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518 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2010/03/01(月) 00:49:15 ID:tiN+0HOa0
無じる真√N-35話を専用板にUPしたことのお知らせです。

(この物語について)
・原作と呼称が異なるキャラが存在します。(展開や所属勢力などの影響により)
・一刀は外史(恋姫†無双)を既に一周しています。
・後々、特殊な仕様が出てくる予定です。(恐らくはこの章か次の章になります)
・時折18歳未満にはよくない場面があります。
※そこにおいて特殊なカラミや不快に思う可能性のある場面が出てくることもあります。
・複数の資料を参考としつつ書いています。
※その影響がどこかで出ているかもしれません(資料に関してはQ&Aにて)

上記が苦手な方にはおすすめできません。

(注意)
・18歳未満にはよろしくない表現が出てくることがあります。
・過度な期待などはせずに見てやって下さい。
・未熟故、多少変なところがあるかもしれません。
・URL欄はメールフォームです。
※メールフォームは必須項目を設けていません。
 ですので、意見、感想などは そちらからでもどうぞ。
 また、メールフォームからQ&Aのまとめへのリンクがあります。
------------------------------------------------------------
(その他)
・当SSは『恋姫†無双』のED前からの派生となっています。
・出てくる登場人物の中には『真・恋姫†無双』のキャラクターがいます。
まだ未プレイの方は是非とも『恋姫†無双』と『真・恋姫†無双』をプレイしてください。

