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591 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 21:40:00 ID:BbPg1EPS0
前に投稿させて頂いた『月に叢雲、花に風』の後編です。
せっかくなのでちょい加筆修正した前編とセットです。前のを読んで頂けた方は■ 十 ■からどうぞ。
まとめサイトのアップローダーお借りしました。
http://koihime.x0.com/bbs/ecobbs.cgi?dl=0203
まだ別の話で続くと思います。


月に叢雲、花に風

 ■ 一 ■

「――それで、何か弁明する事はあるかしら?」
 張りつめた空気の会議の席、聞く者の背筋を一層凍らせるような厳粛な声が響いた。
 声自体は高く良く通る、可愛らしいと言ってもいい少女の物だが、そこに含まれる色は
有無を言わさぬ迫力である。魏国主曹操、真名は華琳の、部下への叱責の声だった。

 この声を身近に聞くようになってもう長いが、今日の所はこの声が向けられる対象が
自分ではない事に、心底ホッとする。
 といっても、華琳にほど近い席でその元々小さい身体をさらに縮こませ、叱責に対して
唇を噛みしめてうち震えている女の子……、軍師の荀ケ、真名は桂花の姿を見ると、
同情とともに明日は我が身かという不安も湧き上がってくる。

「……ありません。全てこの私の不徳のいたす所であり、此度の不手際は私が
必ず責任を持って処理します。その後にはいかような処罰でも受ける所存です」
 桂花は華琳の迫力に気押されながらも、顔を上げてはっきりそう言った。
外見は小さくても、その知能と度胸で魏の重役文官を務めてきた身だ。
ここで言葉を失ってしまうほどヤワな胆力はしていない。けれども……。

「責任、ね。けど、私の見たところ、今回の不手際は一時の気の緩みが生んだだけの物には
思えないのだけれど? 今後も同じような失敗を犯さない保証はどこにあるのかしら」
 華琳の叱責はいつもにも増して厳しい物だった。ただミスを咎めるだけに留まらず、
桂花自信への信用を疑っている……、もっと言えば、『怒っている』様子。
 華琳がこういう公務の席で感情まで露わにする事は珍しいけど、
その理由は俺にもおおよそ察することができた。

 今回のいきさつは、大体こんな所だ。
 兗州内の一地方における大規模な開墾計画が持ち上がり、
使者から得た現地の情報を元に桂花が案件をまとめてその計画は開始された。
 ところが、実際に開墾が始まってみると、現地には報告にあった内容よりも多くの
人員が集まっており、食糧や住居、作業具などの資材の不足が発覚したのである。

 理由は使者から得た情報がやや古い物であった事と、調査内容が正確では無かったため。
不正確な情報を鵜呑みにして机上の案件を通した桂花は、わざわざ魏の主要人物を集めての
会議の席で、華琳から直々に誹りを受ける事になったのだ。

 華琳は桂花のミスそれ自体だけを責めているのではなく、そのミスを招いた雑な仕事を
責めているのだろう。こういう失敗が一つ見つかったという事は、問題が表出しないだけで
他の仕事でも同様の「雑」を行っていると考えられるからだ。

「まぁいいわ。ここで責任者を責めても、予想外の問題で遅れた計画が持ち直るわけじゃないもの。
桂花、すぐに開墾計画の現地に出向いて、自ら調査と、人員や資材の再割り当てをしてきなさい」
「はい」
「それから、風にも同行してもらうわ。遠征の責任者は風の方よ」
「えっ……」
 華琳が視線を変え、桂花よりさらに小さい背丈の軍師の少女に声をかける。
「こら、風!」
「……おおっ!? はい、寝てませんよー。承ってますよー」
 隣の郭嘉に肘で小突かれ、華琳に指名された程c、真名は風は眠たそうな眼と声で返事をした。

「待ってください華琳さま、それは……」
「自ら責任を取れないのが不満? それとも自分一人で全ての処理を速やかに行える?
もう計画は予定より遅れているし、現地には食料の不足で満足に食べられない人もいるのよ」
 さらに冷徹な声で、桂花は異議を申し立てる事さえせき止められた。
 なるほど、この責任の取り方自体が罰でもあるわけだ。
他の文官の補佐で仕事をさせられる。華琳の第一でありたい桂花にとってはこれ以上ない罰だ。
上からの信用を失う事がどういう事なのかと身を持って思い知ることにもなる。

「それじゃ、問題はないわね。風、遠征隊の組織はあなたに任せるわ」
「はい、わかりました。あ、ひとつ希望があるのですが、よろしいでしょうかー?」
「何かしら?」
 風はどこを見ているのかわかりにくい目を、ついに顔を下げて黙りこくってしまった
桂花へとちらりと向け、その後なぜか俺の方へと動かした。
一瞬だけ目が合ってドキリとした後、その視線は華琳へと戻る。
「護衛と雑役のために、お兄さんとその部下の方を連れていっても構わないでしょうか」
「一刀を?」
「ちょっ…!」
 意外な主張に驚いたが、俺よりも先に桂花が声を上げかけ、直後に異論を挟める立場では
無い事を思い出したらしく、ぱくぱくと口を開け閉めしながら俺の方を睨みつけてきた。
いや、俺の意思とは無関係だし、俺に殺意を向けられても困る。

 風を責任者にする事はあらかじめ話が通っていたようだったけど、風が俺を指名するのは
華琳には初耳だったらしい。華琳は少しだけ思案する様子を見せたが、
「風に人選を任せると言ったのだし、自由にしたらいいわ。一刀も都合しなさい」
 何か含みがありそうな声で風の希望を許可し、俺も了解と返答するしかなかった。

 ■ 二 ■

「ちょっといいか?」
 それからほどなくして遠征隊は組織され、澄み切った青空と寂寥とした草原が
地平まで続く中、俺たちは十騎ばかりの一団で目的地へ歩を進めていた。
 護衛部隊(雑用係の意味の方が大きいだろうけど)の隊長として随伴する事になった俺は、
道が緩やかになったのを機会に、風の馬へと馬を寄せて声をかけた。

「……聞いてるか? 風?」
「……おおっ! 何なのでしょうかお兄さん」
 馬上でびくん、と上体を揺らし、風はゆっくりと瞼を開いてこれまたのんびりこちらを向いた。
「まさか、乗馬しながら眠ってたわけじゃないよな?」
「いえいえまさか。そんな曲芸紛いのこと、風にできるわけないじゃないですかー」
 風はとろんとした半目で答えた。普段から眠たそうな眼をしているから、
その様相から真実は量れない。怖いからこれ以上追及するのは止めておこう。

「今更だけど、何で俺を指名したんだ?」
「んー……、そうですねぇー……」
 風は思案しているともはぐらかしているともとれる仕草で首をめぐらせると、
前方を行く桂花の馬に目を止めて、それから俺に視線を戻し。
「お兄さんは、桂花ちゃんが華琳さまにあんなに怒られた理由がわかりますかー?」
 俺の質問には答えず、逆にそんなことを聞いてきた。

「ただ失敗しただけじゃなく、その失敗を招くような仕事の仕方をしてたから……かな?」
「はい、たぶんそうなのです。最近、どうも焦っているようですね桂花ちゃんは」
 やれやれ、と風は肩をすくめる。
「桂花ちゃんが焦っている理由……は、華琳さまの為に決まっていますね。
最近、桂花ちゃんは華琳さまに閨房に呼んで頂ける機会が減ったって嘆いてました」
「忙しくなったからじゃないのか?」
「それも大きな理由ですけど、それだけじゃないですねー……。
まぁ理由はともかく、桂花ちゃんは華琳さまからの寵愛が削がれているのではないかと
焦燥にかられて、仕事の確実さよりも早さを優先させてしまったと、そう考えられるわけなのです」

 ぼんやりしているように見えて、流石は魏国が誇る頭脳だ。俺よりずっと深く洞察している。
 けれども……。
「それって、風や稟への対抗心ってのも入ってるよな?」
 当の彼女を前にしてはっきり言うのはやや気が引けたけど、風なら気付いているはずだった。
「ですねー。けど、桂花ちゃんは華琳さまにとって無くてはならない大事な家臣なのです。
今さら、仕事の多少の優劣で桂花ちゃんへの寵愛が揺らいだりはしません。
華琳さまからの、軍師である荀ケ文若さんへの寵愛と、女の子である桂花ちゃん自身への寵愛は
重なっている部分もありますけど基本的には別個のものですから」
「それはそれ、これはこれって事だな」
 最後の台詞は、風の頭に乗っている宝ャの声色で付け加えられた。

「そこで、実はこの風、その事を桂花ちゃんに伝えるという密命を受けているのです。
風や稟ちゃんには関係なく、華琳さまから桂花ちゃんへの愛情は絶対ですよー、と」
 風は俺の方に馬を寄せて、小声で内緒話をするようにそう言った。
なるほど、風がこの遠征の責任者に選ばれた理由は理解できた。けど、ちょっと待てよ。

「……それはわかったけど、俺を連れてきた理由はどこにあるんだ?」
「そこが風の策の肝でして。桂花ちゃんの焦心を癒すには、お兄さんが必要不可欠なのです」
 風は棒付きの飴を一舐めし、愉快そうに含み笑いをした。
「協力してくださいね、お兄さん。きっと悪い目には遭わせませんから」
 風はそう言ったが、何だかただでは済まなそうな予感に、俺は空を仰いで深い息をつくのだった。

 ■ 三 ■

 その日の夜。街道沿いの村に到着した俺たちの一団は、宿で一夜を明かす事になった。
 この先の道中は野宿も多くなるため、屋根のある所で眠れるうちにしっかり寝ておこうと
早々に布団に入ろうとした矢先、部屋の戸を叩く音が聞こえた。

「はい」
「こんばんはー、お兄さん。夜分にすみませんが、もう一仕事お付き合い頂けますでしょうか」
 開けると、首を下げないと顔を合わせられない小柄な姿。風が俺を見上げて言った。
「ひょっとして、桂花関係?」
「そうです。まずはこれをご覧くださいー」
 風はだぶだぶの袖の中から一枚の書状を取り出すと、広げて俺に見せた。

『〜委任状〜
 曹操孟徳の名の下、此度の開墾計画における荀ケの不手際に対する
懲罰の一切を程cに委任する。懲罰の仔細も程cの裁量に任せる物とする』

「要するに、風が桂花ちゃんに何でも好きな事をして良い券なのです」
「とんでもない事をさらっと書くな、華琳……」
 悪代官に対する越後谷のような笑みを浮かべる風の前に、声が上擦る。
 風が見せた書状は確かに華琳の字で書かれており、無茶な内容にも関わらず
こと桂花に対する効力の絶対性は間違いなかった。

