行方不明一匹(名?)/侵入者一名/来訪者計十二名/内予定外の人物一名     もしくは       一刀、対明命の最強装備を手に入れる。   江陵に戻った愛紗は成都での朱里達の今回の洛陽訪問の報告と、今後の蜀の方針についての話し合いを思い出していた。   現在の洛陽及び魏国内の現状、朱里達が感じたこれからの魏の方向、そして天の御遣い北郷一刀の事。「ただ魏に追従するだけ  ではなく、蜀は蜀のやり方をはっきりと魏に対しても言っていく」と言った朱里の顔は実に晴れ晴れとしていた。そんな朱里の顔  を見た愛紗は三国が鼎立したとは言え蜀は事実上の敗戦国であるという現実にこだわり過ぎて蜀の国内にだけ注視して外を見ると  いう事をしなかった己の視野の狭さ、思考の柔軟性の無さを感じていた。 「蜀も魏も呉も行き着く先は同じ、この大陸の安寧と発展。自分達もその一角を担う者として誇りを持つべきか……」   愛紗は成都で朱里に言われた事を口に出して反芻していた。   そして朱里達から聞いた北郷一刀と言う人間について考えていた。天の御遣い等と言う神がっかた者ではではなく、1800年先の  未来から来た人間だと言う。武に関しては中の上、知に関しては各国の軍師には及ばない。しかし彼の持つ未来の知識に関しては  驚愕の一語に尽きると言う。普段は極普通の常識人であるが(夜の彼についてはこの際置いておく)、彼の常識の中にはこの時代  の自分達では到底受け入れ難い物も有ると言う。 「桃香さまや朱里ではないが、三国会議までに一度北郷殿に会ってみねばな……」   と、愛紗はぼんやりと考えていた。丁度今なら洛陽まで赴かなくとも襄陽に彼は居る。しかし今は荊州の事もあり、どちらを優   先させるかと言えばおのずと答えは出てくる。それに愛紗としては伝え聞く北郷一刀の風聞も気に成る。全てが事実だと等とは  愛紗も思ってはいないが、火の無い所には煙は立たないとも言う。男性経験どころか、異性との恋愛すら未経験の愛紗にとってそ  れは今迄経験した事の無い恐ろしさにも似た感覚を感じていた。   そんな事を考えている愛紗の執務室に顔を覗かせた者が居た。 「……愛紗、恋いま帰った」 「愛紗殿、恋殿と音々音、只今賊討伐から帰還いたしましたぞ!」   それは呂奉先こと恋と陳公台こと音々音。音々音は賊討伐と言っているが、実際は数日かけた領内の見回りと言ったほうが近い。  事実小さな戦闘は有ったがその殆どは投降した賊達を捕縛する時のゴタゴタで、流石に真紅の呂旗を見て喧嘩を売ってくる様な賊  は居ない。蜀呉間の境界線の確定までは一時期治安が悪化した時も在ったが、境界線の確定後は落ち着いており、尚且つ呂奉先が  江陵に赴任してからは魏領程ではないが賊達の自主的な投降も増えてきていた。   蜀は呉に比べれば周辺の異民族との関係はまだ落ち着いていると言える。これは南蛮勢が早々に蜀に帰順した事や、魏が行って  いる周辺の異民族に対する政策も影響していた。だが賊が居なくなった訳ではないので、こうして定期的な見回りを行っていた。   幾ら三国が鼎立し落ち着きを取り戻しつつあっても、それに順応出来ない者やしようとしない者は居るのである。 「おお、二人ともご苦労だったな。見る限りでは何事も無かった様だな」 「……うん」 「当たり前ですぞ!真紅の呂旗を見た賊達は皆震え上がって投降してきましたからな」   そう音々音はさも自慢げに身体を反らせて言い放った。そんな音々音を愛紗は微笑ましそうに見ている。 「こちらの進捗状況はどうなのです?何か問題は?」 「大丈夫だ。ねねが出立前にちゃんと準備していてくれたからな、遅れ等の問題も最小限だし順調だと言っていい」 「なら良かったのです」 「ああ、ねねのお蔭で助かっている。私一人だったらどうなっていたか……、それを考えたら薄ら寒くなるところだ」   音々音の問いに愛紗が笑顔で答えた。音々音もここまで褒められるとは思っていなかったのか、少々顔を赤くして眼を細めなが  ら頭を掻いていた。 「……ねね偉い?」 「ああ、良くやってくれている」   恋の問いを愛紗が肯定したのが恋も嬉しかったのか、微笑みながら音々音の頭を撫ぜていた。音々音も恋にそうされて嬉しいの  か益々眼を細めてされるがままになっている。   三国の鼎立後、最も成長した者の筆頭が音々音と言えるかもしれない。以前の様な恋のオマケ軍師と言う位置だけではなく、現  在は一軍や一都市を任せられる軍師へと成長していた。朱里や雛里そして詠に鍛えられ、恋専属と言うだけでなく一人の軍師とし  ての自覚が強くなってからは魏や呉の軍師達にも教えを請い、目覚しい成長を見せていた。朱里や雛里そして詠の様な、良く言え  ば純粋培養、悪く言えば世間知らずな面も有る軍師ではなく、清濁併せ呑む事の出来る頼もしい軍師と成っていた。無論、今も知  識の量と言う面だけで比べるなら朱里や雛里の方が上ではあるが、様々な物事に対する柔軟な考え方は二人を上回っているところ  もある。   音々音にしてみれば、自分の頑張りに依って恋の蜀内部での立場が確固たるものに為ると思い精進していた。恋は愛紗や朱里達  の様な旗揚げ時からの古参ではなく、途中からの合流でしかも降将であると言う引け目を感じていたのかもしれない。無論桃香を  はじめとする蜀の面々はそんな事を露程も考えてはおらず音々音の考え過ぎなのであるが、朱里といい音々音といいそんな嫌いが  ある様である。   本人の考えはどうであれ、そんな音々音の成長を愛紗は頼もしく感じていた。   音々音の頭を撫ぜていた恋が視線を愛紗に向けた。 「どうかしたのか恋?」   そんな恋の仕草に気が付いた愛紗の問い掛けに恋が答えた。 「……さっき美以を見た」 「美以を?」 「……うん」   そしてそんな恋を補足する様に音々音が口を開いた。 「そうなのですぞ。美以殿を港の辺りで見掛けたのです。何やら慌てていた様なのですが、こちらに気が付かず走って行ってしまっ  たのですよ」   音々音の話を聞いて愛紗は首を捻る。 「何事か有ったのだろうか?」   三人が顔を見合わせているとそこに城の侍女が顔を覗かせた。 「関将軍。よろしいでしょうか?」 「何か?」 「はい、只今もう……、きゃあ!」 「愛紗!シャムが何処にも居ないニャ!居なく成ったのニャ!!」   孟獲こと美以が愛紗達の居る執務室に入ってくるなり愛紗に跳び付いた。 「おっ、おい、美以。どうしたのだ?シャムが居なくなった?」 「そうニャ、居なくなったのニャ……」 「居なくなったのニャ……」 「そうニャ、居ないニャ……」   愛紗の問い掛けに対して、美以をはじめ恋に抱きついているトラ、音々音に抱きついているミケが続いた。 「……居なくなったの?」 「そうですぞ!何処で、何時シャムが居なくなったのです?」 「そうニャ、居なくなったのニャ……。愛紗・恋・ねね、シャムを探して欲しいニャ」   そう愛紗達に眼に涙を溜めて懇願する美以。必死になってかなりの時間探していたのと、探しても見付からなかった不安からか、  美以達の顔にはかなりの疲れが見てとれた。   そんな美以に愛紗は視線を同じ高さにしながら口を開いた。 「判ったから、探すのを手伝うからそんな顔をするな美以。