『還って来た種馬』 その14      長安行幸:出立     もしくは       絡み合う気持ち、本当の気持ち   ここは洛陽。間近に帝の長安への行幸が控えている為か、普段に比べて少々ざわついている感がある。当初の予定に比べてかな  り規模が大きくそして派手になったこともあり、準備が広範囲に及んでいる事もその一因と言えた。当初の予定では随員は曹孟徳  こと華琳を筆頭に、武官からは夏侯元譲こと春蘭と許仲康こと季衣そして典韋こと流琉が、文官からは荀文若こと桂花が同道する  事になっていたが、帝から随員に一刀を加える事と劉玄徳こと桃香の長安への招待を乞われた事から話が大きくなっていった。   先ずは、一刀が随員に加わると聞いて今まで行幸に余り興味を示さなかった者達までが同道すると言い出し。続いて、桃香は桃  香で長安へ招待の旨を伝えると「我国の将全員で帝を長安で御出迎えする」と早々に返事を寄こしてきた。   その返事を見た華琳をはじめとするその場に居た夏侯妙才こと秋蘭と郭奉孝こと稟三人の共通した第一印象は「大丈夫なのか?」  という極当たり前のものであった。   確かに諸葛孔明こと朱里以下皆が政を誠心誠意励んでいる事については華琳達も認める所であるが、往復の日数を加えると一月  程は桃香をはじめとする武将格の面々が成都を留守にすることとなる。後進の育成や官僚機構の構築が進んでいる魏ならまだしも、  今の蜀の現状を鑑みれば少々無謀ではないかと感じる華琳であった。   そして一刀が随員に加わると聞いて一番に動いたのは他ではなく誰であろう袁本初こと麗羽である。 「一刀様に恥を掻かせる訳等には参りません」   そう言い放った麗羽は己の元家臣達を集めて早速何やら指示を飛ばしていた。そんな麗羽の無駄に素早い行動に眼を見張るやら  呆れるやらしていた華琳達であったが、どうやら麗羽が一刀の為に甲冑を用意しているとの情報を得た華琳はそれに負けじと自分  の家臣達の甲冑や武具そして衣装などを新調していく。それらは戦用の物ではなく儀礼用に重きを置いた実用性を余り考慮に入れ  ていない物になった為に、少々……いやかなり派手な物になっていた。   かなり派手になったとは言え、李曼成こと真桜が好む様な無駄に角を生やすような物ではない。材質に強度よりも見栄えを優先  したものを使用するなどした事である。確かにこれで戦をしろと言われれば、武官の面々は一様に渋い顔をするであろう事は往々  にして想像出来た。   後日にそれらの新調の話を聞いた真桜は「何でウチに一言……」と残念がっていたと言われたが、あえて彼女に話が通らない様  に皆が細心の注意をはらっていたのは明白であった。勿論、真桜の技術者としての手腕を信用していない訳ではないが、彼女の造  型に関する嗜好については言わずもがなである。   洛陽に到着した一刀と張文遠こと霞はそれぞれの屋敷に戻る事無く、いの一番に城へと直に向かった。どうせ今回の霞との二人  旅については華琳達には報告済みであろうから、つまらない言い訳をするよりも屋敷に戻る事無く城に向かい彼女達の嫌味や愚痴  を聞いた方が賢明であると一刀は今までの経験から判断したからである。   二人の馬を城の厩舎に預け、覚悟を決め場内の玉座の間に向かう一刀と、一刀とは違う表情を見せている霞の二人。そして扉を  開け玉座の間を見渡した時、呉に向かう予定の真桜以外の者達が全員集まっている事に一刀は一瞬戦慄を覚えた。   二人が現れるのを玉座の間で待っていた魏の面々も、二人がそこに入ってきた瞬間こそきつい視線で一刀と霞を睨み付ける。だ  が、二人の身に着ている意匠の似通った旅装束を見た瞬間それぞれの視線は複雑なものへと変わっていった。   玉座の間に足を踏み入れた瞬間、圧倒されるような視線にたじろいだ一刀であったが、それは一瞬の事で今は皆の様々な視線に  困惑している。正直、一刀が想像していた事とかなり乖離していた。一刀の想像通りだったと言えるのは怒りの視線を誰憚る事無  く叩きつけてくる桂花ぐらいである。そんな桂花ですら程なくこちらに向ける視線が当初のものとは変わってきていた。   そんな居心地の悪さを感じながら一刀は華琳の前に立つとおもむろに口を開く。 「北郷一刀、ただ今帰還いたしました」   それに続いて霞も口を開く。こちらは一刀の様に困惑した素振りの欠片も見せていない。 「張文遠、ただ今帰還しました」   そう言って礼を取る一刀と霞に華琳は一呼吸置いてから言葉を返した。 「予定通りね……、霞」   華琳の声を聞いた霞は顔を上げると口端を上げ満足そうな顔を華琳に向けた。そんな霞の顔を見ながら華琳は「ふんっ」と鼻を  鳴らすと再び口を開いた。 「では一刀に霞、一休みしたら早速働いてもらうわよ」 「ああ……」 「うん。了解や」   華琳の言葉に戸惑いを隠せぬ様な一刀と、何の疑問も無さそうな霞。そんな華琳と霞の二人を怪訝な顔付きで交互に見比べてい  る一刀であったが、そんな一刀を無視して華琳は言葉を続けた。 「では皆も持ち場に戻って作業を続けなさい。人手も増えたから多少なりとも効率は良くなるでしょう。一刀と霞は風からこの後の  予定と準備について教わりなさい。それと、一刀は後ほど私の所に襄陽の報告に来るように。では解散」   そう言った華琳を筆頭に、皆もそれぞれ自分の持ち場へと引き上げ始める。玉座の間に一人ポツンと取り残された一刀はまるで  狐にでもつままれた様な顔をしていた。   暫くの間呆けた様な顔で立ち尽くしていた一刀であったが、誰も居なくなった玉座の間を退出しようとしていた一刀の元に季衣  が一人戻って来た。そして期待に満ちた様な、されどどこか不安げな顔付きで一刀に話しかける。 「あっ、あのさぁ兄ちゃん……」 「どうした?」 「今度、邑に帰る時一緒に来て欲しいんだけど……」 「ああ、予定が合いさえすれば構わないよ」 「本当に……?」 「ああ」 「やったぁ! 約束したからね!!」   そう言って季衣は満足そうな表情で駆けて行く。その姿は程なく視界から消えてしまった。 「結局、何だったんだ……?」   その満足そうな季衣の後姿を見えなくなるまで眺めていた一刀はそう一人呟くと、怪訝そうな顔のままこの後の事について話を  聞くべく程仲徳こと風の元へと向かうのであった。   雲の切れ間から顔を覗かせた月が辺りの景色をぼんやりと照らしている。そんな景色を眺めながら一刀は洛陽に帰ってきた事を  改めて実感していた。そして一刀は視線を自分の傍らへと向ける。そこには一糸纏わぬ華琳が月の淡い光に照らし出され、汗で光  る肢体を浮かび上がらせていた。 「(やっぱり、綺麗になった……)」   そんな眠っている華琳を眺めながら一刀はそう思う。 「(少しは大きくなったか……?)」   規則的に上下している華琳の胸を見ながら一刀がそう思った時、いきなり今迄眠っていたはずの華琳と眼が合った。 「今、失礼な事を考えてたでしょう」   そんな華琳の言葉に一刀はうろたえる事も無く言葉を返す。 「いや、綺麗になったなぁって再確認してた」   一刀をやり込め様と言葉を発した華琳であったが、逆に一刀にじっと見詰められながらその言葉を聞いた華琳は頬を赤らめ視線  を逸らしてしまう。以前の一刀であれば気の利いた事も言えず挙動不審な態度を見せ馬脚を現すところだが、六年という歳月は彼  を良くも悪くも成長させていた。 「(何よ……、自分だけ大人びて……)」 「何?」 「何でもないわよ……」   そう言って華琳は完全に一刀に背を向けてしまった。近頃よく見せる一刀や麗羽のこんな大人びた言動を眼にするたび、華琳は  何やらモヤモヤする様な気恥ずかしい様な複雑な気持ちになる。以前なら一刀との間にあった自分の優位な部分が今は数少なくなっ  てきた様に感じるのかもしれない。ならば素直に甘えてしまえばよいのかもしれないとも華琳は思うが、それはそれで何やら癪に  触るところもあって素直に行動に移す事を良しと出来ない華琳であった。 「どうかしたの?」   そう口にしながら華琳のうなじに汗で張り付いている後れ毛を手で梳る一刀。一刀にそうされるのがくすぐったいのか気持ち良  いのか、小刻みに頭を動かしている華琳。暫くの間、されるがままにしていた華琳がいきなり一刀の方に身体を向けると一刀の胸  の中にすっぽりと納まった。 