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496 名前:メーテル ◆999HUU8SEE [sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:20:58 ID:bsXt3xFD0
わたしの名はメーテル……9時半から、最後の分割分を投下する予定の女。
ながながと付き合って貰ったこの短編も、今回の投下分でおしまいよ、鉄郎。

>>492
桃香乙よ……
犬っぽさが出ていて、とても良かったと思うわ。
次も楽しみにさせて貰うわね……
500 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(1/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日)21:31:10 ID:bsXt3xFD0
 一秒、
「くそっ! 明命、次で決めるぞ!」
 叫んで思春が、必殺の形に鈴音を構える。
「はいっ!」
 明命も同じように、両手で魂切を強く握りしめた。

 亞莎が行っている連続攻撃は、先ほど思春が行ったものと同じ類の性質を持つものだ。
 ペース配分を考えないがむしゃらな全力攻撃で、釘付けにして動きを止めるつもりなのだ。
 彼女は負傷によって自分の自由に動ける限界が近いことを悟り、あえてその役目を買って出
たのだ。
 それはひとえに、残りの二人が未だ健在なうちに、決定打を打てるようにするためにである。

 二秒、
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「はあああああああああああああああああああ!!」

 呼吸を整え、『ため』を作り、最高の一撃を放つために精神を研ぎ澄ます。
 仲間が決死の覚悟で作り出してくれた、その一時を無駄にしないために、来るべき一瞬のた
めにすべてを込める。

 三秒、
 依然として亞莎の動きは止まらない。
 それどころか、左右のラッシュは天井知らずにその回転速度を上げていく。
 最初こそ完璧に捌き、弾き、防いでいた張遼も、一発、もう一発と被弾する数が増えてきた。
 そもそも亞莎の攻撃は、雨あられの連撃とはいえ、一発一発が熊でも昏倒させうる一撃であ
る。
 だというのに、それを何発当てても亞莎の手に返ってくるのは岩でも殴ったかのような感触
のみ。
502 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(2/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:33:26 ID:bsXt3xFD0
 しかしそれでも、
(効いているはず!)
 そう信じて亞莎は拳を打ち続ける。
 そうしているうち、張遼の動きが突然止まった。
 まばたきの間に、ダース単位の拳が張遼を捉える。
 明らかに何らかの変化が起こる先触れであろうが、それを訝しむ時間すら惜しいと、亞莎は
構わず拳を振るい続けた。
 そうして次に張遼は、握った槍を、天に向かって返すようにして放り投げた。
「――ッ!?」
 予想だにしなかった行動。それでも手は止めず、驚きを内心だけに留めた亞莎は賞賛される
べきだったろう。

 四秒、
 すぐに亞莎は張遼の行動の意味を理解することになった。
 飛龍偃月刀を放り投げて素手となった張遼が、ここにきてはじめて明確に迎撃の構えを見せ
たのである。
 体は猫背に曲げられ、手はだらんと下ろされる。
 それは、亞莎にとって見たことのない戦闘姿勢だった。
 直後――
(これはっ!?)
 怒濤の連続攻撃を繰り出していた亞莎が、その頭を直感だけで後ろへ退いた。
 ほぼ同時、真下から打ち出された豪腕が、風を伴って鼻先を掠めた。
「っ!!」
 驚きが顔に出るが、それでも動きは止められない。
 亞莎は張遼の拳を避けながら、その動きを反動にして頭を振りながら前に出て左右のワンツ
ーに連結しようとする。
 だが、その振り子の揺り戻しに合わせて、更に視界の外、見えない角度から新たな拳が飛ん
できた。
 反応。
 これも首を捻って、亞莎はギリギリで回避することに成功する。
 それで亞莎は明確に理解した。
 張遼は、自分と素手の打ち合いをするために武器を捨てたのだと。
503 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(3/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:36:35 ID:bsXt3xFD0
 五秒、
 正面から顔面を狙って突き出した亞莎の拳が、空を切る。
 張遼が背骨を直角に曲がるほどに体を反らして、攻撃を避けたのである。
 むしろ逆に、亞莎の視界が予想外の衝撃と激痛で揺れた。
「!?」
 張遼が避けながら無茶な姿勢で放った拳が、脇腹を抉ったのだ。
「くぅっ!」
 亞莎はそれを、奥歯が割れるほどに力を込めてその場に踏ん張った。
 だが、突然拳に力を乗せるのに欠かせない、足を踏み込むための力が抜けた。
 足がガクガクと震えそうになるが、それも根性で抑え込む。
 そうしてとりあえず手数で刻む連打によって弾幕を張る。
 けれども、足が動かない。
 フットワークなければ、張遼の拳は避けられない。

 張遼の拳が唸り、粉々に砕けた片眼鏡が宙を舞った。

 六秒、
 張遼の拳が亞莎の顔面に、左腕に、脇腹に次々突き刺さる。
 為す術もなくサンドバッグのように殴られ続ける。
 当然のこととして亞莎も防御しようと試みているのだが、低い体勢、そしてなお低い位置か
らの拳が、無駄な動きという天然のフェイントを織り交ぜることで、巧みに死角から彼女を狙
い打つのだ。
 時折亞莎も反撃の手を出すのだが、
「――――ッ」
 それはことごとく回避されてしまう。
505 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(4/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:39:32 ID:bsXt3xFD0
 七秒、
 切れた額から血が流れ、目に入って開けていられなくなる。
 最も、元来目の悪い亞莎は、相手の姿を眼で見ていない。
 気配と予測で動きを察知して防御し、攻撃しているのだ。
 だがそれでも、体が動かなくなれば、どちらも適わなくなることに変わりはなかった。

 八秒
 見るも無惨な残虐の時間が続く。
 ろくに動けない亞莎の体に、打ち込む拳が容赦なく突き刺さる。
 腰もろくに入ってないように見える拳が、異様に重たい。
 これまで徒手を武器にする者とも幾度となく戦ったことのある亞莎だったが、こんな戦い方
を目にするのははじめてだった。
 当てられない、避けられない。
 それでも時間はすぎていく。

