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40 名前:メーテル ◆999HUU8SEE [sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:21:02 ID:b6a85zy/0
わたしの名はメーテル……投下する女。
「美羽の七乃」を含む一連の流れのスピンオフ短編を、先日の予告通り21時30分から投下させてもらうわ。

なお、今回は原作中で言及されていない名前のキャラクターが、何名か登場するのよ鉄朗……。
41 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来」(1/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:30:17 ID:b6a85zy/0
 押し寄せる呉軍、その数およそ十万。
 対して迎え撃つ仲軍、七千余名。
 その戦力差は、火を見るより明らかであった。

 場所は城壁の上。
 北郷一刀の前に広がっているのは、地平の彼方まで黒々と染め上げる一面の闇。
 時刻は真夜中。頼りない星の輝きを補うために、周囲にはかがり火が焚かれている。
 吹く風はない。凪いだ、澄んだ夜だ。
 そんな中、一刀はなにをするでもなく、ただわだかまる闇を見つめていた。
「こないなとこにおったんか」
 背後から、声をかけられた。
「うん、ちょっと眠れなくてさ」
 一刀は後ろを振り返ってそう答えた。
 その視線の先には、月を背負った美しい女性が立っていた。
 すらりと伸びたしなやかな手足、肉感的なくびれた腰とサラシを巻いた大きな胸、それを包
み隠さず主張する服装は、出し惜しみを好まない彼女らしい格好だ。
 普段は結い上げられている髪が、いまこのときばかりは下ろされており、それはまるで夜空
を流れる天の川のよう。
 だが、何よりも目を引くのはその目。
 ややつり目がちの目は、人を惹き付けてやまない宝石の如き光を放っている。
 艶やかな唇は不敵につり上がり、眼光と合わさって、なんとも挑発的な装いを作り上げてい
た。
「霞こそ、こんなところになにか用か?」
 ――彼女の名は張文遠。真名は霞。
 数時間後には呉の大軍と衝突する、この城の司令官であり、そして一刀にとって、決して失
いたくないと思う、大切な女性でもある。
43 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(2/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:33:27 ID:b6a85zy/0
「ん。うちも似たようなもんや、なんや、こう、戦いの前で滾ってしもうてな。頭冷やさなあ
かんて思ったんよ」
 そう言って、霞はこれから起こることに期待を膨らませる少女のような、屈託ない顔で笑っ
た。
 だが一方、一刀は霞のそんな顔を見ても、同じようには笑えない。
「……なあ、本当に、やるのか?」
「やるよ」
 即答だった。
「それよりもうちは、一刀の方が心配や。本当にええんか? 死ぬかも知れへんよ?」
 『死』。
 それを突きつけられただけで、一刀の膝は震えだしてしまいそうになる。
 だが、それをぐっと堪える。
 彼女を前に、そんな姿は見せられない。
 やせ我慢だろうとなんだろうと、そこは意地の一点張りだ。
「……大丈夫。囮は、俺がやる」
「やっぱり恋じゃ駄目なん?」
「ああ、この城を守るには恋の力が必要だ。そして、敵を奇襲するには、霞の速さが不可欠だ。
だったらもう、消去法で囮になれるのは俺しかいないだろ」

 一刀が囮となって敵を引きつける、そしてその隙を縫って、霞が最速の一撃で敵の喉元を突
き破る。
 夜明けにときを同じくした奇襲作戦。
 それが一刀、霞、恋しかいない、兵も将も圧倒的に足りていないこの城の力で、唯一勝ちを
拾えるかもしれない作戦だった。
45 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(3/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:36:26 ID:b6a85zy/0
「……怖い?」
「怖くないよ」
「嘘やな」
 霞は再び振り返って一刀の横に音もなくそっと立ち、ささやくようにそう言った。
「霞は、怖くないのか?」
「ん、勿論怖い」
 ただ二人、どこまでも続いていそうな暗闇を見つめながら言う。
 不意に霞の左手の指が、一刀の右手の指に絡んだ。
「うちは、一刀を失うのが怖い」
 手を結ばれて、ドキリとした一刀が霞の方を向くと、いつ詰めたのか、目と鼻の距離に彼女
の顔があった。
「しても、ええ?」
 驚いて、霞の言葉に声を返そうと開きかけたその途端、霞の唇がそれを奪っていた。
「ごめん。やっぱ我慢できんかった」
 会心の悪戯を成功させた少年の顔で、彼女はそんなことを言った。
 実に霞らしいその顔を見て、一刀の頬も自然と緩んだ。
「勝てるかな?」
「当然」
 再び即応して、彼女は言う。
「一刀のために、一刀と過ごす未来のために、うちは絶対に勝つ。勝って、生きて、戻ってく
る」
 だから、と続けて彼女はその顔を、一刀の胸に預けた。
「時間ギリギリまで、二人でこうしてたいな」
 そんなふうにして重なる、影と影。
 夜明けは近い。