「一人だけ先に進むんじゃないわよ……」   そう呟いた華琳を一刀は抱き締めながら口を開いた。 「オレはやっと追い付いたかなぁって思ってるんだけど」 「バカ……」   一刀が眼を開けると、隣で眠っていたはずの人物が居ない事に気が付く。既に夜が明けており、隣で眠っていたはずの華琳は身  だしなみを整え椅子に座って竹簡に眼を通していた。 「おはよう、お寝坊さん」   そう華琳は顔を上げる事無く視線だけを一刀に向けながら口を開いた。 「寝坊と言われるほど遅い時間じゃないと思うんだけど」   一刀はそう口にしながら窓の外の景色を見る。直感的にそう口にした一刀であったが、外の景色を見る限り夜が明けてからさほ  ど時は経っていない様であった。 「わたしより後に起きるのだから十分に寝坊よ。そしてわたしの寝台でわたしを差し置いて寝て居られる男はこの世であなただけ。  その事を光栄に思いなさい」   華琳はそう答えると手に持っていた竹簡を傍らに置き一刀の方へと近づいて行く。そして片膝を寝台に付きながら一刀と口付け  を交わした。華琳との口付けを終えた一刀が笑顔で口を開く。 「それは光栄の至り、オレは三国一の果報者だな」   笑顔で見詰め合っていた二人であったが、華琳は表情を変える事無く言葉を発した。 「その割りに、愛紗や蓮華に粉をかけてたみたいね……」 「あ〜……、まぁこれから蜀や呉とは公私共に長い付き合いになるんだから、仲良くするに越した事はないだろう」   笑顔を絶やす事無くそう答えた一刀であったが、その雰囲気からは今までの余裕を感じられる事はない。少々焦りながら一刀は  華琳がどの程度の深度まで事を知っているのか探りながら曖昧な言葉を返した。 「ふ〜ん、公私共に……ね。そう言えば、襄陽の後家は大層美人だそうね……」   華琳の言葉を聞いた一刀は襄陽で共に働いていた二人の顔を思い浮かべる。「あいつ等全部チクリやがったな」等と考えるが、  既に後の祭りであるであろう事から今はこの場の打開策を考えていた。が、そんな一刀を知ってか知らずか、いや見透かした様に  華琳はあっさりと話題を変えた。 「はい、これ」 「何?」   一刀は手渡された竹簡を開く。そこには幾人かの名前が列挙されている。 「あなた、細作を欲しがっていたのでしょう」   華琳の言葉を聞いた一刀は華琳の顔を一瞥した後、手元の竹簡へと視線を戻した。 「なんでそれを?」 「何処からか話を聞きつけてきたのは風よ。そして人選を行ったのは……、桂花よ」 「風と桂花が……?」 「ええ。何処から聞いて来たのかは知らないけれど風がわたしにそう話したの。それを隣で聞いていたのが桂花。あの子ったら二日  もしないうちにこの竹簡をわたしに持って来たわ」 「…………」   竹簡を眺めながら何も言葉を発しない一刀と、何かを思い出した様にコロコロと本当に可笑しそうに話を続ける華琳。 「桂花ったら、あなたが何処の馬の骨かも判らない様な者を勝手に雇い入れでもしたらたまらないって言ってね」 「そうか……」 「本当に、よくもこれだけの候補を選び出したものね。そこの書かれている者達は基本信頼していいそうよ。ちゃんと礼を言ってお  きなさい」 「ああ、そうするよ」   そう言って竹簡に書かれた名をもう一度見直す一刀。その数名の名を見た一刀は見覚えのある一人の名を見つけた。「流琉とは  相性が悪いかもな」等とも思ったが、桂花の推挙した者なのだから能力は確かであろうと気にする事を止める一刀であった。   この日、桂花は久方ぶりに自分の屋敷へと帰っていた。屋敷に帰ったと言っても別にゆっくりくつろぎたい等と思う訳ではなく、  ただ屋敷へ届けられている荀文若個人宛の書簡や付け届けの整理に戻ってきただけである。魏の重鎮であり、三軍師の一柱たる桂  花の下にはその様な物が毎日引っ切り無しに送り届けられている。書簡には目を通すものの検討する価値なしと見るや容赦なくゴ  ミ箱代わりにしている竹かごに放り込んでいく。そして賄賂まがいの付け届けに関しては、送り主が判明している場合は一切手を  つける事無く送り返し、判明していない場合は拾得物として警備隊の本部にへと送る様家人に言いつけていた。   そんな作業を一段落させ、桂花は大きく息を吐きながら天井を眺めていた。 「あのバカを華琳さまのおわす城から追い出す為に公舎を上申したのは良かったとしても、各人に屋敷を待たせたのは失敗だったか  しら……。かと言って、有象無象を城に入れる訳にも行かないし……」   確かに誰にも邪魔される事なく一人思案に没頭する時等には人の出入りの激しい城よりも自分の屋敷の方がそれに向いている事  も往々にしてあるが、城に比べ余人の到来が容易な分あの様な物が大量に送られてくる事には辟易としていた。今ではその処理に  のみ屋敷に帰る事が殆どであると言える。   そんな愚痴をこぼしながら桂花は家人から渡された面会希望者の書き綴られた竹簡を開く。その中から面会に応じる人間を選別  している時、桂花は何やら家人達がバタバタと浮き足立っている様な雰囲気に気付いた。 「全く何をやっているのよ騒々しい……」   思考を邪魔されそう思わず口にした桂花の所に家人の一人が声を掛けてきた。 「荀軍師様、失礼いたします。よろしいでしょうか?」 「何事なの?」 「お客様が御見えになって御座います」 「客?」   今迄家人の方に顔を向ける事無く対応していた桂花が一度露骨に顔を顰めながら家人の顔を見るが、直ぐに竹簡の方に顔を戻し  再び口を開いた。 「今日は誰にも会う予定はないし、会う気も無いわよ。しかもこんな時間にいきなりなんて何処の無礼者よ、追い返しなさい」   そう取り付く島も無い桂花の反応に何時もなら直ぐさま従う家人が今日ばかりは違っていた。 「御見えになっておられるのは北郷様で御座います」 「はぁっっ!?」   その答えを聞いて思わず筆を止め家人の方に顔を向けた桂花。目の合った桂花と家人は似たような顔付きであったが、  前者が「何でアイツがここに来たのか」との顔付きに対して、  後者は「何をグズグズしているのか」との顔付きであった。 「北郷様は既にお部屋に御通ししております。今は屋敷の者にお相手させておりますので、さっ御召し換えを」 「なっ、何を勝手な事をしてるのよ! わたしは会わないわよ!!」   そう答えた桂花に家人はぐいっと顔を寄せた。何時もと違う家人の放つ迫力に流石の桂花も後ずさる。 「荀軍師様! いえ、今はあえてこう呼ばせて頂きます。お嬢様!」 「なっ何よ」 「私、御母堂様からきつく仰せ付けられております」 「なっ……」 「あの子と御遣い様とのご縁を絶対に絶やす事なかれ……と」 「ちょっと……!」   この妙齢な家人は桂花の男嫌いを心配した桂花の生家から送り込まれた者であった。彼女は桂花の幼少の頃から生家である荀家  で側仕えをしており、普段は決して出過ぎた様なまねはしないが桂花が頭の上がらない数少ない一人でもある。 「お嬢様が殿方と結び付きをもたれた。しかもそのお相手が御遣い様だとお聞きになった御母堂様は大変お喜びになって……」 「なっ……!!」 「ささっ、お早く御召し換えを。この様な野暮ったい御召し物のままでは御遣い様を呆れさせてしまいます。その様な不手際では御母  堂様に申し開きできませぬ。さぁ皆入って頂戴」   その掛け声と共に、部屋の外で控えていた他の家人達がゾロゾロと入ってくる。彼女達は着替え用の衣やら下着、そして化粧道  具をそれぞれ手に持ちながら桂花を取り囲んでいく。 「あっ、あんた達……」 「さぁお嬢様。御観念下さいませ。皆始めて」   彼女の言葉に呼応して家人達は包囲の輪を狭めていく。そして彼女達に囲まれその輪の中で見えなくなった桂花が声にならない  叫び声を挙げていた。   一方の一刀は今の自分の置かれている状態を正直余り上手く把握出来ていなかった。桂花が吟味し紹介してくれた細作の礼を言  おうと彼女の屋敷を訪れたのだが、何故こんな屋敷をあげての歓待を受けているのか理解出来ていない。他の魏の同僚達の屋敷を  訪問した時等は確かに快く迎え入れてはくれたが、明らかに今の状態は度が過ぎていると言える。   当初は桂花に礼を伝えようとして彼女の執務室に向かったのだが、生憎そこに彼女は不在であった。話を聞けば桂花は今日は非  番で屋敷に帰っていると告げられる。