[戻る] []

627 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 21:47:13 ID:2Wlssuwh0
うーむ…。
落選が決定したようなので、投下してもいいかな?
ハムの話なんだけど。
629 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:18:33 ID:2Wlssuwh0
>>628
だよな。じゃあいっちょ投下しますか。

時系列的には董卓の乱平定後〜袁紹が攻めてくるまでの間のお話ということで。
チンコに会えず、毎夜寂しがっているハムさんのエピソードです。

あと、今後コテハンで「かぜあめ」と名乗りますので、よろしくお願いします。
630 名前:〜『夢現』@〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:23:33 ID:2Wlssuwh0

『夢』―――…それは人が見る、形があって形のないもの。
私たちを別世界へといざない、そしてその世界に縛りつける物。『夢』は現実を映す鏡――――それは現実を隠す場所…。

真っ白な景色の中、ワタシはまどろむ。


〜【夢現(ゆめうつつ)】〜


序:

…夢を見た。
目の前で見知った少年が、膝を抱えて泣いていた。
夜、暗い影の差す深い森で…
―――――空に浮かぶはずの満月は、灰色の雲に隠れ、朧(おぼろ)に霞む。


「…お、おい…」

深呼吸する。声をかけて、すぐに後悔した。
顔を上げた先にあるのは、今にも消え失せてしまいそうな、儚い微笑。
それが、いつもの彼の姿であることに安堵して、同時に自分が嫌になる。
こんな時ぐらい、どうして彼に、もっと気の利いた言葉をかけられないのだろう。慰めようとするこの瞬間でさえ、ワタシは彼の優しさに甘えている…

「――――――…いんだ」

胸が苦しい…。彼の悲しげな言葉一つ一つが、その表情一つ一つが、ワタシの胸へと突き刺さる。

昔、母君はワタシに言った。『貴方はとても優しい娘だ』と。『貴方のような将ならば、立派に兵を、民草を導いていける』と。
でもそれは嘘。ワタシを励ますために吐いた、虚しい嘘だ
631 名前:〜『夢現』A〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:24:34 ID:2Wlssuwh0

だってそうでしょう?母君…

もしもワタシが『優しい』のなら…
もしもワタシにそんな力があるというなら…

ワタシはきっと、目の前の彼を―――――――…

「…―――――り…がとう…」

彼が笑う。ワタシの名前を呼んでくれる。

トクン、と――――――静寂の中、鼓動が高鳴る。
それは、ワタシが自らの恋を自覚した瞬間。多分、生まれて初めて……。ワタシは、目の前のこの人に恋をしている…。


毎夜のように繰り返される夢の舞台で…
過去に縛りつけられたワタシの心は、蝶のように頼りなくあたりを彷徨(さまよ)う。
やがて暗黒の世界に光が満ちて……名も無い蝶は、フラフラと真っ白な景色に飲まれていく。

眩惑の空をたゆたいながら、ワタシはいつも思うのだ。
扉が開き、目覚めを迎えるわずかな一時……この一瞬を、現実のワタシは喜んでいるのか、それとも泣き濡れるほどに悲しんでいるのか…
自分の本心が分からない、と―――――


                                  ◇
632 名前:〜『夢現』B〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:27:17 ID:2Wlssuwh0

一幕:

「――――――…?」

意識の覚醒は突然だった。

見慣れた天蓋。視界の端で、蛍火のように揺らめく幾つもの明かり。
目をこらせば、そこはいつも通り、何の変哲もない自らの寝所で……

(…また……あの夢か……)

軽い落胆と安堵を覚え、少女は静かに息を吐く。
剣のように研ぎ澄まされた鋭い美貌…。薄紅の長髪に琥珀色の瞳…。
淡く白い肌を持つその少女の名は公孫賛、字を伯珪という……幽州の北方、ここ遼西群に本拠を置く群雄の一人だった。
少し眠たげに目をこすり、乱れた寝巻きを正しながら、伯珪は寝台から身を起こす。

全く、妙な時分に目覚めてしまったものだ…。周囲の暗さに辟易し、かといって再び寝直す気にはどうしてもなれず、彼女は台座を後にする。
…久しぶりに、夜風に当たりたかった。
冷たい外気にこの身をさらせば、鬱屈とした気分も少しは晴れてくれるかもしれない。そう考え、一つ頷くと、彼女は傍らに置かれたお気に入りの髪留めへと手を伸ばす。

『動き回るのに邪魔だから……』
ぼんやりといつもの調子で髪を束ねようとしたその瞬間、伯珪は、夢の中の自分も『彼』にそんなことを答えていた、と思い出す。

その言葉に付随する「ある記憶」――――思い出した瞬間、凛とした美貌にほのかな朱が指し、逡巡とかすかな恥じらいが浮かび上がった。

(…っ…なんでアイツ突然あんなこと……ホントこっぱずかしいヤツ…)
チラチラと姿見を覗きこみ……手元に残った髪留めと見比べ……何度も同じことを繰り返して…

「……。」
長い長い黙考の末、
…結局、少女はその髪留めを、再び寝台に置きなおすことを決めたのだった。
633 名前:〜『夢現』C〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:30:00 ID:2Wlssuwh0



(…ほんと、重症だな。我ながら…)

廊下を出歩き、独り思う。
シン、と静まりかえった離れには人の気配など感じられない。単調に連なる足音だけが、漆黒の通路を反響してゆく。

なんだか寂しい光景だ…。
そんな感覚がふと自分の内で鎌首をもたげ、伯珪は一度、自嘲するような笑みを作った。

――――嘘ばかり。本当に寂しいのは廊下なんかじゃない…。それを寂しいと感じてしまう私の心…。

そう一人ごち、たどり着いた階段を駆け上がる。目の前に現れた、無骨な鉄扉を押し開ける。
城の最上部の一角に位置する、そこは城壁への正規の入り口…。
伯珪は昔から、この先に待つ空と大地が好きだった。戦の前、あるいは凱旋時…
自分の守るべきものが、守り抜いたものが何なのか…、ソレらはいつだって彼女に教えてくれた。

(だけど……)

いつからだろう?
果てしなく遠い蒼天を見上げることに、自分が恐れを抱くようになったのは。
どこまでも続く緑の大地に、どこか言いようの無い不安を見出すようになったのは。

多分…空と大地は、もう二度と私に奮起する力を与えてはくれない。これからは私自らが立たなければ……。
――――…そうでなければ、きっと私は飲み込まれてしまう。この先、留まることを知らず激しさを増すであろう、時代の流れに…。

ゆっくりと扉が開いていく。
半ば諦めにも似た決意を胸に、伯珪は弱々しく顔を上げ……
634 名前:〜『夢現』D〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:31:01 ID:2Wlssuwh0

(…え?)

