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885 名前:一刀〜其の一[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 01:14:27 ID:9RBi8eYe0
城壁の上。
黄昏色の空を見上げながら、盃を傾ける。
夜が近い。
茜色の空が、ゆっくりと藍色に飲み込まれていくのがわかる。
そんな夜空を見上げながら、独り言を呟いては清酒で喉を潤す。
「夜空だけは、変わらないな」
そう、変わらない。
元いた世界もこの世界も、夜空の色だけは同じ藍色だ。
不意に元いた世界のことを思い出す。
父さん、母さん、及川、不動先輩……。
懐かしい面影が、脳裏を過ぎる。
今では届かない親しい人たちの顔に、思わず目尻が熱くなった。

「酒が回ったのかな……」

独り呟いてみるが、答えが返ってくるわけもなし。
瓢箪から清酒をもう一杯注いで、それをぐっと煽る。
886 名前:一刀〜其の二[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 01:15:48 ID:9RBi8eYe0
いつの間にか、俺はこんな所まで来てしまっている。
何がきっかけだったのだろう。
それは、思えば俺の偽善……実に他愛ないことから始まった。
あの見知らぬ男子生徒との諍い。
割れた銅鏡から溢れた光――俺を飲み込んだ、圧倒的な白の奔流。
そうして、俺はこの世界に来た。

どうしてかなんて、考える暇はなかった。
愛紗と鈴々に出会い、天の御遣いとして主従の誓いを結んで。
大した理由なんて、どこにもない。
ただ、止めたかっただけだ。
三国を巻き込む戦乱ではなく、ただ一人の少女の涙。
俺が天の御遣いではないと知った時に愛紗が浮かべた、流れ落ちぬ涙を。

そうして、俺の一声で戦いは始まった。
天の御遣いの言葉を信じて、黄巾党に対して一斉蜂起した人々。
前線に立ってその戦いを見届けて――――心の底から、恐いと思った。
俺の言葉を信じて戦っている人たちが、あそこで死んでいる。
瞬き一つの間に、命が次々と散っていく。
家族もいるだろう。恋人だっているかも知れない。
そんな人たちが、俺の号令に応えるように戦い、そして死んでいく。
こうして多くの命が失われていくのは、愛紗の言う通り、俺のせいじゃないのかも知れない。
――でも、きっかけは俺なんだ。
そう思うと、足が震えて涙が滲んだ。
取り返しのつかないことをしたという気持ちが、胸を締め付けた。
引き返せない道に足を踏み出したことに、今さらのように恐怖が押し寄せた。
887 名前:一刀〜其の三[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 01:17:51 ID:9RBi8eYe0
『貴方は、人の上に立たれる御方です』

愛紗の言葉が、白く霞んだ脳裏に反響する。
そんな立派なものじゃない。
目の前の女の子の涙を止めたい……そんな理由で、多くの人を炊き付けた。
幾つもの幸せを、俺の言葉が奪ったんだ。
そんな俺が、立派なわけがない。

責任を取りたい。
この世界の誰かの為に、俺ができることをしたい。
そうあることで、俺は失われた命に許されたかったのかも知れない。
俺は望まれるままに、県令としての任を受けた。
必死だった。
いつだって、笑っていなくちゃいけない。
俺が出来るのは、そうやって触れ合う人たちに安心を与えることだけだ。
だから、いくら辛くたって笑わないといけない。
愛紗や鈴々の信頼を失いたくない。
俺は、自分に――愛紗に言って聞かせたことがある。
誰かのために、何かをしたいと。
でも、実際は……失われた命に、背中を押されていただけなんだ。

それから、色んな人たちと出会った。
朱里と出会い、翠や星、紫苑と出会い……大切な、仲間を得た。
それまで違和感だらけだった場所が、俺の居場所に変わっていく実感。
愛紗たちの目に、確かに俺が映っている。
みんなが、俺に笑いかけてくれる。
だから、俺もそれに応えたいと思った。

そして、この世界に来て最初に出会った少女――愛紗と俺は結ばれた。
心から愛しいと思った少女を、この頼りない腕で抱けた。
彼女は俺を『愛している』と言ってくれた。
涙に滲んだ瞳で、笑いたいのにくしゃくしゃな顔で、俺は愛紗と繋がった。
888 名前:一刀〜其の四[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 01:22:54 ID:9RBi8eYe0
何の為に戦っていたのか。
こうして振り返ってみると、はっきりとわかる。
気がつけば、俺の背中を押していたのは喪失した命じゃなくて―― 
――愛しいと思える、仲間たちになっていた。

嬉しかった。
俺を必要としてくれる仲間の存在が、いつだって嬉しかった。
だから、居場所を守るために戦おうと心に決めて……。
夢中になって走り続けて、気がつけば俺はここにいる。

