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240 名前:清涼剤[sage] 投稿日:2009/04/29(水) 00:34:47 ID:Q8Fhp4bF0



 「無じる真√N10」



 天幕から出た公孫賛は、心を落ち着けるため風を浴びていた。
「ふぅ……結局寝れずじまいか……」
 一刀たちが出発した後、本隊はひとまず張った陣に見張りを交代で配置し、残りの兵は睡眠を取るため身体を休ませることにした。
 公孫賛も仮眠をするため天幕へと向かった。だが、一刀のことが気になっているためか、瞼を閉じてもその裏に一刀の姿が浮かび上がり、目を開いてしまう。そんなことを繰り返していたせいなのか公孫賛は結局、眠気に襲われることなくただ長々と時間を浪費しただけだった。
 そして「もうこれじゃあ、眠れない」そう判断したところで、公孫賛は天幕を出て陣内を歩き始めた。
「よくよく考えると、あいつが今回のように大きな危険の伴う任務を担当するのは初めてなのか……」
 今まで、一刀が戦に出ることはあった。だが、それはあくまで後方に控える部隊への配属が主だった。もちろん、前線へと出ることもあったがそれはあくまで趙雲の補佐だった。
 今回のように一刀が兵を率いて危険な行動を取ることなどなかったのだ。
「だからなのか……この胸騒ぎは……」
 先程から、公孫賛の心臓が暴れだそうとしている。それを宥めるように胸を抑えているが収まる気配は一行にない。公孫賛は、胸の苦しさを紛らわそうと空を見上げた。
 空は、夜の闇が薄れ始め光と混じり合うように半端な状態だった。それでも、まだ星々の煌めきを確認することはできた。
「天よ……あの何かと他人に心配を掛け、女に無意識に手を出す阿呆……でも、他人に優しい、あいつを、一刀をどうかお護りください」
 そんなことを空に向かって呟いたところで、公孫賛は自分が"天の御使い"の無事を天に願っている事に気づき、なんだかそれがおかしく思えてしょうがなくなりわずかに口元を綻ばすが、それでも公孫賛は願わずにはいられなかった。
「一刀……無事でいてくれ……」
 公孫賛が一刀の安全を願っている間にも、時は刻一刻と進み続けていく。

