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362 名前:□ボ ◆JypZpjo0ig [sage] 投稿日:2009/08/19(水) 11:58:55 ID:w2pgJA+B0
随分と間が空きましたが、やっと書きあがったので
第三回目を投下します

今回は出演人数が多いので若干分かり辛い部分が多いかと
思いますが、どれも必要なものなので外せませんでした

皆さんが指摘してくださった部分は出来るだけミスらないように
注意をしていきたいと思います
『W.E.S.209』にオリキャラは前回のような雑兵を除き
基本的に一切出ませんのでご安心ください

今回のEDも以下略


以下注意事項
・戦闘シーンがありますが、動きが分かりやすいように
 そこだけ例外として横文字を利用しています
・妄想エンジン全開の為、色々マズい箇所があるかも
・全員のテンションや個性にややアッパー気味に修正あり
・もれなく下品というか哀れというか

http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0387



 ―― What’s your name?
 ―― My name is……

 03「夢見る少女」

 良い匂いがする、そう思いながら桂花は閉じていた目を開き、天井を見た。
 数度の瞬きを行い、周囲に視線を向ければ、そこには無数の紙が置いてある。まるで塔
のように重ねられたものが部屋を埋めるように存在し、辛うじて歩くことが出来るだけの
空間は確保してあるものの部屋の内装自体は殆んど見えないような状態だ。
これだけ大量の紙を誰が用意したのだろうか、と疑問が湧くが、それよりも意識を引き
付けたのはそこに書かれている文字群だ。見たことのないものが多いが、その中には自分
の知るものが混ぜ込むように記述してある。手書きのものは字形から考えて北郷のものに
似ているが、それ以外の部分は濃い染料で書かれた、
「活版印刷、ね」
 北郷が昔提案して実行されたものの一つで、木の板に左右反転して彫り込まれた文章を
紙に判子のように押していくというものだ。文字自体を読める者は洛陽においては少なく
ないが紙自体は貴重だし、文字を探して文章にして木組みの箱の中に組み合わせるという
手法は手間もかかるので、重要な会議のときや大量生産しなければならない書類の作成に
使われる程度のものだったが、これだけ大量となると別の意見が出る。
 一つは、それぞれに書かれている内容が違うことから、無駄が多いというもので、何故
このような無駄を行ってまで用意したのかということ。
 もう一つは、何故こんなものが部屋に置いてあるのかということだ。
「どういうことよ?」
「本当よねぇ。しかも御主人様をワタシのアツいキッスで起こしてあげようと思ったら、
どこにも見当たらないしぃ。酷い話だわん」
 突然聞こえた声の方向に振り向き、桂花は悟った。
 きっとこれは夢だろう、と。
 こんなに気持ちの悪い人間、人間よりも化け物に見えるが、そんなものはこの世に存在
しないだろう。だからこれは夢の世界で、時間はどうあれ起きて現状を正しく把握して、
摩訶不思議な存在を否定しなければならない、理論的にも正しい意見だ。
 結果的に桂花は、現在の意識を瞬時に手放した。

? ? ?

「うわ、きっついなぁ」
「ゲロ吐いてる上に、泡まで吹いてますねぇ。どうしましょうか?」
 予定では今日にはフランチェスカの制服が届く筈だったので、届いているかの確認と、
着衣状態で寝てしまったので着替える為に邸に戻り、最初に出たのがこの感想だった。
 取り合えず一緒に届けられた書類の確認は後でも出来るとして、何故か泡などを吹いて
倒れている桂花の介抱に向かう。恐ろしいものを見たように顔を歪めているが、まず大体
の予想は付いた。恐らく部屋の中に書類を置いている音か何かで目を覚まし、そして漢女
の姿を直で見てしまったのだろう。夜中に見たにしても、逆に朝日に照らされる姿を見た
にしても、トラウマ確実だろう。
「耐性無さそうだもんなぁ」
 あいつはあいつで良い部分も沢山有るのだが、いかんせん外見の部分はフォロー出来る
気がしない。俺だって最初に見た時は、迷わず交番に駆け込んだ。警察はあまり好きでは
なかったが、あのとき優しく慰めてくれた婦警さんのこともあり少しだけ警察を見直した。
警邏の隊長をしていた俺は、かのようになれていたのか。
「お兄さん、遠い目をするのは結構ですが、早く介抱しないと外見が少々マズいのですよ」
 言われ、慌てて周囲を見渡した。
 俺の生活用具が一式入った鞄は部屋に隅に置いてあり、そこからタオルを取り出すと、
汲み置きしてある水瓶に浸して軽く絞る。それで顔を拭ってやると、匂いはともかく外見
は元の桂花となった。
「珍しい手拭いですね」
「これはタオルって言ってさ、横糸が蛇腹状になってるんだ。もう何枚かあるから触って
みると良いよ。きっと気に入ると思うし、設計図もあるからこれも良い生産になると思う」
 言われた通りに鞄の中を珍しそうに漁っていた風は、目当てのタオルの手触りに驚きの
声をあげた。他にも様々な道具を見ては驚いているが、基本的にこの時代でも生産可能と
思えるようなものばかりだ。だが実際に機械や商品のサンプルを作るのは俺ではなく真桜
となってしまうので、その辺りはよく相談しなければならない。
 食品系は流琉に頼めば大体はいけるか、と考えながら桂花の頬を何度か軽く打ち起こし
てやると、呻きながらも意識を取り戻した。
「……北郷、何でアンタがこんな場所に居るのよ?」
「そりゃ、俺の部屋だからだよ」
 昨日の夜のことを思い出したのか心底嫌そうに表情を歪め、続いて悲しそうに目を伏せ、
「申し訳ありません、華琳様。私は汚されてしまいました……あなたって本当に最低の屑
だわ!! 責任とって今すぐ死になさいよ!!」
 汚したというよりはむしろゲロで汚れた顔を奇麗にしてやったのだが、朝から無意味に
テンション高いし普段通りなので安堵する。よほど気に入ったのかタオルの感触に気持ち
良さそうに目を細めていた風が半目で俺を見ているが、冤罪だ。
「風の前に桂花ちゃんまで」
「一晩で二人に手を出す変態おかわり種馬野郎なんて最低よ、死ねば良いんだわ!!」
 何も言うまい。
 それよりも、と俺は積まれた紙の束を見て、自分でもよく印刷したものだと思う。印刷
した端から漢女に渡していたので正確な量が分からなかったが、総量を実際に目にすると
とんでもない量だ。お年玉貯金とバイト代を殆んど注ぎ込んだものだが、これがどこまで
役に立ってくれるか。取り合えず国庫に運んで貰う前に重要なものや今すぐ実行出来そう
なものを選別しなければならないが、それだけでも数日かかりそうだ。
 いや、まずは着替えか。
 向こうでは普通に着ていたが、こちらで着れば気分も変わりテンションも上がるだろう。
「という訳で、着替えるから出てってくれ。あと桂花、後でこれの選別をするから手伝い
を頼む。特に政策関係は俺の場合、詳しい現状の把握が出来てないから詳しい人を何人か
寄越してくれると有難い」
「アンタ前にも増して人の話聞かないわね」
 桂花には言われたくない。
 だが仕方ないわね、と吐息する桂花を見て、風は首を傾げ、
「随分丸くなりましたね」
「今だけよ!! 曲がりなりにも北郷側の軍師になったんだから、変に不和を見せて兵士達に
妙な猜疑心を持たせる訳にもいかないでしょ?」
 春蘭と普段喧嘩してばかりな上に死ねとか言いまくっているので今更だし、そもそも口
に出してしまったら意味がないと思うが、桂花がテンションで物を言うのは分かりきって
いるので風も突っ込む気は無いらしい。
そうですか、と言っているのは普段通りの無表情で、しかし続けて小首を傾げ、
「あれ? 桂花ちゃん、お兄さんの側に付いたの?」
 昔から思っていたが、風は俺にタメ口聞いてくれないんだよな。オナニーしてるときは
名前で呼んでくれたみたいだが。それも個性かと思うし、細かいと思われるかもしれない
けれども、セックスまでしている仲なのに妙な壁を感じる。
 そして桂花はフンと鼻を鳴らし、
「分かってて聞くのは趣味が悪いわよ」
 こちらを睨むようにして部屋を出て行った。
 別に仲が悪いという訳では無いだろうが桂花は若干風を苦手にしているような素振りが
前からあったし、特に高位の文官として見るなら風は稟とセット、桂花は華琳にべったり
というイメージがあるので、違和感は少ない。
 ただ疑問に思うのは、風と桂花がコンビになってどこまで行けるのか、ということだ。
桂花は昨夜の模擬戦の予想表で軍師の箇所に自分の名前と風の名前を書いていたが、その
通りに行くなら上手く連携を取ってくれないと困るが、あまり上手くイメージが湧かない。
三国時代は参謀は稟を含めて三人でやっていたような感じなので、二手に分かれての軍の
演習ではそんなに珍しくも無い組み合わせだし、普通に行うならば問題もないのだろうが、
今回は話が少し変わる。
何せ模擬戦とはいえ、国王を決める戦いだ。
違和感はどんなに小さなものでも、それを排除するに越したことはない。
それをどうするか、と考え始め、その前に大事なことに気が付いた。
俺はまだ、風を誘っていない。
桂花の方は予想外だったし、それ以外は基本的に判断を相手に委ねることにしているが、
風だけは元々スカウトする予定だった。だが桂花がこちらに入ったことで、なんとなく風
を誘うのが厳しい空気になっている。これは俺自身の問題だが。
 仲間にしようという考えは変わっていないし、風なら誘えばきっと仲間に入ってくれる
だろうとは思っている。桂花もそう感じては居るのだろうが、
「難しいな」
 論理的にではなく、精神的に、だ。
 少なくとも今すぐにではなく、後で改めてという感じになるのだろうが、それをどんな
タイミングで言うかがカギとなる。状況を利用するのはあまり好きではないが、昨日の夜
に言っておけば良かったと少し後悔した。
 だが後悔よりも大事なことは、それを如何に今後の糧とするかだ。
 それよりもまずは山と積まれた書類を何とかしようと思い、気分を入れ替える為にまず
行うのは着替えだ。フランチェスカのものではなく天の御遣いとしての俺を意識にセット
する為に、上着を勢い良く脱ぎ、
「昨日は着衣状態で分かりにくかったですが、随分逞しくなりましたね」
「居たの!?」
 不味い、思考に没頭していたので気付かなかったが、風も流れ的に部屋を出て行ったと
思っていた。かなり気不味い。テンションががっつり下がってくる。
「居てはいけませんか? このタオルとやらを貰っても良いか聞こうと思ったのですが、
何やら考え込んでいたようでしたので機会を待っていましたが」
「いや、タオルは別に良いけどさ」
 あまり高いものではないが生活には役立つので普及する筈だと思い、実際に使った感想
を聞こうとタオルだけは人数分は持ってきているし、何の問題もない。しかしオッサンの
ようにタオルを首に掛けた美少女と言うのはシュールな光景だ。それが奇麗な金髪で衣服
もひらひらとした豪奢な感じのものだから、余計に言葉にし辛い。
 黙ってその姿を見ていると、風は頬を赤く染めて俺の腹を何度か撫でて、無言で部屋を
出て行った。

