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616 名前:清涼剤[sage] 投稿日:2009/05/10(日) 23:44:15 ID:qGs07Kod0
突然で申し訳ありませんが告知をさせて頂きます。

無じる真√N-11話 反董卓連合編その一
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(あらすじ)

黄巾の乱が収まってから数刻たったある日。
一つの檄文が諸侯たちへ送られた。
『暴君、董卓討つべし』その声の元に連合を結成しようというもの
だった。
それを機に一人の少年――北郷一刀は動き出す。

"とある少女たち"を救うために。

今回より、反董卓連合編開始!!
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(この物語について)
・一刀の能力が微妙に高く感じられる可能性があります。
・原作と呼称が異なるキャラが存在します。

(注意)
・今回より、いわゆる"神視点"というやつで書いています。
・過度な期待などはせずに見てやって下さい。
・未熟故、多少変なところがあるかもしれません。
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URL:http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0536
長々と失礼しました。



 「無じる真√N11」




 ―――三人の少女は荒野を駆けていた。その周囲には屈強な男たちが彼女たちを覆うように円陣を組むかのようにして走っている。

 男たちの壁、その中心にいる少女たちは、訳あって現状のようなことになっていた。一人の少女がちらりと後方を盗み見る。粉塵をまき散らしながら迫りくる軍勢が見え、少女の顔から血の気が引く。
「ど、どうしよう?」
 後方を見ていた少女の傍で、三人の中で一番背が高く、胸も劣らず大きい少女が震える声でそう誰にともなく訊ねる。
 その胸の大きな少女は、程よい肉付きによって男にとって魅惑的に見える体つき同様に柔らかさを感じさせる雰囲気を崩すことのないまま狼狽するという器用な真似をしてみせる。
 それに伴って長くさらさらとしている鴇色の髪を空気の抵抗によって乱れる。
 慌てる胸の大きな少女に対して、左側頭部で一纏めにしている秘色色の髪を走る振動で揺らしている小柄な少女が睨むようにして――とはいっても彼女は、生来強気なところがあり、それが溢れるかのごとき目つきをしているのだが――目の端を吊り上げ、口を開く。
「どうしようって言ったって……そんなの、どうしようもないじゃない!」
「流石に、もう諦めるしかないかも……」
 二人の少女のやり取りを横目に、先ほどからちらちらと後方の様子を探っていた少女は、激しい動きによって眼鏡がずれないよう抑えつつ、短く切り揃えられた前髪を指で払う。
 そして、自分だけでも落ち着かなくてはと、走っているがために乱れる息を可能な限り抑え、何とか心を落ち着ける。
 それでも、ため息だけは止めることができず口から漏れる。そして、ふと考える……。
(あれから、どれくらい逃げ続けてるんだろう……)
 彼女たちがここ、兗州に広がる大地を駆け続けるはめになったのは少し前のことだった。
 この大陸で起こったとある騒乱、その中心にたまたまいたのが、この三人の少女たちだった。
 それは、かの"黄巾の乱"である。もちろん三人にはそんな動乱なんて望んではいなかったのだが……そして、その暴動は留まるところを知らず大陸を飲み込まんばかりの壮大な戦争へと発展していった。
 その結果、彼女たち三人は現在追いかけられることになった。
(それもこれも……あの本のせいだったのよね……)
 熱の籠もった吐息で曇りかける眼鏡を拭いながら少女は事の発端を思い出す。
 それは、ある公演の後に出会った一人のファンとの出会いが原因だった――。