 "身体が重力に引きずられ始める"それを実感しながら、一刀は「あぁ、俺はここで終わりなのか……」そう思った。
 だが、次の瞬間、誰かに腕を掴まれる感覚がした。それに合わせて落下しようとしていた一刀の躰が止まる。
「一体……な、なにが……」
 一刀は思わず閉じてしまっていた目を恐る恐る開いて、掴まれた腕の方を見る。
「だ、大丈夫ですか……北郷さ……ま」
 副隊長が、一刀の腕を掴んでいた。もう片方の腕はぎりぎり穴の縁を掴んでいるといった状態だった。
「……っ! おい、止めろ、俺はいいから!」
 その姿を正確に確認する前に一刀の胸に焦燥感が訪れる。それは副隊長が一刀を落とすまいと力を込めている腕、そこから一刀の腕にかけて生暖かい液体が滴り落ちてきているのに気づいた。その液体は、ほんのわずかな明かりに照らされ、本来の色である深紅を闇に浮かび上がらせている。
 その液体が、いや、液体を副隊長が溢れんばかりに流していることに気づいたからこそ一刀は焦っているのだ。
「どこか怪我してるんだろ? そんな状態で俺を支えるのは無理だ!」
「はは……落ちかけた際に少し木の枝が刺さっただけです。なぁに、これくらいたいしたことはありませんよ」
 そういって、にかっと笑みを作る副隊長。だが、その顔には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。副隊長のそんな痛々しい姿と、自分への情けなさで一刀はいたたまれなくなり顔を俯かせる。
「なっ!?」
 高度の下がった一刀の視界に副隊長の脇腹が映る。おそらく仕掛けに使われたものであろう枝が深く突き刺さっている。本来、身体を守るはずの防具は何らかの衝撃によってなのか割れてしまっている。
 そして、その割れ目から覗いている内側の服も裂け、その布地の隙間からは、皮膚が裂かれていて出血により赤黒くなった肉が抉られているのが薄らと見えている。
 あまりの光景に一刀の躰からどっと汗が噴き出る。そして、慌てて副隊長の顔を見上げる。
「む、無理だ! 俺を支えていたら落ちるぞ!」
「はぁ……はぁ……大丈夫だと言っているでは……ないですか、くっ……」
 笑みを浮かべているが、息は上がっており、無理をしているのがはっきりとわかる。その姿は見ている一刀の方が辛くなるくらいだった。
 だが、副隊長は重傷を負っているのにもかかわらず、一刀を引き上げようと腕に力を込め続けている。そして、引き上げようと力を込めるのに合わせ、脇腹の筋肉が動き、それに伴って傷口が広がっていくのが一刀の瞳に映る。
 間違いなく、想像を絶する痛みが襲っているはずである。にもかかわらず、副隊長は一刀を引き上げる。それこそ、躰の一部が裂ける音を立てようと、枝が脇腹にめり込もうと関係ないとばかりに……。
 再度、副隊長を止めようと一刀が口を開きかけた瞬間、一刀の顔に赤黒く生暖かい液体が大量に滴り落ちてくる。よく見れば、枝の刺さっている脇腹は先程以上に深紅の液体滴らせ、抉られた部分と混ざり広範囲を赤黒く染め上げていた。
 あまりの痛々しさに一刀は全身から血の気が引いていく気がした。
「お、おい、もういい! やめてくれ、やめてくれよ……」
 錯乱しそうになる自分を抑えつけながら、呼びかけ続ける。しかし、一刀の声など聞こえないかのように副隊長はただ黙って一刀を引き上げ続ける。
 そして、気がつけば一刀の躰は、手を伸ばせば穴の縁に届く位置まで引き上げられていた。それに気づいた一刀はすぐに、穴の縁を掴んで脱出を試みる。一刀は、腕に力を込めて一気に穴の外へ自分の躰を押し上、久方ぶりの地面に躰を預けた。
「よし! さぁ、上がってくるんだ」
 一刀はそう叫びながら、自分を掴んでいる腕を握り返すようにぐっと力を込めた。その瞬間、副隊長手、一刀を救ってくれた手が、そして、もう片方の――穴の縁を掴んでいた――手、その両方から力が抜けていくのが一刀の手に伝わってきた。
 そして、一刀が掴んでいる手が掌からずり下がっていく。縁を掴んでいたもう片方の腕はすでに縁からずり落ち、力なく垂れ下がっていた。
「お、おい!?」
「ほ…んごうさ…ま、だ、だっしゅつ……できたのです……ね」
 気がつけば、一刀の方へ向けられている副隊長の瞳は光を失い無機質な黒に染まりつつあるように見える。おそらくその瞳には、その本来の役割を果たすことなど、ほとんど出来なくなっていることだろう。
「うぉっ……く、このぉ!」
 がくんと重さを増す副隊長の躰に慌てながらも、一刀はずり落ちる副隊長の腕を掌で掌を掴み直す握手のような形でとらえることに成功した。そのことに安堵しながらも緊張の面持ちを崩さない一刀に、副隊長は自嘲じみた笑みを投げかける。
「も、もう……ちからが……のこっていない……ようです」
「な、なに言ってるんだよ……諦めるなよ!」
 一刀は必死に手を掴む。だが、副隊長の手からは握り返してくるような反応が感じられない。それどころか一刀の掌は冷たさを感じている。副隊長の手は、もうすでに血がなくなりかけているのだろう。その上、込める力までもなくなっているのだ。一刀は掌からそれを感じ、歯を強く噛みしめる。
 よく見れば、先程までは見えなくて気づかなかったが一刀を掴んでいた腕には深い裂傷が出来ていた。おそらく、それが原因で出血多量となっているのだろう……そして、副隊長の躰が冷たくなったり瞳に力がなくなったりしているのもその影響なのだろう。
 更に目を懲らした一刀は、傷口からそこから滴り落ちた深紅の液体が副隊長の掌を真っ赤に染めているのを見つけた。
 その掌を覆う"赤"は未だにぬめりを持っており、副隊長の手を握る一刀の邪魔をしている。しっかりと掴みきれていない一刀の掌、その中で、副隊長の手が徐々に滑り始めている。
「っくしょう……ちくしょう!」
 瞳に熱いものが込み上げてくるのを感じながらも、一刀は必死に引き上げようと力を込め続ける。
「ほん……ごう……さ……ま、き、きいて……くださ……い」
 力なく口をぱくぱくと開けながら、副隊長は掠れた声で何かを伝えようとしている。
「……な、なんだ?」
「ど、どう……か、この……あれてしまっ……た……た、たいりくにへい……わを……」
「あぁ、わかった。だからもう少し頑張れ!」
 もう一刀の顔はくしゃくしゃになり、口から発する言葉も鼻声になっていた。もしかしたらそのせいで副隊長に上手く言葉が伝わっていないかもしれない。だが、今の一刀にはそんなことなんて気に止めてる余裕など無い。
「はぁ、はぁ……ほ、ほん――げふっ、ほんごうさまなら……きっと……あのおかたと……ともに……」
「な、何言ってんだよ! 一緒に目指せばいいだろ! ほら、あと少しだ」
 一刀の言葉を聞いているはずの副隊長はふっと笑みを浮かべた。その笑顔はあまりにも透明で、どこか儚さを称えている。一刀はそれに不安を覚えなんとか助けようと両腕に一層力を込める。
「俺を助けといて……自分が死んだら意味がないだろう!!」
 一刀はくしゃくしゃの顔を強張らせながらそう叫んだ。それでも、副隊長は笑みを浮かべ続ける。
「ふふ……だからいったではありませんか……われらの……あるじ……である――ごほっ、あのおかたと……ほんごうさまのためならば……このいのちなど、さしておしくなど……ない……と」
 副隊長がその言葉を口にした瞬間、その手が一刀の掌の中からすり抜けていった。
 副隊長の血に加え、落ちかけた際に出来たと思われる一刀自身の腕にできた傷から流れ出る血によって、滑りが良くなっていたのだ……その結果、副隊長の手は簡単に一刀の掌からすり抜けた。
「っ!?」
 すり抜けていった手を、慌てて掴み直すも副隊長の手はまるで鰌や鰻のように掴もうと力んだ分、素早くすり抜けていってしまう。
「これでよいのです……これで―――」
 穴へ身を乗り出し、腕を伸ばし続ける一刀に向かい、副隊長は満面の笑みで諭すように語りながら暗い底へと落ちていった。
「そんな……」
 徐々に小さくなっていく副隊長の姿が闇へと溶けていき、消えた。
「―――くっ」
 その瞬間、一刀の体中から力が抜けた。そのまま両膝を地面へとついた。その勢いで一刀の躰は地面へと倒れ込もうとする。それをなんとか両腕で支えて堪える。
 一刀は、口から上がりそうになる叫び声を抑えこむように唇をぎゅっと噛みしめる。唇から「ぶちっ」となにかが千切れたような音が聞こえる。直後、生暖かい液体が口元から垂れるのを感じた。一刀は、それが血であることを理解しながらも唇を噛みしめ続ける。
 もし、ここで叫べば、作戦を台無しにしてしまう恐れがある。そんなこと死んでも出来るはずがない。そう思い声を押し殺し続ける。それでも一刀の瞳からは雫が溢れ出る……それを止めることだけはどうしても出来ない。
(俺は……また、また仲間を"護れなかった"……俺のせいだ! 俺が……悪いんだ……誰かを護る強さを持っていない俺が! なんで、なんで俺は誰も護れない! なんでなんだぁ、ちくしょぉぉおお!)
 副隊長を失う瞬間、一刀の中でかつて失った仲間たちの姿が浮かんだ。大勢の仲間……そして大切な者を失い一刀は後悔の念に駆られていたはずだった。なのに、同じ轍を踏んだ、大事な仲間を自分の失敗で失った……それが一刀の胸を、そして、治りかけていた心の傷を深く抉った。
 その悔しさや悲しさを、そして怒りを地面にぶつけるために叩きつけた一刀の拳から血が噴き出す、それでもまだ収まらない一刀はもう一発殴りつけようと拳を振りかぶる。
「ほ、北郷様!」
 声を掛けられ一刀は振り向いた。そこにはぼろぼろになった兵たちがいた。ある者は倒れ、また、ある者は倒れてはいないが、体中に傷を負っている。
 それはあまりにも悲惨な姿だった。
「無事だったのはこれだけか……」
 無事といっても、命が助かったと言う程度。今も最低限ではあるが処置を施しているところだった。
「……みんな動けるか?」
 一刀は頬を流れ落ちる雫を拭い去り、傷の処置をしつつ残った兵に訊ねる。
「な、なんとか可能です」
 数人の兵たちはそう答えたが、残りの者たちは呼吸するので精一杯といった様子だった。それを見ると一刀は一つの判断を下す。
 そう決めると、一刀は近くに残るぼろぼろの布を拾い躰に巻き付けながら立ち上がる。所々に血がついた服を隠すように……。
「……仕方ない。俺と動ける者だけで村へ向かう。幸い、装備品も残ってる。こんな事態を引き起こしといて悪いけど、まだ付き合ってほしい!」
 そう言って一刀は動けそうな兵たちを見渡す。
「は!!」
 動ける兵たちは、そんな一刀に返事をすると勢いよく立ち上がった。
「それと、動けない者はしばらくどこかに隠れて休んでいるんだ。それで、動けるようになったら合流してくれ」
 本来は、ここに残って全員を休息させるべきなのだとは一刀もわかっている。しかし、今は一刻を争う状態。故に一刀はそれを口にしない。代わりに出発の言葉を告げる。
「よし……進軍再開といこう!」
「応!!」
 そうして、再び村へと進もうと歩み出したところで一刀は一度立ち止まって振り返る。一刀の瞳に自分に付いてきてくれる兵たち、そして横になっている兵たちの視線が集まるのが見えた。
 その視線を真正面から受け止める。一刀は大きく息を吸い込むと口を開いた。
「みんな、すまない!」
 一刀は、兵たちに向かって頭を下げると、謝罪の言葉を告げた。
「北郷様……これは貴方一人の責任ではありません。我々も気づくことができませんでした……ですから、そこまでお悔やみにならないでください」
 その言葉を肯定する声が兵たちから上がる。それによって一刀の胸がきゅうっと締め付けられる。躰の中から熱くなる……そんな感覚を一刀は覚えた。
「みんな、ありがとう……そして、本当にすまない」
「北郷様、それよりも速く村へ行きましょう!」
「あ、あぁ……そうだな。よし、行こう」
 そして、一刀たちは再び村へ向かって山を下り始めた。