瞬間、視界に広がる景色を前に、小さく両目を見開いた。
夜空に輝く満天の星と、雲一つ無いというのに舞い散る雪……予想外の光彩が全身を包む。
…それはぞっとするほどに美しく、目を疑うほどに幻想的な、大自然の織り成す静かな共演だった。


「………凄いなこれは…。なにかの吉兆か…・・・ふふっ、それとも凶兆かな…」


もしかしたらアイツも見ているだろうか?

子供のような笑顔を浮かべ、伯珪は遠く―――――ここではないとある場所へと思いを馳せる。
近いようで遠い…同じ幽州に位置する啄県の地。天の御遣いと云われる『アイツ』が家臣とともに暮らす場所…。

だけど伯珪は知っているのだ。
アイツは確かに天の御遣いなのかもしれないけれど………普段その事実を自分で忘れてしまっているような変り種で…
それ以上に、一緒に話していると安らげる、彼女にとってとても大切な仲間の一人で…

そして……見ているこちらが不安になってしまうぐらい、本当にどうしようもなく優しい男なのだということを。

知っている…。
アイツが嬉しいときどんな風に笑って、哀しいときどれだけの想いをその身に押し込め、涙を堪えていたのかを…
料理を頬張る時の満足げな顔。寝起きで少し機嫌の悪いしかめっ面。

…全部知っている。最後にそれを目にしたのは、もう随分と昔のことだけれど……
636 名前:〜『夢現』E〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:40:03 ID:2Wlssuwh0
「……。」

最早、自分に力を与えてはくれない無情の蒼天。
かつて都を跋扈(ばっこ)していた董卓の軍が討ち果たされ、今や大陸は群雄割拠の時代となった。
黄巾が消え、董卓が消え、一時とはいえもたらされた争いのない時間…
…そんな仮初めの平穏もじきに終わる。

世界の変遷……止められない流れ…。
伯珪は時たま、その残酷な流れが恐ろしくなる。不安に心が押し潰され、恐怖にその身を食われそうになる。

ここから先に待ち受けるのは、死と隣り合わせの混沌とした未来。
強者が弱者を容赦なく喰らい、力持たぬ者は滅びるしかない、闘争の時代…。

こんな絶望しか見い出せない時代の中…自分は……彼は…この先一体どうなっていくのだろう?どうなってしまうのだろう?
再び二人で笑い合える日々は来るのだろうか。そんなわずかな希望を、自分は最後まで信じることができるだろうか。

もしも……

(…もしも今後巻き起こる戦乱が………アイツに死の牙を突き立てようとする、その時は……)
637 名前:〜『夢現』F〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:41:07 ID:2Wlssuwh0

――――――…。

サワサワと…。
冷たい風が頬を撫でる。髪留めから開放された少女の長髪が、赤い絹糸となって夜闇になびく。
顔をうつむけ、伯珪はその先の言葉を飲み込んだ。

…大丈夫。そんなことには絶対ならない。
否、この身に代えてもさせはしない。何が、誰が相手であろうと絶対に…

絶対に自分が守ってみせる。

(私は公孫賛……幽州にその名を轟かす白馬長史…。もっと自分に自信を持つんだ、私…!)

胸元を押さえ、自身の心に言い聞かせる。
彼の姿を思い浮かべるたび、暖かな何かが自分に力を与えてくれる……そんな気がした。

―――そうだ……私にはまだ、アイツに言わなきゃいけないことがたくさんある…。せめてそれを伝えきるまでは……
   私自身も、生き抜いてみせよう…。この暗闇に沈む戦乱の大地で…――――

しんしんと降り積もる雪の中……そのまま力強く宙を見上げ…
そうして少女は半刻の間、いつまでも星空のもとに立ち尽くしていた。

                            
         
                                ◇
638 名前:〜『夢現』G〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:45:18 ID:2Wlssuwh0

「……?」

夜風にかすかな寒さを感じ、そろそろ部屋に戻ろうかと考えていたその時のこと。

伯珪は遠目に、城へと近づく鬼火を見た。幾万にも揺れる、不気味に煌く荒々しい炎…。
山を越え、河を越え、じょじょに…しかし確実に、夜の平原を侵していく。

(…なん…だ?あれは…)
瞳を見開く伯珪のもとへ、見張りをしていた一人の兵が、青ざめた様子で駆け寄ってくる。

「公孫賛さま!お下がりください、敵襲です!」
「……て…き…?」

「旗印は袁!その数およそ三万の大部隊です!」
「袁?…ちょっと……なにを言って…」

…お前は一体、何を言っているんだ…?そう問いかけようとする衝動を、伯珪はすんでのところで押さえ込んだ。
眩暈がする。足元が揺らぐ。何より信じられなかった。こんな馬鹿なこと…。
誰かに嘘だと言ってほしかった。
639 名前:〜『夢現』H〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:54:57 ID:2Wlssuwh0

「…こうまで接近されて……何故、誰もあの大部隊の存在に気付くことができなかったんだ…。伝令の兵は…」

「………それが……県境に配備された兵士たちは一様に、『敵兵が忽然とその場に姿を現した』、と…」

「―――――――…。」

伯珪の疑問を言下に察し、見張り兵が言いにくそうに付け加える。
ゾクリと―――背筋が浮き立つような感覚。得体の知れない悪寒を覚え、彼女は迫り来る大軍を振り仰ぐ。

(…どういうことだ…?)
―――…何かが起こっている。袁紹ではない。もっと強大で遥かに恐ろしい『ナニカ』が、舞台の裏……群雄割拠のこの大陸で、静かに胎動を始めている。

かろうじてそれだけを理解して、伯珪は拳を握り締めた。
奴らが何者であろうと関係ない。止めてみせる、この場で必ず……。幽州の地を焼き払うことなどさせはしない。

守るんだ…アイツは絶対に、この私が――――!