 †

 ――舞台上で踊り、唄う三人。曲は既に導入部を終え、つなぎの部分へと入り観客たちの様子も大分火照りを露わにしてきている。
 そうして会場を包む熱気が肌にまとわりつき、少女の肌を汗がほとばしり撥ねる短い前髪とともに飛び散る。同時に小柄な全身の筋肉が熱く燃えさかり、身体を構成する全ての組織を高みへと導いていく。
 それらが、彼女に……いや、彼女も含めた三人に生きている実感を与えてくれていた。
「てーんほーちゃーん!」 
 そう呼ばれた少女が反応するようにしてその場で飛び跳ねる。その反動で大きめの胸も弾む。男たちの歓声が一層大きくなる。それに対して秘色色をした髪の少女が一瞬だけ、それこそ観客席にいる者たちにも曲を弾く者にも分からないほどに僅かに眉を顰めすぐに満面の笑みで会場を見つめる。
 その意味を察知したかのように先ほどとは別の方向から声が響き渡る。
「ちーほーちゃーん!」
 それに対して、小柄な少女は精一杯手を振る。それが演技か本気かは誰にもわからない。いや、舞台上でのことはいつも本気なのだから嘘ではないだろう。
 と、そんなことを熱いからだとは別に冷静さを保つ頭で考えていると、
「れーんほーちゃーん!」
 少女も踊りによってずれる眼鏡を直しながら返事をする。三種類にわかれていた歓声が一つになる。
「ほあっ! ほあああああぁぁぁぁああああ! ほあほあほあ! ほあぁぁああーっ!」
 少女たち……役萬姉妹という名で売り出している旅芸人である三人の少女たちはその声を切欠に曲の最大の盛り上がりへと観客を引き込んでいく。
 頭の中がはじける。景色が輝く。汗の一滴一滴が宝石のごとく煌めき流星のごとく飛び交う。少女たちの深紅に火照ったからだが会場の熱量を表す計測器のようだ。
 そして……ついに、会場の者たちは一つとなり、曲の最終部へと駆け抜けていく。
 この瞬間が、まるで一輪の花が満開を迎えたようなこの時間が少女は好きだった。会場にあつまった一つの集団という蕾が花開いたこの瞬間が最高に美しく、素敵なのだ。
 必死に口から声を絞り出す。観客の波から押し寄せられる力強さ、それに負けぬよう……いや、圧倒してやると言わんばかりに全力を振り絞る。
 そして、ついに曲が終わりを迎える。
 会場を余韻が包み込む。ざわめき……そして、静寂へと繋がるこの瞬間は達成感が少女たちの胸を占めている。
「うぉぉぉおお! ほあっ! ほぁぁぁぁああああ!」
 静かな時間の終了を告げるように観客の叫びが木霊する。
「ほぁ、ほ、ほっ、ほぁ、ほぁぁぁぁあああああ!」
 感動したことが伝わってくる彼らの声を眼鏡越しに受け取る。他の二人も、それは同様で気持ち良さそうに笑顔で受けている。
 そうして、その日の公演も無事成功を収めた。
 それから後片付けを始めたころだった。毎回公礼となる応援者との触れあいの場で、贈り物として一冊の書を貰った。
 それを見た瞬間、眼鏡の少女……人和――姓名を張梁という――は目を見開いた。
 何故ならば、そこにはあまりにも人知を超越した知恵などが多く記されていたのだ。そう、その『太平洋術の書』という一つの古ぼけた竹簡に……。
「これを使えば、大陸一の歌い手になることも可能かも……」
 その呟きが、既に緊張状態になっていた弓の弦を解き放ってしまったのだろう。
 残りの少女たち……張梁の二人の姉、張角と張宝もその張梁の言葉を聞いて乗り気になってしまい、後はなし崩し的に信者が増大していき大陸中へと広がり、終いには暴れるような者が出るまでに至ってしまったのだ。
 正直、その時の張梁はとてつもないほどの大事になるとは思っていなかった。いや、もしかしたらわかっていたのかもしれない。ただ、それを自分で気づかないふりをしていたのか……いや、むしろそこまで考える余裕など彼女にはなかった。
 何故ならば、張梁は二人の姉と一緒に旅芸人として歌を生業としていたが、当時はまだ多少燻っていた……そして、不満を覚えたりもしていた。だが、それでもそこそこ充実した日々を過ごしていたのもまた確かだった。そう、張梁は満足とはいかなくとも当時の生活もまたよしとしていたのだ。
