玄朝秘史  第四部第二十八回『漢中決戦 その一』  1.進軍  荊州より西進を始めた蓬莱軍。  襄陽に入るまでは、名目上が巡幸であるということで、その進軍は文官的色彩の濃い面々――七乃と月、それに音々音――が取り仕切っていた。だが、さすがに襄陽を出て漢中に向かうとなれば、蜀漢軍の抵抗が予想される。  そのため、その指揮は本格的に将軍勢に任されることとなった。  ここで皆が怖れていたのは、名目上は大将軍という武官筆頭の地位にある麗羽がいつも通りに『華麗に進軍』などと主張することであったが、それは杞憂に終わった。  どうやら大将軍閣下は、時折兵に演説をぶつことで満足しているようであった。  結局、雪蓮、冥琳、祭の三人が、十万の兵を進ませる実務を担った。  冥琳と祭が全体の進行を担当し、なにかあれば雪蓮が陣頭に出て来る、という体制であった。 「……って色々備えてたのに、案外来ないわね」 「お前が、最初の小競り合いで相手を殲滅するからだ」  雪蓮の呟きに呆れたように答えるのは冥琳。  荊州の東部、もはや益州の蜀漢の影響力から逃れられないところまで来れば、地の利は当然蜀漢側にある。  地形を良く知り、それを利用することが前提となるものの、撤退するほどの打撃を狙うのではなく、進軍を遅らせる程度ならば、大量の兵を必要としない。  そのはずであった。  だが、雪蓮の戦闘における勘は、その道理を易々と覆した。  たとえば、川沿いに進軍する時、兵が一度に進むのに、十分な広さの道が常にあるわけではない。特定の箇所では、兵の列が薄く、長く伸びてしまうことは避けられない。  そういった時、危ないことはどの指揮官も理解していて、警戒を行う。  だが、それでも将軍が常に襲撃に直面するわけではなく、対応するのが遅れる場合も、ないではない。  当然ながら、襲うほうもそれを承知している。出来る限り食い破りやすいところを狙って損耗を大きくするのが、常道であった。  もちろん、これは狙いにもよるが、三国の武将をたかだか兵卒級の狙撃では討ち取れないと知っている朱里や雛里は、将軍勢を狙うのではなく、兵を追い散らすほうを採った。  そして、崖に隠れた蜀漢の兵たちによってそれは行われたのであるが……。  常の進軍の状況ならばいないはずの雪蓮が、いつの間にかその場に現れ、襲われて右往左往している兵たちを一瞬にして鎮めた後、隠れ潜む蜀漢軍に襲いかかり、これを皆殺しにしてしまった。  当人に言わせれば、なんとなく、あそこが危ないように思えた、というところであるが、実際には最も狙いやすいところを外して、心理の隙をついたというのにこの有様である。  派遣した兵が一人も帰ってこないという状況に、蜀漢軍は次波を送るのを即座に諦めた。散発的な攪乱戦闘は無駄だと判断したのである。この即決もまた実力のうちであった。  故に、一度の襲撃の後、蜀漢軍は姿を見せず、かえってその襲撃がないことで蓬莱軍の精神を疲弊させることに成功していた。 「もう少し甘くするべきだったかー」 「あちらの兵をずるずる引きずり出すという狙いとしては、まずかったな。だが、まあ、陛下は決戦を望んでおられる。その点で言うと、兵を損ねず進めるのはありがたいところだ」 「決戦かあ。それで決まるかしらね?」 「決まってもらわねばならない。そのための十万という寡兵、そのための帝の親征だ。ああ、いや、巡幸だが」  十万で寡兵というのを聞けば小国の人間は目を白黒させるだろうが、魏が蜀を打ち破った時に連れてきた兵は五十万を称した。  ぴったりの数ではなかろうが、それに比べれば、十万は明らかに少ない。  当時は呉の残党が蜀に参集していたわけだが、戦後の復興期を鑑みれば、その時点での蜀と現在の蜀漢の国力がそれほどに異なるとも思えない。  やはり、一刀の率いる十万はいかにも寡兵であった。 