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231 名前:メーテル ◆999HUU8SEE [sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:22:49 ID:B2sCQU3T0
わたしの名はメーテル……今日も9時30分から投下する女。
今回でちょうど半分よ、鉄郎。
233 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(1/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:30:44 ID:B2sCQU3T0
 荒い息をした馬が止まる。
 蓮華と亞莎。張遼の追撃を振り切った二人が到着したのは、後方に据えられた『もう一つの
本陣』であった。
 まばらであるがきちんとした天幕が用意されているそこは、本来のそれに比べるとこぢんま
りとした印象を受けるものの、しっかりと機能を備えた司令部なのである。

「そ、孫権さま!?」
 早速蓮華の到来に気付いた見張りの兵士が、慌てて跪いて礼をする。
 そしてそれに気が付いた周囲の兵士たちも、腰を落とそうとするのを見て、蓮華は手を上げ
てそれを制した。
「ご苦労様。勤めを妨げるつもりはないわ。そのまま続けてちょうだい」
「はっ!」
 跪いていた兵が勢いよく立ち上がり、その他の兵たちも揃って礼をした。

「ふぅ……」
 職務に戻る兵士たちを見ながら、蓮華がため息をついたのも束の間、
「蓮華姉さま!」
 背中から突然襲われた。
 誰かが、勢いよく彼女の背中に飛びついたのである。
 こんなことをする心当たりは一人である。
「姉さま〜姉さま〜」
「こら小蓮っ!? もう、やめなさい!」
 負ぶさるように蓮華の背中にぶら下がっていた娘が、言い当てられて「えへへ〜」と言いな
がら手を離して足を降ろした。
 振り向いた蓮華の前に立っていたのは、蓮華や雪蓮と同じ髪の色をした、まだ幼さが色濃く
残る少女だった。
234 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(2/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:33:18 ID:B2sCQU3T0
 彼女の名は孫尚香、真名を小蓮という。
 孫策、孫権に続く孫家三姉妹、末の妹である。
「ごめんなさーい」
 小動物のように屈託なく笑う彼女こそが、この司令部の本来の主人であった。
 城を攻略したあと、そこに入って駐留する軍の指揮官を任される予定だった彼女は、雪蓮の
指示の下、その予習としてこうして小さいながらも陣を一つ構えて、後方で控えるように言い
つけられていたのである。
 下手をすれば指揮系統の混乱を招きかねない強引な実地訓練であったが、今回はそれが幸い
した。

 本陣を攻撃され、司令官である蓮華が逃走するという手痛い失態を犯しながらも、呉軍の指
揮系統が崩壊しなかったのは、『第二の脳』とも言えるこの中枢があったからに他らない。
 偶然の産物であるものの、まさに不幸中の幸いであった。

 蓮華はじゃれついてくる小蓮を困ったような顔で見ながら聞いた。
「雪蓮姉さまは?」
「姉さま? 姉さまなら、怖い顔をしてあの天幕にいるよ」
 言って小蓮が指さしたのは、他のものより一回り大きな天幕だった。
 おそらくそこが、本来小蓮がいなければいけない場所なのだろうことは容易に想像がついた。

 亞莎に目を向けると、彼女は心配そうな顔で蓮華を見つめていたが、蓮華が頷くと自らもお
ずおずと頷きを返した。
「では亞莎は、打ち合わせ通り張遼を足止めするための策で、時間を稼いでちょうだい。その
間に私の方も話をまとめるから」
「……はい」
237 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(3/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:36:58 ID:B2sCQU3T0
 そう目を伏せて礼をした亞莎はなにか言いたげであったが、蓮華はあえてそれに気付かない
ふりをして無視した。
 そして、雪蓮がいるという天幕の方を見る。
 自分の考えは間違っているのかもしれない。けれど直感によるひらめきを常日頃から大切に
するように言っている姉なら、わかってくれるという気持ちもどこかにあった。
 と、そんなことを思っていたために、こちらを見て心配そうにしている小蓮に気付くのが遅
れた。
「蓮華姉さま、大丈夫?」
「……ええ。ちょっと考え事をしてしただけよ」
「うーん、そうなの? なにか、蓮華姉さまも亞莎もちょっと変な気がするけど……、そんな
に敵の奇襲ってすごかったの?」
 可愛らしく小首を曲げてそう聞いてきた小蓮の言葉に、蓮華が怪訝な顔をした。
「小蓮。ここにはどの程度の情報が入ってきている?」
 そして聞いて、自身の中で不安が増大したのを感じた。
「え? うぅん……姉さまたちの本陣が敵の奇襲攻撃を受けたってことくらいかな。あとはそ
のときに少し被害が出たってことくらいで 他のことはなにか色々混乱してて……って、姉さ
まどうしたの?」
「ん、いや……」
 危機感なく、きょとんとした顔でそう言う小蓮の姿を目にして、
 ――危うい
 蓮華はそう思った。