 九秒、
「う、ああぁぁっ!?」
 ついに亞莎の体に致命的な一発が入った。
 体の内側から強烈な熱が広がり、内なる臓のどれかが破壊されたのだとわかった。
 耐え難い嘔吐感が亞莎を襲う。
 堪らず口が血塊を吐き出した。
 その身は内外ともに傷だらけ。折れた骨は無数、内蔵もいくつか駄目になっている。
508 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(5/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:42:53 ID:bsXt3xFD0
 それでも彼女自身の闘志は、未だ衰えてはいなかった。
 まだ戦える、自分はまだやれる。
 彼女は不屈の精神力で耐えていた。
 だが、精神力で耐えるにも限度がある。心とは裏腹に、その体は既に生命の限界を迎えてい
た。
 目に未だ戦意を宿したまま、ついに亞莎の体は崩れ落ちるように垂直に崩れ落ちた。

 十秒、
 倒れた亞莎には目もくれず、張遼は手をだらりと下ろした猫背の姿勢のまま、次の標的――
思春の方を向いた。
 そして必殺の一撃を放つべく予備動作の最中で隙だらけの彼女に向かって跳躍――
「さ、せませ……んっ」
 しようとして、できなかった。
 地に伏した亞莎が、足首を掴んでいたのだ。
「いま、ですっ!」
 亞莎がかすれた、精一杯の声で叫ぶ。

 そうして彼女は、ついに十秒という短くも貴重な時間を、仲間たちのために作ることに成功
したのであった。

509 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(6/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:45:23 ID:bsXt3xFD0
 今にも絶えそうなか細い仲間の言葉。
 彼女の懸命な努力に応えるべく、思春は周囲から巻き込み吸い込んでいた空気を開放した。
 その体をギリギリまで沈ませて、腰溜めにした剣を振るう。
「閃っ!」
 剣を振るった思春。張遼との彼我の距離は数メートル。
 本来、白兵武器をそんな距離で振り回しても当たるわけがない。
 だがそんな常識を覆すように、その斬撃の軌跡が伸びた=B
 当たるはずのない斬撃が、衝撃波となって扇状に広がったのである。
 基本は先ほど、張遼が放った特大の斬円と同じもの。
 見よう見まねで放ったそれが、今度は張遼を屠るべく走る。
 
 高さは膝の位置。形状は左右逃げ場のない扇状。
 こうなっては広がる剣閃を避けるための逃げ道は、上にしかない。
 けれども自由にさせまいと、その足には亞莎がしがみついている。
 そして更に、抜き打ちで斬撃を放った思春は、それを追いかけ自分自身も前に飛び出した。
 そのまま体を捻って背中を晒して独楽のように一回転。振り向きざま、横払いにもう一つ、
斬撃を放つ。
 最初の閃撃を追いかける二の太刀。音速を超えて振るわれる追撃の斬攻。
「――っ斬る!!」
 用意されたもう一つの刃が、張遼を襲う。

 受ける側からすれば、膝と胸、二つの高さで振るわれる超音速の横斬りが、同じタイミング
で襲ってくるこの攻撃は、避けるにしても受けるにしてもやっかい極まりない攻撃といえる。
 この不可避の連撃を前にした張遼は、
『剋阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿ッ!!』
 このときはじめて声を発し、人の声帯から発せられたとは思えない大音声で迎え撃った。
513 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(7/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:48:40 ID:bsXt3xFD0
 ドンッという音と共に、思春はその身に壁に激突したかのような衝撃を受けた。
 『音』には様々な使い道があるということは、他ならぬ思春自身がよく知るところである。
 けれども、張遼のこの暴力的な使い方は、彼女の想像の遙か上を行くものであった。

 思春の前を先行していた一の太刀筋『閃』が、咆吼によって生じた音の衝撃を受けて相殺さ
れ霧散したのである。
 彼女の体を襲った衝撃は、剣閃を散らした余波だったのだ。
(だがそれでもっ!)
 既に思春は斬撃のモーションに入っている。今更走る刃は止められない。
 また、止めるつもりもない。
 足に力を込めて、絶好の攻撃間合いにステップイン。
 膝、腰、肩、手首、すべてを連動させて、そこに遠心力を加えて、剣を滑らせる。
 狙うは張遼の、胸の高さ。
 流れるようにサイドスイングで振るわれる、断ち切る二の太刀。
 正真正銘物理的な攻撃である斬撃が、張遼の胴を両断するべく、その身に迫る。

 だが、
「――――ッ!?」
 攻撃した思春の眉が跳ね上がる。

 鈴音は張遼を切り裂く直前で、その刃を空中に制止させていた。
 正しくは、止められていた。
 思春が両手で振るった曲刀の、その腹の部分。そこを張遼の諸手が、上下からがっちりと挟
み込んで止めていたのだ。
 真の達人、真の巧者だけが辿り着くことのできる無刀の極地。
 張遼が見せたそれは、剣術で言うところの『無刀取り』であった。
518 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(8/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:51:38 ID:bsXt3xFD0
 必殺の攻撃が止められた。
 一の刃、二の刃、共に必殺でありながらついに相手を倒すに至らなかった。
 思春が仕掛けた勝負は決着した。
 それだけの攻撃を繰り出しながら仕留め損なった思春は、ここでその表情を絶望に染めるは
ずであった。
 だというのに、思春は絶望するどころか顔を歪ませていた。
 口の端をつり上げ歓喜の形を作っていた。
 そう、彼女にとってこの程度は織り込み済み。
「いけっ! 明命!!」
 その声に応えたのは
「はいっ!」

 空から降ってきた声である。

 既ここに至って隠す必要なしと、張遼の真上で気配と殺気が膨れあがる。
 一直線に、人が落ちてくる。
 刃を鏃に、自身を羽に。明命は自らを一本の矢に見立てて天空を流れ落ちる。
 速く、速く、何よりも速く!
 思春の放った一の太刀、二の太刀は共にこの明命の一撃を隠すための目くらましであったの
だ。

 避けられるタイミングではない。手を離せばすぐさま鈴音がその身を切り裂く。
 詰んだ≠サう、思春と明命が確信したときであった。
 張遼はまたも予想を裏切る行動に出た。
 爪先で、足元に転がっていたものを蹴り上げたのである。
521 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(9/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:53:12 ID:bsXt3xFD0
 勢いよく蹴り上げられたその体は、殆どなんの抵抗もなく張遼と明命との間に割り込む形と
なった。
 体中を傷だらけにして力尽き、ぐったりと脱力しきった戦友。
 その姿が突然目の前で大きくなり、手にずぶりという、肉を貫く感触が伝わった。
 気が付いたときには、魂すら切り裂く名刀『魂切』の刃が、亞莎の無防備な胸を深々と刺し
貫いていた。