※もっとも、当SSだけでもご理解頂けるよう、細心の注意を払ってはおります。
ですが、より当SSを楽しんで頂くには、やはり両方のプレイをお勧めいたします。

URL:http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0493



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 「無じる真√N35」




 劉備と共に来た民たち……彼らは今曹操軍の本拠がある兗城を中心に生活を営んでいる。最も、他の住人と比べ扱いの差もなく皆、それぞれの日々を送っている。
 そして、そんな彼らを先導してきた劉備――字を玄徳、真名を桃香という――は今、曹操――字を孟徳、真名を華琳――および、彼女の率いる軍と共に行動し、馬に揺られながらずっと北へと進み続けていた。
 また、曹操と共にいることにした劉備……そんな彼女と共にあるのは関羽――字は雲長、真名が愛紗――だった。
 劉備軍の諸将にもまた働いて貰うという曹操の意向によりそれぞれ曹操軍の将と共に戦場へとでることになっていたが、関羽に関してのみ「桃香様のそばを離れる訳にはいかぬ」と強固に反対し、最終的に劉備と共に曹操の近くで過ごすこととなった。
 その際、曹操がいやに素直にそれを認めたのが劉備には印象的だった。気持ち機嫌が良くなったように見えたがあれは……というところまで考えて劉備はすぐに思考を止めた。
(愛紗ちゃん……身の守りはしっかりとね)
 劉備は隣にいる関羽へと視線をそっと送った。
「?」
 当の関羽は見つめる劉備を不思議そうに首を傾げて見ている。そんな彼女になんでもないと手を振って答えると劉備は目をそらした。
 ちょうど、その時全体の動きがゆっくりとしたものへと変化していく。また、それと同時に劉備と馬を並べている曹操の元へと兵が駆けてきた。
「報告! 前方に邑が見えてきました」
 その報告通り、確かにうっすらとだが集落のようなものの姿が見え始めている。それを視認した曹操が口を開き返答を告げる。
「そう。丁度良い頃合いのようね……よし、今日はあの邑にて夜を越すぞ」
「は!」
 赤く光る日をみながら曹操が告げた言葉に姿勢を正してそう返事をすると、兵は再び前方へと戻っていく。
 そして、曹操の指示通り邑へと入ると軍の行進は停止することになった。
「それでは、各自明日に備えそれぞれの時間を取れ。また、桂花は私の部屋に来なさい」
 曹操がそう言うと、兵たちはそれぞれ従っている将の元へと動き始めた。そんな中、名指しされた荀ケ――字を文若、真名を桂花という――が曹操の後に続いて彼女共々、寄宿舎の方へと歩いて行った。
 それを見送ると劉備もまた、共に来ていた関羽の元へと寄る。
「さて、それじゃあわたしたちも適当に時間潰そうか」
「そうですね。我々には特に準備もなにもありませんからね」
「じゃ、邑の中でも見ようよ」
 そんな会話を交わして劉備は関羽と共に邑内を歩き始める。
「しかし、入ってきたときから思っていましたが随分とまともですね」
「そうだね……それに、邑へ近づいてくるときに耕地があったのを見たけど、ちゃんとしてたよ。よく手も行き届いてるみたいだから、きっと邑の人たちも案外元気なのかもね」
 劉備たちは、未だ曹操の領地である兗州を出ていなかった。州境近辺まで来ているのだけはわかっているが後は不明である。なんにせよ、ここもまた曹操軍の治める土地なのである。
「よく見れば、邑内を行き交う民の顔も非常に活き活きとしていますね」
「うん……なんていうか、兗城にある街もそうだったけど、とても活気に溢れてるね」
 曹操は劉備とは異なる道を歩くことを決めている。それは、いわゆる覇道というものだ。曹操が、自らの勢力を拡大するために本拠としている兗州を中心に軍を動かしていることもしっていた。
 それは半ば無理矢理名ところもある……以前、劉備はそう思っていた。いや、今もまだそうとは思っている。
 劉備は、それがあるが故に曹操と自らの道が違うことも理解している。だが、現に曹操の下にいる民たちの顔を見ればどうだ、皆充実した日々を送っているように見える。つまり、それは曹操のやり方にも正しさがあるということなのだ。
「…………」
「桃香様?」
「ううん、なんでもないよ」
 そう答えると、劉備は歩みを早める……そう、まるで今の彼女の胸の内にある逸る想いのように。
 そんな劉備に慌てて歩調を揃えながら関羽が顔を覗ってくる。
「何をそのように急がれているのですか?」
「……別に、急いでなんていないよ」
 そう言って劉備はニコリと笑みを浮かべる。それを見て関羽はどこか訝しげな表情を浮かべるがため息を吐くと肩を竦めた。
「何にせよ、ゆっくり回りませんか?」
「そうだね、そうしよっか」
 関羽の言葉に従い、劉備は徐々に脚をゆっくりなものへと変えていく。関羽も合わせるように速度を落としていく。
 その際に、ちらりと関羽を見る。
(愛紗ちゃんには言えないよ……今の愛紗ちゃんには)
 劉備はそう内心で呟く。
 ある時を境に関羽は、なにかが違っているのだ。そう、何かが違うのだ。今まで劉備が義妹として見てきた彼女とは。
 時折、どこか遠くを見るかのような表情を浮かべては顔を歪ませ、心苦しそうに胸を押さえるといった行動を取っていた。
 もっとも、関羽自身は劉備にそれを知られているとは思っていないようだ。
 何故なら、関羽はあからさまに変調を来す時は決まってどこか物陰などに身を隠してやりすごしているのだ。
 それを劉備が知ったのはたまたまだった。劉備は何故か度々姿を消していた彼女を心配して、こっそりと後をつけて行ったことがあったのだ。その際に関羽の悩み苦しんでいるかのような姿を目撃してしまったのである。
 その顔はとても辛そうであり、また悲しみに満ちあふれていた。そんな何かを抱えているような顔を影でしているにも関わらず、劉備を始め、誰に対しても普段通りの表情を浮かべ何事もないかのように接しているのだ。
 もっとも、それは徐州を撤退するよりも前のことで、最近は特にそのような素振りは見なかった。いや、見る機会が無かったとでも言うべきだろうか。劉備自身、曹操との会談などもあり忙しかったのだから。
 とはいえ、劉備は思う。それでも、関羽が隠れて悩むようなことが無くなっていると。
(愛紗ちゃんの悩みは解決したの? それとも、まだその胸に抱えているの?)
 そう想いながら、ちらりと関羽の胸をみる。関羽の歩に合わせてそれはユサユサと上下し、存在を強調している。
 劉備には分からない。関羽がその胸のなかに何を隠しているのか……また、何故劉備に隠しているのかが。
「どうかなされましたか?」
「え?」
 急な関羽の呼びかけに劉備は彼女の方へと視線を向ける。
「いえ、何やら難しい顔をしておられたので」
「ううん、なんでもないよ。やっぱり、良い邑だなって思ってただけだよ」
「そう……ですか」
 何か言いたそうな表情を一瞬だけ浮かべ、関羽は頷いた。
 それから、二人は特に会話も交わさず黙々と歩き続けた。
(な、なんでだろう……すごく気まずいよぉ)
 内心でオロオロとしながらも関羽と目を合わせないようそっぽを見続ける劉備。
 その時、くぅと可愛らしい音が劉備の腹部から小さく鳴り響く。
「あ」
「……ぷ。くく、そろそろどこかで食事を取った方がよさそうですね」
 クスクスと笑いながら関羽が劉備の方を見る。劉備も頬を掻きながらそれに頷く。
「そうだね。お腹空いちゃったよ。えへへ」
「では、あそこなどどうですか?」
 そう言って関羽が指し示す先には一件の飯店があった。
「店主、二名だが空いているか?」
 中に入りながら関羽がそう告げて店主のほうを伺う。
「もうしわけありやせん。ただいま、満席でして」
「そうですか……いえ、仕方がないですよね」
 劉備は、頭を下げる店主に手を振ってそう答えると、関羽の方を見る。
「どうしよっか?」
「そうですね、恐らくどこも同じような状態でしょうし待つとしましょう」
 関羽がそう言うのと同時に奥から声が掛かる。
「あ、姉ちゃん!」
「え? 許緒ちゃん!」
 そこにいたのは、桃色の髪を両側柄で編むようにまとめ上げ青い布でとめた、額を全開にしている少さな女の子……曹操軍、親衛隊の許緒――字は仲康、真名は季衣――だった。
「ここ、二つ空いてるからおいでよ」
 許緒が笑顔でそう言うのに対して、劉備は店主をちらと伺う。店主は首を縦に振り、「どうぞ」と手で示した。
「それじゃあ、失礼するね」
「すまぬな」
 そうして、関羽と共に席に着くとすぐに注文を済ます。
「ありがとね。許緒ちゃん」
「いいって。こういうときはお互い様だよ」
 照れくさそうに頭を掻きながら許緒が答える。
「それでも、感謝はさせていただく」
「もう、いいってば」
「……ねぇ、ちょっと気になったんだけど」
 一層、気恥ずかしげに照れ笑いを浮かべる許緒に、劉備は席を見て始めに気になったことを訊ねることにした。
「ん? なに?」
「これって、全部許緒ちゃんが食べたの?」
 そう言って劉備が視線を送る先には、何重にも重ねられた大きな……それこそ投下の帽子に仕えてしまいそうな程の大きさの丼があった。
「そうだよ。ボクってほらまだまだせいちょうきだからね」
「へぇ〜」
「何というか、鈴々みたいですね」
 控えめな胸を張ってフフン、と鼻を鳴らす許緒に劉備は感心していたが、隣で呟いた関羽の言葉を聞いて確かにと思い軽く吹き出した。
 それからすぐに劉備と関羽の元にも料理が届き、また許緒にも追加の料理が届いたためしばらくはそれぞれ料理に舌鼓を打つこととした。
 大分、卓の上の料理を片付けたところで劉備はなんとなく気になったことを尋ねて見る。
「そういえば、許緒ちゃんっていつから曹操さんの元で働いてるの?」
「え? そうだなぁ……」
 そう言って、許緒は料理を口へと運ぶことに専念していた手を止めて、腕組みして考える。
「確か、ボクが華琳さまの元で働くことにしたのは……そうだねぇ、黄巾の乱よりは前で……」
「随分と前のことなのだな」
 許緒の言葉に関羽がそう漏らす。どうやら、彼女も手を止めて許緒の話を聞くようだ。
「そうそう、華琳さまがまだ陳留の刺史を務めていた頃のことだね。ボクが村の近くまで来た盗賊と戦ってたときに、同じ盗賊を退治するためだったかな……まぁ、なんにせよ、そいつらを追って遠征をしてきた華琳さまと出会ったんだ」
「へぇ、盗賊退治か……」
 そう呟いて、劉備は僅かに頷く。
(そっか、なんだか風格のある人で、国の役人でもあったから強くて強大な人なんだと思ってたけど、そういったこともしてたんだ)
 反董卓連合の時は一目しか見ていなかったため何とも判断しがたかったが、今、曹操の元で客将として働くことになってから劉備は曹操をどこか自分よりも数歩先を進む存在のように思えていてた。そして、それはきっと元からの違いだとも思っていた。
 だが、違ったのだ。曹操だって直接討伐に参加する……つまりは、そこまで勢力的には大きくなかった頃があったということなのだ。
「それでね! それでね! その時なんだけどね。当時、盗賊の被害にあったり国の役人からヒドイ扱いを受けたりしていたボクの村を救ってくれるって約束をしてくれたんだ」
「それは、意外というかなんというか……」
 関羽が驚いた表情で許緒を見つめる。当の許緒は、そんな反応も気にせず語り続ける。
「それで、その後にボクの力を貸して欲しいって言ってくれて。そこが一番初めのだったかな、ボクが華琳さまと一緒に闘うことになったのは」
「そっか、そうなんだ……」
 許緒の話を聞いて劉備は何度か驚きを覚えた。曹操が、一つの村の民の言葉をちゃんと聞いたことに。そして、その相手である許緒と交わした約束の内容にも。
「……ますます意外だな」
 どうやら、隣の関羽も劉備と同じような想いらしく何とも言い難い表情をしている。
 一方の許緒は、興が乗ってきたのかさらに続きを話し始める。
「それで、それからちょっとしたらね、実は当時ボクの村やその周辺の土地を治める州牧が逃げ出しちゃってたことがわかってね、その人の代わりに華琳さまが州牧の任についたんだよ。それで、その時にボクは華琳さまから親衛隊の任を受けたんだ」
 とても嬉しそうに当時の思い出を語る許緒を見て、劉備は複雑な思いに駆られる。
(こんな小さな子にも慕われるって事は、やっぱり曹操さんは悪い人ではないんだ……)
 村に来たとき……いや、曹操の本拠に住む民の姿を見たときから劉備が抱いていた考えは、かつて領地の民であった少女の言葉によって確信へと変わった。
 曹操は、曹操なりのやり方で民と、そして国と向き合っているのだ。さらに、彼女は自らの道に自信を持っている。
 劉備はふと、自分の道はどこへ向かっているのか考えたくなった。いや、既に決めていたはずなのだ……徐州を出るときに。
 それでも、考えてしまう。何故なら、徐州脱出後から見てきた曹操という存在と彼女が切り開く道、そして、その上を歩む民や彼女の臣下たちのありようを見て、劉備のなかの道が揺らぎかけそうだったからだ。
 劉備は、考える、自分の道と曹操の道について。
(曹操さんの道は、決して民を軽んじた道じゃなかった……でも、それでも、あの人の道はわたしとは違う。誰かが犠牲になることを致し方ないことだと割り切る事なんてわたしにはできないんだから)
 そんな風に、劉備がいろいろと考え込んでいると、許緒が声を掛けてくる。
「あれ? どうしたの姉ちゃん」
「ねぇ、許緒ちゃんは今幸せ?」
 小首を可愛らしく傾げる許緒に、劉備は何気ない疑問を投げかける。すると、許緒は頭の後ろで手を組みながら口を開く。
「ん〜、まぁ、幸せっていえば幸せかもしれない。華琳さまの元で働けること、春蘭さまや秋蘭さまも優しいし、流琉だって……あ、流琉はボクの親友で典韋っていうんだけど……その流琉と一緒にいられるんだからきっと今のボクは大分幸せな状態なんだと思うよ」
 その言葉はどこか深みがあるように聞こえ、劉備は感心をさらに深くする。そして、許緒が次の言葉を紡ぐのを黙って待つ。
「……でも、まだ本当に幸せとはいえないかな」
「どうして?」
 急に真面目な表情になってそう告げる許緒に、劉備はすぐに聞き返す。
「だって、まだ華琳さまの望む世界を作れてないんだもん」
「…………そっか」
「華琳さまが目指す世っていうのを実現するためにもボクはもっと頑張らなきゃいけない。そして、絶対春蘭さまのように華琳さまを支えられる武将になってみせるんだ」
 拳を握りしめてそう断言する許緒の姿はとても自信に満ちあふれ、曹操を、ひいては彼女の進む先を信じているのが伺える。
 そう、それはまるで劉備の道を信じついて来る人々のようである。それは劉備にとっても僅かながらも衝撃を与える。
(わたしが進もうと考えているもの以外にも道があるんだ……)
 劉備が思う道……それは、もちろん民と共に歩む道。劉備は徐州脱出の際の民衆の反応を見て、自らの道の正しさを半ば確信していた。
 だが、今目の前に、それとは別の道の上を歩む少女がいる。そして、それはこの少女だけにあらず、曹操の領地に住む民たちもおそらくは同じだ。
 それは、劉備にとって驚愕の事実ともいえる。だが、それに対して劉備が抱くのは妬みでもなければ羨望でもない。自分に対する憤りと反省だった。
(なんでわたしは自分のみちのみが正しいと信じてたんだろう……この大陸には多くの人がいる。それなら、多くの人がいろいろな道を模索するのは当たり前で、それぞれが信じる道にだって正しさがあるっていうのに……)
 そう、曹操はいま、乱世の奸雄と世間では言われている。そして、その噂を聞いていた劉備はやはり曹操の覇道は間違っている……そう決めつけてしまっていたのだ。
 もちろん、自分の道が正しいとは思っている。だが、劉備の進む道以外にも道はあるということを今、彼女は知ったのだ。
 だからこそ、自らの愚かさを学び、劉備はまた一つ自分を変えることを決める。
(わたしはまだ、目を向けなきゃいけないものがたくさんあるんだ)
 自分の道、それを曲げようとは劉備は思わない。もし、曹操の道に影響を受けて自らの道をねじ曲げてしまえば、それは劉備と共に道を切り開いてくれた者たちへの裏切りとなるからだ。
 それでも、劉備は思う。他者が進む道をちゃんと見つめるべきだと。そして、もし、仮に自分がその道の先頭を歩む者を倒すことがあれば、自分はそれを飲み込んでさらなる向上を図らなければならないだろう、と。
「姉ちゃん?」
「ふふ、ありがとう。許緒ちゃん」
 不思議そうに劉備を見上げる許緒に劉備はにこりと笑いかける。
「ねぇねぇ、今度は姉ちゃんたちのことも聞かせてよ」
「我々の事?」
「うん、どういうことがあったのかなってさ」
 手を口に向かって料理を運ぶ作業へと戻しながら許緒がそう答える。
「そうだね。許緒ちゃんだけ話させるのも悪いもんね」
「いや、別にボクはそういうつもりは……」
 頬を掻きながらそう答える許緒に関羽が耳打ちする。
「気にするな、桃香様はいつもこうなのだ。少々、面倒かもしれんが我慢してくれ」
「はぁ。そうなんだ」
「愛紗ちゃん、聞こえてるよ」
「…………おほん。それで、私たちのこれまでだったな」
 劉備のツッコミが聞こえてるはずなのに関羽は咳払いをするだけで反応を見せない。
「愛紗ちゃん?」
「まずは、そうだな……我らの出会いから話すとしよう」
 一切、劉備と視線を会わせずに関羽は語り続ける……劉備が顔をのぞき込んでいるのにまるで見えていないかのように。
「おーい」
「そう、あれは――」
 結局、劉備の声は聞こえないかのように関羽は喋りだし、許緒もそれに耳を傾けてしまったので劉備もふて腐れながらも語り部となるのだった。
 そして、二人は許緒に語り出す。
 劉備、関羽、張飛の出会い。そして、桃園で誓いを立てた日のことを。
 公孫賛の元へいき、そこで素敵な出会いがあったことを……そう、素晴らしき志を持つ武人、どこか不思議で暖かな少年に出会ったときのことを。
 劉備を中止として、新たな勢力として立ち上がったことを。
 反董卓連合に参加したこと、そこで再び少年と武人に出会ったことを。
 そして、連合解散に伴い、徐州へと赴き、ついには今の日々を迎えることになった事を。
 許緒は、とても楽しそうに話を聞いていた。だが、公孫賛の元で出会った少年の話になったときに一瞬だけではあるが、許緒が不思議そうな表情を浮かべて首を傾げたことと、反董卓連合の話の時に関羽が僅かに表情を険しくしたことが会話の中でも劉備にとって印象的な場面だった。
 そうして、語り合ううちにすっかり日も暮れたため、劉備は許緒と別れ、関羽と共に宿舎へと向かうことにした。
 その道中、関羽が感慨深げに口を開いた。
「それにしても、あの許緒。とても素直で良い子でしたね」
「うん……愛紗ちゃんが最初にいった言葉もあながち間違ってなかったね」
「はて? 何か言いましたか私は?」
 劉備の言葉に関羽が不思議そうに首を傾げる。その様子がおかしくて劉備は笑みを零した。
「ちょっと、桃香様! わらっておられずにちゃんと話していただきたいのですが?」
「あはは……ご、ごめんごめん。ちゃんと言うから……くく」
 顔を赤く染めて詰め寄る関羽を両手で制しながら劉備はなんとか笑いを噛み殺す。
「まったく」
「ごめんって。だからね、最初席に着くときに愛紗ちゃんが許緒ちゃんを見て鈴々ちゃんみたいっていったでしょ」
「あぁ、なるほど。確かに、許緒はアレとよく似ていましたね」
 関羽も、先程のやり取りを思い浮かべるようにしながら肯いた。
「でしょ。それにしても、鈴々ちゃん上手くやってるかな?」
「大丈夫でしょう。鈴々ならきっと」
 そう言って関羽が空を見上げるので、劉備もそれにならって顔を上げる。空は真っ黒な布に宝石が散りばめられたように星々の輝きが一層目立っていた。
「鈴々ちゃんも星……見てるのかな?」
「いえ、きっとグースカ寝てることでしょう」
 今、曹操軍の者たちと協力して戦場に赴いている末の義妹のことを想いながら二人は空を眺め続けるのだった。

