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695 名前:清涼剤 ◆q5O/xhpHR2 [sage] 投稿日:2009/10/26(月) 02:34:42 ID:ijfkv1Vj0
少なくとも二名からGOサインがでましたので専用版にUPしました。


無じる真√N-26話

(この物語について)
・今回は前書きがあります。一読をオススメします。
・原作と呼称が異なるキャラが存在します。
・一刀は外史を既に一周しています。
上記が苦手な方にはおすすめできません。

(注意)
・今回は前書きがありますのでそちらを一読ください。
・過度な期待などはせずに見てやって下さい。
・未熟故、多少変なところがあるかもしれません。

URL:http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0437

正直、メーテル氏の作品の後にこんな陳腐なものを……とも思いますが
まぁ、気が向きましたらお付き合いください。



(前書き)
 この無じる真という物語を見守り続けてくださったあなたへ。

 前回の『無じる真√N25』は物語が終わりを迎えた、とも捕らえられる書き方をしておきました。
 それは、あの話を文字通りワカレミチとしたかったからです。
 正直に申しますと、この先は少々特殊な要素が出てきます。
 ですので、25話を終えた時点で無じる真という物語に終止符を打つという、物語の出口へと繋がる道を用意しました。
 それでもなお、無じる真の物語を見守り続けてやろうじゃないか、という方のみ先へと続く道をお進みください。


 では、ご退席を望む方はここでお別れいたしましょう。またいつかお会いできることを願っております――――。






 読むことを選らんだあなたへ。

 うっとうしかった注意書きはここまでです。
 なお、無じる真√Nは、これからまだまだ長い話となる予定ですのでご覚悟を。
 それでは、ごゆるりとご覧ください。

 願わくば、この物語があなたの清涼剤たらんことを――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
改行による2パターンとなっています。最初は整形なしの素です。
ブラウザでご覧の方は、『ctrlキー+F』を押して出た検索窓に整形と入力して飛んでください。



 「無じる真√N26」




 徐州――郯城。そこは劉備軍の本拠地である。
 それは、本来の本拠予定地であった下邳を呂布に抑えられてしまったがために劉備軍がやむを得ず郯城を本拠としたからであった。
 そんな劉備軍の元へ、公孫賛軍と袁紹の冀州を懸けた戦いに関するもの、そしてその戦いに乗じて袁術が下邳へと侵攻したという報告が届く。
 劉備軍は、それらの報を受けるやいなや中枢を担う者たちを玉座の間へと集めすぐさま軍議を開いたのだった。
 自分たちの治めている徐州の一部を袁術にとられたとあって張り詰めた空気が場を支配していた。そんな中、人一倍ピリピリと神経を尖らせている人物がいた。
「やはり呂布が下邳城を不当に占拠した際に、奴を討って下邳を取り戻しておくべきだったんです!」
 愛紗は、そういって切れ長の眼を一層細め、鋭い視線を桃香へと向けた。
「うっ……で、でも……特に暴れたりあの辺りに住んでる人たちに何か迷惑をかけたりしてたわけでもなかったんだし……」
「桃香様は甘すぎるんです! だから、今だって――」
「愛紗さん! もう……過ぎてしまったことですから」
「あ、あぁ……すまぬ。つい熱くなってしまった。申し訳ありません桃香様」
 強めに放たれた朱里の宥めるような言葉に愛紗は我に返り桃香へ頭を下げる。
 桃香は悲しそうな顔をしている。
 そう、この桃香という人は他者を思いやる心の広い人物なのだ。愛紗はそれを知っていながらつい責めるようにキツイ言葉をぶつけた自分を叱咤したい気持ちに駆られる。
 そんな愛紗に桃香が申し訳なさそうに声を掛けてくる。
「ごめんね。わたしがそのままにしておこうって言ったばっかりに……」
「い、いえ……私が言いすぎました。優しいお心を持っているというのが桃香さまの良きところの一つなのだと知っていたのにもかかわらず私は…………誠に申し訳ありませんでした桃香さま」
「それよりも、袁術なのだ!」
「確かに……今はそれが問題です」
 愛紗と桃香の会話を遮るように大声を発する怒り心頭な様子の鈴々に続いて雛里が意見を述べた。
「まず現状の確認をしっかりと行うべきだと思います」
「うん、そうだね。それじゃあ、まとめ役をお願いできるかな、二人とも?」
 そう言って、桃香は朱里と雛里を見る。その視線に頷くと、雛里が代表して現状について語り始める。
「現在、袁術軍は呂布さんの留守をついて下邳城を落としました。また、その袁術軍といえば私たちとは比べもにならない程の勢力をその手に有しています」
「うむ、確かにその通りだな……とはいえ、袁術が一部とは言えこの徐州で好き勝手するのをただ黙って見ているわけにもいかぬのではないか?」
「そうなのだ! 袁術なんてコテンパンにしてやるのだ!」
「い、いえ……その」
 雛里の説明を聞いて意気込む愛紗と鈴々。
 その様子にたじろぎ言いよどむ雛里に変わって朱里が語り始める。
「愛紗さん、鈴々ちゃん、それに桃香さまもよく聞いてください」
 念を押すように三人のなを呼ぶ朱里に視線が注がれる。
「袁術さんにこの徐州の一部を奪われた。実は、このことが非常にやっかいな事態を引き起こしているんです」
「やっかいな事態って?」
「この徐州の有力な豪族の方たち……そのうちの一部が既に袁術さん側にまわり始めています」
「なっ、それは本当なのか朱里!」
 愛紗もこの徐州を治める上で豪族たちとの共和がいかに重要であるかは桃香や軍師二人の護衛として交渉に付き添っていたためよく分かっていた。
「残念ながら……わたしたちよりも袁術さんの方が力はありますから……豪族の方たちが移るのも仕方がないんです」
 俯いてそう呟く朱里を見ながら愛紗は思う。やはり豪族などあてにならないと。彼らはより優勢な方へと流れていこうとするのだ。
 事実、一度呂布が下邳を占拠したときだって彼女たちに取り入ろうとした者がいたという情報があったのだ。
「たぬき豪族どもめ……あやつらには義や侠というものはないのか!」
「まったくなのだ!」
 愛紗の怒りの声に鈴々が同調する。やはり義理とは言え姉妹か……そんなことが愛紗の頭を過ぎる。
 と、愛紗と鈴々が怒り心頭に発していると雛里が口を開いた。
「でも……やっぱりしょうがないと思います。この時勢、みんな何とか生きようとしてるんですから……」
 その言葉に、愛紗の怒りが僅かに収まる。
 そう、何が悪いのかと言えばやはり世の乱れなのだ。そして、それをどうにかしようと桃香や鈴々と共に立ち上がった。そのことが愛紗の脳裏に思い浮かぶ。
「すまぬな。二人とも説明を続けてくれ」
「はい。豪族の方たちから袁術さんにつく人が現れたのとは反対に、一層桃香さまの側につく人も出てきています」
 愛紗は一層朱里の言葉に耳を傾ける。それは桃香も同じらしく、朱里の言葉に目を見開いて食い入るように見つめている。。
「えっ、それ本当なの?」
「やはり袁術さんに関してはあまり評判が良くないようで……豪族の中にも袁術さんについた後の身の振り方が難しいかもしれないと考えている人がいるみたいなんです」
「成る程。それならば、桃香さまについた方が賢明な判断だということか……」
「えぇ、桃香さまは民衆の支持を得ていますから、こちらへつけば自分のいる地域で民と諍い争うような真似をしなくて済むわけですから」
 愛紗は朱里の説明に深く頷く。朱里や雛里の考えは聞けば聞くほど奥がある……この二人なくして劉備軍の飛躍はなかったであろうとすら愛紗は思った。
「でも、それなら鈴々たちはどうするのだ?」
「そうだね……やっぱり、今できることって言ったら多分限られると思うし……どうするべきかな?」
 小首を傾げながら鈴々が口にした疑問を受けて桃香が朱里と雛里へと尋ねる。その顔は眉を曇らせており、それが愛紗の胸を痛める。
 大陸に住まう民の笑顔を取り戻すなどと大言を吐きながら、己の君主の顔すら曇らせたままで笑顔を取り戻すことすら出来ない……愛紗にはそんな自分が不甲斐なく思えて仕方がなかった。
 そう、護りたいと思った人を護れなかった……それほど悔しいことはないのだ。そう愛紗が思った時、鈴々が驚いた様子で大声をあげた。
「あ、愛紗!? な、何してるのだ!」
「えっ? あ、愛紗ちゃん!」
 鈴々の声につられるように桃香たちが愛紗の方へと視線を向けるのと同時に三人の顔が驚愕の色に染められている。
「どうかしましたか?」
「ど、どうかしましたか、じゃないよ愛紗ちゃん! その手!」
「手、ですか? ……えっ、こ、これは!?」
 桃香に促されて自らの手へと視線を落とす愛紗。いつの間にか握りしめていた手、その拳となった手、その指が掌に爪を食い込ませ血を流していた。
「と、とにかく手当、手当てしないと!」
「は、はわわ、救急道具持ってきます!」
「あわわ……わ、わたしも行ってきます」
 動揺も露わに二人は玉座の間を飛び出していった。
「はうっ!」
「あうっ!」
 外から何かが転倒した音と共に奇声が聞こえたが確かめることなど愛紗には出来なかった。なにせ、桃香がしっかりと愛紗の手を握っているのだから。
「ほら、動いちゃダメだよ」
「まったく、愛紗は何をやっているのだ……」
 手にした布でそっと愛紗の血を拭う桃香と訝るように愛紗を見る鈴々。
 そんな二人に思わず愛紗は口ごもってしまう。
 そして、愛紗の手がすっかり拭いきられて彼女の掌を染めていた赤が殆ど消えたところで朱里と雛里が戻ってきた。
 二人から、薬箱を受け取ると桃香が愛紗の手当をしてくれた。
「本当に申し訳ありませんでした桃香さま……」
「ううんいいの。それよりも一体どうしたの?」
「いえ、何でもありません……少々興奮しすぎたようです」
 伏し目がちに桃香から顔を逸らすと、愛紗は処置を施された手をそっと引っ込めた。
「愛紗ちゃん……もし、何かあるんだったら言ってね。わたしお姉ちゃんなんだから」
「そうですね……話を聞いて頂きたいときには必ず……」
 それだけ言うと愛紗は再び定位置へと戻った。
 桃香に言えるはずがない。愛紗自身どうしてそこまで心を昂ぶらせてしまったのか分からないのだから……。
「さて、少々騒がせてしまいすまない。さぁ、話を続けましょう桃香さま」
「……うん」
 何かまだ言いたそうな顔をしながらも桃香が頷く。そして、それぞれが定位置へとつくと、朱里と雛里が再び場のしきり役へと戻った。
「そうですね……それじゃあ、今後の方針についてわたしと雛里ちゃんの考えを申し上げます。雛里ちゃん」
「……うん。えぇと、今この徐州の下邳城、そして下邳群はほぼ完全に袁術軍に抑えられてしまいました。そして、豪族たちの一部が袁術さんに同調をしている、というところまで話しました」
「うむ、そうだな」
「そして、桃香さまにつこうとしている勢力もあるとも言いました。その人たちが求めるのが民衆の安定です。なら、私たちがするべきは領地の政をしっかりとこなすことだと思います」
「でも、それだといつかは袁術にやられちゃうんじゃないのか?」
「確かに、鈴々ちゃんの言うことも分かります。ですから、雛里ちゃんが言ったようにより一層の善政を心がけることで、民衆の心を掴み、やがてくる袁術さんとの戦いにおいて力を借してもらおうと思うんです」
「うぅん、それってつまりはじめから利益目当てでやるってことなんだよね?」
 朱里の補足に桃香の顔が曇る。その様子を見ながら愛紗は、やはりどこまでもお人好しで優しいお方だと、何度も頷いた。
「そうですね……最終的にはそうなると思います。でも、それはきっと民の誰もが望むことだと思うんです」
「みんなが望む?」
「はい、わたしや雛里ちゃん、そして鈴々ちゃんや愛紗ちゃんのように桃香さまのためなら頑張れるっていう人がたくさんいるんです」
「え? そうなの……?」
 桃香が驚いた顔のまま愛紗の方を向くので、愛紗はただ黙って首を縦に振る。
「そうなんだ……でも、やっぱり出来れば力を借りるのは避けたいかな……」
「桃香様はお優しいんですね」
「ありがとう、雛里ちゃん。でも、きっとわたしだけじゃないと思うこういう考えを持つ人って」
 雛里の言葉に笑顔で応えながら桃香が窓へと視線を向けた。愛紗はその先に、例の天の御使いの姿があるように思えた。
「そうですね……桃香さまがそう望むのでしたら、他の考えも一応話しておいたほうがいいかもしれませんね。一つ考えているのは、先日袁紹軍をうち破って袁紹さんの領地であった冀州を治めることでその勢力をさらに強めている公孫賛さんに力を借りるということです。もしかしたら可能かもしれませんし……一応考えには入れてあるんですけど」
 朱里の案に腕組みをして考え込む桃香。
「うーん、白蓮ちゃん……かぁ」
「どうでしょう桃香さま?」
「でもさ、白蓮ちゃんが袁紹さんの軍に攻められたときわたしたち何もしなかったんだよ……そんなわたしたちに手を差し伸べてくれるかなぁ?」
「大丈夫です桃香さま! あの方ならば必ずや我らを助けてくださるに違いありません」
 気がつけば愛紗は、一際大きな声でそう断言していた。言われた桃香が困惑の表情を浮かべている。
「え? えぇと……」
「もしかして、お兄ちゃんのことなのか?」
「あぁ、どうだ? そうは思わぬか鈴々?」
「にゃー、お兄ちゃんならやりかねないのだ……にゃはは」
 にぱっと表情を明るくすると鈴々は愉快そうに笑い出した。
「一刀さんかぁ……どうだろう……」
「ふふ、ならこう言えばわかりますか? 桃香さまがその立場でした場合どうなさいますか?」
「え? それはもちろん何とかして助けようと……って、あれ?」
 自分で言ったことに首を傾げる桃香。その姿に苦笑を漏らしつつ愛紗は説明をする。
「あの方は、桃香さまと似た感性をもっています。ですから、桃香さまがそう思うようにあの方もそう思うことでしょう」
「ほぇ〜、愛紗ちゃんは一刀さんのことよく分かるんだねぇ」
「え? い、いやその……」
 感心したような見つめてくる桃香に愛紗は僅かに後ずさる。
「そうですね。助けに来ると断言したときの愛紗さん、確かに凄い自信に満ちあふれていましたもんね」
「しゅ、朱里!」
「にゃー愛紗の顔が真っ赤っかなのだ!」
「あわわ……も、もしかして愛紗さん……」
 余計な一言を言う朱里を嗜める愛紗を鈴々が嬉しそうな笑顔でからかってくる。
 さらに、何を勘違いしたのか顔を赤らめる雛里。愛紗は、思わずため息を漏らした。
「はぁ……困ったものだ」
 賑やかになる周りを余所に、愛紗はそう呟いた。
 同時に愛紗は、先程の自分の行動について考えを巡らせ首を傾げる。先程、愛紗は思わず強めに発言した、そして、その原因はここ数日見始める妙な夢にあったと気づく。
(……ご主人様、か)
 愛紗は、そう心の中で呟く。その言葉の指す存在こそが愛紗をおかしくしているのだ。
 そのご主人様という人物が愛紗の夢に度々出てくるのだ。本来の主である桃香を差し置いて……。ただ、その人物の姿は光に包まれ何故か見えない。それでも、そのご主人様の隣にいるだけで愛紗の胸が不思議と暖かい気持ちで一杯になれたのは確かだった。
 そして、先程の発言とそのご主人様との関連こそが重要なのだと愛紗は思っている。
 先程、公孫賛軍の話が出たときに愛紗の中でまっさきに浮かんだのが天の御使いと民たちから称されている人物だった。そして、天の御使いの心象と愛紗の中のご主人様の影が不思議なことに重なって思えたのだ。
 だからこそ、思わず断言してしまった……のだが、それを他人に言えるわけもなく愛紗は一人不思議な想いをその胸にしまい込んだ。
 そして、未だにきゃあきゃあと盛り上がる面々に渇をいれる。
「いい加減、落ち着かぬか!」
 愛紗が、腹に力を込めてそう叫ぶとその場の空気がぴたりと止まる。
「ちょ、ちょっとふざけすぎたね。ごめんね愛紗ちゃん」
「まったく……話を脱線させないでいただきたい」
「……おほん。では、話を戻してって……もう何度も言ってますが、もう一度言わせてもらいます。先程の話に戻りますが、実際のところ北郷さんがどういった方なのか余り関わりのないわたしたちには、風評を中心としてしか判断できませんので何とも言えません」
 朱里が冷静に情況を分析したうえでそう告げる。夢や感情を元に発した愛紗の言葉とはまさに正反対のものだった。
「ですが、わたしも愛紗さんと同じで助けてくれないとは断定出来ないと思います」
「どうしてかな?」
「先程、桃香さまは助けに行かなかったと仰いましたが、実際には公孫賛さんの軍と袁紹さんの軍が対立し、開戦したことをわたしたちが知ったの自体が遅く、むしろ行けなかっただけですから」
「そっか、そうなのかなぁ……」
「恐らくはそうかと。ですので、見捨てたから仕返しとして助けてくれないということは無いと思います」
 朱里の説明に愛紗も鈴々も、そして桃香ですらなるほど、と頷いていた。
「ただ、朱里ちゃんの説明を間違えて捕らえないでください。桃香様の危惧通りの理由で助けてくれないという可能性がないというだけで、必ずしも助けてくれるというわけではありません」
「そうだね。二人の言うとおりなんだよね」
 雛里の言葉に桃香が深く頷く。現実をかみしめるように。
「今申し上げたとおり、必ずしもうまくいくとは限りません。ですので最初は言うのをためらってしまったんです」
「あまり……良い考えじゃなくてすみません」
「そっか、それでも言ってくれてありがとう二人とも。今後も遠慮せずに言ってね。その方が嬉しいし、わたしたちの軍、ひいてはわたしたちが護るべき人たちのためにもなるんだから。ね」
 おずおずと説明の締めをする朱里と雛里に桃香は明るく答え、二人に向かって片目をぱちんと瞬かせた。
 その様子を見ながら愛紗は、相変わらず臣下に甘く……いや、優しくてそれでいて臣下を全力で頼りにするお人だ、と思い口元をほころばせた。




