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781 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2010/01/31(日) 02:16:57 ID:kGObzP3G0
無じる真√N-32話&拠点25を専用板にUPしたので告知させていただきます。
※今回のURL欄はQ&Aにつながります。そちらにメールフォームへのリンクがあります。

(この物語について)
・原作と呼称が異なるキャラが存在します。
・一刀は外史を既に一周しています。
・後々、特殊な仕様が出てくる予定です。
・特殊なカラミや不快に思う可能性のある場面が出てくることもあります。

上記が苦手な方にはおすすめできません。

(注意)
・18歳未満にはよろしくない表現が出てくることがあります。
・過度な期待などはせずに見てやって下さい。
・未熟故、多少変なところがあるかもしれません。
・今回のURL欄はQ&Aにつながります。そちらにメールフォームへのリンクがあります。
 メールフォームは必須項目を設けていません。ですので、意見、感想などはそちらからでも構いません
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少々、ボリュームに難がありますが楽しんで頂ければ幸いです。


URL:http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0477



改行による2パターンとなっています。最初は整形なしの素です。
ブラウザでご覧の方は、『ctrlキー+F』を押して出た検索窓に整形と入力して飛んでください。



 「無じる真√N32」




 一刀は今、街から遠く離れた場所にいた。そして、彼の前には大きく開けた荒野が広がっている。木々どころか草すら生えていない。そして、そこにはある一角の周辺だけに窪みが出来ていた。そう、それはまるで舞台と客席のような姿を形成している……。
 中々に壮大であるその光景に目を見張りつつ、全体を見渡すと一刀は感嘆の声を漏らしす。
「おぉ、これは凄いなぁ……それにもう準備出来てるな」
「あらぁんご主人さま〜」
 窪みの中から貂蝉がひょっこりと姿を現す。貂蝉は一刀の姿に気付くと急いで駆け寄ってくる。その身体のいたるところに泥がこびりついており、それが身体を伝う汗と混ざり泥水を全身に浴びたかのようになっている。
「うっ……」
「ちゃぁんと、完成させたわよぉ〜ん!」
 手を振りながら全速力で近寄る貂蝉の圧倒的な見苦しさに一刀は身を引きながら向かい合う。
「…………これはまた、ひどいな」一刀は顔をしかめながら貂蝉を見つめる。
「ふぅ……我ながら良い仕事したわ〜」
 そう言って、貂蝉は腕で額の汗を拭う。気持ち頭頂部が輝いているように見える。というよりも、全身が汗でテカテカと光り輝いている。
「…………お、お疲れ」普段以上に強烈なその姿を間近で再確認し、一刀は一歩後退する。
「どうかしらん? 言われた通り、大地を穿ち、」
 そう言って貂蝉が手で促す方に一刀は目を向ける。広大な窪みが綺麗に出来上がっている。広さは少なくとも2里以上はあると思われるほどだった。
(まぁ、これでも事足りるかはわからないんだよな……)
 それほどに、広大な土地が必要な話なのだ。だからこそ、一刀は孔融に取りはからってもらい好きに動けるようにしたのである。
「まぁ、こんなもんだろうな」
「でも……大変だったのよん。漢女の手で地面を掘って、凹凸を出来るだけ平らにしたりもして、その上雑草の処理までしたんだからん」
「いや、ホント至れり尽くせりだな……助かったぞ」
「んふ。ご主人様のためならなんだってできちゃんだから」
 可愛らしい口調でそう言って貂蝉が微笑むが、その濃さと泥によって汚れきった顔で全て台無しだった。
「まぁ、なんにせよ。ホント良くやった」十分に貂蝉と距離を取りたいと切に願いながら一刀はそう告げる。
 そんな一刀に、貂蝉がにこりと微笑みかけてくる。
「それじゃあ、行きましょうか」
「え?」貂蝉の姿に気を取られていた一刀が聞き返す。
「うふふ、予定があるのでしょう?」
「あぁ……そうだな、行こう」
 パチリ、と片目を瞬かせる貂蝉に頷くと、一刀は歩き出す。その横を貂蝉が寄り添うように歩く。
「離れろ……」
「えぇ〜いいじゃないのぉ」
「殴るぞ」
「もぉ〜相変わらずねぇ〜」
 すす……と僅かにさがる貂蝉。そのことに一刀が胸をなで下ろしていると貂蝉が声をかけてくる。
「どぅふふ……ご主人様のい、け、ずぅ〜」
「うわ……さ、寒気が」そう言って、一刀は自分の身体を抱きしめぶるり、と震える。
「いい加減、照れるのなんかやめちゃってわたしと……どぅふふんふん」
「…………」一刀は黙って脚を速く動かす。
「あらん? そんなに急いでどうしたの?」
「…………」沈黙で答える一刀。
「落ち着いて、ご主人様。はやる想いもわからないでもないけど、やっぱり平常心が第一よ。特にこれからやることには」
「…………あぁ」
 本当は、筋肉達磨の存在が一刀の歩を早めているのだが、本人は気付いていない。
(己のせじゃぁぁああ! ボケー!)
 そう心の内で叫びながら一刀は黙々と目的の場所へ向けて歩き続ける。今回の事象に対して決着を付けるために。

