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349 名前:清涼剤[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 00:03:54 ID:Y9RHhKcH0
無じる真√N-18話 ワカレミチ編その三を専用版にUPしましたので告知を。

(この物語について)
・原作と呼称が異なるキャラが存在します。
・一刀は外史を既に一周しています。
・外史について自分なりの解釈をしています。
上記が苦手な方にはおすすめできません。

(注意)
・過度な期待などはせずに見てやって下さい。
・未熟故、多少変なところがあるかもしれません。

URL:http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0384

もしよろしければお付き合いください。



改行による2パターン、最初は、整形なしの素です。
ブラウザでご覧の方はctrlキー+Fで文字検索に整形と入力して飛んでください。



「無じる真√N18」




 公孫賛軍の拠点を後にした袁紹軍は相も変わらず豪華で尊大な装飾にまみれ、好意的に見れば威風堂々、悪く見ればのそのそ、といった様子で進軍していた。
 その光景をご機嫌な表情で見つづける袁紹を尻目に彼女から距離を取った顔良がとある言づてを一人の兵に託していた。
「――それじゃあ、今言った通りに伝えてください」
「かしこまりました。しかと、伝えてまいります」
 兵はそう告げると、すぐさまどこかへと駆けていった。
 その後ろ姿を見送りつつ、顔良はほっと息を吐いた。
「これで、界橋での戦いに一つ手が打てたのかな?」
 そう、彼女は界橋へと向かうのに合わせ伝令を放った。
 そして、それこそ顔良の中でこの戦いの雌雄を決するほどの効力を持つものであると考えられる隠し手である。彼女自身、その手札に対して多少の不安は残っているが……。
「さて、はやく袁紹様の元へ行かなきゃ」
 無事に伝令が届き、狙い通りになってくれることを願いつつ、顔良は主の元へと向かおうとした。その時、先程とは別の兵が顔良の元へと駆け寄ってくる。
「が、顔良将軍!」
「どうしました? そんなに慌てて。あれ? あなたは……放っていた斥候ですよね?」
「は、はい。ご報告! 易京を出た公孫賛軍は、現在界橋を超え広宗に陣を張り、体制を整えたうえでこちらに向かい出陣を開始した模様!」
「!? わかりました……姫にはわたしから伝えておきます。もうさがって結構です」
 そう告げると、兵はすぐさま立ち去ってしまった。顔良はそれを見送ることなく体を翻し、袁紹の元へと向かった。
 そして、いざ行ってみると、袁紹が相変わらず自らの兵を見て、機嫌を良くし高笑いしていた。
「やはり、袁家の精鋭たちというのは進軍する姿も、優雅に華麗に勇ましくなくてはいけませんわ! おーほっほっほ!」
「麗羽さま!」
「あら? どこに行ってらしたの、顔良さん?」
 その質問に答えようかとも思ったが、顔良はそれよりも先に報告すべしと思い。そちらを優先した。
「そ、それより、大変なんです! こちらと公孫賛軍との進軍速度に僅かながら誤差が生じちゃったんです!」
「な、なんですってぇー! ……で? それがどうかしましたの?」
 袁紹が空気を読んだのか激しい反応を見せたのだが、顔良の報告の意味はよく分かっていないようだ。
 そんな主の様子に顔良は思わず、体制を崩して転んでしまう。
「あたた……分かってないなら紛らわしい反応しないでくださいよ!」
 顔良は、したたかに打ち付けた腰を撫でながら袁紹に、文句を言う。
「……別にいいではありませんの。その方が盛り上がりますでしょ?」
「もういいですから、黙って聞いてください」
 何故か開き直った袁紹に、頭を抱えながら顔良は説明を始める。
「本来なら、互いの行軍速度を考えたところ、公孫賛軍と我が軍の接触は界橋で行われる予定でした」
「ほうほう」
「ですが、こちらの行軍のもたつ……こほんっ、雄大さが予定よりもひど……こほん、こほんっ、素晴らしいために接触する位置が予定よりも手前になったんです」
「なるほど、ということは……どういうことですの?」
 全く意味を理解していない袁紹。もちろん顔良もそうなるのは分かっているので無視して説明を続ける。
「えぇ、ですので当初より早めに色々と準備を整えなければならないんです」
「では、そうするとしましょう。全体への指示は任せますわよ」
 顔良は、袁紹のその言葉に勢いよく返事をすると、すぐに全軍への伝令を飛ばした。




 袁紹軍が進軍しつつ、慌てながら準備を整えている頃、一方の公孫賛軍は、当初の予定地よりも前へと軍を進めていた。
 現在、公孫賛軍は界橋を後にしてから南へ二十里ほど進んだ位置で袁紹軍が来るのを待ち受けていた。
「まったく……まさか、あそこまで進軍速度が遅いなんて、この賈文和といえども読めなかったわ! おかげで余計なことをしちゃったじゃない」
 そう、元々彼女が予測していた接触位置に到着しても袁紹軍が現れなかったのは、予定外だった。
 だが、詠はそれを逆手に取り、多少の前進をすることで相手への精神的圧迫を与えることで慌てさせる策を選んだのだ。
 そのような余計な策を講じさせられたことで、ぷりぷりと怒っている詠の横で白蓮はうんざりといった様子で口を開いた。
「はぁ、あいつは昔っからあぁなんだよな……見た目の派手さにこだわって中身が恐ろしく伴っていないんだ」
「そ、そうか……色々大変だったみたいだな?」
 一刀が慰めるように白蓮へと語りかけてくる。気のせいか、その頬には汗が浮かんでいるように見える。
 しかし、一刀のその言葉は白蓮の心のとある扉、そこに掛かっている鍵を開錠した。
「……大変だっただと? それですめば良い方だ!」
「ぱ、白蓮? ひぃっ」
 白蓮は、一刀の方を向くとくわっと表情を強張らせる。その表情を見た一刀が僅かに悲鳴をもらした。
 それに気づくこともなく白蓮は呪詛の言葉のように暗い口調で語り出す。
「いつもそうだ……あいつと一緒になると何故か私ばかりが被害に遭う……他にもいるっていうのに私だけだ……おかしいじゃないか」
 立場上、袁紹と顔を合わすことがあった白蓮。
 そして、そういうときに限って袁紹が何か騒動を引き起こした。そして袁紹によって引き起こす"事件"に巻き込まれのは決まって白蓮だった。正確には白蓮以外にも巻き込まれた者は多くいた。
 だが、最も被害を被るのはいつも白蓮の役目だった。握った拳も自ずと震えている。
 そのことを思いだし、どんよりとしたどす黒い気を纏う白蓮。
「い、いや……それを俺に言われても」
 一刀の戸惑いを含んだ声を聞いて白蓮は正気に戻る。
「すまん、つい昔の事が頭を過ぎってな……」
「……そ、そうか。いや、俺の方こそなんか軽率だった。ごめん」
「何やってるのよ、あんたたち」
 互いに頭を下げ、それに対して詠が呆れを含んだ言葉を投げかけたところに兵が駆け寄ってきた。
「ご報告! 袁紹軍らしき影が近づいてきています」
「なに! そうか、ようやく来たか……」
 そう言って、前線を見つめる。中軍の賈駆隊、両翼を務める華雄、張遼隊。それよりも前、趙雲隊……そして、その前にいる前衛隊、そのさらにずっと先、どこまでも広がっている地平線の上を多くの影が蠢めいていた。
 そして、それが袁紹軍であるということをその影の所々から突き出ており、風によって翻り続けている煌びやかな幡旗が強調していた。


 界橋より二十里程南、辺り一面に広大な大地が広がり、そこにあるものといえば、山々と森、あとはせいぜい河のみ、そんな場所で二つの軍勢がにらみ合っている。
 袁紹軍六万、公孫賛軍四万七千、公孫賛側が兵数でやや劣るものの、ほぼ対等の力を持った両軍。その光景はある種、壮観なものである。
「袁紹! 義を偽り我らを討たんとするお前の行い、断じて許されぬものと知れ!」
 辺りに白蓮の声が響く。この決戦場についてから、彼女は袁紹を弾劾し続けていた。
「ふぁぁ……で? 伯珪さん、あなたの話はそれで終わりですの?」
 白蓮の話をまともに取り合わず、あくびをしつつ袁紹が尋ねてくる。
 袁紹のあまりの態度に、白蓮の頭がかーっと熱くなる。
「な、嘗めやがって! 袁紹ぉ!」
「落ち着きなさいってば、あんな馬鹿に乗せられてどうするのよ」
 熱くなり、身を乗り出す白蓮を側に控えていた詠が向こうにも聞こえるくらいの声で宥めてきた。その言葉に袁紹が公孫賛軍全体へもよく届く程の大声を震わせながら反応を返してきた。
「だ、だぁれが馬鹿ですってぇ!?」
 それを見た詠の口角がつり上がり、にやりとした笑みをその顔に浮かべている。白蓮にはそう見える。そして、白蓮がそう思うのと同時に詠の口が開かれた。
「あんたに決まってるでしょ。そんなことも分からないから馬鹿だって言ってるのよ!」
「きーっ! 許せませんわ! 覚悟なさい。捕らえた後に嫌と言うほどおしおきしてさしあげますわ!」
 詠の言葉に袁紹は眉を吊り上げ、真っ赤な顔で両腕を振り上げながら詠へ向けて怒鳴り散らしている。そのまま、袁紹が冷静さを欠けばと思うがそうもいかない。
 向こうの側近である顔良が袁紹に何事かを言っている。恐らくは宥めていたのだろう。その効果なのか冷静さを取り戻した袁紹が高笑いをし始めた。
「おーほっほっほ! あやうくしてやられるところでしたわ……ですけど、三公を輩した名門たる袁家の袁本初は簡単にはつられませんわ!」
 その言葉を聞いて白蓮は、つられたくせによく言う……そう思った。
 だが、彼女は面倒そうなのであえて口にはしなかった。その時、詠が舌打ちをした。挑発を挑発で返すことによって袁紹を怒らせようとしたが、失敗に終わったというところだろう。
 自らの思考をそう締めくくると、白蓮は袁紹を見つめる。
 見れば、袁紹もまた白蓮へと視線を向けている。しばらく互いに見つめ合い、そして……どちらからともなく口を開いた。
「さぁ、袁紹! 問答はここまでだ。私がお前を討つ!」
「ふ、このわたくし、袁本初が覇道の第一歩を踏むための礎にしてさしあげますわ!」
 互いの言葉を皮切りに両軍が動き出す。