「よし、ようやく目的地付近に到着したようだな」
 趙雲は、兵たちと共に山を下りようやく裏門付近へと到着した。町の方へと視線を向ける趙雲、その後ろを兵たちが趙雲に続くように静かに移動している。
「どうしますか?」
「そうだな……よし、ひとまずあそこに隠れるとしよう」
 そう言って趙雲は裏門との距離が短すぎず、また長すぎない位置にある茂みを指さした。
「くれぐれも見つかることのないように各自気をつけろ」
「は!」
 兵たちの返事を背に受けながら趙雲は身を屈めて進み始める。
 後ろからは一切物音が聞こえないが、それは兵たちが静かに動いているからだと信じて趙雲は振り返ることなく黙々と歩み続けた。
 そして趙雲たちは、村の裏門と適度な距離の空いている茂みへと潜むことに成功した。その茂みからは村の様子をよく観察することができる。見張りの兵が予想通り少ないのもそこから見てすぐにわかった。
「さて、確かにこの裏門側には見張りが少ないようだが……」
「今すぐにでも突破が可能に思えますが、如何致しますか?」
 傍に控える兵が趙雲に耳打ちした。それに対して趙雲は首を横に振る。
「いや、作戦に沿って行動した方がより確実な好機を得ることができるのだ。よって、ここで待機を続ける。いいな?」
 実際のところ、空はかなり明るくなり始めており作戦開始の刻が近づいていることを趙雲に知らせていた。
「は!」
 趙雲は小声の兵たちの返事を聞きながら頭ではすでに別のことを考え始めていた。
(一刀殿は、大丈夫だったのだろうか……)
 ここに来るまでに、数自体は少なかったものの罠を発見していた。
 基本的には存在の明らかとなった罠は迂回を行うことで回避をしていた、それが不可能だった場合には解除を行うといった方法で趙雲たちは対処し切り抜けてきた。
(一応、別れ際に忠告はしたのだが……やはり……)
 そんなことを思いながら趙雲は一刀の身を案じる。
(……ふ、私も変わったものだ……いや、変えられたというべきか)
 趙雲は必要以上に誰かを心配する自分に自身驚きを覚えていた。それでも趙雲は、そんな自分に悪い気がしなかった。
 そんな自分が可笑しくて、趙雲は思わず微笑を零した。
 その時、兵が再び趙雲に小声で話しかけてきた。
「なにやら、中の様子が慌ただしくなってきているようですが」
「うむ、本隊が動き始めているのかもしれぬ。よいか、くれぐれも合図を聞き逃すな」
「は!」
 これから、公孫賛が率いている本隊から送られてくるであろう合図を聞き逃さないように、趙雲は意識を集中させていく。そして、その刻をくるのをひっそりと待ち始めた。

 公孫賛は、村の正門にいる見張りが慌てて中に入って行くのを遠くから確認した。
「よし、それではこれより作戦を開始する。まずは奴らを挑発し、正門より引きずり出すぞ」
「は!」兵たちが躰を硬直させて返事をする。
 そして、すぐさま各自配置へとつき、準備に取りかかっていった。
 それから少し経つが、黄巾党の一味は出てこない。だが、公孫賛側はそれも予想していたためすぐさま予定に従って挑発を開始する。
「聞けい、天下を乱す悪衆どもよ! 我が名は公孫伯珪!! 民を苦しめ続ける賊軍、黄巾党! 貴様らを退治するために我らはここに今馳せ参じた! 出てこい!」
 しかし、未だ正門から出てくる気配はない。そこで公孫賛は更なる挑発を行う。
「ふっ、やはり貴様らは臆病者の集まりだったようだな! だからこそ群れることでしか強がれなかったのだろう?」
 すると、中から兵を引き連れ大剣を手にした屈強な男が出てくる。
「よくもまぁ、好き放題言ってくれたなぁ!」
 相当頭に来ているのか随分と鼻息が荒い。よく見れば顔も真っ赤に染まっている。そんな相手の様子に「しめた」と内心で呟きつつ、公孫賛は更に罵倒を続ける。
「ふん、事実だろう? 貴様らが弱いというは?」
 公孫賛はわざと相手の神経を逆なでするような口調で喋っているのだが、相手は頭に血が上りすぎているのか、それとも元から馬鹿なのか、そこに気づく素振りがない。
「ふざけんな! 俺たち黄巾党は弱くなんかない!」
「はっ! そんなの信じられるか!」
「知らないのか? 俺たち黄巾党はなぁ、いくつも勝利を重ねてきてるんだよ。それだけ俺たちは強いって事なんだよ! それにな、俺たちは強いのはもちろんなんだがな……さらには、朝廷に変わってこの世を平定することを天によって定められてるんだよ! 本隊の奴らはどうなのか知らないが、少なくとも俺たちは、使い物にならない朝廷の奴らに変わりこの世を平定するっていう理想を持ってるんだよ! だから、邪魔するんじゃねぇ!」
 アホ丸出しな発言を長々と賜られて公孫賛はほんの少しイラっとする。こめかみには青筋が浮かんでいた。
「ふざけるな! ろくな信念も持たずに、偉そうに理想なんか語るんじゃない! 貴様らが行っているのは賊軍がするような行為だろうが!」
 公孫賛が息巻いてそう叫ぶと、黄巾党の男は今まで以上に鼻息を荒くして顔を紅潮させていく。
「いいだろう! ならば、俺たちの実力と天運を見せてくれる!」
 そう言うと、黄巾党の男は兵たちへと振り返り正門へと下がっていく。そして、すぐに怒号が聞こえてくる。
「おい! 野郎共! 全軍出撃の準備をしろ。奴らを叩きのめすぞ!」
 その大声に地響きのようなうなり声がいくつも続いて上がった。
 そして、一度下がった男が多くの部下を正門へと集合させてこの町を占拠している黄巾党軍全勢力で討って出てきた。
 それを見て、公孫賛軍も次の段階へと移っていく。
「よし、敵に一撃与えた後、退くぞ! いいか、奴らを釣るんだぞ!」
「応!」
 そして、予定通りに敵の先頭へと一当てしてすぐに下がった。
 それに釣られてどんどん前進してくる黄巾党軍。そして、敵軍が目標地点まで来たところで公孫賛は次の指令を出す。
「よし、目標地点に着いた! ここで銅鑼を盛大にならせ!」
「応!」
 兵たちが銅鑼を思いきり叩く。その音は遙か遠くまで届く雷鳴のごとく響き渡っていく。
 その音に、敵の動きがぴたりと止まる。そして、敵の大将と思われる男が銅鑼を見て、すぐに公孫賛の方へと視線を動かした。
「な、なんだ? 銅鑼なんかならして……なにを企んでやがる」
 どうやら、まだ公孫賛の意図には気づいていないようだ。だが、やはり疑っている、公孫賛はそれを敵の様子から感じ取る。
(やれやれ……仕方ない、少し熱くさせてやるか)
 そう心の中でぼやきながら公孫賛は口を開いた。
「くくっ、いやぁ、てっきり銅鑼の音にびくつくような小心者なんだと思ったんだがな、違ったみたいだな?」
 公孫賛は、先程の挑発同様、わざと嫌みったらしい口調にすることでより男の怒りを煽る。
「て、てめぇ、調子に乗りやがって!」
 敵の男は、公孫賛の狙い通り怒り心頭な状態に陥っていく。
 顔を真っ赤にさせていまにも湯気が出てきそうな男から視線を外すと公孫賛はぽつりと呟いた。
「さて……後はあいつら次第だな」