 †

 その日、袁術が城に大勢の人間を呼び寄せていた。そこに居並ぶのはまるまる太った豚のような者から余計な、どころか必要な肉までついていなさそうな痩せ形の者までありとあらゆる種類の人間。
 並んでいる姿を見ただけでは、すぐになんの集まりかはわからない。武人や武官にしては動きに支障を来しそうな体つきをしている。文官や知者にしては正直賢そうには見えない、そのうえ、落ち着きが感じられない。また、道士にしては身なりがいい加減すぎる。だからといって街や村の民かというと、それにしては身につけているものが高級そうである。
 そんな容姿をしているからこそ一見、何の集まりかは分からない。だが、この場に同席する鳳統は知っている、その来訪者たちが何者であるのか、そして、何をしようとしているのか。
「よし、皆の者集まったようじゃのう」
 室内を見回して袁術は機嫌良く一人頷く。
「なぁ、袁術さんよぉ……俺らを呼び出したのは一体どういう了見なんだ?」
「それは、私からお話しましょう」
 そう言って張勲が場の視線を集める。鳳統も、彼女に注目する。
「あなた方……いえ、この徐州の各地を治める豪族のみなさんに来てもらったのは他でもありません」
「…………やっぱり」鳳統は誰にも気付かれない程度の声で呟いた。
 そう、ここに集まっているのは徐州を治める豪族たちだった。かつて劉備を訪ねてきた、もしくは使者を送ったり、面会に行ったりしたことがあったため集まっている者たちの顔の多くが鳳統にとって既知のものだったのだ。
 来訪者の正体に鳳統が納得している間にも張勲の説明は続く。
「みなさんには、この袁術軍に服従して頂きます」
「はぁ?」
「ですから、私たちの参加に収まって貰います」
「ふざけんな! この徐州を治める人間と俺らの間にあるべきは協力体勢であり、上下関係じゃねぇ!」
 豪族の一人がそう怒鳴りつける。その様子に、鳳統はかつて劉備が交渉したときも同じように大声で威嚇してきたことを思い出した。
(……やっぱり、あの人苦手だな)
 人見知りをする鳳統にはやはり柄が悪く、声も性格も荒々しい人間は共にいづらい。
「協力……ですか?」張勲が説明を止めて聞き返す。
「おうよ。俺たちが協力しなきゃ、この徐州はろくに機能しないんだぜ」
 そう言って、豪族の一人――おそらくは代表であろう――が下卑た笑みを浮かべる。
「そこでだ、お嬢ちゃん。俺らに払うもん払ってくれや」
「なんじゃと?」ここにきて袁術が眉を潜ませる。
 よく見れば、張勲も普段とは違うどこか冷ややかな笑みを浮かべている。
 そんな事にも気付かずに豪族の代表が演技じみた感じで肩を竦めながら口を開く。
「おいおい、俺らは別に協力しなくてもいいんだぜ……」
「ふん、結局は金か……セコイ奴らじゃのう」
 むっとした表情で、袁術がそう言い放つ。
「あぁん? どうするかって聞いてるんだよぉ!」
 豪族の代表がじろりと袁術を睨み付ける。気圧されたのかびくりと身体を震わせて隣の張勲にしがみついている。
「な、なにもそのような態度を取ることはあるまい!」
「そうですよ……何も、お嬢さまにそのような不遜な態度を取ることはないでしょう」
「悪いが、おらぁそこのと話してんだよ――まぁ、いい。なぁ、白服の嬢ちゃんよぉ、どうなんだよ? 払うのか? あぁ?」
「わかりました……払いましょう」
「よし、そんじゃあこれくらいは出して貰わないとな」
 そう言って、豪族の代表が一つの書簡を手渡す。それを受け取って開いた張勲は目を見開いた。
「え? 嘘……こんなに?」
「どうしたのじゃ? 七乃ぉ……」未だ、動揺が溶けていない袁術がしがみつきながら張勲を見上げる。
「これはちょっと多すぎなのでは――」
「……おいおい、劉備の時は金持ってないようだったから情をもって安めにしてやったが、あんたらは金をたんまり持ってるんだろ? なら、それくらい出せるだろ。そう思おうよなぁ?」
 そう言って豪族の代表は他の者たちを振り返る。豪族たちは厭らしい笑みを浮かべながら一斉に頷いた。無理な要求をされる張勲と今一状況が飲み込めず、混乱している袁術。そして、彼女たちをあざ笑う豪族たち……それらを見た瞬間、鳳統の中にある何かがぼっと燃え上がった。さすがに見ていられなかったのだ、だから鳳統は口を挟んでしまう。本当は敵である袁術たちのために……。
「待ってください」
「ん? なんだおチビちゃん?」じろと豪族の代表が鳳統を睨んでくる。
「……こちらとしっかりと話し合った上で額を決めるのが正しいと思うのですが?」
 豪族代表の視線から逃げることなく鳳統は説明した。それを聞いた豪族代表が腕を組んで濁った笑い声を上げる。
「ぶっ、だははは! なぁおチビちゃんよぉ……俺らは袁術に力を貸してやる立場なんだよ。つまりは、俺らが条件を提示するならまだしも、互いに話し合うだぁ? バカ言っちゃあいけないなぁ」
「……つまりは、そちらの横暴な要求を呑まなければ協力はしないんですね」
「横暴? 正当だろ。まぁ、何にせよ要求が通らない以上協力はしねぇよ」
 小指で耳の穴をぐりぐりとほじくりながら豪族代表がそう言うやいなや鳳統はぴしゃりと返事を言い放つ。
「なら、結構です」
「なっ!?」豪族代表が耳に入れていた指を出して慌てて鳳統を見る。
「な、何を言っておるのじゃ?」袁術が身を乗り出して訊ねてくる。
「そ、そうですよぉ〜それはさすがにまずいんじゃあ……」
 椅子から落っこちそうになる袁術を支えながら張勲が鳳統を見つめる。
「ほ、本気で言ってるのかよ……」豪族代表がようやく質問を口にした。とはいってもただの聞き返しだが。
「…………はい、本気で言ってます。それと、みなさんに言っておきたいことがあるんです」
 鳳統の言葉に、場が騒然とした出す。ざわめきだつ背後を気にしながら豪族代表が訊いてくる。
「な、何だよ?」
「…………外的から襲われても知りませんよ? 私たちは一切、手を貸しませんから。なにせ……そちらが協力体勢を取るのを拒むとおっしゃっているのですから」
「な、なら、あんたらに何かあっても俺らは手を貸さん! いいんだな?」
 腕組みをしてそう言い張る豪族代表、もっとも動揺は隠しきれていない。その態度に張勲が何やら考え込んでいる。そして、鳳統と目が合うと口端を僅かに吊り上げこくりと頷いた。それに眼だけ頷かせて答えると、鳳統は興奮している豪族代表を見据える。
「……なら、いっそのこと潰した方が良いかもしれませんね」
「な、なんだと!?」鳳統の言葉に、なんとか強気を保っていた豪族が動揺を見せる。
「…………幸い、現在、孫策さんが徐州の南、曲阿のあたりにいますから……南と北、その両方からあなた方の治める地域を叩かせて頂きます」
 そう、現在袁術の元へやってきた豪族たちは劉備のとき同様に北で黄巾党と手を組んでいる者たち以外、中でも非協力的だった者たちが中心とした集まりだった。
 そう言った理由があるからこそ、鳳統は南北同時攻撃を仄めかしたのだ。そして、鳳統は突き放すような言葉を発してからじっと豪族たちを見つめていた。相手も見つめ……いや、にらみ返してくる、それでも鳳統は負けずに視線を逸らさず見つめ続ける。
 しばらく、睨み合いを続けると、豪族代表が舌打ちをして口を開いた。
「わーったよ。協力してやる……くそ!」
 代表の発言に再度ざわめき立つ豪族たち。だが、それを代表がお得意の怒鳴り散らしによって黙らせている。その態度から、豪族代表が余程、鳳統の"出鱈目"な言葉を恐れているといのがうかがえる。
 実際に、袁術に豪族を潰させるような真似など鳳統はさせない……むしろ、全力で阻止するだろう。鳳統自身、力で押さえつけるのは好きではないのだから……そして、それは劉備郡の一員としても然りである。
「……よ、よかった」
 鳳統はほっと無い胸をなで下ろす。もし、豪族の代表が鳳統の言葉に反抗心を抱き、本当に争うこととなったらどうしたものかと思っていたからだ。
「それでは、額はこれ程でよろしいですね?」
 いつの間にやら用意していた書簡を豪族代表に手渡す。
(あ、そうか……さっき私と目を合わせたのは考えを読み取ったからなんだ……)
 驚き、鳳統は張勲を見る。彼女は先程同様に口元を綻ばせる程度ではあるが、その顔に笑みを浮かべた。
「――か、まぁ、妥当だな。いいだろう。これで」
「ならば、成立ということでいいですね?」
 張勲がそう訊ねると、豪族代表はすっかり憔悴しきった顔を縦に振った。
 そして、話が纏まったことで場も締めとなった。
「んじゃ、俺らは戻る」
「はい〜また何かあったときにお会いしましょう〜」
 張勲が手を振って見送る。彼女の言葉は裏を返せば何も無いときは顔を見せるな、と言うことなのだが鳳統以外にこの場で気付いた者はいなかった。
 そして、ぞろぞろと豪族たちが退室していき最後に豪族代表が出ようと扉へ歩を進める。
「鳳統、よくやったのぉ」袁術が満面の笑みで鳳統に声を掛けた。
「……鳳統?」豪族代表が歩を止め、ぽつりと呟く。
 どうしたのかと袁術と張勲が豪族代表を見つめる。もちろん、鳳統もじっと見ている。
「あぁ!? 思い出した! おチビ、お前、劉備んとこにいた軍師じゃねぇか!」
「…………」鳳統の心臓がどきりと音を立てる。
「なるほど、道理で頭が回るわけだ……ふぅん、袁術についたのか……」
 じろじろと鳳統の全身を見ながら豪族代表が近づいてくる。
「…………そ、そうです」違うと言うわけにも行かず鳳統はそう答えた。
「へぇ、裏切り者か……あの女も徳の劉備だなんて言われてたが、所詮は噂だけだったんだな。身内に裏切られてりゃ世話ねぇってもんだ、だっははは!」
 目の前で、鳳統を……そして、彼女の主である劉備を愚弄する豪族代表。あまりの発言に鳳統は拳を握りしめる。
(く、悔しい……素直に怒ることができないなんて……すみません、桃香様)
 今、怒りにまかせて行動すれば袁術たちに鳳統の狙いが知られてしまう。それ故に、彼女は堪える。彼女にしては珍しく怒鳴ってやりたいすら思っているのに……。
 徐々に悔しさに涙すら出そうになってくる鳳統。それでも、豪族代表は口を閉じない。
「かぁー! やだやだ、俺も気をつけねぇとな。こんな可愛い顔して平気で主君を裏切れるヤツが存在するんだもんなぁ」
「……っ」言葉が出かかるのを鳳統は抑える。
「大方、金でも送られたんじゃ――」
「黙れぇ! 無礼者!」
 豪族代表の言葉を遮り、袁術が叱咤した。
「な、なんだよ?」
「鳳統は我が友。それを侮辱し、なおかつ鳳統の前主君まで貶めようとは、断じて許せぬのじゃ!」
「けっ、友だぁ? 笑わせんな。所詮、このおチビはずる賢く動くのさ。きっと、あんたよりもっと良いやつに会ったら、すぐ裏切るぜ」
「もう、我慢ならん! こやつの首を撥ねてしまってたも!」顔を真っ赤にして袁術が喚く。
「……だ、駄目ですよ、それはさすがに……その、私なら構いませんから」
 そう言って、鳳統は袁術を宥める。
「し、しかし……鳳統」
「本当に私は気にしてませんから……それに、無闇に危害を加えたら先程ここに集まっていた方たち、いえ、もっと多くの人たちの反感を買ってしまいますよ」
 そう言って鳳統は袁術の手を両手で挟み込んで握りしめる。すると、落ち着きを取り戻したらしく袁術が声を抑えて言葉を口から漏らしていく。
「わ、妾はそんなものどうでもよいのじゃ……ただ、鳳統が、鳳統が悲しむようなことは許せぬのじゃ……それだけなのじゃ」
「袁術さん……」
 もう限界だった、鳳統の両眼にある堤防は決壊し涙が止めどなくあふれ出てくる。
(この人は……私の事を本当に友人として見てくれてる……なのに私は……)
 袁術の想い、そして、自らの目的の板挟みになり、鳳統の胸はとても苦しいものとなる。
「ふん! やってらんねぇ……そんじゃ、俺はこれで」そう言うと、豪族代表はドスドスと荒々しい足取りで立ち去る。
 それを視界に入れながらも鳳統の瞳はそれを捉えていなかった。
 彼女の視線は自らの心の中へ……自分の思いの行方を見つめていた。

 †

 豪族代表が玉座の間から退室したところで張勲が肩を叩いた。
「ちょっと、いいですか」
「あん? どうしたよ、お嬢ちゃん」
 張勲の身体をじろじろと物色するように見ながら豪族代表が振り返る。先程から、張勲はこの豪族代表の視線が気になっていた。なめ回すように、ねっとりとした視線を張勲の身体中に絡ませるように見てきたのだ。
「鳳統ちゃん、それに、お嬢さまを傷つけたこと、今回は見逃して上げます」
「へ、そらどうも」
「ですが……」
 そう言うと、張勲は豪族代表の耳に口を近づける。豪族大豊の口元がだらしなく緩む。張勲は豪族代表が発する妙な匂いとその厭らしい表情に吐き気を覚えるが、しっかりと囁きかける。
「……次、あんなことしたら、首と身体がおさらばですよぉ……それと、夜道は気をつけることですね」
「ひぃっ」豪族代表がへたり込む。
 腰が抜けたのか、しゃかしゃかと虫のように床を這いつくばりながら逃げていく豪族代表を見送りながら張勲は叫ぶ。
「忘れないでくださいよぉ〜」
「し、知るかぁぁああ!」
 そう言って、豪族代表の姿は曲がり角を超えて見えなくなった。
「さて、戻りますか」
そうして、張勲は玉座の間に入るため、その扉を開いた。