 公孫伯珪、袁本初……そして、北郷一刀。彼女たちの運命の歯車が互いにがっちりとかみ合い、今、回り始める。




 公孫賛軍が動き始めるのと同時に袁紹が兵たちへと檄を飛ばす。
「さぁ、袁家の精鋭たるあなたたちの力、とくと見せつけておやりなさい!」
 その言葉に兵たちが大声で応、と返す。
 兵たちの反応を確認した袁紹が顔良へと視線を向け、尋ねごとをしてくる。
「さて、顔良さん。どういった戦い方でいきますのかしら?」 
「はい、幸い我が軍の麹義が公孫賛軍が使うであろう戦法に詳しく、また強いと思われます。ですので既に弩兵八百と歩兵千五百を与え、前衛に配してあります」
 この麹義という将は、涼州に長らく住んでいた事があり羌族の戦術に精通していた。
 それ故に、顔良は白馬義縱をはじめとする騎馬隊による戦いを得意とする公孫賛軍との戦にはもってこいの人材であると考え、今回の冀州争奪戦における前衛の大将として白羽の矢を立てたのである。
「わかりましたわ。では……優雅に華麗に勇ましく、攻撃開始ですわ!」
 袁紹の号令により、まず前衛の麹義隊が動き始めた。
 公孫賛軍側は、同じく前衛である厳綱の率いる部隊が動き始めている。それを見ながら顔良は文醜へも指示を出そうとすると、ちょうど向こうからやってきた。
「斗詩、あたいはどうすりゃいいんだ?」
「それじゃあ文ちゃんは、両翼の陣を取るために、わたしと対になるように左右に分かれるように位置について」
「あいよっ! 行くぞお前ら」
 そう令を発し、文醜は隊を引き連れて顔良隊とは別の方へと向かっていった。それを見送った顔良は、中軍を固める指示を袁紹に授け、自らもまた両翼の一つとなるため移動を開始した。
「それじゃあ、皆さん行きますよ!」
 兵たちは彼女の声に、おう! と答え、その後へと続いていくのだった。
 その後、袁紹は顔良から受けた通りに指示を出し、騎兵、歩兵、弩弓手などを中心とし
てしっかりと揃えるべきものを揃え、着々と中軍の固めにかかった。
 その様子を見て用意の出来たことを察した顔良は、そちらを見るのを止め、すぐさま前衛の様子へと注意を移した。
 既に前衛の麹義隊は、先へと進みその姿も隊の尾が僅かに見える程度だった。その様子を見守りながら顔良は、自分の采配が当たっていることを願った。

 そして、前衛同士の戦いの報告が上がった。
 それは、顔良が文醜と共に両翼を担ってから一時辰ほど経過したときのことだった。
「顔良将軍、前衛の麹義が敵軍、厳綱の率いる部隊を退けた模様!」
「わかりました、それで、姫は何と?」
 顔良の言葉に、強張らせている体を一層堅くした兵は大声で袁紹の指示を告げた。
「はっ! 麹義隊に続いて全軍前進、とのお達しです!」
 それを聞いた顔良は分かったという趣の返事をし、兵をさがらせた。そして、すぐさま隊の兵たちへと号令を飛ばした。
「顔良隊、他の隊と合わせながら前進します!」
 そして、全軍が動き出すのに合わせて顔良の隊もまた動き始めた。




 袁紹軍が進軍するのに合わせ、軍を退いている公孫賛軍では伝令より前衛の戦いの結果を聞かされた白蓮と軍師である詠は、それぞれの韓綜を漏らす。
「多少、予定より損害があったけど一応、こちらの思惑通りに動いているわね」
「そうか……まぁ、ぎりぎりではあったがなんとか無事のようだし取りあえずは良し、といったところか」
 詠の言葉に頷きながら、白蓮は先程の光景を思い出す。
 厳綱隊が袁紹軍を引きつけるため、弓騎兵を中心として必要以上に強気な攻め込みを行ったのだが、対する敵将、麹義が予想以上に騎兵への対処が上手く、覚悟していた消耗の量を超え、危うく厳綱自身までもが討たれかけることとなった。
 そんな中から、数名の兵を引き連れて戻ってきた厳綱はあちこちに傷を追った状態、そのうえ、たった一時辰動いただけとは思えないほどに疲弊していた。
 白蓮にとって、厳綱というのは思い入れの強い武将でもある。彼女にとって厳綱は長い付き合いのある臣下である。
 厳綱がなんとか戻ってきた際に安堵の息を白蓮が漏らしたことが、それを如実に物語っていると言えるだろう。
 そのような想いから厳綱の無事に安堵した白蓮は、すぐに次の指示を出す。
「よし、追ってくる敵の前衛、麹義の隊を崩す。趙雲隊は前へ!」
 その言葉に従い、星の率いる騎馬隊が後退している前衛へと入れ替わるように前へと進み出る。
「我が趙雲隊の兵たちよ。敵へ一撃を与えてはさがり、また一撃を与えるということを忘れるな! 我らがすべきは敵の殲滅にあらず! ただ、敵の気を引きつけるという一点にのみその力を注ぐのだ!」
 星がそう言い、兵もまた声を上げてそれに反応した。
 そして、趙雲隊は前へと駆けていく。

 前衛へと出てからの趙雲隊の動きは、まさに目覚ましいものだった。
 "神速"率いる騎兵、騎馬による張遼隊には及ばぬものの、風のごとき速さで敵の前衛へと一撃を与えてはさがり、その動きも一歩前進二歩後退といった様子でしかと相手の前衛を引きずり出し、それに続かせるように袁紹軍全体を進行させるという詠の策に則った文句のない働きぶりだった。
 そんなやり取りの中、袁紹側の前衛、麹義が星によって退けられると、今度は二枚看板の顔良、文醜が前へと出てくる。
 これには趙雲隊のみではかなわないとみた白蓮は、華雄隊を救援に向かわせることにした。そして前線での戦いは、文醜に華雄、顔良に星、といった構図となった。
 二将軍に対して、星と華雄をぶつけた甲斐あってか、被害もそこそこに公孫賛軍は界橋を無事に超え、そのまま袁紹軍の消耗を計りつつ、易京へと退くという当初の目的の達成が見えてきたところでそれは起きた。
 突然、周辺の状況を監視させていた兵が報告に来たのだ。
「な、何やら袁紹軍の東方より砂塵! 何かがこちらへ向け進んできている模様!」
「砂塵、敵の伏兵か!?」
「わ、わかりません!」
 その時、左翼の部隊が何かに気づいたのかわぁっと声を上げた。それに驚いた白蓮は何事か知るためすぐに使いを出した。
 そして、戻ってきた使いの述べた言葉は白蓮を絶句させる。
「た、大変です! せまってきているのは大軍のようです。しかも、彼らが掲げるは深紅の旗。呂の一文字……呂布です!」
「な、何だと!?」
「う、嘘! 恋……いえ、呂布の軍が……この戦いに?」
 予想外の出来事に詠ですら驚愕の表情を浮かべている。
 普段冷静な詠ですら動揺しているのだ、他の兵たちに関しては推して知るべし。全軍、多いに乱れていた。
 何よりも一同が動揺しているのは、呂布軍の狙いが分からないためである。
 自分たち側につくのか、はたまた袁紹側か……それとも、漁夫の利を狙うのか。
 だが、白蓮には何となくわかる。呂布軍の進路上にいるのは自分たちである。故に狙われているのはこちら側である、と。
「馬鹿な……呂布軍は下邳にいるはずなんじゃ……くそっ、これはまずいな」
 白蓮は呟きながら一刀の方をちらりと見やる。その顔には他の者たち程ではないが驚いている様子を見せ、すぐに何やら考え込んだ。
 白蓮は、その様子から呂布軍の乱入は一刀すらも予想していなかったであろう出来事なのだということを把握した。
 そして、彼女の考えがその結果に至った時、白蓮は思った。これは天の啓示なのかもしれないと。未来の事を知っていたように思えた一刀ですら知り得なかった出来事。これは、天が一刀の存在を残そうとしているのではないかと、すなわち、公孫賛軍の破滅を望んでいるのではないかと……。
 そして、ここで呂布軍によって討たれる方が自分にとっては望ましいのではと思ってしまう。白蓮はそれほどまでに一刀の……愛する者の無事を望んでしまう。
 だが、すぐにはっとなり、首を左右にふる。先程、自分は厳綱の無事を喜んだはず。なのに一刀一人のために厳綱をはじめとする忠臣たちを見殺しにするのか……そう自分に尋ね、そんなことはしない、一刀も望まないと思い直し、すぐに声を上げた。
「えぇい、静まれ! 呂布軍との距離は未だ離れている。呂布軍がこちらへ攻め寄せた場合のことを考え、張遼隊は左翼につけ! そして、奴らの動きに気を配りつつ、僅かに速度を上げながらも予定通りに動く!」
 その叫びに兵たちの動揺が僅かに抑まっていく。そして徐々に統制がとれていった。