先ずはシャムが居なくなった経緯を教えてくれるか美以」 「……うん、判ったニャ」   そう言って美以は少し考えながらシャムが居なくなった経緯を話し始めた。愛紗が探すのを手伝うと言うのを聞いて少し美以の  顔の表情が明るく成っている。 「愛紗や恋に会いたくてここの街に来たニャ。それでここの街に着いた時港に大きな船が有ったから皆で見物してたニャ。船を見て  たら港のおじさんが美以達に魚の干物をくれたのニャ。そのまま食べても美味しかったけど、おじさんが言う様に焼いて食べたら  もっと美味しかったのニャ」 「美味しかったニャ……」 「そうニャ、うまニャ……」   三人共余程美味しかったのを思い出したのか、指を口にあて至福の表情を浮かべていた。 「……美味しそう」   三人の話に感化されたのか恋も物欲しそうな表情になっている。 「恋殿!このねねがひとっ走り行って買って参りますぞ!!」 「お前達……。今は干物の話ではなく、シャムの事だろう……。で、その後は?」   愛紗の一言で美以も思い出したのか表情を戻し話を続けた。 「それでお腹一杯になって……、お天気も良かったからお昼寝したニャ。それで眼が覚めたらシャムが居なくなってたニャ」 「お昼寝したのニャ」 「そうニャ、ねむニャ」   話を聞いていた愛紗が音々音に向かって口を開いた。 「とりあえずもう一度港に戻って……」 「お前達、皆一緒に昼寝したですか?」   音々音の問いに美以はトラとミケの顔を見てから少し考えて音々音に答えた。 「トラとミケは美以の側に居たニャ……、そう言えばシャムは少し離れたとこに居たニャ」 「お前達が昼寝をしていたのは、何かの上ではなかったですか?」 「そうニャ。美以達は何かが入っていた袋の上でシャムは何かの箱の上だったニャ。……何で知ってるのニャ?」   美以から話を聞いた音々音が愛紗の方に顔を向け話し始めた。 「愛紗殿、急いで港に向かうですよ。(……でももう遅いかもですが)」 「判った。とりあえずは港に向かうぞ。ねね、城に居る手空きの兵士達も何人か連れて行って探させよう、集めてくれ」 「了解なのです」   そう言って愛紗達は港に向かって行った。   愛紗達が港に到着して直ぐに、美以達が干物を食べた後に昼寝をしていた場所は程なく判明した。そのままシャムの捜索を開始  したが、その近辺にシャムの姿は無く、またその後のシャムの姿を目撃した者も居なかった。   愛紗達が一緒に探してくれたにも関わらず、シャムを見付けられない美以達の顔には益々不安と焦りの色が濃くなっている。 「くそっ、何の手掛かりも無しか……」   吐き捨てるように言葉を発した愛紗の顔にも焦りが見てとれた。そんな愛紗の元に音々音が近付いて来た。 「ねね、そちらはどうであった?」 「何の情報も無しです。……愛紗殿、ねねはもうここにはシャムは居ないと思うですよ」   音々音から発せられた意外な言葉に、愛紗は怪訝な顔を見せ口を開いた。 「どう言う事だ?」 「もしシャムが美以達を探してウロウロしていれば何か目撃情報が有るはずなのです。南蛮の者達の格好はこの辺りなら目立ちます  から……。ですが、シャムを探し回っていた美以達の目撃報告は有っても、シャムの目撃報告は皆無なのです。それにもしかして  人攫いかもと考えたのですが……、あれらは見た目こそああですが、武や俊敏さはかなりのものなのです。簡単に攫われるとも思  えません……、食べ物にでも釣られたならその限りではないですが……。それにもしシャムを誘拐でもしてアレに何か有れば南蛮  をそして蜀を敵に回しかねません。余程の後ろ盾でもなければ流石に……」 「なる程……、それもそうか」 「金品が目当ての誘拐ならば今になっても何も言って来ないのもおかしいのですよ。そうなれば……」 「そうなれば?」 「シャムが寝ていた何かの箱の上と言うのがもしかして船の積荷の上だったらとすれば……」   音々音の話を聞いた愛紗が表情を変えた。 「と言う事は既にシャムは……」 「はい、ここ以外の他の港に向かった可能性が高いのです」   音々音の意見を聞いた愛紗は腕を組んで考えていた。そして今出港しようとしている船を見ながら口を開いた。 「ではここから向かうであろう港に触を出さねばな」 「ならばシャムが寝ていたかもしれない船を調べてくるのです。船の大きさが判れば向かう港が限定できるかもです」 「ああ、頼む。それと用心も兼ねて兵を数人残して港周辺の捜索を続けさせてくれ」 「了解です。港は人の出入りが多いので今は居なくても何か知っているものが戻って来るかも知れませんからな」   音々音が愛紗の元を離れ、停泊していた船の確認の為に向かって行った。愛紗はその後姿を見詰めながら一つ溜息を吐いた。 「無事で居ろよシャム……」   愛紗はそう呟きながら長江の流れを眺めていた。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   襄陽に戻った一刀達を迎えたのは、満面の笑みだが怒り心頭のオーラを放つ沙和であった。   一刀達の不在の間、その代理として八面六臂の活躍をせざるを得なかったのである。   沙和の本来割り当てられている仕事だけでもかなりの量であったのだが、そこに一刀と春蘭の仕事が圧し掛かってきて、全ての  決済・仕事の監督やその指導等々、正に目の回るような忙しさであった。その合間を縫って江夏から送られてくる一刀達の情報を  洛陽にチクリ……いや報告書として転送していたのだからたまったものではない。しかも江夏から送られてくる情報の内容といえ  ば仲睦まじい夫婦の江夏見物としか思えず、現在の自分の状態と比べれば雲泥の差である。夜中に執務用の部屋から奇声が聞えた  のは一度や二度ではなかった。   そして不幸な事に、沙和自身を周りの者達が過大評価し過ぎているのも又事実であった。天の御遣い北郷一刀の直下の部下であっ  た事や、魏の三羽烏と呼ばれていた事等もその要因の一つで、地方に行けば行く程その傾向が強かった。本人を余り知らない者達  特に地方の役人にその傾向が強く、『天才発明家李典』『下がらずの楽進』と並び、沙和の一糸乱れぬ隊列操作の評判から「武は  春蘭並み知は桂花並み」と言う様な恐ろしい評価をされている事も度々である。流石に戦場では凛々しい姿を見せる沙和であった  が、三羽烏と言うのは実際のところ『仲良し三人組』と言う意味合いの方が強い。しかしそれを知っているのは今では魏の内部や  軍部の中でも古株だけである。   上に立つ者としては一刀は十分に信頼しているが、本人にその自覚が無いのが玉に瑕である。しかし、不在の間の沙和が摂った  手配の報告を見た一刀は、その外連味の無い良く気配りのされた手配に十分満足していた。   そして、江夏で手に入れたお土産と三日間の完全休暇そして特別手当で沙和の当面の機嫌を取った一刀達であった。勿論その三  日間の夜は沙和が一刀を独占していたのは言うに及ばずである。   襄陽の今後の発展を鑑み、それを予測に入れた開発計画の第一案が纏りかけた頃、ある一報がもたらされた。それは襄陽の城の  大き目の部屋を間借りしている一刀達に伝えられた。   何故一刀達が間借りしているのかと言えば、それは襄陽には正式な太守が存在していたからであった。