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623 名前:鈴々曰く、[sage] 投稿日:2009/06/04(木) 23:26:21 ID:CfyaXZHI0
大分間が開きましたが、董√投下させて頂きます

http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0291

一応オリキャラが目立つのは今回で打ち止めです
後は出ても名前だけとかですね
そしてやっぱり空気な主役二人
メインが戦い向きじゃないのに戦闘描写多いのが原因なのですが、今更ながら何故こんな構成にしてしまったのでしょう?

では次回7章『覇王襲来』で



 その日、西涼の城は戦勝に沸いていた。
 無論犠牲は大きかった。
 翠に次ぐ猛将と知られた鳳徳を始め、多くの将校が討ち死にしている。
 兵に至っては五千を超える戦死者が出ていた。
 それでも勝利は勝利として喜ぶ。
 まるで祝う事が死者への手向けでもあるかの様に。
 それが涼州人の気質なのだと、翠は言っていた。
 だがその胸に悲しみが満ちているのを一刀は知っている。
 彼女は信頼できる部下の他に、戦友とも言える成宜を失っていた。
 一刀には聞き覚えの無い名前ではあるが、翠を西涼の城へ戻す為に寡兵で殿を引き受け、
そして戦死したのだと言う。
 そのお蔭で翠が城へ駆け付けられ、西涼を守り切る事が出来たのだった。
 ちなみに僅かに生き残った成宜の部下によると、その振る舞い禽獣の如しと言われた五
胡の兵達が勇者としての弔いをするほどに勇猛な最期だったらしい。
「勇者の肉体は土に還り、猛き心は生者へと引き継がれる、だ」
 そう言って誰かが一刀の肩を叩いた。
 華雄だった。
 別れや悲しみがあるなら、出会いや喜びもある。
 彼女との再会は、一刀にとってまさに喜びだった。
「よくぞ董卓様を守り通してくれたな。礼を言うぞ」
 一刀の隣に腰を下ろしながら華雄が言った。
「俺は何もしてないよ。李鶴や郭、樊稠に霞に劉協、何より翠達のお蔭さ」
「謙遜をするな。お前が董卓様の心の支えになっている事は疑いようも無い事実だ」
「そうなっていれば良いけどな。それより俺はお前が生きてた事が嬉しいよ」
「生きてた、と言うより生かされたと言った方が正しいかも知れんがな。しかしこうして
董卓様やお前達と再び出会えたのだ。生き恥を晒した甲斐もあったと言うものだな」
「あんなに号泣する華雄を見るのは初めてだったから驚いたよ」
 五胡兵が退いて正式に再会を果たした時の様子を思い出しながら一刀が言った。
「あ、あれは仕方ないだろう!?死んだとばかり思っていた主君に出会えたのだ。喜びを
押さえろと言う方が無理だ!」
 華雄が顔を赤く染めて反論する。
「いや、茶化してるわけじゃないよ。あの時は月もボロ泣きだったし、多分俺や詠も目頭
を熱くさせてたと思うから」
 言いながら視線を馬騰と話している月に送った。
 珍しく酒を口にしているのか、頬がほんのりと染まっていた。
 一刀の視線に気付いた月が、こちらを見てにっこり笑う。
「良い笑顔を見せるようになられた。洛陽に出て来た頃は張り詰めた表情をしている事が
多かった」
「俺達以外の周りは敵ばかりって状況だったし、無理も無いけどな」
 その後はこれまでの互いの近況などを話し合った。
 時折他愛も無い話も交えながら、一刀はとても懐かしい気分に浸っていた。
(前にこうして言葉を交わしてから、まだ半年ちょっとだって言うのにな)
「楽しんでおるようじゃな」
 言葉が途切れたのを見計らったように声が掛けられた。
「おう、厳顔か」
 華雄が席を譲る。
 二人の間に桔梗が腰を下ろした。
「直接言葉を交わすのは初めてですな、御遣い殿?」
「御遣いってのは止めてくれよ。俺の名前は北郷一刀。一刀で良いよ、厳顔さん」
「ならば遠慮なくそう呼ばせて貰おうか一刀よ。わしの事も桔梗と気軽に呼んでくれぃ」
「それ真名だよな?良いの?」
「構わぬ。寡兵を以ってあれほどの戦いを指揮して見せた者達だ。敬意を払って払い過ぎ
と言う事はあるまい。先ほど月殿や翠達にも我が真名を預けて来た所じゃ」
「うん、分かった。改めて宜しく、桔梗さん。けどさっきの戦いは華雄や桔梗さん達が来
てくれていなかったら、翠達が到着するまでもたせる事が出来たかどうか。二人とも、本
当にありがとう」
「私は元々董卓様の臣だ。主君の危機を見れば駆けつけるのは当然。礼なら厳顔や兵達に
言ってくれ」
「わしは根っからの戦人じゃからな。酒と戦があればそれで良い。ましてや共に轡を並べ
る相手が気持ちの良い連中となれば全ては快なりよ」
 言って桔梗が豪快な笑い声を上げた。
 そしてその笑いがふと止むと、今度は妖艶な微笑を浮かべて一刀に肩を寄せてきた。
「更に良き男が隣に居てくれるなら、言う事は無いと言う物よな」
「えっ?」
「フフッ、色々話は聞かせて貰ったぞ?中々に男気を持ち合わせておるではないか」
 一刀の胸板に手を滑らせしな垂れかかる。
「や、あの、桔梗さん?」
「久々にわしの中の女が頭を擡げそうじゃぞ」
 カチカチになる一刀に、桔梗が吐息の掛かる程までに顔を寄せて囁いた。
「その初心な反応も女心をくすぐるわい」
「厳顔!」
 触れそうなくらいまで唇が近付いたところで華雄が呼び止めた。
「お前、呑み過ぎではないのか?北郷をからかうのもその辺にしておけ」
 口調は諭す様であったが、その声は明らかに苛立ちを含んでいた。
「ふむぅ。別にからかっている訳ではなかったのだがのぉ。フフッ、じゃがそう言う事な
らばこの場は遠慮しておこうかの」
 意味ありげに笑うと、スッと一刀から身体を離す。
「では一刀よ。機会があればまた、な」
 そう言って桔梗は席を立った。
「ふぅ〜」
 ホッとしたような、残念だったような複雑な思いで一刀が息を吐く。