 その様子にほっと安堵の息を吐きつつ、白蓮は袁紹軍を見やる。そして、思わず呟く。
「随分とやってくれるじゃないか……袁紹」
 偶然にもそれは詠の呟きと重なっていた。




 呂布軍がその姿を見せ始めた頃、袁紹軍側でも僅かにあちこちで動揺が起こっていた。正確には、一般兵たちの間で、ではあるが。
 そんな動揺を抑えるため顔良から話を聞いていた文醜が声を上げる。
「狼狽えるんじゃない! あれは、あたいらの味方だ! 恐れる必要なんかないんだからな! って、うわぁ、華雄、おまっ!」
「ふん、隙を作る方が悪いのだ! はぁっ!」
 華雄に苦戦しつつ文醜が周辺の兵たちへ告げた言葉に、兵たちは誰が見てもわかるほどに安堵していた。そして、同時に士気が上がったと顔良は確信した。
「みんな、勝機はわたしたちの方にあります! 今こそ、精一杯の力を出して公孫賛軍を押し込んで!」
 その言葉に続くように兵たちの怒声が響き渡る。そして、袁紹軍の士気は最高潮となった。その勢いは、激流のごとき勢い。これを逃す手はない、顔良はそう判断すると目の前の強敵から距離を置く。
「む、どうした? 顔良よ、逃げようというのか?」
 急に離れたことに疑問を感じたのか、星が眉間にしわを寄せて尋ねてくる。
「いえ、気合いを入れ直したいだけですよ」
 そう言って、顔良は金光鉄槌を構える。だが、それはあくまで見せかけ。
 そんなに積極的に戦闘をするつもりはない。相手の力量を把握しているから……というのもあるが、その理由の多くは別のところにある。
 現在、袁紹軍の兵たちは予想外の援軍の登場に士気が上がり、それぞれが常時以上の力を発揮して公孫賛軍の兵を押している。
 軍の勢いがある。ならば、自分はどうすべきか? 顔良はそれを心得ている。すくなくとも、この戦いにおいて一般の兵同士ならばそこまでの差はない。むしろ、勝敗の分かれ目は気力の問題が大きい。そんな彼女の考え、その正否に関しては、現状を見れば一目瞭然である。
 だが、そこに常山の昇り龍と名高い趙雲が紛れ、乱戦になるようなことがあれば明らかにこちらが押される。そうならないためにも、より長時間、目の前の強大な敵を引きつける必要があるのだ。
 もう一人の引きつけるべき相手である華雄は文醜が抑えている。まず間違いなく文醜本人はそんな気など毛頭無いのだろうが。
「ふはははは、これほど血がたぎるのは久しいものだ!」
「そりゃ、奇遇だな。あたいも久しぶりに燃えてるぜぇ!」
 華雄の金剛爆斧と文醜の斬山刀が幾度となくぶつかり合い、火花を散らしている。
 案の定、周囲の状況など気にしていない。
 どうやら戦馬鹿……もとい、腕に自信を持つ者同士波長があっているようで先程から二人の世界に入っている。
 そして、それが結果として自分の狙いを上手く手伝ってくれているのだから顔良にとっては有り難いことである。
 そう思いながら、二人から目を離すと顔良は視線を目の前の武人へと向けた。
「さて、もうよろしいか?」
「えぇ、いきます!」
 そう宣言して大地を蹴り飛ばしながら背に構えていた金光鉄槌を振り下ろす。その一撃が紙一重のところでよけられる。動きを止めず、そのまま振り下ろす。すると、叩きつけたところを中心に地響きを起こる。
 それを見た星が話しかけてくる。
「先程から思っていたのだが……中々に凶悪な獲物ではないか」
「そうですか? あ、でも結構重いんですよねこれ。だから、やっぱり凶悪なのかもしれないですね」
 どうでもいいことを口にしながら、顔良は間合いを計る。そうしながら、周囲をちらりと見る。
「うぉぉぉ!」
「ぐぁぁ!」
「行け! 俺たちの勝利は目の前だ!」
「く、無闇に戦う必要は無い。退け! 退け!」
 公孫賛軍の兵が一目散に退いていく。そして、今一度星へと視線を戻すと。
「趙将軍、後退しますので将軍も、お早く!」
「ふ、仕方あるまい。顔良! 勝負は預ける! では」
 そう言うと、彼女は呼びに来た兵を連れ、同様に退いている華雄と合流して後退していった。それを見た顔良は慌てて兵たちに号令を出す。
「ここで敵を討たなければ、勝機を逃します! 追撃を!」
「おぉぉぉう!」
 何重にも重なった兵たちの声が辺り一面へと響き渡る。そして、顔良、文醜両隊は速度を上げて追撃に入った。
 そのまま前へと視線を向けると、呂布軍が公孫賛軍の横合いへ近づきつつあった。 




 趙雲隊、華雄隊を後退させた頃、公孫賛軍の混乱は収まっていた。だが、動揺は未だに残っていた。そこで、詠はやむを得ず後退の意思を白蓮に伝えた。
「まずいわね……兵の心に動揺がのこったままじゃ上手く立ち回れない。ここは、一気に退いた方がいいわ」
「そこまでまずいのか?」
「えぇ、星、華雄や霞なんかは動揺はあってもすぐに自分を取り戻せると思うわ。でも、他の兵は無理よ。間違いなく士気が下がってるわ」
 不安げに聞き返してくる白蓮に詠は、はっきりとした口調で告げた。
「少し早いけど、易京に立て籠もるべきよ」
「そうだな、元々狙いは向こうの兵糧が尽きることだったんだから無駄に損害を被る必要もないか。よし、全軍全速力で易京まで退くぞ!」
 その言葉に全軍は身を翻し、全速力で易京へと向かって駆けだした。その時、大地を駆ける蹄の音が聞こえてくる。
 それは、深紅の呂旗を掲げる呂布軍だった。既に、その先頭にいる呂布の姿がはっきりと見える程に近づかれていた。
「ちぃ、もうあんなところまで来てるのか!」
 苛立たしげに舌打ちをする白蓮。
 と、その時、後方からも近づいてくる音が聞こえそちらを伺う。
「よもや、呂布とは……一体何故?」
「呂布だと? よかろう、この私が!」
 それは、後退してきた趙雲、華雄の両部隊だった。そのことに白蓮がほっと息をついていると、横にいた詠が華雄にどなりちらす。
「よかろう、じゃないわよこの馬鹿! あんた、その単純思考は水関での経験で直ったんじゃなかったの?」
「はっはっは、そう簡単に直るものか。それに、これは武人たるものにとっては生来のものなのだ! 直しようなど無い!」
 そう叫び、何故かふんぞり返る華雄。そんな彼女を睨むように見ていた詠はため息を吐いた。
「……もう、嫌」
 がっくりと肩を落としている詠の姿に白蓮が苦笑する。
 その時、気がついた。一刀が先程から黙り込み言葉を発していない。そのことが気になり視線を向ける。
「やっぱり……俺が……」
 顔を俯かせ、未だに何かを考え込んでいる。その口から漏れる呟きは風によって掻き消されよく聞こえない。
「どうしたんだ――」
「ぎゃぁぁあ」
 一刀に何を考えているのか尋ねようと白蓮が口を開くのと同時に悲鳴が響いた。その元は、先程、呂布軍を警戒するため左翼へと移した張遼隊からだった。
 そちらへ視線を向けると、呂布軍の先頭の一部が張遼隊の後部に接触し、兵を斬りつけていた。
「まずい、弩騎隊、張遼隊の援護をしろ!」
 その言葉に従い、弩騎隊が一斉射撃を行う。その矢が次々と呂布軍の兵を捉えていく。
 それを切欠に呂布軍の兵が引き下がり、全体の勢いが落ちていく。
 だが、その中でただ一人、弩騎隊が放った矢をはじき飛ばし突き進まんとする者がいた。
 それこそ、かの飛将軍と称された呂布であった。その赤髪を振り乱し、まるで飛んでくる矢など気にならないかのごとき無表情で突き進んでくる。その姿は、まさに戦うために生まれたきたのではと思わせるほどに猛々しかった。
 そんな呂布の前に一つの影が飛び出した。そして、その影が放つ素早い一撃に呂布の動きが止まる。
「……! 霞?」
 その影の正体は霞だった。そのことに呂布もまた驚いている。
「悪いな……恋」
 そう告げると、霞は更に一撃を放つ。それに対して呂布が身構えるが、霞の狙いは違った。呂布の乗る馬への一撃、それによって馬が悶え、呂布はそれを宥めるので精一杯となる。そして、その隙に霞を中心に張遼隊が速度を上げた。
 その後、霞の働きの甲斐もあり、なんとか被害もそこそこに易京へと逃げ込むことに成功したのだった。

