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44 名前:清涼剤[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 22:34:34 ID:PhD6ReSc0
無じる真√N-20話 ワカレミチ編その五を専用版にUPしましたのでお知らせを

(この物語について)
・原作と呼称が異なるキャラが存在します。
・一刀は外史を既に一周しています。
上記が苦手な方にはおすすめできません。

(注意)
・過度な期待などはせずに見てやって下さい。
・未熟故、多少変なところがあるかもしれません。
URL:http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0408

お暇なときにでもどうぞ



改行による2パターン、最初は、整形なしの素です。
ブラウザでご覧の方は、『ctrlキー+F』を押して出た検索窓に整形と入力して飛んでください。



 「無じる真√N20」




 易京内部の混乱が収まってからまた一時辰半程たち日も暮れ、空に燦然と輝く月が漆黒の夜空を照らしている頃
 易京攻城戦、それを目の前にした袁紹軍は攻撃を開始する前、大将である袁本初は自らが待機する幕舎へと、先に合流を果たした呂布を呼び寄せていた。
「よく、いらっしゃいましたわ呂布さん、あなたはこの戦いが始まる前にわたくしと交わした約束は覚えていらっるようですわね」
 袁紹の質問に呂布が黙したまま頷く。
「なら、よろしいですわ。わたくしたちが伯珪さんの軍を攻め落とす。その手伝いをしてくださるかわりに」
「……北郷一刀の首をもらう」
「そう、その通りですわ。ただ、少々やっかいなことになりまして……どうやら、向こうで動きが合ったらしいので放っていた間諜に情報をよこさせたところ、伯珪さんが倒れたそうですわ。そして、その北郷という男がどうやら倒れた伯珪さんの代わりに公孫賛軍の柱となったようなんですの」
 呂布が首を傾げる。袁紹の言葉が何を伝えんとしているのか把握できていないようだ。
「まぁ、要するにですわ。北郷とかいう男を討つには公孫賛軍の壊滅をしなくてはならないというわけですわ」
 そう言って袁紹はちらりと呂布を見やる。が、呂布は特に何の反応も返さないない。その様子に、袁紹は面倒臭いと思いながら云いたいことを直で伝える。
「ですから、あなたが北郷の首をとりたいとお望みなのでしたら、是非とも前衛をお譲りいたしましょうということですわ。もちろん、引き受けてくださいますわね?」
 そう言って呂布を見るが相変わらず黙ったまま。その態度に袁紹の眉がぴくりと動くのと同時に呂布が口を開く。
「わかった。でも、北郷一刀は」
「はいはい、あなたのお好きにしてくださって結構ですわ」
 呂布の言葉を最後まで聞くことなく、袁紹は手をひらひらと振りこの場を去るようにと態度で伝えた。
 呂布もただ黙ってそれに頷き場を後にした。
 その呂布と入れ替わりに顔良が幕舎へと入ってくる。
「麗羽さま、呂布さんとのお話は上手く言ったんですか?」
「えぇ、あの方たちには前衛をつとめていただくこととなりましたの」
「え!? そうなんですか?」
 袁紹の報告に顔良は思わず声を大にして聞き返す。
「そんなに大きな声をださなくてもよろしいではありませんか、顔良さん」
「あ、すみません。でも、よくあの人を上手く動かしましたね」
「ふふ、そんなのわたくしにかかれば朝飯前ですわよ。おーほっほっほ」
 感心したように自分を見つめる顔良に袁紹が高笑いを辺りへ響かせた。その時、袁紹の懐より何かが落ちた。先程間諜より受け取った公孫賛軍の内情を記した密書のようだ。
「え……公孫賛さん、倒れたんですか?」
「えぇ、そして今は伯珪さんの元で飼われている男がその代わりを務めているそうですわよ。そのような男に頼るしかない……もう、わたくしの勝利が見えてきましたわね! おーほっほっほ!」
 高笑いする袁紹を横目に顔良は顔をしかめる。
「……北郷一刀。その人って天の御使いって云われてる人、だったはず……なら、その求心力は公孫賛さんと比べても劣らない……だとしたら敵の士気は……あの、麗羽さま」
「何ですの顔良さん?」
「まだ楽観視するべきじゃないですよ。北郷さんが取った行動は向こうにとって正確な対処であるはずです。ですから、恐らくはそれによって向こうの戦意、士気共に元通りとなっているはずだと思います」
「そうですの……でもまぁ、大丈夫ですわ。どちらにせよ先程伝えたとおり前衛は呂布さんにつとめて頂くことになっているんですからね」
「確かにそれは一理あるとは思います。呂布さんの武は、ハッキリ言ってどの勢力からしても脅威となるものですから……でも、かくいう私たちにだって彼女の制御ができるのかどうかわからないんですよ?」
 不安をそのまま表情に表しながら袁紹の返事を待つ顔良。そんな彼女の様子に微笑をこぼしながら袁紹が口を開いた。
「ふふ、いいですか顔良さん。幸いわたくしたちの攻める相手、現在その中心となっている人物……それこそ呂布さんが何よりも優先するように狙っている北郷一刀ですわ。そして、その男が向こうにいる限り呂布さん及び彼女の軍の手綱は握っているようなものですわ。おーほっほっほ!」
 袁紹の高笑いまさに絶好調と言わんばかりに高らかと辺りにその笑いを響かせているところに文醜が戻ってきた。
「ただいま戻りましたー」
「どこに行ってらしたの? 文醜さん」
 特に何も言わずに歩み寄ってくる文醜に対して袁紹が眉を僅かに吊り上げる。
 その様子を見て、顔良は慌てて説明を始めた。
「麗羽さま、実は私が城壁の防衛の様子を見てきて欲しいと言ったんです」
「あら、そうですの。それで、どうでしたの文醜さん?」
「あ、はい。どこも警戒されてるみたいっすね。というか、それ以前にあの城壁は攻略するのに中々骨が折れそうっすよ」
 頭を掻きむしりながら難しい表情を浮かべる文醜。その様子が彼女の報告の信憑性を増している。つまり、それほどやっかいと言うことである。そう袁紹は思った。
「そうですの……どうするべきかしら?」
 そう言って、袁紹は文醜から顔良へと視線を移す。その質問に対してしばらく考え込む素振りを見せると顔良は口を開き語り出した。
「うーん、そうですね……ねぇ文ちゃん、城壁付近はどんな感じだったか詳しく教えてくれないかな」
「あぁ、わかった。そうだな……まず目についたのは城壁の高さだな、これは結構あったぞ。だいたい五……いや、六丈くらいだな」
 文醜の報告を聞いた顔良は、公孫賛軍を追い込んだ際に自分の目で見た城壁を思いだして比較し納得すると、再び質問を投げかけた。
「なるほど……やっぱり結構な高さなんだね。それで他には?」
「えっと、その城壁の上に物見らしい楼があったぞ。あと、壕と土山――高さは十丈ほど――もあったな……あまり近くまで行けなかったから良くわかんないけどな。へへ」
「それで十分だよ……ありがと文ちゃん」
 照れくさそうに、そして申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる文醜に顔良は首を左右に振り感謝の意を微笑と共におくった。
「どうですの顔良さん。何か良い案は思いついたんですの?」
「うぅん、取りあえず気をつけるべきは"時間"ですね……おそらく向こうもそこを突いてくるでしょうから」
「時間……ですの?」
「はい、公孫賛軍が途中からろくに交戦もせず中に入っていったのは文ちゃんが見たという堅固な守りがあるからだと思うんです。きっと、向こうはただ耐えるだけしかしないと思います。長引けば長引くほどこちらのお世辞にも多いとは言えない兵糧はますます減る一方ですから。そして、そうならないために計った敵拠点での兵糧の回収は失敗……恐らく向こうはその時よりも前――それこそ開戦前あたりからこの情況を狙っていたに違いありません」
 そして、顔良は再び考え込んだ。袁紹はそれを横目に見ながら文醜へと指示を出す。
「とりあえず文醜さんは、兵たちの内、今のところ動かす予定のない者たちを休ませてくださいな。あと、あなたもですわよ。明日は早朝から攻め込むのですから」
「わかりました。そんじゃ、斗詩、麗羽さま。また」
 それだけ言うと文醜は幕舎を飛び出していった。
「さて、文醜さんには明日存分に働いて頂くとして……顔良さんにはなんとしても打ち破る法を見つけていただきますわよ」
「はい、明日の開戦までにはなんとか……」
 そう言って、顔良は文醜の報告に合わせて記述を加えた地図へと視線を落とした。
 その姿を見ながら、袁紹は奥へと移動する。
「それじゃあ、わたくしも少し横になりますわ」
「あ、はい。おやすみなさい麗羽さま」
 それだけ言うと、袁紹は床についた。明朝の自分の勇姿を思い描きながら……。