「お前も少しはしっかりしろ。随分と鼻の下が伸びていたぞ」
 妙に不機嫌な様子の華雄に嗜められた。
「でもなぁ、あんな美人に迫られたらなぁ……。それにあの胸!」
 華雄の片眉がピクンと跳ね上がる。
「あんな大きな胸を突き付けられて無反応で居られる男なんて──」
「貴様、私に喧嘩を売っているのか?」
 不意に華雄の声に殺気が込められた。
 いささか飲み過ぎて余計な事を口にしてしまったらしい。
「い、いや、ちょっと待って、華雄さん!?」
 本気の目に一刀が慌てて助けを求めて辺りを見回す。
「うっ!?」
 何時から見ていたのか、涙目の月と剣呑な眼差しで睨んでいる詠の姿が目に入った。
「へぅ〜、一刀さんは大きな胸の方がお好きなんですか……?」
「いや、決してそんな事無いから!」
「なら大きいのも小さいのも見境無しって事なの!?この変態!」
「違うってば!痛ぇ!髪を掴むなっ!」
「掴みどころの無い胸で悪かったな!」
「言ってねぇ!」
「アンタなんか巨乳に押し潰されて死んじゃいなさいよ!」
「そんな死に方出来るもんならしてみたいわ!」
「本性現したわね!?よくもボク達の前でそんな破廉恥な事……!」
「お前が言ったんじゃねぇか!」
「一刀さん、不潔ですぅ」
「だから泣かないでくれよ、月ぇ!」
 触れてはいけないところに触れてしまい、一刀はひたすら平身低頭するのだった。
 
「はぁ……酷い目に遭った……」
 ようやく月達から解放されて自室に戻ってきた一刀は、扉の前で大きな溜息を吐いた。
「自業自得だろう」
「え?」
 不意に声を掛けられ、驚いて顔を上げる。
 華雄だった。
 月や詠と共に一刀に絡んでいたが、一足先に酔い覚ましをしてくると言って席を立って
いたのだ。
「男と言う奴はすぐ女の良し悪しを胸に委ねるのだから始末に負えん」
「おいおい、やっと解放されたとこなんだから勘弁してくれ」
「ダ・メ・だ」
 言いながら華雄が躰を押し付けてくる。
「胸の大きさで女の価値など決まらんと言う事を、今から私がきっちりと教えてやる」
「お、おい!?お前、酔ってるのかよ!?」
 部屋に押し込まれながら一刀が慌てたような声で言うと、華雄は普段の彼女からは想像
もつかないほど妖艶な笑みを浮かべた。
「確かに酔ってはいるが、自分を失ってはおらんぞ」
 一刀を寝台に押し倒し、その上に圧し掛かると、華雄は一刀に耳元に唇を寄せて何事か
を囁いた。
 それが人の名の様だと感じた一刀は、ハッとして華雄の顔を見た。
「私の真名だ。言っただろう?お前が良い男になったと感じた時には、私の真名を知る初
めての男にしてやると」
「そ、そう言えば……。でも、良いのか?」
「構わん。私にとってお前はそれほどの男に育ったと言う事だ。だが、だからと言って濫
りに口にしたりはするなよ?」
「分かってるって。ありがとう。嬉しいよ」
 一刀が心底嬉しそうに笑うと、華雄の顔に酔いとは明らかに違う赤みが差した。
 直後一刀の唇に自らのそれを乱暴に押し付けてきた。
「んぷっ!?ん、んむ、んんぅ!」
 激しい割には唇を合わせるだけの幼い口付けが、彼女がこういった行為には不慣れであ
る事を表していた。
「ん、んん、むぐ、んむぅ……ぷはぁっ!ちょ、ちょっとタンマ、ストップ、ストップ!」
 目を白黒させながら華雄の顔を引き剥がす。
 混乱のあまり普段使わない様に気を使っていた現代語が飛び出した。
「な、何だ!何を言ってるのか分からんが、私との口付けはそんなに嫌なのか!?」
「そんなわけ無いだろ!」
「なら!」
「けどいきなり過ぎるだろ!?何でいきなりこう言う事になるのか教えてくれよ!」
「何がいきなりだ。私にとっては命にも等しい真名を捧げたのだ。抱かれたいと思うのも
当然ではないか。……それともやはり私などでは女としての魅力を感じないか?」
 不安そうな目で見つめる華雄が、一刀の目にはとてつもなくいじらしく映った。
 勇猛無比な武人であるとは思えないほどに華奢な躰を強く抱き締める。
「俺にとって華雄はとっても魅力的な女の子だよ」
「お前にそう言って貰えると凄く嬉しいな」
 華雄も一刀の躰に腕を回した。
「またキスしても良いか?」
「きす?」
「口付けの事。俺の世界ではキスって言うんだよ」
「キス。キスか。ああ、私もお前とキスをしたい」
 二人の顔が近付き、先ほどとは違って優しく唇を重ね合わせる。
 最初は啄ばむ様に何度も、やがて強く吸い合うと一刀は華雄の唇の間に舌を差し込んだ。
「!?……ん、んちゅ……あむ……ちゅぅ……んふぅ……」
 一瞬驚きに目を見開いた華雄だったが、すぐに自らも舌を差し出して一刀のそれに絡め
てきた。
 二人の舌が生き物の様に妖しく蠢く。
 その間に一刀は華雄の慎ましやかな胸や、形良く引き締まった尻に手を這わせた。
 敏感な所を刺激されるたびに、華雄の躰がビクンビクンと跳ねる。
 内股からその付根に手を差し込むと、しっとりと濡れた布の感触が指先に伝わってきた。
「そろそろ良いか?」
 華雄の準備が出来ていると感じた一刀が訊ねた。
 彼自身既に興奮ではち切れそうになっている。
「ああ、良いぞ。だが私はこう言う事は初めてなんだ。優しくして貰えると嬉しいな」
「分かってるって。そう言う俺も初めてだから、自信は無いけどな」
「…………何?」
「いや、だから自信は無いけどさ、出来るだけ優しくするつもりだよ?」
「その前に何と言った?」
 華雄の声の様子が変わっているのに一刀が気付いた。
「え、あの……俺も初めてって……」
「お前も初めてだとぉ!?」
 華雄が何に驚いているのか分からない一刀が、眼をパチクリさせる。
「お前、これまで董卓様や賈駆達と一緒に居て、何もしなかったのか!?」
「へ!?な、何で月や詠の名前が?」
「賈駆はいい!それより董卓様だ。董卓様とお前は何も無かったと言うのか?」
「う、うん」
「もしかしてキスもか!?
