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794 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2010/08/15(日) 21:06:37 ID:cbyWuKfv0
無じる真√N-47話を専用板にUPしました。

(この物語について及び注意点)
・展開などのため、原作と呼称が異なる場合あり。
・恋姫†無双(真ではありません)のED前からの派生の話。
上記が苦手な方にはおすすめできません。

(その他)
・話の都合上、原作プレイ経験あったほうがより楽しめます。
・メールフォームがあります。(必須項目は設けていません)

URL:http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0556

よろしければどうぞ。



 「無じる真√N47」




 早朝の城内、廊下を進んでた賈駆は歩を止めると両腕をぴんと天井へ向けて着き出しながら背筋を張って伸びをする。
「ん……んぅ」
 口を開くと朝独自の空気が入りこんでくる。何故かこの空気は不思議と新鮮な感じがする。まるで、夜から朝にかけて誰かが空気の換気をしているようだ。
 彼女の中へと染みこむ透き通るような爽やかな空気と伸びによって身体の中にある一本線に走る刺激が賈駆の脳を活性化させていく。
「ふぅ……、さて、今日も一日頑張らなきゃね」
 息を吐き出汁ながら伸ばしていた腕を下げると、賈駆は右手で眼鏡をかけ直して気合いを入れる。
 すっきりとした頭の感覚を十分に確認すると彼女は再び歩き始める。
 今日は軍師会議である。
 陳宮をはじめとした現在公孫賛所属の者たち、それに賈駆、そして、最近新たに節操なしの拾ってきた鳳統。
 もう一人、袁術軍で大将軍の位にまでついていた張勲がいたが、彼女は参加を辞退している。もっとも、誰も期待はしていなかったわけなのだが。
「それにしても、雛里ねえ……どんなものなのかしら」
 袁術軍を影で操り、徐州を見事に治めていたのは実質的には鳳統であると風の噂で聞いている。
 それだけではない。
 朝廷の名を大儀として曹操軍三万、本格的に攻撃を仕掛けてはいなかったとはいえ、それでも三十万人の戦闘要員を抱える青州黄巾党を吸収し、そのうちの三万を兵として採用して増強を果たすことに成功した公孫賛軍七万が進行した際のことだ。
 総数で言えば十万近くはあった軍勢を袁術軍の徐州滞在部隊である五、六万の兵力で相手取り、見事曹操軍と公孫賛軍の足止めと一刀を連れて投降するという荒技を鳳統はこなしてみせた。
 鳳統は軍略においてかなりの才を有していると賈駆は見ている。
「興味はあるのよねえ」
 系統が違うとはいえ、賈駆も軍師である。鳳統の潜在的なものには興味がある。
 ふと、かつての一刀の言葉を思い出す。正確には本人の口から直接言われたわけではないが彼は「我が誇れる軍師」と自分の事を表していた。
「って、なんでボクはそんなこと思い出してるのよ!」
 急に浮かんだ言葉に賈駆は眉間に皺を寄せる。そのせいかはわからないが無性に顔が熱く火照っている。
(これじゃあ、まるで優秀な新入軍師にあいつの軍師≠フ座を奪われることを危惧してるみたいじゃない!)
 思い浮かべる可能性を拭い去ろうとするように賈駆は頭を左右に振る。
「おいおい……朝っぱらから、何をしてるんだ」
「はっ!? な、何でもないわよ!」
 半眼で呆れの混じった視線を送ってくる公孫賛に賈駆は眉を吊り上げて取り繕う。
「いや、明らかに挙動不審だったぞ」
「うっさいわねえ。あんたの見間違いでしょ」
 不満げな表情を浮かべる賈駆を特に気にも留めず公孫賛はにやにやと含みのある笑みを浮かべている。
「そうかあ? どう見てもおかし――うわっ1?」
「お、二人ともこんなとこでどうし――ふがっ!」
 鬱陶しいほどにしつこかった公孫賛が突然足を滑らせる。そして、彼女のしなやかな人差し指と中指は綺麗に現れたばかりの少年の鼻の穴へと収まった。
 公孫賛は慌てて一刀の顔を見る。
「あ、す、スマン一刀!」
「ひひから、ぬいへくへ」
 余程痛かったのか涙を浮かべながら訴える一刀に公孫賛がぎこちなく頷く。
「あ、ああ」
 懇願する一刀に頷き返すと公孫賛は勢いよく指を抜いた。一瞬だけ白銀の輝きを放つ糸が引いた。
「うわぁ……汚なっ!」
 抜いた指を中心に手を振る公孫賛、勢いが良すぎるその動きは一刀の顎を捉える。衝撃のあまり一刀はその場で倒れ込んでしまう。
「…………ひ、ひどい」
「ち、違う、わ、私はそんなつもりじゃ……う、う、うわぁぁぁぁぁ!」
 まるで人情もの講談に出てくるよよよと泣き崩れる女性のように床へしなだれるように座り込んでいる一刀の何かを訴える瞳にふるふると震えると公孫賛は数歩後ずさりし、そのまま何処かへと駆け出して消えてしまった。
 公孫賛の姿が見えなくなるころにようやく一刀が顎をさすりながら立ち上がる。
「あいてて、白蓮行っちゃったな」
「あんたねえ……はあ」
 間の抜けた顔で目の上に手を翳しながら公孫賛の後ろ姿が向かった先を見ている一刀にため息を吐く。
「ま、いいや。行こうぜ」
「は? あんたは休みだからいいけど。ボクはこれから会議なんだから」
「いや、だからたまには詠の仕事ぶりを見させて貰おうと思ってさ」
「はあ?」
 突拍子もないことを言い出す一刀に賈駆は目を丸くする。
「いくら普段から変人だからって何言い出してるわけ?」
「少々ひっかかるところがあるがこの際それは置いておこう。詠の仕事してる姿を見て、何か学べないかと思ってさ」
「何か企んでるんじゃないの?」
 あまり仕事が好きでない一刀のあからさまな嘘に賈駆は疑心に満ちた瞳で睨み付ける。
「そんなことないって。ほら、時間ないんじゃないのか?」
「ああ、もう! 好きにすればいいじゃない」
「是非ともそうさせていただく」
「でも、何かよからぬ事を企ててるとわかったら……」
「はいはい。わかったから」
「ちょ、ちょっと! 押さないでよ」
 誤魔化すように笑みを浮かべながら背中をぐいぐいと押してくる一刀に抗議の言葉を投げつけるが焼け石に水、効果はなく止まることもなく賈駆は前へと進み続けることしかできない。
「はいはい」
「はいは一回!」
「はいよ」
 そんなこんなで笑顔を浮かべる一刀に賈駆が毒づくというやりとりを何度も繰り替えしながら二人は目的の部屋へと向かうのだった。