曹魏と戦って、孫呉と戦って……。
結ばれた絆があって、守れなかった命があって。
恋、曹操や孫権、月や詠たち。
彼女らを殺したくないっていう、俺の身勝手に付き合ってくれた人たちがいて。
思い返してみれば、まるで夢のような日々。
戦い、誰かと何かを奪い合って――仲間と共に、走り抜けた日々。

楽しかった。

「俺は、この世界にいたい」
 
呟いてみるが、その言葉は風に流れて儚く消える。
消えたくない。
頼れる仲間がいてくれる、替え難い絆がそこにある。
愛紗が傍にいてくれる。
そんな世界から、俺は消えたくないと思った。
889 名前:一刀〜其の四[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 01:25:17 ID:9RBi8eYe0
きっと、いつかは帰る日が来るのだろう。
魏曹との戦いが終わり、孫呉との戦いが終わり……三国は、平定された。
残された敵は、白装束だけ。
帰る日は、恐らくそう遠くない。

陽が沈む。
空から茜色が失せて、煌々と月の照る藍色が空を染め上げる。 
恐い。
今は、この世界から俺が消えるのが――たまらなく、恐い。
俺はその恐怖から逃げるように、盃に清酒を波々と注いだ。

「……ご主人さま、深酒は身体に毒ですよ」

不意に聞こえた声に、俺は慌てて振り向く。
夜空の下に立っていたのは、愛紗だった。
いつもの凛とした表情ではなく、穏やかで暖かな笑顔を浮かべた愛紗が俺の隣りに歩み寄る。
「どうしたのです? 元気がないように見受けられますが」
俺の様子がよほどおかしかったのだろう。
愛紗が、俺の顔を覗き込んでいた。
艶やかな黒髪から、風に乗って流れる愛紗の香りが俺の鼻腔を擽った。
慣れ親しんだ、俺の好きな香り。
「……本当にどうしたんです?」
「何でもないよ。ちょっと、考え事をしてたんだ」
愛紗の声に、言葉尻が滲む。
 
日々が楽しいからこそ、そこに開いた空虚もまた大きくなる。
こうして過ごせる日々が幸せに満ちているからこそ、未練が募っていく。
愛紗が隣りにいれば、そこから動けなくなる。
890 名前:一刀〜其の六[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 01:26:51 ID:9RBi8eYe0
「……いつまでこうしていられるんだろう」

それは、誰に宛てることもない言葉。
愛紗はそれを、俺と愛紗のことだと受け取ったのだろう。
城壁の上に置いた俺の手に、そっと自分の手を重ねながら言った。
まるで、幼子を諭す母のように。

「いつまでも、ですよ……命果てるまで、共に歩みましょう。ご主人さま」

柔らかな愛紗の声。
その声音に、いつまでもここにいていいような気がしてくる。
でも、俺は異分子だ。
三国志という世界において、劉玄徳という存在を上書きして現れた異端な存在。
本来、俺がいるべき世界はここじゃない。
だから――

「ありがとう、愛紗」
 
こんな俺を愛してくれた愛紗に、最大限の礼を。
そして、想いを。
いつか来る別れの時に後悔しないように、俺の精一杯の気持ちを。
「本当に、いつものご主人様らしくないですよ……どうかなさったのですか?」
「いいんだ。今は、このままで……」
今まで抱えていた『北郷 一刀』という人間が一人で抱え込んでいた弱さ。
そして、この世界での暮らしが終わるまで抱え続ける痛み。
 
この現実は、どこまで続いてくれるのだろう。
俺はいつまで、愛紗の傍にいられるのだろう。
891 名前:一刀〜其の七[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 01:31:24 ID:9RBi8eYe0
涙が滲む。
愛紗へ募る想いが、俺の心にきつく爪を立てる。
だから、俺は愛紗を抱き締めた。
できるだけ優しく、そっと包むように。
「ご、ご主人さま!?」
涙を見られないように、俺は愛紗の身体をもっと傍に抱き寄せる。
消えたくない。帰りたくない。
だけど、それでも訪れる別れの予感が胸を離れない。
俺を愛してくれる人たちとの別れ――この世界から、俺がいなくなること。
愛紗との別れを想像すれば、俺の心は壊れそうになる。
「……ご主人、さま……?」
抑えきれない震えに気付かれたのか、愛紗が訝しげな声を上げる。
だが、それも一瞬のこと。
その細い腕が、俺の背中に回された。
「すぐに戻るよ。いつもの俺に、戻るから……」
「……はい」
「だから、愛紗……もう少し、このままで」
「はい」 
暖かな声。柔らかな身体。愛しい人。
愛紗を抱き締めながら、思う。

『――――もう少しだけ、この現実が続きますように』

空はもう、どこまでも深い藍色。
月が優しく、身を重ねる俺たちを照らしていた。
892 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2007/02/21(水) 01:37:19 ID:9RBi8eYe0
何とか書き終わった…
何と言うか、色々とヘタレで本当に申し訳ない
題名の其の四が被っちゃったとかもうねorz

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