「ついでに、こんな事も書いてあるのです」

『補足
 荀ケへの懲罰に於いて、北郷一刀は程cの要請があれば全面的に程cに協力すること』

 書状の隅に、いかにも後から付け足したように書き加えてあった。
「ずいぶんと投げ槍な……。別にこう念押しされなくても、協力して欲しいなら手伝うけどさ」
「それなら安心なのです。それでは早速桂花ちゃんへのお仕置きに向かいましょうー」
 鼻歌でも歌いそうな雰囲気で、風は書状を袖にしまい直して歩き始める。
「お仕置き、なのか? 昼間は、桂花を諭す役目を承ったとか言って無かったか?」
「そこがまた密接な関係があるのですよ。桂花ちゃんに言葉で伝えても素直に通じるとは
思えませんし。お兄さんは、桂花ちゃんの前では風に話を合わせてくださいな」
「ん……、了解」
 風の中では綿密な秘策が既に築かれているのだろう。詳しくは問い質さずに後を追った。

「桂花ちゃーん。とんとんしますよー、とんとん」
 桂花の部屋の前に到着し、風は口で言うのに合わせてその戸を叩く。
しばらく待たされてから、見るからに渋々といった様子で扉が開かれる。
「……何よ」
 声で相手が風だと知っていた桂花は不機嫌と敵意を隠す気が微塵も感じられない目で
風を睨みつけると、次いでその後ろの俺の姿を見つけて、さらに汚物を見るかのような
嫌悪のムードを付け加えた。毎度の事だが、これには結構傷つく。

 ドアの隙間から室内の机が目に入ったが、そこには書の束が広げてあった。
こんな時でも、政務の仕事を続けていたらしい。意欲自体は尊敬できるのだけど、
その意気込みが過ぎる事が今回の問題に繋がっているんだよな……。

「何の用? この遠征の責任者はあなただけど、私的な用事まで聞く云われは無いはずよ」
「ふふふ、それが実はあるのですよ。こちらの書状をどうか御覧じください」
 じゃーん、とでも言いそうな態度で、風は桂花に例の書状を突き付けた。
桂花は面倒臭そうにその文面を一瞥し。
「なっ……! 何よこれ!? どういうことなの!?」
 即座に愕然と目を見開き、襟首を締め上げかねない勢いで俺に詰め寄ってきた。

「委任されたのは風なのです。お兄さんに文句を言っても仕方ないのですよ」
「じゃあ風! どうしてよ!? 何で華琳さまがこんな命令っ……!!」
「どうしてでしょうねー。桂花ちゃんにお仕置きする手間が惜しくなったのでしょうか?」
 わざとだろう、風は桂花をさらに焦らせる様な事を言った。
「ば、馬鹿なこと言わないで! 華琳さまがそんなことお考えになるわけないわっ!」
「そうでしょうか。まぁ、風にはあずかり知らぬ事なのです。風の役目は、華琳さまから
仰せつかった桂花ちゃんお仕置きの任を全うすることだけですのでー」

 意地の悪い笑みを浮かべながら、風は桂花の肩を掴んで部屋の中へ押し戻した。
「ほら、お兄さんも」
 ちょいちょい、と手招きする風。俺もそれに従って部屋に入る。
「入ってこないでよ! 部屋が変態性欲魔神の淫気に犯されるでしょ!」
「いえいえ、入ってもらわないと困るのです。その変態偏執性欲魔神さんの力添えが
桂花ちゃんへのお仕置きには不可欠なのですからー」
 変態云々の所は否定して欲しかった。しかもちょっと付け足してるし。

「は? 今何て言ったのよ!?」
「お仕置きの方法は風に一任されてますので、誰にどう協力してもらっても
桂花ちゃんに拒否権はないのです。どうか観念してくださいな」
「するわけないでしょ!」
 ぎゃーぎゃー文句をわめき続ける桂花だったが、風は袖から委任状をちらつかせて
抵抗が無駄だと思い知らせる。部屋の戸を閉めると、桂花は壁に背を預けて
自らの肩を抱き、小さい身体をさらに縮こませて俺たちを睨む。
 何か、よく吠えるけど気は弱い子犬を虐めてるみたいで、妙な罪悪感。

 ■ 四 ■

「あ、あんた達の考えそうな事くらい想像つくわよ……。
そこの脳内白濁精液一色人間に私の事を犯させるつもりね? いいえ、そいつが絡んでいる以上、
それ以外の可能性なんて考えられないもの。あぁ、あんな生き地獄をもう一度だなんて……」
 酷い被害妄想からの罵詈雑言が遠慮もなく向けられる。部屋の隅で震えてるくせに、
よくもまぁ口だけはここまで達者に動くものだと感心してしまう。

「いえいえ、とりあえず今日の所は、お兄さんを桂花ちゃんにけしかけるつもりは無いのです」
「「……え?」」
 ぽかんとした桂花の声に、俺の声も重なってしまった。桂花へのお仕置きに協力を頼まれた
時点で、大方そんなところだろうと思ってしまっていたのだけれど。
「おやおや、揃ってその反応は、ひょっとして期待してたのですか、お二人さん」
「す、するわけないでしょ! 最悪の想像が外れて心底ホッとしたのよ!」
 ふふ、と笑う風に、桂花はえらい剣幕で怒鳴った。ごめん、俺はちょっと期待してました。

「風が提案する桂花ちゃんへのお仕置きは、一種の賭け事みたいな物だと思ってください。
風はこれから、桂花ちゃんに三つの『禁』を課します。そうですね、今から半刻の間に
桂花ちゃんがその三つの禁を全て守れば、お仕置きはそこでお終いです」
 風は講義中の教師みたいな口調でそう言いながら、桂花に近寄る。
ちなみに、半刻というのは約1時間弱だ。

「一つでも破ったらどうなるのよ?」
「お仕置きは翌日以降に継続ですね。桂花ちゃんの頑張り次第では、
今晩中に桂花ちゃんは自由の身なのですよ」
 変わった事を思いつくものだな。俺は黙って事の行く末を見守る。
「無茶な禁を条件にして、絶対にお終いにさせないつもりじゃないでしょうね?」
「普通にしていれば破る事はない禁だと思うのですよ。まず第一の禁ですけど……」

 風は袖口から、細い糸を一本取り出した。
「桂花ちゃんの両手を背中に回して、この糸で縛らせてもらいます。ちょっと力を入れれば
すぐに切れてしまう糸ですが、この糸を半刻の間切らないでおくのが第一の禁なのです」
「そ、それで抵抗できないようにして私を犯させるつもり!?」
「そこから離れてください。お兄さんは桂花ちゃんに指一本触れませんってば」

 やれやれと言いたげな様子で、風は糸を使って桂花の両手を背中で結びつけた。
「さて、第二の禁は、半刻の間この部屋の床に座っている事です。
立って部屋を出たり、眠ったり目を瞑り続けたりするのはダメですよー」
 風が桂花の肩を押し下げると、背中に両手を回してバランスがとりにくくなっていた桂花は
ぺたんと床に尻もちをついた。この格好で半刻、ということらしい。

「こんな禁、難しくも何ともないじゃない。三つ目の禁を早く教えなさいよ」
「んー、それなんですけどね、三つ目の禁はこの紙に書いてありますが……」
 風は一枚の小さな紙を取り出し、桂花には見せずに机の上に伏せる。
何と書いてあるのか、俺にも読む余裕がなかった。
「??」
「半刻経つまで、三つ目の禁の内容は秘密なのです」
「それじゃ私が不利じゃない!」
「元々桂花ちゃんへのお仕置きですから、そんな事を言われましても……。
けど、普通にしていれば破る事は無い禁ですから、桂花ちゃんが変な気を起さずに
ここでじっとしていれば問題ないはずですよ」

 ぐっ…、と桂花は言葉に詰まった。なるほど、あえて隠す事で、桂花の疑心を刺激して
行動を実際の禁以上に制限させるつもりなのか。

「さてさて、準備が整った所で、桂花ちゃんへのお仕置きを始めましょうか。
ここに取り出しましたる1本の蝋燭、これが燃え尽きるまでがおよそ半刻です。
これに火をつけた時から開始ですよ」

 風は桂花の部屋の灯りから蝋燭に火を移すと、燭台の上にしっかりと固定した。
 ここから半刻。風の真意はまだよくわからないけど、ポイントになるのは
秘密にした三つ目の禁なんだろうか。俺の方は知ってもいいのかな、
机の上に伏せた紙をめくってみてもいいのか聞こうと思っていると。

「ちょっといいですか、お兄さん」
 風が手招きし、内緒話をしたい様子で口元に手を立てた。俺が屈んで顔を寄せると。

 ■ 五 ■

「んっ……!?」
 ふわりと髪が肩に触れ、次いで唇に柔らかい感触。目の前に目を閉じた風の顔があり……、
数秒時間を置いてから、キスをされたのだと気がついた。

「な……、な、な、なっ……!?」
 桂花の上擦った声が聞こえる中、風は一度唇を離す。吐息が口元に当たりくすぐったいと
思った後、今度は両手が俺の首に回されて、再度風は唇を押しつけてきた。
 いくら風の身体が小さくても、抱き付かれたらさすがにバランスは崩れる。
思わず後退るとそこには丁度寝台があって、そこに座り込む形で風の身体を受け止めた。

「んぅ、ん……ちゅ……」
 小さな唇が俺の唇を食んで、舌で軽くくすぐってくる。子猫が甘えるような仕草と
風の髪の甘い匂いに頭の中がぼうっと熱くなり、そのキスに反射的に俺も応えようとした所で、
「ふうっ……。は……」
 潮が引くように風は顔を離し、唾液に濡れた唇を自分の舌で舐めた。

「なっ、何やってんのよあんたたちっ!?」
 キスが一段落したのが合図だったように、桂花が怒鳴り声を上げた。
全く拒まずにいておいて何だが、それは俺も聞きたい。何やってんすか風さん。
「何って、接吻ですがー。桂花ちゃんは口付けの経験はありませんか?」
「それは知ってるわよ! 私が聞きたいのはそんな事じゃなくて……!」
「風は桂花ちゃんの目の前で、お兄さんと口付けを交わしています。
桂花ちゃんは禁を守るために、その姿をしっかり見ていないといけないって事ですねー」
 風はくすっと笑って、今度は啄ばむように小さく俺に唇を当てた。

「な、何よ? それが私への懲罰ってわけ?」
「うーん、それをお仕置きと感じるかどうかは、桂花ちゃんの心持次第では無いですか?」
「え……?」
 風の言葉の意味を量りかねている桂花。そんな桂花に風は続けて、
「さて桂花ちゃん。風はお兄さんに、何回口付けをしましたか?」
 そんな質問をした。
「どうしてそんな事数えてなきゃいけないのよ!?」
「二つ目の禁に、目を瞑り続けるのは駄目っていうのがありますから。しっかり目を開いて
この部屋で起きている事を見ているのを証明するために、答えてもらわないと困ります」

