う事でその地の民衆の人心掌握を期待されて華琳様に支援されているの。それが
こんな辺境の土地ですら満足に成果を上げられないとなったらお払い箱にされる可能性も
あるわ」
「えー!?それ困るよー」
 暢気に構えていた張角だったが、妹の言葉で流石に事態がのっぴきならないものである
事に気づいたのか涙目になる。
「けど何でいきなり客が減ったの?」
「え?」
 ポツリと言った張宝に、今度は張梁が聞き返した。
「だってそうでしょ?ちょっと前までは毎日会場が満員になる程の大盛況だったのよ?そ
れがぱったり止むなんて何か理由があるに決まってるじゃない」
 その言葉に張梁が暫し考え込む。
「ちぃ姉さんの言うとおりね。確かにこの状況は不自然だわ。少し調べてみる必要があり
そうね」
 妹の言葉に張角と張宝が頷いた。
「で?何処を見て回れば良いの?」
 街に出た所で張宝が言った。
「そうね。まずは街の人に最近変わった事が無かったか聞き込んでみるとか──」
「あ、何かあっちに人が集まってるみたいー。ねー、お姉ちゃんも行ってみるねー」
「ちょっと姉さん!?」
 しかし張宝が引き止める間も無く張角は一人走って行ってしまった。
「……はぁ。仕方ないわね。ちぃ姉さん、私達も行って見ましょう」
 結局二人も姉の後を追った。
「ここ、お城……?」
 三人が辿り着いたのは宮殿の前だった。
 そこには小さな楼閣が築かれており、その上には二人の女性の姿があった。
 一人は艶やかな雰囲気を纏った妙齢の美女、そしてもう一人の可憐な少女は姉妹達にも
見覚えのある相手だった。
「と、董卓!?」
 西涼に来たばかりの時に、彼女達は一度月の姿を見ていた。
 柔らかな物腰の中にも気品漂うその姿に卑しからぬ身分と見て取った張宝が、近くにい
た商店の主に尋ねた事で知ったのだ。
 悪名高い董卓の正体がたおやかな少女だったと言う事実は姉妹を驚かせた。
「ま、もっとも姉さんだって世間じゃ化け物みたいな容貌に思われたんだしね」
 等と張宝に茶化され、張角がぷりぷり怒ったりしていたものだった。
 と、辺りに緩やかな音楽が流れ出した。
 月の傍らに座る桔梗が奏でる月琴の音だった。
 そしてその音色に合わせて月が歌い始めた。
 透き通るような歌声が辺りに響き渡る。
 それは愛する者への想いが詰まった恋の唄だった。
 時に切なく、時には激しく、滔々と想いを歌い上げる。
 それが誰に向けての言葉なのか。
 張角達にそれを窺い知る術は無かったが、想いの強さだけは彼女達にも伝わっていた。
 歌は次第に故郷への想い、友達への想い、共に生きる人々への想いと移り変わっていた。
 そのどれもが聴く者の胸を打つ。
 何時しか彼女達の頬を涙が伝っていた。
 やがて歌が終わり、余韻を残しながら月琴の音色も途切れる。
 直後轟くような歓声が辺りを包んだ。
 月が観客に向かって赤面しながらペコペコと頭を下げる。
 その姿を見ながら張梁が言った。
「姉さん達、魏に帰りましょう」
「ええー!?突然どうしたのー、れんほーちゃん?」
「この地で私達に出来る事はもう無いわ。今の私達じゃあの歌以上にこの国の人々を惹き
つける事は出来ない」
「ちょっと、人和!アンタ私達の夢を諦めるつもり!?」
「そうは言ってない。私達はもっと力を付けなくちゃならないって事を言いたいだけ」
「うーん、そうだねー。お姉ちゃんもれんほーちゃんの言う事分かるかなー」
「ちょっ、天和姉さんまで!」
「ちぃ姉さん、私達の夢って歌で大陸中の人達を感動させる事でしょ?でも最近は歌その
ものよりも、どうやったら人を集められるかとか、華琳様へ忠誠を誓わせる事が出来るか
とか、そんな事ばかり考えてた気がする。勿論大陸の平和を考えている華琳様の力になる