 †

 ようやく落ち着いた袁術が機嫌良く笑っている。
「いやぁ、鳳統! よくぞ、あやつをケチョンケチョンにしてくれた! さすがは我が友よのう〜」
「……いえ、ちょっと困らせただけです」
 やり方がやり方だっただけに鳳統自身としては、正直なところあまり喜べはしなくて、彼女は普段よりも小声で答えた。
「いえいえ、ホント助かりましたよ〜」張勲が二人に近づきながら袁術に同意する。
「なぁに、最後のあれはあやつの負け惜しみに決まっておる! だから、鳳統が気にすることなどないのじゃ!」
 そう言って鳳統同様控えめな胸を逸らす袁術。
(一番、怒ってたのは袁術さんなのに……)
 思わず、鳳統はくすりと笑みを漏らした。そんな鳳統の様子に袁術は首を傾け、何やら考えると、拳を掌にぽんと乗せて口を開けた。
「おぉ、そうじゃ! 良いことを思いついたのじゃ。せっかく気分が盛り上がっているのじゃから。鳳統に我が真名を預けるとしよう!」
「あ、それいいですねぇ。なら、わたしも鳳統ちゃんに預けますねぇ」
 笑顔で頷きながら張勲が鳳統を見る。
「……え、その……あの」
 鳳統が戸惑う間にも袁術たちは話を進行していく。
「我が真名は美羽じゃ!」
「わたしは七乃ですよぉ〜」
 そう言って二人が笑顔で鳳統を見つめてくる。
「え、えぇと……そ、それじゃあ、その……わたしは雛里……でしゅ」
 鳳統も、先程の一件を受けて気持ちが昂ぶっていたのと、やはり、心打たれたために真名を預けることにした。
「うむ、これで妾たちと雛里は誠に友となったわけじゃな!」
「お嬢さま、これはもう家族と言ってよいのでは?」
「おぉ、さすがは七乃! 良いことを言うのぉ〜」
「えへ、そうでうかぁ? いやぁ〜照れるなぁ」
 照れくさそうに笑みを浮かべる張勲。
「それでは、雛里」
「……は、はい、なんでしゅか?」急に真名で呼ばれ鳳統はかんでしまう。
「いや、せっかくなので呼んでみただけじゃ」
「あぁ、それいいですねぇ……それじゃあ、おほん。雛里ちゃん」
「はい」
 先程とは違い普通に返事をする鳳統。それでも、何処か気恥ずかしい。
「やっぱり真名で呼ぶとまた違いますねぇ」
「そうじゃのう。さぁ、雛里も妾たちを呼ぶのじゃ!」
 そう言って袁術が笑顔をさらに明るいものに変える。
「……え、えぇと……美羽さん」
「ぶーっ! もっと親しみを込めるのじゃ」
 両腕を振り上げて抗議する袁術に鳳統はたじたじになりながら呼び直す。
「そ、それじゃあ、美羽……ちゃん」
「うむ、それでよいのじゃ! これからもよろしく頼むぞ、雛里!」
「は、はい……」
「次は、わたしですよ。わ、た、し」
 自分を指さして張勲が鳳統に迫る。僅かに後ろに下がりながら鳳統は彼女の真名を呼ぶ。
「七乃さん」
「はぁ〜い……ふふ」
 片手をひらひらとさせながら返事をすると張勲は鳳統の頭を撫で始めた。
「……えぇと、その」
 困惑して鳳統は言葉が出ない。そんなこんなのうちに袁術が高らかに語り出した。
「いやはや、最初は腹立たしかったが、こうして結束が深まったのじゃから、悪いことばかりではなかったのう。なーっはっはっはっは!」
 愉快そうに笑う袁術を横目に張勲が鳳統に語りかける。
「うふふ、お嬢さまったら嬉しそうですねぇ」
「……そうですね」
「ありがとう、雛里ちゃん。わたしたちを助けてくれて」
 そう言って、張勲が微笑みかける。それを恥ずかしさや複雑な感情によって受けることが出来ず、鳳統は帽子を深く被る。
「だって……お二人とも……美羽ちゃんも七乃さんも大切なお友達……ですから」
 そう、もう張勲も袁術も鳳統の中で大切な存在となってしまっていた。
(私はどうすればいいの……)
 袁術と張勲の笑顔が鳳統には何だか眩しく感じられた。自分はあんな笑顔を浮かべられているのだろうか……そんな疑問が浮かんだが鳳統は考えないことにした。
 何故ならば、どちらの答えが出たにしても鳳統の心に影響を与える気がしたから――。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 「無じる真√N」拠点25