襄陽の太守と言えば魏南  部の要所でもあり、魏の内部でもかなり高位の者がその任に当たってはいるものの、格で言えば一刀達の方が上である。その為一  刀達が襄陽に赴任した折に太守の執務室を明け渡そうとしたが、一刀に「自分達は一時期だけここに居るだけなので少し大きめの  部屋で十分」と押し切られた形に成っていた。そこに一刀と春蘭そして沙和の仕事用の一切のものが入れられている。初めはかな  りの広さであったが、直ぐに大量の資料などで手狭になってきたのはご愛嬌である。   当初は中央からの威光と方針を押し付けられるのかと思っていた現太守であったが、現状の確認だけではなく政策決定の過程で  太守や城の文官や武官果ては市井の者達の意見までも聞き入れ、それを可能な限り政策に取り入れそして彼らに自由に意見させる  一刀の姿勢を見た太守は只感じ入っていた。 「北郷様、洛陽からの一団がこちらに近付いております」   その一報を聞いた一刀が明るい顔で答えた。 「ああ、霞だろう。思ったより遅かったけど、何か手間取ったのかな?」   遅れて霞がその後真桜がここに赴任する事は決定事項であった為、ここの城の者にも伝えていた一刀であったが、一報を届けた  者の顔を見たら少し違う様であった。 「それが張将軍の旗はございません。詳しくはこちらを」   渡された一報を見た一刀は怪訝な顔をしていた。そんな顔を見た春蘭と沙和が一刀に近付き話し掛けた。 「どうかしたのか一刀」 「そうなの〜、隊長変な顔してるの〜」   見ていた一報から眼を上げ、春蘭達に顔を向けた一刀が口を開いた。 「どうやらこちらに向かっているのは真桜達らしい」 「真桜ちゃん達?」 「ん?霞が先ではなかったか?」   二人の疑問に答える為、一報を二人にも見せる。そこには何時もの真桜の態度からは考えられない丸みを帯びた可愛い文字で書  かれた一文が有った。 「あ〜、確かに真桜ちゃんの字なの〜。何々……、こちらに向かっているのは、真桜ちゃんと風ちゃんと流琉ちゃん?」 「相変わらずの字だなぁ……。では霞はどうしたのだ?まさかどこかで道草を喰ってたり迷子ってなんて事は……」 「あはは、春蘭じゃないんだから」 「おい!」 「まぁ、明日か明後日には到着するだろうからそのときに詳しい事を聞けばいいだろう。特に何も言ってきてないんだから、大事で  はないと思うし」   そう言って一刀は春蘭から受け取った一報を閉じて処理済と書かれた箱の中に放り込む。そして皆持ち場へと戻り、淡々と仕事  をこなすのであった。   翌日、夕暮れ近くなって真桜達一団が襄陽に到着した。今はその出迎えの為一刀達は城門に居る。確かに一報通り、『李』『程』  『典』の旗は確認できたがその一団に『張』の旗は無かった。 「隊長〜!」   一刀の姿を確認した真桜が手を振りながら大きな声で呼びながら早足で近付いて来る。その少し後ろで流琉も同じ様に手を振っ  ていた。 「皆お疲れさま。その様子なら道中何事も無かったみたいだね」 「そっ、な〜んも無し。まっ、今時こんな規模の軍の行軍に喧嘩売るアホや根性ある奴は流石におらへんやろ……」 「まぁ、それもそうか……。ああ、霞はどうしたんだ?それに流琉や風はこちらに来る予定は無かっただろ?」   一刀が疑問に思っていた事を真桜に対して口を開いた時、風がひょっこりと顔を出した。そして右手で口元を隠しながら、一刀  を上目遣いに見ながら話し始めた。 「いやいや、幾ら華琳さまが襄陽をお兄さんに任せると言っても、一応途中経過は確認しておかないと。それに余り長くお兄さんを  放し飼い……いやいや、放任しておく訳にはいきませんし……、絞めるところは絞めておかないと」 「あっ、わたしは風さんと真桜さんの警護です。荷物の中には陛下からのお手紙も有りますから。勿論皆さんからのお手紙や届け物  も有りますよ」 「そうか、御苦労さま流琉」   そう言って一刀は流琉の頭を撫ぜる。「子ども扱いしないで下さい」と流琉は言うが、邪険に手を払うような事はしない。少し  照れたような顔で頬を赤く染めながらされるがままで居る。 「で、霞は?」   改めて疑問に思っていた事を一刀は風達に聞いた。そんな一刀の問いに、今思い出したと言う様な表情になった真桜が答える。 「ああ、姐さん急遽幽州に行く事に成ったんよ。ナンか馬がどうとかこうとかで……」   そして真桜の答えを補足するかの様に風が話し始める。 「烏垣の人達から馬の取引の話が舞い込んだのですよ。勿論ただの馬では無く、正確には軍馬に十分転用可能な表向き農耕用の馬な  のですが……」 「なる程、その見極めに霞が幽州へ」 「はい〜、ですが只の取引では無いのですよ。稟ちゃんの施した政策も効いている様で、烏垣の人達の中にはかなりの数の魏の領内  での定住を望む人達が居る事も判明しまして……。だから今回はその対応もあるので、言い出しっぺの稟ちゃんも同行するのです  よ〜。まぁ、軍馬に関しては蜀の方からも再三話が来てましたし、何割かは蜀に回す事になるでしょうね〜。勿論こちらが吟味し  た後になりますが……」   そう言った風の顔は少々悪人顔に成っていた。 「ふ〜ん……」   一刀は生返事を返しながらも、『幽州』『烏垣』『張遼と郭嘉』と言う組み合わせに嫌な感じを受けていた。   実際のところ一刀は既に稟を華佗に引き合わせ身体の検査を終らせており、その折小さな病変を見付けた華佗によりそれは治療  済みであった。なので一刀の思いは杞憂に終るのである。現在は鼻血以外は問題無しとの回答を華佗から得ていた。しかし華佗が  洛陽に赴く度、稟に華佗の診察を勧める一刀に「なぜ稟だけそんなに体調を気にするのか」と一部の者に詰め寄られたりもしたが、  それは又別の話である。 「まぁ、何時までもここで立ち話も何だ、城内に入ったらどうだ?」   そう春蘭が一刀達に話しかける。そんな一刀の横に立つ春蘭の今迄とは違った二人の距離感と雰囲気に真桜達三人が気付く。そ  れは春蘭の華琳や秋蘭とは違う一刀との独特のものであった。そしてそれを感じた三人の春蘭への視線が『じとっ』としたものに  変わった。 「これはこれは春蘭さま……、いやいや夏胡蝶さま……」   真桜がこれ以上無いと言う程のイイ作り笑顔で春蘭に言葉を発した。 「なっっ!」   そんな真桜の返事に慌てる春蘭であったが、それを無視して続けて彼が口を開く。 「おうおう、夏胡蝶さんよ。あんたの江夏でのあんな事やこんな事は全てお天道様は御見通しでいっ!」 「これ宝ャ。ダメじゃないですかいきなり核心を突いては……」   二人の会話(?)を聞いた春蘭はゆっくりとそちらに身体を向けた。その時の顔は鳩が豆鉄砲を喰らった様な少々間抜けなもの  だった。 「まっ、待て……」 「ああ、夏胡蝶さんの江夏でのかなり詳細な報告は洛陽に届いていましてね〜。いやぁ、ここ数日はこの話題で魏の上層部は持ちき  りだったのですよ〜。風もご本人の口から真相を微に入り細に入り聞きたいのですが、それは洛陽で華琳さまの前で聞こうという  事に成ったのですよ〜。荊北の治安も上々な様ですし、程なく霞ちゃんもこちらに来るみたいなので……」   そんな風が滅多に見せない様なイイ作り笑顔を見た春蘭は縋るように流琉を見た。 