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984 名前:一刀曰く、[sage] 投稿日:2009/05/04(月) 15:00:13 ID:lDSx1Atk0
>>968
惇です

規制中につきこちらでうpです。

http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0256

例によってまたオリキャラがうろちょろしてる場面もありますが、あまり気にしない方向で居てくれると良いなと。
今回と次回はちょっと地方のゴタゴタを片付ける話で、それ以降大陸全土の内容に戻っていく予定です。
では次回6章『涼州動乱』で

あと専ロダで名前必須となってたので石秀の名で投稿してます
こっちではキャラ名つくのが楽しいので基本は無貌ですが、規制解除されて外史スレに書き込めるようになったらそっちでも名乗るかも



 己の武に絶対の自信を持っていた。
──そんなものか──
 戦場での一騎打ちで他人に遅れを取った事など無かった。
──お前では私に勝つ事は出来ん──
 死ぬ事よりも、誇りを打ち砕かれる方が怖かった。
──命は預けておく。この場より去れ──
 情けを掛けられた時、全てを失ったと感じた。
 だが自分が守らなくてはならないのは、己の意地や誇りなどではなかった。
 それに気付くのが遅すぎた。
 燃える洛陽の街を見た時、本当に大切なものを失ったと知った。
 全て己の愚かさが招いた事だ、そう思った。
 華雄──己の武に驕った愚か者の名。
(そして、私の名だ──)

「ほう、もう起き上がれるとは、流石に良い鍛え方をしておる」
 天幕を出た所で声を掛けられた。
「じゃが独りで何処かへ行こうと言うのなら、止めておいた方が良いな。お主の身体はま
だまだ無理がきくような状態ではない。お主は身体の──いや、心のかな?いずれにせよ、
その深い場所に傷を負ってておる。そういう時にはじっくりと時間をかけて癒すものじゃ」
 厳顔と言う、益州の将軍だった。
 脇には副官の魏延と言う武将が控えている。
 華雄は落ち延びる途中、水関で関羽に負わされた傷が元で行き倒れになって居た所を、
洛陽に向けて進軍中だった厳顔たちに助けられたのだ。
「厳顔、助けてくれた事には礼を言う。だがお前は洛陽に攻め寄せようと向かっていた敵
だ。これ以上馴れ合うつもりは無い」
「確かに洛陽で出会っておったら敵じゃったろうが、生憎ここは戦場ではないぞ」
「そういう問題ではない。それに私は己の分別の無さから敗北を招き、主君を死に至らし
めた愚か者だ。今はただ、死に場所を探している」
「ハッ、若造が聞いた様な事を言う。何が死に場所か。そんな言葉は一人前の将となって
から吐くものじゃ。今のお前は拗ねてる餓鬼と同じよ」
「何だと……!?」
 華雄の言葉が怒気を孕んだ。
「少しばかり長く生きているからと、老いぼれごときが言ってくれるな」
「貴様っ!桔梗様に向かってその口の利き方は何だ!」
「焔耶。下がっておれ」
「し、しかしっ!──分かりました」
 厳顔に見据えられ、魏延が渋々引き下がる。
「華雄、貴様董卓が敗れたのは自分が水関を陥とされたからだ、等と思っておるのじゃ
ろう?」
「……!」
 華雄が言葉に詰まった。
「フン、やはりな。じゃがそれは自惚れと言う物よな」
「だが私が己の武を過信せず、しっかり守りを固めていれば……」
「知勇兼備と名高い張遼と、天下無双を謳われた呂布の守る虎牢関すら陥ちたのじゃぞ?
お主が守りに徹したからと言って結果がどれほど違ったものやら」
「クッ……!」
 唇を噛むと華雄は背中を向けて厳顔の前から去った。
「……あのぉ、桔梗様?」
「何じゃ」
「私は華雄の言う様に、奴が水関の守りを第一に考えていれば、董卓側が勝つ事も可能
だったのではないかと感じたのですが」
「まあ、そうじゃろうな」
 厳顔があっさり頷く。
「虎牢関が陥ちたのも、水関で時をかけずに抜けた事で士気が高まっていたという面が
あったせいであろうし、もし水関が後一月も持ちこたえていれば、虎牢関が陥ちる前に
連合が瓦解しておったじゃろうよ」
「で、では何故あのように?」
「勝敗は兵家の常よ。終わった戦についてあれこれ言っても始まらん。それよりあのまま
自分を責めるだけではあやつの傷が塞がる事も無い。あのように屈託を抱えたままでは、
折角の伸びしろも芽が出ることなく腐っていくであろうよ」
「伸びますか?」
「素地は持っているようじゃ。後は己の負けを受け入れ、弱さや愚かさと向き合うことで
一皮剥けると見た」
「気に入られたようですね」
「さて、のう。それはこの先のあやつ次第と言う所じゃな。──時に焔耶よ」
「ハッ!」
「わしは暫く華雄を連れて大陸を見て回ろうと思っておる」
「ええっ!?あ、あの洛陽はどうするんですか?」
「ふん。華雄の話だととうに陥ちているようではないか。全てが終わった所にのこのこと
顔を出すなど恥晒し以外の何物でもないわ」
「まあ、それはそうでしょうけどね。──ハァ、仕方ないですね。私もお供を──」
「それはならぬ」
 ため息を吐きながらの魏延の言葉を厳顔が遮った。
「そ、そんな、何故私だけ!?」
「ぬしが一緒に来ては劉璋に謀反と思われよう?さすれば我らと繋がりの深い紫苑に嫌疑
が掛けられかねん」
「ですが桔梗様が居なくなられては同じ事では?」
「じゃからお前は成都に着いたらわしが洛陽へ向かう途中で死んだと報告せい。その為に
行軍途中で引き揚げて来た、とな」
「え!?そ、それでは桔梗様は二度と益州には戻られないおつもりですか!?」
「うむ。己の権勢ばかりを欲する小人に仕えるのもいささか嫌気が差しておったところで
あるしのう」
「巴郡はどうなさるのですか!?」
「元より政に明るかったわけでもなし。李厳か劉巴辺りが後を継いでくれるならわしが治
めて居た頃よりも民にとっては良かろう。軍の事ならばお主に任せる。張翼と張巍を将軍
に引き上げておいたから副官として使うとよい」
「そこまで考えておられると言う事は、いきなりの思い付きではないのでしょうね」
「いずれは離れるつもりでいた。それが少しばかり早まった、と言うだけじゃな」
「……今生のお別れとなるのでしょうか?」
「さて、のう。全ては縁の巡るままよ」
 厳顔がフッと笑みを浮かべる。
「焔耶よ、お前もまた良い将になれる素養を持っておる。精進せぃ。そして──いつかは
一戦交えてみたいものよなぁ」
「はい!その時には必ずや私が桔梗様を討ってみせます!」
「ははははは!ならばその時を楽しみとしようか」
 武人同士の、それが餞別の言葉だった。
 翌日厳顔は渋る華雄を連れて軍を離れた。
 魏延はその背中が見えなくなるまで深く頭を下げていたのだった。
 