 だが、更なる先へと進む方法の記された道しるべを見つけてしまった……だから、張梁は……いや、三姉妹はその書を使用することを選んでしまったのだ。
 それからのことはまるで夢のようだった。現実ではあり得ないような速さで三姉妹は売れっ子となり大陸一への道を駆け足で上っていた。
 それはまさに瞬く間。人気を集めた彼女たちには、ほとんど信者と言っても良いほどの応援者たちまでもが存在し始めていた。そして、いつしか、どこへ行ってもそういった連中ができるようになった。
 三人は最高の状態だった。
 だった……のだが、そんな絶頂期もすぐに終わってしまった。いつの間にか応援者たちが目印として使っていた黄色い布から黄巾党という名前を名乗り始め、三姉妹への献上品を用意しようと村々などへと押し入り暴れ回り略奪を始めたのだ。
 そして、それは更に悪化していき……終いには三姉妹とは関係のない理由で暴れ回る者たちまでもが現れ始めてしまった。
 そのまま留まるところを知らない黄巾党という名の暴走集団は一つの乱を起こし、朝廷に目を付けられ各地の諸侯たちの手によって討伐されることになったのだ――。

 †

 それが張梁たちの知る俗に言う"黄巾の乱"の真実だった。
 それでも良い生活を送ることができていたのには間違いなかった。だから、三姉妹はそれらを放っておいた。そのツケが回った結果が現状なのだ……なんとも愚かな話としか言いようがない。張梁は思わず肩を落とした。
 伏せ気味の眼で周囲を見てみる。なにやら周囲の男たちが互いに顔を見合わせて頷いている。
 そして、何かを決めたらしく大きく息をすって気合いを込めるかのようにグッと拳を握りしめると、一人の男が口を開いた。
「我々が食い止めます! その内にお逃げください!」
 告げられた言葉、それに続かんとばかりに残りの男たちも怒号を上げる。
 そんな男たちに申し訳なさそうに見回して、鴇色の長髪を風に漂わせている長女――張角が涙を浮かべる。
「みんな……ごめんね。それと、ありがとう」
「天和ちゃんの為だ!野郎ども覚悟しろ!」
 張角の悔恨の思いで満ちあふれた顔を見た一人の男が更に声を上げた。
 その声に応えるように一部の男たちを中心にして喚声が上がり始めた。
 その一方では、次女の張宝が左側頭部で揺れる纏められた秘色髪を抑えながら男たちへと弱々しく手を振っている。
「ホントーにありがとーね、みんなぁ!」
 すると、今度は別の男が「地和ちゃんに、その命捧げやがれ!」と腹の底から声を張った。
 それに反応するように先ほどとは違う集団が中心となって叫ぶ。
 ならば、自分もと次女の張宝とそう変わらない小柄な体躯をした末女……張梁が眼鏡をついとあげて目尻を拭うようにして嗚咽混じりの感謝の言葉を口にした。
「みんな……ありが……とね」
 それに反応し、またもや別の一人の男が声を上げる。
「いよぉっしゃあ! 野郎ども! 人和ちゃんの為、絶対奴らを食い止めるぞ!」
 先ほど雄叫びを上げた二つの集団とはまた別の一角を中心として三度目の雄叫びが上がる。
「ほあっ! ほあああああ! ほあほあほあ! ほあーっ!」
 いつも舞台の応援で使われるかけ声を唱和して、男たちが自分たちの方へと向かってくる軍勢の方を振り返った。
 そして、壁のようにずらりと並び直すようにして立ちふさがった。
 その背後で男たちの隙間から向こうの様子を窺ってみる。
 後から迫り来る部隊。その先頭で、彼らを率いている武将には見覚えがある。
 ここから、そこそこ離れた位置にあった三姉妹の活動拠点を襲撃してきた武将だ。腰よりも下へと伸びているのではと思えるほどに長い黒髪を全て後方へと流し、額を露わとしていてその部分が非常に目立っている曹操軍の女武将だ。
 その女武将が壁となる男たちを見て愉快そうに笑い声を上げた。
「はっはっは! ふむ……貴様らなかなか良い眼をしているではないか……望み通り、全力で揉んでやろう!」
 討伐隊の将、曹操軍きっての猛者と謳われる夏侯惇が発したその叫びと大呼しながら敵へと迫らんとする男たちの大地を駆ける音を最後に少女たちはその場を後にした。