「ああ、ですから春蘭さまは風さんの確認が終り次第現在の任を解かれ洛陽に連行……ではなくて帰還となりました。ですからお早  めに帰還に向けて荷物の整理お願いします」   これまたイイ作り笑顔の流琉が言い放つ。誰も救いの手を差し伸べてくれないのを悟った春蘭はがっくりと膝から崩れ落ちた。 「何でこんな事に……。はっ!」   春蘭は恐らくは報告を洛陽に送ったであろう沙和を睨みつけたが、当の本人は春蘭と視線を合わさぬ様に横を向いて知らぬ存ぜ  ぬを決め込んでいる。   この件については全責任は一刀に有り春蘭に何ら落ち度は無かったのだが、皆はたった数日間ではあるが大っぴらに例え偽名と  はいえ、一刀の妻を名乗った春蘭がただ羨ましかっただけであった。   そして仕事は明日からと言う事となり、この夜は風達三人の為にささやかな宴席が設けられた。宴席自体はそこそこにお開きと  成ったのだが、一刀達が眠りに付いたのは明け方近くであった。            翌日、襄陽でこれまで行った事とこれから行う政策と開発計画を風に説明した一刀であったが、計画の様々な点の質問をした後、  最小限の助言をしただけでそれ以上何も言わず一刀の計画に納得した風に少々拍子抜けしていた。計画の中には様々な未来の知識  や技術を盛り込んでいた為、かなりの質問や説明をしなければ成らないであろう事や計画自体にかなりのダメ出しをされるのでは  ないかと覚悟していた一刀であったが、計画自体には何ら風が口を挟む事はなかった。以前に「一刀の好きな様にして構わない」  と言った華琳の言葉を思い出した一刀は、それが虚仮威しでは無かった事と、これからの開発において自分の責任の重大さを身に  沁みて感じていた。 「で、これが港の改造計画と新しい造船所の予定図何やな隊長」   風に一刀が説明していた横でじっと図面を眺めていた真桜が口を開いた。 「ああ、今の港はそこそこの大きさは在るんだが思ったより水深が無いんだ。だからその隣に大型船用の港を新設する」 「んで、ここに造船所を造るんやな。とりあえず現地を見てみん事には……」   真桜の言葉で午後からは皆で城下や港そして襄陽周辺の視察となった。元々視察自体は予定していたので慌てる事も無く、「な  ら皆さんのお弁当を作りますね」と、嬉しそうに厨房に向かった流琉を一刀は微笑ましく見ていた。   天気も良いからと港で流琉の作った弁当を広げた一刀達。それを食べ終え様としていた時、ある騒ぎに春蘭が気が付いた。 「何の騒ぎだ?喧嘩か何かなのか?」   春蘭の言葉に皆が言われた方を眺める。確かに人だかりは出来ているが、喧嘩をしている雰囲気ではなかった。 「何やろ?でも喧嘩してるって雰囲気では無いなぁ……」   食後のお茶を飲みながら眺めている真桜の横で立ち上がって眺めていた沙和が口を開いた。 「ん〜、沙和とりあえず見てくるの〜」   そう言って沙和が人だかりの方へと走って行く。 「何なんでしょう兄さま」   流琉が一刀に茶を勧めながら尋ねた。 「何だろうな。確かに喧嘩って感じじゃないけど」 「水死体でも見付かったのでしょうか〜」   のんびりとした口調で碌でもない事を言い出した風に、皆は「食後にそれは勘弁して欲しい」と感じていたが、流石にそれ以上  突っ込む事はなかった。そんな空気を読んだ風もこれ以上話を広げる様な事はしない。 「とりあえずそれが何であれ確認だけはしておこうか」   一刀の言葉で皆は広げた物を片付けて、その騒ぎの方へと向かって行った。   その人だかりは何かを中心に皆が輪を作って眺めている様であった。人だかりに到着した沙和は、人ごみを掻き分けながらその  中心へと向かって行く。どうやらその人だかりの中心に居るのは人であった。その人ごみの隙間から見えた姿に沙和は見覚えがあっ  た。   やっとの事でその人ごみを沙和が抜けた瞬間、その中心に居た者が沙和に跳び付いた。 「さーわー!!」   その跳び付いて来た者の顔を見た沙和は思わず声を上げた。 「え?!シャムちゃん?何でこんな所にいるの?」   沙和に抱きついたシャムは余程心細かったのか、はたまた嬉しかったのか、抱きついた腕から力を抜こうとしない。 「シャムちゃん、シャムちゃん。みぃちゃんは?一人だけなの?」   沙和の問い掛けに今は少し安心したのか腕の力を抜いたシャムが顔を上げた。シャムの顔は涙と鼻水で酷い有様であった。 「……えぐっ、……えぐっ。……みぃさまもトラもミケも居ない……。シャムだけ……」   シャムはそれだけ言うと再び沙和にしがみ付いた。 「そっかぁ……。大丈夫なの〜、今ここには真桜ちゃんや隊長も居るから心配ないから……ねっ」   沙和の言葉にシャムが小さく頷いたのを確認した沙和は、シャムを落ち着かせようとシャムの背中を優しく擦っていた。   そして暫くした時、そこに一刀達も到着した。 「ハイハイ、どいてやぁ〜。前空けてや〜」   真桜を先頭に一刀達がその人だかりの中心に到着した時、眼に入ったのはシャムに抱きつかれ地面に座り込んでいる沙和の姿で  あった。 「あれ?シャムやん。どないしたんこんな所で」 「南蛮の娘?」 「ああ、兄さま、南蛮のシャムちゃんです。兄さまは初めてですよね」   直接面識の無い一刀に流琉が説明した。以前成都での決戦の折、南蛮兵を見た事は有った一刀であったが、その夜に消えてしまっ  たので知識としては知っていたが直接話をした事は無かった。 「にい……さま?」   一刀と流琉が話をしているのを聞いていたシャムがぽそりと呟いた。それを聞いた一刀がしゃがみ込みシャムに近い目線にして  話しかけた。 「俺は北郷一刀、君は……ええっと」 「大丈夫です兄さま、真名ではありませんから」   シャムが名前なのか真名なのか判らなかった一刀に流琉が説明した。この世界に来てうっかり風の真名を呼んでしまった経験の  有る一刀としてはその辺りは慎重である。その点についてはこの世界に来て一番に出会ったのが風達であった事に感謝している一  刀であった。もしこの世界に来て一番に出会ったのが華琳達であったなら今頃は名も無き無縁墓の主と為っていたかも知れない。 「じゃぁ、シャム。一人なんだね?」 「……うん」 「何処から来たの?」 「……愛紗様のとこ……」   一刀の質問にオドオドと答えるシャム。初めて出合った一刀に対してシャムは多少警戒している様に一刀は感じていた。それに  今の人だかりに囲まれた状態も影響しているかもしれない。 「関羽さんの所って事は江陵か……」   シャムの答えを聞いた一刀がそう呟きながら立ち上がった。その一刀の呟きを横で聞いていた風が口を開いた。 「流石お兄さんですね〜」 「せやせや、こういう情報は早くて正確やねんなぁ……」   風の言葉にすかさず合いの手を入れる真桜。 「何を言っているのかなぁ、君達は。襄陽を預かる身としては周辺の……」   三人の掛け合いが始まるかと思った矢先、それに水を差したのは春蘭だった。 「なっ、なぁ一刀、そろそろ場所を変えた方が良くないか?人だかりも大きくなってきたし」   その至極全うな言葉に三人が春蘭をキョトンとした眼で見詰めていた。 「なっ、何だ?」   三人に無言で見詰められている春蘭が不服そうな顔で言い返した。 「いや……、その通りだ。確かに春蘭の言う通りだ。