 †

 会議は白熱した。もっとも、その中心は主に賈駆と陳宮だったりする。
 鳳統は遠慮しているのかあまり熱くはなっていないようだ。もっとも、元からそこまで積極的にけんか腰になるような性格ではないのだろう。
 そして、賈駆についてきた一刀はただただ隣に座ったままじっと成り行きを見守っている。
「何を言ってるのです! それでは開拓地域へ送る民の間で不満が出るのです」
「バカね。だから、さっき言ったことを監督官に課すんでしょ」
 賈駆が肩を竦めわざとらしくやれやれと首を振ってみせると、陳宮の顔が真っ赤に染まる。
「くっ、……そ、それはそうかもしれないですけど。でも!」
「二人とも一旦、落ち着け」
 険悪な空気を放つ二人の間に入った一刀が宥めるように両者を見る。隣に座っている賈駆に対しては肩を抑えている。
「ふん、別に議論を交わしているだけだから大丈夫よ。邪魔しないでよ」
「そうなのです。役立たずは黙ってるのです」
「……お、お前らなあ」
 一刀が低い声を出す。俯いているため顔色は窺い知ることはできない。賈駆と陳宮はそんな彼を一瞥すると再び火蓋を切ろうとにらみ合う。
「あの、皆さん……お茶にしてはどうですか?」
「お、いいな。一先ず休憩な」
「ちょ、なにを勝手に」
 お盆を持った董卓から湯気の立つ湯飲みを慎重な手つきで受け取っている一刀に食ってかかろうとするがそれよりも早く董卓が賈駆へと湯飲みを差し出してくる。
「詠ちゃんも少し落ち着いた方が良い考えが出るんじゃないかな?」
「えっと……はぁ。仕方ないわね」
 息を吐き出して肩の力を抜くと、董卓から湯飲みを受け取ろうとする。
「うん、そうね。ありがと、月」
 そうして伸ばした手は議論によって白熱した影響か力が籠もったままだった。
 そのため湯飲みが揺れ、中から熱い水滴が撥ねる。
「あつっ!」
 賈駆はその雫に驚いて手で弾いてしまう。それから一瞬遅れで湯飲みの行き先を慌てて目で追う。
 湯飲みはひゅるるという空気を切り裂く音をさせながら宙を舞っている。そして、座標を移動しつつゆっくりと反転し、そのまま一点へ向かって口を向けながら落下していく。
 ばしゃという水音がするやいなや、一刀の頭がびっしょりと濡れそぼる。
「…………あ、あちゃちゃちゃちゃー!」
 湯飲みの中身を浴びてから一拍おいて一刀は席から飛び上がった。
「きゃあ! 大丈夫ですか、ご主人様」
「…………あ」
 慌てて駆け寄る董卓の背を呆然とした表情を浮かべながら視線で追う賈駆の胸は複雑な感情に満ちていく。
(これって、やっぱりボクのせいよね……はあ)
 人知れず賈駆はため息を零す。
「…………参ったわね」
 今朝の公孫賛の件をはじめとした一連の流れでようやく彼女は自らの特異体質がどうやら目覚めてしまったらしいことに気がついた。
 それは、一種の不幸体質。普段は不幸をため込むだけで特に影響はない。
 だが、それらが一気に放出されることが稀にあるのだ。そうなると賈駆本人のみではなく、周囲まで巻き込むことになる。
「はぁ、なんとか大丈夫だったようだ」
「へう〜、火傷はありませんか?」
「あ、あぁ……」
「月ちゃん、取りあえず湯飲みはお盆に……ひゃ、す、滑っ――」
「おぶぅ!」
「あ、あわわわわわ!」
「おお、見事にお盆が顎を捉えているのです!」
 その声に思わず視線を向けると一刀が椅子ごとひっくり返るところだった。
 そのまま大きな衝撃音を室内に轟かせて大の字になって伸びている。その傍には鳳統と董卓がしゃがみ込んでいて両者とも「へぅ」やら「あぅ」やらの悲鳴らしきものを漏らしながらその場であわあわとしている。
