『還って来た種馬』 その15      長安行幸:邂逅     もしくは       足場を固める種馬 と 焦れる大徳   その日、洛陽の街は朝からざわめきとある種異様な盛り上がりを見せていた。帝の長安行幸は早い段階から洛陽の民達に知れ渡っ  ており、行幸の行列を見ようと出立の数日前から場所取りが行われていた始末である。しかも追加の情報として行幸の直前に魏の  武将達の意匠がお色直しされていると言う噂が流れてからは益々盛り上がりに拍車がかかっていた。既に帝のおわす宮殿から洛陽  の城門に至る通りには黒山の人だかりが出来上がっている。   そしてついにその時が訪れる。宮殿の門が開き先頭を飾る張文遠こと霞の率いる騎馬隊の姿が現れると民達からの歓声が上がっ  た。戦に赴く時の雰囲気とは又違った威風堂々した行進に民達は目を奪われている。それに新調された装束が一役買っているのは  明白で、以前の質実剛健な印象ではなく華やかな印象を放っていた。それは今までの戦に明け暮れていた時代が終わり、平和を享  受する時代へと変わった事を民達に印象付けるものと言える。   次に夏侯元譲こと春蘭の率いる歩兵隊が姿を現す。『魏武の大剣』との異名をとり、魏の武の象徴の一角を担う春蘭もこの日ば  かりは馬上で凛とした表情ながらも温和な横顔をを見せていた。それに続く歩兵達の鎧も磨き上げられ、颯爽と行進する姿には自  分達は魏の兵であると言う自尊心が見受けられる。   そして三国鼎立の立役者であり、長き騒乱の時代に終止符を打った『覇王』であり『魏王』曹孟徳こと華琳が親衛隊の長である  許仲康こと季衣と典韋こと流琉を従えて現れる。その姿を見た洛陽の民達の歓声が一層大きなものになった。民達から「丞相様」  「魏王様」と声を掛けられたり手を振られたりする華琳。華琳もそんな民達を見渡しながら笑顔を返している。そんな華琳に従う  季衣と流琉は少々緊張しているのか表情に硬さも見られたが、先ずは無難にこなしていると言えた。   だが、そんな華やいだ雰囲気が一変する。華琳達に続いて帝の乗った馬車が、そしてそれに寄り添う様に『天の御遣い』北郷一  刀が現れたのだ。   一刀の姿を目にした洛陽の民達はその出で立ちに一瞬で目を奪われ思わず息を呑んだ。今までの喧噪が一瞬で嘘のように辺りが  静まり返り、そして瞬きの後一気に爆発する。その興奮した歓声に先を行く霞と春蘭が後ろを振り返った程であった。   三年前、蜀との戦に勝利しこれで戦の無い世になると安堵した洛陽の民達。そしてその世を齎した華琳達を出迎えた民達に齎さ  れたのは、「天の御遣い帰還」の報であった。新しい世の到来の代償に、民達を愛し民達も愛した『天の御遣い』がこの世から居  なくなってしまった。民達は凱旋の列とは到底思えぬ沈んだ面持ちの隊列を複雑な思いで迎えていた。その後には、警備隊に対し  て『天の御遣いこと北郷一刀』に彼等なりの敬意を込めて『北郷さん』と呼んで気を紛らわしもした。一刀が還って来るのを望ん  でいたのは何も華琳達だけではなかったのである。   そして三年の後、ついに天の御遣いこと北郷一刀が彼らの元に帰ってきた。既に一刀がこちらに戻ってから数ヶ月が経ち、洛陽  の民達も一刀の帰還は周知の事であったが、改めて馬上の一刀の姿を目にして「天の御遣いが洛陽に居る」と言う当たり前の事に  感慨無量たらざるをえなかった。   民達の歓声を聞き呆気にとられながら流琉が口を開いた。 「兄様の人気は凄いんですね」   そう口にした時には流琉の顔は誇らしげなものに変わっていた。そんな流琉の顔を見る事無く、華琳は前を向いたまま口を開く。 「そうね……、もし違う時代に別の誰かの元に一刀が現れていたら、一刀は間違いなく危険人物として謀殺されたでしょうね」 「でもでも、兄ちゃんは……」 「ええ、本人にその気が無くても関係ないわ。それは天和達の一件を鑑みても判るでしょう」 「でも……」   華琳の言葉を聞いた季衣の顔が曇る。 「大丈夫よ季衣。一刀も政治的に変な気を起こす事なんか無いでしょうし、それにわたしがさせないから」 「華琳さま」   華琳の言葉を聞いた季衣の表情が明るいものへと変わる。しかし、隣で話を聞いていた流琉の表情は少し違ったものに変わって  いた。そんな流琉が表情を変える事無く呟く。 「華琳さま……、もしかして惚気てる……?」 「何か言った? 流琉」 「いっ、いえ……。それにしても凄い人の数ですね。洛陽の人達全部が集まってるんでしょうか?」 「ふふふっ」   話をはぐらかした流琉に肩越しに視線を送る華琳と、それに気付いて恐縮する流琉。そしてそんな二人を交互に見ながら不思議  そうにしている季衣。   そんな二人を「昔の春蘭と秋蘭を見ている様だ」と感じる華琳であった。   洛陽の民達に盛大に見送られ、長安へと出立した一行。普段の行軍に比べれば、隊列の規模の大きさは比較にならないが、進む  速度が遅いだけで何ら変わった事などは特に無い。魏のお膝元であり、大陸で最も治安が良いであろう洛陽と長安間の行幸である  ため列は何事も無く粛々と進んでいた。   魏の全兵力からすればこの行列に加わっているのはそれの何分の一かであるが、華琳を筆頭としほぼ全ての部将と軍師が顔を揃  えているこの一団ならば、中規模の都市を陥落させる事等造作も無い事だろう。間違ってもそれにちょっかいを出す者など皆無と  言えた。   慌しくしているのは、唯一先行して一目帝の行列を見ようと長安までの沿道に集まっている近隣の邑々の者達の整理をしていた  霞の副長率いる部隊と、隙あらば一刀の姿を見ようと馬車の窓から顔を覗かせようとしていた帝を諌めている侍従の翁と女性の文  官ぐらいであった。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 「帝の御一行が昨日潼関を通過した由に御座います」   先触れの一報により、帝を向かえる長安でも慌しさと緊張が増していた。普段の速度なら潼関からは数日程度で到着するものの、  今回はゆうにその倍以上の時間が掛かるため時間的には余裕があるのだが、今はある人物の存在で少々勝手が違っている。 「みんな! お出迎えの準備は出来てる?!」   そう城内に触れ回っているのは三国鼎立の一角を担う『蜀の王』劉玄徳こと桃香。 「桃香さま! 我等はこの度陛下に招待されたとは言え、ここは長安。我等は部外者ですよ」   興奮気味に大股で城内を闊歩する桃香を関雲長こと愛紗が困り顔でその後に続いていた。 「何言ってるの愛紗ちゃん! 陛下のお出迎えの準備を手伝って何が悪いの?」 「しかし……、これは少々出過ぎた……」   愛紗がそこまで言ったところで長安の太守の姿が目に入る。愛紗は今の状態を詫びる様に手を合わせ頭を下げた。それに気付い  た太守は慌ててそれを手で制するが、笑っている様な泣いている様な複雑な表情を見せている。   今より数日前、長安に到着した蜀の面々であったが、到着早々桃香は太守の元に赴き帝の受入れ準備の手伝いを申し入れた。太  守も帝により招待された蜀の面々にその様な事は出来ないと断ったのだが、結局桃香の勢いに押し切られる。 「何でも言って下さいね」   そう笑顔で話す桃香に太守もお手上げであった。出世目当ての邪な心持ち等を企む小役人風情なら太守も幾らでも扱い様がある  が、純粋に何か手伝いたいと言う桃香の気持ちが伝わる為に太守も断り難い。しかし、いくらそう桃香が言ったとしても、一太守  が他国の王に対し命を下す訳にはいかず諸葛孔明こと朱里に泣きつく事となった。   朱里達も帝の受入れ準備を手伝う事については何ら異論は無かったのだが、太守の言い分も十分に理解できる。困り果てた太守  に対し、答えは予想できたが華琳にお伺いを立てる事を朱里は進言した。   そして華琳から戻ってきた文面は「好きにさせなさい」と言う朱里が予想した通りのものであった。それで腹をくくったのかも  しくは諦めたのか、太守は共に受入れ準備を進める事とする。