 洛陽を抜け出して早十日余が経っていた。
 当ても無く旅を続ける一刀たち三人は、何時しか涼州へと向かっていた。
 皆表情には疲労の色が濃い。
 人目を忍んで悪路や山道を歩き、洞窟や木陰で眠る過酷な旅だった。
 曹操の提案により、連合軍の中で董卓軍への追撃は行わないことが決定していたものの、
金品を狙った落ち武者狩りが無いとも限らない。
 ましてや美少女を二人も連れての旅である。
 野盗の類などに見つかれば、月達がどのような目に遭わされるか、考えたくもなかった。
「そろそろ安定に入るな」
 一刀がホッと安堵したように言った。
 涼州にしてはそこそこ大きな街である。
 中に入り込んでしまえば民に紛れて一息つくことも出来るだろう。
 そう考えた時の事だった。
 遠くから地鳴りのような音が聞こえてきた。
「な、何この音?」
 詠が不安そうに辺りを見回す。
「あっ、あれ!あれを見てください!」
 月がとある方角を指し示した。
 一刀と詠がそちらを注視する。
 砂煙が上がっている。
 騎馬隊だった。
 それは凄まじい速度で一刀たちに迫って来る。
「くそっ、追手か!?」
 逃げようにも三人とも体力の限界を迎えていた。
 いや、そうでなかったとしても、とても逃げ切れるものではない。
 そう思わせる速さだった。
「そこのお前たち、止まれ──っ!」
 互いの顔が見えるほどの距離まで迫った時、先頭を駆ける少女が声を発した。
 一刀と同じくらいの年頃に見える。
 髪を後ろで束ねた活発そうな美少女だった。
 特徴的な太い眉が、意志の強そうな印象を与えている。
 隣に控える少女も同様の太眉をしているが、身体は小柄で表情にあどけなさが残ってい
るように見えた。
 面差しもよく似ており、姉妹かそれに近しい血縁関係にあるのだろう。
 声を掛けた少女が、一刀たちの顔を見回す。
「やっぱり董卓だったか」
「なっ!?」
 あっさりと看破され、一刀が驚きの声を上げる。
 しかし月と詠の様子は違った。
「アンタに見つかるとはついてなかったわね」
「え?お前この子を知ってるのか?」
「私と詠ちゃんは何度か会った事がありますから。──直接言葉を交わすのは初めてでし
たね、馬超さん?」
「馬っ!?」
 今度の驚きは先ほどの比ではなかった。
「馬超……錦馬超か……」
「へぇ、あたしの事を知ってるなんて、錦馬超の名は天の国にも知れ渡ってんのか?」
「まあね」
 馬超と言えばこの時代において最強とも謳われた、蜀の五虎大将の一角を務める猛将中
の猛将である。
 少しでも三国志を齧った人間なら当然記憶している名前だった。
「それより君こそ俺の事を知ってるのか?」
「それこそ何言ってんだよ。董卓の下に天からの御遣いが現れたって話、ちょっと大陸の
情勢に耳を傾けてる人間なら知らない奴はいないぜ」
「思ったよりもパッとしないけどねー。顔はまあまあイケてると思うんだけど、何かひ弱
な感じー。姉様もそう思わない?」
「まあ腕が立つようには見えないよな」
 馬超が値踏みするような目で一刀を見ながら頷いた。
「ところで君は?姉様って事は馬超の妹?」
「ううん、違うよー。姉様の妹は休ちゃんと鉄っちゃん。たんぽぽは姉様の従妹なんだよ」
「従妹……?ああ、じゃあ馬岱か」
 記憶になる名前を引っ張り出す。
「ふぇ!?お兄さん、たんぽぽの事も知ってるの!?」
「まあそこそこメジャー……じゃなくて、有名な武将だからね」
「くふふっ、姉様、聞いた?聞いた?たんぽぽ有名なんだって!」
「調子に乗んな」
「それで私たちをどうするつもりなんですか?」
 月が口を挟んだ。
「捕らえて洛陽まで引き立てるんですか?」
「んー、まあ董卓軍の残党に対する追討はしないって事で決まったとは言え、とうの董卓
が生きてるとなったら話は別だろうしなぁ」
「クッ……」
 一刀が咄嗟に月を背中に庇う。
「おいおい、まさかあたしに勝とうってんじゃないよな?」
「ハハッ、まさかね。君があの錦馬超なら、俺には逆立ちしたって勝ち目は無いよ。君も
言ってただろ?俺が腕の立つようには見えないって」
「それでも董卓を庇うのか?」
 手にした槍を突きつけ馬超が問う。
「約束したからな。命に代えても守るって。何より俺にとって大切な女の子なんだ。大切
な人を守る時に、命を懸けるのは当然だろ?──なんて格好つけても、正直な話足はまだ
震えてるけどな」
 見ると確かに一刀の両足が小刻みに震えていた。
「……プッ、あはははは!気に入ったぜ、御遣い」
 馬超が楽しげに笑い出した。
「自分が弱い事をしっていながら他人を庇うなんて中々出来ることじゃない。あたしは嫌
いじゃないぜ、そういうの」
「名将と名高い錦馬超に褒められるとは光栄だけど、御遣いってのはやめてくれないか?
俺には北郷一刀って名前があるんだ。姓が北郷で名が一刀な。字や真名は持ってない」
「おっと、そりゃ悪かったな。ならあたしも正式に名乗るとしようか。姓は馬、名は超、
字は孟起。そして真名は翠だ」
「ええ〜っ!?姉様、真名まで預けちゃうの!?」
 横に居た馬岱が思わず大声を出した。
 しかし驚いたのは一刀たちも同様である。
「ちょ、ちょっとアンタ!ボク達を捕らえに来たんでしょ!?なんでいきなり敵に真名を
預けたりするのよ!?」
「ん?捕らえに来たって何の事だ?」
「いや、だって、さっきの話の流れを考えたら当然そう思うだろ?」
「あの、馬超さんが来たのは別の目的があったんですか?」
「ああ。今回のあたしの役目は董卓に我が母馬騰の言葉を伝えることさ」
「馬騰さんの、言葉?」
 戸惑う月の前で、馬超が正式な使者の礼を取った。
「我が涼州は前西涼太守董卓殿を客分として迎える用意がある。寄る辺無き身ならば、是
非我らが城にて身体を休められますようお招きいたす、ってな」
 最後は少し言葉を崩して馬超が笑う。
 見た目の通りに堅苦しい態度は苦手らしい、と一刀は思った。
「けど何だって馬騰さんは俺たちを庇護することにしたんだ?自分で言うのもなんだが、
俺たちは大陸中のお尋ね者みたいなもんだぞ?いれば君たちにだって迷惑が掛かるだろう」
「良いんだよ、そんな事は気にしなくて。義に篤いってのが涼州人の心意気なんだ。無実
の罪に陥れられてる奴を見て見ぬふりするなんて、それこそ涼州人の名が廃るってもんさ」
「……ありがとう、翠」
「おう!」
「うーん、姉様が真名を許したんならたんぽぽもそうしないわけにはいかないよねぇ。ま、
いっか。さっきお兄さんが言ったように、姓は馬、名は岱、真名は蒲公英だよ。よろしく
ね、お兄さんたち」
「こちらこそよろしくな、蒲公英」
「本当にありがとうございます、翠さん、蒲公英ちゃん。今の私には皆さんの厚意に報い
る術は無いけれど、このご恩は決して忘れません。あの、それで私の事もこれからは月と
真名で呼んでください」
「遠慮なくそうさせてもらうよ、月」
「賈駆文和。真名は詠よ。月を受け入れてくれた事には感謝するわ。これでも軍師の端く
れだからね、世話になってる間はボクの頭脳を好きに使ってくれて構わないわ」
「ああ、必要な時には力を借りるよ。正直ウチの連中は考えるのが苦手な奴ばっかりだか
ら、軍師の存在はありがたいんだ」
「姉様が一番考えるの苦手だもんね〜」
「うっさい、たんぽぽ!」
「きゃ〜、助けて〜!」
 翠が拳を振り上げると、蒲公英がきゃあきゃあと悲鳴を上げながら一刀の背中に隠れた。
 そんな二人の様子に自然と笑みが零れる。
 月もくすくすと笑っているし、詠は呆れた様子ながら穏やかな表情を浮かべていた。
(こんな気持ちになるのも久しぶりだな)
 かくして一刀たちは再び涼州の土を踏む事になったのだった。
 