 何故か陳宮は妙に興奮した様子で彼らを見つめている。
 周辺の様子から判断する限り、床に溢れた茶に足を滑らせた鳳統が手に持っていたお盆で一刀の顎を打ち抜いたということだろう。
「へぅぅ〜、ご主人様」
「いつつ……、だ、大丈夫だよ。月」
 一刀が瞳を何度も瞬かせながら上体を起こす。
「……あうう。ごめんなさい」
「不慮の事故だからしょうがないよ」
 顎をさすりながらもう片方の手で鳳統の頭を撫でる一刀、その顔には安心させるような笑みが浮かんでいる。
「…………」
 賈駆は二人のやり取りを見ながら申し訳ないようなそれでいて理由のわからない憤りを感じる。
「ちっ、頑丈なヤツなのです」
「この……」
「ぷくく、それにしてもまったくもって間抜けなやつですのぉ」
「情状酌量の余地無しだな」
 董卓と鳳統に向けて微笑を浮かべていた一刀が陳宮の言葉にさっと顔を一変させて詰め寄る。手の形からするとデコピンでもするつもりなのだろう。
「うおっ」
 だが、一刀も先の鳳統同様、足を滑らせる。そして、そのまま陳宮の方へと倒れかける。
「こ、こっちにくるなです!」
「わ、わかってるって……ふん!」
 陳宮まで後二歩ほどの距離を置いて一刀が踏ん張って身体を制止する。が、脚を基点としてぷるぷると震えている。そして、すぐに態勢を崩し、
「わ、わわわ――っ!?」
「く、くるなです〜!」
 そして、一刀は倒れ込み、陳宮のむき出しの額に……彼の唇が触れる。
「なっ!?」
「…………え、ええと」
 一刀が一瞬で離れるやいなや、陳宮はばっと額を抑える。気のせいか、怒りを表すかのように顔がみるみる真っ赤になっていく。
 陳宮は泣いてしまうのではというほどに潤みを増した瞳でキッと一刀を睨み付ける。
「な、なにをするのですー!」
「ふ、不可抗力、自然の流れには抗えなかっただけだ! だから、ま、待て――」
「ちんきゅーーーーーーーーきーーーーーっく!」
「またこれか。参ったねどうも……」
 めり込む蹴りに顔を歪ませながら一刀は肩を竦めてそうぼやきながら宙を舞う。
 その行き先はどう考えても賈駆の方である。真っ直ぐと向かってきている。
「え?」
「…………よ、避けて?」
 首をちょこんと傾げる一刀、だがその勢いは半端ない。
 もちろん、武官でない賈駆に避ける術などあるはずもない。せいぜい小首を傾げても全くこれっぽっちも可愛くないと思うことくらいしかできない。
 もう一つだけ可能なことを彼女は実行する。
「無理言うなあー!」
 そう、向かい来る一刀にそう叫ぶことだった。
 無論、それは何の効果も出さず、そのまま彼女たちの距離は無くなり両者の間に衝撃が走る。
 賈駆はその勢いで床にへたり込んでしまう。その際にしたたかに打ち付けた臀部の痛みに顔をしかめつつ、瞑っていた目を開ける。
「いたた……、まったくなにしてんの、よ?」
「ど、どこだ、ここは? な、何も見えない……じ、地獄か、いや天国だあ!」
 腰布の中でもぞもぞと動く物体。それを視認した瞬間に賈駆の顔にかーっと血がのぼってくる。
「し、ししし……死ね、変態!」
 賈駆は組んだ両手を斧のように振りかぶる。
 そして、巻きを割るときのような――もっとも、そんな力仕事は華雄担当であり賈駆はあまり経験はないが――動きで自らの腰布、その両脚の隙間部分を盛り上げている物体へ向かって勢いよく振り下ろした。
「がっ!」
 ごすっという鈍い音が部屋中へと響き渡る。
 賈駆が腕を自然な位置に戻す頃には腰布の中に頭を突っ込んだままの一刀がぴくりとも動かなくなっていた。

