「無じる真√N76」  数十機の騎馬を先頭に、迅速な行軍が夜の中、止まることなく行われている。それらは、盗賊に襲われているという村と、その民たちを救わんとする公孫賛軍の姿。  既に要請を受けてから丸一日は経過している。そして、まもなく彼らは救援要請を送ってきた村に到着しようとしている。  北郷一刀率いる一軍は、僅かな休憩を挟みつつではあったが昼夜問わずの進軍だったこともあり二日足らずで目と鼻の先にまで村を捉えることができた。  だが、すぐに村へと入ることはせず、一軍は近くの林に寄りながら身を潜めるように静かに動く。  空から大地や人々を誰彼と分け隔てること無く、暖かく照らしてくれる月の姿が枝々の合間や、そこに生ゆる葉たちに遮られることで見えにくくなっている中で一刀は振り返る。  暗がりによって、一段と遠くから姿を目視されにくい状態となった仲間達の姿がそこにあった。 「それじゃあ、ここから先のことだけど……雛里、頼む」  全体の進行速度を落とさせつつ、一刀は鳳統に説明を促す。 「……はい。端直に言います……私とご主人様が、まず歩兵の半分を伴い直接村へと向かいます」 「ふむ。となると、私は……さしずめ、こちらで待機といったところか」 「はい。星さんには……村内の私たちに気を取られている敵軍へ外から挟撃を仕掛けて頂きます」 「あい、わかった。その任、しかと果たして見せよう」  そう答える趙雲の手に握られた長槍――『龍牙』の先端が月の光を受けて、ぎらりと鈍く煌めく。  趙雲、そして、他の兵達も気力は十分なようだと確認すると、一刀は鳳統の説明通りに彼女と兵を連れて、村へと向かう。 「行こう。雛里」 「……はい!」 「そうそう、主よ、一つ言っておくことがありましてな」  手綱を握り、馬を促そうとする二人を趙雲が呼び止める。その顔は痛く真面目に悩んでいる風でもある。  一刀も、気が引き締まってきている折だった故、真剣なまなざしを彼女に向ける。 「ん? どうした」 「……星さん?」 「雛里でもよいのだが……賊の鎮圧が済んだ後は、やはり遅めに村へ戻った方がよろしいか?」 「は?」 「いえ。城を出るときは、鎮圧後のことはお任せくだされ……と申したのですが。些か考えを改めるべきかとも思いましてな」 「また、その話を引っ張りだすかっ」 「やはり、華雄のように空気を読まぬような真似は極力避けたいと思いましてな」 「だから、それはもういいって」 「ふむ。しかし、主ともなれば、寸止めのお預けは……相当堪えるのではありませぬか?」 「そのあたりは別に大丈夫だから!」 「果たして、我慢出来ますかな?」 「俺は獣か!」 「……あ、わわわわ」 「雛里も動揺するなって」 「ふふ。もしかしたら、雛里としても残念だったのかもしれませんな」 「あうあう……あぅ……」  にやにやと笑う趙雲に見つめられながら、鳳統はぷしゅーっと音を立てて蒸気を上げながら真っ赤な顔をする。  一刀は妙に脱力したまま、苦笑が張り付いたままの顔を趙雲へ向ける。 「あ、あのなぁ……今は、もうそういう話はいいだろ。とにかく、後にしよう、な?」 「ふむ。まあ、主がそうおっしゃるなら、よいですが……本当によいのですかな」 「いいの! とにかく、別に変な気は遣わなくてよし! ほら、雛里もいつまでも真っ赤になってないで。行くぞ」 「あわわ~……。あ、待ってくだひゃい~」  最後までニタニタと意地の悪い笑みを浮かべ続ける趙雲によろしく告げると、一刀は鳳統と兵たちを連れて馬を走らせる。  辺りは虫の鳴き声すら聞こえてこない、静まりかえった闇。空の遠くの端の方が白色が混じってはいるものの、紛れる事は出来るくらいには暗い。  そんな沈黙の暗がりを先遣隊は皆一様に枚を含みながら、北郷一刀を中心としてこっそりと気配を殺しながら村の中へと入っていく。  村の中は、疲弊と消耗のせいか沈み込んでいるように見える。所々に灯された松明の火も心なしか弱々しい。 「どうにも、苦戦してるみたいだな……」 「……そうですね。この様子からすると、代表者の下を訪ねるのは一刻を争った方が良さそうですね」 「ああ、そうみたいだな」  たいした舗装もされていない道を暗い足下に気をつけながら歩いていると色々と目に付く。散乱した藁、うち捨てられた槍や弓矢、地べたに座り込んでいる人々。  やはり、度重なる賊の攻撃による影響は大きいようだ。村全体がそれを現実の姿として物語っている。  そのことを実感しながら一刀が代表者がいるという邸宅へと赴くと、そこには予想外の光景が広がっていた。 「これはまた……酷いな」 「そうですね。皆さん……賊軍との戦によって疲弊、負傷した方、それに元々弱っている方や心労から来ている方もいそうですね」 「ああ。それにしても、凄い人数だな」  邸内へと足を踏み入れた一刀と鳳統の目の前には長蛇の列がずらりとできている。  包帯を巻き、彼方此方の白めの布を赤く染め上げている者、青い白い顔で今にも倒れそうな程ふらついている老人、泣きじゃくる子供。  目に付くそれらを横目で見ながらも、一刀達はやってきた侍女に連れられて邸宅の奥へと向かう。その途中、ちらりと見えた一室の中にいる医師らしき青年の姿が目にとまった。 「うわぁぁぁん」 「こんな時なのに、息子がこのような有様で申し訳ありません……どうか、よろしくお願いします」  どうやら怪我か病気を患っている子供を母親が連れてきたようだ。子供の様子からすると急患だったのかもしれない。  そんな風に静観しながら一刀が考えていると、青年が膝を折り、子供と目線を会わせてワシワシと小さな頭を少し雑に撫でる。 「気にするな。俺にとって患者は皆、同等。さあ、坊や。もう、大丈夫だ!。あとは、お兄さんに任せろ」 「ひっく……うん」 「病魔覆滅。うおおおお! げ、ん、き、に、なれぇぇぇぇぇぇえええええ!」 「……あわわっ!?」  診療室として宛がわれたらしい部屋から聞こえる雄叫びに鳳統がびくんと飛び跳ね、萎縮する。 「大丈夫だよ。ほら、医療の前線も戦場だって言うしさ」 「……あわわ、そ、それもそうでしゅね」  カタカタと震えたまま裾を掴む鳳統に一刀の頬も自然と綻ぶ。  