 『公孫賛軍、袁紹軍を破る!』
 その報は、現在兗州を本拠としている曹操軍にも当然届いていた。
「麗羽が公孫賛に破られた……ねぇ、桂花。あなたはどう思う?」
「そうですね……袁紹が勝てば単純で馬鹿だからどう行動するかは読めたのですが……公孫賛の場合はどう行動するか、イマイチ判断しかねます」
 曹操の言葉に、猫耳のようなものがついた頭巾風の帽子に頭をゆったりと覆われている少女――桂花と呼ばれた彼女――もとい荀ケはそう答えた。
「確かに……麗羽が勝ったのなら、自分をより尊大に見せようとするでしょうから領土拡大を優先してこちらへ攻めてくる可能性があったでしょうね」
「えぇ、それに比べて公孫賛は至って普通の凡人としか思えません。ですので、余計に袁紹に破られるものと思っていたんですが……それは覆されました。それと、さらにやっかいなことに公孫賛には、その印象が残りにくいという点があることです。現に、そのために少々、警戒するべき相手として考えるのを忘れかけてしまっていましたし……」
「そうね……公孫賛にはこの乱世を生き残るだけの資質を持ち合わせているようには見えなかったものね」
 荀ケの言葉に頷きながら、曹操は心の中で一言付け加える。ただ、公孫賛の傍らにいた天の御使いと呼ばれる男、北郷一刀は公孫賛が持たない資質を備えているのだろう、と。
「……しかし、公孫賛自身にはソレが感じられませんが、彼女を支えているという男がどうも私は気になります」
「それは、どのようにかしら?」
 内心、荀ケが同じような考えを持っていることに驚きつつ曹操は更に詳しく尋ねる。
「以前より放っていた間者に収集させた各勢力の情報、その中の公孫賛軍に関するものを元に愚考を巡らしたうえでの私の所見ですが」
「えぇ」
「その男は、少なくとも反董卓連合の頃から公孫賛軍の兵力増強に努めていたように見えました。そして、その食指は董卓軍の将たちへも伸び、ついには董卓軍の多くをその掌中におさめたとも聞いていますし」
「そうらしいわね」
 曹操自身も、その情報を初めて手にしたときは僅かな驚愕とそれを大きく上回る納得がその胸中を占めたものだった。
 故に荀ケの考えも理解していた。
「そうして戦力を強めるという、袁紹軍をうち破った理由の一つと思われること、そして劉備が治めている徐州に居座っていた呂布をも味方に引き入れたという袁紹軍との戦いを左右することとなった決定的な点、その両方にその男が関わっていたという情報もありましたので、その男はこの群雄が割拠する世の中を上手く生き延びるだけの何かを秘めている。というのが私が愚考した結果です」
「そう……他にはないのかしら?」
「え?」
 曹操は自分が抱くナニカを荀ケも何気なく尋ねてみるが、荀ケは僅かに目を瞬かせ、訝るような視線を曹操へと向けた。
「いえ……何もないなら別にかまわないわ」
「華琳さま?」
「何でもないわ。それよりも豫州攻略はどうなの?」
「はい、黄邵、劉辟、何儀らを破り西部を制圧したことを皮切りに徐々に支配地域を増やしていき、ついには豫州制圧に成功したとのことです」
「そう……それで他は?」
「は、我が軍が徐州の制圧を行っているのと同時期に袁術が徐州南部の下邳を制圧したとのことです。どうやら、先に支配してた呂布が劉備になんらかの対処をされる前に動いたのが原因のようです」
「劉備はその甘さによって自らの首を絞めたという訳ね……」
 呆れた口調でそう呟く曹操。劉備という人間を見た時、曹操は甘いと思った。
 そして、劉備がなかなかの資質を秘めているとも感じた。だからこそ、余計に曹操には不愉快な存在だった。
 劉備という個人を見るならその甘さも美点に思える。また、曹操も個人としては嫌いではなかった。だが、世に覇を唱えんとする群雄の一人となろうとしている存在としてはなっていない、曹操が感じたもう一つの劉備の評価がそれだ。
 大層な理想を掲げているらしいとのことを曹操も耳にしたことがあった。
 だが、その理想がまさに劉備の甘さを際立たせている。そして、ずっと現実のみを見据え続けている曹操からすれば、その理想を追い求めすぎている劉備という存在が腹立たしく思えたのだ。
 そんなことを思い、劉備の甘さに呆れの感情を込めたため息を吐き気分を切り替える。
「それで、他の情勢は?」
「はい、徐州の下邳群を手にした袁術は更にその領土を広げようと南への侵攻も視野に入れているらしいとの情報も届いています。また、朝廷にも動きがあったようです。放っていた間者の話によると、どうやら王允が帝に変わり指揮を執っているそうで連合軍が行った復旧だけではその景観を復興できなかった洛陽を副都とし、現在は長安を都としているそうです」
「何だかひっかかるのよね……」
「やはり、華琳さまもそうお思いになられましたか……」
 曹操が感じる朝廷への違和感、それは先の袁紹軍と公孫賛軍の戦いにあった。
 黄巾の乱を切欠に露出し始めた朝廷の衰退……そんな状態に陥っているのならば、王允のような人間が自ずとその力を取り戻さんとするはずなのだ
 その絶好の機会が公孫賛軍と袁紹軍の戦いだった。あの戦の仲介を行い両軍を従わせることが出来たのならば、朝廷にはまだ力があると大陸中に知らしめることができたはずなのだ。
 だが、朝廷はそれを行わなかった……袁紹も公孫賛も未だ朝廷の命に素直に従う可能性が高かったというのに勅を出すことすらしなかった。
 それが曹操の中に、そして恐らくは荀ケの中にも疑念として残っていたのだ。
「朝廷に何かが起こっている……ということかしら」
「そうかもしれません。朝廷に関しては他にも不穏な情報が入ってきていますし」
「不穏な情報?」
「えぇ、なんでも董卓がその消息を絶ってから今まで、王允をはじめとする朝廷の中心にいる者たち以外には帝がその姿を見せてはいないらしいんです」
「…………そう。まぁいいわ。ありがとう桂花」
「いえ、それでは報告も終わりましたので……その、華琳さま」
「ふふふ……たっぷり可愛がってあげるわ」
 曹操はそう言うと、頬を上気させながら瞳を潤ませている桂花を近くへと呼び寄せた。
「あぁん、華琳さまぁ!」




 諸侯が様々な動きを見せようとしているとき、寿春を本拠としている袁術はご機嫌そのものであった。
「下邳も手にして我が軍の力もちゃくちゃくと伸びておるのう、七乃」
「そうですねぇ〜呂布さんと劉備さんの隙を突いて見事横取り、さすがです。よっ、この小悪党!」
「うははーもっと妾をほめてたもー!」
「その上、孫策さんをうまく言いくるめてあんなものまで手にいれてしまいましたし」
 そう言われ、袁術は兵を集める許可を与えるかわりに孫策より受け取ったモノを思い浮かべる。
 それは光を放っていた。そしてその様相はそれがまさに高貴な者にふさわしいと存在であることを証明していた。
 そんなことを思い出していると、それを自らの傍に置き眺めた時の高揚感が袁術の体中を駆け巡った。
「うむ、アレは妾にこそふさわしいものなのじゃ。だから、あるべきところへ巡ってきたということなのじゃ! うはははー」
「しかも、孫策さんを曲阿へ向けたことで劉繇さん、さらにはその先にいる厳白虎、王郎といった江東に座している人たちの処理もまかせられますしねぇ。いやー、ほんとお嬢さまってばずる賢い!」
「はーっはっはっは、そうであろう、そうであろう! あっはっは!」
「あ、そう言えば」
「む? どうしたのじゃ七乃?」
「いえ、実は最近は言った情報によれば、何でも袁紹さんてば、公孫賛さんにやられちゃったそうですよ」
「なんと!? あの影の薄いやつにか! それは愉快愉快! やはり麗羽などしょせんは妾腹の子、妾とは格が違うのじゃ。だからあんな影の薄いやつにやられるのじゃあ!」
「うーん、袁紹さんもお嬢さまも本質的には大して変わらないような……」
「何か言ったかの?」
「いえー、やっぱりお嬢さまと袁紹さんじゃ比べものにならないなーなんて言っただけですよぉ」
「そうかえ?」
「そうですよぉ、やっぱりお嬢さまこそがこの大陸で一番!」
「あっはっはー! もっと褒めてたも! 妾をたたえてたもー!」
 袁術のご機嫌な笑いが室内の空気を振るわせ続けていた。




 袁術が調子乗っている頃、当の孫策というと曲阿に向かいながら周瑜と自分たちのこの先のことについて言葉を交わしていた。
「いやー、相変わらず袁術って馬鹿よねぇ。私たちがこれからどうするのか考えもしないでさらに兵の召集を許すんだから」
「まったくだな。とはいえ、今回はこちらもそれなりの代償を払ったがな」
「あーアレのこと? 別にいいんじゃないあんなの。私は興味ないし」
「それもそうだな。我らの夢は孫呉の復興。そして――」
「私と冥琳、蓮華や小蓮……うぅん、それだけじゃない。孫呉の民や大切なみんなが共に過ごせる時代を作る……よね?」
 孫策はまだ見ぬ未来へ想いを馳せ、笑みを浮かべる。
「あぁ、そのためにも力をつけねばな」
 ふと、隣を見れば周瑜の顔にも微笑が浮かんでいた。
「そうね。そのための一歩も既に踏み出しているし」
「あぁ。そして、もうすぐ次の一歩がやってくる」
 周瑜がそこまで言ったのと同時に遠くから砂煙をあげながら駆けてくる集団があった。
「あら、以外と速かったわね」
「そうだな。だが、それは私や雪蓮と同じだけ孫呉の復興を願っているのだろう……誰しもがな」
 それと同時に別の集団が現れる。
 それを見て、孫策は笑みを零す。
「当たり前のことだったわね。ふふ
「まったく、これから私たちを率いていってもらわねばならぬのだから、しっかりして欲しいものだな」
「わかったわよ。もぅ……冥琳の意地悪」
 唇をとがらしてすねる孫策。
「くく……いや、悪かった。機嫌を損ねないで、雪蓮……くっ……」
「むぅ……にやけながら言っても説得力無いわよ」
 さらに頬をふくらませる孫策。
「い、いや本当に……ぷっ、悪かったと思っている……くくっ、のだが雪蓮の……その顔がお、おかしくて……あっははは」
「もぅー! 冥琳!」
「ふふ、すまない。ほら、他の隊も集まって来たぞ」
「みたいね。そう言えば、あの子は使えそう?」
「それは呂蒙のことか? それならば、鍛えようによっては文の方もなかなかのものになりそうだぞ」
「そう、さて……残りの仲間も揃ってきたし、本格的に考えなきゃね」
「あぁ、我らの孫呉を取り戻そう」
 そして二人は歩み出す、仲間たちの元へ。共に未来へ進むために。




 各地の諸侯がそれぞれの思惑を胸に秘めながら大陸の情況を見定めている頃、北平にある公孫賛軍の城、その中庭の隅で二つの影が何やら口論していた。
 いや、片方がもう片方へと詰め寄っているような形である。
 困惑した様子の片方――貂蝉に対してもう片方の影が睨み付けながら強めの口調で問い詰める。
「おい、どういう事だ! 俺は消えるんじゃなかったのかよ!」
「そ、その……ちょっとわたしにもわからないの……」
 一刀が攻めるような口調で質問、いや尋問を行うと貂蝉がますます困惑の表情を浮かべる。その様子がいささか気になり声量を下げ、口調も和らげて聞き返す。
「わからないだって?」
「えぇ……こんなのはじめてだから……」
「そっか……はじめてだったのか……」
「わたしの知る限りはじめてよ。消えるはずの運命から逃れたのは」
「そうか……」
 貂蝉の言葉を聞きながら先日のことを思い出す一刀。そう、星々の見守る中、白蓮と手を繋ぎ別れを惜しみながら瞳を閉じたときのことを。
「おかげで……消えると思った後の白蓮との間に流れたヘンな空気を味わう羽目になったんだぞ!」
 この一刀の言葉は嘘。本当は、消えかけた自分の姿が元に戻ったことに驚き、消えずに済んだことを理解した瞬間、白蓮と泣きながら抱き合った。
 そして、互いに喜んだ――互いがまだ共にいれるという奇跡を。
 もちろん、そんなこと一刀は口に出来ない。だから嘘をついた。
 そして、それに気づかない貂蝉は眉を八の字にして困り顔をする。
「そんなこと言われてもわたし、困っちゃう……でも、良かったわご主人様が消えずにすんで。うふふ」
「その不気味な笑みはやめろ。それより、やっぱり俺が消えなかった理由は分からないのか?」
「そうねぇ、確かなことは言えないけど……外史に携わるものとしては多少の予想は出来るわね」
「それを聞かせてくれないか?」
「いいわよ……ただ、このことを話すに至って今まで隠していた一つの真実を話さなくちゃいけなくなるんだけど……大丈夫?」
 急に真剣な表情になった貂蝉にそう問われ、一刀は僅かに戸惑った。だが、それ以上に知りたいという気持ちが強く、その首を縦に振った。
「そう……なら言うわね」
「あぁ」
「恐らくは、ご主人様と白蓮ちゃんが結ばれたことが影響しているの」
「……聞き流せない部分があった気がするが、まぁいい。どういうことだ?」
「それはね。白蓮ちゃんが特殊な条件を満たしているからなの」
「特殊な条件?」
「そう、彼女はご主人様がいた外史では早めに退場したわ」
「そうだったな……」
 そう、白蓮もとい当時の公孫賛が袁紹軍に敗北し自害したというのは一刀もその耳に聞き留めていた。
「それでいて、白蓮ちゃんは外史にその存在を認められていた。いわば他の娘たち同様重要な因子の一つだったわけなの。ここまでは大丈夫かしら?」
「あぁ、それで?」
 正直、一刀の頭は新たに教えられた情報により混乱していた。だが、先が気になっているため一刀は先を促す。
「あと、白蓮ちゃんはご主人様と結ばれていなかったわよね。……まぁ、これは関係しているかはわからないけれど。今挙げた要素から白蓮ちゃんが特殊な条件を備えていたということになるの。どう、わかったかしら?」
「あぁ、理解した。だけど、それと俺の消滅回避に何の関係があるんだ?」
「それはね、白蓮ちゃんが外史の終焉を待たずして物語から退場したことで外史という一つの物語に対する生命力のようなものを終焉までいた他の娘たちと異なり、余らせていたんだと思うの。そして、ご主人様と一つになることでその余った力をご主人様に分け与えたんじゃないかってこと」
「つまり、俺は白蓮が内包していたその生命力的なナニカによって助かったってことなのか?」
「まぁ、あくまで憶測にすぎないけれどね」
「そうか……」
 そこまで聞いた一刀は呆然としていた。
 貂蝉の予想通りなら、あの夜、白蓮が一刀の元へやってこなければ一刀は消えていたということなのだ……つまり、白蓮に命を救われた。
 そのことを思いつつ、何故か一刀は消滅をまのがれたときの白蓮の様子を思い出していた。
 初めはほろりと涙し、すぐさま滝のような涙を流し顔をぐちゃぐちゃにしながら一刀の胸に飛び込み顔をこすりつけていた白蓮。
 口から放つ言葉がみな、子供のように幼くほほえましかった。
「でもね、ご主人様。一人の漢女としてのわたしは違うわ」
「え?」
「きっと、これは愛よ! ご主人様と白蓮ちゃんが愛し合ったから救われたのよぉ!」
「顔を真っ赤にするな気持ち悪い! というか、さっきから引っかかっていたんだが何でお前が俺と白蓮がそういう関係になった事をしってる」
 一刀は、先程から気になっていた疑問を目の前でくねくねとたこの妖怪のように腰を踊らせている貂蝉にぶつける。
「あらん、そんなのか、ん、た、んよ! だって、白蓮ちゃんたら帰ってきたらすっかり"女"の顔になっているんですもの。どぅふふ」
「…………」
 一刀は思う、ついに人の僅かな変化から何があったかまで辿っていけるようになったのかこの妖怪は、と。
「まぁ、それは一時おいておくとして。聞いてご主人様」
「ん? まだあるのか?」
「さっきもいったでしょ。一つの真実を話さなければならないって」
「そうだったな。なんだなんだ、その真実って?」
「えぇ、これは白蓮ちゃんの特殊な要素と消滅回避に深く関わるお話よ。そしてこの世界にも……さらにはご主人様にも」
「な、なんでそれだけ大事な話を今まで黙ってたんだ?」
「ご主人様が消える運命にあると思ったからよ。消えゆく者にとどめをさすようなマネわたしにはできないもの」
「なるほどな……で、それを乗り越えた今の俺なら言ってもいいわけか」
「そういうこと。いい、ちゃんと聞いてその胸に留めておいて……この外史は――」
 妙に重苦しい雰囲気を放つ貂蝉の言葉に一刀がごくりと唾を飲み込んだとき、誰かが駆け寄ってくる音がした。
「あ――! 見っけたで、一刀!」
「げ! 霞!?」
 茂みをかき分け現れた霞の姿をその目に捕らえた一刀はすぐさま駆け出す。
「ちくしょう〜! 貂蝉、全部お前のせいなんだからなぁー!」
 そう叫びながら一刀はその場を後にした。