 いま小蓮が話した情報には、肝心要のことがすっぽりと抜け落ちてしまっている。
 鬼神のごとき、あの張遼の異様が彼女には伝わっていない。
 それだけではない。あれだけ想像を絶する奇襲攻撃を受けたというのに、この陣地にはどこ
か緩んだ空気すら漂っている。
 見回すと、誰しもが先ほどまでの蓮華たちのような、勝利を確信した希望に満たされた顔を
している。
 そこには、あるべき危機感がまったく足りていなかった。
239 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(4/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:39:23 ID:B2sCQU3T0
 あるいは、姉が兵たちに動揺を招かぬようにと情報を制限しているのかもしれないとも考え
たが、それでもいまの蓮華には、この状況が危険な兆候のように思えてならなかった。



「姉さま、ただいま到着しました」
 天幕に入りそのように挨拶をすると、現れた司令官の姿に周囲が一斉に静まりかえった。
 その中で蓮華はさっと、天幕の中の人員を確認する。
 やはり、そこには本陣で散り散りになった群臣たちの姿がなかった。
 つまり、あの場からここへ辿り着けたのは、今のところ自分たちだけということである。

「無事で良かったわ。張遼の騎馬隊に奇襲を受けて、本陣を脱出したと報告を受けたときは、
流石にひやっとしたわよ」
「お恥ずかしい限りです」
 そう言って、蓮華は神妙に頷いた。
「んー……。それで? なにか言いたいことがありそうな感じだけど?」
「………」
 その言葉に、蓮華は内心で舌を巻いた。
 こんなふうに心中を言い当てられたとき、この姉にはなにかもすべてがお見通しなのでない
かと思ってしまうことがある。
 同時に、そんな姉を相手にこれから自分が行わなくてはならない説得の難しさを、蓮華は改
めて確認した。
 それでも、最初から気圧されるわけにはいかない。
 蓮華は雪蓮の目を見てきっぱりと切り出した。
243 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(5/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:43:28 ID:B2sCQU3T0
「姉さま。私はこの度の戦、一度撤退して体勢を立て直すべきだと考えます」

 開口一番の撤退進言。
 その言葉に、一瞬周囲がしんと静まりかえった。そして一斉に、先ほど以上にざわめきが馬
を支配する。
 周りにいた臣下たちは、蓮華の言葉にそろって驚愕と困惑を示している。
 それはそうだろう、彼らは勝利を確信していたのだ。まさかそれを蓮華の口から水を差され
るとは思っていなかったのである。
 だが一方の雪蓮は、聞いた直後こそかすかに驚いた顔を覗かせていたが、いまはもう平素通
りの不敵な笑みを浮かべているだけであった。

「……意外ね。あなたのことだから、真っ先に報復に飛び出していきかねないと思っていたの
に」
 片目を瞑ってそう返す。
 すると蓮華は、姉の言葉が終わって一呼吸の間を置いてから、口を開いた。
「このままアレと戦うのは、危険が大きすぎます。どれだけの犠牲が出るかわかりません。我
々は一度退いて対策を練ってから出直すべきです」
「……あなたの言いたいこともわかるわ」
「と、いうと……?」
「私も、張遼を相手にするのは割に合わない犠牲を払わなくちゃいけないことをわかっている
わ。でも、撤退するというあなたの意見に頷くことはできない。これは決戦なの。ここで張遼
を討っておかなければ、呉の将来に重大な禍根を残すことになりかねない。まずはなにがあっ
ても勝利すること、それが第一よ」
「姉さま! 姉さまはなにもわかっていません! アレを相手にするのはそんな次元では……」
「蓮華、いいから少し頭を冷やしなさい。敵は実質単騎なのよ。確かにそれなりの被害を出す
ことになるでしょうけど、正面から落ち着いて戦えば、なんの問題もないはずよ」
「姉さま!」
244 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(6/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:45:45 ID:B2sCQU3T0
「それに、既に張遼を討つべく、徐盛に部隊を率いさせて向かわせているわ。だから安心しな
さい。万事心配いらないわ」
 いまの呉軍の司令官は蓮華である。
 だが、姉が徐盛を向かわせたことを、勝手と非難することはできない。
 それはむしろ、指揮不能となっていた蓮華の代わりを務めていてくれただけなのだから、感
謝こそすれ非難できようわけがない。
「それに何より、既に四将軍が城を包囲して攻撃を始めているいま、こちらの勝利は時間の問
題。ここで退く道理がないわ」