その時、診療室から一層の叫びが漏れ聞こえる。驚きつつ中を見やると、針を構えた青年が何やら呪文のように言葉を紡いで治療をしているようだ。 「この世界には面白い医師もいるもんだな……まだまだ、知らないことが多いや」 「あわわわ……。ご主人様……?」 「おっと、立ち止まってちゃダメだな。行こうか」  侍女が歩を止めた一刀たちに振り返っているのに気づき、言外にどうしたのだろうかと気にしているようだ。  一刀は鳳統の頭を撫でながら微笑を浮かべると診療室から目を離し、侍女に続いて歩き出す。すぐに鳳統も隣をちょこちょこと歩きはじめた。  †  代表者との会談を無事終えた一刀は、怪我人達のものであろうむせ返るような血の匂いが未だに鼻に残る中、来た道を戻るように暗い廊下を歩いている。夜でもこうこうと明かりを灯している部屋からは人々の声が漏れ聞こえている。  怪我人、病人などの診療は絶えることなく続いているのだろうなと思う。  また、そのような人々がこれ以上でないようにするのが自分のつとめだと、一刀はふと再確認する。  そのためにもと、彼は代表者との会談を行った際に得た色々な情報を思い出していく。  現在の村は日が明けてから沈むまで賊軍による小刻みの襲撃を受け、じりじりと追い詰められている状態だという。  そして、この後も例外なく日の出と共にしかけてくるだろうということもほぼ予測できる。 「さて……ええと、あいつらが来るころに飛び出す。……そこで、合図を送る。だよな?」 「……はい。そうして……星さんに仕掛けて頂きます」 「そっか。こっちの出る頃合いも大事になりそうだし、気を引き締めないといけないな」 「そうですね……そこが肝になるのは間違いありませんから。頑張りましゅっ」 「はは。意気込みすぎないようにな」 「あう……」 「それにしても、村の外に自警団が陣取って防衛してるみたいだけど」 「あ、はい……そのようですね。先ほど出た話によれば、相当腕の立つ人物が中心となって纏めているそうですが」 「ああ。どんな人なのか気になるな。もしかしたら、とても有能な武人だったりするかもしれないし」 「はい……度重なる攻撃を頑なに防いできているそうでうし。手練れだと思います」 「…………そうかぁ。しかし、この世界の武人とすると」 「ご主人様?」 「ハッ!? あ、いや、なんでもないよ? その、別に愛紗とか星のように綺麗なのかなとか思ってないよ?」 「……むぅー、思ってらっしゃったんですねっ」 「違う違う。そんな、機会があればお近づきにとかも考えてないぞ?」 「…………もうっ、ご主人さまの……あわわ」  珍しくぷくーっと頬を膨らませてツンと拗ねた様子の鳳統にタジタジの一刀だったが、急に言葉に詰まる少女に怪訝そうな表情を浮かべる。  何かを言おうとしたのに言葉を飲み込んだように見える。言われたら何かしら損害は受けそうではあるが、言うのを急に止められるとそれはそれで気になるというものである。 「ん? 俺の……何?」 「あ……いえ。その……あわわ」 「何か言おうとしたんだろ? いいよ、言ってみなよ。何、罵詈雑言は詠で慣れてるんだ。大丈夫だ、問題ない!」 「あわわ、それは自慢することじゃないと思います……」  一刀は笑顔を浮かべて胸を張り、さあこい、どんとこいとばかりに言ってみたものの、鳳統は白状するどころか、少し瞳に哀れみの色が混じったように見える。  だが、耐久力が少しは上がっていると自負する一刀は手を休めない。 「ははは、まあ。打たれ強い、とでも思ってくれってことさ。ほらほら、オニーサンに言ってみなさい」 「あわわわわ……か、顔を近づけないでくだしゃい。はぅ……」  さあ、あっ、さあ! と顔をズイと近づける一刀だったが、鳳統は頬をピンク色に染めて帽子を深く被ってしまう。  そんな鳳統に苦笑しつつも、一刀は更に問いかける。 「……大丈夫だから。な?」 「………………」 「俺は怒らないよ……雛里になら何言われても」 「…………いえ。その……ご主人様に酷いことを言うなんて……出来ないやって思ったもので……あぅ」  一段と顔を真っ赤にして鳳統は後ろを向いてしまう。余程来る物があったのか耳まで赤くした後ろ姿は小刻みに揺れている。 「……ひ、雛里」  一刀もまたプルプルと肩を振るわせながら、一歩踏み出す。ゆっくりと鳳統へと腕を伸ばし、そして、 「雛里は、かわいいなぁ~もうーっ!」 「あわわ~」  思いっきりぎゅうっと抱きしめた。水鏡学院の制服だというふんわりとした服装的にモフモフとした感触と、ほんのりと伝わる鳳統の温もりが心地よい。 「んー肌もすべすべだー」 「あわ、あわわわ……ご主人しゃまぁ、ほっぺとほっぺが……あわわわわっ」  更に頬をこすりあわせてぷにぷにでぷるぷるの鳳統の肌を堪能する。一刀にとってまさに至福。  そんな風に鳳統の抱き心地などに一刀が破顔する一方、腕の中の少女の顔は度を超えた赤みを帯び、眼もぐるぐると回っている。  朱色に染まる鳳統との微笑ましい心の交流をしていると、診療質の戸が開かれ中から一人の青年が出てくる。  それは先ほど絶叫していた医師だった。  よく見ると、彼の背を追うように、子供と大人の中間くらいの背丈の二人組が姿を見せる。その二人はフードを被り、顔の半分は隠れ、素顔はよくわからない。  青年医師は一刀と同じか、もう少し大きいか。連れ立って歩くフードの二人組は、片方は鳳統と同等くらい、またもう一人は彼女より若干大きいくらいだろうか。  そんな三人の登場に鳳統と一刀が注目していると、青年が首を傾げつつ、歩み寄ってくる。 「おや? 君たちも俺の患者かい?」  医師である青年が一刀達の姿を認めて、声をかけてくる。 「え? あ、いや。俺たちは違いますよ」 「あれ、そうなのか? そうか、いや丁度一区切り着いたところだからね。もしそうなら診てしまおうと思ったが」 「俺たちは、公孫賛軍の者です。こっちの子はこう見えても立派な軍師様だよ」 「……こう見えてとはどういう意味でしゅか。あ……その……は、はじめまして」 「ああ、はじめまして。