のが悪い事だなんて想ってないけど、この辺でもう一度初心に返っても良い頃だと思わな
い?もしかしたらそれで華琳様からの支援も打ち切られるかも知れないけど、それでも私
は私達の想いを優先したいの」
「うーん…………分かったわよ。ちぃだって歌う事が一番大事だもん。それにこのままこ
こに居たって華琳様の役に立てないんじゃ居てもしょうがないもんね」
「うんうん。それじゃご飯食べたら魏に帰ろー。そしたら今度はまた一から私達の力で頑
張ろっかー」
 そうして三姉妹は間近に迫っていた曹操の陣営へと向かった。
 曹操は彼女達の話を聞き、呆れた様な表情を浮かべたものの、結局は姉妹の願いを聞き
届けたのだった。

 それから数日、度重なる涼州軍による襲撃で疲労の色が濃い魏軍だったが、遂に西涼の
南に二十里の辺りまで辿り着いていた。
 そこはこれまでの隘路とは違い大きく開けた土地だった。
 ようやく広い土地を確保できた魏軍が素早く部隊を展開し陣を築く。
「しかし奇妙ですね」
「あなたもそう思う、秋蘭?」
「どう言う事ですか、華琳様?」
「何故敵はこの地の前で我等を迎え撃たなかったのかと言う事だよ、姉者」
「そですねー。いくらこちらが疲れているとは言え戦力差は二倍以上。我が軍が広い場所
に展開してしまえば、向こうの不利は一目瞭然ですからねー」
「我等が隘路を抜け出す瞬間を狙って攻撃を仕掛けると言うのが戦の定石よね」
 二人の軍師が夏侯淵の言葉を補足する。
「これまでの襲撃といい、張三姉妹の失敗といい、賈駆と言う者かなりの切れ者と言って
良いでしょうね」
「ふむ。──本当に全て賈駆の策なのかしら?」
「と、言いますと?」
「騎馬隊による連続した攻撃は確かに賈駆の策でしょうね。あの徹底的に敵の弱い所を突
くやり方は、洛陽での攻防戦に通じるものがあるわ。けれど張三姉妹に対する策はどうな
のかしらね。董卓自らに歌わせ、それによって離れかけた兵の心を再び引き寄せる。人の
心を攻めるような作戦はこれまでの賈駆の戦い方を思うと違和感があるのよ」
「言われて見れば確かに。と、すると陳宮の策でしょうか?」
「それは無いと思うのですよー」
「何故そう思うの?」
「実はですねー」
「三姉妹からの定期連絡で、陳宮らしい人物が毎回彼女達の公演に来ていた事が分かって
いるんです」
 程cが言い掛けた横から荀ケが言葉を継いだ。
「それでは一体誰が──」
 そこで夏侯惇の言葉を遮るように地響きが沸き起こった。
「な、何事!?」
 荀ケが辺りを見回す。
「あ!春蘭様、見てください!あそこ、あそこです!」
 いち早く許緒が指差した。
 全員の目がその方向へと向く。
 そちらから激しい土煙が迫っているのが彼女達の目に映った。
「敵襲か!フン、これまで散々頭を悩まされた鬱憤、ここで晴らしてやるわ!全軍、我に
続け──っ!」
「姉者、気をつけろ!敢えて今この時に攻めてきた敵の意図が不明だ。何か策を弄してい
るのかも知れん」
「小細工などこの私に通用するものか!」
 苛立ちが募っていた夏侯惇は、妹の忠告にも耳を貸す事無く兵を率いて突っ込んでいく。
「あの脳筋バカ!仕方ないわ、秋蘭は左翼、真桜は右翼から春蘭を援護して!華琳様は本
隊として敵の第二波に備えて下さい!季衣と流琉は華琳様の護衛を!風は私と本隊両翼に
付いて敵が何か策を仕掛けてきた時の対処をするわよ」
 荀ケがてきぱきと指示を出していく。
 そんな中、曹操は敵の動きに違和感を感じていた。
(何故敵はあんなに広がって攻めて来ているの?これまでの涼州軍は小さく固まって間断
無くぶつかり相手の陣形を崩す様に戦っていた筈。それが今回は大きく横に広がる様に。
それに敵の規模の割りに土煙が多過ぎるような……?)