「あ……」

 自分がなにをしたかわからない。

 自分がなにをしてしまったかわからない。

 驚愕に目を見開いて声を漏らした明命の体を、次の瞬間、焼け付くような熱が襲った。
「……あ、」
 目だけを動かして、自分の胸元を見る。
 すると真っ赤な血を溢れ返えさせるその中心に、黄金の刃が生えているのがはっきりと見え
た。
(な、ぜ?)
 そのなぜは、

 なぜ、自分が亞莎を傷つけることになったのか。
 なぜ、どうしてこんなものが胸を貫いてるのか。
 なぜ、どうしてこんなことになったのか。

 そんなことを問うなぜ≠セった。
524 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(10/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:56:35 ID:bsXt3xFD0
 そうして結局明命は、自分が地面に激突して意識を絶たれるそのときまで、天に放り投げら
れた飛龍偃月刀が、いまになって落下して自分の背を貫いたのだと理解することはなかった。

 二人の体は、受け身を取ることもなく地面へと墜落した。
 そして張遼は鈴音から手を離し、明命の体から得物を引き抜く。
 引き抜かれる瞬間、その体が小さく動いたのを見て、思春は我に返った。

「貴様あああああああああっ!!」
 思春が激昂の叫びを上げて、力の限り手の中の凶器を叩き付けた。
 渾身の一撃。
 しかし、それは黄金の槍に阻まれて、憎い敵に届かない。
「あああああああああ!!」
 更に打ち付けられる一撃。
「あああああ!」
 何度も何度も、鬼の形相で気迫と共に滅多矢鱈と斬りつける。
 その攻撃は一撃、また次の一撃と、その速さ、鋭さ、重さを際限なく増していく。
「おおおおおおおっ!!」
 常人並なら一合と持たないその斬撃の嵐に、張遼は片手の飛龍偃月刀で一つ残らず合わせて
みせた。
 のみならず、彼女の槍もより速く、鋭く、重くなっていく。
 物質と非物質の狭間にある稲妻の飛龍偃月刀は、一合合わせる度に、鈴音を伝わって思春の
体に電流を流し込んでくる。
 苦痛がその身を焼く、それでも思春は斬りかかるのを止めなかった。
 友のために、主君のために、誇りと信念を貫き通すために。
531 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(11/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:59:47 ID:bsXt3xFD0
◇◇◇

 今回の局面に際して、一刀は己の知る二つの歴史的戦いを参考にした。
 一つは、曹操が行った『下肥城攻略戦』。
 曹操の精鋭五万を相手に籠城戦を選択した呂布が、圧倒的な戦闘力を発揮してこれに立ち向
かった戦い。
 結果として水攻めによって曹操軍の勝利に終わるこの戦いだが、籠城戦を行った呂布に対し
て、曹操はそこまでしなければ城を落とせなかったのである。
 一見して守りに向かない恋を、籠城戦をする配置につけたのは、まさにこの戦いのことを念
頭に置いてのことである。
 そして一刀が参考にしたもう一つが、『合肥の戦い』である。
 大軍を率いて曹操領に侵攻した孫権を、張遼率いる寡兵の曹操軍が打ち破った戦い。
 この戦いを霞に再現させることで、一刀は呉軍を止めようとしたのであった。

 北を曹操、南を孫策。二強から攻められるという覆しようのない苦境を前に、一刀は自分が
知る歴史の流れに賭けた。
 これまで何度となく目にした、一刀が知る『三国志』とはまったく違うはずのこの世界で、
『三国志』が再現される不可思議、それに賭けたのである。
 だが、その結果が最悪の形で結実しようとしていた。

 朦朧としていた意識をはっきりとさせた一刀が見たのは、赤い赤い大地と、その中心で血ま
みれで戦う霞の姿。
 低い低い、四つん這いに近い猫背の姿勢で、片手に持った槍を振り回して、野獣の動きで甘
寧を追い詰めている。
 一見してわかるほどに甘寧は強い、これまで見てきた中でも指折りの強さかもしれない。
 だが、相対する霞はそれ以上に強かった。
 必死に抵抗する甘寧を一方的に蹂躙していくその姿は、既に霞の姿をした別のなにかのよう
に思えて仕方がない程である。
533 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(12/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:02:23 ID:bsXt3xFD0
 だが、そうやって目にして、はじめて一刀は自分が霞になにをさせようとしていたのかを理
解した。
 思い知らされた。
 気付きながらも目を背けていた、己の傲慢さと、最低な行動の因果をようやっと認めた。

 張遼が孫権軍を撃退するというのは、世界のあるべき形だったかもしれない。
 だがそれを利用して自分の都合のいいようにするというのは、彼女が張遼であるという事実
だけに目を向けて、霞という個人を顧みないということである。
 それは結局のところ、北郷一刀が霞を道具としてしか見ていなかったのと変わらない。

 彼女の真の願いはなんだった?
 こんな戦いを、彼女は本当に望んでいたのか?
 あんな風に、人を辞めてまで、獣のように戦い続けることを望んでいたのか?

 ――違うはずだ。

 では、そこまでわかっていながら、自分を守りたいと言ってくれた女性の願いを利用して、
あんな姿にさせている自分はなんだ?

「最悪じゃないか、俺……」
 どうしようもない呟きが漏れた。

 大変なことすべてを霞に押し付けて、のうのうとその力を利用しようとした。
 ちょっとばかり智恵が回ることに胡座をかいて、彼女がどうなるかなんて考えもしなかった。
 誰かのためというのを言い訳にして、他の誰かの苦しみを知ろうともしなかった
 それが北郷一刀の罪。
 そしてこれが、その罰。
536 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(13/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:05:32 ID:bsXt3xFD0
 北郷一刀は、もっと別の方法を模索するべきだった。
 こんな風に、故意に世界の流れを誘導するような安易な解決策に、頼るべきではなかったの
だ。
 何より、北郷一刀にとって『三国志』とは打破するべきものであり、縋り付く依り辺ではな
かったはずなのだ。


 立ち上がり、踏み出そうとした一刀の腕を、後ろから誰かが掴んだ。
 蓮華であった。
「やめろ北郷、おまえは……無力だ」
 固い声でそう言った。
 彼女はいまも気を失って倒れている小蓮を抱いている。
「……逃げるぞ。ついてこい」
 そう言って妹を背負う彼女の横顔は、とても辛そうであった。
 他人の無力を指摘して、自分の無力を嘆く。
 苦しそうに言ったその蓮華の表情で、一刀は彼女という人間が少しわかった気がした。
 本当はきっと、誰より優しい人間なのだろう。
 そして何より彼女は正しい。
 今更北郷一刀一人が彼女の前に立ちはだかったところで、なにも変わらない。

