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5 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2011/04/17(日) 00:54:12.58 ID:0AqS8aZn0
専用板へSSをUP致しましたので告知をさせて頂きます。

これまでは牛歩気味だった話が今回で少し動き始めてます。
一刀と魏、西涼の物語がどうなるかはまだまだこれからです。

無じる真√N:64話

(警告)
・アブノーマルな描写が入ることもあります。
・18歳以上向けのシーンも時折あります。
・資料を元に独自な考えで書いています。

(当方へのご意見、ご指摘など)
・URL欄のメールフォーム
・メール
・専用UP板
・投下先のスレ
ご意見、ご感想などはこれらのどこからでも構いません。
※善し悪し関係なく、一通りのご意見・ご感想、ご指摘は受け付けております。
なるべく活かしていきますが力量次第なのでその辺りのご理解の程よろしくお願いします。

あと、久しぶりに質問を頂きましたのでこちらで返答をさせて頂きます。
質問:最近、一刀さんがエロくなってきてませんか?
答え:エロスさんは元から一刀の塊です。忘れてませんか?


URL:ttp://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0639

楽しんで頂ければ嬉しいです。
そして、>>1乙です。



「無じる真√N64」




 明け方の鄴、まだ動き出すものは気まぐれな猫か囀り始める小鳥くらい。
 そんな多くの人間が未だ眠りこけている頃。
 一人の人物が自室で黙々と着替えを行っていた。
 紺のズボンを穿き、シャツを着るとその上には張遼より預かった羽織を纏う。
 普段着ている白色の上着は畳まれ机の上にある。
 それを手に取ると、彼は呟く。
「……こいつともお別れだな」
 これまで天の御遣いの象徴として外史の中で彼と共にありつづけた白き衣。
 元は彼のいた世界のフランチェスカ学園の制服だった。いわゆる学生服である。
 しかし、今では彼にとっては自分の一部となっていた。
 暫くの間、上着を穴の開くほど見詰めるとそっと衣装箱へと仕舞い込む。
「おっと、こいつも入れとかないとな……」
 大事に締まってあった一振りの剣を上着の上に丁寧に鎮座させて蓋を閉じた。
「……よし」
 気合いをいれると、彼は既に纏めてある荷袋を片手に扉の前に立つ。
 ふと、振り返り部屋の中を一瞥する。
 立つ鳥跡を濁さずとはよく言ったものだと、一刀は思う。
 普段から大した買い物もしない彼の部屋は整頓されたことで一層、殺風景に映る。
 棚にぴったりと収められた書類や書簡の束
 机の上には塵一つ無い。
「もう……何もない」
 部屋の中に忘れ物も。
 後ろを振り返る理由すらも。
 自分の信じる道を進むために開いた扉の向こうでまっているのは仲間たち。
「遅いじゃない。あんたが最後よ」
「悪いな」
「ふん、いいからいくぞ……他の者たちに気付かれたら厄介だ」
 両脇に美女と美少女を従え、北郷一刀は歩き出す。
 武官、文官と中心となる者、それだけ揃えば十分だった。
「詠、俺たちが向かう先はわかってるか?」
「徐州北部。既に手は回してあるわ……雛里から色々と聞いてたから状況の想定も手回しも軽かったわね」
「そうか。華雄、頼りにしてるぞ」
「言われずとも、お前は何があろうと私が守って見せよう」
 知略と武勇、そして曲げることのない信念。
 それだけを頼りに阿呆が三人、獣道をいざ行かん。