 そして、易京へと逃げ込んだ公孫賛軍はすぐさま軍議を開いた。
 袁紹軍は、どうやら呂布軍と合流するらしく城の側に陣を張りはじめ、攻撃の手を休めていた。
 その僅かに出来た時間を無駄にするわけにもいかず、公孫賛軍は軍議をすることにしたのである。
「さて、予想外にも呂布軍まで攻め込んできた。この現状をどうするか……だが」
 そう言いながら、場を一通り見渡すがどの顔も優れていない。
 さて、どうしたものかと、白蓮も口を閉じて考え始めようとすると、
「あ、あの……」
 一人の文官が声を上げた。
「ん? 何だ、行ってみろ」
「は、では恐れながら……我々も援軍を呼びましょう」
「? どういうことだ?」
 その文官の発言に、眉をひそませる白蓮。
「確か……北郷様や趙雲殿、それに殿自身も劉備殿と懇意でしたな」
「まさか!」
 文官の言わんとすることを予測し、目を見開く白蓮。
「そうです。今すぐにでも、お三方と知古である劉備殿に応援の要請をすべきです」
 文官の言葉を聞いた瞬間に思わず白蓮は大声を張り上げた。
「駄目だ! それは認めん!」
「何故ですか!?」
 白蓮の熱気に当てられたのか文官もまた熱くなる。
「あいつだって、やるべきことをやってぎりぎり国を治めてるにすぎない。それに、あいつのところは武に関しては関羽、張飛の二人くらいしか他国と張り合える奴がいない。そんな状態でこちらの戦いに来てみろ。袁紹の動きを察知したどっかの国に……喰われる」
「……」
 そこで、白蓮はふっと笑みを浮かべる。哀しげな笑みを……。
「あいつはお人好しだからな……きっと助けを求めたら飛んでくるだろう」
 そこまで告げたところで、白蓮はその表情と気を引きしめた。その姿は、普段とは違いまこと凛々しいものである。
「だがな……それであいつの身に、そしてあいつの唱える夢、その夢を信じ集まった者たちに何かあれば、この公孫伯珪の誇りと魂に傷が付くんだよ!!」
 白蓮の叫びによって場はしん、と静まりかえった。口論していた文官すらも口を閉じかけている。しかし、文官も譲れないのだろう、口を開く。
「で、ですが……」
「そこまでにしておいたほうがいいよ……白蓮が己の誇りを掛けてまで断る以上、覆すことはできないさ」
 食い下がろうとする文官の言葉を遮るように一刀が制止した。
「北郷殿……」
 文官も君主と天の御使い、二つの高位とされる存在に止められては、諦めざるを得なかったのか、しぶしぶと下がった。
 それに対し、すまないと告げると一刀は全体へと向き直った。
「大丈夫、白蓮も国もみんな、なんとか守ってみせる」
「一刀……」
 力強い一刀の姿、そして瞳に、白蓮の背筋が思わず震えた。
(こいつは、何で時折、あんなに強い目をするんだ……)
「そうや、ウチらだっておるんやから大丈夫やって!」
 霞は、場の空気を少しでも変えようと出来るだけ明るい様子で一刀に同意する。
「うむ、董たっ!? おほん、……月様の居場所を守る。それがこの華雄の使命! 故にここを守ってみせようではないか」
 さらに、華雄が力強く叫ぶ。さりげなく一刀に視線が行ってるのは彼も守るということなのだろうか? そう思っていると、今度は別の方から声が上がる。
「まぁ、ボクだって月の涙なんてもう見たくないからね……今度こそ、守るわ」
 言い終わると、詠はめがねの縁を指で押し上げた。その奥の瞳には彼女の決意がにじみ出ているように感じた。ぽそりと、お人好しなあんたたちのためにも……と付け加えていることに思わず笑みがこぼれそうになる。素直じゃないところが、詠らしいな、と白蓮は思う。そして、他の面々も詠と同じ考えを持っているだろうとも思った。
 そして、それは口にせずともこの場にいる誰もが理解していることであると白蓮は信じている。
 彼女たちのやり取りのおかげか、場にいる面々の表情が明るくなり、それを見計らった一刀が声を上げた。
「よし!それじゃあ、さっそく軍議の続きといこうか!」
 その声を耳にしながら、白蓮は思った。良い仲間に巡り会えたと。
「……ん? 白れ……、白蓮!」
 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえるが、頭がぼぉっとして上手く聞き取れない。どうしたのだろうか、などと思いながら白蓮の意識は暗闇の中へと落ちていった。




「……ん」
 目を覚ました白蓮が目にしたのは天井だった。
 何故、こんなところに? と思っていると、すぐ側で誰かの話し声が聞こえてきた。
 そこで彼女は思い出した、軍議をしていたことを。そして、自分はその最中に倒れたということにもようやく気がついた。
 これはまずい、と白蓮は体を起こそうとする。だが、何故か体が普段の何倍にも重く感じられ、起こすことが出来ない。
 体を起こすのを諦め、改めて周りを見渡すとどうやら城の一室であることがわかった。
 そして、部屋の隅で救護兵と誰かが話しているのが朧気ながらも見える。
「恐らくは、疲労によるものでしょう。どうやら、この戦によるもの以外の疲労も蓄積されていたようですな」
「まぁ、普段から忙しかったからな……その疲れもあるのかもしれないな」
「えぇ、それと、どうやら長いこと寝不足だったようですね」
 その言葉には心当たりがあった、一刀の一見以来まともに睡眠をとった覚えが無かったのだ。白蓮は悔やんだ。よもや、それがこのような形で自分に影響を及ぼすとは思っていなかったからだ。
「か……一刀」
 思ったよりも声が出ないことに驚きながらも、何とか一刀を呼ぶ。
「ん? 起きたのか、白蓮」
 白蓮に気づいた一刀が、近寄り、現在の状況を軽く説明を口にした。
「どうやら、ちょっと体を体調を崩したみたいだな。まぁ、そういう訳だから白蓮はここで休んでてくれってことだ」
「……く……そぉ」
 白蓮は、自らのあまりの不甲斐なさに舌打ちをしようとした。しかし、力が入らずそれすらも叶わなかった。
 そんな弱々しい状態にありながらも体を起こそうとする白蓮。しかし、一刀にすぐさま制された。 
「取りあえず、落ち着け白蓮……」
「……え、袁紹が……いつ攻撃を再開するか……わからない。そんな状況で寝てなど――いられないんだよ!」
 口が思うように動かせないながらも何とか意志を伝え、そして、その言葉に合わせて気合いを込め、一刀の制止を振り払って再度起き上がろうとする。しかし、僅かに起き上がるだけで彼女の体はすぐに牀へと沈んでしまった。
 そのまま横になり、悔しさに顔をゆがめる白蓮の両肩に一刀がそっと触れた。そして、白蓮の顔を真剣な表情でのぞき込んでくる。
「いいか、白蓮。後のことは俺や詠たちにまかせてくれ」
 穏やかな表情で告げる一刀にどこか不安を覚える白蓮。
 更に食い下がろうと、彼に言葉をかけようとするが無理をして身体を動かし影響か、口元が先程よりも動かせず、言葉を発っすることが出来ない。
 と、その時、誰かが部屋へと入ってきた。
「ちょっと、いい?」
「詠か、どうした?」
 一刀の身体でよく見えないが、声と一刀の様子で現れたのが詠であることがわかる。
 一体どうしたのかと、白蓮は耳をすませ詠の話を聞こうとする。
「……取りあえず外に出ましょう」
「そうか、わかった」
 詠が神妙な声で一刀を促す。恐らく良くないことが起きたのだろう。
 それも、白蓮の耳に入れたくないようなことが。
 そして、一刀もそれを察したのか詠に続いて外へと出て行こうとする。
 白蓮は、その背中に声を掛けたかった。しかし、思うように動かない身体のせいでそれは叶わなかった。それでも彼女は、涙で滲む視界の中でもはっきりと判別できた一刀の背中へ必死に重くなった手を伸ばす。
(一刀! 行かないでくれ! 私を置いていくなぁ!)
 白蓮の叫びは、ただただ、彼女の心中にのみ響き続けるのだった。
 そして、部屋の扉がぱたんという音を発するのと同時に、震える白蓮の手がだらりと下がった――。