「それにしても、一刀ってば、決戦に拘りすぎてる気がするんだけどね」 「悪く言えば効率の問題。聞こえの良い言い方をするならば、いかに犠牲を減らすかを考えているのだろうな」  馬上から、兵の進むのを眺めながら、冥琳は友の疑問に答える。 「お前の戦い方と同じさ。つまりは、いかにうまく味方を殺すかだ。お前は、それを戦場でやる。華琳は、三国を征服するという戦略の場でやった。陛下はそれを見習っているわけさ」 「一度の決戦で終わるなら、複数の会戦より、死者も減るからって? まあ、それはそうかもしれないけど……」 「けど、なんだ?」  同じように馬を進めながら、小首を傾げ、語尾を濁す雪蓮に、冥琳は問いかける。 「たしかに、数だけを比べれば、そのほうが少なくて済むでしょうけど、こちらの被害だけを見れば、寡兵で挑む方がどうしても大きくなると思うわよ」 「だろうな」 「それでも?」 「それでも、だ」  ふむ、と雪蓮は呟く。 「そもそも、大陸制覇だもんね。敵も味方もないか」 「その通りだな。敗った相手は、明日の蓬莱の民だ」 「壮大な話よね」  くすくすと、雪蓮は笑う。彼女はそれから、兵たちの進む先を見つめて、真剣な表情を浮かべた。 「でも、桃香たちはともかくとして、出来るのかしらね、そんなこと」 「おや、出来ないと思っているのか?」 「一代ではね」  雪蓮の言葉に、小さく肩をすくめる冥琳。 「そうかもしれん。だが、大丈夫だろう。なにしろ、そのために華琳が退き、そのために陛下が即位したのだからな」 「そうね、子供を産むお嫁さんもいっぱいいるからね」 「そういう意味ではないのだがな」  苦笑いしながらも、冥琳はそれ以上言わない。その美しい黒髪を一度かきあげて、彼女は隣を進む朋友と共に先を見つめた。 「まあ、まずは蜀漢だ」 「そうねぇ」 「とはいえ、討つべきは漢だけだ。実際には」 「それはちょーっと違うわね」  ぴくん、と冥琳の眉が跳ね上がる。眼鏡を煌めかせて、彼女は雪蓮のほうに顔を向けた。 「そうか? 元々の蜀勢はなんといっても皇妃だぞ。それに、そもそも陛下を憎んでいるとかそういうわけでもない。自分たちの主張が通らないと決まったなら、こちらに協力することで、出来る限りの理想に近づけようと努力するのではないか? 決別して去るほどの頑固者はおるまい」 「たしかに、政の面で言えば、漢の残党を討てばそれで終わるわ。桃香たちの戦後の行動についても、その通り。でもねえ……」  言いながら、雪蓮の腕は、馬の背にくくりつけた愛用の武具に伸びる。  南海覇王を手放し、母がかつて用いた古錠刀を偃月刀仕立てにして使用するようになって、それなりの時間が過ぎた。  ようやく、馴染んできた、と彼女は感じている。 「武人は、やっぱり武人なのよ」  ぞくり、と冥琳の背を冷たいものが走る。  雪蓮の血が、滾り始めていた。  2.対峙  ねっとりとした舌が己の最も敏感な場所に絡みつき、きゅうと締め付ける感触に、思わず一刀は腰を引きそうになる。  だが、がっちりと抱きしめられた体にそんなことが許されるわけもなく、腰の奥から這いのぼってくる切迫感もあって、彼はかえってその屹立を押し込めるような動きに出た。  受け止める方は、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに紫に近い瞳に優しい色を浮かべ、より積極的に喉を蠢かす。  一刀が熱く弾ける快楽と共に白濁を吐き出したのは、そのすぐ後であった。 「ふう……」  そんな声が漏れたのは、どちらの唇からであったか。  射精の後も巧みな舌技で精液を全て吸い取られた一刀か、あるいはその汁を飲み干して体を離した女のほうか。 「ふふ、楽しませてもらいましたぞ」 「いやいや、こちらこそだよ」  そんな会話を交わしながら、女はそそくさと乱れた衣服をなおしていく。  最後に背中にはりつくようになってしまっていた銀髪を綺麗になおして、祭は立ち上がった。 