 †

 人っ子一人いない通りを進み、城門へと辿り着いた一刀の前には意外な光景が広がっていた。
 優に一万はありそうな人の群れ。
 いや、心許ないものも含め武装している以上、兵士たちである。
 皆、誰かを待つようにしていた。
「これは……?」
 驚くことも忘れて一刀は両隣を見る。
「全部、あんたについていくって聞かない連中よ」
「霞や私の鍛えた者たちも多くいるぞ。流石に家族など心残りがあるものは問答無用で従軍を却下してやったがな」
「それでも帰り道がある保証はない戦いにこれだけの人たちが……」
 感極まる一刀の姿に気がついた兵たちがびしっと姿勢を正す。
「我ら、北郷さまについて行くと決めた所存であります。賈駆さまにお嬢さまが動かれる以上動かぬ道理はありませぬ」
 元董卓軍なのだろう、その甲冑には見覚えがある。
「俺たちにとって北郷さまはなくてはならぬ御方。故に我らは死地までも共にいく」
「うむ、兄者の言う通りだな。やはり、北郷さまなくしてはあの方の輝かしさは保てないだろう」
 多少のくすみはあれど煌びやかさのある鎧、袁家の兵のようだ。
(どっちがどっちかあんまよく分かんないけど……そうだよな?)
 代表して宣言した兵に続いて熱意に満ちた声が一刀へ向けられる。
 それは天の御遣いとしての彼にではなく、彼自身へと向けられたもの。
 そこには身分や格式など関係のない確かな信頼があった。
「よくまあ、俺なんかにこれだけ人数が揃ったもんだな。月はこれを予期してたってことか」
「あんたという存在をよく見ていればある程度予測はできるわよ」
「そうなのか?」
「ええ。誰に対しても謙虚な、というよりも分け隔てのない振る舞いをしてきたこと。天の御遣いとして、その名に恥じぬよう賢明に務めてきたこと。これはその結果ってことよ。良かったわね」
 そう言うと、賈駆は片笑みを浮かべる。
「今なら、私も奴らの気持ちがよくわかるぞ」
「……華雄まで。やめてくれちょっとじんとくる」
 意気衝天な様子の兵たちを見ているうちに一刀の脳裏にこの外史でのことが過ぎる。
 そして、振り返りゆく頭が辿り着いたのは一つの記憶。
 黄巾の乱の頃、失った仲間たち、そして彼を助け逝った副長。
『どうか、この荒れてしまった大陸に平和を……北郷様ならきっとあの御方と共に……』
 今でも覚えている副長の言葉。
(ごめんな。俺、約束破る……自分のために動く)
 目頭が自然と熱くなるのを感じ一刀は手でそっと抑える。
 言葉を失い感極まる一刀の元へ一頭の馬が牽かれてくる。
 その手綱の先にはしわくちゃな腕、顔も同様に皺だらけの老人は笑みをうかべることで一層くしゃくしゃになっている。
 その隣には頭巾で顔を隠した男が付き添うようにして歩いている。
 二人は一刀の前までくると、馬を彼の横に付けて向かいあう。
「これって? えっと……」
「烏丸賊投目からです。なかなかの駿馬ですのできっと北郷様のお役に立つと思いますじゃ」
 老人がふんと鼻息を零しながら答える。
「いいの? そんな優馬を貰ったりして」
「ええ。餞別です」
 好々爺はそう言うとにこりと微笑み、下がっていく。
「ありがとう。大事にさせてもらうよ」
 そう言って微笑む一刀の頬に拳がめり込む。衝撃に歪む視界の中、そのごつごつとした拳は振り抜かれる。
 殴られたんだとわかったときには既に一刀は空を見上げていた。
 一刀が眼を白黒させていると、好々爺と共に馬を牽いてきた男がこちらを睨んでいることに気がついた。
「貴様! 一体どういうつもりだ」
 殴りつけてきた男を華雄が睨み付ける。
「それは俺の台詞だ。なあ、大アニキ?」
「なっ!? どうして?」
 口元から垂れた血を拭いながら一刀が見上げるのと同時に男が頭巾を取る。その顔はかつて青州に逃げ延びた黄巾党の残党を統べていた男のものだった。
 アニキの表情は青筋が立ち、眉間には深く皺が刻み込まれ、歯は食いしばりすぎて剥き出しになっている。
「何も言わず、唐突に国を出るだぁ? 何考えてるんだ、あんたは」
「……それは」
「いや、言うな。聞きたくもねえ。俺が頭来てんのはな、そんなくだらねえことでもねえ」
「それじゃあ、一体どうして?」
「てめえの身勝手な行動で、彼女たちを悲しませようとしてるからだ」
 そう吐き捨てるように言ったアニキの眼は若干血走っている。流石、数え役萬☆姉妹のファンを統率する長なだけはあった。
 その怒りは彼個人ではなく彼と共に数え役萬☆姉妹を応援する者たちのものなのだろう。
「悲しむのと同じくらいあんたに対して激怒するだろうな」
「…………」
「だから、この拳はここにいない彼女たち≠フ拳だ」
「……そうか」
「ふん。そんな情けなくてしょぼくれた姿を見に来たんじゃねえ。ほれ」
 ゆっくりと立ち上がる一刀にアニキはボロボロで薄汚れた布をよこしてくる。
 広げてまじまじと見ると、頭巾に使う布らしいが、黄色い生地は長年使われた跡らしきしみや汚れが残っており、黄ばみかとすら思える。
「これは?」
「それは俺が彼女たちの追っかけになったときから最近まで付けてたもんだ。要するに、俺が生き延びてきた証だ。縁起物だろ?」
 そう言うとアニキはニヤリとニヒルな笑みを浮かべて尻のように割れた顎をさする。
 一刀はアニキが彼なりに見送りと、その餞別を渡しに来たのだと理解し息を吐き出し肩の力を抜く。
「違いない」
「だろう? だが、いいか、それは貸すだけだ。やるんじゃない……意味はわかってるよな?」
「ああ、これだけは守らないとな」
 アニキ同様に口元を歪め、一刀は悪ガキのように笑う。
「へっ、そうだよ。それでいいんだ。んじゃ、後は勝手にしな」
 そう言うと踵を返し、アニキは頭の横でひらひらと手を振りながら朝露の残る通りを歩き始める。
「そうそう、一つだけ言っとく。もしも、彼女たちに消えない傷を残すようなことをしたときは、俺ぁ、地獄の底だろうと飛び込むぜ」
 アニキは低い声でそう言いながら軽く振り上げたままの手で拳をぐっと握りしめる。
「そんで、今度こそ俺があんたをぶん殴ってやらぁ。言っとくが、さっきの比じゃねぇぞ、俺の本気はよ」
「わかってるよ。俺も一つ言っておくぞ」
 アニキの背中を見送ることもせず、一刀は馬を優しく撫でる。
「絶対に、さっきのお返しはさせてもらうからな」
「へえへえ。怖い怖い」
「ふん」
 それは男同士の会話、この世界において珍しく結ばれた男の友情。
 一刀はそれを胸に旅立ちの決意を改めて強いものへとした。
「なんだか、意味がよくわからないことをしていたようだけど。もう満足したかしら?」
「ああ、行こうか」
「うむ! 我ら北郷軍、出陣だ!」
「おおおおおぉぉぉぉぉぉ!」
 兵たちの士気も最高潮に達し、その声は城内全てへと響かんとしていた。
「お前ら、馬鹿か! 気付かれるだろうが!」
「あんたの声も十分うるさいわよ!」
「お前もなぁ! そして私もだ!」
 ぎゃあぎゃあと喚き合いながら彼らは城を出て行く。
 出立にしては緊張感の欠けた、それでも彼ららしい行軍が始まる。
 さあ、阿呆が万人、いざ共にゆかん。