「ああ」
 有無を言わさぬ華雄の迫力に、一刀は思わず頷いていた。
「け、けどそれが何か……?」
「………………………はぁぁぁぁっ」
 一刀の答えに、たっぷりと間を空けて華雄が大きく嘆息した。
 そして躰を起こすと乱れた衣服を整える。
「か、華雄!?」
「興が削がれた。まったく、あれ程の方に想いを寄せられておきながら、お前と言う男は
何をしているのだ」
「え?え?いや、ちょっと待ってくれよ。それってこの際関係無いんじゃ……」
「莫迦者!主が手を付けておられん者に、家臣である私が先に手を出せるか」
「そ、そう言うものなの?」
「董卓様がお前をどうとも思っていないのなら話は別だがな。ともかくお前は早く董卓様
と閨を共にするのだな。そうしたら私も、改めてお前にこの身を任そう」
 そう言うと華雄はさっさと一刀の部屋を後にした。
 その姿をポカンと見送っていた一刀が、視線を下に落とした。
「……どうしてくれるんだよ、コレ……?」
 やり場を無くしていきり立ったままの股間を見下ろし、一刀はそう呟いたのだった。
 
 袁術滅亡。
 その報がもたらされたのは、対韓遂戦についての軍議が開かれている最中だった。
 客将として遇していた孫策の謀反によって本拠地寿春を陥とされ、袁術自身は大将軍の
張勲と二人で遁走、そのまま行方不明になったとの事だった。
「あれほどの勢力を誇った袁術があっけないものよ」
 益州の中でも比較的荊州に近い城を治めていた桔梗が感慨深げに言った。
「俺はそれよりも、先に袁術を襲ったという集団が気になるよ」
 袁術を滅ぼしたのは確かに孫策軍なのだが、それより前に謎の一団に急襲されていたと
言う報告も入ってきていた。
 百騎余りのその集団に対し、五万の大軍を擁して迎え撃った袁術軍だったが、、紀霊・
雷薄・陳蘭など名のある将を何人も討たれた上に、全兵力のおよそ三割に近い損害を出し
て這々の体で寿春城へ逃げ帰ったところを孫策に襲われたのだと言う。
「やっぱり恋さんでしょうか?」
「多分そうだと思う」
 月の問いに一刀が頷いた。
 以前報告のあった反董卓連合参加諸侯に対する襲撃事件。
 その際に深紅の呂旗が掲げられていたらしいとの噂は、当然一刀達の間で話題になって
いた。
 今回袁術軍を襲撃した一団についてその報告は入っていなかったが、諸侯を襲った者達
と良く似ていると一刀達は思った。
「まあたったの百人程で八万の軍を打ち破るなどと言う離れ業、呂布の武勇をもってしな
ければ到底不可能だろうな。いかに袁術の軍が烏合の衆の集まりだとしてもだ」
「あたしも虎牢関での呂布の戦いぶりは見たけど、ありゃあまさにバケモンだったな」
「正規の軍隊が蝿でも追い払うように薙ぎ倒されてたもんねぇ」
 連合軍に加わっていた翠と蒲公英が、恋の戦う様を思い出して身震いした。
「じゃがその集団を率いるのが呂布として、何故その様な真似をする?」
「復讐だろう」
「おそらくそうね」
 華雄の言葉に詠が同意した。
 それは一刀も感じた事だった。
「翠、洛陽では俺や月は死んだ事になってるんだろ?」
「ああ。正確には月が、だけどな」
「でも月が死んだとなったら、当然ボクやこいつも一緒に死んだと思うわよね」
「恋さんは一刀さんをご主人様と慕っていたから……」
「なるほど。愛する主君を奪われた怒りに突き動かされていると言う事か」
「でもこのままにはしておけない」
 一刀が言った。
「このままじゃ恋はいずれ曹操や孫策達にも仕掛けるだろう。そうすれば今回の袁術との
様にはいかない」
「曹魏や孫呉は君主の才覚は勿論、将の質や兵の錬度などどれを取っても袁術のバカとは
比べ物にならないものね」
「恋さんが一刀さんを死なせた相手と思ってる曹操さんや孫策さんに降るとは思えません
し、もし捕らえられたりしたら──」
「間違いなく首を刎ねられるだろうな」
「また襲われるかもと考えたら、生かしておける相手じゃないもんね」
 月の言葉を翠と蒲公英が引き継いだ。
「呉はともかく、魏には張遼が居る筈だ。奴ならば何とかしてくれるのではないか?」
「無理ね」
 華雄の言葉を詠が一言の下に切り捨てた。
「一般には霞が月の首を取ったと伝えられているからなぁ。実際には俺達の命を助ける為
だったんだけど、その事を知らない恋が霞に出会ったとしたら問答無用で斬りかかるだろ
うな。話なんてまともに聞いてくれないと思うぞ」
「裏切り者と思っているなら、より苛烈な攻撃となるか」
「とにかく人をやって恋達を探そう。そして俺達が涼州に居る事を伝えるんだ。そうすれ
ば恋はきっとこっちに来る。場所はまだ襲われていない連合諸侯の領内を張っていれば見
つかると思う」
「アンタにしちゃまともな意見ね。ボクも恋を呼び寄せる事には賛成よ」
 珍しく詠が一刀の意見に賛同した。」
「外敵と戦う時に恋の武勇は魅力だものね」
「詠ちゃん、一刀さんはそんな事言ってるんじゃないよ?」
「そんな事ぐらいボクも分かってるわよ。でも軍師としては、そう言う事も考えた上で物
を言う必要があるって事。……まあアイツがご飯食べてる姿を見てたら気持ちが和むのは
確かだけどね」
 その様子を思い出したのか、詠がクスクスと笑った。
 月も釣られて笑顔になる。
 一刀ももくもくと食べ物を頬張る恋の姿を頭に浮かべていた。
「さて、呂布の事はそれで良いか?なら次は──」
 翠が本来の議題に話を戻そうとしたところで、新たな伝令が駆け込んで来た。
「申し上げます!韓遂が侵攻を開始し、西涼の北西約十里にまで迫ってきているとの事!
その数はおよそ六万、その半数ほどが五胡の兵と思しき兵装を纏っているそうです!」
「あちらから来よったか」
「六万って随分集めたよね。たんぽぽ達の倍近いじゃん」
「半分が五胡兵として、韓遂の手勢が二万、後はこの前逃げ延びた侯選と楊秋の兵がそれ
ぞれ五千ずつってとこだろうな。くそっ、裏切り者共め、今度こそあたしが皆の仇を取っ
てやる!」
 翠が意気込む。
 しかし頭に血を上らせたその姿は、ひどく危ういものと一刀の目には映った。
「気持ちは分かるけど兵力では向こうが上なんだ。しっかり作戦を立てておかないと、仇
討ちどころか返り討ちにあっちまうぞ」
 意気込む翠に一刀が忠告する。
 だが冷静なその言葉が、却って翠の癇に障ったらしく、彼女の眦が釣りあがった。
「向こうから攻めて来てるんだぞ!?そんな悠長な事を言ってる場合じゃないだろ!」
「だからって無策で突っ込んでどうするんだよ。それじゃあ兵を無駄に死なせるだけだ」
「涼州に死を怖れる兵なんか一人だっているもんか!ましてや仲間を殺されてるんだ。己
の命を懸けても仇を討つのが涼州人の心意気ってやつなんだ。所詮お前みたいな余所者に
は分からない──」
 パンッと乾いた音が響き、翠の言葉が途切れた。
「落ち着いてください、翠さん」
「ゆ、月っ!?」
 思いもよらない月の行動に、自身も手を振り上げかけていた詠が驚きに目を瞠る。