 †

 ……はぁ
 ……はぁ……はぁ
 ……はぁ……はぁはぁ……はぁはぁはぁ
 もうまともな呼吸なんて忘れてしまった。ただただ、酸素が欲しい。二酸化炭素を肺から追い出してしまいたい。そのことしか考えられない。
 壁となった男たちのもとから離れた後も三姉妹は走り続けていた。一度たりとも止まることもなく……。実際には、もう足を動かしたくない、と何度も思った。大地に倒れ込んでしまいたいと。
 だが、その度に頭に浮かぶ言葉――今、止まってしまったら待っているのは"死"だけ――がそれを許さなかった。
 張梁は、そんな考えに支配されてしまいそうな心を誤魔化すように両腕、両足をひたすらに振り続け、走り続けていた。
 死に直面しているからか、普段行っている"生業"の副産物によるものなのか、彼女たちは意外と長い間、多くの距離を走ることができていた。
 だが、そう思っていたのも走り始めてからの僅かな間だけでしかなかった――もっとも、実際にはどの程度の間かなどということなど、わからないが――だった。
 走り続けていくにつれ少女たちの呼吸もさすが徐々に乱れを増し始めていた。
 張梁は張り裂けそうになる胸を手で押さえることもできないほどに疲弊していた。そんなことよりも肺へ少しでも多くの……沢山の酸素を送り込みたい、そんなことだけを考え、何度もなんども繰り返すように息を吸い込む。
 呼吸が辛くなる一方で、そのか細い両腕、両脚が重しを付けたかのように徐々に動かしにくくなってきていた。それこそ、もはや張梁の意思など関係なく、腕と足は共に彼女自身のいうことを聞くことすら放棄してしまっている。
 どうやら、姉の張角、張宝も同様だったらしくふらふらとおぼつかない足取りになっている。
「も、もう……もう、だめぇ〜」
 ついには目尻を下げ、息も絶え絶えなままに弱音を吐く張角。それに対して張宝が柳眉を逆立たせる。
「ちょ、ちょっと、天和姉さん! もう……しっかり……してよ」
「そ、そういう……地和姉さんも……苦しそう、よ」
 張梁の指摘通り、長女を奮い立たせようとしている張宝もまた息が上がっている。いや、正直に言えば張梁も……もとい、三人とも限界を迎えているのだ。
 三人は唄を歌う旅芸人であり、普段から踊ったりと体を動かすような仕事をこなしてはいる。とはいえ、こんなにも長時間に渡って走り続けるような事は滅多に、どころか殆どなかった。
 その為、長距離を走り続けてきた三人は共に体力が底を突いていた。それだけでない、体の筋組織なども限界を迎えている。
 とうとう三人は大地にへたり込んでしまった。
「も……もう駄目」
「わ、わたしも……」
 張角、張宝が続くようにぐったりと項垂れる。その髪から雫がぽたりと落ちる。
「ふ、二人とも……ここで止まったら……」
 張梁は、肩口で切りそろえてある後ろ髪が汗を吸い取りその浅紫色を一際煌めかせながら肌へとぴっちりと張り付いているのも気にも留めずに二人へと何か声を掛けようとするが、口からは荒い息が漏れ出るだけだった。
 もう既に精も根も尽き果てたと言っても過言ではなかった。それは張梁一人のことではなく、二人の姉にも言えることのようだった。三人とも、沈黙したままだ。恐らくは、もう何も喋れないほどに身体的な余裕がなくなってきているのだろう。
 そんなことから自分たちが完全に限界を迎えたことを自覚しながらも張梁は、撒けたかもわからない追ってのことを考えていた。
 追ってきていたあの軍勢は今はどこまで来ているのだろうか、そんな疑問を持った。もちろん、そんなことお確認も取れなければ知る術もない。
 だから、張梁はただ諦めるように瞼を降ろす事しかできない。
「あらぁん? こぉんなところで可愛い子ちゃんたちが……どうやらお困りのよ、う、す。どぅふふふふ」
 暗闇の中……いや、瞼という壁の向こう側……その、どこからともなく声が聞こえてきた。それはしっかりと張梁の耳へと届いた。一瞬、気のせいかと思ったが、もしかしたら、という思いに駆られて目を開けてみた。
 そこには左右が紐になっている桃色の"下着のみ"を身に纏い微笑んでいる人物がいた。
 しかも、女言葉を使っている割に顎には立派な髭が蓄えられており、その体つきも逞しく、並の男と比べたら謙遜どころか、圧倒してしまいそうなほどの筋肉が褐色の肌に覆われている。
 頭部もその殆どに毛がない。ただ、両側頭部から何故かおさげが垂れ下がっている……それを留める桃色のリボンが妙に目に付く。
 その全身を見るだけでも明らか過ぎるほどに怪しい風貌と誰もが断言するだろう。そんな存在に張梁が思わずたじろいでしまうのも致し方ないことではないだろうか。
 張梁は、ふと隣に視線を移してみる。二番目の姉である張宝が、口をぱくぱくと開け閉めして張梁同様に驚いていることを見事にその反応で表していた。
 だが、長女の張角だけはその性格によるものなのか物怖じせずに不思議そうでそれでいて興味ありげな表情を浮かべているだけで警戒することもなく、普通にその人物に対して返答してしまう。
「えっとぉ……確かにあなたの言う通り、わたしたち困ってるの」
「ちょっ、お、お姉ちゃん!?」
 姉の行動に驚いた張宝がその小さな口に似合わぬ大声を上げて、姉を制止しようと近づかんとする。張梁はその肩に手を添えて歩を止めさせる。
「待って、地和姉さん」
「何よ、人和!」
 早く、姉の元に行きたいのだろう……振り返った張宝の瞳は鋭い者になっている。その眼が言っている「離せ」と。それに気付いていないように装いながら、張宝は睨み付けてくる姉に声量を抑えるように言う。そして、彼女の耳元へと手を添えて口を開く。
「姉さんはあの人がどこから来たか分かる?」
「はぁ? そんなのわたしが知るわけないでしょ! だいたい、気が付いたらもういたんだから知りようがないわよ」
 訝しむように張梁の顔を凝視する張宝が小声で訊き返してくる。それに答えることもなく、張梁は一人で頷く。そして自分を厳しい視線で刺し貫き続けている姉に小声で語りかける。