 †

 公孫賛は、何者かが兵を率いて城を出たという報告を受け慌てて玉座の間へと赴いていた。
 つかつかと早足になる彼女はどこからどうみてもそわそわと落ち着きがない。
 一体、何が起きたのか事態の収拾には時間がかかるだろうと思いながら、広間へと公孫賛は足を踏み入れる。
「おい、騒々しいが何があったというのだ」
「は、それが……造反があったという報告が入りました」
「何だと! 誰が、何故?」
 焦りによって良く滑る口調の文官を問いただす。
「か、華雄将軍と賈駆殿を見たという目撃情報が……それに、もう一人男がいたと」
「男……だと?」
 顔を険阻なものへと変えると、公孫賛は考えこむ。
「おい、趙雲、鳳統らを呼べ」
「現在、呼びに出させております」
「……そうか」
 公孫賛はなるべく落ち着いた様を取り繕う。
 一つの予想ができたが、それならば動揺していると勘付かせてはならない。
「待たせましたな。趙雲、参りましたぞ」
「……あ、えっと、鳳統も共に」
「ああ、良く来たな。それでは、他の者は一度下がってよい。あと、今のうちに本初たちと呂布、陳宮も召集をかけておけ」
 唖然とする武官文官を退出させると、公孫賛は二人を招き寄せて話し始める。
「これから、少々確認しにいこうと思う。共に来てくれるか?」
「御意」
「ええ、参りましょう。私も少々気になることがありましてな」
 そう答える趙雲の瞳は意味深な輝きを放っていた。
 三人はそそくさと玉座の間を後にすると、一目散に一室へと向かった。
「よし、入るぞ」
 二人が頷くのを確認すると、公孫賛はゆっくりと扉を開く。
 室内はまるで書庫のような効率さを優先された雰囲気となっている。
 そこに人が生きる上で起こりうる乱れは見られない。
「予想通りということか」
 殺風景な見た目によって朝の気温を一段と低く感じる公孫賛はそっと自分の身体を抱きしめる。
「ん? これは……」
 机の上に置かれた柳行李を見つけ、公孫賛は丁寧に開いていく。
「おい、どういうことだ」
「なんと、やはりそういうことでしたか……」
「あ、あの、ちょっとすみません。見えないです」
 背後でぴょこぴょこと撥ねる音が聞こえるが、公孫賛はそれを気にしている余裕はなかった。
 彼女の瞳には柳行李の中の白い見覚えのある服とその上に置かれた一振りの剣が映っていた。
 公孫賛はその剣を手に取ると、よく観察する。
「この長さ、装飾……間違いない、あいつに渡した普通の剣」
「ふ、普通とはこれまた素敵な名前ですなぁ」
「やかましい!」
 鼻で笑う趙雲を一睨みすると、公孫賛は再度普通の剣へと眼を移す。
 そして、もう片方の手に公孫賛は一降りの剣を握る。
「一刀に渡したこれを敢えて旧・普通の剣とするなら、これはさしずめ新・普通の剣だ」
「ほう、相変わらず普通ですなぁ」
「……つまり、これでついに私の両手に普通の剣が揃ったわけだ」
 公孫賛は両手を顔の前に持ってくると、二振りの剣をじっと見つめる。
「……えっと、どういう意味なんでしょう?」
「雛里よ、深く考えるな。これは白蓮殿の病気のようなものだ」
「これで……これで、普通に普通の均等が取れたというわけだな。まさに普通の中の普通だということか。あははは……って、ふざけんなぁ!」
 朗らかに笑いながら公孫賛は新しい方の普通の剣を床にたたきつけた。
「普通のダメ押しとは何を考えてるんだあいつは!」
「えっと……これは訂正したほうが?」
「恐らく、動揺のあまり混乱しておるのだ。そっとしておくべきだろう。何よりその方が面白い」
「は、はあ、そうですか」
 一歩離れたところでごちゃごちゃと何か話している二人をそっちのけにして公孫賛の憤慨は続く。
「普通で何が悪い? 悪くないだろう! ……まあ、良くもないから普通なんだけど。いや、だから普通って――」
「む?」
「あ、席を外していた方が……」
「うむ、その方が良さそうだ」
 扉が閉まる音がしたところで、公孫賛は普通の剣を机に置き、中から白き衣を取り出す。
 ところどころにほつれや汚れが残るそれは間違いなく北郷一刀が日頃愛用していたものだ。
「……かずとぉ」
 公孫賛は白き上着に抱きすがるようにして顔を埋めるとその場にしゃがみ込む。
 布地から良く染み込んだ彼の匂いが香る
(こんなにも心臓はばくばくいっているのにどうして、こうも落ち着くのだ……)
 一気に押し寄せる感傷に浸りながら公孫賛は溜め息を零す。
「お前はどこを見ているんだ……私にはそれを見ることは許されないというのか」
 それから半時の間、一人になっていた公孫賛は彼の残した遺物を手に部屋を出た。
 廊下では戯笑じみた表情をしている趙雲と、心配そうにおろおろとしている鳳統がいた。
 公孫賛は二人の気遣いに礼を言うと、再び玉座の間へと戻る。
「白蓮殿、結局の所……」
「すまん。話は向こうについてからにしてくれ」
