[戻る] [←前頁] [次頁→] []

489 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2013/04/29(月) 00:34:52.27 ID:Bw/DJ3OlT
こんばんは、清涼剤です
マイペースにやらせていただいております
今やってる章はあと数話。全体は今章プラス一、二章といった予定となっております
ただ、次章からは恐らく、これまでの伏線(?)を回収してく流れが中心となりそうです……

なにはともあれ
無じる真√N:81話をお送りいたします

(警告)
・アブノーマルな描写が入ることもあります。
・18歳以上向けのシーンも時折あります。
・資料を元に独自な考えで書いています。
・話の流れも同様で資料を元にアレンジを加えています。

※意見などありましたら、スレなりメールやURL欄のメールフォームなり
こちらのレスポンスなりからどうぞ。

url:ttp://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0758



 「無じる真√N81」




 飛び交う怒声、そこかしこで鳴り響く鈍い音に悲鳴、馬のいななき。風切り音をなびかせて飛び交う弓矢。
 そういった激しい音の交錯も今は遠く、静まりかえった夜。
 月明かりに照らされた陣内の本営で一刀は難しい表情を浮かべていた。
「俺たちの方は今のところ、これといった痛手を受けてない」
「だが、逆に曹操への攻め手に欠く状況でもある」
 一刀の言葉に補足する公孫賛もまた浮かない顔をしている。
 いや、二人だけではない。その場にいる誰もが表情に曇りがある。
 鳳統もまた、同様であった。
「……一応詠さんたちには伝令を出してありますし、そう待たずにも援軍がくるでしょうけど」
「それであの曹操を打倒、もしくは退けられるか、だよな」
 公孫賛が深々と息を吐き出す。顔に影が差しているのはやはり燭の灯りのせいではないだろう。
 一刀は腕組みをしたまま首を捻る。
「このまま膠着が続けば、鄴のみんなが危ない。そして、曹操を追い返す以外に現状、俺たちにできることはないんだよな」
「……そうですね。曹操さんが退くことになれば、仮にあちらが攻め込まれていたとしても、まだなんとかなるはずですから」
 誰にともなく口にした一刀の疑問に鳳統が答える。
 一刀は盛大にため息を吐く。そして、天を仰ぐ。そこには空はなく天井しか見えない。
「くそ……何かないのか、雛里」
 公孫賛は唇を噛みしめて、鳳統の方に視線で問いかける。
「……残念ながら、こればかりは。でも、一つだけ」
「一つだけ?」
 一刀がなぞるように繰り返すと、鳳統はこくりと頷く。
「……一つだけ、希望があるとしたら。それは恐らく、ご主人様の行動による副産物かと」
「副産物?」
 何のことを指しているのだろうか、一刀にはいまいちピンとこず、首を傾げるしかない。
「どういうことだ、一刀。貴様の行動というのは?」
 華雄が一刀に問いかけるが、そう言われてもわからないため彼は口ごもってしまう。
「俺に言われてもだな……。そういう華雄こそ、一緒に行動してきて何かあるか?」
 一刀は、今いる中では唯一自分と共に徐州入りをした華雄に逆に尋ねる。
「私がわかるはずなかろう!」
「……お前、それ、胸張って言うことじゃないだろ」
 ふん、と鼻息荒く自信満々に答える華雄に一刀はがっくりと項垂れる。
 城楼から落下するかのような勢いで気が削がれたが、一刀は鳳統に直接聞くことにした。
「それで結局の所、どういうことなんだ?」
「……あ、はい。あくまで入ってきた情報や伝聞を元になので、予測となりますが、ご主人様がこちらへ訪れる前のことです」

 †

 冀州の安陽では、公孫賛軍が、曹操軍によって拠点を攻め込まれていた。
 拠点の四方向にある門のうち、南門にならいを就けて、曹操軍が四隊に分かれて代わる代わる押し寄せてきている。