? ? ?

 は、と吐息して、凪は拳を突き出した。
 そのまま続くのは反対の拳、そして蹴りなどを混ぜた連続攻撃だ。
 それは空気も揺らさぬ程の速度のものだが、それで構わない。大事なのは速度ではなく
型をしっかりと実践出来ているかどうかの判断だ。戦場でものを言うのは積み重ねてきた
修練で、型の通りに体が動けば結果は自ずと着いてくる。気を練り、体を型通りに動かし、
それを幾千幾万と継続していけば、勝利を得ることが出来る。
 だから寸分のブレも無いように、ひたすら継続だ。
 幼い頃からそれを欠かしたことはないし、年齢を重ねて体が衰えるまでは、今のこれを
続けていくことになるだろうと凪は思っている。
 焦らず、一動毎に動きを止め、正しい姿勢でいるかの確認を経て、型を繰り返す。
 だが凪は、それを数通り繰り返した時点で完全に動きを止めた。側頭部への高い蹴りを
撃つ姿勢だった足を戻し、力を抜いた直立の姿になると吐息を一つ。
 目を伏せ、首を振り、思うのは、
「乱れているな」
 心の乱れは型の乱れに繋がると、そう教わった。
 思い当たる理由は一つしかなく、そのことを思い、未熟だ、と自嘲する。
 気合いを入れて動けば迷いも多少は晴れるかと思ったが、むしろ迷いを行動という形で
浮き彫りにしただけだ。普段出来ているものが出来ないのが迷いの証拠で、それ故に思う。
自分は一体、何をしているのか、と。
模擬戦までは日数も少なく、このような状態でいれば自分がどちらの側に着くにせよ、
迷惑を掛けることになるだろう。ならば参加する資格があるのだろうか、とすら思う。
 は、と吐息し、再び体を動かす。
 今度は先程のような低速のものではなく、全身を同時に全力で稼働させての高速のもの。
 ぱん、と軽いものが破裂するような音が響いた。
 詳しいことは覚えていないが昔一刀が説明してくれたことによると、音の速度を超えた
際に発生する現象らしい。加速を重ねると空気の抵抗が強くなり最終的に壁のような物が
出来るが、それを突き破った際に圧縮された大気が破裂して音が鳴る、と。因みに落雷の
際に光った少し後に音が鳴るのは光と音に速度差が存在するからだと説明を受け、今度は
光の速度を超えると言ったら苦笑された覚えがある。
「いや、いつ見ても見事やなぁ」
「おはよー、凪ちゃん」
 突然の声に振り向けば、視界に入ってくるのは眠そうな沙和と真桜の姿だ。見れば目の
下に濃いクマが出来ており、徹夜か、と考える。真桜が道具の発明で徹夜をするのは特に
珍しいものではないが、二人揃ってとなると、
「二人とも、隊長に可愛がって貰うなら私も呼んでくれないと困る」
「凪ちゃん、エロ方面に性急すぎなの」
「いや、たいちょに呼ばれたんなら良かったんやけどなぁ」
 二人同時に溜息を吐く姿を見て問うと、真桜は苦笑を浮かべ、
「一昨日の宴会のときな、めでたい席やと言うのにたいちょが空気読まずに『書類仕事は
溜めてないか?』とか言い出して」
 自分は一切溜めていなかったので褒められ、嬉しさのあまり周囲の方にまで気が回らず
二人の姿は詳しく覚えていないが、胡乱だった思い出してみると、
「そう言えばお前らは視線を逸らしていたような」
 凪は数秒考え、
「まさかお前ら、私があれだけ言ったのにやってなかったのか? 隊長の墓前で無様な姿
を見せてはならないとは思わなかったのか!?」
 目を細めると、二人は顔を引き攣らせて抱き合い、
「いやいやいやいや、どうせ終わらんから、そんなら逆転の発想で普段通りの姿を見せて
あげようってな!! そしたら叱りに戻ってくれるかもって……沙和が!!」
「違うの!! というか自然な流れで責任擦り付けるとか真桜ちゃんマジ外道な行為は禁止、
二人は共犯、一蓮托生なの!!」
「……お前ら随分と余裕あるな」
 ひいッ、と二人は同時に飛び跳ねるが、凪は脱力した表情を浮かべ、
「でも、さっきまでやってて、終わったんだろう?」
「……終わってないって言ったらどうなるの?」
 凪は無言で空気を鳴らした。
「本当に終わってるの!! だから命までは終わらせないで欲しいの!!」
「そうや!! もうたいちょに憐れみを込めた目で見られたないし!!」
 凪も憐れみを込めた視線を向けたが、終わってるなら良しと吐息。
「で、今帰りか」
「いや、二徹夜明けたら何だか楽しくなってきたから今から街に」
「この気分を大事にしないと損なの」
 それはどうだろう、と思うが、何を楽しみにするかは個人の趣味だ。先日思いきり趣味
に走った料理を作った際に全員に引かれたが、そのようなものだと凪は思う。変態淫具を
作成するのも無意味に高い服を買い漁るのも個人の趣味だし、妙だとは思うが特に口出し
することはないだろうと何度か頷き、再び型の練習に入る。
 基本の構えに入ったところで、しかし声をかけられた。
 今思い出した、といった表情で沙和は小首を傾げ、
「そういえば凪ちゃん、どっち側に付くの?」
 心臓が一度高く鳴り、それを表情に出さないようにしつつ凪は、
「そういうお前らはどちら側なんだ?」
 答えずに問い返すのは卑怯だろうか、と内心で思いながらも、問う理由は一つだ。
 動きの乱れの元でもある、どちらの側に付くのかと言う迷いは、結局のところ自分自身
の問題だ。人に問うて答えが出るものでもなければ、参考にしようというつもりもない。
多数の側に付こうというのは考えにも無いし、強いて言うならば長年の友はどういう判断
をしたのか純粋に興味があったからで、自然と問うように言ってしまったのも、
「自分に明確な答えが無いからだな」
 聞こえぬように呟き、だが違うと否定する。
 答えが無い訳ではないし、ある意味明確なものだ。
 それ故に答えが出てこない。
 自分は許可さえ貰えれば、と言うよりも本人の答えに任せると言われたのだから普通に
許可は出るのだろうが、一刀の側に付こうとは思っている。愛する人であり、今は隊長が
消失をしていたので解散となっていたが、北郷隊の隊長でもある。自分の黄金期がいつか
と問われたら北郷隊に居た頃だと答えるし、その時期に自分の一番近くに居てくれた存在
は消してしまうにも敵に回すにも大きすぎるものだ。例え今までの王が華琳でも、自分に
とっての主は一刀であり、永久にそれは変わらないだろう、と凪は思う。
 だが、と否定の一文が入るのは、一年の空白と再来してきた一刀の目的が不明だという
理由によるものだ。帰ってきた当日に華琳と何かを話していたのは、翌日の宴会の席での
『打ち合わせと違う』という一言で分かったが、翌日に実行したという性急過ぎる展開が
違和感として残っている。凪の知る限りでは一刀も華林も迅速に行動する方の人間だが、
だからと言って性急に物事を運ぶ人間ではない。
 ならば普段の行動を否定するように急速に行動する必要があるということで、その内容
を言う必要があるならば宴会の席で言った筈だ。しかし時間が無いということだけを皆に
伝えてはいるが肝心な部分を言わないということは、それだけで迷いを生んだ。
 しかも王を決めるとなれば、迷いは大きくなるものだ。
 集約すれば迷いは単純なものとなり、
「私は隊長に従うべきなのだろうか」
 言葉にすると、非常に短いものとなる。
 問いに応えるように沙和は短く喉を鳴らし、
「凪ちゃんは隊長の方なんだ」
 は、という言葉に、凪は首を傾げた。
「沙和は違うのか?」
 沙和の頷きに続くように真桜も何度か頷き、
「ウチも華琳様の方かな。予想通りとはいえ敵対関係かぁ、本番の時は手加減せんで!!」
 それじゃ、と離れようとする二人を引き留めるように凪は慌ててそれぞれの裾を掴み、
強制的にこちらを向かせた。そのまま言葉を続けようとするが、良い言葉が思い浮かばず
無言で睨むような状態になる。二人と違い、元々喋るのは苦手な方だが、それを今更後悔
しても仕方がない。だが何か伝えなければ、と思い、自然と二人の裾を握る力が強くなる。
沙和が「新しいのに悲惨な状態に!!」と意味の分からないことを叫んでいるが無視をして、
そのまま黙り込んでいるとこちらに向いたものがあった。
 それは真桜の真剣な目線で、
「理由か?」
 単純な問いに頷きを返し、裾から手を離す。
「沙和はどうか分からんけど、ま、ウチとしてはな色々考えた結果や。凪も気付いとった
と思うけど、宴会が始まる直前のたいちょの目」
 一拍。
「死兵のと同じ目をしとった」
 革の素材が擦れる音が聞こえ、視線を向けて見えたものは強く握られた拳だ。肌の色を
消す程に握られたそれを撃ち込むように突き出し、真桜は視線を更に強め、
「せっかく帰ってきたのに、しかも平和になった世の中でな、自分から死地に向かうのは
納得出来ん。そんなんアホのすることや。だから一回ブン殴って目を覚まさせてやろうと
思ってな。死にたい奴は死んでも構わんけど、たいちょは死ぬべきやない」
 矛盾を含んだ言葉だが、だから、と真桜は言葉を続け、
「死にたくない、と思わせる」
 言い終え、その視線は沙和へと向かった。
 服の裾を半泣きで見ていた沙和は頬を掻き、
「私はそんなに難しいことは考えてないんだけど、また隊長と遊びたいな、とか思って。
きっと王様になったら、隊長はきっと無理をするの。だったら今までみたいに華琳様の下
で働くって形の方が良いし、また皆で仲良く買い物とかお茶とか出来ると思うの」
 せやなぁ、と頷いている真桜を見て、凪は吐息。
「すまん、時間を取ったな。二人とも、楽しんでくると良い」
 凪ちゃんはー、と沙和が訪ねてくるが、自分は午後から新兵の訓練がある。
 二人の去っていく姿を見て、思うのは二人の理由だ。
 それぞれに理由が存在し、どちらも納得出来るものだった。
 だが自分と決定的に違うものがあり、それは自分がどう思うかということも含まれては
いるが、それは根本に一刀のことが存在するというものだ。
 それに対し自分は一刀のことを思ってはいるが、最終的には自分がどうしたいかという
我儘のようなものが根底に存在する。着いていきたいが、果たしてそれは自分的にはどう
なのか、と最終的に相手の思考に判断を任せるようなものだ。
 脚を開き、腰を落とす。
 は、と吐息をして拳を突き出し、思考する。
 速度を乗せた拳は大気の震えを伝えてくるが、まだ足りない。
 死兵の表情は、何を考えてのものか。
 宴会の席で、華琳は世界を相手にするといった。それは大陸のみならず、その向こう側
に居る存在も相手にするといった意味だ。自分には分からないが、一刀と華琳には相手の
存在がはっきりと見えているのだろう、と思う。それを相手にした先が死だと言うならば
殴り倒してしまえば良い。そうすれば死ぬことも無いだろう。
 だが、と左手を大気に打ち込み、届くのだろうか、とも思う。
 今自分の手が届いている範囲は、三尺にも満たない距離だ。気を練って飛ばしても精々
三間、海の向こうには到底及ばない。自分が守れる範囲というのは、言ってみれば人間と
してものの。しかも相手が人間だからこそ通じるものでもある。
 一刀が相手にしている世界というものが人間ならば、と思うが、その向こう側の何かと
言うならば、とそこまで考え、凪は首を振った。
 だが思考は続き、複雑に繋がり、思い起こすのは沙和の『きっと無理をするの』という
言葉で、そうだろう、という予感も付随してくる。
 表現には躊躇いを覚えるが、一刀は普通の人間だ。
 天の国から来ているし、人を強く引き付ける力もあるが、言ってみればそれだけの人間
だと理屈の部分では判断している。自分達のように特別武に秀でている訳でもなければ、
風達のように怪物じみた思考能力を持っている訳でもない。華琳のように両方突き抜けて
いる存在など、居ると考える方がおかしい。
 しかし、と構えを変え、再び拳を突き出した。
 体が乗ってきているのか先程よりも速度が出るが、まだ足りない。そもそも型としては
ブレが発生しているような状態だ。速度が出ても全力と言えるものではなく、威力も切れ
も何もかもが足りないものでしかない。
 それを煩わしいと思いながらも、体の動きは連続していく。
 しかし、と否定の言葉を心中でもう一度呟き、一刀のことを想う。
 しかし一刀は、平凡な、色々と足りないような自分のことを理解しながらも、王の座に
着けば色々と抱え、背負っていくだろう。人の想いも王としての責も、ほんの些細な取る
に足らないようなことまで持っていこうとする、一種の強欲にも似たものを持っている。
要らないものを要らないと言える度量も持っていることは理解しているが、華琳と違う点
はその後に、付け加える言葉だ。
 恐らく一刀はその後に、きっとこう言うだろう。
 でも要らないものなんて無いんだよ、と。
 更に型を変え、蹴りも含めた連携を繰り返す。
 気も練り始め、そこに出現するのは炎を共にした一種の舞踏だ。
 鋭く、隙を消し、無呼吸のままに凪は大気に向かい連撃を繰り返す。
 肺が潰れそうになるが、それでも構わず、だ。
「隊長」
 短く叫び、ただ想う。
 自分から大荷物を抱え、潰れそうになり、それでも死に向かうのか、と。

? ? ?