「うぅ……」
 桂花はこちらを睨みつけると、思い出したくもない事を思い出すように顔を歪ませ。
「さ、三回してたわ……」
「その中で、一番長かった口付けは何回目ですか?」
「……二回目でしょ」
 苦汁を舐めるかのように答える桂花に、実は風ってドSの才能があるんじゃないかと疑う。
こんな真綿で首を絞めるようなお仕置き、俺でもきっと華琳でも思いつかないぞ、多分。

「念押しせずとも、しっかり見てるじゃないですかー。
それではその調子で、しっかり風とお兄さんのまぐわいを観察していてください」
 風はそう言い、もう一度俺に向き直って顔を寄せる。
思わずその濡れた唇に引き寄せられそうになり、慌ててその肩を押し留めた。
「ちょ、ちょっと待て風。風は良いのか? 桂花へのお仕置きの手段で、俺とこんな事……」

「お兄さんは嫌なのですか?」
「嫌ではないけど、でも……」
 逆に聞き返され、ちらりと横目で桂花の姿を見る。
「その、風とこういうことするなら、やっぱり別の目的とか、そういうの無しでしたいかな、って」
「ふふ、意外と乙女なのですねお兄さん。でも風はそんなに嫌いじゃないのですよ。
最初にお兄さんとえっちぃ事をした時だって、華琳さまの命令で、稟ちゃんと一緒にでしたし」

 風は俺の耳元に口を寄せ。
「あの一件が無ければ、お兄さんに風を捧げるきっかけはまだ無かったかもしれないのです」
 囁いて、耳たぶを小さく噛んできた。首筋に当たる吐息は熱く、状況が特異なのにも関わらず
風の中にはすっかり火が付いている様子。俺は、風の細身を抱きしめて応えた。

「それに、お兄さんと風が閨を共にする機会は、あんまり取れませんから。
利用できる材料があったら、それを使ってでもお兄さんにお情けを頂戴したいって思うこと、
浅ましいと思いますか……?」
「……思わないよ。嬉しい」
「そう言ってもらえると、風も嬉しいのです」
 にっこり笑う風。普段は飄々としている彼女が素直になってくれると、物凄く可愛い。
精巧な人形みたいに小さくて綺麗なその身体を抱えあげて太股の上に座らせると、
今度は俺の方から口付けた。

「ちょっと! さっきから黙って見てれば、私の寝台の上で歯の浮くような会話しないでよ!」
 桂花が顔を真っ赤にし、ついに我慢の限界という様子で声を張り上げた。
「おや桂花ちゃん、他人の睦言に茶々を入れるなんて、無粋なのですよ」
「あんたが見るように言ったんでしょうが!」
「ひょっとして焼き餅でしょうか? 桂花ちゃんも混ざりたいとか」
「なわけないでしょう! どこをどう受け取ったらそうなるのよ!?」
「駄目ですよ桂花ちゃん。今夜は風がお兄さんを独り占めするのですからー」
「話聞いてるの!?」

 叫びすぎてぜーぜー息を荒げている桂花を尻目に、風は俺の上着のボタンに指をかけた。
「えっと、本当にそこまでするのか?」
「半刻の間ずっとお兄さんとちゅっちゅし続けるというのも魅力的ではあるのですが、
それではお兄さんも風も納まりつかないと思いまして」
「脱がせるつもりなの!? 止めてよ、そんな物見せないでよ!」
「おや、桂花ちゃんは服を脱がないでする方がお好みなのですか。通ですねー」
「だからぁ……!!」
 怒りを通り越して涙声になっている桂花。ただ座っているだけなのに
この中で一番疲れているのは彼女だというのはどうだろう。

 ■ 六 ■

「それでは、桂花ちゃんのご要望にお答えして、服はなるべく脱がないでしてみましょうか。
ちょっと失礼しますよお兄さん」
 風は俺の腿の上に座ったまま、するすると手を胸からお腹、さらにその下まで降ろし。
「あは、しっかり固くなってますね、お兄さんの大業物」
 悪戯を咎める親みたいな調子で、指先でそこをとんとん叩いた。

「当たり前だろ、風とこんな事してるんだから」
「あんまり風を喜ばせる事言わないでください。風、溺れてしまいますよ?」
 風は言いながらズボン越しにそこを撫で、ジッパーを探り当てるとゆっくり引き下ろした。
「不思議ですねー、天界のお召し物は。
桂花ちゃん、知ってましたか? お兄さんの履物、こうすると前が開くのですよ」
「し、知るわけ無いでしょそんな事……」
「覚えておくと便利なのですよー」
「一切必要無いわそんな知識」
 そんな事を言いながら手際よくベルトまで外す風は、俺が一度風の前で
服を脱いで見せた時に、構造を覚えてしまっているらしい。

「ほーら、出てきましたよー。相変わらず見惚れてしまいますねー……」
 俺の物を下着の中から取り出し、つつ……と指先でなぞりながら息をつく風。
くすぐったさと気恥ずかしさに目を泳がせてしまい、つい桂花の方に目を向けると。
「……っ!」
 目が合い、桂花はぎくっとした様に睨み返してきた。
見ているよう風に要求されたとはいえ、俺のそこをしっかり凝視していたらしい。

「桂花ちゃんも気になりますかー? お兄さんの逸物。立派ですねー、
風が以前これをお迎えした時は、お腹の奥まで貫かれてしまうかと思いました。
こうして指で計ってみると……。おおっ、風のおへそより上まで来てしまう計算ですね」
 両手の人差し指と親指を使って、俺のペニスの長さを計る風。
「……どうでもいいでしょ、そんなこと……」
「いえ、桂花ちゃんがしっかり見ているかの確認です。どうですか? 桂花ちゃんの時は
いかがだったでしょうか。桂花ちゃんも風ほどではありませんが小柄ですからねー。
やっぱりおへその辺りまで貫かれてしまったのでしょうか」

「そんなわけないでしょ! 気分的には串刺しもいいところだったけど、
あれだけ遠慮なく私の中に突っ込んだくせに、それでも全部は入ってなかったわ!」
 桂花は一気にまくし立て、言ってからはっとしたように目を見開いた。
「おやー、随分としっかり覚えている物ですね。忘れられない経験でしたか?」
「わ、忘れたくても忘れられないわよ! あんな悲惨な記憶!!」
「風にとっては、素敵な思い出ですよ。何度も思い返してしまいます。それだけで……」

 風は身体の向きを変え、太腿を跨いで俺の胸に背中を預ける形で居住まいを正すと、
「……こんなに、なってしまうのです」
 下着越しにも熱く潤んでいるのが瞭然な部分が、俺の足にぎゅっと押し当てられた。
「風……」
「触って頂けますか? 風も、お兄さんにしますから」
 片手で俺の物をそっと握ると、その形をさぐるように撫でながら手の平を上下させる。
その甘い感触と心地よい風自身の重さに呆けそうになりながら、俺は風のお願い通り、
手を短いスカートの裾へと伸ばす。

「ん……」
 くすぐったそうに身を震わす風の太腿に触れると、すべすべの肌は既に熱を持っていた。
指を奥の方へ滑らせると、しっとりと湿った空気に触れる。指先に触れた下着の紐を引くと、
しゅるりと音をたてて簡単にほどけた。
「お兄さん、慣れてますね……。本当、女殺しなのです」
「風が、わざと脱がしやすい下着をつけてきたんじゃないのか?」
「さぁどうでしょうか」
 サイドの紐をほどいた下着を探っていくと、肝心の部分は湿って肌に張り付いているのが
感じ取れた。その上から引っ掻く程度に指先で撫でてみると、濡れた布地の下から
じゅわりとさらに潤みが染み出す。

「あっ……、お兄さん、悪戯は駄目ですよ……」
「脱がして欲しい?」
「はい。風はお兄さんを直接触っているのに、不公平なのです」
 熱い吐息と共に不平を言い、抗議の意思を示すようにぎゅっと握る力を強めてくる。
 風のお腹の方に指を這わせると、そこから下着の中に手を入れていく。

「はぁ……ぁ……」
 俺の手の邪魔をしないように、俺の胸へさらにもたれかかって腰を差し出す風。
下着を脱がすというより剥がすような感覚で指を差し入れていくと、溶けそうなくらい柔らかい、
邪魔する物が全くないつるつるの肌に触れ、次いで最も熱く濡れた合わせ目に当たった。

 ■ 七 ■

「ふぁ……、あ、お兄さん、お兄さんっ……!」
 風は喉を震わせ、腰をもじもじと揺する。幼いと言っていい外観のスリットの奥は、
俺の指を待ち望んでいたかのように熱く溶けていた。

「凄いな、風。もうこんなに濡れてる」
「お兄さんに、触ってもらってるのですから……」
「けど、つい今触ったばっかりだぞ?」
「だって、だって……! 今だけじゃなくて、ずっと、お兄さんにまた触れてほしいって、
風の中に入ってきて欲しいって、思ってたからっ……」
 くちゅくちゅといやらしい水音が響く中、風はいやいやをするようにかぶりを振った。
その様子が可愛くて、風のさらに奥まで指を差し入れ、吸いつくような内側を擦る。

 こんなに濡れてるのに指一本でも窮屈な風の中に、自身を挿入した事があるなんて
我ながら信じられない。今更この小さな女の子に対して申し訳ない気持ちが湧き上がり、
その埋め合わせをするみたいに優しく解していく。
「あっ……は………っ!」
 その指がある一点に当たると、風は痙攣するみたいに背筋を逸らし、
掠れるような吐息を漏らした。

「お兄さん、そこ……ダメっ……!」
「駄目じゃないだろ、凄く良さそうに見えるけど」
「ダメなのですっ、お兄さんの、お兄さんので良くなりたいからっ……!」
 風は涙を滲ませながら懇願し、意思を行動で示すかのように手に握った俺自身を
強く上下に擦ってきた。
 限界まで張りつめたそれを、この熱くて狭くて吸いつくような所へ突き入れたら
どれだけ気持ち良いか。それだけでも気持ち良い風の指の動きは、
さらなる甘美への想像をかき立ててくる。

「俺の、何で良くなりたいんだ?」
「これっ……、お兄さんの、肉棒っ……おちんちんっ……。これで、風を気持ちよくして、
お兄さんにも風の中で気持ち良くなってもらいたいのですよ……」
 風は臆面もなくそう言って、首を捻り俺を見上げた。
「……ああ、俺も風の中に入りたいって、思ってた」
 そう囁いて返すと、風は潤んだ瞳で幸せそうに微笑んだ。

 風の太腿を両手で抱えて抱き上げると、改めてその身体の小ささと軽さに驚く。
その身体を俺の腰の上に降ろす形で挿入したら、それこそ『貫く』ような格好だ。
 罪深い事をしているような錯覚を感じるも、その事に興奮している自分もいた。