47 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(4/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:39:11 ID:b6a85zy/0
 ◇◇◇

 しばらくすれば空も白み始めるであろう、そんな頃合い。
 呉軍の陣中。無数の天幕が張られたその一角で、二人の少女が闇を薄くしつつある空を見上
げていた。
「いよいよですね。蓮華さま」
「ええ、そうね……。孫家の悲願を成就するための第一歩、それがいま、踏み出されようとし
ているわ」
 呉王が妹、孫仲謀と、その片腕、呂子明である。
 二人はこの戦いにおいて、それぞれ総司令官とその参謀という役割が与えられていた。
 はじめて任された大役。二人とて、その責任を重く感じていないわけではない。だが、それ
以上に、大きな希望が胸に輝いていた。
 憎き袁術を討つ戦いの、最初の大一番を任されたのである。この戦いに勝てば、孫家の悲願
に大きく一歩近づくことになるだろう。
 重圧よりいまはむしろ、すぐにでも駆け出したい気持ちの方が勝っていた。

「蓮華さま!」
「ん? どうかしたの亞莎?」
 威風さえ感じさせる柔らかい笑みを浮かべた蓮華を前に、亞莎は頬を赤くして深呼吸した。
「私、頑張りますっ! 頑張って頑張って頑張りますっ! ですから、絶対勝ちましょう!」
 拳を握って息巻く亞莎の言葉に、蓮華は一瞬目をきょとんとさせたが、すぐにまた微笑んだ。
「ふふっ。今日の亞莎はいつも以上に頼もしいわね。期待してるわ」
「はいっ!」
 元気良く亞莎が答えた。
48 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(5/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:42:26 ID:b6a85zy/0
 今回の袁仲への進軍は、孫呉のほぼ全総力をもって行われる。そしてその背景には、先に北
方から袁仲に軍を進めた曹操の存在がある。
 強大な曹魏の軍事力に立ち向かうために、仲はいまその力の大部分を北部へと集結させてい
る。
 呉と隣接する南西部方面には、最低限の兵力しか残されていない。攻め込むなら絶好の機会
なのだ。
(大丈夫。なにも問題はない、不安材料もない、負けるはずがない)
 亞莎が心中で一人ごちる。
 そう、今回の戦いは兵力比にして十対一以上。負けるはずのない戦なのだ。
 むしろ重要なのは、いかにして勝つか。
 この戦は事実としては火事場泥棒である。しかし、民草にそう思われるのは避けねばならな
い。
 幸いにして、曹操は良政を敷いてはいるが、万人に受け入れられる劉備のような大徳は持ち
合わせていない。また、袁術の風評は最近までお世辞にも誉められたものではなかった。
 そういった諸々を加味して考えれば、今回の戦の勝ち方次第では『火事場強盗』の不名誉を、
輝かしい『江東の解放者』の威名にすり替えてしまうことも十分に可能というのが、孫家き
っての智才たちが下した判断だった。
 そして、その華々しき勝利をどう戦場に描くかが、自分の双肩にかかっている。そう思うと
亞莎は体の芯から震えが走るのだ。
 しかしそれもこれも、蓮華の横に立っていれば、なにも心配ないように思えてくるから不思
議だった。

 孫仲謀という女性は不思議な魅力を備えた人間である。
 とき大胆、とき剛胆、それでいて繊細。細やかな機微を解し、ただ自然体で人を導く。
 そこにいるだけで光り輝く、太陽のような美しさを備えた大器、それが彼女だ。
 器の大きさに関してなら、現王孫策すらも自分自身以上であると認め、次世代の後継者であ
ると公言して憚らないほどである。
 だが、そんな彼女にも決定的に足りないものがあった。
 それが『経験』であった。
50 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(6/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:45:33 ID:b6a85zy/0
 先代孫堅の時代から戦場に立ってきた孫策からしてみれば、孫権はまだまだ若輩。
 けれど、長々とその成長を待っていられるほど彼女たちには時間も余裕もない。
 だからこそ、この度の戦の総大将に、彼女が据えられたのである。
 重要ではあるが、それほど難しくなく、危険も少ない。
 この度の戦は、孫家次世代を担う若者たちが経験を積むには、まさに絶好の機会だと考えら
れているのである。
 その証拠に、孫権、呂蒙の他にも、孫尚香や周泰といった他の若い将も、今回の戦場では重
要な役割を与えられていた。
 一方で周瑜、黄蓋、陸遜といった旧臣たちはこの戦いに参加しない。
 例外的に甘寧だけは、孫権のお目付として参加しているが、それにしたところで、経験不足
が危惧される布陣であることに違いはない。
 孫家の新たなる世代の試金石。この戦いはそういう位置づけなのだ。