 聞き分けのない子供に諭すよう言われた、穏やかな姉の言葉。
 彼女の言い分はまったく正しい。
 雪蓮が口にしたことが正論なのは確かだ。だが蓮華の理性ではない部分が、姉の判断は間違
っていると叫んでいた。
 惜しむらくは蓮華の中に、そのことをうまく伝えられるだけの言葉がなかったことである。

 戦闘中止を訴える司令官、続行を命じる王。
 言葉を交える二人の間には、驚くほどの温度差があった。
 そしてそれを埋めようとやっきになるほど、齟齬が生じて二人はますますかみ合わなくなっ
ていく。
 雪蓮の瞳に迷いはない。彼女はこの戦いの勝利を確信しきっている。
 それはそうだろう。いくら強いと言っても所詮は孤人。十万からなる群≠ナある呉軍が負
けるはずがない。そう考えるのが当然だ。
246 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(7/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:48:13 ID:B2sCQU3T0
 だが、一方で蓮華の考えはそうではない。
 あの張遼の強さは理屈じゃない。
 なにがあっても、あれは戦うべき相手ではないと感じているのだ。
 無論、蓮華の現状把握能力は、歴戦の猛者である姉のそれに遠く及ばない。
 けれど蓮華の中のなにかが、あの張遼は危険だとずっと警告しているのだ。
 ただの直感、されど直感。
 晴天の雷鳴に龍を感じて以来の、胸騒ぎがそこにはあった。
 なにか取り取り返しがつかないことが起きてしまうと、そう感じるのだ。
 蓮華はそんな心の声に従って、己の直感を信じて、更に辛抱強く説得を続けた。
 何より姉ならわかってくれる、そう思っていた。

 しかし、それが甘い見通しであったことを蓮華は知ることになる。

 ◇◇◇

「あの……」
 小蓮の言葉に、雪蓮と蓮華は反応しない。
 二人が話し始めてから、幾分か時間が経過していた。
 議論は平行線を辿り、やがてはその間に不穏な空気が漂い始めている。
 そんな兆候を察した小蓮がおずおずと口を開いたが――。
「………」
「………」
 二人は黙したままで、末の妹の言葉など一顧だにしない。
250 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(8/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:51:12 ID:B2sCQU3T0
「張遼を討ち、城を攻略する。ほんの少しの辛抱、そんなに難しいことじゃないわ、私たちに
はそんな子供の使いもできないと言いたいのかしら」
「そうは言っていません。私はいまは一度引くべきだと言っているのです」
「好機を逃せば、次はないかもしれないのよ」
「大業を成すなら、始めこそ慎重になるべきです」
「慎重と臆病は違うわ……そろそろ冗談では済まないわよ」
「これも呉のことを考えてのことです」
 当初穏やかだった雪蓮の目が、徐々に本気の色を帯びてきているのが小蓮にもわかった。

 雪蓮と蓮華。この普段仲が良い姉妹は、滅多にないことだがこうして一度こじれ始めると、
互いに退けなくなってしまうことがままあった。
 こうと決めたら退かない強情な姉に、同じく強情な妹。
 あるいはそうした気質は孫家の血筋なのかもしれなかったが、こうして二人が衝突した場合
に仲裁するのは母孫堅であり、宿将黄蓋であり、つきあいの長い周瑜の役目であった。
 だが、残念ながらその三人はこの場にいない。