そうか、二人とも救援だったんだな、治療班としては増える患者数に手を焼き始めていたからな。いや本当に助かるよ。ありがとう!」  ニカッと健康的な笑みを浮かべる青年。医療に携わる物らしい真っ直ぐさと、医師にしては少々暑苦しい感じがする。それが一刀が抱いた第一印象だった。  †  その場で立ち話もなんだからと、一刀達は青年医師とその助手だという二人組を連れて宿舎へと赴く。  華佗の治療を受けたからか、路上にまで溢れんばかりだった怪我人や病人たちは皆、姿が見受けられない。  見張りや夜番の兵くらいしか起きていないからか、村内はひっそりとしている。また賊軍が襲いかかってきたら落ち着けないだろうし、しっかり休んで欲しいものだと一刀は思う。  そんな村から空を見上げると、若干の白みを帯び始めており、夜明けもそう遠くないと判断した一刀たちは仮眠を取ったりはせずに休息がてら談笑をすることにした。  ただ、青年の連れの二人は、青年医師の休ませたいという意思と、当人達が眠そうにしていたため二人のみ寝室へと案内してもらうことにした。  案内人に連れられて眠りにつく二人が、片やぺこりとお辞儀をし、片や手をフリフリと振るのに対して一刀も軽く手を振って返す。 「二人とも。明日も朝から診療が待ってるから、しっかり休むんだぞ」 「なんだか、保護者のようだな。えっと……」 「あわわ……ご主人様、華佗さんですよ。華元化さん。究極医術が一つ、五斗米道継承者さんですよ」 「君、鳳統ちゃんと言ったかな。今、鳳統ちゃんは何と言ったかな?」 「え? その……華佗さん……と」 「ちっがうっ! そこじゃあない、その後だ!」  急に豹変する華佗に鳳統がびくっと全身を震わせ、おろおろと戸惑う。気のせいか若干の怯えすら抱いているようにも見える。  だが、鳳統は気圧されかけながらも、生真面目に答えようと努めるらしい。 「あわわ……き、究極医術が一つ、ごとべい」 「それだぁ! 違う、ごっどゔぇいどーだっ!」 「あわわわっ!?」 「おいおい……あんまり、この子を驚かせないであげてくれないか。人見知りしやすいからさ」  華佗の声に驚いて先ほどよりも大きく全身を跳ねさせて眼を回す鳳統を抱きかかえながら、一刀は眉尻を下げた顔で華佗を宥めようとする。  鳳統の様子と、一刀の言葉に華佗も僅かに申し訳なさそうにする。 「む。それはすまない。だが、誤りは正さなくてはダメだ。いいか、北郷殿、君もよく聞くんだ。正しくは、ごっどう゛ぇいどーだっ」 「別に呼び捨てで言いんだけど、北郷なり一刀の方が慣れてるし。それで? え、えぇと……ごとべいどう?」 「だから、違ぁぁぁぁぁぁああああう! ごっど、う゛ぇい、どぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおお、だっ!」 「ご、ごっどべいどー、だな」 「ちっがーう! ごっどう゛ぇいどぉぉぉぉぉぉ!」 「ごっとう゛ぇいどぉぉぉぉぉぉ!」 「だから、違う! ごっどう゛ぇいどーだっ」 「……ご、ご主人様、ごっどう゛ぇいどーです」 「そう。ごっどう゛ぇいどーだっ!」 「お、おう」  あまりの熱意に一刀も流石に一歩引いてしまう。第一印象通り、いやそれ以上に暑苦しい男である。 (それにしても……おかしいな)  目の前の青年医師に、正しい発音で五斗米道と答え、漸く満足させた一方で一刀は内心で首を傾げる。  彼が元々いた世界、前の外史よりも前の世界……時代自体が、今とは違う世界では一刀は確かに五斗米道教に関して習った。五斗の米を信徒となる印として奉納することから五斗米道と呼ばれる道教集団であると。  しかし、その五斗米道の読みは目の前にいる華佗の発するそれとは違う。  そして、もう一点、華佗という名医の存在である。一刀の知る名医華佗と五斗米道の関係は目の前の青年のそれとは違うはずである。  更に、一刀が走り抜けた一つ前の外史では出会ったことのなかった存在でもある。それも一刀の知る史実上と年齢の違いはあれど、性別がそのままというのは希有である。  目の前の青年医師、華佗。一刀は何か運命的なものを感じてしまっており、それ故に自分の妙な感覚に首を傾げていた。 「ふう……どうした? なんだか怪にでも化かされたみたいな顔して」 「え? いや、別になんでもないぞ」 「……わ、私も何だか……気になりました」 「え? 雛里まで何を言ってるんだよ。特に変なことはないよ」  そんな馬鹿なとばかりに頭を振って一刀は二人に対して苦笑してみせる。 「お、おい。そんな冷めた仕草で熱く見るなよ……そっちの気はないぞ、俺は」  どうやら華佗をじっと見るのはつい続けてしまっていたようだ。  一刀は慌てて、ぶんぶんと頭を振りながら必死に否定する。 「ないない! 俺だって、ないからな!」 「ははは、冗談だよ。わかっているさ。君はどうやら、鳳統ちゃんと随分と仲が良いみたいじゃないか」 「わ、わかればいいんだよ……」 「恋人なのか?」 「あわわわわわっ」 「…………っ!?」  一息つこうと含んだお茶を全て毒霧の様に華佗の顔へと吹き付けてしまう。 「ぬわああああああ、何をするんだ。ああ、服まで濡れちまった」 「げほげほっ、わ、悪い……だけど、いきなりズバっとくるから驚いて」 「あわわ……」 「ほら見ろ、雛里だって驚いて萎縮しちゃってるじゃないか」 「だが、心なし嬉しそうじゃないか?」 「…………あぅ」 「それは……まあ、色々あるんだよ」  とうとう一言も発せないほどに戸惑ってしまっている鳳統を自分の膝にのせ、彼女が気持ちを落ち着けられるよう頭を撫でながら一刀は微笑を浮かべる。 「ふーむ。まあ、いいか。それで、二人はそういう……ええと、恋仲じゃあないのか?」 「違うとは言えない間柄だし……その通り、と答えよう」 「さっきの時点で、普通に、そうだ。で、よかったんじゃないか……?」 「まあな」 「………………」 「わ、悪かった……だから、無言で針を構えないでくれ、な? 頼む」 「まったく。話の結論までの道のりが遠すぎだろ」 「いや、こういう感じで話すのは久しぶりで……ちょっとはしゃぎすぎた。