[戻る] []

196 名前:カルテル ◆wUtPI8WczI [sage] 投稿日:2009/02/15(日) 23:42:39 ID:GnaUAowG0
私はカルテル。
コミンテルンな女。
0時に投下を始めるわ。

今確認しているところだけど、多分15分割になるわ。



 かつては魏の、そして今は中つ国の首都たる洛陽。その王たる曹操が構える居城はそれに見合い立派なものだ。
居城の大きさそのもので言えば、呉も蜀もそれに劣らぬものがあるだろう。とはいえ、曹魏が優れているのは、
何も城の雄大、巨大さではない。
 豊富な糧食に裏打ちされた兵力、そして人口。街ではなく都とも呼ぶべきそれを守るだけの力を持つことこそ、
曹操が誇る牙城の最も強き点である。

 しかし、それも今は昔。魏によって大陸が統一されてからは大きな戦もなくなり、せいぜいが野党の類や、散
発的に反乱を起こす身の程知らずがいる程度。その重要度から防衛に関して細心の注意を張られる洛陽だったが、
かつてほど兵に力を割くようなことはなくなっていた。
 無論、それで経済力などが目減りすることはなく、普段の住民の暮らしが大きく変わることもない。緩やかに
時は流れ、それと同じか、それ以上にゆっくりと街も人も変化していく。

 それはかつて、最後の戦いを前に張遼が予想していたとおりの社会のつくりだった。

「そろそろ、潮時やなぁ」

 泣いたり笑ったりできなくなるほど新兵をかわいがった後、一人張遼は誰ともなしに呟いた。いや、その脳裏
には確かに伝えるべき誰かはいたのだけれど、いないものは仕方ない。いや、もしかしたら、いないことを確認
するためにあえて呟いたのかもしれなかったが、流石にそれを認めるほど張遼は己の弱さを良しとしなかった。
 甘えるのは一人だけだと、霞として決めているのだ。そして武人たる張遼もまた、人に甘えることを惰弱だと
思っている。二人の思考が一致しているのだから、他に道はない。
 仮に張遼の考えを変えるとすれば、それは主たる曹操の命以外に道はない。
 そして霞の考えを変えるとすれば――

「ああ、あかん。もうホントに限界やな」

 これまで、よく保ったほうだ。猫にも称されるような気まぐれで、でも猫と同じように心底では一途な張遼が
ここまで我慢したのだ。他の誰が認めずとも、天はそれを褒めてくれるだろう。

 もうこれ以上は、自分の力は必要ない。

 それが魏の武官、神速の張遼が下した、冷静な判断だった。





「今宵子の刻、練兵場まで一人で来られたし、か」

 蜀が誇る最優の武人関雲長は、与えられた個室の扉にはさまれていた手紙を読み終えると、軽く一息ついた後、
確認するかのようにもう一度口にした。しかし、それで文面が変わることはない。

「いったい何のつもりだ、張遼」

 目的も理由も一切書いてない一言だけの手紙。末尾に名前がなければ悪戯と切って捨てただろう。恋文かとも
思ったが――なぜか関羽は部下の女性に告白されることが多かった――、それにしては艶がなさ過ぎる。それに
慣れていない武人が書くとこうなることもあるが、それにしてももう一言二言は添えられるものだ。
 そして何より――

「書に意思が込められすぎている」

 関羽とて書人ではない。文字は書けるし政務に差しさわりがない程度にも学はある。それでも、芸術家と問わ
れればそうではない。彼女はどこまで行っても武人であり、関羽はどこまでも関羽だ。
 だからこそ、その関羽としての感性が告げていた。
 この書は、そしてその書き主は、尋常でない果し合いを自分と望んでいるのだと。

 わずかな思案があった。客人・客将として魏に招かれている今の関羽の立ち位置として、宗主国――あまりに
認めたくない事実だが――である魏と事を構えるわけにはいかない。

 不思議なことに、関羽は己の直感を何一つ疑うことはしなかった。それに対する疑問すら浮かばない。だから
なぜそのように思い至ったかのかすらも、彼女自身は知る由もなかった。
 実のところ、関羽は既に手紙を受け取る前からいつかこのようなことが起きるのではないか、と予測していた
のだ。そうは思わずともよい。ただ、本能とも呼ぶべき部分。関羽の関羽たる根源が、張遼から差し向けられる
好奇の眼差しを、その根底にある武人としての性を感じ取っていたのだ。
 衝突がいつか、まではさしもの関羽もわかりはしない。だが、此度の演習。新兵を訓練し終えた後にふとした
隙に見せた西方に向けた寂しげな横顔が、別れを感じさせたのだ。