 だがいなくとも、誰かがやらねばならぬ。
 何よりいまは戦いの最中なのだ。ならば自分がやるしかないではないか。
 意を決して、小蓮は口を開いた。

「ま、まあまあ。蓮華姉さまも無事に戻ってこられたんだから、そんなふうにピリピリしなく
たって……」

 途端、
『『子供は黙っていなさい!』』
「ぴぃ!?」
 二人の口からぴしゃりと雷が落ちた。
 そしてそれを契機に、二人の言い合いは更に加速する。
255 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(9/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:54:16 ID:B2sCQU3T0
「大体! 姉さまは現状に危惧を抱いてらっしゃらないのですか!」
「兵たちの士気は高いわ! 確かに引き締めは必要でしょうけど、そのことで必要以上に慎重
になる必要もないと思っているだけよ!」
「私は必要なだけの慎重さを持つべきだと言っているだけです!」
「……っ! ねぇ蓮華、なぜそんなに焦っているの? まさか単騎相手に怖じ気づいたわけじ
ゃないでしょうね?」
「雪蓮姉さま方こそ、ことを急ぎすぎではないですか? 姉さまの思い描く孫家の天下とは、
いまを逃せば次がないものような脆弱なものなのですか?」

 あっという間に二人の緊張感が高まっていく。
 このままではまずい、そんなことを思ったときだった。
 この場面に、実に間の悪い人間が一人、姿を見せた。

「こ、これは一体!?」
 と、天幕の入り口に立ち尽くして声を上げたのは、蓮華と別れて時間稼ぎの策を各方面に指
示を出して戻ってきた亞莎であった。
 状況を把握できないでおろおろとしている亞莎が、小蓮にはこのときばかりは輝いて見えた。
「亞莎! 良いところに!」
「小蓮さま、これは一体どうしたことですか!?」
「なにって見てのとおりよ! 姉さまたちが大変なの! 早く止めてあげて!」
「え、ええ!? わ、私がですか!?」
 来て早々、思いもしなかった難事を託されて、亞莎が狼狽する。
 無理、絶対に無理。
 そんなことを思いながらも、も責任感の強い亞莎は断ることができず恐る恐るといった様子
で二人の間に割り入った。
257 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(10/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 21:57:17 ID:B2sCQU3T0
「あの、お取り込み中申し訳ございません……呂子明、ただいま戻りました……」
 生きた心地がしないとはこのことか。
 そんな心境で、顔を服の袖で隠す仕草をする亞莎を見た二人は……
「ちょうど良いところに来たわね亞莎。あなたからもこの頑固者に言ってあげてちょうだい。
いま退くことがどれだけ愚かかということを」
「ちょうど良いところに来てくれた亞莎。一緒に姉さまを説得して欲しい!」
 蓮華と雪蓮、二人から両肩を掴まれた。
「え、えええ!?」
 無論、そんな展開になって、亞莎はますますおろおろとするばかりであった。

 一方、周囲にいた人間たちは、そんなやりとりに呆気に取られるばかりで、こっそりと外へ
抜け出す小蓮を見咎める者など居はしなかった。

 ◇◇◇

「まったく! 姉さまたちったら失礼しちゃうわ!」
 のしのしと歩く虎の背に跨った小蓮は、そのスジの人が見れば一発でメロメロになるような
仕草で頬を膨らませていた。
「なんでシャオのときは『うるさい小蓮』で、亞莎のときは『ちょうど良かった亞莎』なのよ。
失礼しちゃうわ、まったく、まったく、もうっ!」
 彼女が可愛らしく怒っているのは、一大決心をして止めに入った結果が、散々であったこと
が原因である。

「そりゃあ、シャオはまだ子供かもしれないけど……。中身は立派な大人なんだから!」
 そうやって小蓮がぷりぷりと頬を膨らませている間も周々はのしのしとその歩を進めていく。
「もういいもんっ! 周々!」
 その合図で、待ってましたとばかりにだっと虎が駆け出した。
 顔に当たる風が気持ち良い。
 そうしていると、ささくれだった気持ちが安らぐのを感じた。
261 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(11/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:00:27 ID:B2sCQU3T0
 しばらく走って辿り着いたのは、陣中の一角にある小高い丘だった。
 丘の上からは、遠く果てまで続くのではないかという呉軍の陣容が目に入った。
 そこから見える光景は、改めて圧倒されるほどの迫力があった。
 これこそが、呉の力なのだと再確認させられて、見ているだけで沈んだ気持ちが充実するの
を感じた。