 趙雲にそう答えると、公孫賛は駆け足にも誓い速さで玉座の間へと向かった。
 先ほど命じたとおり諸将はそろい、現れた彼女の姿を待ちわびていたといわんばかりに見つめてくる。
「すまん、待たせた。それでは、軍議を始めるとしよう」
 そう告げると、玉座へと腰掛ける。
「ねね、糧食などに異変は?」
「一見すると特にないかと。ただ、改めて調べると少しずつなのですが、誰かがくすねた形跡があったのです」
「なるほど……次、恋。何か気付いたことは?」
 本能だけでいえば他の誰よりも鋭い彼女ならばと公孫賛は呂布の方を見る。
 褐色の頬を掻きながら呂布はぽつりと答える。
「……ご主人様、いない」
「なんですとぉ!」
 陳宮が驚愕の声を張り上げる。他の武官、文官もみなざわつき始めている。
「雛里、その他の点で気がついたことは?」
「え? あ、はい……まず兵士さんたちの装備がいくつか紛失しています。また、華雄隊を初めとして多くの兵が消息を絶っています」
「そうか……。他に何かあるものはいるか?」
 意見はないかと居並ぶ顔を見渡すが皆落ち着きなくざわめいている。
 公孫賛は肩を竦めると、腹に力を込めて声を張る。
「聞けぃ!」
 一瞬で場はしんと鎮まる。
 丸くなった目が自分の方を向くのを確認すると公孫賛は咳払いをする。
「実はだな……今回の事は極秘裏に一刀に頼んでいたことだ。だから、それほど慌てることはない」
「本当ですか? どうにも信じ難いのです……」
「…………」
 腕を組み首を捻る陳宮。その隣にいる呂布も何か言いたげな様子で公孫賛を見ている。
 公孫賛は尚も冷静な様子を振る舞いながら陳宮の言葉に答える。
「無論、そうだろう。敵を騙すにはまず味方から、お前たちも騙していたのだからな」
「影薄君主にそれだけの思考力があるとは思えないのですが……」
「落ち着け、ねね。白蓮殿も考えあってのことだというからには、時機に理由を話してくれよう」
 そう言うと趙雲は公孫賛の方を見て片目を瞑る。
「そ、そういうことだ。だから皆、余計な混乱は招かぬよう努めよ」
「は!」
「よし、それでは各自普段の仕事へ戻れ」
 諸将が席を立ち去っていく中、趙雲と鳳統だけが残り公孫賛の元へと歩み寄る。
「よく頑張りましたな。白蓮殿」
「……ご主人様のため、なんですよね?」
「やはり、お前たちにはお見通しってことか」
 脱力して深々と席に沈みながら公孫賛は額に手を当てる。
 肌はいつの間にかじっとりと汗ばみ前髪を張り付かせていた。
「やれやれ。あいつには本当に困ったものだ。私に後始末を任せてどうするつもりなんだか」
「いつも突飛なことをお考えになりますからなぁ」
「どんなときも私たちと違うところで物を考えている……そんな気がします」
 三人は物思いに耽るように天井を見上げる。
「なあ、もしかしてあいつは死ぬつもりなんじゃないか?」
「何故です?」
 天助に向いた顔を戻した趙雲と鳳統に公孫賛は一刀の残した品を見せる。
「この剣を見ろ」
「ふむ、実に普通ですな。白蓮殿にぴったりと言えましょう」
「そこじゃない! これは私が以前あいつに授けた剣だ」
「……ということは?」
「あいつは本格的に軍を離れると言外に伝えてきたってことだ」
 旧・普通の剣を腰に差しながら公孫賛は溜め息を吐く。
「そのうえ、この衣だ。あいつが天の御遣いである象徴と言っても差し支えないものだ」
「確かに。それがあったればこそ、天の御遣いであり主であるという目印となっておりましたな」
「……ということは、ご主人様はもう」
「ああ、天の御遣いであることをやめたのだろう」
 公孫賛は白き衣をその腕に抱きながら肩を落とす。
「まるで、もう生きて戻るつもりがないとしか思えないんだよなぁ」
「おやおや、弱気とはいけませんな。君主たる者がそれでは皆陰鬱としてしまいますぞ」
「お前は何故それほどまでに平然としていられるんだ?」
 悲しみと苛立ちを秘めながら公孫賛は趙雲を見る。
「主に死ぬ気はない、そう信じております故。まあ、少々憤りを感じるのは確か。しかし、また会えるのならばその際に本人にぶつければよいこと」
「……星さん? どうしてなんです」
「そうだ、どうしてわかる?」
「ふ、雛里はともかく白蓮殿までおわかりにならぬとは……」
 肩を竦めやれやれと首を振ると趙雲は歩き出す。
「星、お前には一体、何がわかっているというのだ!」
「御自分で思い出しなされよ。その方が主にとっても白蓮殿にとっても良いでしょう」
 趙雲はそう告げて公孫賛を一瞥すると広間を後にする。
「それでは、主が帰ってくる場所を守るため今日も仕事に励みます故、失礼」
「何がお前をそれほどまでに信じさせているんだ?」
「白蓮さん?」
「いや、なんでもない。それじゃあ、私たちも政務に向かうとしよう」
 首を傾げ考え込む鳳統を連れ、公孫賛は自分の成すべき事をするため玉座の間を後にした。