 風を斬るようにして懸けながらも一刀は周囲への注意は怠らず今もって続けている。
 その脳裏に北平へ帰還したときのことが過ぎる。
 一斉に飛びかかってきた仲の良い女の子たち。
 霞に抱きつかれ、その豊満な胸で窒息しかけ、顔をそらせばいつの間にか反対側に回り込み不思議そうな顔で霞の真似をする恋がいて、その胸に埋もれた。
 さらに、別へと向ければにやりと愉快そうな笑みを浮かべる星が、それから逃げるように最後の一方に顔を向ければ瞳を潤ませ、気のせいかその瞳から滴がこぼれ落ちているように見える天和がいた……その瞬間、一刀は柔らかく暖かい肉の海でおぼれた。
 薄れ行く一刀の視界、その隅に残りの少女たち、そして白蓮の極寒のごとき瞳が鋭い視線を一刀へ送っているのが映った。
 その後のことは思い出したくもなかった。
 後々、何故そこまで熱く出迎えてくれたのかを調べてみれば、貂蝉が少女たちに消滅のことをバラしたのが原因だったというのだ。
 そして、それからまだ数日しか経っていないが一刀は彼女たちの盛大な――いや、過激すぎる消滅回避の祝いから未だ逃げ続けていた。
「な、なんでこうなるかなぁ……」
 思わずため息をはく一刀。
 消えると思ってから緊張を緩めることなく過ごしていたのがどこか間抜けにすら思えてならなかった。
「あ……貂蝉の話聞きそびれちまったな」
 頭を掻きながらぼやきながら、また今度聞くしかないか、などと一刀が考えていると。
「ミ、ツ、ケ、マ、シ、タ、ゾォ〜主〜」
「うわぁっ!」
 急に耳元で囁かれ、一刀の心臓が跳ね上がる。そして、恐る恐る壊れた絡繰りのようにギギギと擬音がなりそうなほど不自然な動きで後ろを振り返る。
「どうやら、ここまでですな。主」
「セ、セイサンデハアーリマセンカ」
「おや、妙なしゃべり方などして……どこかぶつけでもしましたかな?」
「イ、イエ……ナンデモアリマセンヨ?」
「……それでごまかせるとお思いですかな、主?」
 一刀は星から距離をとろうとじりじりと脚を滑らせるように移動するもすぐに星のしなやかな手で肩を掴まれる。
「い、いやだぁぁああ! 生還したばっかりなのに死にたくないぃ〜!」
「これはまた異な事を。我らが主を害するはずなどあるわけがないというのに……ふふ」
「そ、その笑みが怖いぃ〜!」
 星によって一刀はずるずると引きずられていく。その場に断末魔だけを残して。




「まったく、騒がしいもんだな……」
 白蓮は頬杖をつきながらそう漏らすと、窓に向けていた視線を机へ戻す。
「しょうがないわよ……みんなあいつが無事に戻ってきたことが嬉しかったんでしょうからね」
「そうもそうだな……ところで、詠は加わらなくていいのか?」
「あのね……城内を走り回ってる馬鹿のかわりにあんたの手伝いをしているのは誰だと思ってるのよ」
 詠に睨まれ思わず白蓮は呻く。
「い、痛いとこつくな……」
「ふん、おかげでボクの時間が奪われたんだものこれくらいは言わせてもらうわ」
「は、はは……だが、ということはだ。この仕事がなかったのなら詠もあいつらの中に加わっていたんだな」
「なっ!? なななな、何言ってるのよ! そ、そんなわけないでしょ!」
「おいおい、そんなに動揺するな。バレバレだぞ、くく……」
「う〜、あんた帰ってきてから少し変わったわよね」
「そうか?」
 詠に変わったと言われても白蓮自身にはイマイチピンと来ない。
 そう思い首を傾げてみる。すると、そんな白蓮を穏やかな笑みを浮かべながら詠が見つめてくる。
「なんというか、以前より余裕が感じられるわね」
「うぅん……そう見えるか?」
「えぇ。もしかして、何かあったわけ? ボクたちがいなくなってから」
「え!? ま、まさか、あるわけないだろう。あははは」
 ぎこちなく笑いつつ詠から視線を外し、白蓮は仕事に取りかかった。
 その際に、詠の何か言いたげな表情が視界の隅に入ったが白蓮は無視をした。
「まぁ、いいわ。そのうち突き止めるから」
「…………」
 詠の言葉に白蓮は背中が冷たくなるのを感じた。
 外では未だに一刀たちの騒ぎ声が聞こえている。




「か、勘弁しておぶぅっ!?」
 一刀の口に杯が突っ込まれる。
「あっははは! いいぞぉー一刀! もっとや、もっと呑まんかい!」
「さぁ、男を見せるところですぞ、主」
 杯を左右から押さえ込んでいる霞と星がにやにやと笑みを浮かべている。
「んぐっんぐ……ぷはぁ!」
「よっしゃ、さっそく次や!」
「まだまだあります故、遠慮なさらずお呑みくだされ」
「ちょ、まっ、少し休まっ!?」
「ほらほら、おっ、イイ飲みっぷりやで一刀! さて、ウチも」
「せっかくの祝い酒です。思う存分味わってくだされ」
 霞と星の二人は片手で一刀の杯を押さえつつ、空いたてで酒を注ぎ呑見始めた。
 一刀は、それを隙だと感じ脱出を試みようとするが想像以上に押さえる力が強く動けなかった。
「んん〜、ん、んぅっ……ぷはぁっ……ぜぇぜぇ」
「良い飲みっぷり。男らしいですぞ、主」
「あっはっは、いいで一刀。せや……んっ」
「…………し、霞?」
 何かを思いついたように酒を一気に口に含む霞。その様子に嫌な予感を感じた一刀が立ち上がろうとする。
「おや、途中退出とは感心しませぬな。こんな良き女二人と呑んでいる場だというのに」
「せ、星……は、離してくれ……え? だめ?」
 いつの間にか背後に回り込んでいた星に両肩を押さえられる。
 ただ、それに合わせて密着する星の躰の一段と柔らかい部分を背に感じてしまい、一刀は、星をはねのけられずにいた。すると、注意をといていた霞が動いた。
「なっ!? んぐっ、んぅ〜」
「んっ、んふ、ん〜」
「おやおや……これはまた」
 星の言葉も今の一刀の頭には入ってこない。何故ならば一瞬のうちに霞に酒を注がれたから――口移しで。しかも逃れようにも、霞の腕が一刀の頭をがっちりと固めているため動かせない。
 口内に広がる酒と霞の唾液の混ぜ合わされた特別製の何か。それが一刀の頭をぼぅっとさせる。一刀の顔はまるで熱湯のように熱くなっていた。
 しばし、一刀が夢見心地でいると、
「ん、んぅ……んっ!?」
「ん……くちゅ……じゅ……ちゅっ」
「ほう、これはまた大胆な」
 残り少ない酒をかき混ぜるように霞の下が一刀の口腔内を動き回る。
 時には一刀の舌に絡まり、時には一刀の口の内側を沿うように舐める。
 一刀も酒のせいなのか、はたまたどこかで制御装置が外れたのか積極的になる。
「んふ……ふふ……ちゅ……んぁ!?」
「ふん……ん、じゅじゅじゅ……くちゅっ」
「…………ほぅ」
 お返しとばかりに一刀は霞の口腔内へと舌を突き煎れる。そして、中を愛撫するようにじっくりと舌を這わす。そして、唐突に激しく動かしたり霞の舌にからめたりする。
 必死になった一刀は己の中にある様々な舌技を一心不乱に駆使した。
 そして、それがしばらく続くと一刀を押さえていた霞の腕の力が抜けた。
「ん……ぷはぁ、や、やっと解放された……」
「……んっ、な、なんなんや一刀……あんたの技は……」
「…………」
「あれ? せ、星?」
 ぐったりとしている霞を見て思わず勝ったぞーと叫びそうになる一刀だったが、気がつくと先程まで両肩においてあった星の手が一刀の頭にうつっていることに気がつき、そちらへ意識を向けた。
「霞だけというのは……少々不公平ではありませぬか、あ、る、じ?」
「…………か、勘弁してくれ〜!」
 未だ酒と口づけの影響ででふらつく脚に気合いを込めて一刀は駆け出した。
 背後にとてつもない速度でせまらんとしている足音を聞きながら――。


 暗闇の中、一刀は息を凝らしていた。
「…………」
「おや? 何処に行ったのだ……こちらに逃げてきたと思ったのだが」
 星の声が耳に届いた瞬間、一刀の心臓が跳ね上がる。声が漏れないよう必死に口を手で押さえ込む。そして、躰をほんの僅かも動かさずじっとこらえる。
「む、あれは……?」
 その言葉を残して、星の気配がその足音と共に離れていく。そして、完全にいなくなったのを狭い視界から確認すると、一刀は気を抜いた。
「ふぅ……あ、危なかった……」
 安堵の感情を表すようにどさっと伸ばした四肢に茂みの葉っぱがあたる。
「痛て……少し枝が引っかかっちゃったか……」
「…………ぺろ」
 一刀が頬に出来た傷をそっと指で触れようとしたのとほぼ同時に、一刀の頬についたかすり傷のあたりにぬめっとした感触が走る。
「んぉっ!? な、なんだ……?」
「……わふっ!」
「せ、セキトか……脅かすなよ」
 感触のした方へ視線を向けると、セキトがいたわるように一刀の傷をなめていた。
「わう……ぺろぺろ」
「ありがとな、セキト」
 一刀は感謝の気持ちを表すようにセキトの頭を撫でてやる。
 すると、嬉しそうに吠えるセキト。と、そのとき近づいてくる足音が一刀の耳に入る。
「だ、誰だ!」
「………………?」
 振り向いた一刀の視線の先には不思議そうな顔で首を傾げる恋がいた。
 その姿を視認して一刀はほっと息を吐く。
「れ、恋……か」
「…………何してるの?」
「え? いや、ただぶらっとしてるだけだよ」
「………………そう」
「恋はどうしたんだ?」
「…………セキトの散歩」
 恋はそう言うと、いつの間にか恋の足下で主人の顔を仰いでいるセキトの頭を撫でた。
「そっか、じゃあ俺はお暇するとしようかな」
「………………」
「あの、恋? 服の裾をつかまれると歩けないんだけど?」
「……ご主人様もいっしょ」
「え、えぇと……その」
 頭を掻き居ながら周囲を伺う一刀。あたりを見渡しながら、自分が今逃走中であることを自覚している故、不用意に動くのもどうかと考える。
「…………ダメ?」
「あぁ……わかったよ。俺も散歩しようかな。それで、中庭をまわるってことでいいんだよな?」
「…………」
 恋はただ黙って頷く。
 先の戦で最終的には味方をしたとはいえ、それまでの行いが引っかかり恋は現在謹慎中だった。それ故、セキトの散歩も中庭をぶらつくだけだったのを一刀も知っている。
 だから、それからはただ黙って恋の隣を歩き始めた。
「…………誰?」
「ん? どうした?」
「……ご主人様は……誰?」
「え? 誰ってどういう意味だ?」
「…………恋は、ご主人様と虎牢関ではじめてあった」
「あぁ、そうだな。あれから結構立ったな……」
「…………でも、恋の……何故?」
「恋? どうしたんだ?」
 徐々に声が小さくなり、顔を俯かせた恋に一刀も心配になる。
「…………………………なんでもない」
「……本当に?」
「………………………………」
 恋がかなりの時間差で頷いたのを見て、彼女が本気で肯定の返事をしたわけでないことを一刀は見切り、ため息を吐く。
「はぁ、まぁ今は俺も何も言わない。でも、何かを抱え込んでるなら話してくれよ。頼りないだろうけどさ」
 苦笑を浮かべながらも出来る限り明るい口調で語りかけながら恋の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「…………うん」
「ならよし!」
 今度は恋もすぐに頷いた。それを見て一刀は口元をほころばす。
 その次の瞬間、
「恋殿に何をしているのですー!」
「ん? ねねじゃないか。どうした?」
 もの凄い勢いで恋の元へ駆け寄った音々音が一刀の方へ鋭い視線を向ける。
「おまえ、恋殿に気安く触れるんじゃないのです」
「え、いや……あの」
「まったく、思わずちんきゅーキックをおみまするところだったのです。命拾いしましたね」
「そうか……」
 何故か背を逸らして偉そうに言う陳宮に一刀は口元を引き攣らせる。
「まぁ、ねねが来たし、俺はこれで立ち去らせて貰うよ」
「…………え?」
「や、やけに素直ですね……不気味なのです」
「いやいや、二人の邪魔にはなりたくないんでね」
 早口にそう告げると一刀はその場を立ち去るように駆け出した。
 正直、二人及びセキトと散歩するのはのんびりできそうで一刀にしてみても魅力的だった。だが、進行方向に白を基調とした服を着た青髪の人物が見えた気がしたのだから諦めざるを得なかった。
「なんで、逃げまわらなきゃならないんだ……」
 自分の置かれている情況に一刀はぼやかずにはいられなかった。


 恋と音々音の元を離れ、しばらくかけ続けた一刀はそろそろ大丈夫だろうと徒歩へと速度を抑えた。
 そのまま、追ってきていなか背後を振り返りつつ歩きながら曲がり角へとさしかかったとき、一刀は何かにぶつかった。
「うわっ」
「おぉっ、危ないだろう! どこを見て歩いてって一刀ではないか」
「ごめんごめん……って、華雄か。何してるんだ?」
「あぁ、実はな……」
「ちょっと!? いきなり立ち止まらないでくださいます! 危うく転ぶところだったではありませんの!」
「れ、麗羽さま……あまり華雄さんを刺激しないで」
「いや、姫には何言っても無駄でしょ」
 よく見れば華雄の後ろに元袁紹軍の三人がぞろぞろと続いている。
「袁紹たちじゃないか……どうしたんだ?」
「あぁ、実はこいつらの部屋の張り番だったのだが……外を出歩きたいと言い出してな……それで、どうしたものかと悩み、仕方がないので白蓮かお前に助言を請おうと思って三人を連れて向かうところだったのだ。しかし、ここであえたのは運が良かった」
「俺は運が悪かったな……」
 華雄の顔に疲労の後を見つけながら、一刀はまたやっかいごとか、と肩を落とした。
「あぁら、北郷さんではありませんの」
「どうも……」
「一刀、私は傍観者に慣らせて貰うぞ」
 そう言うと、華雄は口を固く閉ざした。それを見て一刀は思わず、ずるいと言おうとしたが、それは叶わなかった。
「北郷さん!」
「は、はい!」
「部屋に閉じ込められっぱなしでいい加減わたくしたちも鬱憤が溜まってきましたわ!」
「それは大変だな――」
「そう思うのでしたらさっさと外出許可をだしてくださいな!」
「え、いや、うぅん……そうだな……俺一人じゃなんとも言えないしな」
「はっきりなさい!」
「今はまだ無理だ。ただ、その辺は掛け合ってみるよ。だから、もうしばらく大人しくしててくれないか?」
「まぁ、それなら仕方ありませんわね。ただし! 一刻も早く許可を得るんですわよ!」
「あぁ、約束するよ……だから、俺の願いも聞いてくれよ」
「おーほっほっほ、何を言っておりますの。わたくしたちは何時でも優雅で清楚で大人しいではありませんの」
「…………」
「なんですの? その顔は」
 袁紹の言葉に異議ありというのが顔に出たのか、一刀は袁紹に訝るように睨まれる。
「い、いや、何でもない」
「……まぁ、いいですわ。許可をお待ちしておりますわ。それでは部屋に戻るとしますわよ二人とも。ほら、華雄さんもいらっしゃいな!」
「…………あぁ」
 再びくらい表情で袁紹について行く華雄に頑張れと心の中で声援を送っている一刀の元へ顔良が近づいてくる。
「あの、わがまま言ってすみませんでした」
「いや、俺も外出とかはどうにかしないとなとは思ってたからね。気にしなくていいよ」
「ありがとうございます。北郷さん」
 そう言ってにっこり微笑むと顔良は袁紹たちの後を追おうとする。が、すぐに立ち止まり一刀の方を振り返る。
「あの、私のことは斗詩って呼んでください」
「いいのか?」
「えぇ、真名を預けるに値する方だと思ったので。それじゃあ、失礼しますね。ご主人様……ふふ」
 柔らかな笑みを浮かべると顔良は今度こそ立ち去った。
 その後ろ姿を見送りながら、一刀は思わず呟いた。
「へぇ……顔良じゃなかった、斗詩ってあぁいう娘なのか……」
 かつての世界で一刀が直接的な関わりのなかった数少ない人物の一人である顔良とのやり取り。それが一刀に不思議な新鮮さを覚えさせた。
「さて、俺も部屋にでも戻ってみるかな……」
 恐らく一度は探されているだろうし、と探索者の裏をかけるだろうと思いながら一刀は自室へと戻ろうと一歩踏み出した瞬間、
「あっ、いたぁー!」
「一刀見っけ!」
「ふ、二人ともそんな大声で……」
 一刀は新たな集団に出くわした。
「おいおい、まじかよ……」
 ありえないほどの遭遇率に一刀は思わず頭を抱えた。
「ちょっと、一刀!」
「は、はい、なんでしょう……」
「一刀がいない間の公演はいつも以上にやることがあって大変だったんだから!」
「そうそう、ちーちゃんたら時間があれば一刀がいないからってもう大変で――」
「それは天和姉さんもじゃ……」
「ちょ、お姉ちゃん! っていうか、人和! あんただってそうでしょ!」
「ちょっとちぃ姉さん!」
 互いに暴露し合いぎゃあぎゃあと騒ぎ出す三人。
 一刀はすっかりと蚊帳の外だった。
「そ、そうだ今のうちに……」
 そろりそろりとその場をあとにしようとするが三人に強めに名前を呼ばれ、歩を止めざるをえなかった。
「まぁ、何にせよ一刀には不在の間にわたしたちがどれだけ頑張ったか」
「そして、ちぃたちが成長したか」
「稽古場でみてもらいます」
「ちょ、ちょっと待っ――」
 三人に躰のあちこちを掴まれて引きずられながら一刀はあることを思った。
(なんか、こんなこと少し前にあったような……というか俺の自由は今何処!?)


