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336 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2010/11/07(日) 22:56:16 ID:xlHCdNDR0
>>335
一刀十三号氏の場合は改訂なので差し替えという形になっていますよ。




無じる真√N-56話

(注意点)
・時折18歳以上が対象となる描写が混じることもあります。
・一文の改行を行っておりませんので横スクロールが長いです。
※読みにくい場合、お手数ですがエディタやビューア、スタイルシートなどをご利用になり
御自分に適した形にするとよいかもしれません。

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(当方へのご意見、ご指摘など)
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 「無じる真√N56」




 張繍の乱がその成果を遂げることなく惜敗という結末を迎えてから数日後、その話は間者を通して各地へと伝わっていた。
 冀州、鄴に居を構える公孫賛軍もその例に漏れず情報を仕入れていた。
 彼女は朝の軍議において、その報告を受けたところだった。
 眠気も抜け、気力も充実していく中、軍議も終わりを迎えようとしていた。
 間者の運んできた情報を纏めて小柄な少女が説明を担当している。
 少女は頭に乗せた先の折れたとんがり帽子がゆらゆらと揺れるのを片手で押さえながら話していく。気がつけば場に眠気を残している者が一人もいなくなっていた。
「……以上が曹操さんのところであった動きです」
「詳細までは残念ながら調べることはできなかったようだが、それでも圧倒的に不利な戦局を一転させたというのは間違いないということで良いのだな」
「はい、それは確かな情報です」
「ふむ、そうか。やはりそこは、流石曹操と言ったところか……」
「そうですな。武勇に長けた将、知略に長けた軍師などを抱え込んでいるとはいえ、やはり束ねる君主の才がそれらを十二分に活用しているといえましょう。そう、統率者としての才が……」
「…………その哀れみの眼をやめろ、星」
「おや? 流石に目は口ほどに物を言うということですか……いやはや困ったものですな」
「おい、ちょっと待て」
 満面の笑みを浮かべながらも哀れむような視線を向けてくる趙雲に公孫賛の眉がぴくりと吊り上がる。
「やれやれ……白蓮のような君主だとそれを支えねばならん我らの苦労もまた大きいというものだな。しかし、この華雄にとってみればそんなこと鍛錬、修練、訓練! どうということはないわ!」
 何故か胸を反らしてむふうと鼻息を荒く吐き出す華雄に公孫賛はがっくりと項垂れる。
「お前らなぁ……くそ、どうせ私には何にもないさ! ああそうさ! どうせ普通だよ!」
「いえいえ、人間探せば何か長所があるものですぞ」
「……そ、それは本当か? た、例えば?」
 公孫賛は僅かに身を乗り出しがちに訊ねるが趙雲は明後日の方を向いたままである。
「ですから、探せば見つかるでしょうな」
「……あのなぁ」
 じっと見つめる公孫賛の責めるような視線も涼しげに受け流し趙雲は眼を細める。
「人は皆、己というものを自分で探さねばならぬ運命なのかもしれませんな」
「もっともらしいようでそうでもないことを言って誤魔化すんじゃない」
「……え、えっと……と、取りあえず、会議を締めませんか?」
「あ、ああ、そうだな。では、本日の朝議はこれまで」
 か細い声による鳳統の申し出に応じ、力の籠もっていない声で公孫賛がそう告げると趙雲がいち早く踵を返して歩き出す。
「では、私はこれにて。主たちがおらぬ故、少々忙しい身となってしまいましたからな」
 公孫賛を一瞥すると、趙雲は普段通り不適すぎる笑みを携えて外へと出て行ってしまった。
「まったくだな。詠も霞もおらぬがために私まで仕事の上乗せがされているわけだからな」
「悪いな、華雄」
「ふん。これも自己鍛錬と思えばよし。そういうことだ」
「……え、えっとでは、私もこれで」
「ああ、雛里は後で政務の手伝いを頼む。無能な私じゃ裁ききれんからな……はは」
「……あわわ」
 おろおろする鳳統も気にせず公孫賛は膝を抱え込んで虚ろな目で笑う。
「やれやれ、そのように暗い顔をしていても何も始まらんぞ!」
 その大声と共に公孫賛の背中からばちんという破裂音のようなものがする。
「いだっ!」
「はっはっは! それだけの声が出るのなら心配は要らないようだな」
「……たく、お前はもう少し加減というものをだな」
 背中を叩いた犯人である華雄をじろりと睨みながらぶつぶつと文句を垂れる公孫賛だが、内心では彼女の言う通りだとも思い静かに息を吐くと気持ちを切り替える。
「くよくよしてても仕方がない。行くとするか」
「……そうですね」
「うむ。例え、力量不足だとしても仕事はちゃんとこなしてもらわんとな」
「一言余計なんだよ」
「気にするな。本当のことなのだからな」
 顎に手を添えて小さく笑うと華雄は速い足取りでささっと公孫賛の元を後にした。
 鳳統もぺこりとお辞儀するとそれに続くように出て行った。
「一刀の担う仕事も以外とあったんだな」
 賈駆と張遼という実力者が抜けたことも痛手だが、それと同じくらいに北郷一刀の留守による影響があった。
「はあ……一刀か」
 北郷一刀、幽州のとある地にて公孫賛が拾い上げた少年。彼は現在のような一大勢力となった軍と比較すると岩と石ほどの差があった当時の公孫賛軍を支える柱となってくれた。
 不思議なところのある人物だった。今でも何か公孫賛の知らない面を持っているような気がしてならない。
 また、少年は自らの存在を軽く考えている節が見受けられたりと彼女としても気が気でないところがあったりもする。
 そんな一刀もいつの間にか顔つきに積み重ねた年月の分に相応した逞しさのようなものを纏っている。年齢もあるのだろうが、その顔はどこかあどけなさの残る少年から生きる上での強さを持つ青年へと変わりつつある。
 少なくとも彼を見つめ続けている公孫賛にはそれが感じられる。
「しかし、なんだろうな。この蟠りは」
 最近、公孫賛は軍議や謁見、政務など公私の公≠フ方では一刀と会っているが、私≠ノ関してはからっきしだった。
(以前のように特別避けられている感じはしないのだが……)
 偶然、私生活における彼との時間を取れないとはどうしても彼女には思えない。無論、彼女自身が彼のことを見ているだけで動こうとしないのも原因の一つと言えるだろう。
 それを考慮したとしても公孫賛にはやはり一刀と上手くやれていないような気がしてならない。
(疑うのはよくない……が、抑えきれないこの気持ち。どうしろというんだ。一刀)
 今はいない少年のことを想いながら公孫賛は外を見上げる。心の内とは違い空はからっと晴れ上がっている。