(大丈夫っ、絶対に勝ちます!)
 そう亞莎が決意を固くしている最中、二人は後ろから近づいてくる足音を耳にした。

「あら二人とも、こんな早くから随分と張り切っているようじゃない」
 片手を上げてそう二人に声をかけたのは、背の高い女性。
 ぴっちりと服を纏い、それが彼女の凹凸をこれでもかと協調している。
 目つきは鋭い。だが、いまはそこに優しそうな色を湛えている。
 肌の色は褐色。
 彼女の名は孫策伯符、真名を雪蓮という。江南の小覇王と呼ばれる、呉王孫策その人である。
52 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(7/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:48:49 ID:b6a85zy/0
「はい姉さま。孫家の悲願、その大きな一歩を感じているところでした。ね、そうでしょ亞莎」
「は、はいっ!」
 堂々とした蓮華と、緊張のためかまだ堅さが残る亞莎。
 二人を見渡し、雪蓮はさもおかしそうに笑った。
「うん。私の目に狂いはなかったようね。その様子なら、あとを託しても大丈夫かな?」
 ――『あと』。まだ当分先の話であるはずのそれを言われて、孫権は端正な顔を曇らせた。
「姉さま、軽々しくあとなどと……」
 そう言って、孫権が姉に苦言を呈そうとしたところで、
「ごめんごめん。蓮華もきちんと成長したんだなぁって思うと、感慨深くってね。つい」
 あははと笑う。
 そして笑ってから、すぐに真剣な王の顔になった。
「ところで、二人ともちゃんと眠ったんでしょうね。まさか一晩中そこで星を見てました、な
んてこと言ったら、ちょっときつめに叱らなくちゃならないわよ?」
 雪蓮から疑惑の眼差しを向けられて、蓮華がうっと息を飲む。
 対して、亞莎から迅速なフォローに入った。
「ち、違います! 私も蓮華さまも、きちんと眠っています!」
「へぇ、どのくらい?」
「い、一刻ほど……」
 正直に答えた亞莎に、蓮華がため息をついた。
 嘘がつけない性分なのはわかる、だがもうちょっと気を回して応えられないものかと、蓮華
は自分のこめかみを揉んだ。
 一刻、明らかに仮眠の時間である。到底しっかり寝ているとは言い難い。
 蓮華は仕方なしに、姉の叱咤を覚悟した。
 だが、その予想に反して、次に雪蓮の口から出てきたのは柔らかな言葉だった。
「ならば良し。一刻でも寝ているのと寝ていないのでは、大分違うからね。それだったら私か
ら言うことはなにもないわ」
「雪蓮姉さま……」
 てっきり叱られると思っていた蓮華は、思いがけぬ姉の言葉に己の耳を疑った。
54 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(8/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:52:33 ID:b6a85zy/0
 その驚きが顔に出ていたのだろう、雪蓮は蓮華の顔を見て唇を尖らせた。
「あら、私だって人の子よ。与えられた大役に、心が逸って眠れなくなる気持ちくらいはわか
るつもりよ」
 そう言って、雪蓮は微笑む。
 その笑顔に、蓮華は心の中で胸をなで下ろした。

「で、早速先ほど、敵に動きがあったみたいだけど、どう対処したのか聞かせてくれないかし
ら」
 敵の動きというのは、少し前に城から敵の一軍が現れ、呉軍とは逆方向へ逃走していったこ
とを指していた。
「あ、はい。その軍の追撃は周泰・甘寧両将軍に当たってもらいました」
「へぇ。その心は?」
「はい。敵軍の将は二人。張遼と飛将軍呂布です」
「らしいわね。袁術ちゃんが有する最強の手駒ね」
「はい。ですが、その手勢は併せて七千程度。我が軍の敵ではありません」
「そうね。戦いは数だもの」
「ならばこそ、敵は本隊に増援を頼むためにこの場を脱出したのだと思われます」
「うんうん。私もそう思うわ」
「さて、ならば重要になるのは、張文遠、呂奉先、どちらが城を脱出したかということですが、
これは張遼だとしか考えられません」
「それはなぜかしら」
「籠城戦となれば、張遼将軍最大の持ち味である、その『神速』が生かしきれません。また、
残るもう一人は天下に名高い飛将軍。どちらが残って我が軍と戦うかと考えれば、自ずと答え
は見えてきます」
「なるほど。逃げたのが張遼で、城に籠もって我々を迎え撃つのが呂布ということね」
「はいそうです。ですから、『神速の張遼』を追いかけるために、みんめ……周泰将軍と甘寧
将軍に兵士三千ずつを付けて派遣しました。周泰には足止めのため、昼間のうちから敵が退路
に使いそうな道に罠を仕掛けるように指示してあります。必ずや追いついてくれることでしょ
う。そして、一度追いついてしまえば、数に勝るこちらの勝ちは揺るぎません。よって、これ
で張遼を討ち取ることが可能なはずです」
58 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(9/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:55:59 ID:b6a85zy/0
「なるほど。事前の準備も万端というわけね」
「はい。また蒋欽・賀斉両名が敵城攻撃を準備しております」
 語り終えた亞莎の姿は、普段の引っ込みがちな様子からは考えられない、凜としたものだっ
た。
 それを見て雪蓮が、険しそうにしていた顔ようやくを崩した。
「……合格。よく頑張ったわね、亞莎」
 待ち望んでいた言葉。それ言葉を聞いた亞莎の顔が、ぱっと華やいだ。
「本当ですか!?」
「ええ、これならなんの問題もないわ。今後も蓮華のこと、よろしくね」
「やったわね、亞莎」
 雪蓮の言葉を聞いて、蓮華も亞莎の手を取って己がことのように喜んだ。
「はい! 蓮華さま!」
 亞莎は握られた手を何度も振って、笑顔を振りまく。