 袁紹軍との戦いに一区切りついたある日、一刀はとある部屋の扉を小突いて自らの来訪を知らせる。
「どうぞ」部屋の主が返事をする。
「大丈夫か? 霞」
 入室しながら声を掛ける一刀。彼が歩を勧めた先には、寝台に横たわる張遼の姿があった。彼女の姿を確認すると、寝台の傍に一刀は座る。
「あぁ、十分休養しとったからな。ほれ、もうこの通り、元気いっぱいや!」
 そう言って、張遼はその程よい肉付きの腕にぐっと力を入れて力こぶを作ってみせながらニカッと笑う。
 一刀もそんな彼女の様子に安堵の息を漏らしつつ、口を開く。
「しかし、あれだけの出血だったからな……俺も驚いたよ」
「まぁ、恋を相手にしてたからな、生きてたっちゅーだけでもマシやろ、にゃはははは」
 頭を掻きながら普段の彼女らしく、愉快そうに笑う。
「そっか……まぁ、そうだな。恋もあぁ見えて飛将軍と恐れられるほどだもんな」
 同じように口元を綻ばせる一刀。
「普段の恋見とるとわからんけどな……ホント人は見た目によらんっていうのの最たるもんやな」
「はは、それは言えてる」
 何気なく言葉を交わす二人。いつも通り、のどかな雰囲気が漂うように思えるが、どこかしっくりといっていない、そう一刀は思う。
「そういや、ウチが治療を受けとるとこに恋が来たんや」
「へぇ、何となく予想は付くけど、どうして?」
「一言、ごめん……なんて言うてな」
「恋らしいな」
「せやろ? だから、ウチも思わず笑ってもうてな……そしたら傷が大変なことになったんや」
「うげ、それはまた想像したくないな」
「こう、傷口がばっくり開いて血が吹き出てな……それでも気にせず笑い続け取ったら治療してたもんに怒られた」
 張遼が身振り手振りしながら当時を説明する。そんな彼女に苦笑を漏らしながら一刀は口を開く。
「当たり前だ。治療してもらったのが台無しだからな」
「そら、そうなんやけどな。でも、笑いを噛み殺すことすらできんって、あれじゃあ」
「まぁ、わからないでもないけどさ」
「だって、あの呂奉先がやで、天下に名を轟かす呂布が……瞳の端っこに涙の粒をため込んでしょげ返っとるんやで。そら微笑ましいやら可笑しいやらで笑いも止まらんっちゅうねん!」
「ま、まぁな……恋をよく知らない人が見たら驚くだろうな」
「そういや、ウチを治療しとったもんも驚いてたわ」
「そっか……」
「はは……」
 どちらからともなく黙り込む。部屋に一瞬の沈黙が走る。
「…………」
「なんや、急に静まると落ち着かんなぁ」
 笑みを浮かべながら張遼がそう言う。それを一刀はただ黙って見つめる。
「えぇと……どないしたん?」張遼が不思議そうに首を傾げる。
「……いや、その俺は別に言いたことがあってな」
「なんやろ、言うてみい」
「…………霞、無理はするなよ」
「な、なに言うとるんや……別にウチ、無理なんかしとらへん――」
「いや、嘘だな」張遼の言葉を遮りながら一刀は断言する。
「嘘やないって……至って普通や」
「…………俺にはそうは思えないんだが」
「…………」
 一刀の言葉に張遼は黙り込み、顔を俯かせる。
「本気でそう思っとるん?」
「そりゃ、もちろん」こくりと一刀は頷く。目の前の張遼は俯いているのため見えてはいないが。
「そら、きっと勘違いや」
「…………霞」
「一刀も心配性やな、まったく困ったもんやな」
 そう言ってため息を張遼が吐く。一刀にはその息が震えているように思えた。
「なぁ、少しは俺を頼ってくれてもいいんじゃないか?」
「そういうのは頼りがいが出てきてから言って欲しいもんやな」
「ぐぅ」張遼の言葉が一刀に刺さる。気のせいか、グサリという音が聞こえた。
「…………まったく、ウチは何の異常もあらへん」
「何でそう意固地になるんだよ」
「なってへん……」
「いいや、なってる」
 張遼の声色に変化があったような気もしたがさほど気にもとめず一刀は否定する。
「…………」
「霞、一体何をその胸に抱え込んでるんだ?」
「…………」一切何も語らずに張遼は上半身を起こしたためにずり落ちている布団を見つめている。
「胸の内にそっと仕舞い込んでおくのは楽しかった思い出で十分だ」
 そう言いながらも一刀は時間が経つにつれて誇大する悲しみを胸に抱えていることを自覚しているため笑みも苦いものしか浮かべることが出来なかったが、一刀の方を見ていない張遼に気付かれることはなかった。
「なぁ、隠し事は余り身体に良くないぞ」
 なにせ、自分はあの反董卓連合における一連の動きがある前には大いに緊張感や妙な責務といったものに苛まれることとなったのだ、それも一刀自身のみが知っていることで誰にも言えなかった事が原因なのだ。
 だからこそ、一刀は心配するのだ。よからぬ悩みを抱える張遼を……。
「誰かに話し途端に楽になる事だってあるんだ」
 そう、反董卓連合時に行おうとしてたことを公孫賛に話したとき一刀は不思議と気が楽になった。自分の抱える想いを語り、それに対して特に止めることも反対もせず見守ってもらった――もっとも、公孫賛本人にその気があったかは一刀にはわからないが――ことで不思議と自分の思うように身体を動かすことが出来たのだ。
「ほら、もう言っちゃえよ」
「何で……」
「え?」何か呟く張遼に一刀は聞き返す。
「何で一刀はそんなことを平気な顔で言えるん? 一刀にウチの何がわかるっていうんや! わからんやろ! なのに勝手なこと言わんといてぇな!」
「っ!?」
 急激に態度を一変させた張遼、険しい表情をした彼女に怒鳴りつけられた一刀は言葉がつまりそうになる。
 それでも、一刀は語りかけるのを止めない。
「確かに、俺は霞の全てを知ってるわけじゃない……でも、少なくとも隠し事をしてるくらいなら俺にだってわかるさ」
「なんでや? なんで、そんな迷い無く言い切れるんや? なぁ、根拠でもあるっていうんか?」
「根拠……それを言ったら納得してくれるか?」
 声量は先程より抑え気味になりながらも、未だ鋭い目つきのまま詰問する張遼に一刀はきわめて心を震わせることなく、静かな水面のように特に変化させることなく、普段より穏やかな声で聞き返す。一刀は落ち着き払っている自らを不思議に思う。
(いつの間に、ここまで動揺しなくなったんだろうな……)
 そう、かつての……大昔の一刀ならば間違いなく、張遼の様な武に長けた者の怒気に触れただけで足が竦んでいただろう。だが、今の彼は違う。張遼の殺気にも似たものを全体で受け止めている。
(いや、違うな……霞なら俺に危害を加えないって信じてるだけか……はは)
 自分のどっしりと構えた様子の真相に気付き、一刀は思わず苦い笑みを漏らす。
 張遼はそんな一刀の様子に気付くことなく黙って頷く。
「よし、なら言わせてもらうけど……霞の瞳が明らかに違う」
「はぁ?」
 まるで、何も考えずに敵陣へと躍り込もうとする華雄を見るかのような目で張遼が一刀を見つめてくる。そのことに、少々傷つきながらも一刀は言葉を続ける。
「いつもの霞なら真っ直ぐでとても綺麗な光があって、とても澄み切った眼をしてる」
「なんや照れるやないか」言葉とは裏腹に張遼の表情に変化はない。
「でも、今、霞の瞳には何も無い……まったくの虚無。それどころか曇りが挿してるようにすら見える」
「…………」
「なぁ、そんな霞を見て俺が放っておこうと考えるなんて思うか?」 
 一刀は、椅子から離れて霞に詰め寄る。彼女の瞳を除かんとばかりに。
「……あ、あかんなぁ。根拠になってへん」
 顔を一刀の方から逸らして、声をどもらせながら張遼が言う。あまりにも堅固な態度を取る張遼に一刀は肩を落とす。
「はぁ……なら、言うけどな。実は、俺がここに帰ってくる前に霞の看病したり様子を見に行ったりした人たちに霞の様子を聞いておいたんだよ……」
「なんやそれ……一刀、そんな面倒な事しとったんか」
 顔はそっぽを向いたままだが、その声は驚倒せんばかりといった声色をしていた。
「当たり前だろ、霞のことが心配だったんだからな」
「…………」
「なぁ、俺じゃあ駄目なのか?」
 未だ顔を背けたままの張遼の耳元まで顔を近づけて一刀は訊く。
「…………はぁ。しゃあないんかな」
 張遼が一刀の方へと顔を向ける……苦笑混じりな表情を浮かべながら。
「霞……」
「相手が悪かったみたいやな……さすがにウチかて一刀に酷いことはしたくはあらへんからなぁ、なはは」
 そう言って張遼は笑みを浮かべる……もっとも、それから感じるのは悲哀なのだが。それが張遼の心情を表しているのだと一刀は即座に理解した……それまでの彼女は努めて明るい表情を偽っていただけだということも一刀にはわかった。
「そや……一刀の言う通り、実ははちょっと考えてた事があったんや……ウチ」
「その……聞かせて貰えるのかな?」
 念のため一刀は確認を取ってみる。
「アホやな……無理矢理、口を開かせといて何を言うとるんや」
 そうツッコミを入れるものの、張遼の顔色は優れない。そんな彼女を見ながら一刀は思い出す。ここに来て様々な者たちに聞いた張遼の様子を……。
(やっぱり、何か悩み事があったんだな……)
 少なくとも、一刀が聞いた範囲でわかったのは、易京の城で一旦、脇腹に出来た傷を塞ぐための治療を受けた辺りの頃から、一刀が北平に戻り張遼と再会するまでの間、彼女は何度も憂いを帯びた表情を浮かべることがあったというのだ。
「それじゃあ、遠慮無く聞かせて貰おうかな」
「あ、あんな……ちょっと、ええ?」
「ん? どうした?」
「取りあえず、座ってくれへん? 凄く話しづらいんやけど……」
 僅かに頬を桜色に染めて視線も定まらない様子の張遼、そんな彼女と息の交換が出来てしまいそうなくらいまで近寄っていたことに気付くと、一刀は頬を掻きつつ、椅子に座り直した。
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと気が昂ぶりすぎたみたいだ」
「まったく……もう少し、乙女の扱いっちゅーものを学ぶべきやな」
「乙女ねぇ……」
「何か文句でもあるん?」
 じろりと張遼が瞳を一際広げながら一刀を見つめる。
「い、いや、特にはナイデスヨ?」
「まぁ、ええわ……それで、ウチが考えとったことやったな」
 そう言って、張遼が確認するように窺うのに対して一刀は首を縦に振る。
「なら、ちゃんと聞いてや」
「…………あぁ」そう答え、一刀はごくりと喉を鳴らす。
 張遼は再び布団へと視線を落として語り始める。
「ウチは……あの時、月を護れんかった。それがとても悔しくてしゃあなかった……そして、あの騒乱後から鍛錬をつんだつもりやった……けど、恋と打ち合ってわかったわ……ウチはまだ弱いんや……もう少しで一刀を失うところやった、それもたまたま運が良かったからや……つまりはウチはまた守れんかったんや、大切なもんを」
(なんだか……霞らしくもないな、ここまでしょげ返るだなんて……でも、仕方ないか)
 張遼の弱々しい言葉に一刀は余程考え込んでいたのだろうと思った。もっとも、あの反董卓連合の頃のことを彼女が心の中にしこりとして残していたことが一刀にはなんとなくわかっていたからこそ、張遼の言葉にすんなりと納得出来たのだが。
「なぁ……やっぱ恋……いや、天下無双にはウチは届かへんのかな?」そう言って張遼が一刀を見る。実に力強さのない瞳だ。
 一刀は張遼の答える声もやはり普段の彼女からは想像も付かないほどに明るさが足りていないように思えた。そんな張遼の様子に、どうしたものかと頬を掻きながら一刀はぽつりぽつりと言葉を選ぶようにしながら張遼に語りかける。
「俺には、武のみに生きる人のことはよく分からない……たださ、やっぱりまだ見ぬ最強に戦慄するのが部の心っていうものじゃないか?」
「え?」一刀の言葉の真意が測れないためか驚く張遼。
 張遼に一刀は自らを制止することなく語り続ける。今度はいつもより労るような声色で語りかける。
「まだ見ぬ最強に身震いしないか、霞?」
「……そうやなぁ〜まぁ、確かに心躍るかもしれんな」
 頬を掻きながら張遼が答える、その瞳は困惑のためか泳いでいる。だが、少なくとも今はちゃんと一刀を写している。もう少し、もう少し彼女の心に語りかけられれば背中を押してやることができる……そう想い一刀はより一層強気に出る。
「なら、最強を目指してみたらいいじゃないか!」
「……一刀?」
「恋に及ばないと思うなら、最強の武を求め続ければいいじゃないか」
「そうか……うん、そうやな! まだ一刀はおる。なら、これから強うなって護っていけばえぇんや……そうやろ?」
「その通りだよ……だけど、俺が護られる立場なのは変わらないのな」口元引き攣らせつつ一刀は頷く。
「一刀がウチに適うようになるとでも?」
「めっそうもない」一刀は笑いながら手を振る。
 張遼の表情もようやく明るいものになっていた。
(なんだか、随分と久しぶりにこの笑顔を見た気がするよ……)
「一刀! ウチもっと強うなる。だから、そばにいてウチを見守ってや!」
「あぁ、俺のそばで最強を求めろ、霞!」
 一刀と張遼は互いに拳を握りしめてコツン、と軽くぶつけ合う。
「ウチ、やるでぇ…………なぁ、一刀」
「ん?」
「ちゃんと、ウチの傍におってや……」
「霞?」
「なんか、どうもウチ……もう一刀と離れるの嫌になってもうたみたいなんや」
 人差し指を突っつき合わせながら、張遼がなははと笑う。気のせいか、頬が赤い。そんな彼女にどぎまぎしつつ一刀は頷く。
「そっか……」
「だから、ちゃんとウチと一緒におって、ウチの事を見つめ続けてや! 約束やで、か〜ずとっ!」
 そう言って、張遼が一刀に向かって上半身を倒れ込ませるようにしてもたれかかる。
「おい、まだ怪我が完治したわけじゃないんだから派手に動くなよ」
「今は、ええやん……それに」
「…………」
 ようやく張遼の瞳に光が戻った気がするが……何処か熱っぽい。そのことに一刀は嫌な予感しかしない。
「ケガ治ったら、もっと激しく一刀と動くことになるんやからな。それに、比べたらまだマシやろ」
「…………あ、あぁ! また稽古でもつけてくれるのか? それとも調練かな?」
「アホ。言うたやろ……あんときの罰があるって」
 そう言って張遼がニヤリと口元を歪める。
「あ……」
 そう、一刀個人のこと、公孫賛とのことなどかなり重厚な出来事が多かったためそのことを忘れていた。確かに、張遼は言ったのだ「帰ったら覚えとき」と……ちょうど戦場の一角で一刀が死ぬかどうかの瀬戸際まで行ったときに。
「まぁ、この怪我治ったらっちゅーことで……な? えぇやろ?」
「はは、その時はお手柔らかに頼むよ」苦笑混じりに一刀は言う。
「一刀はウチとずぅっと一緒や!」
 張遼はきっとまだ強くなる。彼女の笑顔と力を取り戻したその瞳がそう物語っている……そのときの一刀にはそう思えたのだった。