 ああ、この将はどこか遠くへ行く、と。

 そうまで理解してしまっては、もはやこの関雲長、断る術を持ってはいない。気位高い彼女が、別れを前提に
した最後の申し出を断ることなどできはしない。それが武に関わるならばなおさらだ。
 後ろめたいことはない。武人が武人の心を汲むのはむしろ当然のことであり、何はばかることがないのだから
断る必要もない。それを咎めるようであれば、己が相棒である青龍偃月刀で、それこそ斬って捨てるまで。

「張遼よ、この関雲長の一撃、土産とするには冥土まで持っていく他ないぞ」

 ひとたび槍を握れば、もはやそこには客将ではない一人の武人が再び舞い戻っていた。



「お、時間通りやな。流石関羽。話がわかるでー。もしかしたら来てくれへんかと思ってちょっぴりドキドキし
とったのは秘密や」
「言ってしまっては、秘密も何もないと思うが? 張将軍」

 人っ子一人いない夜の練兵場。秋の夜長に冷たい風が吹くが、しかしそれ以上に燃える体を持て余す二人にと
っては、それこそ涼風に等しい。

「いやまあ、でも、ホントよう来てくれた。感謝するで、関羽」

 言って張遼は己の馬に括られていた己の相棒を横手で取り上げた。かつて関羽も見たこともある、もう一つの
青龍偃月刀。正しくはその名を、飛龍偃月刀と言う。張遼が憧れた関羽の武の象徴たるそれを、馬から離れると
一度二度と振り手に馴染ませる。その動きはどこまでも自然で、まるで初めからその獲物を使い続けてきたかの
ようだった。答えるように、関羽もまた槍をしごき、空を切る。
 鋭く裂かれた二人の間に、太刀のように風が吹き込める。

「何でウチが呼んだか、その様子やと分かってくれたみたいやね」
「ああ、あんな書を見せられては、わからないほうがおかしいだろう」

 二人の間合いはおよそ十歩ほど。長柄を持っているのであれば、そんなものはないに等しい距離だ。特に二人
にとっては、瞬き一つで消え失せるほどだろう。

「……行くのか?」」

 いくつもの荷物を積んだ馬があれば、そう思うのが当然だろう。そして事実、張遼はこの洛陽を離れる心算だ
った。そして舞い戻るつもりもない。

「ああ。ウチにしてはずいぶん長い間待っとった方や。でも、これ以上はアカン。自分が腐るのが分かる」

 その答えに、関羽は一つ頷いた。何もかもを理解しての行動であれば、もはや関羽に止める術はない。

「そうか、ならば是非もない」
「一応、ウチのほうからも最後に聞いとくわ。ホンマにウチと手合わせしてもええのん? ウチが言うのもなん
やけど、かなり自分勝手な願いやで。関羽にはいいこと一つもないし、もしかしたら問題になるかもしらん」

 いざ槍を突きつけあうところまで行き着いて、何を今更。二人の胸に共通した苦笑が去来する。張遼としては
手紙を送った時点で。関羽としては、槍を持ってこの場に現れた時点でもはや意志は決まっているのだ。
 だが、当然といえば当然ではあるが、それをお互い確認したことはない。
 仮に留まれるとすれば、ここが最後。もし一度関羽が頷けば、もはや衝突は避けられないだろう。しかし逆に
関羽が首を横に振れば、張遼は残念がりはするだろうが、無理には戦いを望みはしない。そのまま馬に乗って、
洛陽から去るだけだ。
 そうなれば関羽にしては何もする必要はない。誰も何も知らなければ、張遼の失踪について罰せられることも
ないのだから。

「何、簡単なことだ」

 しかし、関羽は笑った。

「うん?」
「ここで叩きのめして、曹操に張遼が逃げ出そうとしていたと突き出せばいいだけのこと。それならばお前の望
みはかない、私の首が飛ぶこともない」

 獰猛で、可憐で、美しく、気高く、力強く。そして何より関羽だと思わせる笑みだった。きっとその言葉はど
こまでも冗談で、どこまでも本気で。何も二分することができず、ただ一つの塊としてそこにある。