 村の正門の方から銅鑼の音が聞こえてきたのを一刀は聞き漏らさなかった。
 すかさず兵たちに号令をかける。
「よし、中への潜入を開始する!」
「は!」
 一刀が兵たちと共に村へと潜入しようと、裏門へと向かっていく。すると一刀たちとほぼ同時に他の集団がそこへ姿を表した。
「おや、どうやらそちらも間に合ったようですな」
 それは趙雲隊だった。
「あぁ……そっちも間に合ったんだな。よかった」
 一刀は合流できたことにほっとしつつ、趙雲の足下へ視線を向ける。そこには裏門の見張りをしていた思しき兵たちが倒れていた。
 地に伏した兵たちから視線を逸らすと一刀は趙雲を見た。
「えぇ、おや?」
 趙雲は何故か一刀の周囲に控えている兵たちを見て首を傾げている。その意味にすぐ気がついた一刀は事情を説明しようと口を開く。
「予想はついてると思うけど、実は……」
「いえ、お話し頂かなくて結構。それよりも、今は一刻も早く村を開放すべきでしょう」
「あぁ、すまない。話は後にするよ」
 趙雲に制止された一刀はすぐさま気持ちを切り替えて、再び一つの隊に戻りながら町の中へ入っていく。
「それじゃあ、俺は取りあえず村長を捜してくる」
「では、私は正門へ赴くと致しましょう。そして、敵が戻ろうとしたところを抑えるとします」
「わかった、それじゃあ、趙雲隊は一緒に正門へ向かってくれ。あと、分担分けをして残存兵がいないか確認をしてくれ、もし見つけたらすぐに対処してくれ」
「は!」
 一刀は趙雲隊の返事を確認したところで、今度は自分の隊へと向き直る。
「それじゃあ、悪いけど、村の人たちの安全確保を最優先として、余裕があるようなら趙雲隊の支援もしてほしい。みんな、頼んだ!」
「応!」
「よし、それじゃあ各自行動開始!」
 兵たちに返事に頷くと一刀は号令をかけた。それを合図にそれぞれの仕事を行うために別れて行動を開始した。
 一刀は、取りあえず隊の兵たちと共に町人の安全確保をしつつ町の統率者の居場所を聞いて回っていった。
「すみません、俺たちは幽州啄郡から来た、公孫賛軍の者なのですが」
「へ?」
「あぁ、取りあえず説明したほうがいいですね。俺たちは、この町を黄巾党から解放するためにやってきました」
「そ、そうなのですか?」
 訊ねた相手は驚いているのか、固まってしまっている。その硬直が溶けるのを待っているほどの暇などないと判断した一刀はすぐに駆け出す準備を始める。
「えぇ、それでは、まだ行くところがありますので。取りあえず、この地区には何人か兵を置いていくので、悪いのですが彼らの指示に従ってもらえますか?」
「はぁ、わかりました……」
 町人が頷いたのを確認した一刀は一歩踏み出すが、まだ話すことがあったことを思い出しすぐに振り返る。
「あ、それと、できれば統率者の方についてと、いまどこにいるのか教えてもらえますか?」
「町長のことですね……いまいる場所なら――」
「なるほど、ありがとうございます」
「いえいえ」
「それじゃあ、これで」
 統率者の家を教えてもらうことができたため踵を返すと、一刀は今度こそ駆けだした。今回の事に関する事態説明をしなければならないため町長の元へと一目山に向かうことにする。
「悪いけど、俺は町長のところに行ってくる。あとはみんなにまかせる」
「は!」
 兵たちの返事を確認するやいなや、一刀は先程聞いた町長宅へと向かって走り出した。

 趙雲は、正門へ向かって町内を駆け抜けていた。
「む! なにや、うぐぅ――」
 黄巾党の兵に見つかるものの、騒ぎ出す前に龍牙の柄で殴りつけて一瞬で黙らせる。
「趙雲様!」
 先程、別れた隊の兵たちが趙雲の元へと合流してくる。趙雲は彼らの集まった理由を察し、すぐに報告を促す。
「どうだ、そちらに敵兵はいたか?」
「はい、数カ所におりましたが、どれも一人、二人程度だったため即座に対応いたしました」
「そうか、ではこのまま正門へ向かうぞ」
「は!」
 そのまま兵たちを引き連れながら趙雲は正門へ向かっていく、先へ進むにつれ次々と兵たちが合流していく。
「よし、残存兵たちを一カ所にまとめたのだな?」
「は! ご指示の通りまとめておきました」
「うむ、で、今おらぬのは見張りと考えてよいのだな?」
「は! 間違いありません! 残って見張りをしております!」
「そうか、おや、正門に到着したようだな」
 兵の威勢良い返事に頷きながら前を見た趙雲の視界に正門が映る。そして、そこには正門の警備兵たちがいる。
「な、なんだ貴様ら!」
「くっ、敵だ! かかれ!」
 一斉にこちらへ攻撃を仕掛けてくる警備兵たち、その動きはそれなりに経験を積んだ者の動きをしている。
 そのまま、正面からぶつかり合い、趙雲側の兵たちと互角に近い戦いを繰り広げている。
 もちろん趙雲もそれを黙って見てなどいない。
「ふ、この趙子龍がいる以上、貴様らに勝機はないと思え!」
 そう叫ぶと、趙雲は飛び掛かってくる敵兵をなぎ払う。
「……はぁぁああ!」
 さらに趙雲は気合い一閃、一気に数人を同時に吹き飛ばす。これによって警備兵の数が大分減った。
 一段落付き味方の兵へと視線を向けると、そちらも見事に勝利を収めていた。
「これで、正門制圧成功です!」
 一人の兵の報告を聞くと趙雲はすぐに次の段階へと移り始める。
「よし、ではこれよりこの正門を我らが制圧したことを奴らに告げるとしようか。なお、弓兵は今の内から配置について、構えを取れ!」
「は!」
「本隊と合わせ、奴らを挟み撃ちにするぞ!」
 そして、趙雲は正門へと手を伸ばし、開け放った。

 公孫賛軍本隊は、敵軍をいなすことで必要以上の激突を避け続けていた。その中心で公孫賛が拳を握りしめる。
「よし、いいぞ! この調子で奴らを上手く踊らせるんだ!」
 上手く動いてくれている兵たちへと公孫賛が次々と指示を飛ばしていく。そんな公孫賛の元へ兵が駆け寄ってくる。
「ご報告!」
「どうした?」
「ただいま、町の正門が開かれようとしている模様」
「ふむ、おそらくは町に向かわせた潜入隊だろう」
 公孫賛がそう予測をしていると、村の正門から黄巾党の軍に向けて誰かが叫び声を上げた。
「聞けぇい! 黄巾党の者共よ! 我が名は趙雲! 貴様らが根城としていたこの町は我らが解放する!」
 その人物は趙雲だった。その姿を見て、公孫賛はどうやら作戦が上手くいったのだということを確信した。
 ここからが正念場だと思いながら公孫賛は気合いを入れ直した。そして今一度黄巾党へと視線を向ける。
「な、なんだとぉ!」
 黄巾党の頭の男が、趙雲の言葉に今までの時点ですでに荒れていた鼻息を一層荒々しくしながら叫んだ。
「ふはははは! この趙子龍がいる以上、貴様らの内、何人たりとも通しはせぬぞ!」
「な、なんかすごいな……」
 嫌にご機嫌でノリノリな趙雲を見て公孫賛が呆気にとられていると、趙雲の言葉に対して黄巾党の男が再び声を上げた。
「ちぃ! 俺たちは釣り出されたってわけかよぉ! くそっ! こうなりゃあ、先にあの生意気な女を叩くぞ!」
 その叫びに合わせ、黄巾党は一気に正門へと向かって突進し始める。
「よし、私たちも奴らを追うぞ! 趙雲隊と共に挟撃に入る!」
「応!」
 公孫賛もすぐに指示を飛ばして、部隊を一つにまとめて黄巾党の後を追っていく。