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整形版はここからです。


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「無じる真√N18」




 公孫賛軍の拠点を後にした袁紹軍は相も変わらず豪華で尊大な装飾にまみれ、好意的に
見れば威風堂々、悪く見ればのそのそ、といった様子で進軍していた。
 その光景をご機嫌な表情で見つづける袁紹を尻目に彼女から距離を取った顔良がとある
言づてを一人の兵に託していた。
「――それじゃあ、今言った通りに伝えてください」
「かしこまりました。しかと、伝えてまいります」
 兵はそう告げると、すぐさまどこかへと駆けていった。
 その後ろ姿を見送りつつ、顔良はほっと息を吐いた。
「これで、界橋での戦いに一つ手が打てたのかな?」
 そう、彼女は界橋へと向かうのに合わせ伝令を放った。
 そして、それこそ顔良の中でこの戦いの雌雄を決するほどの効力を持つものであると考
えられる隠し手である。彼女自身、その手札に対して多少の不安は残っているが……。
「さて、はやく袁紹様の元へ行かなきゃ」
 無事に伝令が届き、狙い通りになってくれることを願いつつ、顔良は主の元へと向かお
うとした。その時、先程とは別の兵が顔良の元へと駆け寄ってくる。
「が、顔良将軍!」
「どうしました? そんなに慌てて。あれ? あなたは……放っていた斥候ですよね?」
「は、はい。ご報告! 易京を出た公孫賛軍は、現在界橋を超え広宗に陣を張り、体制を
整えたうえでこちらに向かい出陣を開始した模様!」
「!? わかりました……姫にはわたしから伝えておきます。もうさがって結構です」
 そう告げると、兵はすぐさま立ち去ってしまった。顔良はそれを見送ることなく体を翻
し、袁紹の元へと向かった。
 そして、いざ行ってみると、袁紹が相変わらず自らの兵を見て、機嫌を良くし高笑いし
ていた。
「やはり、袁家の精鋭たちというのは進軍する姿も、優雅に華麗に勇ましくなくてはいけ
ませんわ! おーほっほっほ!」
「麗羽さま!」
「あら? どこに行ってらしたの、顔良さん?」
 その質問に答えようかとも思ったが、顔良はそれよりも先に報告すべしと思い。そちら
を優先した。
「そ、それより、大変なんです! こちらと公孫賛軍との進軍速度に僅かながら誤差が生
じちゃったんです!」
「な、なんですってぇー! ……で? それがどうかしましたの?」
 袁紹が空気を読んだのか激しい反応を見せたのだが、顔良の報告の意味はよく分かって
いないようだ。
 そんな主の様子に顔良は思わず、体制を崩して転んでしまう。
「あたた……分かってないなら紛らわしい反応しないでくださいよ!」
 顔良は、したたかに打ち付けた腰を撫でながら袁紹に、文句を言う。
「……別にいいではありませんの。その方が盛り上がりますでしょ?」
「もういいですから、黙って聞いてください」
 何故か開き直った袁紹に、頭を抱えながら顔良は説明を始める。
「本来なら、互いの行軍速度を考えたところ、公孫賛軍と我が軍の接触は界橋で行われる
予定でした」
「ほうほう」
「ですが、こちらの行軍のもたつ……こほんっ、雄大さが予定よりもひど……こほん、こ
ほんっ、素晴らしいために接触する位置が予定よりも手前になったんです」
「なるほど、ということは……どういうことですの?」
 全く意味を理解していない袁紹。もちろん顔良もそうなるのは分かっているので無視し
て説明を続ける。
「えぇ、ですので当初より早めに色々と準備を整えなければならないんです」
「では、そうするとしましょう。全体への指示は任せますわよ」
 顔良は、袁紹のその言葉に勢いよく返事をすると、すぐに全軍への伝令を飛ばした。




 袁紹軍が進軍しつつ、慌てながら準備を整えている頃、一方の公孫賛軍は、当初の予定
地よりも前へと軍を進めていた。
 現在、公孫賛軍は界橋を後にしてから南へ二十里ほど進んだ位置で袁紹軍が来るのを待
ち受けていた。
「まったく……まさか、あそこまで進軍速度が遅いなんて、この賈文和といえども読めな
かったわ! おかげで余計なことをしちゃったじゃない」
 そう、元々彼女が予測していた接触位置に到着しても袁紹軍が現れなかったのは、予定
外だった。
 だが、詠はそれを逆手に取り、多少の前進をすることで相手への精神的圧迫を与えるこ
とで慌てさせる策を選んだのだ。
 そのような余計な策を講じさせられたことで、ぷりぷりと怒っている詠の横で白蓮はう
んざりといった様子で口を開いた。
「はぁ、あいつは昔っからあぁなんだよな……見た目の派手さにこだわって中身が恐ろし
く伴っていないんだ」
「そ、そうか……色々大変だったみたいだな?」
 一刀が慰めるように白蓮へと語りかけてくる。気のせいか、その頬には汗が浮かんでい
るように見える。
 しかし、一刀のその言葉は白蓮の心のとある扉、そこに掛かっている鍵を開錠した。
「……大変だっただと? それですめば良い方だ!」
「ぱ、白蓮? ひぃっ」
 白蓮は、一刀の方を向くとくわっと表情を強張らせる。その表情を見た一刀が僅かに悲
鳴をもらした。
 それに気づくこともなく白蓮は呪詛の言葉のように暗い口調で語り出す。
「いつもそうだ……あいつと一緒になると何故か私ばかりが被害に遭う……他にもいるっ
ていうのに私だけだ……おかしいじゃないか」
 立場上、袁紹と顔を合わすことがあった白蓮。
 そして、そういうときに限って袁紹が何か騒動を引き起こした。そして袁紹によって引
き起こす"事件"に巻き込まれのは決まって白蓮だった。正確には白蓮以外にも巻き込まれ
た者は多くいた。
 だが、最も被害を被るのはいつも白蓮の役目だった。握った拳も自ずと震えている。
 そのことを思いだし、どんよりとしたどす黒い気を纏う白蓮。
「い、いや……それを俺に言われても」
 一刀の戸惑いを含んだ声を聞いて白蓮は正気に戻る。
「すまん、つい昔の事が頭を過ぎってな……」
「……そ、そうか。いや、俺の方こそなんか軽率だった。ごめん」
「何やってるのよ、あんたたち」
 互いに頭を下げ、それに対して詠が呆れを含んだ言葉を投げかけたところに兵が駆け寄
ってきた。
「ご報告! 袁紹軍らしき影が近づいてきています」
「なに! そうか、ようやく来たか……」
 そう言って、前線を見つめる。中軍の賈駆隊、両翼を務める華雄、張遼隊。それよりも
前、趙雲隊……そして、その前にいる前衛隊、そのさらにずっと先、どこまでも広がって
いる地平線の上を多くの影が蠢めいていた。
 そして、それが袁紹軍であるということをその影の所々から突き出ており、風によって
翻り続けている煌びやかな幡旗が強調していた。


 界橋より二十里程南、辺り一面に広大な大地が広がり、そこにあるものといえば、山々
と森、あとはせいぜい河のみ、そんな場所で二つの軍勢がにらみ合っている。
 袁紹軍六万、公孫賛軍四万七千、公孫賛側が兵数でやや劣るものの、ほぼ対等の力を持
った両軍。その光景はある種、壮観なものである。
「袁紹! 義を偽り我らを討たんとするお前の行い、断じて許されぬものと知れ!」
 辺りに白蓮の声が響く。この決戦場についてから、彼女は袁紹を弾劾し続けていた。
「ふぁぁ……で? 伯珪さん、あなたの話はそれで終わりですの?」
 白蓮の話をまともに取り合わず、あくびをしつつ袁紹が尋ねてくる。
 袁紹のあまりの態度に、白蓮の頭がかーっと熱くなる。
「な、嘗めやがって! 袁紹ぉ!」
「落ち着きなさいってば、あんな馬鹿に乗せられてどうするのよ」
 熱くなり、身を乗り出す白蓮を側に控えていた詠が向こうにも聞こえるくらいの声で宥
めてきた。その言葉に袁紹が公孫賛軍全体へもよく届く程の大声を震わせながら反応を返
してきた。
「だ、だぁれが馬鹿ですってぇ!?」
 それを見た詠の口角がつり上がり、にやりとした笑みをその顔に浮かべている。白蓮に
はそう見える。そして、白蓮がそう思うのと同時に詠の口が開かれた。
「あんたに決まってるでしょ。そんなことも分からないから馬鹿だって言ってるのよ!」
「きーっ! 許せませんわ! 覚悟なさい。捕らえた後に嫌と言うほどおしおきしてさし
あげますわ!」
 詠の言葉に袁紹は眉を吊り上げ、真っ赤な顔で両腕を振り上げながら詠へ向けて怒鳴り
散らしている。そのまま、袁紹が冷静さを欠けばと思うがそうもいかない。
 向こうの側近である顔良が袁紹に何事かを言っている。恐らくは宥めていたのだろう。
その効果なのか冷静さを取り戻した袁紹が高笑いをし始めた。
「おーほっほっほ! あやうくしてやられるところでしたわ……ですけど、三公を輩した
名門たる袁家の袁本初は簡単にはつられませんわ!」
 その言葉を聞いて白蓮は、つられたくせによく言う……そう思った。
 だが、彼女は面倒そうなのであえて口にはしなかった。その時、詠が舌打ちをした。挑
発を挑発で返すことによって袁紹を怒らせようとしたが、失敗に終わったというところだ
ろう。
 自らの思考をそう締めくくると、白蓮は袁紹を見つめる。
 見れば、袁紹もまた白蓮へと視線を向けている。しばらく互いに見つめ合い、そして…
…どちらからともなく口を開いた。
「さぁ、袁紹! 問答はここまでだ。私がお前を討つ!」
「ふ、このわたくし、袁本初が覇道の第一歩を踏むための礎にしてさしあげますわ!」
 互いの言葉を皮切りに両軍が動き出す。