 さらに宵は深まり、月もまたその姿を地へと向かわせ数刻たった頃――。

 易京の門より、一つ、また一つと、少数の影が抜け出てきた。
 その数人分の影は皆、通常よりも背が高い、それもそのはず全員が全員騎乗しているからである。そして、その先頭に立つ一つの影が何かを言うやいなや一塊となって易京より僅かに距離をとった森、その中心にある呂布、袁紹による連合軍の陣へと馬を向け駆け出した。森に生ゆる木々を馬を手足のように操作してよけ突き進む。
 影の集団は、そのまま、袁紹軍によって前へと押し出された呂布軍の陣を颯爽と素通りする。その速さ故に数名の兵のみが気づくこととなり呂布軍は反応が遅れることとなる。
 そんな呂布軍を無視し、影は更に奥へと向かう。袁紹軍の幔幕を破り、臨時に立てられた策を飛び越え陣内へとなだれ込む。それを警戒に当たっていた兵が見つけると、
「な、何事だ!」
「や、夜襲だぁ!」
 袁紹軍内はすっかり混乱状態となった。そして、陣内に張られた天幕内から大勢の兵がどっとあふれ出てくるもののその慌てぶりゆえ互いに脚を絡め合い倒れ込む。
 そんな滑稽な姿を見て集団の先頭をつとめている影が口を開いた。
「ぷっ……あーはっはっは! 何て間抜けな奴らや!」
 陣内の篝火に照らされたその顔はまさに神速の張遼、その人であった。
「天の御使い、ここにありや! この首が欲しい者はついてこいや!」
 それだけ大声で宣言し、掲げている"十文字旗"を一層振り回すと、更に馬の速度を上げて陣を駆け抜けていった。張遼隊の兵たちもそれに続き袁紹軍の陣から立ち去った。
 その様子は、まさに疾風の――いやまさに神速の風のごとしであった。故にまったくもって対処、どころかまともな反応すら出来ないままその場に残された袁紹軍の兵たちは皆同一の感想を抱いていた。
 その瞬間だった、再び馬の蹄の音が砂煙をあげながら陣へと近づいてきたのは。
「む、まだ奴らの残りがいたぞ討ち取ってしまえ!」
 一人の将のその言葉に兵たちがわっと襲いかかる。だが、それらを蹴散らし馬は陣内を駆ける。そこに翻るは深紅の呂旗だった。
「み、味方だ! 攻撃止めえぃ!」
 その集団に気づいた兵たちは慌てて攻撃を止め事態を見守ることにした。
 すると、兵たちの間を縫って一人の人物が現れた。
「ん? こりゃ、一体どういうことだ?」
「ぶ、文醜将軍。じ、実は――」
 文醜に気づいた兵が事の子細を告げると、文醜が先頭に立つ呂布へと声を掛けた。
「おい、呂布!」
「……?」
 何もしてこなくなった袁紹軍を見て駆け出そうとした呂布は、一旦込めた力を緩め文醜の方を向き、首を傾げる。
「一体、どういうつもりだ? いくら、敵の大将であるあの北郷とかいうのを追いかけるにしてもこりゃやりすぎだ。お前の軍の半分近くはいるじゃんか!」
「北郷一刀がいた……それに……約束してた」
 そこで、文醜ははたと考えた、確かに呂布と主、袁紹の間で密約が交わされていた。袁紹軍に協力するは北郷一刀の首があるから……と。
 ならば、呂布の言もまた正論であると――そして、
「わーったよ。行ってこい!」
「……」
 文醜の言葉に頷くやいなや、呂布は馬を走らせ、張遼隊の追撃にはいった。
「絶対に勝てよなー!」
 遠くなる呂布の背にそう声をかけると文醜はあくびを噛み殺しながら自分の幕舎へと戻っていった。
 後から、きた顔良が事情を聞いて頭を悩ませることになるとも知らず――。




 袁紹軍の陣を通り過ぎた張遼隊は、荒野へと出ていた。そして、頃合いとみて後方をちらりと見やった。
「さて、そろそろやとは思うんやけど……おっ、来とるな。ふふ、さすが恋やな対応が速いわ」
「あの……満足そうにしてるところ申し訳ないんだが、何故に敵陣突っ切ったんでしょうか?」
 歯をガチガチとならしながら一刀は尋ねた。顔は青ざめ、口調もどこかおかしなものになっている。
「ん? いや、あぁやって宣伝したほうが気を引きやすいやろ?」
「……そ、そうだけど」
「というか、一刀はウチに任せとけば大丈夫やと思わんかったんか?」
「……信頼はしてるよ……だけど、限度ってものがあるだろうー!」
 少し、顔色も戻り元気を取り戻した一刀が力強いツッコミを入れる――霞の背中越しに――。そう、彼は今、神速の張遼、その躰にしっかと捕まり彼女の後ろに座っていた。

 ことは、数刻前、出発を控えたころのことだった。
「あんたの騎乗技術はひどいから霞の後ろに乗んなさい」
 その詠の一言で一刀は霞と同じ馬へと乗ることとなったのである。
 もちろん、不満はあったが霞の「そんだけ一刀の身を暗示とるっちゅうことや」という言葉で納得することとなった。ただ、その霞の一言に対して詠が不満を爆発させたのだがそれは余談である。