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整形版はここからです。


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 「無じる真√N32」




 一刀は今、街から遠く離れた場所にいた。そして、彼の前には大きく開けた荒野
が広がっている。木々どころか草すら生えていない。そして、そこにはある一角の周
辺だけに窪みが出来ていた。そう、それはまるで舞台と客席のような姿を形成して
いる……。
 中々に壮大であるその光景に目を見張りつつ、全体を見渡すと一刀は感嘆の声
を漏らしす。
「おぉ、これは凄いなぁ……それにもう準備出来てるな」
「あらぁんご主人さま〜」
 窪みの中から貂蝉がひょっこりと姿を現す。貂蝉は一刀の姿に気付くと急いで駆
け寄ってくる。その身体のいたるところに泥がこびりついており、それが身体を伝う
汗と混ざり泥水を全身に浴びたかのようになっている。
「うっ……」
「ちゃぁんと、完成させたわよぉ〜ん!」
 手を振りながら全速力で近寄る貂蝉の圧倒的な見苦しさに一刀は身を引きながら
向かい合う。
「…………これはまた、ひどいな」一刀は顔をしかめながら貂蝉を見つめる。
「ふぅ……我ながら良い仕事したわ〜」
 そう言って、貂蝉は腕で額の汗を拭う。気持ち頭頂部が輝いているように見える。
というよりも、全身が汗でテカテカと光り輝いている。
「…………お、お疲れ」普段以上に強烈なその姿を間近で再確認し、一刀は一歩
後退する。
「どうかしらん? 言われた通り、大地を穿ち、」
 そう言って貂蝉が手で促す方に一刀は目を向ける。広大な窪みが綺麗に出来上
がっている。広さは少なくとも2里以上はあると思われるほどだった。
(まぁ、これでも事足りるかはわからないんだよな……)
 それほどに、広大な土地が必要な話なのだ。だからこそ、一刀は孔融に取りはか
らってもらい好きに動けるようにしたのである。
「まぁ、こんなもんだろうな」
「でも……大変だったのよん。漢女の手で地面を掘って、凹凸を出来るだけ平らに
したりもして、その上雑草の処理までしたんだからん」
「いや、ホント至れり尽くせりだな……助かったぞ」
「んふ。ご主人様のためならなんだってできちゃんだから」
 可愛らしい口調でそう言って貂蝉が微笑むが、その濃さと泥によって汚れきった
顔で全て台無しだった。
「まぁ、なんにせよ。ホント良くやった」十分に貂蝉と距離を取りたいと切に願いなが
ら一刀はそう告げる。
 そんな一刀に、貂蝉がにこりと微笑みかけてくる。
「それじゃあ、行きましょうか」
「え?」貂蝉の姿に気を取られていた一刀が聞き返す。
「うふふ、予定があるのでしょう?」
「あぁ……そうだな、行こう」
 パチリ、と片目を瞬かせる貂蝉に頷くと、一刀は歩き出す。その横を貂蝉が寄り添
うように歩く。
「離れろ……」
「えぇ〜いいじゃないのぉ」
「殴るぞ」
「もぉ〜相変わらずねぇ〜」
 すす……と僅かにさがる貂蝉。そのことに一刀が胸をなで下ろしていると貂蝉が
声をかけてくる。
「どぅふふ……ご主人様のい、け、ずぅ〜」
「うわ……さ、寒気が」そう言って、一刀は自分の身体を抱きしめぶるり、と震える。
「いい加減、照れるのなんかやめちゃってわたしと……どぅふふんふん」
「…………」一刀は黙って脚を速く動かす。
「あらん? そんなに急いでどうしたの?」
「…………」沈黙で答える一刀。
「落ち着いて、ご主人様。はやる想いもわからないでもないけど、やっぱり平常心が
第一よ。特にこれからやることには」
「…………あぁ」
 本当は、筋肉達磨の存在が一刀の歩を早めているのだが、本人は気付いていな
い。
(己のせじゃぁぁああ! ボケー!)
 そう心の内で叫びながら一刀は黙々と目的の場所へ向けて歩き続ける。今回の
事象に対して決着を付けるために。