 だが、そんな光景を眺めていた小蓮は、ふと違和感に気が付いた。
 普段より孫の字が書かれた旗が多い気がする。
 いや、意識して見ると、明らかに多い。本来立てる必要のない場所にまで孫旗が翻っている。
 これはどういうことだろうか、そんなことを思って丘からの景色を眺めていた小蓮の耳に、
不意に風に乗って人の声が届いた。
 聞こえてきた方へ意識を向けた小蓮は、突然視界の端が、朱に染まったのを目撃した。
 ゴミが入ったのかと思い、手で目をごしごしと擦り、それからもう一度よく凝らして見た。
 すると、目の良い小蓮はそこにいるものの正体がわかった。

 それは人だ。
 下は足元までの長い袴、上は露出の大きな服を着た女だ。それが手にした槍を操って、呉軍
の中で単身暴れ回っていた。
 女が進む先に血の花が咲く。女が進んだあとにはなにも残っていない。
 思わず自分の目を疑ってしまう、そのくらい、女は出鱈目に強かった。
 小蓮も、思春や祭の強さを間近で見たことがあるが、目にした女の強さは、更にその上をい
っていた。
263 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(12/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:03:43 ID:B2sCQU3T0
 少なくとも、槍の一振りでまとめて数十人なぎ倒すことができるような人間を、小蓮は知ら
ない。
 と同時に、叫びの意味に思い当たる。
 それはつまり、『張遼が来た』ということだ。
 ついで、暴れ回る張遼を見ていて、無数に立っている旗の意味にも気が付いた。
「なるほど。あれだけ旗が立っていたら、どこに姉さまたちがいるかわからないっていうわけ
ね」
 よく見てみれば、孫旗以外の旗は降ろされているか、控え目に掲げられている。
 これならば、旗を目印にして居場所を探すというのは難しいだろう。

「そして、あれが蓮華姉さまが言っていた張遼ってことね」
 呟き、改めてまじまじとその姿を注視して、小蓮はぶるりと小さく身震いをした。
 返る血も構わず、獣のように突き進むその姿。
 確かにこんな壮絶苛烈な戦いぶりを見せられれば、蓮華の言うことにも頷けないでもない。
「でも、だったらっ!」
 そう言って奮起し、彼女は日頃から使っている戦輪ではない武器、腰の後ろに穿いていた弓
を取り出した。
 弓腰姫、彼女がそう呼ばれる所以である弓を構え、小蓮は狙いを定めた。
 見える範囲に敵は一人しかいない。
 標的は視線の先で暴れ回っている、あの猛将だ。
「小蓮がやっつけちゃうんだからっ!」
 口だけは勇ましく、指先は楽器を爪弾くように繊細に。
 キリキリと、力を込めて弓を限界まで引き絞り、ただひたすら射る的だけに意識を集中させ
る。
267 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(13/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:07:11 ID:B2sCQU3T0
 赤い嵐のような猛威が近づいてくる。その距離が縮まっていく。
(まだ……)
 堪える小蓮。
 やがて、そうときを置かずに、張遼は小蓮の射程ギリギリに到達した。
(……まだよ)
 まだ指を離さない。
 視界の先で、おぞましくも美しい武の化身が更に近づいてくるのが見える。
 けれどもまだ矢は放たない。
(狙うなら)
 更に距離が縮まり、ついに張遼が必中の境を踏み越えた。
 その瞬間、
(いまっ!)
 彼我の距離が零になったような錯覚を覚え、小蓮はついに矢の束縛を解き放った。
 だが、
「っ!?」
 細い指が矢の束縛を解くのと同時、それまで余所を見ていた張遼の顔がぐるりと動き、その
視線が小蓮を捉えた。
(まず……っ!)
 弦の振動を抑え込み、反射的に矢をつがえて第二射を放つ。
 一撃必中、息も尽かせぬ連射。それが的を射貫かんと風を切る。
(よしっ!)
 手応えはあった。
 間違いなく最高の射だった。
 絶対に命中する。
 しかしそんな確信は、次に目にした光景で霧散した。
270 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(14/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:09:23 ID:B2sCQU3T0
「うそっ!?」
 呆気に取られて声を上げる。
 小蓮の動体視力すら及ばぬ速さで張遼の左手が掻き消えたかと思うと、次の瞬間その手が前
方でなにかを掴んだのだ。
 なにを掴んだのか、それを他でもない小蓮がわからないはずない。
 自分が射た矢を、張遼は空中で素手掴みにしたのだ。
 常識的に考えて、狙ってできる芸当ではない。
 