 宿舎へと戻ると、劉備は伸びをして寝台へと腰を下ろした。腰に携えていた剣――靖王伝家という名がついている――を近くに置いてある。
 一方の関羽は持ち歩いていた青龍偃月刀の手入れをし始める。
 それから、二人は何気ないこの遠征についての話を始めた。
「それにしても、曹操は何を考えているのでしょうか?」
「さぁ? わたしたちには推し量れない思考をしてる人だからね」
 顔だけ劉備の方を向いて訊ねる関羽に劉備はそう答える。もっとも、推し量れないのは確かだが、先程の許緒とした会話によって彼女の考えを垣間見たのもまた確かではあった。
 だが、それと今回の遠征については関係があるのかは不明である。
「そもそも、目的を我らに教えないというのもおかしなものではありませんか?」
「ううん、確かにそうだとは思うんだけど……なんだろう、何かきっと曹操さんなりの考えがあるんじゃないかな」
 あの曹操が、何の考えもなく劉備たちに行く先を教えないまま遠征をするとも思えないのだ。
「あ、それならさっき許緒ちゃんにでもそれとなく聞けばよかったね」
「はっ!? そ、そうでした!」
 劉備の言葉に関羽が眼を真開く。それと同時に手元の青龍偃月刀が撥ねる。関羽はそれを慌てて取り押さえる。
「うわっ! おっとと……まぁ、なんにせよ、目的地は恐らく北にあるというのは確かですね」
「うん。問題は、東へ向かうか西寄りに進むのかだね」
 北東には公孫賛軍のいる冀州、幽州か張燕が大々的に名を広めている并州になる。また、北西ならば馬騰や羌族のいる西涼、その手前にある……朝廷が治めている雍州、司隷となる。
 どちらにいくにしても、いまいち曹操の狙いがわからない。
「結局我らに出来るのはただ、曹操に続くしかないということですか」
「そうだね……今はそれしかないよ」
 それは、劉備たちを匿ってくれた恩義に報いるため、そして、自分たちが生きていくためである。だが、機が熟したら……そこまで考えて劉備は首を振る。
(今は、まだそこまで考えないでおこう)
 そう、まだ何も情況は好転していないのだから。
「ふぁあ」
 遠征による遠出の疲れが出てきたのか劉備の口からあくびが漏れる。
「おや……それでは、もうそろそろ寝ましょうか」
 そう言って、関羽は青龍偃月刀を置き、ふっと息で灯りを消して、寝台へと横になった。
「うん、そうだね。何だか眠くて……それじゃあ、おやすみ。愛紗ちゃん」
 そう言って、劉備は布団に潜り込んだ。関羽の返事が聞こえた頃には完全に部屋は暗くなりもう彼女の方は関羽の寝台の傍にある窓から差し込む光が照らす部分以外は全く見えなくなっていた。
 それから、しばらくの間、劉備は暗い部屋の中、ぼうっと天井を見つめ続けていた。
 そして、許緒との話を改めて思い出しながら劉備は思考を巡らせる。
 一度、そのことが頭を過ぎると、どうしても寝付けなかった。なので、劉備はしばらくそのことをかんがえ続けてみることにした。
 その結果、浮かんできたのは、「もしかしたら、曹操の目指す先も劉備と似たような者なのかもしれない」ということだった。
(あれだけ、純粋で素直そうな娘が信じて後に続いてるんだもん……きっと、酷い結末を望んでいる訳じゃないんだ……きっと、あの人が求めるものも……)
 その辺りまで考えていくうちに劉備は眠りへと落ちていった。
 