「ねぇ、決まった?」
 厨房には四人分の人影があり、その中の一人が呟いた。
 食卓に突っ伏す姿勢になり、顔だけを上げる状態で季衣は唇を尖らせ、
「ずっと考えてるんだけどさ、何かねー」
 それに応えるように、秋蘭の隣で昼食の支度をしていた流琉は吐息し、
「そういうのは口に出したら駄目だってば」
 試食用に何種類かの点心皿を置いた。元々は料理人のまかない用として簡易に作られた
食卓で大した広さではないので、その数皿で殆どが埋まるが、季衣と春蘭の消費する速度
が尋常ではないので空いた皿から上に重ねていけば問題ない。一刀が帰って来た日に天の
国の料理が書いてある紙を何枚か貰い、それの味見を頼んでいるので、出来ればもう少し
味わって欲しいとも思うが、相手が相手なので仕方ないかとも思う。人選を少し失敗した
かもしれないが、隣で楽しそうに料理をしている秋蘭を見て、
「これで差し引きなしかな?」
 こちらの視線に気付いたのか秋蘭が不思議そうにこちらを見てくるが、それもまた良い。
天の国の高級なカメラは色付きな上に連射も可能だと一刀は言っていたが、それを真桜が
作るのはいつ頃になるのだろうかと思う。
 秋蘭は新しく出来た何品かを食卓に置き、先程の問いに応えるように、
「お前達、まだ決まってないのか」
 そうなんですよー、と季衣は身を起こし、皿を手元に引き寄せた。
「春蘭様と秋蘭様は当然、華琳様の方ですよね?」
 うむ、と秋蘭は頷き、
「それ以外の選択肢は無いな」
「当然だ、我らは華琳様に生涯仕えると決めている」
 羨ましい、と流琉は吐息し、席に着いた。
 最初こそ自分も華琳の方に着こうかとも思ったが、考えが変わったのは就寝時に季衣が
相談に来てからだ。普通に華琳の方に付いて良いのか、と。
 このままだと惰性で行くような感じもするし、自分で考えなければ、と言われ、華琳と
一刀のどちらに味方したいかと問われ、そこに迷いが生じた。
 自分は親衛隊にこそ入っているが、武芸が得意だったから結果的にそうなっただけだ。
元々季衣が親衛隊に入っていたという理由もあるし、凄い人だとは思っていたものの動機
としては別段強い憧れを持ってのものではない。偶然が重なっただけ、とも言える。
 今では強い憧れの対象となっているが、それが一刀との天秤にかけられるかと言えば、
答えは否だ。同じ物差しで比べる対象ではない。
喜び勇んで仕えたという季衣も、話し合った結果、似たような状態だと推測出来たが、
だからこそ迷いが生じたとも言える。同じ秤で比べることが出来るなら、答えを出すのは
簡単なことだ。二人を比べて考え、より比重の重い方に向かえば良い。
 それが出来ないからこそ、考える。
 答えが出ないなら、参加することにも意味がなくなる。
 自分で考えろと華琳が言ったのには、そういう意味がある、と流琉は思う。
 後悔しない、納得の出来る、そんな答えを見つけ出せ、と。
 深く考えるなら、今後どちらが王になるにしても、その後に進んでいくべき道の基準と
なるものを一つ持っておけ、ということだ。そうでもなければ、わざわざ文官だけでなく
自分達のような武官にまで話を通した意味がない。秋蘭の手伝いとして通常の武官よりは
量の多い書類仕事をしていたお陰で最初の部分は理解出来ていたが、後半の、特に華琳が
突っ込み抜きで話し出してからは理解出来る部分が少なく、想像で追い付くことも難しく、
はっきり言って聞くだけの状態なのに自分の手に余るものだった。それは自分や季衣だけ
ではなかったようだが、それでも最後まで話しきったというのは、それを自覚させる為だ。
 大人の皆はそれが出来ている。
 例えば春蘭や秋蘭は信念を通す為に華琳の側に付くことに迷いは無いし、知り合いにも
何人か話を聞いたがそれぞれの意志で参加する側を決定していた。沙和と真桜などは昨夜
季衣と話し合いをする為の夜食を作っている途中、廊下を歩いているのを見かけたが、目
の下に濃いクマが出来ているのを見かけた。失礼だとは思ったが聞き耳を立ててみれば、
華琳の方で決定しているらしく、そのように思い詰めるまで寝ずに考えていたのかと非常
に感心した。元・北郷隊なのだから、色々と葛藤があったのだろう、と。普段はカルいし
仕事もサボりがちなのだが、流石に一刀の下で働いていた大人は違う。真面目なときには
バシッと決める、そんな大人になりたいと思ったものだ。
 思考を重ねていると、なぁ、と声が来た。
 新たな更に手を付けながら、
「だったら北郷の側に付いたらどうだ?」
 春蘭の言葉に季衣は驚愕に目を開き、
「それってアレですか!? まさかの解雇通知!! 華琳様一直線じゃない者は要らないとか!!」
「飛躍するな!! ええい、その、何と言うかだな。秋蘭!!」
 うむ、と秋蘭は頷いた。
 そして春蘭の言葉に補足するように、
「我ら姉妹とて、最初から華琳様を慕っていた訳ではない。何度も会い、その能力や人格
を確認し、この方ならば大丈夫だと安心し確信したからこそ身も心も捧げる決意を持った。
だがお前らは華琳様と会ってから二年程度しか経っていないし、最初の一年は北郷込みだ。
この一年も不在だったとはいえ北郷のことを覚えていたしな。むしろ不在補正で美化現象
を起こしているかもしれん。正しい判断は正しい判断材料の上でしか行われないのなら、
自分でどちらに付くべきか今一度考え直す機会が来たと考えてみろ、ということだ」
 でも、と流琉は表情を歪め、
「それで駄目だったら」
 どうなるのだろう、と思う。
 自分は凡人で、知っている世界も少なく、だから自分は正しいと思っていることでも、
実は間違っているかもしれない。それが取り返しの付かない部分まで行っていたらという
恐れが生まれ、だから迷ってしまうのだ、と。
 俯いていると、ふう、と呆れたような吐息が聞こえた。
 音の方に視線を向ければ、吐息の調子と同様に呆れたような表情を浮かべた春蘭が居り、
隣では秋蘭が苦笑をこちらに向けている。
 どういうことだ、と思えば、答えは単純な言葉で来た。
「斬れば良い」
「良いんですか!?」
「良いに決まっているだろう。良い人ぶって騙す方が悪い」
 いやでも、と季衣は分かりやすく動揺し、
「兄ちゃんが居なくなったら」
「元の状態に戻るだけだな」
「むしろ北郷が腐れ外道になってたなら、華琳様も馬鹿が死んだと喜ぶだろう。ええい、
いっそ今斬るか!! よし、行ってくる!!」
 三人で引き留めた。
 一刀が帰ってきているからか随分とトバしているな、と思うが、生き生きしているのは
確かだし、秋蘭も楽しそうな表情を浮かべている。自分も懐かしく思うし、もしかしたら、
という思いもある。一度天界に戻って、しかし再び魏にやってきた一刀なら、もしかして
死んでも蘇るのではないか。それに何故だか殺しても死にそうにない印象がある。
だから流琉は僅かに拘束の力を緩め、
「ちょっとだけなら良いんじゃないかな? あ、でも春蘭様。ちょっとだけ、先っぽだけ
ですよ!! それ以上は上に報告して罰金ですから!!」
「分かっている、擦るだけだな!?」
「何だか卑猥な言い方に聞こえますよ?」
 季衣が何故か半目で見てくるが、今はそんなことはどうでも良い。現在大事な問題は、
挿すかどうかだ。それで今後の展開が決まると言っても過言ではない。
「趣旨がずれているぞ?」
 そう言えばそうだ、と流琉は春蘭の胴を掴んでいた腕を離し、
「でも、良いんですか?」
 再び問うた。
 今はまだ決まっていないが、もし決定したとなれば自分は全力で一刀に助力するだろう。
正しい判断は出来ず、それなのに華琳を裏切るような形にもなり、しかも最終的には一刀
に判断を委ねるような形にもなる。答えを出して欲しい、と口で言うのは簡単で、自らの
意思を放棄して指示に従い、それで後で出された答えに納得していれば良いだけのことだ。
華琳が問うてきても、これが自分の選択だと言ってしまえば一応の格好がつく。
 だが、と制止を掛けるのは、季衣と共にもたらされた疑問だ。
 格好はついても、それに対して胸を張って答えることは出来るのか。
 分からないからと言って、それを行うのは甘えではないのか、と。
 自分は何も分からない。
 元々は山中の小さな農村の生まれで、最近までは平凡な日々を送ってきた。
 華琳の城に勤めるようになってからは多少の書類仕事も行ってきたが、見分が足りない。
 それに同じような境遇の凪達と違い、強い意志も持っていない。
 それでも、それが違うことが分かる。
 どうすれば良いのか、と隣に立つ幼馴染みの姿を見れば、そこには強い意志の浮かんだ
一対の瞳があった。それは目的を持った眼で、更には笑みも浮かんでおり、
「よし、決めた」
 言葉まで付いてきた。
「季衣は決まったの?」
 訊ねると、うん、と強い頷きが返ってくる。
「ボク、兄ちゃんの方に行くよ」
「え、でも、だって」
 弱気になっている、と自覚しながら、
「もしかしたら」
 間違ってるかもしれないよ、と言おうとしたが、先を越された。
「仕方ないじゃん、ボク達、馬鹿なんだから」
「いや、複数形にするのは……」
 そんなの良いの、と否定が来て、
「だって、何も知らないんだよ? 二年前までは相手が熊だったし、こっちに来てからも
基本的に武器を振り回してただけだしさ。何も知らないし、分からない」
 でもね、と笑みと共に手を握られた。
 力強いが、同時に温かい、とも流琉は思う。
「これから知っていけるんだしさ。今までみたいに、兄ちゃんが色々と教えてくれるよ。
世界も、答えも、色々さ。そしてボク達は、確認をしてけば良いんだ。本当に良いことか、
それとも駄目か、って」
 それに、と季衣は春蘭と秋蘭を見て、
「駄目になりそうなときは皆が助けてくれる。今までだって、そうだったじゃん。きっと
これからも、ずっと。それとも、流琉は皆のことを信じられない?」
 首を横に振ると、自分達よりも高い位置から笑い声が聞こえてきた。
 それを聞き、だからね、と季衣は笑みを強め、
「一緒に学んでいこうよ、二人で」
 そして答えを見つけよう、と言われ、頷いた。

? ? ?