「もう行くのかい?」 「お名残おしいですが、儂もなかなか忙しいものでして。……いや、これは失言。旦那様のほうがよほどお忙しいというに」 「いやー、まあ、俺は手助けがいっぱいいるからね」  そうして二人で笑い合う。  それから、再度礼をして、祭は天幕から出ていった。  一人取り残された一刀は、ふかふかの敷物の上に、ごろんと横になった。実際、仕事は山積みなのだが、さすがにいまから書類に取りかかる気にはなれない。 「みんな不安なのかね? いや、違うか。戦の前の興奮か?」  そんなことを独りごちる。  彼が考えているのは、この巡幸における妻たちとの逢瀬の頻度増大についてだ。  さすがに巡幸という建前上、昼の間は彼は姿を見せていないといけないので、夜に忍んでくる女性が増えたということであるが……。  襄陽を出てからは、さらにその回数が増えている気がする。  そのこと自体は、正直、歓迎ではあるのだが、精神面の揺らぎが、自分と膚を合わせることを求めさせているのなら、その対処も別に考えなくてはいけないのでは、と思ったりするのだ。 「でもなあ、俺もだしなあ……」  桃香たちとの決戦が、刻一刻と近づくに連れ、心の何処かで恐怖とその裏腹な高揚が生じてきているのは事実だ。まして戦の矢面に立つ武将たちであるから、その度合いは強いだろう。 「まあ……閨の回数が増えるくらい、いいよな。うん」  それに、俺を頼ってくれるなら、それも嬉しいし、と笑みを浮かべて結論づける一刀であった。 「お邪魔しますよー」  明るい声に、一刀は上体を起こす。そこにいたのは、このところめいど服ばかり着ていたちびっこ軍師、音々音であった。いまは――少々残念なことに――以前の軍師服に戻っている。 「なにをにやにやしてるですか」 「ああ、いや、なんでもないよ。うん」  先程までの思考をひきずっていた一刀はねねに恋人を迎えるような顔で対してしまっていた自分に気づく。彼女が報告に来ると約束していたのを思い出し、顔を引き締める。 「そうですか? まあ、いいでしょう。最後の斥候が戻ってきましたよ」 「ふむ」  しばしねねはいぶかしげに彼の事をねめつけていたが、一刀の態度が真面目なものになったことで、話を始めた。  なにしろ、もはや漢中の中心都市、南鄭まであと半日というところだ。無駄な時間を過ごしている余裕は無い。  彼女はずばりと大事なことから先に告げた。 「敵は二十五万というところですね」 「集めたな、桃香」 「まあ、そりゃあ……」  これくらいしか勝機がないですからね、という言葉を、ねねは呑み込んだ。  大局的に見れば、蜀漢に勝ち目はない。しかし、この機会を逃してずるずると敵対状態を続けるのは、蓬莱にしてみても歓迎すべきことではないのだ。  むしろ、桃香が本気で挑んできてくれることを感謝すべきだろう。それを打ち破れば相手を征服できる機会をくれたに等しいのだから。 「それで、兵は南鄭にいるのか? それとも出てるのかな?」 「いえ、どちらでもありません」  言いながら、ねねは立ち上がり、部屋の隅に置かれた箱をずるずるひきずってきた。その中から木の塊をいくつか取り出し、敷物の上にぽんぽんと置いていく。 「南鄭が拡張工事をしていたのを知っていますか?」 「ああ、うん」  方形に近い形を作り上げた木組みを見つめて、一刀は南鄭に立ち寄った時の記憶をたぐる。 「兵は、その拡張部分にいます。旧市街の壁もまだありますから、ちょうどいい空間だったという所でしょう」 「ふむ。民には危害を加えなくてすむってわけだな」 「ですね。まあ、こちらが兵を無視して旧市街を攻撃するなんてことをやらかしそうにないからでしょうが」  その言葉に一刀は苦笑いを浮かべる。 「感情の面を抜いても、それをやったら、うちに不利だろ?」 