「あは……、風、身動きとれなくなってしまったのです。もうお兄さんの思うがままに、
好き放題に犯されてしまうのですね」
「人聞きの悪い事言うなよ」
「人聞きも、人の目もありますからねー……」
 風はくすっと笑って、床の上の桂花に顔を向けた。

「桂花ちゃん、見てますか? 今から風、お兄さんの逸物で貫かれてしまう所なのです」
 今思えば、俺が風の背中を抱くようなこの体勢は、桂花に見せつけるための物だったのだろう。
 しばらく黙っていたせいでつい存在を忘れそうになっていた桂花は、
風の声を受けて我に帰ったようにびくりと身体を震わせ、紅潮した頬でこちらを睨んだ。

「桂花ちゃん?」
「……何よ、見てる……わよ」
 悪態が飛んでくるかと思ったが、桂花は絞り出すような声でそれだけ言った。
「それならいいのです。風がお兄さんとえっちする所も、しっかり見ていてくださいね」
 桂花は返事の代わりに、忌々しそうに唾を飲み込んだ。

「羨ましいですか?」
「っ……馬鹿じゃないの? そんなわけないでしょう……!」
「そうですか……」
 風は手を上げて俺の首に触れると、
「ください、お兄さん」
 そう言って目を瞑った。

 ■ 八 ■

 風のそこにペニスを押し当て、風自身の体重を使って少しずつ挿入していく。
 これで二度目の風の中はあれだけほぐしても窮屈すぎて、男性器を迎えるには
最初から無理があったのではと思えてしまうほど。

「あ……、あ、あっ……あぁっ……」
 顎を上げ、断続的に喉を震わせる風。割り開くような感覚で風の腰をゆっくり落としていき、
その身体を降ろしきるまえに、こつん、と風の最奥に到達した。
「ふぁっ……!」
 風の身体を俺の胸とお腹に寝かせるように抱きとめる。ただ挿入しただけなのに、
風は精も魂も尽き果てたような深い息をついた。

「ふふっ……、また、お迎えしてしまいました。お久しぶりです、一刀さん」
 自分のお腹のあたりを撫でて、風は呟く。『お兄さん』ではなく『一刀さん』と言ったのは、
ひょっとして俺のナニに対して語りかけたんだろうか。
 風の中は来訪者をぎゅうぎゅうと絞めつけながら細かな襞で表面を撫で、
ただ入っているだけで頭の中が溶けそうな心地よさを与えてくる。

「凄く、満たされた気分ですよ桂花ちゃん。桂花ちゃんもお兄さんを迎えた事があるなら、
この気持ち、わかるはずだと思いますけれど」
「……わ……かるわけないでしょ……」
「本当ですか? 桂花ちゃんだけじゃなく、他の皆も……華琳さまにだって、わかるはずです」
 華琳の名前を出されて、潤んだ桂花の目が細まった。

「桂花ちゃん、華琳さまに伽に呼んで頂ける機会が減ったって言ってましたね。
その理由……、桂花ちゃんへの寵愛が薄まったからではないのですよ。
華琳さまが、お兄さんに抱いてもらう喜びを知ってしまったからなのです。
女の子と伽をするのと同等か、あるいはそれ以上に……お兄さんに夢中になったからです」
 風の言い分に口を挟もうとして、思い止まる。風は本当にそう思っているのか、
わざと桂花を逆撫でするような事を言っているのか、よくわからない。

「……そんなわけ……ないわ……」
 否定するというより、自分に言い聞かせるように桂花は呟く。
「でも、お兄さんが華琳さまともえっちをしてるのは事実なのですよ。
こんなふうに、今桂花ちゃんの前で風がされているのと同じように、
お兄さんが華琳さまを貫いて、これ以上ない女の喜びで満たしたのです」

「…………」
 涙を零さんばかりの様子で、桂花は歯を噛みしめる。
「嫉妬、しましたか? しましたよね、風の時とは話が違いますもの。けど……」
 風はそこで一息ついて。
「どっちに、嫉妬したのですか?」

「え……」
「桂花ちゃんの知らない所で、華琳さまがお兄さんと伽を楽しんでいる事。
お兄さんが華琳さまと伽を楽しんでいる事。桂花ちゃんが嫉妬しているのは、どちらにですか?」
「何、言って……」
 桂花は混乱しているのか、普段ならすぐ答えられそうな質問に詰まっている。
 風は言うべき事は言い尽くしたとばかりに桂花から視線を逸らし、身体を捻って俺を見上げ、
キスをねだってきた。

「お待たせしてしまって、すみません。……どうか動いてください、お兄さん」
 そう言った風と唇を合わせると、抱えた風の身体を上下に揺らすようにして挿送を始める。
挿入したまましばらく動かないでいた風の中は俺の物になじんでしまったようで、
初めての時よりずっとしなやかに絡みついてきた。
 その心地よさに、風の事を気遣うのも忘れて貪ってしまいそうになる。
風の身体を完全に自分で抱えているせいで、まるで風を俺が気持ち良くなるための道具みたいに
扱ってしまっているような感覚さえ湧きあがる。

「あっ……、は、ひゃ……、ふぁっ……、お兄さん、あぁっ……!」
 風は俺とのキスに息が続かなくなったのか、涎まみれの口元を離すと、顔を前に戻して
恐らく桂花の方へ目を向けた。
 俺からでは、風がどんな顔を桂花に向けているのかは見えない。けど、桂花の表情から
なんとなく察することはできた。

 自分が快楽を得ていることを、誇示している。蕩けた表情で桂花を見下ろしながら、
風曰くの『嫉妬』を煽っている……はずだと思う。
 それがどんな意味を持つのか俺には把握できないけど、構わずに風の中を往復し続ける。
 突き上げる度に可愛い嬌声が飛び、柔らかく甘い髪が宙に舞う。
 俺の事を絞めつけ絡みついて迎えてくれる風を味わっていると、ゆだった頭の中で
俺の方も床の上の桂花に誇示してやりたい気分になってくる。
お前が普段から馬鹿にしている物で、こんなに楽しんでいるんだぞ、と。

「んぁっ、は、あんっ……、ふ、だめっ、ですよ、桂花ちゃんっ、しっかり、
見てないと。風がお兄さんに、どんな風にされてるかっ……!」
 息の上がった声で、風は桂花にさらに釘をさす。
「もうすぐ、お兄さんに、頂戴するのですからっ……!
お兄さんの子種、風の中に注がれるのか、風の身体にかけられるのか、見ていないと……」
 風はそう言って、風の身体を抱えた俺の手に手を重ね。
「んっ、ぁ……お好きな所に、どうぞ」
 さらに搾り取るような強さで俺の物に吸いついてきた。

「風、それじゃ……」
 俺の方もペースを上げて登りつめようとすると、風はこくりと頷いて、小刻みに震えて。
「風っ……!!」
「お、兄さ……ぁんっ!!」
 達して風の奥に注ぎ込むのと同時に、風もびくびくと全身を揺らし、背筋を限界まで反らした。

「あっ、あ……お兄さん、お兄さんの……」
 かすれた声でうわ言のように言いながら、風の中は歓迎するかのように奥へ奥へと収縮して、
さらなる吐精をねだるかのように絡みついてくる。
「あつくて、あったかくて……、幸せ、です……」
 陶然とした声で呟き、風は結合部に手を伸ばすと、溢れて零れたものを指に絡め、
慈しむ様に顔の前で眺めた。

 ■ 九 ■

「……終わりじゃ、ないの……?」
 しばらく余韻に浸って風の身体を抱きしめたままでいると、意を決したような桂花の声で
甘い雰囲気に水を差された。
 そういえばと思って見ると、蜀台の上の蝋燭はもう消えていた。半刻経ったということだ。
「規定の時間過ぎたでしょ……! 続けたいなら、出て行って別の所でしなさいよ……!」
 精一杯の悪態のつもりらしいが、桂花の声にはいつもの迫力は全く無かった。
見ていただけで満身創痍。それが一目でわかる。

「そうですね、確かにお終いです。お疲れ様でした、桂花ちゃん」
 風はよいしょ、と床の上に降りると、内股を白い液体が伝って落ちるのも気に留めず、
とと、と歩いて桂花に近付き、その手を縛っていた糸を切った。
「それじゃ、懲罰は終りなのね……? もうこんな事、金輪際ごめんだわ……!」
「いえ、それはまだわかりません。三つ目の禁を確認してませんから」

 風は机の傍に寄り、伏せてあった紙を持ち上げる。そういえば三つ目の禁、何なんだろ。
桂花は座っていただけで特に何もしてないから、破るような事は無いと思うけど。

「お、教えなさいよ。何? 三つ目の禁って」
 立ってその紙を見に行けばいいのに、なぜか桂花は床に座り込んだままで風に聞く。
「おや、桂花ちゃん? 腰でも抜けてしまいましたか?」
「いいから教えなさい!」
「はいはい、三つ目の禁は……」

 風は再び桂花に近寄り、紙の文面を桂花につきつけて。
「『下着を汚さないこと』なのです♪」
 満面の笑み――俺にはそれが末恐ろしい物に見えた――でそう告げた。

「なっ……、はぁ……!?」
 愕然と青ざめ、冷や汗を流してその文面を凝視する桂花。確かにその紙にはたった一言、
『下着を汚さないこと』とだけ書かれていた。

「それでは桂花ちゃん、確かめてみましょうかー。何か理由があって立てないのなら、
風とお兄さんで桂花ちゃんの褲子、脱ぎ脱ぎさせてあげますよー」
「ば、バカッ! 近寄らないでよ!」
 ワキワキと下品に指を動かしながら迫る風から、桂花は後退って逃げる。
と、桂花がそれまで腰を降ろしていた床に、僅かに湿った……。

「おやおや、下着どころか、褲子と床まで汚してしまうとは。どうしたんですか桂花ちゃん、
ひょっとしてお漏らしですか?」
「そ、そんなわけないでしょ!!」
「では、どうした事でしょう。桂花ちゃんは風とお兄さんがしてる事、
ちっとも羨ましくないと言っていたのに。下着に留まらないほど濡らしてしまうとは」

 うわー、意地が悪いな風。白々しい分、華琳よりもタチが悪いかもしれない。
 風は桂花の前に屈んで、いつか道端の猫に話しかけていた時のように首を傾げる。
「さてさて、三つ目の禁が破られているかどうかの確認、必要ですか?
褲子と床は汚しても、下着は汚れていないという希代の奇術もあり得るかもしれませんし」

「…………わよ」
 桂花は俯き、ぼそりと呟いた。
「……? 何と言いましたか?」
「もういいって言ったの! ええ、濡らしたわよ! 下着汚したわよ!
禁を破ったから私の負け! いいでしょそれで! もう出てって!!」
 桂花は叫び、きっと俺達を睨みつけた。その両の瞳からは、涙が零れて頬を伝っていた。