 そこでハッと立ち上がる。
「桂花!風!急いで春蘭達を呼び戻しなさい!」
 しかしその言葉は既に遅かった。
 目視できるほどに近づいた涼州軍。
 騎馬隊と思われたそれは、馬の群れだった。
 人の乗ってない馬を三十頭程も鎖で繋ぎ合わせ、馬の前には金属の前垂れと畑を耕す鋤
に似た物が取り付けられている。
 三十頭の内の数頭のみ人が乗り馬を駆けさせていた。
 連環馬。
 それが余剰な馬を利用する為に一刀が提案した策だった。
 その数およそ二百組、六千頭の連環馬が魏軍に襲い掛かった。
 流石に夏侯惇らの主力武将はその攻撃を躱したが、後に続く兵士達は荒れ狂う馬達とま
ともにぶつかる事となった。
 三十頭の馬が巨大な一匹の獣の如く、圧倒的な破壊力で魏軍を蹂躙する。
 蹴られ、弾かれ、巻かれ、押し潰され、人だった物が瞬く間に只の肉塊と化していく。
 流石の曹操もその光景を呆然と見つめるばかりだった。
「何なの、これは?こんな物……こんな物を戦だなどと私は認めない!」
「いけません、華琳様!ここはお退き下さい!──季衣、流琉、華琳様を!」
『はいっ!!』
 許緒と典韋に腕を引かれ、曹操が後陣へと退く。
 その間にも前曲では諸将が必死に態勢の立て直しを図っていた。
「チィッ、こんな物で……!射て、射てぇぇ──っ!!」
 夏侯淵の檄で弓兵が一斉に馬に向かって射掛ける。
 しかし多くの矢は前垂れに弾かれ、倒したとしても二、三頭ではその勢いは全く減じる
事が無いのだった。
「春蘭様、横や!あの構造やったら横や後ろからの攻撃には対処出来んはずや!」
「うむ、分かった!横だ!全員馬達の横へ回りこめ!」
 李典の指摘を受けた夏侯惇の指示に従って魏兵が動いた。
 確かに突進力は高いが鎖で繋がれた馬達は曲がる事すら出来ない。
 李典の指摘は的を得ていた。
 しかしそれは策を仕掛けた方も当然考慮している事であり──
「涼州の錦将、馬孟起見参だ──っ!!」
「董卓が一の家臣、華雄参るっ!!」
「…………お前達、倒す」
「はっははは──っ!!小童共、このわしを存分に楽しませてみせぃ!!」
「ちょっと!たんぽぽだっているんだからね!」
 涼州の誇る一騎当千の強者達が連環馬の後方から一気に攻め寄せた。
 連環馬による混乱から覚めやらぬ内に彼女達の攻撃を受け、魏の軍勢が総崩れとなる。
「ええぃ、貴様等!姑息な手段ばかり使いおって、武人として恥を知れ!」
「数を頼みに他人の土地に土足で踏み込む奴等に言われる筋合いはないぜっ!」
 夏侯惇の一撃を受け止めた翠が、返す刀で鋭い突きを繰り出す。
「天下に名高い夏侯淵の弓と競い合えるとは何と言う僥倖よ!」
「益州の田舎武将と思っていたがやるではないか、厳顔!」
 桔梗と夏侯淵の間では、互いの矢を射落とすと言う神業的な射ち合いが続いていた。
「きゃっ!?もう、変な槍遣ってる割には強いじゃん!」
「変な槍とはなんや!?ウチの螺旋槍馬鹿にすんなや!」
 李典の攻撃に蒲公英が苦戦を強いられていた。
「へん!人の得物にケチつける前に自分の腕磨いとき!」
「ならば私が相手になろうか?でやぁっ!」
「へ?うひゃあっ!?──ちょ、待ってぇな!こんなん反則や!」
 蒲公英に代わって華雄が李典の前に立ち塞がった。
 剛勇無双を誇る彼女の前に、たちまち状況が入れ替わる。
 そして恋は一直線に曹操へと向かっていた。
「華琳様、ここは逃げて下さい!ここは私と季衣で抑えますから!」
「桂花、華琳様をお願い!──行くよ、流琉!」
「うん!」
「待ちなさい、流琉、季衣!」
 しかし曹操の制止も聞かず、二人が近衛兵を引き連れ恋へと向かう。
「季衣!流琉──っ!!」
「華琳様!ここは一先ず季衣達の言うとおりに!」
「この私に部下を見捨てて逃げろと言うの!?」
「華琳様が逃げないと他の人達も退却できないのですよー。退き際を見極めないと犠牲は
どんどん増えていくのですー」
「…………全軍退却!」
 それだけ叫ぶと曹操は数人の近習を伴って戦場を離脱した。
「姉者、華琳様が退いたようだぞ!」
「おう、ならば我等も長居は無用だな。だがこの借り、必ず返させてもらうぞ」
「ああ、そうだな。私も今日の屈辱は生涯忘れん」
 曹操の退却を知り、夏侯姉妹が軍を退き始めた。
 流石天下に名だたる名将達だけあり、兵士達の混乱をよく収拾しながらの見事な退き方
だった。
「逃がすかっ!お前等、追撃を掛けるぞ!」
「翠、待って!」
 追撃の為に兵を纏めていた翠を、一刀の声が呼び止めた。
「何だよ、北郷?早く追わないと逃がしちまうぞ。ここは曹操の首を取る千載一遇の機会
じゃないか」
「いや、ここは追わなくて良い」
「追わなくて良いって……どういう事だよ?」
「俺は、俺と月は魏を滅ぼしたいわけじゃない。いや、この大陸の事を考えれば曹操の様
な人間には生きていて欲しいと思ってるんだ。だからこれ以上魏を追い詰めて禍根を残し
たくはない。むしろ今日は勝ち過ぎたと思うくらいだ」
 そう言って一刀は血臭立ち込める戦場を見渡した。
 そこは彼自身が提案した策により無残な骸と成り果てた魏兵達の姿で酸鼻を極めていた。
「皆さんもお願いです。ここは矛を収めてください」
 一刀に続いて月も言った事で他の諸将も已む無く追撃を放棄した。
 こうして覇王曹操の侵攻を食い止めた涼州軍だったが、これは更なる戦乱と悲劇をこの
地に呼び込む事になるのだった。

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