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496 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2013/05/13(月) 22:57:09.12 ID:PRdSijNHT
どうも、こんばんは。清涼剤です
無じる真√N:83話をお送りいたします

場面の繋ぎはやはり難しいですね
流れを細かく考えようとするとこんがらがってしまいますw

(警告)
・アブノーマルな描写が入ることもあります。
・18歳以上向けのシーンも時折あります。
・資料を元に独自な考えで書いています。
・話の流れも同様で資料を元にアレンジを加えています。

以上の点に思うところがある方は読む際にはよくご注意ください

メールアドレス、URL欄にてメールフォームなどご用意してあります
ご意見、ご感想のある方は、お好きな媒体から、お気軽にどうぞ

url:ttp://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0761



 「無じる真√N83」




 闇を駆け抜け、風を切りながら北郷一刀は逃げに逃げた。
 馬の息が上がっている。どうやら速度を上げすぎているということなのかもしれない。
 遮二無二走らせるしかない現状、多少の無茶でも馬には我慢してもらうしかないと一刀はとにかく馬の脚を速める。
 おんぶしているかのようにぴったりと背後に居続ける怒声があまりにも大きくて、距離が離れているのか、縮んでいるのかがわからない。
「…………」
 まとわりつく汗を拭う一刀の口から言葉は出ない。頭の中がぐんにゃりと歪んでしまったような混乱と困惑が彼の中に広がっている。
 背後を守る趙雲が何かを言っているのが耳に入ってはくるが、頭が理解してくれない。
 こうやって『元々の顔見知り』と敵対する立場に置かれてばかり。その度に乗り越えてきたが、今度は二人、いや二勢力が相手となる。
 今までにも彼女たちと同様に記憶の無い少女に関わり、そのために奔走し、幾度もの経験を積んできた一刀だが、流石にこればかりはどうにかできる自信がない。
「主! いつまでも呆けている場合ではありませぬぞ!」
 いつの間にか、趙雲が馬同士を真横にぴったりとくっつけて、一刀の耳元で叫ぶ。
 一瞬、驚くものの、一刀はため息を混じりに彼女を一瞥する。
「……わかってるよ」
「お気持ちは察しますが、今は気をしっかり持ってくだされ」
「ごめん」
 一刀は、趙雲から視線をそらすと後方へと流れていく大地に眼をやる。
 趙雲の口元からため息が零れる音が聞こえた。
「主、あれはなんでしょう?」
「え?」
 趙雲に促されて、一刀は彼女の方に顔を向ける。
 その瞬間、彼の唇に暖かくも柔らかい感触と甘い香りが鼻腔を刺激する。
 収縮していた意識が徐々に広がっていき、一刀の視界が開けていく。そして、趙雲の顔が彼の視界を覆いつくしてしまう程に近いことに今になって気がついた。
 呆然とする一刀の口から唇を離すと、趙雲は笑みを浮かべる。
「ふう……落ち着きましたかな?」
「え? 星? これって。いや、まあ正気にはなったけどさ」
 自分の唇に指を這わせながら一刀は眼を瞬かせる。そんな彼には眼を向けず、背後を気にしながら趙雲は言う。
「主よ。何をお考えかは流石に理解が及びます故、落ち込むなと言うつもりはありませぬ……しかし」
 趙雲は、背後への警戒を他の兵がし始めるのを見て、一刀へと顔を向ける。