「大切な人達を失う苦しみは私達もよく知っています。だからこそ、一刀さんは傷つく人
が少なくなるようにと言ってるんですよ?」
「……ああ、そうだったよな。──北郷、すまなかったな」
「気にしてないよ。俺がこの世界の人間じゃないのは本当の事だし。でも俺は皆を仲間だ
と思ってる。月や詠、華雄だけじゃなく、馬騰さん、桔梗さん、蒲公英に勿論お前もな」
「分かってる。本当にゴメン。月もな。あたしがどうかしてた」
「いえ、私の方こそごめんなさい。ぶったりしちゃって……痛くないですか?」
「これくらいどうって事ないさ。調練でだってもっと大きな怪我はいくらでもするし。何
よりお蔭で目が覚めたよ。よし、改めて作戦を立てようぜ」
「そうだな。ならまずは詠の意見を──って、どうしたんだ、詠?ぼうっとして」
「え?え、あ、ああっ!?う、ううん、何でもないわよ!そ、それより作戦よね。えと、
そ、それじゃ──」
「ふふふっ、若いのぉ」
 わたわたと慌てながら説明を始める詠の姿を眺めながら、桔梗が小さく呟いた。
 
「母様、韓遂が攻めてきたよ。あたしが先鋒として迎え撃つ事になった」
 翠が病床の馬騰に軍議の結果を報告していた。
 長く体調を崩していた馬騰だったが、ここ最近は特に病が篤く、軍議に出る事すらまま
ならなくなっていたのだ。
「……涼州の民が主と仰ぐは天子様唯一人。己は天下に野心を持たず、終生漢の臣として
忠節を全うすべし。これが我等の生き方だった。けれど文約は結局、自身の野望を捨てる
事が出来なかったのですね」
 馬騰が哀しげに言を発した。
「叔母上が辺境の一太守である身分に不満を持っていたのはあたしも知ってた。だけど、
まさか母様を裏切ってまで、とは思って無かったよ」
 馬騰と韓遂は義姉妹の契りを結んでいた。
 韓遂は翠にとっても義理の叔母にあたるのだった。
「無能であれば野心も生まれなかったでしょうに。なまじ優れた資質が備わっていたが為
に、あれは天下を夢見てしまった。更にこの乱世が天の時をも与えられたと錯覚させてし
まったのですね」
「だけど叔母上の行いを許す事はあたしには出来ない。誰であろうと──いや、身内だか
らこそ、あたし達の手で落とし前はつけなくちゃならない。そうだろ、母様?」
「その通りです。でも──」
 気負う翠に、馬騰が心配げな表情を見せた。
「真っ直ぐな性格はお前の美点でもあるけれど、昔からこうと決めたら周りが見えなくな
るところがあるから気をつけるのですよ?」
「わ、分かってるって!」
 ほぅ、と馬騰が息を吐いた。
「誰か信用の出来る人が──例えば北郷殿がお前を補佐してくれるようになると良いのだ
けれどねぇ」
「なっ!?なななな、なんでそこでほほほ、北郷の名前が出るんだよ!?」
 翠の顔が一瞬で茹でダコの様になった。
「あら、彼は中々良いと思うのだけど。お前だって気になっているのでしょう?」
「バババ、バカ言うなって!あああ、あんな軟弱な奴、あたしが気にするわけないだろ!」
「上に立つ人間が必ずしも武勇に優れている必要は無いでしょう?北郷殿はよく人を見極
め、心の機微を理解し、しっかりと支える事が出来る方。また天界の知識を持ち、それを
必要に応じて生かす事の出来る機知も持ち合わせている様です。お前に足りない所をしっ
かりと補ってくれる人だと思いますよ」
「け、けど北郷にはもう月が……」
「北郷一刀には高祖劉邦の風あり。英雄色を好むとも言います。例え董卓殿が彼にとって
第一の存在であろうとも、お前に向ける愛を持ち合わせていないほど狭量な御人ではない
でしょう」
「あ、あたしに妾になれって言うのか!?」
「私はお前にも心の支えとなる人が必要だと言っているだけですよ。おそらく私はもう長
くないでしょう」
「母様っ!?」
 翠の顔色が変わった。
「事実ですよ。そして私の後はお前に継いでもらわなくてはならないのです。けれど今の
お前では天子様より預かるこの地を治める者としてあまりに資質が不足しています。戦に
おいては一廉の将になったと認めましょう。しかり為政者としてはそれだけではダメです。
民が何を望んでいるか、どうやって彼等に平穏な幸せを与えてやれるか、常に腐心する事
が求められるのです。だからこそお前には──」
「母様、待ってくれ!」
 翠が馬騰の言葉を遮った。
「実はその事について、あたしなりに考えていた事があるんだ」
 娘の真剣な眼差しに、馬騰が無言で続きを促した。
「あたしだって武人の端くれだ。母様に万が一の事があった時の、涼州の行く末について
だって全く頭に無かったわけじゃない。そしてあたしが王だの領主だのって器じゃないっ
て事も理解してるさ。だから、もし母様が亡くなったとしたら、その時は──」

 西涼の街から僅かに五里の地で両軍は相対していた。
 片や韓遂・五胡連合軍六万、一方の西涼軍三万五千。
 数の上では韓遂らの方が圧倒的に有利である。
 しかし錦繍に彩られた馬旗を筆頭に漆黒の華旗と薄紫色の厳旗を両翼に配した西涼軍の
威容は、数の上での不利など全く感じさせない。
 そして総大将を表す牙門旗に描かれた『董』の一文字。
 それは敵方へ衝撃を与えるのに充分であった。
「董だと!?」
「まさか董卓なのか!?」
「バカな!董卓は死んだ筈ではないか!」
 韓遂軍に動揺が広まっていく。
 敗れたりとはいえ、数十万の連合軍に一歩も退かず戦い抜いた董卓軍の精強さは、大陸
全土に響き渡っていた。
 その精兵を率いていた董卓が生きていたとなれば、僅か二万五千の差など如何程の物が
あろうか、そう考える兵士が居ても不思議ではない。
 元々韓遂に従っている諸侯は、彼女が権力の座に就いた暁には甘い汁のお零れに預かろ
うなどと考える不逞の輩揃いである。
 錦馬超一人ならいざ知らず、そこに精強で鳴る董卓軍が加わっている事で趨勢が傾く側
を見越して寝返る算段を整えている者すら居るだろう。
「狼狽えるな!あんなものはハッタリだ!仮に本物の董卓だとしても、呂布も張遼もいな
い董卓軍など怖れるに足りん!」
 韓遂軍では煌びやかな衣装を纏った妙齢の美女が先頭に立ち、声を張り上げて兵士を鼓
舞していた。
「なあ、翠?」
「何だ……ほ、北郷!?●%£☆#▲$×≡!!」
 一刀が声を掛けると、突然翠が顔を真っ赤にして意味不明の言葉で喚いた。
「うわっ!?ど、どうしたんだよ!?」
「な、ななな何でもない!そ、そそそそれよりななな何の用だよ!?」
 どう見ても何でもなくは思えないのだが、翠の異様な迫力に押され、取り敢えず一刀は
そこに触れる事を止めた。
「いや、あの女の人が韓遂なのかなって」
 一刀が件の女性を指差して訊いた。
「ああ。韓遂、字は文約。若い頃から知勇兼備の将として知られてたな。かつては母様と
轡を並べて戦場を駆け、幾度も五胡の侵略から涼州を守った英雄さ。兵や民からの人望も
厚く、馬騰・韓遂と言えば涼州の双玉として称えられたもんさ。あたしはそんな二人が母