特に予定の無かった一刀は「ならば桂花の屋敷まで礼を言いに行くか」と単純に考えた。  途中、于文則こと沙和お勧めの甘味処で手土産の菓子を買い求め桂花の屋敷にへと向う。桂花の屋敷の場所自体は把握していたの  で迷う事無く到着する事が出来た。そして、洛陽の大火を免れた旧権力者が以前住んでいた屋敷(以前の持ち主も女性であったと  言われている)と聞き及ぶ旧来然とした威厳のある構えに目を奪われながら門を潜ろうとした時それは始まった。   一刀が門番に取次ぎを頼もうとしたところ、一刀の姿を見た門番の一人が屋敷へと駆け込む。門番の慌てぶりを不思議に思いな  がら残った門番に取次ぎを頼むと「どうぞ、さぁどうぞ御遣い様」と屋敷内へと有無を言わさず導かれ、そして屋敷の入り口で妙  齢な女性の家人に出迎えられた。 「よく御出で下さいました北郷様」   そう深々とお辞儀をされかえって一刀の方が恐縮する。そして一刀もそんな家人に対して返礼をし口を開いた。 「いえ、この様な突然の訪問、御無礼をお許し下さい。御当主様は御在宅ですか」 「はい、直ぐに伝えて参りますので北郷様はどうぞこちらでお待ち下さい」   そう言って屋敷の奥へと招き入れ様とする妙齢の家人に一刀が答える。 「いえ、直ぐにお暇いたしますのでここで……」 「何をおっしゃられます。北郷様を軒先で追い返した等と世間にでも知れたら荀家の名折れ。さぁ、こちらに」   一刀の言葉を遮る様にそう答えた妙齢の家人の迫力と押しの強さに降参した一刀は、彼女の言われるままに屋敷の奥へと向かっ  て行く。そして通された客間で下にも置かぬ接待を受けていた。 「あ〜、どう解釈すればいいんだ?」   今の状態を考えていて思わず口に出した一刀。同僚の屋敷を訪れて歓待してもらえるのは確かに嬉しい事ではある。だが、今の  状態は少々行き過ぎているとも思う。華琳や秋蘭ならまだしも、「何で自分をここまで……」と言う疑問が頭の中を渦巻いていた。  そんな一刀にはお構い無しに接待は続いていく。「食事は済ませた」と一刀に言われると、「ではお酒を」「珍しい果物が手に入  りましたので」等と家人達の攻勢が続いた。   そんな一刀達の元に一人の家人が近付いて来てその場を仕切っていた家人の耳元で何やら囁く。それを聞いた家人が周りの家人  達に目配せをすると、その場に居た家人達が数名を残し一礼の下部屋を後にする。今度は一人取り残された様な状態の一刀が辺り  を見回していると、厳かに扉が開きそこには初めに一刀との対応をした妙齢の家人が現れた。 「長らくお待たせをいたしました」   それだけを口にし、妙齢の家人は横に控える。そして身を翻した彼女の後ろから現れた人物を見て一刀は思わず声を上げた。 「桂花……」   そこには雅な宮廷服に身を包んだ桂花が立っていた。 「…………」   一瞬だけ桂花の表情がはにかんだ様に見えたが、直ぐにぶっきらぼうな表情で視線を一刀から逸らす。そして無言のまま一刀の  対面の位置に置かれた椅子へと腰掛けた。一刀の隣に置かれた椅子ではなく対面の椅子に腰掛けた事に妙齢の家人は思わず小さな  溜息を漏らすが、それが桂花にとってささやかな抵抗なのかただ照れ隠しなだけなのかは彼女にその心の襞を知る良しはない。桂  花が腰を下ろしたのを確認すると妙齢の家人は唯一残っていた家人達と共に礼をとった後に退室して行った。   桂花が椅子に腰掛けてからずっと穏やかな笑顔で自分を見詰めている一刀に桂花が口を開く。 「な、何か言いなさいよ」 「綺麗だよ、桂花」   一刀の言葉を聞いた桂花は何も言い返す事無く俯いてしまう。そして一刀は答えが予想出来る質問をあえて口にした。 「オレの為にそれを?」 「別にアンタなんかの為じゃないわよ。屋敷の者に無理やり着せられただけよ……」   言葉だけを聞けば明白な否定であるが、その表情や仕草からはその言葉が文字通りではない事は流石の一刀でも読み取れる。何  時もの様に相手の目を見ながらはっきりと話すのではなく、かといって華琳と話す時の様な恍惚とした様な話しぶりでもない。   桂花のこの様な話し方を目にする事が出来るのは大陸広しと言えど一刀ただ一人であろう。似た様な反応は蜀の璃々相手に見せ  る事はあるが、見せる相手が違えばその表情や仕草の意味は自ずから違ったものになる。   そんな桂花を一刀は相変わらず穏やかな表情で見詰めている。ぶっきらぼうな仕草ながら無言で一応酌をしていたしていた桂花  であったが、酌をしながらある事を思い出していた。 「たまには一刀に面と向かって言っておあげなさい。あいつも喜ぶわよ」   以前華琳から言われた言葉である。確かに今の北郷の仕事ぶりは賞賛に値するものではあるが、桂花の中では素直に口にする事  が出来ないでいた。急速な開発は地元民と軋轢を生む事は珍しくないと言うのに、その様な報告は実際極僅かである。これが北郷  ではなく別の人間であればその手腕を大いに認め顕彰してるているであろうが、何故か北郷にだけは素直に言えない。別に北郷の  手腕に嫉妬していると言う訳でもなく、何かが癪に障ると言うのが近いのかもしれない。それは北郷が天の知識を持っている等と  言う事ではなく、「いい付き合いなんだからそのぐらい察しなさいよ」と言う桂花流の少々理不尽な理由であった。   そんな桂花の心根を一刀は知ってか知らずか、あいも変わらず柔らかな笑顔で桂花を見詰めている。そんな今の雰囲気に耐えら  れなくなったのか居心地が悪かったのか、もしくは何かを期待したのか桂花が口を開いた。 「で、何しに来たのよ」 「うん、細作の事でお礼を言おうと思って」   一刀の言葉を聞いた桂花は小さく溜息を吐くと口を開いた。表情の端に極僅かだが落胆の色が伺える。 「何だ……。別にいいわよ、そんな事。アンタが何処の馬の骨かも判らないのを引き入れでもしたら華琳さまの名に瑕が付くからわ  たしがやったまでの事よ。アンタが寝首をかかれ様が情報の漏えいで首を刎ねられ様がこのわたしが知った事じゃないけど、華琳  さまやこの国に害が及ばない為よ」   そう口にした桂花に一刀は言葉を返す。 「ありがとう桂花」   桂花の可愛いらしい悪態に対して一刀はそう答えた。そんな一刀の答えにばつの悪そうな顔を見せる桂花に一刀は続けて口を開  く。 「ああ、それとオレも気が付いた事があってさ」   一刀は口端を上げながら少々意地悪な顔つきでそう言いながら今座っている椅子から立ち上がり、桂花の隣に座り直した。 「何よ……」   突然の一刀の動作に、桂花はたじろぎながら言葉を返す。しかし、一刀はそんな桂花に構う事無く、彼女の顔に自分の顔を近づ  けながら話を続けた。 「桂花は心に思う事と反する言葉を口にする時は、視線に一定の法則がある」 「なっ、! そんな事が……!!」 「うそ」 「ちょっと! あんたねぇ……」   真っ赤な顔で一刀に言い返そうとした桂花を一刀はそのまま抱き締めた。 「せっかくの宮廷服がそんな事じゃぁ台無しだろう。おしとやかにしないと」 「……帯が、……苦しいのよ」   一刀に抱き締められたままの桂花であったが、嫌がる素振りも見せずポツリとそう答えた。 「じゃぁ、楽になれる所に行こうか」   そう言って一刀はそのまま桂花を抱き上げ扉に向かう。そして扉の前まで近付いたところで音も無く扉が開いた。 「お部屋の御用意が出来ております。どうぞ御案内いたします」   そう畏まった姿勢で先程の妙齢な家人が口にした。一刀は何も言わず頷くと妙齢な家人の案内に従って行く。その道中に多少の  抵抗は覚悟していた一刀であったが、大人しく抱かれているの桂花。桂花はずっと一刀の服を握り、顔を赤らめたまま身体を預け  ていた。   そして妙齢な家人が導いたのは屋敷からは独立した離れの様な建物であった。そこは以前の持ち主が賓客用に誂えた部屋で、中  庭に面しておりその庭には篝火が炊かれ辺りを照らしている。その部屋に置かれている調度品の一つ一つはかなり上等な設えになっ  ていて、正に貴賓室と呼ぶに相応しいものであった。しかも部屋の造り自体は開放的であるが、塀や植木の配置により外部からは  遮断されている。 「人払いは済ませております。では御ゆるりと御過ごし下さいませ」   妙齢な家人はそれだけを口にして部屋を後にした。