ユラユラ、ユラユラと…。幾千幾万の鬼火が揺れる。
膨れ上がる違和感。凍てつく大気…。
紅の炎とともに浮かび上がったのは、『袁』の旗のもとに集う、奇妙な装束を着込んだ白い集団だった―――――。


                               


                                 ◆
640 名前:〜『夢現』I〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:57:32 ID:2Wlssuwh0
断章:『少女の見る夢』

これは夢。
ただし未だにワタシを縛る…過去を映し出す現実の鏡だ。
悪夢、迷夢、幻夢……そのどれとも違う、ワタシだけの…

時折思う。もしもあの時、おまえと言葉を交わさなければ、ワタシの未来には、今とはもっと別の何かが描き出されていたのではないだろうか、と。

こんなに胸が苦しくなることもなければ、寂しい思いをすることもない…
孤独に怯え震えることも、自らの弱さを自覚することも……隔たれた距離に、永遠とも思える空白を感じることも…

―――――…この、泣きたくなるくらい暖かな想いを知ることも……きっと無かった。

人と人とが愛し合うこと…。同じ時間を歩みたいと願う気持ち、祈望。
すべてを知ったのはあの時。夜闇にかすんだ深い森で…。
戸惑うワタシにおまえの笑顔が教えてくれた。
そう、あの時――――――…

                         ◆


――――…月が煌々と、蒼褪めた光を放っていた。
月光に濡れる石の群れ……その中心で少女が一人、夜風に吹かれ佇んでいる…。
あたりを漂う霧からは、冷たさではなく、包むような優しさが感じられ……

…伯珪はかすかに息を吐くと、胸元に抱えた野草の束を見下ろした。
その場所は虎牢関の側面に位置する、陣地から少し離れた小高い丘…。一面に広がる若草の絨毯(じゅうたん)には、無数の墓標が穿たれている。

「…すまないな…。必死にかき集めては見たんだが、こんな花しか見つからなかった…」

そう言って…少女はひどく弱りきった笑みを浮かべる。
641 名前:〜『夢現』J〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 22:59:30 ID:2Wlssuwh0
墓石を見つめ、祈りをささげ、その名も無き花を添えていく。数時間前の激戦が嘘のように、あたりには静寂と闇が満ち満ちていた。

「…私たちは明日、ここを発つよ…。少し慌ただしくなってしまうけれど……大丈夫、この馬鹿げた戦も、次で終わりにしてみせる。」

未だ都で暴政を振るい続けているという、董卓との戦い――――伯珪は今、彼女らと敵対する諸侯連合に所属している。
先の水関に続き、この虎牢関、さらには要害となる支城の陥落。猛将・呂布は捕らえられ、敵方の兵はその戦力の大半を失ったと聞く…。
そう…最早、この戦の大勢は決しつつあるのだ…。

「……。」

何かが終わり、崩れてゆくという実感…。
戦いの終焉が近づき、ようやく未来への『道』が拓け始めた。
多大な犠牲を払いながらも、時が前へと進むと言うなら、自分はそれを見据えねばならない。
土の中で眠る仲間の命に報いるため、正面から……例え苦しくても目を逸らさずに…

(―――…そして願わくば、もう2度とお前たちがこんなふうに死ななくてもいいような世界を…)


わずかに目を伏せ、少女は純白の花を握りしめた。


ザァァァァァ…ッ―――――と。

かすかに強い風が吹く。見上げれば、天には霧にかすんだ丸い月。
少し先で、樹に繋いだ白馬のいななく声がする。

前髪を押さえ、伯珪は眼下に広がる無人の荒野を見下ろした。
不思議と涙は出てこない…。悲しくないわけではなかったが、開かれた双眸は渇いたまま…かすかな湿り気さえ帯びようとしない。
我ながら薄情なものだと思う。初陣の頃、築かれた屍の山の前で、ただ打ち震えることしか出来なかった無垢な少女は、もう随分と昔に消えてしまったのだ。
642 名前:〜『夢現』K〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:02:56 ID:2Wlssuwh0
戦場で渦巻く憎悪を知り、残された者の悲しみを知り、それでも自分は戦い続けて…
あの頃から少しでも強くなることができたのか…
そもそも自分が歩んできた道のりは、本当に正しいと言えるものなのか…――――それさえも、今の彼女には分からなったが…。

ふと…
穏やかな声がした。泉のように静かで優しい……しかしそれは、振り向かざるを得ない声だった。
自分以外に先客がいたのか、そう遠くない場所から誰かの歌声が聞こえてくる。
まるで赤児を寝かしつけるように、聞く者の心を安らげる旋律………おそらくは子守り歌だと、伯珪は思った。

「―――――――…北郷…?」

ポツリ、と口の中だけでつぶやく。
向けた視線の先に腰掛ける人物。片膝を抱え、こちらへと背を向けるその少年を、伯珪はよく見知っていた。

―――――北郷一刀
伯珪と同じく反・董卓の義勇軍に身を置く彼の名は、良い意味でも悪い意味でも有名なのだ。
天の遣い、あるいは英雄と噂される少年…。啄県で善政を敷き、黄巾の残党を次々と屠(ほふ)り去る…。

一度、県境で共闘して以来、伯珪の耳にも彼の評判は事あるごとに届いてきた。
そういえば二人きりで話すなんて、一体いつ以来のことだろう?供を連れず、一人で墓参りに来るというのが、またいかにも彼らしい。

(…。まぁ…私も人のことは言えないか…)

微苦笑を浮かべ、伯珪は少年の背中へと近づいていく。だんだんと大きくなる声量。やはり、歌声の主は彼のようだ。
深呼吸した後、伯珪は少年に向かって手を差し伸べた。いつも通りの気安い調子で、そのまま友人の肩に触れようとする。

(……?)

だが…次の瞬間その動作は、他ならぬ伯珪自身の意思によって押し留められていた。
一瞬。ほんの一瞬…。目の前の見慣れた後ろ姿に、彼女は奇妙な違和感を覚える。
643 名前:〜『夢現』L〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:07:22 ID:2Wlssuwh0
「お、おい……北郷?」

逡巡と…わずかな後悔。少年が慌ててこちらを振り向いてくる。同時に伯珪の心臓が跳ね上がった。
…彼の横顔が、自分の見知ったそれとはドコか違うように思えて……何故だか、ひどく恐かった。
「――――?公孫賛…」
視線が触れ合う。口をモゴモゴと動かす少女を見つめ、少年は怪訝そうに首をかしげた。

「どうしてここに…?」
「どうしてって……墓参りに決まってるじゃないか。な、なんだよ水臭い…。陣地を出るんなら私にも一声かけてくれればいいのに……」

反射的に唇を尖らせながらも、彼が笑顔を浮かべたことに、伯珪は内心で深く安堵する。
やはり自分の思い違いだ。さっき感じた違和感は、きっと単純な気のせいなのだろう…。
ゆっくりと一度かぶりを振ると、彼女は少年の隣に膝をついた。そのままその表情を覗き込むように、かすかに視線を上へと向ける。

「…ここが、北郷の部下たちの……?」
「……あぁ」

「私も花を添えて、構わないか…?」
「あぁ…。きっとみんな、喜ぶよ…」

夜風に揺れる、純白の花。その名も無き花の、雪のような輝きに目を奪われ…二人はしばしの間、無言になった。
前髪に隠れ、見えない彼の表情に、胸の内で再び不安が鎌首をもたげる。

