「無じる真√N74」  ああ、自分は夢を見ているんだ。  とても、幸せな……そして、美しい夢。  一刀は、まっさきにそう思った。目の前に立っている、妖精のような……いや、天女のごとき少女を一刀の瞳が捉える。  それが現実である……そんなことがどうしても受け入れがたい彼の頭脳が勝手にそういう風に処理していく。  そう、これは夢……昨日の出来事、そして、そこから生じた疑問…そのことに思考が傾いていたから、こんな夢を見てしまったのだ。  頭の中でそのような展開が行われている一刀を、目の前の少女が気恥ずかしさ前回の表情で上目がちに見る。 「……あ、あの、ご、ごひゅっ! あわわ……ご主人様?」 「…………ひ、雛里。だよな」 「……はい。えっと」 「夢……か? 妖精のようで……凄く綺麗だ……」 「あわわわわわ……き、綺麗だなんて、勿体ないお言葉です」  呆然としながら呟いた一刀の言葉に鳳統は眼を回しながら身を縮こまらせる。左右にふらついている、その躰がよろめく。  どうやら慣れない格好な上に裾が長いため、足がもつれたらしく、そのまま戸の方へと倒れ込む。 「危なっ……」  すんでの所で間に入った一刀が彼女の躰を抱き留める。両腕にやわらかな感触と、鼻腔を擽る甘い香り。 (これが夢? ……いや、とてもそうは思えないな)  夢にしてはしっかりと伝わってくる、少女の存在。これは現実なのか、と眠気の残る頭が考え始める。 「あわわわわわわわわわわわわわ」 「……あ、大丈夫だった?」  はっと我に返り、一刀は腕の中の鳳統に問いかける。 「あわわわぁー」  熱に浮かされたようにぽおっとしたまま、一刀の問いかけに答えない。 「雛里? 雛里さーん?」 「あわわ……はっ!? あうぅ……」  瞳を覗き見ながら訊ねると、彼女は今度は声をすぼめてうつむいてしまった。 「うわ……顔が更に真っ赤に……大丈夫か?」 「……あわわ……はう……」 「うーん……少し待つしかないな、こりゃ」  眼を回してしまっている鳳統を見ながら、一刀は頭をかく。  それから、暫くして、ようやく鳳統が落ち着いたのを見計らって、改めて話しかけた。その頃には一刀の頭も既に通常運転を開始している。 「それで、これは一体?」 「あのでしゅ……ですね。実は、その……街の皆さんが、用意してくださったんです」 「用意? なんでまた急に、そんな立派な服を……」  鳳統の全身を視線でなぞる。どう見ても一刀には上等品のように思える。 「だ、だって……ご主人様が、その……あぅ……」  理由を語ろうと口を開きかけた鳳統だが、一段と顔を真っ赤にすると湯気をたてながらうつむいてしまった。  一人で動揺している彼女の頭に一刀はそっと手をのせて、頭部の装飾に気をつけながら、優しく撫でる。 「……あ」 「何があったのか、説明……頼めるかな?」 「は、はい。えっとですね……ご主人様は……昨日、私と会ったときのことを覚えていらっしゃいますか?」  小首を傾げながら、鳳統が訊ねる。身に纏った純白の装飾が悠然と揺れる。 「ああ。街の人たちと話をしていて、そこに俺が……だったよな。でも、それがどうかしたのか?」  その時の事を思い出しながら、一刀は鳳統を見る。  交わされた言葉、人々の表情。その後の鳳統の様子……それらからはとても、目の前の事態に繋がらない。 「……あの、あの時……ごしゅ、ご主人様は……その……私に関することで……その……」  ごにょごにょと口ごもってしまう鳳統の頭をなで続けながら一刀は思い起こす。 「確か……雛里のことで色々と約束したんだっけな……もしかして、それと関係が?」 「……か、関係どころじゃ……ないです。その、それが根幹なんですよ」 「大元があれって……えっと、つまり?」  寝起きと言うことも相まって思考が上手く纏まらない。そんな一刀をじれったそうにすることもなく、鳳統は赤らんだ顔の僅かに緩んでいる口を動かして説明をしてくれる。 「……その、ご主人様が私の主人……えっと、あの旦那さまになる方と思われたみたいで」 「ああ、主人……なるほど。それでか……」  要約、一つに纏まりはじめる。