そして一刀は妙齢な家人の気配が遠のくのを確認して(万が一を考えて勿論  二人の警備の為の人間は控えているであろうが、そんな者達の気配を二人が感じる事はない)桂花を抱いたまま庭側に置かれた椅  子に腰を下ろす。腰を下ろすと、一刀は桂花を自分と対面する様に向きを変え、一度まじまじと彼女を目にした後に自分に引き寄  せるとおもむろに唇を重ねるのであった。   桂花は一刀の方に上半身の向きを変えられじっと見詰められている。視線を合わせられずに居ると力強く一刀の方へと引き寄せ  られた。その時「あっ」と小さく声を漏らした桂花であったが、そのまま一刀に唇を重ねられる。   一連の一刀との行為に桂花は不思議と嫌悪感等を感じていなかった。素直に一刀との行為を受け入れた自分を逆に冷静に観察し  ている。そしてこれから起こるであろう行為を期待している自分が可笑しかった。   その時、桂花は思う。 「何時からこの男との行為を嫌悪感無しに受け入れ始めたのだろうか」と。 「何時からこの男との行為を望んでいたのだろうか」と。   初めは華琳以外にこの己の身体を許すなど毛頭考えもしなかった。この男との行為等は華琳に命令されなければ絶対に及ぶ事は  なかっただろうと確信していた。   初めてこの男と出会った時、何て失礼な男であろうと思った。何て気の利かない男だろうと思った。何でこんな男が華琳さまの  傍近くに居るのか理解出来なかった。   だが、男等というものは俗物で痴れ者で救い難い生き物だと思っていた自分がこの男を受け入れた。例え華琳の命令であったと  しても……。   もし本当に心から自分がこの男を毛嫌いしていれば華琳は無理強いはしなかっただろう。あの時も自分は口ではこの男との行為  を否定し、華琳に命令の撤回を懇願していた。だが、華琳は命令を翻す事はなかった。今思えば、自分の心の奥底にあるものを華  琳には見透かされていたのかもしれない。   そしてこの男に抱かれた。その後も何度も抱かれた。当初はこの男との行為を華琳に見られている事に自分は興奮を感じている  のだと思っていた。決してこの男との行為自体を望んだりはしてはいないと言い聞かせていた。   だが、自分に対して決して無理強いをしてこないこの男が次々と女を増やす度に得も言われぬ怒りを覚えるようになった。今思  えば自分が怒りを感じていたのはこの男になのか、周りの女達になのか、それとも自分に対してなのかはっきりとしない。   そしてこの男が消えてしまった時の消失感。   そしてあの小さな訪問者を抱いた時の安堵感。   そしてこの男が戻ってきた時の高揚感。   あの時からのこの男との関係は続いており、これから将来も続くのだろうと何の抵抗もなく思う。 「何処で道を間違えたのだろうか……」   だが、今はそれも悪くないかもしれないと思う桂花であった。   口付けを交わしながら桂花は不思議と随分楽になったと感じていた。そして口付けを終え目を開いた瞬間、自分の着ていた宮廷  服が滑る様に床に落ちる。 「なっ……!」   思わず声を出そうとした時は既に後の祭りで、今桂花は一糸纏わぬ姿で一刀の膝の上に座っていた。 「あっアンタは何でこんな事だけ……あっ」   桂花の可愛い小言など気に留める事無く一刀は桂花の身体に愛撫を始める。繊細に、そして大胆に。桂花の感じやすいところを  的確に刺激していた。小さな快楽の波が何度も押し寄せ、桂花が達しかけたところで一刀は刺激する場所を変えていく。じらされ、  はぐらかされ、未だ達する事は出来ない。だが快感だけは連続して与えられ続けていた。それらは全て一刀の膝の上で行われてい  て安定感もない。しかも今は一刀を背にし一刀の膝を跨ぐ様にされていて膝を閉じる事も出来ず、既に数時その様な状態を続けら  れていた。   初めこそは桂花も屈しまいとして気を張っていたが、今はそんな思いも忘れ去り一刀の与える快楽に溺れている。しかも達する  手前で一刀が手管を変える為、達する事も出来ない。思考は乱れ、抑えていた声も今は抑える事も出来ず嬌声を上げ続けていた。  途中からは部屋に置いてある姿見の正面に陣取られ、乱れる自分の姿を見せ付けられたりもしている。そして何度目かの達しかけ  たところで一刀は愛撫の手を止めた。   荒い息を整えながら桂花は一刀に懇願する。 「お願い……、いかせて。おかしくなる……」   だが、姿見に映った一刀の顔を見た瞬間、桂花はある事を唐突に理解した。 「だめ」   そう答えながら一刀は桂花の身に着けていた宮廷服の帯を手にしている。その一方で一刀は桂花を後ろ手に縛り上げ、次に反対  の方で目を隠し彼女の視界を奪おうとしていた。 「(この男はわたしを狂わす心算だ)」   そう桂花が心で思った時、一刀の持つ帯が桂花の眼前に迫ってきた。それが視界を塞ぐ瞬間この後も続くであろう甘美な拷問に  絶望する。しかし桂花は姿見に映る後ろ手に縛られた女が確かに淫猥な微笑を浮かべるのを目にしていた。   場所を寝台に移されその行為は始まった。達したくとも達せないと言う生殺しの様な状態に抵抗を多少なりとも見せていた桂花  であったが、今はただ無防備な姿をさらしたままであった。目隠しの為に表情こそ見る事は出来ないが、息も荒く嬌声を上げ続け  るその口からはだらしなく唾液を流し、達したいとの気持ちからか自ら敏感な部分を一刀に差し出している。だが、一刀は桂花の  望む行為を状態を与え様とはしなかった。 「おっ……おね……が……い……、お願いします……いかせて……下……さい」   呂律の回らなくなっている桂花が何とか声を出しそう懇願するも、一刀は答えない。 「おか……しく……な……る……。苦しいん……です、切ないんです……、はや……く……。なっ……何……でも……します……か  ……ら」   桂花の言葉を聞いた一刀が彼女の耳元で呟いた。 「こう言う時はなんて言うんだっけ」   一刀の言葉を聞いた桂花は目隠しの為に奪われた視覚の闇の中で白く火花が弾ける様な感覚に襲われた。靄がかかっていた様な  思考が一気に覚醒する。そしてこの後に行われるであろう行為を想像すると、歓喜と興奮で桂花は自分の体が震えている事を自覚  した。 「ごっ……ご主人様、桂花に……この淫乱な雌犬にお情けを下さいませ」 「よく言えました」   一刀がそう口にした瞬間、一刀の一物が桂花の身体を貫く。その内臓を押し上げられる様な感覚に桂花は一気に達してしまう。 「くっ……、うあぁぁぁぁ……!!」   ずっと欲しかったものが与えられ、桂花は獣じみた嬌声を上げる。そして一刀に突き上げられ、敏感な部分をこすられる度に感  情を爆発させた。すると桂花は普段心の奥底に仕舞い込んでいる言葉を感情を、誰憚る事無く口にする。 「桂花はご主人様の忠実な雌犬です! ご主人様に忠誠を誓います! 桂花の身体を御自由にお使い下さい。ですから、もっとお情  けを! お情けを下さいませ!!」   桂花はいつの間にか自由になっていた両の手で一刀にしがみ付きながらそう口にする。桂花は何度も達し何度も放たれ既に目の  焦点すらも合わないで居るが、一刀から与えられる快感を漏らす事無く何時までも受け止め続けるのであった。   事が終わり、心地よい疲労感と多大な満足感に包まれ一刀に肩を抱かれながら桂花は一刀の胸に寄り添っていた。自分の頭を撫  ぜている一刀の手が心地よいのかなされるがままにしている。だが、その心地よい間が桂花にとって平常心を取り戻す事になった  のか、桂花はふと心に思った事を口にした。 「アンタにちょっと聞きたい事があるんだけど」   一刀は桂花の口調が普段通りになった事に少し落胆するものの、彼女の醸し出している雰囲気自体は変わっていない事に気付く。  そんな桂花の頭を撫で続けながら一刀は言葉を返した。 「いいよ。何?」   一刀の言葉を聞いた桂花はゆっくりと頭を跨げ一刀の顔を見ながら口を開いた。 「アンタ……、もしかして華琳さまにもこんな事させてないでしょうね……?」   桂花の言葉を聞いた一刀は一瞬考え込んだ。だが、一刀のそんな一瞬の仕草の変化を見逃す桂花ではない。 「あっアンタねぇぇぇ……」 「いや、決して無理強いはしてないぞ。それは天地神明に誓って断言する。大体が華琳から強請ってくるな」 「うっ嘘よ……、でも……、いえ、コイツが……」   口では否定する桂花であるが、何か思い当たるところもあるのか歯切れが悪い。