「あー、その、泣かすつもりは無かったのですが……」
「よく言うわよ! もう嫌い! あんたたちなんか大っ嫌い! 早くいなくなってよ!!
一人にしてよっ……!!」
 ついに子供みたいに癇癪を起し、泣きじゃくってしまった桂花。かける言葉もなく、
俺が風の肩に手を置くと、風は立ち上がって部屋を出るのに従った。


「……あんな、桂花を弄ぶだけのような事、する意味あったのか?」
 自分も加担しておいて何だが、廊下に出てから風にそっと聞く。
「荒療治ですけど……、風は、意味があると思ってしました。
桂花ちゃんに恨まれることも覚悟の上で。もちろん、これで終わりじゃありません」
「…………」

 少し、沈んだ表情をしている風。桂花の焦心を無くす事と、今日桂花に言った事に
どういう関係があるのか、まだよくわからない。
 けど……。

 最後の桂花の涙は、ただ悔しいとか、恥ずかしいとか、それだけで零れ出た物では
ないような、そんな気がしてならなかった。

 ■ 十 ■

 それからの道行、桂花は普段とは比較にならない拒絶の態度を露わにした。
 さすがの風もそんな桂花には触れず、最低限の用事以外は桂花と会話することも
近付くことも無いままの旅が続き、一行は目的の開墾地に近付いた。

 目的地に近くなるにつれて、いつの間にか道案内の役が風になっている事に気づいた。
風は地図一つでさほど迷うこともなく、進路を指示する。
 そういえば、と思い出す。確か風の出身地は兗州の東郡東阿。
土地勘があるという事も考慮されて、この遠征の責任者に指名されたのだろうか。

 その事を馬上で風に聞いてみると、
「んー、故郷といっても広いですからねー。現に、この辺りは初めて来ますし。
郷里に近い事に意味が大きいなら、最初からこのお仕事は風に任されてたと思うのです」
 いつもの飄々とした態度で返された。そう言いながらも、景色や往来の人を眺める
風の目には、どこか懐かしむような色があるようにも感じる。

「けど、風は『民の望』って呼ばれてるくらいだし、こういう仕事に向いてるのかもな」
 風は黄巾の乱の時に、黄巾党に回った東阿県の高官に対して民衆をまとめて対抗し、
黄巾を打倒して県を守りきった経歴がある。故郷の人からの支持は厚いはずだ。

「……たぶん、お兄さんの思っているような『民からの人気』は風にはありませんよ。
ただ、偉い人を口先三寸で上手いこと言いくるめて戦ってもらっただけなのです」
 風は俺の言葉に対し、さほど嬉しくなさそうに、自嘲の雰囲気を込めてそう返した。
風には珍しい態度だ。あまり追及しない方がいい話題なのかな。

「そうなのか……。もう、今日中には目的地に着くんだよな?」
 話を変えて、そんなことを聞く。
「そうですね、夜になってしまうので、本格的なお仕事は明日からでしょうけど。
けど、桂花ちゃんは相変わらず取りつく島がありませんねー。
お仕事中もあの様子ではちょっと困るのですが」
「あれだけいたぶって、簡単に機嫌が直るは思えないけどな……」

「んー、機嫌という意味ではもうさほど引きずってはいないと思いますが」
 風は先を行く桂花の後ろ姿を眺めて、そう言った。
「どういうこと?」
「風の読みでは、桂花ちゃんは風たちに怒って避けているというより、
自分の気持ちに悩んで避けているように思えるのです」
 何に悩んでいるというのだろう。風の言葉の続きを待つ。
「ほら、桂花ちゃんに聞いたじゃないですか。華琳さまとお兄さんがえっちしている
件について、華琳さまとお兄さん、どちらの方に嫉妬しているのかって」
 さらりと『華琳とえっち』なんて言われて、ドキリと心臓が跳ねた。
遠回しに風に責められてるような気分になる。

「な、悩む余地あるのかその質問? 俺の方に嫉妬してるに決まってるだろ」
「事は『どっち』かに二分できるような単純な気持ちじゃないように思えるのですね。
例えるなら、自分の親友二人が自分に内緒で遊びに出掛けていたのを知ったとか、
そういう疎外感に近いでしょうか」
「イマイチ納得できないような……」
 俺と桂花は親友というわけでもないだろうし。少なくとも桂花は間違いなく否定する。

「桂花ちゃんは焦って多くの仕事をこなそうとしていましたけど、
それで目論見通りに華琳さまに伽に呼んで頂ける機会が増えたら、間接的にですが
お兄さんが華琳さまとえっちする機会は減りますからねー。
二つの目的のための手段が一緒だから、桂花ちゃんは気付いてないでしょうけど」
「それはさすがに考えすぎなんじゃ……」
「お兄さんは気付いてないかもしれませんけど、桂花ちゃん、口で言うほど
お兄さんの事を嫌ってはいませんよ。むしろ破格に評価をしてるくらいです」
「まさかぁ」
 またまた御冗談を、と苦笑する。さすがに桂花の罵詈雑言は、素直になれない相手に
冷たくしてしまうとかそういう次元を超越している。

「桂花ちゃん自身も薄々気付いていて、それを認めたくないから
お兄さんへの態度をより辛辣にしている感じですね。それに、華琳さまも気付いてます」
「華琳も?」
「だってお兄さん、華琳さまの命で桂花ちゃんとえっちしましたよね?」
 真顔で見つめられて、また胸にグサリと来る。やっぱ責められてるんだろーか。

「桂花ちゃんへのお仕置きで嫌がる事をする、という名目だったのでしょうけど、
華琳さまは大事な部下に対して、その人が本当に嫌がるような仕打ちはしませんよ」
「それは……、でも、罰としてならするんじゃないか」
「罰というのは相手に反省を促し、次に同じ轍を踏まないよう向上を見据えて
行う物ですから。本当に嫌がる事を罰にして、不信を生むような愚は犯しませんよー」
 理屈ではそうかもしれないが、あの華琳と桂花の事だし。

「現に、風はお仕置きで華琳さまに伽を強要された事はありませんよ」
「え?」
「風は華琳さまを敬愛はしていても恋愛はしていないって、華琳さまにもわかるからです。
それに、風は心に決めた方にしか身を任せたくはありませんから」
 風は俺にくすっと笑いかけて、僅かに頬を染めた。さっきまでとは違う意味で
胸の奥が熱くなって、俺の頬にも熱がさすのがわかる。

「な、なんとなくわかったけど……。それで結局、桂花をどうすればいいんだ?」
「簡単な話ですよ。事実はどうあれ、桂花ちゃん自身が華琳さまからの寵愛が薄まっていると
感じているのなら、その分お兄さんが桂花ちゃんを愛してあげればいいのです」
「いやその理屈、おかしくないか……?」
 そんな単純な算数みたいな問題じゃないだろう。

「さほど無茶な理屈だとは思いませんよ。言い方を変えるなら、
桂花ちゃんが華琳さまからだけでなく、色んな方から信頼されて、大切にされて、
愛されているという事に気付いて、そのことを喜びに思って欲しいというだけなのです。
それは逆も然りですねー。桂花ちゃんにとって大事な人も、華琳さまだけではありません」
「…………」
「桂花ちゃんが、自分には華琳さまだけだと思っている限り、焦心の根本的な解決には
なりません。第一であることは唯一ではないとわかってもらわないと」

 なるほど、と頷く。当たり前の事だけど、桂花には最も必要な事なのかもしれない。
「そのためには、桂花ちゃんに教えるのではなく、桂花ちゃん本人が感じて
気付かないといけないのです。だから桂花ちゃんの前でお兄さんと睦み合ってみました。
それを不愉快だと感じたら、桂花ちゃんは自分の気持ちに気付きますよね」
 だから荒療治って言ったのか。風の見解が正しければという前提の上でなら、
確かに間違ってはいない策ではある。

「桂花にとって俺も大事な人間のうちっていうのはまだ半信半疑だけど、
だいたい理屈はわかったよ。この前の宿では無茶なことするもんだと思ったけど、
風にはちゃんと考えがあったんだな」
 あらためて風の深慮に感心し、そう言葉をかけると。
「まぁ、桂花ちゃんの前でするのは別に口付けだけでも良かったのですが。
えっちまでしてもらったのは、役得ですねー」
 ふふふ、と笑って、いつもの調子に戻ってしまった。

「……けど、お兄さんが他の女の子と仲良くしているのを妬ましいと思うのは、風もなのですよ?」

 最後に小さく囁いた風の言葉が、ちくりと胸を刺した。

 ■ 十一 ■

「……何よこの人選。これも罰のつもり?」
 目的の開墾地に到着し、風が仕事の割り当てを発表すると、桂花が憎々しげな
不満の声を上げた。いつもの金切り声での抗議ではなく底冷えするような恨み声なあたり、
やっぱりこの前の事を腹に据えかねてる気がする。

「いえいえ、効率を考えた上での人選ですがー。桂花ちゃんが頭脳労働で、
お兄さんが肉体労働。問題ないと思いますけど」
 桂花からの殺気を全く意に介さず、既に先の仕事の算段に入っている風。
桂花は聞えよがしに大きなため息をつき、渋々風に背を向ける。

「わかったわ。私情より仕事の方が大事だものね。……じゃあはい、これ持ちなさい」
 桂花は俺に目を合わさずそう言って、足元の大荷物を指差した。
「……これ全部俺一人で?」
「たった今、あんたが肉体労働って言われたでしょ」
 自分は手荷物程度しか持たず、さっさと馬に跨る桂花。やっぱ機嫌悪いじゃないか、と
風の方を見ると、風は『後は任せたのです♪』とでも言いたげに笑顔で手を振っていた。
 俺の方もため息をつきつつ、大荷物を馬に備え付けて桂花の後を追った。

 俺は風からこの開墾地を一通り回り、地理や地形を把握してまとめる作業を命じられた。
それは構わないのだが、よりにもよってその割り当てが桂花と二人一組。
 以前風に言われた通り、この機会に桂花の焦心をどうにかしろって事なんだろうけど……、
その前に俺の胃に穴が開くような気がする。

 現に、ほとんど話をする余地も無い。桂花からは無言の拒絶オーラが漂っており、
これだったらいつもみたいに罵詈雑言を浴びせられた方がまだマシだ。
 たまに会話があったと思えば雑用の指示くらいで、その内容も
「この広原、ここからあそこの森まで何歩くらいか、走って数えて来なさい」
「あの、ほとんど地平線の彼方なんだけど、徒歩で……?」
「馬で歩幅と歩数がしっかり把握できる自信があるならどうぞ」
 とか、嫌がらせなのか仕事に本当に必要な事なのか判断に困る物だったりする。