「後々の評判がどうしようもないほど悪くなりますね」 「まあ、やる気もないが……」  一刀はねねの並べた木組みから顔を上げ、まっすぐに彼女に問いかけた。 「最初から籠城かな?」 「いえ、出て来るでしょう。なにしろ、こちらのほうが少ないのですし」 「ふむ、それもそうか」  その後も、音々音の報告は続き、夜はさらに更けていった。  そして、その翌日。 蓬莱軍十万と、蜀漢軍二十五万は南鄭郊外にて対峙していた。  城壁にも兵を配し、万全の準備で待つ二十五万と、長期間の進軍の後にたどり着いた十万。  通常ならば、その士気には大きな差が生じるはずであったが、それほどの差はないように、桃香には思えた。  それは、開戦前の口上のため前進し、蓬莱軍の前に立った彼女が抱いた正直な思いである。  これは、なんだろう、と彼女は思う。  兵の練度か、あるいは、華琳に従って大陸中を転戦してきた魏軍がその根幹にあるためか。  そのどちらとも、彼女には判断がつきかねた。  そして、蓬莱軍の先頭に出てきた者の姿を見て、さらに彼女の心中は混沌を深める。 「……一刀さんは?」  自分よりは薄い髪をした美しい女性に、桃香は訊ねた。それに対し、薄く紅を引いた唇を、艶然と笑みの形に刻む雪蓮。 「あなたが蜀の王のままだったならば、一刀が出てくるでしょうね。けれど、いまやあなたは漢の大将軍に過ぎない。ならば私で十分だわ」 「雪蓮さん……」 「どうする? 舌戦、する?」  にっこりと、いっそ優しく見える表情で雪蓮は訊く。だが、その笑みの奥に押さえきれぬ闘争の激情が既に生じていることを、桃香はよく理解していた。 「いえ。これは……一刀さんを止める戦いですから。どんな論も、役にはたたないでしょう」  ましてや、あなたとでは、と、桃香は彼女に出来る精一杯きつい視線で告げた。  その様子にますます笑みを深くして、彼女は、うん、と頷く。 「まあ、そうね。でも、一つ訊いていいかしら?」  あくまで個人的な話だけど、と彼女は前置きした。  少しだけ考えて、桃香は頷く。 「私で答えられるなら」 「一刀を止めて、それでどうするの?」 「これまでどおりにやっていくだけです。蜀は私が、呉は蓮華さんが、魏は……一刀さんが治めたっていい。ただ、私は、漢を滅ぼした一刀さんただ一人がこの大陸を背負……いえ、この大陸を支配するなんてことを止めたいだけなんですから」 「ふうん」  思わず漏らしかけた言葉を訂正し、桃香は鋭い語調で続けた。 「わからないんですか、雪蓮さん。一刀さんは、あの人は、いま止めないと……!」  その悲痛にも思える台詞に、雪蓮は腕を組む。その後、片方の腕をあげて、ひょこひょこと指を振った。 「そうかもしれないわね。でもね、私たちは止めないの。止めたくないの。一刀が行く先を、たどり着くかどうかわからない道行きを支え続けると、そう誓ったの。あなたも一刀の妻の一人ならば、そうするべきじゃないかしら?」 「ただ盲目的に夫を信じることだけが妻の務めではありません」 「そうね。時には叱りつけることも、諭すことも必要ね」  桃香と雪蓮。二人の視線が絡み合い、真っ向からお互いの圧力を受け止め合う。 「でも、私たちはいまがその時ではないと思っている」 「私は、いましかないと思ってます」  二人の間の空気が固まったかのように、女たちは動きを止め、お互いの瞳を覗き込み合った。  そして。 「なら、しかたないわね」 「ええ、しかたありません」  二人はそう言い合い、踵を返すのだった。  3.突撃 「さて……と」  陣に戻った雪蓮を出迎えるのは、冥琳に祭。彼女が物心ついたときから戦場で共に戦ってきた、二人の人物。  彼女たちに小さく頷いてみせ、さっさと所定の場所に赴こうとした彼女の腕を、掴む者があった。 「雪蓮さん?」  黄金の鎧を纏った大将軍の呼びかけに、雪蓮はその時初めて彼女の存在に気づいたかのように、にっこりと微笑みかけた。 