 しばらく引きずられ稽古場へと連れてこられた一刀は舞台の前に座っていた。
「なんだかんだで楽しみではあるかな」
 気がつけば一刀の胸が躍っている。そんな自分をおかしいと思い笑みを浮かべかけるのを一刀が堪えていると。
 三人が現れる。
「ほぅ……公演用の衣装か。本格的だな」
「それじゃあ、楽しんでね!」
「ちぃへのかけ声わすれないでね!」
「一刀さんのためだけの公演です」
 そう言うと、三人が歌い始める。
 三人の美声は重なり合い旋律へと昇華していく。
「…………」
 一刀は思わず声を失う。とても稽古程度のものではなかった。本当に一刀のために公演を行っているのではと思える程、一刀の心へ染みこんでくる唄、そして常景。
 お世辞にも立派とは言えない舞台が、三人の華やかさやその纏う雰囲気で輝いて見えていた。
 それからたった一人の観客のための数え役萬☆姉妹の公演は延々続いた。


 そして、小さくも素敵な公演が終わりやりきった表情の三人へお茶を渡す。
「お疲れ様。凄かったぞ。なんか心が震えた」
「やったー! 大成功!」
「でも、ちぃへのかけ声が無かったー!」
「まぁ、それは今後でいいじゃない」
 不満そうに頬を膨らませる地和を人和が宥める。
 その様子に苦笑を浮かべつつ一刀は弁明する。
「いや、感動して声が出なかったんだよ。今度、機会があったら気をつけるよ」
「じゃあ、今度は大陸で一番になった時かな?」
「ふふん、ちぃたちならあっという間よそんなの!」
「というわけで、ちゃんと覚悟してくださいね。一刀さん」
「はは……楽しみしてるよ。それじゃあ、俺はこれで」
 未だ名残惜しそうにしている三人に別れを告げ一刀は歩き出した。


 一刀は自室へ戻るとすぐに寝台に倒れ込んだ。
「つ、疲れた……」
 寝台に躰を倒したまま一刀は一日を振り返る。色んな事があってめまぐるしい一日だったと一刀は思った。そして、同時にそんな日々を過ごせる幸せを噛みしめていた。
「本当に俺はここにいられるんだな……」
 一刀は目頭が熱くなるの感じた。こんな賑やかであり、穏やかな日はもう来ないと一刀は思っていた。
 だが、一刀の手からそんな日々が離れることはなかった。
 もう、それから数日たったが未だに日々への想いが一刀の胸の中で溢れかえっていた。そして、この何気ない日常を、そしてもう完全に大切な存在となった者たちへの愛おしさが一刀の中で大きくなっていた。
(あぁ、もうここから離れる事なんて考えられなくなってるな……)
 そして、そこまで強く想うようになったのは一度喪失の危機に瀕したことでだろう。と一刀が自らの心について考え始めたところで部屋の扉を軽く叩いている音がした。
「ん? 誰だろう……まさか、星じゃないよな……」
 恐る恐る扉へ近づき聞き耳を立てると、会話が聞こえる。
「ねぇ、月。やっぱりいないんじゃないの?」
「うぅん……そうなのかなぁ?」
 訪問者が恐れている相手でないとわかり一刀はすぐに招き入れる。
「よう、二人とも」
「なんだ、いたの」
「詠ちゃん……」
「冗談よ、冗談」
「もう……それでですね主人様、これから詠ちゃんとお茶する予定なんですけどご一緒にどうですか?」
「そうだな……お邪魔させて貰おうかな」
 そう言うと、一刀は二人に続いて部屋を出た。
「それじゃあ、先に行ってるので詠ちゃんと一緒に来てください。
「あぁ、わかったよ」
「月、それならボクも」
「詠ちゃんはご主人様をお願い」
「…………しょうがないわね」
 ため息混じりにそう答える詠を微笑まし気に見つめ、くすりと笑うと月は部屋へと駆けていった。
「さて、のんびり行くかな」
「……そうそう、月に感謝しなさいよ」
「ん?」
「あんた、こっちに帰ってきてからみんなにもみくちゃにされたり、あちこち走り回ったり馬鹿みたいに疲労を積み重ねてたでしょ。あの娘はそれを見かねて疲れを癒してあげたいってあんたを誘ったのよ」
「そ、そうだったのか……」
「それにね、あんたが霞や星の躰に鼻の下伸ばしてる間に月はわざわざ疲労回復効果のあるお茶を買うためだけに出かけたりしてたのよ」
「そっか……あとでお礼を言わないとな」
「そうよ。忘れるんじゃないわよ」
「あぁ、そうだな。それじゃあ忘れないうちに」
 そこまで言うと、一刀は詠の顔をじっと見つめた。対する詠は何だといった様子で一刀を見ている。
「詠もありがとうな」
「な、別にボクは関係ないわよ! 月がって言ってるでしょ!」
「はは、その月の提案に賛成したんだろ?」
「う……それは、だって月がしたいっていうんだからしょうがないじゃない」
「それに、俺の代わりに白蓮の手伝いもしてくれたんだろ?」
「な、なんでそれをあんたが知ってるのよ!」
「くくっ……そうか、やっぱりそうだったか」
「な、なによ?」
 思わず吹き出した一刀を詠が訝しげに睨んでくる。それに対して、ごめんと一言謝ると一刀は咳払いをして改めて口を開いた。
「いや、俺が白蓮の補助を出来ないときに代わりを務めるに値するのは誰かなって考えたときに俺が真っ先に思いつくのが詠だったんだ。それでちょっとカマかけてみたんだが……やっぱり俺の思った通りだったんだな。改めて言わせて貰うよ。ありがとう詠」
「…………」
 自信満々にそう種明かしをするが詠は口を開けたままポカンとしていた。
 そのまま、一刀が様子をうかがっていると詠は顔を真っ赤にし、その切れ長の眼を一層鋭くして一刀を睨み付けてきた。
「あ、あんた嵌めたわね!」
「お、おい、詠」
「もう……なんであんたはいつも予想の範疇を超えたことをしてボクを……はぁ」
「え、詠?」
「もういいわよ……それより、月が待ちくたびれちゃうからさっさと行く!」
「い、痛てて、わ、わかったから背中を蹴らないでくれよ……」
 一刀が抗議の声を上げるが顔を真っ赤にした詠の耳には届いていないのか部屋につくまで蹴りが止むことはなかった。
「遅かったですねご主人さ……ま?」
「ま、待たせたな……月」
「ふん!」
 部屋の扉を月に開けてもらうやいなや詠がズンズンと奥へと進んでいく。
 一刀は、その後を腰をさすりながらよろよろと歩く。月が支えてくれているのが一刀にはありがたかった。
「また詠ちゃんが何かしたんですか?」
「いや、今回は全部俺に原因があるんだ。だから詠には何も言わないでくれ」
「ご主人様がそう仰るなら……そうしますけど」
「悪いな、月。それと、気を遣ってくれたんだって?」
「え? もしかして詠ちゃん言っちゃったの?」
 一刀の言葉に月は可愛らしいクリッとした眼を見開き詠の方を凝視する。
「ダメよ月、こいつは言わないとわからないんだから」
「でも――」
「いいんだ、月。詠が言ってくれなきゃ俺も気づかなかっただろうしな。本当にありがとう、月」
 そう言って月に笑いかけると、一刀は自分の躰を支えてくれている月の頭を大切なものを扱うように優しく撫でた。
「へぅ〜」
「あんたねぇ……月に対してまで鼻の下伸ばしてるんじゃないわよ!」
「べ、別に伸ばして何て居ないだろ!」
 自分からすればいわれもない言葉に、一刀は思わず詠の方へ歩み寄った。
「え!? ご主人様にとって私ってやっぱり魅力無いのかなぁ……」
 いつの間にか席に着いた月が机の上に指でのの字を書いていた。
「あんたねぇ!」
「俺? 悪いの俺?」
「あんた以外にいるかぁ!」
「ぐはっ!」
 無実の罪人のように狼狽えている一刀に詠のその日何発目になるかわからない蹴りが放たれた。


 結局、一刀が口にお茶を含むことができたのはかなり後のことで、その時には癒しのお茶会に出席したはずが心身共にズタボロになっていて、口に含んだお茶が何故かしょっぱかったのだが、それは一刀だけの秘密である。
 そんな状態から始まったお茶会だったが、終わる頃には一刀もすっかり元気を取り戻していた。
 そして、そのことも含め改めて月と詠に例を言って一刀は部屋を後にした。
「さて、もう夜も遅いしそろそろ寝るか――ってあれは?」
 自室付近へ戻った一刀は扉の前に人影がいるのを見つけた。
「おぉ、戻ったか一刀」
「俺に何か用でもあったのか、白蓮」
「ん、まぁな……少し一刀と語らいたいなぁ、なんて思ってな」
「なら、どうする? 部屋で話すか?」
「いや、ちょっとついて来て欲しい」
「わかった」
 それだけのやり取りの後はとくに喋ることもなく二人は目的地へと向かった。


 そこは、かつて一刀が貂蝉から消滅について聞かされ、それを白蓮が聞いてしまった場所だった。
「ここでいいだろう」
「それで? 何か話したいことがあるんだろ?」
「ん、んぅ……そのだな……なぁ、一刀は夢ってどう思う?」
「夢?」
「あぁ、実は易京でお前の部屋へ押し入る前にな。奇妙な夢を見たんだ」
 月の光に白蓮の顔が照らされ透き通っている。そんな姿に見惚れながら一刀は白蓮の話を聞いていた。
 だが、白蓮の声の質が彼女の放っている柔らかな雰囲気とは異なり真剣なものとなっていることに気づき一刀は気持ちを切り替えた。
「不思議な夢だった。あの河原らしき場所でお前が消えてしまう夢だった」
「随分縁起悪い夢だな……でも、その通りにならなくてよかった」
「まぁ、そうだな。そして、その次が不自然というかやっぱり妙な、としか言いようのない夢なんだ」
「妙な夢?」
「あぁ、何故か易京の一室で炎に包まれていたんだ……しかも有るはずのない記憶があったんだ……袁紹軍に敗北したというな」
「!?」
 白蓮の告白に一刀の鼓動が一層大きくなり心臓を突き破れるのではないかと思える程に一刀の胸が苦しくなる。
「しかもだ……自分のことを"俺"って言ってるわ、一刀のことを北郷と呼んでるわでおかしいところだらけだったんだ……」
「…………」
 一刀には何も言えなかった。正直なところ心当たりがありすぎるからだ。
「で、結局その夢の中で私は死に、お前と離ればなれとなった……一体何なんだろうなこの夢は」
「それはもしかしたら別のどこかで白蓮が経験したことなのかもな」
「別のどこか?」
「あぁ、俺たちの今いるこの世界とは別のところで白蓮が経験したことが夢っていう媒体を通して伝わったんじゃないか?」
「うぅむ……確かに妙に生々しかったし、今も躰に感覚が残ってる感じがするからな……その考えもありえるのかもしれんな」
「でも、今白蓮は俺の隣にいる。それでいいと思うよ、俺は」
 そう言って、一刀は白蓮を安心させるように笑みを作った。動揺しっぱなしの内面を隠しながら。
「そうだな……しかし、お前の隣にこうやっていられるようになるまで随分と時間が掛かった気がするな」
「はは、それは言えてるな。俺たちが初めて出会ったあの時から桃香たちとの出会い、黄巾の乱の勃発、反董卓連合の結成、そして、界橋から易京へと続いた戦い。色んな事があったな……」
「それだけじゃない。お前の消滅問題もあった。今思い出しても躰が震えるぞ」
 そう言うと白蓮が一刀の腕を抱きしめるように抱える。
「でも、そんな沢山の出来事を乗り越え俺たちは今、共にいる。これは凄いことなのかもな……」
「そう……だな」
 肩に頭を乗せて瞼を閉じる白蓮に笑みを零し、一刀は静かに空を見上げた。
「おや、これはお邪魔でしたかな?」
「二人でどこに行くんかと思って後をついて来たんやけど……あかんかったかな?」
「うわぁ、せ、星!」
「霞っ、お、お前ら!?」
 いつの間にか背後にいた二人に、一刀の心臓が飛び跳ねた。それは白蓮も同じだったようでまるで鯉のように口をパクパクと開けながら二人を交互に指さしている。
「なはは、ウチらも混ぜてぇーな」
「主、今度こそ……」
「結局こうなるのな……ははは」
 なんだか楽しくなり、一刀は笑う。
「それじゃあ、とりあえず城にもどろう。みんな一緒の方が良いだろうからな」
「それもそうやな。ほな、いこか」
 霞が一刀の左腕にしがみつく。
「うむ、やはり酒は楽しく呑まなくては」
 星が空いている右腕に自分の腕を絡ませる。


「はっ! あ、あれ?」
 三人がその場を後にしてからしばらくして白蓮はようやく正気に戻った。
 そして、あたりに誰もいないことに気づくと、思いっきり空気を吸い込み、腹に力を込めて空に向けて解き放った。
「なんでこうなるんだぁー!」
 既に三人の姿も無くなり、一人残された白蓮の悲壮感溢れる慟哭が月夜を虚しく舞うのだった。




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(頂いた助言への返答) 

 メールフォームへ送って頂いたメッセージの中で返答すべきものがあったので、この場で答えさせて頂きます。
「(前略)SSの中で横文字を使った方がより表現の幅が広がると思うのだが、使ってみてはいかがかな?(後略)」
 というメッセージをくださった方への返答です。

(注意)ここからは個人的な考えが出ます。不快に感じる可能性もあります。

 恋姫無双は三国志の世界が基となっている作品であり、このSSはそれを基軸として書いているわけですから、現代で頻繁に使われる横文字の使用は世界観を崩しかねないと個人的には思うのです。
 例えば、『デジャヴ』なんかも一応横文字ともいえるわけですが、それだったら『既視感』+表現で十分代用できます。
 また、当SSの中では『キック』という単語にしても『ちんきゅーキック』という固有名詞の場合は使いますが基本は『蹴り』と書きますし、『ストレートに〜』よりは『真っ直ぐ〜』と書いています。
 要は、自分で制限をかけているのであえて書いていないわけです。
 初めの頃の一刀主観のみの時なら横文字の使用も考えたと思います。
 ですが、今は一刀一人でなく、出てくるキャラたちに焦点を当てる『三人称多視点』で書いています。
 ですので、ほとんどの登場人物においては知ってるはずのない横文字の使用は違和感を覚えますし(あくまで個人的にです)、一刀を主としているときに使用したらそれはそれで浮いてしまう、というか、他のキャラが主のときの文と合わせると、文章全体の統一性がなくなってしまう気がするのでやはり使用しません。