 そのような事情から、ずっと霞の後ろにいた一刀。実のところ、初めは敵陣を迂回してその後方へと廻った後、松明を掲げ、声高らかに自らの存在を知らせる予定だった。
 だが、突如霞が隊の者たちへと何やら危険な匂いのする指示を出し敵陣へ……という次第であった。
 正直なところ、一刀は生きた心地がしなかった。そして、同時に選抜された兵がみな霞に託した烏丸の者だったことにも納得がいっていた。
 烏丸の者はこの地にいる諸侯たちと比べることもできないほどに馬の扱いに長けていたのだ。つまり、霞がこの面々を連れてくることにした理由こそ、まさに神風のごとき速さで敵陣を突き抜け、呂布を吊り上げることにあった訳なのだ。並の者なら、ここにたどり着く前に討ち取られていただろう。だが、さすがは霞が選んだ強兵たちである。誰一人とて脱落することなくついてきていた。
 そして、一刀が何よりも驚異に思ったのは霞だった。一刀を後ろに乗せているにも関わらず、他の兵を先導するに足る速度を持続していたのだ。
 何よりも、それだけの胆力を兼ね備えるまでに馬を育てたこと、そしてそれを文字通り手綱を握り操っている霞の技術にいたく感心していた。
 そんな想いが僅かに一刀の口を出てしまうのも致し方なかった。
「すごいな……霞は」
「ん? どないしたん?」
「いや、改めて霞のすごさを知ったってことかな……」
「そら、良かったわ! はは!」
 一刀の言葉に爽快な笑みを浮かべる霞。が、すぐに顔を引き締め前を向く。
「どうやら、追いついてきよったようやな」
 その言葉通り、背後から蹄の音が迫ってきている。そう一刀が感じたのと同時に霞が馬へと気合いを入れ方向を変え転進を行う。他の者たちも駒に鞭打ち方向を再び連合軍本陣へと向け急激に前進を開始した。
 ただ、一直線に呂布軍とぶつかるような真似はしない。呂布軍から距離を取りながらすれ違う。急な転進とすれ違いによって呂布の連れている隊の一部を混乱させることに成功したらしくほとんどの駒が脚を止めてしまっている。が、そんな中、数騎が張遼隊の後尾へと食らいついてきた。その先頭にいるのはやはり呂布だった。
 しかし、霞、そして一刀も動揺はしていない。何故ならば、それこそ二人の――もとい張遼隊の狙いだった。
 袁紹、呂布による連合軍より北郷一刀という餌を使い呂布軍の主力を吊り上げ、さらに機敏な動きでふるいをかけ、呂布とせいぜい数人の部下だけを呼び込むというのが基より抱いていた彼らの狙いだった。
 故に二人とも好し、好しと思っていたのだが、
「う、うわぁ!」
 張遼隊の最後尾にいた兵たちの悲惨な声が響き渡った。慌てて、霞と一刀が視線を向け様子を伺ってみると、最後尾は完全に少数の呂布隊に飲み込まれていた。そして、呂布一人が二人の乗る馬へと猛烈な速度で迫っていた。
「お、おい。これはヤバいんじゃ……」
「ちぃっ、さすがや……全力やないとはいえウチの馬術に劣らんとは……」
 そう言っている間にも蹄の音が一歩、二歩と距離を縮めるように近づいてくるのが耳に届いていた。
「…………斬る」
 その言葉が、流れゆく風に逆らい耳に届くやいなや一刀は身をかがめた。瞬間、頭の上を風が通りすぎた。目の前をちょっとした束になった髪がパラパラと落ちていった。
「うおっ! 追いつかれてる、追いつかれてるぞ霞!」
「くっ、黙っとき。舌噛むでぇ!」
 そう言うと、霞は速度を落とすことなく再び方向を転換させた。その僅か後ろに一閃が走り、馬の尾を僅かに切り落とした。
 その光景に一刀が目を見開きギョッとしていると、霞が何やら声を発した。
「なっ、なんやこれ!」
 地に何故か金に染まった物体――何かの装飾品の一部らしい――が落ちており、それが馬の蹄とかち合ってしまったのだ。余程よい素材でできているらしく強力な脚力にも潰されず、むしろ馬の脚をとり馬上の二人の体制を崩してしまった。
「うわっ……っ!」
 揺らぎに耐えきれず一刀は落馬してしまう。落ちた際に背中をしこたま打ち付けたらしく、一瞬、息が止まる。が、一刀は首を振り、すぐさま状況把握に移った。
「…………」
「あ、あれ?」
 目の前には馬から降りた修羅がいた。紅の髪はゆらゆらと揺れ、鋭い瞳のなかにこうこうと燃ゆる炎が見える。それでいて発する雰囲気は凄まじく冷たかった。
 一刀は、そんな呂布の様相に対し、普通の者が抱くのとは異なる意味で動揺をその胸に覚えていた。
「……そっか、初めてだもんな」
 そう、ここまで怒り狂う呂布を初めて見たということに対して一刀は動揺していた。彼の知る少女――呂布はあまり感情を表に出すことはなかったがその心根は優しかった。また、虎牢関で見た飛将軍呂布の姿も見た。だが、今の彼女の姿はそれらとは一線を画す迫力を持っていた。
 そんな様相を呈しながらも一言も発しない呂布。そんな彼女を見つめる一刀の頬を一筋の汗が流れ落ちる。
「……覚悟っ!」
 かけ声一番、呂布の一閃が一刀を襲う。来るっ、そう思った瞬間、一刀は獲物を振り上げていた。
「…………くっ」
「うわっ!?」
 その一振りは見事に呂布の重く速い一撃を防いだ。それはまさに奇跡としか言いようのない所業だった。本来なら一撃も受けることなど出来なかっただろう。
 もし、振り抜く速度を重視して強度の弱い剣を持っていたならばその刃は折れ、そのまま一刀は地に伏すことになっていただろう。また、普段腰にさしていた華麗な装飾とよく鍛え上げられた剣だったならばその重みにより、一刀の一振りは遅くなり、呂布の一閃を受け止める前に切り捨てられていただろう。
 だが、今手に握っていた剣は普通の剣。強度も普通、重さも普通、故に程よい速度、そして一撃にだけは、耐えうる強度を誇っていた。
 とはいえ、呂布の戟を何度も受けることはできない。
 その一撃で、一刀の腕は痺れ、その剣もまた僅かにひびが入っている。
 ――もう、一撃も受けられない。一刀は悟った。そして、自らの命もここまでかと悔しさのあまり唇をかみしめた。
「これで…………終しまい」
 そう淡々と告げて呂布は方天画戟を振りあげた。




 張遼隊と一刀、そして呂布隊が駆け抜けた後の袁紹軍の陣は混乱の渦と鳴っていた。
 兵たちが参謀である顔良のいうる幕舎へ押し寄せてきていたのである。
「ちょ、ちょっと! お、落ち着いて。文ちゃん、麗羽さま助けてー!」
「りょ、呂布が――」
「それを文醜将軍が――」
「とにかく大変なんです!」
 矢継ぎ早に、一斉に報告をされるが互いに打ち消され何を言ってるか聞こえなくなってしまっていた。
「ひ、一人、一人だけ報告してください」
「では、それがしが――」
 そして、代表の兵が張遼の出現、呂布によって更に陣が荒れたこと、そして、そのまま陣から出て行ってしまったことをかいつまんで報告した。
「えー!? 文ちゃ……文醜将軍はどうしていたのですか?」
「はぁ、数秒考えたのち呂布に行けと」
「えぇ!? ぶ、文ちゃんの馬鹿ぁ!」
「うるさいですわよ! 顔良さん!」
 顔良の嘆きの声に、眠りを妨げられ不機嫌な袁紹の怒声が幕舎の奥から返ってきた。
「それどころじゃないんですよぉ!」
「なんですの騒がしい……ふぁ」
 未だ寝ぼけ眼の袁紹は眉を吊り上げたまま顔良を見ている。
「あの……麗羽さま、実はですね……」
 そして、かくかくしかじかと袁紹へと説明を始める顔良。彼女の説明を聞いてるうちに袁紹の瞼が落ちていく。
「……くー」
「麗羽さま!」
「ふぇ、き、聞いてますわよ?」
「……起きてくださいっ!」
 未だふらふらとしている袁紹を見て顔良は声を張り上げる。
「ふぁぁ……はいはい、ちゃんと聞きますわよ。まったく」
「はぁ、もう、頼みますよ麗羽さま」
 気を静め再度事情説明を行う顔良。袁紹も今度は船をこぐこともなくしかと聞いていた。そして、僅かに考え込む素振りみせる。
「そうですの……でも、まだ呂布軍の残りはいるのですわよね?」
「えぇ、半分近くを陣に残していったそうです」
「ならば、よろしいではありませんの。呂布さんがいなくなっただけですから」
 あまり気にした風もなく、袁紹はそう告げた。
「え? いいんですか?」
「まぁ、元々の約束もありましたし、仕方ないとは思いますわ……それに、半数が残っているのなら、そちらを使わせていただくまでですわよ。だから、呂布さんは放っておけばよろしいですわ。きっと、北郷一刀の首を鞍につないで帰ってくることでしょうし。おーほっほっほ」
「……そうですね。それじゃあ、攻め方もほぼ決まったので準備に取りかかることにしますね」
 それだけ言うと顔良は一礼して、攻城戦用に考えた案を記した書簡をとりに幕舎へと向かおうと歩み出す。
「えぇ、わたくしの目も覚めてしまいましたことですし……準備ができ次第攻め込んでしまうとしましょう」
 その言葉を背に顔良は幕舎へと入っていった。