何か考え込むように視線を逸らした桂花に一刀  は追い討ちをかける。 「そんなに気になるんなら、華琳のお気に入りを……」   一刀はそう言うと、桂花の身体に再び指を這わせる。その指が桂花の下半身に伸びた時、桂花は小さく悲鳴をあげ一刀の顔を見  上げた。 「アンタ! 何てところを!! まさか、華琳さまの……」   そう口にした桂花は一刀の表情を見て彼女自身も表情を変えた。桂花の表情はこれから行われる事に驚愕している様であったが、  その瞳の奥には別の何かを期待する明かりが灯っている様にも見える。見せる表情や口に出す言葉に反して大した抵抗を見せる事  もなく再び一刀に身を任せ受け入れる桂花であった。   結局、桂花の嬌声は明け方近くまで途絶える事はなかった。夜も明けてそして昼も過ぎた頃、二人揃って出仕した一刀と桂花に  同僚達の生暖かい抗議と嫉妬が交じり合った視線が送られたのは言うまでもない。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   一刀達が長安行幸の準備で忙しくしている(?)頃、真桜は部下を引き連れ呉王孫伯符こと雪蓮の待つ建業へ炉の整備と新造の  為に赴いていた。   普段なら襄陽から建業まで陸路で十日ほどであったが、今回は一刀の齎した天の知識と技術を利用した新造船の試験航海を兼ね  ていたこともあり水路で十五日ほどかかっている。普通ならば水路の方が陸路に比べて早く到着できるのだが、今回は事情が違っ  ていた。別に不具合が有ったと言うのではない。本来の到着地である建業は三日ほどで通過し、長江の河口部から沿岸部にまで足  を伸ばしていた為に何時以上の日数がかかっていたのである。試験航海は大した問題も無く、上々の手応えを真桜は感じて上機嫌  で建業の港に接岸しようとしていた。   真桜が接岸の指示を出しているところに声を掛けるものが居た。呉の国主たる雪蓮であった。 「真桜! お疲れ様。新しい船はどうだったの?」 「あっ、雪蓮はん」   雪蓮に気が付いた真桜が彼女の元へと近付き口を開いた。 「国主自らお出迎えとは李曼成痛み入りますわ。試験航海自体は上々です。もう幾つか試験をしたら、次は大型化ですわ……」   真桜はそう言うと自らが乗って来た船をしみじみと眺めていた。そんな真桜に雪蓮は話を続ける。 「いきなり『李』の旗を立てた舟が建業を素通りした時は驚いたわよ。それと、聞いたわよ……」 「何をです?」 「この船、櫂も使わず風上に進めるんですって?」 「よう見てはるなぁ……、流石呉や思いますわ。まぁ、まともに風上には無理ですけど」 「秘密にしときたいのならせめて北海の辺りでやりなさいよ。まぁ、それでも洩れるものは漏れるけど……」   そう言って二人は顔を見合わせ笑い合う。勿論、お互い決して善人の笑顔では無い。 「思春が物凄い勢いで下って行くこの船を見て報せを寄こしたのよ。で、本人もこちらに来るって言って寄こしたけど、いざ到着し  てみれば未だここに真桜が着てないって肩透かしを食らってね……。あの時の思春の顔は傑作だったわ」 「なるほど……、ほんで皆ここに勢揃いって事ですか」   新造船を口々に感想を漏らしながら眺めている呉の面々に視線を向け真桜はニヤリと口端を歪める。 「ほな、新造船特別講座といきますか」 「ねぇ、それって長くなる?」 「夕ご飯までには終わるんちゃいますやろか」 「未だ昼前なんだけど……」   げんなりとした顔で真桜の後に続く雪蓮であった。   夕食も終わり、最近の洛陽や建業の近況や噂話で皆が盛り上がっているところで、真桜が思い出した様に話を切り出した。 「そう言うたらん雪蓮はん。袁術見付かったらしいですやん」   真桜の話を聞いて、雪蓮は手にしていた杯を一度止めると余り興味なさげな素振りで口を開いた。 「ああ、桔梗が江州で拾ったってやつでしょ……」 「興味なし?」 「ん〜……、昔の事だしね。あの頃の私達への扱いも筋書きを書いてたのはあの子の後ろに居た爺ぃ共だろうし……。あの子はそれ  に乗せられて調子に乗ってただけだろうから……。爺ぃ共の首は刎ねちゃったから、今となってはもうどうでもいいってのが本音  かしら。それにあの子達のあの時の姿を見たら何だかどうでもよくなったし。まっ、未だコッチにちょっかい出そうって言うのな  ら今度は容赦しないけど」   微笑みながら最後の言葉を口にした時の雪蓮の目を見た真桜は思わず目を逸らせてしまう。笑顔でさらっとそう言う事を口にす  るところなどは華琳とよく似ていると思う真桜。良くも悪くも、一国の長になる人間はこう言う非情さが必要なのだろうとしみじ  みと感じていた。 「まぁ、何やフラフラやったみたらしいですから……」   真桜の言葉を聞いて、雪蓮は杯に残っていた酒を一気に煽ると再び口を開いた。 「あの子達の一連の動向はこっちでも把握してたし……。あの子達が蜀なり魏なりで大人しくしてるって言うならこちらからは手を  出す事はないわよ」   雪蓮の言葉を聞いた真桜が顔を上げると、周公謹こと冥琳と目が合った。真桜と目が合った冥琳は軽く頷く。その仕草を見た真  桜は呉の上層部では雪蓮の言うとおりに意見が纏まっているのであろうと考える。そしてここから先は自分の範疇外やし等と考え  ていると、雪蓮が真桜の顔を覗き込む様にしながら口を開いた。 「で、真桜。天の御遣いこと北郷一刀の事詳しく聞かせなさいよ」 「へっ? 隊長のこと?」 「そうそう! シャオも聞きたい!」 「そうよ。何だかちょっと前までは聞きずらかったけど、戻って来たんだからもう大丈夫でしょ。戻ってきた御遣い殿の事は祭や蓮  華から聞きはしたけれど、イマイチ要領が掴めなくってさ。やっぱり普段の御遣い殿を良く知る身近な真桜に聞くのが一番でしょ」   雪蓮の切り出した話題に周りの者も興味が有るのか真桜と雪蓮に注目している。話を振られた真桜も直後はきょとんとした顔を  見せていたものの、雪蓮の言わんとした事を理解したのかおもむろに話し始めた。 「隊長は、基本的にはええ人ですよ、助平ぇですけど。魏では古参で重鎮な訳ですけど偉ぶるなんて事はないし、黙ってたら男前や  し、助平ぇですけど。隊長と話した事のある穏はんや蓮華はんなら判る思いますけど、頭の回転も速い方や思いますし、助平ぇで  すけど」 「何よそれ……」 「何を言っているの真桜?」   不思議そうな顔で小首を傾げている雪蓮と、少し不機嫌そうな顔でそう話す孫仲謀こと蓮華。 「まぁ、ええ男って事ですわ」 「ふんっ、もしかして惚気てるの?」   持っていた杯をひらひらとさせながら呆れ顔でそう答えた雪蓮。 「けど隊長、蓮華はん達が襄陽に居った時はネコかぶってたからなぁ」 「それは穏も感じましたぁ。どこか一歩引いてるって言うかぁ、一線を引いていると言うかぁ」 「そうなのですか? あれで……」   陸伯言こと穏の言葉に甘興覇こと思春が疑問を返す。二人の話を聞きながら真桜は一つ溜息を漏らすと再び口を開いた。 「ああ、やっぱり穏はんは感じましたか……。何や隊長ウチ等に気ぃ使うとるんかも知りませんわ。無意識かもしれませんけど……。  それと、人当たりと言うか、人たらしの腕は朝廷のお人等とも平気で渡り合うとるから相当腕上げとるみたいです。それは華琳さ  まも言うてはったし」 「なるほどねぇ……。で、要するに頭は悪くないって事ね」 「まぁ、こちらの世界での理については穏達の方が分がありますけど、一刀さんには天の知識がありますからぁ。穏達とは違う体系  でお勉強したんでしょうねぇ」 「まぁ、こちらの理についてはこれからいくらでも詰め込めるからな。それと祭さまから聞いたのだが、御遣い殿がわたしや雪蓮と  同い年位とはどういう事だ? わたしが思うに、確か御遣い殿は蓮華さまと同い年位だと認識していたのだが」   穏に続いて冥琳が口を開いた。冥琳の言葉を聞いた真桜は「ああっ」と合点がいったような表情をしてから口を開く。 「隊長がこちらから消えてたんは三年程でしたけど、天の世界では六年たっとったらしんですわ」   真桜の言葉に驚きの顔を隠さない呉の面々。 「天とこちらでは時の進み方が違うのでしょうか?」   真桜の話を聞いた呂子明こと亞莎が不思議そうにそう呟いた。その呟きに真桜が答える。 