※ちなみに擬音はカタカナ表記してますが横文字に分類されません。
(ご存知だとは思いますが一応書かせていただきました)

 以上の事から、メッセージへの返答は
「申し訳ありませんが、個人的価値観により使用は控えさせて頂きます。ただ、また何か助言があった際には遠慮無く伝えて頂けると嬉しいです」
とさせて頂きます。

 これでどうにか納得して頂けることを願っております。




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整形版はここからです。


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 「無じる真√N26」




 徐州――郯城。そこは劉備軍の本拠地である。
 それは、本来の本拠予定地であった下邳を呂布に抑えられてしまったがために劉備軍が
やむを得ず郯城を本拠としたからであった。
 そんな劉備軍の元へ、公孫賛軍と袁紹の冀州を懸けた戦いに関するもの、そしてその戦
いに乗じて袁術が下邳へと侵攻したという報告が届く。
 劉備軍は、それらの報を受けるやいなや中枢を担う者たちを玉座の間へと集めすぐさま
軍議を開いたのだった。
 自分たちの治めている徐州の一部を袁術にとられたとあって張り詰めた空気が場を支配
していた。そんな中、人一倍ピリピリと神経を尖らせている人物がいた。
「やはり呂布が下邳城を不当に占拠した際に、奴を討って下邳を取り戻しておくべきだっ
たんです!」
 愛紗は、そういって切れ長の眼を一層細め、鋭い視線を桃香へと向けた。
「うっ……で、でも……特に暴れたりあの辺りに住んでる人たちに何か迷惑をかけたりし
てたわけでもなかったんだし……」
「桃香様は甘すぎるんです! だから、今だって――」
「愛紗さん! もう……過ぎてしまったことですから」
「あ、あぁ……すまぬ。つい熱くなってしまった。申し訳ありません桃香様」
 強めに放たれた朱里の宥めるような言葉に愛紗は我に返り桃香へ頭を下げる。
 桃香は悲しそうな顔をしている。
 そう、この桃香という人は他者を思いやる心の広い人物なのだ。愛紗はそれを知ってい
ながらつい責めるようにキツイ言葉をぶつけた自分を叱咤したい気持ちに駆られる。
 そんな愛紗に桃香が申し訳なさそうに声を掛けてくる。
「ごめんね。わたしがそのままにしておこうって言ったばっかりに……」
「い、いえ……私が言いすぎました。優しいお心を持っているというのが桃香さまの良き
ところの一つなのだと知っていたのにもかかわらず私は…………誠に申し訳ありませんで
した桃香さま」
「それよりも、袁術なのだ!」
「確かに……今はそれが問題です」
 愛紗と桃香の会話を遮るように大声を発する怒り心頭な様子の鈴々に続いて雛里が意見
を述べた。
「まず現状の確認をしっかりと行うべきだと思います」
「うん、そうだね。それじゃあ、まとめ役をお願いできるかな、二人とも?」
 そう言って、桃香は朱里と雛里を見る。その視線に頷くと、雛里が代表して現状につい
て語り始める。
「現在、袁術軍は呂布さんの留守をついて下邳城を落としました。また、その袁術軍とい
えば私たちとは比べもにならない程の勢力をその手に有しています」
「うむ、確かにその通りだな……とはいえ、袁術が一部とは言えこの徐州で好き勝手する
のをただ黙って見ているわけにもいかぬのではないか?」
「そうなのだ! 袁術なんてコテンパンにしてやるのだ!」
「い、いえ……その」
 雛里の説明を聞いて意気込む愛紗と鈴々。
 その様子にたじろぎ言いよどむ雛里に変わって朱里が語り始める。
「愛紗さん、鈴々ちゃん、それに桃香さまもよく聞いてください」
 念を押すように三人のなを呼ぶ朱里に視線が注がれる。
「袁術さんにこの徐州の一部を奪われた。実は、このことが非常にやっかいな事態を引き
起こしているんです」
「やっかいな事態って?」
「この徐州の有力な豪族の方たち……そのうちの一部が既に袁術さん側にまわり始めてい
ます」
「なっ、それは本当なのか朱里!」
 愛紗もこの徐州を治める上で豪族たちとの共和がいかに重要であるかは桃香や軍師二人
の護衛として交渉に付き添っていたためよく分かっていた。
「残念ながら……わたしたちよりも袁術さんの方が力はありますから……豪族の方たちが
移るのも仕方がないんです」
 俯いてそう呟く朱里を見ながら愛紗は思う。やはり豪族などあてにならないと。彼らは
より優勢な方へと流れていこうとするのだ。
 事実、一度呂布が下邳を占拠したときだって彼女たちに取り入ろうとした者がいたとい
う情報があったのだ。
「たぬき豪族どもめ……あやつらには義や侠というものはないのか!」
「まったくなのだ!」
 愛紗の怒りの声に鈴々が同調する。やはり義理とは言え姉妹か……そんなことが愛紗の
頭を過ぎる。
 と、愛紗と鈴々が怒り心頭に発していると雛里が口を開いた。
「でも……やっぱりしょうがないと思います。この時勢、みんな何とか生きようとしてる
んですから……」
 その言葉に、愛紗の怒りが僅かに収まる。
 そう、何が悪いのかと言えばやはり世の乱れなのだ。そして、それをどうにかしようと
桃香や鈴々と共に立ち上がった。そのことが愛紗の脳裏に思い浮かぶ。
「すまぬな。二人とも説明を続けてくれ」
「はい。豪族の方たちから袁術さんにつく人が現れたのとは反対に、一層桃香さまの側に
つく人も出てきています」
 愛紗は一層朱里の言葉に耳を傾ける。それは桃香も同じらしく、朱里の言葉に目を見開
いて食い入るように見つめている。。
「えっ、それ本当なの?」
「やはり袁術さんに関してはあまり評判が良くないようで……豪族の中にも袁術さんにつ
いた後の身の振り方が難しいかもしれないと考えている人がいるみたいなんです」
「成る程。それならば、桃香さまについた方が賢明な判断だということか……」
「えぇ、桃香さまは民衆の支持を得ていますから、こちらへつけば自分のいる地域で民と
諍い争うような真似をしなくて済むわけですから」
 愛紗は朱里の説明に深く頷く。朱里や雛里の考えは聞けば聞くほど奥がある……この二
人なくして劉備軍の飛躍はなかったであろうとすら愛紗は思った。
「でも、それなら鈴々たちはどうするのだ?」
「そうだね……やっぱり、今できることって言ったら多分限られると思うし……どうする
べきかな?」
 小首を傾げながら鈴々が口にした疑問を受けて桃香が朱里と雛里へと尋ねる。その顔は
眉を曇らせており、それが愛紗の胸を痛める。
 大陸に住まう民の笑顔を取り戻すなどと大言を吐きながら、己の君主の顔すら曇らせた
ままで笑顔を取り戻すことすら出来ない……愛紗にはそんな自分が不甲斐なく思えて仕方
がなかった。
 そう、護りたいと思った人を護れなかった……それほど悔しいことはないのだ。そう愛
紗が思った時、鈴々が驚いた様子で大声をあげた。
「あ、愛紗!? な、何してるのだ!」
「えっ? あ、愛紗ちゃん!」
 鈴々の声につられるように桃香たちが愛紗の方へと視線を向けるのと同時に三人の顔が
驚愕の色に染められている。
「どうかしましたか?」
「ど、どうかしましたか、じゃないよ愛紗ちゃん! その手!」
「手、ですか? ……えっ、こ、これは!?」
 桃香に促されて自らの手へと視線を落とす愛紗。いつの間にか握りしめていた手、その
拳となった手、その指が掌に爪を食い込ませ血を流していた。
「と、とにかく手当、手当てしないと!」
「は、はわわ、救急道具持ってきます!」
「あわわ……わ、わたしも行ってきます」
 動揺も露わに二人は玉座の間を飛び出していった。
「はうっ!」
「あうっ!」
 外から何かが転倒した音と共に奇声が聞こえたが確かめることなど愛紗には出来なかっ
た。なにせ、桃香がしっかりと愛紗の手を握っているのだから。
「ほら、動いちゃダメだよ」
「まったく、愛紗は何をやっているのだ……」
 手にした布でそっと愛紗の血を拭う桃香と訝るように愛紗を見る鈴々。
 そんな二人に思わず愛紗は口ごもってしまう。
 そして、愛紗の手がすっかり拭いきられて彼女の掌を染めていた赤が殆ど消えたところ
で朱里と雛里が戻ってきた。
 二人から、薬箱を受け取ると桃香が愛紗の手当をしてくれた。
「本当に申し訳ありませんでした桃香さま……」
「ううんいいの。それよりも一体どうしたの?」
「いえ、何でもありません……少々興奮しすぎたようです」
 伏し目がちに桃香から顔を逸らすと、愛紗は処置を施された手をそっと引っ込めた。
「愛紗ちゃん……もし、何かあるんだったら言ってね。わたしお姉ちゃんなんだから」
「そうですね……話を聞いて頂きたいときには必ず……」
 それだけ言うと愛紗は再び定位置へと戻った。
 桃香に言えるはずがない。愛紗自身どうしてそこまで心を昂ぶらせてしまったのか分か
らないのだから……。
「さて、少々騒がせてしまいすまない。さぁ、話を続けましょう桃香さま」
「……うん」
 何かまだ言いたそうな顔をしながらも桃香が頷く。そして、それぞれが定位置へとつく
と、朱里と雛里が再び場のしきり役へと戻った。
「そうですね……それじゃあ、今後の方針についてわたしと雛里ちゃんの考えを申し上げ
ます。雛里ちゃん」
「……うん。えぇと、今この徐州の下邳城、そして下邳群はほぼ完全に袁術軍に抑えられ
てしまいました。そして、豪族たちの一部が袁術さんに同調をしている、というところま
で話しました」
「うむ、そうだな」
「そして、桃香さまにつこうとしている勢力もあるとも言いました。その人たちが求める
のが民衆の安定です。なら、私たちがするべきは領地の政をしっかりとこなすことだと思
います」
「でも、それだといつかは袁術にやられちゃうんじゃないのか?」
「確かに、鈴々ちゃんの言うことも分かります。ですから、雛里ちゃんが言ったようによ
り一層の善政を心がけることで、民衆の心を掴み、やがてくる袁術さんとの戦いにおいて
力を借してもらおうと思うんです」
「うぅん、それってつまりはじめから利益目当てでやるってことなんだよね?」
 朱里の補足に桃香の顔が曇る。その様子を見ながら愛紗は、やはりどこまでもお人好し
で優しいお方だと、何度も頷いた。
「そうですね……最終的にはそうなると思います。でも、それはきっと民の誰もが望むこ
とだと思うんです」
「みんなが望む?」
「はい、わたしや雛里ちゃん、そして鈴々ちゃんや愛紗ちゃんのように桃香さまのためな
ら頑張れるっていう人がたくさんいるんです」
「え? そうなの……?」
 桃香が驚いた顔のまま愛紗の方を向くので、愛紗はただ黙って首を縦に振る。
「そうなんだ……でも、やっぱり出来れば力を借りるのは避けたいかな……」
「桃香様はお優しいんですね」
「ありがとう、雛里ちゃん。でも、きっとわたしだけじゃないと思うこういう考えを持つ
人って」
 雛里の言葉に笑顔で応えながら桃香が窓へと視線を向けた。愛紗はその先に、例の天の
御使いの姿があるように思えた。
「そうですね……桃香さまがそう望むのでしたら、他の考えも一応話しておいたほうがい
いかもしれませんね。一つ考えているのは、先日袁紹軍をうち破って袁紹さんの領地であ
った冀州を治めることでその勢力をさらに強めている公孫賛さんに力を借りるということ
です。もしかしたら可能かもしれませんし……一応考えには入れてあるんですけど」
 朱里の案に腕組みをして考え込む桃香。
「うーん、白蓮ちゃん……かぁ」
「どうでしょう桃香さま?」
「でもさ、白蓮ちゃんが袁紹さんの軍に攻められたときわたしたち何もしなかったんだよ
……そんなわたしたちに手を差し伸べてくれるかなぁ?」
「大丈夫です桃香さま! あの方ならば必ずや我らを助けてくださるに違いありません」
 気がつけば愛紗は、一際大きな声でそう断言していた。言われた桃香が困惑の表情を浮
かべている。
「え? えぇと……」
「もしかして、お兄ちゃんのことなのか?」
「あぁ、どうだ? そうは思わぬか鈴々?」
「にゃー、お兄ちゃんならやりかねないのだ……にゃはは」
 にぱっと表情を明るくすると鈴々は愉快そうに笑い出した。
「一刀さんかぁ……どうだろう……」
「ふふ、ならこう言えばわかりますか? 桃香さまがその立場でした場合どうなさいます
か?」
「え? それはもちろん何とかして助けようと……って、あれ?」
 自分で言ったことに首を傾げる桃香。その姿に苦笑を漏らしつつ愛紗は説明をする。
「あの方は、桃香さまと似た感性をもっています。ですから、桃香さまがそう思うように
あの方もそう思うことでしょう」
「ほぇ〜、愛紗ちゃんは一刀さんのことよく分かるんだねぇ」
「え? い、いやその……」
 感心したような見つめてくる桃香に愛紗は僅かに後ずさる。
「そうですね。助けに来ると断言したときの愛紗さん、確かに凄い自信に満ちあふれてい
ましたもんね」
「しゅ、朱里!」
「にゃー愛紗の顔が真っ赤っかなのだ!」
「あわわ……も、もしかして愛紗さん……」
 余計な一言を言う朱里を嗜める愛紗を鈴々が嬉しそうな笑顔でからかってくる。
 さらに、何を勘違いしたのか顔を赤らめる雛里。愛紗は、思わずため息を漏らした。
「はぁ……困ったものだ」
 賑やかになる周りを余所に、愛紗はそう呟いた。
 同時に愛紗は、先程の自分の行動について考えを巡らせ首を傾げる。先程、愛紗は思わ
ず強めに発言した、そして、その原因はここ数日見始める妙な夢にあったと気づく。
(……ご主人様、か)
 愛紗は、そう心の中で呟く。その言葉の指す存在こそが愛紗をおかしくしているのだ。
 そのご主人様という人物が愛紗の夢に度々出てくるのだ。本来の主である桃香を差し置
いて……。ただ、その人物の姿は光に包まれ何故か見えない。それでも、そのご主人様の
隣にいるだけで愛紗の胸が不思議と暖かい気持ちで一杯になれたのは確かだった。
 そして、先程の発言とそのご主人様との関連こそが重要なのだと愛紗は思っている。
 先程、公孫賛軍の話が出たときに愛紗の中でまっさきに浮かんだのが天の御使いと民た
ちから称されている人物だった。そして、天の御使いの心象と愛紗の中のご主人様の影が
不思議なことに重なって思えたのだ。
 だからこそ、思わず断言してしまった……のだが、それを他人に言えるわけもなく愛紗
は一人不思議な想いをその胸にしまい込んだ。
 そして、未だにきゃあきゃあと盛り上がる面々に渇をいれる。
「いい加減、落ち着かぬか!」
 愛紗が、腹に力を込めてそう叫ぶとその場の空気がぴたりと止まる。
「ちょ、ちょっとふざけすぎたね。ごめんね愛紗ちゃん」
「まったく……話を脱線させないでいただきたい」
「……おほん。では、話を戻してって……もう何度も言ってますが、もう一度言わせても
らいます。先程の話に戻りますが、実際のところ北郷さんがどういった方なのか余り関わ
りのないわたしたちには、風評を中心としてしか判断できませんので何とも言えません」
 朱里が冷静に情況を分析したうえでそう告げる。夢や感情を元に発した愛紗の言葉とは
まさに正反対のものだった。
「ですが、わたしも愛紗さんと同じで助けてくれないとは断定出来ないと思います」
「どうしてかな?」
「先程、桃香さまは助けに行かなかったと仰いましたが、実際には公孫賛さんの軍と袁紹
さんの軍が対立し、開戦したことをわたしたちが知ったの自体が遅く、むしろ行けなかっ
ただけですから」
「そっか、そうなのかなぁ……」
「恐らくはそうかと。ですので、見捨てたから仕返しとして助けてくれないということは
無いと思います」
 朱里の説明に愛紗も鈴々も、そして桃香ですらなるほど、と頷いていた。
「ただ、朱里ちゃんの説明を間違えて捕らえないでください。桃香様の危惧通りの理由で
助けてくれないという可能性がないというだけで、必ずしも助けてくれるというわけでは
ありません」
「そうだね。二人の言うとおりなんだよね」
 雛里の言葉に桃香が深く頷く。現実をかみしめるように。
「今申し上げたとおり、必ずしもうまくいくとは限りません。ですので最初は言うのをた
めらってしまったんです」
「あまり……良い考えじゃなくてすみません」
「そっか、それでも言ってくれてありがとう二人とも。今後も遠慮せずに言ってね。その
方が嬉しいし、わたしたちの軍、ひいてはわたしたちが護るべき人たちのためにもなるん
だから。ね」
 おずおずと説明の締めをする朱里と雛里に桃香は明るく答え、二人に向かって片目をぱ
ちんと瞬かせた。
 その様子を見ながら愛紗は、相変わらず臣下に甘く……いや、優しくてそれでいて臣下
を全力で頼りにするお人だ、と思い口元をほころばせた。