 董卓討伐戦から数ヶ月が経過した。
 反董卓連合軍解散後の大陸には様々な動きが出ていた。
 まず献帝を擁した曹操が天下に名乗りを上げた。
 だが月たちのいなくなった洛陽は数々の問題を抱えていた。
 董卓統治時代に罷免・追放された役人や将校たちがこぞって月の非を唱えたのだ。
 反董卓派の筆頭である司徒の王允らが、識者として知られる蔡邑など親董卓派の人物を
誅殺した為、献帝による董卓は無実であるという声明は世に広まることなく黙殺された。
 一方で洛陽の民は自らの生活を脅かした連合諸侯に深い恨みを抱いており、反董卓政権
に対する怨嗟の声が街に満ち溢れていた。
 その中で治安維持や街の復興に尽力した曹操や劉備・孫策などの一部の英傑たちは比較
的都の民衆にも受け入れられていた。
 しかしそれらの高潔な人物が都の実権を握ると、再び不遇をかこつ事になりかねないと、
彼女たちに適当な官位を与えるよう帝に上奏し、洛陽から追い出そうと画策した。
 それにより劉備は洛陽で狼藉を働き罪に問われていた陶謙に代わって徐州の牧に就任、
孫策も袁術の客将という身分ながら呉郡の太守に任じられ独立への足掛かりを得た。
 曹操だけは洛陽に留まる事を主張したが、王允らは彼女を恐れ、唯一曹操に対抗できる
力を持った袁紹へと肩入れをする。
 その結果袁紹は大将軍の位へと上り詰め、都の全兵権を掌握する事となった。
 現状で袁紹と直接ぶつかり合うのは得策ではないと判断した曹操は、已む無く洛陽を出
て新たに得た領地・許昌へ向かう。
 だがその際、密かに抜け出させた献帝を連れており、許昌を都とする遷都を宣言した。
 ここに至って曹操と袁紹の対立は決定的なものとなる。
 天下へ号令を掛ける決定的な要素を奪われた形となった袁紹は、自らも一旦洛陽を引き
上げ本拠地南皮を中心とした地盤固めに入った。
 冀州・并州・青州を瞬く間に平定すると、唯一頑強な抵抗を続けていた公孫賛をも下し
河北四州を傘下に治めた。
 敗れた公孫賛は劉備の下に逃れたと言う。
 また曹操も兌州・豫州の各地を平定すると同時に旧黄巾党の兵力を吸収し、中原で一大
勢力を築いていた。
 両雄の対立が激化し、何時会戦となってもおかしくはないと思われた頃、とある事件が
起こった。
 諸侯の去った洛陽を正体不明の一団が急襲したと言うのだ。
 百名ほどの集団は凄まじい機動力で一気に洛陽の街へ雪崩れ込むと、宮中に入り王允ら
反董卓派の中心人物を皆殺しにしたと言う。
 その後はまるで疾風の様に都を去ったのだが、財宝の略奪や民衆への暴力などは一切行
われる事無く、その鮮やかな手並みに洛陽の民はむしろ喝采を贈ったと言う。
 更にそれと同一と思われる一団は幾つかの連合諸侯の街を襲い、河内太守王匡・山陽太
守袁遺・広陵太守張超などは首を奪られていた。
 不確定ながらその一団は深紅の呂旗を掲げていたと言う情報も入っている。
 そして月はそんな天下の趨勢をただ静かに見つめていた──
 