 外で黄巾党と公孫賛軍がぶつかり合っている中、一刀は一軒の家へと辿り着いていた。
「ここだな……すみません」
「はい、どなたですか?」
 一刀の呼びかけに応じ、一人の女性が家から出てきた。
「すみませんが、町長さんはいますか?」
「えぇ、おりますが、どのようなご用件でしょうか?」
「実は、至急お話したい事がありまして」
「そうですか……まぁ、取りあえずお上がりください」
 そう告げると女性は、一刀を中へと促した。それに応じて家に上がった一刀は、そのまま女性によって屋へと案内される。
 女性の案内によって一刀が通された先には一人の老人がいた。
「私に話がお有りというのは、あなたですか?」
「はい、俺はこの村を占拠している黄巾党を討伐しにやってきた公孫賛軍の一員で北郷一刀といいます。実は現在、解放に向けての行動中でして、その説明をさせていただきに来ました」
 一刀は町長を真正面からじっと見つめながら用件を告げると、頭を下げた。
「頭をお上げくだされ……なるほど、我らを救いにきなさった、と言うわけですかな?」
「はい、そうです。現在、この村には黄巾党の兵はほとんどいなくなっているはずです」
「ほぅ、それは何故ですかな」
「実は――」
 一刀は、そのまま今回の作戦についての説明をしていった。話を聞く町長はときには細くなっている目を倍近く見開いたり、ときにはしわくちゃな顔に一層しわを寄せながら感慨深げに頷いたりしていた。
 そして、一刀が一通り話し終えると町長は顎を手でさすりながら息を吐いた。
「なるほど、事情はわかりました」
 一通りの説明を聞いた上で長老が納得した様子を見せたことに一刀はわずかに息を吐き出した。そのとき、部屋に何人分もの足音が近づいてきた。
 そして、その足音が部屋の前で止まる。一刀が何事かと思うのと同時に部屋の扉が開かれる。
「町長さん、悪いんだが俺たちも入れてくれないか?」
「ん? おぉ、構わん入ってきなされ」
 町長が返事をすると何人もの町人たちが中へと入ってくる。
「それで、どうしたのじゃ?」
「いや、なに俺たちのところに兵が来て事情はだいたい聞いて、村長さんはどうするのかと思って聞きに来たしだいだよ」
 町人たちの代表として、入ってくるときに声を掛けてきた男性がそう答えた。それに対して町長はポンと手を打って口元に笑みを浮かべる。
「ふむ、それはちょうどよかった。今、どうするかをこの方と話しておったところだったのじゃよ」
 そう言われた町人たちは一刀の方へと視線を向ける。集まった視線に一刀はたじろぎそうになるが、気後れするわけにも行かずわざと胸を張って自信ありげな体制を保つ。
 そんな一刀から視線を逸らすと町人たちが町長へと顔を向ける。
「で、この男は何者なんですか?」
 一人の若者が代表して町長へと訊ねる。
「それなんじゃが……なんでも、この村を開放しに来た軍の方だそうじゃ」
「北郷一刀です」
「そして、幽州啄群の北郷様といえば"天の御使い"と呼ばれる御方だったはずじゃ」
「っ!?」
 村長の答えに、村人たちは驚愕の表情になり息を呑む。それは一刀も同じで内心驚きに包まれたまま町長へと問いかける。
「村長さん、俺のこと知ってるのか?」
「えぇ、もちろん知っておりますとも。お噂は、予々耳にしておりました。それに、この町から北平へ商売をしに行く者もおりましてな……その者からも聞いておりますよ」
 かっかっか、と笑いながら町長はそう説明した。そして、糸目を片方ちらりと開けて一刀が纏うボロを見つめる。
「それに……その布地の隙間から、我らの知らぬ素材の服が見えておりますのでな」
「なるほど……」
 町長は、飄々としているように見えるが一刀のことをしっかりと観察しているようだった。
「へぇ、ぜひともその服ってやつを拝んでみたいな」
 一人の町人がそう言うと、他の者たちもそれに続いていく。そして、複数の視線が一刀へと注がれる。町人の視線が集まるのを感じながら一刀は頬を掻く。
「まぁ、別に構わないんだけど、今はまずいかな……」
「おや、どうしてですかな?」
 そう訊ねる町長に一刀は言いにくそうにしながら町人の中でも女性や子供が集まっている方を見る。
「まぁ、女性や子供には見せることのできない状態なので……」
「ふむ、ならば、わしと男衆に見せてはくれませぬか?」
「まぁ、それなら……」
 一刀がそう言うと、町長は女性や子供たちを部屋から退室するように促した。
 部屋に残ったのが町長と男たちとなったところで一刀は口を開く。
「……それじゃあ」
 そのまま上に羽織っていた布に手を掻けと脱ぎさった。
「お、おぉ……」
「こ、これは……」
「うわぁ……」
 それぞれが、異なった反応を見せるがどれも決して良い反応とは言えない。
「なんということじゃ……」
 町長が目を見開き見つめてくる。まぁ、それも仕方がないことだと一刀は思う。なにせ、昨晩の一件で一刀の身体は傷だらけな状態であり、服のあちこちに深紅や赤黒い染みが付いてしまっているのだから。
「こんな姿になりながらも我々のために動いてくださったのですか?」
 先程まで飄々とした雰囲気を纏っていた町長が一刀の姿を見て、すっかりその様相を変えて畏まる。
 さらに、町長の声を聞いて、部屋の外に待機していた他の町人たちが何事かと部屋へと入ってくる。
「どうかなされたのですか?」
「うむ、御使い様を見てみるのじゃ」
「え……っ!?」
 町人たちは、一斉に一刀へと視線向け、すぐに目を見開き驚きを露わにした。そして、町長に続き、町人たちまでもが畏まってしまった。
「ちょ、ちょっと、そんなに畏まらないでください」
 固くなってしまった場を、一刀がなんとかほぐそうと試みる。
「いや、村長の言うとおりだ。そんなになってまで俺たちを……」
 その発言で、さらに場が重くなる。さらに慌てて一刀が手を振ってなんでもないと示す。
「ちょ、ちょっとそんなに暗くならないでください。それと、今はまだ俺の仲間が戦っている最中なので、そろそろ失礼させて、もらいたいのですが……」
 今も戦っているであろう公孫賛や趙雲が気になり、一刀はすぐにでも動き出したいと思うが、それを抑えつつ町長の反応を伺う。
 町長は腕組みしなにやら考えるような仕草を取った。
「そうですか……お仲間が戦っておられるのですか」
「えぇ、正門にてこの村を護るために戦っています」
 そして、町長はそのまましばらく一人で頷いたかと思うと今度は顔を上げて一刀を見つめる。
「……わかりました。我らも微力ながら手助け致しましょう!」
「え!?」
「我らとて、このまま助けられっぱなしというわけにはまいりませぬからのう」
 町長が立ち上がり、町の男たちへと視線を巡らしていく。
 すると、一人の町人が口を開いた。
「そうだ! 俺たちも立ち上がろう!」
 それに、続くように次々と声が上がる。
「今は、頼もしい人たちがいるんだ!」
 町人たちは、口々に戦う意志を言葉に乗せて出していく。盛り上がり始めた場に一刀は待ったをかける。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。本当にいいのか?」
「あぁ、俺たち御使い様の傷だらけな姿を見て思ったんだ」
 一人の町人の言葉。それに別の町人が続くように口を開く。
「本来なら、そんな目に遭わなくていいような方がぼろぼろになってまで俺たちを救おうとしてくれている……なのに、当の俺たちがのんびりしてるなんておかしい! そう思うんすよ、へへ」
 そう言って、町人たちは一刀を見つめる。その視線に含まれる決意を読み取り、一刀はため息を吐く。
 そして、気持ちを切り替えると、表情を引き締めた町人たちを見つめる。
「みんなの気持ち……よくわかりました。それじゃあ、頼みたいことがあります」
「頼み……ですか?」
「えぇ、この町にある矢を出来るだけ集めてほしいんです。もし可能なら、黄巾党が武器庫にしてたところからも出してきてください。それから、集めた矢は正門へと運んでください。そこに弓兵が何人かいるので彼らに矢を渡してください。おそらく、もう少しすると矢が不足してくるはずなので」
 そう、趙雲と共に白兵戦をこなせる兵だけでなく弓を扱うのに長けた兵も潜入部隊にいた。だが、身軽に動くため本来よりも矢の数を減らしていた。そのため、正門で戦っている弓兵たちが持つ矢の残り本数も少なくなっていることだろう。一刀はそう予想していた。
「それから、このくらいの寸法の布地と、長さがこのくらいある棒を用意してください」
 布地と棒、それぞれに関して一刀は、望む大きさや長さを伝えて用意してもらうように頼んだ。
「はい!」
 町人たちは、元気良く返事をすると部屋を出ようとする。その背を見送りながら一刀は最後に言葉を付け加えた。
「あ、それと、くれぐれも無茶はしないでください」
 一刀がそれを伝えると、町人たちはニカッと快活な笑みを浮かべ、退室していった。
「町長さん、町の人たちを巻き込んでしまいすみません。それと、ありがとうございます」
「ほぉっほぉっ、これは我らの意志でありますゆえ、お気になさらないでくだされ」
「そう言ってもらえるとこちらとしても助かります。ありがとうございます。では」
 町長に再度一礼をすると、一刀は退室した。