「えっと……あの…」
「――――公孫賛はさ…」

「へっ!?あ、ああ……なんだ?」

ビクリ、と怯えるように肩を震わせ、伯珪は少年の横顔を窺った。彼に先刻の違和感について尋ねようとした矢先のことだ。
二の句が告げず、押し黙る少女を見つめ、少年は躊躇(ためら)いがちに口を開いた。
数秒の沈黙を保った後、どうしてか、ひどく寂しげに…
644 名前:〜『夢現』M〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:10:38 ID:2Wlssuwh0

「…公孫賛は…その、もう慣れてるのか?こういうこと…」

「?」

「こういう戦いとか…人が、たくさん死ぬことに…」

「――――――…」

…靄(もや)がかった月明かりが二人を照らし、淡い影を落としていた。その問いの意味する痛み、そして重さ…。
言葉を失う伯珪から目を逸らして、少年は自らの掌を見つめ続ける。

違う、本当はこんなことを言いたいわけじゃない…。
なのに、溢れ出す感情が止まらない。
人が死んだ…。それも自分の放った言葉によって…。
まるで花びらが散っていくように、一瞬のうちに…。何度戦いを繰り返しても、この感覚だけは慣れることなんて出来そうにない…。

――――恐い…。


「…北…郷…?」

「恐いんだ、俺は…。このまま戦い続けていくことが…。俺なんかに、本当にそんな資格があるのか…
 いつか、どこかで選択を誤って、取り返しのつかないことをしてしまうんじゃないか、って…」

空を見上げ、ポツリとつぶやく。辺りは暗い闇だった。

「…弱いよな…俺…。泣き言なんか言って…我ながらホント情けないよ」

変なこと言って、ごめんな…。
645 名前:〜『夢現』N〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:13:11 ID:2Wlssuwh0

―――――そう口にした彼の瞳が、声が…

微かに震え、揺らいだように彼女の瞳に映ったのは…果たして錯覚なのだろうか。ほんの少しだけ躊躇して…少年の手と、自身の手とを重ね合わせる。
目を逸らしたまま、距離を縮める。
触れ合った肩越しに、彼のぬくもりが伝わってきた。

「…公孫賛?」

「……おまえの存在に、救われている人はちゃんと居る…。おまえ無しでは、生きていけない人たちだって大勢居る…。
 だから……おまえは胸を張っていいと、私は思う」

「………」

「……北郷?」

「………」

「…泣いて、いるのか?」

流れる涙も嗚咽も無い。ただ、凍えるように震える肩だけが其処にある。
哀しみか…あるいは後悔か…。少年の浮かべた表情を見ることが、伯珪にはワケもなくつらかった。

…冷え切った指を絡ませて、縋(すが)るように抱く。その背中を、抱きしめる。

大丈夫、大丈夫と…
彼の耳元へと、そう…祈るように囁きながら…。


                                 ◆
646 名前:〜『夢現』O〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:16:19 ID:2Wlssuwh0

「―――――少しは……落ち着いたか?」

サワサワと…。

透明な旋律が耳に響く。
水面を揺らす小川のせせらぎ…。白馬の手綱を引きながら、伯珪は遠慮がちに背後を振り向いた。
今、2人は墓標から一里ほど離れた森の中に居る。

あれから半刻後……丘陵を後にした伯珪たちは、帰り道をあてもなくブラついていた。
外に出てから、すでに結構な時間が経過している。仲間たちを不安にさせるのでは、と…そんなことも一寸考えたが、どの道、陣地からはそう離れていない場所だ。
迷うことも、置いていかれることもないだろう…。だから焦る必要も、きっと無い…。

言い聞かせるように、自分の胸へとつぶやいて、そのままゆっくりと歩き続ける。
そう、焦る必要なんて無い…だって、夜はまだまだ長いのだから。

「ん……あ、あぁ。…なんか本当に悪いな。恥ずかしいところ見せちゃって…。それに、その…」

「…ふふっ、別に恥ずかしくなんてないと思うぞ?北郷は、十分強いよ…。
 初陣の頃の私は、さっきの北郷なんて問題にならないくらいひどい有様だったからな…」


先刻、勢いで抱き締めあってしまった気恥ずかしさから、二人の会話はどこかぎこちない。
居心地の悪さををごまかすように、伯珪は小川のほとりに屈みこんだ。手を伸ばし、流れる水を掬(すく)い上げる。

「敵とか、味方とか…そんなことは関係なく、ただ眼前に有る『死』が恐かった。戦の後は、ずっと自分の部屋に引き篭もってばかりで…
 姉代わりだった侍女を、あの頃は随分と困らせていたような気がする…」
647 名前:〜『夢現』P〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:19:10 ID:2Wlssuwh0

澄んだ水面(みなも)が、淡い月の光にきらめいていた。
純粋に、ただ真っ直ぐに、こちらを見つめてくる琥珀色の瞳…。その無垢とも言える美しさに、一刀の意識は吸い込まれそうになる。

「さっき墓前で北郷が歌っていたの……あれ、子守り歌だろう?」
「……え?あぁ……ガキの頃、眠れない時によく婆ちゃんが俺に歌ってくれてさ…。それで、もしかしたら何かの手向けになるんじゃないかって…」

「そうか――――――…いい曲だな…」

そう言って…
花が咲いたように少女は微笑む。

ただ柔らかく、ただ穏やかに…。
夜の森にたたずむ彼女の姿は美しかった。その凛とした声音は、今この瞬間、世界の誰よりも、何よりも輝いてみえた。

その笑顔に……自分は―――――――…


「――――…どうした?北郷?」

不意の呼びかけ。どうやら、少しの間ぼぅっとしていたらしい。
見れば、小川の中心で、伯珪がこちらに向かって手招きしている。足元に脱ぎ置かれた白い靴。傍らに立つ少女の愛馬が、一心不乱に野原の雑草を貪っていた。
648 名前:〜『夢現』Q〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:22:30 ID:2Wlssuwh0

「……。どうした…って、お前こそ一体、何やってんだ?」
「水遊びに決まってるだろう?冷たくて気持ちいいぞ、北郷も来ないか?」

「……。」

わずかに思案顔になって、一刀はチラリと真横の白馬に目を向けた。別に、川で涼むこと自体はやぶさかではないが…
この管理の杜撰(ずさん)さは……どうにかならないものだろうか?


