玄朝秘史  第四部第二十五回『決戦前夜 その二』  1.懸念  現状、蜀漢がその本拠地とし、政府機能を置いている漢中とはいかなる場所であるか、それを考えてみよう。  かつて漢の高祖劉邦は、西楚の覇王こと項籍と天下を本格的に争う以前、この地に配された。左遷という言葉の語源ともなったと言われるその措置は、当時の状況に鑑みれば、実に酷な扱いであった。  事実、当時においては漢中は流刑地、あるいは逃亡者の住む場所であるとされていたからだ。  当時の中心地域である関中とは峻険な山々で切り離され、道らしい道もなく、崖に穴を穿ち足場を作る桟道で行き来していたくらいである。  だからこその流刑地であったし、中原の文化とは大きく異なる、いわば化外の地であった。  そんな秦代とは程度の差はあっても、漢中地域が中原と切り離されていることは変わらない。  漢中盆地は北を秦嶺山脈、南を大巴山脈に挟まれ、その中央を漢水が東西に流れるという地形であるためだ。  しかしながら、山に囲まれた土地であっても、東に漢水を下れば荊州、そして、江水に合流できる。西に遡上すれば涼州に至る。そんな東西を結ぶ大動脈を擁する地でもある。  大陸西方と中原を結ぶ交通の要所として漢中は実際に栄えているし、地味も肥えているため、作物を作るのにも便利だ。  総合的に見ても、かなり豊かな土地であると言えよう。  軍事的に見ると、四方を山に囲まれている地形は、当然、守るに易く攻めるに難い。ただし、これには蜀漢の側も中原に出ることが困難であるという裏返しの状況も存在するのだが。  さて、荊州にある蓬莱軍の場合、関中と漢中を遮る秦嶺山脈を越えて進軍する必要はない。漢水を上るか、その川沿いを進めばすむからだ。  ただし、そこでは別の問題が生じてくる。 「蜀漢の水軍に、勝てるかって?」  その問題を下問された雪蓮は、肩をすくめてあっさりと応じた。 「そりゃあ、勝てるわよ。あっちの水軍を引きずり出してくれればね」 「んー……出てこないってことか?」  彼女の夫にして帝でもある一刀が首をひねる。彼は大きな机の端に尻の端をひっかけるようにして体を預けていた。その机では、翡翠色の髪を揺らす詠が何ごとか書き物をしている。 「なんで出て来ると思うの?」  机とは逆側の壁際に腰掛けた雪蓮は、きょとんとしたような顔で訊ね返す。まるで幼子がしそうな表情に、男は自分の問いかけが見当違いなものであったことを遅ればせながら理解しようとしていた。 「いや、そりゃあ……あっちは漢中に入るのを邪魔しようとするだろう?」 「するでしょうね。でも、水軍を出す必要はないわね」 「え?」  雪蓮は細い指を伸ばし、くるくると回しながら彼に答える。 「たとえば、大型のはしけを、川を横切るように並べておくなんてのはどう? それをどかそうと足を止めてる間にどこからか火矢が飛んでくるわね」 「む……」 「もっと過激に行きたければ、油を積んだ船を燃やしながら突っ込ませてくるとかかしら? まあ、いずれにせよ、水軍本体が出て来る必要はないわね」  雪蓮の言う光景をまざまざと想像したのだろう、一刀の顔がわずかに青くなる。 「いい? そもそも私たちは攻め上がる側、相手は待ち構える側なのよ。わざわざ決戦の舞台を整えて待ってる必要なんてないのよ。地の利はあるし、手持ちの材料だって、あっちのほうが上なんだから。いざとなったら巴蜀の土地から運んでもくるだろうし」 「むう……」  腕を組んで考え込む夫の姿に、雪蓮は微笑み、そして、面白がるような表情のまま言葉を続けた。 「あのね。赤壁が成立したのは、いわば、私と華琳の両者の思惑が一致したためなのよ。  