 †

 公孫賛の心の片隅に引っかかりを残した少年は今、久しぶりに幽州へと赴いていた。
 共にやってきた張遼は現在、烏丸兵を連れて調練へと出ている。
 また、同じく少年と共にやってきた賈駆は既にこの地を治めている県令の元で政務の按察を行っていた。
 今回、幽州へ戻ってきた理由には張遼、賈駆の二人が関係していた。
 現在は張遼隊へと組み込まれている烏丸族、その士気を散らさぬ為に一旦、帰郷をさせるというのがこの遠出における主な名目であり、それを申し出たのが賈駆である。
 一刀は烏丸兵を率いていた所謂前任者という立場故に彼女らに同行してこの地を踏むことになった。
「だけど、なんか釈然としないんだよなあ……」
 烏丸兵に関する前任者でありながらもそれは大分前の話であり、今はもうすっかり張遼隊として溶け込んでいる。
 現に一刀が誰かに付き合うことなく一人で街をぶらついているのが良い証拠である。
「俺……来る意味あったのか?」
 こうして同行してきものの、張遼隊の調練には主に身体能力的な面でついていけるとは到底思えないため不参加となり、政務などに関しては賈駆から必要ないと言われ追い出されてしまった。
 結果、一刀は視察を一応の理由として、たった一人で街を散策するしかなかったのである。
「特に異常なしっと」
 誰に報告するわけでもないが口に出してみる。一刀の胸に妙な空しさがじわじわと広がっていく。
「……俺は何を求められてここにいるんだ?」
 一刀は足を止めると、近くの屋台から漂う香りに負けて肉まんを購入する。
 適当な策に寄りかかりながら肉まんを頬張りつつ一刀は空を見上げる。
 青々とした空、ゆっくりと流れゆく雲。空に広がる蒼天は雄大かつ緩慢な動きを見せる。
「ま、いっか。俺ものんびりするとしよう……久しぶりの休みだし」
 大陸に散逸している諸侯たちを巡る勢力の変動によってしばし多忙な日々を送っていた一刀。彼は急に訪れた休息によって逆に手持ちぶさたな感を覚えて先ほどまでずっと落ち着かなかった。
 それでも天に広がる壮大な光景を見つめて心を落ち着け、深呼吸をして躰の力を抜いていく。
 新鮮な空気を目一杯取り入れて透き通った頭にいろいろな事が思い起こされていく。
 貂蝉から聞いた記憶に関する話。
 刻々と変わりゆく情勢。
 そして……一刀の前に現れたかつて≠取り戻した少女。
「そういや、月は一体何を伝えたかったんだ?」
 ふと、思い出したのは出発前夜の自室で会った彼女のこと。
 一刀が書類の整理を行っている中、彼女はお茶を持ってきてくれた。その際、董卓は一言い残して去っていった。
 笑顔から一転して真剣な眼差しで一刀を捉えながら彼女は言った。
『詠ちゃんのこと、お願いしますね』
 その一言が何を意味してるのかわからずに頷き、結局答えを見いだすことなく一刀は今ここにいる。
「俺に何を期待したのか……さっぱりだな」
 最後の一欠片となった肉まんを口に放り込むと一刀は歩き出した。