「…。あのさ…コイツ…どっかに繋いでおいた方が良くないか?轡(くつわ)まで外れてるんだけど…」

「心配しなくても逃げたりしないよ。これでも結構、付き合い長いんだから…。それよりホラ!早くこっちに」

「…って、おい。あーもう…引っ張るなってば!」

伯珪に手を引かれ、一刀も慌てて靴を脱ぎ始めた。水飛沫が上がる。互いに笑って、裸足になって……
幼い子供のように水の淵ではしゃぐ。

少し汗をかいたのか…
頭上の髪留めに手をかけると、伯珪は静かにそれを緩めていった。

「――――――…へぇ…」

闇の中、薄紅の長髪が幾重にも散る。
649 名前:〜『夢現』R〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:24:17 ID:2Wlssuwh0

「…ん?どうかしたか?」
「いや、公孫賛のそういう髪型って初めて見たから…。普段は絶対、髪留め外したりしないもんな…」

「べ、別にいいだろ…。動き回るのに邪魔なんだから…。…それに…どうせ似合わないし……」

まじまじと向けられる一刀の視線に、伯珪の頬が赤く染まった。小声でぼそぼそと何かを言って、そのまま顔を背けてしまう。
らしい、といえば余りにらしいその反応に、一刀は思わず苦笑を浮かべた。

「そんなことないよ。そうしてるとまるで、どこかの国のお姫様みたいだ…」
「…っ!?な…なな…わたし相手に、何言ってるんだよ…!本っ当に恥ずかしい奴だな、おまえは」

「…うーん…まぁ、自分でも言ってて恥ずかしい台詞だっていう自覚はあるんだけどさ…」

「あ…!ちょっと…こら!」

制止の声に構うことなく、少年は水の流れに膝をつく。
昔どこか読んだことのある、物語の騎士がそうしたように……想い姫の手の甲にゆっくりと唇を落としてゆく…。

静寂の中、見開かれた伯珪の瞳だけが、潤むように美しく輝いていた。

「…だけど、公孫賛が綺麗だって思ったことだけは…本当だよ…」
「――――――…。」

その言葉…。その声に…。
一瞬だけ、伯珪の顔が泣きそうなほど歪んだ…。わずかに視線をうつむけたまま、少女は穏やかに目を細め…

「…私とおまえが初めて会ったときのこと…覚えているか…?」

柔らかな口調で、そう尋ねる。
650 名前:〜『夢現』S〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:27:51 ID:2Wlssuwh0
「…?」

「あの時も…そしてさっきも…形こそ違えど、おまえはいつも他人のことばかり気にかけているな…。
 自分が傷つくことを恐がっているのに…いざ、他人が危機に直面すれば、平気で身体を張って守ろうとする…。
 ――――おまえは、馬鹿者だ…。どうしようもなく優しくて、なのにどこか抜けていて…私をこんなに温かい気持ちで包んでくれる大馬鹿者…」

「公孫賛…」

「私は思うんだ…。やはりおまえは胸を張っていいと…。他人の『死』を前に、本気で泣くことの出来るお前だからこそ…
 その歩む道のりは、他の何より強く、そして気高いと…」

目元を和ませたまま、言葉を紡ぐ。チャプン、と脚に川の流れが跳ねる音…。
水に浸かったままの少年に向かって、伯珪は今度こそ手を差し伸べる。もう二度見失うことのないように、しっかりと…前を見据えて…

「だから――――――…一緒に前を向こう、北郷…」

この先、まだまだ戦いは続いてゆく…。残酷な時の流れに比べて、ソレは儚く、小さな力でしかないのかもしれないけれど…
それでも、せめて…未来への希望だけは捨てたくないから…

「…信じよう…。私たちの行く先に、皆が笑って、幸せに暮らせる…そんな結末が待っているって…」

おずおずと差し出される、華奢な腕。不器用で、だけど優しい少女の声に、少年は静かに目を閉じて…
そうしてその手を取りながら、彼はゆっくり言葉を告げる。

ありったけの想いと、最大限の感謝を込めて……

―――――――ありがとう、と…。


                    ◆       
651 名前:〜『夢現』 【21】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:32:25 ID:2Wlssuwh0



『朦朧としていく意識の中…一瞬だけ、あの時の夢を垣間見た気がした……』



二幕:


赤…。
視界を包む全てのモノが赤一色に彩られていく…。

おびただしく広がる血溜まりと、硝煙を生み出す巨大な炎…。
焼け落ちていく城の中…壊れかけた手足を引きずって、伯珪は必死に歩きつづけていた。

突き出す瓦礫(がれき)に、幾度も体をもつれさせ……それでも……前へ、前へと進んでいく。
舞い上がる火の手に焦燥が募り、失血から生じる鋭い寒気が、何度目か分からない眩暈(めまい)を生んだ。
一歩進むたびに激痛が走り、意識が確実に削り取られていく…。

「…あきらめるなよ。絶対、死なせないから…私が必ず助けてやるから…」

背に負った幼い少女に呼びかけると、伯珪は通路の向こうの、石造りの扉をきつく見据えた。
炎に炙(あぶ)られ、熱を帯びた風が頬を撫でる。長年、本拠地として使用してきた城の構造(つくり)だ…。
こんな時どうすれば良いか、何処に向かえば良いのか、城主である自分には手に取るように把握できる。だから…大丈夫…。まだ可能性はあるはずだ。

「心配しなくていいぞ…?あの扉を抜ければ、すぐに外だ…。この城を出たら…一緒に、アイツのところに行こう…」

眠るように押し黙る少女に向かって微笑みかけ、伯珪は踏み出す足に力を込めた。
652 名前:〜『夢現』 【22】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:35:05 ID:2Wlssuwh0
生き残ってみせると…そう誓った。それに、北郷に知らせなければ…。この世界で暗躍を続ける『敵』の存在を…。
得体の知れない力を振るう、仙道によって構成された白装束の集団…。
伯珪の率いる兵たちを、息も吐かぬ間に押しつぶし、そして城壁に火を放った途端、忽然とその姿を消失させた――――…。

「…一体…ヤツらは何をしようって言うんだよ…」

歯噛みして、伯珪は崩れた柱に寄りかかる。大丈夫、目的の場所は、ここからだってよく見える。あと少しで辿り着ける。
もう、すぐそこだ。ほら……。

「―――――――っ!?うぁ…!」

次の瞬間。

『何か』に脚を取られた伯珪は、バランスを崩し、鈍色の石床に叩きつけられていた。壁にしがみつこうとしたが、とても無理だ。
衝撃と苦痛。しばらくは呼吸がままならず、喘ぐような声音が部屋に響く…。

(…いけない…)
弱音をこぼしては、いけない。立ち上がらなければ…生きている限りは…誓いにかけて…

「…っ……ぅぅ…」
歯を食いしばって……伯珪は危うげに身を起こした。
思い出す。そういえば背に負った少女まで、勢い余って転ばせてしまった…。

「すまない…ケガはないか―――――――…?」

言いながら…慌てて少女のもとに駆け寄ろうとした…そのときのこと。

コマ送りのように流れる映像の中、伯珪の視界に、不意に「あるもの」が飛び込んでくる。
彼女をつまずかせた――――寸前まで瓦礫の破片の類であろうと思い込んでいた、『何か』。