 だけれど、

「俺は逃げないよ」

 それでは、

「無力だから、一体それがなんだっていうんだ」

 止まれない!
537 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(14/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:08:43 ID:bsXt3xFD0
「俺は、苦しんでいる誰かが必死に助けを求めていて、それを見て見ぬふりをするなんてのは
いやだ!」

 無力を言い訳にして、じっとしていることなんてできない。

「綺麗事だってわかってる! それでも、目の前で泣きながら助けてって言っている子がいた
ら、俺は助ける!」

 そう、それが……

「俺にはあの霞が泣いているのがわかる! だから絶対助ける! それが俺だ! 北郷一刀だ
!」

 心のままに正直に、一刀は叫びを上げた。

 かつて彼は願った。
 『美羽や七乃、そして他のみんな、仲間たちみんなが仲良く笑っていられる世界が欲しい』、
と。
 それはいまも変わっていない。
 みんなを幸せにしたいと、そんな壮大な夢を見た特大のエゴイスト。
 この絶望的な状況で、北郷一刀はそんな夢想を、まだ諦めてはいなかった。

「なにを……言っているんだ、おまえがアレを止められるとでも!?」
 振り返って見ると、孫権の体は細かく震えていた。
 もう一度、霞を見る、
 確かにいまの彼女の姿は恐ろしい、悪鬼のようだ。
 だがそれでも、霞を見て怯える孫権を見て、一刀はとても悲しいと思った。
 本当は、彼女はこんなふうに誰かを怯えさせるような人間じゃない。
 だから、いまの孫権を見て、悲しいと思ったのだ。
542 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(15/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:11:31 ID:bsXt3xFD0
「違うよ。止めるんじゃない、俺は霞を助けるんだよ」
「たす、けるだと……?」
「ああ、霞があんな風になってしまったのは俺のせいだから、俺が助けるんだ」
 霞を見て、決意を口にして、己がやらねばならぬことを再確認する。
 ああなるまで追い込んだのが自分なら、やはりすべての責は自分にある。
 決着は自分がつけなくてはならない。

 一刀の言葉に、蓮華は信じられないものを見たかのように、呆然と呟いた。
「馬鹿だ……北郷一刀、おまえはとてつもない馬鹿だ。あんなものを助けるだなんて」
「馬鹿でいいさ」
「大体、あんなものを、どうやって……っ!?」
「……やり方なんてわからない。ただありのままの自分を、ぶつけてみる」
「無謀すぎる! そんなことをしてなんになる! 自ら死にに行くようなものだぞ!?」
「いや、違う。俺は、俺も霞も、二人ともが生きていくために行くんだ。俺は霞を助ける! 
そのためなら奇跡だろうと、どんな都合の良い荒唐無稽だって、なんだって起こしてやる!」

「北郷一刀……。おまえは、どうしてまで……」
 理解できないものを見るような孫権が首を振った、それに一刀は言う。

「だってさ」
 深く深呼吸する。
 そして、
「好きな子のことくらい助けられなくて、なにが男だよ!」
 万感の想いを秘めて、彼は走る。
547 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(16/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:14:23 ID:bsXt3xFD0
 ◇◇◇

「霞!」
 身近な距離を走り、一刀がその名を呼んだとき、ちょうど張遼は思春との戦いを終えたばか
りだった。
 思春の首を片手で掴んでいた持ち上げていた張遼が、輝く猛禽の瞳で一刀を見る。
 たったそれだけで、一刀の心は恐怖に負けそうになる。
 が、一刀は臆病な自分に喝を入れ、奮い立たせてその視線を正面から受け止めた。
「霞! 俺を見ろ! 霞が好きなのも、いま殺したいのも、俺だろう!? だったら、俺だけ
を見ろ!」

 両手を広げ、堂々と言った。
 それでも心のどこかが、怖がっている。
 殺されるかもしれないことが怖いいんじゃない。
 霞じゃなくなってしまった霞を正面から見つめるのが怖い。
 自分のせいで、あんな姿になってしまった霞を見るのが辛い。
 自分のしでかした結果を、見つめるのが苦しい。

 けれども、弱い心に打ち勝って、北郷一刀は彼女を迎えるように両手を広げた。
 すべてを真正面から受け止めるつもりであった。
 それが、なにもできない自分にできるただ一つのこととわかっていた。

 一刀に注意を向けた張遼は、掴んでいた思春の首を離した。
 重力に従って、ドサリと落ちる思春の体。
 傷だらけで到底無事とは思えないが、その胸元が小さく上下しているのを確認して、一刀は
安堵した。
552 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(17/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:17:39 ID:bsXt3xFD0
 だが、そんな一瞬の気の緩みも束の間、
「――か、はっ!?」
 急にその視界が暗転した。

 衝撃。
「ぐっ、げほっ、ゲホゴホッ!」
 堅いものが勢いよく背中からぶつかり、肺の中から空気が一気に外に押し出されて窒息感が
一刀を襲った。
 だが、一番痛いのはそこではない。
 額が痛い、割れるように痛い。
 眉間を殴られたのだ。
 そのことに思い至ったのは、激しく咳き込む中見上げた、空の青さのおかげであった。
 速すぎて近寄られたのも殴られたのもまったくわからなかった。
 首を起こして前を見ると、先ほどまで一刀が立っていた当たりに、仁王立ちした黄金の霞が
立っているのが見えた。
 その目は無機質で、なにも映していない。
 いまはそれが悔しい。