私たちの側には、三つの要素があった。一つには私たちが自らの水軍を頼みにしていたこと。誇りにかけて江東の地に華琳たちを上陸させたくなかったこと……これは士気の問題っていう現実的な面も含むわ。最後に兵の数では華琳たちのほうが多かったこと。  それに対して、魏側にも思惑はあった。当たり前のことだけど、なんとしても江水を渡らなきゃならなかったわけだからね。兵を安全に南岸に移動させるためには、ある程度は呉の水軍を叩いておく必要もあるわ。それに、華琳の覇道を考えると、挑戦は拒めない。  その結果、私たちは赤壁で決戦を行う事になったわけ」  最終的には冥琳と祭の策、それを見破った一刀とか色々入り乱れて、あんな顛末になったわけだけど、と雪蓮はなにか他人事のように呟く。 「残念だけど、蜀漢に水上での決戦を望む理由はないわ。私たちが望んだとしても」 「だから言ったでしょ」  雪蓮が結論づけるように言ったところで、それまで書類仕事に没頭して一言も発していなかった詠が顔をあげ、一刀の顔をねめつける。 「うーむ……」 「なによ、詠にもう言われてたわけ?」 「ほ、ほら、水軍と言えば、やっぱり雪蓮たちかなあ、と」  雪蓮からも非難するような強い視線を向けられ、一刀は慌てて言い添える。確認のために聞きたかったのだというようなことを説明する彼の姿に、雪蓮も詠も呆れたように肩をすくめた。 「いずれにせよ、水上決戦は望まない方が良いわよ」 「もしそんな事態になりそうなら対応できるよう、船は連れていくわけだしね」 「まあ、そうか……」  考え込むように俯いていた彼はなにか思い出したように顔をはねあげる。 「でも、ほら、糧食の輸送とかは船が主だろう?」 「そりゃあ重さのあるものを運ぶのは船の方が楽だしね」 「じゃあ、そこを狙われたり……」 「対策してるってば。ねえ?」 「当たり前でしょ。常道だもの」  むぐ、と一刀がなにかおかしな音をたてたところで、扉がこんこんと小さな音を立てる。詠が応じると小さく開いて、かわいらしいめいど服姿の月が顔を覗かせた。 「あの、ご主人様、少しよろしいでしょうか」 「ん? なにか用事」 「はい」  そこで月は詠たちのほうに顔を向けて、ぺこりと頭を下げた。 「ごめんね、詠ちゃん。陛下を少し借りてもいい? 雪蓮さんもごめんなさい」  それに対して二人はひらひらと手を振って気にしないことを示す。一刀も姿勢を正し、着衣の皺を伸ばしながら、彼女のほうへ向かった。 「ええ、いいわよ。いってらっしゃい」 「いってらっしゃーい」  二人でそう送り出してから、しばらくして。  詠は雪蓮に顔を向けると、低い声で切り出した。 「どう思う?」 「どうって?」 「いや、あんなことを今更あんたに確認しようとするってのは」  そこで彼女は一度、なにか言いにくそうに口ごもった。不思議そうに見ている雪蓮に対して、ゆっくりと言葉を紡ぐ。 「……重圧に苦しんでるのかな、って」 「うーん? 単に慎重なだけじゃない?」  対する雪蓮は小首を傾げて、長い髪を揺らす。 「あなたを信用してないってことじゃないと思うわよ?」 「莫迦。そんなことはいいのよ。相邦のボクだけじゃなくて、前線に出る将に確認するくらいのこと、気にもならないわ。でもねえ……」  雪蓮は気遣わしげに言いつのる詠の姿に思わず微笑みかけ、きゅっと表情を引き締めて、こう言った。 「まあ、緊張してるのよ、なにしろ初めてだから」 「初めて?」 「決戦が」  言葉面は軽く。しかし、その内実は実に重々しい言葉を彼女は舌に乗せた。  現状、どう考えても蜀漢相手の戦は避けがたい。そして、それは間違いなく、蓬莱という国が初めて経験する決戦となる。  