さすがに太守と桃香の間に朱里をはさむ形となったが、概ね順調に  事は進むのであった。   だがそれにより良い結果を齎した箇所もある。それは極短期間とは言え帝の側に居た事のある董仲穎こと月と賈文和こと詠の二  人の存在であった。二人の指示は帝の好みや性格を鑑みた良い指示となったのは太守も大いに認める事となる。二人の正体を承知  している太守にとってそれは今の少々異常な状態の中で一筋の光明と感じるのであった。   太守も感じた様に桃香の純粋に何か役に立ちたいと言う気持ちに偽りは無い。だが、心の隅にこれから見える一刀に対し良い印  象を持ってもらいたいと言う気持ちも嘘偽らざるものである。それは極一部の者を除いて蜀の面々に共通した気持ちでもあり、口  では色々と文句を言いながらも皆積極的に準備に参加している。普段「何でもやれるのにやろうとしない」等と呆れられている趙  子龍こと星ですら同様であった。   そして数日後、絢爛豪華な帝の長安行幸の一団が古都長安に到着した。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   『漢』の旗が長安の城門から確認できた時、既に長安の太守や上部の者達そして招待されている蜀の面々も皆長安行幸の一団の  出迎えをするべくこの日の為に掃き清められた城門前で帝の到着を待ち構えていた。   そして近付いてくる『漢』の旗を見詰めながら桃香が口を開いた。 「もう直ぐだね愛紗ちゃん」   そう興奮気味に話す桃香に愛紗も言葉を返す。 「そうですね桃香さま」   そう言葉少なに返事を返した愛紗であったが、一つ心に思う事があった。だか、あえて今はそれを口にしない愛紗であったが、  それをあえて口にする者も居た。 「お二方、心待ちにされているのは帝ですかな? それとも彼の御方に供している御仁の方ですかな?」   そう悪戯な表情の星に対して桃香は慌てて言葉を返した。 「えっ?! なっ、何言ってるの星ちゃん……!」 「こっ、コラッ! 星!!」   二人の慌てた表情が可笑しかったのか予想通りであったのか、笑いながら星は言葉を返す。 「いやいや、二人とも素直ですな……。ご心配めさるな、それがしも同じでござるよ」   そして星も近付いて来る一団へと視線を移す。それを目を細めながら見詰めている星の穏やかな横顔を見ながら愛紗は思った。 「(星がこの様な表情を我等の前で見せる様になるとはな……。これもあの人の影響か……)」   同様に愛紗も近付きつつある一団へと視線を移すのだった。   帝の乗った馬車が身近に迫り、それに平伏しようとしていた出迎えの面々はその煌びやかな行列に目を奪われていた。帝の出迎  えのために身を清め、身なりも整えていた面々であったが、新調された装束を身に纏い威風と威光を放つ魏の面々の前では吹き飛  んでしまう。長安の太守と蜀の国主である桃香は出迎えの面々の中で唯一この日のために装束を新調していたが、それも今は少々  霞んで見える。   そして出迎えの面々の視界に一刀の姿が現れた時、辺りが今までと違ったざわめきに包まれた。濃い青の色調で統一されている  魏の面々の中で唯一人白を基調とした装束に身を包むその姿は、その場の雰囲気を色々な意味でざわつかせるにたる印象をその場  に居る面々に与えていた。 「あれが……、あの御方が天の御遣いか……紫苑よ」   一刀の姿を凝視したまま、厳顔こと桔梗がその高揚した声で呟く。 「そう、あの方が天の御遣いこと北郷一刀よ」   そう桔梗に黄漢升こと紫苑も言葉を返す。以前一刀と見えた事のある紫苑ですら紅潮した顔で彼を見詰めている。紫苑の横で一  刀にもらった首飾りをかけ控えていた璃々も同様の表情を見せていた。   周りの帝の出迎えに出向いた長安の太守や蜀の者達も同様の姿を見せていたが、一刀の姿が近づくと言う事は帝の乗った馬車が  近付くと言う事でもある。それに気が付いた面々は慌てて平伏する。そして近付いてきた帝の馬車が当然通り過ぎるものと皆は思っ  ていたが、それは太守と共に並んで帝を出迎えていた桃香の前で停止した。平伏したまま今の状態を怪訝に思う桃香と太守。かと  言って平伏した姿勢を崩す訳にもいかず困惑していたところで、桃香と太守の視界に一刀と華琳二人の足らしきものが目に入った。   「これは丞相か天の御遣いを介して陛下の御言葉が頂けるのか」等と思っていた二人であったが、現実はその遥か上の出来事が  起こる。 「顔を上げて下さい、お二人とも。そして陛下の出迎えに集まってくださった皆さんも」   一刀の声に促され、桃香と太守が顔を上げる。そしてその二人に呼応する様に他の面々も一人二人と顔を上げていく。普段では  絶対ありえない事である為に、皆静まり返ってはいるものの雰囲気はかなりざわついている様に感じられた。そしてそこで集まっ  た者達が驚愕する事が起こる。   それは、帝自ら出迎えに訪れていた面々の前に姿を現したのだ。そして、馬車の扉の所でゆっくりと出迎えに集まっている皆々  の姿を見た後に一刀に手を引かれながら皆と同じ地面へと降り立ったのであった。   この帝の驚天動地の行いに、目を奪われ固まる者、慌てて平伏し直す者等、皆様々な反応を見せる。ここに集まった者達の大多  数が一生目にする事は無いであろう人物が目の前に現れたのだから皆の反応は当然と言えた。   そして驚いた顔を隠す事も無く、帝の方を見詰めていたままの桃香と太守に帝自ら出迎えの礼と労いの言葉を掛ける。言葉を掛  けられた太守は改まり深々と平伏し、桃香は花の咲いた様な笑顔を返した。そんな二人の姿を見た帝も笑顔を返し、そして顔を挙  げると自分の出迎えに集まった長安の民達をはじめとする長安周辺の邑の者達や地方豪族の長達そしてこの州を治める官僚達に対  し、今日の出迎えの礼を述べ、以前の国の混乱を詫び、そしてそれを乗り切った者達を労う言葉を口にする。帝の言葉を聞いた者  達は一様に畏まり礼を取り、中にはその言葉に感極まって泣き出す者達もあちらこちらで見受けられた。   この一連の帝の行動は混乱の時代の終焉を、そして新しい時代の到来を皆再確認し、新たなる秩序の基にこの大陸が動き出すと  認識するにたるに十分な出来事であったと言える。   そして帝は身体の向きを変えると、古都長安の門に一礼をした後に自らの足で長安の城門を潜るのであった。   帝の出迎えを終え、長安の玉座の間にて帝との対面を待つ間、蜀の面々は一旦用意された控えの間に集まっていた。そして未だ  門前での出来事に興奮冷めやらぬ桃香が口を開いた。 「ほんとびっくりしたよね、愛紗ちゃん!」 「はい、桃香さまや長安の太守殿だけではなく、我等にも御声を頂けるとは……。この関雲長も感極まっております」   そんな桃香に答える愛紗も未だ昂ぶりが収まっていない。一方、他の方に気を取られている者達も居る。 「やっぱり格好良いようなぁ……、北郷さん」 「あのなぁ、蒲公英。普通今は陛下がわたし達の前に御姿を御見せになって、しかも御言葉を頂けた方を感動するもんだろ」   馬岱こと蒲公英が呆けた様な表情でそう口にした事に、馬孟起こと翠が呆れた様な表情で言葉を返す。言われた蒲公英は首だけ  を翠に向けると、上目遣いで口を開いた。 「何……、お姉さま自慢? 北郷さんと真名を交換してるから自慢してるの?」 「何でそうなるんだよ!」 「普通、北郷さんのあんな姿見たら格好良いって思うじゃない」 「いや……、まぁ……それは」   蒲公英の妙な迫力に負けて頬を赤らめながら視線を逸らす翠。そして、その視線の先に割り込む様にして蒲公英は言葉を続ける。 「やっぱりお姉様、北郷さんと何かあったの?」 「だから、何にも無いって!!」   翠のむきになって否定する言葉を聞きながら蒲公英は思う。翠以外の相手ならここまでむきになって否定すると逆に怪しく感じ  るものだが、翠の性格を熟知している蒲公英には本当に何も無かったのだろうと容易に想像出来るし確信もしている。だが、一刀  から貰ったと言う髪留めを本当に大事そうに扱っている翠を見ると、何やらモヤモヤとしたものを感じるのも又事実であった。