「お一人で抱え込まないでくだされ……何のため、我らが共にあるとお思いですか」
「……あ」
 一刀は息を呑む。趙雲の顔から眼をそらせない。
 彼女のどこまでも真っ直ぐな瞳は、一刀をじっと捉えて離さない。
 よく見れば趙雲の艶やかで柔らかそうな唇が僅かに震えている。彼女は一刀が気圧されているのも無視して、その口を動かす。
「我らが、私がどれほど主をお慕いしているか、主と共に歩みたいと思っているか……わかりませぬか?」
「そうだな。すまない……そうだよな。今の俺は一人じゃないんだよな」
「そうですとも。一緒に背負う覚悟はできております。だから……我らを置いていかないでくだされ、主」
「ごめんな。悪かった……反省するよ、だから……そんな泣きそうな顔をしないでくれ」
 一刀はそう言うと、多少線が歪んだ切れ長な趙雲の瞳に手を持って行き、端に浮かぶ雫を指でそっと拭い取った。
 普段はどこか達観していて、さばさばしている趙雲。しかし、彼女は人一倍義に関して強く大事にすることを彼は思い出す。
 すっかり忘れていた。しかし、思い出すことができたあたり本当に思考は落ち着いているようだと確信し、一刀は肩の力を抜く。
「ホント……こっちに来てから何度目だろうな。一人で考え込んだりするのは」
「さあ。数え切れぬほどでしょうが、主がご自慢の宝刀で虜にしてきた者たちとどちらが多いかはわかりませんな」
 先ほどまでの悲壮な顔はどこへやら、趙雲はいつもの悪戯な笑みを浮かべる。
 いつもの通りに戻った彼女に苦笑しながらも、一刀は自分の心を初期状態に戻し、正常な思考を始めながら兵たちに声をかける。
「それじゃあ、行こう。ここはなんとしても切り抜けよう」
「ええ、必ずや」
 一刀と趙雲はうなずき合うと、馬を疾駆させていく。
 何十頭もの馬が竹林の間を抜け、本陣へ向かってひた走る。
 一匹の獣のように統率の取れた集団は更に大きな獣である孫呉の兵たちの塊から逃げ続ける。
 それから行商なら休みを何度か入れるであろう距離を移動した後も、まだ一刀たちは竹林の中を馬を走らせていた。
 しかし、逃げいている内に彼らの進む竹林と左右の竹林との高低差が開いている。今、左右の竹林の位置は兵卒の身長を優に超え、その二、三倍はあるであろう高さにある。
 つまり、一刀たちはちょっとした谷間を進んでいた。
「あともう少しだ、みんな頑張れ!」
 ここのところの連戦からの現在。期待や希望が泡と消えたこと。そういった一連の積み重ねで、心身ともに疲労が蓄積しているであろう兵たちに一刀は必死に声をかける。
 諦めるな。
 絶対に大丈夫だ。
 元気づけるように、彼は何度も何度も叫び続ける。
 いや、彼だけではない兵たちも互いに、そして一刀の大事な彼女も。
「死にたくなければ、馬を休ませるな! ここを死地と思え!」
「おうっ!」
 全員が生き延びようと心を一つにして、まさに一心同体とばかりに駆け続ける。
 だが、その間にも背後の蹄の音は迫ってきているような気がして、一刀は内心では岩でも背負っているような重圧を受けていた。
 緊迫感やらなんやらで心臓が破けそうになっているからか、研ぎ澄まされている感覚が竹林の周囲から何かの気配を一瞬だけだが感じ取った。
「……?」
「主、気になされる必要はないでしょう……恐らくは大丈夫」
 趙雲は、左右を一往復するように瞳を動かすと、また前方へと視線を戻した。
 一刀も気配のことは引っかかるものの、前進することに集中していくにつれて意識は薄まっていった。