ごめん」  そう。このように、親しげに同世代か多少違っても近いであろう歳の同性と話すのは一刀にとって実に久しぶりだった。  前の外史ではいなかったし、その前の世界でなら及川祐という友人……親友がいた。  この世界では、ひょんなことから慕われることになったヒゲの男。通称アニキと、その取り巻きたち。  だが、その一番近しい記憶すら、遠いことのように思える。  そんな気持ちが表面に出てしまったのか、華佗が頭を掻きながら気まずそうな表情をする。 「まあ、わかればいいさ。それより、折角だ。話をつづけよう」 「あ、ああ。そうだな……それじゃあ、華佗は医者なんだよな?」 「ああ、そうさ。今大陸は非常に苦しい時代を迎えている。そんな中で俺に出来るのは大勢の人たちを医術で癒すことだと思っている」 「なるほどな。華佗のような人がいるというのも、こんな世の中での救いかもな」  徐々に空の闇を切り裂く白光が先ほどよりも増しており、今では窓から室内へと射し込み、二人の間にある卓を照らす。  華佗の存在も丁度、この光のようなものなのかもしれない。 「そういえば……さっきの二人は」 「ああ、あの子達か。俺の連れがな、知り合いから託された子供達だよ」 「他にも連れがいるのか」 「あれ、まだ会ってないのか? いや、そうか……今は、自警団率いて備えているようだし、会えないか」 「ああ例の……そうか。それじゃあ、あの二人は、その人の知り合いの子供なのか?」 「いや、どうにも違うようだ。俺も詳しいことは聞いてないから。素性はわからなくてな」 「そうか。でも、悪い子達ではなさそうだな……」 「もちろん。俺の助手になることも自分たちで志願してくれてな、色々と助かっている」  そう騙る華佗の表情は増してきた朝日の影響もあってか、とても穏やかで輝いて見える。  本当に子供達を慈しんでいるのだと、一刀には直感的に感じ取れる。 「随分と優しい顔をするんだな。北郷は」 「え? そうか? なんか華佗があの子達の家族同然なんだなぁって思っただけなんだけど」 「ふ。そうか……そう思える、というのもまた一つの優しさの元なんだろう」 「そうか」  一人で頷く華佗に一刀はただ曖昧な返事を返すことしかできない。 「そうだ。それで思い出したんだが、確か……北郷って名前に聞き覚えがあったけど。噂の御遣いなのか?」 「あ、華佗も知ってるんだな。まあ、一応、天の御使いってことにはなってるよ」 「そうか。やはり、敬称に違わない男のようだな。君は」 「流石に買いかぶりすぎだと思うぞ。まだ、俺のこともそんなに知らないっていうのにさ」  どうにも早合点している感の否めない目の前の青年医師に、一刀は手を小さく振りながら肩をすくめる。  それに対して、華佗は腕組みをしながら「ふむ」と一言うと、真面目な表情を一刀に向けてくる。 「……人の繋がりの大切さを君はよくわかってるじゃないか」 「ん。まあ、いろいろあったしな。流石にちょっとは、な」 「それがわかるなら、人の尊さもわかるのだろう?」 「でも、それって特別なことじゃないだろ。割と普通のことなんじゃないか?」 「平穏な世ならな。今のような人心も荒んでしまっている現状において、それをずっと失わずにいるというのは難しいことだ」 「そういうもの、なのか……」  華佗の言うこともわかるものの、それでもどうにも素直にうなずけず、ただただ唸る。  と、ここまで二人のやり取りを静観していた少女が両手の指を絡ませながら、その可愛らしい小さな口を動かす。 「……私もご主人様は立派な方だと……思います」 「雛里まで……そんな持ち上げられるような人間じゃないぞ。俺は」 「……いえ。事実、ですか」 「はっはっは。慕われているんだな。君は」 「あ、ああ。まあ、そうかな」 「そして、やはり俺が言ったとおり、天の御遣いという名にふさわしいようだな」  そう言って、華佗は笑う。何故か非常に愉快そうな笑みである。何がそんなに嬉しいのだろうかと思いながら一刀は話を変える。  丁度、迎えの兵士が来ているのが見えたからだった。  つまり、もうすぐ一刀達の出番となるわけである。 「おっと、そろそろ時間のようだ。俺たちの出番のようだし、行こうか。雛里」 「……あ、はい。ええと……これで失礼します」 「よろしく頼む。あちら側は俺の連れが居るから安心してくれ……それじゃあ、討伐が済んだら、また会おう」  そう言って、華佗が椅子から勢いよく立ち上がる。一刀はその意図を察して、同様に立ち上がる。  そして、穏やかな笑みを口元に称えながらも、華佗と視線を交わしあう。 「ああ。それじゃ」  二人の男は、どちらからともなく握手を交わすのだった。  †  兵達を連れて、颯爽と村の門まで行く。夜の闇が朝日によって滅せられていく先、三里程の距離に無数の人馬の影がなんとか認められる。  深呼吸をする一刀の元に見張り台に昇っていた兵士の声が頭上からかかる。 「三里先に敵影! 数はおよそ三千!」 「わかった! よし……雛里、頼む」 「はい……敵は私たちの到来を知りません。また、自警団相手でも、優勢だったとのことですので、敵は驕っていると見てまず間違いありません」 「そんな状態で……いや、そんな状態だからこそ、勢い任せで襲撃に来たあいつらの前に、俺たちが飛び出るわけだな」 「ええ……そのとおりです。私たちは相手の虚を突くんです……ここが消耗を低く抑えながら事態を収めるために大事なところです」 「わかった。それじゃあ……みんな、やつらに目に物見せてやろう。そして、別働隊である趙雲隊を持って虚を撃ち、相手を完膚無きまでに叩き潰そう!」 「おおおおおおおっ!」 「村に平穏な時間を取り返すぞーっ!」 「おおおおおおおおおおおおおっ!」  一刀の言葉に、兵達の喊声が応じる。敵に悟られないよう、どちらも控えめであるが気合いはしっかりとこもっている。  そんな一刀達の存在も、作戦も何も知らないまま、漠然と向かってくる賊軍。  その距離を観察し、程よい頃合いと判断すると、賊の一段へと向けて、一刀達は出陣する。 「行くぞっ!」  