 遊撃隊の文醜もなんとか、曹操軍の気をそらしたり兵力を削ごうとしたりと四苦八苦しているが、中々効果を上げることができてない。
 楽進、李典、于禁に許緒と西涼での戦でも戦果を挙げた名だたる将相手ではやはり、苦戦は必至であり、袁紹たちには不安が広がりつつあった。
 そんな日の夜のこと、本営にいる袁紹は軍議机に左手で頬杖をつきながらお供の顔良に苛立たしげに訊く。
「どうなってますの。七乃さんの方から連絡は?」
 遊撃隊として出撃した文醜とは別に、曹操軍から攻撃を受けるよりも前、張勲がこっそりと工作部隊として拠点を出ていた。
 相手の兵站部へ工作を行うことが一番の効果を狙えるとの判断によるもので、成功次第連絡兵がよこされる手はずなのだが、一向にその様子ない。
 だから、顔良も普段のものとは違う、非常に険しい顔を浮かべていた。
「まだ届いていません。やはり敵の補給を経つのは難しいんですよ……文ちゃんの方も糧食の方が気になるし」
「非常に、まずい状況ですわね。流石にわたくしたちの方は暫くはもつでしょうし、敵が引かざるを得ない瞬間は来るとも思えますけれど」
 右手の指を上下させて軍議机を叩きながら、袁紹は口を尖らしながらため息交じりに言った。
「ええ。でも、文ちゃんは、戻ってこれてないですから……」
「そうですわね。早く七乃さんが相手の兵站線を分断してくださらないことには」
 顔良の言葉に、袁紹はただ頷くことしかできない。
 今できることは、防戦一方。
 それが袁紹にもわかっているからこそ、もどかしさを抱きつつも張勲の結果に期待するしかないのである。
「ですが、かの孫子も仰っておりますものね。『勝つ可からざる者は守るなり』と」
「私たちに今できるのは、やっぱり、とにかく落とされないよう守備をしっかり固めることですね」
「そうですわね。ここはきちっと守り通してみせますわ」
「ご主人様のために……ですか?」
「ええ! って、ちちちっちちちっちいがますわ! じゃなくて……違いますわよ!」
 唐突な顔良の質問にすってんころりと転びそうになりながらも、袁紹は否定する。
「そうですか。てっきり、今回のことはご主人様絡みかと思ったんですけど」
「くぅ……。はぁ、ここだけの話、ですわよ?」
 ため息交じりに肩の力を抜くと、袁紹はそっぽを向き、ごにょごにょと不明瞭な声で言う。
「なんと言うべきかしら……あの男なら何を望むかとか、どうするかとか、その……何故かしらね。気になってしょうがなかったんですの」
「ご主人様のこと、本当に好きになっちゃったんですね。麗羽さまも」
 顔良がにっこりと微笑んで、とんでもないことを言い出したため、袁紹は今度こそひっくり返ってしまう。
「わ、わたたたたたたぁ、わたぁっ!」
「うわっ、麗羽さま……落ち着いてくださいって」
 慌てた顔良に助け起こされながらも、袁紹は彼女を睨む。
「ぐぬぬ……斗詩さん! 貴女、何をおっしゃいますの。あの男がわたくしにならまだしも。この、この袁本初があんな男にあんな……あんな」
 北郷一刀の姿を思い浮かべる。
 何故か頬が熱くなった。それは顔中へと広がり、鼓動が早くなった気がした。
「ふふ。そう言う割に、まんざらでもない顔してますよ?」
「きーっ、お黙りなさい! って、斗詩さん……わたくしもってことはよもや貴女」
「はい。私はご主人様の事大好きですよ」
 さらりと答えた顔良。態度とは裏腹に強烈な一言に袁紹はぎょっとする。
 顔良に何か言おうと袁紹は口を開きかけるが声が発せられない。彼女はひとまず唾を飲み込んで一拍おき、改めて口を開いた。
「どうしたんですの? 今日はやけに一直線にきますわね。わたくしへの問いも、わたくしの問いへの返答も」
「そうですね。今日は……いえ、今は特別ですから」
 そう言うと、顔良は伏し目がちに床へと視線を落とす。
「もしかしたら、誰にもこの想いについては、もう言えないかもしれないから……ですかね」