そして、蓬莱が初めて経験する以上、それは一刀にとっても初の体験なのだ。  これまでの数々の戦も、赤壁の大戦も、三国時代を終わらせた成都における決戦も、『一刀の』決戦ではなかったのだから。  漢中に挑む彼が緊張していてもおかしくはないだろう。 「蓮華たちとそうなると思ったら、回避しちゃったからねぇ」 「ふむ……」  雪蓮の言葉に、詠はなにか考え込むように頷くのだった。  2.軍議  数日の後、詠の発案で、大がかりな合議が開かれることになった。  参加するのは一刀とその皇妃全員。  彼らは城内に整えられた一室に集まっていた。中央には漢中盆地全体を示す大判の地図が置かれた卓が用意されている。  荊州に出張ってきてからは、このような全体的な会合は開かれていなかった。彼ら彼女らは帝であり、皇妃である。つまり、全員が国家の重鎮となる。全員が集まれるような機会は、儀礼的なものを除くとなかなかないのであった。 「では、軍議を始めるわ」  皆の予定をやりくりしてこの軍議の時間を作り出した詠がそう宣言して、それまでそれぞれに集まって話に興じていた皆が、卓の周囲に集まってくる。 「今回は、蜀漢側を担当する人間も配置して、それぞれの動きを分析、議論していくことにします」  詠の説明に、皆が同意するように頷く。彼女の言葉に反応して、幾人かが場所を変えるべく動き出していた。 「まず、蜀漢の頭脳、朱里と雛里の役目を冥琳と音々音。武辺の者の動きは祭に考えてもらうとして、桃香は雪蓮……」 「いや、それはどうだろう」 「え?」  詠の人選に口を挟んだのは、一刀。彼は全員からの視線を浴びつつ、言葉を続けた。 「たしかに王としての立場を考えると、雪蓮が適任かもしれない。だけど、桃香と雪蓮の考え方は大きく違う。それに、正直、雪蓮の軍略は、桃香には似つかわしくないんじゃないかな?」 「んー、じゃあ、一刀は誰がいいの?」  雪蓮がそう訊ねかけると、男は頬の端をつり上げて笑う。 「俺がやるよ」 「はあ?」 「俺のほうが桃香の能力に近いと思うんだよ」 「やりにくくないですか?」  音々音が詠を見上げるようにして言うのに、詠は目を瞑ってしばし考え、首を振った。 「分析だから、そこはなんとかなるわ……。うん、まあ、あんたが言うなら……」 「あ、じゃあ、私、一刀さんやりまーす!」 「えー……」  詠が了承の言葉を紡ぐのに割り込んで手を挙げるのは七乃。彼女はいつも通りのにこやかな笑顔で楽しげに一刀の代役を演じることを主張した。  さすがに皆が困惑の表情をしているところに、冥琳が苦笑を見せながら言う。 「いいのではないか? さすがに陛下はあれほど底意地は悪くないが、発想の飛び具合は似ているかもしれん」 「あれ、なんかひどいこと言われてない?」 「それ、私をけなしてますよね、一刀さん」  そんな笑いを誘うやりとりをしながら、軍議は始まるのだった。 「桃香たちが、正面から蓬莱軍と対するとして」  様々な状況を考え、分析しつつ軍議は進み、ついに漢中に侵入してからの話となった。この頃にはそれぞれの陣営内で意思疎通がよく働き、彼らは本来とは異なる立場から起こりうる状況を眺め、考えることができるようになっていた。 「考えられる目的はいくつかあると思う」 「蓬莱軍の殲滅、蓬莱軍の撃退、そして、帝の身」  冥琳が指を折って見せながら、蜀漢が目的とするものを挙げていく。一刀はそれに同意するように頷いた。 「うん。冥琳が言った中で、俺は桃香たちが目指すのは最後の……俺の身柄だと思うんだ」 「……ご主人様の命は恋が守る」  ぼそり、と呟くのは恋。その短い言葉には、絶対的な強さが籠もっていた。 「うん。