 †

「いつつ……」
「あ、あんたが悪いんだからね」
「別に何も言ってないだろ」
 事故の連続でうやむやになりかけた軍師会議もなんとか終了し、賈駆と一刀は廊下を歩いていた。
 一刀は、先ほどの痛みが残っているらしい後頭部をさすっている。
「それより、いい加減付いてこないでよ」
「いいじゃないか。別に邪魔してるわけでもないし」
「……あのねえ」
 目の前の少年は何も分かっていない。賈駆は眉間に皺を寄せてため息を吐く。
 自らの体質による影響が出始めている以上、少なくとも今日一日は一人を覗き共にいるわけにはいかないのだ。共にいれば一刀にだってその被害は及ぶだろう。
「今日もボクは忙しいの。あんたに構ってる暇なんてないのよ」
「いや、さっきも言ったけど詠の働きぶりを学ぼうと思ってるだけだよ」
 あまりにも察しようとしない一刀に賈駆は若干のいらつきを覚えはじめる。
 唯一、彼女の振りまく不幸に当たらない人物である董卓ならまだしも既に踏んだり蹴ったりな目に遭っており確実に不幸の対象となっている一刀とともに凄そうとは思えない。
 それを言ってしまおうかと思いながらも言えず賈駆はもどかしさを感じる。
「いいだろ?」
「……ああ、もう! 好きにしたら」
 言っても無駄と判断し、賈駆は怒鳴りつけるように言い放つ。すると、一刀は可笑しそうに笑う。
「そうさせてもらうよ」
「…………はじめからそうじゃない」
 まったく遠慮のない一刀に賈駆は苛立ちを込めてぼそりと呟く。正直もどかしさがいや増している。
 結局折れた賈駆は一刀を連れて次の仕事へとあたることにした。
「あ、あの、ご主人様ー!」
「ん、月じゃないか。どうした?」
 しばらく廊下を歩いていると董卓がふりふりの布地を揺らしながら駆け寄ってくる。
「実は、お話ししておきたいことが」
 そう言うと董卓は賈駆のほうをちらりと一瞥する。おそらくは体質のことだろう。そう結論づけ賈駆は再び歩を進める。
「ボクは先行ってるから……」
 そう言ってから賈駆は失言だったと後悔した。これでは一刀がつきまとうのを問題なしとしてしまっているようではないかと自分に呆れ返ってしまう。
「…………はぁ、もうなんなのよ」
 一刀と董卓を後に残して賈駆はぼやきながらのそのそとした足取りで一人進むのだった。