 †

 渭水に設けられた陣の中を曹操はゆったりとした速度で歩いていた。
 長安を発ち、馬騰らとの戦に備え、進軍を行ってきた。
 既に馬騰、韓遂両者の元へ使者も送り、降伏勧告も迫っている。
「そう簡単に降るのならば、これ程の準備など必要はないとおわかりでしょう?」
「それでも、一応聞いておくべきではなくて? この曹操の器に入る気があるのか無いのか」
 非難するような視線を向ける郭嘉を連れながら曹操は陣の様子を眺める。
 あくせくと設営に動こう者たち、何度も調練を行い汗を流す兵士。
 馬の調整をする馬夫。
「稟。貴女はどう見ているのかしら?」
「兵力に関してはこちらが上、されど質は未だ羌兵には及ばずといったところ。手強い相手と考えて間違いないでしょう」
 堅苦しい口調の郭嘉に「そう」とだけ答えると曹操は空を見る。
 そこへ、駆け寄ってくる者がいた。
「華琳さま。夏侯妙才、ただいま到着しました」
 天色の髪を肩口で切りそろえた女性が曹操の前で軍令を取る。
 彼女は片側だけ垂らしている前髪からは鋭い右目が覗いている。
「運搬に関しては上手く言ったのかしら?」
「手筈通り」
「ご苦労だったわね、秋蘭。ところで風はどうしたのかしら?」
「先程まで共にいたのですが……陣容の確認をとどこかへ消えてしまいました」
「今回は真剣になっているのかしら」
「大方どこか陽射しが程よいところでも探して居眠りでもしていそうですが」
 郭嘉のどこか呆れの混じる声色にくすりと笑いながら曹操は歩を進める。
 しばらく見て回っていると、空に向かって両手を掲げながらふらついている少女の姿を見つける。
「何をしているの、風」
「おお?」
 少女はのほほんとした表情のまま曹操の方を向く。
「少々、日当たりの良さそうなところを探していたのです」
 頭に妙な人形を乗せた金髪ふわ髪の少女は間延びした口調で答える。
 程cは普段どおりの考えの読めない半眼で曹操を見ながらも両手を挙げたままの姿勢を取っている。
「どう? 貴女にとって日輪をその手に感じるかしら」
「それがどうも、しっくりこなくてですねぇ」
 程cが首を捻りながら両腕を下げると、その細い指はそっくり隠れてしまう。
「風? あなたは本当に寝る場所を探していたのですか?」
「まさかと思ったが……いや、風らしいといえば風らしいか」
 郭嘉と夏侯淵が苦笑混じりに肩を竦める。
「風、かつての陽は貴女にとって支えるべきものではなくなったのかしら?」
「いえー、風の目には曹孟徳こそが未だ太陽として見えていますよ。ただ、何か不穏な雲を感じまして」
 程cの答えに満足そうに頷くと、曹操は彼女の元を後にした。
 忠告を受け止めながらも曹操の胸はますます躍る。
(まだ天はこの曹操を試すのをやめるつもりはないか……ならば、よし!)
 覇道を進まんとする少女は自らの限界を定めず先へと進む。
「さて、馬騰らの返答は如何に……」
 顎に手を当てる曹操の元へ書を携えた使者がやってきた。
「西涼連合からの返書です」
 書簡を受け取ると、曹操は凡人には真似できないような速度で眼を通していく。
「どうだったのですか?」
「やはり、漢中十部と称されたことがある程の英傑ね。この一線は譲るつもりはないとのことよ」
 夏侯淵の問いに曹操はふっと笑みを浮かべながら応える。
「それでは?」
「ええ。これより馬騰、韓遂らの討伐を行う」
 そう告げると、曹操は終決している将兵の前へと歩み出る。
「我らと敵対する者らはこの丞相の頸を狙おうと画策した反逆者である。これを討つに当たって一切の情を持つことも許さぬ。肝に銘じよ」
 そう、このとき既に朝廷の計らいによって三公は廃され、曹操は代わりにできた丞相の位に就いていた。