(でもっ!)
 と、小蓮は心中で続けた。

 飛来する、もう一つの矢。
 一の矢を止めた張遼は、続く二の目の矢を同じようにして槍を握った右手で掴み取った。
 左右の手が矢を掴んでいる。
 それを見た小蓮は、

「最後っ!」
 つがえて狙いを定めていた、三本目の矢を放った。

 一本目が掴まれた段階で用意していた三本目の矢が風を切って飛翔。
 そしてそれは、刹那ののち、ついに張遼の脳天を射貫いた。
 命中の拍子に張遼の首が跳ね上がり顔が上を向く。
(やった!?)
 小蓮が期待を込めて見つめる中、張遼の四肢がだらんと伸びたような形になった。
 この戦場において、決して止まることのなかった体が、ついにその動きが止めたのである。
275 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(15/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:12:17 ID:B2sCQU3T0
「やったああ!」
 丘の上では、射手が歓声を上げてその場で飛び跳ねていた。
「これがシャオの実力だもん! 思い知ったか!」
 いくら化け物じみていても、頭を射貫いて倒れぬはずがない。
 張遼を倒した。
 蓮華が恐れた敵を、自分が討ち取ったのだという喜びを、小蓮は飛び跳ねて表現する。
「ふーんだ、これで姉さまたちもシャオのことを無視できなくなるんだから!」
 そんな風にして、得意げになって笑う。
 そう、笑っていると……

 不意に、風が、唸った。

「え?」
 近くで、『ガオンッ』としか表現できない、耳にしたことのない音がした。
 そして遅れて頬に、強い風が吹き付ける。
 その次は、「がっ!?」「ぐっ!?」「ぎっ!?」という、悲鳴のような音。
 なにが起こったのか。
 それを確認するため、小蓮は慌てて声がした背後を振り返った。
 すると、少し離れたところに重なり合うようにして倒れている兵士たちがいた。
 いや、それは倒れているのではない。誰が見ても一目瞭然に、彼らは全員まとめて事切れて
いた。
 そして、それだけの惨状を生み出した兵器とは……。
「どうして、シャオの矢、が?」
 それだけ理解した小蓮は、そんな馬鹿なという気持ちを抑えて、恐る恐る向き直った。
 そこにあったのは先ほど動きを止めた張遼の体。
 だだ、先ほどまでと違う点を一つあげるとするならば……

 その左手が、前へと突き出されていた。
278 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(16/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:16:26 ID:B2sCQU3T0
「ひっ……!?」
 ぞわりとしたものが小蓮の背中を這い上がり、本能が彼女に小さな悲鳴を漏らさせた。
 そして小蓮が見ている先で、脳天を打ち抜かれたはずの張遼の首が、ゆっくりと動いた。
 動いて、空を仰いでいた顔が、もとの位置へと戻っていく。
 そうして地に対して水平に目線を戻した張遼の歯には、三本目の矢が挟まれていた。
 だが、そんなことより小蓮に恐怖を喚起させたのは、己をまっすぐに凝視するその目が、不
気味な金色に輝きを発していることだった。

「見つけたァ!」
 喜色にまみれた声が上がる。
 小蓮の姿を確認した張遼は、音を立てて鏃をかみ砕き、それを口から吐き捨て、地面を蹴り
抉りながら天高く跳躍した。
「今度こそきっちりバラしたる!」
 白刃煌めく大槍を手にした張遼が、人間離れしたバネで空を舞う。
「うおおおおおおおおおおおお!!」
 叫び上がる獣の咆吼。
 逃げなくてはと思う。
 けれども耳にした小蓮の体が、彼女の意思とは裏腹にすくみ上がって硬直してい
た。
 ――逃げられない
 そう感じた。