と叔母って事で子供心に鼻が高かった。それが己の野心の為に宿敵五胡と手を組むなんて」
 翠の表情には怒りよりも哀しみが浮かんでいた。
 と、韓遂が単騎で前へ進み出た。
「久しいな、翠よ」
「お前のような裏切り者に、あたしの真名を呼ばれる筋合いは無い!」
 翠が激しい怒りを露わにする。
「ならば馬超、我が下に来ぬか?」
「何だと!?」
「この群雄割拠する戦国乱世に於いて漢王朝の権威など最早無きに等しい。その様なもの
に何時までも拘っていては、この辺境で寿成の様に虚しく朽ち果てるだけだぞ」
「貴様、母様を愚弄するのか!?」
「義姉上は頭が古過ぎるのだ。今は力ある者、優れた者が上に立ち、民を導いていかなく
ならぬ時代なのだぞ」
「べーだ!アンタみたいに五胡の犬になってまで欲しい天下なんてないもんねー!」
「蒲公英の言うとおりだ。あたし達涼州人は、五胡の侵略から漢の民を守る事に大きな誇
りを抱いている。その五胡と手を結び、大勢の同胞を死に追いやったお前と手を組むなん
て絶対にあり得ないぜ!」
「董卓の如き大逆人を戴いている分際で何を言うか!」
「あんなでっちあげを未だに信じてるってのか?少なくともあたしが見た月──董卓は噂
で言われているような暴虐を働ける人間じゃない」
「お前のような小娘の審美眼など当てになるものか」
「これでも結構人を見る目はあるんだぜ?何しろ人物を見誤ったのは、後にも先にも一人
だけなんだからな」
 翠の皮肉に韓遂の片眉がピクリと跳ねた
「らしくない減らず口を叩くではないか。馬岱にでも教えて貰ったのか?」
「ちょっとぉ!それじゃたんぽぽがいっつも減らず口ばっかり叩いてるみたいじゃない!」
「叩いていると思ったがな」
「たんぽぽは思った事を素直に口にしてるだけだもん!」
「それが減らず口だと言うのだ」
 そこに翠達が言い争う場に進み出る人影があった。
「韓遂さん、ですね?」
「月?」
 それは月だった。
 思いがけない彼女の行動に翠が戸惑いを見せる。
「何者だ、小娘?」
「私の名前は董卓です」
「董卓!?お前のような小娘が都の権勢を一手に握っていたと言うのか?」
「図が高いんじゃないのか、韓遂?戦に敗れたとは言え、月は漢の相国だぞ?鎮西将軍の
お前より官位は上なんだぜ」
「ほざけ馬超。今更漢の位等に何の意味がある?力なき権威など、田舎の道祖神ほどにも
役に立たん。──人臣を極めたお前がこのような辺境に落ちぶれているのが何よりの証拠
ではないか、なあ董卓?」
 月に対し韓遂が嘲笑を向けた。
 だが月は力強い眼差しでキッと韓遂を見返した。
「私が都を追われたのは私の不徳です。ですが漢王朝が無意義な物であるとは思いません」
「ほう、では今の腐った朝廷に残る意義とは?」
「道です」
「道、だと?」
「確かに帝の位に就く方が全て優秀であるとは限りません。先々代の霊帝の様に政を顧み
ず、享楽に耽って国庫を浪費し、侫臣・奸臣を蔓延らせてしまう人もいます。その結果が
今の乱れた天下である事は否みようがないでしょう。でも……それでも漢と言う物を拠り
所とする人々が大勢居ます。だから高祖劉邦より脈々と受け継がれて来た漢王朝の血は、
これからも人々の行く末を照らす道であるべきだと思います。そこに権威は存在しなくて
も構いません。ただ、人々の心に在る拠り所として」
「なるほど。それで貴様は幼帝を祭り上げて自らが実権を握ったと言うのか。ハッ、この
私すら及ばぬ奸雄ぶりだな。帝を隠れ蓑にして己が泥を被らぬようにしていたのだから、
更に姑息で浅ましいと言うべきか」
「違います!私が言いたいのはそんな事じゃ──」
「もう、いい。貴様等と戯言を並べる為に来たわけではないからな」
 月の言葉を遮り話を打ち切ると、韓遂は彼女達に背を向けた。
「貴様等も涼州の人間ならば涼州人らしく武を以って自らの志を示せ」
 それだけ言うと韓遂は自陣に戻って行った。

「月」
 哀しげに俯く月に一刀が声を掛けた。
「俺は分かるよ、月の言いたい事。多分、それは俺の世界での考え方に一番近いと思うか
ら。でも今は戦いに集中しよう。力が無ければどんな高邁な理想も絵空事に過ぎないのは、
俺達が一番よく知っているだろう?」
「……はい、分かってます」
 その答えに一刀が頷いた。
「よし、なら翠、いっちょ皆の士気が上がるような口上を頼むよ」
「ええっ!?あ、あたしがか!?はぁぁ……あたし、そう言うのってあんまり得意じゃな
いんだけどなぁ……。でも、ま、しょうがないかぁ」
 そう言うと翠は颯爽と愛馬に跨り、高々と銀閃を掲げた。
「聞け、涼州の兵達!敵は同じ涼州の民でありながら、長らくあたし達の同胞の生活を脅
かしてきた仇敵五胡と結び、天下に今以上の大乱をもたらそうとしている逆賊だ!今この
敵を討たずして、大陸の平和は覚束ないだろう!勇猛なる我が同志よ、死を怖れるなよ!
怯惰に陥り義を見失う事を怖れろ!戦いの果てにこの涼州の土に還り、風に還り、草木の
糧となるのがあたし達の誇り!その時まではあたし達の戦いぶりを天下に見せつけてやろ
うじゃないか!行くぜぇっ!総員、突撃ぃぃぃ──────っ!!」
 槍を振り翳して翠が飛び出す。
 後ろで纏めた栗色の髪が風に靡いて跳ねた。
 その背を翠の号令に激した兵達が雄叫びとともに追う。
 一糸乱れぬその動きは、人馬が一体となった演舞の様ですらあった。
「あたしが一番槍だぜ!っしゃおらぁぁぁ──っ!」
 幾筋かの閃光が走り、それと同じ数だけ敵兵が地に落ちた。
 一当てした翠は部隊を反転させ、またすぐに敵にぶつかる。
 そうして円を描くように幾度も当たって敵の陣形を削っていくのだ。
「私達も往くぞ!鬼兵隊、我が旗に続け!」
 左翼から華雄の部隊が続いた。
 漆黒の旗を掲げ、同色の具足を身に付けた黒備えの一団が戦場を縦横無尽に駆け巡る。
 翠の部隊の様な整然とした美しさは無いが、猛り狂う嵐の如き荒々しさで当たるを幸い
に敵を薙ぎ倒していた。
「何じゃ、華雄め。あれだけ兵法を学んでおきながら結局力技とはのぉ。まあ、久方ぶり
に主の旗の下で戦うのじゃから無理もあらぬか。それに──策ではなく己の武のみを以っ
て敵を打ち倒すは武人の本懐でもあるしのぉ!弓隊、構えぃ!敵のど真ん中に思う存分矢
を降り注がせてやれぃ!」
 桔梗の合図で次々矢が放たれる。
 厳顔隊は人数こそ多くないが、桔梗自身で選りすぐった豪腕揃いで三人張りの強弓を苦
も無く引き絞り、普通の弓では届かない所まで矢を飛ばす事が出来るのだった。
 中でも桔梗の豪天砲は群を抜いており、敵軍の後曲まで矢を射ち放って次々と敵兵を貫
いている。
 三人の猛将に率いられた部隊は数の上での不利を物ともせず、敵軍を蹂躙していった。
「ええぃ、怯むな!敵は我等の半数ほどしかいない小勢なのだぞ!将を討てば戦況はこち
らへ傾く!誰ぞ、あやつ等を討ち取って来る者は居らぬのか!?」
「では、私が!」