「またここに居たのか」
 城壁の上で東の空を見る月に、一刀が声を掛けた。
「どうしても、気になりますから」
 戦に敗れ、かつての領地西涼で馬騰の庇護の下にある月だったが、未だその志に曇りは
無かった。
「そうだよな。まだまだ戦乱は続くんだもんな」
 一刀が月の隣に並んで言った。
 同じく東の空を眺め、この大陸の行く末に思いを馳せる。
 彼の知る歴史では董卓は呂布に殺され、その呂布も曹操に討たれ、天下は魏・呉・蜀の
三国による争いへと収束していき、そして最後は魏を乗っ取った司馬氏により、晋として
統一されると言う物だった。
 しかし初めに死ぬ筈の董卓が今、こうして彼の隣で生きている。
 それは喜びであると共に、未知への不安を一刀に抱かせていた。
 自分の知っている歴史と大きく異なる流れを見せるこの世界に、行き着く時はどの様な
結末を迎えるのか。
 歴史を知るが故の惧れが一刀の心を包み込む。
「大丈夫」
 不意に月が呟いた。
「え?」
「大丈夫です」
 今度は一刀の方を向いてはっきりと口にした。
「終わりがどんな形であろうと、やるべき事を全部やり尽くしたと思えるのなら、その時
はきっと笑えていると思えるんです。私も、詠ちゃんも、一刀さんも。だから、大丈夫」
 今の一刀の心境を見透かしたかのような言葉だった。
「……うん、そうだよな。ごちゃごちゃ考え込んでる場合じゃないよな。俺たちがやらな
きゃならない事は沢山あるもんな。ありがとう、月」
 頬に朱の射した月が首をフルフルと横に振る。
「最初に私に力をくれたの、一刀さんですから」
「いや、俺は何もしてないよ。人々の為に起ち上がったのは全部月の勇気さ」
「そんな事無いです!一刀さんがいなかったら、私はきっと自分の無力を嘆くだけで立ち
止まったままだったと思う」
「月……」
 二人の視線が絡み合う。
 一刀は自然と月の身体を抱き寄せていた。
 そして二人の顔が近付き──
「月ー!何処にいるのー!?」
 月を呼ぶ詠の声が聞こえ、二人が慌てて離れる。
「あ、月!やっぱりここに居たのね──って、アンタも居たの!?」
 月の顔を見て綻んだ詠の表情が一変した。
「ちょっと、こんな所に二人っきりで月に変な事してないでしょうね!?」
 柳眉を逆立てながら、詠がつかつかと一刀に詰め寄る。
「し、してないって!」
「ふーん、どうだか」
 疑わしげな表情で詠がじろじろと一刀を睨む。
 一刀のこめかみを冷や汗が一筋伝った。
「ま、良いわ。──月も気をつけなきゃダメよ。こんなケダモノと二人っきりになんて、
狼の前に羊を差し出すようなモノなんだからね」
「詠ちゃん、言い過ぎだよ?」
 月が眉を顰めるが、詠は一向に意に介した様子も無い。
「月は甘過ぎるのよ!とにかく、こんな奴に気を許しちゃダメなんだからね!?」
「詠ちゃん!」
「まあまあ、二人ともその辺にして。それより詠、月に何か用があったんじゃないのか?」
「あーっ!そうだったわ!月、馬騰さんが呼んでいたのよ。もう、アンタのせいで忘れる
所だったじゃない!」
「俺のせいかよ……」
「当たり前でしょ!?まあ丁度良いわ。ほら、アンタも一緒に行くのよ」
 詠が二人の背中を押す。
「え、詠ちゃん!」
「ちょ、押すなって!」
「良いから早く行きなさいよ!」
「お前は行かないのかよ!?」
「ボクはまだ他に用事があるの!後で行くから、アンタたちは先に行ってなさいよ」
「わ、分かったから押すなっての!だから危ないって──!」
「へぅ〜!」
 一刀たちは詠に押し出されるようにして城壁を駆け下りたのだった。
 