あの時、一刀は自分は鳳統の主としてやり取りに望んでいた。  しかし、他の人々は全く違ったのだ。ご主人はご主人でも……鳳統の夫、という意味で使われていたようだ。そうなると……変わってくる事象がある。 「そうなると……あの時、俺が答えた質問ってもしかして……」 「……はい」  こくりと、鳳統がうなずく。白い肌が赤らんでいて桃のようだ。 「そうかぁ……俺が、雛里を娶ると……そう思われたってことか」 「ご、ごめんなさい……」  身を縮こまらせて鳳統が頭を垂れる。一刀は、そんな彼女に視線を合わせるよう僅かに腰をかがめる。 「謝らないでくれよ。俺は別に怒ってないんだからさ」 「……でも、ご迷惑が」 「迷惑だとも思ってない」  一刀は軽く首を振って答える。 「きっと、どういう意図で聞かれたかちゃんと把握していたとしたら……」 「…………」  鳳統の瞳が一刀を捉える。期待と不安の混じった色をしている、それがどこか美しいと思いつつ一刀は続ける。 「間違いなく、同じことを言ったし、約束したと思うよ。俺は……雛里を守るし、幸せにしようと努める」 「ご、ご主人さまぁ……」  声を微かに振るわせながら鳳統が上目遣いで一刀を見つめる。どうやら感極まったのか瞳が濡れている。  自分の本心からの言葉がちゃんと伝わっていることがよくわかった気がして一刀は嬉しかった。  本心からの言葉?  一刀は確かに自分がそう思ったのを感じた……では、彼女をそういう意味で……好意的に見ていたのは間違いないと言うこと。 (そうか、俺って雛里のこと好きだったんだな……)  それはきっと隠していた気持ち。もしくは、他の強い繋がりに基づく思いや感情に埋没されかけていた感情。見ないようにしていた真実。  この世界に来て、今に至るまで特別な間柄となった少女達は皆、一様に前外史からの付き合いだ。濃い薄いの差はあれど、それは間違いない。 「…………」  よくよく考えれば、これは初めてのことだ。なんだかんだで、この世界……外史で初めて出会った少女から、こういう気持ちを向けられてこなかった。  一刀は考える。今までは……前の外史のことを持って、迷ってきた。  だが……目の前の少女に関しては……どうなのだろう。つい、思ったままに言葉を発してしまったことを一刀は後悔する。 「……あっ、そうだった。あの……ご主人様、申し訳ありません……一緒に来てくださいっ」  思案に耽る一刀に、慌てた様子の鳳統が告げる。  どうしたのかと一刀は彼女の顔を見る。瞳が揺れてる、気のせいか頬は一段と赤い。 「一緒に? 雛里と……?」 「……は、はい」  頬を掻きながら訊ねると、鳳統がこくこくと頷く。 「……じ、実はですね。ご主人様をお連れするよう……長老さんから仰せつかってるんです」  鳳統にこのような格好をさせた人たちの中心人物……一体、何を考えているのだろうか。 「長老さんに? なんでまた……」  一人であわわ、あわわと眼をパチパチと瞬かせている鳳統を見やる。 「あわわ……思ったより時間がかかってしまいました…。は、話は後です。一緒に来てください……」 「よくわからないけど……わかった。ちょっと待っててくれ。着替えてから行くから」  そう答えると、一刀は寝間着を脱ぎながら制服の方へと歩んでいく。鳳統がきゃっと息を呑んで顔を抑えるのがちらりと見えた。  白き衣……と言うと、大層に思えるが、一刀にしては着慣れた白を基調とした制服。 (これを俺が着ると……なんだろう……まるで……)  二つの物語が一つになるための儀式のようだ……と、思った。一刀自身、そういうのは元の世界では仮想物語の中で幾度もみたことはあった。  後は、正装に身を包んだ人たちが居て……ケーキや花束が順に登場すれば完璧なように思えた。 「……ご主人様?」 「あ、ごめん。今行くよ……」  着替えをしながらもぼおっとしていた一刀は鳳統の声で我に返り着替えを済ませると、すぐに彼女のもとへと向かう。  鳳統をエスコートしつつ、一刀は自室の戸を閉める。 「さ、それじゃあ、行こうか」 「……はい」  二人揃って歩き出す。ますます、人生という道路の合流地点を想起させる。  