「は、はは」

 それを受けて、張遼も笑った。獰猛な猫科のように口元を歪ませて、猛禽のように目を細めて。それでいて、
不快を一切伝えない、清々しい笑みだ。きっとこれは、関羽にだって浮かべられはしない。
 そうして二人して歯を見せ合って、野生ならばそれは威嚇になるのだろう。そして野生を超えた武人の二人が
笑みを交わしたならば、もはや言葉よりも態度よりも十全に想いをやり取りできる。
 そして刃を交えれば、さらに深く……。

「いざ尋常に!」
「勝負!」

 名乗りの間も惜しいとばかりに短い言葉を最後、二人は弾丸のようにはじけ飛んだ。先手も後手も様子見すら
ない、真っ向からの打ち込み合い。
 夜の帳に、槍の穂先が弓張りの月を描き、遅れて一瞬の閃光。闇夜に火の華が咲く。金属同士の衝突とは到底
思えない――たとえ戦場であろうと千里まで届くのではないか――そんな激しい音が、誰もいない練兵場に響く。
 と思えば、二人は既に次の行動に移っていた。無理に力押しで鍔迫り合いに移るのでもなく、手に残る反動を
活かしてその場で反転。あるいは、痺れすらも踏み倒してさらに前へ。
 次撃はさらに強烈だった。遠心力そのままに振るわれた飛龍偃月刀と、前へ、前へと愚直なまでに一途な青龍
偃月刀がぶつかり合う。
 それもまた互角。空気がびりびりと震える。秋の風に運ばれてきた木の葉などは、触れてもいないのに粉々に
千切れて飛んだほどだ。それだけに飽き足らず、二人が踏みしめた地面、そこにある小石すらも砕けていた。

「ハハ」

 久しくない衝動に笑みを誘われ、張遼は喉を震わせた。己にこれほどの全力を出させるのは、この関羽を置い
て他にいない。戦いに血を躍らせながら、しかし、常にどこか冷静に俯瞰しているこの張遼を心の底から戦いに
震わせることなど、他に誰もいないのだ。
 張遼と互するか、それ以上の力量を持つ夏侯惇でも、呉の武の頂点に立つ孫策であろうとも、三国一と名高い
呂布であろうと、きっと張遼は勝つにせよ負けるにせよ、勝負そのものに酔いしれることは決してあるまい。
 それが今、すべてを受けきってくれる愛敵が目の前にいるのだ。
 これが武人として笑わずにいられようか。

「ハハ、すごい。関羽、すごいなぁ!」

 十重二十重と連撃繰り出しながら、それでも刃が髪の毛一つに届かぬ。それどころではない。一瞬でも気を抜
けば即座にその場で命が消えてしまいそうな鋭い反撃が襲い掛かる。
 それはとりもなおさず、関羽からの信頼であり、返礼なのだ。この程度で倒れてくれるな。お前はそんなにも
弱くないだろう、と。
 これが試合だということも忘れてしまいそうになるほどの興奮。その狂喜に身を任せたくなるところを紙一重
のところで押さえ込み、我知らず篭めてしまっていた無駄な力を息とともに吐き出す。
 武人としての果し合いを望みながらも技を忘れて獣のように襲い掛かる。それは張遼の望むところではない。
 関羽にとっても、技を捨てた獣を討ち取るなど造作もないことであろう。
 どこまでも我を忘れながらも、身についた武が張遼を押しとどめる。一合、一秒、一刹那。そんなわずかでも
いいから関羽と長く戦いたい。そんな想いもまた、逆説的に張遼に冷静さを求めさせていた。

「こちらもこれほどとは思わなかったぞ! まさか私と五分に渡り合うとはな!」

 関羽もまた、興奮の只中にいた。己と同じ獲物を持ち、己と等しく技量を持つ相手と打ち合うことなどそうは
ない。剣や槍ならばともかく、異常なほどに長い偃月刀を扱えるものなどこの広い大陸に数えるほどしかない。
 まして、まったくの同じなどと。かつて師に教えてもらったころの記憶が脳裏をよぎる。ただ輝かしい未来を
望み、見つめ、武を磨いていた懐かしい日々。
 それをこの張遼との打ち合いは、思い出させてくれるのだ。