「そう……ですの。斗詩さん、いつもと変わらないようで覚悟はしていたんですのね」
「はい。流石に今回は運でどうにかなるとも思えませんから」
 そう言って顔良は笑って見せるが、袁紹には泣き笑いに見えた。
「斗詩さんのおっしゃることも一理ありますわね」
「え?」
「あまり希望は持ちづらいのは確かですわ。ならば、この際ですし、はっきりさせてみましょうか」
 袁紹は全身から力を抜いて軍議机に寄りかかる。凝り固まる感情をできるだけ和らげて考える。
 そして、言葉にして顔良に……今は一人しかいない重臣に告げる。
「わたくしは……袁本初は、北郷一刀の事を愛してしまいましたわ」
「れ、麗羽さま!?」
 顔良が眼を見開いたまま口元を抑え硬直するが、
「…………多分」
 と袁紹がぼそりと付け加えると、顔良はがくっと肩を落とした。
「た、多分ですか……麗羽さま」
「し、仕方ないではありませんの! わたくし、今の今まで……というか今もですけれど、よくわかりませんわ!」
「あ、あはは……それもそうですね。もし、生きて帰れたら」
「……もう少しちゃんと考える……かも、ですわ」
 袁紹はとうとう完全に顔良から視線をそらし「ふん」と、そっぽを向いた。
「それなら、何が何でも……粘らないといけないですね」
「はぁ……ですわね。とにかく、持久戦をしつつ、隙があれば猪々子への補給も考えないといけませんわね。そのためにも頼みますわよ……七乃さん」
 まるで期待を込めるように、袁紹は虚空を見上げた。

 †

 張勲は騎兵を率いて、森林の中を通り主戦場から一定の距離を取りつつ進軍していた。
 遠回りに遠回りを重ねる結果となったが、おかげでどうにか曹操軍の兵糧基地の一部が目視出来る程度には近づくことが出来た。
 そして、いざ火攻めを行い兵糧を焼き払ってしまおうと虎視眈々と時を待っていた。
「みなさーん。もうすぐ日が沈みます。なので、辺りが暗くなり次第、一気に奇襲をかけてくださいね。そして、その後、火を隅々まで放って帰って来てください」
「応!」
 張勲の説明に、兵士たちは周辺の草ひとつ揺らさぬようにとばかりに声を押し殺して頷く。
 そして、ひっそりと潜んだまま日は沈み、兵糧基地に篝火が灯されていく。それを確認すると、張勲は兵士たちを見やる。
「時はきました。それじゃあ、皆さん、よろしくお願いしますぅ!」
 その一言で、馬に跨がった勇ましい兵士たちは一斉にわっと出て、兵糧基地へと流れ込んでいく。
 黄河のごとき激流となって、兵士たちが基地内を埋め尽くし、やがて火を放ち、深紅に染め上げ燃えさからせるだろう。
 そう確信し、張勲は普段のように含み笑いを浮かべながら待つ。
 逆転の一手が決まるのを待つ。
 待つ。
 ただ、待つ。
 が、
「おかしいですねぇ……?」
 火を放つどころか、しんと水を打ったように静まりかえっている曹操軍の基地に張勲は首を捻る。
 いつまでたっても基地から火の手が上がる様子がない。
 一体どうしたのだろうかと思う彼女の傍らで、残った数少ない兵たちも顔を見合わせている。
 その時だった。
「ぐわぁぁぁぁ、退けぇ! 退くんだぁっ!」
 急に基地の方から喉が張り裂けんばかりに叫んだと思しき怒声が聞こえてきたのは……。
 思わず、張勲はびくっと肩をふるわせる。
「だ、ダメだ……うああああっ」
「くそう、一人でも多く逃げるんだ! 早くしろ、一旦退却だぁ!」
 基地の方から悲鳴や怒号が飛び交い始める。張勲はおそるおそる、基地の方を見る。
 先ほど突撃した兵士たちが這々の体で逃げ出してくる。
 それを曹操軍の兵士たちが追撃しようと、基地から飛び出す。
 張勲はその光景で察した。自分の狙いが読まれ、対策を取られたどころか裏をかかれていたことを。
「やっぱり、私じゃ曹操さんのところの軍師に勝ち目なんてなかったんですよぉ」
 張勲は胸の前で震える手を会わせながら、悲鳴にも似た声をあげる。
 そこへもの凄い速度で駆け寄ってくる敵が一騎。