「朱里よ、どう考える?」
 唐突に言われ、諸葛亮は狼狽えた。
 背に脂汗を滲ませ、買おうかどうか迷い注目していた八百一本から慌てて視線を背け、
「こ、こんな非生産的なのは駄目だと思います!!」
 数日前、三国会議の帰りに蜀の発展に役立てようと他の面子が先に帰る中で自分と星が
残って街の作りなどを観察していた際、何と無く立ち寄ったのがこの本屋だ。書物は読む
人間が限られている為、本屋というのは珍しい部類に入る建物だ。だが普通に比べて教養
の高い人間が多く集う城下町では比較的数が多くなり、そして三国の中でも最も発展した
魏では予想を遙かに超えた数の店舗が存在している。その中でも最も大きな店舗に入れば
置いてある品揃えで識字率が年代別で大体分かるものだし、流行りや情報がどの程度公開
されているのかも把握出来るが、そこで朱里は驚愕した。
 まさか、こんなに大きいなんて、と思い、しかし納得もする。
 思わず視線を奪われたのは、八百一本を扱った一角だ。
 王が同性愛に抵抗が無いどころか、自分から同性に手を出しているのは知っているが、
その関係か蜀の大型の本屋と比べても八百一本の棚が十倍近くの大きさがある。特に人気
の新刊は店舗入り口に堂々と大量平積みされており、華佗と天の御遣いの愛の治療行為を
扱った刊行物『秘密の白薬』は『げ・ん・き・になって俺に突っ込めええぇぇッ!!』と店員
の手書き宣伝板まで用意されていた。今までの治療行為のお陰で攻守逆転したのだろう、
と当たりを付けたが、実際に読んでみるまでは分からない。
 その他にも興味を引く物が幾つかあり、そこで気が付いたのは並んでいる本の種類だ。
 やはり主になっているのは魏のものだが、呉や蜀のものも少なくない。
 一年前以降、三国の交流は比較的盛んになっているが、他国の書をここまで取り入れて
いるのは自分の知る限りでは他にない。理由は単純で、そこまで取り入れるような下地が
出来ていなかったからだ。下地を作っていた期間は魏も自分達と同様に戦時下にあったが、
その期間は下手に他国の情報を多く仕入れたりすれば文化や価値観にヒビが入る可能性も
あるし、他国に移住されることになれば大きな痛手となる。最初こそ移動は少数だろうが
誰かが上手くいけば、それを聞いた者が連鎖的に移住を始め、やがては大きな穴となる。
その辺りをどうしていたのだろうか、と考えて、手掛かりがないかと民の情報源でもある
この店に連日通い、そして唐突に星に尋ねられたのが先程の問いだ。
 だが星は吐息し、
「そうではなく、洛陽に流れている噂だ。王が変わるらしい、と」
 それは聞いている。
 話によれば曹操が天の御遣いに王位を譲るか否か、数日後には模擬戦を持って決定する
ものだというが、それはどうだろうか、というのが朱里としての意見だ。天の御遣いだと
いう青年は一年程前の三国大戦終結の宴会で一度姿を見たきりで、人となりも噂に聞いた
だけだが、曹操に比する人物かと問われれば疑問が残る。戻ってきたというのは星からの
情報で確認しているので模擬戦を行うこと自体は疑問ではないが、それは大戦が終わって
大幅に取り入れた、彼のことを詳しく知らない新人に能力を見せる為のものか、再雇用の
為の実力試験のようなものだろう、という認識だ。今更になって王を入れ替えるのは余り
にも利が少ない、と言うよりも不利になることの方が圧倒的に多いからだ。
 分かりやすい利点と言えば新時代の宣言の為の看板ということになるが、民が無条件に
納得するとは思えない。
 では何だろうか、と疑問を重ね、
「星さんはどう思いますか?」
 何か参考になるものがあるかもしれない、と問うと、星は首を傾げた。
「どうも何も、言葉の通りだろう。あの曹孟徳だ、無意味に王位を譲ることはするまいよ。
相手が天の御遣いとはいえ、治世が何より大事な時期に王を変えるなぞ、無意味に混乱を
招くようなもの」
 ならば、と目を鋭いものに変え、
「治世よりも重要な理由が存在するのだろう」
 お主なら事情を知っているのではないか、と声と共に視線を向けた先に、周囲から浮く
ような人影が立っていた。
 長身に全身を包むような長衣を着た者だ。
 長衣の者がこちらに一歩踏み出すのと同時に、は、という呼気が響き、
「以前は勘違いかもしれぬと思い捨て置いたが、ここまで露骨に来るとは寧ろ御見事!! 
この趙子龍の槍を貰いたくなければ名乗りませい!!」
 空気が変わった、と感じ、星の顔を見上げると、浮かんでいたのは緊張の二文字だ。
 自分は武官ではないので強さの程度は見ただけでは分からないが、恐らく星には相手の
強さが分かるのだろう。そして普段の余裕ではなく表情を硬くして、気付けば槍の穂先も
抜き身の状態になっている。血色の刃が陽光を反射し、周囲の者が離れていくが、そんな
様子にも構わず視線を長衣に向けているのは警戒心故だろうか。
 長衣の者が更に一歩踏み込み、次の瞬間、朱里は理解した。
 怖い、と。
 実力は未知数だが、分かったことが幾つかあった。
 一つは、気配が殆んど無いということだ。
 その場に立っている筈なのに生気のようなものが全く感じられず、空間的にまるで空洞
のようになっているようだ、と感じる。
 もう一つは、こちらに向けて強く発せられる意志だ。
 怒りとも悲しみとも取れるような強い感情が発せられているのが分かるが、それを言語
で表現しようとしても該当するものが存在しない。強いて言うなら決意に似たようなもの
だが、目的が読み取れず、しかも空洞上の空間から発せられていることで、
「……亡霊?」
 思わず、そんな単語が零れ出た。
「飲まれるな、朱里」
 囁くように言われ、朱里は頷きを一つ。
 その上で『亡霊』を睨むように見ると、予想外のものが返ってきた。
 笑い声だ。
 それは天に響く程の呵呵大笑で、背までもを反らして『亡霊』は声を上げ、
「そうじゃな、名乗るべき名が消えた今、どう名乗ろうかと考えておったが」
 一拍。
「『亡霊』か、正にその通りよ!! 黄泉つ平坂を通り、御主らが知らぬ世界を廻り、途切れ
潰えた因果の果てに舞い戻りしは是、正に『亡霊』也!!」
 ならば、と『亡霊』は構えを取り、
「趙子龍と諸葛孔明よ、我を何とする!!」
 瞬時に間合いを詰めてきた。

? ? ?