 呂布隊の兵も張遼隊の兵もただその光景を見守っていた。
 二つの影がぶつかり合う。
 方天画戟が唸りを上げて襲いかかる。
 それを霞が紙一重でよける。
 霞はそのまま、飛龍刀を振り出す。
 同時に、呂布も方天画戟を突き出した。
 二つの刃は互いを掠め合い火花を散らす。
 それからすぐ、二合、三合と討ち合い続ける。
 互いに接近しすぎてつば競り合いのまま膠着状態に陥るやいなや、すぐに距離を取る。
 そして、互いに睨み合いながら牽制をしはじめる。
 この霞と呂布との討ち合い、それは一刀の生命が風前の灯火と思われた時を始まりとしていた。

 ――少し時を遡り、北郷一刀という標的を呂布の目が捉え、そして振り上げられた方天画戟を持つ手に殺意と力が込られた時のこと。
 いざ、彼の命を経たんと呂布が意気込んだのとほぼ同時に、怒声ともとれる声が呂布へと向けられた。
「んなこと、させるかぁっ!」
 それは一瞬の出来事だった。方天画戟を振り下ろそうとする呂布に向かって突き進んでいた馬の背から霞が飛びかかったのだ。やむを得ず呂布は、一刀への攻撃を中止し霞の一撃を受け止めた。
 そのまま霞は一刀を背にするように呂布と向かい合うと、呂布が怒りによって理性を半ば捨てている状態であることを理解し、兵たちに手を出さないようにとだけ告げ、あとは言葉を交わすこともなく、何合も方天画戟と飛龍偃月刀を打ち合わせていた――。

 ――そして、時は戻る。
 もうかれこれ、百余合打ち合っていた二人は互いに消耗し合っていた。
 それでも、動きに鈍りはなかった。むしろ徐々に波に乗ってきている。
「…………ふっ!」
 方天画戟が大地を二つに分かんとするがごとく真っ直ぐに振り下ろされる。
 それを受け止めるが、その衝撃は霞の手へと伝わる。
「ちぃ、相変わらず規格外の力や、なっ!」
 左から右へと飛龍刀を振り抜く。呂布は身を引いて、掠らせることなくそれをよけた。
 霞は、そこから一歩踏み込みさらにもう一閃、今度は右から左へと放つ。
「…………っ!」
 呂布は、よけることは不可能と判断し、その一撃を力強く弾く。霞は、その勢いを利用して身を翻し、再び呂布の方を向くのと同時に勢いの乗った一撃を打ち込む。
 が、一瞬で呂布の姿が消える。身を低くしたのだ。そして、突きが放たれる。
「うぁ、危なっ!」
 間一髪、霞はその一撃を脇腹に掠らせるだけでよけた。そのまま、脇腹を押さえるようにして飛び下がり呂布と距離を取った。
「やっぱ、強いな……恋」
「…………霞も強い、でも……負けない」
 ここにきてようやく、呂布から霞へ向けてまともな言葉が発せられた。そのことをもって、霞は呂布が冷静さを取り戻し始めていることを悟った。
 霞が何も言わず打ち合い始めた理由はそこにあった。武人の中には華雄のように矛を交えれば交えるほど戦いに熱中していく系統の者たちがいる。それとは逆に、戦いに集中することで神経を研ぎ澄ます故、冷静になる者たちがいる。呂布は、どちらかと言えば、冷静さを増す方だった。
「……霞は何で邪魔する?」
「そりゃ、恋が勘違いしとるからや」
 未だ、互いに獲物を振り回し、ぶつけ合いながら言葉を交わす。
「……………………?」
「はっきり言うたる。月は生きとる!」
「!?」
 霞の言葉に動揺したのか、呂布の手が僅かに止まる。そこをついて、攻め込もうと手数を増やす霞。
「……あぶなかった」
 しかし、呂布も伊達に天下無双と称されているわけではない。手数の多さに重点を置いた霞の素早い打撃を方天画戟を回転させることで全てはじき飛ばした。
「しまった……」
 霞は思わず舌打ちをする。それは、ようやく出来た隙を有効に使って呂布を制することが出来なかったからであり、また、
「……今のは嘘? もう、だまされない……」
 呂布の中に、霞に対する疑心を芽吹かせてしまったからである。
「………………はぁっ!」
 再び、戦闘に集中しだした呂布。その攻撃は今までよりも鋭く、そして力強い。
「く、マズっ、また強くなっとるやないか……れ、恋」
 なんとか、呂布の猛攻裁きながら声を掛ける霞。しかし、呂布は聞く耳を持たなくなっていた。
 そんな二人の様子を兵たちと共に一刀が複雑な表情と悲しげな瞳で見守っていた。
「霞……恋……俺は……」
 呂布に圧されはじめた霞を心配し、自らのふがいなさにその身を震わせながら口にした一刀の呟きは誰に聞かれることもなく夜の闇へと溶けていった。




 一方、易京内では、詠が兵たちに指示を出して兵器を城壁付近へと運ばせていた。
「運び終えたら交代できるんだから気合い入れなさい! いいわね!」
 詠の威勢の良い命に兵たちもまた力強く返事をして、一層気合いを込めて、兵器を押している。それは、下に車輪ついており、またその頭頂部にはてこの原理を利用して投石を行うための仕掛けが付けられている。
「しっかし、発石車ね……以外と使えそうね」
 運ばれる発石車を眺めながら詠はそう呟いた。
 この兵器は、一刀の朧気な知識を基に詠が考え作り出したものである。袁紹軍が立てた物見を破壊するために使用する予定である。
「ふふ……袁紹はどんな顔をするのかしら……見れないのが残念ね」
 詠は、そんな言葉を口にしながら、我ながら頼りない証言を基によくぞここまで作ったと自らの知を誇りに感じていた。
 そして、数台の発石車が城壁近くに並び終えた。
「よし、それでいいわ。作業を終えて仮眠に入りなさい」
 その言葉に従って兵たちが下がっていく。それを見送りながら詠は、それとなく城壁へと上っていった。
「やっぱり、見えないかしら……いや、そうでもないわね」
 城壁から外を見ると、袁紹軍の陣と思わしき箇所が篝火によってこうこうと光を放っている。さらに、本来の夜営以上に篝火がたかれているのが一目で分かった。
「上手く言ったのかしら……それとも」
「ふ、心配なかろう。主はやる時はやる御方だ。それに、なにより霞がおるではないか」
 不安げな声色で呟いた詠の独り言に返事が返ってきた。驚いて振り向くとそこには、いつの間にやら星が立っていた。
「あら、いつの間に来てたの?」
「ふ、私なら初めからおったぞ……そこにな」
 そう言って、星は物見のためにたてた楼を指さした。
「なによ、それなら声をかけなさいよ」
「いや、いたく真剣な顔をしておったのでな。どうしたものかと思っておったのだ」
 相も変わらず何を考えているのか読み取れない不適な笑みを浮かべる星。
「はぁ、あんたは随分と気楽そうね」
「いやいや、私とて主たちの心配はしている。だが、それ以上に信頼しているだけだ」
「ふふ、なんか星らしいわね」
 星の言葉に、強張っていた肩の力が抜けふっと微笑を漏らす詠。
 星は、その詠の様子に同じような微笑みを浮かべながら、口を開いた。
「当たり前だろう? 我は常山の昇り龍、趙子龍。何時如何なる刻、場所にいようともそれは変わらぬよ」
「そう……」
 詠はただそれだけしか答えなかった。そして思う、自分はどうなのだろうかと……。
「詠だって、どこにいても詠だ」
「え?」
 まるで自分の思考を読み取ったかのような星の言葉に思わず、動揺する詠。
「ふふ……主ならそう言うだろうな」
「そうね。あいつなら言うわね――絶対に」
 そう言うと、どちらからともなく笑い出した。
 これから大事な戦いがあるとは思えないほどに。そして、笑い出したのと同じようにまるで示し合わせたかのように同時に視線を向けた。一刀たちがいるであろう方へ――。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