 それに気がついた張勲がそちらに眼を向ける。
「あわわ、ど、どうしよう」
 蹄の音は彼女が瞬きする度に、ぐんぐんと距離を詰めてくる。
「ふはははは! 飛んで火に入る勝つわたしぃっ!」
 馬を駆ってやって来たのは、隻眼の将こと夏侯惇だった。
 ご機嫌とばかりに高らかな笑いと共に、迫り来るその様に、張勲は鬼神を見た。
「ひぃぃぃぃ、もたもたしてると取って食われちゃいますよぉ。撤退ーっ! 撤退ーっ!」
「うわぁぁぁぁ」
 まさかの大物の待ち伏せによって、張勲隊の中に動揺と混乱が墨が染みこむようにじわじわと広がっていく。
「た、隊形を崩してはダメですよぉ。とにかく、夏侯惇さんとの距離を取ってください。こちらがやる気をみせなければ……」
「逃がすと思うてか!」
「ですよねー。って、ひぃぃぃ、散開、散開ーっ。の、後に転身、それから再び一丸となってくださいぃ」
 そう言うやいなや、張勲は他の兵を置き去りにしかねない勢いで馬の足を速め、すたこらさっさと逃げていく。
「待たんかぁ! こらぁ、わたしと勝負せんかぁ!」
 だが、夏侯惇は逃がしてくれる様子もなく、一直線に張勲のいる集団へと向かってくる。
「嫌ですよー、ていうか、なんで私の方に向かってくるんですかーっ!」
「ふはははは、それは貴様を討つのが一番だからに決まっておるからではないか!」
「そんなぁーっ、誰か助けてくださいよぉー」
「ふはははは! いい加減観念したらどうだ! 今なら楽に眠らせてやるぞっ!」
「いぃーやぁーーーっ」
 悲鳴を上げながら逃げる張勲。やる気満々、いや……殺る気満々な夏侯惇。二人の追走は長々と繰り広げられていく。
 どれだけ逃げようとあがいても、夏侯惇はしつこく追ってくる。
 だが、これ以上は無意味と踏んだのか、幾人かの兵卒が夏侯惇の足止めを買って出ると、馬を翻した。
 複数の蹄の音が夏侯惇の方へと遠ざかっていく。
「い、今のうちに今度こそ逃げ切りますよぉ。残っている人はついてきてくださいねっ」
 ほんの僅かではあるが夏侯惇との距離が開いた。その機を見逃さず、張勲は数少ない兵を引き連れて一目散に馬で駆けた。
 そのおかげか、張勲は無事に逃げ、そして再び兵たちと合流して立て直しに成功した。
 一体、夏侯惇を撒いてからどれくらいの時間が経過しただろうか。少なくとも、月は大分地平線に近づいている。
「……これは困りましたねぇ。まさか糧食基地を夏侯惇さんが守ってるなんて。曹操さんのところでも主力中の主力じゃないですかぁ」
 木々に身を潜めながら、張勲は曹操軍尾糧食基地をじっと見据え、ため息を零した。
 彼女の白を基調とした軍服も、一心不乱に逃げる内に随分と汚れ、ボロボロ。いや、今や工作部隊の兵たちの士気すらも低下してしまっている。
 先に基地へ侵攻し、逆に追い立てられ散り散りとなった者たちのその後も今はわからず、張勲は立ち往生してしまった。
 どうしたものかと彼女が思案を始めていると、
「ふはははは、呑め呑め! 今宵は宴だ! 実に愉快、痛快なり。見たか、張勲めのあの顔を!」
 馬鹿みたいに大きな声が基地の方から聞こえてきた。それはつい先ほど訊いたばかりのもの。張勲を追い回した、夏侯惇のものだ。
「春蘭さまにこちらの防備へと回って頂いて正解でしたねー」
「おう。しかし、風よ。お前も見事な采配だったぞ。やつらの狙いを先に読み、あまつさえ返り討ちとは……気分がいい」
 どうやら、張勲の行動を先読みしていた軍師と夏侯惇が共にいるらしい。そして、祝杯でもあげているのか賑やかでもある。
「そらそら、遠慮無く呑め」
「そうですよー。もう、敵さんも懲りて撤退していったでしょうからねー。後は、凪ちゃんたちにお任せなのですよー」
 軍師も夏侯惇同様に兵士たちに酒を振る舞い、呑み明かすことを勧めているようだ。
 賑やかになる曹操軍の糧食基地、中から聞こえるどんちゃん騒ぎと基地から漏れているこうこうとした灯りを眺めながら、張勲は考える。