全くその通りだ。流琉、どこか落ち着いて話が出来そうな場所を探してきてく  れないか」 「はっ、はい。判りました兄さま」   急に我に返ったような顔付きの一刀に言われ流琉が走り出す。残った者達はシャムを周りの野次馬達からの視線を遮る様に立っ  ていた。 「んー、春蘭さまからまともな答えが出ると何や拍子抜けやなぁ……」 「ですよね〜。彼女を変えたのはやはり江夏での数日間でしょうか……?これは洛陽での報告に益々興味が湧きますね〜」 「詳しい内容はウチにも頼むで」 「了解なのです〜」   二人の真に失礼な会話の最中も、皆の態度に納得のいかない春蘭は口を開き続けていた。 「何なのだお前達のその態度は!こっちを見ろ!ええいっ、私の顔を見んか!文句が有るなら私の眼を見て言え!」   誰も春蘭と眼を合わせぬままその場に立っていると、暫くして流琉が戻ってきた。 「兄さま、港の人夫さん達の詰め所を使って良いそうです」 「判った。流琉、ご苦労さま。ならそちらに移動しよう」   流琉の報告に一刀が答えた。それを聞いていた面々も動き始める。 「ほんならっと……、はいはい終了や終了やで!みんな解散しい!仕事にもどりやぁ!」 「おうおう見世物んじゃねぇぞ、バカヤロー!解散しろ解散」   真桜と宝ャが野次馬達に解散を促す。野次馬達も口々に何かを言いながら解散を始めるが、南蛮の者が物珍しいのかその足取り  は遅い。それを見た春蘭が今迄の鬱憤も溜まっていたのか大きな声を出した。 「サッサと解散せんか貴様等!!」   春蘭の戦場で恋にでも出合った時の様な鬼気迫る気迫で怒鳴られた野次馬達は、まるでクモの子を散らす様な勢いで去って行っ  た。 「やっぱ春蘭さまはこうでないと」 「ですよね〜」   一言で野次馬達を追い払って誰も居なくなったその場所で春蘭が肩で息をしているのを眺めながら、真桜と風が再び失礼な物言  いをしていた。   場所を詰め所に移した一刀達は、シャムから詳しい経緯を聞いていた。   シャム曰く、「江陵へ愛紗に会いに行ったところ、港で干物を貰った。そしてお腹一杯になったので昼寝をしていたらシャム一  人船の上に居た。襄陽までは隠れていた」と言うことであった。   シャムの話を聞いていた一刀は少し考えてから口を開いた。 「ふむ……、とりあえずは江陵に知らせを送ろう。江陵に送ってあげても良いけど、向こうも探しているだろうから入れ違いになる  かもしれないし」   そう言う一刀に続いて風が口を開いた。 「その方が良いですかね〜。今江陵にはねねちゃんも居ますから、当然シャムちゃんが船で移動した可能性も考慮に入れているでしょ  うし〜」 「なら沙和、陸路でも水路でも一番早い方法で江陵に知らせを送ってくれ」 「は〜い、了解なの〜」 「シャムちゃんは江陵から返答なり迎えが来るまでここの城で待っててくれるかな?」   そう言われたシャムは流琉が用意してくれた食べ物を手に持ったまま、暫く一刀の顔を眺めた後しっかりと頷いた。よく見知っ  ている者達が側に居て、用意された物を食べて、少し前に比べてシャムが随分落ち着いているように一刀には見え少し安心してい  た。   襄陽の城に移ってからのシャムは、二・三日は沙和や流琉に引っ付いていたが、五日目頃には城に慣れたのか城の中庭で一人昼  寝を楽しむ様にまでなっていた。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   愛紗が音々音の進言で江陵から船が向かう可能性の有る港に触れを出してから数日後、ある一通の知らせが舞い込んだ。それは  丁度江夏に華蝶仮面が現れたとの細作からの報告書に眼を通していた時である。 「(華蝶仮面め……、最近は成都では大人しくしていると思ったら東で……)」   そんな事を考えていた愛紗に城の者が声を掛けた。 「関将軍よろしいでしょうか?只今襄陽から到着した船からこの様なモノが届けられました。関将軍宛で御座います」 「ご苦労、襄陽から私宛とは……」   それを受け取った愛紗は差出人の名を見た時表情を変えた。 「(御遣い殿からだと……。今頃何を?)」   しかし、その中身に眼を通した愛紗は少々険しかった顔を破顔一笑させた。 「すまぬがそなたは美以を呼んで来てくれぬか。シャムの行方が掴めたと」 「おお、それはよう御座いました。では直ぐに」   それを聞いた城の者も顔を綻ばせる。来れば来たで騒がしく、城の者達も顔を顰める事が多々有る南蛮勢ではあるが、今の様に  意気消沈し部屋の隅で小さく固まっている美以達の姿を見るのも忍びなかった。   城の者が美以達を探しに行ってから程なく、バタバタと城の廊下を走る音が聞えた。その音の主達は躊躇する事無く愛紗の執務  室へと飛び込んで来た。その面々の中には恋と音々音も含まれている。 「愛紗!シャムが見付かったのニャ?!」   そう言って愛紗に縋り付いた美以達の顔は喜びが半分、不安も半分と言うところであろうか。美以の目尻には涙が浮かんでいる。 「ああ、今は襄陽で保護されているそうだ。怪我も無く元気だとこれに書いてある」   愛紗の言葉を聞いた美以達の顔が安堵の表情に包まれた。 「良かったニャ……」 「そうだな……」   美以達の数日振りの屈託の無い笑顔を見た愛紗の顔も自然と綻んだ。今迄それらを黙って見ていた恋が口を開いた。 「……愛紗、シャム迎えに行く?」 「ああ、知らせには送り届けても構わないと書かれているが、迎えに行こうと思う。迷惑を掛けたのはこちらなのだから、こちらが  迎えに行くのが筋だろう」   そんな愛紗の返答に、恋は笑顔を返す。そう言った愛紗であったが、何やら考え込んでいる音々音が気になり声を掛けた。 「……どうかしたのか、ねね?何か問題でも?」 「いえ、一瞬シャムを人質に何か無理難題でも……と考えたのですが……」 「ふむ、今が戦の最中ならば南蛮を取り込むために利用されたかもしれんが、現在の情勢下ではそれは無いだろう。桃香さまや朱里  ではないが、今の魏がそんな小細工をするとは思えん。勿論私もそう思うが」   そんな愛紗の和らいだ表情ながら、はっきりとした言葉を聞いた音々音は慌てながら言葉を返した。 「いっ、いえ……違うのです。確かにそんな事も頭を過ぎったのは確かなのですが、お花や朱里達の話を聞いてその辺りはねねも信  用しているのです。ねねが考えていたのはちょっと別の事で……」   音々音が最後に言葉を濁したのを聞いた恋が心配そうな顔で口を開いた。 「……ねねはダメ?」   恋が少し困った様な顔で尋ねてきたのを音々音は慌てて否定した。 「ちっ違うのです恋殿、ねねは天の御遣いが行っている襄陽の開発が見てみたいのです……。……後、話もしてみたくて……」   返答が終わりに近付く程に声が小さくなっていく音々音。最後の一言は辛うじて聞える程度であった。 「……なら、皆で迎えに行く」 「そうだな、皆で……、皆?」   勢いで恋の言葉を肯定した愛紗であったが、皆で迎えに行くという恋の言葉に思わず聞き返した。 「……うん。……恋と愛紗とねねと美以とミケとトラ、……皆でシャムを迎えに行く。……ダメ?」 