 †

 一刀に誘われるまま二人は料亭にて昼食をとっていた。
 不幸体質の賈駆は何かしら酷い目にあうだろうと覚悟していたが、予想外なことに特に調理失敗などに遭遇することもなく美味な料理の数々に舌鼓を打っていた。
 楽しい時間はあっという間というもので気がつけば完食して腹も膨れていた。
「うまかったな」
「そうね。今度は月を連れてこようかしら」
「お会計!」
 一刀が呼ぶと店主は素早く二人の元へとやってきた。そして提示された金額を払おうと一刀が懐へと手を滑らす。
「…………あ、あれ?」
 急に頼りない声色になる一刀に賈駆は嫌な予感しかしない。
 それからしばらくあちこちぱたぱたと叩いていくが一刀が目的のものを見つけた様子はない。
「……財布忘れた」
「あんたねえ……。それじゃあ、ボクが」
 呆れるようにそう言うと賈駆は財布を出そうと手を服の中へと差し入れる。
「……あ、あら? あれ?」
 懐の中でごそごそと手を動かしているうちに賈駆は眼を見開く。財布を入れていたはずの部分に穴が空いていたのだ。
「……ま、まさか!?」
「うぅぅ、ボクも忘れたみたい」
 嘆きを含んだ声でそう答えながら賈駆は肩をがっくりと落とす。恐らくは財布は部屋の中だろう。
「……お客さん。困りますねえ」
「え、ええと……働いて返します」
 腕組みし妙な迫力を感じさせる店主に一刀が頭を下げる。
 結局、昼食においても不幸が爆発したのだった。

 †

 店を出る頃にはすっかり日は低い位置へと降り、街は夕闇に染まっていた。
 料亭の入り口で賈駆と一刀は店主と向き合っていた。
「夕飯までご馳走してもらって悪いね」
「いえいえ、お二方のおかげで今までにない繁盛ぶりでしたから」
 にこにこと笑みを浮かべる店主は非常に機嫌が良さそうである。
 賈駆たちは結局店を抜ける余裕もなく、客がすっかりいなくなるまで働くことになってしまったのだ。
 その間に、多少の事故があり店への損害を出したが不幸に見舞われる賈駆の姿を見に来る妙な層の客で店が溢れかえったため損得に換算すれば最終的には利益があがったらしい。
「また何かありましたらどうぞ」
「いや、当分は皿洗いはゴメンだな」
 腰に手を添えて快活な笑みを浮かべる店主に一刀は頭を掻いて苦笑いを浮かべている。
「本当にありがとうございました」
「いえいえ、元はこちらの失態が原因だからね」
「まったくね。次からは気をつけるわ」
 そうして二人は店主に別れの挨拶をして店を後にする。
「こうやって忙しくしてれば一日なんてあっという間だな」
「……そうね」
 夕日を受けながら賈駆は頷く。
 不幸があり得ないほど訪れようと一日は一日。こうしていれば割と気になることもなく過ぎ去っていくのだ。
「さ、遅くなったから月が心配してるかもしれないぜ」
「ちょっと、走らないでよ」
「ほらほら、早く」
 急に駆け出した一刀を追いかける賈駆の前で彼は顔だけ振り返って笑みを浮かべる。
「あ、前! 前!」
「へ?」
 再び前を向く一刀の進行方向には移動中の商人辺りが落としたらしい子供の頭ほどの大きさをした木箱が落ちていた。
 一刀みごと、その木箱に足を取られ、砂とスリ合わさることで滑走した箱によって後方へと勢いよく倒れ込んだ。
「……がっ」
「ちょ、ちょっと!」
 慌てて駆け寄ると一刀完全に意識を飛ばしていた。賈駆は一瞬焦るが、すぐに対処に取りかかった。

 †

「いつつ……」
「まったく、何してんのよ」
 顔をしかめながら一刀が賈駆の膝の上で目を覚ます。
「あれ? 俺は、えっと」
「アホみたいに走り出して転んで頭を強打したのよ」
「そっか……」
 未だ焦点の合わない瞳が見下ろしている賈駆の顔か、それともその先の天井なのかはわからないが一点に見入っている。
「あんたも大変だったわね。今日一日ボロボロになっちゃって」
「…………ふふ。いいさ、これくらいは」
 僅かだが口元をほころばせる一刀。その表情はとても柔らかく優しさが感じられる。
 今日一日賈駆の不幸に巻き込まれ最も被害を受けた少年はそのことを不思議がることもなくまた、愚痴ることもしなかった。
(もしかして誰かから聞いたのかしら?)
 そう考え手賈駆は即座に否定する。仮に自分の体質のことを知っていたとしたららむしろ離れていくだろう。
「あんたって、ホント鈍感でバカなのね」
「酷いこと言うな……いくら俺でも傷つくぞ」
 そう言って一刀は口先を尖らせる。
「拗ねても気持ち悪いだけね」
「おいおい……」
「それよりも足が蘂れて――」
 言葉を飲み込む。妙な既視感を覚えたのだ。
 何故だろう、彼が転倒して気を失ってから今までの流れの中で気がつくと賈駆は懐かしい気持ちに満たされていた。
 それだけでなく一刀と体験したことのないはずの出来事を……思い出している。
(思い……出す?)
 何を馬鹿なことをと自分を卑下するように賈駆は首を振る。
「世話になったな。詠」
「え? え、えぇ……良い迷惑よ。まったく」
 気がつけば一刀が心配するように賈駆を凝視している。
「悪い悪い。じゃ、もう遅いしそろそろお暇するよ」
 そう言って一刀は賈駆の膝から離れるように上体を起こす。
「一応、明日見て貰いなさいよ」
「ん。そうする」
 調子を確かめるように首を鳴らしながら一刀は外へと出ようとする。
「…………それにしても」
「なによ?」
 足を止めたり振り返ったりすることもなくしゃべり出す一刀を訝しむように見つめる。
「もう夜だし他の誰かに会うこともないだろうから大丈夫そうだな」
「え? ちょっと、それってどういう――」
「……じゃあな」
 賈駆の言葉に一切反応を示すことなく一刀は苦々しさのある声だけを残して立ち去る。
 その後で扉がゆっくりと閉まっていく。
 膝にはまだほんのりと少年の温もりが残っていた。