 †

 出立の日から幾日も経過していた日のこと。
 北郷一刀を中心とした軍は青州を経由して徐州入りを果たしていた。
 青州には元黄巾党の残りもまだおり、黄色の頭巾を提示するだけで見て見ぬ振りをして通してくれた。
 そうして、泰山を遠くに見据えながら山間を抜けるように行軍を続けていた。
「思ったよりもすんなりとこられたもんだな」
「それはそうよ。雛里から以前聞いていた情報で想定は万全なのよ、これくらいは当然でしょ?」
「とはいえ、流石にこれほど戦闘がないとはなぁ。気合いを入れていた分、少々力を持て余すぞ」
「あんたは黙りなさい。脳筋馬鹿」
「だ、誰が馬鹿だ!」
「脳筋はいいのか……」
「脳まで鍛えられている。非常に素晴らしい褒め言葉ではないか」
 二の腕に力こぶをつくって不敵に笑う華雄を見て一刀は拍手をしていたが、彼の口がああ本物だと呟いたのを賈駆は聞き逃さなかった。
「そろそろ日も暮れるな。もう少しいったら森があるようだし、あそこで夜営にしよう」
「そうね。どこぞの脳筋さんが途中で仕留めた獲物もあるし、ちょうどいいわね」
 そう言って馬の方を横目で見る賈駆。
 鞍の腋には兎や猪がくくりつけられている。
「はっはっは、腕がなまるといかんからな」
「華雄の場合は本当にどこかで発散しないと危なそうだもんな」
「ん? 何か言ったか」
 じろりと睨む華雄に一刀は乾いた笑みで答えるのだった。
 そのまま北郷軍は陣を敷き始めていく。
「さて、俺も何か手伝うとしようかな」
「別にあんたが態々行かなくてもいいはずよ?」
「華雄じゃないけど、俺も少し身体動かしたくてね」
 賈駆にそう答えると、一刀は動き回る筋肉の中へと混ざっていく。
 それを見送りながら賈駆は改めて北郷一刀の人となりを実感していた。
「ああいう、ところよね。慕われる理由ってのは……」
 兵士と他愛ない会話をしながら作業に取りかかる一刀を見ながら賈駆は口元をほころばす。
「何を一人で笑っているのだ?」
「な、何でもないわよ。それより、あんたは何かしないの?」
「無論しているぞ。偶々、途中で立ち寄ったら貴様が何やらにやけていたから声を掛けただけだ」
 ぼっと顔が真っ赤になるのを感じながら賈駆は華雄を睨む。
「そ、そんなわけないじゃない。ばっかじゃないの! ぼ、ボクもなんか手伝いに行くから、それじゃ」
「何を怒っているのだ? よくわからんやつだな」
 頭を掻きながらぶつくさいう華雄を残して賈駆は逃げるようにして立ち去るのだった。
 それから設営に携わっているうちにすっかり辺りは暗くなり、夜の鳥や虫の鳴く声が一際大きく聞こえ始める。
 一刀が額の汗を腕で拭いながら一息ついている。
「ふう。準備も終わったし、この後は食事だな」
「…………」
「ん? どうしたんだ、詠」
「ボクも物好きだなーと思ってさ」
 組んだ脚に膝をおいて頬杖を突きながら賈駆は溜息を吐く。
「よくわかんないけど、ほら食事だ」
「ありがと……って、あんたの配当の順番って最後なわけ?」
「ああ、なんかみんなにちゃんと行き渡るか見てるうちに気がついたらいつも最後になってるんだよ」
 そう言って頬を掻きながら苦笑する一刀を見ながら賈駆はお下げをいじりながらほんのり赤くなった頬を緩めた。
(それだから、ボクが見るのはいつもあんたなのよ……まったく自覚くらい持ちなさいよね)