 『公孫賛軍、袁紹軍を破る!』
 その報は、現在兗州を本拠としている曹操軍にも当然届いていた。
「麗羽が公孫賛に破られた……ねぇ、桂花。あなたはどう思う?」
「そうですね……袁紹が勝てば単純で馬鹿だからどう行動するかは読めたのですが……公
孫賛の場合はどう行動するか、イマイチ判断しかねます」
 曹操の言葉に、猫耳のようなものがついた頭巾風の帽子に頭をゆったりと覆われている
少女――桂花と呼ばれた彼女――もとい荀ケはそう答えた。
「確かに……麗羽が勝ったのなら、自分をより尊大に見せようとするでしょうから領土拡
大を優先してこちらへ攻めてくる可能性があったでしょうね」
「えぇ、それに比べて公孫賛は至って普通の凡人としか思えません。ですので、余計に袁
紹に破られるものと思っていたんですが……それは覆されました。それと、さらにやっか
いなことに公孫賛には、その印象が残りにくいという点があることです。現に、そのため
に少々、警戒するべき相手として考えるのを忘れかけてしまっていましたし……」
「そうね……公孫賛にはこの乱世を生き残るだけの資質を持ち合わせているようには見え
なかったものね」
 荀ケの言葉に頷きながら、曹操は心の中で一言付け加える。ただ、公孫賛の傍らにいた
天の御使いと呼ばれる男、北郷一刀は公孫賛が持たない資質を備えているのだろう、と。
「……しかし、公孫賛自身にはソレが感じられませんが、彼女を支えているという男がど
うも私は気になります」
「それは、どのようにかしら?」
 内心、荀ケが同じような考えを持っていることに驚きつつ曹操は更に詳しく尋ねる。
「以前より放っていた間者に収集させた各勢力の情報、その中の公孫賛軍に関するものを
元に愚考を巡らしたうえでの私の所見ですが」
「えぇ」
「その男は、少なくとも反董卓連合の頃から公孫賛軍の兵力増強に努めていたように見え
ました。そして、その食指は董卓軍の将たちへも伸び、ついには董卓軍の多くをその掌中
におさめたとも聞いていますし」
「そうらしいわね」
 曹操自身も、その情報を初めて手にしたときは僅かな驚愕とそれを大きく上回る納得が
その胸中を占めたものだった。
 故に荀ケの考えも理解していた。
「そうして戦力を強めるという、袁紹軍をうち破った理由の一つと思われること、そして
劉備が治めている徐州に居座っていた呂布をも味方に引き入れたという袁紹軍との戦いを
左右することとなった決定的な点、その両方にその男が関わっていたという情報もありま
したので、その男はこの群雄が割拠する世の中を上手く生き延びるだけの何かを秘めてい
る。というのが私が愚考した結果です」
「そう……他にはないのかしら?」
「え?」
 曹操は自分が抱くナニカを荀ケも何気なく尋ねてみるが、荀ケは僅かに目を瞬かせ、訝
るような視線を曹操へと向けた。
「いえ……何もないなら別にかまわないわ」
「華琳さま?」
「何でもないわ。それよりも豫州攻略はどうなの?」
「はい、黄邵、劉辟、何儀らを破り西部を制圧したことを皮切りに徐々に支配地域を増や
していき、ついには豫州制圧に成功したとのことです」
「そう……それで他は?」
「は、我が軍が徐州の制圧を行っているのと同時期に袁術が徐州南部の下邳を制圧したと
のことです。どうやら、先に支配してた呂布が劉備になんらかの対処をされる前に動いた
のが原因のようです」
「劉備はその甘さによって自らの首を絞めたという訳ね……」
 呆れた口調でそう呟く曹操。劉備という人間を見た時、曹操は甘いと思った。
 そして、劉備がなかなかの資質を秘めているとも感じた。だからこそ、余計に曹操には
不愉快な存在だった。
 劉備という個人を見るならその甘さも美点に思える。また、曹操も個人としては嫌いで
はなかった。だが、世に覇を唱えんとする群雄の一人となろうとしている存在としてはな
っていない、曹操が感じたもう一つの劉備の評価がそれだ。
 大層な理想を掲げているらしいとのことを曹操も耳にしたことがあった。
 だが、その理想がまさに劉備の甘さを際立たせている。そして、ずっと現実のみを見据
え続けている曹操からすれば、その理想を追い求めすぎている劉備という存在が腹立たし
く思えたのだ。
 そんなことを思い、劉備の甘さに呆れの感情を込めたため息を吐き気分を切り替える。
「それで、他の情勢は?」
「はい、徐州の下邳群を手にした袁術は更にその領土を広げようと南への侵攻も視野に入
れているらしいとの情報も届いています。また、朝廷にも動きがあったようです。放って
いた間者の話によると、どうやら王允が帝に変わり指揮を執っているそうで連合軍が行っ
た復旧だけではその景観を復興できなかった洛陽を副都とし、現在は長安を都としている
そうです」
「何だかひっかかるのよね……」
「やはり、華琳さまもそうお思いになられましたか……」
 曹操が感じる朝廷への違和感、それは先の袁紹軍と公孫賛軍の戦いにあった。
 黄巾の乱を切欠に露出し始めた朝廷の衰退……そんな状態に陥っているのならば、王允
のような人間が自ずとその力を取り戻さんとするはずなのだ
 その絶好の機会が公孫賛軍と袁紹軍の戦いだった。あの戦の仲介を行い両軍を従わせる
ことが出来たのならば、朝廷にはまだ力があると大陸中に知らしめることができたはずな
のだ。
 だが、朝廷はそれを行わなかった……袁紹も公孫賛も未だ朝廷の命に素直に従う可能性
が高かったというのに勅を出すことすらしなかった。
 それが曹操の中に、そして恐らくは荀ケの中にも疑念として残っていたのだ。
「朝廷に何かが起こっている……ということかしら」
「そうかもしれません。朝廷に関しては他にも不穏な情報が入ってきていますし」
「不穏な情報?」
「えぇ、なんでも董卓がその消息を絶ってから今まで、王允をはじめとする朝廷の中心に
いる者たち以外には帝がその姿を見せてはいないらしいんです」
「…………そう。まぁいいわ。ありがとう桂花」
「いえ、それでは報告も終わりましたので……その、華琳さま」
「ふふふ……たっぷり可愛がってあげるわ」
 曹操はそう言うと、頬を上気させながら瞳を潤ませている桂花を近くへと呼び寄せた。
「あぁん、華琳さまぁ!」




 諸侯が様々な動きを見せようとしているとき、寿春を本拠としている袁術はご機嫌その
ものであった。
「下邳も手にして我が軍の力もちゃくちゃくと伸びておるのう、七乃」
「そうですねぇ〜呂布さんと劉備さんの隙を突いて見事横取り、さすがです。よっ、この
小悪党!」
「うははーもっと妾をほめてたもー!」
「その上、孫策さんをうまく言いくるめてあんなものまで手にいれてしまいましたし」
 そう言われ、袁術は兵を集める許可を与えるかわりに孫策より受け取ったモノを思い浮
かべる。
 それは光を放っていた。そしてその様相はそれがまさに高貴な者にふさわしいと存在で
あることを証明していた。
 そんなことを思い出していると、それを自らの傍に置き眺めた時の高揚感が袁術の体中
を駆け巡った。
「うむ、アレは妾にこそふさわしいものなのじゃ。だから、あるべきところへ巡ってきた
ということなのじゃ! うはははー」
「しかも、孫策さんを曲阿へ向けたことで劉繇さん、さらにはその先にいる厳白虎、王郎
といった江東に座している人たちの処理もまかせられますしねぇ。いやー、ほんとお嬢さ
まってばずる賢い!」
「はーっはっはっは、そうであろう、そうであろう! あっはっは!」
「あ、そう言えば」
「む? どうしたのじゃ七乃?」
「いえ、実は最近は言った情報によれば、何でも袁紹さんてば、公孫賛さんにやられちゃ
ったそうですよ」
「なんと!? あの影の薄いやつにか! それは愉快愉快! やはり麗羽などしょせんは妾
腹の子、妾とは格が違うのじゃ。だからあんな影の薄いやつにやられるのじゃあ!」
「うーん、袁紹さんもお嬢さまも本質的には大して変わらないような……」
「何か言ったかの?」
「いえー、やっぱりお嬢さまと袁紹さんじゃ比べものにならないなーなんて言っただけで
すよぉ」
「そうかえ?」
「そうですよぉ、やっぱりお嬢さまこそがこの大陸で一番!」
「あっはっはー! もっと褒めてたも! 妾をたたえてたもー!」
 袁術のご機嫌な笑いが室内の空気を振るわせ続けていた。




 袁術が調子乗っている頃、当の孫策というと曲阿に向かいながら周瑜と自分たちのこの
先のことについて言葉を交わしていた。
「いやー、相変わらず袁術って馬鹿よねぇ。私たちがこれからどうするのか考えもしない
でさらに兵の召集を許すんだから」
「まったくだな。とはいえ、今回はこちらもそれなりの代償を払ったがな」
「あーアレのこと? 別にいいんじゃないあんなの。私は興味ないし」
「それもそうだな。我らの夢は孫呉の復興。そして――」
「私と冥琳、蓮華や小蓮……うぅん、それだけじゃない。孫呉の民や大切なみんなが共に
過ごせる時代を作る……よね?」
 孫策はまだ見ぬ未来へ想いを馳せ、笑みを浮かべる。
「あぁ、そのためにも力をつけねばな」
 ふと、隣を見れば周瑜の顔にも微笑が浮かんでいた。
「そうね。そのための一歩も既に踏み出しているし」
「あぁ。そして、もうすぐ次の一歩がやってくる」
 周瑜がそこまで言ったのと同時に遠くから砂煙をあげながら駆けてくる集団があった。
「あら、以外と速かったわね」
「そうだな。だが、それは私や雪蓮と同じだけ孫呉の復興を願っているのだろう……誰し
もがな」
 それと同時に別の集団が現れる。
 それを見て、孫策は笑みを零す。
「当たり前のことだったわね。ふふ
「まったく、これから私たちを率いていってもらわねばならぬのだから、しっかりして欲
しいものだな」
「わかったわよ。もぅ……冥琳の意地悪」
 唇をとがらしてすねる孫策。
「くく……いや、悪かった。機嫌を損ねないで、雪蓮……くっ……」
「むぅ……にやけながら言っても説得力無いわよ」
 さらに頬をふくらませる孫策。
「い、いや本当に……ぷっ、悪かったと思っている……くくっ、のだが雪蓮の……その顔
がお、おかしくて……あっははは」
「もぅー! 冥琳!」
「ふふ、すまない。ほら、他の隊も集まって来たぞ」
「みたいね。そう言えば、あの子は使えそう?」
「それは呂蒙のことか? それならば、鍛えようによっては文の方もなかなかのものにな
りそうだぞ」
「そう、さて……残りの仲間も揃ってきたし、本格的に考えなきゃね」
「あぁ、我らの孫呉を取り戻そう」
 そして二人は歩み出す、仲間たちの元へ。共に未来へ進むために。




 各地の諸侯がそれぞれの思惑を胸に秘めながら大陸の情況を見定めている頃、北平にあ
る公孫賛軍の城、その中庭の隅で二つの影が何やら口論していた。
 いや、片方がもう片方へと詰め寄っているような形である。
 困惑した様子の片方――貂蝉に対してもう片方の影が睨み付けながら強めの口調で問い
詰める。
「おい、どういう事だ! 俺は消えるんじゃなかったのかよ!」
「そ、その……ちょっとわたしにもわからないの……」
 一刀が攻めるような口調で質問、いや尋問を行うと貂蝉がますます困惑の表情を浮かべ
る。その様子がいささか気になり声量を下げ、口調も和らげて聞き返す。
「わからないだって?」
「えぇ……こんなのはじめてだから……」
「そっか……はじめてだったのか……」
「わたしの知る限りはじめてよ。消えるはずの運命から逃れたのは」
「そうか……」
 貂蝉の言葉を聞きながら先日のことを思い出す一刀。そう、星々の見守る中、白蓮と手
を繋ぎ別れを惜しみながら瞳を閉じたときのことを。
「おかげで……消えると思った後の白蓮との間に流れたヘンな空気を味わう羽目になった
んだぞ!」
 この一刀の言葉は嘘。本当は、消えかけた自分の姿が元に戻ったことに驚き、消えずに
済んだことを理解した瞬間、白蓮と泣きながら抱き合った。
 そして、互いに喜んだ――互いがまだ共にいれるという奇跡を。
 もちろん、そんなこと一刀は口に出来ない。だから嘘をついた。
 そして、それに気づかない貂蝉は眉を八の字にして困り顔をする。
「そんなこと言われてもわたし、困っちゃう……でも、良かったわご主人様が消えずにす
んで。うふふ」
「その不気味な笑みはやめろ。それより、やっぱり俺が消えなかった理由は分からないの
か?」
「そうねぇ、確かなことは言えないけど……外史に携わるものとしては多少の予想は出来
るわね」
「それを聞かせてくれないか?」
「いいわよ……ただ、このことを話すに至って今まで隠していた一つの真実を話さなくち
ゃいけなくなるんだけど……大丈夫?」
 急に真剣な表情になった貂蝉にそう問われ、一刀は僅かに戸惑った。だが、それ以上に
知りたいという気持ちが強く、その首を縦に振った。
「そう……なら言うわね」
「あぁ」
「恐らくは、ご主人様と白蓮ちゃんが結ばれたことが影響しているの」
「……聞き流せない部分があった気がするが、まぁいい。どういうことだ?」
「それはね。白蓮ちゃんが特殊な条件を満たしているからなの」
「特殊な条件?」
「そう、彼女はご主人様がいた外史では早めに退場したわ」
「そうだったな……」
 そう、白蓮もとい当時の公孫賛が袁紹軍に敗北し自害したというのは一刀もその耳に聞
き留めていた。
「それでいて、白蓮ちゃんは外史にその存在を認められていた。いわば他の娘たち同様重
要な因子の一つだったわけなの。ここまでは大丈夫かしら?」
「あぁ、それで?」
 正直、一刀の頭は新たに教えられた情報により混乱していた。だが、先が気になってい
るため一刀は先を促す。
「あと、白蓮ちゃんはご主人様と結ばれていなかったわよね。……まぁ、これは関係して
いるかはわからないけれど。今挙げた要素から白蓮ちゃんが特殊な条件を備えていたとい
うことになるの。どう、わかったかしら?」
「あぁ、理解した。だけど、それと俺の消滅回避に何の関係があるんだ?」
「それはね、白蓮ちゃんが外史の終焉を待たずして物語から退場したことで外史という一
つの物語に対する生命力のようなものを終焉までいた他の娘たちと異なり、余らせていた
んだと思うの。そして、ご主人様と一つになることでその余った力をご主人様に分け与え
たんじゃないかってこと」
「つまり、俺は白蓮が内包していたその生命力的なナニカによって助かったってことなの
か?」
「まぁ、あくまで憶測にすぎないけれどね」
「そうか……」
 そこまで聞いた一刀は呆然としていた。
 貂蝉の予想通りなら、あの夜、白蓮が一刀の元へやってこなければ一刀は消えていたと
いうことなのだ……つまり、白蓮に命を救われた。
 そのことを思いつつ、何故か一刀は消滅をまのがれたときの白蓮の様子を思い出してい
た。
 初めはほろりと涙し、すぐさま滝のような涙を流し顔をぐちゃぐちゃにしながら一刀の
胸に飛び込み顔をこすりつけていた白蓮。
 口から放つ言葉がみな、子供のように幼くほほえましかった。
「でもね、ご主人様。一人の漢女としてのわたしは違うわ」
「え?」
「きっと、これは愛よ! ご主人様と白蓮ちゃんが愛し合ったから救われたのよぉ!」
「顔を真っ赤にするな気持ち悪い! というか、さっきから引っかかっていたんだが何で
お前が俺と白蓮がそういう関係になった事をしってる」
 一刀は、先程から気になっていた疑問を目の前でくねくねとたこの妖怪のように腰を踊
らせている貂蝉にぶつける。
「あらん、そんなのか、ん、た、んよ! だって、白蓮ちゃんたら帰ってきたらすっかり
"女"の顔になっているんですもの。どぅふふ」
「…………」
 一刀は思う、ついに人の僅かな変化から何があったかまで辿っていけるようになったの
かこの妖怪は、と。
「まぁ、それは一時おいておくとして。聞いてご主人様」
「ん? まだあるのか?」
「さっきもいったでしょ。一つの真実を話さなければならないって」
「そうだったな。なんだなんだ、その真実って?」
「えぇ、これは白蓮ちゃんの特殊な要素と消滅回避に深く関わるお話よ。そしてこの世界
にも……さらにはご主人様にも」
「な、なんでそれだけ大事な話を今まで黙ってたんだ?」
「ご主人様が消える運命にあると思ったからよ。消えゆく者にとどめをさすようなマネわ
たしにはできないもの」
「なるほどな……で、それを乗り越えた今の俺なら言ってもいいわけか」
「そういうこと。いい、ちゃんと聞いてその胸に留めておいて……この外史は――」
 妙に重苦しい雰囲気を放つ貂蝉の言葉に一刀がごくりと唾を飲み込んだとき、誰かが駆
け寄ってくる音がした。
「あ――! 見っけたで、一刀!」
「げ! 霞!?」
 茂みをかき分け現れた霞の姿をその目に捕らえた一刀はすぐさま駆け出す。
「ちくしょう〜! 貂蝉、全部お前のせいなんだからなぁー!」
 そう叫びながら一刀はその場を後にした。