「くそっ……!」
 一刀は必死に体を起こし、力が入らない膝を両腕で支えて、やっとという様子でなんとか立
ち上がった。
 こんなことになるなら、美羽と遊んでばかりいないでもっと自分を鍛えておけば良かったと
思う。
「し、」
 『霞』そう名を呼ぼうとしたところを、神速で近寄った張遼の右のフックが一刀の顔面を捉
えてその口を遮った。
556 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(18/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:20:24 ID:bsXt3xFD0
 たった一撃で踏ん張りが利かなくなった足が崩れるより速く、今度は左からのフック。
 思い切り左に振れた頭が、今度は右へと振らされる。
 そして滑り込むような一撃が、がら空きの腹を狙い撃った。
「かっ!」
 腹を打たれる、一刀が受けたのはそんな生半可なものではなかった。
 それはいきなり内蔵が丸ごとひっくり返されて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような、ち
ょっと形容し難い一撃だった。
 恐ろしいまでに強烈な嘔吐感が襲い、一刀は堪らず体をくの字に折り曲げた。
 頭が下がり、無防備にさらけ出される後頭部。それを待っていたかのように、そこ目掛けて
打ち下ろしの拳が叩き込まれた。
 鈍い音が響き、一刀は抵抗することもできずに、俯せで固い地面へと倒れ込んだ。


 正直なところ、『どうにかなるだろう』と、まだそんなふうに軽く見る気持ちがどこかにあ
った。
 それはそうだろう。一刀はそれだけの絆を、霞を結んだと思っていた。
 だがどうだろうか。
 その甘い見通しの末は、無残なものだった。
 完膚無きまでに打ち倒されたのが、現実だった。

 そんな彼の中で、ある考えが鎌首をもたげた。
(霞にとって、俺は……)
 その程度の存在だったのか?
 そんな疑念が一刀の中をよぎった。
 大切に思っていたのは一刀だけで、想いは一方的なもので、霞の方はそうじゃなかったんじ
ゃないのか?
559 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(19/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:23:24 ID:bsXt3xFD0
 そんな疑念が次から次へと湧いてくる。
 いや、それは疑念と言うよりも、精神の冷静な部分の分析だった。
 一刀は霞が自分を攻撃してきた意味を、しっかりと読み取っていた。
 それはつまり、絆なんてものは幻想であり、奇跡なんてものは起こらないと、そんな大人の
理解であった。
(もう、霞は帰ってこない……)
 そう思ったそのときだった。

 一刀は不意に走った体の痛みに苦しんだ。
 息が詰まるほどの激痛に……、矛盾を感じた。

 『どうして自分は痛みを感じているのか?』

 そんな簡単な疑問に辿り着いた。
(そういえば、どうして、俺、生きているんだ?)
 痛みを感じると言うことは、生きている証拠だ。
 だが、霞が霞でなくなってしまったというなら、なぜ自分は生きていられるのか。

 その疑問の応えに行き当たると同時、一刀は突然自らの視界が開けた気がした。

「そう、だ……」
 彼女の心は、いまも天の意志≠ノ塗りつぶされてなんていない。
 もしも彼女が本当に霞でなくなってしまっているなら、一刀は最初の一撃で死んでいたはず
だ。
 それに、一刀が受けた攻撃はどれも拳によるもので、彼女は飛龍偃月刀を使っていない。
 容易に命を奪うことができる凶器を使っていない。
 それこそが、霞が消えていないという確かな証明ではないか。
 そう考えるとつじつまが合う。
 彼女はまだ霞だ。自分をぶちのめしたのは、霞だ。
565 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(20/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:26:22 ID:bsXt3xFD0
 どんな姿になっても、どんなことをしても、彼女はまだ霞だ。
 自分を殴ったのは、天の意志なんていう代物ではなく、彼女の意志だ。
 そう考えると、一刀は自分の心が再び奮い立つのを感じた。

 霞は天の意志そのものになったわけではない。
 そのことはのみならず、自分を殴ったのが紛れもない彼女の意志だったことを示している。
 それは彼女に拒絶されたということだ。

 けれども、その拒絶もわかる。
 そして、どれだけ拒絶されようとも、彼女がまだ霞であるというなら、一刀はそれをありの
まま受け止めるつもりだった。


 そうして一刀は、再び立ち上がった。
 気を失ったのが一瞬だったのか、霞の姿はまだ最後に見たのと同じ場所に居てくれた。
 相変わらず、なにも映していないように見える彼女の瞳。
 だが、一刀は躊躇わなかった。

「来いよ! 俺が霞の全部を受け止めてやる!」

 その言葉の直後に、霞の拳が飛んだ。
 それを一刀は顔面で、受けた。
 よろけて、踏ん張って、気合いで耐えた。
 更にまた拳。
 流石に耐えられずに、今度こそ膝をつく。
 しかし、その膝を無理矢理支え、一刀は立ち上がる。
569 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(21/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:29:25 ID:bsXt3xFD0
「もっと、もっとだ! 全部を俺に……!」

 霞の拳は容赦なく一刀を滅多打ち、そんなことがくり返される。
 一度、二度、三度と一刀は立ち上がる。
 顔は腫れ上がり、見える部分も見えない部分も痣だらけ。
 満身創痍。

 そうして、気が付いたときには一刀は霞に押し倒されていた。
 マウントポジションを取られ、それでもなお一刀は迸る言葉を止めない。
「俺が『天の御使い』で、霞が『張遼』であることは変えられない!」
 どうして彼女は自分を殺すでもなく、ただ殴るのか?

「でも、俺たちは生きてる! この世界で生きてる! だから俺も霞も、この世界を構成する
ただのファクターなんかじゃない!」
 それは、彼女が北郷一刀を拒絶しているからだ。

「俺たちは、泣いて、笑って、誰かを愛して、そんなごく普通の人間だ! 決められた役割な
んて、一側面でしかない! だから……だから、負けるな! 霞、自分自身に負けるな! 張
遼に負けるな!」 
 北郷一刀が霞の姿を見たくないと思ったように、きっと霞も、北郷一刀にそう思ったのだ。
 愛する者にいまの自分を見られたくないという拒絶の意志こそが、一刀に叩き付けられる拳
の正体だ。
 けれども、人を愛すると言うことは、拒絶されたとしても、向き合わなくてはならないとき
があるのだ。
 そして、結局だらしのない自分のツケは、自分で払わなければならない。
571 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(22/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:32:44 ID:bsXt3xFD0
「俺はありのままの霞が好きだから!」
 振り上がった拳が打ち下ろされ、一刀の顔が殴られる。
 右の次は左で。
 振り上げて、振り降ろす。
 振り上げて、振り降ろす。
 何度も、何度も、