「せやっ!」

 裂帛の気合とともに張遼が放つのはただの一撃ではなく、千変万化と太刀筋を変える鋭い連撃だ。眉間を断ち、
首を切り、心臓を突き刺し、水月を穿ち、腹を薙ぎ、足を払う。
 そのどれもが必殺で、ひとたび応手を間違えればそれだけで果ててしまいそうだ。事実そうだろう。師に学び、
正しく研鑽を重ねてきた関羽であろうと、同じ攻撃は繰り出せまい。套路から学んだのではない、張遼が一人で
求め、関羽に届かせるためだけに磨いた武技だ。張遼の武の一つの終焉の形ともいえよう。

 だから、関羽にはこれは必要ない。

 五体の急所を余さず狙い打つ連撃を前に、しかし関羽はあえて前に出ることを選んだ。すべての攻撃を体重が
乗る前に無理やり押し留める。強靭な足腰があってこそ許される強引な、しかし同時に恐ろしいまでの見切りを
要求される的確な技。こちらもまた、張遼には真似できまい。

 音を立てて、またも偃月刀がぶつかり合う。ただ違うのは、二人は初めてその場に踏みとどまり、鍔迫り合い
の様を成したことか。呼吸で触れ合うほどの間合いで、二人は獰猛な笑みを浮かべた。言葉すらない。

 長物での戦いとは、畢竟面取り合戦に尽きる。相手の面を線と変え、点に落とし。そして自分だけは自由に動
き回れる空間を奪い取る。それができれば、もはや戦いは戦いではなく、一方的な略奪に終わる。
 技量が等しいはずであっても、時に真剣勝負の終わりが時折あっけなく訪れたように見えるのは、この空間の
奪い合いに負けたからだ。むしろ、その前の間合いの奪い合いに目を向ければ、きっと壮絶な争いがあるに違い
ない。
 つまりは、鍔迫り合いは相手の様子を伺うと同時に、こちらも伺われ。ほんの一瞬の気の緩みが死に直結する
守りとはかけ離れたところにあるものだ。
 石突と刃の二つを持つ長物であれば、その緊張感は剣の比ではない。
 だと言うのに笑いあうこの二人の心胆はもはや常人のそれではない。じゃれあう獣ですら可愛く見えるだろう。
 わずかに力を入れ替え、体重のかけ具合を変え、時には目線すらも囮にし。己のすべてをいつか訪れるほんの
一時のために注ぎ込むのだ。かちかちと震える刃の音は、それを知らせる鐘のようなものか。

 終わりが、近い。

 それを悟った張遼の脳裏には、かつてある男に言われた言葉が蘇っていた。

「は? 関羽とは戦うなって? そらまたなんで」
「いや、だからさ。霞が関羽に憧れてるのは分かるし、いざとなればそれを超えたいってのはわかるけど」
「ちゃう! ちゃうでー。いざとなれば、なんかやない。憧れとるのは確かやけど、憧れてるからこそ乗り越え
てみたいんや。駄目やでー。男の子がそんな甘っちょろいこと考えちゃ」
「……はぁ。まあいいけど。でもさ、それで負けたらどうするんだよ」
「そん時はそん時や。命のやり取りなんて武人であればどんなときでも覚悟しておくもんや。その相手が関羽っ
ちゅーんやったら、それもまた悪く――」
「霞!」
「な、なんや! いきなり怖い顔して」
「本気だろうと冗談だろうと、そんなことはもう二度と言わないでくれ。……俺は、霞が死ぬなんて考えたくな
いんだ。戦争をしてるんだから生き死には仕方がないのかもしれない。
 でも、死ぬのが悪くないなんてことだけは言わないでくれ」
「……甘ちゃんやなぁ。…………けど、おーきに。その言葉、関羽と戦うのと同じぐらい嬉しかったで、一刀」

 なぜ今更こんなことが思い出されるのだろう。
 きっとそれは、一刀がいないからだ。消えてしまったからだ。何故関羽との戦いを止めたのか。その理由の説
明もせず、一緒に西方へ行こうという約束だけを残し、消えてしまった薄情者がいないからだ。
 天の国へ帰ったのか、消えてしまったのか。それすらもわからぬまま別れだけを残したあの大馬鹿者が許せな
くて、だからもう魏にはいられなくて。残った約束にだけすがり付いて。
 関羽との全力の勝負が叶った今、ほんのわずかに開いた心の扉から、いてもたってもいられなくなった霞が、
ついと顔を覗かせたのだ。