 けれど、溢れる陰湿な雰囲気はともかく、桂花が仕事に真剣なのは間違いなかった。
正確な地図を描くのも地質を調べて詳細に記述しておくのも、俺には無理な作業だ。
 普段は本当に頭が良いのか疑いたくなるような言動行動が目立つ桂花だけど、
実際に仕事をしているのを隣で見ると、魏国指折りの文官であることを改めて理解できる。

 実際、桂花自身が一から十まで政務を把握できれば、致命的なミスや不手際は
ほとんど起こらないのだろう。けれど、桂花くらいの立場になれば、
会った事もない部下や名前も知らない他人に任せざるを得ない作業は膨大な量になる。
今回の桂花の失敗だって、仕方ないと思える部分もあるわけで……。

「……何間抜け面で突っ立ってるのよ?」
「いや、大した物だと思ってさ。元々は他人の不手際だった事も、
文句を言わず自分の責任だと受け止めてるから」
 じろりと睨みつけてきた桂花に、つい思っていた事を素直に口にしてしまった。
桂花は一瞬、呆気にとられたように眼を見開き、その後また細め。

「バカじゃないの? 当たり前でしょ。私の仕事はあんたみたいな能無し連中が
華琳さまの足を引っ張るのを阻止することなんだから」
 相変わらず口が悪い桂花だが、今なら何となくわかる気がする。
桂花が軍師や文官として有能なのは、他人を動かすこと、他人に助けてもらうことが
上手いということでもあるわけで。『大事な人』の数はむしろ多いはずなのだ。

「まぁ、桂花からしたら普通の人は能無しなのかもしれないけどさ」
「はぁ? 何を当たり前の事言ってるのよあんた。いつもに増しておかしいわよ」
 桂花は一段落したらしい物書きを中断すると、首を巡らせて近くの森へ目を向けた。

「……そろそろ夕方になりそうだけど、今日のうちに調べておきたいわね」
 独り言のようにそう呟いて、俺の方を向き。
「手持ちの地図からすると、あの森をしばらく行くと沢があるそうなのよ。
水源に使えるのとそうでないのとでは計画にずいぶん差が出るから、
どのくらいの距離の場所にあるのか正確に調べておきたいわ」

 その森は人もほとんど踏み入らないようで鬱蒼と茂っている。
桂花が入っていくのはちょっと無理だろうな。

「りょーかい。行ってくるよ」
「私も自分の目で見たいから行くわ。先に進んで露払いしなさい」
 藪や枝を切り開くための道具を荷物から出していると、桂花はそう言った。
俺と二人きりで森に入るなんて嫌がるかと思ったけど、本人の言った通り、
私情と仕事に必要なことを分けて判断することはできるらしい。
 馬を近くの木にくくりつけると、俺たちは森の中に足を踏み入れた。

 ■ 十二 ■

 しばらく、ただ黙々と森の中を進む。この世界に来て初めて実感した事だが、
俺が現代世界で持っていた森とか林のイメージは、人が手を加えた物だった。
 剪定や間引きが行われていない天然の樹林というのは入るだけでも
相当な時間と体力が必要で、鉈や小刀で枝葉や茂みを処分しないと足の踏み場もない。

 それこそ純粋な肉体労働で、桂花に手伝えというのも無茶な話。
役割分担だと割り切って、後ろの桂花がついてこれる分まで考えて道を作る。
 汗や汚れを我慢しつつ、しばらくはただ黙々と進んでいたのだが……。

「……さすがにちょっと遠くないか? もうかなり来たと思うけど」
 初めて森に入る時は時間がかかるというのを差し引いても、『しばらく』は
進んだと思う。それでも沢の気配は無く、辺りはかなり薄暗くなってきている。
「地図で見るとそう遠いはずはないんだけど……。湾曲して進んでないでしょうね」
 桂花は僅かに俺を咎めるような色を見せたが、沢が予想より遠い事への疑問の方が
大きいようだった。

「帰りは一度作った道だからそこまで時間はかからないでしょう。もう少し進むわよ」
「ん……、わかった」
 汗を拭き、進行を再開する。ばっさばっさと道を作っていくのに合わせて、
桂花は黙ってゆっくり後を追ってくる。森の中だからというのもあるが、
差し込む光も弱まってさらに視界は悪くなり、沈黙に耐えられなくなり……。

「……なぁ、桂花」
「何よ?」
 そういえば、桂花と二人きりでこんなに長いこといるのなんて初めてだなと思い、
道を作る作業を続けたまま口を開いた。

「どうして俺のこと、そんなに嫌うんだ?」
「は?」
 今更というか、ずっと疑問だった根本的な質問が口をついて出る。

「嫌いなら嫌いでもいいんだけどさ、理由は知っておきたくて」
 風との会話が心に残っていたせいだろう。桂花に好かれていないのはわかるけど、
ここまで嫌われている云われも無いんじゃないか。
「……よくもまぁぬけぬけとそんなこと聞けるわね、この変態卑劣強姦魔。
あんたが私に何したか、覚えてないっていうんじゃないでしょうね?」

「確かに、恨まれるような事したけどさ……。華琳の命令でだろ?」
「華琳さまの命令だったら何だって聞くっていうの!?」
「それ、お前が言う台詞か……?」

 ツッコむと、桂花はむぐ、と言葉に詰まった。さすがに自覚はあったらしい。
「り、理由なんて関係ないでしょ? 男なんて無能だし不潔だし不快だから、
総じて必要無いって思ってるのよ。好きとか嫌いとか以前の問題だわ」
「それじゃ、男全般が嫌いなんであって、俺が特別嫌いってわけじゃないのか?」
「あんたは特別に決まってるでしょ万年発情精液男! あんたなんて、女なら誰でも手を出す
汚らわしい男の代表みたいなもんじゃない! 自覚がないなんてほんと救いがないわ!」

 酷い言われようだが、普段の桂花の様子に近くなった。やっぱりこっちの方が桂花らしい。
「誰でもっていうのは否定させてもらいたいが」
「誰でもでしょうが! 現にっ……!」
 桂花はそこまで叫んで、また言葉に詰まった。そして消え入りそうな声で、
『私に……』と呟くのが聞こえた。

「それは……、誰でも良いと思ってるから、桂花の相手をする命令に従ったわけじゃないよ」
「はぁ?」
「桂花が可愛いって思ってたから、抱きたいって思ったんだ」
 後ろにいるから桂花の顔は見えないが、息をのむのがわかった。
「と、とってつけたような言い訳ね。じゃあ、私の前で風の相手したのは何なのよ?」
「そりゃ……、風も可愛いと思ってるから」
「全然説得力無いじゃないこの最低詭弁無節操種馬!!」
 後頭部に木片が投げつけられた。痛い。

「私があんたを嫌ってる理由ははっきりしたでしょ。本当に愚問だったわ」
 桂花は吐き捨てるようにそう言ったけど、
どうも俺に対して言っているというよりも自分自身で確認しているように聞こえる。
「……そっか。悪かったな、もう聞かないよ」
「調子狂うわね……。さっきから、あんた本当にどこか変なんじゃないの?」
「いや、俺は桂花のこと、大事な仲間だと思ってるから。
桂花からも俺のこと、大事とまでは言わなくとも、必要な仲間だと思って欲しかったんだよ」

 何か言い返してくるかと思ったら、桂花はそのまま黙ってしまい、
一層暗くなった森の中に枝葉を切る音と草木を掻き分ける音だけが響いた。
 次に桂花の口から出た言葉は、俺の台詞に対する応えではなく、
「仕方ないわね、もう引き返しましょう」
 諦めの溜息と一緒の、仕事上の指示だった。

「だな。これ以上暗くなると、一度作った道でも帰るのが大変になる」
 疲労が溜まった肩や腰を動かしつつ、桂花の方を振り向く。すると、
「きゃあっ!!」
 悲鳴と共に、桂花が俺の胸元にすがりついてきた。
何だ何だ、悲鳴上げて逃げられた事は何度もあるけど、近寄られたのは初めてだ。

「おっとと、何だ?」
「へ、へへ……」
 何か下品な笑い、と思ったら。
「ヘビよっ!!」
 噛み付かんばかりの勢いで俺に怒鳴った。指さして必死で振る手の先を見ると、
ついさっき俺が切り開いた道の上に、通せんぼするように蛇が鎌首を上げていた。

「あー、そういえば桂花、ヘビ苦手なんだっけ」
 いつかの探索の時を思い出す。あの時も今みたいに森の中をウロウロしていて……。
「殺すっ! その先を思い返したら殺すわよっ!!」
 桂花に思考を読まれ、頭を鷲掴みにされた。凄い力なんだけど、俺を殺せるなら
その前にヘビを殺した方がいいんじゃなかろうか。

「あーあーわかったから、俺の後ろに回れ」
「そうねっ、噛まれるならあんたが噛まれなさい!」
 さりげなく酷い事を言いつつ、俺の横を通って後ろに回ろうとする桂花。
だが、森の中を切り開いた道は一人分の幅しかないわけで、慌てた桂花の上着の
ひらひらの裾が枝に引っ掛かり。
「わっ、わわわ、わひゃあ!!」
 ヘビから遠ざかりたい一心で急く上半身がつんのめる。
バタバタと振られた足に刺激されたのか、ヘビはそろそろとこちらに近付いてきた。

「お、落ち着け桂花! ヘビ来てるぞ!」
「えっ、いやーーっ!!」
 大人しくさせようとかけた言葉は、まさしくヤブヘビだった。桂花は一層混乱して力任せに
ヘビから逃げようとし、びりっという服の裾が破れる音と同時に桂花は枝から解放され、
まだ切り開いていない藪の中に頭から突っ込んだ。
「あーもう、何やってんだか……」
 肩を落とし、とりあえず桂花は放っておいてヘビをどうにかしようと思っていると。

「助けてっ!」
 またも桂花の悲鳴が、妙に遠くから聞こえた。今突っ込んだ藪のすぐ向こうからの声じゃない。
嫌な予感がして、ヘビを放置して桂花が入った藪を掻き分ける。
その先は下りの急斜になっていた。ここを転がっていったのかと後を追うと、突然森が開け……。

「うわっ!?」
 茂みの奥を覗いた瞬間、心臓が跳ねた。森が開けたすぐ先は急斜どころか崖になっていて、
その下に川が流れている。落っこちたら怪我じゃ済まない。
「ほ、北郷……っ!!」
 桂花はその崖から落ちそうになり、木に掴まって必死で耐えていた。慎重にその傍まで寄り、
手を伸ばして引き上げようとするも。