「でも、隊長がこちらから戻った時は、隊長が向こうで居らんようになってから半日程しか経ってなかったて言うてましたけど。詳  しい事は隊長もよう判らんって言ってはりましたわ。まぁ、せやから隊長はうち等より三つ余計に年取ってるって事ですわ」   真桜の答えに「ほう」と納得した様な表情を見せる冥琳。そして続けて真桜が口を開いた。 「あっ、せやせや。前に隊長から呉に大喬と小喬って居る?って聞かれた事あるんですけど、そんなお人居りますの?」   真桜の質問に皆は不思議そうな表情を返す。皆暫く考えていたが冥琳が口を開いた。 「そう言えば、喬家には娘が居たな……。そうだな穏」 「ああ、言われてみればそうですぅ。確か双子の女の子だったと思いますぅ。でも何で一刀さんはそんな事知ってるのでしょうかぁ?  未だ産まれてから二月も経っていないと思いますが……」 「流石一刀様、素晴らしい情報収集能力です」   周幼平こと明命の手放しに賞賛する姿を雪蓮は呆れた様な顔付きで眺めながら口を開く。 「いくら『三国一の種馬』って言われてても、生まれて二月程の赤ちゃんまでって……それは流石に引くわね。それと真桜、後……」   呉の面々はその後も一刀に対して疑問に思っていた事等を口々に質問していく。それは天の世界の事から一刀への個人的な疑問、  そして数々の噂話の真相にまで多岐に渡っていた。今ここに女性しか居ない気安さからかそれとも一刀の自慢話に近い事もあって  か、真桜も自分が知る限り正直に(少々悪乗りも含まれている)答えていた。   「女三人寄れば姦しい」とのごとく、それ以上の人数が集まっている乙女達の語らいは夜が更けるのも忘れて続くのであった。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   帝の長安行幸の準備は着々と整然と進んでいた。途中参加の一刀は基本雑用係と言う位置であったが、交渉役としては最適であっ  た為に朝廷や街の顔役を相手にそれなりに多忙を極めている。本来の一刀の役職でもある洛陽警備もあるので、走り回っている一  刀を魏の面々が目にするのもしばしばであった。だが、一刀が洛陽に居るという事は彼女達の精神的な安定に寄与しているのか、  彼女達の精神状態が上々に保たれていたのは僥倖と言える。『魏の種馬』の二つ名は伊達ではない。   帝の長安行幸を三日後に控えた朝、一刀は窓から差し込む朝日と顔を撫でる風を感じて目を覚ませた。 「んっ……。やぁ、おはよう斗詩」   一刀は窓を開け空気の入れ替えをしようとしている顔良こと斗詩にそう声を掛けた。何も身に着ける事無く窓辺に立っていた斗  詩が笑顔で一刀に答える。 「おはようございます、一刀さん。まだ朝も早いので、もう少しゆっくりしていられますよ」   斗詩はそう答えると、元居た一刀の右手側へと滑り込む。そして、一刀の右腕を抱きかかえるとおもむろに自分の胸を押し付け  た。 「まだ二人とも眠ってますから今はわたしが一刀さんを独占です」   そう少し照れた様な面持ちの笑顔で話す斗詩に一刀も笑顔を返す。そして一刀は同じ様に自分の左手を抱える様にして眠ってい  る麗羽と、何故か一刀の足元で一人丸くなって眠っている文醜こと猪々子に目を向ける。一刀はこの三人との昨夜の睦言を思い浮  かべながら、この三人の事を考えていた。   麗羽との最初の出会いはある意味最悪に近い。連合の折、初めて見た麗羽の印象は美人だが残念な我侭お嬢様、斗詩と猪々子に  ついては御付の従者程度であった。確かに、袁家の二枚看板文醜と顔良と言えば武に秀でている事は一刀も承知していたが、その  時は我侭お姫様の扱いに手を焼いている家臣位にしか見えなかったからである。官渡以降関わりが皆無であった為と一刀自体に彼  女達に構う余裕が無かった為に尚更その印象は変わる事はなかった。   だが、再び一刀がこちらに戻ってきた時に出会った彼女達からは大きく違った印象を与えられた。周囲への細かい気遣いの出来  る斗詩、正に竹を割ったようなサッパリとした性格の猪々子、そして気を許した者相手には無制限に甘えてくる麗羽。一刀の前で  はあの頃の様な虚勢を張らなくてもよいと言う今の立ち位置も関係しているのかもしれないが、ある意味素の彼女達を見る事の出  来る今はより深く彼女達の事を理解する事が出来る。   そして、睦言にも彼女達の差が見受けられた。   猪々子は一刀から与えられる快楽を素直に受け入れるが、求める配分を考えない。ある意味暴走気味とも言え、一刀が達するま  でに猪々子が幾度も達してしまい、その時には既に猪々子がへばってしまう始末である。いざ快楽の波に飲み込まれ始めると歯止  めが利かなくなる様だ。その事は本人も気が付いており気にはしているのだが、一刀はそんな猪々子が可愛く見え彼女が感じるま  ま求めるままに与えてしてしまうのであった。   一方の麗羽は、睦言自体に興味が無い訳ではないが、一刀に甘える事を望む。今回の様に三人一緒の場合は遅れをとるまいとす  るが、一刀と二人きりの時はベタベタと甘える様に振舞う。一刀が休日で一日屋敷に居る時などは、一刀の部屋から出る事も無く  一日中裸で二人じゃれ合っている事もあった。   そして、一刀が一番認識を新たにしたのが斗詩であった。一刀に言わせれば、三人の中で一番快楽に貪欲であったのが斗詩であ  る。時には一刀にされるがままに快楽を与えられ、時には自ら一刀に対し快楽を求めに行く。他の二人が心身ともに満足し眠りに  付いた後も最期まで自分が事切れるまで一刀を求め続ける。そのくせ、夜が明けると一番に目を覚まし再び一刀を求める事もしば  しばであった。   そんな事を一刀が考えていると、自分から一刀の意識が離れた事に気が付いた斗詩が一刀に愛撫を始める。しばらく愛撫を続け、  その後一刀に覆いかぶさるような姿勢をとり見上げる様な視線で斗詩が口を開いた。 「一刀さん、何を考えていたんですか?」   一刀は麗羽を起こさない様にそっと腕を抜くと、そんな斗詩を抱き締め彼女の耳元で囁いた。 「斗詩がこんなにいやらしい子だとは思わなかったなぁって」   一刀の言葉を聞いた斗詩が驚いた様な顔つきで一刀を見詰め返す。そして斗詩が何か言い返そうとした時、一刀の指が自分の敏  感な場所に触れられた。「あっ」っと小さく声を漏らした斗詩は自らの感じる部分に一刀の指を誘いながら、頬を赤く染めた顔を  一刀に見せ口を開いた。 「だって……、わたし嬉しいんです。幸せなんです。こうして大好きな文ちゃんや姫さまや、そして一刀さんと一緒に居られて……」 「斗詩……」 「一刀さんと洛陽に来てから文ちゃんも姫さまも変わったんです。文ちゃんは無理に明るく振舞う様な事も無くなったし、姫さまも  本当に穏やかなお顔を見せる様になったし……、わたしも……」 「…………」 「ですから、ずっと……ずっと一刀さんの側に居させてください……。その為なら……わたしはどんないやらしい子にでもなります  から……、ここに居たいんです……」   そうすがり付く様に一刀に抱きついたまま話す斗詩。そんな斗詩の顔は一刀から見えなかったが、一刀には斗詩が泣いている様  に思えた。   そして一刀はもう一度斗詩を力強く抱き締めると、再び口を開いた。 「居ればいい……、いやずっと側に居てくれ斗詩。それと、こんなオレの側に居られる事が幸せだって言ってくれてありがとう。嬉  しいよ」 「一刀さん……」   一刀の言葉を聞いた斗詩が顔を上げ、視線を合わせる二人。一刀の想像通り斗詩の目尻には涙が溜まっている。そんな見詰め合  う二人を抱き締める者が居た。麗羽である。 「そうですわよ斗詩さん。私達が一刀様の側を離れる事等は決して有り得ませんわ」 「姫さま」 「そうだぜ斗詩。アタイ達がアニキの側から離れる訳がないじゃん。それにどうせアニキはアタイ達だけじゃ収まりっこないし」 「文ちゃん」   今度は猪々子も抱きついてくる。 「何だ二人とも起きてたのか?」   一刀の問いに先ずは麗羽が答えた。 「誰でも目を覚ましますわよ。この私が眠っている事をいい事に、この私を差し置いて隣でイチャイチャだなんて……」 「そうだ、そうだ! ズルイぞ斗詩だけ抜け駆けなんて」   二人の言葉を聞いた斗詩が赤い顔であたふたし始める。 「ぬっ、抜け駆けだなんて……」 「そうそう、抜け駆けなんかじゃないぞ。