「もしかして、これって絶好の機会……一刀さん風に言えば、ちゃあんす。って、やつですかねぇ」
 現在共にいる残存兵の方を振り返る。拠点を出たとき比べると五分の一程度まで減ってしまっているが、酔いつぶれた相手への奇襲をかけるならなんとかなりそうな人数ではある。
 張勲は逡巡した後、兵たちにこそこそと話しかける。
「いいですか、敵は今宴会をしているようです。ですから、お酒が回ったであろう時を見計らい、一気に攻め込んで火を放っちゃいましょう」
「おぉー」
 張勲の指示に、兵たちもほんの少しの風が吹けばかき消されてしまいそうな声で返事をした。
 そして、彼女たちは乾坤一擲の策を実行に移す好機を伺い、ひたすらに待ち続け……その時は来た。
「…………」
 曹操軍糧食基地から物音一つしなくなり、寝息やいびきが聞こえ始めて暫くたった。
 もうそろそろ夜が明けそうであるが、まだ奇襲には適していると判断し、張勲は腕を振って兵たちに移動の合図を取る。
「さあ、行きますよぉ。これがダメだったら、全てがおしまいだと思ってくださいねぇ」
 自分にも言い聞かせると、張勲は馬を走らせて拠点へと突撃を仕掛ける。
「通してもらいますよぉ。邪魔なんでどいてくださいねぇ」
 夢うつつな門番を蹴散らして、張勲隊は中へと駆け込んでいく。糧食を蓄えているはずである倉庫を彼女たちは探す。
「うーん、どこでしょう。早いところ、火を付けて逃げたいんですけどねぇ」
「倉庫なら、もっと奥の方になりますよー」
「あら、そうですかぁ。ご親切にどうも……………………え?」
 不意に掛けられた声に張勲が礼を言う。が、何か変だと違和感を覚え、首を捻って声がした方へと振り返る。
「いえいえ、どういたしましてなのですよー」
 頭に人形らしきものを乗せた少女が、ほわほわとした笑みを浮かべながら張勲の方を向いていた。
 張勲は、急に現れた見知らぬ少女に困惑せずにはいられない。
「え……ええと、どちら様でしたっけ?」
「おやこれは失礼しましたー。曹操さまの下で軍師を務めております、程cと申しますよー」
「なんだぁ、そうでしたか。てっきり曹操さんのところの武将かと思ったら、軍師の方でしたかぁ………………えっ!?」
 すっかり酔い潰れてしまっていると思っていた軍師、もとい程cという少女が眼前にいることに張勲は愕然とした。
 程cがピンピンとしているということ、それは張勲の予測とまったく異なった展開であること。
 嫌な予感が彼女の脳裏をかすめる。
「ま……ま、まま……」
「ま?」
「まさかこれって……罠だったりします?」
 程cへそう尋ね、張勲はごくりとつばを飲み込む。
「ふふふふふ」
 程cが口元を手で隠して意味深な笑みを浮かべる。底が見えない笑顔に張勲の背中は冷や汗で覆われていく。
 これはまずい、と本能的に判断し、張勲は他の兵たちと共に踵を返すことにする。
 逸散走りで外へ向かおうとするが、正面に敵部隊が出現して道を塞がれてしまう。
「はーっはっはっは! やはり来おったな張勲! 今度こそ、我が刃の錆となるがいい!」
 立ち塞がった隊を率いていたのはやはりというか案の定、夏侯惇だった。
「ひぃぃ、出たぁぁぁぁ!」
「なんだ、人を見るやいなや妖怪と出くわしたかのような反応をしおって!」
 怒って夏侯惇が得物を振り回す。周囲の兵が迷惑そうにしているがお構いなしだ。
 完全にしてやられたと気付いた時にはもう遅い。張勲は一度命拾いしたときに逃げなかったことを後悔した。
「こんなことなら、いつもみたいに逃げてれば良かったぁ……」
「ふっ、さっさと覚悟を決めてかかってこい! この夏侯元譲直々に叩き伏せてくれる!」
「いやですよー。せめて人間相手がいいです」
「わたしだって人間だ、馬鹿者ー!」
 そう反論する夏侯惇はどう見ても張勲には猛獣にしか見えない。
「おいおい、片目のネーちゃん。殺しちゃまずいぜ、白服のネーちゃんには曹操さまも色々訊くことがあるだろうからよ」