「…………はぁ」
 人の居なくなった城壁の上で、詠は一人溜息を吐いていた。
「ボクってば、何やってんだろ……」
 詠が月を探して城壁に顔を出した時、一刀と月の会話が聞こえてきた。
 盗み聞きなど彼女の趣味ではなかったが、何故か出て行けなかった。
 月の言葉からはどれほど一刀の事を信頼し、大切に想っているかが伝わって来た。
 やがて二人の影が重なり合うのが見えた。
 その場面を目にした瞬間、居ても立っても居られなくなり、詠は思わず二人の前に飛び
だしていたのだ。
「ううん、あれは月をアイツの毒牙から守ろうとしての事だったのよ!」
 自分に言い聞かせるように独白する。
 しかしそれが真実でない事は、胸の奥の痛みが雄弁に物語っていた。
 月に手を出しているのが気に入らないだけなら、堂々と出て行って一刀を詰るなりすれ
ば良かった。
 だが彼女は二人の様子に気付かないふりをしてしまったのだ。
 じっとしては居られなかった。
 だがわざと邪魔をしたと思われて嫌われたくもなかった。
 月には勿論、一刀にも。
 それがどう言う感情なのか、聡い彼女に分からない訳は無かった。
「……ああもう、今はそんな事考えてる場合じゃないんだから!」
 振り切るように言うと二人の後を追って駆け出した。
 だが胸の疼きが消える事は無かった。
 
 五胡の兵が国境を侵し、付近の村を襲った。
 辺境の警備に就いている将からもたらされた報せに、西涼の城内はにわかに慌ただしさ
を見せていた。
 無論月が呼ばれたのもその件に関連しての事である。
「そんなわけで討伐軍を出す事になったから、お前たちにも協力して貰いたいんだ」
 翠が言った。
「いや、ちょっと待ってくれ。協力するのは良いんだが俺たちで役に立てるのか?俺たち
の中で直接兵を指揮できる人間なんて詠くらいだぞ?月が得意なのは政に関してで、実際
の指揮は詠が執ってたようなものだし、俺に至っては街の警備兵を纏めるのが精一杯だ。
その詠だって涼州の騎馬部隊について行ける様な馬術は持ち合わせていないだろうし」
「無論あなた達に討伐へ行って欲しいと言っているのではありません。討伐軍は翠が率い
ます。副将として蒲公英や連合の諸将も同行するのですが、その間の西涼の守備をあなた
達に頼みたいのです。本来なら私が直接指揮を執れば良かったのですが……」
 そう言う馬騰は一刀が初めて対面した時からずっと顔色が優れず、翠や蒲公英も心配そ
うな表情を浮かべていた。
「分かりました。この街は私の生まれ育った所でもあります。そう言う事なら微力を尽く
させて頂きます」
「お願いします。圧倒的な連合軍を相手に一歩も引かず洛陽の街を守ったと言うあなた達
の力、頼りにさせて貰いますよ」
「結局負けたんだけどね」
「それは内応者が出たせいと聞いています。それが無かったら敗れていたのは連合軍側の
方だったとも」
 詠が自嘲気味に言うも、馬騰は穏やかな微笑みでそれを否定した。
「それを予測できなかったのもボクの甘さよ。ま、でも良いわ。このまま負け軍師の名が
定着するのも嫌だし、ここはしっかり守ってみせるわよ」
「ま、そんなに気負わなくても、ここが攻められる可能性は低いから安心しなよ。五胡の
奴らはあたしがきっちり片付けて来るからさ、こっちに手を出す余裕なんて持たせないぜ」
「たんぽぽも一緒だから大丈夫だよ。姉様がポカやってもちゃんと面倒みてあげるから」
「お前は一言多いんだっつーの!」
「じゃれあっていないで早く出陣なさい。五胡の侵攻速度は速いのですよ」
「っと、そうだったな。しょうがない、行くぞたんぽぽ」
「はーい!」
 翠達を背中を見送ると、一刀は詠に向き直った。
「それじゃ俺達も準備をしようぜ。詠、指示を頼む」
「ならアンタは北門の守備を指揮して。敵が来るとしたら北か西なんだから見張りはしっ
かりと頼むわよ」
「分かった」
「西は月とボクが守るわ。東と南はそれぞれ馬休と馬鉄に守らせて、何かあった場合の遊
撃も兼ねて貰うわ」
 詠がてきぱきと下す指示に従い、皆が動き出す。
 久々に感じる戦の空気に、一刀は思わず月の顔を見た。
 視線に気付いたのか月も一刀を見て、小さく頷いた。
 その瞳に迷いは無い。
 一刀が微笑みながら頷き返す。
 そんな二人の様子を、複雑な想いを抱いて見つめる詠の姿があった。
 