 †

 自分にとって、そして主、国にとっての仇敵である公孫賛軍、その中でも首謀者と言われる北郷一刀。
 その少年の後を追って、甘寧は竹林の中を疾走していた。
 彼女の後に続くのは周泰。そして、更に弓弩兵を率いる黄蓋が続く形で追撃という形になっている。
 敵が竹林の中に存在する谷間を進むため、彼女たちも一列になるしかなかった。
 甘寧はその列において、人一倍殺気を胸に滾らせている。彼女の主、孫権の悲嘆を他の誰よりもよく知っているからだった。
 孫権の護衛を務めているからこそ、その近くにおり、そしてその涙を唯一目撃することができた甘寧。
 彼女は、その激情を表面には一切見せることなく馬の速度を更に上げていく。
「……殺す」
 日も登り始め、空にも明るさが広がり始めている中を駆けるうちに甘寧は目標にあと少しというところまで近づいていた。
 他の誰にもわからないだろう、強く熱い執念が彼女の体をここまで動かしていることなど。
「蓮華様。必ずや……あの男の首を」
 眼を血走らせている甘寧の後方にいるはずの周泰の声が遠くからする。
「思春殿ー! お待ちくださいー」
「思春! 突出しすぎじゃ! 落ち着け、馬鹿者!」
 黄蓋も叱責の声を上げている。
 どうやら速度を上げすぎて、後続が甘寧についてこれなくなっているようだ。
 しかたなく、彼女は速度を他の者たちとあわせようとする。
 その時だった、左右に広がる竹林の葉がさざ波のように揺れ、そこから矢の雨が降り注いだのは。
「くっ、なんだと……!」
「……今です。このまま追っ手の兵力を霧散させます。更に矢を。同時に火矢も放ってください」
 公孫賛軍の伏兵が潜んでいたのだろう。それらを率いている指揮官の声も聞こえてくる。
 それに気付いた時には甘寧隊と後続の間に火矢が放たれ、周泰や黄蓋との間に炎の壁ができあがってしまっていた。
 甘寧は後退ができず、黄蓋、周泰は追走ができない状況。分断を狙われたのは明らかだった。それを目にして甘寧は後方の二人へと叫ぶ。
「私はやつを追います。黄蓋殿と明命は蓮華様のもとへ戻り、態勢を立て直すよう、お伝えください」
「そんな! 思春殿、ここで孤立してはいけません」
 周泰が悲鳴にも似た声をあげている。炎でよく見えないが、彼女が哀しげな表情をしているのが甘寧には容易に想像できる。
 甘寧は、うろたえているであろう周泰に呼びかける。
「私は問題ない、それより火の手が回り始めている! ここは退け、明命!」
「しかし!」
 聞き分けの悪い周泰に甘寧が何かを言おうとするよりも先に、黄蓋が説き伏せるように水面のように乱れのない静かな声色で周泰に語りかける。
「明命よ。今は仕方あるまい……ここで、全滅しては後々に響く。ここは大人しく退くのじゃ」
「申し訳ない、黄蓋殿。明命をよろしく頼みます」
「ああ、必ずや戻ってくるんじゃぞ。蓮華様を悲しませるでない」
 黄蓋の言葉に甘寧は何も返さず、すぐに前を向いて北郷一刀の後を追おうと動き出す。
 火の手が後方だけでなく、左右からも迫り始めているため、非常に体が熱く、息苦しい。全身から止めどなく汗が噴き出てくる。それでも、退路のない今、彼女は怨敵への追走を断念しない。
「明命! 私の分も蓮華様の護衛の任、しかと果たしてみせるのだぞ!」
「思春殿ーっ!」