「む……そうか」
 どこからともなく聞こえた声に夏侯惇が頷く。なんだろうかと張勲があたりを見ると、先ほどの少女、程cが立っている。
 声は確かに程cの方からしたが、口調などが違っている。
「そういうわけだ。安心して投降しな……なぁに、たっぷり可愛がって貰えるから大丈夫」
「これこれ、口を慎むべきですよー。ホウケイ野郎」
 程cが相手を窘める。そこで張勲は気づく、程cの頭の上に鎮座してる人形がしゃべっていた(?)のだと。
 張勲が、呆然と人形と程cのやりとりを見ていると、急に程cの目が彼女の方を向く。
「まあ、何はともあれですね。出来れば降伏して欲しいのですよー」
「……すみませんけどー。あの方のためにも、そんなことはできません」
 微笑を浮かべて、はっきりと断ってみせる張勲。
 程cの提案に頷きたい気持ちは大いにあるが、どうしても躊躇してしまう。
「ほう、主君のために、か? 貴様、意外といい心がけをしているではないか。気に入った、やはりこのわたしが相手をしてやろう!」
「なんで、やる気になってるんですかぁー」
 張勲は、勝手に一人で盛り上がって肩を回している夏侯惇に抗議の声を上げる。
「ええい。そろそろ素直に状況を受け入れんか!」
 だが、夏侯惇が半ば苛立ちながら切って捨てる。
 状況は今、最も悪い……所謂最悪ってやつである。張勲自身もそれはわかってはいる。
 が、どうしようもないのもまた彼女はわかっていた。
「……う、うう。わかりましたよ」
「よーし、ではかかってこい!」
 得物を構えて、夏侯惇が切れ長の瞳をぎらりと輝かせる。
 それを無視して、張勲は程cの方を見る。
「降伏しますよぉ」
「にゃにー!」
 夏侯惇が気を削がれたというのを大いに表に出した表情をする。
「だってぇ、夏侯惇さんに殺されるよりは……生き延びる方がましですからぁ」
「賢明な判断だと思いますよー」
「風……お前まで……」
 がっくりと夏侯惇が項垂れる。そうとうショックだったようだ。
 場の空気が曹操軍側では軽く、張勲隊側では非常に沈痛という対極な状況の中、唐突に異変が起きた。
「うわぁぁぁぁ!?」
 夏侯惇の向こう側、すなわち門の方から悲鳴があがったのだ。
「どうした、何事だ!」
 驚いた夏侯惇が慌てて、振り返って門の方へと動く。
 馬を下りかけていた張勲も何がどうなっているのかはわからないが、一先ず馬上へと戻る。
 その時、
「き、貴様は!? ぐっ、止めろ、そやつらを止めろぉ!」
 夏侯惇の叫びが天高く響く。どうやら、不測の事態が……いいように踊らされていた張勲が起こした不測の事態とは違う、本当の不測の事態が起こったようだ。
 耳を澄ますと……いや、既にそんなことをしなくても聞こえてくる。大数の蹄の音と怒号。
「おらおらおらおら、とっとと、どかんかい! 神速の張遼、お通りや!」
 曹操軍の兵をかき分けて、現れたのは張遼だった。数多くの騎兵を引き連れている。
「郭淮がよう調整してくれた異民族の馬と兵、そうそう止められるもんやないでー!」
「え? え? 霞さん……なんで? え?」
 張勲は自体が飲み込めず困惑する。そんな彼女の側に張遼が馬を寄せる。
「自分、なにしとんねん。今は糧食をダメにして逃げる。これが最優先なんやろ? ぼうっとすんなや」
「あーはい。そうですねぇ、それじゃあ……ええと、行きましょう」
「おう。場所はわかっとるん?」
「この奥だそうですよぉ。先ほど、教えて頂きましたから」
「そか。なら、早いとこ済ましてずらかるとしよか」
 ニカッと太陽のごとく笑う張遼。夜が空けた空からさす光が本当にそう張勲に思わせる。
 突如として現れた援軍に感謝しつつ、張勲は兵を率いて糧食倉庫へと向かい火を付ける。
 更に、返す刀で基地の各所に火を放って回りそのまま脱出をはかる。
「貴様らぁ、許さん! このままでは華琳さまに面目がたたぬではないか……」
 再び、夏侯惇が立ち塞がり張勲たちの行く手を阻む。