「それにしても何で奴等いきなり攻めて来たんだ?」
「うーん、分かんないけど、あいつ等自分達の欲望に忠実だからねー。どうせ深い考えも
無しに気まぐれで攻めて来たんじゃない?」
「……まあ、それもありえない事じゃないんだけどなぁ」
 しかし翠はどこか腑に落ちないものを感じていた。
「何か気に掛かっているようだな?」
 長身の女性が声を掛けてきた。
 獣の皮で作った上衣を羽織っている、野生的な風貌の女だった。
「成宜は変だと思わないか?普段ならあいつ等、戦で負けた後は半年から一年くらい大人
しくしてるだろ?けど前にあたし達が討伐軍を出してからは、まだ一月ちょっとしか経っ
てないんだ。前回与えた損害を考えると、今まだ再侵攻出来るほどの態勢が整っていると
は思えないんだよな」
 涼州連合の一角を担う成宜が、翠の言葉に小さく首を傾げる。
「言われてみれば確かに解せんな。得体の知れない所のある奴等だが、負けると分かって
攻めてくるほど愚かでもないと思うが。分かった、私の軍にも注意してぶつかる様に指示
しておこう。それと別働隊の馬玩や楊秋達にも伝えておいた方が良いな」
「なら鳳徳の部隊を伝令に出そう。──お前はそのまま向こうの戦線に加わってくれ」
「ハッ」
 言われて一人の将が駆けて行く。
 一千騎程が後に付き従った。
「ま、たんぽぽの言うとおり、ただの気まぐれってんなら問題無いんだけどな」
「でも姉様っては考えるのは苦手の癖に、戦いの時の勘だけは鋭いからねー。ホントに何
か起こったりして」
「だけって何だよ、だけって」
「まあ馬岱の言うとおりではあるがな。それより──」
「ああ、ようやくお出ましのようだな」
 翠が前方を見据える。
 地平線の彼方で微かに土煙が上がっているのが見えた。
「どうするの、姉様?」
「決まってる。先手必勝だ。突撃────っ!!」
 翠が雄叫びと共に馬腹を蹴った。
 髪を靡かせて疾駆する彼女の後を、涼州の猛者達が鬨の声を上げて続く。
 一糸乱れぬその姿はまさに雷光の如く、瞬く間に五胡の軍に迫り、一気に突き刺さった。
 馳せ違う瞬間に四人を突き倒す。
 その勢いに押されて敵が二つに割れた。
 すぐに方向転換をして一方の軍に食い込む。
 更に敵が割れた。
 それを繰り返して次々と敵を分断していく。
「流石は錦馬超。何時見ても惚れ惚れする槍捌きだな」
 成宜が感嘆の声を上げた。
 彼女や蒲公英も相当数の敵を打ち倒してはいるのだが、翠のそれは別格だった。
 一度槍を突き出せば数人を打ち貫き、一薙ぎするだけで十に余る首が飛ぶ。
 神威将軍と恐れられる所以であった。
「おらおらおらおら────っ!!」
 突き、叩き、斬り、薙ぎ、振り払う。
 銀光を走らせ次々敵を屠る翠の姿に、精強な五胡兵が浮き足立った。
「よし、今だ!一気に打ち破れ!」
『おおおおおお──────っ!!』
 翠の下知を受け、その勇猛さで大陸中に名を轟かす涼州騎馬兵が一斉に押し寄せた。
 既に陣形を崩されていた五胡兵は為す術も無く打ち倒されていく。
 やがて敵が徐々に退いて行くのが分かった。
「姉様!あいつ等退却を始めたよ!」
「勝手に攻めて来ておいて、このまま逃がすかよっ!追撃を掛けるぞ!」
「待て、馬超!」
「何だよ!?」
「奇妙だと思わんか?前の戦いから間を置かずに攻めてきた割には余りに無策。こうも容
易く打ち破れるような相手では無かった筈だ」
「何か備えがあるって事か?」
「あり得ないとは言えん」
「でも本当に逃げただけだったら、絶好の機会を失うことになっちゃうよ?」
「うーん、成宜の言う事は分かるけど、たんぽぽの言う事も一理あるなぁ……」
「なら他の者を追撃に出そう。但し敵の様子を見る事を優先し、おかしな所があればすぐ
に引き返す、ただの退却だと判断したら追撃を掛ける。これでどうだ?」
 暫し逡巡していた翠が頷いた。
「よし、それで行こう。──李勘、程銀、侯選。お前達はそれぞれ二千を率いて敵を追っ
てくれ。くれぐれも敵の動きを見落とすな。変だと思ったらすぐに戻って来い」
『ハッ!』
 三将がすぐに敵兵の退いた方角へ駆け出した。
「ならあたし等は今の内に兵の損害を調べよう」
 言って翠が辺りを見渡した。
 四刻にも及んだ激戦の後、戦場となった荒野には五胡兵の屍が累々と横たわっていた。
 一方涼州軍の損害は百にも満たない。
 圧勝と言える戦果であったのだが──
「あいつ等遅いな?」
 三将が追撃に出て二刻が経とうとしていた。
 逃げた敵の規模を考えれば半分の時間で戻って来ていてもおかしくは無い。
「何かあったか?」
「あ、姉様!あれ見て!」
 蒲公英の指差す方に目を向けると、一人の兵士が必死の形相で駆けて来るのが見えた。
 遠目にもかなりの傷を負って見える。
「あれは李勘の部下か!?」
 鎧の形を見て成宜が言った。
「注進──っ!侯選将軍謀反!侯選将軍謀反────っ!!」
『なっ!』
 兵士はそれだけ叫ぶと馬から落ち、それきり動かなくなった。
「くそっ、侯選が謀反ってどう言う事だ!?」
 涼州連合は他の諸侯の様に一人の英雄が他の者を家臣として召抱えているわけではない。
 幾つもの小豪族が寄り集まり、外敵に対しての同盟を組んでいるに過ぎなかった。
 その為連合内部に亀裂が走れば容易く瓦解する恐れは確かにあった。
 しかしこれまでは鉄壁とも言える団結力を誇っていたのだ。
 連合内部で裏切りが出るなど、翠の想定範囲からは完全に外れていた。
「姉様!あれ!」
「今度は何だよ!?」
「敵だよ!ちょっと、何あの数!?」
 蒲公英の言うとおり、夥しい数の敵が姿を現していた。
 その数およそ三万。
 ざっと涼州軍の三倍以上はある。
 そして五胡の旗に混じって『侯』の旗も立っていた。
「本当に侯選が裏切ったのか!」
「あの様子では李勘と程銀は生きてはおるまいな」
「畜生っ!許さないぞ!裏切り者はあたしが討つ!」
「待て馬超!」
 今にも敵に突っ込もうとする翠を、成宜が押し留める。
「頭を冷やせ。侯選が一人で寝返るとは思えん。背後に付く者がいると考えるべきだ」
「……韓遂!」
「姉様、別働隊の人達って殆ど韓遂寄りじゃなかった!?」
「狙いは母様ってことか!」
「早く戻らないと!」
「けどここで戻ったら奴等に追撃を……!」
 五胡軍はかなり近くまで迫ってきていた。
「お前達は行け、馬超。私が殿を務める」
「け、けど……」
「今馬騰殿が討たれたら涼州は終わりだ。韓遂に連合を纏める器量は無い」
「…………」
「姉様!」
「……借りておくぞ、玲(れい)。必ず返すから死ぬなよ」
 翠が成宜を真名で呼んだ。
「案ずるな、翠。こんな所では死なん」
 成宜の言葉に頷くと、翠は馬首を返して駆け出した。
 蒲公英や兵達が後に続く。
 成宜はその後姿を見送りながら小さく呟いた。
「やれやれ。生まれて初めて嘘を吐いてしまったな」