恋の気持ちは嬉しい。でも、実際には命を狙われる虞れは少ないと思う」 「捕虜ですね」 「うん。正直な話、俺を殺しちゃうと、蓬莱軍は手に負えなくなると思うんだ。なにしろ、なんの制約もないんだからな。恋たちはもちろん、華琳も、たぶん怒り狂う……と思う。たぶん」 「いやー、たぶんじゃなく、絶対そうだと思うぜ、アニキ」  小さな笑いのさざめきが起きる。一刀自身が自信なげに繰り返すより、よほど皆の方が華琳たちの彼に対する思いについてはわかっていた。  もし、一刀が殺されるような事があれば、後続の魏勢がどんな行動をとるかということも。 「まあ、そうなると、桃香たちにとってはかえって悪い事態となる。捕虜にしておけば、その後、交渉材料になるからな」 「通常優先すると考えられる撃退よりも、一刀さんの確保を狙う、ですか。ありそうな話ですねー」  一刀役の七乃が身を震わせるふりをしたあとで、首を傾げる。 「でも、一刀さんは前線には出ませんよねえ?」 「本陣にいてもらわないとね」 「じゃが、士気を高めるために顔を出す必要も出て来るのではないかや?」 「本陣が不動であることのほうが兵には頼もしく思われる面もあるぞ。ひょこひょこ出歩かれても困るというものだ」 「一理あるのう」  詠が頷き、新たに美羽が提示した考えを歴戦の将たる華雄と祭が否定したところで、雪蓮が小さく声をあげた。 「んー」  小さいが皆の注目を招くような問いかけを、彼女は発する。 「桃香は漢の大将軍なのよね?」 「そうだな」 「となると、やっぱり一刀が出ていく機会はないわね。立場が違うもの。桃香が動くのに合わせて、一刀が動くっていうのも、王同士ならありかな、って考えたんだけど」 「たしかに」  うんうん、と斗詩が頷く。それから、複雑な表情で彼女は続けた。 「あちらの帝が軍に関わってくるとは思えませんものね」  麗羽が、その通りですわね、と吐き捨てるような、それでいて楽しくてしょうがないようなよくわからない調子でそれに応じる。  その横で真剣に考えすぎて、眉間に皺の寄った月が重い調子で言った。 「そうなると……桃香さんたちは、こちらの本陣に迫る策を考えているということですか?」 「おそらくはそうですな!」  そこで、しばし会話が止まる。果たして、それはどんな策なのだろうと、皆が考えを巡らしたのだろう。  ついに一刀が朱里の代役をしている人物に、こう訊ねた。 「冥琳ならどうする? 俺の身を奪うようなこと、出来るかい?」 「……難しいな」 「不可能ではないのね?」  そんな風に言ってくすくすと笑うのは、彼女と断金の絆で結ばれた女性だ。冥琳は雪蓮に向けて思い切り渋面を作って見せた後で、地図の上に部隊を示す人形を置いていった。 「……愛紗、鈴々、紫苑、桔梗。この四人が率いる四部隊が、足止めに徹する。幾人かは一騎打ちで将を釘付けにしてもいい。その間に、焔耶と星の二部隊が側面から本陣を衝く」  単純ではあるが、それ故に効果が高い奇襲策を、冥琳は示して見せた。机上の空論ならば奇策はいくらでも考えつけるだろうが、現実に高い精度でそれを行うことを考えれば、単純な策のほうが成功の期待も高い。 「もちろん、奇襲部隊はそこらに伏せて置いても、あるいはよく知っている地形を利用して回り込んでもいい。地の利はあちらにある」  地形を熟知していることは、なんと言っても強みだ。しかも、あちらは待ち構えていられる。準備に時間をかけられることを考えれば、その脅威はさらに強まる。 「ただ、それでも、場はかき乱せても、陛下の確保までは難しいだろうと考える」 「理由は?」 「有力な武将の数はこちらが多く、兵はおそらくあちらが多い。