 羅刹のごとき隻眼の将を前にして、張遼が飛龍偃月刀を片手に一人進み出ていく。
「面倒なやっちゃなぁ。逃げんと、燃えてまうでぇ?」
「構わぬ。このような失態を犯した以上、華琳さまに詫びても詫びきれぬ!」
 張遼の言葉にも、迫り来る焔にも一切揺らぐことなく凛々しい顔でこちらを睨む夏侯惇。
 彼女の向ける圧迫感か、はたまた周囲にじりじりと忍び寄る火の手のせいか、張勲は多量の汗が出てくるのを感じる。
 張勲と同様に汗を顔に浮かべながらも涼しい表情のまま、張勲が更に夏侯惇へと近寄る。
「やっぱ大層な武人やな、夏侯元譲……。結構ウチ好きや……あんたみたいなん」
「ふ。お褒めにあずかり光栄、とでも言おうか。しかし、わたしもまた好感を持っているのだ。お主にはな」
 見つめ合う夏侯惇と張遼、朱と黄の混ざり合う灯りを受け、どこか美しさすら感じられる二人はなおも対峙し続ける。
「そら、おおきに。どこを気に入ってくれたんか、良い機会やから、訊いてもええんか?」
「簡単なこと。貴様もまた、西涼での戦、そして今回と主君のため相当な働きをしておるではないか」
 不適な笑みを浮かべる夏侯惇。
 対して張遼は同じ笑みでも、何の後ろめたさもない真っ直ぐで明るい満面の笑みを浮かべる。
「そういうことか。そらそうやな。ウチ、一刀のこと大好きやもん」
「そうか……ならば、我が華琳さまへの愛の強さを持って、答えるのみ!」
 夏侯惇が先手を取るように張遼へと向かって突撃してくる。
 張勲は汗でびっしょりな手で手綱を強く握りしめる。
「し、霞さん!」
「問題あらへん。あんたは兵を連れて脱出する機会をよう見極めるんや」
 向かってくる夏侯惇に対して迎撃の構えを取りながら、張遼が叫ぶ。
 その間にも夏侯惇が彼女へと迫り来る。
「よそ見をしている暇などないぞ! 張遼ー!」
「はよせい! 七乃ぉ!」
「は、はいぃぃー」
 怒鳴りつけられて張勲は慌てて、自分のなすべきことへと気持ちを集中させる。
 夏侯惇による激励でも受けたのか、それとも日頃の鍛錬の賜物というやつなのか、曹操軍の兵士たちはきっちりと隊列を崩さず張勲たちを通さんとしている。
 張勲は考える、異民族で構成された部隊もいる以上、多少の強引な方法も可能ではあるだろう。
 しかし、彼女の思考は既にそこにはない。
「さっきの女の子。程cちゃんでしたか……彼女がどう出るのか気になりますねぇ」
 そう、火を付けて戻ってきたときには姿が見えなくなっていた程c。
 張勲を一度出し抜いた彼女が次は何を仕掛けているか、それを考えると一歩を踏み出せない。
「ふはははは! 実に気分がいいぞ、張遼! 素晴らしい武勇なり!」
 張遼と一進一退の攻防を繰り広げながら夏侯惇が叫んでいる。
「そら、お互い様やな。でもな……」
「む?」
「愛……やなかった、関羽の方が比べもんにならんほどにええわ!」
 張遼の鋭い突き。
 夏侯惇はそれを間一髪のところで体を横にして避け、逆に張遼の懐へ滑り込み、七星餓狼の刃を振り上げる。
「隙有りだ!」
「ひゅうっ、危ないわぁ……すれっすれやな」
 振り下ろされた七星餓狼をすんでの所で水平に避けてそのまま夏侯惇の反対側まで移動し、立ち止まる。
 互いに強烈な一撃を持ちながらも、中々雌雄は決しない。
 そんな激しいやり取りを視界の隅に納めながら、張勲はなおも考えていた。
「……ということはないだろうし。そうなると、迷ってるよりは……」
「ちょ、張勲様! 火が、火が迫っております!」
「わ、わかってますよぉ。あーもう……ん? 風?」
 急かす兵を無視して、張勲は風にそよそよと流される自分の髪に触れる。
 そして、眼をつむり数秒思案すると、眼を見開いて兵たちの方へと顔を向ける。
「もう少し経つと一瞬ですが炎が強まりそうですから、その瞬間に一気に突き抜けましょう」
「はっ!」
「霞さんはまあ上手くついてきてくれますよねぇ。それじゃあ、今ですよぉ!」