「まったく、どう言う事なのよ!?」
 西門に押し寄せる敵の攻撃を防ぎながら、詠は悪態を吐いた。
 翠達が出陣したのを見越したかのように、五胡の兵が西涼へ攻めて来たのだ。
「何で敵がここまで来たのを察知できなかったのよ!」
 しかし詠にもその理由は分かっていた。
 五胡軍の中に立つ『楊』『張』『梁』の旗と高々と掲げられた二つの首。
 連合諸侯の一人馬玩と馬騰配下の将鳳徳だった。
 特に鳳徳は翠に次ぐ武勇を誇ると言われた程の将である。
 普通に戦って易々討たれるとは思えなかった。
 味方の裏切りに不意を突かれたと言うのは想像に難くない。
「そんなに権力が欲しいかってのよ!──そこ、もっと次々矢を射って!アンタ達は場内
から油を持って来て!沸かして下の奴等にぶっ掛けてやるのよ!」
「皆さん!翠さん達が戻って来るまで頑張って下さい!」
 月も先頭に立って慣れない采配を取っていた。
 拙い指揮ではあるが、可憐な少女が必死に戦う様子は城兵達に力を与えた。
「任せて下さい!」
「あんな奴等、俺達だけで追い返して見せますって!」
「お前等、董卓様には五胡兵なんか指一本触らせるなよ!」
『おおおっ!!』
 戦況は不利ながら、西涼兵の士気は非常に高い。
(士気が上がっている今の内に、翠達には戻って来て欲しいところだけど……)
 それが儚い願望に過ぎないのは、詠自身よく分かっていた。
 北門から伝令が来た。
「北郷様より報告です!北東の方角に所属不明の部隊が現れたとの事です!」
「翠達じゃないの!?」
「旗は掲げていないとの事ですが、馬超将軍では無いらしいと」
「数は?」
「およそ一千」
「まさかここで敵の援軍?でも今更一千ってのは解せないわね……。ねぇ、一刀に伝えて
頂戴。北門の指揮は誰かに任せて、アンタもこっちに来るようにって」
「ハッ!」
 伝令の兵が再び駆け出した。
「……今度こそ守りきって見せるんだから……」
 衛の呟きは戦の喧騒に紛れて消えた。

