「無じる真√N69」  左慈や白装束たちとの不意の遭遇を乗り越え、下邳を奪取したと思えば曹操直々に奪還に着手してきたりと慌ただしく緊迫感に満ちていた日々に公孫賛が決着をつけた翌日のことである。  与えられた館の部屋で眠りについていた北郷一刀はゆっくりと目を覚ました。 「見たことのない天井だ……」  寝ぼけてそんなことを言った後に彼はああ、そうかと思い出した。自分は未だ下邳にいるのだと。  目映い陽射しに眼を細めながら臂を視点にして少しだけ身を起こすと、隣に陣取っている少女へと視線を向ける。  北郷一刀を愛すが故にとんでもないことをしでかした少女。 「まさか、俺の行動を正当化させるためにあそこまでするとはねぇ……」 「んん……かずとぉ……むにゃ」  眠りこけた少女が寝返りを打って一刀の方を向く。一大勢力の君主でありながら、一刀を見捨てることと他の勢力との軋轢を生むことを比べて一刀を取った大馬鹿者。  そして、何より一刀にとって愛しい存在。 「ホント、俺は幸せ者だな」  そう言って一刀は寝返りを打った際に彼女の顔半分にかかっている繊細で美しい紅色の髪を指で払い、白くすべすべとした頬にそっと触れる。  普段は後ろで結い上げている髪を下ろしているため、どこか大人しそうな雰囲気を纏う少女。それでいて健やかな寝息を立てるその顔はあどけなく、見ていて飽きない。 (あまり気にしてなかったけど白蓮って割と髪長いんだな)  そっと毛先のほうを掬い、公孫賛の髪の束をさらさらと流すように数本ずつ手から溢れ落としていく。すると、深紅の長髪はなめらかな曲線を描く肩から二の腕にかけてふぁさっとかかる。 「ん……」  髪の感触が気になったのか公孫賛が身体をもそもそと動かす。 「……なんだろうな、この胸のときめきは」  ちょっとした刺激に反応して動くが起きない公孫賛を見ているうちに一刀の中にふつふつと悪戯心が芽生え始める。  頬を人差し指で突いてみる。ぷにぷにとした柔肌が指の形にめり込んでいく。 「んぐぐ……」 「おお、柔らかい……」  弾力性のあるほっぺたに押し返されながらも一刀の指がぐにぐにと頬を弄ぶ。それに応じて公孫賛は顔をしかめ小さく唸る。  その何ともいえない感触と反応に一刀はますます口もとを歪めて弄くり続ける。 「…………」  心地よさそうな顔を眺めながら一刀はきゅっと公孫賛の鼻を摘む。 「んぐっ!」 「…………」  一瞬だけびくりと撥ねたが公孫賛はすぐに規則正しい寝息を再開しはじめる。  一刀は安堵の溜め息を漏らすと、再度鼻を摘み、今度は口を同様にする。徐々に顔が赤くなり頬が風船のようにぷっくりと膨らんでいく。  ぱんぱんに膨張した頬をはじめ顔全体がぷるぷると痙攣し出す。 「んだあっ!」 「へぶぅっ!?」  よほど苦しかったのか一刀の手を振り払った公孫賛の腕が彼の顔面の正中線へと裏拳を炸裂させた。  鼻頭を抑えながら呻いていると、公孫賛がゆらりと身体を起こす。 「……な、なんだ? 何が起こったんだ」  そう言ってすぐに一刀に気がついた公孫賛が訝しむように眉を顰める。 「と言っても、犯人なんぞお前くらいだよなぁ、一刀」 「……ごめんなさい」 「なんで涙目になってるんだ?」  まさか自分の裏拳が会心の一撃として一刀に多大な被害を与えたことを知らない公孫賛はただただ首を傾げる。  ようやく痛みが退いた一刀が顔を向けると、公孫賛は曇りがちな表情で溜め息混じりに肩を落とす。 「愛する男の顔を見ながら目覚めるなどという幸せすらお前は奪うのか……」 「いや、本当にごめん」 「…………」 「まさか、白蓮がそういうのに憧れを持っていたなんて知らなくてさ」 「ち、ちがっ!? 今のは、そういうことじゃなくてだな、ちょっと寝起きだから……いや、だから違うんだって!」  どうやら寝ぼけて本音が漏れたのだろう、公孫賛はわたわたと両手を振りながら必至に一刀への弁明をする。  だが、一刀はそんな彼女を微笑ましく思い話も聞かずに方を抱き寄せると、口付けをする。 