そ  んな翠の姿からは一刀の事をどう想っているのかは誰にでも判る事である。   要するに、蒲公英の可愛いヤキモチであった。 「何じゃ、そんな顔をして」   一人皆との輪を離れて天井を見詰めている、いや睨み付けている様な魏文長こと焔耶に気が付いた桔梗が声を掛けた。 「桔梗さま」   そう焔耶は短く答えると、一度桔梗に視線を向けるが直ぐに再び天井へと視線を戻す。 「なんじゃ、お前も陛下の御言葉に感極まっておるのか? それともお前が気になっているのはその隣に居た御人の事か?」 「何で私があんな男の事など!」   焔耶がどんな反応を返すか等判った上で桔梗はそう尋ね、案の定焔耶は桔梗の思った通りの答えを返した。それが可笑しかった  のか、桔梗は笑みを浮かべながら桔梗は焔耶の隣へと位置を移し口を開いた。 「誰も御遣い殿の事等とは言っておるまい。陛下の隣には曹丞相も居られたのだからな」 「きっ、桔梗様……!」 「はっはっは、お前が御遣い殿しか見ていなかったのがよう判った」   そう言って桔梗は声を上げて笑い始めた。桔梗に顔を赤く染めながら否定する焔耶であったが、そんな焔耶を桔梗は軽く手であ  しらいながら益々大きな声で笑い続けている。 「いやいや、お前が桃香さま以外にその様な気をやるとは僥倖、僥倖」   大笑いしながら桔梗がそう口にしたために焔耶はからかわれていると思っているが、桔梗にすれば嘘偽りの無い本心であった。  例えそれがヤキモチからくるものでも、焔耶が蜀以外の外の世界に視線が向く事は良い兆しであると桔梗はその時感じていた。こ  れが焔耶の成長を促す何かしらの糸口となる事を真摯に願っている桔梗である。   桔梗の大笑いに気が付いた他の蜀の面々が何事かと不思議そうに見詰めている。それに気が付いた焔耶がその視線と桔梗の終わ  らない大笑いに居心地の悪さを感じ、赤い顔のまま逃げる様に控えの間を出て行ってしまった。何か言いたげそうな蒲公英の顔を  見た事も一因であろう。   焔耶が控えの間を後にした後も笑い続けていた桔梗の側に紫苑が近付いて口を開いた。 「桔梗、あんまり焔耶ちゃんをからかうものではなくてよ」   そう呆れた様な表情で諌める紫苑に桔梗は笑うのを止め口を開いた。 「いやいや、からかってなどおらぬ。あのお方が焔耶が一皮向ける良い薬となる事を願っての事よ」 「桔梗……」 「既に良い兆しが見え始めておる。成都を空にしてまで陛下の御召しでここに馳せ参じた甲斐があったと言うものよ」   そう言って桔梗は焔耶が出て行った扉を穏やかな笑顔で見詰めていた。そんな桔梗の言葉を聞いた紫苑は一つ溜息を吐くが、そ  の表情は明るい穏やかなものへと変わっていた。   後年、「ちと薬が効き過ぎたかの……」と桔梗が漏らしたと言われているが、それは又別の話である。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   長安の城の廊下を小動物が走っていた。廊下の端の方を小さな歩幅ながら早足で歩く姿は正にそう表現するのが正しいと言える。  その姿を見た城の者達の顔は一様に綻んでいた。そんな者達と目が合う度に、その小動物は三角に尖ったつばの広い帽子で赤く染  まった顔を隠して益々早足で進んで行く。その姿がまた可愛らしく城の者達は微笑んだ顔のまま目で追っていた。   この微笑ましき小動物こそ蜀の智の象徴の一翼であり、軍略の天才と謳われる鳳士元こと雛里である。   以前の雛里であれば、他国の城において単独で行動する等考えられなかったが、洛陽で一刀と邂逅した後は以前の様に常に誰か  と共に行動するのではなく、一人で行動する事が段々と増えていた。未だ人で溢れかえる大通り等は苦手な様であるものの、余り  人の多くない時間帯等は一人街に出て買い物などをする様になっている。そんな雛里の変化を諸葛孔明こと朱里等は嬉しくも淋し  くも思っている様であった。   そんな雛里は一人この後の予定の再確認の為、魏の面々の控えの間へ向かう。案の定一人で現れた雛里を見て魏の面々は口々に  「よく一人で来れた」「一人で帰れるか?」等と心配されていた。何ら変更のない事を確認すると、「送って行こう」と言われる  のを何とか断って魏の控えの間を後にする。   魏の面々も単独行動している雛里を心配するものの、一人パタパタと動く雛里を微笑ましく見ていた。あの華琳でさえ、雛里に  関しては愛でる事に専念している。   そして雛里は控えの間を後にすると、見渡しの良い窓辺へと近付く。そして帽子のつばを手で持ちながらキョロキョロと辺りを  見回し、何やら一人納得した様な表情で頷き駆け出して行くのだった。   雛里は階段を昇っていた。途中何度も立ち止まり、そして息を整えると目的の場所へと向かって行く。たどり着いたのは長安の  城壁の上。その開かれた場所で顔を巡らすと、一段高い場所にその人は居た。その人物に近付くと雛里は一度大きく深呼吸をして  から声を掛ける。 「お兄様」   雛里に声を掛けられた一刀は少し驚いた様な顔をした後言葉を返す。 「やぁ、雛里。……一人でここまで来たの?」 「はい。魏の皆さんの控えの間でお兄様の姿が見えなかったのでもしかしてと思って」 「なるほど。雛里にかかっては俺の行動なんか読むのは朝飯前か……」 「あわわ……、そっ、そんな事は」   そう話していた雛里は眩しそうに一刀を見ていた。未だ式典用の装束を身に纏っている一刀。その装束が日の光をはらみキラキ  ラと光っていた。 「どうかした雛里?」 「あわっ、お兄様のお姿が……」 「ああ、これ? 何か派手だよな。俺もこういうの着慣れていないせいか、着てるって言うより着せられてるって言うか……馬子に  も衣装?」 「そっ、そんな事ないでしゅ……、格好……いえ、良く似合ってると思いましゅ……。あわわ……」 「ありがとう雛里」 「いっ、いえ……。お兄様街を……、長安の街を眺めているのですか?」 「ああ、こっちへ来てごらん雛里」   一刀に促され一刀の隣に並ぶ雛里。一刀の姿を見付けてからずっと顔を赤く染めたままなのだが、今もそれに気付いてはいない。  風に帽子が飛ばされない様に片手は帽子のつばに、そしても片方の手は今の場所が高い位置のため少々不安なのか一刀の外衣の端  をしっかりと握っている。 「やっぱりここは他の都市とは趣が違うな」 「はい、それこそが『古都』と呼ばれる由縁でもあります。あの建物が……」   雛里の長安の説明を興味深げに耳を傾ける一刀であった。   流石に何時までも雛里の話を聞く訳にもいかず、雛里を蜀の控えの間に送る為に二人は城の廊下を歩いていた。時間が有ればあ  のまま長安の市街へと繰り出したかった一刀であるが、この後も予定が詰まっている為にそんな訳にもいかない。二三日もすれば  時間に余裕も出来る為にそれまではお預けである。   一刀と手を繋ぎながら歩いている今の状態に御満悦の雛里であったが、ある事を思い出し口を開いた。 「そう言えばお兄様、玉座の間の奥にに飾られている壁画は御存知ですか?」   雛里の言葉に一刀は思い出したように頷きながら答える。 「ああ、話は聞いているよ。後で協と一緒に見ようって誘われてるよ」 「…………」   一刀の言葉を聞いた雛里がきょとんとした顔で一刀を見詰めていた。そんな雛里を不思議に思った一刀が口を開く。 「どうかした雛里? そんな顔をして」   一刀にそう言われた雛里であったが、直ぐには話し始めず一呼吸置いてから口を開いた。 「お兄様……、陛下の事を名で呼ばれているのですか?」   雛里の言葉を聞いた一刀は露骨に「しまった」と言う様な表情に変わった。そしてキョロキョロと辺りを見渡し、側に城の者が  居ない事を確認すると小さな声で話し始める。 「公の場所では別だけど、私事で陛下に御会いする時はそう呼ばないと拗ねちゃうんだよ」 「そうなのですか?」 「うん。流石に陛下の真名を預かる訳にはいかないからね。だからその代わりにプライベート……ああ、私事の時は名を呼んでるん  だ。