賊軍の方も村の方へと向かって来ているが、大分気が大きくなっているのか比例するように大きくなっている声もよく聞こえる。  その粗雑な声色の発信源は中心にいる人物達のようである。 「今度こそ、あの村を落とすぞー! てめーら!」 「おうっ!」 「なんか、変な化け物がいるが……村さえ落としちまえば、問題ない! それに、注意を引くよう、向こうにも既に仲間は向かってる」 「ということは、このまま攻めれば即決着ってわけなんすねっ」 「そうだぁ。つーわけで、いくぞおおおおおっ!」  指導者の男と、その取り巻きと思しき男がニタニタと笑いながら会話を交わしている。余程の自信があるか、はたまた余裕の戦となると踏んでいるらしい。  完全に舞い上がっている賊軍の兵達の咆吼が明け方の空に轟こうとしている折を狙い、一刀の率いる一団が足下をすくうように正面からわっと襲いかかる。  途端に賊軍の先頭から後衛までが動揺によって波打つ。 「うおっ、な、なんだありゃあ!?」 「あ、あいつら……もしかして、最近下邳で大暴れしたっていう、公孫賛軍のやつらじゃないっすか!」 「いつの間に正規兵が……くそっ、応戦するしかねぇ!」 「ちょ、無理ッスよ」 「うるせぇ、ここまで来ておめおめ帰れるかよぉ!」  賊軍の間で動揺とざわめきが流行病の如く、次々と感染していき、統率がとれなくなっていく。  元々は利害で結びついているような成らず者集団。一枚岩でないため、乱れるまであっという間だった。  もちろん、その隙を逃すはずもなく、一刀は号令を発して意気軒昂な兵達へ突撃を命じる。 「賊軍の結束は今まさに砕け散った! 迷いを持たず、一気につっこめ!」 「おおおおおおおっ!」  前後左右、どちらに向かうかすらもままならない賊軍へと北郷隊の兵士が勇猛果敢に襲いかかる。兵達による波は、容赦も慈悲もなくあっという間に賊軍を飲み込んでいく。  烏合の衆としか言いようのない賊軍と、正規兵として修練を積んでいる北郷軍とでは力の差は歴然であり、当初三千はいたはずの賊軍もその多くを削られていく。  そうして追い込まれていく賊軍は、漸くともいえる本職の将からすれば遅すぎるだろう頃合いに後退を始めた。  だが、もちろん逃走の様子が見て取とった一刀が、それを逃すこともなく全軍へ賊軍を逃さないよう促す。 「よし、このまま追撃に移ろうっ! ただし、激しくはするなよ。それと、雛里へ合図を頼む」 「はっ!」  賊軍に対して、完全には追い詰めない程度の少し緩めの追撃をかけつつ、村内で待機する鳳統へと合図を送る。それが確認されたのだろう、村の中からとある方向へ向けて一本の火矢がびゅっと放たれた。  その矢が約束の合図となり、別方向から賊軍を捕食するかのように身を潜めていた一隊が姿を現して一気に襲いかからんとばかりにジリジリと詰め寄る。  一隊の先頭から一人の将が現れる。  後ろで中央部の髪を束ねた少女だった。彼女は朝日を受けて切れ長の瞳をキラリと輝かせながら威風堂々と名乗りを上げる。 「我は、公孫賛軍の将、そして北郷一刀が刃。趙子龍なり! 民を怯えさせる無法なる賊共よ、貴様らは包囲された。もし抵抗をするというのなら容赦はないと思うがよい!」  その一喝が余程聞いたのか、賊軍の動きがピタリと静止して、みな大人しくなる。指揮を執っていたと思われる男も青い顔で意気消沈している。  もう抵抗する気もさっぱりと失せてしまったのだろうと踏み、一刀が投降の勧告を告げる。賊たちは皆、次々と得物を手放し、大地に金属音や鈍い音が幾重も響き渡る。  完全に投降することを決めた様子を認めると、一刀は兵達に賊の捕縛をさせつつ辺りを見回して吐息を零す。 「これで、一件落着。かな」  張り詰めていたものがようやく解きほぐれていく。一段落してからは比較的とんとん拍子で賊討伐もさっくりと終わった。  捕縛した者たちから根城としている砦の場所も聞き出すことができ、趙雲が隊を率いて向かったので残りの賊もまもなく捕まえられるだろう。  残りの兵達には念のためにと、見張りを村人達と交代して務めるよう言いつけておき、村の自警団もまた村内へと帰らせることにする。  出すべき指示を出し終えた後、代表者への報告も無事に済ませることで一刀は一通りのなすべきことをなした。 「ん……思ったよりは、上手く事が進んでよかった」  代表者の宅を後にした一刀が肩やら首やらをコキコキと鳴らしながら歩いていると、自警団に参加していた村人たちが現れる。  少し眠そうな鳳統も目をこすりながら、近づいてくる集団に目を見張る。 「ご主人様……あれ、自警団の皆さんですね」 「そうみたいだな、挨拶して置いた方がいいかもな。皆さん、お疲れ様です」  自分たちが来るまでギリギリの中で必死に村を守ってきたのだからと、労おうと一刀が近づいていくと、その中から一際大きな影が飛び出してくる。 「ぬふぅぅぅぅぅぅ! 良い男っ!」 「あわわわーっ!?」 「なんだ、この寒気は………………っ!?」  ゾクッという寒気を感じさせる獣のような咆吼に一刀が自警団の方を見ながらぎょっとしていると、飛び出した影が一気に詰め寄ってくる。  どこかで感じたような感覚が、一刀の胸の奥からしみ出し、一瞬のうちに全身へと駆け巡っていく。 「おお、イイオノコとの出会いが、儂のこの小さなドキをムネムネさせるぞぉ!」 「ひいいいいいっ!」 「あわ、あわわわわ……はぅ……」 「しっかりしろーっ! 雛里ぃぃぃぃぃぃっ!」  目の前に現れた巨体の持ち主に鳳統が眼を回して倒れてしまう。一刀は、慌てて彼女の躰を支えながら目の前の〝ソレ〟を見る。  迫力ある筋肉質な肉体、まるでどこぞのヒゲガン○ムや海賊船の船長ののような見事なまでに反り返った白ひげ、白髪を左右の耳の上辺りで結った日本の古風というよりは古代でしかお目にかかれないような髪型。  そして、何より、紺色の燕尾服の下で、褐色気味の素肌との対比が一段と際立たせている白いビキニタイプの胸当てと、下半身唯一の衣……まばゆいばかりの純白の褌と、まるで汚れを知らぬ乙女のような白に身を包んでいる。 「がはははは、儂の美貌に流石の少女もめまいがしたようであるな」 「え、ええと……あの、あなたは……?」  