両者の有利不利はある程度相殺されるとして」  そこで、冥琳はその場にいる全員の顔を見渡した。 「本陣を固める人間の差だな。まず間違いなく詠、月、七乃、それに袁家のお二人は陛下の側を離れまい」  小さく肩をすくめ、彼女は結論づける。 「二枚看板が本陣を離れることがあったとしても、陛下の身を守るだけなら……な」 「逆に言うと、本陣の守りを薄くされるようなことになればまずいですね!」 「そんなことをうまくやる手はいまのところ思いつかないけど……。警戒はすべきね」  冥琳の推測を聞いた音々音、詠の軍師勢が思考を急回転させる側で、一刀役の七乃が、本陣を示す大きな木組みをぴんと弾いた。 「いっそ恋さんか華雄さんに本陣にいてもらったらどうです?」 「それはちょっときつくないかな? 本気の愛紗や鈴々を止められるのって、恋か華雄か雪蓮くらいだろう?」 「遊軍って手もありますよ。状況判断が求められますけど」 「うーん」  そんな風に軍議は続いていく。  詠は、議論が白熱する中で、ちら、と一刀のことを見やる。  どうやら、先のことが具体的に見えてきて少しは元気になってくれたようだ。  彼女はそんなことを考え、小さく安堵の息を吐くのだった。  3.主君  蓬莱の『巡幸』の一団が、漢中における決戦について準備を行っている頃。  漢中でも、それを迎え撃つ準備は着々と進んでいた。  戦に備えての物資の運搬、備蓄はもちろんのこと、南鄭の城壁を強化し、城全体を要塞化するなど大がかりなものから、練兵に至るまで、人々は忙しく働いていた。  そんな忙しい人物の一人が城内を行く。黒ずくめの装いに、黒髪の一部に目立つ白色が入った彼女は、汗を拭いながら、ある部屋にむかっていた。ちょうど兵たちの訓練が終わったところで、彼女は呼び出されていたのだ。 「桔梗さま、お呼びですか」  師匠であり、共に蜀漢の将として働く桔梗の部屋の扉を開けながら、彼女はそう声をかける。 「おう、入れ入れ」  部屋の主は、長椅子に寝そべるようにして酒杯を傾けていた。焔耶の姿を見ると、杯を掲げて入るように促す。 「お邪魔します」  部屋に入ると、寝そべる桔梗の対面に座るよう言われ、当然のように酒を勧められた。  桔梗もまた様々に重大な任務を任せられ、一日のかなりの時間をそれに費やしているはずだ。  息抜きの酒につきあうくらいは、弟子としては当然のことと思えたし、彼女も嫌な気はしなかったので、素直に応じ、杯を重ねる。 「ところで、焔耶よ」 「はい」  しばし酒を酌み交わし、焔耶がほろ酔いの心持ちになってきたところで、桔梗は身を起こし、椅子に腰かけなおした。 「主は、誰に仕えておる?」 「はい?」  唐突な問いかけに、目を丸くする焔耶。それに構わず、桔梗は続けた。 「我ら皆、誰に仕えておるのか、はっきりさせるべき頃合いだとは思わんか」 「え? 我が主も、桔梗さまの主も桃香様に決まっているではないですか」 「うむ、それはその通り」  重々しく話す師の姿に困惑しながら当然のことを口に出すと、桔梗はそれについては肯定する。  だが、もちろん、話はそこで終わらなかった。 「しかし、な」  ぺろり、と桔梗が唇をなめる。その朱の鮮やかさに、焔耶は目を奪われた。 「どの桃香様よな?」 「ど、の?」  喉に言葉がひっかかる。焔耶はその時、殺気にも似た強烈な圧力を感じていた。 「つまりはな」  そうして、彼女は言ったのだ。  誰もがあえて、その違いを考えようとはしなかった問いを。 「漢の大将軍たる桃香様と、蜀王桃香様のどちらなのか、ということよ」 (玄朝秘史 第四部第二十五回『決戦前夜 その二』終 /第四部第二十六回に続く)