この様子を第三者が見たら、やはり、そう思うのだろうか。そんなことを考える。  関係の深い少女達に見つかれば騒動になるだろう。  深くはなくとも、関係者である兵なり侍女なり、他の誰かなりに見つかれば……回り回って関係の深い少女たちに知れ渡り、騒動になるだろう。  つまり、もし誰かに見られたら騒動は免れない……と、一刀は思い、何気なくキョロキョロと周りを伺う。 「あの……どうかなさいましたか……?」 「ん? いや、なんでもないよ。そういえば、長老さんのところへ行けばいいのかな?」 「……はい。後は向こうで、説明してくださるとのことです」  そう答えると、鳳統はまたうつむいてしまう。その反応からするに、もしかしたら彼女は説明されることに関して知っているのかもしれない。  いや、そうでないにしても大方予想が出来ているのだろう。  朝の新鮮な空気。人の気配がまったくない、通り。  いやに静かな朝。それが一刀を落ち着けない感じにさせる。  隣の少女を見る。完熟林檎のような赤い顔でうつむいている。でも、昨日見たのに近い表情で、活き活きとしている。 「…………」  その様子に一刀の頬も自然と綻ぶ。どうなるのか、わからないが……まあ、なるようになればいい。そんな気にすらなってくる。  相変わらず、人の気はないなかった。  †  いやに人気がない朝の街を抜けていく。早朝とはいえ、人が居ない…ということは、そうないはずだった。  だが、今は不思議なことに人の姿がまったく見られない。みじんも人の気配がしないのである。  脳裏に、この下邳に来てすぐのことが思い描かれる。 「あるわけない」 「ふぇ?」 「あ、いや……なんでもないよ。独り言」  不思議そうに見上げてくる鳳統に一刀は微笑みでかえす。 「……そうですか?」  なおもきょとん、とした様子をしている鳳統。風邪ですこし乱れた彼女の髪をそっと直してあげる。  あの一件以来、自分が無意識にでも緊張感を持つようになっていることに一刀は気がついた。  太平の時はいまだ訪れず。でも、今は一時の平穏を噛みしめよう……。そう思い、心を軽くする。 (気は緩められないけど。メリハリ、だよな……) 「それにしても長老は一体、何を考えているんだか……」  結局、別の緊張があり、一刀は気の緩めようがなかった。鳳統をおめかしさせて、一刀の元へ送り込んでくる。  その意図は先ほどわかった。しかし、そこからどう発展していくのか、今後の展開がよくわからない。 「……それは、あわわわぁ」  鳳統は返答の代わりとばかりに湯気が立ち上りそうなほど茹で上がる。一体何を想像したのだろうか。  その答えにたどり着く前に、鳳統の真っ赤な顔はようやく冷め、そして、二人は長老の家に到着した。  他の民家よりはマシに見えるが、それでも言うほど飛び抜けた感じはしない家屋。深呼吸をすると、そのまま中へと足を踏み入れる。  奥へと進んでいくと、侍女がおり……お待ちしておりました、という言葉と共に案内される。 「……うーん。どんな話が待っているんだか」 「…………き、緊張しましゅ……」  長老の部屋へ近づくにつれて、段々鳳統の口数が減り……彼女はがちがちに固まっていく。その様子に首を傾げていると、一室へと通される。  中には好々爺といった様子の老人がいる。それこそ、長老なのだろう。 「ようこそ、お越しくださいました。御遣い様」 「いえ。こちらこそ、お呼び頂き、ありがとうございます」  恭しく頭を下げる長老に一刀も礼で返す。長老に促されて、二人は腰を下ろす。  向かい合うように座すと、長老は顎に手をやり、何やら納得するように頷いている。 「……うむうむ」 「えっと……あの?」 「おお、すみませんな……ふぉふぉふぉ」  いやにご機嫌な様子で高らかに笑う長老。一刀はその反応についていけず、ただ呆然とする。  そして、一頻り長老が笑ったのを見届けると、早速とばかりに切り出す。 「あの……雛里を俺が娶る、というような話が通っている、とお伺いしたのですが」 「ええ、ええ……皆から聞いておりますよ。随分と強い決意をお見せくださったそうですな」 「あ……いや、その。