部屋の中を無数に転がるその『何か』が、炎の煌きによって浮かび上がる。
653 名前:〜『夢現』 【23】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:38:13 ID:2Wlssuwh0


「――――――――…。」


パチパチと音を立て、火の粉が舞った…。
その先に広がる光景に、伯珪は思わず絶句する。

足元を滴る血の海と、ぼろ屑のように倒れる兵士たちの姿…。
その変わり果てた亡骸を呆然と眺め、やがて伯珪は、静かに、その場に崩れ落ちる…。

(……。)

すぐ傍に横たわる少女を見た。
彼女は半年前、自分付きの侍女になったばかりの、まだ十五にも満たない少女だった。

『…はくけい様』

嬉しそうに、舌足らずな声で自分を呼んで…自分を本物の姉のように慕ってくれた…。
私が最後に守ろうとして――――しかし守ることの出来なかった可憐な少女…。

本当は分かっていた…。背負いながら、どんどんと失われていくその体温に、彼女がすでに事切れていると…。
それでも呼びかけをやめなかったのは、私自身が心のどこかで、縋れるなにかを求めていたから…

「―――――…っ…ぅぅ…っ…ぅぅ…」

私は泣いた。
血に染まった少女の体の、その胸元に顔をうずめて。
強く抱きしめると、腕が零れた。鈍い音を立てて転がったそれは、兵士の足に当たって動きを止める。

瓦礫の山の上、泣き崩れる少女の周りに散らばる、無数の物言わぬ屍たち。伯珪は厭というほど思い知る。
もう、彼女たちが動く事はない。無邪気な笑顔も、泣き顔も、決してその表情には映らない。
654 名前:〜『夢現』 【24】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:41:32 ID:2Wlssuwh0

まるで、暗い淵で黒塗りの棺桶(かんおけ)に閉じ込められてしまったかのように…
視界を闇が覆い尽くしていった…。

火の手が回る…。ぐるぐる、ぐるぐる…
…それからどれ程の時が流れたのか…炎の内から忽然と、奇妙な声が響き渡る。

「おや…?もう粗方、掃除は済んだと思っていたのですが…まだ生き残りがいましたか…」

慇懃無礼を画に描いたかのような、その口調。
ぼんやりと虚空を見つめていた伯珪は、その一言に、弾かれたように我に返る。

「…誰だ!?」

刀に手をかけるその様を認め、影の奥から、白い人型が現れた。
スラリとした細身の体躯。端正な顔立ちに、銀縁の眼鏡。城を襲った『敵』と、同様の装束を着込んだ一人の男が伯珪の前に降り立って…。

「挨拶が遅れてしまいましたね、公孫賛殿。私の名は于吉…。正史と外史の狭間にたゆたう哀れな人形…」
「…わけの分からぬことを…!貴様が、あの白装束たちの総大将か!」

よろよろと…重たげに剣(つるぎ)を構えながら、しかしその殺気だけは衰えることを知らない。
少女の気迫に射抜かれながら…しかし、于吉は大業な仕草で肩をすくめた。薄笑みとともにため息を吐く。

「これはこれは…。私も随分と嫌われてしまったものですね。その剣幕…可愛らしい顔が台無しですよ…?」

「御託(ごたく)はいい!!お前たちは……いったい何者だ!袁紹軍とは名ばかり…。諸侯の目を欺き、何を目的として我が家臣と配下を皆殺しにした…!」

「これはまた異なことを聞く…。私と貴方たちは言ってみれば、同一の存在…。このくだらない外史の内で生み出された、滑稽なヒトガタの一つにすぎません。
 目的は…そうですね、冥土の土産ということで、教えて差し上げても構いませんが…」
655 名前:〜『夢現』 【25】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:44:30 ID:2Wlssuwh0
男がパチン、と指を打ち鳴らしたその直後…暗闇に不可思議なヴィジョンが浮かび上がる。
夜の平原…。山岳と河…。先刻、白い集団が出現した地帯の遥か後方に、幾つもの明かりと旗が揺らめいている。
旗印は『袁』。その映像には、本物の袁紹軍が、今ようやく幽州に向かって進軍を開始する様が映し出されていた。

「―――これは…」

「もともと袁本初は…幽州を侵略する計略を練り、その機会を窺っていた…。そして、それを私たちが利用したと…そういうことです。
 幽州北部最大の勢力である公孫賛が『自壊した』今、彼女は全盛を持って、北郷一刀を潰しにかかるでしょうからね…」

もっとも…袁紹ごときに外史の起点を叩く力があるとは…私自身思っていませんが… 

つまらなそうにつぶやいた後、于吉は冷ややかな瞳で伯珪を見つめる。

「公孫賛…貴方は今ここで死ななければならない…。それが貴方に与えられた、この物語における唯一のファクター。
 貴方の死によって、北郷一刀は猛り、怒り……そしてその怒りは新たなる戦いの狼煙となる」

「いいのか…。お前たちが強大であると知れ渡れば、諸侯はこぞってお前たちの力を削ぎにかかるぞ。
 袁紹とて…こうまで踊らされて黙ってはいまい」

「心配なさらなくても結構ですよ。私は確かに世界に縛られた存在ですが、それでも貴方たちと比べれば全能に近い。
 『公孫賛は文醜・顔良によって攻め立てられ、袁紹の手でその命を絶たれた』
 これがこの物語内で定められた筋書きであり、この世界の住人に刻まれる記憶。
 袁紹の中にはいつの間にか、『公孫賛を倒した』という偽りの事実が刷り込まれ、かくして我々の存在は、再び闇に葬られていく…」


「――――――…」

「『そういう』存在なのですよ…我々は…」
656 名前:〜『夢現』 【26】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:48:42 ID:2Wlssuwh0

何の感慨もなく紡がれる言葉に、伯珪は薄く目を伏せる。

きっと自分は、この男の言わんとするところの真の意味を、半分だって理解してはいない。
本音を言えば今だって、自分たちの身に何が起こったのか…把握しきれているとは言いがたい。

それでも…
目の前に立つこの道士が、自分をその手にかけようとしていること…
薄笑みを浮かべる男の存在を、自分が決して許容できないと感じていること…この2つだけは理解できる。