「桂花っ、掴め!」
 斜面の木に手を掛けて身体を固定し、伸ばした俺のもう片方の手を、苦悶の表情で見る桂花。
「っ……、無理……!」
「こんな状況で触りたくないとか言ってる場合か!」
「違うわよっ! 片手離したら……落ちるっ……!」
 涙声で桂花は言った。桂花は両手で木の枝を掴んでいたが、その細腕はもう
小刻みに痙攣している。ほんの一瞬でも片手を離したら身体を支えられないのだろう。
しかし俺の方も急斜の上で足場が悪く、桂花の手首までは手が伸ばせない。

「大丈夫だ、片手を伸ばした瞬間に掴んでやるからっ!」
「く…………」
「信じろ!」
 桂花は恐る恐るという様子で、左手の指を掴んだ枝から離そうとし……。
「あっ…」
 俺に手を伸ばす前に、両手ともずるりと枝から離れた。

「くそっ!」
 支えにしていた木を俺も手放す。桂花の手首を掴み、引き上げようとして
一瞬で不可能な事に気付き、諦めて桂花の身体を上にして抱きしめる。
 がつんがつん、とせり出した岩が身体に当たる。息が止まるほど痛いが、真っ直ぐに
崖下まで落ちるよりまだマシかもしれない。それより桂花の身体は無事かな、
なんて思った直後、今までとは違う衝撃と共に、俺は底の河の浅瀬に叩きつけられた。

 ■ 十三 ■

「……、………っ!!」
 身体の芯をギンギン叩くような苦痛とともに、頭を揺さぶるような大声を浴びせられている。
簡便してくれと泣きたい気分で目を開けると、闇夜の中にぼうっと少女の顔が浮かび上がった。
 
「桂花……?」
「北郷!?」
 名前を呟くと、桂花はぱぁっと表情を安堵に染めた。こいつがこんな顔を
俺に対して見せたのは初めてかもしれない。珍しい物拝めたな。

「あづっ、ててて……」
 なんて呑気な事を考えた直後、忘れていたように全身を激痛が走りぬけて、
俺はのたうち回る事もできずに身体を硬直させた。
そうだった、俺は崖から思いっきり転落したんだった。
「バカ、じっとしてなさいよ!」
「こんな時まで、バカはねーだろよ……あぐ、いづぅ……!」
 涙まで出てきたが、『痛い』で済んでいるということは生死にかかわるほどの
重症では無い筈……だと思う。希望的観測がかなり入ってるけど。

「桂花は無事か……?」
「そ、そんなことより自分の心配しなさいよ!」
「怪我は……?」
 二度も聞かせないで欲しい。

「……ほとんど無いわよ。かすり傷程度……」
「そっか、よかった……あつつ」
 身を呈して庇ったのに両方が大怪我してたら、文字通り骨折り損になるところだった。

「良いわけないでしょ、どうして……」
「それより……冷たい」
 桂花が無事なのを確認できたら、今度は俺の身体をどうにかしないと。俺は浅瀬に落ちて、
そのまま身体が半分くらい川に浸かっている。死なずに済んだのはこのおかげでもあるだろうけど、
このままだと体温が奪われてさらにヤバい事になる。

「あ……、でも、私じゃ運べなくて」
「そりゃそうだ……と」
 気絶した人間の体、しかも服が水を吸った物を桂花の体力で引き摺れるわけがない。
奥歯を噛みしめて寝返りをうつと、激痛の中で休み休み膝をついた。

「だ、大丈夫なの……?」
 心配そうに呟いた桂花だったが、その中にはかすかにほっとした色がある。
いくら辛かろうが動けるという事は、致命的な怪我では無いということなのだから。
「大丈夫じゃないけど……、ん、そこかな……」
 川岸をずるずると歩いて、岩陰の草むらの上に腰を下ろし、そのまま横倒しに倒れ込んだ。

「全身めちゃくちゃ痛いけど、たぶん打撲とかだけだ……明日になったら帰ろう」
 目を閉じて、近くに腰をおろした桂花にそう言う。
今はとても長距離は動けないし、日も完全に落ちている。
「そう思いたいだけじゃないの……? 深刻な怪我があったらどうするのよ、
私、今からでも助けを呼んで……」
「無茶だって、崖を迂回するんだから」
 桂花にしては早計な意見を出してきた。切り開いた道をまっすぐ帰れるならともかく、
この暗さで崖を登れる所を探して森に入るなんて無謀もいいところだ。

「でも……!」
「ここにいてくれ」
 自分でも意識していなかったのに、そんな言葉が口をついて出た。
「え……」
「桂花が、そこにいてくれるだけでいいから」
 傷だらけで、身体も冷えていて、思いのほか心が参っていたのかもしれない。
崖から落ちて怪我するのと引き換えに守れた女の子が隣にいるだけで、かなり心が楽になる。
 目を閉じたまま、そろそろと手を伸ばして探ると……、その手に、暖かい手が重ねられた。

「……何でよ」
「え……?」
「何で私なんか助けたのよ。助けようとするのはいいわ。
けど、自分だけ怪我するように私を庇わなくたっていいじゃない」
 責めるように俺の手をぎゅっと握りしめて、桂花はそう言った。

「……わかんね」
「自分の気持ちくらいわかりなさいよ……! 何? さっき言ってたけど、私が仲間だから?」
「そうかも……」
 大雑把に言えば、そうなのかもしれないけど。深く考える気力も答える気力も無い。

「立場が逆だったら、桂花は俺を助けたか?」
「それは……!」
 普段だったら、『そんなわけないでしょ、当然見捨てるわ』とでも即答したろう。
「………………わからないわ」
「そうだろ」
 何を考えていたのか、深い沈黙の後にそう答えをもらって、俺は小さく笑った。

 そのまましばらく目を閉じていても、眠りにはつけなかった。絶え間なく四肢に痛みが走って、
その度に歯を食いしばって耐える。早く朝になってくれとか、朝になっても痛みが
マシになってなかったら意味無いんだよなとか、とりとめもない事を頭の隅で考えているうちに、
眠気とは別の感覚で朦朧としてきた。

「さむ……」
 濡れてそのままの服が冷たい。脱ぎたい、けど脱いだらもっと寒いか。
そもそも張り付いた服を脱ごうと思ったらかなり痛い思いをすることになるな。
だったら我慢した方がいいのかもしれないが……けど寒い。
 傷に加えて、濡れたせいで風邪までひいたかもしれない。ほんとにヤバい。物が考えられない。
桂花が俺に何か言ってるけど、ぐわんぐわん頭の中で響いてわけがわからない。

 そんなとき、ふと、さっき桂花に言われた言葉の答えが思いついた。
なんで桂花を庇ったのか。なんで自分から進んでこんなに痛い思いをしてるのか。
こんな散々な状況なのに、どうしてそれでも後悔していないのか……。

「桂花だから……」

 独り言で言ったのか、たぶん近くにいるのだろう桂花に向けて言ったのか、よくわからない。

「仲間だからとかじゃなく……、相手が桂花だから、庇ったんだよ」

 あー、言えた。少しだけ胸のつかえが取れて、俺の意識は混濁の中に沈んでいった。

 ■ 十四 ■

「うー、さぶさぶ!」
 寒風吹きすさぶ冬の一日、俺は身を縮こませながら帰宅して実家に飛び込んだ。
 暖かい暖房が迎えてくれる……と思ったのだが、よりにもよって家はもぬけのから。
自室はもちろん、居間も台所も冷え切っている。
 そうだ、風呂なら沸いてるはず。そう気付き、脱衣所に駆け込むと手早く全裸になり、
意気揚々と風呂場の扉を開いた。
 が、バスタブの中は空。水一滴たりとも溜まっていない。ならばシャワーだと
コックを捻るが、そこからもお湯は一切出てこない。

「あんた、馬鹿じゃないの? 全裸で何してんのよ」
 絶望と物理的な寒さにガタガタ震えていると、後ろからさらに冷たい声を浴びせられた。
振り向くと、風呂場の戸を開けて桂花が可哀想な物を見る目で俺を見下ろしている。
「け、桂花! シャワーが壊れてるんだよ! ここからお湯が出るはずなのに!」
「はぁ? 何よそれ。そんな便利な物あるわけないでしょ」
「あるんだって! ほら、えーと……、そう、真桜が作ってくれたんだよ!」
 説明すると、桂花は眉をひそめながら風呂場に降り、手を伸ばしてコックをひねった。

「わぷっ!」「きゃっ!」
 今度はしっかりシャワーは動いた。ノズルからそれこそ雨のように……。
「って水じゃんこれ!」
 シャワーの出始めは水である。二人してひっかぶり、本当に危険な領域で身体が凍えてきた。

「冷たいじゃない! どうしてくれるのよ!」
「ちょっと待ってれば……あったかくなるはず……カタカタ……(歯の鳴る音)」
「本当に? 仕方ないわね……」
 桂花は水を吸って垂れ下ったネコミミ頭巾を外して絞ると、そのまま自らの服に手をかけ、
すっぱりと前を開けて脱ぎ去った。

「ちょ、桂花さん!?」
「し、仕方ないでしょ! 変な勘違いしないでよね、華琳さまからのお仕置きで、
お風呂であんたの身体を洗うように命令されただけなんだから!」
 桂花は紅潮した頬で俺を睨みつけ、一気にそれだけまくし立てた。それはいいんだけど。

「そ、その格好……」
 桂花が服の下に着ていたのは、スクール水着(旧型デザイン・紺色)だった。
「何よ、私が進んで視線妊娠光線男なんかに肌を晒すわけないでしょ、汚れるもの」
 いやむしろ、その格好の方がマニアックというかフェチ入っているというか興奮するんですが。

「とっとと済ませるわよ」
 桂花は俺を突き飛ばし、バスタブの中に転落させた。目を回していると
その上にようやくお湯になったシャワーを浴びせかけられ、人心地ついたところで
今度は風呂場にあったシャンプーだのボディソープだのがぶちまけられた。
「洗濯機じゃねーぞ!」
「あら、じゃあここに洗濯用洗剤っていうのがあるけど、これもかけて欲しい?」
「ごめんなさいそれだけはやめて」

 泡まみれで酷い有様だったが、お湯のおかげで大分気分は良くなった。
少しずつ湯船の中に溜まってきたお湯に、なるべく身体を浸そうとしていると……。
「ちょっと邪魔よ、どきなさい」
 桂花がバスタブを跨ぎ、湯船の中に入ってきた。さほど広くない湯船は、
俺と桂花が入ってぎゅうぎゅうに近い状態になってしまう。

「勘違いしないでよ! 洗わないと終わらないから……」
 はいはい華琳のため華琳のため。それじゃ洗ってもらおうか、と待ち構えると。
「ん……!」
 桂花の顔が俺の眼前にまで迫り、次いで胸に暖かくて柔らかい物が触れた。
「は……? ええ!?」
 そのまま、ずりずりと擦りつけられる感覚。目を伏せた桂花の顔が下がり、また上がってくる。
桂花の奴、俺に抱きついて身体で身体を洗ってやがりますよ。