 韓遂の檄に侯選が前に出た。
 侯選は最前線へと突撃すると、数人の西涼兵を斬り倒して名乗りを上げる。
「この侯選と矛を交える勇気のある者はいるか!」
「ここにいるぞー!」
 蒲公英がそれに立ちはだかった。
「馬岱か!てっきり馬超が出てくるものと思っていたがな」
「へーんだ。アンタなんかが姉様の相手をするなんて千年早いっての。たんぽぽが泣きべ
そかかせてやるから覚悟しててよ、この裏切り者!」
 蒲公英が先手を取って槍を突き出す。
 侯選はそれを長剣でいなし逆に斬り付けた。
 荒削りながらも名将の血筋で名高い馬氏の一族蒲公英と、片や涼州では名の知られた武
人である侯選が互角の立ち合いを見せる。
 武と武により真っ向からのぶつかり合いに、敵味方共に動きを止め両者の戦いを見守っ
ていた。
 互いに譲る事のない戦いに見えたが、普段より大陸屈指の猛将である翠を相手に調練を
重ねてきた蒲公英に一日の長があったらしい。
 少しずつ蒲公英の手数が増えていき、反して侯選が防戦に回っていく。
 やがて──
「とあーっ!」
「うわぁっ!」
 蒲公英の槍が侯選の胸に突き刺さった。
 ドタッと侯選の身体が地に沈むと同時に、西涼軍から歓声が沸き起こる。
 一方で将を討たれた韓遂軍には動揺が走った。
「今が好機よ!全軍突撃!」
 敵の乱れを見て取った詠が、絶妙の間合いで下知を飛ばした。
 左右両翼に分かれた翠と華雄の部隊が韓遂軍の側面を突き、月・詠・一刀の指揮する部
隊が正面より敵陣形内に押し込んだ。
 必死に応戦する韓遂軍だったが、桔梗の隊による援護が功を奏し思うように動けない。
 更には敗色濃厚であると悟った五胡軍が、韓遂を見限り兵を退き始めた。
 そして遂に韓遂率いる本隊への道が開いた。
「翠は敵本隊への吶喊、華雄は五胡軍への追撃を!他はそれ以外の敵を掃討するわよ!」
 再び詠の下知が飛んだ。
「おうよ!」
「任せておけ!」
 まず翠と華雄が動き、その他の将も自らの部隊を率いて戦場を駆け回った。
「韓遂──っ!!」
 翠が韓遂目掛けて一直線に走る。
「でぇぇりゃぁぁぁ────っ!!」
「チィッ!」
 翠必殺の初撃を躱したのは流石と言うべきか。
 しかし二合・三合と打ち合う間に腕は痺れ、四合目にはとうとう得物を大きく弾き飛ば
されてしまった。
「どりゃぁぁぁ──っ!」
 すかさず振り下ろされる翠の槍。
 そして韓遂の左腕が飛んだ。
「とどめだっ!」
 突き出された翠の槍に手応えがあった。
 だがそれは韓遂の胸を貫いた手応えでは無かった。
「か、韓将軍、い、今の内に、お、お逃げ、ください!」
 翠の槍先は、割って入った楊秋の胸に突き刺さっていた。
 楊秋は己の胸に突き立てられた槍の柄をしっかりと握り締めていた。
「す、すまぬ!」
 韓遂が慌てて背を向け、そのまま一目散に逃げ出した。
「逃がすかっ!──くそっ、放せ!放しやがれ!」
 楊秋は槍を掴んだまま、既に絶命していた。
「……チッ、あんな奴の為に……」
 翠はかつての戦友の亡骸を地面に横たえると、戦場を見渡した。
 既に戦いの趨勢は決し、韓遂軍の兵士達の大半が武器を捨てて降っていた。
 これにより涼州は一時の安寧を迎える事となる。
 しかしそれはほんの束の間の話であった。
 
 同刻・徐州──
 付近の山賊を討伐して凱旋をする劉備軍。
 その姿を見下ろす一団があった。
 先日袁術軍に甚大な被害を与え、その滅亡の遠因となった恋達だった。
 今彼女は劉備の命を狙い、その喉笛に喰らい付く機会を窺っていた。
 連合軍諸侯はすべからく彼女の愛する主を奪った仇であるが、中でも劉備軍は彼女の部
下を大勢死なせた事で特に因縁深い相手だった。
「…………ねね、行く」
 劉備軍が隘路に差し掛かった所で恋が方天画戟を手に立ち上がった。
「はいなのです。──皆出撃準備をするのです!良いですか?敵は数こそ多いですが烏合
の衆に過ぎないのです!我々は恋殿を筆頭に集まった誇り高き狼の群れ!数を頼りにぬく
ぬくしてる羊などに負ける訳は無いのです!甘えん坊の羊は眠れなのです!」
 音々音の号令によって呂布軍に士気が漲る。
 それが最高潮に高まった頃合いを見計らって音々音が軍配を振り下ろした。
「全軍、突撃なのです────っ!!」
『おおおおぉぉぉぉ────っ!!』
 鬨の声を上げ、百騎に満たない、しかし大陸で最強の一軍が逆落としに駆け下りた。
「な、何だ!?」
 大地を震わすような喊声に関羽等が思わず辺りを見回した。
「あ!あそこなのだ!」
 張飛が指差す方に目を向ける。
 ほぼ崖にしか見えない斜面を騎馬で駆け下りるその馬術も人為を超えているが、何より
彼女達の目を引いたのは高々と掲げられた深紅の呂旗だった。
「呂布だと!?」
「いかん、愛紗!桃香様を守るぞ!」
 いち早く恋の目的に気付いた趙雲が上げた声に、すかさず劉備麾下の猛将達が主君を守
る様な陣形を取る。
「はわわ、選りによってこんな場所で襲われちゃうなんて!」
「仕方ないよ、朱里ちゃん。あんな所から仕掛けてくる敵が居るなんて誰も思わないもん」
「いえ……あらゆる事態を想定するのが、私達の役目ですから……。油断していたと責め
られても仕方ないです……」
 劉備の慰めにも諸葛亮・鳳統の二軍師は悔しげに唇を噛むだけだった。
「己を責めるのは後にしろ!今はあやつ等を追い払うのが先だ!」
「来るのだ、愛紗ー!」
 張飛が叫ぶと同時に恋が迫った。
「…………死ね」
「わーっ!?」
 逆落としの勢いも加わった初撃は、受け止めた張飛をそのまま吹き飛ばした。
「鈴々!?おのれ、呂布!」
 激昂する関羽だったが、その彼女の一撃も恋は難なく打ち払う。
「愛紗、一人では無理だ!」
 趙雲が駆け付け、関羽と共に恋に向かって構えを取る。
「…………無駄。お前達、弱い」
「私達が弱いだと!?」
「ならばその身で確かめてみろ!」
 誇りを傷付けられた二人が怒りの攻撃を繰り出すも、その全てが恋の身体にはかすりも
しなかった。
「…………遅い」
「うあっ!」
 恋に武器を弾かれた趙雲が膝を付く。
 関羽も体勢こそ崩してはいなかったが、重い一撃に腕が完全に痺れていた。
「…………お前達、今度は生かしておかない」
「クッ……!」
 大陸でも最強の一角に数えられる関羽であるが、その彼女でさえ恋の放つ気に完全に呑
まれていた。
 恋が方天画戟を大きく振りかぶる。
 今の関羽にはそれを受け止める事は出来そうになかった。
 関羽が死を予感した、その時──
「待って、呂布さん!」
 後ろから聞こえた声に、関羽が愕然とした。
「桃香様!?危険です、お下がりください!」
 しかし劉備は関羽を見ると首を横に振り、再び恋に視線を戻した。
「…………劉備」
 恋の殺気が劉備へと向かう。
「やめろ、呂布!討つのなら私が先だ!」
 痺れる両腕で無理やり青龍偃月刀を構え、関羽が恋の前に立ちはだかるが──
「…………邪魔」
「うわぁっ!?