 早い、と舌打ちをし、星は石突きを大きく背後に振り、
「御免、飛ぶので身構えろ朱里よ!!」
 服に引っ掛けるようにして、朱里を吹き飛ばすように投げた。
 投げ飛ばす回転の勢いで穂先を前に突き出せば棒状のものが眼前にあり、音が響く。
 快音。
 金属同士を打ち合わせた高い音が響き、相手の得物を見て、星は眉根を寄せた。
 どこから取り出したのかは分からないが、それは紛れも無く大型の金属弓だ。その両端
に布が飾るように巻かれていて誰が使っていたのもかは分からないが、各所にある焦げ跡
やら薄く浮いた錆で、長く使われていたものだということは分かる。
瞬時に間合いを詰め本来は射撃用の武器である弓を打撃にまで使ってきたということで
様々な局面を体験した武将だと予想するが、
「誰だ貴様は」
 該当するような人物は記憶に存在しない。
 これ程の者ならば一度は相対したならば忘れはしないし、自分が相対したことのない者
でも噂に聞いていたりする筈だ。弓将であれば近接戦闘など本来行わない筈で、ここまで
それをこなせるとなれば、数は片手の指で収まるほどになるにも関わらず、だ。
 ならば飾り布に見えた両端のこれも、装飾を隠す為のものだろうか。
 思考を重ねつつ星は高速で一歩下がり、穂先を引き、柄を短く持ち替えた。
 雑兵相手の戦闘ならば大きめのスウィングでも問題ないが、実力者との戦闘ならば高速
での連打が基本だ。大振りの攻撃など隙を見せたときの止めにしか使えない。
 右の側を前に出すようにして体を半身に寄せ、視線を固定する。
 左の足を地面に噛ませるようにして重心を前に傾けた姿勢は、初撃の威力に重点を置く
槍の基本的な戦闘スタイルのものだ。その一撃で相手のバランスを崩し、連打により隙を
広げてゆき、致命となるものを叩き込む。それはどのスタイルでも同じだが、薙ぎよりも
突きを重視した造りの槍では軌道が直線的なものになる為、特に一発目が重要になる。
 柄を短く持った今の状態では長く持った場合に比べて力は込めにくくなるが、
「良く整備をされている」
 発展の一環の為、より歩きやすく商売もしやすいようにだろう。平坦に慣らされている
だけではなく、しっかりと押し固めてある道は、武においても強い意味がある。バランス
が崩れにくいし、細かな差異が無いことにより足に掛かる負担も少ないし、安心して地を
踏むことが出来る。
 それに固めてあることで足の力をダイレクトに地に込めることが出来るし、体を飛ばす
為の力のロスも極端に小さなものになる。突進系にとって、これは大きな強みと言える。
 は、と吐息し、腕に込めた力を抜いた。
 大事なのはインパクトの瞬間だ。
 それまでに腕に力を込めていれば、連動して全身の筋肉も硬直し、動きが鈍る。
 一つ一つ確認しながら眼前の『亡霊』を見て思うのは、隙がない、ということだ。
 刀のように弓を構えているが、どう打ち込もうか、と思案する。
 静寂。
 それが暫く続き、だが音のない状態を破るものがあった。
 それは背後から聞こえてきた音で、更には半泣きの悲鳴も混じった朱里の着地音だ。
 それを合図に、星は踏み込んだ。
 目測で五歩分、自分ならば一呼吸の間に詰めることが出来る距離だ。
 一歩目で穂先に体重をかけ、二歩目からは速度を出すことを重視する。
 三歩目で右手を離し、四歩目で突き出す動作を開始する。
 五歩目で震脚を踏み「あ」とも「お」とも取れるような声を出す。
 反発力を推力に変換し、足りない右手の威力を上乗せし、しかしそこで終わらずに星は
行為を繋げていく。右脚を軸に身を回し、穂先に体重を乗せ、更には相手を過ぎるように
六歩目を踏み込んで相手に飛び込むように身を飛ばす。
 完成するのは、超重量級の一撃だ。
 どうだ、と星は穂先の行く先を見たが、そこで響いたのは肉を抉る音ではなく、
「温い!!」
 怒声と、金属音だ。
 声と共に相手が高速で避ける姿が見えたが、同様の速度で流れる景色に違うと判断する。
相手が避けたのではなく、自分が高速で相手を避けるような状態になっただけだ。原理は
単純で、自分の刃の外側に弓を添えただけのものだ。後は、角度に合わせて自分の方から
ずれてゆき、突進力によって自分が吹き飛ばされる形になる。
 不味い、とすぐに思考を切り替え、首を回して視線を背後に向けた。無様に背を晒した
状態では、ただ攻撃の機会を与えるだけだ。自分の移動によって威力は多少減衰されるし
刃ではないので一撃で絶命にはならないだろうが、相手の獲物は金属弓だ。食らえば鉄鞭
で撃たれたのと同じ意味を持つし、絶命ではなくても今の戦いにおいては致命ともなる。
 星は空いた右手で刃の基部を掴み、強制的に引き起こした。連動する動きで石突きは地
に食い込み、しかし慣性で吹き飛ばされそうになるが、更に左の足を柄に叩き込むことで
身が回転しそうになるのを制御。路面が抉れ、削っていく音と土煙が飛ぶが、姿勢が安定
したと判断すると重心を傾けた。
 その勢いを利用して頭部を下げ、右足で第二の踏み込みを開始する。
 歩数は一歩分。今度は距離を詰める為のものではなく、コンパクトに身を回しての連打
に繋げる為のものだ。爪先を外側に捻り込んでのもので、身の戻ろうとしての力を元に、
右手で引き寄せるようにして第二撃を放つ。
 快音。
 防がれるが、構わない。
 弓使いと対峙した時、最も大切なのは距離を取られないようにすることだ。特に街中の
ような場所では、矢ではなくても打ち出せるものが大量に転がっている。矢のような強度
や鋭さは無くても連続で打ち出されれば対応は困難になるし、そのまま更に距離が開けば
こちらは防戦一方となってしまう。そうなればこちらはジリ貧状態になり、やがて潰れて
しまうだろうと思う。
 取り合えず、と前置きして、優先すべきことを思い浮かべた。
 一つは距離を保ったまま、自分の有利な地形に移動すること。
 もう一つ、それは相手の弓の弦を斬ることだ。
 射撃という選択肢を消してしまえば、それだけで攻撃の手段が減るだけでなく行動手段
すらも減らすことになる。そして結果的に槍と棒術の勝負になれば、勝てる確率は遙かに
大きなものへと変わる。相手はどんなに近距離戦闘に慣れていたとしても弓兵だし、武器
も所詮は弓だ。近接での戦闘を念頭に置いたものではない以上、限界が来る。
 相手がバックステップを多用して移動するのに並走しながら、星は突きを放つ。
 柄を更に短く持ち、は、と吐息して腕の力のみで穂先を突き込み、その度に防がれる。
 届くと同時に引き寄せるような突きだ、手に大した反動は来ないし、防がれたとて姿勢
を崩すようなこともない。だが相手もそれは同様で、言うなれば戯れにじゃれているか、
互いに型の反復を繰り返しているような状態だ。
 あくまで距離を離されないようにしながら、有利な場所に辿り着く為の時間稼ぎなので
大きなダメージは期待しない。高速で突き込み、打ち、薙ぎ、時にはフェイントを含めて
押し込むように引っ付いてゆく。
 連続で金属音が響き、耳が痛くなるが、意識的に排除してひたすらに並走。
 そして繰り返している内に、星は幾つかのことに気が付いた。
 相手は長衣の下にも素肌が見えないように包帯を纏っているが、それは最初、肌を隠す
為のものだと思っていた。だが自然に見える動きにも所々に違和感のようなものがあり、
そこから推測されるのは身を隠すだけでなく、
「どこかを患っているのか?」