 そうして、三人は睦まじくを幸福なときを過ごした。

 鬼が迫るとも知らず。


 ◇◇◇


 駆ける。愛馬黒捷が夜の闇を縫って駆ける。
 精鋭中の精鋭。八百騎からなる決死隊を率いて、張遼は神速にて敵に迫る。
 夜を征く騎馬たちは、速く、速く、更に早く。ぐんぐんとその速度を増していく。
 その先頭で、張遼は愛しい男を想い、徐々にその思考をシャープにする。
60 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(10/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 21:59:04 ID:b6a85zy/0
 一刀は己の役割を全うした。
 敵の前衛部隊の一部が、囮である一刀を追いかけてその姿を消している。
 ならば次は、自分が役目を果たす番だ。
 愛する男が稼いだ時間を、一瞬たりとも無駄にはできない。自分が無駄にしたその時間だけ、
一刀の命は縮まるのだ。
 愛しい男を救うためには少しでも速く、囮にかかった部隊を撤退させるしかない。
 そのためには忠犬どもに、自分の主人が危機に陥っていると知らせてやるのが手っ取り早い。
 そうやって取って返した前線部隊が駆けつけるより先に、孫家の血脈を残らずすべて絶つ。
 それが、霞が己に課した使命であった。

(一刀のためなら、うちは……うちは!)

 あっという間に、霞の視界一杯に敵の大軍勢が広がった。
 一瞬体に身震いが走る。
 それでも霞は馬足を緩めたりしない。むしろその逆に、速度を上げる!
 狭まった視界の先、そこにいたのは、ここは通さぬとばかりに大槍を構えて行く手を遮る小
柄な少女。

(獣でも、鬼でも、なんにでもなったる!)

 接近、接触。
 一瞬の交錯。
 翻る飛龍偃月刀。
 すれ違いざま振るわれた斬撃は、少女の体を構えた大槍ごと真っ二つにしていた。
63 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(11/23)[sage 行殺よ] 投稿日:2009/10/21(水) 22:01:29 ID:b6a85zy/0
「ち、陳武将軍ーーーーーーーーっ!」

 宙を舞った少女であったものの残骸から、生暖かい液体が滝のように降り注ぐ。
 嗚呼、いま斬ったのは武勇名高い赤目の陳武であったか。
 周囲から上がった悲鳴を耳にして、霞の中からそんな考えが気泡のように浮かんで消えた。
 それでも彼女は一瞬たりとも心を残さず、全速力で馬を走らせる。
 戦いの喜びも、勝利の悦びもない。
 いま彼女にあるすべては、愛した男を救うというただそれだけ。

(うちは獣、うちは鬼。孫策、あんたらを地獄に叩き落とすまでは止まれへんっ! だから、
一刀、一刀、一刀――!!)

 想いが純化され、一刀以外のことが頭から追い出される。
 その境地に辿り着いたとき、ふっと霞を縛るすべての束縛が消え去った。
 そして彼女は、巨大な力が自分の体に流れ込むのを感じた。


 ◇◇◇

 雪蓮が立ち去ってからしばらく。
 天幕へと戻った蓮華たちを待っていたのは、心地よい喧噪であった。
 決戦を前にして、その場にいる誰しもが活力を漲らせた顔をしていた。
 興奮に包まれた天幕に入り、蓮華は流れが自分たちに来ていることを確信した。
 司令官の登場に、それまで騒がしかった天幕の中が静まりかえる。
 そんな中を、蓮華は亞莎を付き添わせてまっすぐ突っ切って歩く。
 そして一番奥まったところにある座の前まで来ると、ゆっくりと腰を下ろした。
 座に着いて、改めて家臣たちの顔を順ぐりまじまじと見る。
65 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(12/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:04:17 ID:b6a85zy/0
 その場にいる誰も彼もが、期待に目を輝かせた子供のような顔をしていた。
 皆が、蓮華の一挙一頭足に注目し、その言葉をいまかいまかと待ちわびている。
 そんな彼らを前に、蓮華は一つ深呼吸して言った。