あっ、この事は一応秘密ね。侍従長さんなんかはもう諦めてるみたいだけど、他の陛下の周りに居る人達の中には余りいい顔  をしない人も居るから」 「はっ、はい! あわわ、二人だけの秘密ですね……」   一刀の話を聞いた雛里は畏まってそう答えた。雛里は漢の帝を名で呼ぶ一刀の事を誇りに思う。そしてそれ以上にそんな一刀と  秘密を共有する事を嬉しく思うのだった。   そうでなくとも目立つ格好をしている一刀である為に、ただ廊下を歩いているだけでもかなりの注目を浴びている。そんな居心  地の悪さを感じながら廊下の角を曲がった時、扉が開いたままの部屋の窓辺に人が立っているのが一刀と雛里の視界に入った。一  刀はその見慣れぬ人物の後姿を見ながら、少なくともこの城の者でも魏に所属する者でもない事だけは把握する。すると一刀の隣  に居た雛里がその人物に声を掛けた。 「こんな所でどうしたんですか焔耶さん?」   焔耶は蜀の控えの間を後にすると、特に行く当てもなくただ廊下を大股で歩いていた。焔耶の顔を赤らめたまま不機嫌そうな顔  で歩く姿を見た城の者達も声を掛けて良いのか悪いのか考えあぐねている。そんな城の者達が目に入った焔耶はとりあえずその視  線から逃れる為にどこか人の居ない所に行こうとした。かと言って城外へと出て行く訳にもいかず、城壁にでも行こうか等と考え  ていた時に扉が開け放たれたままの小部屋を見付ける。とりあえずその部屋の中へと入り、窓辺まで進むとその縁に手を置き大き  く溜息を吐いた。 「(全く、桔梗さまは……。何でこの魏文長があんな男の事など考えねばならんのか……。確かにあの姿は……、ああ! だから何  で!!)」   思わず壁を殴ってしまう焔耶。低い衝撃音の後、パラパラと壁の欠片が床に落ちるのを目にしながら焔耶は口を開いた。 「少し頭を冷やしてから戻ろう……。こんな心持ちで戻っては蒲公英に何を言われる事か……」   そう口にした焔耶は目を瞑り大きく息を吸ってからゆっくりとその息を吐き出した。そして目を開き窓の外を見上げた時、背後  から声を掛けられた。 「こんな所でどうしたんですか焔耶さん?」   その声を聞いて焔耶が振り返った時、その声の主である雛里の横に立っている男を見て焔耶の眉間に皺が寄った。 「ああ、雛里か。雛里……、何でそんな男と一緒に居る……?」 「えっ?」   焔耶の言葉の意味が直ぐには判らなかった雛里であるが、焔耶の醸し出す雰囲気から焔耶の一刀への印象があまり良くなかった  事を思い出した。一刀と一緒に居た事で少々舞い上がりその事を失念し声を掛けた事を後悔する雛里。 「何でその男がお前の側に居る?」 「お兄様は……」   再び焔耶に尋ねられ何か答えようとする雛里であったが、焔耶の放つ迫力に押され言葉が続かない。流石の一刀も焔耶の放つ警  戒心……、いや明らかな敵意をひしひしと感じていた。 「魏文長殿とお見受けいたします、自分は……」 「今更名乗らずとも知っている。魏の天の遣いだろう……。何故……、雛里を誑かした」 「いやいや、別に誑かしては……」 「なるほど……、雛里を橋頭堡にして桃香さまに近付こうという魂胆だな」 「何でそうなるんだよ……」   こちらの言い分に聞く耳を持たず、変な方向へと結論付ける焔耶に一刀は何やら懐かしい既視感を覚える。 「この魏文長、貴様の様な諸悪の根源等を桃香さまに近づける訳にはいかん! いっそここで……」   物騒な事を口にしている焔耶であったが、その放つ迫力は雛里にこそ効いていたが一刀には余り効いていない。普段から春蘭や  荀文若こと桂花の射す様な視線や、最近では甘興覇こと思春の殺気のこもった視線を経験している一刀にとって焔耶のそれは可愛  いもの程度の認識であった。良くも悪くも仲間達に鍛えられ、変なところで肝の据わっている一刀である。   そんな一刀は少し別の事を考えていた。 「(何だか昔の春蘭や桂花を見てるみたいだな……)」   以前、華琳の事を思って一刀に突っかかってきた春蘭や桂花に今の焔耶の姿が重なって見える。そんな焔耶を見ていて、一刀は  微笑ましい気持ちになった。だが、そんな気持ちに反して……いや、そんな気持ちになったからこそふつふつと一刀に悪戯心が浮  かんできた。 「ほう、呑気な者ばかりだと認識していた蜀の中にも中々目端の利く者も居るとみえる……」 「何?!」   今までの下手な対応を見せていた一刀が、打って変わって高圧的な態度に変わる。そして一刀が見せる口端を歪めまるで焔耶を  値踏みする様な下卑た視線に焔耶は思わず鈍砕骨を構えた。 「お兄様……?」   雛里もいきなりな一刀の豹変振りに思考が追いついていない様だ。そんな雛里に一刀は焔耶には気付かれない様に合図を送った  心算なのだが、雛里がそれを察したのかは今は解らなかった。   そして得物を構える焔耶を見て、「相変わらず彼女達は獲物を何処から出すんだ?」等と考えながら一刀は口を開いた。 「ふむ、ここで得物を抜くか……。今この場所がどの様な場所か解っておらぬ様だな」 「何だと……」 「いや、それも我にとっては好都合。劉玄徳を絡め取る障害が一つ無くなり付け入る切欠が転がり込むと言う事。くっくっくっ……」   一刀の言葉を聞いた焔耶が鈍砕骨を握る指に力を込める。そしてすり足で間合いを詰め様とする焔耶に一刀は言い放つ。 「おっと、こちらには可愛い人質が居るのも解らぬか?」   一刀は隣で棒立ちになっている雛里を抱え上げる。それを見た焔耶は正に苦虫を噛み潰したような表情に変わった。 「ほぅ、まだ構えを解かんとは……。蜀の山猿ははなはだ度し難き痴れ者よ……」 「この卑怯者が……、絶対に貴様だけはこの場でこの魏文長が成敗してくれる。何が『天の御遣い』だ! やはり貴様は噂通りの 『女狂い』の『色欲の化身』であったか!!」   焔耶の言葉に内心凹む一刀。「やっぱり蜀でもそう言う風な噂が流れているのか……。そう言えば音々音もそんな風な事を言っ  てたっけ……」等と心で思うが今は顔に出す事も無く芝居を続ける。   一方の焔耶は一刀に抱き上げられた雛里が一刀の手で身体を弄られている様に見えていた。実際は、一刀に抱き上げられた雛里  は一刀の合図を理解していて、今は一刀に抱かれている状態が嬉しくもあり恥ずかしくもありただ顔を赤らめているだけなのだが、  そんな内情は今の頭に血が上りきった焔耶に伝わる訳は無い。 「ぐぐぐっ……。雛里、絶対に動くなよ……」   奥歯が砕けるのではないかと思うぐらいに音を立て噛み締めた後、焔耶はそう呟く。そんな焔耶を目の当たりにして流石の一刀  も今の状態が非情にヤバい事が理解出来た。一刀でも感じられるほど焔耶の氣が膨れ上がった後にそれが小さくそして鋭く収束し  ていくのが解る。そしてそれに呼応する様に焔耶は小さく且つゆっくりと吐いていた息を止めた。   そんな焔耶の気を逸らす様に一刀は口を開く。 「だが、今はいささか間が悪いな。時間も無い」   一刀はそう口にすると、雛里を抱いている腕に力を込め片腕で抱え直し、もう一方は自分の懐へと伸ばした。「時間が無い」と  言ったのは一刀の本心であり、これ以上続けていては大きな騒ぎへとなる可能性もあるし、本気で焔耶が一刀に掛かって行けば一  刀にはそれを止める術は無い。 「この場を逃れられると思うのか……」   ドスの効いた焔耶の声にもたじろぐ事無く一刀は口を開く。 「もちろん!」   そう口にした一刀が懐へと伸ばしていた手を取り出し、その腕を焔耶に向かって伸ばすとおもむろに手を開く。その瞬間、辺り  を真っ白に染め上げる閃光が輝いた。 「何だ!!」   閃光をまともに目にした焔耶は一瞬で視界を奪われる。 「では魏文長殿、また合間見えましょうぞ! 中々楽しい一時でした。アディオス! アミーゴ!!」   一刀はそう告げると雛里を抱えたまま一目散に部屋を後にする。一人部屋に残され、未だ視界の戻らぬ焔耶は手の鈍砕骨をむな  しく振り回すもただ空を切っていた。 「あで……雄!? 何なのだ貴様は! さては貴様、五胡の妖術使いだな!!」   