 †
 
 劉備が健やかな寝顔で胸を規則的に上下させ始めたのを横目で確認すると、関羽は寝台から降りて窓辺へと足を運ぶ。
 空はまだ月が陣を張り、その明かりによって周りの星々よりも目立っている。そんな明かりを一身に浴びながら関羽は空を眺める。
「…………ご主人様、か」
 ふと、ぽつりと関羽は漏らす。寝ている劉備を起こさないよう声は抑えてである。
(少しずつ、あの夢が現実にあったことのように思えてくる……)
 関羽が以前から見る"ご主人様"との記憶……らしきもの。
 どの夢でも共通してその姿はハッキリとは見えないもののどこかで出会ったことがあるというのだけは確かだと思えてしまうような存在。それが、関羽が見る"ご主人様"なのだ。
(あれは、やはり一刀殿なのだろうか?)
 徐州を脱出する少し前に抱いたその疑惑。もちろん、答えを出すことなど未だ出来てはいない。そもそも、ここのところ徐州脱出、曹操との再度の邂逅など、多くのことが一片に起こりすぎたために関羽の周囲は非常に慌ただしくなったのだ。
 それ故に、関羽は夢のことを考える暇もなかった。主であり、大切な義姉でもある劉備のことや仲間たち、徐州からついてきた民……それらのこともあんじて、自分の事は後回しにしていたのだ。
 だが、それでも寝ずにいつづけることなどは不可能なわけであり、関羽はもちろん眠りにはつく。そして、その時に例の夢が関羽のもとへと訪れてくるのだ。
(最近は、また頻度が高くなってきているが……)
 以前、おおよその計算では公孫賛軍と袁紹軍との戦いに決着がつく前あたりまでは特に関羽がそのような夢などを見ることもなかった。
 だが、一度夢を見始めると、それはまるで関羽の頭の中……さらには心をも侵食するかのように徐々にその範囲を広げ、幾度となく関羽に正体不明の"ご主人様"のことを見せつけてくる。
 例えば――賊に襲われた誰かを助けたこと。
 例えば――関羽と張飛が劉備ではなくそのたまたま出会った誰か……もとい謎の人物を君主としたこと。
 例えば――諸葛亮の知者ぶりに驚かされ、謎の人物の慧眼に感服したこと。
 例えば――関羽が反董卓連合に参加した際に、とある武将を斬ったこと。
 例えば――かの昇り龍と称される武人と戦場を共にしたこと。
 例えば――関羽が町娘のように洒落た格好をしたこと。
 例えば――関羽が――を愛したこと。
 例えば――。
 そうやって、毎回、ことなる場面、ことなる登場人物たちによって繰り広げられる夢。
 それは、関羽の中に記憶として刻まれ……いや、まるで隠れていた伏兵の攻撃の様に、ただ関羽から見えていなかったものが急激に姿を現してきたかのようだった。
 そんな数々の夢による影響はそれなりに大きかった。関羽はその夢の中で、大切な存在であろう"ご主人様"との日々を徐々に自分の経験したもののように感じ始めていた。
 だが、彼女はそのかけがえのない……そう、何物にも代え難かった大切な日々を――。
(……くっ)
 思い出すだけでも、関羽の胸は押し潰されんばかりに苦しくなる。
 それに対する悔恨の思いが関羽の胸の内にしこりとなって残り続けているのだ。夢の中の自分と同期し、まるでそれらの出来事を自分が経験したかのように感じているからこそ、とある夢がどうしても彼女の中から消し去ることが出来ない。
 ただの夢であると、切り捨てられないのだ。
 そして、その影響もあってなのか、劉備が徐州を手放さなければならなかったこと、曹操の下で働かねばならなくなったことに対する責任を関羽は深く感じていた。
「私の……我が力が及ばないがために……すみません、桃香様。それと、今は思い出せぬご主人様」
 そう呟いた関羽に空とは別の方向から目映い光があたる。そちらに視線を向けると、寝台の枕元に立てかけてある青龍偃月刀の刃が月明かりに照らされ、それを反射している。関羽がそれをよく見ると、そこには自分の顔も映りこんでいる。それは、とても暗く、苦悩に満ちているように見える。
 そんな自分の顔を見て、関羽は苦笑を浮かべる。
(ふ……私は何を悩む……既に事は起こってしまったのだ。ならば、これからどうするか、それが大事なはずだ)
 そう想いながら、自分の寝台から隣へと視線を巡らす。劉備は未だ安眠を貪っている。
「なんにせよ、今の主は桃香様であり、私はただ貴女をお護りする以外に考えるべき事はない」
 そう宣言し、関羽は再び空を仰ぐ。
(そう……桃香様を護るためにも、余計な事はもう考えずにおこう……)
 そう内心で決めると、関羽は深々と息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「我は関雲長。劉玄徳の刃……ただ、それだけ。桃香様と対立する者はなんであろうと――」
 そこまで言うと、関羽は青龍偃月刀を手に取る。そして、偃月刀を水平に掲げ何も無い空を睨み付ける。
「……斬り捨てるのみ」
 青龍偃月刀を振り下ろしながら関羽はそう決意した。もう夢のこと、不可思議な記憶のことは考えない。余計なことを考えていては自らが君主と仰ぐ者を守れないと信じて。
(だから……今後、我らの敵となり立ちはだかる者が現れたときには容赦はしない)
 ふと、青龍偃月刀を見る。その刃には表情が全く感じられない鉄の仮面でも付けている様な無表情を浮かべる関羽の顔が映っていた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