 †

 街の散策を再開した一刀はしばらく歩いた後、城壁上へと向かい城楼の上からぼうっと街を眺めていた。
 気がつけばすっかり日も傾き、徐々に街は赤みに染まる箇所を拡大していく。
 その街並みを見下ろしながら一刀はほうっとため息を吐く。
「忘れてたけど……そうだったんだな」
 街全体を見渡したことで一刀は漸くあることに気がついていた。
 この街のことを一刀はよく知っていたのだ。そう、多少記憶との差異はあれど間違いなかった。
「こうしてると、遠いはずのあの頃のことが最近のことのように思えるな……」
 一刀の記憶の奥へと進み、ある時へとそれは戻っていく。
 まだ、少年が一人の少年でしかなかった自分を捨てた頃、新たな一歩を踏み出す切欠となった出来事。その舞台がこの街だったのだ。
 二人の少女と出会い、少年はこの地を訪れた。そして、少年は大勢の中の一人でなく、特別な存在へと変わった。
「まさか、ここへ来ることがあるとはな……」
 一刀の中にこことは違う同じ場所の映像が脳裏に描かれていく。
 浮かび上がる記憶を頼りに一刀は視線を城門へと向ける。
「あそこから入ってきたんだったな……」
 そこを踏み込んだ一歩こそ少年の運命を決定づけたもの。
 だが、彼はその時一人ではなかった。
 隣を共に進む少女がいた。それだけではなく、もう一人の少女が街に先行していたはずだ。
 一刀は当時の荒れ果てた状態の光景と現在の街を重ね合わせながらすっと視線を道に沿って動かしていく。
 そして、一件の酒屋でその動きを止めた。
「確か……あそこで村人から話を聞いて」
 少女たちと共に集まっていた少数の村人から事情を伺ったのだ。
 少年はその時、初めて天の御遣いとしての役目を負った。
 そこで生まれて初めての戦場を経験した。
(今以上に情けなかったなよな、俺……ぶるぶる震えたりして)
 命の取り合いに慣れたとは一刀には到底断言できないし思いたくもない。それでも当時のような緊張の高まりは軽減された気はしている。
「あのとき、俺は決意したんだ。それから俺の道が流れを作り出したんだよな……微小なものだったけど」
 当初は異世界の面倒ごとを避けたいとすら思っていた。それでも関羽や張飛と共に過ごし彼女たちを知るうちに、不純さと決意を胸に抱いた。
 弱り切った民衆の奥底に残っていた力を大いに呼び起こした天の御遣い≠ニいう異名の持つ効力に驚かされたこともあった。
「それから色んな事があったっけか」
 民を見捨てて逃げた役人の代わりを務めることになってから、一刀は幾度となく纏まった集団同士が一斉にぶつかりあう戦場を見て空気を肌で感じることになった。
 血の臭いと金属が擦れあい散る火花の匂いは決して忘れることはないだろう。
 そして、人の死を乗り越えること……生きることを学んだ。
 誰かから必要とされることの素晴らしさを知った。
(あと、偶発的にとはいえ、着替え途中を見ちゃったときに目に焼き付いた白い肌と純白のパンツ……)
「って、何を思いだしてるんだ俺は!?」
 途中で変な記憶まで呼び起こしてしまったことに驚き、一刀は自分の額をぺしりと叩く。
 何にしても、様々な経験は一刀を最終的に大きなものへと育った流れになり、一刀は最後までそれに乗って突き進んだ。
 最初の一歩を恐る恐る踏み出した一刀からは想像も出来ないことだった。
「はは、今考えると俺も無茶なこと決めたもんだよなあ」
 口ではそう言うが、一刀は決して自分の判断が間違っていたとは思わない。あれで良かったのだと今でも胸を張って言うことができる自信が少年にはある。
(ま、それも彼女たちに支えられたからこそなんだけどな)
 最後まで付き合ってくれた仲間たち、その始まりこそが共にこの街を訪れた二人の少女だったのである。
「そうだな。いつか、絶対にこの街に来よう……彼女たちを連れて、一緒に」
 太陽のように暖かく朗らかな笑みを絶やさない少女、どんなときでも一刀と共にあり続け、そして、頼りない一刀に絶対の信頼を寄せてくれた少女。
 今は遠く離れてしまっている。
 それでも、いつかはきっと。
 心にそう誓い一刀は空を見上げる。夕闇が広がり空には星の輝きが増殖を始めていた。
 ふと蘇る、こちらで見た彼女たちの顔。