 公孫伯珪、袁本初……そして、北郷一刀。彼女たちの運命の歯車が互いにがっちりとか
み合い、今、回り始める。




 公孫賛軍が動き始めるのと同時に袁紹が兵たちへと檄を飛ばす。
「さぁ、袁家の精鋭たるあなたたちの力、とくと見せつけておやりなさい!」
 その言葉に兵たちが大声で応、と返す。
 兵たちの反応を確認した袁紹が顔良へと視線を向け、尋ねごとをしてくる。
「さて、顔良さん。どういった戦い方でいきますのかしら?」 
「はい、幸い我が軍の麹義が公孫賛軍が使うであろう戦法に詳しく、また強いと思われま
す。ですので既に弩兵八百と歩兵千五百を与え、前衛に配してあります」
 この麹義という将は、涼州に長らく住んでいた事があり羌族の戦術に精通していた。
 それ故に、顔良は白馬義縱をはじめとする騎馬隊による戦いを得意とする公孫賛軍との
戦にはもってこいの人材であると考え、今回の冀州争奪戦における前衛の大将として白羽
の矢を立てたのである。
「わかりましたわ。では……優雅に華麗に勇ましく、攻撃開始ですわ!」
 袁紹の号令により、まず前衛の麹義隊が動き始めた。
 公孫賛軍側は、同じく前衛である厳綱の率いる部隊が動き始めている。それを見ながら
顔良は文醜へも指示を出そうとすると、ちょうど向こうからやってきた。
「斗詩、あたいはどうすりゃいいんだ?」
「それじゃあ文ちゃんは、両翼の陣を取るために、わたしと対になるように左右に分かれ
るように位置について」
「あいよっ! 行くぞお前ら」
 そう令を発し、文醜は隊を引き連れて顔良隊とは別の方へと向かっていった。それを見
送った顔良は、中軍を固める指示を袁紹に授け、自らもまた両翼の一つとなるため移動を
開始した。
「それじゃあ、皆さん行きますよ!」
 兵たちは彼女の声に、おう! と答え、その後へと続いていくのだった。
 その後、袁紹は顔良から受けた通りに指示を出し、騎兵、歩兵、弩弓手などを中心とし
てしっかりと揃えるべきものを揃え、着々と中軍の固めにかかった。
 その様子を見て用意の出来たことを察した顔良は、そちらを見るのを止め、すぐさま前
衛の様子へと注意を移した。
 既に前衛の麹義隊は、先へと進みその姿も隊の尾が僅かに見える程度だった。その様子
を見守りながら顔良は、自分の采配が当たっていることを願った。

 そして、前衛同士の戦いの報告が上がった。
 それは、顔良が文醜と共に両翼を担ってから一時辰ほど経過したときのことだった。
「顔良将軍、前衛の麹義が敵軍、厳綱の率いる部隊を退けた模様!」
「わかりました、それで、姫は何と?」
 顔良の言葉に、強張らせている体を一層堅くした兵は大声で袁紹の指示を告げた。
「はっ! 麹義隊に続いて全軍前進、とのお達しです!」
 それを聞いた顔良は分かったという趣の返事をし、兵をさがらせた。そして、すぐさま
隊の兵たちへと号令を飛ばした。
「顔良隊、他の隊と合わせながら前進します!」
 そして、全軍が動き出すのに合わせて顔良の隊もまた動き始めた。




 袁紹軍が進軍するのに合わせ、軍を退いている公孫賛軍では伝令より前衛の戦いの結果
を聞かされた白蓮と軍師である詠は、それぞれの韓綜を漏らす。
「多少、予定より損害があったけど一応、こちらの思惑通りに動いているわね」
「そうか……まぁ、ぎりぎりではあったがなんとか無事のようだし取りあえずは良し、と
いったところか」
 詠の言葉に頷きながら、白蓮は先程の光景を思い出す。
 厳綱隊が袁紹軍を引きつけるため、弓騎兵を中心として必要以上に強気な攻め込みを行
ったのだが、対する敵将、麹義が予想以上に騎兵への対処が上手く、覚悟していた消耗の
量を超え、危うく厳綱自身までもが討たれかけることとなった。
 そんな中から、数名の兵を引き連れて戻ってきた厳綱はあちこちに傷を追った状態、そ
のうえ、たった一時辰動いただけとは思えないほどに疲弊していた。
 白蓮にとって、厳綱というのは思い入れの強い武将でもある。彼女にとって厳綱は長い
付き合いのある臣下である。
 厳綱がなんとか戻ってきた際に安堵の息を白蓮が漏らしたことが、それを如実に物語っ
ていると言えるだろう。
 そのような想いから厳綱の無事に安堵した白蓮は、すぐに次の指示を出す。
「よし、追ってくる敵の前衛、麹義の隊を崩す。趙雲隊は前へ!」
 その言葉に従い、星の率いる騎馬隊が後退している前衛へと入れ替わるように前へと進
み出る。
「我が趙雲隊の兵たちよ。敵へ一撃を与えてはさがり、また一撃を与えるということを忘
れるな! 我らがすべきは敵の殲滅にあらず! ただ、敵の気を引きつけるという一点に
のみその力を注ぐのだ!」
 星がそう言い、兵もまた声を上げてそれに反応した。
 そして、趙雲隊は前へと駆けていく。

 前衛へと出てからの趙雲隊の動きは、まさに目覚ましいものだった。
 "神速"率いる騎兵、騎馬による張遼隊には及ばぬものの、風のごとき速さで敵の前衛へ
と一撃を与えてはさがり、その動きも一歩前進二歩後退といった様子でしかと相手の前衛
を引きずり出し、それに続かせるように袁紹軍全体を進行させるという詠の策に則った文
句のない働きぶりだった。
 そんなやり取りの中、袁紹側の前衛、麹義が星によって退けられると、今度は二枚看板
の顔良、文醜が前へと出てくる。
 これには趙雲隊のみではかなわないとみた白蓮は、華雄隊を救援に向かわせることにし
た。そして前線での戦いは、文醜に華雄、顔良に星、といった構図となった。
 二将軍に対して、星と華雄をぶつけた甲斐あってか、被害もそこそこに公孫賛軍は界橋
を無事に超え、そのまま袁紹軍の消耗を計りつつ、易京へと退くという当初の目的の達成
が見えてきたところでそれは起きた。
 突然、周辺の状況を監視させていた兵が報告に来たのだ。
「な、何やら袁紹軍の東方より砂塵! 何かがこちらへ向け進んできている模様!」
「砂塵、敵の伏兵か!?」
「わ、わかりません!」
 その時、左翼の部隊が何かに気づいたのかわぁっと声を上げた。それに驚いた白蓮は何
事か知るためすぐに使いを出した。
 そして、戻ってきた使いの述べた言葉は白蓮を絶句させる。
「た、大変です! せまってきているのは大軍のようです。しかも、彼らが掲げるは深紅
の旗。呂の一文字……呂布です!」
「な、何だと!?」
「う、嘘! 恋……いえ、呂布の軍が……この戦いに?」
 予想外の出来事に詠ですら驚愕の表情を浮かべている。
 普段冷静な詠ですら動揺しているのだ、他の兵たちに関しては推して知るべし。全軍、
多いに乱れていた。
 何よりも一同が動揺しているのは、呂布軍の狙いが分からないためである。
 自分たち側につくのか、はたまた袁紹側か……それとも、漁夫の利を狙うのか。
 だが、白蓮には何となくわかる。呂布軍の進路上にいるのは自分たちである。故に狙わ
れているのはこちら側である、と。
「馬鹿な……呂布軍は下邳にいるはずなんじゃ……くそっ、これはまずいな」
 白蓮は呟きながら一刀の方をちらりと見やる。その顔には他の者たち程ではないが驚い
ている様子を見せ、すぐに何やら考え込んだ。
 白蓮は、その様子から呂布軍の乱入は一刀すらも予想していなかったであろう出来事な
のだということを把握した。
 そして、彼女の考えがその結果に至った時、白蓮は思った。これは天の啓示なのかもし
れないと。未来の事を知っていたように思えた一刀ですら知り得なかった出来事。これは、
天が一刀の存在を残そうとしているのではないかと、すなわち、公孫賛軍の破滅を望んで
いるのではないかと……。
 そして、ここで呂布軍によって討たれる方が自分にとっては望ましいのではと思ってし
まう。白蓮はそれほどまでに一刀の……愛する者の無事を望んでしまう。
 だが、すぐにはっとなり、首を左右にふる。先程、自分は厳綱の無事を喜んだはず。な
のに一刀一人のために厳綱をはじめとする忠臣たちを見殺しにするのか……そう自分に尋
ね、そんなことはしない、一刀も望まないと思い直し、すぐに声を上げた。
「えぇい、静まれ! 呂布軍との距離は未だ離れている。呂布軍がこちらへ攻め寄せた場
合のことを考え、張遼隊は左翼につけ! そして、奴らの動きに気を配りつつ、僅かに速
度を上げながらも予定通りに動く!」
 その叫びに兵たちの動揺が僅かに抑まっていく。そして徐々に統制がとれていった。