整形版はここからです。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 「無じる真√N35」




 劉備と共に来た民たち……彼らは今曹操軍の本拠がある兗城を中心に生活を営んでいる。最
も、他の住人と比べ扱いの差もなく皆、それぞれの日々を送っている。
 そして、そんな彼らを先導してきた劉備――字を玄徳、真名を桃香という――は今、曹操―
―字を孟徳、真名を華琳――および、彼女の率いる軍と共に行動し、馬に揺られながらずっと
北へと進み続けていた。
 また、曹操と共にいることにした劉備……そんな彼女と共にあるのは関羽――字は雲長、真
名が愛紗――だった。
 劉備軍の諸将にもまた働いて貰うという曹操の意向によりそれぞれ曹操軍の将と共に戦場へ
とでることになっていたが、関羽に関してのみ「桃香様のそばを離れる訳にはいかぬ」と強固
に反対し、最終的に劉備と共に曹操の近くで過ごすこととなった。
 その際、曹操がいやに素直にそれを認めたのが劉備には印象的だった。気持ち機嫌が良くな
ったように見えたがあれは……というところまで考えて劉備はすぐに思考を止めた。
(愛紗ちゃん……身の守りはしっかりとね)
 劉備は隣にいる関羽へと視線をそっと送った。
「?」
 当の関羽は見つめる劉備を不思議そうに首を傾げて見ている。そんな彼女になんでもないと
手を振って答えると劉備は目をそらした。
 ちょうど、その時全体の動きがゆっくりとしたものへと変化していく。また、それと同時に
劉備と馬を並べている曹操の元へと兵が駆けてきた。
「報告! 前方に邑が見えてきました」
 その報告通り、確かにうっすらとだが集落のようなものの姿が見え始めている。それを視認
した曹操が口を開き返答を告げる。
「そう。丁度良い頃合いのようね……よし、今日はあの邑にて夜を越すぞ」
「は!」
 赤く光る日をみながら曹操が告げた言葉に姿勢を正してそう返事をすると、兵は再び前方へ
と戻っていく。
 そして、曹操の指示通り邑へと入ると軍の行進は停止することになった。
「それでは、各自明日に備えそれぞれの時間を取れ。また、桂花は私の部屋に来なさい」
 曹操がそう言うと、兵たちはそれぞれ従っている将の元へと動き始めた。そんな中、名指し
された荀ケ――字を文若、真名を桂花という――が曹操の後に続いて彼女共々、寄宿舎の方へ
と歩いて行った。
 それを見送ると劉備もまた、共に来ていた関羽の元へと寄る。
「さて、それじゃあわたしたちも適当に時間潰そうか」
「そうですね。我々には特に準備もなにもありませんからね」
「じゃ、邑の中でも見ようよ」
 そんな会話を交わして劉備は関羽と共に邑内を歩き始める。
「しかし、入ってきたときから思っていましたが随分とまともですね」
「そうだね……それに、邑へ近づいてくるときに耕地があったのを見たけど、ちゃんとしてた
よ。よく手も行き届いてるみたいだから、きっと邑の人たちも案外元気なのかもね」
 劉備たちは、未だ曹操の領地である兗州を出ていなかった。州境近辺まで来ているのだけは
わかっているが後は不明である。なんにせよ、ここもまた曹操軍の治める土地なのである。
「よく見れば、邑内を行き交う民の顔も非常に活き活きとしていますね」
「うん……なんていうか、兗城にある街もそうだったけど、とても活気に溢れてるね」
 曹操は劉備とは異なる道を歩くことを決めている。それは、いわゆる覇道というものだ。曹
操が、自らの勢力を拡大するために本拠としている兗州を中心に軍を動かしていることもしっ
ていた。
 それは半ば無理矢理名ところもある……以前、劉備はそう思っていた。いや、今もまだそう
とは思っている。
 劉備は、それがあるが故に曹操と自らの道が違うことも理解している。だが、現に曹操の下
にいる民たちの顔を見ればどうだ、皆充実した日々を送っているように見える。つまり、それ
は曹操のやり方にも正しさがあるということなのだ。
「…………」
「桃香様?」
「ううん、なんでもないよ」
 そう答えると、劉備は歩みを早める……そう、まるで今の彼女の胸の内にある逸る想いのよ
うに。
 そんな劉備に慌てて歩調を揃えながら関羽が顔を覗ってくる。
「何をそのように急がれているのですか?」
「……別に、急いでなんていないよ」
 そう言って劉備はニコリと笑みを浮かべる。それを見て関羽はどこか訝しげな表情を浮かべ
るがため息を吐くと肩を竦めた。
「何にせよ、ゆっくり回りませんか?」
「そうだね、そうしよっか」
 関羽の言葉に従い、劉備は徐々に脚をゆっくりなものへと変えていく。関羽も合わせるよう
に速度を落としていく。
 その際に、ちらりと関羽を見る。
(愛紗ちゃんには言えないよ……今の愛紗ちゃんには)
 劉備はそう内心で呟く。
 ある時を境に関羽は、なにかが違っているのだ。そう、何かが違うのだ。今まで劉備が義妹
として見てきた彼女とは。
 時折、どこか遠くを見るかのような表情を浮かべては顔を歪ませ、心苦しそうに胸を押さえ
るといった行動を取っていた。
 もっとも、関羽自身は劉備にそれを知られているとは思っていないようだ。
 何故なら、関羽はあからさまに変調を来す時は決まってどこか物陰などに身を隠してやりす
ごしているのだ。
 それを劉備が知ったのはたまたまだった。劉備は何故か度々姿を消していた彼女を心配して、
こっそりと後をつけて行ったことがあったのだ。その際に関羽の悩み苦しんでいるかのような
姿を目撃してしまったのである。
 その顔はとても辛そうであり、また悲しみに満ちあふれていた。そんな何かを抱えているよ
うな顔を影でしているにも関わらず、劉備を始め、誰に対しても普段通りの表情を浮かべ何事
もないかのように接しているのだ。
 もっとも、それは徐州を撤退するよりも前のことで、最近は特にそのような素振りは見なか
った。いや、見る機会が無かったとでも言うべきだろうか。劉備自身、曹操との会談などもあ
り忙しかったのだから。
 とはいえ、劉備は思う。それでも、関羽が隠れて悩むようなことが無くなっていると。
(愛紗ちゃんの悩みは解決したの? それとも、まだその胸に抱えているの?)
 そう想いながら、ちらりと関羽の胸をみる。関羽の歩に合わせてそれはユサユサと上下し、
存在を強調している。
 劉備には分からない。関羽がその胸のなかに何を隠しているのか……また、何故劉備に隠し
ているのかが。
「どうかなされましたか?」
「え?」
 急な関羽の呼びかけに劉備は彼女の方へと視線を向ける。
「いえ、何やら難しい顔をしておられたので」
「ううん、なんでもないよ。やっぱり、良い邑だなって思ってただけだよ」
「そう……ですか」
 何か言いたそうな表情を一瞬だけ浮かべ、関羽は頷いた。
 それから、二人は特に会話も交わさず黙々と歩き続けた。
(な、なんでだろう……すごく気まずいよぉ)
 内心でオロオロとしながらも関羽と目を合わせないようそっぽを見続ける劉備。
 その時、くぅと可愛らしい音が劉備の腹部から小さく鳴り響く。
「あ」
「……ぷ。くく、そろそろどこかで食事を取った方がよさそうですね」
 クスクスと笑いながら関羽が劉備の方を見る。劉備も頬を掻きながらそれに頷く。
「そうだね。お腹空いちゃったよ。えへへ」
「では、あそこなどどうですか?」
 そう言って関羽が指し示す先には一件の飯店があった。
「店主、二名だが空いているか?」
 中に入りながら関羽がそう告げて店主のほうを伺う。
「もうしわけありやせん。ただいま、満席でして」
「そうですか……いえ、仕方がないですよね」
 劉備は、頭を下げる店主に手を振ってそう答えると、関羽の方を見る。
「どうしよっか?」
「そうですね、恐らくどこも同じような状態でしょうし待つとしましょう」
 関羽がそう言うのと同時に奥から声が掛かる。
「あ、姉ちゃん!」
「え? 許緒ちゃん!」
 そこにいたのは、桃色の髪を両側柄で編むようにまとめ上げ青い布でとめた、額を全開にし
ている少さな女の子……曹操軍、親衛隊の許緒――字は仲康、真名は季衣――だった。
「ここ、二つ空いてるからおいでよ」
 許緒が笑顔でそう言うのに対して、劉備は店主をちらと伺う。店主は首を縦に振り、「どう
ぞ」と手で示した。
「それじゃあ、失礼するね」
「すまぬな」
 そうして、関羽と共に席に着くとすぐに注文を済ます。
「ありがとね。許緒ちゃん」
「いいって。こういうときはお互い様だよ」
 照れくさそうに頭を掻きながら許緒が答える。
「それでも、感謝はさせていただく」
「もう、いいってば」
「……ねぇ、ちょっと気になったんだけど」
 一層、気恥ずかしげに照れ笑いを浮かべる許緒に、劉備は席を見て始めに気になったことを
訊ねることにした。
「ん? なに?」
「これって、全部許緒ちゃんが食べたの?」
 そう言って劉備が視線を送る先には、何重にも重ねられた大きな……それこそ投下の帽子に
仕えてしまいそうな程の大きさの丼があった。
「そうだよ。ボクってほらまだまだせいちょうきだからね」
「へぇ〜」
「何というか、鈴々みたいですね」
 控えめな胸を張ってフフン、と鼻を鳴らす許緒に劉備は感心していたが、隣で呟いた関羽の
言葉を聞いて確かにと思い軽く吹き出した。
 それからすぐに劉備と関羽の元にも料理が届き、また許緒にも追加の料理が届いたためしば
らくはそれぞれ料理に舌鼓を打つこととした。
 大分、卓の上の料理を片付けたところで劉備はなんとなく気になったことを尋ねて見る。
「そういえば、許緒ちゃんっていつから曹操さんの元で働いてるの?」
「え? そうだなぁ……」
 そう言って、許緒は料理を口へと運ぶことに専念していた手を止めて、腕組みして考える。
「確か、ボクが華琳さまの元で働くことにしたのは……そうだねぇ、黄巾の乱よりは前で……」
「随分と前のことなのだな」
 許緒の言葉に関羽がそう漏らす。どうやら、彼女も手を止めて許緒の話を聞くようだ。