 一刀の叫び。
「戻って来てくれ、霞!」

 くり返す動きから、徐々に力が無くなっていく。

「霞! 霞! 霞! 霞! 霞ぁぁぁぁああああ!」
 壊れたラジオのように、ただ愛しい者の名を呼んだ。

 何度も、何度も、何度も呼びかけ、
 何度も、何度も、何度も殴られ、
 ついに霞の動きが止まった。

 そして、一刀の顔を、なにかが濡らした。
「かずと……」
 彼女の唇が小さく動く。

「一刀……苦しいよ」
 その小さな声を、北郷一刀は聞き逃したりなんてしなかった。
 一刀は渾身の力を込めて体を起こし、その体を抱きしめた。
 本当は両手で抱きたかったけれども、左手が言うことを聞かなかったために右手だけで、半
分寄りかかるような、不格好な抱擁をした。
 そうやって精一杯、しっかりと彼女を抱きしめた。
576 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(23/33)[sageコピペミス…] 投稿日:2009/10/25(日) 22:36:10 ID:bsXt3xFD0
「ごめん、霞……ごめん」
 いつのまにか、霞を包んでいた黄金の気配は消え去っていた。
 そして、それに変わるようにして、滂沱の雨が霞の顔を流れ落ちていた。
「ウチが……ウチがみんなを、殺して、それで、それで……」
 たどたどしい、子供のような霞の声。
「ひっく、……こないな、ウチを見んで……見んといて……一刀……ぐすっ」
 その言葉に一刀は、
「やだ」
 と、短く答えた。

「俺は霞の全部が好きだ。戦いが好きなところも、お酒が大好きなところも、大ざっぱなとこ
ろも、全部好きだ」
 一刀は血と、涙で汚れた霞の顔を、やはり血で汚れた自分の手で拭い、

「だからさ……」
 顔にかかった髪をどけて、

「その重みを、俺も背負うから」
 唇にキスをした。

581 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(24/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:39:45 ID:bsXt3xFD0
 エピローグ



 あの戦と呼べぬ戦いから、二日のときが経過していた。
 最終的に呉軍が被った被害は、死傷者合わせておよそ四万弱。
 張遼旗下八百の騎兵によって受けた被害であるが、その実殆どが、張遼一人の手によるもの
であることを、軍中で知らぬ者はいない。
 その鬼神の如き強さは、足重く撤退する呉軍のうちで瞬く間に恐怖と共に広がっていた。
 結果としてこのとき植え付けられた恐怖心が、ひいては呉のその後の命運に大きく関わって
いくこととなるのだが、そのことを語るのはこの段階ではまだ早い。


「お二人とも、どうぞご無事で……」
 そう言って跪いたまま頭を垂れたのは、墨を流したかのような美しい長い黒髪と、ともすれ
ば他者に冷酷な印象を与えかねない鋭い目つきをした美女であった。
 彼女は周瑜。字を公謹、真名を冥琳という。
 雪蓮が最も徴用している重臣であり、呉最高の頭脳である。

 彼女が跪くこの天幕には、いま、四人の人間がいた。
 一人は彼女自身。
 そして、一人は冥琳に対して、やや疲れを滲ませた声で上座から声を返した雪蓮である。
「相当手ひどくやられはしたけれどね。その様子だともう既に見てきたみたいだけど、どう思
う?」
 大敗という結果を前に、それでもなんでもないことのように語る主君の言葉に、冥琳はやや
躊躇いを交えながらも実直に頷いた。
「正直なところ、これほどとは」
「でしょうね。……流石にあんなのが出てきたんじゃあ、どうしようもなかったわ。袁術ちゃ
んも、随分と恐ろしいものを懐に忍ばせてたもんね。……でもって、蓮華の勘は大当たり」
「……わたしも最初耳にしたときは、なにかの冗談かと思った。雪蓮の判断が間違っていたと
は思わない」
583 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(25/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:42:26 ID:bsXt3xFD0
 そう言って、二人は互いに目を見つめ合い、それから深いため息を吐いた。
 彼女たちが暗に言っているのは『もしも』の話だ。
 『もしも』雪蓮が蓮華の言葉に即座に従ったら、こんなことにはなっていなかったかもしれ
ない。
 『もしも』自分がその場にいたとしても、同じ判断をしただろうという、実のないIFの話で
ある。
 なんでもないふうに言ってのけた雪蓮だが、その実でなんでもないなどとは思っていなかっ
た。
 しっかりと、大事として受け止めている。
 そしてそれは、冥琳にしても同じであった。

「それで、結局最終的な被害の方は?」
「兵たちの被害はおよそ死者が三万。それに比べると怪我人の数はそうでもないんだけど、そ
れでも相当数。加えて、無事な兵たちの大部分も、当分の間戦闘は無理ね。あれだけの地獄を
見てしまったあとだもの」
「心の傷、か……。無理もない」
「そして、それと同じくらい痛いのが人的損害……」
 その言葉に、この場にいながらまだ一言も発していなかった二人のうち一人が呟いた。
「……幼平たちのことですな」
 そう言った彼女は、耐え難いことに耐えるように俯きながら震えていた。
 雪蓮や冥琳よりも、年かさな女。
 灰がかった長い髪を、ポニーテールにして後ろに流した彼女の名は黄蓋、字は公覆。名は祭。
先代孫堅の代から仕える宿将である。
 その宿将がいま、慟哭に身を震わせていた。
591 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(26/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:46:24 ID:bsXt3xFD0
「儂が、儂がおればこんなことには……っ! 天は、なぜ天は老いさばらえたこの儂を残し、
未来ある者たちの悲運を望んだのか!?」

 雪蓮が兵をまとめて『爆心地』であるそこに、蓮華たちのもとに駆けつけたとき、既にその
場に張遼の姿はなかった。
 そして残されていたのは、泣きくれる蓮華と、気を失った小蓮と、傷だらけの思春と、既に
冷たくなった明命と亞莎であった。
 幸いにして、すぐに応急手当が行われた思春は一命を取り留めたが、その彼女も意識不明の
状態である。
 無論、今回の人的被害はそれに留まらない。
 指揮官以上の被害も陳武他多数に渡り、新時代の呉の試金石であったはずの戦いは、幕を引
いてみればその次世代を担うはずの若者たちを、少なくない数失うという、悲惨なる結末とな
った。

 祭が涙を流す横で、平静を保っているように見える冥琳が問いかけた。
「それで、明命たちを弔う準備の方は?」
「もうあらかた終わっているわ。今日、あなたたちの到着を待ってから見送りをするつもりだ
ったのよ」
「そうですか……。蓮華さま、心中、お察しいたします」