「あのね……地和姉さん。もしかしたら、私たちを助かるかもしれないわ。ううん、あの人にしか私たちを助けることはできないかもしれない」
 張梁は一息の間にそれだけの言葉を口にしてみせた。張宝は目を丸くしているが、すぐに問題の人物へと視線を巡らせた。張梁もそれに習って長女と楽しげに会話を続けている謎の人物を見据える。
 よく見れば、いつの間にか長女がその人物に対して和気藹々といった様子で接している。長女の性格ゆえだろうか……それとも、やはり信頼に足る人物なのだろうか……そんな疑問を抱きつつも、張梁は長女……張角へと声を掛ける。
「随分と楽しそうね、天和姉さん」
「ホントーに大丈夫なのかしら……」
 背後で張宝がぼそりと呟いた声が聞こえる。張梁もそう思う部分はあるが、それでも現状打破には他者の助けが必要なのもまた確かであり、信じてみるしかないのだ。
 そして、問題の人物を見定めるのに十分なほどに歩み寄ると、長女が先に口を開いた。
「あのねあのね、なんと! この人がここから遠くへ連れ出してくれるんだって!」
「え!? それ本当なの?」
「やっぱ、信用できない……」
 張角の言葉に張梁は思わず耳を疑いそうになった。そこから一歩下がった位置にいるもう一人の姉が声を低くして不満を露わにしているのがわかる。
 だが、張梁はそんなことなど気にはしていられない。本当に長女の言う通りなのかと、姉の隣にいる人物へとゆっくりと顔を向ける。
 その人は、張梁と視線が合うと、にっこりと微笑み、安心させるような瞳で口を開いた。
「どぅふふのふ。その通りよん。ただし、貴女たちがわたしのことを信用してくれるのならば……ね?」
 そう告げると、片目を瞬かせた。
 張角がそれに合わせて「ねー」と笑みを浮かべる。そんな二人を特に顔色を変えることもなく、また、ありとあらゆる想いを表に出すことなく張梁は冷静に見つめる。眼鏡がいつの間にかずり下がっていたので、持ち上げた。
(落ち着いて、助かりたいけど。まず、訊くべき事があるはずよ)
 そう自分に言い聞かせながら、張梁は最も聞いておくべき質問を口にした。
「ところで……何故私たちを助けてくれようと思ったのですか?」
 これは最終判断のためでもあった。
 ここで相手がどう応えるのか……それによってこの助けを求めるべき人物として適しているのかどうかを決めてしまっても良いだろう、という張梁の考えに基づいた質問だった。
 それに対して、目の前の人物は急に頬を紅潮させて腰をくねくねと回し始めた。
「そ、れ、は……わたしってば、貴女たちの歌声に感じさせられちゃったり、イかされちゃったりなんかしちゃったわけなのよん。どぅふふふふふふ!」
 鼻息を荒くしながら、いやんいやんと首を左右に振る。正直、あまり直視したくない姿だが、今の張梁にはただ「そう……」としか答える以外に取れる行動はなかった。
 そんな彼女を気にも留めず……というよりも気付かないのか謎の人物がさらに言葉を重ねていく。
「それだけじゃないのよん! 貴女たちの歌はわたしの踊り子……そして漢女としての血を燃えたぎらせてくれたわけなのよぉ。だ、か、ら、貴女たちの歌をもっともぉっと沢山聞きたい……というのが、わたしの願いであり、そして貴女たちを助ける理由となったわけなのよぉぉおおん!」
 眼を血ばらせ、両拳を握る……そんな明らかに興奮状態になっている人物だが、雄叫びを上げ終わると、ふっと表情を緩め、三姉妹の方を暖かな眼差しで見つめてくる。
「どう? わかってくれたかしら?」
 片手を頬に添えて目の前の人物が微笑む。その瞳を見ていると、不思議と安心できそうな気がしてならなかった。ただ、奥底に未だ消えていない情熱の赤い炎が見えているような気がしたのは引っかかるが。
(悪い人じゃ……ない?)
 張梁がそんなことを思ってる間に、与えられた問いかけに対して張宝が答えた。
「なぁ〜んだ。てことはアンタ、ちぃたちの応援団の一員になりたいのね!」
 先ほどまでの、不満ありげにぶつぶつと文句を呟き続けていた態度とは一変して、腰に手を置いて、どこか……どころではなく、全身で偉そうな態度をとっている。
 その隣では、長女が豊満な胸の前で両掌合わせて嬉しそうにはにかんでいる。
「そっかぁ、私たちの歌を好きなってくれたんだ〜」
 姉二人の反応を見て張梁も「さすがに仕方がない」と内心でため息混じりに呟く。そして、覚悟を決めると、目の前の筋肉隆々な人物に真剣な瞳を向ける。
「それじゃあ……お願いできますか?」
「えぇ、もちろん。さぁ、それじゃあいくわよん……いぃよいしょぉっとぉぉおお!」
 かけ声一発、謎の人物は張梁と張宝を左腕、張角を右腕に抱えてしゃがみ込んだ。
 急なことに張宝がわたわたと両手両脚をばたつかせる。
「え、ちょ、ちょっとどするのよ!?」
 張宝の文句をまったく気にも留めずに謎の人物は両脚へと力を込めていく……筋肉が強張っていることからそれがわかるのだ。
 そして、そのため込まれる力が抱えられている張梁にも伝わってきた瞬間、
「しっかり、掴まってるのよぉん。あ、でも。変なところを掴んじゃったりするような、おいたはだ、め、よぉん?」
 両脇に抱えている三姉妹を交互に見ながらそう告げた。
「そんなことするわけ――」
「そんじゃ、いっくわよぉおん! ふんぬぅぅううー!」
 反論使用とした張宝の声を遮るようにして、気合いのこもった叫び声を……いや、もはや方向と呼べるほどのものを口から発しながら筋肉でできた生き物が飛び上がった。
 それは、張梁の中にある常識にはあり得ないほどの跳躍力だった。全身筋肉と抱えられている三姉妹の身体が空に舞い上がっている。
 普段では眼にすることがないような距離で雲が見える。その通常とは一線を画すほどに衝撃的な事態に張梁は目を白黒させることしかできない。
「ど、どうなってんのぉ〜」
「なんなのよこれぇー!」
 どうやら二人の姉も同じような精神状態のようだったことが唯一、張梁を安堵させる。少しだけ、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。