斗詩はいやらしい子なんだから」 「かっ一刀さん……!」   ますます顔を赤くしながら一刀の胸に顔を埋める斗詩を一刀達三人で抱き締めながら笑い合う北郷邸の朝のひと時であった。   朝食も終わり、皆が一段落しているところでおもむろに麗羽が切り出した。やけに機嫌がいい。 「一刀様、本日は一同登城する様にと予定が変更になっておりますわ。もちろん、私もです」   麗羽はそう一刀に告げると登城の支度を家人達に伝え、自らも支度を整え始める。そう言えば、何やら使いの者が来ていた様だ  が等と考えていた一刀であったが、その使いの者の到着から麗羽がとたんに機嫌良く動き始めていた。 「何か聞いてる?斗詩」   機嫌良く支度をしている麗羽を目で追いながら口を開いた一刀に斗詩が答える。 「多分……いえ、きっとあの事だと思いますけど」   そう斗詩は一刀の前にお茶を置きながら答える。一刀と一緒にお茶を受け取りながら猪々子も口を開いた。 「何? 今日何かあったっけ?」   そう不思議そうにも不安そうにもとれる顔をしながら口を開いた猪々子に斗詩が答える。 「うん、別に怒られに行く訳じゃナイから大丈夫だよ文ちゃん。一刀さんも考え込まなくても……」 「最近は怒られる様な事してないぞアタイは……きっと」 「そうだ、そうだ。オレも真面目にやってるぞ最近は……多分」   そんな二人を呆れた様な顔で見ていた斗詩が溜息を一つ吐いてから口を開いた。 「何で二人とも城に呼ばれるのは怒られる事が前提なんですか? そんな事じゃありませんよ。麗羽さま見てたら判るでしょう?」   そう斗詩に言われ再び麗羽の方に目を向ける一刀と猪々子。そして再び斗詩の方へと一刀と猪々子は顔を向けると二人同時に小  首を傾げる。   そんな一刀と猪々子を見ながら思わず身体中の力が抜けた様な気分になる斗詩であった。   一刀と猪々子は正直余り話が飲み込めぬまま麗羽と斗詩に連れられ城へと向かっっている。途中、一刀は麗羽と斗詩に事情を再  び尋ねるのだが、「城に着けば判りますわ」「大丈夫です。別にお説教じゃありませんから」とわざと秘密にしているのか、ただ  はぐらかされているのかハッキリとした答えは返ってこない。麗羽のやけに機嫌の良さだけがかえって不気味に感じる一刀である。  結局これから起こる事が判らぬまま城に到着した一刀達であった。   城に到着した一刀達は、そのまま城の女官達に連れられそれぞれ別々の部屋へと通された。通された部屋は何時もの玉座の間で  もなく、華琳の執務室でもなく、こじんまりとした控えの間である。一刀はそこに通され、そして何故ここに一人取り残されてい  るのだろうかと暫く考えていた時、大勢の城の女官達が手に手に様々な物を携えて部屋の中へと入って来た。そんな女官達を不思  議そうな顔付きで見ていた一刀の前に一人の女官が立つ。 「北郷様、どうぞこちらにお召し変えを」   そう笑顔で一刀に伝えた女官に一刀は口を開いた。 「何? これ……?」   そんな一刀に女官は笑顔を崩す事無く答えた。 「曹丞相様のお言い付けです。御心配なく、私共がお手伝い致しますから……。では御無礼致します。さぁ皆々始めますわよ」   女官はそう一刀に告げると、他の女官達を促す。そしていきなり一刀の着ている物を脱がし始める。そんな彼女達に意表をつか  れた一刀であったが、かといって彼女達に抵抗する訳にもいかず、事情の判らない一刀はただ身体を強張らせていた。 「北郷様、その様に頑なにされていてはお召し変えができませぬ。さぁ、身体の力を抜いて私共に身をお任せ下さいませ。  さぁ、さぁ!」   確かに笑顔でそう話している女官なのだが、彼女の瞳の奥に何やら妖しい光が宿っているのを感じる一刀。この表情を一刀はよ  く知っている。そう、それは閨で華琳が桂花を見る時と同じ表情。そんな彼女の表情を見た一刀はえもいわれぬ恐怖を感じながら  も抵抗する事も出来ず、ただこれから起こる事を受け入れるしかなかった。   そして洛陽の城に響き渡る絹を引き裂く様な悲鳴。しかし、誰一人気に留める者は居なかったと言う。 「何や、急に登城せいって言うから何事か思たらこう言う事かいな……」   新調された式典用の甲冑に身を包み、玉座の間に入ってきて開口一番そう霞は口にしていた。しかし不満気な事を口にはしてい  るものの、顔を見れば案外気に入っている様である事は明白である。 「おお、霞。格好いいではないか」 「うむ、よく似合っているぞ」   そんな霞に春蘭と夏侯妙才こと秋蘭が言葉を返した。二人も同様に新調された甲冑をわざわざ霞に見易い様に向けている。 「あんがと。二人もええ感じやで。せやけど、何や仰々し過ぎちゃう?」   そう自分の装束を見ながら口にした霞に秋蘭が答える。 「まぁ、式典等の時のみに着用する物だからな」 「何を言う秋蘭。わたしは華琳さまに頂いたこれを着て戦をしろと言われても何の問題も無いぞ!」   そう言って何処から取り出したのか七星餓狼を振り回し始める春蘭。そんな春蘭を見ながら霞が口を開く。 「そりゃウチかてやれ言われたらやるけど……、見た目程動き難い事もないし」   そう口にしながら霞はここに居る他の者達にも目を向けた。勿論、今回の式典用の装束は武官の者達だけではなく、桂花等の文  官の者達にも誂えられている。どちらも華やかさと落ち着きを両立させており、かつ女性らしさも兼ね備えた正に優れものといえ  た。そしてそれぞれが統一された魏の意匠をも取り入れ、それを身に付ける本人の印象まで反映されている。この意匠を考案した  華琳と、これらを破綻する事無く具現化させた洛陽の職人達の汗と涙と煩悩の結晶と言えた。 「んで、未だココにおらへんのは孟ちゃんと一刀……、それに麗羽達やな」 「うむ、一刀達も城には到着しているはずだが」   霞に秋蘭がそう答えた時、厳かに扉が開いた。その扉の向こうから現れた女官が一刀達の到来を告げる。その言葉を聞き、皆の  視線が扉の方に注がれた時、一刀が照れた様な面持ちで現れた。 「やぁ……、どうかな? 何だか凄い派手だけど……」 「…………」   式典用の鎧を纏った一刀を見た面々は、声を誰一人発する事無くただ見詰めていた。 「あ〜……、何でもいいから……、その……」   無言で見詰められている一刀がその居心地の悪さに耐えかねて皆の顔を順に見ていく。 「おお……、お兄さん……」 「ええ、一刀殿……」   程仲徳こと風や郭奉孝こと稟が何か口にしようとしたが、短く答えたのみで言葉が続かない。 「頼むから誰か何か言ってくれない?」 「兄ちゃんカッコいいよ!!」 「たっ隊長! とてもよくお似合いです!!」   誰かに何か言って欲しくて懇願する様な面持ちの一刀に、季衣と楽文謙こと凪が興奮気味にそう言い放ち一刀の側へと近寄って  来た。その二人の言葉が呼び水となったのか、他の面々も口々に感想を口にし始める。   一刀の鎧は、彼の象徴でもある[ぽりえすてる]をイメージした白を基調としていた。この意匠を考案したのが麗羽であった為  に袁家の鎧に似たところも見受けられるが、魏の鎧の意匠も取り入れられていて上手くその二つが融合されている。肩から伸びて  いる外衣は上等な絹で誂えられていてその一面に銀糸で刺繍が施されていた。それは華麗でかつ上品な煌きと趣を醸し出している。  以前に比べ上背もあり体格の良くなっている一刀にそれは良く栄えていた。 「あらっ、華琳さんはまだですの?」   そう口にしながら麗羽も入室してくる。女官に先導される事もなくいきなり現れた麗羽に皆が目を向けた瞬間、今までの興奮気  味であった雰囲気が一気に殺伐としたものに変わった。そして少し遅れて入ってきた斗詩と猪々子。斗詩はこの場の状況をすぐさ  ま理解し米搗きバッタのごとく頭を下げ続けているし、流石の猪々子も今のこの雰囲気を察したのか視線をあらぬ方向へと向けて  いた。 「流石一刀様。よくお似合いですわ」   自分の考案した鎧を身に纏う一刀を目にした麗羽が満面の笑みでそう口にする。 「いや、麗羽。これはいくらなんでも派手過ぎじゃぁ……」 「何をおっしゃいますやら。『天の御遣い』であられる一刀様はある意味三国鼎立の象徴ではございませんか。そんな貴方様が纏う  物がみすぼらしい様でなんとします」   麗羽は一刀の側に寄り微笑を湛えたままそう口にしながら着付けの細かい乱れを直していた。   