「愛紗……、みんなで迎えに行くニャ」 「行くのニャ」 「ニャ、ニャ」   四人の潤んだ円らな瞳に見詰められ、抱き締めたい気持ちに陥落しかけた愛紗であったが、今の太守と言う立場を何とか思い出  し踏み止まった。 「しっしかし、流石に我等全員がここを空ける訳には……」   立場上喉まで出掛かっている言葉を飲み込んで正論を口にする愛紗。しかし、じっと愛紗を見詰める八つの瞳に変化は無い。そ  の時愛紗の頭の中では、可愛いモノ好きの愛紗と太守としての愛紗がフレデリックスバーグの戦いを繰り広げていた。   すると、今迄黙っていた音々音が突然口を開いた。 「あいや!この陳公台にお任せあれなのです!」 「……ねね?」   突然の音々音の言葉に驚いた愛紗と恋が同時に口を開いた。 「我等が不在の間の工程表の作成に一日、それの各部への通達と指導に一日、計二日をねねに下され。さすれば一月や二月我等が不  在でも滞る事無くここ江陵の開発や運営が進む様にして見せるのです」   音々音の宣言を聞いた恋の顔がパッと明るくなる。 「……ねねお願い」 「はい!お任せ下さいなのです!」   そう言った音々音の頭を恋が撫ぜている。それを音々音は嬉しそうに眼を細め、されるがままにしていた。   そんな二人を眺めている愛紗の顔は穏やかなものになっている。そして愛紗は皆で襄陽へ行くのも良いかと考えてた。そんな事  を考えている自分を「甘くなったものだ」等と思っていたが、そんな自分に不快感を抱く事はなかった。 「ではねね任せるぞ」 「はいなのです!」   愛紗のお墨付きを得た音々音が答える。美以達も皆笑顔になった。 「ふむ……、為らば先方にこちらから迎えに行く旨を伝えんとな……。まぁ問題は無いと思うが、成都にも一報を送らねば……」   等と退室して行く音々音や美以達を眺めながら思案している愛紗の袖を引っ張るものが居た。恋である。 「……ありがと、愛紗」   少し照れた様な表情で話す恋に、愛紗は笑顔を返す。 「んっ?ああ、恋達はこちらに来てからずっと仕事をを頑張ってくれたからな。勿論ねねもな。おかげで順調に事が進んでいる、  ……それに」 「……それに?」 「わたしも御遣い殿には会ってみたくてな……。これはねねには内緒だぞ」 「………………うん」 「だぞ!」   いやな間の返事を返した恋に念を押す愛紗。これまでの恋との付き合いで、愛紗はこういう間が危険な事は重々承知している。 「……うん、判った」   念を押された恋が返事を言い直す。今度の返事には安心したのか愛紗の顔の表情は緩んでいた。   現在、蜀の上層部では蒲公英の広報活動や朱里達洛陽訪問組の報告により、親北郷の雰囲気が形成されつつあった。その為、蒲  公英の話を聞いた限りでは態度を決め兼ねていた愛紗も、朱里や雛里そして紫苑の報告を聞いた事により桃香程では無いにしろ気  持ちが傾いていったのは事実である。しかし生真面目な愛紗としては、今迄聞き及んだ天の御遣いの噂話が引っ掛かっているのも  又事実である。その為先ずは会ってみたいと思う気持ちが強く成っていた。ちなみに、現在蜀上層部で明確に反北郷を表明してい  るのは、魏文長こと焔耶と賈文和こと詠の二名である。この二人は一刀に対して云々よりも、桃香と月の一刀に対するモノへの反  発であった。つまりは『やきもち』である。   音々音達を追い駆けて行った恋を見送った愛紗は己の机に向かい、襄陽と成都に送る文言を書き始めていた。   三日後、音々音の宣言通り二日で全てを終らせ襄陽に向かう準備を整えた愛紗以下の面々は、美以のガネーシャを先頭に朝早く  江陵を出立して行くのであった。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   本来ならば三日程滞在しとんぼ返りで洛陽に戻るはずであった風達一行であったが、シャムの件もあり数日滞在を延期しシャム  が落ち着くのを確認した後、今は春蘭を伴い洛陽への帰国の途に就いていた。   一方シャムの方は、城の生活やそこの人々にも慣れ、沙和曰く「何時も通りのシャム」になっていた。南蛮特有の明るい気性や  シャム本来の呑気な性格もあってか、その時々に居心地の良い場所を見付けては居眠り等を楽しんでいる。   そして、シャムが一刀に思いの他懐いたのを一刀共々皆少し不思議に思っていた。 「ん〜、もしかしてアレが近いのでしょうか?」 「アレって、もしかしてアレ?」 「そうかもなの〜」 「そっそんな事無いですよ、兄様は子供とかに懐かれやすいんですよ……きっと。璃々ちゃんとか……多分」   等と、風・真桜・沙和・流琉の四人が話していたが、その意味がよく判らなかった一刀は余り深く考える事はなかった。   そんなシャムであったが、一つの発見が有った。それはシャムのぽややんとした外見に反して、周りの気配に関して非常に敏感  な事であった。それはまだ風が襄陽在住の折、皆で襄陽の街に繰り出していた時「こそこそ着いて来る人が居る……」と一刀に告  げたのが発端であった。シャムが言ったのは風を警備していた者達の事だったのだが、その者達の場所と人数を正確に言い当てて  いた。それを聞いた風が「シャムちゃんはねずみ避けにもってこいかもしれませんね〜。このまま取り込んじゃいましょうか〜」  等と本気か嘘か判断に苦しむ様な表情で呟いていた。   一刀は、久しぶりの半日休暇を城の中庭でのんびりとしていた。勿論側にはシャムが丸くなって昼寝をしている。最近はこうし  て一刀の側にシャムが居るのをよく目にする様になっている。真桜が襄陽に来て一刀の代わりに開発現場の監督をする様になった  事が多くなった為、一刀が城に居る時間が以前に比べて長くなっているのも原因の一つでもあった。一刀が執務室に篭っている時  等も側の長椅子に寝ていたりする。「こんな所でも居心地が良いのだろうか」等と一刀は思う事も有るが、シャム本人も不満は無  い様に見受けられてた。   そんなシャムがふと片目を開けた。そして一刀に近付いて行き、甘える様な仕草をする。 「ん?どうしたシャム。退屈になった?」   そう言って一刀はシャムの頭を撫ぜる。その行為を気持ち良さ気に感受しているシャムが表情を変えず呟いた。 「にい様、……こっちを見てる人が居る……」   シャムの言葉を聞いた一刀の手が一瞬止まりかけるが、そのままシャムの頭を撫ぜるのを続けた。ここ襄陽の城内に風の警護を  する様な者を一刀は周りには置いていない。一刀の知らぬ所でそういう者が配備されていたとしてもシャムが言ってくるという事  は少なくとも魏の人間ではないのだろう。同じ様な格好をしていてもシャムにはそれが魏・蜀・呉そしてその他の人間の区別がつ  く様であった。勿論、一刀にはシャムの感じた視線を感じる事は出来ない。   ちなみに、シャムは一刀の事を『にい様』と呼んでいる。流琉が一刀の事を『兄様』と呼んでいるのを真似た様だ。 「なぁ、シャム。とりあえずそれがどんな奴か確認できる?」   この時期に襄陽の城内にまで忍び込んでくる者に対して純粋に興味を持った一刀がそうシャムに呟いた。それを聞いたシャムが  一刀の顔を見てニカッっと笑った。 「うん……、頑張って捕まえてみるにゃ」   そう言ってシャムは建物の方へトコトコと歩き始めた。それを見ながら「別に捕まえなくても追い払うだけで良いんだが……」  等と思っていたが、その時は何も言わず見送っていた。   