 その様子にほっと安堵の息を吐きつつ、白蓮は袁紹軍を見やる。そして、思わず呟く。
「随分とやってくれるじゃないか……袁紹」
 偶然にもそれは詠の呟きと重なっていた。




 呂布軍がその姿を見せ始めた頃、袁紹軍側でも僅かにあちこちで動揺が起こっていた。
正確には、一般兵たちの間で、ではあるが。
 そんな動揺を抑えるため顔良から話を聞いていた文醜が声を上げる。
「狼狽えるんじゃない! あれは、あたいらの味方だ! 恐れる必要なんかないんだから
な! って、うわぁ、華雄、おまっ!」
「ふん、隙を作る方が悪いのだ! はぁっ!」
 華雄に苦戦しつつ文醜が周辺の兵たちへ告げた言葉に、兵たちは誰が見てもわかるほど
に安堵していた。そして、同時に士気が上がったと顔良は確信した。
「みんな、勝機はわたしたちの方にあります! 今こそ、精一杯の力を出して公孫賛軍を
押し込んで!」
 その言葉に続くように兵たちの怒声が響き渡る。そして、袁紹軍の士気は最高潮となっ
た。その勢いは、激流のごとき勢い。これを逃す手はない、顔良はそう判断すると目の前
の強敵から距離を置く。
「む、どうした? 顔良よ、逃げようというのか?」
 急に離れたことに疑問を感じたのか、星が眉間にしわを寄せて尋ねてくる。
「いえ、気合いを入れ直したいだけですよ」
 そう言って、顔良は金光鉄槌を構える。だが、それはあくまで見せかけ。
 そんなに積極的に戦闘をするつもりはない。相手の力量を把握しているから……という
のもあるが、その理由の多くは別のところにある。
 現在、袁紹軍の兵たちは予想外の援軍の登場に士気が上がり、それぞれが常時以上の力
を発揮して公孫賛軍の兵を押している。
 軍の勢いがある。ならば、自分はどうすべきか? 顔良はそれを心得ている。すくなく
とも、この戦いにおいて一般の兵同士ならばそこまでの差はない。むしろ、勝敗の分かれ
目は気力の問題が大きい。そんな彼女の考え、その正否に関しては、現状を見れば一目瞭
然である。
 だが、そこに常山の昇り龍と名高い趙雲が紛れ、乱戦になるようなことがあれば明らか
にこちらが押される。そうならないためにも、より長時間、目の前の強大な敵を引きつけ
る必要があるのだ。
 もう一人の引きつけるべき相手である華雄は文醜が抑えている。まず間違いなく文醜本
人はそんな気など毛頭無いのだろうが。
「ふはははは、これほど血がたぎるのは久しいものだ!」
「そりゃ、奇遇だな。あたいも久しぶりに燃えてるぜぇ!」
 華雄の金剛爆斧と文醜の斬山刀が幾度となくぶつかり合い、火花を散らしている。
 案の定、周囲の状況など気にしていない。
 どうやら戦馬鹿……もとい、腕に自信を持つ者同士波長があっているようで先程から二
人の世界に入っている。
 そして、それが結果として自分の狙いを上手く手伝ってくれているのだから顔良にとっ
ては有り難いことである。
 そう思いながら、二人から目を離すと顔良は視線を目の前の武人へと向けた。
「さて、もうよろしいか?」
「えぇ、いきます!」
 そう宣言して大地を蹴り飛ばしながら背に構えていた金光鉄槌を振り下ろす。その一撃
が紙一重のところでよけられる。動きを止めず、そのまま振り下ろす。すると、叩きつけ
たところを中心に地響きを起こる。
 それを見た星が話しかけてくる。
「先程から思っていたのだが……中々に凶悪な獲物ではないか」
「そうですか? あ、でも結構重いんですよねこれ。だから、やっぱり凶悪なのかもしれ
ないですね」
 どうでもいいことを口にしながら、顔良は間合いを計る。そうしながら、周囲をちらり
と見る。
「うぉぉぉ!」
「ぐぁぁ!」
「行け! 俺たちの勝利は目の前だ!」
「く、無闇に戦う必要は無い。退け! 退け!」
 公孫賛軍の兵が一目散に退いていく。そして、今一度星へと視線を戻すと。
「趙将軍、後退しますので将軍も、お早く!」
「ふ、仕方あるまい。顔良! 勝負は預ける! では」
 そう言うと、彼女は呼びに来た兵を連れ、同様に退いている華雄と合流して後退してい
った。それを見た顔良は慌てて兵たちに号令を出す。
「ここで敵を討たなければ、勝機を逃します! 追撃を!」
「おぉぉぉう!」
 何重にも重なった兵たちの声が辺り一面へと響き渡る。そして、顔良、文醜両隊は速度
を上げて追撃に入った。
 そのまま前へと視線を向けると、呂布軍が公孫賛軍の横合いへ近づきつつあった。 




 趙雲隊、華雄隊を後退させた頃、公孫賛軍の混乱は収まっていた。だが、動揺は未だに
残っていた。そこで、詠はやむを得ず後退の意思を白蓮に伝えた。
「まずいわね……兵の心に動揺がのこったままじゃ上手く立ち回れない。ここは、一気に
退いた方がいいわ」
「そこまでまずいのか?」
「えぇ、星、華雄や霞なんかは動揺はあってもすぐに自分を取り戻せると思うわ。でも、
他の兵は無理よ。間違いなく士気が下がってるわ」
 不安げに聞き返してくる白蓮に詠は、はっきりとした口調で告げた。
「少し早いけど、易京に立て籠もるべきよ」
「そうだな、元々狙いは向こうの兵糧が尽きることだったんだから無駄に損害を被る必要
もないか。よし、全軍全速力で易京まで退くぞ!」
 その言葉に全軍は身を翻し、全速力で易京へと向かって駆けだした。その時、大地を駆
ける蹄の音が聞こえてくる。
 それは、深紅の呂旗を掲げる呂布軍だった。既に、その先頭にいる呂布の姿がはっきり
と見える程に近づかれていた。
「ちぃ、もうあんなところまで来てるのか!」
 苛立たしげに舌打ちをする白蓮。
 と、その時、後方からも近づいてくる音が聞こえそちらを伺う。
「よもや、呂布とは……一体何故?」
「呂布だと? よかろう、この私が!」
 それは、後退してきた趙雲、華雄の両部隊だった。そのことに白蓮がほっと息をついて
いると、横にいた詠が華雄にどなりちらす。
「よかろう、じゃないわよこの馬鹿! あんた、その単純思考は水関での経験で直った
んじゃなかったの?」
「はっはっは、そう簡単に直るものか。それに、これは武人たるものにとっては生来のも
のなのだ! 直しようなど無い!」
 そう叫び、何故かふんぞり返る華雄。そんな彼女を睨むように見ていた詠はため息を吐
いた。
「……もう、嫌」
 がっくりと肩を落としている詠の姿に白蓮が苦笑する。
 その時、気がついた。一刀が先程から黙り込み言葉を発していない。そのことが気にな
り視線を向ける。
「やっぱり……俺が……」
 顔を俯かせ、未だに何かを考え込んでいる。その口から漏れる呟きは風によって掻き消
されよく聞こえない。
「どうしたんだ――」
「ぎゃぁぁあ」
 一刀に何を考えているのか尋ねようと白蓮が口を開くのと同時に悲鳴が響いた。その元
は、先程、呂布軍を警戒するため左翼へと移した張遼隊からだった。
 そちらへ視線を向けると、呂布軍の先頭の一部が張遼隊の後部に接触し、兵を斬りつけ
ていた。
「まずい、弩騎隊、張遼隊の援護をしろ!」
 その言葉に従い、弩騎隊が一斉射撃を行う。その矢が次々と呂布軍の兵を捉えていく。
 それを切欠に呂布軍の兵が引き下がり、全体の勢いが落ちていく。
 だが、その中でただ一人、弩騎隊が放った矢をはじき飛ばし突き進まんとする者がいた。
 それこそ、かの飛将軍と称された呂布であった。その赤髪を振り乱し、まるで飛んでく
る矢など気にならないかのごとき無表情で突き進んでくる。その姿は、まさに戦うために
生まれたきたのではと思わせるほどに猛々しかった。
 そんな呂布の前に一つの影が飛び出した。そして、その影が放つ素早い一撃に呂布の動
きが止まる。
「……! 霞?」
 その影の正体は霞だった。そのことに呂布もまた驚いている。
「悪いな……恋」
 そう告げると、霞は更に一撃を放つ。それに対して呂布が身構えるが、霞の狙いは違っ
た。呂布の乗る馬への一撃、それによって馬が悶え、呂布はそれを宥めるので精一杯とな
る。そして、その隙に霞を中心に張遼隊が速度を上げた。
 その後、霞の働きの甲斐もあり、なんとか被害もそこそこに易京へと逃げ込むことに成
功したのだった。