 風がひときわ強く吹いた瞬間、炎が一段と強くなり、曹操軍の兵が僅かながらに怯む。その隙をついて張勲は号令を掛けた。
 異民族の騎兵に警護されるような形で、張勲たちは一気に門を突破していく。
 その動きを察知した張遼も、目の前の強敵を突き飛ばして馬に飛び乗り、走らせて追ってくる。
「にゃはははは、惇ちゃん。勝負はまた今度なー!」
「貴様、逃げるのか! 卑怯者ーっ!」
「逃げるが勝ちってやつやでー!」
 両腕を振り上げて怒鳴ったり、むき出しの額を湯気でもあがりそうな程に赤くしてぷりぷり怒る夏侯惇に対して、張遼が笑みを向けた。
 必死に死地を駆け抜けようとしている張勲はその様子に唖然とする。
「よ、余裕ですねぇ……さすが武力馬鹿だけに肝が据わってるというか」
「なははは、まあまあ。最後にからかっといた方が惇ちゃんもおもろいことになるやん?」
「んー……それもそうですねぇ」
 馬を併走させながら、二人は妙にいやらしい笑みを浮かべあうのだった。

 †

「くそ! 張遼め……覚えておれ、次にあったときこそ、必ずや!」
 夏侯惇は疾風のごとく速さで遠ざかっていく敵の姿を見つめながら地団駄を踏む。
 具足越しに伝わる焼けた土の熱すらも今ばかりはまったくこれっぽっちも彼女には気にならない。
 と、そんな夏侯惇の後ろから、ゆったりとした足取りで程cを乗せた馬が近寄る。
「春蘭さま−。今は、とりあえずここを捨てて移動すべきかとー」
 そう言った程cから、夏侯惇は馬をあてがわれる。
「むっ、そうか……ぐぬぬ。皆の者! すぐにここを出るぞ、消火作業は必要ない、捨て去るのだ」
「はっ!」
 将どころか兵卒一人一人に至るまで、一糸乱れぬままに夏侯惇の令に従う。彼らはまるで炎の魔の手が迫っているのが幻であるかのように平然としている。
 普段から鍛えてきたからこそ、そして、何よりも主である曹操への忠義のなせるものだろうと、夏侯惇は思う。
 そして、そんな彼らを率いる自分こそが曹操への忠義も愛も何もかもが最上であると信じている。
「……故に、ここを落とされたことは夏侯元譲にとっての一章の不覚」
 馬へと跨がった夏侯惇は手綱をぎりぎりと強く握りしめる。手の甲に吹き出る大量の汗は熱気に当てられたからか、はたまた自分への怒りからか。
 兵たちを進行させながら後悔にさいなまれる夏侯惇の隣に程cが馬を並べる。
「春蘭さまー。別にいいではありませんか。どうせ囮なのですからー」
「そういうものではな……へ?」
 程cの言葉に、夏侯惇は眼を丸くする。
「おやまあ。今回の戦を始める際に説明したと思うのですけどねぇ。この糧食基地は囮であり、敵を誘い込むためだけのものだとー」
「そ、そうだったか。いや! そうであったな、わかっておる。わかっておるぞ。はっはっは!」
 夏侯惇は、うつむきがちに垂れていた頭を上げて、高らかに笑う。
 彼女の広い額が光っているのは、熱さ故の汗か、それとも何か後ろめたい冷や汗からか、それは夏侯惇自身だけの秘密である。
「そーですかー。それならよいのですけどねー」
 程cは、いつも手にしている棒付き飴が溶けはじめているのも気にせずに一口舐めると、馬を進めていく。
「お、おう。まあ、それでも敵に逃げられてしまったのはやはり華琳さまに対して面目が立たんがな……」
「なになに。これから取り戻せばよいのですよー」
「おお! まさにその通り、いや本当に良いことを言うな、風は」
 気力を取り戻した夏侯惇は、偽の糧食基地を後にすると、隊の最前列へと進み出ようとする。
 そんな彼女を程cが呼び止める。
「春蘭さま、春蘭さま。もう敵の工作を恐れる必要もないと思われますので、前線に合流しても大丈夫かとー」
 その言葉に頷いて見せると、夏侯惇は隊の先頭に立って意気軒昂に指揮を執り始めた。
「いくぞ! 補給を済ませ次第、すぐにやつらの拠点へと攻めあがる! もう、余計な事に気を取られる心配は無い、思う存分我らの力を見せてやるのだ!」

 [戻る] [←前頁] [次頁→] [上へ]