「んっ……」  急な静寂、聞こえている音が小鳥のさえずりだけとなる。そこに微かな水音が続き、やがて二人の口はさっと離れる。 「こういうのはどう?」  頬を朱に染めて呆然としたままの公孫賛に笑いかける一刀。 「……う、うん。悪くは無い、かもな」 「そうか、お気に召したようでなによりって感じだな」  満足そうに一刀が言うと、公孫賛はふっと息を吐いて一刀の胸に顔を埋める。一刀はその意味を察してそっと彼女の頭に手を置く。  結い上げていないため、一刀は満遍なく彼女の頭を撫でることができる。頭頂部から髪の流れに沿って後頭部、後ろ髪へと滑らせる。  艶のある髪は彼の手を非常に潤滑に移動させ、また触れている一刀自身にも心地よい手触りを与えている。  一刀の胸板に体重を預けるようにしな垂れかかる公孫賛がぽつりと喋る。 「もう少しだけ、いいか?」 「ああ、どうぞご自由に」 「はあ……本物の一刀なんだよな」 「昨晩も言ってたよな、それ」 「うるさい。こっちの心情を察しろ……あの時に私はそう言ったはずだよな?」 「ぐっ……そうだったな」  一刀は言葉を詰まらせながら頷く。  昨日、下邳へと到着した公孫賛と部屋へとやってきた一刀は彼女に怒られ、約束を交わし、そして共寝をした。  その時も白い裸体を一刀に絡ませながら公孫賛は動揺の趣の言葉を口にしていた。夜になって飲み交わした酒の影響もあったのだろうが、一刀にぶつけられた言葉たちは全てまごうことなき彼女の本心。 「寂しかったんだぞ、悩んで悩んで……苦しくて……お前の顔が見たいけど怖くて……それから」 「うん、うん」  一刀の身を案じて不安に苛まれたこと、寂しさを常に感じていたこと、それが辛かったという咎めるような言葉、それらと共に公孫賛を受け止めた。  それでもまだ公孫賛の中に植え付けられた不安や精神的な傷は消えてはいないのだろう。 「白蓮には本当に色々迷惑かけちゃったな……」 「あー、なんか私、厭な奴になってる。もう済んだ話なのにねちねちと……すまん」 「そんなことないよ。やっぱり俺が悪かったんだと思うからさ」 「ありがとな。一刀」  胸板に埋もれているから一刀からではよくわからないが、どうやら公孫賛はほっと胸をなで下ろしているようだ。  言葉通り自分が悪いと一刀は思っているし、事実そうだとしか思えないのに公孫賛はそう思っていない節がある。 (相変わらず優しいんだか人が良すぎるんだか……)  和みながらも苦笑を浮かべる一刀の顔を公孫賛が急に見上げる。心なしか彼女の顔は赤みを帯びているように見える。 「な、なあ……一刀」 「ん? どうしたんだ」 「いや、そのな……こうして抱きしめて貰ってるのになんだが、その私の腹部の辺りに固いものが……あたって」  伏し目がちに公孫賛が告げた言葉に一刀は初めは目をぱちくりさせていたがすぐにはっとなる。  一糸まとっていない一刀の分身であり、そのくせ彼と完全な意思の疎通が出来ない愚息が公孫賛の腰から腹辺りに頬ずりしている。 「いや、違うんだ。これは男の悲しい性というか生理現象というか……」 「そうなのか? 別に私には何も思わなかったのか?」 「……正直に言うとずっと胸が当たってて若干気持ちが昂ぶってました」  先程からずっと、一刀はそのことが頭の片隅にあった。  両者とも昨晩まぐわったまま眠りについたために一糸まとわぬ姿であり、一刀の懐刀が公孫賛に触れるように公孫賛の何も阻害するもののない生の乳房が直に触れているのだ。  暖かくて柔らかい二つの球体が一刀の身体で潰れて形を変えているのが感触としてありありと伝わってきていて一刀も少しばかりムラムラとしていた。 「なら、その後始末……私がしようじゃないか」 「いいのか?」  公孫賛は一刀の問いに答える代わりとばかりに、朝日を受けて目映いほどに輝く白い肉体を彼の脚へと跨がらせる。  その状態からゆっくりと胸板、腰と手を這わせていき中心部でそそり立つ竿へと手を添える。 