 †

 食事も終え、身体を休めようと皆宿営にて眠り付いて数刻後のこと。
 すっかり夜も更けた中、一刀は不意に目が覚めて辺りを見回す。
 共に寝ていた賈駆と華雄の姿が消えていた。
「んぅ? どこいったんだ、二人とも……」
 寝ぼけ眼を擦りながら一刀は陣内を回ってみるが見つからない。
 たまたま見かけた警備兵に訊ねると以外にも答えは返ってきた。
「先程、何やら用事があるとのことで森の奥へと行きましたよ」
「……危ないなぁ」
「いえ、しかし華雄将軍もご一緒でしたからそれは大丈夫かと」
「それでも一応心配だからちょっと見てくる」
「では、我々も共に」
「うーん。いいや。ちょっと見てどこかわからなかったら戻ってくるから」
 そう言うと、一刀は兵士に礼をいって二人が消えた先だという森へと足を踏み入れる。
 鬱蒼と茂った木々の合間を通りながら慎重に歩いていると、なにやら水音が聞こえてくる。
 せせらぎのようなそれは前進するにつれて徐々に大きくなっていく。
 茂みに身を隠しながら一刀はのぞき込む。
「……ふう。さっぱりした」
 そこには月夜の下、一糸まとわぬ姿で水浴びをしている女性の姿があった。
(おおっ! これは素晴らしいものに巡り会えた!)
 藤紫の髪の毛を肌に纏わり付かせたその裸体に一刀は見覚えがある。
 最近、見たばかりのその白い肌、引き締まったくびれ、指を沿わせたくなる背中。
「やはり、こういうときにこそ生き返るというものだ」
 肉付きがいいのにたるみのない引き締まった桃尻。
(こりゃいいや。しばらくは声を掛けずに華雄を観察……じゃなかった警備しとくか)
 鼻息を荒くしながら心の中で弁明をすると一刀は一瞬たりとも見逃さないように眼を凝らす。
 華雄が自分の肌に水を掛けるたびにその雫がつるんとした表面を滑り撥ねている。
「どうせ、誰もいないし……よっ!」
 かけ声と共に華雄はどぶんと水中へと潜り込んだ。
(見えなくなるからそれはやめろぉ!)
 ぎりぎりと歯軋りをする一刀は眼を剥いて荒々しい鼻息をふん、と吐き出して憤りを露わにする。
 見たいという欲求に駆られて徐々に前傾姿勢になりながらも一刀はギリギリで茂みの中に身を潜めて待つ。
 しばらくしてざばっという音と共に人魚のように美しい存在が姿を現した。
 芸術品のように適度な割れ方をした腹筋、公孫賛にちょっと勝ってるくらいの大きさの美乳。
 以前より少し伸びている髪は肩胛骨のあたりにはりつきそれが彼女の姿を扇情的に見せている。
 ふう、ふうという一刀の発する音は徐々に鼻息でなく荒いと息によるものとなっていく。
「流石に一刀がいては恥ずかしいしな。匂ってないよな?」
 二の腕に鼻を当ててすんすんと匂い嗅ぐ姿を見て一刀は感動を覚えていた。
(華雄も女の子らしいことを気にするようになったか……)
 感涙にむせび泣く一刀だったが、興奮のあまり足を踏み出してしまう。
 ぺき。
 凄まじくゆっくりとその音が一刀の耳に届いた直後。
「何奴!」
 とてつもない速度で木の枝や小石が飛んでくる。
 一刀がそれらをギリギリで避けると、背後にあった木の幹に枝がざっくりと突き刺さる。
「おいおい、これ殺されるんじゃ……」
「そこかぁ! 待てぇい!」
「やべっ、逃げろ!」
 もしかしたら背後に迫る華雄は全裸なのでは、そんな疑問に立ち止まりそうになる一刀。
「ちょ、ちょっとくらいなら――いっ」
「くたばれぇぇ!」
 丸太と思しき物体が高速で一刀の頭の上すれすれを飛んでいく。
「不味い不味い、俺だって言う前に……やられる!」
「待たんかぁ! 罰を与えてくれる!」
「こ、こうなったら一か八か!」
 土煙を上げそうな勢いで追いかけてくる華雄を撒くために一刀は茂みへと滑り込む。
「どこだあ! どこにいったぁ!」
 華雄の怒声が徐々に遠のいていくと、一刀はほっと胸をなで下ろす。
「何よ、今の声……うう、そろそろ限界だし、もうここでいいわよね」
 何やら女の子の声がする。
 誰かいるのだろうかと一刀は茂みから顔だけ出す。
「ん? 誰かいるのか!」
「ちょっ、なんであんたがここに……あ、だめっ! みちゃ――う、は、あぁ」
 かがみ込んだ賈駆が真っ赤な顔を背けながら両手を振っている。
 一刀は何をしているのだろうかと首を傾げている。
 すると、
 ――ちょろ、ちょろちょろちょろろろろ。
 小川のせせらぎのように爽やかでどこか幻想的な音色が一刀の耳に入ってきた。
(こ、これは……黄金のわき水が桃源郷より流れ出ている!)
 よく見れば、賈駆は下着ごとタイツを下ろし、可愛らしいお尻を晒していた。
 その秘部からは聖水が湯気を立てながらチョロチョロと出ている。
「い、いや……み、みるなぁ……ばかぁ。うう、なんでとまんないのよぉ」
 ちょろろろろ。
 フルフルと震える膝の合間から止めどなく流れ出る小川はやがて激流のように勢いよく地面へ向けて注がれていく。
 一刀は唾を飲み込みながらその光景を凝視する。
「お、俺のことは気にするな。その辺の石ころだと思え」
「それよりも眼を背けなさいよぉ……ああん、もう、見るなぁ!」
 顔を両手で覆いながら怒声を浴びせる賈駆を無視して一刀は見守る。
 やがて滝は細々としたものとなり、次第に点々としはじめ雫となる。
 賈駆と一刀の間には大きな水たまりが出来上がっていた。そこから、湯気とぬくもりがほんのりと漂っている。
「うう……なんて場面で現れるのよ……」
「なに、気にするなって。仕方ない仕方ない。なんなら俺が拭こうか?」
「いい加減にしろー!」
「あいたっ!」
 熟した林檎のような顔をした賈駆の蹴りに一刀が呻くと背後の茂みがガサガサと揺れる。
「見つけたぞ! のぞき魔ぁ!」
「げっ!? え、詠! かくまっ――へ?」
「コロス、コロス、コロス……」
 助けを求めるように見た賈駆は、怒髪天をつく勢いでゆらゆらと怒気を立ちこめている。
 前門の賈駆、後門の華雄。
「だ、誰か助けっ……ひぃぃ、いやぁぁああ!」
 この後、奇声に驚いた夜営が来るのだが賈駆、華雄両名によって返され一刀の地獄が続いたのは言うまでもない。
 翌朝、顔中をぼこぼこに腫らした一刀と恐怖によって統制の取れた兵士たちの進軍は再開された。
 一刀の傍にいる賈駆と華雄はどこか不機嫌さを醸し出している。
 時折、一刀に慰めの声を掛けてくれる兵士がいる中、元董卓軍の兵士が歩み寄ってくる。
「ほ、北郷様」
「ん、なに?」
「さ、昨夜はまさか、賈駆さまと華雄さまとお、お楽しみだったので?」
「ないない。いやまあ、ちょっと……かなりイイ思いはしたんだけどね」
「な、何をなさったのですか? 賈駆さまが普段のツンから甘えのデレになったとかですか?」
「え? いや、そういうのじゃなくて」
 ぐいぐいと迫る元董卓軍兵士にどこか自分と似たものを感じ、一刀は驚きを覚える。
「そうか、お前もそういうの好きか?」
「え、ええまあ……」
「実はな、昨日はちょっとばかしのぞきをだな」
「うぉっほん!」
 両側からの咳払いに一刀は身を竦ませて元董卓軍の兵士を遠ざける。
 それからしばらくの間一刀は華雄、賈駆の両名によって賢個な護衛を受けることとなった。
 他の兵士たちと話すこともできぬまま、行軍を続けていくうちに山間を抜けて一つの街を見つける。
「あそこが、目的地よ」
「いよいよだな……」
「事前に手筈は整えてあるかけど、あんた、失敗するんじゃないわよ」
「わかってるって。詠も華雄もくれぐれも気をつけるんだぞ」
 互いに頷きあうと彼らは一様に街へ向けて進んでいく。
 彼らの戦いはようやく始まりを迎える。