 †

 その日、袁術が城に大勢の人間を呼び寄せていた。そこに居並ぶのはまるまる太
った豚のような者から余計な、どころか必要な肉までついていなさそうな痩せ形の者
までありとあらゆる種類の人間。
 並んでいる姿を見ただけでは、すぐになんの集まりかはわからない。武人や武官
にしては動きに支障を来しそうな体つきをしている。文官や知者にしては正直賢そ
うには見えない、そのうえ、落ち着きが感じられない。また、道士にしては身なりが
いい加減すぎる。だからといって街や村の民かというと、それにしては身につけてい
るものが高級そうである。
 そんな容姿をしているからこそ一見、何の集まりかは分からない。だが、この場に
同席する鳳統は知っている、その来訪者たちが何者であるのか、そして、何をしよう
としているのか。
「よし、皆の者集まったようじゃのう」
 室内を見回して袁術は機嫌良く一人頷く。
「なぁ、袁術さんよぉ……俺らを呼び出したのは一体どういう了見なんだ?」
「それは、私からお話しましょう」
 そう言って張勲が場の視線を集める。鳳統も、彼女に注目する。
「あなた方……いえ、この徐州の各地を治める豪族のみなさんに来てもらったのは
他でもありません」
「…………やっぱり」鳳統は誰にも気付かれない程度の声で呟いた。
 そう、ここに集まっているのは徐州を治める豪族たちだった。かつて劉備を訪ねて
きた、もしくは使者を送ったり、面会に行ったりしたことがあったため集まっている者た
ちの顔の多くが鳳統にとって既知のものだったのだ。
 来訪者の正体に鳳統が納得している間にも張勲の説明は続く。
「みなさんには、この袁術軍に服従して頂きます」
「はぁ?」
「ですから、私たちの参加に収まって貰います」
「ふざけんな! この徐州を治める人間と俺らの間にあるべきは協力体勢であり、上
下関係じゃねぇ!」
 豪族の一人がそう怒鳴りつける。その様子に、鳳統はかつて劉備が交渉したとき
も同じように大声で威嚇してきたことを思い出した。
(……やっぱり、あの人苦手だな)
 人見知りをする鳳統にはやはり柄が悪く、声も性格も荒々しい人間は共にいづら
い。
「協力……ですか?」張勲が説明を止めて聞き返す。
「おうよ。俺たちが協力しなきゃ、この徐州はろくに機能しないんだぜ」
 そう言って、豪族の一人――おそらくは代表であろう――が下卑た笑みを浮かべ
る。
「そこでだ、お嬢ちゃん。俺らに払うもん払ってくれや」
「なんじゃと?」ここにきて袁術が眉を潜ませる。
 よく見れば、張勲も普段とは違うどこか冷ややかな笑みを浮かべている。
 そんな事にも気付かずに豪族の代表が演技じみた感じで肩を竦めながら口を開
く。
「おいおい、俺らは別に協力しなくてもいいんだぜ……」
「ふん、結局は金か……セコイ奴らじゃのう」
 むっとした表情で、袁術がそう言い放つ。
「あぁん? どうするかって聞いてるんだよぉ!」
 豪族の代表がじろりと袁術を睨み付ける。気圧されたのかびくりと身体を震わせて
隣の張勲にしがみついている。
「な、なにもそのような態度を取ることはあるまい!」
「そうですよ……何も、お嬢さまにそのような不遜な態度を取ることはないでしょう」
「悪いが、おらぁそこのと話してんだよ――まぁ、いい。なぁ、白服の嬢ちゃんよぉ、
どうなんだよ? 払うのか? あぁ?」
「わかりました……払いましょう」
「よし、そんじゃあこれくらいは出して貰わないとな」
 そう言って、豪族の代表が一つの書簡を手渡す。それを受け取って開いた張勲は
目を見開いた。
「え? 嘘……こんなに?」
「どうしたのじゃ? 七乃ぉ……」未だ、動揺が溶けていない袁術がしがみつきなが
ら張勲を見上げる。
「これはちょっと多すぎなのでは――」
「……おいおい、劉備の時は金持ってないようだったから情をもって安めにしてやっ
たが、あんたらは金をたんまり持ってるんだろ? なら、それくらい出せるだろ。そう
思おうよなぁ?」
 そう言って豪族の代表は他の者たちを振り返る。豪族たちは厭らしい笑みを浮か
べながら一斉に頷いた。無理な要求をされる張勲と今一状況が飲み込めず、混乱
している袁術。そして、彼女たちをあざ笑う豪族たち……それらを見た瞬間、鳳統
の中にある何かがぼっと燃え上がった。さすがに見ていられなかったのだ、だから鳳
統は口を挟んでしまう。本当は敵である袁術たちのために……。
「待ってください」
「ん? なんだおチビちゃん?」じろと豪族の代表が鳳統を睨んでくる。
「……こちらとしっかりと話し合った上で額を決めるのが正しいと思うのですが?」
 豪族代表の視線から逃げることなく鳳統は説明した。それを聞いた豪族代表が腕
を組んで濁った笑い声を上げる。
「ぶっ、だははは! なぁおチビちゃんよぉ……俺らは袁術に力を貸してやる立場な
んだよ。つまりは、俺らが条件を提示するならまだしも、互いに話し合うだぁ? バカ
言っちゃあいけないなぁ」
「……つまりは、そちらの横暴な要求を呑まなければ協力はしないんですね」
「横暴? 正当だろ。まぁ、何にせよ要求が通らない以上協力はしねぇよ」
 小指で耳の穴をぐりぐりとほじくりながら豪族代表がそう言うやいなや鳳統はぴし
ゃりと返事を言い放つ。
「なら、結構です」
「なっ!?」豪族代表が耳に入れていた指を出して慌てて鳳統を見る。
「な、何を言っておるのじゃ?」袁術が身を乗り出して訊ねてくる。
「そ、そうですよぉ〜それはさすがにまずいんじゃあ……」
 椅子から落っこちそうになる袁術を支えながら張勲が鳳統を見つめる。
「ほ、本気で言ってるのかよ……」豪族代表がようやく質問を口にした。とはいっても
ただの聞き返しだが。
「…………はい、本気で言ってます。それと、みなさんに言っておきたいことがある
んです」
 鳳統の言葉に、場が騒然とした出す。ざわめきだつ背後を気にしながら豪族代表
が訊いてくる。
「な、何だよ?」
「…………外的から襲われても知りませんよ? 私たちは一切、手を貸しませんか
ら。なにせ……そちらが協力体勢を取るのを拒むとおっしゃっているのですから」
「な、なら、あんたらに何かあっても俺らは手を貸さん! いいんだな?」
 腕組みをしてそう言い張る豪族代表、もっとも動揺は隠しきれていない。その態度
に張勲が何やら考え込んでいる。そして、鳳統と目が合うと口端を僅かに吊り上げ
こくりと頷いた。それに眼だけ頷かせて答えると、鳳統は興奮している豪族代表を見
据える。
「……なら、いっそのこと潰した方が良いかもしれませんね」
「な、なんだと!?」鳳統の言葉に、なんとか強気を保っていた豪族が動揺を見せる。
「…………幸い、現在、孫策さんが徐州の南、曲阿のあたりにいますから……南と
北、その両方からあなた方の治める地域を叩かせて頂きます」
 そう、現在袁術の元へやってきた豪族たちは劉備のとき同様に北で黄巾党と手を
組んでいる者たち以外、中でも非協力的だった者たちが中心とした集まりだった。
 そう言った理由があるからこそ、鳳統は南北同時攻撃を仄めかしたのだ。そして、
鳳統は突き放すような言葉を発してからじっと豪族たちを見つめていた。相手も見
つめ……いや、にらみ返してくる、それでも鳳統は負けずに視線を逸らさず見つめ
続ける。
 しばらく、睨み合いを続けると、豪族代表が舌打ちをして口を開いた。
「わーったよ。協力してやる……くそ!」
 代表の発言に再度ざわめき立つ豪族たち。だが、それを代表がお得意の怒鳴り
散らしによって黙らせている。その態度から、豪族代表が余程、鳳統の"出鱈目"な
言葉を恐れているといのがうかがえる。
 実際に、袁術に豪族を潰させるような真似など鳳統はさせない……むしろ、全力
で阻止するだろう。鳳統自身、力で押さえつけるのは好きではないのだから……そ
して、それは劉備郡の一員としても然りである。
「……よ、よかった」
 鳳統はほっと無い胸をなで下ろす。もし、豪族の代表が鳳統の言葉に反抗心を抱
き、本当に争うこととなったらどうしたものかと思っていたからだ。
「それでは、額はこれ程でよろしいですね?」
 いつの間にやら用意していた書簡を豪族代表に手渡す。
(あ、そうか……さっき私と目を合わせたのは考えを読み取ったからなんだ……)
 驚き、鳳統は張勲を見る。彼女は先程同様に口元を綻ばせる程度ではあるが、そ
の顔に笑みを浮かべた。
「――か、まぁ、妥当だな。いいだろう。これで」
「ならば、成立ということでいいですね?」
 張勲がそう訊ねると、豪族代表はすっかり憔悴しきった顔を縦に振った。
 そして、話が纏まったことで場も締めとなった。
「んじゃ、俺らは戻る」
「はい〜また何かあったときにお会いしましょう〜」
 張勲が手を振って見送る。彼女の言葉は裏を返せば何も無いときは顔を見せるな、
と言うことなのだが鳳統以外にこの場で気付いた者はいなかった。
 そして、ぞろぞろと豪族たちが退室していき最後に豪族代表が出ようと扉へ歩を
進める。
「鳳統、よくやったのぉ」袁術が満面の笑みで鳳統に声を掛けた。
「……鳳統?」豪族代表が歩を止め、ぽつりと呟く。
 どうしたのかと袁術と張勲が豪族代表を見つめる。もちろん、鳳統もじっと見ている。
「あぁ!? 思い出した! おチビ、お前、劉備んとこにいた軍師じゃねぇか!」
「…………」鳳統の心臓がどきりと音を立てる。
「なるほど、道理で頭が回るわけだ……ふぅん、袁術についたのか……」
 じろじろと鳳統の全身を見ながら豪族代表が近づいてくる。
「…………そ、そうです」違うと言うわけにも行かず鳳統はそう答えた。
「へぇ、裏切り者か……あの女も徳の劉備だなんて言われてたが、所詮は噂だけだ
ったんだな。身内に裏切られてりゃ世話ねぇってもんだ、だっははは!」
 目の前で、鳳統を……そして、彼女の主である劉備を愚弄する豪族代表。あまり
の発言に鳳統は拳を握りしめる。
(く、悔しい……素直に怒ることができないなんて……すみません、桃香様)
 今、怒りにまかせて行動すれば袁術たちに鳳統の狙いが知られてしまう。それ故
に、彼女は堪える。彼女にしては珍しく怒鳴ってやりたいすら思っているのに……。
 徐々に悔しさに涙すら出そうになってくる鳳統。それでも、豪族代表は口を閉じな
い。
「かぁー! やだやだ、俺も気をつけねぇとな。こんな可愛い顔して平気で主君を裏
切れるヤツが存在するんだもんなぁ」
「……っ」言葉が出かかるのを鳳統は抑える。
「大方、金でも送られたんじゃ――」
「黙れぇ! 無礼者!」
 豪族代表の言葉を遮り、袁術が叱咤した。
「な、なんだよ?」
「鳳統は我が友。それを侮辱し、なおかつ鳳統の前主君まで貶めようとは、断じて
許せぬのじゃ!」
「けっ、友だぁ? 笑わせんな。所詮、このおチビはずる賢く動くのさ。きっと、あんた
よりもっと良いやつに会ったら、すぐ裏切るぜ」
「もう、我慢ならん! こやつの首を撥ねてしまってたも!」顔を真っ赤にして袁術が
喚く。
「……だ、駄目ですよ、それはさすがに……その、私なら構いませんから」
 そう言って、鳳統は袁術を宥める。
「し、しかし……鳳統」
「本当に私は気にしてませんから……それに、無闇に危害を加えたら先程ここに集
まっていた方たち、いえ、もっと多くの人たちの反感を買ってしまいますよ」
 そう言って鳳統は袁術の手を両手で挟み込んで握りしめる。すると、落ち着きを取
り戻したらしく袁術が声を抑えて言葉を口から漏らしていく。
「わ、妾はそんなものどうでもよいのじゃ……ただ、鳳統が、鳳統が悲しむようなこと
は許せぬのじゃ……それだけなのじゃ」
「袁術さん……」
 もう限界だった、鳳統の両眼にある堤防は決壊し涙が止めどなくあふれ出てくる。
(この人は……私の事を本当に友人として見てくれてる……なのに私は……)
 袁術の想い、そして、自らの目的の板挟みになり、鳳統の胸はとても苦しいものと
なる。
「ふん! やってらんねぇ……そんじゃ、俺はこれで」そう言うと、豪族代表はドスド
スと荒々しい足取りで立ち去る。
 それを視界に入れながらも鳳統の瞳はそれを捉えていなかった。
 彼女の視線は自らの心の中へ……自分の思いの行方を見つめていた。

 †

 豪族代表が玉座の間から退室したところで張勲が肩を叩いた。
「ちょっと、いいですか」
「あん? どうしたよ、お嬢ちゃん」
 張勲の身体をじろじろと物色するように見ながら豪族代表が振り返る。先程から、
張勲はこの豪族代表の視線が気になっていた。なめ回すように、ねっとりとした視線
を張勲の身体中に絡ませるように見てきたのだ。
「鳳統ちゃん、それに、お嬢さまを傷つけたこと、今回は見逃して上げます」
「へ、そらどうも」
「ですが……」
 そう言うと、張勲は豪族代表の耳に口を近づける。豪族大豊の口元がだらしなく
緩む。張勲は豪族代表が発する妙な匂いとその厭らしい表情に吐き気を覚えるが、
しっかりと囁きかける。
「……次、あんなことしたら、首と身体がおさらばですよぉ……それと、夜道は気を
つけることですね」
「ひぃっ」豪族代表がへたり込む。
 腰が抜けたのか、しゃかしゃかと虫のように床を這いつくばりながら逃げていく豪
族代表を見送りながら張勲は叫ぶ。
「忘れないでくださいよぉ〜」
「し、知るかぁぁああ!」
 そう言って、豪族代表の姿は曲がり角を超えて見えなくなった。
「さて、戻りますか」
そうして、張勲は玉座の間に入るため、その扉を開いた。