整形版はここからです。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 「無じる真√N20」




 易京内部の混乱が収まってからまた一時辰半程たち日も暮れ、空に燦然と輝く月が漆黒
の夜空を照らしている頃
 易京攻城戦、それを目の前にした袁紹軍は攻撃を開始する前、大将である袁本初は自ら
が待機する幕舎へと、先に合流を果たした呂布を呼び寄せていた。
「よく、いらっしゃいましたわ呂布さん、あなたはこの戦いが始まる前にわたくしと交わ
した約束は覚えていらっるようですわね」
 袁紹の質問に呂布が黙したまま頷く。
「なら、よろしいですわ。わたくしたちが伯珪さんの軍を攻め落とす。その手伝いをして
くださるかわりに」
「……北郷一刀の首をもらう」
「そう、その通りですわ。ただ、少々やっかいなことになりまして……どうやら、向こう
で動きが合ったらしいので放っていた間諜に情報をよこさせたところ、伯珪さんが倒れた
そうですわ。そして、その北郷という男がどうやら倒れた伯珪さんの代わりに公孫賛軍の
柱となったようなんですの」
 呂布が首を傾げる。袁紹の言葉が何を伝えんとしているのか把握できていないようだ。
「まぁ、要するにですわ。北郷とかいう男を討つには公孫賛軍の壊滅をしなくてはならな
いというわけですわ」
 そう言って袁紹はちらりと呂布を見やる。が、呂布は特に何の反応も返さないない。そ
の様子に、袁紹は面倒臭いと思いながら云いたいことを直で伝える。
「ですから、あなたが北郷の首をとりたいとお望みなのでしたら、是非とも前衛をお譲り
いたしましょうということですわ。もちろん、引き受けてくださいますわね?」
 そう言って呂布を見るが相変わらず黙ったまま。その態度に袁紹の眉がぴくりと動くの
と同時に呂布が口を開く。
「わかった。でも、北郷一刀は」
「はいはい、あなたのお好きにしてくださって結構ですわ」
 呂布の言葉を最後まで聞くことなく、袁紹は手をひらひらと振りこの場を去るようにと
態度で伝えた。
 呂布もただ黙ってそれに頷き場を後にした。
 その呂布と入れ替わりに顔良が幕舎へと入ってくる。
「麗羽さま、呂布さんとのお話は上手く言ったんですか?」
「えぇ、あの方たちには前衛をつとめていただくこととなりましたの」
「え!? そうなんですか?」
 袁紹の報告に顔良は思わず声を大にして聞き返す。
「そんなに大きな声をださなくてもよろしいではありませんか、顔良さん」
「あ、すみません。でも、よくあの人を上手く動かしましたね」
「ふふ、そんなのわたくしにかかれば朝飯前ですわよ。おーほっほっほ」
 感心したように自分を見つめる顔良に袁紹が高笑いを辺りへ響かせた。その時、袁紹の
懐より何かが落ちた。先程間諜より受け取った公孫賛軍の内情を記した密書のようだ。
「え……公孫賛さん、倒れたんですか?」
「えぇ、そして今は伯珪さんの元で飼われている男がその代わりを務めているそうですわ
よ。そのような男に頼るしかない……もう、わたくしの勝利が見えてきましたわね! お
ーほっほっほ!」
 高笑いする袁紹を横目に顔良は顔をしかめる。
「……北郷一刀。その人って天の御使いって云われてる人、だったはず……なら、その求
心力は公孫賛さんと比べても劣らない……だとしたら敵の士気は……あの、麗羽さま」
「何ですの顔良さん?」
「まだ楽観視するべきじゃないですよ。北郷さんが取った行動は向こうにとって正確な対
処であるはずです。ですから、恐らくはそれによって向こうの戦意、士気共に元通りとな
っているはずだと思います」
「そうですの……でもまぁ、大丈夫ですわ。どちらにせよ先程伝えたとおり前衛は呂布さ
んにつとめて頂くことになっているんですからね」
「確かにそれは一理あるとは思います。呂布さんの武は、ハッキリ言ってどの勢力からし
ても脅威となるものですから……でも、かくいう私たちにだって彼女の制御ができるのか
どうかわからないんですよ?」
 不安をそのまま表情に表しながら袁紹の返事を待つ顔良。そんな彼女の様子に微笑をこ
ぼしながら袁紹が口を開いた。
「ふふ、いいですか顔良さん。幸いわたくしたちの攻める相手、現在その中心となってい
る人物……それこそ呂布さんが何よりも優先するように狙っている北郷一刀ですわ。そし
て、その男が向こうにいる限り呂布さん及び彼女の軍の手綱は握っているようなものです
わ。おーほっほっほ!」
 袁紹の高笑いまさに絶好調と言わんばかりに高らかと辺りにその笑いを響かせていると
ころに文醜が戻ってきた。
「ただいま戻りましたー」
「どこに行ってらしたの? 文醜さん」
 特に何も言わずに歩み寄ってくる文醜に対して袁紹が眉を僅かに吊り上げる。
 その様子を見て、顔良は慌てて説明を始めた。
「麗羽さま、実は私が城壁の防衛の様子を見てきて欲しいと言ったんです」
「あら、そうですの。それで、どうでしたの文醜さん?」
「あ、はい。どこも警戒されてるみたいっすね。というか、それ以前にあの城壁は攻略す
るのに中々骨が折れそうっすよ」
 頭を掻きむしりながら難しい表情を浮かべる文醜。その様子が彼女の報告の信憑性を増
している。つまり、それほどやっかいと言うことである。そう袁紹は思った。
「そうですの……どうするべきかしら?」
 そう言って、袁紹は文醜から顔良へと視線を移す。その質問に対してしばらく考え込む
素振りを見せると顔良は口を開き語り出した。
「うーん、そうですね……ねぇ文ちゃん、城壁付近はどんな感じだったか詳しく教えてく
れないかな」
「あぁ、わかった。そうだな……まず目についたのは城壁の高さだな、これは結構あった
ぞ。だいたい五……いや、六丈くらいだな」
 文醜の報告を聞いた顔良は、公孫賛軍を追い込んだ際に自分の目で見た城壁を思いだし
て比較し納得すると、再び質問を投げかけた。
「なるほど……やっぱり結構な高さなんだね。それで他には?」
「えっと、その城壁の上に物見らしい楼があったぞ。あと、壕と土山――高さは十丈ほど
――もあったな……あまり近くまで行けなかったから良くわかんないけどな。へへ」
「それで十分だよ……ありがと文ちゃん」
 照れくさそうに、そして申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる文醜に顔良は首を左右に振
り感謝の意を微笑と共におくった。
「どうですの顔良さん。何か良い案は思いついたんですの?」
「うぅん、取りあえず気をつけるべきは"時間"ですね……おそらく向こうもそこを突いて
くるでしょうから」
「時間……ですの?」
「はい、公孫賛軍が途中からろくに交戦もせず中に入っていったのは文ちゃんが見たとい
う堅固な守りがあるからだと思うんです。きっと、向こうはただ耐えるだけしかしないと
思います。長引けば長引くほどこちらのお世辞にも多いとは言えない兵糧はますます減る
一方ですから。そして、そうならないために計った敵拠点での兵糧の回収は失敗……恐ら
く向こうはその時よりも前――それこそ開戦前あたりからこの情況を狙っていたに違いあ
りません」
 そして、顔良は再び考え込んだ。袁紹はそれを横目に見ながら文醜へと指示を出す。
「とりあえず文醜さんは、兵たちの内、今のところ動かす予定のない者たちを休ませてく
ださいな。あと、あなたもですわよ。明日は早朝から攻め込むのですから」
「わかりました。そんじゃ、斗詩、麗羽さま。また」
 それだけ言うと文醜は幕舎を飛び出していった。
「さて、文醜さんには明日存分に働いて頂くとして……顔良さんにはなんとしても打ち破
る法を見つけていただきますわよ」
「はい、明日の開戦までにはなんとか……」
 そう言って、顔良は文醜の報告に合わせて記述を加えた地図へと視線を落とした。
 その姿を見ながら、袁紹は奥へと移動する。
「それじゃあ、わたくしも少し横になりますわ」
「あ、はい。おやすみなさい麗羽さま」
 それだけ言うと、袁紹は床についた。明朝の自分の勇姿を思い描きながら……。