 世界が変わっても変わることのない満面の笑みを向けてくれた少女。
(今も自分の倍以上ある蛇矛を振り回して大勢の敵を相手に暴れてるのかもな)
 初めは以前と変わらず……いや、初対面でもどこか自分を信じてくれていた少女。
 そんな彼女と最後に会ったときには、その顔は悲壮に満ちあふれていた。
 一刀は再会の地、徐州で刹那の邂逅を果たしたときの事を思い出す。
 雨に打たれた彼女は誰であろうと敵と見なした相手を青龍偃月刀≠フ錆にする覚悟を持っていたような気がした。
 だが、それ以上に一刀にはあの時、天が彼女の涙を拭い去っていたように見えていた。
 ひょっとしたらこの街で一刀の胸に鮮明に映し出される過去を彼女も思い出しつつあるのかもしれない。
「俺は一体どうしたいんだ? いや、そもそもどうしたらいいんだろうな? ……なあ、あい――」
「なーに、黄昏れてんのよ」
「っ!?」
 急な声に驚き一刀はびくっと撥ねる。
 どくどくと脈打つまま胸を手で押さえながら一刀は辺りを見渡す。
「こっちよ。こっち」
 その声に従って発信源と思われる方を城楼からのぞき見ると、そこに人影を認めることができた。
 一刀はほっと胸をなで下ろすとその人物に声を掛ける。
「……なんだ、詠か。どうしたんだ、もう仕事は終わったのか?」
 城壁から見上げている賈駆の元へ一刀は慎重な動きで降りていく。
「あれくらいの量だったら、このボクにかかれば仕事の内にすら入りはしないわよ」
「ふうん。そんなもんなのか?」
「そういうものよ。それより、あんた夕食は?」
「そういや、まだだったな」
 意識したことでようやく自分が空腹であることに一刀は気がついた。
「霞も戻ってきたから一緒にどう?」
「ほう、珍しいな詠から誘ってくれるとは」
「べ、別にボクがそう思ったんじゃないわ。霞が、誘えって……」
「はいはい」
「ちょっと、誤解するんじゃないわよ! 聞いてるわけ?」
「聞いてる聞いてる」
「嘘つくなー! 顔がだらしなく緩みきってるじゃないの!」
 顔を真っ赤にして睨み付けてくる賈駆。
 身長差もあって上目遣いとなっており、一刀には彼女に対して迫力よりも可愛げの方を大いに感じてしまう。
「まあまあ、霞が待ってるんじゃないのか?」
「ふん、もう知らないわよ。ついてきたけりゃ付いてくれば? それと、そのにやにや顔やめなさいよ!」
 ぷりぷりと怒気を孕んだまま賈駆は湯気が出そうな程赤くした顔を背けてずんずんと先を歩き出す。
 一刀が苦笑混じりにその後を追おうとした瞬間、賈駆がちらりと眼だけを向けてくる。
「……そういえば、あんたの始まりも幽州っていう話だったわね。やっぱり黄昏れてた理由はそれ?」
「………………?」
「何でもないわ。行くわよ」
 特に一刀が何か言うのを待つでもなく賈駆はすたすたと先へと進んでいく。
 その後を追いかけながら一刀は心の内で首を傾げていた。賈駆の言葉にはこれといって変なところは無いはずなのだが、どこかその内容がすんなりと流せない。
(なんだ? 何かが妙に引っかかる気がする……)
 公孫賛に拾われたのだから幽州から始まったのは間違いない。
 だが、今の言葉について一刀の中で引っかかりが生じていた。その理由がわからず一刀がもどかしく感じているうちに目的地へと到着してしまう。
「うー遅いで二人とも! ウチもうお腹ぺっこぺこなんや……これ以上、待たされたらウチ……死ぬで」
「こいつがモタモタしてんのが悪いのよ」
「お、俺のせいかよ……」
「そんなんどっちでもええ! それよりはよ行こうや」
「そうね。霞が限界を迎える前にさっさと行きましょ」
「あ、ああ……」
「んんぅ? なんや? なんか考え事かいな?」
「なんでもないよ。ほら、行うぜ」
「ふぅん……ま、ええか」
 そう言うと、張遼はとぼとぼと足を引きずるようにして賈駆の隣を歩いていく。
 一刀はその場に立ち止まったまま二人の背中を呆然と眺めていた。
(やっぱり、何か変だぞ?)
 一瞬だけだが、張遼の瞳が何か言いたげなものに変わったのを一刀は見逃さなかった。
「来る気がないなら放ってくわよ?」
「ま、待ってくれ! もちろん、行くって」
 我に返ると一刀は全力で駆け出すのだった。かつて通ったその道を力強く踏みしめて。