 その言葉に、この場で口を開いていなかった最後の一人が、びくりと肩を振るわせた。
 それは雪蓮の横で俯いて座っている蓮華であった。
「冥琳、私は……」
 蓮華はそれだけ言って、言葉の途中でそれを呑み込んだ。
 彼女の顔色は悪い。きっとあの戦いから一睡もしていないのだろう、一目見て憔悴しきって
るのがわかった。
 そんな彼女の様子を見かねて、冥琳が口を開いた。
「蓮華さま。気にするなとは申しません。ですが、彼女たちは呉の礎となったのです。そのこ
とを、努々忘れぬよう……、もしもあなた様が倒れるようなことになれば、彼女たちも安らか
に眠れぬことでしょう」
「冥琳……」
594 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(27/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:49:40 ID:bsXt3xFD0
 不器用な慰めの言葉に、蓮華が小さく笑おうとする。
 だが笑えなかった。
 笑いたいのに、笑えないのだ。
「冥琳……私は、私は……」
 そしてそんな蓮華の肩に、優しく手が置かれた。
「では、行きましょうか」
「……はい、姉さま」

 先ほどとは別の天幕。
 その中心にはいま、二つの台が置かれていた。
 上にはそれぞれ、顔に白い布を被せられた二人の人間が寝かされている。
「明命! 亞莎……っ!」
 吐き出すように呟いたのは、祭だった。
 彼女はこれでもかと手を握りしめている。握りしめすぎて、手からは血が滴っている。
 けれども、誰もそんな祭になにも言うことができなかった。
 他の三人も、内に秘めた悲痛を隠せずにいた。

 水を打ったような静寂が、場を支配する。
 祭も、先ほど発した言葉を最後に沈黙していた。
 ただ四人、俯き、彼女たちの冥福を祈る。
 生者が死者にしてやれることなど、弔いの他にはそう多くない。
 ただ頭を垂れ、死を悼み、それを乗り越えていく。
 それが悠久の彼方、人類が死と生との間に分かち難い隔たりを見つけて以来の、倣いである。

 黙して語らず。
 そんな中、蓮華の頬から、滴が落ちた。
598 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(28/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:52:30 ID:bsXt3xFD0
 そして、その唇が小さく動く。
「……めいっ、しぇっ……」
 そしてもう一度。
「明命、亞莎……っ!」
 今度ははっきりと、その名を呼んだ。
 彼女の中で、もう言葉を交わすことのできぬ友たちの思い出が蘇っていた。
 明命とはつきあいが長く、母亡きあと、袁術によって雪蓮と離ればなれにされていたときも、
彼女はずっと彼女の傍にいてくれた。
 亞莎とは、それほど長いつきあいではない。だが、明命と同じようにその気を許せる相手だ
った。彼女のひたむきさは、常に蓮華の体を、心を支えてくれた。
「二人とも、どうして……っ!」
 ――どうして逝ってしまったの。
 声にならない声が、嗚咽にならぬ嗚咽が、次から次へと喉からせり上がってくる。
「ああっ! 明命っ! 亞莎ぇっ!!」
 涙を流し、その名を叫んだ。
 そして……

「呼びました?」
 と、蓮華の声に背後からそんな声が返された。

「―――は?」

 蓮華の口から、なんとも間抜けな声が漏れた。
 聞き覚えのある声に、全員が後ろを振り向いた。
 そして今度こそ全員、開いた口が塞がらなかった。
607 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(29/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:55:46 ID:bsXt3xFD0
 それも仕方ないこと。
 何せ、彼女たちの前に立っていたのは、亡霊としか思えない存在であったのだから。

「呼びましたか? 蓮華さま」
 そう、彼女たちの前にけろりとした顔で立っていたのは、死んだはずの明命、周泰幼平であ
ったのだ。

「み、みみみみ、明命!?」
「はい……なんでしょう、蓮華さま」
「おお! おお、幼平よ!? おまえ、それほどまでに未練であったか! 死してもなお主君
の呼びかけに応えるとは、見上げた忠誠心じゃ! 儂は、儂は猛烈に感動したっ!」
「お、落ち着きなさい! ゆ、幽霊などと、そんなっ!?」

 蓮華、祭、冥琳、それぞれが平静を失ったリアクションを返す中、一人雪蓮だけが冷静に、
その亡霊(?)に話しかけた。
「えーと、明命? あなた本物? 生きてるの?」
「はい? ええと、本物です。生きてます、よ?」
 小首を傾げて明命が言う。
 心底、なぜそんなことを聞かれるのかわからないといった風体である。
 その様子に、勢い乗り出して蓮華が言った。
「じゃ、じゃあ亞莎も!?」
「はい。向こうの天幕で寝てますけど……あ、華佗さん」
 と、そこで四人は、天幕が開いてそこから外の光が差し込んでいることと、外からこちらへ
顔を覗かせている者がいることに気が付いた。

「こんなところのいたのか。まだ寝ていないと駄目だと言っただろう」
「すみません。蓮華さまたちがこちらの天幕に入ってくるのが見えたものですから」
「それでも、だ。それでなくとも君はしばらくの間、絶対安静なんだぞ」
「はい……」
 叱られて、小さな動物を思わせる仕草で、明命がしゅんとうなだれた。
618 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(30/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 22:59:05 ID:bsXt3xFD0
 さて、こうなっては皆の注目の目は現れた男に向けられた。
 この男は何者か?
 明命に『華佗』と呼ばれた成年は、その身に白衣のようなものを纏っていた。
 それを見て、蓮華が問いかけた。
「もしかして、あなたが明命と亞莎を助けてくれたの?」
 それは全員の疑問の代弁でもあった。
 そして、華佗はこともなげに応えた。
「ああ、そうだが」
「でも、心の臓が止まって二日は経っていたのよ?」
「だが脳死には至っていなかった!」
 そう言って、華佗は白い歯を見せて笑い、握りしめて親指を突き出した拳を、ぐっ、と蓮華
に見せた。
「……納死?」
「そう、脳死だ。だがあと半刻遅ければ危なかった」