 †

 雍州を基として曹操軍と涼州連合の戦は始まった。
 各自の集団が同盟を組むという形を取っていること、羌族や氐族など馬術に長けた兵が多いこと。
 その二つが何よりも曹操軍を苦戦させていた。
 曹操軍にも騎馬隊はある。しかし、その練度、数のどちらとも涼州兵には及ばず、苦杯をなめさせられている。
「うぬぅ、思ったよりも小賢しい戦い方をするものだな」
 七星餓狼の柄を握りしめながら歯がみする夏侯惇を妹の夏侯淵が宥める。
「そうムキになるな姉者。冷静さを欠けばますます奴らの思うつぼだぞ」
「わかってはおるのだが、どうにもちくちくと刺すような攻撃ばかり仕掛けてくるのが気にくわん」
「ですから、それが彼らの強みなのです。元々、外敵を常に見ながら手を結んできた一団。各個撃破するのも難しければ、纏めてというのもまた厳しい」
 眼鏡に触れながら郭嘉が答える。
 それに対して、夏侯惇はますます、苛立ち気味に食ってかかる。
「ではどうしろというのだ?」
「姉者、落ち着け」
 ここのところ、涼州兵の奇襲が続いていた。
 それもことごとく小規模によるもの。それでいて騎馬によるもの故に追撃もなかなか上手くいかない。
「今は我慢の時です。少しずつですが敵を退け前進しています」
「とはいえ、折角秋蘭が運んできた糧食や家畜どもには余り手を付けるなと言うし」
「あれは、どうしようもなくなったときに必要なのです」
 郭嘉がそう答えると、どこからともなく『ぐう』という音がする。
「わ、わたしではないぞ!」
「姉者、まだ何も言ってないぞ」
「いや、だからわたしではないと……」
「えへへ、ボクだったりして」
 頭を掻きながらやってきた許緒が恥ずかしそうにはにかむ。
「季衣か。どうしたのだ?」
「えっとね、華琳さまが秋蘭さまを呼ぶようにって……」
「私を? わかった、すぐに行く」
 許緒に頷き返すと、夏侯淵は曹操のいる幕舎へと向かう。
「一体、私に何を?」
 疑問に思いながら中へと入ると、曹操は地図を見たまま何やら考え込んでいる。
「華琳さま。お呼びでしょうか?」
「秋蘭、あなたに騎兵の殆どを任せようと思うの」
「構いませんが、何故ですか?」
「ふふ、私はね、貴女の行軍の速さを買っているのよ。その機動力は我が軍でも随一。それを使わない手はないでしょ?」
「確かに、その点に関して自信はあります」
「ならば、こちらが引き立て役となりましょう。涼州の騎兵に貴女という存在を刻みつけなさい」
「御意。この夏侯淵、必ずやご期待に答えて見せましょう」
 静かに答えると、夏侯淵は軍令を取り幕舎を後にした。
 外へ出ると、そわそわとした姉の夏侯惇を始め許緒や郭嘉が待っていた。
「な、何の話をしていたのだ?」
「大役を任せられた」
「ホントですかっ!」
「一体、何を?」
「いずれ、華琳さまがお伝えするだろう。それでは、私は準備があるから行かせてもらうぞ」
 興味津々といった様子の三人を後にして、夏侯淵は自分の得物の手入れをしようと天幕へと入る。
「……ぐう」
「ふ、こんなときでも暢気なやつだ」
「おお、これは秋蘭さんではありませんかぁ」
「起こしてしまったか?」
「いえいえ、そんなことはありませんよぉ。それより、秋蘭さんの出番のようですねぇ」
「ほう、わかるか?」
 眠そうな顔でぬぼおっとしている割に冴えている程cに夏侯淵は自然と頬を綻ばす。
「風もあちらの戦のやり方を見ていて適任なのは秋蘭さんだと思いましたのでー」
「そうか、風もそう思ったのなら間違いはなさそうだな」
 餓狼爪の調整をしながら夏侯淵はふと思ったことを訊ねる。
「なあ風よ。この戦、勝算はどれ程だと思う?」
「曹操軍の戦ですから、常勝でなくては……と言いたいところですが今のままでは厳しいかもしれませんねぇ」
「そうか」
「ですが、風や稟ちゃんが策を立て、春蘭さまや秋蘭さんを初めとした皆さんが動いてくだされば勝てます」
「断言するのだな?」
「ええ、我が軍は最強の布陣が揃っていると信じていますから」
「そうだな。何せ、統率するのがあの御方なのだからな」
 程cと話しているうちに夏侯淵の中にある重みは大分抜けていた。
 夏侯妙才、彼女こそが氐族、羌族を相手取り名を残す将であることを今はまだ誰も知らない。

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