嫌な予感が……というよりは、あまりにも強烈すぎる既視感をビシビシと感じながらも一刀はそおっと訊ねる。  いかつい男性的な外見にどこか女性らしさを醸し出す……そんな人物に心当たりがありすぎるのだ。 「おっと。自己紹介が遅れてしまったわい。ぬはははぁ、まったく罪なオノコであるな、少年よ」 「……あ、ありがとう」  目の前にいる珍妙な生物は間違いなく、自分の知る奇々怪々な生物と同類であると一刀はひしひしと感じ、お礼を言うべきなのか迷いつつも答える。  目の前の巨大な筋肉質な肉体の持ち主は、腕組みをしながら頬を染めながらヒゲをそよそよと動かして言葉を紡ぐ。 「そんなに熱いまなざしで見つめられると恥ずかしいのである。だが、この見目麗しい儂の躰を前にしては目も釘付けになるのもしかたないこと。気にするでないぞ、イイオノコよ」 「……あ、ああ……ええと、それで、あなた……あんたは?」 「おお、そうであったな。では僭越ながら、我が名は卑弥呼。漢女道亜細亜方面、前継承者である。そして――」 「…………お、漢女道」 「あわわわ……ま、ましゃか……」  未だに自分で立てそうにない状態が続く鳳統の言葉を一刀も脳裏に描いていた。  まさか――。  そう、漢女と名乗る人物、それはまさに……一刀が先ほど想像した人物、その人だった。  同類確定。その事実に一刀は頭が痛くなってくるのを感じた。 「む、どうした、少年よ? 調子が悪いのなら、儂が愛の籠もった熱い接吻で」 「うわー、大丈夫です。モンダイアリマセン、平気。だから肩から手をハナシテクダサイ」 「がはははは、強壮な男子なようであるな。うむ、内に秘めた胆力の強さ……儂のハートがムネムネするのだ!」 「そ、そう。えーと、それで……卑弥呼さんはマスターアジ――」 「少年よ。卑弥呼、と呼び捨てにしてくれてかまわぬぞ。お主のようなイイオノコになら、そう呼ばれたいからのう」  頬を染めて人差し指をつっつきあわせてくねくねしている卑弥呼に血の気が引くのを堪えながら一刀は続ける。 「あ、ああ……それじゃあ、卑弥呼は、亜細亜なんたらみたいだけど、そんな人がどうしてこの村で自警団を?」 「うむ。話せば長いことであるが。儂はだぁりんと共に旅をしておってな。偶々この村に寄ったところ、何やら困ったことになっているという。世話にもなっておる身、そしてだぁりんのため、儂は立ち上がったのである」 「なるほどね。卑弥呼にも連れがいるのか……そっちも同類じゃないといいけどな」 「あぅ……しょ、しょうですね」  桃色の頬に両手を添えて瞳をキラキラと瞬かせながら、嬉しそうに語る卑弥呼に二人は半歩下がる。  卑弥呼は二人の様子に少し首を傾げる。 「ふふ、このような美女を前にしているからと緊張しなくてもよいのだぞ」 「あ、はい……でも、ちょっと」 「二人ともウブでかわいい反応をしおる。うむ、それはそれで好感が持てるぞぉ」 「……あ、ありがとうございましゅ」 「はっはっはっ、別に構わんぞ。しかぁし、儂の好感度まぁっくすな相手は……無論、愛しのだぁりんなのである。ただ、少年は中々イイオノコであるがゆえ、心が揺れてしまいもする。ああ、いけない罪な恋多き漢女……すまぬ、だぁりん」 「………………」 「だが、だぁりんが良いと言うのならば……儂は……儂はぁぁぁぁぁっ!」 「…………だ、だいひょうぶですかぁ。ごひゅじんしゃま?」 「ちょ、ちょっと……怖いや。でも、雛里は守るからな」  一刀は、カタカタと震える手をなんとかブルブルと地震にみまわれたかのように揺れている鳳統の頭にのせて、撫でてあげる。  もちろん、笑みは忘れない。もっとも……非常にぎこちない物になっている自覚が彼には十分過ぎるほどある。 「あぅ……えへへ……うれしいです」 「漢女は器量もよくなくてはならぬ。故に、二人の男の愛くらいは余裕で受けられるものである……さぁ、少年よ。儂の胸に飛び込んで来てもよいぞ」 「え、遠慮しておきます。そ、それより……そのダーリン……はどこに?」 「おお、そうであった。誤解無きよう言っておいた方がよさそうであるな。だぁりんはだぁりんで、村のために働いておるのはずだぞ」 「なるほど。ということは、自警団には参加してないのか……そうか」 「うむ。もし時間が許すならば、だぁりんと会っていって欲しいが。どうだ?」 「ん? ああ。もちろん、構わないよ。それと……俺たちの方の自己紹介がまだだったな」 「おお、そうであった。ハハハハ、会話に花咲き忘れるところであった」 「えーと、こっちの娘が鳳統。今は公孫賛軍で軍師を勤めてるんだ」 「……よ、よろしくお願いしまっしゅ」  顔を赤くしながらぺこぺこと可愛らしくお辞儀をする鳳統に、卑弥呼が微笑を浮かべる。 「うむ。こちらこそ、よろしく頼むぞ。しかし、鳳統とは驚いたな……なるほど、今回はまた不思議な流れのようであるな」 「ん? どうかしたか?」 「いや、こちらの話よ。気にするでない、さあ、イイオノコよ。その素敵な御名を儂にぃっ! んふぅぅぅぅぅぅぅっ!」 「ひっ!? あ、ええと、俺は北郷。この娘と同じく公孫賛軍所属だよ」 「北郷と言ったか!?」  一刀の自己紹介を興奮気味に聞いていた卑弥呼の瞳が怪しく……いや、 美しき煌めきを持って爛々と輝く。  品定めするように一刀を見ていたかと思うと、まるで初恋の甘酸っぱい思い出を振り返るような切なげなまなざしを一刀に降り注ぐ。  そんな爽やかさの中に、青春特有の迷いが混じり合った複雑な感情が見て取れる。 「おお……お主、北郷一刀であるな!」 「あ、ああ。いかにも、俺が北郷一刀、その人なわけだけど……俺のこと、知ってるのか?」 「うむ。そうか、あやつの想い人とは少年のことであったか!」 「……? えっと……うーん」 「いや。気にしなくてよいぞ。それより、北郷よ。お主、大変な運命をその一身に背負うっておるが、自覚しておるのか?」 「っ!? あ、ああ……そうか、卑弥呼も知っているんだな。この世界と俺のことを」 「当たり前である。