 †

 一方冀州では、劣勢だった公孫賛軍に盛り返され、曹操軍が本陣へと撤退していた。
 彼女たちが足下をすくわれた原因は予想外にも姿を現した敵軍の増援だった。
 それは安陽の公孫賛軍拠点へと、李典、于禁、楽進、許緒が一斉攻撃を仕掛けようと画策したときに出てきた別の部隊。
 かつて大陸を震撼させた黄巾党の生き残りである。彼らは一斉攻撃実行前夜に工作をしていたらしく、それにより曹操軍は苦しめられた。
 更に西涼から姿を消した馬岱が唐突にその勇姿を見せ、李典は動きを封じられてしまった。
 その一方で南門側でも、許緒が文醜の足止めをしている間に城壁へ取り付き、敵拠点を制圧しようとしていた楽進隊を張遼が後ろから攻撃。
 そのために許緒と楽進の方も、いや全隊が作戦失敗に終わってしまった。
 そうして、黄巾党と張遼を加えたことで勢いと堅固さを増した公孫賛軍により、曹操軍は一度本陣まで引き返すはめとなってしまったのである。
 それからの連戦は一進一退。
 曹操軍が優位に立てば公孫賛軍が盛り返し、公孫賛軍が勢いづけば曹操軍が逆転するの繰り返し。 
 そんなことが続いていくうちに時は流れ、曹操軍が何度目かの本陣への帰還を果たした日のこと。
 夏侯惇たちは本営にて軍議をすぐに始めたのだが表情は優れない。
「今回もまた流れてしまったな。くそ……しぶいと奴らだ」
 苦々しげに吐き捨てる夏侯惇とは対極な間の抜けた寝息が場に響く。
「くー」
「このクソ忙しい中で……よう寝れるなぁ。ある意味、さすがやで」
 李典は、深々と息を吐き出しながら、先ほどから鼻提灯を膨らませている少女、程cを見る。
 全員が李典に倣うように程cに視線を集中させ、重い沈黙が場に広がり始めたところで楽進が慌てて程cの肩を揺する。
「ふ、風様。起きてください! 軍議中ですよ」
「はっ……いえいえ、寝てなんていませんよー」
 程cは眼をぱちくりと瞬かせながら穏やかな声を出す。もっとも今も瞼は半分降りたままだが。
 夏侯惇は腰に手を当て前傾姿勢になりつつ、程cにむっとした顔を向ける。
「これ、風。今いる中で一番知略において頼りになるのはお前なのだ。もう少し、シャキっとせんか」
「あいあい。しゃっきりしますよー」
 少し程cの目つきがきりっと凜々しくなった気もするが、夏侯惇にはあまり明確な違いはわからない。
「でも、寝ちゃうのもわかるかもー。ここのところ戦続きで睡眠もちゃんと取れてないし。おかげで肌のお手入れが大変なのー」
 眉尻の下がった顔をしている于禁が自分の両頬を指先でぷにぷにと押している。
 夏侯惇はため息をはくと、柳眉を逆立てる。
「肌などどうでもよいだろう? 仮に気にするにしても戦の最中まで気にするやつがおるか!」
「女の子にとっては命と同じくらい大事なのー。春蘭さまは−、そのあたりアレだからわからないだけだと思うの……」
 于禁が眼をそらしながら口先を尖らせる。
 夏侯惇は打って変わって戸惑いを顔に出して、于禁を問い詰めようとする。
「な、なんだ……その気になる言い方は!」
「はいはい。春蘭さまも沙和ちゃんもそこまでですよー。今は軍議中ですのでー」
 二人のやりとりを遮るように程cの間延びした声が本営内を泳ぐ。
 夏侯惇は引き下がるが、眉頭は上がったままである。
「……むぅ。しかしだな、もしかしたらアレの内容次第では、華琳さまに愛想を尽かされてしまうかもしれんではないか」
「こんな大事な局面で戦のこと以外に気を取られている春蘭さまの方が華琳さまからしたらがっかりかとー」
 糸目になりながらの程cの言葉がぐさりと夏侯惇に刺さる。
「そ、そうか……わかった。少し黙るとしよう」