 さらに宵は深まり、月もまたその姿を地へと向かわせ数刻たった頃――。

 易京の門より、一つ、また一つと、少数の影が抜け出てきた。
 その数人分の影は皆、通常よりも背が高い、それもそのはず全員が全員騎乗しているか
らである。そして、その先頭に立つ一つの影が何かを言うやいなや一塊となって易京より
僅かに距離をとった森、その中心にある呂布、袁紹による連合軍の陣へと馬を向け駆け出
した。森に生ゆる木々を馬を手足のように操作してよけ突き進む。
 影の集団は、そのまま、袁紹軍によって前へと押し出された呂布軍の陣を颯爽と素通り
する。その速さ故に数名の兵のみが気づくこととなり呂布軍は反応が遅れることとなる。
 そんな呂布軍を無視し、影は更に奥へと向かう。袁紹軍の幔幕を破り、臨時に立てられ
た策を飛び越え陣内へとなだれ込む。それを警戒に当たっていた兵が見つけると、
「な、何事だ!」
「や、夜襲だぁ!」
 袁紹軍内はすっかり混乱状態となった。そして、陣内に張られた天幕内から大勢の兵が
どっとあふれ出てくるもののその慌てぶりゆえ互いに脚を絡め合い倒れ込む。
 そんな滑稽な姿を見て集団の先頭をつとめている影が口を開いた。
「ぷっ……あーはっはっは! 何て間抜けな奴らや!」
 陣内の篝火に照らされたその顔はまさに神速の張遼、その人であった。
「天の御使い、ここにありや! この首が欲しい者はついてこいや!」
 それだけ大声で宣言し、掲げている"十文字旗"を一層振り回すと、更に馬の速度を上げ
て陣を駆け抜けていった。張遼隊の兵たちもそれに続き袁紹軍の陣から立ち去った。
 その様子は、まさに疾風の――いやまさに神速の風のごとしであった。故にまったくも
って対処、どころかまともな反応すら出来ないままその場に残された袁紹軍の兵たちは皆
同一の感想を抱いていた。
 その瞬間だった、再び馬の蹄の音が砂煙をあげながら陣へと近づいてきたのは。
「む、まだ奴らの残りがいたぞ討ち取ってしまえ!」
 一人の将のその言葉に兵たちがわっと襲いかかる。だが、それらを蹴散らし馬は陣内を
駆ける。そこに翻るは深紅の呂旗だった。
「み、味方だ! 攻撃止めえぃ!」
 その集団に気づいた兵たちは慌てて攻撃を止め事態を見守ることにした。
 すると、兵たちの間を縫って一人の人物が現れた。
「ん? こりゃ、一体どういうことだ?」
「ぶ、文醜将軍。じ、実は――」
 文醜に気づいた兵が事の子細を告げると、文醜が先頭に立つ呂布へと声を掛けた。
「おい、呂布!」
「……?」
 何もしてこなくなった袁紹軍を見て駆け出そうとした呂布は、一旦込めた力を緩め文醜
の方を向き、首を傾げる。
「一体、どういうつもりだ? いくら、敵の大将であるあの北郷とかいうのを追いかける
にしてもこりゃやりすぎだ。お前の軍の半分近くはいるじゃんか!」
「北郷一刀がいた……それに……約束してた」
 そこで、文醜ははたと考えた、確かに呂布と主、袁紹の間で密約が交わされていた。袁
紹軍に協力するは北郷一刀の首があるから……と。
 ならば、呂布の言もまた正論であると――そして、
「わーったよ。行ってこい!」
「……」
 文醜の言葉に頷くやいなや、呂布は馬を走らせ、張遼隊の追撃にはいった。
「絶対に勝てよなー!」
 遠くなる呂布の背にそう声をかけると文醜はあくびを噛み殺しながら自分の幕舎へと戻
っていった。
 後から、きた顔良が事情を聞いて頭を悩ませることになるとも知らず――。




 袁紹軍の陣を通り過ぎた張遼隊は、荒野へと出ていた。そして、頃合いとみて後方をち
らりと見やった。
「さて、そろそろやとは思うんやけど……おっ、来とるな。ふふ、さすが恋やな対応が速
いわ」
「あの……満足そうにしてるところ申し訳ないんだが、何故に敵陣突っ切ったんでしょう
か?」
 歯をガチガチとならしながら一刀は尋ねた。顔は青ざめ、口調もどこかおかしなものに
なっている。
「ん? いや、あぁやって宣伝したほうが気を引きやすいやろ?」
「……そ、そうだけど」
「というか、一刀はウチに任せとけば大丈夫やと思わんかったんか?」
「……信頼はしてるよ……だけど、限度ってものがあるだろうー!」
 少し、顔色も戻り元気を取り戻した一刀が力強いツッコミを入れる――霞の背中越しに
――。そう、彼は今、神速の張遼、その躰にしっかと捕まり彼女の後ろに座っていた。

 ことは、数刻前、出発を控えたころのことだった。
「あんたの騎乗技術はひどいから霞の後ろに乗んなさい」
 その詠の一言で一刀は霞と同じ馬へと乗ることとなったのである。
 もちろん、不満はあったが霞の「そんだけ一刀の身を暗示とるっちゅうことや」という
言葉で納得することとなった。ただ、その霞の一言に対して詠が不満を爆発させたのだが
それは余談である。