 そして、易京へと逃げ込んだ公孫賛軍はすぐさま軍議を開いた。
 袁紹軍は、どうやら呂布軍と合流するらしく城の側に陣を張りはじめ、攻撃の手を休め
ていた。
 その僅かに出来た時間を無駄にするわけにもいかず、公孫賛軍は軍議をすることにした
のである。
「さて、予想外にも呂布軍まで攻め込んできた。この現状をどうするか……だが」
 そう言いながら、場を一通り見渡すがどの顔も優れていない。
 さて、どうしたものかと、白蓮も口を閉じて考え始めようとすると、
「あ、あの……」
 一人の文官が声を上げた。
「ん? 何だ、行ってみろ」
「は、では恐れながら……我々も援軍を呼びましょう」
「? どういうことだ?」
 その文官の発言に、眉をひそませる白蓮。
「確か……北郷様や趙雲殿、それに殿自身も劉備殿と懇意でしたな」
「まさか!」
 文官の言わんとすることを予測し、目を見開く白蓮。
「そうです。今すぐにでも、お三方と知古である劉備殿に応援の要請をすべきです」
 文官の言葉を聞いた瞬間に思わず白蓮は大声を張り上げた。
「駄目だ! それは認めん!」
「何故ですか!?」
 白蓮の熱気に当てられたのか文官もまた熱くなる。
「あいつだって、やるべきことをやってぎりぎり国を治めてるにすぎない。それに、あい
つのところは武に関しては関羽、張飛の二人くらいしか他国と張り合える奴がいない。そ
んな状態でこちらの戦いに来てみろ。袁紹の動きを察知したどっかの国に……喰われる」
「……」
 そこで、白蓮はふっと笑みを浮かべる。哀しげな笑みを……。
「あいつはお人好しだからな……きっと助けを求めたら飛んでくるだろう」
 そこまで告げたところで、白蓮はその表情と気を引きしめた。その姿は、普段とは違い
まこと凛々しいものである。
「だがな……それであいつの身に、そしてあいつの唱える夢、その夢を信じ集まった者た
ちに何かあれば、この公孫伯珪の誇りと魂に傷が付くんだよ!!」
 白蓮の叫びによって場はしん、と静まりかえった。口論していた文官すらも口を閉じか
けている。しかし、文官も譲れないのだろう、口を開く。
「で、ですが……」
「そこまでにしておいたほうがいいよ……白蓮が己の誇りを掛けてまで断る以上、覆すこ
とはできないさ」
 食い下がろうとする文官の言葉を遮るように一刀が制止した。
「北郷殿……」
 文官も君主と天の御使い、二つの高位とされる存在に止められては、諦めざるを得なか
ったのか、しぶしぶと下がった。
 それに対し、すまないと告げると一刀は全体へと向き直った。
「大丈夫、白蓮も国もみんな、なんとか守ってみせる」
「一刀……」
 力強い一刀の姿、そして瞳に、白蓮の背筋が思わず震えた。
(こいつは、何で時折、あんなに強い目をするんだ……)
「そうや、ウチらだっておるんやから大丈夫やって!」
 霞は、場の空気を少しでも変えようと出来るだけ明るい様子で一刀に同意する。
「うむ、董たっ!? おほん、……月様の居場所を守る。それがこの華雄の使命! 故にこ
こを守ってみせようではないか」
 さらに、華雄が力強く叫ぶ。さりげなく一刀に視線が行ってるのは彼も守るということ
なのだろうか? そう思っていると、今度は別の方から声が上がる。
「まぁ、ボクだって月の涙なんてもう見たくないからね……今度こそ、守るわ」
 言い終わると、詠はめがねの縁を指で押し上げた。その奥の瞳には彼女の決意がにじみ
出ているように感じた。ぽそりと、お人好しなあんたたちのためにも……と付け加えてい
ることに思わず笑みがこぼれそうになる。素直じゃないところが、詠らしいな、と白蓮は
思う。そして、他の面々も詠と同じ考えを持っているだろうとも思った。
 そして、それは口にせずともこの場にいる誰もが理解していることであると白蓮は信じ
ている。
 彼女たちのやり取りのおかげか、場にいる面々の表情が明るくなり、それを見計らった
一刀が声を上げた。
「よし!それじゃあ、さっそく軍議の続きといこうか!」
 その声を耳にしながら、白蓮は思った。良い仲間に巡り会えたと。
「……ん? 白れ……、白蓮!」
 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえるが、頭がぼぉっとして上手く聞き取れない。どうしたの
だろうか、などと思いながら白蓮の意識は暗闇の中へと落ちていった。




「……ん」
 目を覚ました白蓮が目にしたのは天井だった。
 何故、こんなところに? と思っていると、すぐ側で誰かの話し声が聞こえてきた。
 そこで彼女は思い出した、軍議をしていたことを。そして、自分はその最中に倒れたと
いうことにもようやく気がついた。
 これはまずい、と白蓮は体を起こそうとする。だが、何故か体が普段の何倍にも重く感
じられ、起こすことが出来ない。
 体を起こすのを諦め、改めて周りを見渡すとどうやら城の一室であることがわかった。
 そして、部屋の隅で救護兵と誰かが話しているのが朧気ながらも見える。
「恐らくは、疲労によるものでしょう。どうやら、この戦によるもの以外の疲労も蓄積さ
れていたようですな」
「まぁ、普段から忙しかったからな……その疲れもあるのかもしれないな」
「えぇ、それと、どうやら長いこと寝不足だったようですね」
 その言葉には心当たりがあった、一刀の一見以来まともに睡眠をとった覚えが無かった
のだ。白蓮は悔やんだ。よもや、それがこのような形で自分に影響を及ぼすとは思ってい
なかったからだ。
「か……一刀」
 思ったよりも声が出ないことに驚きながらも、何とか一刀を呼ぶ。
「ん? 起きたのか、白蓮」
 白蓮に気づいた一刀が、近寄り、現在の状況を軽く説明を口にした。
「どうやら、ちょっと体を体調を崩したみたいだな。まぁ、そういう訳だから白蓮はここ
で休んでてくれってことだ」
「……く……そぉ」
 白蓮は、自らのあまりの不甲斐なさに舌打ちをしようとした。しかし、力が入らずそれ
すらも叶わなかった。
 そんな弱々しい状態にありながらも体を起こそうとする白蓮。しかし、一刀にすぐさま
制された。 
「取りあえず、落ち着け白蓮……」
「……え、袁紹が……いつ攻撃を再開するか……わからない。そんな状況で寝てなど――
いられないんだよ!」
 口が思うように動かせないながらも何とか意志を伝え、そして、その言葉に合わせて気
合いを込め、一刀の制止を振り払って再度起き上がろうとする。しかし、僅かに起き上が
るだけで彼女の体はすぐに牀へと沈んでしまった。
 そのまま横になり、悔しさに顔をゆがめる白蓮の両肩に一刀がそっと触れた。そして、
白蓮の顔を真剣な表情でのぞき込んでくる。
「いいか、白蓮。後のことは俺や詠たちにまかせてくれ」
 穏やかな表情で告げる一刀にどこか不安を覚える白蓮。
 更に食い下がろうと、彼に言葉をかけようとするが無理をして身体を動かし影響か、口
元が先程よりも動かせず、言葉を発っすることが出来ない。
 と、その時、誰かが部屋へと入ってきた。
「ちょっと、いい?」
「詠か、どうした?」
 一刀の身体でよく見えないが、声と一刀の様子で現れたのが詠であることがわかる。
 一体どうしたのかと、白蓮は耳をすませ詠の話を聞こうとする。
「……取りあえず外に出ましょう」
「そうか、わかった」
 詠が神妙な声で一刀を促す。恐らく良くないことが起きたのだろう。
 それも、白蓮の耳に入れたくないようなことが。
 そして、一刀もそれを察したのか詠に続いて外へと出て行こうとする。
 白蓮は、その背中に声を掛けたかった。しかし、思うように動かない身体のせいでそれ
は叶わなかった。それでも彼女は、涙で滲む視界の中でもはっきりと判別できた一刀の背
中へ必死に重くなった手を伸ばす。
(一刀! 行かないでくれ! 私を置いていくなぁ!)
 白蓮の叫びは、ただただ、彼女の心中にのみ響き続けるのだった。
 そして、部屋の扉がぱたんという音を発するのと同時に、震える白蓮の手がだらりと下
がった――。

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