「構わない。続けて欲しい」

 その彼女の言葉に、
「若! では早速!」
「孫堅さま、わたくしに献案が!」
「わたくしにも!」
「いやいや! この私が先だっ!」
「ここはこのわたしめの報告が優先されるべきであろう!」
 主人の着席を待ちわびていた群臣から、次々声が上がる。
 ふと横を見ると、他の者たちと同じように目をきらきらさせた亞莎がこちらを見ていた。
 蓮華はその様子に内心苦笑しながら、それを一切表に出さず、自信を滲ませた顔で告げた。
「呂蒙。あなたが聞きなさい」
「――はいっ!」
 元気良く亞莎は答え、
「孫権さまへの献案・報告は、まずこの呂蒙が承ります!」
 今度は亞莎へ殺到する武官群臣たち。

 現在の呉軍の主な懸案事項は、今後の進軍経路と、北部から進軍する曹操軍の行軍予想とそ
の対策である。
 蓮華たちの目的は目先の城を落とすことではない。本命は寿春の占領にある。
 そのことは、同じように北から寿春目指して攻め上がってきている、曹操軍の存在抜きには
語れない。
67 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(13/23)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:07:53 ID:b6a85zy/0
 彼らが見据える本当の敵は、袁術軍との戦いのあとに待つ、大陸にその強さを轟かせる曹操
軍なのである。
 一応、寿春攻略後には後続二万を率いた周瑜・黄蓋らといった重臣たちが合流する予定であ
るが、それをあてにするようでは屈強な曹操軍には勝てないことを、亞莎は承知していた。
 よって彼女がいま最も重要視しているのは、無駄を省いた迅速な行軍と、緒戦での消耗を最
低限に抑えることであった。

 矢継ぎ早に裁可と命令を飛ばす亞莎には、手負いの老いた虎を仕留める若い虎の余裕はない。
 既に亞莎の中では既に、真の敵である曹操軍との戦いが始まっているのである。

 そんな亞莎の姿を頼もしそうに見ていた蓮華の顔が、不意になにかに気付いたように別の方
に向けられた。
「――――?」
 主人の不審に気付いた亞莎が、怪訝な顔をする。
「どうかなされましたか?」
「いえ……なにやら、騒がしくないかしら」
「騒がしい?」
 蓮華の言葉に、亞莎がさっと手をあげた。
 それを見た家臣たちの言葉が、一斉にやんだ。静かになった天幕の中、亞莎は目を閉じて耳
を澄ます。
 しかし、
「いえ、私にはなにも……」
 彼女の耳には別段、とりたてて警戒を促すような物音は聞こえなかった。
「しっ」
 けれども蓮華はそう言って亞莎の言葉を遮ると、目を閉じて広げた手のひらを耳の後ろにや
った。
70 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(14/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:10:10 ID:b6a85zy/0
 一切なにも聞き漏らさぬと、蓮華は耳に神経を集中させた。
 天幕の中に先ほど以上の沈黙が落ちる。
 誰もが息を飲む中、再び蓮華が口を開いたのは、たっぷりと十秒ほども経ったあとだった。
「……なにかの、息吹? それに合わせて大気が震えている」
「大気、ですか?」
 呟きに、亞莎が思わず疑問を返した。
 ものは試しと、亞莎も蓮華と同じように耳の後ろに手をやってみたが、やはり彼女にはなに
も聞こえなかった。
「なにかの聞き間違いでは?」
 戦場において、聞こえないものが聞こえてくるというのはよくあることだった。
 極度の緊張や疲れが原因だと言われているが、はっきりとはわからない。
 経験を重なれば少なくなるというそれが、蓮華が耳にしたものの正体に違いないと亞莎は思
った。
 何せいまは特に決戦前、気が昂ぶっている状態である。幻聴の一つくらい聞こえたところで
不思議なことではない。
 だが、亞莎の予想を裏切るように、争乱を告げる伝令が天幕に飛び込んできたのは、その直
後のことだった。

「ご報告申し上げます!」
 現れた男の姿。
 滝のように汗を流したその兵士の様子に、亞莎はなにか尋常ではないことが起きたと判断し
た。その場にいる各々の顔も、緊張で一気に顔が引き締まる。
「なにがあったか!」
 まずは軍師である亞莎が、一歩前に踏み出して兵士に報告を促す。
 亞莎はこの日のために様々な策を練っていた。大概の事態には対処可能とするだけの用意と
自信がある。
 口にした言葉には、それに相応しい自信が込められていた。
 だが、兵士の口から飛び出したのは、そんな彼女すら驚かせるに十分なものであった。
72 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(15/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:13:50 ID:b6a85zy/0
「敵騎馬部隊が我が軍を奇襲! 迎え撃った陳武さまが討ち死になさいましたっ!」