これでも伊達に亜細亜担当を担ってきてはいないのである」 「その担当がなんのことかよくわからないけど。まあ……その手の話は、ちょっとここだと。な」  ちらりと鳳統の顔を見て、言外に彼女がいる前ではと卑弥呼に告げる。それをくみ取ったのか、卑弥呼は一度だけ頷くと咳払いをする。 「まあ、そうであるな……だが、あえて一つだけ言っておくとするのならば」 「…………?」 「己を、そして仲間を信じ続けることを忘れてはならぬぞ」 「ああ。大丈夫だよ。何があろうと、それだけは揺らがないよ」 「ふ、そうであるか。うむ、やはり良き胆力である、あやつに独り占めさせておくのがもったいない程のイイオノコよ」  迷うことなく、真っ直ぐ見つめながら一刀が答えると、卑弥呼は最初は驚いた表情を浮かべるものの、ふっと笑みを零した。  そんな二人のやり取りから取り残された鳳統が小首を傾げながら一刀の顔を覗き見る。 「…………え、えぇと……ご主人様?」 「ふふ、なんでもないよ。ただちょっと、これからもみんなと頑張らないとなってだけさ」 「あの……わ、私もご一緒して……その、頑張りますっ」 「ああ、ありがとうな。雛里」 「……い、いえ……あぅ」  きゅっと拳をつくって、勇ましいような可愛らしいような表情を浮かべる鳳統に微笑を投げかける。 「その春の日差しのような表情を儂も向けられてみたいものよ。ぬはぁぁぁぁ」 「断固、お断りだ」  †  随分と話し込んでしまっていることに気がつき、一刀達は卑弥呼の案内で、話に出てきた連れの所へと行くことにした。  どうせだから、顔くらいはということでのことだったが、時刻も時刻であるため、御邪魔するのもと一刀は迷ったものの、卑弥呼の、その人物も起きているはずであるという一言に取りあえず一度訊ねてみること決め他のだった。  賊の脅威もなくなり、村人も安心したのか就寝を始めたらしく一層静かになる一画を通り、朝日を受けて目覚めの時を待つ一件の宿舎へと到着した。 「あれ?」 「む、どうかしたか?」 「いや、ここ。俺たちも利用してるからさ」 「ほう。それはなんという奇遇。やはり、一刀と儂は巡り会う運命だったようだな。はははは」 「……ど、どうなんだろうなぁ」  相変わらず快活な笑いを発する卑弥呼に、頬を引きつらせつつ一刀も笑う。 (どうあがいても……絶望……だったのか?)  こうしたやり取りの中からも、卑弥呼の連れとは何ものなのか、一抹の不安を胸に抱きつつも一刀が中へ入ろうとすると、逆に中から誰かが出てくる。  それはこの村に来てから見知った顔だった。 「あれ? 北郷に鳳統ちゃんじゃないか。どうしたんだ、こんなところで?」 「あ……華佗か。いや、ちょっとな」 「おお、だぁりんではないか。丁度よいところで会えたものよ。やはり、だぁりんとも離れられに運命ということかぁ」 「…………え?」 「卑弥呼もいたのか。そうそう、自警団の方、お疲れ……よくやってくれたな」 「……え?」 「がはははは、だぁりんの頼みとあれば断る道理はなかろうて。むっふぅぅぅん!」 「え……ええと、ふ、二人は知り合いだったのか……というか……そういうことか」 「……あわわ。どうやら、そのようですね」  華佗の話に出た連れが卑弥呼であり、卑弥呼の言っていただぁりんが華佗であることを把握し、一刀と鳳統の二人は静かに頷く。  そして、じっと華佗の顔を見て、なんとか笑みを浮かべてみせる。 「な、なんだ、二人ともその憐憫の混じった生暖かな目は……ほ、北郷」 「いや……えっと。その……お幸せにな」 「は? なんのことを言っているのかが、イマイチわからんのだが……どういう意味だ?」 「……いやそのな。うん。卑弥呼と二人仲良く温かい家庭を築いていってくれ」 「ぬはぁぁぁぁぁ、一刀よ。そのように隠そうともせずに真っ直ぐに言われては、さしもの儂も照れてしまうではないか」 「えーと……北郷が何を言いたいのかよくわからないが。卑弥呼は俺の家族じゃないぜ……ただ、俺に力添えしてくれる、気の良い奴さ」 「あれ? そうなのか……そうか。いや、そうだよな。ははは」 「だぁりん、わかってはおるし、そこがまた良いとも思うが……鈍感すぎではあるまいか。それと、一刀もそこで納得するでないわ。ふぬぅぅぅ」 「というか、自然と下の名前にシフトしてるし……」 「ところで、だぁりんよ。何やら外出するところだった様子であるが、どうしたのだ?」 「ん? ああ、そうだった。いや今から、彼女の所に行こうと思ってたところでな」 「ふむ、例のオナゴであるな」 「……女の子?」 「……どうしたのでしょうね」  一体、誰の事を話しているのだろうかと思いを巡らせている一刀の方へと華佗が視線を移す。  何か含みのある表情であると一刀が思うのが正解と言うように、華佗があることを願い出てきた。 「そうだ。なあ、北郷……少し、頼まれて貰えるか?」 「俺? 俺に何かできるのか……?」 「んー実は……っと、ここで話してるわけにもいかないな。向かいながら説明をするから、着いてきてくれ」 「あ、ああ。雛里も一緒でいいんだよな」 「もちろん、構わないぜ。むしろ一度に話が通せるし、いいだろうな」 「そうか。それじゃあ、いこうか。雛里」 「……あ、はい」  趙雲が来たら出先について伝えて貰うよう言伝を託して華佗の案内で一刀達は宿舎を後にした。  鳳統もいた方がいいということから、おそらくは一刀個人への頼みでなく、公孫賛軍の北郷一刀への頼みなのだろうと悟ったからである。  早朝の村を歩いて行く。四人の足は徐々に代表者の宅がある方角へと向かっている。  朝日を眩しく思いながら、それにしてもどんな内容なのだろう、と一刀が勘考していると、華佗がようやく重々しい動きで口を動かす。 「それで、北郷に頼みたいことなんだが」 「ああ。一体、何を俺に頼みたいんだ……?」 「実は、非常に危険な状態にある患者がいてな」 「患者? 俺には医術の心得はないぞ?」 「安心せい。だぁりんとて、それくらいは見定めおるわ」 「……ああ、そこはいいんだ別に。そうじゃなくてだな、その患者のための治療の薬を作るための材料が足りなくてな」 「なるほど。