「はいはい。それでは再開しましょー。ようやくこうして話せるのですからねー」
 程cの言葉に全員が首を縦に振って頷く。
(確かに……少々、落ち着いた時間は取れていなかったな)
 于禁ではないが今回の戦が想定よりも長期戦になっていることは夏侯惇も感じていた。
 そして、戦場を中心として漂っている空気が変化しているのも彼女は肌で察知している。
 いつもなら浴場にて体を清潔にしたときのような清々しさすらあった。しかし、今は違う。戦場で汗をかいたせいもあってか、ナメクジでも這っているような不快感が全身に纏わり付いている。
 どうにか少しでも不快感を和らげようと夏侯惇が腕をさすっていると、程cがゆっくりと口を開き話し始める。
「敵さんはこちらの兵站線を切り離したと思っていますから、きっと総力を挙げて速攻を仕掛けてくるはずなのですよー」
「なるほど」
 一同が頷く。軍議のために集まっているにも関わらず、皆少しばかり覇気がない。やはり疲れているのだろう。
 それに気づいているのかいないのか察しにくい程にのんびりとした、平時と変わらぬ顔で程cはうなずき返し、言葉を流暢に連ねていく。
「ですから、こちらも隊列を揃え、兵卒やみなさんの体調も万全にしましてですねー。あとは万事ぬかりなく当たるといいのではないかと風は思うのですよ。相手からすれば、こちらは弱っているはず……つまり狙い目ですからー」
「相手を誘い、逆にこちらが仕留めるというわけですね」
 楽進が眼を細めて頷く。
 彼女の左隣にいる李典も「きひひ」と笑みを浮かべている。
「こらええなぁ。ウチは罠にはめられたし、いい仕返しになるで」
「真桜ちゃん、根に持ってるのー」
 あくどい笑みを浮かべている李典や、それを見て両ほほに手を添えて眼を丸くしている于禁がきゃっきゃと盛り上がる。
 そんな二人を見て、楽進が「軍議中だぞ」と注意する。
 夏侯惇は、三羽烏のその様子にやれやれと肩をすくめながら程cを見る。
「腹ごしらえをして、後はいつものように……いや、全力で当たればいいのだな?」
「その通りなのですよ。あ、そうそう、それと一応竈の数は減らしておいてください」
「えーっ!? それじゃあ、皆に配当する量が少なくなっちゃうのー」
 程cの説明に于禁が困った顔をする。
 だが、その隣にいた楽進は「ああ」とこぼすと、納得のいった表情で手を打つ。
「なるほど。敵に誤認させるためですね」
「その通りですよ−。配当する分に上乗せできるよう、事前に長持ちする糧食の準備を進めていたので問題もありません」
「ほほう。よくやったぞ、風」
 程cのしたたかな動きに夏侯惇は感心する素振りを見せる。
 誰もが合点がいったという反応をしている中、許緒だけは浮かない顔をしている。
「ねえねえ、あのさ。準備してる量って本当に足りてる? ボク、いつもより我慢しようか?」
「ふふふ。季衣ちゃんはいいこですね。大丈夫ですよ、ちゃんと季衣ちゃんのお腹がふくれても余裕があるくらいには用意してありますから」
 程cは、いつもの間延びした顔をさらに綻ばせて許緒に笑いかける。
 すると、許緒は普段の太陽のように明るい笑顔を取り戻し、両手を挙げて飛び跳ねる。
「やったー。じゃあ、ボクいっぱいたべて、いーっぱい敵を蹴散らしちゃうよー」
「ふっ、期待しているぞ。季衣。だが、一番活躍するのはこの夏侯元譲だがな」
 許緒の頭をなでながら、夏侯惇は快活な様子で盛大に笑う。
「それでは、次の一戦こそが雌雄を決するに値するということを各自心に刻んで挑みましょー」
 程cの間延びした声に全員が勇ましく返事をする。士気が向上したところで、その日の軍議は幕を閉じた。