 予想外の一言で、亞莎の顔から一気に血の気が失せた。
「そ、そんな馬鹿な!? 敵の部隊は袁術に援軍を請うために出撃したはずです! 我が軍に
奇襲を仕掛ける余裕なんてあるはずが……!」
 動揺を抑えきれず、その言葉尻が震えてしまう。
「まさか……」
 しかし一方、彼女の頭の冷静な部分は、結果から過程を浮かび上がらせていた。
「まさか、あれは囮? ……別働隊が奇襲作戦、本命はこちらで……」
 一つ一つを口に出し、整理していく。
 思考停止しそうになる理性を置いて、脳髄だけがその回転をずんずん増す。
 事実だけ並べれば、導き出される推測は実に明快だ。
 敵は二つに分けた部隊の一つを囮にし、城を空にするのも厭わずもう一つの部隊を使って強
襲を仕掛けてきたに違いない。
 自分たちはまんまとそれに引っかかったのだ。

「………」
 最初は予想外の事態にパニックに陥りかけていた亞莎だったが、落ち着くにつれて彼女の姿
は静かに爪を噛んで黙考する形に変わっていた。
 考えを巡らし、思索が一段落した亞莎ははたと気が付いた。
 自分をじっと見ている目があった。
 無論、視線の主は蓮華である。

「亞莎、策を」
 短くそう切った言葉。
 彼女は王の威風を漂わせながら、固い表情で亞莎に問いかけていた。
 その唇は硬く引き絞られている。奥歯を強く噛みしめているのが、亞莎にも知れた。
74 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(16/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:16:36 ID:b6a85zy/0
 そんな主人の姿を見て、亞莎は己の不明を恥じた。
 王が怒りを、動揺を押し殺している。だというのに、そんなときに軍師たる自分が平静を失
い、あまつさえ、そののちに沈思に耽るとはなんたる無様。
 亞莎の顔が真っ赤に染まる。内心では恥ずかしさのあまり、逃げ出してしまいたかった。
 だが、亞莎にはまずなにを置いても先にやらねばならぬことがあった。

「……その前に確認させてください」
 言って亞莎は再び兵士に向き直った。
「敵の数は如何ほどですか?」
「はっ。正確な数はわかっていませんが、数百から、数千とも……」
 その報告を亞莎はしばし検討する。
 こちらの裏をかいた迅速な奇襲。おそらく実際の数はそう多くないはずだ。多くて精々二千
といったところ。
 それでもその数は事前に掴んでいる城の戦力として、かなりの割合になる。
 ならば城に残っている戦力はどれだけか。

 頭の中で冷静に算盤を弾き、彼女はすぐさま判断を下した。
「呂蒙隊、賀斉隊は本陣を守るように展開し、奇襲部隊を迎撃。その間、蒋欽隊は予定通り敵
城の攻撃を行ってください。また、追撃を行っている周泰隊、甘寧隊にも連絡を。敵の目的は
我が方の混乱を招くことです。各人には落ち着いてことに当たるように伝えてください」
 亞莎の口から流れるように、流暢な言葉がついて出た。
 敵の計略は実に単純かつ大胆だ。だがそれだけに、全容さえ掴んでしまえば脆い。
(大丈夫、いけます!)
 あえて当初の大方針は変えない。
 亞莎の指示した作戦は、数の上での圧倒的有利を生かした強引な力押し、至極真っ当なもの
であった。
77 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(17/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:19:56 ID:b6a85zy/0
 伝令は亞莎が言ったことに蓮華が頷いたのを確認すると、新たなる役目を果たすべく立ち上
がり、その場を辞した。
 そうして天幕を去っていく伝令の背を見て、亞莎は面持ちは崩さぬままに緊張を緩和させた。
 一方亞莎の物言いを目にした群臣たちは、ほうっとその相貌を崩すことになった。
 未だに軍内からは『阿蒙ちゃん』など侮られることの多い彼女であったが、いま見せた背筋
を凛と伸ばした堂々たる立ち居振る舞いは、認識を改めねばならないとそう思わせるに十分な
ものであったからだ。
 彼らはこのとき、亞莎のことを呉の次代を担う才であると、はっきりと認めたのである。

 他方、亞莎や群臣たちが緊張を解いたのとは対照的に、厳しい面持ちを変えてはいない者が
いた。
 蓮華である。

 亞莎が指示した作戦は、戦力差を十分に活かした実に常道に乗っ取ったものである。
 なにも間違ってはいないし、問題もないだろう。だというのに、蓮華は現状に捨て置けない
しこりのようなものを感じていた。
 このままではいけない、なぜかそんなことを思うのだ。