 黄巾党は思ったよりも粘っている。それを見ながら公孫賛は舌打ちしたい気持ちに駆られる。だが、それよりもかなりの重労働をしているであろう趙雲の事が気がかりだった。
「なかなかしぶといな。さすがに、星が心配だな……」
 先程から、敵の前曲を趙雲が中心となる趙雲隊が倒し、後曲を公孫賛たち本隊が削っているという情況が続いていた。だが、それでも敵の隊はなかなか乱れない。
「くそ、さすがに長引いてきたな……しかし、なんとか矢の補給は出来ているようだな」
 なんとか公孫賛が確認できた趙雲隊の動きの中に弓兵の攻撃があり、それはまだ続いている。そのことから公孫賛は、趙雲隊がなんとか矢を確保できたのだろうということは伺うことができた。
「最後までもてばいいが……」
 公孫賛が趙雲たちのことを案じていると、黄巾党の部隊がざわめきだった。
「む、何事だ!? 敵部隊が乱れているようだが……」
「は、ただいま確認しましたところ、町内に複数の旗が見られるそうです」
「複数の旗?」
「は! 大小合わせ、およそ千から千五百ほどの旗が確認できます」
「千五百だと!?」
 そのあまりの数に公孫賛は聞き返した。
「しかも、どうやら十文字旗であるようです」
「十文字……一刀か!」
 公孫賛軍の潜入額の中で十文字旗を使っているのは一刀だけだった。
「そのようです。敵はおそらく、あの十文字旗を見て更なる増援が町に潜んでいたと思っている様子」
「なるほど、それで敵の士気が落ちたか……よし!」
 公孫賛は、一呼吸すると気合いを入れ直した。そして胆に力を込め、一気にため込んだ息を吐き出す。
「聞けぇ! 公孫の勇士たちよ! 敵は今、混乱し、隊列は乱れ、士気が落ちてきている。これを好機と知れ! 今こそ、決着をつけるのだ!」
「うぉぉおおー!」
 黄巾党の士気が落ちていくのに対して公孫賛軍の士気が上がっていく。確実に流れは自分たちの方へと向き始めている、公孫賛はそれを確信した。

 村のあちこちに旗が立てられているのを一刀は満足げに見ていた。
 もちろん、それらは正規の旗ではない。模造品、つまり偽物である。この旗は、先程町人たちに集めてもらった布地と棒を使用して一刀たちが作ったものだった。
 そして完成した模造の旗を一刀たちは正門付近に出来る限り多めに立てていった。
「しかし、これだけでよかったのですか?」
 風にはためく十文字の旗を見つめる一刀に、一人の町人が訊ねてくる。一刀はその町人に深々と頷いてみせる。
「あぁ、模造とは言え遠くから見ればちゃんとした旗だ。黄巾党の奴らが外からあれを見れば、いま自分たちが交戦している兵たち以外にも、まだ村の中に潜入した兵が大勢いると思わせることができるし、それだけで十分だから」
 そう、ただ旗を多くあげてみせればいい。
 何故なら、これは、本隊と趙雲隊によって消耗させられたことによって精神的にも疲弊しているはずの黄巾党に、公孫賛軍のさらなる増援の影をちらつかせることで、黄巾党の動揺を誘うことを狙いとした作戦だったからだ。
 そして、その作戦も成功の兆しを見せている。それを確認して一刀は動くことを決意する。
「さて……と、それじゃあ俺も正門へ向かいます」
「お気をつけください」
「ありがとう」
 近くの町人たちに別れを告げると、一刀は何か動きがあったらしい正門へと向かって駆けだした。

 町内に見える旗に動揺した黄巾党の隊列が乱れていた。
「ほぅ、一刀殿も考えましたな……ならば、ここいらでこの戦いの決着をつけるとしよう」
 そう粒やカイながら趙雲は黄巾党の兵たちをなぎ払う。
 吹き飛んだ黄巾党兵に向かって弓兵の攻撃が襲いかかる。弓兵の矢が尽きていないところを見るかぎり、補給できたのだろう。そんなことを考えつつ趙雲はさらに前へと出ていく。
「我は、趙子龍! 黄巾の頭よ! お主に一騎打ちを申し込む!」
 趙雲の呼びかけに応じたのか、黄巾党の動きが止まった。そして、頭に黄色い布を巻いた群衆の中から一人の男が趙雲の方へと歩み出る。
「いいだろう! こちらとしてもこれで決着がつくならありがたいぜ!」
 そう言うと、男は手に持つ大剣を構える。
「我が名は―――冥土の土産にするがいい!!」
 男が名乗るのに合わせ強風が吹き、趙雲は彼の名前を聞くことが出来なかった。やむを得ず趙雲は聞き返そうとするのだが、どうやらそれはかなわないらしい。
 何故なら、男がすでに戦闘態勢に入っていたからである。
「ゆくぞ!」
「はぁ……名はわからずじまい、か!」
 男が振り下ろしてきた大剣を趙雲は龍牙の刃で滑らせながら弾く。
「はぁぁああ!」
 趙雲が捌いたことで、がら空きとなった男の背中へ龍牙による突きを放つ。だが、男が背中へと回した横幅のあ
る大剣の刃によって受け止められてしまう。
「あぶねぇ、な!」
 男は、その態勢から振り返りつつ躰を軸に背中の大剣を横に振り抜いてくる。趙雲は、それを半歩下がることによって躱し、大剣の斬撃が通り過ぎた瞬間を狙い男との距離を詰める。
「せぇいっ!」
 趙雲は、遠心力と大剣自体の重さによって伸びきろうとする男の腕へ同じ軌道を描きながらも、より速い一撃を与える。
 それによって男の腕は更なる加速を受け、その影響によって男の腕は様々な効果によって重さを増した大剣を支えきれず、手放した。
 大剣が地に突き刺さるのと同時に趙雲は男の首元へ龍牙の刃を突き立てる。
「くっ……」
「勝負ありだな!」
 趙雲のその宣言で勝敗は決した。これで黄巾党の部隊との戦いも終わるだろう。
「黄巾党の兵よ! これによりこの戦いは終結だ! 大人しく投稿せよ!」
 頭がやられたのを見て、黄巾党の兵たちは己の武器を投げ捨てていく。
 その後、趙雲隊は黄巾党の部隊を拘束して本隊へと引き渡した。
 補えた者たちの処分に関しては公孫賛にまかせることにして、趙雲はすぐさま一刀の元へと戻っていった。