「ちょ、何!?」
「なに、って……。『アワオドリ』でしょっ……。まったく、ふぅ……私にこんな事させるなんて、
はぁ……とんでもない変態性癖布教者だわ……!」
 口では悪態をつきながら、息を乱して俺に身体を擦りつけてくる桂花。
いや、俺は何も言ってないのに勝手にそっちがしてきたと記憶してるのだが。

 桂花の平坦な身体が上下するたびに、ぞくぞくと身震いするような甘い感覚が走り、
桂花の肌の柔らかさと温かさが身体の奥まで染み込んでくるように感じられる。
 その気持ちよさをただ待っているだけなのにも耐えられなくなり、俺は桂花の身体を抱きしめ、
俺の方からも積極的に身体をすり寄せた。

「ば、かぁ……! なに、勝手な事……してくれてんのよ……!」
「けど、俺の方からもした方が早く終わるんじゃないのか?」
「ん……ぁ……そう、かしら。そうかも……」
 本当はずっと終わって欲しくないくらいなんだけど。それは黙って、泡とお湯に包まれながら
それよりもさらに心地よい刺激を与えてくれる、桂花の身体と肌を重ね続ける。

「あ……、ぁ、ぅん……!」
 どれくらいそうしていたのか、桂花は今までとは違う様子で、俺の腕の中で身をよじった。
「どうした?」
「あの、ちょっと……中断しましょう。離れて」
 『終わりにしましょう』とは言わなかった事になんだか嬉しくなりつつ、
それでも桂花の身体を逃がしたくないという思いで、抱き締める腕の力は弱めない。
「どうして?」
「どうしてって、その……、いいでしょそんなこと!」
 桂花は焦って俺の手から逃げようとするが、その力は弱弱しい。
まるで、本当に離れたいとは自分でも思っていないみたいに。

「だから、理由教えてよ」
 その様子から何となく察することができてしまった上で、わざと桂花の耳に囁く。
桂花は震えるように吐息を漏らして。
「…………っこ」
 蚊の鳴くような声で、何か呟いた。
「え?」
「だからっ……、その……、おしっこ、したくなっちゃったから……」
 俯き、とぎれとぎれに告白する桂花。腰の方をもじもじと揺すって我慢しているのがわかる。

「……ここでしちゃえよ」
「…………はぁ!?」
 その様があんまり可愛くて、普段ならあり得ないような状況に
熱に浮かされたみたいになって、俺は桂花にそう言った。
「だから、お風呂なんだし流せば問題ないだろ? ここでしちゃえって」
「馬鹿! 死ね! 何考えてるのよこの鬼畜外道偏執性向強要者! 寝言は寝てからっ……!!」
 そこまで叫んだところで、桂花はいよいよ切羽詰まったように言葉を詰まらせ、
ぶるぶると腕を震わせて俺にしがみついた。

「あ、あ、あぁ……、だめ、だめだってば……」
「いいから。……俺、桂花と一時も離れたくない」
「ばかぁ……」
 桂花はついに観念したのか、目をぎゅっと閉じて涙を零し、全力で俺を抱きしめて……。

 押し当てられた桂花のそこから、じわぁ…と暖かい物が広がっていくのがわかった。
お湯よりも温かく感じられるそれは桂花の呼吸に合わせて俺の腰をなぞり、
少しずつ霧散していく。
 明らかに異常な行為なのに、俺はそれを不快だとは思わず……、いやむしろ、心地よく
甘美なものであると感じてしまいながら、これじゃ桂花に変態呼ばわりされても仕方ないなとか、
そんなことを思っていた。

「……かずと……」
 全部出し切って、全身から力を抜いて俺に身を預けた桂花は、うわ言のように
俺の名前を呼んだ。妙な蔑称でも苗字でもなく、俺の下の名を呼んでくれたのは
これが初めてだなと思い、無性に目の前の少女が愛しくなり……。
そのまま桂花の頭をゆっくりと撫でていた。

 ■ 十五 ■

「一部始終見物させてもらったわ!」
 そんな余韻に浸っていると、突如として風呂場の戸が開け放たれ、華琳が高々と宣言した。
「か、華琳さま!? ち、違うんです! これは……!」
「何も言わなくていいわ桂花。あなたは私の命を果たしただけだもの。ええ、過剰なくらいにね」
 とても良い笑顔で笑いかける華琳に、桂花は面白いくらい相貌を崩した。
「いやー、本当にすごいもん見させてもらったわー。いっつも一刀の事変態だの色魔だのって
言ってると思ったら、とんだ似たもの同士やったっちゅう事やなー」
 霞が顔を出し、愉快そうにけらけら笑う。

「でもいくら変態っていっても、おしっこはどうかと思うのー。正直ドン引きなのー」
 沙和が出てきて、いつも通り柔らかい口調でとても辛辣な事を仰る。
「隊長……そういう趣味があったのですか……。私では期待に応えられるかどうか……」
「いやー、無理に合わせる必要ないと思うで。あれには……」
 赤い顔で真剣に考え込んでいる凪に、深いため息をつく真桜。

「それならば、おしっこの代わりに鼻血風呂というのはいかがでしょうか。丁度用意できそうですがー」
「それは娯楽の範囲では済まないだろう……」
 既に鼻血の海に沈んでいる稟を、風と秋蘭の二人で蘇生させようとしていた。
「やーいけーふぁちゃん、おもらししてるー! はずかしーんだー!」
「……春蘭は一体どうしたの?」
「自分の理解を遥かに超える行為を目にして、一時的に幼児退行を起こしたものかと」
 これはひどい。

「まぁいいわ。せっかく『お風呂ぷれい』というものが可能になったのだもの。皆で楽しみましょう」
「はっ」
 はっ、じゃないよ。あれだけ言いたい放題言っていた面子も、
華琳に続いて全く遠慮せずにぞろぞろと風呂場に入ってきた。
ちょっとまて、俺の家の風呂にそんなに入れるわけないじゃないか。
「問題ないで。こんな事もあろうかと、『全自動温泉掘り当て機、ドリラー七号君』がここに!」
 わー、と皆が拍手喝采する中、真桜はどこから取り出したのかわからない巨大ドリルを
風呂場の床にあてがい、俺がやめてと叫ぶのも聞かずにスイッチを押した。



「ひぃっ!」
 風呂場の床が崩壊して噴き出した温泉に実家が吹き飛ばされる悪夢から覚め、
反射的に身体を起こそうとして響いた鈍痛に、俺はまたも悲鳴を上げることになった。
「いづっ、つぅ……!!」
 全身の痛みに悶え苦しむが、まだ昨晩よりはマシだと思えた。
昨日は身動きもとれなかったが、今は身をよじって痛みを逃がす事ができる。

「か……、北郷? 目が覚めた!?」
 俺の呻き声を聞きつけたのか、朝日が差し込む中、桂花が走り寄ってきた。
川の方で何かしていたらしい。俺は今度こそ身を起こすと、苦痛はあるけどどうにか
動けるようになった身体で、岩肌に背中を預けて座った。

「……昨日よりずっと良いみたいね」
 桂花は俺の様子を見て、ほっと息をついて言った。安心してくれているのはわかるのだが、
なぜか少々気まずそうにしている。
「ああ、これならもうちょっと休めば歩いて帰れる……、ん?」
 腕を持ち上げると、肩からぱさりと何かが落ちた。見ると、俺の上着は前がはだけていて、
その上に桂花の上着がかけられて眠っていたらしい。
「ありがとな、桂花」
 その上着を桂花に返す……、と、今度は下に下着一枚しか穿いていない事に気づいた。
いつの間にやら、ズボンが剥ぎ取られている。

「あ、それっ、濡れてたから……、今川で洗って、乾かしてるわ」
「そっか。脱がすの大変だったろ」
 寝てる人間からズボンを脱がすのも大変だが、桂花が男の下履きを脱がすという事自体も
相当な精神的苦痛だと思う。根は良い奴なんだな、と思える。
 ……あれ、でも待てよ。ちょっと引っかかる。
「洗ってくれたのか? 乾かすだけじゃなくて?」
「へ……!? あ、あぁ! そ、そうね。せっかくだからね!」
 桂花はぼっと火がついたように赤くなり、やけに焦った様子で言った。
なんでそんなに動揺してるのはわからないけど、追求するような事でもないだろう。

「それじゃ、あんたが歩けるようになったら帰るわよ。いい?」
「おっけ、了解」
 座り込んで、もう少し日が高くなるのを待つ。身体の調子は思ったより回復していて、
これなら二、三日休めば仕事も再開できるだろう。
昨日眠る直前にあったように感じた熱も、かなり引いている。
 風たちも心配してるだろうし、なるべく早く戻らないとな、なんて思っていると。

「……ねぇ」
 桂花が遠慮がちといった様子で、声を掛けてきた。
「ん?」
「あんた……。昨日の夜の事、何か覚えてる……?」
「昨日の夜って、崖から落ちて目が覚めて、ここまで移動して……、すぐ寝ちゃったけど」
 妙なことを聞くな。それ以外に何かあったんだろうか。
「眠ってからの事は?」
「眠ってるのに覚えてるわけないだろ」
「じゃ、夜中に目を覚ましたりはしてないのね」
 真剣に聞いてくる桂花に、頷いて返す。桂花はほっと胸を撫で下ろした。一体何なんだ。

「あ、でも」
「何!?」
 桂花はぎくっという擬音が聞こえそうな様子で、俺に詰め寄った。
「変な夢見たかも」
「どどど、どんな!?」
 怖い。なんか桂花怖い。取って食われそう。
「ちょっと思いだせないけど、良い夢だったような……そうでもなかったような……」
「で、でもただの夢でしょう?」
「まぁ、そうだけど。妙に現実味があったような……」
 現実味、と言った瞬間、桂花の顔から血の気が引くのがわかった。
もうちょっとで思い出せそうなんだが。こういうのって非常にムズムズする。

「……あ、そうだ! 思い出した!!」
 ピン、と来て、桂花に言おうとすると。
「〜〜〜〜〜〜〜!! それは夢よっ! わ、忘れなさいッ!!」

 いきなり頭を掴まれて、前後に揺さぶられた。勢い余って、俺の頭は後ろの岸壁に叩きつけられ。

「あ……!」
 
 桂花の慌てふためく声が遠のく中、俺はまたも昏倒することになったのだった。
 ……俺の実家が吹っ飛ぶ夢だったって事を思い出しただけなのに。


 俺がまた回復して風たちの所へ戻るのは、その日の昼過ぎになったとさ。


最近の流れでまた落書き
ほんとに落書きでSSと関係ないし、まとめに保管とかはしなくていいです
前の落書きも…。

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