 言って一人で頷いている華佗に皆が困惑の眼差しを向ける中、雪蓮だけは顎に指を当てて考
え込んでいた。
「華佗……華佗、そういえば以前聞いたことがあるわね。各地を放浪して人々を治す高名な医
者がいるって。もしかして、あなたがそれ?」
「それは多分俺のことだが。高名だというのはただの買いかぶりだ。俺なんてまだまだ……今
回だって、俺が未熟だから、師匠から譲られた金針を失って……うっ!」
 と、それまで元気そうだった華佗が、突然苦しそうな顔をして膝を突いて苦しみだした。
「ぐ、ぐううっっ!!」
 脂汗を浮かべたその様子に、流石に尋常ではないと思い雪蓮は声をかけた。
「だ、大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ。流石に『地獄と天国』を使いすぎたな……少し疲れただけだ、休めば
すぐに治るさ」
 その顔は真っ青だったが、医者が大丈夫と言っている以上、雪蓮からはなにも言うことがな
かった。
630 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(31/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 23:04:23 ID:bsXt3xFD0
 一方、明命と亞莎の生存、華佗の登場、これらのことで、雪蓮を除く者たちはまだ目を丸く
したままであった。
 だが、その衝撃が余韻として色濃く漂っているここに、更に新たな声が割り込んだ。
「あ、いたいた。皆さまこちらでしたか〜」

 またまた天幕が開いた。
 そして、そこから明るい声と共に一人の女性が入ってくる。
「伯言!?」
「陸伯言、任務を果たして戻って参りました〜。って、はれぇ? 皆さんどうしたんですか〜
?」
 そうしてはつらつとした笑顔と、間延びした独特のしゃべりで入ってきたのは、陸遜伯言。
穏である。
 彼女は今回の呉軍の侵攻作戦に当たり、後詰めではなく、別の重要な役割が与えられて、別
行動をしていたのだ。
 そのこととは、北でぶつかる袁術主力軍と、曹操軍との激突をつぶさに見届けることであっ
た。

「なんなのかしら……嫌っていうほど立て続くわね。……それで、曹操軍の様子はどうだった?」
 雪蓮が、やや目つきを鋭くして、他の者たちが呆気にとられているのを置いて、穏に聞いた。
「はい。やはり曹操さんの軍は精強を極めてますねー。一筋縄ではいきません」
「そうでしょうね。それで、戦いはどうなったの? 袁術ちゃんはどの程度被害を与えられた
の?」
「はいー。えっとですねぇ。結果から先に言えば、袁術さんが勝ちました〜」
「はぁ?」
 穏の言葉に、雪蓮が眉をひそめて、顔全体で『意味がわからない』という表現をした。
「う〜ん。曹操軍は袁術軍と衝突することなく兵を退いたんですよ」
「なにっ!? それは本当か!?」
 その言葉に、祭が聞き捨てならないと穏の肩を掴んだ。
「は〜い、わたし嘘なんていいませんよ〜。だから祭さま、落ち着いてください〜」
「ええい、これが落ち着いてなどいられるか! 袁術はいかなる妖術を用いて曹操軍を撤退さ
せたのだ!」
641 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(32/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 23:08:05 ID:bsXt3xFD0
 それは誰もが思う疑問だった。

「えっとですねぇ……」
 周囲が注目する中、穏がこほんと咳払いをする。
 そして彼女の口から出てきた言葉は……
「歌合戦です」
 やはり、想像の外のものであった。

「……はぁ?」
 再び全員が目を丸くした。
 すると穏はゆっくりとしたマイペースな口調で説明を始めた。
「だから歌合戦ですよー。十日間睨み合った両軍は、最終的に歌合戦で決着を付けることにし
たんです。負けた方がその場から軍を撤退させるという約束で」
「まさかそれで……」
「はい。最後は袁術さんたちがその歌合戦に勝ってしまいまして、曹操さんたちは北へ撤退し
てしまいました〜」
「ば、馬鹿な。そんな……」
 歌合戦で、戦いを回避した?
 歌合戦で、敵を退却させた?
 そんな馬鹿なことと、思って当然、いや然るべきだ。
 だがそれに、ただ一人、雪蓮だけが笑っていた。

「は、あはははっ! なるほど、不条理で滅茶苦茶ねぇ」
「策殿! 笑い事ではありません!」
「まあまあ。いかにもって感じだけど、確かに袁術ちゃんならやりそうではあるわね」
653 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来5」(33/33)[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 23:12:07 ID:bsXt3xFD0
 よほど面白かったのか、目尻に涙を浮かべた雪蓮は、お腹を押さえて笑っている。
 一方、祭は鬼の形相で『戦いを侮辱するか袁術!』と怒り狂っていた。
 だがその他の者たちは、皆一様に複雑な表情を浮かべていた。
 あの袁術が、曹操を退けるとは思ってもみなかったからだ。
 一方で、憎くき袁術を、自分たちの手で討つ機会が残っていることに安心したのも事実だ。
「でも私の読みだと、袁術ちゃんのことだから、何にも考えないで曹操と戦って、けちょんけ
ちょんにやられると思ってたんだけどねぇ」
「しかし、そうはならなかった」
 雪蓮の言葉に、鋭く冥琳が言葉を挟んだ。
「うーん。誰かが袁術ちゃんに悪いことでも吹き込んだんじゃないかしらね?」
「吹き込んだ? 一体だがそんなことを……」
「さぁて……でもそれを見つけられるかどうかが、今後の呉の未来を左右するような気がする
わ」
 雪蓮はそれだけを言うと、穏の脇を抜けて天幕から出て行ってしまう。

 雷神£」遼の出現。
 まるで図ったかのように現れた華佗の出現と明命、亞莎の蘇生。
 歌合戦による決着。
 なにもかもが腑に落ちなかった。
 まるで自分の知らない、得体の知れない仕組みを突きつけられたようだった。
 それを知らなくてはならないと思う。
 呉の未来は、その仕組みの先にしかないように思った。

 雪蓮は切れ長の目を鋭くして、天幕の外に広がる空を見上げた。
 その向こうにあるのはなんなのか、それを見極めるようにして、いつまでも青い空を見上げ
ていた。

662 名前:メーテル ◆999HUU8SEE [sage] 投稿日:2009/10/25(日) 23:19:39 ID:bsXt3xFD0
わたしの名はメーテル……投下終了を告げる女。
ということで、今回のお話は幕引きよ。
美羽と七乃の裏側では、こういう真面目なお話も行われているのよ……主に一刀が苦労する形で。

支援してくださった皆さん、ありがとう……感謝を、あなたに。
この戦いの裏側、北で美羽たちが何をしていたかも、ある程度書き進めてあるから、次はそれかもしれないわね。



追伸:ここまでやっておいてあれだけれども、「美羽と七乃」全体の流れは霞純愛ルートではないのよ、鉄郎。

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