あれはちょっと誤解がありまして」 「ほう、誤解ですかな?」  眼を丸くしながら長老が一刀をじっと見つめる。一刀は一瞬だけ伏し目がちに床を見るとこくりと頷く。 「なんというか……俺と雛里は主君の関係ですので……そっちのことかと思ったんですよ」 「……ああ、ああ……そうでしたかぁ。ということは彼らの早とちりでしたか……なんということを」  長老が申し訳なさそうにむき出しの額に手を当てる。一刀は慌てて、言葉を付け加える。 「あ、いえ……そういう意味で、なら……多分、同じ思いです。だから、間違ってはいないんです」 「なんとっ!? それは誠ですかな?」 「はい……嘘偽りない、本心です」  言ってしまった。それでも、後悔は……ない。流れに身を任せよう……なんて思い半分、やっぱり自分を思ってくれるなら、それを無碍には出来無いし答えたいとも思うのだ。  長老は一刀の言葉を何度も反芻するように呟くと、表情を明るくさせる。 「いやぁ……良かった良かった。これで無駄にはなりませんな」 「はぁ……無駄に、ですか?」 「うんうん。御遣い様のお気持ちも直に知れた。これで憂いはもうないのう」  顎の辺りをさすりながら長老は頷く。そして、ぱんっと膝を叩くと二人を交互に見る。 「よし、なら早速準備に取りかかるとしましょうぞ」 「え? あの……準備って?」 「ははは、みなまで言わずとも……ねえ? あ、悪いが、皆の者に伝えておいてもらえるか」  一刀に朗らかな笑みを見せながら、長老は侍女達に指示を出していく。  皆の者……とはどういう意味だろう。いったい、どれ程の人間が関わっているのだろうか。  そんなことを思いながら、一刀はいまいちど尋ねて見る。 「あの……本当にわからなくて。これから何をする気なのですか?」 「おや? まだ、おわかりでない……そうですか」 「……あわわ」 「鳳統ちゃんはわかっているようじゃのう……ふぉふぉふぉ」  何故かずっと静かだった鳳統は、またもやぽーっとしている。何が起ころうとしているか、わかったのだろうか。 「なあ、雛里……これは一体?」 「あぅ……私とご主人様が……あわわ~」 「ダメだこりゃ……」  鳳統に尋ねてみても、彼女は両手で顔を覆っていやんいやんと首を振るだけ。さっぱり、わからない。  ただ、どうにも何か気恥ずかしいことがありそうだということだけは一刀にはひしひしと伝わって来た。 「え、ええと……それで何を?」 「…………ふぉふぉふぉ、まあ、お楽しみにしていてくだされ」 「凄く、落ち着かないんですが……それに、俺、今日も色々とやらないといけないことが」  はぐらかしつつ、どんどん話を進めようとする長老に一刀は釘を刺してみる。 「あ……それなら、既に私の方で調整してあります」  そんなささやかな抵抗も鳳統に遮られてしまった。 「雛里っ!?」 「ご、ごめんなさい……でも、あの……そうして欲しいって、要望がありまして……その、白蓮さんたちには……」 「はぁ……いや、いいよ。うん、それだけ大事なことなんだろう? 雛里にとってはさ……」  一刀は息を吐き出すと共に肩から力を抜くと、そっと鳳統の頭を撫でる。すると、彼女は申し訳なさそうにしながらも、安堵の表情を浮かべる。  それを見た長老が、眼を細めて手を打つ。 「ほっほっほ……うむうむ。仲がおよろしいようでなによりですのう」 「あ……あぅ……」 「まあ、悪くは無いよな……」  マジマジと見られながら言われるのは流石に一刀でも恥ずかしい。朝から周囲に呑まれっぱなしだった。  †  下邳城の中にある館にて、朝からいやに淀んだ空気が漏れ出す一室があった。  その部屋の窓際、そこに引いた椅子に腰掛け、目の前の卓に肘をのせてほおづえを突いている女性がいた。  嫌に重々しい空気の発生源は彼女だった。 「仕方なしとはいえ……うーむ……」  窓の外に広がる街の方を眺めながら、女性は唸る。いつもとくらべて、人の流れが薄い街。商店区画も、住宅区画もがらがらだ。  それは街全体で何かがあるということ……。 「はぁ……雛里からの申請とそれに見合う尽力は認めるがなぁ」  一刀を一日借り出したい。