 †

 助けた三人の少女を両脇に抱えたまま、紐の下着一丁という格好の一人の漢女――貂蝉は、一度飛び上がってから何度か大地に――人目に付かないよう、森の中を中心に――着地し、すぐさま飛翔、という順序を繰り返してきた。
 そうして、長距離を移動しながら"この世界"の姿をまじまじと観察する。
「懐かしいわねぇん。感慨に浸ってる場合じゃあないわよねぇん。ご主人様は未だ無事なのかしら?」
 ここへやってきた一番の理由を思い出しながら貂蝉はため息を吐く。
 今、探し求める人物がどこにいるかはわからない。ただ、"この世界"にいるのは確かだった。
(予想外の事象……そして、それに応じた対応……大丈夫なのかしらん)
 本当に不安なことばかりがつきまとう"今回の世界"、どこかにいるであろう貂蝉の愛しい人に伝えるべき事がある。
 だから、探す。いや、違う。本当の理由は貂蝉の中の漢女の血が細胞が愛しき人を追い求めよと告げているからだ。
「あらん? そういえば、大分離れられたわねぇん」
 気がついてみると、ついにはもう自分が抱えている三人の少女を追跡している存在の気配も感じないほど遠くまできていた。
 それに比例して、それなりの時間が経過していた。
「さて、そろそろ"あそこ"に到着するころよねぇん」
 貂蝉は、三姉妹を拾う前から訪れる予定だった地へと向かっていた。
 そこに行けば、この先、大きな流れが"この世界"で起きたときに愛しき人を見つけ出せる可能性があるのだ。
 そして、そこにいる人物に会えれば三姉妹もどうにかなる。貂蝉はそれを密かに確信していた。
(あの娘たちならきっと、暖かく迎えてあげるはずよね)
 と、ちょうど目的地が貂蝉の視界へと飛び込んできた。城壁、城郭、城……上空からはしっかりとそれぞれを見てとれる。
「もう、いいわね……ふぅ」
 目的地にたどり着けたことに、ふっと息を吐いて気を緩める。そして、貂蝉はとある屋根に着地しようと落下を開始した。
「よいしょぉっと!」
 そして踏ん張ることで地響きを起こしながら屋根へと着地した。が、
「…………あらん?」
 いかんせん勢いが凄すぎていたらしく、その影響で屋根が抜けてしまった。そして、貂蝉は三人の少女を抱えたまま屋内へと落下していった。
「無様に落下とは……漢女としてはダメなのよねええぇぇん!」
 ズドォン……そんな爆音と衝撃を辺り一帯に響かせながら貂蝉は室内への侵入と同時に床への着地を成功させた。
「きゃあ! な、何? 何なのよ!」
「きゃっ、え、何が起こったの……?」
 部屋の主なのだろう、二つの影が舞い上がった砂埃やパラパラと舞い落ちる屋根の破片の無効に確認できる。また、聞こえてきた声から二人の性別が女……それも少女のようであることはわかった。
 さぞかし驚かせてしまったのだろうと思い、か弱い漢女を自負する貂蝉は申し訳なさそうに声をかけることにした。
「あらあらあらあら……ごめんなさいねぇん。わたしとしたことが……ちょっとばかし、失敗しちゃったようなのよぉん。うふ」
「だ、誰! 誰かいるの!?」
 貂蝉の声に二人のうちの一人が反応をしてきた。向こうもまだ貂蝉の姿を確認できていないようだ。もう少し時間が掛かるかもしれない、そう貂蝉は思ったのだが、少女の行動は早かった。
 「し、侵入者よ! 華雄!」
 なんと、次の瞬間には少女が叫び声を上げていた。それこそ貂蝉が何かするような間もない一瞬のことだったため対処のしようもなかった。
 そして、少女の叫びが辺りに響き渡ったと思われるのを頃合いとするように、扉が勢いよく開かれる。
「ご無事ですか!」
「へ、へぅぅ……何が何やら……」
 新たな人物は、少女の一人と会話を交わしていたかと思うと急に貂蝉の方へと振り返る。
「お、おのれ、賊めぇぇええ! この華雄が成敗してくれるわ!」
 煙が収まり、視界が開けるのとほぼ同時に、一人の武将――名乗り挙げた名前からすると華雄というのだろう――が貂蝉へと飛び掛かってくる。
 貂蝉はすぐさま、それに対応する。
 動かすのなら二人より一人、瞬時にそう判断する。
 華雄が思いきり踏み込む。軸足から重心が前へ向かうのが分かる。
 右腋に挟み込んでいた三姉妹の長女を他の二人同様左の腋へと押し込む。
 華雄の戦斧が上段から勢いよく振り下ろされる。
 貂蝉は、それを視界の隅に捉えるのとほぼ同時に空いた右腕をすぐさま伸ばす。
 恐らくは、華雄渾身の一撃、力の籠もった真っ直ぐな軌道がそれを物語る。
 だが、直進の攻撃だからこそ捉えやすい。
 ――貂蝉は、戦斧の刃を素手で掴み、「ふんぬぅぅぅううう!」という気合いを込めた声とともに戦斧の勢いを無へと変えた。
「な、なんだとぉぉおお!?」
「ふぅ、やれやれ。ちょぉっと貴女。早とちりが過ぎるんじゃあなくってえぇ。こぉんな美人を見て賊と勘違いするなんて、いくらなんでも酷いじゃないのぉぉおお!」
「な、何故だ……何故……受け止めることができる?」
 なにやら、ぶつぶつと華雄が呟いているが、それを無視して貂蝉は喋り続ける。
「もぉっとも、美しいものを見て、嫉妬してしまうのは……女のさが! だけれども、話を聞かずに襲うような冷静さのなさは、女としてはダメダメなのよぉん!」
「そ、そんな馬鹿な……私の一撃を……う、嘘だ」
 華雄が愕然とした表情で貂蝉を見つめる。よほど、貂蝉の言葉が訊いたのだろうか……その割には戦斧をジッと見つめているのが気になる。
「ちょ、ちょっと! あ、あんた!」
「あらん?」
 貂蝉に向かって眼鏡を掛けた少女が、その緑がかった……木賊色の髪を結ったおさげを揺らしながら怒鳴りつけてきた。表情も険しく、威嚇しているようなのだが……膝が笑っている。それが可愛らしく、また微笑ましく思えて貂蝉は頬を綻ばす。
 それに対して不快そうな表情を浮かべながら眼鏡の少女が再度口を開く。
「一体何者……というか、どんな生物なのよ!」
「だぁれがぁ! 人外魔境の化け物だぁぁああ!」