 †

 ようやく落ち着いた袁術が機嫌良く笑っている。
「いやぁ、鳳統! よくぞ、あやつをケチョンケチョンにしてくれた! さすがは我が友
よのう〜」
「……いえ、ちょっと困らせただけです」
 やり方がやり方だっただけに鳳統自身としては、正直なところあまり喜べはしなくて、
彼女は普段よりも小声で答えた。
「いえいえ、ホント助かりましたよ〜」張勲が二人に近づきながら袁術に同意する。
「なぁに、最後のあれはあやつの負け惜しみに決まっておる! だから、鳳統が気
にすることなどないのじゃ!」
 そう言って鳳統同様控えめな胸を逸らす袁術。
(一番、怒ってたのは袁術さんなのに……)
 思わず、鳳統はくすりと笑みを漏らした。そんな鳳統の様子に袁術は首を傾け、
何やら考えると、拳を掌にぽんと乗せて口を開けた。
「おぉ、そうじゃ! 良いことを思いついたのじゃ。せっかく気分が盛り上がっている
のじゃから。鳳統に我が真名を預けるとしよう!」
「あ、それいいですねぇ。なら、わたしも鳳統ちゃんに預けますねぇ」
 笑顔で頷きながら張勲が鳳統を見る。
「……え、その……あの」
 鳳統が戸惑う間にも袁術たちは話を進行していく。
「我が真名は美羽じゃ!」
「わたしは七乃ですよぉ〜」
 そう言って二人が笑顔で鳳統を見つめてくる。
「え、えぇと……そ、それじゃあ、その……わたしは雛里……でしゅ」
 鳳統も、先程の一件を受けて気持ちが昂ぶっていたのと、やはり、心打たれたた
めに真名を預けることにした。
「うむ、これで妾たちと雛里は誠に友となったわけじゃな!」
「お嬢さま、これはもう家族と言ってよいのでは?」
「おぉ、さすがは七乃! 良いことを言うのぉ〜」
「えへ、そうでうかぁ? いやぁ〜照れるなぁ」
 照れくさそうに笑みを浮かべる張勲。
「それでは、雛里」
「……は、はい、なんでしゅか?」急に真名で呼ばれ鳳統はかんでしまう。
「いや、せっかくなので呼んでみただけじゃ」
「あぁ、それいいですねぇ……それじゃあ、おほん。雛里ちゃん」
「はい」
 先程とは違い普通に返事をする鳳統。それでも、何処か気恥ずかしい。
「やっぱり真名で呼ぶとまた違いますねぇ」
「そうじゃのう。さぁ、雛里も妾たちを呼ぶのじゃ!」
 そう言って袁術が笑顔をさらに明るいものに変える。
「……え、えぇと……美羽さん」
「ぶーっ! もっと親しみを込めるのじゃ」
 両腕を振り上げて抗議する袁術に鳳統はたじたじになりながら呼び直す。
「そ、それじゃあ、美羽……ちゃん」
「うむ、それでよいのじゃ! これからもよろしく頼むぞ、雛里!」
「は、はい……」
「次は、わたしですよ。わ、た、し」
 自分を指さして張勲が鳳統に迫る。僅かに後ろに下がりながら鳳統は彼女の真名
を呼ぶ。
「七乃さん」
「はぁ〜い……ふふ」
 片手をひらひらとさせながら返事をすると張勲は鳳統の頭を撫で始めた。
「……えぇと、その」
 困惑して鳳統は言葉が出ない。そんなこんなのうちに袁術が高らかに語り出した。
「いやはや、最初は腹立たしかったが、こうして結束が深まったのじゃから、悪いこと
ばかりではなかったのう。なーっはっはっはっは!」
 愉快そうに笑う袁術を横目に張勲が鳳統に語りかける。
「うふふ、お嬢さまったら嬉しそうですねぇ」
「……そうですね」
「ありがとう、雛里ちゃん。わたしたちを助けてくれて」
 そう言って、張勲が微笑みかける。それを恥ずかしさや複雑な感情によって受ける
ことが出来ず、鳳統は帽子を深く被る。
「だって……お二人とも……美羽ちゃんも七乃さんも大切なお友達……ですから」
 そう、もう張勲も袁術も鳳統の中で大切な存在となってしまっていた。
(私はどうすればいいの……)
 袁術と張勲の笑顔が鳳統には何だか眩しく感じられた。自分はあんな笑顔を浮か
べられているのだろうか……そんな疑問が浮かんだが鳳統は考えないことにした。
 何故ならば、どちらの答えが出たにしても鳳統の心に影響を与える気がしたから
――。