そう言ってきたのは昨日の事。普段からの功績と昨日の頑張りから、一刀に休みを作った。  もっとも、これまた申し出があり、本人は伏せていたが。 「ま、あいつの……言っていたことと、雛里の様子を考えれば……」  様々な映像が公孫賛の中を駆け巡る。そして、落ち着かない気持ちと羨む重いが彼女の胸に飛来する。  唇をとがらせて宙に視線を漂わせていると……部屋の扉が訪問者の来訪を告げる。 「入るぞ……」  その言葉に公孫賛が応えると、華雄が慄然とした表情で入ってくる。 「華雄か……どうした?」 「いや何、少し耳に入れておきたいことがあってな」 「……ほう。それは雛里のことか?」 「雛里? 雛里が、どうかしたのか?」  どうやら違ったらしい。不思議そうな顔をしている華雄に何でもないと答えると、公孫賛は先を促す。 「何……風の噂でな……どうにも、きな臭いことが起こったようだ」  腕組みしながら華雄が伏し目がちに言う。一体、彼女は何を掴んだのだろうか。 「よくわからんな。もう少し、詳しく頼む」 「私も昨日聞いたばかりでな。よく詳細はわからないが、南方から来た商人の言うには……見慣れない軍勢がいたそうだ」 「見慣れない軍勢?」 「うむ。どこかの兵らしき集団だったそうだが……遠目だったからわからなかったそうだ」 「ふむ……だが、それがどうかしたのか? どこかの賊かもしれないだろう?」  普通に考えたら、旅商人か一団からはぐれた民あたりが賊軍に襲われたと見るのが妥当だろう。 「それがな……随分と身なりが良く、また毛並みもよく上玉の馬を連れていた人間がやられたらしい。つまり……」 「それなりの地位にある人間かもしれない……ということか」 「ああ。そのことが元で何も起きねば良いのだがな……」  確かにその通りだと公孫賛は思う。ここ徐州に来る切っ掛けも、ここで起こっていたことも中々重いことだった。  ようやく、一時とはいえ、間が出来たのだ。そうそう、余計な事態が生じては欲しくはないというのが、公孫賛の素直な気持ちだ。  大切な者との時間を……自分だけでなく、今現在大切な者を大切な人であると明確にしようとしてる少女や他の者も含め……今一時でいい、ゆっくりと堪能させて欲しい  そう、公孫賛は神に祈るばかりだった。  †  気がついたら、御輿に乗っていた。  これが北郷一刀の正直な感想であり、現状を表した言葉である。 「なんというか、壮観ではあるけど……ええと……」  頬を掻きながら御輿をかつぐ、いかつい男達を見る。この光景には覚えがあった。そう、それは前の外史でのこと。  そこでもいろいろあって御輿に乗ることになったのだ……。 「また乗ることになるとはなぁ……」 「………………あわわわわ、あわわぁ」  隣の鳳統は思いっきり眼を回している。それは御輿に乗っているからだろうか。  それとも、御輿に集まる多数の視線……二人を微笑ましく見守り、そして熱く歓声を上げている民衆のためだろうか。  いや、それ以前に……この御輿に乗ることになった原因……いや、理由にあるのかもしれない。 「まさか……雛里が天女となり、天の御使いの元へと嫁ぐ……と宣伝するとは」  確かにそういう方向で話が進んでいたのはわかっていた。しかし、よもや街全体……もとい、下邳城全体を巻き込んだ者とは一刀は思わなかった。  御輿を前にして呆然としている中、長老に告げられたときは本当に驚いたものだった。  それと同時に、鳳統が予想して、動揺をあらわにしていたのはこのためだったかと納得もした。 「御遣い様ー!」 「鳳統ちゃんー! まさに天女だぁー!」 「……熱い歓迎だな」  声をかけてくれる人たちに手を振りながら一刀は鳳統に囁く。 「雛里も手を振らないと……」 「ひゃっ」 「みんな、俺たちを祝福してくれてるんだから……」 「ひゃ、ひゃい……それしゅね……あわわ」  鳳統は頷くと、ふらふらと躰ごと揺らすようにパタパタと手を振る。  それに呼応して、わっと歓声が上がる。 「綺麗だよー! 鳳統ちゃん!」 「軍師様ー!」 「大人気だな、雛里は」 「……みなさんとは付き合い長いですから」  そう答える鳳統の目は慈しみの色を称えている。