「昨日見たのと全く変わらないほどに元気だな」 「そういうものなんだよ、男ってのは」  公孫賛は一刀の言葉に微笑を浮かべると、その細長い指を朝立ち中の肉棒に絡みつかせる。多少のぎこちなさは残るものの公孫賛はまるで我が子を慈しむかのように丁寧に指を這わせていく。  たどたどしい手の動きは強くなく、かといって弱くない、絶妙な触り心地であり、ぞくりとした震えが一刀の爪先から脳天まで響く。 「凄く、反り返ってる」  公孫賛がまじまじと一刀の分身を見つめて甘い溜め息を漏らす。  青年の勃起は血管を浮かびあがらせながら、ぴくぴくと脈打っている。亀頭の色合いは鮮やかで、エラもいっぱいに張っている。それはまるで矢尻のように鋭い。  長らくの間多忙な日々を送っていた青年の息子は漲っており、それは昨晩の性行為が嘘のように性力が満ち溢れている。 「ん……」  髪を掻き上げて耳にかけながら公孫賛が口をすぼめて肉棒へと近づける。そして、残った距離を一気に詰めると口付けをした。  不意の感覚に一刀の肉棒がびくっと動く。 「それじゃあ……」  耳朶まで赤く染めた公孫賛がちらりと一刀を上目で見る。  そして、真綿で首を絞められるようにゆっくりとすべすべとした指が小指から順に力をこめられていく。  一刀の全身に甘い痺れが生じる。昨晩散々愛し合った相手とはいえ、それまでの時間を考えればまだまだ再開の余韻は残っており、そこから生じる愛おしさのようなものが海綿体を疼かす。 「ん、んぅ……」 「どくどく脈打ってるのが伝わってくる……どんどん熱を帯びてる」  呼吸が荒くなりつつある公孫賛の好奇の目が男根に注がれ、一刀はいささか気恥ずかしさとほんの僅かな興奮を覚える。 「ん? 気のせいか一段と固くなったような」 「き、気のせいだ……んっ」 「そ、そうか。まあ、いいか」  そう言って強引に納得した公孫賛が、一刀の肉竿を手のひらにおさめた状態でゆっくりと上下に擦り始める。  彼女の手先はとてもきめ細やかで白絹のようにやわらかく、乾燥地帯の砂のようにさらさらとしており、それがほんのりと高まる体温と絡み合って甘美な風味を醸し出している。 「……ちょっと緊張するな」  気分が高揚しているのだろう公孫賛の鼻息が一段と荒くなっている。その息が肉棒にかかり、一刀にはそれがくすぐったい。 「ん、なんかぴくぴくしてるな……」  そう言って亀頭の先端の割れ目から分泌されている透明な液体……先走り液を指でぬぐい取ると公孫賛はゆっくりと口を近づけて垂れる液体を吸い込む。 「ん……ひょっほ、ひがい……」  ぴちゃぴちゃとした音が公孫賛の顔の方からしている。それは彼女が一刀の肉棒へと口付けをしている証拠。  それを裏付けるように肉竿の胴茎からは生暖かくて柔らかい物体の感触と甘い痺れがじんじんと伝わってきている。  そのうえ公孫賛の手は徐々に汗ばんできており肉棒に吸い付いてくる。それがまた一刀には心地よくて声を漏らしてしまう。 「んぅ……白蓮の手……気持ちいい」 「ふふ、嬉しいことを……言ってくれるな」  公孫賛は微笑むと、その優しく歪んだ口もとを亀頭へとあてがう。ぷにぷにとした唇の感触が伝わり、一刀の胸は高鳴る。  軽い口付けから始める公孫賛、心なしかおずおずとした感じの動きではあるものの唾液を交えて滑りを良くしながら口先を弧を描くように這わせていく。  口唇による愛撫で一刀の肉棒はあっという間に唾液まみれとなってしまった。その濡れた肉竿と公孫賛の口の間から発せられる淫音が部屋中に響き渡る。  瞳を閉じて熱心に分身に貪りつく公孫賛の姿、頬を上気させ、興奮を各層ともしない荒い鼻息、しっかりと肉棒を包み込んだ十本の指、徐々に肉槍の先端を頬張り広がっていく口唇、汗ばむ肌、そのどれもが一刀の劣情を更に誘う。 「んは、なんかいっぱいれてる……んっ、きもひいい……のか?」 「くぅっ、うん、白蓮のそれ凄くいい……」  にちゃにちゃという淫靡な音をさせながら上目がちに訪ねてくる公孫賛に一刀はやっとのことで頷き返す。  