 特に左腕を回す際や大きく振る際に、若干の引き攣りのようなものが感じられる。
 大きな傷があり、そこは完治しても傷跡の肌が固くなったことでの引き攣りや、治療の
最中、そこを庇うようになった動作は意識しないと自然と滲み出てくるものだ。しなやか
に動く中、それが戦闘行為の中での違和感として発生している。
 それに加えて思うことは、相手の動きが極端に少ないということだ。
 体の質はしなやかなタイプで、猫のように歪みやブレが驚く程に少ないが、そのような
タイプの人間は身体能力を生かした動きをするものだ。緩急をつけたり攻めの角度を増し
相手を追い詰めていくのが普通だが、『亡霊』にはそれが無い。
 大きな傷の治療と合わせて考えると単に体力が落ちたと考えるのが普通だし、互いの論
を補正する形にもなるが、それだけではないだろう、と星は考える。
 動きは老成されたもので無駄が少ないが、余計な力を抜いているのとは別にパターンが
限界まで絞り込まれているように星は感じた。これだけの動きをしているのだから、他に
もっと効率の良い捌き方があるだろう、と。
 試しにフェイントを多くし、動きも変則的なものに変えてみるが、
「変わらんか」
 あくまでも基本に忠実に、来たものに重点を置いて捌く方式だ。
 突きや振り降ろしは方向をずらし、薙ぎは弓を楯のようにして同方向に飛び威力を減衰
させるし、押し込みは体捌きでいなしていく。
 幾つかの候補が思い浮かんだが、それぞれも回避され、だが分かったことは、幾つかの
動作に古いタイプのものが含まれていることだ。基本は反復を重ねれば重ねる程に身体に
染み付くものだし、戦闘の最中に自然と動けるようになるものではあるが、それは武術の
個性を表していくものでもある。基本はどの武術でも似ているが、しかし流派によっては
癖のようなものがあり、それが個性となり、そこから特定をしていくことも可能だ。
 現に『亡霊』の動きは古い武術だと自分に伝えてきているし、そこから流派を特定して
いけるだろう、と星は考える。
 例えば突き込みに対してずらすのは一般的ではあるが、だがしかし最新のものではない。
流派によっても違うが、最近は更に踏み込んだ動きをする。相手の推力に頼るのではなく
能動的に後方に受け流してしまうか、巻き込むように身を流し、回して、次の自分の攻撃
に繋げていくのが最近の主流だ。大軍同士での戦闘になると数を効率的に捌く必要があり、
互いに疲弊してグダグダにならないように高速での戦闘が必要になった黄巾党の乱以降は
更に洗練されてきたものも多い。
 にも関わらず古い武術を使うのは、情報を隠しているという可能性も考えられるが一番
高い可能性というのは、幼い頃からの動きが抜け切れていないというものだ。
 ふむ、と星は小さく頷き、
「試してみるか」
 相手が女性だというのは、男性では考えにくい柔軟な動きや時折見える体の輪郭で大体
確信が持てている。それに古い人間だという予測も込みで、それを確認するように、
「最近のババァは凄いな、私も数十年後はかくありたいものだ」
 後半フォローも込みで言ったが、『亡霊』の頭部から何かが切れる音がして、
「儂ゃ、まだ若いわあぁァ――!!」
 高速のスイングが来た。
 風切り音を聞きながら頭部を下げ、避けつつ星は核心する。
 相手はババァだ、間違いない。動きに無駄が少ないのも年のせいで衰えた体力を無駄に
消費するのを防ぐ為だろう。何しろ自分は若い、まだ肌に張りもあり乳も垂れてもないし、
水浴びをすれば肌が水を弾いて玉になる。おまけに生娘で、性器は奇麗な色を保っている。
そんな自分と比べ、相手はババァだ。肌も乳も残念なことになり、股間のものも恐らく色
が残念なことになっているだろう。
 そして星は重大なことに気が付き、納得する。
 腕の動きがおかしかったのは年のせいで方が上がらなくなっているからで、肌を隠して
いるのも肌のたるみを見せないようにする為だ。全身を長衣で隠しているのも、体の線の
崩れを隠す為か。顔を見せないのも同様で、目元の皺などを隠す為だろう。
 無駄な努力だ、私には分かっている、哀れだな、と心の中で三度蔑み、
「そうはなりたくないものだ」
 言うと、無言で高速のスイングが三度来た。
 ダッキングとスウェー、身の捻りでそれを回避し、
「ふふふ、冗談だ」
「分かっておるわい、儂はまだまだ若いからな。小娘の冗談などに本気で怒りはせん」
 嘘を吐くな、絶対本気だった、と思うが、星は無言で加速する。
「そして」
 と『亡霊』は前置きし、
「ふむ、ここまでは及第点。なら次に行くか」
 声が聞こえ、移動が更に加速する。
 それに追撃しようとして、しかし星は下から何かが飛んできたのを見た。
 それは『亡霊』が足で引っ掛けるようにして投げてきた屋台の椅子だ。
「小賢しい!!」
 叫び、星はアッパー気味の打撃を叩き込んで椅子を破砕。
「熱くなるな、結果を推測せよ!!」
 言われ、次々に行動が来る。
 最初に来たのは胴体狙いの直蹴りだ。隙は大きいが、先程の椅子は目くらましかと星は
判断。速度も対応出来ないものではない。直に食らえば息が詰まり、距離は開くだろうが
逆に言えば蹴りを放つ為に相手は移動を止めて固定姿勢だ。これを堪えることが出来れば
一気に大きな隙が出来る。
 星は手首のスナップ一つで柄を回転、固定して蹴りを受け止めるが、その視界の中で手
を伸ばしてくる『亡霊』の姿を見た。
 最初は顔面狙いの掌打かと思ったが、足を伸ばしきった後での腕部攻撃はどう考えても
リーチが足りない。弓での打撃ならば不足の距離を補えるが掌には何も握られておらず、
だが次の瞬間に何を狙っていたかが視覚的に理解出来た。
 宙に舞う椅子の破片、その中の足の一本を掴むと『亡霊』は直蹴りに込めた力を強め、
後方への大跳躍を開始した。
不味い、と星は二度目の思考をする。片足分の脚力での跳躍は大したものではないが、
それは通常での場合だ。相手は片足ではあるものの、隙を作ろうとこちらから相手を押し
返すような状態になっている。不足分は自分が補うようになっており、更には相手は矢を
得て距離も十分な状態だ。逆に自分は支えが消えたことでつんのめる状態になり、姿勢を
戻そうと堪えれば良い的になるだろう。
 矢は椅子の足だ、撃ち込まれたとことで命中するのが頭部でもなければ死ぬことはない
だろうが、それは生きるか死ぬか程度の問題でしかない。それは最終的には自分の問題だ、
大戦が終わった今でも死んで構わないと思っているし、悔いのない生き方をしてきたので
それについては問題が無い。だが自分が死ねば後には武力の無い朱里が後に控えているし、
護ることが出来なければ悔いが新たに発生するだろう。自分の無力が大切な仲間を殺した
ようなものだ、それは自分が死ぬよりも辛い。それにお人好しな自分の主は、恐らく酷く
悲しむだろう。自分のことは蔑ろにしがちだが、仲間が死ねば誰よりも悲しむ、桃香とは
そんな人物だ。
 それに外交の問題も発生する。将が他国で死ねば重大な責任問題になるし、下手すれば
大戦が終わってやっと出来た国交にも大きなヒビが入りかねない。それは不味い。何の為
に多数の人間が犠牲になったのか、再び戦が始まればその意味が失われてしまう。
 視線を上げると『亡霊』は既に弓を引き絞っており、
「ここまでか、意外とあっけなかったな」
 声と共に、椅子の足が放たれた。