本当に街の人たちを大切に想っているようだ。  その顔に見ほれる。恥ずかしがりなところも……前向きになったときの表情も……どれも一刀は好きで、今新たに少女を好きになった。 (雛里にもちゃんと話した方が……いいな)  密かに一刀は決意をする。  この催しが終わった後、隣で可愛らしく手を振っている少女に真実を打ち明けようと――。  †  わいわいと賑やかな待ちの中、女性は人垣の向こうを移動する天の御使いと、天女となった少女の姿を見ていた。  その傍には彼女の仲間たちがいる。それぞれの表情は異なっているものの、瞳に含まれる感情は似通っていることだろう。  そして、それは彼女自身にも言えること……そう、羨望という気持ち。 「いいなぁ……雛里。私だって、白が主だってるんだぞ」  普段自分が身に纏う鎧のこと、そして……愛馬の色を思い浮かべながら公孫賛は口を尖らす。  どうせなら、自分もあのようにして、一刀と共に民衆から祝福されたい。 「ふ、幸せそうな顔を浮かべておりますな……」 「あんなの、いい見世物じゃない。ボクだったら、ごめんだわ」  微笑ましげに眺めている趙雲の言葉に賈駆がいつものツンとした顔で言う。だが、その顔はやはり……どこかうらやんでいるように彼女には見える。 「では、詠は機会があっても辞退するということか」 「ちょ、ちょっと……そうは言ってないでしょ」 「ほう……?」  下卑た(公孫賛視点では)笑みを浮かべながら趙雲が、賈駆の顔を見る。 「ち、違うからね?別にボクが相手をってわけじゃなくて……その、月にね。あ、でも、だからってえっと……」 「ふ、まあ……詠のことだから、素直にはなれんだろうな」 「どういう意味よ!」 「そういう意味だが」 「…………政務もあるし……もう、ボクは戻ってるわよ」  鼻を鳴らすと、賈駆はずんずんと歩いて行く。が、ふと止まると振り返る。 「まあ、何にしても……彼女はよくやったんじゃないかしら」 「え?」 「きっと、これで……悔やみ続けてるバカと街の人たちの間も縮まるはずよ」 「ああ……そうだな。ここの人たちが大切に思っているらしい雛里と……だもんな」 「うむ。これで主に対する目も好意的なものの比率が増えることでしょうな」 「雛里もこのあたり読んでいたのだろうか……」 「さあ……純粋に、あいつを想って。だけだったりするかもね。好きな相手が関わると軍師といえど……だもの」  まるで鳳統の心情が大いに分かるとでも言いたげな賈駆の様子に、公孫賛は趙雲と顔を見合わせて、苦笑を浮かべる。 「…………と、おしゃべりが過ぎたわね。それじゃ、今度こそ行くわ」  にやける二人を一瞥すると、賈駆は颯爽と通りを奥へと進んでいった。  その後ろ姿を見送ると、二人は改めて御輿の方へと視線を向けた。 「……雛里は幸せそうですな」 「ああ。街の人たちとの軋轢もある程度解消に向かう。自分の恋心も成就……凄いな」 「さすがは彼女と並び称されるだけはありますな……」 「ああ……そうだな」  鳳統が狙ったうえの計算で行ったのかはわからないが……街の反応を見る限り、効果は確かにありそうだ。  これで一刀の憂いも薄まればと公孫賛は思う。 「それにしても……」 「羨ましいですな」 「………………珍しいな。星がそう言うなんて」 「偶には本音も言いましょうよ」  趙雲もまた、変わった。公孫賛はそれを感じた。時折、純粋に慕っている気持ちを見せるようになった……そんな気がするのだ。  ということは、彼女もまた自分同様に色々思いながら一刀と鳳統を見ているのだろう。 「二人して、何を複雑な顔をめでたいものに向けているのだ?」 「……いや、そのな」  警邏の途中なのだろう、武装をした華雄が二人の方へとやってくる。 「ははん。さては、羨望の気持ちと祝福したい気持ちとが入り交じっているのだろう?」 「う……そ、それもあるにはあるが」 「そういうわけではないのだぞ?」 「ほう。そうかそうか……」  口元を歪ませながら小さく頷く華雄。その様子からは、公孫賛と趙雲の言い分をあまり本気で受け取ってるようには見えない。 