 それは髪の毛一つ分の隙を狙うこのときにあって、致命的なまでの隙だった。

「もらった!」
「くっ!」

 後悔の吐息が張遼の口から漏れた。
 体と獲物の下にもぐりこまれ、重心ごと飛龍偃月刀を跳ね上げられる。獲物こそ手放さなかったが、今このと
きにあってそれがどれほどの助けになるだろう。無防備に急所を敵の眼前に晒し、例えその場で何とか一撃目を
防いだとしても、続く二撃、三撃目は到底捌けまい。
 もはや趨勢は決したのだ。

 一刀の阿呆――せっかくのこの時に気を抜いた己と、それを許した男を胸中で罵り。

 そして霞の中の一刀が、笑みを浮かべた。仕方ないなぁ、といった風に苦笑して。あまつさえ。だから言った
じゃないかと、幻聴とは思えないほどの現実味を持って霞の耳に呆れた一刀の声が響く。
 それで霞は切れた。張遼も切れた。
 このまま終わっていいのか。終われるのか。約束も守らぬまま消えてしまった男に軽く見られたまま、そして
その男の予想通りなんかに終わってしまって、例え全力を尽くしたからといって自分は満足できるのか。

 ――んなわけあるか、阿呆!

 力の限り叫んだ。言葉にする暇はなかったはずだが、それでも確かに張遼は意志だけで言葉を発した。
 それだけでなく、完全に崩れたはずの姿勢を立て直し。どこをどのように動かしたのかなど、張遼自身にすら
わからない。ただ思うが侭叫んで、動いて。気づけば口からは獣のような咆哮が飛び出ていた。
 それは関羽とて同じで。

「ああああああああああああああ!!」
「はあああああああああああああ!!」

 振り下ろされた飛龍偃月刀と、突き上げられた青龍偃月刀がまたも交錯し――
 そして、済んだ音だけしか残さなかった。今まで幾度も響いた雷鳴のような轟音ではない。
 何故か。
 それに思いをはせる余裕もなく二人は相手に追撃をかけんと振りかぶり。そこに至りようやく、己と相手が空
手であることに気がついた。
 つい、とどちらからともなく空を見上げる。そこには、月が三つ。ただ、二つばかりくるくると回転しながら
徐々に大きくなって。
 落ちている、と気づいたのは果たしてどちらが先か。
 昼間であっても識別が困難な二つの偃月刀だ。この闇夜であっては、例え己の相棒であろうとそう簡単に区別
はつかない。
 逡巡は一瞬だった。どちらも同じであれば、振るう分には支障はない。問題があるとすれば、落ちてくる偃月
刀をこの痺れた両手で受け止められるかどうかだけだった。
 だが、この目の前の相手ならば仮に手で受け止められるずとも、五体すべてを使い、何とかしてその刃を振る
うだろう。
 二人の胸には奇妙にも共通した確信があった。
 だから、動き出すのも同時。回転する偃月刀の柄を受け止めようと両手を伸ばし。

「双方――!」
「――それまで!!」

 突如として横合いから響いた声に気を取られ

「あたっ!」
「くあんっ!」

 二人して偃月刀の柄に頭を強かに打ち据えられた。失神こそしなかったが、それでもかなり痛い。しかもこの
立会いの最中に声をかけるなど、どのような無礼者か。
 二人が激昂するのも無理はなかった。ここまで熱くなった戦いに水を差されて喜ぶ武人はいない。
 だから、二人は気づかなかったのだ。

「誰だっ!」
「ウチらの邪魔をするのは!」

 そうまで熱中していた二人の耳に声を届かせることが、果たして余人になしえるかどうかということに。

 果たして、二人の視線の先にいたのは魏王・曹操と、蜀王・劉備であった。言うまでもなく、二人の主である。
そして語るまでもなく、怒っているのが見て取れる。
 関羽はこれまでにないほど狼狽した。主に黙って相手先の武将と果し合いをしたこともそうだが、主の制裁の
声すら分からなかったこと。これが大きい。仮に声の主が誰かとその場で分かっていれば、武人としての願いを
申し開きできたものだが、何をおいても「誰だ」である。誰何の声を主に向けるなど、不忠の極みだ。
 これでは、いくら劉備に重用されている関羽とはいえ、頭を垂れるしかない。