「――亞莎」
「? どうかなさいましたか蓮華さま」
 蓮華の呼びかけに、亞莎は無防備な表情を晒す。
 他に異常がないか、もう一度調べた方が良い。
 そんなことを言おうとした矢先であった。
 蓮華の肌が、突然粟立った。
 そしてそれは目の前の亞莎も同じだったのか、彼女もまたなにかに戸惑った顔をしている。
80 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(18/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:23:19 ID:b6a85zy/0
「!?」
 驚きも露わに蓮華が立ち上がるのと同時、彼女は突如として天幕が真っ二つに裂けたのを目
撃した。

 そして裂けた空からなにかが落ちてきた、そう感じた次の瞬間、世界を叩きつぶすかのよう
な轟音が響いた。
 広がった衝撃が周囲をなぎ倒し、砂埃が竜巻のように吹き上がる。
 巻き込まれた兵士が、何人も宙を舞う。

 しっかりと見ていられたのはそこまでだった。
 砂嵐が二人をも巻き込み、目を開けていられないほどになってしまったからである。
 それでも鋭敏な感覚を衰えた視力の代わりにしている亞莎には、猛威の中心になにかがいる
のがわかった。
「い、一体なにが……」
 感覚を研ぎ澄まし、その正体を探る。
 すぐにその正体は知れた、それは馬に騎乗した何者かであった。

 それが何者であるかを確かめる前に、亞莎は更なる異変に気が付いた。
 捉えたのは聴覚。
 亞莎の耳は、大気の震えを感じ取っていた。

「蓮華さま! お逃げください!」
 誰かが、事態の把握すらできていないまでも、そう本能的に叫んだ。
 だが、すべては遅きに失していた。
84 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(19/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:25:50 ID:b6a85zy/0
 砂嵐が収まったあと、最初に降り注いだのは真っ赤な雨だった。
 生暖かい雨。
 ――それが血だと気付いたころ、今度は別のものが降り注ぎ始めた。
「……っ!」
 亞莎が悲鳴を殺して息を飲む。次に降ってきたのは、腕、耳、腸、大小様々な人間の部品。
 それら中には、よく知る鎧の色が混じっている。
 しかしそれが、味方の、呉の兵たちのなれの果てだと至るには亞莎は若すぎた。
 今度こそ頭が真っ白になる。
 けれども、真の恐怖はその後に来た。

『雄雄雄雄々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々!!』

 比喩抜きに、大地が揺れた。

 蓮華たちの前に立ちはだかったなにかが、生きとし生けるものすべてを震え上がらせる咆吼
を発した。
 そして手にした長物を、恐るべき速さで振るって血糊を散らす。
 するとその埒外な圧力を受け、周囲に残っていた人間が赤い霧となって四散する。
 そんな光景に遅れるようにして、これまで耳にしたことがないような断末魔の大合唱が、蓮
華たちの耳朶を打った。

 このようにして現れた者に亞莎は、しかしてそれを語る口を持たなかった。

――何という
86 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(20/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:28:16 ID:b6a85zy/0
 凄惨にして残虐。
 その渦中から姿を見せたのは、馬に跨った一人の女だった。
 馬も人も、その身はこれ以上ないというほど、血で染められている。
 髪も、顔も、すべてがべっとりと汚れ、幾重も赤と黒が重ねられた服は、ぴったりと体に張
り付いている。
 手には、滴る蛮行の象徴たる凶器が握られている。

 その姿を見て思う。

何という、強さ

 率直な、亞莎の感想である。

 呂子明という者は元来武人である。
 戦いの渦中で軍師としての才を見い出され、軍師として仕えているが、その本質には常に武
がある。
 彼女を語るにはまず彼女の武を語らねばならない。それほどまでに呂蒙と武は分かち難い。
 そのように彼女だからこそ、現れた者の姿を一目見て、全身が総毛立つのを止められなかっ
た。

常軌を逸している

 その姿を見ればわかる。この者は数万からなる敵勢を、中央から突っ切って、ここに到達し
たのだ。
 想像もつかぬほどの屍の山を築いて、自分たちの前に現れたのだ。
 それはもう明らかに、人の領域では為し得ない強さだった。
 その力は、亞莎の知るあらゆる強さを超えていた。
89 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(21/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:31:13 ID:b6a85zy/0
 気が付けば、大気を振るわせる喧噪が、最高潮に達している。
 徐々に大きくなり、ついにはっきりと聞こえてきたそれは……。