「……はぁ」 「まあまあ、どうせ、説明してもこやつにはわからぬでしょう……」 「おい、貴様。それはどういう意味だっ!」 「言葉通りだが?」 「ぐぬぬ……」  済ましてやり過ごす趙雲と憤る華雄が一触即発。いやまあ、華雄が一方的に怒っているだけだが。  公孫賛はため息を吐くと、華雄に尋ねる。もちろん、気を逸らすためだ。 「華雄も……やっぱり、雛里を羨ましく思ったりしてるのか?」 「む? いや……それは……その、だな。まあ、そうだな。羨ましいかもしれんな……」  歯切れ悪く答える華雄。よく見ると頬がほんのり赤らんでいる。どうやら、照れが混じっているようだ。  そんな彼女の反応に公孫賛と趙雲は口元を緩める。 「……今日は仕事終わったら、呑むか」 「良いですな。どうだ、華雄。お主も共に呑まぬか?」 「……ご相伴にあずかるとしよう。急に、今日は呑みたい気分になったからな」  三人は三者三様の表情で見つめ合う。それでも、その瞳に宿るのは似た感情だった。 (いいなぁ……そして、おめでとう。雛里)  †  天の御輿は、ようやく街の半分以上を通過した。  その頃には一刀は多くの生暖かな視線に晒されるのにも慣れてきた。今では、微笑みと共に手を振って応える余裕すら出てきている。  気恥ずかしさは消えないものの、笑顔を浮かべて民衆の声を受ける。 「それにしても……」  結局、未だに緊張が解けないままとなっている鳳統を見る。  もっとも一刀が「終わった後、二人だけで……いいかな?」などと言ったせいでもあるのだろう。 「こうやって……祝福されるのも悪くないな」 「……そ、そうでしゅね」 「そんなに固くならなくてもいいって……」  落ち着かない様子でぎこちなく手を振っている鳳統の空いている方の手をそっと握ってみる。 「ひゃっ……ご、ご主人様……?」 「大丈夫さ、俺も一緒だから……この先もずっと。だから今は、な?」  そう言って微笑んでみせる。どういう効果があるかは特に考えていないが、安心してくれればと思う。 「……はい」  鳳統は、小さく歓声に消え入るような声で答えると、うつむきがちになる。その頬はまだ赤い。でも、口元が綻んでいる。  何度も小さく頷いている鳳統を微笑ましげに見ていると、彼女は不意に顔を上げて、一刀を見つめる。 「ご主人様……」  喧騒の中、鳳統の声がこんどはちゃんと聞こえる。 「ど、どきどきしますね……」 「ああ、そうだな……」 「でも……凄く嬉しいです。それに幸せです……」  いつもより、ハッキリとして大きな鳳統の声……これは、彼女の気分が高揚しているからか、それとも、自分が?  わからないが、とにかく、いつもの彼女よりはしっかりとしている。それでいて軍議のときと違い、とても柔らかさを感じる声。 「ご主人様、遅くなりましたけど……返事、です」 「ああ……心の準備がって、言ってたっけ」 「はいっ」  とても、明るい声。まばゆい笑顔。  彼女は本当に上機嫌なようだ。もっとも、この状況でそうでなかったら、それはそれで一刀としても辛いところだが。 「じゃあ、出来たんだね……?」 「……できました」  こくりと、決意じみた表情で鳳統が頷く。 「心の準備はできました……ご主人様……」  しっとりとした声色で鳳統が呼びかける。一刀が顔を向けると、目の前には少女の顔。  くりっとした瞳。眉尻の下がった眉。可愛らしい鼻。愛らしい唇。そして、微かに香る、少女の匂い。 「…………大好きです。ですから、どうか私をずっとおそばに……」  眼前に広がる愛らしい顔に驚き、その可愛らしい口から発せられた言葉にどきっとした次の瞬間。  一刀の唇に暖かくも柔く甘い、特別な感触が広がり…………そして、それに応じて街は更なる盛り上がりに包まれた。街中から起こる、まるで士気を高めるための号令のように盛大な波。  そして、その中心にある一刀は、それ程までに大きな歓声に包まれていることなど気にならないくらいに……目の前ではにかむ少女を抱きしめたい衝動に駆られ、その想いに従う。  二つの白いシルエットが重なり……この日一番の高鳴りが人々に……二人に沸き起こった。