――――――――――――――――――――――――――――――――――



 「無じる真√N」拠点25




 袁紹軍との戦いに一区切りついたある日、一刀はとある部屋の扉を小突いて自ら
の来訪を知らせる。
「どうぞ」部屋の主が返事をする。
「大丈夫か? 霞」
 入室しながら声を掛ける一刀。彼が歩を勧めた先には、寝台に横たわる張遼の姿
があった。彼女の姿を確認すると、寝台の傍に一刀は座る。
「あぁ、十分休養しとったからな。ほれ、もうこの通り、元気いっぱいや!」
 そう言って、張遼はその程よい肉付きの腕にぐっと力を入れて力こぶを作ってみせ
ながらニカッと笑う。
 一刀もそんな彼女の様子に安堵の息を漏らしつつ、口を開く。
「しかし、あれだけの出血だったからな……俺も驚いたよ」
「まぁ、恋を相手にしてたからな、生きてたっちゅーだけでもマシやろ、にゃはははは」
 頭を掻きながら普段の彼女らしく、愉快そうに笑う。
「そっか……まぁ、そうだな。恋もあぁ見えて飛将軍と恐れられるほどだもんな」
 同じように口元を綻ばせる一刀。
「普段の恋見とるとわからんけどな……ホント人は見た目によらんっていうのの最た
るもんやな」
「はは、それは言えてる」
 何気なく言葉を交わす二人。いつも通り、のどかな雰囲気が漂うように思えるが、
どこかしっくりといっていない、そう一刀は思う。
「そういや、ウチが治療を受けとるとこに恋が来たんや」
「へぇ、何となく予想は付くけど、どうして?」
「一言、ごめん……なんて言うてな」
「恋らしいな」
「せやろ? だから、ウチも思わず笑ってもうてな……そしたら傷が大変なことになっ
たんや」
「うげ、それはまた想像したくないな」
「こう、傷口がばっくり開いて血が吹き出てな……それでも気にせず笑い続け取った
ら治療してたもんに怒られた」
 張遼が身振り手振りしながら当時を説明する。そんな彼女に苦笑を漏らしながら
一刀は口を開く。
「当たり前だ。治療してもらったのが台無しだからな」
「そら、そうなんやけどな。でも、笑いを噛み殺すことすらできんって、あれじゃあ」
「まぁ、わからないでもないけどさ」
「だって、あの呂奉先がやで、天下に名を轟かす呂布が……瞳の端っこに涙の粒を
ため込んでしょげ返っとるんやで。そら微笑ましいやら可笑しいやらで笑いも止まら
んっちゅうねん!」
「ま、まぁな……恋をよく知らない人が見たら驚くだろうな」
「そういや、ウチを治療しとったもんも驚いてたわ」
「そっか……」
「はは……」
 どちらからともなく黙り込む。部屋に一瞬の沈黙が走る。
「…………」
「なんや、急に静まると落ち着かんなぁ」
 笑みを浮かべながら張遼がそう言う。それを一刀はただ黙って見つめる。
「えぇと……どないしたん?」張遼が不思議そうに首を傾げる。
「……いや、その俺は別に言いたことがあってな」
「なんやろ、言うてみい」
「…………霞、無理はするなよ」
「な、なに言うとるんや……別にウチ、無理なんかしとらへん――」
「いや、嘘だな」張遼の言葉を遮りながら一刀は断言する。
「嘘やないって……至って普通や」
「…………俺にはそうは思えないんだが」
「…………」
 一刀の言葉に張遼は黙り込み、顔を俯かせる。
「本気でそう思っとるん?」
「そりゃ、もちろん」こくりと一刀は頷く。目の前の張遼は俯いているのため見えては
いないが。
「そら、きっと勘違いや」
「…………霞」
「一刀も心配性やな、まったく困ったもんやな」
 そう言ってため息を張遼が吐く。一刀にはその息が震えているように思えた。
「なぁ、少しは俺を頼ってくれてもいいんじゃないか?」
「そういうのは頼りがいが出てきてから言って欲しいもんやな」
「ぐぅ」張遼の言葉が一刀に刺さる。気のせいか、グサリという音が聞こえた。
「…………まったく、ウチは何の異常もあらへん」
「何でそう意固地になるんだよ」
「なってへん……」
「いいや、なってる」
 張遼の声色に変化があったような気もしたがさほど気にもとめず一刀は否定する。
「…………」
「霞、一体何をその胸に抱え込んでるんだ?」
「…………」一切何も語らずに張遼は上半身を起こしたためにずり落ちている布団
を見つめている。
「胸の内にそっと仕舞い込んでおくのは楽しかった思い出で十分だ」
 そう言いながらも一刀は時間が経つにつれて誇大する悲しみを胸に抱えているこ
とを自覚しているため笑みも苦いものしか浮かべることが出来なかったが、一刀の方
を見ていない張遼に気付かれることはなかった。
「なぁ、隠し事は余り身体に良くないぞ」
 なにせ、自分はあの反董卓連合における一連の動きがある前には大いに緊張感
や妙な責務といったものに苛まれることとなったのだ、それも一刀自身のみが知って
いることで誰にも言えなかった事が原因なのだ。
 だからこそ、一刀は心配するのだ。よからぬ悩みを抱える張遼を……。
「誰かに話し途端に楽になる事だってあるんだ」
 そう、反董卓連合時に行おうとしてたことを公孫賛に話したとき一刀は不思議と気
が楽になった。自分の抱える想いを語り、それに対して特に止めることも反対もせず
見守ってもらった――もっとも、公孫賛本人にその気があったかは一刀にはわから
ないが――ことで不思議と自分の思うように身体を動かすことが出来たのだ。
「ほら、もう言っちゃえよ」
「何で……」
「え?」何か呟く張遼に一刀は聞き返す。
「何で一刀はそんなことを平気な顔で言えるん? 一刀にウチの何がわかるっていう
んや! わからんやろ! なのに勝手なこと言わんといてぇな!」
「っ!?」
 急激に態度を一変させた張遼、険しい表情をした彼女に怒鳴りつけられた一刀は
言葉がつまりそうになる。
 それでも、一刀は語りかけるのを止めない。
「確かに、俺は霞の全てを知ってるわけじゃない……でも、少なくとも隠し事をしてる
くらいなら俺にだってわかるさ」
「なんでや? なんで、そんな迷い無く言い切れるんや? なぁ、根拠でもあるって
いうんか?」
「根拠……それを言ったら納得してくれるか?」
 声量は先程より抑え気味になりながらも、未だ鋭い目つきのまま詰問する張遼に
一刀はきわめて心を震わせることなく、静かな水面のように特に変化させることなく、
普段より穏やかな声で聞き返す。一刀は落ち着き払っている自らを不思議に思う。
(いつの間に、ここまで動揺しなくなったんだろうな……)
 そう、かつての……大昔の一刀ならば間違いなく、張遼の様な武に長けた者の怒
気に触れただけで足が竦んでいただろう。だが、今の彼は違う。張遼の殺気にも似
たものを全体で受け止めている。
(いや、違うな……霞なら俺に危害を加えないって信じてるだけか……はは)
 自分のどっしりと構えた様子の真相に気付き、一刀は思わず苦い笑みを漏らす。
 張遼はそんな一刀の様子に気付くことなく黙って頷く。
「よし、なら言わせてもらうけど……霞の瞳が明らかに違う」
「はぁ?」
 まるで、何も考えずに敵陣へと躍り込もうとする華雄を見るかのような目で張遼が
一刀を見つめてくる。そのことに、少々傷つきながらも一刀は言葉を続ける。
「いつもの霞なら真っ直ぐでとても綺麗な光があって、とても澄み切った眼をしてる」
「なんや照れるやないか」言葉とは裏腹に張遼の表情に変化はない。
「でも、今、霞の瞳には何も無い……まったくの虚無。それどころか曇りが挿してるよ
うにすら見える」
「…………」
「なぁ、そんな霞を見て俺が放っておこうと考えるなんて思うか?」 
 一刀は、椅子から離れて霞に詰め寄る。彼女の瞳を除かんとばかりに。
「……あ、あかんなぁ。根拠になってへん」
 顔を一刀の方から逸らして、声をどもらせながら張遼が言う。あまりにも堅固な態
度を取る張遼に一刀は肩を落とす。
「はぁ……なら、言うけどな。実は、俺がここに帰ってくる前に霞の看病したり様子を
見に行ったりした人たちに霞の様子を聞いておいたんだよ……」
「なんやそれ……一刀、そんな面倒な事しとったんか」
 顔はそっぽを向いたままだが、その声は驚倒せんばかりといった声色をしていた。
「当たり前だろ、霞のことが心配だったんだからな」
「…………」
「なぁ、俺じゃあ駄目なのか?」
 未だ顔を背けたままの張遼の耳元まで顔を近づけて一刀は訊く。
「…………はぁ。しゃあないんかな」
 張遼が一刀の方へと顔を向ける……苦笑混じりな表情を浮かべながら。
「霞……」
「相手が悪かったみたいやな……さすがにウチかて一刀に酷いことはしたくはあら
へんからなぁ、なはは」
 そう言って張遼は笑みを浮かべる……もっとも、それから感じるのは悲哀なのだが。
それが張遼の心情を表しているのだと一刀は即座に理解した……それまでの彼女
は努めて明るい表情を偽っていただけだということも一刀にはわかった。
「そや……一刀の言う通り、実ははちょっと考えてた事があったんや……ウチ」
「その……聞かせて貰えるのかな?」
 念のため一刀は確認を取ってみる。
「アホやな……無理矢理、口を開かせといて何を言うとるんや」
 そうツッコミを入れるものの、張遼の顔色は優れない。そんな彼女を見ながら一刀
は思い出す。ここに来て様々な者たちに聞いた張遼の様子を……。
(やっぱり、何か悩み事があったんだな……)
 少なくとも、一刀が聞いた範囲でわかったのは、易京の城で一旦、脇腹に出来た
傷を塞ぐための治療を受けた辺りの頃から、一刀が北平に戻り張遼と再会するまで
の間、彼女は何度も憂いを帯びた表情を浮かべることがあったというのだ。
「それじゃあ、遠慮無く聞かせて貰おうかな」
「あ、あんな……ちょっと、ええ?」
「ん? どうした?」
「取りあえず、座ってくれへん? 凄く話しづらいんやけど……」
 僅かに頬を桜色に染めて視線も定まらない様子の張遼、そんな彼女と息の交換
が出来てしまいそうなくらいまで近寄っていたことに気付くと、一刀は頬を掻きつつ、
椅子に座り直した。
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと気が昂ぶりすぎたみたいだ」
「まったく……もう少し、乙女の扱いっちゅーものを学ぶべきやな」
「乙女ねぇ……」
「何か文句でもあるん?」
 じろりと張遼が瞳を一際広げながら一刀を見つめる。
「い、いや、特にはナイデスヨ?」
「まぁ、ええわ……それで、ウチが考えとったことやったな」
 そう言って、張遼が確認するように窺うのに対して一刀は首を縦に振る。
「なら、ちゃんと聞いてや」
「…………あぁ」そう答え、一刀はごくりと喉を鳴らす。
 張遼は再び布団へと視線を落として語り始める。
「ウチは……あの時、月を護れんかった。それがとても悔しくてしゃあなかった……
そして、あの騒乱後から鍛錬をつんだつもりやった……けど、恋と打ち合ってわかっ
たわ……ウチはまだ弱いんや……もう少しで一刀を失うところやった、それもたまた
ま運が良かったからや……つまりはウチはまた守れんかったんや、大切なもんを」
(なんだか……霞らしくもないな、ここまでしょげ返るだなんて……でも、仕方ないか)
 張遼の弱々しい言葉に一刀は余程考え込んでいたのだろうと思った。もっとも、あ
の反董卓連合の頃のことを彼女が心の中にしこりとして残していたことが一刀にはな
んとなくわかっていたからこそ、張遼の言葉にすんなりと納得出来たのだが。
「なぁ……やっぱ恋……いや、天下無双にはウチは届かへんのかな?」そう言って
張遼が一刀を見る。実に力強さのない瞳だ。
 一刀は張遼の答える声もやはり普段の彼女からは想像も付かないほどに明るさが
足りていないように思えた。そんな張遼の様子に、どうしたものかと頬を掻きながら
一刀はぽつりぽつりと言葉を選ぶようにしながら張遼に語りかける。
「俺には、武のみに生きる人のことはよく分からない……たださ、やっぱりまだ見ぬ
最強に戦慄するのが部の心っていうものじゃないか?」
「え?」一刀の言葉の真意が測れないためか驚く張遼。
 張遼に一刀は自らを制止することなく語り続ける。今度はいつもより労るような声色
で語りかける。
「まだ見ぬ最強に身震いしないか、霞?」
「……そうやなぁ〜まぁ、確かに心躍るかもしれんな」
 頬を掻きながら張遼が答える、その瞳は困惑のためか泳いでいる。だが、少なくと
も今はちゃんと一刀を写している。もう少し、もう少し彼女の心に語りかけられれば
背中を押してやることができる……そう想い一刀はより一層強気に出る。
「なら、最強を目指してみたらいいじゃないか!」
「……一刀?」
「恋に及ばないと思うなら、最強の武を求め続ければいいじゃないか」
「そうか……うん、そうやな! まだ一刀はおる。なら、これから強うなって護ってい
けばえぇんや……そうやろ?」
「その通りだよ……だけど、俺が護られる立場なのは変わらないのな」口元引き攣ら
せつつ一刀は頷く。
「一刀がウチに適うようになるとでも?」
「めっそうもない」一刀は笑いながら手を振る。
 張遼の表情もようやく明るいものになっていた。
(なんだか、随分と久しぶりにこの笑顔を見た気がするよ……)
「一刀! ウチもっと強うなる。だから、そばにいてウチを見守ってや!」
「あぁ、俺のそばで最強を求めろ、霞!」
 一刀と張遼は互いに拳を握りしめてコツン、と軽くぶつけ合う。
「ウチ、やるでぇ…………なぁ、一刀」
「ん?」
「ちゃんと、ウチの傍におってや……」
「霞?」
「なんか、どうもウチ……もう一刀と離れるの嫌になってもうたみたいなんや」
 人差し指を突っつき合わせながら、張遼がなははと笑う。気のせいか、頬が赤い。
そんな彼女にどぎまぎしつつ一刀は頷く。
「そっか……」
「だから、ちゃんとウチと一緒におって、ウチの事を見つめ続けてや! 約束やで、
か〜ずとっ!」
 そう言って、張遼が一刀に向かって上半身を倒れ込ませるようにしてもたれかかる。
「おい、まだ怪我が完治したわけじゃないんだから派手に動くなよ」
「今は、ええやん……それに」
「…………」
 ようやく張遼の瞳に光が戻った気がするが……何処か熱っぽい。そのことに一刀
は嫌な予感しかしない。
「ケガ治ったら、もっと激しく一刀と動くことになるんやからな。それに、比べたらまだ
マシやろ」
「…………あ、あぁ! また稽古でもつけてくれるのか? それとも調練かな?」
「アホ。言うたやろ……あんときの罰があるって」
 そう言って張遼がニヤリと口元を歪める。
「あ……」
 そう、一刀個人のこと、公孫賛とのことなどかなり重厚な出来事が多かったためそ
のことを忘れていた。確かに、張遼は言ったのだ「帰ったら覚えとき」と……ちょうど
戦場の一角で一刀が死ぬかどうかの瀬戸際まで行ったときに。
「まぁ、この怪我治ったらっちゅーことで……な? えぇやろ?」
「はは、その時はお手柔らかに頼むよ」苦笑混じりに一刀は言う。
「一刀はウチとずぅっと一緒や!」
 張遼はきっとまだ強くなる。彼女の笑顔と力を取り戻したその瞳がそう物語ってい
る……そのときの一刀にはそう思えたのだった。

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