公孫賛は一刀の返答に満足したのか嬉しそうに顔をほころばせると、肉棒をぱくりと咥えこんだ。 「んっ……ほほひいはら、はいりひらない……」 「う……くあっ」  公孫賛の口いっぱいに放り込まれた一刀の愚息は彼女の口腔内の温もりに包まれてひくひくと痙攣し、えらの部分に擦れる歯が切ない疼きを一刀に与える。 「ふあ? ほほはひいのふぁ?」  公孫賛は一刀の反応を見て、当たりをつけるようにして舌でエラを弾くように何度も蠢かせる。それは一刀にとって非常にたまらなく、背筋に雷のようなものが走る。 「そうか、やっぱり口なんだよなぁ……」  公孫賛は一度口から肉竿を抜くと何やら思考を自己完結させて頷き、手によるしごきもほどほどに、彼女の唾液に混ざるように次々とあふれ出てくる我慢汁に舌を這わせていく。 「あんまり無理しなくても……んっ、いいんだぞ?」 「……んあっ、ぜんぜん……無理じゃないから、きにふるな……ちゅっ、れろ、ちゅうううっ!」  口をすぼめ、公孫賛は鈴口からどろどろと溢れてくる快感露を口に取りこんでいく。 「くううっ! ぱ、白蓮……そんなしたら……もう、まずいって」  一刀が敏感な亀頭粘膜をしゃぶられる快感に悶える。興奮に漲っている肉竿が震え、陰嚢が縮こまる。それは彼が絶頂へと差し掛かろうとしている合図でもある。  だが、公孫賛は激しさを増し、亀頭全体を飲み込もうとでもするのかと思える程に強力な吸引力を見せつけてくる。 「うあっ、も……も、限界……ぱ、白蓮……は、はなれ……っ」  高まる射精感のなか、一刀は精一杯声を振り絞って訴えかける。公孫賛の指が陰嚢をなで回し唾液と先走りが絡みついて一段と強く快感を発し、亀頭周辺は公孫賛の口腔内で放出の時を今か今かと待ち望んでいる。 「やばっ、う……もう、耐えられ……白蓮……っ!」 「んんーっ、んぐっ!?」  一瞬膨れあがった肉棒に驚いた公孫賛だったがその直ぐ後に起きた口内射精によって眼を見開いて更なる吃驚を露わにした。  公孫賛の中でどくどくと精液を吐き出しているのが感覚として一刀の脳裏に快感の痺れと共に伝わってくる。  一刀が「無理なら吐き出していいんだぞ」と念を押すが公孫賛は頑なに口を開かずもごもごとさせている。 「んぐ……んぶ……んく……うっ、んぅぅ」  四苦八苦した様子で格闘した末に公孫賛は喉をこくこくと何度も鳴らして一刀の出したものを飲み干してしまった。 「ふぅ……思ったより量が多くて……大変……だったじゃないか」 「ごめん。というか、俺離れろって言ったよな?」 「……………………」 「白蓮?」 「うるさい……バカ」  一刀の股間からじろりと上目がちに睨み付けてくる公孫賛、その頬は真っ赤な林檎のようで非常に気恥ずかしそうである。 「……うう、お前がいけないんだからな」 「なんだよ、唐突に」 「一度だけ関係を持ったまま放置して……だから、こんな朝っぱらからふしだらなことするようないやらしい女になっちゃったんだぞ」 「そっか、それじゃあ責任持って白蓮を大事にしないとな……」 「ばっ、……もう、お前は調子が良すぎだ!」  眉尻を上げて怒った顔をしていたのに照れたような顔を浮かべる公孫賛。一刀はそんな彼女に苦笑を浮かべつつも内心では別のことに関心を向けていた。 (しかし、焦らしプレイか……なんだろう、何故か不安が)  今回の公孫賛のように自分の気付かぬところで行っていたりしないか、急に一刀は気になったがどうにも心当たりには行き当たらず結局忘れることにした。  そんな一刀の肉竿を口で後掃除し始める公孫賛を一刀は慌てて止める。 「ちょっ、待て……刺激を与えられたら終わらなくなる」 「……まあ、そう言うなら」  どこか残念そうな表情を浮かべながら顔を上げると、射精後の脱力感でぐったりと横になっている一刀を余所にそそくさと寝台から出て、せっせと着替えを始める。 「あれ? もう行くのか?」 「そりゃ、仕事もあるからな。