 †

 幽州で一刀が感慨にふけったり首を傾げたり戸惑ったりしている一方、冀州の鄴では一人の少女がそこにくくりつけられたかのように執務室から出ることなく一日を過ごしていた。
 普段通りの仕事ではあるが、普通な彼女だけでは流石に量が多すぎるのだ。
 本来ならば三人で仕事を行っているはずの部屋にいるのは彼女一人きり。とても手が足りない。
 かといって他の者を呼ぶかといえば、それもできない。そちらはそちらで忙しいのだ。
 そのわりには外が何やら騒がしい。朝からずっとその喧騒は続いている。
 集中していれば耳に入らないのだが、それが途切れる瞬間には一気に耳に突入されてしまい、公孫賛はもう既に何度か集中し直すことに苦戦を強いられていた。
「……なんなんだ? いい加減、うるさすぎるぞ」
 公孫賛は眉をしかめながら扉の方を睨み付ける。一日中続くどたばたという駆け足やあちこちの扉が強く開け閉めされている音、そろそろ彼女の我慢も限度を超えてしまいそうだった。
「ただでさえ、あいつらがいなくて効率が悪いというのに」
 僅かな合間を縫ってやってきた鳳統や陳宮に手を借りて案件を捌くこともあったが、それでもまだまだ残っている書類の山。
 公孫賛は休まることなく筆を動かし続けている。
 だが、唐突に破壊されたかと思うほどの轟音と共に扉が大きく開かれてびくりと飛び跳ねてしまう。
 公孫賛は筆を止めて音の発信元へと眼を向ける。
「白蓮さん、こちらに一刀さんはおりませんの?」
「聞いてたも! 主様がどこにもおらぬのじゃ!」
 勢いよく開かれた扉から姿を現したのは袁紹、袁術の二人。
 何故か半分怒気を孕んだ声と表情でその大きな巻き髪をユラユラと揺らしている袁紹と相変わらずひらひらとした梔子色の服と藤袴の長帯をふりふりとフリながら眉を八の字にして困惑した様子の袁術。
 二人の感じから一刀を捜しているのが分かったが公孫賛にとっては余計に意味が分からない。
「一刀だと?」
「そうですわ。少々用がありましたので、わたくしたち、ずっと探していたのですわ。ところが、どこにもおりませんの」
「行方不明なのじゃ! 失踪なのじゃ!」
「はぁ……言わなかったか? あいつは今幽州に行ってるんだぞ」
「なんですってぇ! わたくし聞いておりませんわよ、そのようなこと」
「おかしいな? 確か七乃たちに伝えるよう言っておいたはずなんだが……」
 妙な食い違いに公孫賛が首を捻っていると、
「ああ! そういえばそうでしたねえ。忘れてましたー」
 いつの間にか袁術の横に控えている張勲がにこにこと笑みを浮かべながら頬を掻いている。
「なんじゃと! 何故すぐに思い出さなかったのじゃー!」
「いやあ、なんででしょうね?」
 柳眉を逆立てて詰め寄る袁術に不思議そうな表情で応える張勲だが口元が笑っている。
(わざとだ、絶対わざとだ……)
 張勲の人となりが分かってきた公孫賛には彼女の歪んでいる口元が非常にあくどいものに見えてしょうがない。
「あ、麗羽さま、こんなところに」
「何してんすか? 部屋にも入らず突っ立ったままで」
「あら、やっと来ましたのね……そうそう、ちょっとよろしいかしら? 貴女たち」
 置いてきぼりをくらいかけたらしい顔良と文醜がやってくるのに対して袁紹はその巨乳を押し上げるように腕組みをして問い詰めるような表情をする。
「一刀さんが今この地にいないこと、事前に聞かされておりましたの?」
「え? 私は知りませんよ。文ちゃんはどう?」
「うーん、そういや、なんか白蓮さまから聞いたような聞かないような……」
「猪々子……貴女って娘は」
 頭を掻きながら応えた文醜を見て袁紹はこめかみに差し指を当てて肩をわなわなと震わせる。