「そうそう、華琳さまがまだ陳留の刺史を務めていた頃のことだね。ボクが村の近くまで来た
盗賊と戦ってたときに、同じ盗賊を退治するためだったかな……まぁ、なんにせよ、そいつら
を追って遠征をしてきた華琳さまと出会ったんだ」
「へぇ、盗賊退治か……」
 そう呟いて、劉備は僅かに頷く。
(そっか、なんだか風格のある人で、国の役人でもあったから強くて強大な人なんだと思って
たけど、そういったこともしてたんだ)
 反董卓連合の時は一目しか見ていなかったため何とも判断しがたかったが、今、曹操の元で
客将として働くことになってから劉備は曹操をどこか自分よりも数歩先を進む存在のように思
えていてた。そして、それはきっと元からの違いだとも思っていた。
 だが、違ったのだ。曹操だって直接討伐に参加する……つまりは、そこまで勢力的には大き
くなかった頃があったということなのだ。
「それでね! それでね! その時なんだけどね。当時、盗賊の被害にあったり国の役人から
ヒドイ扱いを受けたりしていたボクの村を救ってくれるって約束をしてくれたんだ」
「それは、意外というかなんというか……」
 関羽が驚いた表情で許緒を見つめる。当の許緒は、そんな反応も気にせず語り続ける。
「それで、その後にボクの力を貸して欲しいって言ってくれて。そこが一番初めのだったかな、
ボクが華琳さまと一緒に闘うことになったのは」
「そっか、そうなんだ……」
 許緒の話を聞いて劉備は何度か驚きを覚えた。曹操が、一つの村の民の言葉をちゃんと聞い
たことに。そして、その相手である許緒と交わした約束の内容にも。
「……ますます意外だな」
 どうやら、隣の関羽も劉備と同じような想いらしく何とも言い難い表情をしている。
 一方の許緒は、興が乗ってきたのかさらに続きを話し始める。
「それで、それからちょっとしたらね、実は当時ボクの村やその周辺の土地を治める州牧が逃
げ出しちゃってたことがわかってね、その人の代わりに華琳さまが州牧の任についたんだよ。
それで、その時にボクは華琳さまから親衛隊の任を受けたんだ」
 とても嬉しそうに当時の思い出を語る許緒を見て、劉備は複雑な思いに駆られる。
(こんな小さな子にも慕われるって事は、やっぱり曹操さんは悪い人ではないんだ……)
 村に来たとき……いや、曹操の本拠に住む民の姿を見たときから劉備が抱いていた考えは、
かつて領地の民であった少女の言葉によって確信へと変わった。
 曹操は、曹操なりのやり方で民と、そして国と向き合っているのだ。さらに、彼女は自らの
道に自信を持っている。
 劉備はふと、自分の道はどこへ向かっているのか考えたくなった。いや、既に決めていたは
ずなのだ……徐州を出るときに。
 それでも、考えてしまう。何故なら、徐州脱出後から見てきた曹操という存在と彼女が切り
開く道、そして、その上を歩む民や彼女の臣下たちのありようを見て、劉備のなかの道が揺ら
ぎかけそうだったからだ。
 劉備は、考える、自分の道と曹操の道について。
(曹操さんの道は、決して民を軽んじた道じゃなかった……でも、それでも、あの人の道はわ
たしとは違う。誰かが犠牲になることを致し方ないことだと割り切る事なんてわたしにはでき
ないんだから)
 そんな風に、劉備がいろいろと考え込んでいると、許緒が声を掛けてくる。
「あれ? どうしたの姉ちゃん」
「ねぇ、許緒ちゃんは今幸せ?」
 小首を可愛らしく傾げる許緒に、劉備は何気ない疑問を投げかける。すると、許緒は頭の後
ろで手を組みながら口を開く。
「ん〜、まぁ、幸せっていえば幸せかもしれない。華琳さまの元で働けること、春蘭さまや秋
蘭さまも優しいし、流琉だって……あ、流琉はボクの親友で典韋っていうんだけど……その流
琉と一緒にいられるんだからきっと今のボクは大分幸せな状態なんだと思うよ」
 その言葉はどこか深みがあるように聞こえ、劉備は感心をさらに深くする。そして、許緒が
次の言葉を紡ぐのを黙って待つ。
「……でも、まだ本当に幸せとはいえないかな」
「どうして?」
 急に真面目な表情になってそう告げる許緒に、劉備はすぐに聞き返す。
「だって、まだ華琳さまの望む世界を作れてないんだもん」
「…………そっか」
「華琳さまが目指す世っていうのを実現するためにもボクはもっと頑張らなきゃいけない。そ
して、絶対春蘭さまのように華琳さまを支えられる武将になってみせるんだ」
 拳を握りしめてそう断言する許緒の姿はとても自信に満ちあふれ、曹操を、ひいては彼女の
進む先を信じているのが伺える。
 そう、それはまるで劉備の道を信じついて来る人々のようである。それは劉備にとっても僅
かながらも衝撃を与える。
(わたしが進もうと考えているもの以外にも道があるんだ……)
 劉備が思う道……それは、もちろん民と共に歩む道。劉備は徐州脱出の際の民衆の反応を見
て、自らの道の正しさを半ば確信していた。
 だが、今目の前に、それとは別の道の上を歩む少女がいる。そして、それはこの少女だけに
あらず、曹操の領地に住む民たちもおそらくは同じだ。
 それは、劉備にとって驚愕の事実ともいえる。だが、それに対して劉備が抱くのは妬みでも
なければ羨望でもない。自分に対する憤りと反省だった。
(なんでわたしは自分のみちのみが正しいと信じてたんだろう……この大陸には多くの人がい
る。それなら、多くの人がいろいろな道を模索するのは当たり前で、それぞれが信じる道にだ
って正しさがあるっていうのに……)
 そう、曹操はいま、乱世の奸雄と世間では言われている。そして、その噂を聞いていた劉備
はやはり曹操の覇道は間違っている……そう決めつけてしまっていたのだ。
 もちろん、自分の道が正しいとは思っている。だが、劉備の進む道以外にも道はあるという
ことを今、彼女は知ったのだ。
 だからこそ、自らの愚かさを学び、劉備はまた一つ自分を変えることを決める。
(わたしはまだ、目を向けなきゃいけないものがたくさんあるんだ)
 自分の道、それを曲げようとは劉備は思わない。もし、曹操の道に影響を受けて自らの道を
ねじ曲げてしまえば、それは劉備と共に道を切り開いてくれた者たちへの裏切りとなるからだ。
 それでも、劉備は思う。他者が進む道をちゃんと見つめるべきだと。そして、もし、仮に自
分がその道の先頭を歩む者を倒すことがあれば、自分はそれを飲み込んでさらなる向上を図ら
なければならないだろう、と。
「姉ちゃん?」
「ふふ、ありがとう。許緒ちゃん」
 不思議そうに劉備を見上げる許緒に劉備はにこりと笑いかける。
「ねぇねぇ、今度は姉ちゃんたちのことも聞かせてよ」
「我々の事?」
「うん、どういうことがあったのかなってさ」
 手を口に向かって料理を運ぶ作業へと戻しながら許緒がそう答える。
「そうだね。許緒ちゃんだけ話させるのも悪いもんね」
「いや、別にボクはそういうつもりは……」
 頬を掻きながらそう答える許緒に関羽が耳打ちする。
「気にするな、桃香様はいつもこうなのだ。少々、面倒かもしれんが我慢してくれ」
「はぁ。そうなんだ」
「愛紗ちゃん、聞こえてるよ」
「…………おほん。それで、私たちのこれまでだったな」
 劉備のツッコミが聞こえてるはずなのに関羽は咳払いをするだけで反応を見せない。
「愛紗ちゃん?」
「まずは、そうだな……我らの出会いから話すとしよう」
 一切、劉備と視線を会わせずに関羽は語り続ける……劉備が顔をのぞき込んでいるのにまる
で見えていないかのように。
「おーい」
「そう、あれは――」
 結局、劉備の声は聞こえないかのように関羽は喋りだし、許緒もそれに耳を傾けてしまった
ので劉備もふて腐れながらも語り部となるのだった。
 そして、二人は許緒に語り出す。
 劉備、関羽、張飛の出会い。そして、桃園で誓いを立てた日のことを。
 公孫賛の元へいき、そこで素敵な出会いがあったことを……そう、素晴らしき志を持つ武人、
どこか不思議で暖かな少年に出会ったときのことを。
 劉備を中止として、新たな勢力として立ち上がったことを。
 反董卓連合に参加したこと、そこで再び少年と武人に出会ったことを。
 そして、連合解散に伴い、徐州へと赴き、ついには今の日々を迎えることになった事を。
 許緒は、とても楽しそうに話を聞いていた。だが、公孫賛の元で出会った少年の話になった
ときに一瞬だけではあるが、許緒が不思議そうな表情を浮かべて首を傾げたことと、反董卓連
合の話の時に関羽が僅かに表情を険しくしたことが会話の中でも劉備にとって印象的な場面だ
った。
 そうして、語り合ううちにすっかり日も暮れたため、劉備は許緒と別れ、関羽と共に宿舎へ
と向かうことにした。
 その道中、関羽が感慨深げに口を開いた。
「それにしても、あの許緒。とても素直で良い子でしたね」
「うん……愛紗ちゃんが最初にいった言葉もあながち間違ってなかったね」
「はて? 何か言いましたか私は?」
 劉備の言葉に関羽が不思議そうに首を傾げる。その様子がおかしくて劉備は笑みを零した。
「ちょっと、桃香様! わらっておられずにちゃんと話していただきたいのですが?」
「あはは……ご、ごめんごめん。ちゃんと言うから……くく」
 顔を赤く染めて詰め寄る関羽を両手で制しながら劉備はなんとか笑いを噛み殺す。
「まったく」
「ごめんって。だからね、最初席に着くときに愛紗ちゃんが許緒ちゃんを見て鈴々ちゃんみた
いっていったでしょ」
「あぁ、なるほど。確かに、許緒はアレとよく似ていましたね」
 関羽も、先程のやり取りを思い浮かべるようにしながら肯いた。
「でしょ。それにしても、鈴々ちゃん上手くやってるかな?」
「大丈夫でしょう。鈴々ならきっと」
 そう言って関羽が空を見上げるので、劉備もそれにならって顔を上げる。空は真っ黒な布に
宝石が散りばめられたように星々の輝きが一層目立っていた。
「鈴々ちゃんも星……見てるのかな?」
「いえ、きっとグースカ寝てることでしょう」
 今、曹操軍の者たちと協力して戦場に赴いている末の義妹のことを想いながら二人は空を眺
め続けるのだった。