「あら、何の用? 麗羽。呼んでないわよ?」  その物言いにため息を吐きながら、大きく頭を振る麗羽。硬質の黄金色をした髪が、彼女の動きと一緒に大きく揺れた。 「ひどい言いぐさですわね。せっかく、わたくし自ら、この袁本初、み・ず・か・ら! 我が君のお言葉を伝えに来たというのに」 「いや、なんで伝令じゃなくてあんたなのよ?」  これは本気で不思議に思ったのか、疑わしげな視線を麗羽に向ける雪蓮。その脇で冥琳と祭が顔を見合わせて肩をすくめていた。 「それは、もちろん、わたくしが最も信頼されているからですわ! おーっほっほっほ」 「えー?」 「雪蓮、よせ。話が進まん」  そもそも、本陣に詰める麗羽が伝令として使われているということは、将軍としての能力を必要とされていないのではないかとか色々と思うところはあったのだが、冥琳の制止も尤もなものであったので、雪蓮はそれ以上彼女をからかうのをやめた。  実際に、兵には伝えられないことであった可能性もあるのだ。 「……で?」 「我が君曰く、『我が妃たちを亡国の帝より取り戻せ』とのことですわ。もちろん、この命を兵たちに知らしめることも忘れないように、と」  その言葉に、一同が一瞬固まる。 「……おやおや」 「あはははっ」 「相変わらずよな、旦那様は」  そして、弾かれたように、三人は反応した。  その顔のいずれにも、困ったような、それでいて楽しくてしかたないというような笑みが浮かんでいるのはどうしたことであろうか。 「たしかに、あんたくらいよね。そんな命令をしっかり持ってきてくれるのは」 「おわかりになればよろしいのですわ」  雪蓮の言葉を素直に受け取って、麗羽は満足げに本陣へと戻っていく。  その背を見送ることもなく、雪蓮は冥琳と祭に視線を向けた。 「さーって、一刀が許してくれたからには、早速行きましょうか!」 「おう!」 「全軍、一斉射! その後、華雄隊、呂布隊を突撃させよ!」  雪蓮の意を受けた冥琳の下命と共に、ついに、この時、漢中決戦は始まるのだった。  十万の矢が蜀漢兵に死を与えるために空を飛ぶ。  宙を進むその矢の列を追うように、否、追い越すかのように飛び出すのは、左右二千の騎兵。  合わせても蜀漢軍全軍の六十分の一にも満たないその兵力で、その一団は真っ直ぐに突進していた。  その先頭に立つのは、華雄と呂布、二人の武将。  天下無双という言葉は、この二人の前で意味を成さない。  天にも地上にもこの二人に匹敵するほどの強者は存在せず、そして、その二人の実力は今日は恋が、明日は華雄がというように、ますます強まりながら、拮抗する。  武の化身。  そう称するしかない二人であった。  その一人、華雄は金剛爆斧を高く掲げながら、獰猛な笑みをその顔に浮かべている。 『今日は、死ぬには、いい日だ』  それは、かつて彼女を裏切り、彼女が裏切った人の口癖だった。  ずっとずっと、彼女はそれを否定し続けてきた。生きるため、ただひたすらに生き残り、己の武を高めることを追求し。  けれど。  いまこそわかった。  かの人は、まさに生きようとしていたのだ。  生きて、生きて、生きて、その果てに。 「くっくく」  彼女は低く笑う。  そうだ、ここは、こんなにも喧騒に満ちていて。  ここは血の臭いに満ちていて。  ここは暴力が荒れ狂う戦場だけれど。  この背にはあなたがいる。  明日を示す、あなたがいる。  だから、きっと。 「今日は死ぬにはいい日だ!」  呵呵と笑い、彼女は声を張り上げる。 「我が旗に従う者たちよ! 貴様たちは今日死ぬ。だが、戦場(いくさば)で死なぬものは、生き残れぬ。ここが死に場ぞ。死に死にて、生をつかめ!」  疾駆する。華雄隊は走り抜ける。  死ぬときまで。  敵に死をもたらすときまで。 (玄朝秘史 第四部第二十八回『漢中決戦 その一』終 /第四部第二十九回に続く)