 †

 曹操軍が軍議を行っている一方で、拠点に戻った公孫賛軍もまた軍議の間にて漸く落ち着いて顔を揃えることができた。
 張遼たちの参加によって戦場は一変し、休む間もほとんどないほどに忙しない日々となった。そのため、禄に落ち着いて話をすることもできなかったが、今ようやくできる。
 誰しもが幾重にも行われた戦による疲労を多少ながら顔に出している中、軍議は始まった。
「いやー。なんや、危機一髪やったみたいやな」
 張遼が干からびかけている空気を払拭するように、満面の笑みを称えながら一同を見やる。
 疲れた表情のまま、袁紹がため息を吐く。
「まったくですわ。なんといいますか……まあ、助かりましたわ」
「そうそう。おかげで、あたいも美味い飯にありつけたしな」
 遊撃に出てから拠点に戻れずにいて弱っていた文醜も、今は戻ってきた当初より断然顔色がよくなっている。
 張遼は、死にものぐるいで食料を次から次へと口に運んでいた文醜を思い出して笑う。
「ホンマ、死にかけとったもんな。しかしまあ、なんや……あんたらもようやってくれたやん?」
「あ、ああ。そのいやぁ……いたっ」
 褒められ慣れていないアニキは、照れくさそうにするが、張遼と文醜にバシバシと背中を叩かれて一転して顔をしかめる。
 顔良はそんな様子に苦笑を浮かべると、先ほどから面白そうに全員を見回している少女に微笑みかけ、自分の胸の前に両手を当てる。
「でも、蒲公英ちゃんが現れたことが一番驚きでしたよね」
「ふふっ。たんぽぽ、けっこー活躍したでしょ−?」
 馬岱は、両手を後ろ手に汲みながら笑顔を浮かべる。
 黄巾党の面々が、李典によって情勢をひっくり返されて薄氷を踏むような状況に陥りつつあったときだった。馬岱が現れたのは。
 李典との勝負は均衡を維持し、勢いがまだ残っていた黄巾党と彼女の部隊によって李典隊を見事追い返すことに成功したのだ。
「そうですねぇ。西涼から帰ってきた霞さんと蒲公英ちゃんの参戦が今回の決定打でしたもんねぇ」
 張勲は、頬に人差し指を立てながらにっこりと微笑む。彼女もまた張遼に救われた一人だった。ちなみに張遼はそこから返す刀で、楽進隊が城壁に取りつこうとしているのを背後から攻撃し、見事に退却に追い込んだ。
 この張遼が率いていた兵卒、そのほとんどは異民族が占めていた。
「せやな。ウチやたんぽぽもそうやけど、郭淮っちのことも忘れんといてや」
 張遼は鋭い瞳をやわらげて破顔しながら、天井をさすかのように人差し指を立てる。
 一同は「ああ」と相づちをうつ。
「あれだけの異民族の兵を揃えられたのも、郭淮さんのおかげですからね」
 董卓は全員へとお茶を配りながら話し出す。張遼と共に西涼へ行き、それから、馬岱や馬超らと共に涼州を出た後のことを。
「西涼で馬超さんたちの元へ向かった後、こちらへ帰ってくる際に郭淮さんのいた城に泊めていいただきまして」
 董卓が慎ましく身を縮こまらせるように前で手を組みながら言った言葉に張遼が続く。
「そんとき、郭淮っちのところでよう調練された異民族の兵を補充させてもろたんや。丁度、こっちが危ないっちゅう報告も受け取ってたからな」
 張遼はそう言いながら床を指さす。
 郭淮は以前、異民族との交流や行政にあてられた。そして、見事に異民族と非常に良好な関係を築き、彼らから友好的に接せられていた。
 だからこそ異民族の良質な馬や騎兵を張遼たちが手に入れることができたのだ。
 つまり、郭淮は今回の影の功労者だと言える。
「さて、あとは夏侯惇さんたちがどうでるかですわね」
 袁紹は、彼女の装飾と見まがうような金色の巻き髪を掻き上げる。
 一同も首を縦に振る。
「糧食については断ったはずですからねぇ。あちらも不用意にこれ以上踏み込んではこれないでしょうし」
 張勲が前髪を弄りながら言う。
 顔良も胸の下で腕を組みながら「そうですね」と続ける。
「あちらが撤退を決めたのなら、その時はやはり追撃をかけてみるべきかもしれませんね」
「まあ、今や状況は一転しとるし、そら言えとるな。よーし、腕が鳴るでぇ」
 張遼が不敵な笑みを浮かべながら手首を回す。
 場の士気が向上していく中、袁紹が咳払いをする。
「あの……皆さん?」
 妙に慎ましい態度に一同は訝しみながらも視線を彼女に集中させる。
 袁紹は上目がちにちらちらと視線を動かしながら全員を見る。
「大事な一戦となるとは思いますの。ですから、皆さんにお任せしても……よろしいかしら?」
「あったり前や! 当然のことやし、安心してまかしとき!」
 張遼は胸の前で拳をぐっと握りしめる。
 頭の後ろで手を組んだままの文醜も向日葵のような笑顔を浮かべる。
「そうっすよ。麗羽さまはいつもみたいに……おーっほっほっほ! 華麗に優雅に敵を蹴散らすのですわーっ! とか言ってればいいんすよ」
「そ、そうかしら?」
 袁紹が首を傾げる。その場の誰もが「その通りだ」と返した。
 すると、彼女は口元に手の甲を添えて、高らかに笑い出す。
「おーっほっほっほ! ならばよろしいですわ! 次の一戦、敵軍を完膚なきまでに叩き潰して差し上げますわよ」
「おうっ!」
 今、完全に全員の意思は一致した。
 そのことを実感すると、張遼はここにいない少年のことを思う。
「……こんな光景が存在するのもアンタあってこそやで。一刀」
「どーしたのー、霞?」
 馬岱が、張遼の様子に気がついて彼女の顔をのぞき込む。
「ん? ああ、なんでもあらへんよ」
 張遼は僅かに笑みを作って手を振ると、両方の頬を手でペチペチと叩く。
「それより、あとは決戦に備えるだけなんやし、よう英気を養っとくんやで?」
「はーい」
 馬岱が片手を上げて元気よく返事をする。
 張遼は「大変よろしい」と頷くと、全員の方へと顔を向ける。
「みんなもやで?」
 多種多様の返事が彼女へと返ってきた。ただ「もちろん」という意味合いだったのは一貫していた。
 次の一戦を乗り越えることができれば決着はつく、それを誰もが信じてるということだろう、きっと。そう、味方も敵も……。