 宿舎へと戻ると、劉備は伸びをして寝台へと腰を下ろした。腰に携えていた剣――靖王伝家
という名がついている――を近くに置いてある。
 一方の関羽は持ち歩いていた青龍偃月刀の手入れをし始める。
 それから、二人は何気ないこの遠征についての話を始めた。
「それにしても、曹操は何を考えているのでしょうか?」
「さぁ? わたしたちには推し量れない思考をしてる人だからね」
 顔だけ劉備の方を向いて訊ねる関羽に劉備はそう答える。もっとも、推し量れないのは確か
だが、先程の許緒とした会話によって彼女の考えを垣間見たのもまた確かではあった。
 だが、それと今回の遠征については関係があるのかは不明である。
「そもそも、目的を我らに教えないというのもおかしなものではありませんか?」
「ううん、確かにそうだとは思うんだけど……なんだろう、何かきっと曹操さんなりの考えが
あるんじゃないかな」
 あの曹操が、何の考えもなく劉備たちに行く先を教えないまま遠征をするとも思えないのだ。
「あ、それならさっき許緒ちゃんにでもそれとなく聞けばよかったね」
「はっ!? そ、そうでした!」
 劉備の言葉に関羽が眼を真開く。それと同時に手元の青龍偃月刀が撥ねる。関羽はそれを慌
てて取り押さえる。
「うわっ! おっとと……まぁ、なんにせよ、目的地は恐らく北にあるというのは確かですね」
「うん。問題は、東へ向かうか西寄りに進むのかだね」
 北東には公孫賛軍のいる冀州、幽州か張燕が大々的に名を広めている并州になる。また、北
西ならば馬騰や羌族のいる西涼、その手前にある……朝廷が治めている雍州、司隷となる。
 どちらにいくにしても、いまいち曹操の狙いがわからない。
「結局我らに出来るのはただ、曹操に続くしかないということですか」
「そうだね……今はそれしかないよ」
 それは、劉備たちを匿ってくれた恩義に報いるため、そして、自分たちが生きていくためで
ある。だが、機が熟したら……そこまで考えて劉備は首を振る。
(今は、まだそこまで考えないでおこう)
 そう、まだ何も情況は好転していないのだから。
「ふぁあ」
 遠征による遠出の疲れが出てきたのか劉備の口からあくびが漏れる。
「おや……それでは、もうそろそろ寝ましょうか」
 そう言って、関羽は青龍偃月刀を置き、ふっと息で灯りを消して、寝台へと横になった。
「うん、そうだね。何だか眠くて……それじゃあ、おやすみ。愛紗ちゃん」
 そう言って、劉備は布団に潜り込んだ。関羽の返事が聞こえた頃には完全に部屋は暗くなり
もう彼女の方は関羽の寝台の傍にある窓から差し込む光が照らす部分以外は全く見えなくなっ
ていた。
 それから、しばらくの間、劉備は暗い部屋の中、ぼうっと天井を見つめ続けていた。
 そして、許緒との話を改めて思い出しながら劉備は思考を巡らせる。
 一度、そのことが頭を過ぎると、どうしても寝付けなかった。なので、劉備はしばらくその
ことをかんがえ続けてみることにした。
 その結果、浮かんできたのは、「もしかしたら、曹操の目指す先も劉備と似たような者なの
かもしれない」ということだった。
(あれだけ、純粋で素直そうな娘が信じて後に続いてるんだもん……きっと、酷い結末を望ん
でいる訳じゃないんだ……きっと、あの人が求めるものも……)
 その辺りまで考えていくうちに劉備は眠りへと落ちていった。
 