焔耶がそう叫ぶも既に一刀達はこの部屋から姿を消しており、誰も答える事はない。ただ、焔耶の声が廊下にまで響くのみであっ  た。 「馬鹿者が! お前は何を考えておるのだ!!」   蜀の控えの間に桔梗の怒号が響き渡る。その声に怯みながらも焔耶は言葉を返した。 「桔梗様、あ奴は恐らく五胡の妖術使いです。現に奴の手が急に光って……」   焔耶の反論を全て聞く事もなく、桔梗の怒号が再び響く。 「この大戯けが! 何が五胡の妖術使いじゃ、問題はお前が場所もわきまえず得物を抜いた事じゃ!」 「それは……」 「他国の城で、しかも今は陛下のおわす城内で得物を抜いたなど、わしやお前の首程度等では話が収まらぬぞ。桃香さまの御身にも  類が及ぶ事、何故お前は考えん!」   流石の焔耶も桃香の名を出されては何も言い返せない。まだ何かを言い返そうとしていた焔耶もうなだれてしまう。 「まあまあ、桔梗さんもそのぐらいで……、焔耶ちゃんもわたしを思っての事だし」 「しかし、未だあちらから何も言ってこないと言うのはいささか腑に落ちませんね」   桃香に続いて愛紗がそう口を開いた。愛紗の言葉を聞いて桔梗をはじめとする一部の者以外は思案顔に変わる。 「どう思う朱里」   愛紗の言葉に朱里が答えた。 「きっと……、希望的観測では有りますが、こちらから何も言わない限り不問という事では? 幸いお互いに怪我等もありませんで  したし、大きな騒ぎにもなっていません。ならば陛下がおわす今事を荒立てるべきではないとあちらが思っていてくれれば……」   そう自信なさげに答える朱里に愛紗が口を開く。 「だがそうであったとしても、全く何も無いと言うのは流石に……」 「あちらにしてみれば、武将同士がただじゃれ合っていた程度の認識ではないのでしょうか」   朱里の話を聞いた紫苑がそう補足する。それらを聞いた桃香が桔梗を宥める様に口を開いた。 「そっそうだよきっと。だからねっ、桔梗さんもこの辺で」 「桃香さまは楽観的過ぎる……。で、星よ。お主は何をずっと笑い続けておる?」   桔梗の言葉で皆の視線が趙子龍こと星に集まる。事の次第を聞いてから、久方笑い続けていた星は目尻に溜まった涙を拭うとお  もむろに話し始めた。 「焔耶も桔梗も心配するな。この一件、不問どころか恐らくは報告すらされてはおるまい」 「どういう事じゃ星よ」 「まぁ、風達軍師の面々にはいずれは知られましょうが……。焔耶はあの御仁に担がれたのですよ。からかわれたのです。恐らく風  辺りから焔耶の人となりを聞いていたのでしょう。それで焔耶に興味を待ったと……。  いやいや、あの御仁も中々に良い性格をしておられる」   そう話すと星は焔耶の方へと視線を向ける。その先では星の話を聞いた焔耶が顔を赤く染めながら握った拳を震わせていた。 「だけど何で一刀殿は焔耶をわざと怒らせるような事をしたんだ? 風から話を聞いていたのなら、焔耶が一刀殿をどう思っている  かなんて事も聞いてると思うんだけど」 「確かに。我等には極普通に、いや友好的な初見であったのに」   翠の言葉に愛紗が続いた。確かに初対面の一刀は友好的な、一刀の立場から言えばかなり腰の低い対応をしていたと言える。そ  んな一刀の対応の仕方も愛紗達が友誼を深める切欠となったのは紛れも無い事実であった。 「さぁ、その辺りは本人に聞くしかなかろうよ。で、焔耶よ。一刀殿の手が光ったと言っていたな」   いきなり話を変えてきた星に焔耶は呆気にとられたような顔を見せる。そして少し考えたような素振りの後に口を開いた。 「ああ、懐から手を出した途端に光って何も見えなくなった。あれは絶対五胡の妖術だ」 「ふむ……」   焔耶の話を聞いた星は何やら考え込むような仕草を見せる。そんな星の顔を見ながら朱里が口を開いた。 「きっとそれは真桜さんが作った『閃光弾』だと思います。以前見せてもらった物はもっと大きかったですが」 「ああ、わたしもそう思う。以前は赤子の頭程の大きさであったはずだが、懐に隠せる程に改良された様だな。これは使い道が……」   そう口にした星がニヤリと笑う。それを目にした朱里は絶対によからぬ事を星が考えていると確信していた。 「では、あれは妖術でもなんでもなくて……」 「そう言う事だ」   星の答えで本当にただ担がれたのだと得心した焔耶は力なく肩を落としていた。そんな焔耶に桃香が声を掛ける。 「ほらっ焔耶ちゃん、そんな顔しないで……。そうだっ! 何であんな事をしたのか北郷さんに直接聞きに行こうか?」   桃香の言葉を聞いた焔耶が不思議そうな表情で顔を上げた。既に桃香はその気になっているのか、焔耶の腕を掴み扉へ向かおう  としている。その時、愛紗がワザと大き目の咳払いをした。その声で愛紗の方に顔を向けた桃香に朱里が愛想笑いを浮かべながら  口を開く。 「桃香さま、ただ一刀さんに早く会ってお話したいだけですよね?」   朱里の言葉に桃香は引き攣った笑顔で言葉を返す。 「そっそんな事ありませんよ……」   妙に丁寧な言葉を返す桃香。そしてゆっくりと視線を愛紗の方へと巡らせる。 「桃香さま……。直に陛下との対面の儀の刻限です。その後も予定が詰まっておりますので……」 「そんなぁ……、わたしも……」   思わず本音を口にし落胆した表情で他の面々に視線を巡らす桃香であったが、黙って頷く者や愛想笑いをする者そして露骨に視  線を外す者ばかりで誰一人として桃香に賛同する者はいなかった。 「では桃香さま、そろそろお召し換えを」   愛紗の言葉に、桃香は観念したのか項垂れたまま別室へと向かって行く。そんな姿を目で追いながら桔梗が口を開いた。 「ふむ、桃香さまがお忙しいとなれば……」 「桔梗、それは抜け駆けと言うものよ」   紫苑の言葉に桔梗はワザと驚いた風な大げさな表情を見せる。 「何を申すか。わしは焔耶の保護者代わりとして今宵にでも御遣い殿に謝罪を……」 「桔梗……。ここが蜀の城ならまだしも、警備厳重なここでそれはおやめなさいな」 「ぬぅ……」 「まぁ、一刀殿に懐いている璃々が一刀殿の寝所に潜り込んだのを母親の私が迎えに行くと言う方が自然かしら……」   お互い顔を見合わせる桔梗と紫苑。二人はそのまま意味深な笑顔で笑い合うと視線を外し、溜息を吐きながら桃香が入っていっ  た別室の扉をぼんやりと眺めていた。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   桃香達が帝との対面を果たしている間、その場に同行していない者達はただそれが終わるのを待っていると言う訳でもなく、幾  人かはこの後の打ち合わせなどで忙しくしていた。以前に比べればかなり簡略化されているとは言え、外す事の出来ない行事も多々  あり帝のおわす場所近辺以外では慌しく動いている。   公孫伯珪こと白蓮も慌しく動いている一人である。蜀の中ではこうして外部との折衝役として適しているとされるのは白蓮と紫  苑の二人であろう。勿論、軍師の朱里等も適しているが、今は桃香に同行しているためにこの場には居らず、愛紗も同様である。  朝廷側との連絡役は白蓮、魏側との連絡役は紫苑と言う様に基本分担して事に当たっていた。無論、例外もある。特に魏への連絡  は「自分が替わりに行こう」と口にする者が多い。   この配置の理由としては、今は同じ蜀の将であっても元国主であり多少なりとも中央と繋がりのあった白蓮の方が朝廷の側から  すれば紫苑より覚えが良いという配慮からであった。実際に朝廷の側も白蓮の方が紫苑より格上と思っている節もあり、それを感  じ取った朱里の手による配置である。   中央との繋がりと言う側面だけを考えれば董仲穎こと月と賈文和こと詠と言うある意味最強の二人が居るのだが、まだ二人の名  誉の回復が宣言されていないので今はまだ大っぴらには動けない。その為に白蓮は忙しく場内を動き回る事となっていた。   仕事も一段落し、やっと休息がとれると思った白蓮は回廊の縁にもたれかかりぼんやりと庭を眺めていた。過去に多少中央との  縁があったとはいえ、袁本初こと麗羽の様に深くまで入り込んでいた訳ではなかったので別段朝廷との交渉が得意と言う訳ではな  い。