『  来! 』

『  来 来! 』

『  遼来来! 』

『  遼遼来!! 』

『  遼 来 来 !!! 』

『  ――張!  』

『     ――来!  』

『        ――来!  』

『       遼 !     』

『       来 ! !     』

『       来 ! ! !     』

 恐慌に陥ったものたちが上げている、天を裂かんばかりの怒号と悲鳴だった。
 恐怖の伝播よりなお速く、張遼はここに辿り着いたのだ。
92 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(22/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:34:19 ID:b6a85zy/0
これが天下に聞こえし『神速』、これが『張遼』

 瞳に映ったその姿が、亞莎の心臓を鷲掴みした。
 汗が噴き出てくる、動悸が速まる、呼吸が浅く速くなり、ともすれば忘れてしまいそうにな
る。
 目を逸らしたいのに逸らせない。釘付けになった視線が離せない。
 全身の毛という毛は逆立ち、体ばかりが熱くなる。
 だというのにその一方で、その内面は凍り付くようにどんどん冷えていく。

 そこに至りようやっと、亞莎は自分が感じているのが恐怖≠セと気が付いた。

あれは人か?

 亞莎は単純な疑問を浮かべた。
 本当に人なのか、人ではないなにかでないか。
 あるいはそうならば、このまま過ぎ去って欲しいと、天災じみたそれに願った。

 だが、それはゆっくりとこちらを見た。
 恐ろしささえ越えた存在が、

 こちらをミた。

 そして、その貌を奇妙に歪めた。
 あとから思い出しても、そのときに張遼がどんな顔をしていたのかを亞莎は思い出せなかっ
た。
 ただ口にした言葉だけが、耳元でささやかれたようにはっきりと聞き取れた。
96 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(23/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:37:08 ID:b6a85zy/0
  『ミィツケタ』

 途端、亞莎にかかっていた呪縛が解かれた。
 恐怖心がぐるりと反転して、それがそのまま行動に繋がる。
 体を前に出そうとする。
 呉の将として、なにを犠牲にしてでも、蓮華だけはお守りしなくてはならないと、軍師とし
て臆した心より先に、武人としての体が動いていた。
「総員! 孫権さまを守れ!」

 そして即座に動いたのは亞莎だけではない。
 周囲にいた屈強な男たちもまた、雄叫びと共に張遼へと殺到しようとしていた。
 彼らこそは雪蓮、そして蓮華を守ることを何より身上とする者たち。
 近直で王を守るという名誉に浴することを許された真の精鋭、孫家親衛隊である。

『おおおおおおおおっ!』
 天地が轟く。雄々しき叫びがこだまする。
 呉軍の中でも最も選りすぐられた猛者たちが、我先にと飛びかかった。
 その数三十。これだけの剛の者が一斉に襲いかかれば、どれほどの猛将であっても無事では
済むまい。
 そう思わせるに十分な、気迫と勢いを彼らは纏わせていた。

 だが、彼らは前に現れた存在は、既にそんな次元で語られるものではなかった。

 亞莎が感じたのはごうっという音、続いて旋風の唸り。
 視線の先では、赤い突風としか形容できないものが、男たちをまとめて貫いていた。
 次の瞬間、断ち切られ、八つ裂かれ、刻まれて爆散し、周囲に真っ赤な霧のみを生きた痕跡
として消え去る近衛兵たち。
 その動きを、亞莎は断片たりとも見抜くことができなかった。
99 名前:美羽と七乃スピンオフ「遼来来1」(24/24)[sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:40:34 ID:b6a85zy/0
「その赤い髪……あんたが孫策やな」
 なんでもないことを訪ねるように、女が聞いた。
 そして答えも聞かずに、散歩でもするかのような気安い足取りで馬を前に進め始める。
「別に恨みはあらへんが……」
 軽快な声とは裏腹に、血に汚れた顔は、仮面のように無感情。
 けれどもそれは、嗤っているようにも、泣いているようにも、怒っているようにも、苦しん
でいるようにも見える、不思議な貌をしていた。

「とりあえず」
 地の底から響くようなその声が、
「――死ね」
 宣告するさまは、まさしく地獄の獄卒のそれであった。

 蓮華を標的に定め、張遼は必殺の間合いに飛び込むために、馬の腹を蹴った。
 すると名馬黒捷が嘶きとともに前足を踏みしめ、恐るべき瞬足を発揮する。
 遮る暇もない。
 刹那の影。蓮華の視界一杯を、凶器を振りかぶった赤い鬼が映っていた。

 誰もが動こうとする。
 けれども、その誰よりも張遼は速く。
 飛龍偃月刀が、神速をもって蓮華の首を刈り取るべく音をたてて走った。
103 名前:メーテル ◆999HUU8SEE [sage] 投稿日:2009/10/21(水) 22:44:28 ID:b6a85zy/0
わたしの名はメーテル……投下終了を告げる女。
というわけで、今回は一刀が活躍する舞台裏のお話よ。

次回は明日の午後9時30分から、似たような文量よ、鉄郎。

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