 一刀が正門についたとき、趙雲と黄巾党の男が戦っていた。
 その成り行きをただ黙って見守ることしか一刀には出来なかった。それでも、せめてとばかりに内心で応援はしていたりする。
 そして、趙雲が男の喉元へ刃を突き立てることで勝敗が決した。
 公孫賛軍の兵たちが歓喜の声を上げている中趙雲が一刀の方へと歩み寄ってくる。さっそく一刀は労いの言葉を投げかけた。
「星、お疲れ様」
「一刀殿こそ、矢の件、旗の件ともによい働きでしたぞ」
 相変わらずな微笑を浮かべながらこちらへやってくる趙雲。その姿は、戦闘後であることをまったく感じさせない程、余裕に満ちあふれているように一刀には見えた。
「いや、これくらいじゃあ、全然足りてないさ」
 そんな趙雲を見ながら、それに引き替え自分は……とつい暗い感情が心を覆いかける。そんな一刀の様子に気がついたのか趙雲がじっと見つめる。
「なるほど……やはり、昨晩なにかありましたか」
「あぁ、実はさ――」
 そこで、一刀は昨日起こった出来事を趙雲に漏らすことなく話しつくした。一刀が語る間、趙雲は一切口を挟まずただじっと聞き続けていた。
 そして、一刀の話が終わったところでようやく趙雲が口を開く。
「……なるほど。それで、一刀殿はどうなさるおつもりなのですかな?」
「あぁ、俺は――」
 一刀は、自分なりの考えを趙雲へ正直に答えた。

 戦闘終了後、公孫賛軍の中枢人物たちは町内にて戦闘の後処理とそれに伴う会議を行っていた。
 会議は滞りなく進み、あとは今回の成果と損失に関する話をするだけとなった。
「それじゃあ、最後に今回の戦について各隊報告を」
「は! まず我々は……」
 各隊の隊長が一人ずつ、今回の戦における報告をしていく。どの隊もそれほど、被害は見受けられなかったようだ。
「さて、次は北郷隊だな……」
 一刀の隊の報告となり、そちらへ視線が集まる。
「あぁ……北郷隊は潜入の際、兵の半数近くを損失」
「半数もか!?」
 意外な報告に公孫賛も思わず声を大きくしてしまう。
「あぁ、罠にかかったんだ。俺の失態だよ……罰はなんなりと受けさせてもらうつもりだ」
 そう告げると、一刀は頭を下げた。
「まぁ、待て一刀、確かにそれはお前の失態だ。だが、お前はそれと同じくらいに良い動きをしてくれた」
「…………」
 一刀はただ黙って公孫賛をじっと見ている。その瞳は、どこか許しを求めているようにも見えるし罰を求めているようにも見える。とても奇妙なものだった。
「そこで、お前には今後しばらく、後曲で私の横にいることを命じる」
「……それでいいのか?」
 一刀は、どこか納得のいっていないような顔をしながら公孫賛を見る。
「あぁ、今回お前がもたらした損失と利得を差し引けばこのくらいだと私は思う。皆はどうか?」
 一通り確認をするが、特に否定意見が出るようなことはなかった。
「よし、一刀の罰はそれで決定とする。それじゃあ、次の隊の報告を」
 その後の報告は、再び滞りなく淡々と進んでいった。
 会議と各処理が終わり、公孫賛は村の中を歩いていた。
「やっと、終わったか……すっかり暗くなってしまったな」
 戦が終わり、公孫賛が後処理を終えたころにはすでに日は落ちていた。
「それにしてもあいつはどこにいったんだ?」
 先程から、公孫賛はある人物を探し続けていた。
「おや、白蓮殿。いかがなされた?」
「あぁ、ちょっと一刀を探してるんだが見なかったか?」
「一刀殿なら先程、あちらの方へ向かうのを見かけましたぞ」
 そう言って趙雲は裏門の方角を指さした。
「そうか、ありがとな」
「いえ、では私はもう行きますので」
「あぁ、すまんな」
 趙雲と別れると、公孫賛は彼女から教えられた方へと歩き出した。しばらく進み、ついには裏門まで辿りついてしまった。それまで一刀らしき人影を見かけなかったためこの裏門付近にいるとふんで公孫賛は辺りを見回す。
「うぅむ、一刀はどこだ……いたっ!」
 裏門付近を探す公孫賛の視界が、村側ではなく旧道に面した側――つまり村の外に一刀の姿を見つけた。
 一刀は裏門の壁に寄りかかるようにして座り込み、まるでどこか遠くを見つめているかのように山の方を見ていた。 公孫賛は、取りあえず一刀の横に座りながら声を掛ける。
「なにやってるんだ?」 
「ん? あぁ、白蓮か……どうしたんだ?」
 公孫賛に気づいた一刀が笑みを浮かべた顔を向ける。だが、公孫賛にはそこに違和感を覚える。そう思いつつも公孫賛は特に顔を見合わせるようなことはせず一刀がしていたように空を見上げながら口を開いた。
「いやなに、ちょっと一刀と話がしたくてさ」
「ふーん、なんの話だ?」
「率直に聞く、お前は一体どうしたんだ?」
「え?」
 隣で一刀が息を呑んだのが気配でわかった。まさかそんなことを訊かれるとは予想していなかったのだろう。
「え? じゃない! さっきの会議のときのお前はどこかおかしかったぞ」
「そ、そうかな?」
「あぁ、それに今だって変だ」
 公孫賛が指摘すると、一刀は笑いながらそれに答える。
「ははは……そんなことないよ。俺はいたって普通だよ」
「私を見くびるなよ! お前のことはよく見てるんだ! いくら取り繕ってもわかるぞ!」
 尚もごまかそうとする一刀に対し、公孫賛は何故一人で抱え込むのかという怒りと自分は話すほどの価値を見いだされていないのだろうかという悲しみ、二つの感情が溢れてくる。
「なっ!? わ、悪かった……話すよ、だから泣かないでくれよ」
「え!?」
 公孫賛は、そこで初めて気がついた。自分の頬を一筋の雫が流れ落ちていたことに……。無性に恥ずかしくなり公孫賛はぐしぐしと目元を拭った。
「べ、別に泣いてなんかない!」
「はは、でもそこまで真剣になってくれてる白蓮に言わないわけにはいかないな」
 そう言って、一刀は空を見上げ、語り始めた。
「今回、俺の失敗で多くの仲間を失った……」
「だが、戦で失われてしまうことはあるだろ?」
「あぁ、それは……言い方が悪くなるけど、しょうがないことだっていうのは、俺も理解してるんだ。だけど、今回のことは俺の力のなさが招いたことだ。本来なら失われないはずだったんだ」
 そう告げる一刀の顔はどこか切なかった。なんとか慰めようと公孫賛が声をかけようとするが、それよりも速く一刀が言葉を続ける。
「実はさ、以前にも俺には大切な仲間がいたんだ。共に戦い続けた、まさにかけがえのない仲間ってやつさ」
 そう言って、一刀は瞳を閉じる。その仲間のことを思い出しているのだろうか。
「でも、俺はその仲間たちを失った……」
 一刀は静かにそう告げる。一刀にそんな過去があったというのが公孫賛には意外だった。普段から明るく、そんな雰囲気など微塵も感じさせていなかった……だから公孫賛は知らなかった。そして知りたいとも思った、一刀が普段浮かべる笑顔の舌にどれだけの苦悩を抱えてきたのかを……。
 公孫賛がそんなことを考えている間にも一刀の話は続いていく。
「それも、俺の力が無かったからなんだ……武においても知においてもろくに役に立たなかった。それに、きっと思慮にも欠けていた……」
 そう言いながら、一刀はそれに手をかざしてじっと見つめる。そんな姿を眺めながらも公孫賛には、一刀にかけてやるべき言葉が思いつかなかった。
「なのにさ、みんな俺と共にいてくれたんだ。なのに、俺は……」
「一刀……」
「はは、そんな顔しないでくれよ。俺は仲間との別れの直後、すぐこの世界に来ることになったんだけどさ、そこで白蓮と出会った。だから……まだ、マシなんだよ。多分」
 おちゃらけた口調で語る一刀の表情を伺ってみると普段と変わっていないように思える。だが、公孫賛は気づいた、よく見れば先程と同じ違和感があると。
 一刀の話を聞いている内に公孫賛はその違和感の正体に気づき始めた。
「一刀!」
「ん? どうしっ!? うわっ!」
 一刀が妙に慌てる。その理由は、公孫賛が一刀の頭を引き寄せて胸に抱えこんだからだ。普段の公孫賛なら、恥ずかしくてこんなことは出来ないだろう。だが今の公孫賛は、一刀にこうしてやるべきだという直感に従っていた。
「なぁ、一刀。お前はもしかしてずっと悲しいのを堪えてきていたんじゃないのか?」
「えっ!?」
 頭を撫でながらそう問いかけると、一刀の息を呑む声が聞こえた。
「私と出会ったのはこの世界に来てすぐなんだろ? なら、一刀はこの世界ではずっと自責の念と悲しみに囚われ続けていたんじゃないのか?」
 そう、そんな想いに囚われ続けていたからこそ、一刀は昨晩の一件によって仲間を失ったことによりため込んだ負の想いを解き放ってしまったのだろう。そして、あの一見すると普通なのにどこか違和感を覚えさせる顔をするようになっていたのだろう。
 そこまで公孫賛の中で推察が進んでいった。そして、それならば一刀のため込んだ感情を爆発させてやる存在が必要だろう……そう結論づけたからこそ、公孫賛は突飛とも取れる行動を起こしたのだ。
「…………」
 公孫賛の考えが当たっていたのだろう、最初は抵抗をみせていた一刀も気がつけば大人しくなっていた。
 もう、何も言わなくなった一刀に語りかけるように出来るだけいたわるように話しかける。
「もし、今回の件でさらにため込もうとしているのならそれを私にぶつけてくれ……私はそうしてもらったほうが何百倍……それどころか何千倍と嬉しいぞ」
 公孫賛はそう言って一刀の頭を抱える腕に少し力を込めた。そして、公孫賛はさらに言葉を続ける。
「私は、お前の笑った顔が好きだ。だけどな……お前に無理をしてまで笑っていてほしいとはまったくもって思っていない」
「…………」
「だからな、もし私でよければお前の悲しみを一緒に背負わせてほしい」
「……ぐすっ」
 公孫賛の言葉に、今まで動いていなかった一刀の肩がぴくりと震える。あともう一押しと判断した公孫賛は促し始める。
「ほら、全部ぶちまけてしまえ」
「ぐっ、お、俺は――」
 このとき、公孫賛は初めて悲しみに身を震わせるという人間として最も弱い部分を晒す一刀の姿を見た。
 そして、同時に今までどこか強いように見えた一刀もまた自分と同じ一つの存在でしかないことに気づかされた。
 しばらく泣き続けた一刀は公孫賛の胸から顔を離して笑顔を浮かべる。そう、公孫賛が好きな太陽のような笑顔だ。
「ありがとうな白蓮。もう大丈夫だ」
 一刀の笑顔に見とれていた公孫賛は反応がわずかに遅れる。それを訝る一刀に公孫賛は慌てて言葉を発した。
「な、何気にするな! 私は一応お前を雇っている身だからな。こういうことも大事なんだよ」
 恥ずかしさのあまり、公孫賛はつい口から出任せを言ってしまった。まるで仕方なくやったかのような物言いをしてしまったことに気づき慌てて訂正する。
「あ、えっと違うんだ……一刀が心配だったっていうのもあるんだぞ、もちろん」
「はは、本当にありがとう」
「あう……」
 すっかりいつもの調子に戻った一刀は、さらに一段と輝かしい笑顔を浮かべる。それを見た公孫賛は、何故か喋れなくなってしまった。
 そんな状態にあることなど気づくことなく一刀は話し続ける。
「それでさ、今回のことを通して俺は決意したんだ」
「え?」
 顔を向けた公孫賛の目の前には、一刀の真剣な顔があった。
「俺の力のなさがあの結果を招いた……だから俺は、二度と仲間を失うことのないように、より一層の努力をする!」
 一刀は、語っている内に熱くなってきたのか拳を握りしめていた。
「そして、いつか大切な仲間を護ることの出来るようになってみせる!!」
「そうか……」
「だけど、今の中途半端な状態じゃ駄目なんだと思う。だから」
 そこまで言うと一刀は公孫賛を見つめる。真正面からのためわずかに公孫賛の頬が熱くなる。
「俺を……正式に白蓮の元で働かせてくれ!」
「……わかった。取りあえず部下たちと話した上で決める。それまでは待っていてくれ」
「あぁ、待つさ。そして絶対、白蓮と白蓮の大切な人たちのことを護れるようになってみせる」
 一刀はそう言うと、子供っぽく笑った。笑みは子供っぽいのに、その瞳はどこか大人びていた。そんな表情に公孫賛は、一瞬意識を奪われたがすぐに我に返り自分の失態を誤魔化すように、そしてそれ以上に一刀の決意を喜ぶように公孫賛は笑みを浮かべた。
「ふふ、楽しみにさせてもらうぞ。……だがな、一刀、お前はすでに護ってるんだぞ」
 最後の方は、一刀に聞こえないように呟く。そう、公孫賛は目の前の少年に心を護ってもらっている。きっと、それは他の者たちもそうなのだろう。知らぬは本人ばかりということに違いないのだ。
 公孫賛は、そんな想いはあえて口には出さず、心の中に秘めたままにするのだった。
 その後、公孫賛と一刀は他愛のない話を交しながら村の中へと戻っていった。