日頃九分九厘はポヤヤンとしているシャムであるが、たまにこうしてアクティブな行動に出る時がある。正に『気分屋のネコ』  と言うイメージだと一人納得していた一刀であった。   その視線の主は一刀とシャムを惚けた顔で眺めていた。その視線の主こそ呉の将周幼平こと明命であった。 「(何故ここにシャムさんが居るのでしょう……、美以さん達は江陵の愛紗さん達の所に向かわれたはず。ああ、でも気持ち良さそ  うにお昼寝されています。モフモフしたいです……。……いやいや周幼平、今は御遣い殿の調査中なのです。ちゃんと調査に集中  せねば……、この間の様に部下の手違いとは言え御遣い殿を見失う様な失態はダメなのです。汚名は返上なのです。ああっ……、  シャムさんが御遣い殿の傍らに……、甘えるお姿もお可愛らしいのです。残念なのは口元が見えないので何を話しているのか判り  ません……。ですが御遣い殿が羨ましいのです。あっ、どちらに行かれるのでしょう、行ってしまわれる……、残念なのです。  ……いえ御遣い殿に集中せねばいけません)」   シャムが一刀の側を離れ、一人建物の中へと向かって行ったのを残念に思いながら見送った明命。シャムを追い駆けたい気持ち  を何とか抑え込み、気持ちを切り替え一刀の調査に集中していた。   そして暫くの間、何やら書き物に目を通している一刀を見ていた時、明命はそれに気が付いた。 「(誰でしょう、……わたしを見ている者が居る)」   自分を見詰める視線に気が付いた明命は警戒の為意識を四方に巡らせる。勿論、いきなり動いたりする事は無く不測の事態に対  処する為体制を整える。 「(近付いて来ています……。しかし、このお猫様が獲物を狙うが如くの視線は……)」   近付いて来る気配に対して明命はそちらの方向に顔を向ける事無く、背中の魂切ではなく懐のヒ首に手をかけた。 「(流石に今ここで騒ぎを起こす訳にはいきません。……しかしこの気配には殺気が有りません。むしろ無邪気過ぎるこの気配は、  気配が消えた?……上か?!)」   その時、明命の鼻先に降り立つものが居た。そしてそのまま腕を掴まれる。 「やっぱりみんめーにゃ……。にい様、捕まえたにゃ」 「えっ?シャムさん?あっ!……しまったのです」   シャムに腕を掴まれたまま一刀に正体を告げられた明命は、力無くへたり込んでいた。シャムは得意顔で一刀に手を振っている。 「周幼平一生の不覚……。シャムさん、この世の名残にモフらして下さい」 「みんめー止める……にゃぁぁ……」   そんなじゃれ合い始めた二人を眺めていた一刀が声を掛けた。 「二人ともそんな所でじゃれてないでこちらにおいで」   放って置いたら何時までもじゃれ合っていそうな二人を呆れた顔で眺めていた一刀であった。   中庭の四阿に場所を移した一刀達。一刀の対面の位置に明命が何故か地面に正座していた。   これだけを見れば一刀が侵入者に対して尋問でもしている様に見えるが、明命の前にはお茶と茶菓子が置かれており、シャムに  いたっては一刀の膝の上で美味しそうに茶菓子を口に運んでいた。傍から見れば何をしているのか判らないだろう。勿論、明命の  正座は一刀の命令ではなく、明命が自発的に行っているものである。 「ええっと、周泰さん……。別にそんな所に正座なんかしなくてイイからさ、普通に座ってお茶でも飲んでよ」 「……いえ、私は囚われの身。それとこれは不甲斐無い自分に対しての戒めでもありますのでお構いなく」   そう言いながらも明命は目の前に置かれた見慣れぬ茶菓子を注視している。全く興味が無いと言う訳ではなさそうである。 「……ふぅ、とりあえず今回の周泰さんの訪問は襄陽に陣中見舞いに来る陸遜さんと甘寧さんに関係した事前調査と言う事でいいの  かな?」 「…………」 「別に見られて困るような物も事も無いから普通に見に来ればいいのに」 「…………」   一刀は自分も江夏に潜入した事は棚に上げ、そう口にした。が、今の状態を考えれば当然なのだが、会話が続かない。明命の立  場上余計な事を話すはずも無く、彼女の人となりについては稟や風から聞いていた為、一刀はこれ以上の事は諦める他なかった。 「じゃあ俺はこの後人と約束が有るから」   シャムが茶菓子を食べ終わったのを確認した一刀が立ち上がってそう言った。そしてシャムの手を引いて一刀は城内へと向い始  める。   そんな一刀を明命はキョトンとした顔で眺めていたが、一刀達が城内に消えた時ぼそりと呟いた。 「不思議な人なのです」   そう呟いた後、明命の姿はその場から忽然と消えていた。   その後、茶碗と中身の無くなった茶菓子の置かれていた皿が厨房の洗い場に人知れず置かれていた。   忙しい時は不思議と色々重なるもので、江陵から「シャムを迎えに行く」との内容の書かれた書簡が届き、それに記された到着  予定日は江夏からの穏達の使節が到着するほぼ同時期と言う間の悪さであった。江陵の関雲長がこちらの予定など知る由も無く、  ましてや行方知れずになっていたシャムが見付かったのだから早く会いたいと思う江陵の面々の気持ちも一刀は理解できる為、愚  痴等を言う気にはならない。蜀の面々の為の逗留用の部屋の手配等を城の者に伝え、後日の為に普段よりも多めに仕事を片付けて  おこうと仕事を再開する一刀であった。          〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜   陸路を通って江陵から襄陽に向かって来ていた愛紗達一行は、遂に襄陽の城壁の見える位置まで近付いていた。以前から大都市  であった襄陽であるが、黄巾の乱や先の大戦で痛んでいた城壁は全て改修されており、益々その荘厳さに磨きを掛けている。しか  も以前見た時にはなかった設備も城壁に幾つか追加されており、それらを見た愛紗は「ここを落とすのはさぞ骨が折れそうだ」と  戦人らしい感想を漏らしていた。そして、長坂の関を越えてから襄陽まで続く未だ整備中とは言え幅も広く良く整地されている街  道や、襄陽の郊外に広がる新たに開墾されている広大な田畑等人員・資金その他全てが蜀とは段違いであるのを見せ付けられたが、  流石にここまで来れば落ち込むのを通り過ぎ呆気にとられていた。   それらを見せ付けられた音々音も同様の心持であったが、愛紗と違う所はそれらを見て気が付いた所を何やら必死に書き取って  いた。以前の音々音ならこれらを見ても只強がって愚痴の一つも口にしていたが、今はそれらを見て自分達の開発の参考や比較に  するべく全てを何一つ漏らさぬ様必死である。   そんな音々音を見て愛紗は一層頼もしく思うのであった。      一行が襄陽の城門に近付いた時、出迎えに来ていた真桜と愛紗達が合流した。 「御苦労さんです愛紗はん」 「いや、今回はそちらに迷惑を掛けた、すまなかったな」   馬上とはいえそう言って頭を下げる愛紗を見て真桜は慌てて言葉を返した。 「ああ、そんなん気にせんで下さい。困った時はお互い様です。ああそや、本来ならうちの北郷が出迎えなあかんのですが一寸立て  込んでまして、ウチの出迎えになってしもてすんまへん」 「それこそ気にせんでくれ、こちらが突然押し掛けたのだから」   愛紗と真桜の二人が話しているところに、ガネーシャの上の美以が声を掛けてきた。 