 †
 
 劉備が健やかな寝顔で胸を規則的に上下させ始めたのを横目で確認すると、関羽は寝台から
降りて窓辺へと足を運ぶ。
 空はまだ月が陣を張り、その明かりによって周りの星々よりも目立っている。そんな明かり
を一身に浴びながら関羽は空を眺める。
「…………ご主人様、か」
 ふと、ぽつりと関羽は漏らす。寝ている劉備を起こさないよう声は抑えてである。
(少しずつ、あの夢が現実にあったことのように思えてくる……)
 関羽が以前から見る"ご主人様"との記憶……らしきもの。
 どの夢でも共通してその姿はハッキリとは見えないもののどこかで出会ったことがあるとい
うのだけは確かだと思えてしまうような存在。それが、関羽が見る"ご主人様"なのだ。
(あれは、やはり一刀殿なのだろうか?)
 徐州を脱出する少し前に抱いたその疑惑。もちろん、答えを出すことなど未だ出来てはいな
い。そもそも、ここのところ徐州脱出、曹操との再度の邂逅など、多くのことが一片に起こり
すぎたために関羽の周囲は非常に慌ただしくなったのだ。
 それ故に、関羽は夢のことを考える暇もなかった。主であり、大切な義姉でもある劉備のこ
とや仲間たち、徐州からついてきた民……それらのこともあんじて、自分の事は後回しにして
いたのだ。
 だが、それでも寝ずにいつづけることなどは不可能なわけであり、関羽はもちろん眠りには
つく。そして、その時に例の夢が関羽のもとへと訪れてくるのだ。
(最近は、また頻度が高くなってきているが……)
 以前、おおよその計算では公孫賛軍と袁紹軍との戦いに決着がつく前あたりまでは特に関羽
がそのような夢などを見ることもなかった。
 だが、一度夢を見始めると、それはまるで関羽の頭の中……さらには心をも侵食するかのよ
うに徐々にその範囲を広げ、幾度となく関羽に正体不明の"ご主人様"のことを見せつけてくる。
 例えば――賊に襲われた誰かを助けたこと。
 例えば――関羽と張飛が劉備ではなくそのたまたま出会った誰か……もとい謎の人物を君主
としたこと。
 例えば――諸葛亮の知者ぶりに驚かされ、謎の人物の慧眼に感服したこと。
 例えば――関羽が反董卓連合に参加した際に、とある武将を斬ったこと。
 例えば――かの昇り龍と称される武人と戦場を共にしたこと。
 例えば――関羽が町娘のように洒落た格好をしたこと。
 例えば――関羽が――を愛したこと。
 例えば――。
 そうやって、毎回、ことなる場面、ことなる登場人物たちによって繰り広げられる夢。
 それは、関羽の中に記憶として刻まれ……いや、まるで隠れていた伏兵の攻撃の様に、ただ
関羽から見えていなかったものが急激に姿を現してきたかのようだった。
 そんな数々の夢による影響はそれなりに大きかった。関羽はその夢の中で、大切な存在であ
ろう"ご主人様"との日々を徐々に自分の経験したもののように感じ始めていた。
 だが、彼女はそのかけがえのない……そう、何物にも代え難かった大切な日々を――。
(……くっ)
 思い出すだけでも、関羽の胸は押し潰されんばかりに苦しくなる。
 それに対する悔恨の思いが関羽の胸の内にしこりとなって残り続けているのだ。夢の中の自
分と同期し、まるでそれらの出来事を自分が経験したかのように感じているからこそ、とある
夢がどうしても彼女の中から消し去ることが出来ない。
 ただの夢であると、切り捨てられないのだ。
 そして、その影響もあってなのか、劉備が徐州を手放さなければならなかったこと、曹操の
下で働かねばならなくなったことに対する責任を関羽は深く感じていた。
「私の……我が力が及ばないがために……すみません、桃香様。それと、今は思い出せぬご主
人様」
 そう呟いた関羽に空とは別の方向から目映い光があたる。そちらに視線を向けると、寝台の
枕元に立てかけてある青龍偃月刀の刃が月明かりに照らされ、それを反射している。関羽がそ
れをよく見ると、そこには自分の顔も映りこんでいる。それは、とても暗く、苦悩に満ちてい
るように見える。
 そんな自分の顔を見て、関羽は苦笑を浮かべる。
(ふ……私は何を悩む……既に事は起こってしまったのだ。ならば、これからどうするか、そ
れが大事なはずだ)
 そう想いながら、自分の寝台から隣へと視線を巡らす。劉備は未だ安眠を貪っている。
「なんにせよ、今の主は桃香様であり、私はただ貴女をお護りする以外に考えるべき事はない」
 そう宣言し、関羽は再び空を仰ぐ。
(そう……桃香様を護るためにも、余計な事はもう考えずにおこう……)
 そう内心で決めると、関羽は深々と息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「我は関雲長。劉玄徳の刃……ただ、それだけ。桃香様と対立する者はなんであろうと――」
 そこまで言うと、関羽は青龍偃月刀を手に取る。そして、偃月刀を水平に掲げ何も無い空を
睨み付ける。
「……斬り捨てるのみ」
 青龍偃月刀を振り下ろしながら関羽はそう決意した。もう夢のこと、不可思議な記憶のこと
は考えない。余計なことを考えていては自らが君主と仰ぐ者を守れないと信じて。
(だから……今後、我らの敵となり立ちはだかる者が現れたときには容赦はしない)
 ふと、青龍偃月刀を見る。その刃には表情が全く感じられない鉄の仮面でも付けてい
る様な無表情を浮かべる関羽の顔が映っていた。

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