―――――…。

「……覚悟を決めるか…。なんだか、短い人生だったな…。別にもう……やりたいことなんて何もないけど…」

ポツリとつぶやく。
取り残された子供のように、寂しげな表情をその顔に浮かべ…しかし伯珪の手には、しっかりと刀の柄が握られていた。

「ふむ…まだ闘うつもりですか…。勝てないと、分かっているのでしょう?」
「分かってるさ…。だけど…それでも許せないと思うものが目の前に居る。それでも守りたい思えるものが、私には有る―――…」

抜き身の刀を振りかざす。一息に、敵との間合いを零に縮める。
どの道わたしは助からない…。それならば、仲間たちの仇を、地獄へ道連れにするというのも悪くない…。
それで北郷の助けになるというなら…なおさら無駄骨ではないはずだ…。

「…愚かですね…」
「うるさい!!私は――――――…!!」

刹那、白銀の光が一閃する。
放たれる剣撃…。しかしその刀身は空を切り、虚空に全てが飲み込まれていく。同時に背中に感じたのは熱い血潮、鋭い痛み…。

肩口を袈裟懸けに切り裂かれ、あたり一帯に鮮血が舞う。
濁りを持たないその紅(あか)は、炎に映えて綺麗だった…。
657 名前:〜『夢現』 【27】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:52:34 ID:2Wlssuwh0

(――――…ぁ……)

意識が闇に吸い込まれる。
薄れていく世界の中で、不意に、パサリ、という音を聞いた気がした。

見れば其処には、花模様が描かれた白い髪留め。自分のお気に入りだった髪留めが、静かに石床を転がってゆく…。

――――これを外せば、まるでお姫様みたいだと言ってくれた…。綺麗だ、と私を見つめて笑ってくれた…。

どうしてだろう?浮かんでくるのは、何故かアイツの顔ばかりだ…。

…もう死んでもいいと、先刻、あれほど強く想ったのに…
どうしてか…私の瞳からは涙がこぼれる。

(北郷…)

闇と光の、その境界。もう二度と這い上がることの出来ない深い喪失…。
命の果てで、ようやく私は理解した。

なんだ、結局のところ私の願いは―――――…

(おまえの傍で、同じ時間を歩みたい…。出来るだけ近くで、おまえの笑顔を見ていたい。…ただ、それだけだったんだな…)

哀しく開かれた唇が、声にならない想いを紡ぐ…。

最期の瞬間、視界に映る白い道士が、少しだけ寂しそうな眼をしたような気がした―――。
彼の表情の意味を考える前に、私の思考は乱れて溶けて。


視界が、真っ白な光で満たされた。
658 名前:〜『夢現』 【28】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:54:56 ID:2Wlssuwh0

――――――…。


「……。」


荒れ狂う炎の中、男は笑う。腕に抱きかかえた少女を見つめ、ただ笑う。
その少女は、実にちっぽけな存在だった。
道筋の決められたこの物語で…己(おの)が外史を作り出す術すら持たなかった、矮小な歯車―――――そうで『あった』筈の些細なファクター。

しかし彼女を中心として、どうやら運命は…わずかなうねりを見せ始めたようだ…。

「…ここで私の起こす気まぐれも、定めに囚われた筋書きの一つ…。
 いえ、もう少し風情のある言い方をするならば、貴方と彼の絆が勝ち取った、一つの結末と言えるのかもしれませんね…」

どの道、終わりが約束されたプロットの中……それでも今は、こう言っておきましょう。 


どうか……末永く、お幸せに――――――…。





                                  ◇
659 名前:〜『夢現』 【29】〜[sage] 投稿日:2007/08/11(土) 23:58:33 ID:2Wlssuwh0

終章:『ユメウツツ』


…柔らかな朝の日差し。
果てしない蒼天には、舞い踊る雲が暖かくゆっくりと流れていた。
いつから開いていたのか…窓が、揺れる天蓋を飛ばさない程度に放たれて、外気から優しい風を運んでくる。

白い光に満たされた建物の一室。見上げればそこは見知らぬ天井。

ぼんやりと歪んだ視界の中、暈惑とともに、伯珪はうっすらと瞼を開く。
覚醒して、はじめに気付いたのは、硝煙の匂い。体に巻かれた、幾本もの包帯…。

ここは、一体どこだったろう?私は一体、何をしていたのだろう?
全てが忘却の海に沈む中、少女の脳裏に、一つだけ鮮やかな記憶が浮かび上がった。

「……。」

炎。赤い焔…。自分はそれに取り囲まれて…


ずっと……嫌な夢を見ていた―――そんな気がする。

ふと、掌に温かな何かを感じ、思わず視線をそちらへと向ける。
寝台のすぐそば……自分が倒れるその傍らには、一人の少年の、今にも泣き出しそうな横顔があった。
強く指先を握りしめ、ただただこちらを見つめてくる…そんな真摯な眼差しが、其処にはあった…。

「北…郷…?」

夢じゃない…。かき乱される意識の中、あれほど求め続けた彼の笑顔が、今、こうして触れられるほど近くにある…。
その事実に、少女の双眸が大きく歪む。
660 名前:〜『夢現』 【30】〜[sage] 投稿日:2007/08/12(日) 00:00:15 ID:2Wlssuwh0
溢れ出す感情。止まらない嗚咽。
ポロポロとこぼれ落ちる涙の雫が、真っ白な寝台に、幾つも染みを作っていく。

「良かった……気がついたんだな、公孫賛…。」
「北…郷……私は一体……」

「3日前、幽州に侵攻してきた袁紹軍に、君は、負けたんだよ…。城に火がつけられて…生き残ったのは君だけだって、俺は聞いてる…」
「…袁紹が…?」

その瞬間、頭の奥にかすかな痛みが走った気がした。
何か、忘れてはならない重要なことを忘れているような…。あと少しで思い出せるはずなのに、伯珪にはその霞の正体が掴めない。
記憶をたどれば、確かに言われた通りの覚えがある。

袁紹によって攻め滅ばされた遼西群。その軍勢に斬りつけられた、幾人もの家臣。
たくさんの罪もない人々が犠牲になり…

――――そして…自分を慕ってくれたあの侍女も、おそらくは炎の中に消えてしまった…。


『…はくけい様』

舌足らずな口調で、自分を呼んだ無邪気な声。不意にその声が、風に流れて聞こえた気がして…。伯珪は拳を握り締める。
もう二度と聞くことの出来ない彼女の声…。幻聴だとしてもその事実を認めたくなかった。

…空が青い。
眩しすぎる光に、視界がどんどんと濁っていく。
661 名前:〜『夢現』 【31】〜[sage] 投稿日:2007/08/12(日) 00:03:42 ID:2Wlssuwh0