かと言って今迄世話になっている桃香達から頼まれれば、否とは言えないのが白蓮の長所であり短所でもあると言えた。 「やっぱりあの雰囲気には馴染めないなぁ……」   そうポツリと言葉を漏らし、続いて大きく溜息を吐く白蓮。朝廷の臣達の独特の間合いや調子、そして持って回った様な言い回  しがどうも白蓮の性格には合わない様だ。紫苑の様に相手によって手練手管を使い分けるほど老成もしておらず、周公謹こと冥琳  の様に感情を表に出す事無く淡々と折衝を行う事も出来ない。白蓮なりに誠意を持って、神経をすり減らしながら自分の仕事を全  うしていた。   その裏表の無い白蓮の性格が皆に好感を持たれる一因でもあるのだが、本人はただ損な性格だ位にしか感じていない。だが、こ  の美徳とも言える性格も、強烈な個性派揃いの蜀の中ではただ埋没してしまう。前へ前へと出る性格ではない白蓮であれば尚更で  あった。 「(しかし、よく北郷はあんな連中と付き合っていられるよなぁ……)」   そうしみじみと思った矢先に、白蓮に声を掛ける者が居た。 「公孫賛殿、休憩……」 「うわぁっっっ!!」   武将とは思えない無防備な状態を曝していた白蓮。そんな時に声を掛けられた白蓮が思わず声を上げる。驚きの表情のまま声の  主へと顔を向けた白蓮と目が合った声の主はお互い少々間抜けな表情でお互いの顔を見合わせていた。 「ああ、北郷……殿か。いきなり脅かさないでくれ」 「いや、……すまない。何だがお疲れの様子で立っている公孫賛殿が見えたからつい」 「えっ……?!そうなのか……、そっそうか……心配してくれたのか」 「どうかしたの?」 「いっ、いや何でもない。そう言えば北郷殿、対面の儀に同席しなくていいのか?」   嬉しそうに照れた様にしていた白蓮だったが、一刀の言葉で我に返ったのか慌てた様な顔で話を変える。そんなコロコロと表情  を変える白蓮の様子を可愛いいと感じながら一刀は答えた。 「ああ、帝と蜀の王それに魏の王が同席する上位の方達の席だからね。劉玄徳様の義姉妹の愛紗や蜀の筆頭軍師の朱里そしてウチの  桂花や春蘭ならともかく、何の官位も持たない俺が同席する訳にはいかないだろう」 「へっ?」   一刀の言葉を聞いた白蓮が不思議そうな顔で一刀を見詰めている。そんな白蓮の顔が可笑しくも可愛くも思えた一刀であるが、  口にする事も無く見詰め返していた。 「本当に……、本当に何の官位も受けてないのか?」 「ああ、前居た時はそういうのに興味も無かったし、第一朝廷との接触も無かった。それに『天の御遣い』なんて名乗ってたから、  ……これって帝に喧嘩売ってる様なものだろ。で、こっちに還って来てからはそんなもの貰う様な事は何もしてないし」   一刀の言葉を聞いて白蓮の表情は不思議そうなものから怪訝なものへと変わる。白蓮にとって未だに一刀が無位無官である事が  到底信じられなかった。   魏の重鎮であり古参でもあり、例え一度天に戻ったとは言えこちらに戻って来たからには既にそれなりの官位が与えられている  と思っていた白蓮である。一刀が帝の宮で帯刀を許可されているとか、前触れもなく帝に拝謁出来る等と朱里から聞いていたので  尚更であった。   これについては朝廷の方も悩みの種であった。以前では多額の金銭を用いてまでも手に入れたがった漢の官位であったが、この  男はそれに興味を示さない。特に以前の一刀は『天の御遣い』としては名が売れていたものの余り表に出る事はなく、それに『天  の御遣い』と言う文言は朝廷を十分に刺激するに足りてもいる。そんな一刀を朝廷はただ不気味で目障りな存在として認識してい  た。   だが、再び舞い戻ってきた一刀とある意味和解した朝廷は一刀への認識を転換した。勿論、好意的な方向にである。そして、帝  のお気に入りであり、曹孟徳の愛人でもあり、魏の重鎮でもある一刀にいざ官位を渡そうとした時、朝廷ははたと気が付いた。   一刀には表立った勲功がなかった事に。   洛陽の治安維持の長として多大な功績はあったものの、その頃の朝廷の認識では曹孟徳の威光や部下の三羽烏が居たこその賜物  であると考えていたし。魏の行っている新しい制度や、新たな発明品の数々が一刀の発案だと言われているものの、確たる証拠も  無く、それが世間に齎された時に一刀は天に戻っていてこの世には居なかった。要するに時機を逸している。   今の多少なりとも一刀の心根を知った朝廷にしてみれば、今の一刀に高い官位を与えてもそれをかさに着て横暴を働く等とは思っ  てはいないが、今は華琳の方針もあり根拠のない官位の下賜や昇進は認められていない。   手っ取り早い方法としては戦で功績を挙げる事だが、三国が中心となり国内が安定している今の時期では戦とは呼べない小競り  合いが主でそれによる功績は望み薄である。それに一刀では春蘭や霞の様に先陣きって賊と戦うと言う姿も想像し難い。   最近で規模の大きな騒乱と言えば一刀がこちらに戻って来た時の業近くの邑での一件であるが、あれは春蘭をはじめとするそれ  に参加した武官達の功績として記録されている為にそれを当てはめる訳にはいかなかった。   それに「天の御遣いが戻って来た事により騒乱が起こった」等と言われては体裁も悪い。前回一刀が現れた後に『黄巾の乱』  『反董卓連合』『群雄割拠』『三国大戦』等、以前から既に火種があった事等は棚に上げ、一刀が現れた事によりそれらが起こっ  たと言う見方をする者も少数ながら存在するのは事実である。   逆に一刀の存在が在ったからこそ早期に騒乱が収まったと言う側面もあるのだが、その事実は表立っていない為にそれを知る者  は極僅かであり朝廷内にそれを知る者は居ない。   その為に、一刀は魏内外で確固たる地位を固めているとは言えるものの、官位から見れば(多少乱暴な見方ではあるが)璃々と  大して変わりはないと言う非情に困った立場に居るとも言えた。   白蓮は頓着なく平然と官位に興味が無いと口にした一刀を見ながら思う。  「(自分も過去は国主であったが、その国は潰え今は旧友の元で安穏と生きている。多少なりとも旧友の役に立っていると言う自    負はあるものの、居心地の良さもあってか今の生活の大きな変化は望んではいない。そして今以上の出世も同様である。一刀    もそんな自分と似た様な心持ちなのだろうか)」と思う。  「(まぁ『天の御遣い』等と言うたいそうな肩書きがある分、自分とはまた考え方が違うのかもしれない)」とも思う。   そんな事をふと考えていた白蓮であったが、そんな白蓮を一刀がじっと見詰めている事に気が付く。 「なっ、何だよ」 「いや、一人で百面相を始めるから、何考えてるんだろうって思って」   一刀にそう言われ、考えが顔に出ていた事に気付く白蓮。恥ずかしさで顔から火が出そうになっているのを何とか抑えて口を開  いた。 「べっ、別に大した事は……。いや、北郷殿はわたしと違って朝廷のお歴々と上手くやってるなぁって……」 「そう? そんなに苦には感じてないけど……。案外、公孫賛殿が……」 「ああ、北郷殿。わたしの事は白……、伯珪でいい」 「では……、案外に伯珪殿が考え過ぎなんじゃないかと思うけど。ああ、オレの事も殿付けなくてもいいよ」 「そうか……。でも、北郷……と違って何だかわたしは気後れすると言うか……。ああ、わたしにも殿なんて付けなくてもいいぞ」   相手に字で呼ばれ、相手を呼び捨てにする。ただそれだけの事であるのに、今白蓮は何だかとても嬉しく舞い上がりそうになる  のを必死にこらえ様としていた。 「いや、上手くやってると思うよ。いい距離感だと思うし、相手が変に警戒してないのがよく判るもの。うちの軍師連中相手にして  る時とは全然雰囲気が違うし」 「いやいや北郷、ただわたしが存在感が希薄……いや、それが皆無なだけだと……」 「そうかな?」 「いやだってそうだろう。わたしは……普通、そう普通なんだ」 「普通って……」 「何でも普通……、何でも普通って言うのは一見すれば聞こえは良いけど裏を返せば何も秀でたものが無いって事だろう。