 黄巾党との初戦に勝利した公孫賛軍は、補えた者たちを取り込むことに成功していた。
 経緯としては、改めて訊いたところ黄巾党の他の隊はわからないが、少なくとも公孫賛軍とぶつかった隊はこの大陸に太平をもたらすことを目標に動いていたらしい。
 つまり、彼らはやり方を間違えてはいたものの、その心の内にあるのは他の賊軍などとは違い、真に安息を願う想いだったわけだった。
 それを聞いた公孫賛は「ならば、正しいやり方で実現しないか?」と言って彼らを勧誘し、見事成功したというものだった。
 それからも、公孫賛軍は黄巾党との戦いを続けていった。黄巾党の部隊の討伐を始め、最終的に冀州方面に向かい本隊の撃破に討って出る予定もあった。だが、近隣の烏丸族の元へ逃げ延びた黄巾党の対処に追われるはめになってしまいその予定は消えていった。
 だが、その戦いにおいて、黄巾党の残党および、烏丸族を取り込むことに成功し、公孫賛軍は更なる兵力増加に成功したのだった。
 公孫賛軍が動き回っているように大陸中も様々な動きが起こり、次第に戦況は変わっていた。
 黄巾党は各地で討伐され、徐々に数を減らしていく一方となっていた。
 そして、とある日に報せが届いた。内容は『官軍の将である董卓が黄巾党の頭たる張角、およびに、張宝、張梁を討ち取られし。これにより本隊の討伐を成功させり』といったものだった。
 どうやら北中郎将盧植の後任に就いた董卓軍が最終的に決着をつけたということらしい。
 ただ、風の噂によると黄巾党を本格的に追い詰めていたのは『覇王たり得る少女』率いる軍だったようだった。つまりその軍は、おいしいとこどりをされたということになる。
 その話を聞いた一刀は、長い黒髪の少女が怒り狂い、それを少し短めの水色がかった髪をしている妹と、小柄なのに強大な少女が宥めるといった光景を思い浮かべた。
 その際、思わず笑ってしまい、近くにいた兵をひかせてしまったのには一刀自身まいった。
 実際のところ、その一戦を機に黄巾党は縮小していきほぼ壊滅といった状態まで追い込まれることとなった。こうして大陸中の人々を震撼させた黄巾党は大陸からその姿を徐々に消していったのだった。

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