それを取りに行ってこいってことか?」 「いや、俺自身でいくさ。危険な道のりだからな、ただ、少しだけ兵を貸して欲しいんだ」 「無論、儂も共に行くぞ。何せ、だぁりんと儂は常に一心同体。引き離せぬ運命だからな。がはははは」 「ふむ。兵士か……どうだろう、雛里?」 「はい……そうですね。必要とあるのならそれも致し方ないかと思われます」 「ならまあ、一応、白蓮に連絡したうえで、大丈夫そうなら。いいよ」  鳳統の言葉に後押しされて、一刀は快く華佗に対して頷いてみせる。だが、華佗の表情は晴れることはなく、まだどこか申し訳なさ下な顔を指で掻いて気まずそうにしている。 「そうか、すまない……。それと、厚かましくもあるが、もう一ついいかな?」 「もう一つ? まあ、いいけど……なんだ?」 「件の患者は、ちょっとこの村にいつまでも置いておくわけにもいかなくてな。可能なら、色々と揃っている城の医療施設へと移させて欲しいんだ」 「ああ、なるほどな」  確かに、この時代ではまだ村々にしっかりとした医療機関が備わっているとは言えない。そういう施設を利用するとなると、ある程度の大きさのあるところ……そう、城などでないと辛いだろう。  また、華佗がこれほどまでに気をかけなくてはならない患者ともなれば、それこそ正規の医療機関を利用できた方がいいのだろう。  とはいえ、無闇矢鱈にともいかないため、取りあえずの返事を一刀はする。 「まあ……実際に患者をこの目で見て、華佗の説明を受けて……かな」 「そうだな。百聞は一見にしかず。見て貰ったほうがいいか」 「……うむ、だぁりんの言う通りであるな。おそらく、あの者もまた……一刀にとって重要な存在であるはずだと儂は睨んでおるしな」 「俺にとって……?」 「……どういう意味なんでしょうね」  卑弥呼の補足に一刀の胸がずしりと重みを感じる。だが、隣で不安そうにする鳳統を見ると、彼女に弱気を見せるわけにはいかないと表情が自然と引き締まる。 「まあ、見ればわかるというものよ……ほれ、診療所が見えてきたわ」 「この中にいるから……こっちだ」  華佗を先頭にして、診療所内へと入る。元々診療所としようしてはいなかったのだろう。  患者の姿も見受けられず、物も必要以上は置かないようにされているように伺える。本当に限定的な使用に留めているのだろう。  だから、ここは村の診療所とは別に、急遽作った……どちらかという簡易診療所のように見える。 「臨時で用意したのか?」 「……恐らく、村に元からあったものでは足りなかったのではないでしょうか」 「ああ、大体そんなところだよ。まあ、ここはちょっと訳ありなんだけどな」 「訳ありね……」  華佗の言葉を繰り返し呟く。やはり、ここにいる患者は普通ではないようだ。  先ほどから口数が減っている卑弥呼の様子からもそれを安易に感じ取れる。  心の奥底にざわつく不安を感じながら、診療所の中を進み、一つの間へと通される。 「ここだ。この中にいる……」  そうして開かれた扉の向こう、部屋の中には一つの寝台と患者、そして一人の少女がいた。  その少女が華佗の姿に気がついて、ぺこりと頭を下げる。 「あ、おかえりなさい……です」 「ああ、ただいま。彼女の様子はどうかな?」 「ええと……今のところ、静かに眠っておられます。ただ、やはり目は……」 「そうか。やはり、もう一押しが必要となりそうだな」  華佗に患者の状態を伝える少女、それは華佗の助手である連れではない。その少女を一刀は知っている。  鳳統に負けず劣らずの小柄な躰に、小鳥の囀りのような可愛らしい声。優しげな柔らかな瞳。  室内には姿の見えない双子の妹とお揃いであるはずの丈の短い着物とニーソックス、腰元の大きなリボンのような装飾。  それらの容姿を持った少女を、北郷一刀は知っている。彼の記憶には深く刻まれている。 「とても助かるよ。ありがとうな、それと看病、お疲れ様……大喬ちゃん」 「…………だい、きょう」 「……ご主人様?」 「………………」  愕然とする一刀に鳳統は心配そうな顔を向け、卑弥呼は何も言わず沈黙を続けている。  そんな三人に気がついた大喬が小首を傾げながら華佗へと訊ねる。 「あの、そちらの方たちは?」 「ああ、説明がまだだったね。彼らは……北郷一刀殿と鳳統ちゃんだ。彼女のことを頼むに適した相手と思って連れてきたんだ」 「……そう、ですか」 「安心していい。きっと、大丈夫だよ……悪いようにはされないはずさ」  一刀には二人のやり取りがどこか遠くに感じる。久しぶりの嫌な予感というものがドクンドクンと胸を大きく打ち続けている。  息が詰まりそうで、一刀は思わず胸を押さえ込む。緊張が高まる、嫌な汗が背中に滲んでくるのを感じる。  大きな動揺を覚えている一刀に気づくことなく、華佗は一刀と鳳統の二人を促す。 「さて、それでなんだが……こっちだ。ここに寝ている彼女こそが、その人だ」 「ご……ご主人様」 「ん、大丈夫。行こうか」  顎をしゃくり、寝台を見てくれと言外に言ってくる華佗に頷くと、一刀は、心配そうな顔で服の裾を掴んでくる鳳統と顔を見合わせて、ゆっくりと寝台へと赴く。  一歩が重い。まるで泥の中を歩いているような、そんな重い足取り。それでも立ち止まるわけにはいかず、進む。  寝台へと近づくと、そこで寝ている人物の姿が徐々にハッキリとしてくる。おうとつのあるシルエットは女性であることを物語っている。  また、枕元にいる大喬の表情が訝しむような、不思議そうな……他にも何かに気がついたかのような、複雑なものへと変化しているのも一刀の視界で明確になる。 「……な、なんで……」 「ご、ご主人様……あわわ……これって……」  一刀は目の前の光景が現実であると受け入れることを拒否したかった。  これを認めるということはどういうことか、それがわからないからだ。未知なる恐怖。  何か……何か見えざる闇が目と鼻の先にあるような、そんな息苦しさと緊張感に一刀はゴクリと喉を鳴らした。 「………………………………孫策」  一刀の目のまで寝台に横たわっていたのは、それはここにいるはずのない、いてはならないはずの人物だった。