「なんで……どうして……私だけが助かったんだろう…」

弱々しく…まるで抜け殻のような声で、少女が小さくつぶやいた。

「白い格好をした妙な道士が…君を手当てして、ここまで運んでくれたんだって、愛紗はそう言ってたけど…」

「そうじゃ…ない…。私なんかが選ばれるぐらいなら…もっと生き残るべき人はちゃんと居た…!臣下も守れず、民も守れず、
 こうして破滅の引き金を引いた私だけが、のうのうと生きてるなんて、そんなの…ぜったい許されるはずない…!」

「公孫賛…?」

荒げられる声に、一刀はかすかに戸惑った表情を浮かべる。
自分の居ない間、一体、彼女の身に何があったのか――――それを問い質そうとした瞬間、伯珪は大きくかぶりを振った。

「あの子も…あの子だって、もっと生きたかったはずなんだ…!私なんかよりずっと可憐で、女らしくて…
 きっと彼女の未来には…輝くような出来事や想いが、たくさん詰まっていたはずなんだ…!」

「ちょっ…公孫賛…少し落ち着けよ…!」

「もう…無理なんだ…!皆の命を犠牲にして私だけ生きるなんて…そんなの耐えられない…!私には、そんな資格なんて―――――…」


「―――――伯珪!!」

「!!」
662 名前:〜『夢現』 【32】〜[sage] 投稿日:2007/08/12(日) 00:06:02 ID:2Wlssuwh0
なおも言い募ろうとする少女の体を、気がつけば、少年は両手で抱き締めていた。
肌から伝わる、その温もり。
こんな時でも彼の腕の中は暖かくて…。暖かいと感じてしまう自分が居て…。少年の胸に顔をうずめながら、伯珪はひたすら嗚咽を押し殺した。

「死なせてしまった…守れなかった……二度と取り返せない過ちを、犯してしまった…」

「…そんなことない…」

「私は、ひどい人間なんだ…。
 自分には生きる価値がないと言っておきながら…こうしておまえと一緒に居られることを、心のどこかで喜んでる…。
 …もっと同じ時を過ごしたいって、そう心の内で思い始めてしまっている…」

「ひどくなんてない…俺だってそうだよ…。遼西の人たちを助けられなかったのは悲しいけど…
 それでも伯珪が生きていてくれて良かったって、心の底からそう思ってる」

「だけど私には……もう、何をどうすればいいのか――――――――…んっ!?」

瞬間。少年の唇が、少女の言葉をさえぎった。
交わされる口付け。一瞬何が起こったのか分からずに、伯珪は両目を瞬(しばた)かせる。
少しだけ微笑むと、一刀は静かに口を開いた。いつか彼女が自分を励ましてくれたように…あの時と同じ言葉を彼女に送る。

「何をどうすればいいかなんて…俺にだって分からない。
 だけど今この時間を、俺と伯珪がこうして生きている…それだけは…確かなことだから…」

「……」

「君が生きてさえいれば、きっと取り返せると思うんだ…。
 例え失われた命が戻ってこなくても、代わりにもっと多くの人たちの幸せを照らしだすことで…。
 それに、君を守るために命を賭けた人たちが…君の幸せを願わないはずないよ…。
 伯珪の言う『あの子』も多分、伯珪の笑顔を望んでるんじゃないか…?」

「……」
663 名前:〜『夢現』 【33】〜[sage] 投稿日:2007/08/12(日) 00:08:46 ID:0QKCzbI40

―――…はくけい様、私は勇敢で優しい貴方が好きです。迷いをみせず、いつも気高い貴方の笑みが…

刹那、追憶の向こうで、少女の、そんな言葉が蘇る。
始めて自分と彼女が出会ったとき…彼女は、はにかみながらこう言った。

―――…いつまでも、私の大好きなはくけい様のままで、居てほしいです…。そうすれば、私はいつだって貴方の傍で笑っていられる…。

「……っ…私……私は…っ!」

今、初めてこの世に生まれ落ちた赤児のように…
大粒の涙を流して、伯珪は少年の服にしがみつく。その頬を優しくぬぐいながら、彼は少しだけ微笑んで…

「これからだって、まだまだ辛いことはあるかもしれない…。
 悲しいことは続くかもしれない…。それでもまだ諦めたくないって、そう思えるから…俺たちは戦うんじゃないのか?」

――――…。

「だから…――――――前を向こう、伯珪…」

光が、差し込む。

「そして、信じよう…俺たちの行く先には、皆が笑って、幸せに暮らせる…そんな結末が待っているんだって…」

一つ一つ確かめるように…
大切に紡ぎ出されるその言葉を聞き、少女はかすかに顔を上げた。

これからさき待ち受けるであろう、死と隣り合わせの混沌とした未来。
強者が弱者を容赦なく喰らい、力持たぬ者は滅びるしかない、闘争の時代…。

それでも、この少年とともに歩むことが出来るなら―――――…
664 名前:〜『夢現』 【end】〜[sage] 投稿日:2007/08/12(日) 00:13:17 ID:0QKCzbI40

「―――…北郷…」

「…ん?」

「…知ってるか?実は私…ずっと前からおまえに伝えたいと思っていたことがあるんだ…」

「奇遇だな…。俺も森で一回言いそびれてから…ずっと伯珪に話そうと思ってたことがある」

互いの瞳を見つめあい、その距離をゆっくりと縮めていく。
怯えるような戸惑いを見せて、少女の唇が少年の唇へと、そっと触れる――――。

その想いの熱さを感じながら、伯珪は最後に、もう一度だけ涙をこぼした。
窓に映る空。どこまでも広がる蒼天。

――――ずっと、貴方が好きだった…。

ようやく通じ合ったその絆を、二度手放すことがないように…
少女はただ、澄みきった青空に誓いを立てる。

この先の未来に何があろうと、私はこの少年とともに生きていく。願わくば、私たちの行く末に…多くの人たちの幸多き未来があらんことを…。
もうきっと、少女や自分の仲間たちが、あんな風に死ぬことがない世界を…。

それは決して、平坦な道ではないかもしれないけれど…

それでも…


全てが終わった時、私はもう一度、自分の信じたこの青が見たい―――――。


【FIN】
665 名前:かぜあめ ◆uDVclJDgr. [sage] 投稿日:2007/08/12(日) 00:19:05 ID:0QKCzbI40
と、いうわけでここまで読んで頂きありがとうございました。
自分の予想より大分、長くなってしまいスンマセン…。

妄想伝応募当時、ハムを生かすか殺すかで、最後まで悩んだんですが、
結局、このお話のラストのような結末に落ち着きました。
やっぱり物語の締めくくりはハッピーエンドが一番かなあと…。

最後に、支援してくださった方、どうもありがとうございましたー。

 [戻る] [上へ]