 西涼が五胡の軍に襲われる数刻前──
「ここがお前の元居た地なのか?」
「まだ数里は先だがな」
「聞いてはいたが、本当に辺境じゃな」
「益州も辺境ではないのか?」
「だがこれほど荒れてはおらん。土地肥沃にして人も多く、豊かさでは中原にも劣らんぞ」
 華雄の言葉に、桔梗が心外だとでも言うように反論した。
「涼州は長年五胡との戦が続いていたからな。特に西羌の奴等は不倶戴天の敵だ」
「ふむ、戦が続けば男は兵に取られる。働き手が居なければ田畑も荒れる、か」
「もっとも気候や土の質も耕作に向かん土地柄のらしいがな」
「ほぅ、その様な政に関する事にも目を向けていたとは意外じゃの」
「私ではない。軍師の賈駆と言う奴がよくそう言っていたのを覚えていただけだ。あの頃
の私はただの猪武者だったからな」
 華雄が淡々と語る。
 以前はそこに自嘲的な響きが混じっていたものだが、最近ではそれも見られなくなった。
 この数ヶ月、華雄は桔梗と共に傭兵の真似事をしながら大陸各地を旅していた。
 これまで武勇一辺倒だった戦い方を改め、兵法を学んだ。
 それは桔梗の経験則に基づいたものだったり、旅の知者を護衛する任務中に教えて貰っ
たものだったりしていた。
 そうして各地で武功を上げるにつれ、二人きりの旅には彼女達を慕って従う者達が増え、
今や千に届く軍勢となり、その強さから鬼兵隊の二つ名で畏怖されるまでになっていた。
「しかし今更西涼に行ったとして、お前の主は居るまい?」
「そんな事は分かっている。今の西涼太守である馬騰も反董卓連合に加わっていた諸侯の
一人だしな。私とて馬騰に会うのは御免だが、街の富豪などに話を付ければ護衛等の仕事
には幾らでもあり付ける。兵を養うにも先立つ物は必要だろう」
 西涼ではその名を馳せた猛将だけに、今でも街では顔が立つと自負していた。
「フッ、お主が兵の事まで考えられるようになるとはの。とても死に場所を探していた女
には見えんぞ」
「誰かのお節介のお蔭でな。──ん?」
「どうした?」
「微かな地鳴りが……。こっちだ!」
 華雄が馬を駆った。
「お、おい、待て!待てと言うに!」
 突然駆け出した華雄を、桔梗が慌てて追った。
 暫く走った所でようやく華雄が馬を止めた。
「まったく、一体何があったと言うのだ」
 少し遅れて桔梗が並ぶ。
「見ろ」
 華雄が指差した。
 見るとかなりの規模を誇る軍勢が進軍するのが遠目に見えた。
「おお、これはまた大軍じゃの。じゃが何とも面妖な……」
「五胡の兵だ」
「なるほど、あやつ等がか。確かに不気味な奴等よな」
「だがおかしい」
「何がじゃ?」
「あれを見ろ」
「ん?旗か?ふむ、獣の皮で作ったようじゃな。粗野だが敵への威圧感はある」
「それは五胡の旗だ。だがあの旗は違う。あれは漢の様式だ」
 言われて桔梗が目を凝らすと、確かに豪奢な織物で拵えられた旗が数本掲げられていた。
 それらの旗には『張』や『楊』等、漢の文字が記されていた。
「あれは涼州連合の張横や楊秋、梁興の旗だ」
「どう言う事じゃ?涼州は五胡と手を結んだと言う事か?」
「信じられん。だが奴等の向かっているのは西涼の方角だ。もしかしたら馬騰を追い落と
そうと五胡と組んだ輩が居るのかも知れないな」
「どうする?」
「涼州連合の内部抗争など興味は無いが、これまで五胡の奴等が涼州の民にしてきた事を
考えれば、奴等と組むような輩は見過ごせんな」
「だが敵は相当な数じゃぞ?」
 既に桔梗が五胡を敵と呼んでいる事に苦笑しながら華雄が答えた。
「別に我等だけで敵を追い払うわけではない。適当に背後を突いて牽制してやれば、後は
馬騰の兵が倒すだろう。噂に名高い錦馬超も居ることだしな」
「ふむ。錦馬超の名は益州にも轟いておる。一見してみたい相手ではあるな」
「ならば、行くか」
 そして部隊に戻った二人は兵達に簡単な食事を摂らせると、西涼に向けて出発した。
 華雄達鬼兵隊が西涼を望む丘に到着した時、既に西涼の城は五胡の軍勢に囲まれていた。
 兵力差は圧倒的に見えるが、指揮している者が優秀なのだろう、守備側は一歩も退かず
五胡兵の猛攻を退けている。
「ほう、中々優れた将が居るものだな」
 戦況を見て、桔梗がそんな感想を漏らした。
 しかし華雄にその言葉は耳に入っていなかった。
 華雄の瞳は城壁の唯一点に注がれていたのだ。
「ま、まさか……そんな、本当に……?」
 華雄の双眸から涙が溢れ出る。
「か、華雄!?どうしたのじゃ、一体?」
 止め処ない涙を拭う事もせず、華雄が桔梗に顔を向けた。
「厳顔、すまぬが命をくれ」
「何?」
 答えず今度は兵達に向き直る。
「お前達も今から私に命を預けてくれ。そして目の前の敵を討ち果たす為、死兵となって
くれ!」
 それは命令と言うより懇願に近かった。
「隊長!俺達は元々隊長に憧れて隊に入ったんだ。この命、隊長の好きに使って下さい!」
「おうよ!お頭、アンタが戦えってんなら、俺達は何処までだって戦うぜ!」
 他の兵もそうだそうだと、異口同音に叫ぶ。
「厳顔、お前も良いか?」
「フン、ヒヨッコ共がここまで言っておるのに、この老骨が身を惜しんでどうする」
 そう言って桔梗が呵々と笑い声を上げた。
「すまん。──ならば往くぞ、我が精兵達よ!漢の地を侵し、民の生活を脅かす夷荻の輩
共を討ち果たし、二度とこの地に足を踏み入れる事が出来なくなるほどの恐怖を植え付け
てやれ!全軍、突撃ぃ────っ!!」

 謎の集団がこちらへ向かって吶喊してくるのは一刀の方からも見えていた。
 雄叫びを上げて迫る姿は敵の援軍には見えない。
 寧ろ五胡の軍に突撃を仕掛けているようにしか思えなかった。
「援軍なのか?けど一体何処の誰……っ!?」
 先頭を駆ける将の姿に、一刀が両目を見開いていく。
「おい、嘘だろ……?月、詠、見ろよ、あれ」
「ちょっと何なのよ!?こっちはそれどころじゃないっての!」
「良いから見ろって!」
「ちょ、ちょっと!?」
「きゃあっ!?」
 二人の肩を抱き寄せて正面を指差す。
「ったく、一体何……が……」
 詠の言葉が途切れる。
「ああ……良かった……」
 月は既に瞳を潤ませていた。
「あ、アイツ……生きてたんならもっと早く知らせろっての!」
 悪態を吐く詠だが、その声には喜びが滲み出ていた。
「一刀さん、良かった……ホン……トに……良かっ……」
 胸にすがってしゃくり上げる月の頭を撫でながら、一刀は自分も目頭が熱くなるのを感
じていた。
 一瞬今が戦いの最中である事も忘れ、一刀は思い切り叫んでいた。
 懐かしい彼女の名を──
「華雄──────っ!!」

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