 けれども、天意はこのとき少女の味方をした。

「総員、てぇっー!」
 飛び上がった張遼に対して、待っていたとばかりの号令が響いた。
 弓兵隊長の合図の直後、無数の弓なりの音、そして飛来を示す風切りの音がした。
 一斉、空中という遮蔽物の一切ない場所に躍り出た獲物に、射かけられる矢の嵐。
281 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(17/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:20:12 ID:B2sCQU3T0
 跳躍した張遼を待ち構えていたのは、視界を真っ黒に埋め尽くすほどの飛翔物。
 実際に矢が到達するより先に、音でそのことにいち早く気が付いた張遼は、小さく舌打ちを
してから、器用に手の中で飛龍偃月刀を風車のように回転させた。
「しゃらくさいわァっ!」
 すると張遼の槍の回転が、大車輪と化して矢を阻む盾となる。
 のみならず、槍の高速回転が大気を攪拌して気流を生み出し、強烈な竜巻を作って巻き込ん
だ矢の軌道までをも変えてしまう。
 標的を射貫くことなく矢が次々落ちていく。あるいは明後日の方向に飛んでいく。
 そうやって飛んでくる矢の濁流を防ぐ張遼の並外れた行動に、当の射かけた弓兵たちの方が
動揺を示した。
 当然だ。彼らはこんな人間がいるなどとは、露ほども思っていなかったのだ。
「怯むな! どんどん撃て!」
 兵たちの中に走った衝撃に気付いた別の弓隊長が叫ぶが、もう遅い。
 いまの霞には、矢勢が弱まったその一瞬は、十分すぎる猶予であった。
「ふ――っ」
 張遼は息を吸い込んで飛龍偃月刀の回転を止め、それから体を反らし、背負うようにして大
きく振りかぶった。
 そしてそれを、体の捻りを加えて、上から下へ、勢いよく地面に向かって振り降ろす。
「せぇえいっ!」
 かけ声と共に振り降ろされた得物から、不可視の衝撃が走った。
 瞬時に落着。衝撃が周囲の兵士を巻き込みながら、それは轟音と共に大地に大穴を穿つ。
 密集地帯に叩き付けられた攻撃は、無数の人間の血を顔料にして、戦場に大輪の花が咲かせ
る。
 だが、それで終わりではない。
「るぅらぁああああああああああ!」
 張遼は振り降ろした刃を、気合いの一声と共に、そのまま横へ滑らせた。
 すると刃の軌跡に合わせて、筆を走らせるようにクレーターから一直線に朱が伸びた。
 進む先に血柱が上がっていた。
288 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(18/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:24:29 ID:B2sCQU3T0
 瞬間遅れて、数え切れない断末魔の叫びが上がる。
 大地に残された傷痕、吹き上がった血柱、呆然とした兵たちの頭上に遅れて降り注が
れる鮮やかすぎる赤い雨、そして耳を塞ぎたくなるような悲鳴。
 現実感すら喪失しかける、まさに悪夢としか思えない尋常ならざる壮絶な光景。
 それは兵たちの心に、かつてないほどの恐怖を呼び起こさせるに十分であった。

「う、うわああああああああああああああああああああああ!!」「逃げろ! 逃げろ逃げろ
逃げろぉ」「鬼だ、鬼が来る!」「張遼は鬼じゃ!」「助けてくれ! なんで俺が!」「嫌だ
ぁ! こんなところで死にたくない!」「遼来! 遼来!」「助けて、誰か助けて!」「俺は、
俺にはまだやりたいことが!」「あああああああああああ!!」「わああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 一つの叫びが二つの叫びを呼び、二つが四つ、四つが八つ。恐怖は伝染し拡散する。
 唐突、残っていた兵たちが、一斉に恐慌状態に陥った。
 誰しもが我先にと、前のにいる人間を押しのけてその場から逃げ出そうとする。
 統率も、連携もなく、ただ本能をむき出しにして逃げようとする兵たち。
 こうなってしまうと、人の群れとは存外脆い。いかな訓練された軍隊であろうとも、一度瓦
解してしまえば、あとに残されるのはただの烏合の衆に過ぎない。
 結果としてこのとき、周囲の呉軍は雪崩をうって総崩れとなった。