 †

 そして、決戦の日。
 まだ夜の残り香が漂う早朝。
 天は薄灰色の曇に覆われている。そんな中を公孫賛軍は、拠点に集結した戦力のほとんどを引き連れて曹操軍の本陣へと進軍を開始した。
 拠点の守りには袁紹と張勲、および数名の武将だけを残している。
 士気が低下しているであろう敵を討つならば今こそ、と公孫賛軍は静かに、しかし素早く前へと進む。
 勝利を確信した彼女らは、吹きすさぶ風をものともせずに勇ましく進む。
 そんな公孫賛軍を夏侯惇率いる曹操軍がまさかの出迎えをする。
「ふ、来るだろうとは思っていたぞ」
「……なんや。読まれとったんか」
 夏侯惇と不適な笑みを交わし合う張遼。
 彼女を先陣にした公孫賛軍と、夏侯惇を先頭に据えた曹操軍が今、対峙する。
「あんたら、そろそろ腹減っとるはずやし。きっと、よう考えられへんやろうなぁと思っとったんやけどな」
 陽気な笑みを称えたまま、張遼は頭をかく。
 そんな張遼を見て、夏侯惇は自慢げに胸を張る。胸元に実った大きくたわわな二つの果実が揺れる。
「ふ。残念ながら、腹ごしらえはしかとできておるわ!」
「そうゆうことー! ボクもこの戦いに備えて沢山食べたからね。絶対、負けないよー!」
 夏侯惇の隣にいる少女、許緒が鼻の下を人差し指で擦る。
 文醜がそれに反応して、腹部をぽんぽんと手で叩く。
「へっ、まあそれでも構わねーぜ。あたいも腹一杯食ったからな!」
「そうそう。たんぽぽまでご馳走になっちゃって。元気いっぱいなんだからね」
 馬岱も今や同士である。だから彼女にもしっかりと食事を取ってもらい、今は万全のはずである。
 文醜や馬岱の返答に苦笑しつつ、顔良はほほを掻く。
「それでも、予想を裏切られたのはちょっと厳しい気もするけど……」
「構へん、構へん。ようはここでお互いの全力を出して、今度こそ決着をつければええ。それだけや!」
 張遼が流麗な刃のごとき凜々しい声ではっきりと言い切る。
 出鼻をくじかれたことで多少なりとも下がりかけた公孫賛軍の士気が再び向上する。
 その様子を見て、夏侯惇が口元を歪めてにやりと笑う。
「それでこそ、張遼よ! 面白くなってきた……曹魏の兵たちよ、今こそ決着の時。持てるすべてをここに! 死力を尽くせ!」
「おおおおおおおっ!」
 夏侯惇の大声に曹操軍全体が怒号をあげる。周囲の空気が激しく揺れるの張遼は感じた。
 張遼もまた、飛龍偃月刀を掲げ、叫ぶ。
「ええか、公孫の兵たち。そして、命をかけてあのお人好しのアホに力添えしたいと思うもん、全員心して聞けや。あいつに恩を返すんなら今しかないと思え、悔いの残らんよう全力を出し切るんやーっ!」
「うおおおおっ!」
「御遣い様へのご恩を今こそ!」
「ほっ、ほあっ、ほわああああああああっ!」
 多種多様の叫びが入り交じる。これが、北郷一刀が紡ぎ、築き上げた絆。
 それを今は代わりとして張遼が牽引している。
 彼女は、その意味の大きさと、背負い込む重さを感じながらも不適に笑ってみせる。
「こら、何があろうと負けるわけにはいかへんな。そう、誰が相手だろうと絶対になぁ」