 恋の一撃に敢え無く吹き飛ばされる。
「愛紗ちゃん!?」
「…………まだ、生きてる。最初はお前」
 恋が劉備に向かって歩を進めた。
「やらせん!」
「お姉ちゃんは鈴々が守るのだ!」
 復活した趙雲と張飛が劉備を庇う様に前に立つ。
「…………無駄」
「あぅっ!?」
「…………恋のご主人様は、お前達が殺した」
「ちぃっ!」
 二薙ぎで二将がそれぞれ弾き飛ばされた。
「…………今度はお前達の番」
 劉備を守ろうと集まった兵士達が次々薙ぎ倒されていく。
 劉備は無表情な恋の瞳に宿る激しい怒りに戦慄していた。
「…………全員殺すから心配しなくていい」
「待って、呂布さん!」
 再び劉備が叫んだ。
「…………命乞いしても無駄」
「違うの!話を聞いて!貴方のご主人様は生きてるの!」
「!?」
 恋の動きが止まった。
「董卓さんも、賈駆さんも、それに北郷さんも皆生きてるの!」
「…………ご主人様、生きてる?」
「恋殿!そんな奴等の口車に乗ってはダメなのです!そいつ等は生き延びる為に口から出
任せを言っているに決まってるのです!」
「嘘じゃないの!信じて!」
 恋が困った様に辺りを見回す。
「……本当だ。洛陽から逃げ出す所を我等が見つけてそのまま送り出した」
 目の合った関羽が劉備の言葉を肯定した。
「…………でも、霞が月を……」
「替え玉だと思います。きっと張遼さんも董卓さんを死なせたくなかったんだと思います」
「きっと今頃は涼州辺りに潜んでると思います……」
 諸葛亮と鳳統も二人の言葉に続く。
「…………」
「恋殿?」
「…………嘘だったら戻って来て必ず殺す」
「恋殿!?」
 しかし音々音の声にも取り合わず、恋はさっさと馬に跨るとその場を駆け出した。
「れ、恋殿ー!待ってくださいなのですー!」
 慌てて音々音が後を追い、更に兵士達がその後に続く。
 劉備軍はただそれを見送るだけだった。
「良いのですか、桃香様?奴とはいずれまた戦うかも知れないのですよ?」
「それは分かってるけど……でもあんなにご主人様の事が大好きなんだもん。その人が生
きてるって事を知らないままなんて哀し過ぎるよ。それにあのまま戦っていたら、きっと
こちらも無事ではいられなかったと思うし」
「桃香様の仰る事も分からぬではないな。我等も桃香様が殺されたとしたら、呂布の様に
ならんとも言えぬだろう、愛紗?」
「……うむ、そうだな」
「とにかく皆無事だったから良かったのだ!」
「うん、鈴々ちゃんの言うとおりだよ」
(呂布さん、逢えると良いね。あなたの大切な人に)
 劉備は心の中でそう祈った。
 
 韓遂の乱から暫くが経過したとある日、一刀は月と西涼に程近い小さな町を歩いていた。
 韓遂に協力した五胡兵に略奪を受け、大きな被害を受けた町だった。
 戦場ではあまり活躍の場が無い二人ではあるが、内政においてはそれなりの能力を有し
ている。
 その為こうして付近の町を廻り、復興計画の指揮を執っているのだ。
 ちなみに詠は韓遂の旧領が麾下に加わった事でその対応や後処理に忙殺されていた。
「皆さん、不足している物はありませんか?必要な物があったら言ってくださいね?」
「へい、董卓様!ですが今はお蔭様で充分物は足りてますぜ!」
「董卓様、何時もありがとうございます」
「御遣い様もご苦労様ですねぇ」
 人々が二人とすれ違うたびに声を掛けていく。
 月の優しい微笑みは人々の心を癒し、一刀の気さくな話し方も親愛を以って受け入れら
れていた。
「さて、と。そろそろ休憩を入れないか?」
 一通り見て回ったところで一刀が声を掛けた。
「そうですね。それじゃ私、お茶を淹れますね」
 二人に与えられた詰め所代わりの小屋に戻ると、月がいそいそとお茶の支度を始めた。
「そう言えば角のお店のおばちゃんから饅頭貰ったんだっけ」
 一刀が懐から包みを取り出し卓の上に広げる。
 中からふっくらした饅頭が姿を現した。
「うわ、美味そう!ほら、月も早く座って」
「はい」
 一刀に茶碗を差し出すと、月も席に着いた。
「あ、本当に美味しそうですね」
「だろ?んじゃ、いただきます」
 一刀が饅頭に齧り付いた。
「もぐもぐ……うん、美味い!」
「はむ……美味しい……」
 二人揃って饅頭の味に幸せそうな笑顔を浮かべた。
 久しぶりに二人に訪れた、ゆったりとした穏やかな時間だった。
「ところでこの間言ってた事なんですけど……」
 暫く他愛も無い話に興じていた二人だったが、ふと思い出したように月が話題を変えた。
「ん、何だっけ?」
「あの、帝に対する私の考え方が、一刀さんの世界に近いって……」
「ああ、あれか」
 言われて一刀も韓遂と対峙していた時の会話を思い出した。
「そのお話、詳しく教えて頂けませんか?」
「え?ああ、別に構わないけど……」
 雑談の流れからにしてはあまりに真剣なその表情に戸惑いながらも、一刀は月へと向き
直った。
「実は俺の世界にも帝に相当する人が居るんだよ。ただその人自身は政を行うわけじゃな
くて──」
 と、不意に一刀の声が止まった。
「一刀さん?どうしたんですか?」
「や、今何か聞こえなかった?」
「え?何かって……」
 言われて月も耳を済ませた。
 すると入り口の扉がカリカリと音を立てていた。
 何者かが扉の下の方を引っ掻いている様な音だった。
「一体何なんだ、この音?」
 怪訝に思った一刀が扉を開いた。
 すると突然何かが一刀目掛けて飛びついてきた。
「うわ!?な、何だ!?」
 驚いた一刀が自分の身体にくっ付いた塊を良く見るとそれは──
「せ、セキト!?」
 それは間違いなく、恋の愛犬であり一番の親友であるセキトだった。
「何でセキトが……?ま、まさか!?」
 一刀が思わず外に飛び出す。
 そこには凍りついた様に立ち尽くす恋の姿があった。
「恋さん……!」
 一刀に続いて外へ出ていた月も目を丸くする。
「恋……」
「…………!」
 一刀の呼び掛けに、恋がビクッと身体を震わす。
「恋──っ!!」
 一刀が今度は大きな声で叫んだ。
 その瞬間、恋が弾けた様に駆け出した。
 他に何も目に入らないかの様に一直線に一刀へと向かい、その胸に飛び込む。
 一刀が抱きとめると、その身体は小さく震えていた。
「…………生きてた……ご主人様、生きてた……!」
「恋……」
 天下無双と謳われる最強の武人呂奉先。
 しかし今はただ、愛する者との再会を喜ぶ一人の少女だった。
 一刀はそんな恋を抱き締めると、優しく頭を撫でてやった。
 そこで凄まじい殺気が一刀を貫いた。
「!?」
 慌ててキョロキョロと辺りに目を配る。
 するとメラメラと燃える怒りの炎を背負った音々音の姿が目に入った。
「お・ま・え・はー!!久々に会ったと思ったら、もう恋殿を誑かしているのですかー!」
 音々音が物凄い勢いで走り出した。
(こ、これはちんきゅーきっくか!?)