「も、申し訳ありません、桃香様!」

 一方の張遼もまた、関羽ほどではないが、確かに狼狽していた。彼女と違い、張遼はこの国を出るつもりだっ
たのだから、果し合いそのものには悪びれもしないし、制止の声が誰であったか判らなかったことにしても罪悪
感はない。ないのだが、それでも夜逃げ同然にしていたところを見つかったのは、いかにもまずい。
 さしもの自由奔放な張遼とて、これで冷静でいろというのが無理な話であった。

「あ、あのー、華琳?」
「何かしら、霞?」
「もしかして、怒っとる?」
「あら、怒られるようなことをしている自覚があるのかしら?」

 うひぃ、と小さく張遼は悲鳴を上げた。例え武で上回っていようと、大陸制覇の偉業を成し遂げた覇王曹操の
迫力は、張遼をして心胆寒からしめるものだ。
 慌てて、張遼も膝をつく。

「さて、何か申し開きはあるかしら?」
「今なら、お話はちゃんと聞くよ?」

 聞いたところでどうにかなるわけではないが。
 二人して心に汗を流す。表面上はにこやかにしているところがまた怖い。

「お、恐れながら申し上げます。此度の果し合いは私から望んだことで」
「ちょ、関羽嘘はアカンやん! 華琳、悪いのはウチや。ウチが無理やり関羽を誘って!」

「あー。はいはい。良いわよ。実際のところ大体の流れは予想ついてるから」
「張遼さんが国を飛び出すから、最後の願いに愛紗ちゃんとの試合を望んだんだよね。それで愛紗ちゃんも優し
いから、そういうのに弱くって、頷いちゃった、と」

 ものすごいばれていた。しかも相手を庇うためとはいえ、嘘までついてしまった。恥の上塗りである。

「あら、もう何も言わないの? てっきり私は、霞から一刀がいなくて寂しいだとか、最近仕事に張り合いがな
くなって困るとか、いっそもう出奔しちゃおうかとか、そういう話が聞けると思ったんだけど」
「愛紗ちゃんも、最近偃月刀を使う機会が減ったし、野盗とかじゃぜんぜん物足りないとか言ってたもんねぇ」

 黙りこくったところにこの追い討ち。沈黙すらも許さないらしい。
 それで関羽はともかく、張遼は腹を括った。というよりも、括らざるを得なかった。一刀の名を他ならぬ曹操
の口から出されては、ただ黙っていることなどできるはずがないではないか。

「そうや、大将。ウチの居場所はもうここにはない。あるのかもしれんけど、もう楽しくないんや。大将には悪
いとは思うけれど、これはもう変えれん。止めるんやったら、首を刎ねるしかないなぁ」

 どん、と居直り張遼。その顔には不敵な笑みすら張り付いている。殺せないなどと甘く高を括っているのでは
ない。その逆で、殺されることを覚悟して、その上でなお笑っているのだ。

「何? 死にたいの?」
「まさか。死にとうないよ。せめてもう一度でもかずぴーと顔あわせんことには、死んでも死に切れんわ」

 せやから、止めるには殺すしかない――そう言ってかんらと笑う張遼に、劉備と関羽は目を見開いている。
 一刀、というのは天の国から来たという御使い、本郷一刀のことだろうというのは察しが着く。細作からは、
魏の種馬とも呼ばれていたことも、幾人かの幹部と関係を持っていたことも、そして曹操から寵愛を受けていた
ことも伝えられていた。
 しかし目の前でこうもあけすけに愛を言われては、流石に驚きが先に来る。まさかこの張遼までもが、という
驚愕もあったが、それを素直に打ち明けさせる男の魅力とはいったい何なのか。
 一刀を、そして恋も愛も知らない二人には、埒外な話だった。
 ただ一人、同じ男を愛した曹操だけは、黙って張遼の瞳を覗き込んでいた。王の圧力を前にしても、わずかも
揺れない眼差し。それはかつて、一刀が曹操に向けたものと同じではないのか。
 それで、曹操は折れた。