 風を斬るようにして懸けながらも一刀は周囲への注意は怠らず今もって続けている。
 その脳裏に北平へ帰還したときのことが過ぎる。
 一斉に飛びかかってきた仲の良い女の子たち。
 霞に抱きつかれ、その豊満な胸で窒息しかけ、顔をそらせばいつの間にか反対側に回り
込み不思議そうな顔で霞の真似をする恋がいて、その胸に埋もれた。
 さらに、別へと向ければにやりと愉快そうな笑みを浮かべる星が、それから逃げるよう
に最後の一方に顔を向ければ瞳を潤ませ、気のせいかその瞳から滴がこぼれ落ちているよ
うに見える天和がいた……その瞬間、一刀は柔らかく暖かい肉の海でおぼれた。
 薄れ行く一刀の視界、その隅に残りの少女たち、そして白蓮の極寒のごとき瞳が鋭い視
線を一刀へ送っているのが映った。
 その後のことは思い出したくもなかった。
 後々、何故そこまで熱く出迎えてくれたのかを調べてみれば、貂蝉が少女たちに消滅の
ことをバラしたのが原因だったというのだ。
 そして、それからまだ数日しか経っていないが一刀は彼女たちの盛大な――いや、過激
すぎる消滅回避の祝いから未だ逃げ続けていた。
「な、なんでこうなるかなぁ……」
 思わずため息をはく一刀。
 消えると思ってから緊張を緩めることなく過ごしていたのがどこか間抜けにすら思えて
ならなかった。
「あ……貂蝉の話聞きそびれちまったな」
 頭を掻きながらぼやきながら、また今度聞くしかないか、などと一刀が考えていると。
「ミ、ツ、ケ、マ、シ、タ、ゾォ〜主〜」
「うわぁっ!」
 急に耳元で囁かれ、一刀の心臓が跳ね上がる。そして、恐る恐る壊れた絡繰りのように
ギギギと擬音がなりそうなほど不自然な動きで後ろを振り返る。
「どうやら、ここまでですな。主」
「セ、セイサンデハアーリマセンカ」
「おや、妙なしゃべり方などして……どこかぶつけでもしましたかな?」
「イ、イエ……ナンデモアリマセンヨ?」
「……それでごまかせるとお思いですかな、主?」
 一刀は星から距離をとろうとじりじりと脚を滑らせるように移動するもすぐに星のしな
やかな手で肩を掴まれる。
「い、いやだぁぁああ! 生還したばっかりなのに死にたくないぃ〜!」
「これはまた異な事を。我らが主を害するはずなどあるわけがないというのに……ふふ」
「そ、その笑みが怖いぃ〜!」
 星によって一刀はずるずると引きずられていく。その場に断末魔だけを残して。




「まったく、騒がしいもんだな……」
 白蓮は頬杖をつきながらそう漏らすと、窓に向けていた視線を机へ戻す。
「しょうがないわよ……みんなあいつが無事に戻ってきたことが嬉しかったんでしょうか
らね」
「そうもそうだな……ところで、詠は加わらなくていいのか?」
「あのね……城内を走り回ってる馬鹿のかわりにあんたの手伝いをしているのは誰だと思
ってるのよ」
 詠に睨まれ思わず白蓮は呻く。
「い、痛いとこつくな……」
「ふん、おかげでボクの時間が奪われたんだものこれくらいは言わせてもらうわ」
「は、はは……だが、ということはだ。この仕事がなかったのなら詠もあいつらの中に加
わっていたんだな」
「なっ!? なななな、何言ってるのよ! そ、そんなわけないでしょ!」
「おいおい、そんなに動揺するな。バレバレだぞ、くく……」
「う〜、あんた帰ってきてから少し変わったわよね」
「そうか?」
 詠に変わったと言われても白蓮自身にはイマイチピンと来ない。
 そう思い首を傾げてみる。すると、そんな白蓮を穏やかな笑みを浮かべながら詠が見つ
めてくる。
「なんというか、以前より余裕が感じられるわね」
「うぅん……そう見えるか?」
「えぇ。もしかして、何かあったわけ? ボクたちがいなくなってから」
「え!? ま、まさか、あるわけないだろう。あははは」
 ぎこちなく笑いつつ詠から視線を外し、白蓮は仕事に取りかかった。
 その際に、詠の何か言いたげな表情が視界の隅に入ったが白蓮は無視をした。
「まぁ、いいわ。そのうち突き止めるから」
「…………」
 詠の言葉に白蓮は背中が冷たくなるのを感じた。
 外では未だに一刀たちの騒ぎ声が聞こえている。




「か、勘弁しておぶぅっ!?」
 一刀の口に杯が突っ込まれる。
「あっははは! いいぞぉー一刀! もっとや、もっと呑まんかい!」
「さぁ、男を見せるところですぞ、主」
 杯を左右から押さえ込んでいる霞と星がにやにやと笑みを浮かべている。
「んぐっんぐ……ぷはぁ!」
「よっしゃ、さっそく次や!」
「まだまだあります故、遠慮なさらずお呑みくだされ」
「ちょ、まっ、少し休まっ!?」
「ほらほら、おっ、イイ飲みっぷりやで一刀! さて、ウチも」
「せっかくの祝い酒です。思う存分味わってくだされ」
 霞と星の二人は片手で一刀の杯を押さえつつ、空いたてで酒を注ぎ呑見始めた。
 一刀は、それを隙だと感じ脱出を試みようとするが想像以上に押さえる力が強く動けな
かった。
「んん〜、ん、んぅっ……ぷはぁっ……ぜぇぜぇ」
「良い飲みっぷり。男らしいですぞ、主」
「あっはっは、いいで一刀。せや……んっ」
「…………し、霞?」
 何かを思いついたように酒を一気に口に含む霞。その様子に嫌な予感を感じた一刀が立
ち上がろうとする。
「おや、途中退出とは感心しませぬな。こんな良き女二人と呑んでいる場だというのに」
「せ、星……は、離してくれ……え? だめ?」
 いつの間にか背後に回り込んでいた星に両肩を押さえられる。
 ただ、それに合わせて密着する星の躰の一段と柔らかい部分を背に感じてしまい、一刀
は、星をはねのけられずにいた。すると、注意をといていた霞が動いた。
「なっ!? んぐっ、んぅ〜」
「んっ、んふ、ん〜」
「おやおや……これはまた」
 星の言葉も今の一刀の頭には入ってこない。何故ならば一瞬のうちに霞に酒を注がれた
から――口移しで。しかも逃れようにも、霞の腕が一刀の頭をがっちりと固めているため
動かせない。
 口内に広がる酒と霞の唾液の混ぜ合わされた特別製の何か。それが一刀の頭をぼぅっと
させる。一刀の顔はまるで熱湯のように熱くなっていた。
 しばし、一刀が夢見心地でいると、
「ん、んぅ……んっ!?」
「ん……くちゅ……じゅ……ちゅっ」
「ほう、これはまた大胆な」
 残り少ない酒をかき混ぜるように霞の下が一刀の口腔内を動き回る。
 時には一刀の舌に絡まり、時には一刀の口の内側を沿うように舐める。
 一刀も酒のせいなのか、はたまたどこかで制御装置が外れたのか積極的になる。
「んふ……ふふ……ちゅ……んぁ!?」
「ふん……ん、じゅじゅじゅ……くちゅっ」
「…………ほぅ」
 お返しとばかりに一刀は霞の口腔内へと舌を突き煎れる。そして、中を愛撫するように
じっくりと舌を這わす。そして、唐突に激しく動かしたり霞の舌にからめたりする。
 必死になった一刀は己の中にある様々な舌技を一心不乱に駆使した。
 そして、それがしばらく続くと一刀を押さえていた霞の腕の力が抜けた。
「ん……ぷはぁ、や、やっと解放された……」
「……んっ、な、なんなんや一刀……あんたの技は……」
「…………」
「あれ? せ、星?」
 ぐったりとしている霞を見て思わず勝ったぞーと叫びそうになる一刀だったが、気がつ
くと先程まで両肩においてあった星の手が一刀の頭にうつっていることに気がつき、そち
らへ意識を向けた。
「霞だけというのは……少々不公平ではありませぬか、あ、る、じ?」
「…………か、勘弁してくれ〜!」
 未だ酒と口づけの影響ででふらつく脚に気合いを込めて一刀は駆け出した。
 背後にとてつもない速度でせまらんとしている足音を聞きながら――。


 暗闇の中、一刀は息を凝らしていた。
「…………」
「おや? 何処に行ったのだ……こちらに逃げてきたと思ったのだが」
 星の声が耳に届いた瞬間、一刀の心臓が跳ね上がる。声が漏れないよう必死に口を手で
押さえ込む。そして、躰をほんの僅かも動かさずじっとこらえる。
「む、あれは……?」
 その言葉を残して、星の気配がその足音と共に離れていく。そして、完全にいなくなっ
たのを狭い視界から確認すると、一刀は気を抜いた。
「ふぅ……あ、危なかった……」
 安堵の感情を表すようにどさっと伸ばした四肢に茂みの葉っぱがあたる。
「痛て……少し枝が引っかかっちゃったか……」
「…………ぺろ」
 一刀が頬に出来た傷をそっと指で触れようとしたのとほぼ同時に、一刀の頬についたか
すり傷のあたりにぬめっとした感触が走る。
「んぉっ!? な、なんだ……?」
「……わふっ!」
「せ、セキトか……脅かすなよ」
 感触のした方へ視線を向けると、セキトがいたわるように一刀の傷をなめていた。
「わう……ぺろぺろ」
「ありがとな、セキト」
 一刀は感謝の気持ちを表すようにセキトの頭を撫でてやる。
 すると、嬉しそうに吠えるセキト。と、そのとき近づいてくる足音が一刀の耳に入る。
「だ、誰だ!」
「………………?」
 振り向いた一刀の視線の先には不思議そうな顔で首を傾げる恋がいた。
 その姿を視認して一刀はほっと息を吐く。
「れ、恋……か」
「…………何してるの?」
「え? いや、ただぶらっとしてるだけだよ」
「………………そう」
「恋はどうしたんだ?」
「…………セキトの散歩」
 恋はそう言うと、いつの間にか恋の足下で主人の顔を仰いでいるセキトの頭を撫でた。
「そっか、じゃあ俺はお暇するとしようかな」
「………………」
「あの、恋? 服の裾をつかまれると歩けないんだけど?」
「……ご主人様もいっしょ」
「え、えぇと……その」
 頭を掻き居ながら周囲を伺う一刀。あたりを見渡しながら、自分が今逃走中であること
を自覚している故、不用意に動くのもどうかと考える。
「…………ダメ?」
「あぁ……わかったよ。俺も散歩しようかな。それで、中庭をまわるってことでいいんだ
よな?」
「…………」
 恋はただ黙って頷く。
 先の戦で最終的には味方をしたとはいえ、それまでの行いが引っかかり恋は現在謹慎中
だった。それ故、セキトの散歩も中庭をぶらつくだけだったのを一刀も知っている。
 だから、それからはただ黙って恋の隣を歩き始めた。
「…………誰?」
「ん? どうした?」
「……ご主人様は……誰?」
「え? 誰ってどういう意味だ?」
「…………恋は、ご主人様と虎牢関ではじめてあった」
「あぁ、そうだな。あれから結構立ったな……」
「…………でも、恋の……何故?」
「恋? どうしたんだ?」
 徐々に声が小さくなり、顔を俯かせた恋に一刀も心配になる。
「…………………………なんでもない」
「……本当に?」
「………………………………」
 恋がかなりの時間差で頷いたのを見て、彼女が本気で肯定の返事をしたわけでないこと
を一刀は見切り、ため息を吐く。
「はぁ、まぁ今は俺も何も言わない。でも、何かを抱え込んでるなら話してくれよ。頼り
ないだろうけどさ」
 苦笑を浮かべながらも出来る限り明るい口調で語りかけながら恋の頭をわしゃわしゃと
撫でる。
「…………うん」
「ならよし!」
 今度は恋もすぐに頷いた。それを見て一刀は口元をほころばす。
 その次の瞬間、
「恋殿に何をしているのですー!」
「ん? ねねじゃないか。どうした?」
 もの凄い勢いで恋の元へ駆け寄った音々音が一刀の方へ鋭い視線を向ける。
「おまえ、恋殿に気安く触れるんじゃないのです」
「え、いや……あの」
「まったく、思わずちんきゅーキックをおみまするところだったのです。命拾いしました
ね」
「そうか……」
 何故か背を逸らして偉そうに言う陳宮に一刀は口元を引き攣らせる。
「まぁ、ねねが来たし、俺はこれで立ち去らせて貰うよ」
「…………え?」
「や、やけに素直ですね……不気味なのです」
「いやいや、二人の邪魔にはなりたくないんでね」
 早口にそう告げると一刀はその場を立ち去るように駆け出した。
 正直、二人及びセキトと散歩するのはのんびりできそうで一刀にしてみても魅力的だっ
た。だが、進行方向に白を基調とした服を着た青髪の人物が見えた気がしたのだから諦め
ざるを得なかった。
「なんで、逃げまわらなきゃならないんだ……」
 自分の置かれている情況に一刀はぼやかずにはいられなかった。


 恋と音々音の元を離れ、しばらくかけ続けた一刀はそろそろ大丈夫だろうと徒歩へと速
度を抑えた。
 そのまま、追ってきていなか背後を振り返りつつ歩きながら曲がり角へとさしかかった
とき、一刀は何かにぶつかった。
「うわっ」
「おぉっ、危ないだろう! どこを見て歩いてって一刀ではないか」
「ごめんごめん……って、華雄か。何してるんだ?」
「あぁ、実はな……」
「ちょっと!? いきなり立ち止まらないでくださいます! 危うく転ぶところだったでは
ありませんの!」
「れ、麗羽さま……あまり華雄さんを刺激しないで」
「いや、姫には何言っても無駄でしょ」
 よく見れば華雄の後ろに元袁紹軍の三人がぞろぞろと続いている。
「袁紹たちじゃないか……どうしたんだ?」
「あぁ、実はこいつらの部屋の張り番だったのだが……外を出歩きたいと言い出してな…
…それで、どうしたものかと悩み、仕方がないので白蓮かお前に助言を請おうと思って三
人を連れて向かうところだったのだ。しかし、ここであえたのは運が良かった」
「俺は運が悪かったな……」
 華雄の顔に疲労の後を見つけながら、一刀はまたやっかいごとか、と肩を落とした。
「あぁら、北郷さんではありませんの」
「どうも……」
「一刀、私は傍観者に慣らせて貰うぞ」
 そう言うと、華雄は口を固く閉ざした。それを見て一刀は思わず、ずるいと言おうとし
たが、それは叶わなかった。
「北郷さん!」
「は、はい!」
「部屋に閉じ込められっぱなしでいい加減わたくしたちも鬱憤が溜まってきましたわ!」
「それは大変だな――」
「そう思うのでしたらさっさと外出許可をだしてくださいな!」
「え、いや、うぅん……そうだな……俺一人じゃなんとも言えないしな」
「はっきりなさい!」
「今はまだ無理だ。ただ、その辺は掛け合ってみるよ。だから、もうしばらく大人しくし
ててくれないか?」
「まぁ、それなら仕方ありませんわね。ただし! 一刻も早く許可を得るんですわよ!」
「あぁ、約束するよ……だから、俺の願いも聞いてくれよ」
「おーほっほっほ、何を言っておりますの。わたくしたちは何時でも優雅で清楚で大人し
いではありませんの」
「…………」
「なんですの? その顔は」
 袁紹の言葉に異議ありというのが顔に出たのか、一刀は袁紹に訝るように睨まれる。
「い、いや、何でもない」
「……まぁ、いいですわ。許可をお待ちしておりますわ。それでは部屋に戻るとしますわ
よ二人とも。ほら、華雄さんもいらっしゃいな!」
「…………あぁ」
 再びくらい表情で袁紹について行く華雄に頑張れと心の中で声援を送っている一刀の元
へ顔良が近づいてくる。
「あの、わがまま言ってすみませんでした」
「いや、俺も外出とかはどうにかしないとなとは思ってたからね。気にしなくていいよ」
「ありがとうございます。北郷さん」
 そう言ってにっこり微笑むと顔良は袁紹たちの後を追おうとする。が、すぐに立ち止ま
り一刀の方を振り返る。
「あの、私のことは斗詩って呼んでください」
「いいのか?」
「えぇ、真名を預けるに値する方だと思ったので。それじゃあ、失礼しますね。ご主人様
……ふふ」
 柔らかな笑みを浮かべると顔良は今度こそ立ち去った。
 その後ろ姿を見送りながら、一刀は思わず呟いた。
「へぇ……顔良じゃなかった、斗詩ってあぁいう娘なのか……」
 かつての世界で一刀が直接的な関わりのなかった数少ない人物の一人である顔良とのや
り取り。それが一刀に不思議な新鮮さを覚えさせた。
「さて、俺も部屋にでも戻ってみるかな……」
 恐らく一度は探されているだろうし、と探索者の裏をかけるだろうと思いながら一刀は
自室へと戻ろうと一歩踏み出した瞬間、
「あっ、いたぁー!」
「一刀見っけ!」
「ふ、二人ともそんな大声で……」
 一刀は新たな集団に出くわした。
「おいおい、まじかよ……」
 ありえないほどの遭遇率に一刀は思わず頭を抱えた。
「ちょっと、一刀!」
「は、はい、なんでしょう……」
「一刀がいない間の公演はいつも以上にやることがあって大変だったんだから!」
「そうそう、ちーちゃんたら時間があれば一刀がいないからってもう大変で――」
「それは天和姉さんもじゃ……」
「ちょ、お姉ちゃん! っていうか、人和! あんただってそうでしょ!」
「ちょっとちぃ姉さん!」
 互いに暴露し合いぎゃあぎゃあと騒ぎ出す三人。
 一刀はすっかりと蚊帳の外だった。
「そ、そうだ今のうちに……」
 そろりそろりとその場をあとにしようとするが三人に強めに名前を呼ばれ、歩を止めざ
るをえなかった。
「まぁ、何にせよ一刀には不在の間にわたしたちがどれだけ頑張ったか」
「そして、ちぃたちが成長したか」
「稽古場でみてもらいます」
「ちょ、ちょっと待っ――」
 三人に躰のあちこちを掴まれて引きずられながら一刀はあることを思った。
(なんか、こんなこと少し前にあったような……というか俺の自由は今何処!?)