 †

 一刀がいなくなってからしばらく呆然とし続けた後、賈駆は董卓と寝台の上に並ぶようにして隣り合わせに座っていた。
「なんだったのよ。もう」
「詠ちゃん?」
 董卓が不思議そうに小首を傾げる。
「ねえ、月」
「なに?」
 董卓が優しげな声を発する。賈駆の方を見つめているのだろう。だが、賈駆は彼女を見ることができず、俯いたままゆっくりと口を開く。
「あいつにさ……ボクの体質のこと話した?」
「それって、今日があの日だったってこと?」
 静かに訊ねる賈駆に質問で返してくる董卓に賈駆はただ黙って首を縦に振る。
「ううん。ご主人様には伝えてないよ」
「え? そんな、だってさっき……」
 先ほど、一刀を呼び止めた董卓がてっきり説明をしていたものだと思っていた。だからこそ、先ほどの帰り際の一言があったのだと賈駆は自分の中で結論づけていた。
「うん。お耳に入れておくべきかと思ったのは確かだよ。でもね、それは言わなくても大丈夫って」
「なによそれ……」
 それではまるではじめから彼女の体質を理解しているから聞かなくてもわかるといわんばかりではないか。
 賈駆自身は公孫賛軍にやっかいになるようになってから誰かにこのこと話したことはない。
 ということはどこかからその情報を仕入れたと言うこと、董卓は違うという以上また別の経路なのだろう。
「でもどうやって知ったのかしら?」
 董卓にも聞こえないくらいに小さな声で賈駆は呟く。それに呼応するように先ほどの不思議な感覚が彼女の脳裏を襲う。
 全身に寒気が走り賈駆はぞくり全身を震わせる。
(まさか、ホントにあいつとボクは……スデニデアッテイタ?)
 反董卓連合の時より以前でそれはあり得ないこと。それを当たり前のことと理解している反面で彼女の中に存在し得ないはずの想い出が浮かび上がる。
「な、なによ……これ」
 賈駆は思わず前髪を掻き上げるようにして額を抑える。掌にじっとりとした感触がする。
「大丈夫? 詠ちゃん、調子悪いの?」
 いつの間にか顔中に汗を掻いていたようだ。いくつもの雫が頬を流れ落ちるのが伝わってくる。
 早鐘のように何度も何度も打ち鳴らされる鼓動。
 雑踏の中心にいるかのように騒がしい頭の中。
 瞳孔収縮筋の収縮による縮瞳する瞳孔。
 長江のごとく激しく流れる血潮。
 全身が燃えるように熱い。
 視界がぼやけていく。
 汗が止まらない。
 胸が締め付けられるような感覚にうずき切なさを与える。
(落ち着かないと。ひとまず、落ち着かなきゃ)
 異常な反応を示している自分の身体を抱きしめるようにして腕を回して賈駆は自身を宥めようとする。
 そんな賈駆の肩に董卓がそっと手を乗せる。なんとなくでしかそれを認識出来ないほど賈駆は全身を襲う異常事態によって困惑、そして混乱している。
「詠ちゃん、どうしたの? ねえ、詠ちゃん」
「ゆ……え」
 何だか身体が揺れる、それを感じたところで賈駆の意識は途絶える。
 まるで覚醒状態では受け入れきれないほどの情報が流れ込んできた負荷の影響だといわんばかりに。

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