「まおー、シャムは?」 「美以心配いらんで、ちゃーんと城に居るから。元気やで」   真桜の言葉を聞いたガネーシャの上の南蛮勢が一様に安堵の表情に変わった。それにつられたのか側の恋と音々音の顔も綻んだ。 「あれ?恋はんもねねも居るん?」 「ああ、皆で迎えに行こうと言う事になってな。大所帯でスマンな……まずかったか?」 「いやいや、賑やかなんはええ事です。ほんなら城に案内しますよって、着いて来て下さい。後ろもちゃんと着いて来てやぁ!中は  区画の変更やら工事やらでゴタゴタしてるから気ぃ付けてな!はぐれたら置いてくでぇ」   そして真桜の先導で城門をくぐる一行であった。   愛紗達の到着の少し前、襄陽の港に接岸しようとしている船団があった。それは穏達を乗せた呉の船団である。その作業中、甲  板から襄陽の港を眺める三つの人影があった。 「港を拡張しているのか?いや、あの規模なら新造していると言った方が妥当か。その向こうにも何か造っているな、あの櫓は何だ?  判るか穏」 「蓮華さま……」 「これは完成すればかなりの規模の港になりますねぇ。あの建物らしきものは江に面しているので造船所でしょうかぁ?今の状態で  ははっきりとはしませんねぇ。あの櫓は何か吊るしてますねぇ……、投石器を改造した物みたいですが、あんな使い方もあるんで  すねぇ」 「蓮華さま」 「これは負けてはおられんな穏よ」 「ですねぇ〜」 「蓮華さま!」   あえて思春の呼びかけを無視していた蓮華であったが、思春の口調の変化に流石に無視出来なくなってきた。しかし、あえて思  春に顔を合わせない。 「何?思春」 「何ではありません、やはり良しかったのですか我等に同道などして」 「良いも悪いも、ここまで来て引き返す訳にはいかないでしょう?そんな事をすれば約束の日を違える事になるわ」 「それはそうですが……」 「それにある者に言われたのよ」 「ある者?」 「ええ、内を見るだけではなく、もっと外を見ろとね」 「もっと外を……」   今は思春の顔を見ながら話す蓮華の顔が以外にさばさばとしている事に気付く思春。数日前までの思いつめた様な、余裕の感じ  られなかった表情とは打って変わって憑き物が落ちた様な表情をしている。   しかし、思春には腑に落ちない点が一つあった。蓮華にこの変化を齎したある者とは一体誰であるのかと言う一点である。   江夏の城内にその様な者はおらぬし、市中を散策する時は殆ど思春も同道していた。稀に蓮華一人で散策に出ることも有ったが、  その時は蓮華に気付かれぬ様に警備の者を張り付かせている。蓮華一人で市中を歩かせる事など有り得なかった。もし有ったとす  ればあの華蝶仮面を騙った猿芝居の時だけであった。 「それに……」 「それに?」 「それに、もっと周りに居る人達を当てにして器の大きなところを見せろともね」   今度は思春から顔を逸らし蓮華は話した。蓮華が顔を向けた先は江夏の様でもあり、又別の方角の様でもあり、それを思春が図  り知る事はなかった。 「ですが、江夏を亞莎一人に押し付けたのは流石に……」 「そう?」   すると今迄二人の話をニコニコと笑顔で聞いていた穏が口を開いた。 「大丈夫ですよぉ〜、亞莎ちゃんに任せておけばぁ。それに亞莎ちゃんが只言われた通りに安穏と事を進めるか、はたまた亞莎ちゃ  んなりに計画を推敲してそれを発展させるか、良い訓練にもなりますしぃ」   穏が笑顔のままそう話すのを聞いて、蓮華は微笑み、思春は溜息を一つ溢していた。   そして振動が彼女達の身体を揺らす。どうやら接岸が完了したようだ。   船が接岸した先で沙和が手を振って蓮華たちを出迎えていた。         ちなみにその頃江夏では……。 「お姉ちゃん!穏も思春も居なくて大変だろうからシャオが手伝いに来たよ!……お姉ちゃん?」   蓮華の執務室に飛び込んで開口一番蓮華に声を掛けた孫尚香こと小蓮であったが、返事が無い。小蓮が部屋を見渡すと蓮華の机  の上に渦高く積まれた書類や竹簡の間に動くものが見えた。 「なぁんだ、居るんじゃない。居るなら居るで返事くらい……って亞莎?」 「私だけ置いて行かれましたぁ〜」   そこには小蓮の手を握って離さない涙眼の呂子明こと亞莎が居た。      一方、蜀の都成都では……。 「愛紗ちゃんだけズルイィィィィ!!!」   と、愛紗が襄陽を訪問する次第が書かれた書簡を握り締めた劉玄徳こと桃香の絶叫がこだましていた。     行方不明一匹(名?)/侵入者一名/来訪者十二名/内予定外の人物一名 了 おまけ 「はっっっ……!!」   それは南部視察中の雪蓮の陣幕での事。朝食を取りながら冥琳と今日の打ち合わせをしている最中であった。 「雪蓮……。何を急に素っ頓狂な声を出しているのだ」   呆れた様な顔の冥琳の問いに対して、雪蓮は至極真面目な顔で答えた。 「冥琳……。何だか重要な事で誰かに出し抜かれたような気がした……」 「……何時もの勘か?」 「そう、勘……。でも何だろう……、イライラする」   そう言って急に機嫌が悪くなった断金の友の横顔を見ながら冥琳は考える。 「(ふむ……、雪蓮のあの感じでは国の大事と言う様ではなさそうではあるが……。そろそろ穏達が襄陽に向かった頃合ではあるの  だが……、まさかな)」   実はそのまさかであるのだが、今の冥琳にそれを知る由は無かった。 「ああっ、もうっ!気分悪い!!気晴らしに山賊でも出てこないかしら?今なら一時も掛らずに全滅させる自信があるわ」   真顔で碌でもない事を言い出した雪蓮に冥琳が口を開いた。 「何を物騒な事を言っている。それともこのわたしが手をかけているこの地域の治安が悪いとでも……、我が君よ」   そう言った冥琳の顔は表情だけ見れば柔和であるが、眼は決して笑っていない。そんな冥琳の顔を見た雪蓮は急に畏まる。 「なっ、何言ってるのよ冥琳。例えばの話よ、例えば」   そう言った雪蓮を見て冥琳も表情を戻す。そして少し照れたような顔付きで話し始めた。 「そっ、それにもしそんな事になって、……そっその後始末はどうするよの」   それを見た雪蓮の口端を上げる。 「なに冥琳そんな事気にしてたの?それならそんな事もあろうかと、ジャンじゃジャ〜ン!真桜謹製双頭でぃ……」 「バッ馬鹿!こんな所でなんて物を!」 「なによう、折角洛陽から大急ぎで取り寄せたのよ。しかも特注よ、特注!何でもこの中に『ぜんまい』とやらが仕込んであって中  でうぃんうぃん動くらしいの。未だ味見はして無いけどね」 「なる程……これは中々……って、そうじゃない。周りに家臣達も居るのに何て物を出すんだ。このバカ雪蓮!」 「なによ!バカってなによバカって。バカって言う方がバカなんだからね!」 「子供か!……全く、いい歳をして何だその返答は」 「いい歳って冥琳も変わらないじゃない。世間的には嫁き遅れって言われてもしかない年頃だし、そんな事気にせず……あっ!」 「……まだ言うか!!」   ぎゃあぎゃあとこれが国主と筆頭軍師との言い争いとは思えない低レベルな口喧嘩が続いていく。それをほのぼのと周りの臣下  達は見守っていた。   思った以上に平和な呉南部であった。