 しばらく引きずられ稽古場へと連れてこられた一刀は舞台の前に座っていた。
「なんだかんだで楽しみではあるかな」
 気がつけば一刀の胸が躍っている。そんな自分をおかしいと思い笑みを浮かべかけるの
を一刀が堪えていると。
 三人が現れる。
「ほぅ……公演用の衣装か。本格的だな」
「それじゃあ、楽しんでね!」
「ちぃへのかけ声わすれないでね!」
「一刀さんのためだけの公演です」
 そう言うと、三人が歌い始める。
 三人の美声は重なり合い旋律へと昇華していく。
「…………」
 一刀は思わず声を失う。とても稽古程度のものではなかった。本当に一刀のために公演
を行っているのではと思える程、一刀の心へ染みこんでくる唄、そして常景。
 お世辞にも立派とは言えない舞台が、三人の華やかさやその纏う雰囲気で輝いて見えて
いた。
 それからたった一人の観客のための数え役萬☆姉妹の公演は延々続いた。


 そして、小さくも素敵な公演が終わりやりきった表情の三人へお茶を渡す。
「お疲れ様。凄かったぞ。なんか心が震えた」
「やったー! 大成功!」
「でも、ちぃへのかけ声が無かったー!」
「まぁ、それは今後でいいじゃない」
 不満そうに頬を膨らませる地和を人和が宥める。
 その様子に苦笑を浮かべつつ一刀は弁明する。
「いや、感動して声が出なかったんだよ。今度、機会があったら気をつけるよ」
「じゃあ、今度は大陸で一番になった時かな?」
「ふふん、ちぃたちならあっという間よそんなの!」
「というわけで、ちゃんと覚悟してくださいね。一刀さん」
「はは……楽しみしてるよ。それじゃあ、俺はこれで」
 未だ名残惜しそうにしている三人に別れを告げ一刀は歩き出した。


 一刀は自室へ戻るとすぐに寝台に倒れ込んだ。
「つ、疲れた……」
 寝台に躰を倒したまま一刀は一日を振り返る。色んな事があってめまぐるしい一日だっ
たと一刀は思った。そして、同時にそんな日々を過ごせる幸せを噛みしめていた。
「本当に俺はここにいられるんだな……」
 一刀は目頭が熱くなるの感じた。こんな賑やかであり、穏やかな日はもう来ないと一刀
は思っていた。
 だが、一刀の手からそんな日々が離れることはなかった。
 もう、それから数日たったが未だに日々への想いが一刀の胸の中で溢れかえっていた。
そして、この何気ない日常を、そしてもう完全に大切な存在となった者たちへの愛おしさ
が一刀の中で大きくなっていた。
(あぁ、もうここから離れる事なんて考えられなくなってるな……)
 そして、そこまで強く想うようになったのは一度喪失の危機に瀕したことでだろう。と
一刀が自らの心について考え始めたところで部屋の扉を軽く叩いている音がした。
「ん? 誰だろう……まさか、星じゃないよな……」
 恐る恐る扉へ近づき聞き耳を立てると、会話が聞こえる。
「ねぇ、月。やっぱりいないんじゃないの?」
「うぅん……そうなのかなぁ?」
 訪問者が恐れている相手でないとわかり一刀はすぐに招き入れる。
「よう、二人とも」
「なんだ、いたの」
「詠ちゃん……」
「冗談よ、冗談」
「もう……それでですね主人様、これから詠ちゃんとお茶する予定なんですけどご一緒に
どうですか?」
「そうだな……お邪魔させて貰おうかな」
 そう言うと、一刀は二人に続いて部屋を出た。
「それじゃあ、先に行ってるので詠ちゃんと一緒に来てください。
「あぁ、わかったよ」
「月、それならボクも」
「詠ちゃんはご主人様をお願い」
「…………しょうがないわね」
 ため息混じりにそう答える詠を微笑まし気に見つめ、くすりと笑うと月は部屋へと駆け
ていった。
「さて、のんびり行くかな」
「……そうそう、月に感謝しなさいよ」
「ん?」
「あんた、こっちに帰ってきてからみんなにもみくちゃにされたり、あちこち走り回った
り馬鹿みたいに疲労を積み重ねてたでしょ。あの娘はそれを見かねて疲れを癒してあげた
いってあんたを誘ったのよ」
「そ、そうだったのか……」
「それにね、あんたが霞や星の躰に鼻の下伸ばしてる間に月はわざわざ疲労回復効果のあ
るお茶を買うためだけに出かけたりしてたのよ」
「そっか……あとでお礼を言わないとな」
「そうよ。忘れるんじゃないわよ」
「あぁ、そうだな。それじゃあ忘れないうちに」
 そこまで言うと、一刀は詠の顔をじっと見つめた。対する詠は何だといった様子で一刀
を見ている。
「詠もありがとうな」
「な、別にボクは関係ないわよ! 月がって言ってるでしょ!」
「はは、その月の提案に賛成したんだろ?」
「う……それは、だって月がしたいっていうんだからしょうがないじゃない」
「それに、俺の代わりに白蓮の手伝いもしてくれたんだろ?」
「な、なんでそれをあんたが知ってるのよ!」
「くくっ……そうか、やっぱりそうだったか」
「な、なによ?」
 思わず吹き出した一刀を詠が訝しげに睨んでくる。それに対して、ごめんと一言謝ると
一刀は咳払いをして改めて口を開いた。
「いや、俺が白蓮の補助を出来ないときに代わりを務めるに値するのは誰かなって考えた
ときに俺が真っ先に思いつくのが詠だったんだ。それでちょっとカマかけてみたんだが…
…やっぱり俺の思った通りだったんだな。改めて言わせて貰うよ。ありがとう詠」
「…………」
 自信満々にそう種明かしをするが詠は口を開けたままポカンとしていた。
 そのまま、一刀が様子をうかがっていると詠は顔を真っ赤にし、その切れ長の眼を一層
鋭くして一刀を睨み付けてきた。
「あ、あんた嵌めたわね!」
「お、おい、詠」
「もう……なんであんたはいつも予想の範疇を超えたことをしてボクを……はぁ」
「え、詠?」
「もういいわよ……それより、月が待ちくたびれちゃうからさっさと行く!」
「い、痛てて、わ、わかったから背中を蹴らないでくれよ……」
 一刀が抗議の声を上げるが顔を真っ赤にした詠の耳には届いていないのか部屋につくま
で蹴りが止むことはなかった。
「遅かったですねご主人さ……ま?」
「ま、待たせたな……月」
「ふん!」
 部屋の扉を月に開けてもらうやいなや詠がズンズンと奥へと進んでいく。
 一刀は、その後を腰をさすりながらよろよろと歩く。月が支えてくれているのが一刀に
はありがたかった。
「また詠ちゃんが何かしたんですか?」
「いや、今回は全部俺に原因があるんだ。だから詠には何も言わないでくれ」
「ご主人様がそう仰るなら……そうしますけど」
「悪いな、月。それと、気を遣ってくれたんだって?」
「え? もしかして詠ちゃん言っちゃったの?」
 一刀の言葉に月は可愛らしいクリッとした眼を見開き詠の方を凝視する。
「ダメよ月、こいつは言わないとわからないんだから」
「でも――」
「いいんだ、月。詠が言ってくれなきゃ俺も気づかなかっただろうしな。本当にありがと
う、月」
 そう言って月に笑いかけると、一刀は自分の躰を支えてくれている月の頭を大切なもの
を扱うように優しく撫でた。
「へぅ〜」
「あんたねぇ……月に対してまで鼻の下伸ばしてるんじゃないわよ!」
「べ、別に伸ばして何て居ないだろ!」
 自分からすればいわれもない言葉に、一刀は思わず詠の方へ歩み寄った。
「え!? ご主人様にとって私ってやっぱり魅力無いのかなぁ……」
 いつの間にか席に着いた月が机の上に指でのの字を書いていた。
「あんたねぇ!」
「俺? 悪いの俺?」
「あんた以外にいるかぁ!」
「ぐはっ!」
 無実の罪人のように狼狽えている一刀に詠のその日何発目になるかわからない蹴りが放
たれた。


 結局、一刀が口にお茶を含むことができたのはかなり後のことで、その時には癒しのお
茶会に出席したはずが心身共にズタボロになっていて、口に含んだお茶が何故かしょっぱ
かったのだが、それは一刀だけの秘密である。
 そんな状態から始まったお茶会だったが、終わる頃には一刀もすっかり元気を取り戻し
ていた。
 そして、そのことも含め改めて月と詠に例を言って一刀は部屋を後にした。
「さて、もう夜も遅いしそろそろ寝るか――ってあれは?」
 自室付近へ戻った一刀は扉の前に人影がいるのを見つけた。
「おぉ、戻ったか一刀」
「俺に何か用でもあったのか、白蓮」
「ん、まぁな……少し一刀と語らいたいなぁ、なんて思ってな」
「なら、どうする? 部屋で話すか?」
「いや、ちょっとついて来て欲しい」
「わかった」
 それだけのやり取りの後はとくに喋ることもなく二人は目的地へと向かった。


 そこは、かつて一刀が貂蝉から消滅について聞かされ、それを白蓮が聞いてしまった場
所だった。
「ここでいいだろう」
「それで? 何か話したいことがあるんだろ?」
「ん、んぅ……そのだな……なぁ、一刀は夢ってどう思う?」
「夢?」
「あぁ、実は易京でお前の部屋へ押し入る前にな。奇妙な夢を見たんだ」
 月の光に白蓮の顔が照らされ透き通っている。そんな姿に見惚れながら一刀は白蓮の話
を聞いていた。
 だが、白蓮の声の質が彼女の放っている柔らかな雰囲気とは異なり真剣なものとなって
いることに気づき一刀は気持ちを切り替えた。
「不思議な夢だった。あの河原らしき場所でお前が消えてしまう夢だった」
「随分縁起悪い夢だな……でも、その通りにならなくてよかった」
「まぁ、そうだな。そして、その次が不自然というかやっぱり妙な、としか言いようのな
い夢なんだ」
「妙な夢?」
「あぁ、何故か易京の一室で炎に包まれていたんだ……しかも有るはずのない記憶があっ
たんだ……袁紹軍に敗北したというな」
「!?」
 白蓮の告白に一刀の鼓動が一層大きくなり心臓を突き破れるのではないかと思える程に
一刀の胸が苦しくなる。
「しかもだ……自分のことを"俺"って言ってるわ、一刀のことを北郷と呼んでるわでおか
しいところだらけだったんだ……」
「…………」
 一刀には何も言えなかった。正直なところ心当たりがありすぎるからだ。
「で、結局その夢の中で私は死に、お前と離ればなれとなった……一体何なんだろうなこ
の夢は」
「それはもしかしたら別のどこかで白蓮が経験したことなのかもな」
「別のどこか?」
「あぁ、俺たちの今いるこの世界とは別のところで白蓮が経験したことが夢っていう媒体
を通して伝わったんじゃないか?」
「うぅむ……確かに妙に生々しかったし、今も躰に感覚が残ってる感じがするからな……
その考えもありえるのかもしれんな」
「でも、今白蓮は俺の隣にいる。それでいいと思うよ、俺は」
 そう言って、一刀は白蓮を安心させるように笑みを作った。動揺しっぱなしの内面を隠
しながら。
「そうだな……しかし、お前の隣にこうやっていられるようになるまで随分と時間が掛か
った気がするな」
「はは、それは言えてるな。俺たちが初めて出会ったあの時から桃香たちとの出会い、黄
巾の乱の勃発、反董卓連合の結成、そして、界橋から易京へと続いた戦い。色んな事があ
ったな……」
「それだけじゃない。お前の消滅問題もあった。今思い出しても躰が震えるぞ」
 そう言うと白蓮が一刀の腕を抱きしめるように抱える。
「でも、そんな沢山の出来事を乗り越え俺たちは今、共にいる。これは凄いことなのかも
な……」
「そう……だな」
 肩に頭を乗せて瞼を閉じる白蓮に笑みを零し、一刀は静かに空を見上げた。
「おや、これはお邪魔でしたかな?」
「二人でどこに行くんかと思って後をついて来たんやけど……あかんかったかな?」
「うわぁ、せ、星!」
「霞っ、お、お前ら!?」
 いつの間にか背後にいた二人に、一刀の心臓が飛び跳ねた。それは白蓮も同じだったよ
うでまるで鯉のように口をパクパクと開けながら二人を交互に指さしている。
「なはは、ウチらも混ぜてぇーな」
「主、今度こそ……」
「結局こうなるのな……ははは」
 なんだか楽しくなり、一刀は笑う。
「それじゃあ、とりあえず城にもどろう。みんな一緒の方が良いだろうからな」
「それもそうやな。ほな、いこか」
 霞が一刀の左腕にしがみつく。
「うむ、やはり酒は楽しく呑まなくては」
 星が空いている右腕に自分の腕を絡ませる。


「はっ! あ、あれ?」
 三人がその場を後にしてからしばらくして白蓮はようやく正気に戻った。
 そして、あたりに誰もいないことに気づくと、思いっきり空気を吸い込み、腹に力を込
めて空に向けて解き放った。
「なんでこうなるんだぁー!」
 既に三人の姿も無くなり、一人残された白蓮の悲壮感溢れる慟哭が月夜を虚しく舞うの
だった。




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(頂いた助言への返答) 

 メールフォームへ送って頂いたメッセージの中で返答すべきものがあったので、この場
で答えさせて頂きます。
「(前略)SSの中で横文字を使った方がより表現の幅が広がると思うのだが、使ってみ
てはいかがかな?(後略)」
 というメッセージをくださった方への返答です。

(注意)ここからは個人的な考えが出ます。不快に感じる可能性もあります。

 恋姫無双は三国志の世界が基となっている作品であり、このSSはそれを基軸として書
いているわけですから、現代で頻繁に使われる横文字の使用は世界観を崩しかねないと個
人的には思うのです。
 例えば、『デジャヴ』なんかも一応横文字ともいえるわけですが、それだったら『既視
感』+表現で十分代用できます。
 また、当SSの中では『キック』という単語にしても『ちんきゅーキック』という固有
名詞の場合は使いますが基本は『蹴り』と書きますし、『ストレートに〜』よりは『真っ
直ぐ〜』と書いています。
 要は、自分で制限をかけているのであえて書いていないわけです。
 初めの頃の一刀主観のみの時なら横文字の使用も考えたと思います。
 ですが、今は一刀一人でなく、出てくるキャラたちに焦点を当てる『三人称多視点』で
書いています。
 ですので、ほとんどの登場人物においては知ってるはずのない横文字の使用は違和感を
覚えますし(あくまで個人的にです)、一刀を主としているときに使用したらそれはそれ
で浮いてしまう、というか、他のキャラが主のときの文と合わせると、文章全体の統一性
がなくなってしまう気がするのでやはり使用しません。

※ちなみに擬音はカタカナ表記してますが横文字に分類されません。
(ご存知だとは思いますが一応書かせていただきました)

 以上の事から、メッセージへの返答は
「申し訳ありませんが、個人的価値観により使用は控えさせて頂きます。ただ、また何か
助言があった際には遠慮無く伝えて頂けると嬉しいです」
とさせて頂きます。

 これでどうにか納得して頂けることを願っております。

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