 そのような事情から、ずっと霞の後ろにいた一刀。実のところ、初めは敵陣を迂回して
その後方へと廻った後、松明を掲げ、声高らかに自らの存在を知らせる予定だった。
 だが、突如霞が隊の者たちへと何やら危険な匂いのする指示を出し敵陣へ……という次
第であった。
 正直なところ、一刀は生きた心地がしなかった。そして、同時に選抜された兵がみな霞
に託した烏丸の者だったことにも納得がいっていた。
 烏丸の者はこの地にいる諸侯たちと比べることもできないほどに馬の扱いに長けていた
のだ。つまり、霞がこの面々を連れてくることにした理由こそ、まさに神風のごとき速さ
で敵陣を突き抜け、呂布を吊り上げることにあった訳なのだ。並の者なら、ここにたどり
着く前に討ち取られていただろう。だが、さすがは霞が選んだ強兵たちである。誰一人と
て脱落することなくついてきていた。
 そして、一刀が何よりも驚異に思ったのは霞だった。一刀を後ろに乗せているにも関わ
らず、他の兵を先導するに足る速度を持続していたのだ。
 何よりも、それだけの胆力を兼ね備えるまでに馬を育てたこと、そしてそれを文字通り
手綱を握り操っている霞の技術にいたく感心していた。
 そんな想いが僅かに一刀の口を出てしまうのも致し方なかった。
「すごいな……霞は」
「ん? どないしたん?」
「いや、改めて霞のすごさを知ったってことかな……」
「そら、良かったわ! はは!」
 一刀の言葉に爽快な笑みを浮かべる霞。が、すぐに顔を引き締め前を向く。
「どうやら、追いついてきよったようやな」
 その言葉通り、背後から蹄の音が迫ってきている。そう一刀が感じたのと同時に霞が馬
へと気合いを入れ方向を変え転進を行う。他の者たちも駒に鞭打ち方向を再び連合軍本陣
へと向け急激に前進を開始した。
 ただ、一直線に呂布軍とぶつかるような真似はしない。呂布軍から距離を取りながらす
れ違う。急な転進とすれ違いによって呂布の連れている隊の一部を混乱させることに成功
したらしくほとんどの駒が脚を止めてしまっている。が、そんな中、数騎が張遼隊の後尾
へと食らいついてきた。その先頭にいるのはやはり呂布だった。
 しかし、霞、そして一刀も動揺はしていない。何故ならば、それこそ二人の――もとい
張遼隊の狙いだった。
 袁紹、呂布による連合軍より北郷一刀という餌を使い呂布軍の主力を吊り上げ、さらに
機敏な動きでふるいをかけ、呂布とせいぜい数人の部下だけを呼び込むというのが基より
抱いていた彼らの狙いだった。
 故に二人とも好し、好しと思っていたのだが、
「う、うわぁ!」
 張遼隊の最後尾にいた兵たちの悲惨な声が響き渡った。慌てて、霞と一刀が視線を向け
様子を伺ってみると、最後尾は完全に少数の呂布隊に飲み込まれていた。そして、呂布一
人が二人の乗る馬へと猛烈な速度で迫っていた。
「お、おい。これはヤバいんじゃ……」
「ちぃっ、さすがや……全力やないとはいえウチの馬術に劣らんとは……」
 そう言っている間にも蹄の音が一歩、二歩と距離を縮めるように近づいてくるのが耳に
届いていた。
「…………斬る」
 その言葉が、流れゆく風に逆らい耳に届くやいなや一刀は身をかがめた。瞬間、頭の上
を風が通りすぎた。目の前をちょっとした束になった髪がパラパラと落ちていった。
「うおっ! 追いつかれてる、追いつかれてるぞ霞!」
「くっ、黙っとき。舌噛むでぇ!」
 そう言うと、霞は速度を落とすことなく再び方向を転換させた。その僅か後ろに一閃が
走り、馬の尾を僅かに切り落とした。
 その光景に一刀が目を見開きギョッとしていると、霞が何やら声を発した。
「なっ、なんやこれ!」
 地に何故か金に染まった物体――何かの装飾品の一部らしい――が落ちており、それが
馬の蹄とかち合ってしまったのだ。余程よい素材でできているらしく強力な脚力にも潰さ
れず、むしろ馬の脚をとり馬上の二人の体制を崩してしまった。
「うわっ……っ!」
 揺らぎに耐えきれず一刀は落馬してしまう。落ちた際に背中をしこたま打ち付けたらし
く、一瞬、息が止まる。が、一刀は首を振り、すぐさま状況把握に移った。
「…………」
「あ、あれ?」
 目の前には馬から降りた修羅がいた。紅の髪はゆらゆらと揺れ、鋭い瞳のなかにこうこ
うと燃ゆる炎が見える。それでいて発する雰囲気は凄まじく冷たかった。
 一刀は、そんな呂布の様相に対し、普通の者が抱くのとは異なる意味で動揺をその胸に
覚えていた。
「……そっか、初めてだもんな」
 そう、ここまで怒り狂う呂布を初めて見たということに対して一刀は動揺していた。彼
の知る少女――呂布はあまり感情を表に出すことはなかったがその心根は優しかった。ま
た、虎牢関で見た飛将軍呂布の姿も見た。だが、今の彼女の姿はそれらとは一線を画す迫
力を持っていた。
 そんな様相を呈しながらも一言も発しない呂布。そんな彼女を見つめる一刀の頬を一筋
の汗が流れ落ちる。
「……覚悟っ!」
 かけ声一番、呂布の一閃が一刀を襲う。来るっ、そう思った瞬間、一刀は獲物を振り上
げていた。
「…………くっ」
「うわっ!?」
 その一振りは見事に呂布の重く速い一撃を防いだ。それはまさに奇跡としか言いようの
ない所業だった。本来なら一撃も受けることなど出来なかっただろう。
 もし、振り抜く速度を重視して強度の弱い剣を持っていたならばその刃は折れ、そのま
ま一刀は地に伏すことになっていただろう。また、普段腰にさしていた華麗な装飾とよく
鍛え上げられた剣だったならばその重みにより、一刀の一振りは遅くなり、呂布の一閃を
受け止める前に切り捨てられていただろう。
 だが、今手に握っていた剣は普通の剣。強度も普通、重さも普通、故に程よい速度、そ
して一撃にだけは、耐えうる強度を誇っていた。
 とはいえ、呂布の戟を何度も受けることはできない。
 その一撃で、一刀の腕は痺れ、その剣もまた僅かにひびが入っている。
 ――もう、一撃も受けられない。一刀は悟った。そして、自らの命もここまでかと悔し
さのあまり唇をかみしめた。
「これで…………終しまい」
 そう淡々と告げて呂布は方天画戟を振りあげた。




 張遼隊と一刀、そして呂布隊が駆け抜けた後の袁紹軍の陣は混乱の渦と鳴っていた。
 兵たちが参謀である顔良のいうる幕舎へ押し寄せてきていたのである。
「ちょ、ちょっと! お、落ち着いて。文ちゃん、麗羽さま助けてー!」
「りょ、呂布が――」
「それを文醜将軍が――」
「とにかく大変なんです!」
 矢継ぎ早に、一斉に報告をされるが互いに打ち消され何を言ってるか聞こえなくなって
しまっていた。
「ひ、一人、一人だけ報告してください」
「では、それがしが――」
 そして、代表の兵が張遼の出現、呂布によって更に陣が荒れたこと、そして、そのまま
陣から出て行ってしまったことをかいつまんで報告した。
「えー!? 文ちゃ……文醜将軍はどうしていたのですか?」
「はぁ、数秒考えたのち呂布に行けと」
「えぇ!? ぶ、文ちゃんの馬鹿ぁ!」
「うるさいですわよ! 顔良さん!」
 顔良の嘆きの声に、眠りを妨げられ不機嫌な袁紹の怒声が幕舎の奥から返ってきた。
「それどころじゃないんですよぉ!」
「なんですの騒がしい……ふぁ」
 未だ寝ぼけ眼の袁紹は眉を吊り上げたまま顔良を見ている。
「あの……麗羽さま、実はですね……」
 そして、かくかくしかじかと袁紹へと説明を始める顔良。彼女の説明を聞いてるうちに
袁紹の瞼が落ちていく。
「……くー」
「麗羽さま!」
「ふぇ、き、聞いてますわよ?」
「……起きてくださいっ!」
 未だふらふらとしている袁紹を見て顔良は声を張り上げる。
「ふぁぁ……はいはい、ちゃんと聞きますわよ。まったく」
「はぁ、もう、頼みますよ麗羽さま」
 気を静め再度事情説明を行う顔良。袁紹も今度は船をこぐこともなくしかと聞いていた。
そして、僅かに考え込む素振りみせる。
「そうですの……でも、まだ呂布軍の残りはいるのですわよね?」
「えぇ、半分近くを陣に残していったそうです」
「ならば、よろしいではありませんの。呂布さんがいなくなっただけですから」
 あまり気にした風もなく、袁紹はそう告げた。
「え? いいんですか?」
「まぁ、元々の約束もありましたし、仕方ないとは思いますわ……それに、半数が残って
いるのなら、そちらを使わせていただくまでですわよ。だから、呂布さんは放っておけば
よろしいですわ。きっと、北郷一刀の首を鞍につないで帰ってくることでしょうし。おー
ほっほっほ」
「……そうですね。それじゃあ、攻め方もほぼ決まったので準備に取りかかることにしま
すね」
 それだけ言うと顔良は一礼して、攻城戦用に考えた案を記した書簡をとりに幕舎へと向
かおうと歩み出す。
「えぇ、わたくしの目も覚めてしまいましたことですし……準備ができ次第攻め込んでし
まうとしましょう」
 その言葉を背に顔良は幕舎へと入っていった。