「ひ、ぃ……や、」
 目の前には滅多矢鱈と逃げ惑う大人たち。
 半潰走状態に陥った軍勢、その混迷のただ中に、腰を抜かして尻餅をついた小蓮がいた。
「グルルルル……」
 唸りを上げる一頭の獣がその前に出る。
 彼女に危害を加えようとするものから守護せんと、白虎は牙を剥いて威嚇するが、歩いて近
づいてくる張遼はそれを気にした様子を見せない。
 それどころか、
「その背格好、さしずめ孫家の末妹ってとこか……まあ、ええわ。あんたをバラして晒して血
祭りにして、孫策の奴を退くに退けんようにしたる」
 そんなことを言いながら、彼女は近づいてくる。
290 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(19/21)[sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:27:23 ID:B2sCQU3T0
 手首のスナップを利かせてビュンビュンと飛龍偃月刀を試し振りして、黄金の目をした張遼
が近づいてくる。

 距離が狭まり緊張が高まる中、ガタガタと奮える小蓮の前で、ついに猛虎が吠えて獲物に襲
いかかった。
 それを見て小蓮が泣きながら叫ぶ。
「周々駄目ェェっ!!」
 けれどもその制止を聞かず、備わった鋭い牙と爪で、敵を引き裂かんと虎が飛びかかる。
 そうして襲いかかってきた肉食獣を、張遼は、
「うるさい」
 轟音を伴った片手の一撃で、なんでもないように打ち払った。
 子猫でも振り払うように軽さで動かされた左手の裏拳。それが周々の大きな体を軽々吹き飛
ばしたのだ。
 はね飛ばされた周々が、一度二度と地面をバウンドして転がり停止した。
 倒れて横たわった純白の毛皮は、土と血で無残に汚れていた。
 それでも主人を守ろうと、周々は懸命に体を起こそうとする。
 そうしてゆっくり起き上がり、よろよろと動こうとして……再びその体が崩れるようにして
横向きにどっと倒れ込んだ。
「周々、周々ぅ!!」
 小蓮の呼びかけにも反応しない。
 ただぐったりと倒れ込んだ周々を見て、小蓮はただただ恐怖で打ち震えた。
「さ、これで守ってくれるもんは、もうおらんようになった」
「ひっ……!」
 後ずさる小蓮を、追い打つ張遼の氷の言葉。
「いまの虎は手加減しといたから、もしかしたら息はあるかもしれへん。でもあんたの場合は
確実に殺す。絶対に死なす。酷たらしく殺す」
「ひっく、やだ、周々、誰か……」
「ははっ」
 笑った言葉とは裏腹に、目を黄金色に染めた張遼の顔は、仮面でも被っているように表情が
ない。
 人とは思えぬ暴力的なまでに濃密な存在感。人形の美しさを備えたそれが、死の気配を引き
連れて近づいてくる。
293 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来3」(20/20)[sage 20だったorz] 投稿日:2009/10/23(金) 22:30:59 ID:B2sCQU3T0
「誰か、助けて……っ!」

 目をきつく閉ざし、服の胸元を強く握り、恐怖に震える少女はそう、『誰か』に呼びかけた。
 けれども、ここでそれを聞き届ける者はいない。
 二人の姉はいない、仲間たちもいない。兵たちは皆、小蓮のことなど気にかけていない。
 この場で助けてくれる者など、いようはずもない。
 それでも、いまの小蓮にはそんな願いを口にすることしかできなかった。
 無為の願い、絶望の祈り。

 だが、この物語にはそれを聞き届ける者がたった一人だけいた。

「わかった」
 と、そう力強い声が聞こえた。

 期待などしていなかった。
 されど、返るはずのない声が返ってきた。
 小蓮が涙に濡れた顔を上げる。
 そこには、見たことのない青年が、こちらに背を向けて両手を広げ立っていた。

「俺が君を、必ず守ってみせる。そして絶対に、彼女に君を殺させたりなんかしない」

 そう宣言した男のことを、小蓮は知らない。
 彼こそが天から袁術の下に舞い降りたと噂される男、『天の御遣い』北郷一刀であることを、
彼女はまだ知らない。
 けれど、その背中はこれまで見てきたどんな男のものよりも、強く、たくましく、大きかっ
た。
295 名前:メーテル ◆999HUU8SEE [sage] 投稿日:2009/10/23(金) 22:35:05 ID:B2sCQU3T0
わたしの名はメーテル……またまたまたまたうかつな女。
21分割ではなく20分割だったのよ鉄郎……

今回の投下分で半分を経過よ。
一刀登場というところで、続きは明日の午後9時30分からよ、鉄郎……

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