? ? ?

「お兄さん、少し付いてきてほしい場所があるのですが」
 取り急ぎ使えそうなものをプリントの山から選別していたが、ようやく一区切りが付き
伸びをしたところで唐突に声を掛けられた。
 こちらに戻ってきてからは基本的に城内に居るので、現状を把握するには確かに何箇所
か実際に回らなければいけないとは思っていた。風には桂花と一緒に政治関係のプリント
を確認して貰っていたので、そこで実際に見た方が良いと判断したのだろう。と、適当に
予測をして、念の為、桂花に行って良いかどうか確認の視線を送る。中国のサイトで歴史
的な政治の流れをプリントしたものをメインに見て貰っているが、この時代の言語と若干
ニュアンスが違っていたり現代にしか存在しない文字があるので、そこの部分を俺が通訳
したりという流れになっていたからだ。
 だが桂花は俺から目を背け、
「早く行きなさいよ、私はここで今までの部分のまとめをしなくちゃいけないし。むしろ
アンタが居ない方がはかどるわ。視界に入らないだけでも違うもの、視覚感染の心配とか
しなくて済むし。思考の無駄が大幅に消えると効率が二倍よ、更にアンタが消えたという
意識のお陰で更に二倍、合計して四倍なのよ!!」
 俺は一体何をしたんだろうか。昨日の夜は酔いを差し引いても主観的にもう少し態度が
柔らかかった気がするが、久し振りの残虐トークにくじけそうになる。
「ほらー、お兄さん。桂花ちゃんもそう言っていることですし、さっさと行きましょう」
 風に手を引かれる形で、俺は部屋を出た。
「それで、どこに向かうんだ?」
 問うと、無表情で見上げられ、
「華琳様のお部屋ですよー。少しばかり大切なお話があるので」
 何だろうか、と考え、思い浮かぶのは大きく分けて二つ。
 政治のことか模擬戦のことだが、大事な話、という部分が引っ掛かった。
 本当に重大な話なら俺だけでなく皆を呼ぶ筈だし、俺の部屋に桂花を残してきたという
ことから、出来れば三人で話をしたいということが推測出来る。
 となれば重大な話の内容は風の個人的なものになる筈だが、そうなると選択肢は極端に
狭いものになってくるし、一年のブランクがある俺には想像も出来ないような状態だ。
 取り敢えずの候補として浮かぶのは天の国、俺の元居た世界のことだが、それの関係は
殆んど知る者が存在しない。別に俺自身は隠匿するつもりはないが、結果的にそうなって
いるのが現状だ。だからこそ風にも何か考えがあって三人で話をするつもりなのかもしれ
ないが、内容を推測しようとしても、風が天界のことについてどれだけの知識を持って、
どの程度まで理解しているのかも分からない状態では唯の憶測になってしまう。
 もう一つは模擬戦のことで、こちらの方なら大体の流れが推測出来る。俺と華琳の前で
決意表明をするのかもしれない、というものだが、疑問があり、何故わざわざ三人だけで
話をしようとするのか、ということだ。
 効率を考えるなら俺一人に先に言うか、もしくは全員の居る前で言った方が良いだろう。
 三人だけで、という意味は少なく感じる。
「なぁ、風。ヒントだけでもくれないか?」
 大方の予想が付けば、いきなり凄いことを言われても驚きは少なくなる。実際に意見を
するまでは考えが巡らなくても、心構えがあるのとないのでは大違いだ。
 だが風はこちらを無表情で見上げてきていて、どうしたのだろうかと考えて理解する。
普段から普通に使っていた単語だから忘れていたが、ヒントというのは英語だ。中国語で
ある筈の日常会話が自動的に翻訳されているようだったから忘れがちだが、横文字は基本
的には未知の言語となっている。
 俺は該当する言葉を考え、
「あ、ヒントってのは俺の居た世界で使われていた単語で」
「答えを得る為の助言や手掛かり、といったものですね」
 言葉を途中で遮り、言ってきたのは正解だが、どこかで教えただろうかと疑問に思う。
日常的な単語だから俺の覚えていない範囲で教えていたのかもしれないが、言葉を途中で
遮るというのは風らしくない会話の方法だ。
 となれば理由は簡単に思いつく。
 自分が向こうの世界の言葉を知っているというアピールで、恐らく俺自身も風に教えて
いないということから考え出されるのは、俺とは別にヒントという言葉を教えた者の存在
といったところだろう。
 だが、と否定が浮かび、更に思考する。
 俺が知る限り、この世界には俺以外の現代人が存在しない筈だ。と言うよりも俺以外の
存在は論理上存在出来ない筈だ。唯一例外があるとしたなら『観測する側の存在』だが、
あいつならば俺にそのことを知らせるだろうし、それ以外が侵入してきたならば同じく俺
に警告してくれる筈だ。
「風」
 名を呼び、
「誰から聞いた?」
 シンプルに問うと、風は前を見た。
 眼前にあるのは、この時間帯なら確実に華琳の居る筈の執務室だ。
「ヒントはあげました」
 そして、と歩みを進め、
「それも含めて、重大な話をしようと思っているのです」