「ひぃっ!」
 あまりの言いぐさに軽く怒りを覚えた貂蝉を見て、眼鏡の少女が小さな悲鳴を上げる。その隣で先ほどから緊迫した空気に気圧されてしまったのだろう……身体を震わせている楝髪の少女がその震える口を開いた。
「そ、それよりも……あの、早とちりって何のことなんですか?」
「あ、そうそう。そうね、早とちりの理由だったわねぇん」
 怒っていても話が進まないので、貂蝉は主題へと切り替えることにして、華雄の戦斧を片手で掴んだまま、視線を二人の少女へと向ける。
「それはね、わたしが貴女たちに危害を加えるために来たってところよん。わたしはね、そんなことしに来たわけではないのよ。そんなくだらないことのためなんかじゃなくって、この娘たちを匿ってあげてほしくてやってきたのよ。まぁ、ちょっとした手違いはあったのだけれどね、どぅふふのふ」
 照れ隠しに貂蝉は身体をよじる。何故か、少女たちが後ずさる。二人に一歩近づく。戦斧を離さない華雄が貂蝉の後を一歩続く。二人がさがる。
 さらにもう一歩近づこうとしたところで貂蝉は気がついた。二人の視線が貂蝉の左腋に注がれていることに。
 見ると、三姉妹が腋の中で気絶していた。どうやらそれが気になったらしい。
「え、えぇと、その娘たちは一体?」
「ぬぅぅ、貴様、私の金剛爆斧を離せぇ!」
 眼鏡の少女が、三姉妹を眼で示しながら訊ねてくるが、華雄がなにやら喚いているのが五月蠅い。
 貂蝉は話を進めるため華雄を無視して解答を口にする。
「この娘たちは、今巷で噂の三人よ」
「へ?」
「斧を離せぇぇえ!」
 眼鏡の少女があんぐりと口を開けている。今一わかっていないようだ。そして、華雄が喧しい。
「貴女たちも知ってるはずよん。何せ、今の争乱を引き起こした元凶とされているんですもの」
 その言葉を言い終えた瞬間、貂蝉の背後で何やら暴れている華雄の方へと視線を向けていた眼鏡の少女が、すぐさま貂蝉の方へと目を向けた。
「ま、まさか……その噂って黄巾党の張……」
 そこまで言って言葉を濁す少女。その視線が、真実なのかと問いかけている。そう、貂蝉は判断し、肯く。
「うふふ、そう……例の三姉妹よ」
「そ、そんな……でも確かに"奴ら"の本隊の行く先々に旅の歌芸人である三姉妹がいたというって話は聞いていたわ……それじゃあ」
 動揺を露わにする眼鏡の少女、それも無理はないだろうと貂蝉は思う。何しろ、張角、張宝、張梁について流れている噂が酷いのだから。
『髭をぼっさぼっさに生やし、その身の丈は三メートルはあり、腕は八本、足五本、角やしっぽまであるという、まさに化け物』
 それが大陸中に広がっている張角の姿。特に、張三姉妹が活動をしていた陳留周辺以外の住人などは間違いなくそれを信じていることだろう。
 そう思うと、貂蝉は三姉妹を改めて哀れみの籠もった視線で見つめる。
(よりにもよって、可憐な漢女……いえ、乙女を化け物と間違えるなんて……ほんと、可哀想なことよね……)
 つい先ほど、美しい漢女でありながら賊扱いされるという似たような体験をしたばかりだったからだろうか、貂蝉は自分たちの噂に関して何も知らない三人へ同情の念を禁じ得なかった。
「た、頼む……斧を……」
 何やら、背後から……というか、後ろに伸びている右手の先から虫の息と嘆願するような声が聞こえているが、感慨にふけっていた貂蝉はそれを気にせずに目の前の少女との会話を続ける。
「えぇ、その通りよん」
「そう、でもそれなら……匿うわけには」
「保護してあげようよ……詠ちゃん」
 今まで、二人の会話に耳を傾けるだけだった楝色の髪をした少女が祈るように手を組んで眼鏡の少女を見つめていた。
「……ゆ、月」
 貂蝉の提案に対して渋っていた眼鏡の少女――詠と呼ばれた――が、今まで自分の背に隠れていた――というよりも官女自身が隠していた――楝髪の少女こと月の方へと困惑の眼差しを向けた。
「で、でも、彼女たちのせいで多くの民が……」
「それだって彼女たちが望んだことではないってこと、詠ちゃんなら分かるでしょ?」
 そう言って、眼鏡の少女を見つめる瞳は真剣な色をしている。もちろん眼鏡の少女も楝色の髪の少女の言う通り、黄巾党の裏事情には薄々気付いていたのだろう。瞳が揺れて、同様が露わとなっている。
 少なくとも、貂蝉程度にもわかる情報では、この争乱の中でも旅芸人である三姉妹が、その唄によって村の人々に希望を与えていたという話があった。もちろん、貂蝉も三姉妹の唄を聞いたことがあった。
 と、貂蝉が少し前のことを思い出していると、肩を落とし諦めた様子で眼鏡の少女が口を開き盛大にため息を吐いた。
「はぁ……月がそう言うなら」
「ありがとう。詠ちゃん」
 楝髪の少女は、その答えが嬉しかったらしく同じくらいの体格である眼鏡の少女に抱きついた。
「ちょ、ちょっと月……」
 抱きつかれた側の少女は照れているのだろう、頬を朱色に染めている。それが微笑ましく、そして懐かしくて貂蝉は思わず口から言葉を漏らした。
「……うふ、相変わらず仲良しなのね」
「……斧」
 貂蝉と少女たちの間で膝を抱えていじけている人影が見えた気もしたが、抱き合っている少女たちも、それを見て感傷に浸る貂蝉も、気絶してる三姉妹も、部屋にいる誰も気に留めることはなかった。
 そんな中、貂蝉の腋の中でもぞもぞした動きが走る。
「う、うぅん……」
「あぁん、くすぐったいわぁん」
 それがこそばゆく、貂蝉は身悶えながら腋に抱えていた三姉妹を落とす。
 ごとっという鈍い音と共に三姉妹の身体が動きを取り戻し始める。頭をさすりながら上半身を起こす張角が辺りを見渡す。
「うっ、な、なに……あれ?」
「ど、どこ!? どこよ、ここ!」
「この人たちって……」
 長女に続くように、張宝は――何故か怒り気味に、張梁は――冷静そうだが、視線をどこに定めれば良いのかわからないのかあちらこちらへと漂わせ続けている――と、それぞれ驚いた様子を見せている。