そんな二人を黙ったまま眺めていた面々であったが、その一団の中から一歩踏み出した者が居た。稟である。 「袁本初殿。一つお伺いしたい事が……」 「あら、稟さん。私の事は麗羽と……」 「いえ、今はあえてこの様に……。一刀殿と貴方の鎧の事ですが……」 「ああ、その事ですの」   そう言って麗羽は稟の方へとその身を向けた。一刀と並び立っている麗羽が今身に着けている鎧にはある特徴がある。それは、  一刀の身に纏う鎧と麗羽の身に纏うそれが色味も特徴も良く似た共柄と言える事であった。   麗羽の身に纏う鎧は袁家時代の物の意匠を土台にそれを発展させた物と言えるが、縁取りにこそ以前からの金色の部分が残って  いるものの基本の色味は一刀の鎧に準じている。しかも細かい意匠なども良く似通っている為に、正に一刀と『お揃い』と言える  ものであった。 「説明頂けますか」   そう短く言葉を発しながらメガネの位置を直す稟。光の加減か稟の瞳が見えなくなり、かなりの威圧感を感じさせている。しか  し、そんな稟の醸し出す雰囲気などまるで意に介す事無く麗羽は口を開く。 「どちらもこの私が意匠を考案しましたから……。私の浅はかな知恵ではやはり幅と言うものが無いのですね、かなり意匠を変えた  心算でしたのに出来上がりましたら似通った物になってしまいました」   そう悪びれた素振りも見せず言い切る麗羽。口にはしないが、斗詩や猪々子の鎧も麗羽が考案したにもかかわらず色味も意匠も  魏の鎧に準じたものになっている事を勘案すれば、今口にした事の信憑性は皆無である。 「ほう……」   稟が続けて話そうとした時、それを遮る様に女官の声が発せられた。 「曹丞相様、御到来でございます」   その言葉を聞いた面々が玉座の方へと視線を向ける。そして入室してきた華琳の纏う新たな装束を見て面々は感嘆の表情を浮か  べた。 「皆、揃ったようね」   そう口にした華琳が面々にゆっくりと視線を巡らす。そして新しい装束に身を包んだ面々に対して満足そうな表情を見せている。 「華琳さま! お美しいです!!」   そう同時に桂花と春蘭が声を上げた。既に二人の中では麗羽の鎧の事など過去の事の様である。 「ありがとう、二人とも」   笑顔で華琳は答える。他の面々も次々に華琳へ賞賛の言葉を掛けていく。そして華琳はゆっくりと視線を一刀の方へと向ける。  その瞳は一刀に対して「何とか言いなさいよこのバカ」と雄弁に物語っていた。   そんな空気を察した一刀はおもむろに口を開く。 「良く似合っている華琳。綺麗だ」   他の面々の前で臆面もなく一刀にそう告げられた華琳は一瞬だけ照れたような表情を見せたが、直ぐに満面の笑みを見せた。 「ありがとう。あなたも中々なものよ」   そう言って見詰め合う華琳と一刀。だが、それを横目に稟が隣に居る風に小さな声で話しかけた。 「風、気が付いていますか? 華琳さまの意匠は……」 「はい〜。パッと見ただけでは気が付かないかもしれませんが、華琳さまの装束はお兄さんのモノと対になってますね〜」   風が口にした通り、一見すれば一刀と華琳の装束は別なものに見える。華琳の装束は今までの魏の鎧を基調としており、他の面々  のものと意匠の統一もなされ色味も一刀のものとは違う。   だが、二人の装束を並べてみると違う見方が出来る。一刀の装束にあしらわれている装飾に対し、それの対となるべき装飾が華  琳の装束に施されていた。そう、一刀の装束と華琳の装束は『対』となっており、二人の関係を雄弁に語っていると言える。 「なるほどぉ……。最近別口で誰かとやけに頻繁に連絡を取り合ってたり、コソコソ何かしてると思ったらこう言う事かよ。やるじゃ  ねぇか覇王さんもよぅ」 「これ、宝ャ。そんな事言うもんじゃありません。多分麗羽さんの企みをどこかで聞き付けたんでしょうね〜。それに負けまいとし  た華琳さまのいじらしくも可愛い乙女心なのですよ〜」   風と宝ャの会話を複雑な表情で聞いていた稟が溜息の後口を開いた。 「なるほど……。情報収集を怠ったわたし達の負けって事ですね」 「まぁ今回はそう言う事にしときましょう……」   そう言葉短かに風が答えた後は二人は話を止めてしまう。その後も二人は笑顔を絶やす事はなかったが、その表情の端には何か  別の思惑も見て取れた。   それは、情報と言う分野で遅れをとった軍師としての矜持であるのか、それとも他の事なのか……。   そんな二人の会話を知ってか知らずか、目を合わせた華琳と麗羽はいい笑顔で微笑み合う。そんな二人の氣を敏感に感じ取った  凪だけが青い顔をしていたのは余談である。   数日後、洛陽の民達の歓声に見送られながら長安に向け出立した一行であった。           長安行幸:出立 了       おまけ   真桜や雪蓮達の語らいもかなり深夜に及び、酒も入っている事もあってか既に幾人かは眠気に襲われている。そして小蓮がうつ  らうつらし始めた時、それを見計らったかの様に雪蓮が口端を歪めながら真桜に切り出した。 「で、真桜。御遣い殿との夜の方はどうなのよ?」 「夜の方?」   雪蓮が言わんとしている事は大体予想の付いている真桜であったがワザと疑問を返した。殆ど眠っている小蓮以外の者達も雪蓮  の話に興味がある様で、これから二人が話すであろう事に集中しているのが見て取れる。 「そう、夜の方。色々噂は聞いてるけど、こればかりは当事者の忌憚無き意見を……」 「別にウチは満足してますよ?」   真桜の当たり障りの無い答えに雪蓮は眉間に皺を寄せながら再び口を開いた。 「何すました事言ってるのよ。聞いたわよ、一晩で三羽烏を足腰立たなくなるまでいかせまくるって……」 「いやいや、別に毎回そんな事にはなりませんから……、まぁ全部嘘って事もないんですけど」 「やっぱりね……。あの真桜に仕立ててもらったアレも凄かったし……、ねぇ冥琳」 「うっ五月蝿い! 変な話に他人を巻き込むな!!」 「え〜っ、だって冥琳、今迄見た事もない様な感じ方……」 「雪蓮!!」 「はいはい、でもやっぱ凄いわねぇ……、本物は……」 「ああ、あれ……。実物大ちゃいますよ」 「はっ……?」   真桜の言葉を聞いた雪蓮や冥琳、そして頬を赤く染めながら黙って話を聞いていた他の面々が一斉に驚きの顔に変わる。 「マジ?」 「マジです。形に関してはかなり忠実に再現してる思いますけど、大きさに関しては七割弱ってとこちゃいますやろか」 「じゃ、じゃあ……本物は」 「アレよりふたまわり以上大きいと……」   真桜の話を聞いた雪蓮と冥琳が驚愕した顔を隠そうともせずそう呟く。 「まぁ、そう言う事ですわ。一回実物大のモンも試作してはみたんですけど、流石にこれはやばいやろと。ああ、試作品は華琳さま  に取り上げられてしもたんですけど」   そこまで話した真桜はある挙動不審な行動を見せる人物に気が付く。彼女は首筋まで真っ赤に染め上げ、一人下を向き小刻みに  震えている様である。それを見た真桜はニヤリと口端を歪めながら口を開く。 「あれ? 雪蓮はん達聞いてませんの? おっかしいなぁ? たいちょの実物その目にしてる人がココにはウチともう一人居るはず  なやけどなぁ……、不思議やなぁ……、なぁ……明命はん」   真桜のもったいぶった言い回しの言葉を聞いた面々の視線が一斉に明命へと集まる。 「はっ……、はぅ〜」   明命は一度顔を上げそれだけを口にすると再び下を向いてしまう。 「明命、どういう事なの?」   大きく目を見開いた蓮華の言葉に明命はゆっくりと顔を上真っ赤な顔のまま口を開く。 「あっ、あのぅ……」 「明命はん、襄陽の城に忍び込んでたからなぁ……。シャムが居った頃はともかく、居らん様になってからはウチも特に細工もして  へんから覗き放題……」 「そうなの明命」 「はい……」 「で、真桜の言うのは本当なの?」 「…………」 「大っきかったの?」 「……はい、その……御立派でした……」   蓮華と雪蓮の詰問に、しどろもどろになりながら消え入る様な声で答える明命。その後も延々と明命の襄陽調査の報告書に書か  れていなかった事柄への追求(主に下ネタ)が続くのである。   この後、一刀の報告書は『表と裏』の常に二種類が作られる様になったとかならなかったとか……。   今日も平和な建業の夜であった。