 一刀が思わず目を瞑り、歯を食いしばって攻撃に備える。
 だが予想された衝撃は中々訪れなかった。
 薄っすら目を開けると、恋のすぐ後ろで音々音が不機嫌そうに睨んでいた。
「何なのです、その顔は?ちんきゅーきっくでも食らわされると思ったのですか?」
「いや、まあ……」
「ふん、食らわせたいのは山々なのですが、恋殿に免じて今回だけは許してやるのです。
まあ今日の所はねねもお前達の無事を祝ってやるから、海より深く感謝するが良いのです」
 そっぽを向いてそっけなく言う音々音だったが、その目は僅かに潤んでいた。
 そんな彼女の様子に一刀の口元が自然と綻んだ。
「ああ、ありがとう、ねね」
「ふ、ふん!」
 音々音の顔が見る見る赤くなる。
「ハハハ、照れるなんてねねらしくないぞ」
「だ、誰が照れてなんかいるですかーっ!」
「へぶぅわぁっ!」
 結局蹴られる一刀であった。
 
「華琳様」
「……何?」
 玉座に座り一人思索に耽っていた曹操は、それを中断させた声の主を見下ろした。
 その両脇には阿吽の像の様に夏侯姉妹が付き従っている。
 他には親衛隊員である許緒と典韋の二将と、楽進・李典・于禁等の武官、最近麾下に加
わった郭嘉と程c、そして霞の姿があった。
 恭しく頭を垂れたまま、荀ケが言葉を続ける。
「たった今、涼州の韓遂が我が軍に降って参りました」
「そう。なら頸を刎ねなさい」
「…………は?」
「聞こえなかったの?頸を刎ねろ、と言ったのよ」
「で、ですが韓遂と言えば知勇に優れた傑物とのこと。幕下に加えれば何かと役に立つの
ではないかと」
「必要無いわ。我等の大望に呼応しての恭順ならばいざ知らず、我欲で兵を動かし、あま
つさえ五胡などを引き入れて民の生活を脅かしておきながら、敗れると他者の力を当てに
するなどと恥知らずな所業を行う人間など、我が曹魏には無用の長物。いえ、そのような
者を生かしておいては後の禍根ともなるでしょう。直ちに斬りなさい」
「ぎょ、御意!あ、あの、ただその韓遂、一つだけ気になる事を申しているようです」
「気になる事?……ふむ、続けなさい」
「ハッ!実は韓遂が戦った馬騰の軍に、董卓が居たと」
『董卓!?』
 曹操と霞以外の者の声が重なった。
「霞、どう言う事だ!?董卓はお前が頸を取ったのではなかったのか!」
 夏侯惇が隻眼で射抜く様に霞を睨み怒鳴った。
「事と次第によっては捨てておけぬぞ」
 夏侯淵も剣呑な眼差しを向ける。
 他の者も一様に霞を注視していた。
「皆、落ち着きなさい」
 一触即発の空気を破ったのは曹操の声だった。
「やはりあの頸は董卓のものではなかったのね」
「ああ、そうや」
「そう。ならば次はやれるわね?」
「あの時の行動で月──董卓に対するうちなりの義理は返したと思うてる。ここから先は
ホンマに敵同士や」
「結構。存分な働きを期待しているわよ」
 だがそんなやり取りでは納得のいかない者もいた。
「お待ちください、華琳様!霞のした事は華琳様への重大な背信なんですよ!?それをこ
のまま不問に付すと言うのですか!?」
「あら、桂花。ならばあなたは霞を斬れと言うの?」
「そ、それは……。で、ですが華琳様を謀るなど許されざる重罪。何らかの罰は必要であ
ると思います!」
「フフッ、あなたの私に対する忠誠はとても心地良いものであるけれど、少しばかり視野
が狭くなってしまうのが玉に瑕ね」
「か、華琳様……?」
「あなたは霞が私を謀った事が罪だと言ったわね。けれどあの頸が董卓の物ではない事な
ど、私は初めから知っていたのよ。つまり元から騙されてなどいなかったと言う事。騙さ
れてもいないのにどう罪を問えと言うの?」
「そ、そんな、知っていたのならどうして……?」
「あそこで董卓を討てない霞だからこそ、私は気に入ったのよ。いくら我が下に降ったか
らとは言え、かつての主の頸を取って手柄とするような者など信用出来て?敢えてあの場
での芝居に乗る事で、霞には決定的な楔を打ち込む事が出来、董卓に対しての義理も返さ
せる事が出来る。まさに一石二鳥と言うものよ。そもそも董卓自体は討つべき必要も無い
のだしね」
「なるほど、流石は華琳様!」
「姉者、今の話の内容が分かったのか?」
「ふん、そのような物、後で秋蘭が教えてくれれば済む事ではないか。今の私はただ華琳
様の深慮遠謀を称えていれば良いのだ」
「…………まあいい」
「私、時折アンタに心から同情するわ、秋蘭」
 何かを堪える様な面持ちの夏侯淵に対し、荀ケが心底哀れむように言った。
「ですが華琳様、これは好機なのでは?韓遂を撃退したとは言え、馬騰の側もかなり消耗
をしている筈。董卓云々はともかくとしても、猛将馬超が率いる涼州騎馬兵は大陸最強と
の呼び声も高い精鋭中の精鋭です。おそらくこれに匹敵するのは霞の部隊くらいでしょう。
これとまともにぶつかるならば我等も相応の被害を覚悟せねばならないところでしたが、
今なら労せずして下す事も可能でしょう」
「稟、あなたは私に漁夫の利を得よと言うの?まして相手は地方の小軍閥。そのような敵
を姑息に倒したところで、誰が私を天下の器と認めるのかしら?相手が英雄であればある
ほど、こちらもそれに相応しい風格を以って当たらなければ、天下を掴む事など夢のまた
夢と言うものよ」
「ぎょ、御意」
「では我々が次に押さえるべきは何処でしょうねー。徐州か河北か、はたまた荊州かー」
「あなたなら何処が良いかしら、風?」
「…………ぐぅ」
「寝るなっ!」
「おおっ!──まあここは徐州辺りが妥当でしょうねー」
「その心は?」
「荊州は袁術が倒れ大きく勢力図が変わりましたが、袁術に次ぐ勢力だった劉表は事なか
れ主義の小人物。事を起こす可能性は低いでしょう。片やその袁術を滅ぼした孫策も今は
揚州の地盤固めに奔走しており、他所へ食指を伸ばす余裕は無い筈。となれば空いた荊州
の北東部を劉備が狙う事は十分に考えられます。元々劉備の麾下は関羽・張飛・趙雲等の
猛将に加え、諸葛亮・鳳統と言った希代の軍師を抱えるなど、配下の質に関しては我が軍
にも引けを取りません。これまでは小勢だった為にさしたる脅威とはなりませんでしたが、
力を付ければおそらく最も強大な敵ともなり得るでしょう」
「つまり今が叩くべき時だと?」
「御意ですー」
「河北の袁紹は?」
「語るべき相手とは思えませんねー。華琳様がその気になりさえすれば、何時でも組み伏
す事が出来るでしょう」
「フフッ、そのとおりね。良いでしょう、此度は風の献策を容れて徐州を攻めましょう」
 曹操がそう宣言した。
「でも良いんですかー?さっきの華琳様のお話を考えると、劉備ももっと大きくなってか
ら倒した方が良いと思うんですけど?」
「季衣の疑問ももっともね。けれど劉備と馬騰ではそもそも将としての資質が違うの。劉
備も英雄の片鱗を持つ者ではあるけれど、今のままではダメね。皆で仲良く等と言ってた
だ安寧を貪るだけではいずれ愚物と堕すでしょう。あの娘が今後も天下に名乗りを上げる
つもりなら覚悟を得る必要があるのよ」
「つまりこれは劉備に対する試練であると?」
「無論、手加減などをするつもりは無いわよ、秋蘭。もし劉備がこれで消えると言うのな
ら、それはそこまでの器であったと言うだけの事。けれどそうはならないでしょうね」
 そう言って笑う曹操の顔は、期待と喜びに満ちているように思えた。
 
 軍議が終わり、各々が次の戦いに向けての準備に追われる中、霞は一人城壁に上って西
の空を見上げていた。
「月……。何でまた起ち上がったんや」
 霞の声は苦渋に溢れていた。
「お前が……お前みたいな奴がもう戦わんでもええように、ウチは──」
 呟きは風の中に溶けて消えた。
 霞が目を瞑り、息を一つ大きく吐いた。
 再び目を開いた時、もうその瞳に迷いは無かった。

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