武官とし  ても普通、文官としても普通。そんなわたしだから朝廷の御歴々も気を使わずに……」 「何バカな事言ってるの!」   思わず声を荒げた一刀。一刀には白蓮が冷静に自分を評価しているのではなく、ただ自分を卑下している様に思えた。一方、急  に声を荒げた一刀に驚いた顔を見せる白蓮。だが今は気にする事無く一刀は話を続けた。 「自分をそんな風に言っちゃ駄目だ。そうだな……、伯珪はウチで言うところの秋蘭とよく似てるよ。軍務もこなせて、事務方とし  ても仕事が出来る」 「えっ……」   一刀の言葉を聞いて、自分が夏侯妙才こと秋蘭と比べられている事に驚き、呆気にとられたような表情に変わる白蓮。そんな表  情を見せる白蓮をじっと見詰め返しながら一刀は再び口を開く。 「そうだろ。伯珪は一軍の指揮も取れるし、白馬長史って言えば烏桓にも一目置かれてる。それに今みたいに朝廷との交渉役にもな  れる。それらをどちらも高いレベル……ああ、高い水準でこなす事が出来る。そんな伯珪がもし側に居てくれるとしたら、これほ  ど心強い事はないと思うよ」 「いや、そう言われると何だか……嬉しいけど……」   真剣な表情で面と向かって自分が言われた事の無い様な高評価を口にする一刀に対し、思わず視線を外す白蓮。 「今思えばさ、麗羽とのゴタゴタの後、ウチに着てくれれば良かったのに」   頬を赤く染めながら照れた様な満更でもない様な表情で一刀の白蓮に対する評価を聞いていたが、それに続いた一言を耳にした  白蓮は心底驚いた様な表情に変わった。 「あっ……、でっでも……華琳達とは連合の時顔を合わせた位だし、これと言って付き合いも無かったし……。それにわたしなんか  じゃ魏ではただ埋没するだけで、今以上に存在感が……」 「またそんな風に……、わたしなんかなんて言わない。伯珪は自分を過小評価し過ぎだよ。ウチは騎兵を専門に扱うのは霞しか居な  いし、支配地も大きくて人も多いから伯珪の様な軍務も事務もこなせる存在は貴重だよ」 「あっ……」 「伯珪はもっと自分に自信を持たなくちゃ。確かに何でも出来るってのは伯珪が言うみたいに揶揄される事もあるけど、ちゃんと両  立させている伯珪は凄いんだから」 「ああ……」 「だからそんな卑屈な事……、伯珪……?」   じっと自分を見詰める白蓮の大きく開かれた瞳から大粒の涙がこぼれている事に気が付く一刀。白蓮は一瞬強く目を瞑った後に  泣き笑いの表情へと変わった。そして、その表情を隠す事無く涙をポロポロと流し続けたまま口を開いた。 「ありがとう……。北郷にそう言ってもらえて……」 「伯珪……」 「北郷にそう言ってもらえて、……何だか朱里や雛里の気持ちが解った様な気がする。……本当に」   そう今は笑顔で話す白蓮を一刀はやはり可愛らしいと再確認する。そして白蓮を健気だと思う。そんな白蓮を見て一刀は無性に  彼女を抱き締めたいと思い、その感情の赴くまま行動に移した。そして抱き締められた白蓮が一瞬驚いた様な表情の後に、穏やか  な表情で自分に身体を預けてくれる事に嬉しさを感じていた。   一方の白蓮は一刀の行為を一瞬驚いたものの、それをを拒む気持ち等無く極自然に受け入れた。そして一刀に抱き締められてい  る事に安心感と心地良さを覚える。すると白蓮も極自然に自分の腕を一刀の背中へと回し、一刀を抱き返した。その行為は白蓮に  充実感と高揚感を与える。   そして暫く抱き合った後に顔を上げた白蓮がかねてからの念願の言葉を口にした。 「北郷……、わたしの事を真名で……白蓮と呼んでくれるか?」   そう不安げな顔で聞いてきた白蓮。勿論、その時一刀は否定の言葉など持ち合わせていない。 「ああ、……ありがとう白蓮」 「ううん……、嬉しい」 「オレの事も一刀でいいよ」 「うん……、一刀」   一刀の言葉を聞いた白蓮も花が咲いた様な満面の笑みを返す。そしてお互い抱き合ったまま暫く笑顔で見詰め合っていた二人。  すると、すっと白蓮が目を瞑った。それを合図と受け取った一刀は白蓮にそゆっくりと顔を近づける。   お互いの息を感じる程の距離になっても白蓮の表情が変わらない事を確認した一刀は、白蓮の唇にそっと口付けるのだった。   一刀と別れた白蓮は上機嫌で城の廊下を歩んでいる。襄陽では他の者達に遅れをとった事を嘆いていた白蓮であったが、今はそ  んな事を払拭するに十分であった。すれ違う城の者達がそんな白蓮を見て怪訝な顔を見せる事も全く意に介していない。「今のわ  たしは周りの者達にどんな顔を見せているのだろうか」と心の隅で思うものの、それは瑣末な事に思えていた。 「よし! 頑張るぞ! 何だかむやみやたらにいい気分だ!!」   そう口にした白蓮は残りの仕事を終わらす為に意気揚々と向かうのでる。   だが、途中から一刀一人に集中していた白蓮は、その一部始終をある人物に見られていた事に全く気付く事は無かったのであっ  た。   仕事を終わらせ蜀の控えの間に戻ってきた白蓮を出迎えたのは蜀の面々の様々な眼差しである。 「ああ桃香、対面の儀は終わったのか。この後の予定は……。どうかしたのか皆、何か様子が……」   この場の雰囲気を不思議に思った白蓮がそう尋ね様とした時、その言葉を遮る様に桃香が口を開いた。 「白蓮ちゃん……、ちょっとコッチ来て」 「どうしたんだ桃香?」 「いいから……、コッチ来て」   桃香の言われるままに側に行く白蓮。そして再び今の状態を尋ねようとした時、桃香が再び口を開く。 「そこに正座して」 「何でわたしが……」   そう反論しようとした白蓮に星が話し掛けた。 「白蓮殿、……いや、公孫伯珪殿。あれは抜け駆けではござらんかな……」 「えっ……? なっ……!!」   そう口にするが、表情こそ何時もの斜に構えたものながら目の笑っていない星を、そして白蓮に詰め寄る面々の顔を見た時、白  蓮は事の顛末を理解した。そして、あれを全て見られていた事にも。   白蓮は皆の気迫に押し潰される様な心持ちでその場に正座した。 「ズルイよ白蓮ちゃん……、自分だけ」 「いっいや、それは……」 「ぱっ白蓮殿、屋外でその様な事に至るとは破廉恥過ぎでは……」 「そんな……、破廉恥って」 「いやはや。普段はあれほど存在感の無い……いや元い、出過ぎた事なぞ絶対になさらない白蓮殿が……、この後に及んであれほど  大胆な行動に出るとは……。感服仕った」 「おい、いくら何でも言い過ぎだろう」 「ねぇねぇ、どんな気持ちだった? 感触は? 北郷さん優しくしてくれた?」 「その……、なんて言えば……。うん」   次々に蜀の面々が入れ代り立ち代り白蓮に思う事や質問を口にする。それに対して白蓮は照れながら、一部ははぐらかしながら  も答えていく。 「こっこう、一刀がギュって抱き締めてくれて……」 「呼び捨て?!」   一同が思わず声を揃えて発した言葉に怯む白蓮。   しかし話に答える白蓮の姿に、今までに無い自信に裏打ちされた様な余裕とも思える対応に面々は複雑な思いを覗かせるのであっ  た。   この夜に執り行われた宴で白蓮の席次が一刀から一番離れた下座に配置されたのは、皆の一致したささやかな意趣返しであった  事は否めなかった。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   魏の面々に割り振られている控えの間の直ぐ側で柱の陰に隠れる様に中の様子を伺う影が二つ。 「のう七乃。やはり行かねばならんのかの……」 「美羽さま。さっきまでの威勢はどうしちゃったんです」 「じゃがのぅ……」   柱の影から顔を覗かせているのは袁公路こと美羽と張勲こと七乃の二人。既にかなりの時間控えの間に近付いては戻り、そして  説得されてはまた近付いては戻るというのを繰り返していた。 「そうじゃ、七乃。先ずは麗羽姉さまに手紙を書いて、改めて洛陽に尋ねると言うのはどうじゃろ? うむ、名案なのじゃ」 「よっ、この三国一の美少女迷軍師。面倒な事は先送り専門の三国代表」 「うむ、もっと褒めてたもれ」 「褒めてませんて美羽さま。