 †

「で、これはどういうことなんだ、一刀?」
 公孫賛が、ずいっと顔を突き出して一刀を詰問する。もし彼女が薄着だったのなら、谷間が見えているかもしれない。
 そんなことを脳裏で考える一方で、一刀は苦笑じみた顔に冷や汗を大量に浮かべていた。
 彼らは徐州小城にて、今後の方針を決めるために玉座の間に集まっていた。
 この時機の孫呉の裏切り、と言って良いのかは未だ不明だが、完全なる敵意の発覚。これは曹操軍との密なる繋がりを疑わずにはいられない。
 曹操軍がいつ襲いかかってくるかと、彼らの警戒心は高まっている。
 一刀は、詰め寄る公孫賛から身を引くようにして後退する。
「どういうことなんだ、と言われてもなぁ。状況は白蓮もわかってるだろ?」
「いや、そっちでなくてな」
 公孫賛は、眉頭をあげて一刀の隣に眼を向ける。そこには、亀甲縛りをされたまま赤ら顔をしている少女が鎮座していた。
「…………ふん」
 赤い顔をしているが、少女は刃物のごとき瞳を更に険しくさせて不満ありありといった様子である。
 一刀はそちらをちらりと伺うとため息を吐き出す。
「俺にも何がどうなっているのかはわからないよ。せいぜい……孫呉の恨みを何故か買ってしまっているのがわかって逃げる羽目になったこと。それから、ここに帰ってくるまでの途中で、雛里が上手くやってくれたおかげで助かった際のことってくらいしか」
「ふむ。雛里がねぇ……」
 公孫賛は一刀から顔を離すと、鳳統の方を見やる。
 鳳統は帽子を深く被り、一刀からは表情が窺えない。
「だけど、予想外の事態によくやってくれたよ。雛里が伏兵を伏せていてくれなきゃ、追いつかれてたかもしれないからな」
「……あわわ。そんな、ちょっと心配になって念のためと思っただけでしゅから」
 一刀の言葉に鳳統がろれつの回らない喋りで応える。ちらりと見える耳が朱色に染まっている。
 彼女に対して、かわいらしいものだなと愛くるしさを感じる一方、一刀は鳳統の言葉に自分なりの納得をしていた。
 鳳統には前の世界の知識も記憶も無い。
 彼女はこの外史で現れた存在。
 だかこそだろう。孫呉なら大丈夫と油断する一刀たちとは違う方向から物事を見据えることができ、対策を考えられたのだ。
「いや、命の恩人だよ。ありがとう……」
 一刀は鳳統の帽子を少しずらし、前髪のあたりをそっと撫でる。
 鳳統は顔を真っ赤にして瞳を閉じてしまう。
「あぅぅ……」
「さて、それはそれとして……話を戻すぞ」
 公孫賛が二人の間に割り込むように大きめに言葉を発すると、縛られた少女の方に視線を向ける。
「雛里が伏兵を用いて孫呉の追撃を制したのはわかった。しかし、その結果として、こいつをまさか捕縛するとはな」
「まあ、俺も驚いたんだけどな。予想外だったし」
 一刀も公孫賛と共に亀甲縛りの少女、甘寧を見る。
 彼女は一刀の方を上目で睨み付けてくる。
「……いっそ、殺したらどうだ」
「不機嫌だな。いや、しょうがないのかもしれないけど」
 引きつった笑みを浮かべながら、一刀は頬を人差し指で掻く。
 甘寧は鼻息を荒く吐き出すと、一刀から眼をそらす。
「参ったなぁ……せめて、事情をちゃんと知りたいんだけど」
 一刀は困った顔をして、公孫賛と顔を見合わせる。
「今は甘寧にかまってる暇はないし、後にしよう」
 公孫賛が、一刀を促す。
 そこで全員の視線が甘寧から離れると、甘寧が不満気にぼそっとつぶやく。
「……誰も縛り方を変えようとは思わんのか。せめて、まともな縛り方に直すものだろう」
 それから軍議は特に大きな議題という議題もなく無難に進んでいった。
 とりあえず、戦火に包まれる前に甘寧を今のところはまだ安全である下邳城へと移送しよう、という話になった。
 なお、当の甘寧から孫呉に関する情報を得ることは一切叶わなかった。ただ、その頑なな態度から、彼女の主君への忠誠心の高さを窺い知ることだけはできた。
「なんにしても、今日のところはこれくらいにしておこう」
 公孫賛のその言葉で、この日は解散となった。
 それから甘寧の移送や物資のやりとりに関する準備をしたり次の一戦に備えたりと、一刀たちが勤しんだりとしている折、曹操軍が攻撃を仕掛けようとしているという報せが届いた。
 公孫賛軍の諸将たちは再び玉座の間に集うことになった。そして、彼らを前にして公孫賛が一刀に言う。
「一刀、状況が変わった以上、仕方ない。甘寧を下邳に送るのは一時先送りだ」
「ああ。そうだな、曹操が動く以上はな……それに、おそらくは孫権も」
 一刀は重々しく頷く。公孫賛軍、そして何よりも一刀を恨みに思う孫呉の者たちがこの機を逃すとは思えない。それに軍議でも出た通り、何か裏があるのもまた明らか。
 そんな状況であるのだから、余分な動きは控えるしかない。
「どうやら、ここが正念場となりそうね」
 賈駆が眼鏡に指をそえる。その眼鏡の奥の瞳は非常に険しい。
 公孫賛は居並ぶ諸将を見やる。
「それぞれの配置は左翼を星、右翼を華雄。中央を私と詠。一刀と雛里は城の守りを頼む」
 各々が自分の役割を理解し、首を縦に振る。
 それから公孫賛は他の者たちについても話を進めていき、おおまかな陣形は決まった。
「最後に星。わかってるとは思うが、左翼を担当するお前には孫呉が奇襲を仕掛けてきた場合の急速な対応を望む」
「任せられよ。必ずや主のいる、この城を守ってみせましょう」
 趙雲が軍令を取り、それが軍議における最後のやりとりとなった。
 公孫賛によってその日の軍議もお開きとなり、各自の目的のために全員が動き始めるのだった。

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