 主君の様子を見てぎょっとした顔良が引き攣った笑みで文醜の肩に手を置く。
「ぶ、文ちゃん……今日一日、なんで城の中や街を駆け回ったかわかってる?」
「ん? そら、アニキを探して……って、あれ?」
「この、お馬鹿ー!」
「い、いきなり馬鹿ってなんすか!」
「おだまりなさい! 文醜さんのおかげで、無駄に一日を過ごしてしまったではありませんの!」
「別にやってることはいつもと大して変わらないじゃないっすか」
「そんなことありませんわ、そもそも――」
 ついには押し問答を始める二人。
 一方では袁術の説教とそれをのらりくらりと交わす張勲。
 わいわいがやがやと盛り上がる袁紹たちに公孫賛は低い地を這うような声色で語りかける。
「取りあえず、ここから出てってくれないか……お前ら」
「なんですの? まるで迷惑者の厄介者を見るような眼で」
「見てわからないか? こっちは仕事中なんだよ」
 心外だと言わんばかりに眉を顰める袁紹に頬杖をついた体勢で公孫賛はジト眼を向ける。
「そうですの……なら、わたくしがご助力――」
「結構だ」
「な、なんですの藪から棒に。人の話は最後まで――」
「言いたいことはわかるが、また別の機会に頼む」
「それでは仕方ありませんわね。行きますわよ」
「了解。そんじゃ、またな」
 颯爽と部屋を後にする袁紹に次いで文醜が駆け去る。
「邪魔したの。では、存分に働くがよいぞ。あーっはっはっは!」
「それじゃあ、お邪魔しましたぁ」
 何故か偉そうにふふんと鼻で笑うと袁術と笑みのまま軽く一礼をした張勲もまた去っていった。
「流石は美羽さま! よ! 三国一の穀潰し! ただ飯ぐらいはお手の物!」
「うははー! 今日は気分が良いから蜂蜜水で大いに盛り上がるのじゃー!」
「な、なんだったんだ……」
「あの……」
 漸く静かになった部屋の入り口に最後の一人が残っていた。
「ん?」
「本当に、すみませんでした。というか、いつもいつもなんですけど……」
「いいよ。ただ、あいつらの制御はもっとしっかりと頼むぞ。斗詩」
「え、えっと……可能な限り頑張ってみます」
 乾いた笑みを浮かべた顔良が頭を下げて駆けていくのを見送ると公孫賛はため息を吐く。
「まったく……あいつらはいつでも賑やかだな」
 彼女たち、中でも袁紹と袁術はどうすればそれほどまでに発生させられるのかと言うほどに騒ぎを起こしている。
 その根幹にあるのは彼女たちの行動原理が殆ど本能に従順なところに拠るものであるということだろう。
 そんな己の気の赴くままに動く彼女たちは騒動に巻き込まれる側からすると良い迷惑だが、公孫賛としては同時に羨ましくもあった。
(私もなあ……もっと……)
 公孫賛は思う。自分も彼女たちのように感情のままに突っ走ることができたらどれ程素晴らしいだろうかと。
 自分の思いをもっと素直に堂々と伝えられたらと思う。
 そんな勇気があればまた違った今を手に入れていたことだろう。
(参ったな。私としたことが)
 いつからだろうか、彼のことに気を取られるようになったのは。
「他のやつらも私と似たり寄ったりなのが増えてきたし……」
 改めて考えてみると、公孫賛軍の中心にあるのは北郷一刀という存在なのかもしれない。
 こうして距離を置いてみるとそれがひしひしと感じられる。
「お前にとってこの軍、いや、私はなんなんだ……一刀」
 そう呟いて彼女は視線を落とす。机に広がった書類の中に少年のたどたどしい文字を見つけ公孫賛は一層少年の事を想い深くため息を吐き出すのだった。

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