そんな事して袁紹さん成都まで迎えに来たらどうするんです? 逃げるにしても今度は華雄さん着いて  来てくれませんよ」 「そうなのか、七乃」 「そうですよ。華雄さん居なかったら次は二人とも絶対に行き倒れ確定ですよ」 「それは困ったのぅ、七乃」 「ですから美羽さま。今なら袁紹さんも忙しいでしょうから、直ぐにお暇出来ますよ」 「でものぅ、七乃。……これもあの部屋から出て来ない麗羽姉さまが全部悪いのじゃ!」   美羽はそう言い放つと、拗ねたような顔付きで横を向いてしまう。そんな美羽を七乃は呆けた様な顔付きで見詰めていた。内心、  「拗ねた美羽さまも可愛い」等と思ってはいるが、それを口に出す事は無い。   当初は美羽の言った通り、麗羽と偶然廊下で鉢合わせると言う体で麗羽との再会を考えていた二人であった。そうすれば短時間  で麗羽との挨拶と、成都に送られてきた仕送りの礼をすると言う最低限の義理を果たす目論見である。しかし、肝心の麗羽が控え  の間から一向に出て来ないためにその目論見は達成していない。あの麗羽が控えの間でじっとしている事など出来はしまいと考え、  控えの間の近くで待ち構えていた二人なのだが、それはあえなく空振りとなっていた。 「やっぱり今ではなく、日を改めぬか七乃。別に麗羽姉さまに会うのが……うおぅっっ!」   控えの間の方を眺めながらそう話していた美羽をいきなり抱え上げた者が居た。 「こんな所で何やってんすか? 袁術さま」   その主は文醜こと猪々子。猪々子は美羽の体を腋の下で支えながら美羽の顔を自分の顔と同じ高さにしてそう話し掛けていた。 「ええいっ! 離さぬかぶんしゅー」   美羽は手足をバタつかせながらそう訴えるも猪々子は離そうとしない。かえって美羽の反応が面白かったのか、まるで赤子をあ  やす様に美羽を上げたり下げたりしていた。 「張勲さんもどうしたんですか? こんな所で」 「ああ、顔良ちゃん……。いえ、お嬢さま袁紹さまにご機嫌伺いに行こうとしたんですけど、寸前で怖気づいちゃって」   顔良こと斗詩に話しかけられた七乃はそう答えた。七乃の答えを聞いた美羽が一層激しく手足をバタつかせながら反論する。 「七乃! 妾は怖気づいてなぞおらぬのじゃ!!」   美羽が目を回しかけながらもそう口にしたのを聞いた猪々子が上げ下げする手を止め口を開いた。 「何だ。袁術さま、こう言う時は間を置かずサッサと謝った方がお小言が少なくて済みますよ」 「別に妾は怒られに行くのではないのじゃ!」 「はいはい、やな事はサッサと終わらせちゃいましょう袁術さま」 「だから話を聞けと言うのじゃ、ぶんしゅー! 下ろさぬか!!」   そう口にしながら猪々子の腕の中で暴れる美羽を意に返す事無く、美羽を抱えたまま麗羽の居る控えの間へと向かう猪々子であっ  た。   何やら表が騒がしいと魏の面々が思い始めた頃、扉を開けて猪々子が控えの間へと入って来た。 「麗羽さま、そこでこんなもの捕獲してきました」   猪々子はそう口にすると麗羽の前に抱えていた美羽をひょいと降ろした。下ろされた美羽は、自分の意に反した展開と未だ心の  整理が付かぬまま麗羽の目の前に置かれた事で固まっている。 「まぁ、美羽さん」 「れっ麗羽姉さま、久しぶりなのじゃ……いや、なのです。麗羽姉さまも御壮健そうで何より……」   そう上目遣いでオドオドと話す美羽の側に近寄ると、話を遮る様に麗羽が美羽を優しく抱き締めた。 「麗羽姉さま……」   てっきり麗羽にお小言の一つや二つ言われると思っていた美羽は、麗羽に抱き締められ表情を変える。そして麗羽は美羽から一  度離れると、視線を美羽に合わせ優しくゆっくりとした口調で話し始めた。 「美羽さんの今までの事は孔明さんの便りで知りました。私は肝心な時に当てになりませんでしたね」 「…………」 「劉備さんに迷惑を掛けてはいませんか? 何か不自由はしていませんか?」 「皆に良くしてもらっておるのじゃ……」 「食べ物の好き嫌いを言ったり、わがままを言って蜀の皆さんを困らせたりしてはいませんか?」 「妾はもう……、もう子供ではないのじゃ……」 「寂しくはありませんか?」 「七乃や……ひっく、璃々も居るから……、寂しゅうないのじゃ……ひっく」 「何か困った事があれば遠慮なく私に言ってくるのですよ。これからは美羽さんに寂しい思いはさせませんから」 「麗羽……姉さま〜」   麗羽の問い掛けに途中から涙声になっていた美羽であったが、ついに我慢できなくなり麗羽にしがみ付き泣き出してしまう。そ  んな美羽を麗羽は再び優しく抱き締める。そして麗羽の胸の中で泣き続ける美羽の頭を優しく撫ぜながら麗羽は側に立っている七  乃に視線を向けた。 「張勲さん、あなたにも御迷惑をお掛けしましたね。今迄美羽の側に居て下さってありがとうございました。この袁本初伏してお礼  申します」   そう言って小さくも頭を下げた麗羽を見た七乃は慌てて口を開いた。 「そんな……。わたしは好きで美羽さまの側に居ただけです。ですから……」 「これからも美羽さんの事、よろしくお願いいたしますね」 「はい」   お互い笑顔を交わす麗羽と七乃。そして涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった美羽の顔を麗羽が拭いているところに、一刀が控えの  間へと入って来た。 「皆、陛下が例の件を宣言するからそろそろ玉座の間に……、麗羽その子は?」   麗羽の隣で涙と鼻水をしゃくっている見慣れぬ子に気が付いた一刀がそう尋ねる。そして麗羽は笑顔で答えた。 「一刀様、紹介いたしますわ。この者は、姓は袁、名は術、字は公路。私の妹です」 「麗羽姉さま、この人が」 「そうです。この方が天の御遣いこと北郷一刀様ですよ。さぁ、御挨拶なさい」 「初めて御目に掛かります、妾は袁公路なのじゃ……なのです。姉袁本初共々、これからも幾久しく御交誼を賜りますようよろしく  お願いするの……いや、いたします」   そう照れた様に話した美羽は一刀にはにかんだ様な笑顔を見せる。それにつられる様に美羽に笑顔を返した一刀であった。           長安行幸:邂逅 了   おまけ 「で、お兄さんが焔耶ちゃんにちょっかいを掛けたと言うのが真相のようですね〜」 「何をやっているのあの男は……」   風の報告に露骨に眉をひそめる桂花。 「いかがいたしましょう華琳さま。いくら何でも場内で得物を抜いたのは……」   続けてそう口にした桂花に華琳は呆れた様な顔付きで答える。 「どうもこうも、ただじゃれ合っていただけでしょう。放って置きなさい」   そんな華琳の言葉に桂花もこれ以上口を開く事はなかった。そしてそんな二人を見ながら風が口を開いた。 「まぁ、風の方から星ちゃんにでもそれとなく話をしておくのです。でも、お兄さんがほぼ初対面の相手にああいう事をするのは珍  しいですね〜」 「うむ。一刀の初見の相手への対応は物腰がもっと柔らかいのが普通だな。建業の一件は別としても」   風の話に同意する秋蘭。 「風が思うに、つっ掛かってきた焔耶ちゃんを見て、お兄さんに何か思うところがあったのかもしれませんね〜」   そう言った風は桂花へと視線を向けた。 「何よ……」 「いやぁ、焔耶ちゃんて昔の桂花ちゃんや春蘭ちゃんに似ていると思いまして〜」   風の言葉を聞いた華琳と秋蘭が「なるほど」と言った様な表情を見せる。 「最近は桂花ちゃんのお兄さんへの態度は昔ほど切れが無いと言うか、変に極端と言うか……」 「最近、デレ過ぎだろう桂花嬢ちゃんよぅ」 「なっ何言ってるの!」 「春蘭ちゃんも腰の辺りの充実感からくる女らしさに拍車が掛かってますし〜」 「バカ可愛いのが売りなのに、バカが取れちゃぁ意味ねぇだろうがよぅ。全くよぅ、空気読めよどいつもこいつも……」   三人と一体のニヤニヤとした視線が桂花へと注がれる。 「ちっ違います華琳さま! 風、アンタなんて事を!!」 「まっ、確かにそれについては一刀の功績よね。そんな桂花も可愛いわよ」 「かっ華琳さま〜!!」   今日も平和な長安であった。