 †

 未だ状況が良く飲み込めない張梁の……いや、三姉妹の方へと楝髪の少女と、眼鏡をかけた少女がゆっくりとした足取りで近づいていく。眼鏡の少女が前髪を指に絡めるようにして掻き上げながら身を乗り出して座り込んだままの三人へむかて顔を突き出してくる。
「貴女たちは、張角、張宝、張梁、でいいのよね?」
「え?何で私たちのことを?」
「ちょっ、天和姉さん!」
 情景反射的になのか、張角がすんなりと返事をする。それに対して、張宝が慌てた様子で姉の口を両手で塞ぐが、正直、対応としては遅すぎる。
「……はぁ」
 長女が口を滑らせてしまったこと、また、それに対する次女の反応が目の前の少女の言葉を裏付けてしまっていることに姉たちは気付いていない……張梁は深く息を吐き出して肩を竦めた。
 そんな張梁の方を眼鏡の少女が何故かため息混じりに見つめてくる。
「安心しなさい、貴女たちを保護してあげるから」
「本当なの?」
 背後で長女を説教する姉の声を聞かないようにしながら張宝は目の前の少女をじっと見つめる。それこそ確認を取るように……。
 少女は、その視線にただ黙って首を縦に振り、口を開いた。
「えぇ、ただし……張角、張宝、張梁、には死んで貰うけど」
「ちょっと、保護する気ないんじゃない!」
 眼鏡の位置を直しながら告げた少女の言葉に説教をしていたはずの張宝が食ってかかった。今にも掴みかからんとする張宝を手で制しながら眼鏡の少女が説明を始めた。
「落ち着きなさい。あくまで世に広まっている張角、張宝、張梁に死んで貰うってだけのことよ。何せ……」
 そこまで言うと、少女が眼鏡越しに三人をちらりと見やる。
「はぁ……噂と実物が違いすぎなのよ。だから、名前だけ死んで貰えば、あんたたち三姉妹を保護することは可能ってことなのよ」
「なるほど……」
 説明を聞いた張梁は、目の前の少女がしたのと同じように眼鏡の縁をついと持ち上げた。
 そして、張梁は少女の説明に納得したのと同時に彼女の頭の切れ具合を内心で評価していた。
「ねぇ、どんな噂になってるの?」
「あらん、それなら後でわ、た、し、が教えてあげるわぁん」
 疑問に思っていたことを、張角が尋ねるがここまで連れてきてくれた例の人物によって遮られてしまった。
「そういえば、自己紹介がまだよね。ボクは賈駆、字は文和」
「私は、董卓、字を仲穎っていいます」
 眼鏡の少女――賈駆はどこか不満げに、楝髪の少女――董卓はにこりと柔らかな笑みを張梁たちに向けながら自己紹介をした。
「で、ついでだから一緒に紹介しとくけど……」
 そこまで言うと、眼鏡の少女は何故か呆れた表情を浮かべながら部屋の隅っこでいじけている女性を指で示す。
「そこで膝抱えてるのが、華雄」
 そう言われて視線を向ける。膝を抱えた体勢で座り込んでいる。何故か、その体勢で前後に揺れながら壁に向かって何度も頭を打ち付けている。
 それに対して張梁が首を傾げていると、姉がすっくと立ち上がり笑みを口元に湛えた。
「私は張角――って、それは知ってるんだっけ。じゃあ……天和って言います。これからよろしくね」
「それって、偽名?」
「ううん、真名」
 賈駆の質問に張角こと天和が首を横に振る。
「え?」
「お世話になるんだし、真名を預けるくらいいいかな〜って」
「そ、そう……まぁ、あんたがそれでいいならボクは何も言わないけどね」
 賈駆が声を煩わせながらぎこちなく頷いた。多少、天然の入っている長女の態度に呆気にとられたのだろう。どちらかといえば賈駆に誓い種類の人間だと自負する張梁にはそれがわかった。
 と、そんなやり取りを強制的におわらせるように次女が間に割って入る。
「わたしはねえ……地和っていうのよ! これから、よろしく!」
「えっと、人和です……よろしく」
 張宝こと地和の勢いに乗るようにして、張梁こと人和も同時に自己紹介を済ませてしまう。 
 これで、迎える側と受け入れて貰う側の自己紹介が済んだ。
「そういえば、それはなんなの?」
 賈駆が両者の仲介役を担っていた人物を見る。それに続くようにして、一名を除き場にいる全ての視線が集まった。
 未だに華雄の金剛爆斧を片手で持ったままの人物。少なくとも、三姉妹はその名前を知らない。おそらく、向こうに対しても自己紹介していないのだろう。
 ゆえに張梁たちは本人から告げられるのを待つしかなかった。そして、集まる視線によってか、はたまた話の流れによってか、そのことに気付いたらしい謎の人物が口を開いた。
「あらん、まだ言ってなかったかしら?」
 手にしていた戦斧を床に置きながら小首を傾げる謎の人物。
 それに対し、華雄を覗く五人が頷いて返す。一人華雄だけが、慌てて戦斧を拾い上げて大事そうに胸に抱えている。
 そんな五人の反応を見て、謎の人物が微笑みを浮かべる。
「うふふ、わたしの名前は貂蝉。しがない踊り子よん」

 †

 ――――こうして、世に黄巾党首領の討伐を成したとして董卓軍が知られることとなったのである。
 ちなみに、その際に張三姉妹が自分たちの噂の実情を聞き呆気にとられたりすることとなったが、概ね無事、対策を終えることができた。
 それから後、董卓軍の領地内を、とある三姉妹が楽団とともに回ることになった。そして各地で公演を行い、流民の集まり具合や軍事的な都合など様々な方面において成果を上げていった。
 なお、三姉妹に関する変化はもう一つだけあった。
 彼女たち"役萬姉妹"を中心とした楽団とともに紐の下着一丁の人物が踊り子兼付き人として公演に随伴することになり、三人と踊り子が各地を点々とするということとなったのだ。
 このたった一つの些細な変化が、役萬姉妹も含め、彼女たちに関わった者たちの運命を変えることになるとは未だ誰も知らない……そう、謎の踊り子である一人の漢女を除いては。

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