「そう、なら好きになさい。言っておくけど、餞別なんて期待しないでね。貴方は勝手に出て行くんだから」

 いや、初めから曹操は折れるつもりだったのかもしれない。唯一つ、霞が本気で一刀を探しに出るというので
あれば、という条件だけを心の中で考えて。
 王には、責務がある。そして曹操は王であり、華琳もまた少女でありながらも王であった。その責務を捨てて
一人の男を追うなど、他の誰が許しても、曹操本人が、そして天が許しはしない。
 将とて、同じように責はある。だがそれは、きっと王のそれよりもずっと小さなものだ。
 だから、張遼は行く。行けてしまえる。

「最後だから言っておくわ、霞。私、貴方が羨ましくてたまらないの。だからあの馬鹿を見つけたら、とっとと
帰ってらっしゃい。そうしたらあの馬鹿の次に貴方の頬をひっぱたいてやるんだから」
「ひひ、そら怖いなー。やったら一刀を見つけたら二人で愛睦まじく暮らそーっと」
「霞!」
「冗談や、冗談。
 ……わが槍を預けし主曹操よ、確かに主命、賜った。
 どーんとこの張遼に任しとき! 西は遥か羅馬まで、一刀の噂あればひとっとびや! 大将はじっくり待っと
ったらええ」
「そう。果報は寝て待てというものね。でも私、あまり気が長いほうじゃないの。あんまり遅いようなら、こっ
ちから探しに行くから、そのときは覚悟しておきなさい」

 ひひ、りょーかい、と言って、二人の主従の別れは終わった。あまりにもあっさりしすぎていて、置いていか
れた二人からすれば、絆がないのではないか、そう思わせるほどであったが、だからこそ、目に見えないものが
あるのだろう。

「えーっと、ウチの飛龍偃月刀はっと……」

 だから、その彼女に祝福を願って、関羽はざっと足を踏み出した。

「うん? どしたん?」
「そら、受け取れ」

 そうして、偃月刀を差し出した。張遼が探している飛龍ではなく、彼女が長年慣れ親しんだ青龍偃月刀をだ。

「ちょ、関羽、間違っとるで。こっちはあんたの青偃月刀や。ウチのは峰のほうの装飾が一個多いんよ」
「いや、間違いなどではない。こちらが、お前が持っていく偃月刀で正しい」

 笑って手を振る張遼に、さらに受け取れと偃月刀を前に出す。

「再戦の証だ。次は……私が勝つ。代わりに、私は飛龍偃月刀を貰っていこう。帰ってくるのであれば、問題あ
るまい?」

 そのときは真名で呼び合おう――と、微笑んだ関羽の笑顔は、有体に言ってしまえば、美しかった。
 茫然自失とした張遼が、知らぬ間に差し出された偃月刀を受け取ってしまう程度には。

「は、いかんっ!」

 気づいたときにはもう遅い。張遼が青龍偃月刀を受け取ったのを確認すると、関羽は既に張遼の飛龍偃月刀を
その手に持っていた。確かめるように素振りをして、うん、などと満足そうに頷いてもいる。
 まさかいまさら、やっぱなし、などといえるような状況ではない。

「あっちゃー」

 苦笑して、張遼は月を、その先にある天を仰ぎ見た。

「まったく、やっかいな約束ばかり増えていくなぁ」

 なあ、一刀――

 旅立ちの荷物は少なければ少ないほどいいと言ったのは、いったい誰なのか。
 少なくとも、この日の張遼には、増えた荷物の重さは、逆に心地よいものだった。



234 名前:カルテル ◆wUtPI8WczI [sage] 投稿日:2009/02/16(月) 00:51:56 ID:Igxhtl+00
私の名はカルテル。
メーテルに誘われた女。
初めての投稿で連続して失敗して、あせりすぎてしまったわ。
さるさんにも引っかかり、メーテルには迷惑をかけてしまい、正直涙目よ

さあ、それでは次の外史が訪れるまで、さようなら、みなさん。
236 名前:カルテル ◆wUtPI8WczI [sage] 投稿日:2009/02/16(月) 01:00:44 ID:Igxhtl+00
それと、まとめサイトの管理人氏にお願いです。
投下を失敗してしまっているので、
>>205-209は、
投下の間の部分が抜けていると
>>221>>223
の代理で二十投稿になっているところを、修正していただければ幸いです。

仮に修正がお手数かもしれませんので、うpロダに元のテキストファイルをうpしました。
ttp://ranobe.com/up/src/up338860.txt

 [戻る] [上へ]