 呂布隊の兵も張遼隊の兵もただその光景を見守っていた。
 二つの影がぶつかり合う。
 方天画戟が唸りを上げて襲いかかる。
 それを霞が紙一重でよける。
 霞はそのまま、飛龍刀を振り出す。
 同時に、呂布も方天画戟を突き出した。
 二つの刃は互いを掠め合い火花を散らす。
 それからすぐ、二合、三合と討ち合い続ける。
 互いに接近しすぎてつば競り合いのまま膠着状態に陥るやいなや、すぐに距離を取る。
 そして、互いに睨み合いながら牽制をしはじめる。
 この霞と呂布との討ち合い、それは一刀の生命が風前の灯火と思われた時を始まりとし
ていた。

 ――少し時を遡り、北郷一刀という標的を呂布の目が捉え、そして振り上げられた方天
画戟を持つ手に殺意と力が込られた時のこと。
 いざ、彼の命を経たんと呂布が意気込んだのとほぼ同時に、怒声ともとれる声が呂布へ
と向けられた。
「んなこと、させるかぁっ!」
 それは一瞬の出来事だった。方天画戟を振り下ろそうとする呂布に向かって突き進んで
いた馬の背から霞が飛びかかったのだ。やむを得ず呂布は、一刀への攻撃を中止し霞の一
撃を受け止めた。
 そのまま霞は一刀を背にするように呂布と向かい合うと、呂布が怒りによって理性を半
ば捨てている状態であることを理解し、兵たちに手を出さないようにとだけ告げ、あとは
言葉を交わすこともなく、何合も方天画戟と飛龍偃月刀を打ち合わせていた――。

 ――そして、時は戻る。
 もうかれこれ、百余合打ち合っていた二人は互いに消耗し合っていた。
 それでも、動きに鈍りはなかった。むしろ徐々に波に乗ってきている。
「…………ふっ!」
 方天画戟が大地を二つに分かんとするがごとく真っ直ぐに振り下ろされる。
 それを受け止めるが、その衝撃は霞の手へと伝わる。
「ちぃ、相変わらず規格外の力や、なっ!」
 左から右へと飛龍刀を振り抜く。呂布は身を引いて、掠らせることなくそれをよけた。
 霞は、そこから一歩踏み込みさらにもう一閃、今度は右から左へと放つ。
「…………っ!」
 呂布は、よけることは不可能と判断し、その一撃を力強く弾く。霞は、その勢いを利用
して身を翻し、再び呂布の方を向くのと同時に勢いの乗った一撃を打ち込む。
 が、一瞬で呂布の姿が消える。身を低くしたのだ。そして、突きが放たれる。
「うぁ、危なっ!」
 間一髪、霞はその一撃を脇腹に掠らせるだけでよけた。そのまま、脇腹を押さえるよう
にして飛び下がり呂布と距離を取った。
「やっぱ、強いな……恋」
「…………霞も強い、でも……負けない」
 ここにきてようやく、呂布から霞へ向けてまともな言葉が発せられた。そのことをもっ
て、霞は呂布が冷静さを取り戻し始めていることを悟った。
 霞が何も言わず打ち合い始めた理由はそこにあった。武人の中には華雄のように矛を交
えれば交えるほど戦いに熱中していく系統の者たちがいる。それとは逆に、戦いに集中す
ることで神経を研ぎ澄ます故、冷静になる者たちがいる。呂布は、どちらかと言えば、冷
静さを増す方だった。
「……霞は何で邪魔する?」
「そりゃ、恋が勘違いしとるからや」
 未だ、互いに獲物を振り回し、ぶつけ合いながら言葉を交わす。
「……………………?」
「はっきり言うたる。月は生きとる!」
「!?」
 霞の言葉に動揺したのか、呂布の手が僅かに止まる。そこをついて、攻め込もうと手数
を増やす霞。
「……あぶなかった」
 しかし、呂布も伊達に天下無双と称されているわけではない。手数の多さに重点を置い
た霞の素早い打撃を方天画戟を回転させることで全てはじき飛ばした。
「しまった……」
 霞は思わず舌打ちをする。それは、ようやく出来た隙を有効に使って呂布を制すること
が出来なかったからであり、また、
「……今のは嘘? もう、だまされない……」
 呂布の中に、霞に対する疑心を芽吹かせてしまったからである。
「………………はぁっ!」
 再び、戦闘に集中しだした呂布。その攻撃は今までよりも鋭く、そして力強い。
「く、マズっ、また強くなっとるやないか……れ、恋」
 なんとか、呂布の猛攻裁きながら声を掛ける霞。しかし、呂布は聞く耳を持たなくなっ
ていた。
 そんな二人の様子を兵たちと共に一刀が複雑な表情と悲しげな瞳で見守っていた。
「霞……恋……俺は……」
 呂布に圧されはじめた霞を心配し、自らのふがいなさにその身を震わせながら口にした
一刀の呟きは誰に聞かれることもなく夜の闇へと溶けていった。




 一方、易京内では、詠が兵たちに指示を出して兵器を城壁付近へと運ばせていた。
「運び終えたら交代できるんだから気合い入れなさい! いいわね!」
 詠の威勢の良い命に兵たちもまた力強く返事をして、一層気合いを込めて、兵器を押し
ている。それは、下に車輪ついており、またその頭頂部にはてこの原理を利用して投石を
行うための仕掛けが付けられている。
「しっかし、発石車ね……以外と使えそうね」
 運ばれる発石車を眺めながら詠はそう呟いた。
 この兵器は、一刀の朧気な知識を基に詠が考え作り出したものである。袁紹軍が立てた
物見を破壊するために使用する予定である。
「ふふ……袁紹はどんな顔をするのかしら……見れないのが残念ね」
 詠は、そんな言葉を口にしながら、我ながら頼りない証言を基によくぞここまで作った
と自らの知を誇りに感じていた。
 そして、数台の発石車が城壁近くに並び終えた。
「よし、それでいいわ。作業を終えて仮眠に入りなさい」
 その言葉に従って兵たちが下がっていく。それを見送りながら詠は、それとなく城壁へ
と上っていった。
「やっぱり、見えないかしら……いや、そうでもないわね」
 城壁から外を見ると、袁紹軍の陣と思わしき箇所が篝火によってこうこうと光を放って
いる。さらに、本来の夜営以上に篝火がたかれているのが一目で分かった。
「上手く言ったのかしら……それとも」
「ふ、心配なかろう。主はやる時はやる御方だ。それに、なにより霞がおるではないか」
 不安げな声色で呟いた詠の独り言に返事が返ってきた。驚いて振り向くとそこには、い
つの間にやら星が立っていた。
「あら、いつの間に来てたの?」
「ふ、私なら初めからおったぞ……そこにな」
 そう言って、星は物見のためにたてた楼を指さした。
「なによ、それなら声をかけなさいよ」
「いや、いたく真剣な顔をしておったのでな。どうしたものかと思っておったのだ」
 相も変わらず何を考えているのか読み取れない不適な笑みを浮かべる星。
「はぁ、あんたは随分と気楽そうね」
「いやいや、私とて主たちの心配はしている。だが、それ以上に信頼しているだけだ」
「ふふ、なんか星らしいわね」
 星の言葉に、強張っていた肩の力が抜けふっと微笑を漏らす詠。
 星は、その詠の様子に同じような微笑みを浮かべながら、口を開いた。
「当たり前だろう? 我は常山の昇り龍、趙子龍。何時如何なる刻、場所にいようともそ
れは変わらぬよ」
「そう……」
 詠はただそれだけしか答えなかった。そして思う、自分はどうなのだろうかと……。
「詠だって、どこにいても詠だ」
「え?」
 まるで自分の思考を読み取ったかのような星の言葉に思わず、動揺する詠。
「ふふ……主ならそう言うだろうな」
「そうね。あいつなら言うわね――絶対に」
 そう言うと、どちらからともなく笑い出した。
 これから大事な戦いがあるとは思えないほどに。そして、笑い出したのと同じようにま
るで示し合わせたかのように同時に視線を向けた。一刀たちがいるであろう方へ――。

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