? ? ?

 星に投げられて尻を中心に着地し、その痛みにしばらく茫然としていたが、理由を理解
すると思考を瞬時に切り替えて朱里は立ち上がった。
自分が飛んできた方向を見れば既に星の姿は小さくなっており、相手は弓使いではある
ものの自分の居る位置は安全圏だと理解する。
 現状を把握したならするべきことは決まっており、朱里は実行する。
 今自分がするべきなのは相手の追跡と、正体を推測すること、そして考えられる様々な
結果からの流れと発生した問題への対応策を考えることだ。警邏への連絡は近くの町人が
行っていると推測出来るので、思考から排除。人は巻き込まれる前に逃げているし、もし
物理的被害が発生していても修理費などは星の名義で請求書を送ってもらえば問題ない。
器物の破損に関しては区画対抗の祭で更に酷くなるのが多いということは確認済みなので
恐らく問題無いだろう。
 一番の問題は、星の状況だ。
 既に視認出来ない状態になっているが、もしも、と最悪の展開が頭をよぎる。
 もしも相手が星以上の実力者で、星が倒されてしまったら、ということだ。軍師として
常に最悪の結果を予測するのは当然だが、それは癖とも言えるもので、しかも一番最初に
頭の中に来た結果は論理ではなく感情だった。
 怖い、と。
 国交に問題が発生するという種類のものではなく、仲間を失ってしまうという類のもの、
大戦時代に嫌と言う程に味わったものだ。
 だが差異がある。
今は蜀の軍勢も居なければ、頼りになる武将達も居ない。
自分一人の状況に、助けて、と心の中で叫び、
「あれ? 孔明さん、どうしたんですか?」
 それに応えるように、背後から声が来た。
 振り向けば二人分の人影があった。褐色の肌であることは共通しているが、一人は白い
虎にまたがった少女で、もう一人は黒の髪を長く伸ばした少女だ。
 朱里はその二人が居る事に首を傾げ、
「周泰さんに、孫尚香さん。何故こちらに?」
「雪蓮姉様がもう少し残って見聞を広めてこいって残してくれたの、つまりシャオは魏の
国の勉強中。呉は政策とか古いのが多いから、治世の時代になったってことで、新しい風
を入れたいみたい。蓮華姉様はもう結構呉の政治に関わってるから、白い状態のシャオに
新しい方式を覚えさせて新旧二本の柱で意見を混ぜて、って方針みたいだよ」
「それで洛陽の作りを学ぶ為に観察をしていたところ、騒ぎの音が聞こえてきたので急遽
駆け付けた次第ですが。何かありましたか?」
 そうだ、と慌てて朱里は星が消えた方角を見た。
「星……趙雲さんが、暴漢を相手に戦闘を開始しました。目立つので道順は街の人に聞く
方式で良いと思いますが」
 頭を下げ、
「お願いします、星さんを助けるのに力を貸して下さい」
 朱里の言葉に、二人は息を飲んだ。
 星は大陸最強と言われる五虎大将の一角で、その実力は知っているが、それを助けると
いうことは怪物じみた実力を更に圧倒する相手と戦えということだ。都合が良過ぎる話だ、
と朱里自身でも思うが、それよりも助けたい、という意志の方が強い。
 自分が非力だ、というのは朱里自身が一番分かっていることだ。
 自分が行っても足手纏いにしかならないということも分かっている。星が最初に自分を
投げて距離を離したのも、近くに居ては存分に実力が発揮できないからだ。守りながらの
戦闘というものは普通に戦うことの数倍は難しいということは、武に明るくない朱里でも
理解している。
 だが、眼前の二人は戦闘力を持っている。
 卑怯者と呼ばれても、役立たずと罵られても構わないが、
「ムシの良い話だということは理解しています。後で何でもしますから、お願いです」
 眼尻に涙を浮かぶのを自覚しながら、
「私ではなく、星さんを助けて下さい!!」
 お願いします、と叫んだ。
 戦でも人は死ぬし、大戦時代は無数の死を見てきた。
 だが慣れることはなく、今でも、今だからこそ余計に怖いと思う。
 仲間を失うなど、そんな時代は過ぎ去ったのに、と。
 無言の状態が少し続き、そして声が来た。
「乗って」
 驚きに顔を上げれば、そこには笑みを浮かべた孫尚香の顔があり、
「周々に乗れば、きっと追い付けるし、明命とシャオと周々が居れば力になれる」
 数瞬、朱里は言葉を詰まらせ、は、と吐息し、
「あ、ありがとうございましゅ!!」
 噛んだが、今はそんなものを気にしている場合ではない。
「それと、シャオで良いよ。小蓮、それがシャオの真名だけどシャオって呼んで」
 突然の言葉に、朱里は首を傾げたが、小蓮は笑みを濃くし、
「何でもしてくれるって言ったよね?」
「はわわ、それは、その、私の出来る範囲で」
「だから、友達になってよ。一緒に遊んだり、お勉強も教えてくれると嬉しいな」
 えへへ、と声を出しながら、小蓮は頬を染めた。
その言葉に、朱里は再び全力で頭を下げ、何度も礼の声を繰り返すが、
「友達なんだから、そんなことしなくて良いってば。それに友達が困ってたら助けるのが
普通でしょ? だから気にしないで」
「ありがとうございます!! 私の真名は朱里です」
「明命です、よろしくお願いします朱里さん!!」
 良いのか、と視線で問うと明命は強い頷きを返し、
「呉は元々、一つの家族のようなもの。ならば三国同盟を結んでいる今、魏も蜀も家族と
同じです。そして信頼できる家族が相手ならば不肖の身なれど、この明命、命に代えても
お助け致しましょう!!」
 明命ってば大袈裟過ぎ、と小蓮は笑い、
「行こうよ、朱里の大切な友達を助けに」
 その言葉に、朱里は目尻を拭い、頷いた。

? ? ?

 執務室に入り、風は並び歩いていた状態から、一歩先行した。
「あら、風は今日非番だった筈だけど何かあったの?」
 華琳の言葉に風は小さく頷き、
「重大な話と、それなりなお話がありますけども。どちらから話しましょうか」
 任せるわ、という言葉に、そうですね、と一旦俺を見上げ、
「風は名を戻すことにしました。明日には皆にも伝える予定ですが」
 一拍。
「これからは程立とお呼び下さい」



―― 次回予告 ――

「一刀、久し振りー」

 過去が人を呼び

「隊長には意思がありますか?」

 人が意志を呼ぶ

「兄ちゃん、王ってなんだろうね?」

 ならば未来が呼ぶのは

「お聞かせ願えますか?」

 道を呼ぶのは何かと問うた

次回『W.E.S.209』01:04「歌姫」

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