他にもお前の後始末をしなければならないからな……」 「じゃあ、俺も」 「おほん。あー、一刀」  咳払いをした公孫賛が着替えを終えて扉に手を掛けたまま顔だけを一刀の方へと振り返らせる。彼女は何故か視線を一刀でなく彼の背後にある壁の上方へと向け、頬を掻いている。 「そのだな、少し身体を労るといい」 「ん? 労れと言われても朝一番で疲れるようなことがあったしな……気持ち良かったけどさ」  一刀がそう答えると公孫賛はどこか疲れた様な顔で肩を落として溜め息を零す。 「まあ、なんだ……その、お前は無理ばかりしすぎだからな。少しは休めと言いたい」 「そうか。ありがとう」 「なに、気にするな。私としては……もうお前とは一心同体のようなものだと思っているからな」 「白蓮……」 「そ、それじゃあな!」  自分で言った言葉に照れたのか、顔中を真っ赤にした公孫賛は深紅の髪を揺らしながら慌てて逃げるように部屋から出て行こうとする。 「あ、ちょっと待った」 「ん? なんだよ」 「いや、そのだな……白蓮の顔に俺のがついたままだ」 「うわぁ、危なっ!? あやうく、そのまま外に出るところだった……」  一刀の指摘に非常に驚いた様子で立ち止まると、公孫賛は人差し指で口もとに残っていた白濁液をぬぐい取ると、肩を竦める。 「まったく、先に言えよな」 「悪い悪い……ん?」  頭を掻きながら謝る一刀だったが、公孫賛が黙り込んで人差し指を眺めていることに気付いて訝しむように様子を窺う。  すると、公孫賛はぱくりと指を咥えてしゃぶりついた。 「………………あむ」 「おいおい……」 「ん……かずとのあひらぁ」  公孫賛はうっとりとした声色でそう言うと、最後の一欠片も残さないとばかりに最後の最後まで舌を絡ませながら指を抜き出して今度こそ外へと出て行った。  何でもないことのように軽く精液を口に含んで出ていった公孫賛に唖然としていた一刀もすぐに我に返ると一先ず着替えようと寝台から降りた。  その際、布団に残っていた少女の残り香が鼻腔をくすぐり、昨日からの彼女との一時を思い出して一刀は顔をにやつかせる。  そして、最後に彼女の言葉を思い出して苦笑を浮かべる。 「まあ、休めと言ってくれるのも凄く大切に思われるのも嬉しいんだけどね……」  そうもいかないのが今の北郷一刀という存在だった。  †  自室を後にした一刀が向かったのは修練城。そこでは多くの将兵が集まって演習のような隊としてのものとは別に個人用の鍛錬を行っている。  あるものは空気を切り裂くように豪快に動き、またあるものは相方と演舞を踊るように組み手を行っている。  そんなやり取りがいくつも行われているのを遠目に眺めながら一刀は修練場全体に視線を巡らせる。 「ううん、これだけ人がいると見つけにくいな」  一刀は困ったように顔をしかめながら探し人を求めて将兵の中へと入っていく。  左右前後どこを見てもむさ苦しい雰囲気が充ち満ちている。もっと道場のように密閉されがちな場所なら汗で霧のようなものができそうだな、などと思いながら一刀はきょろきょろと辺りを見回す。  そうして、歩き回った末に漸く目的の人物の姿を見つけることに成功した。 「はぁっ! せやっ!」  荒々しく、かつ乱れのない真っ直ぐなかけ声と共に長柄型の戦斧から繰り出される一撃が空気の中にいる見えざる敵を砕く。  仮想の敵をなぎ倒す女性を邪魔しないよう一刀は側らの地面に腰を下ろして彼女が汗を流すのをじっくりと眺める。  基本は普段の得物である金剛爆斧という長柄戦斧からの大ぶりな斬撃か刃の腹による殴打による攻撃のようだ。彼女はそれを動きの中に取り入れるように工夫しているらしい。 (凄いな、回数をこなすにつれてだんだんと無駄な部分が削られている感じだ)  まさに洗練されていると言うにぴったりである。  華麗な女性の動きもさることながら、それに伴って乱れ狂う肩口まで伸びた藤紫色の髪と飛び交う汗の煌めくさまに一刀は見惚れていた。  それから暫くただ黙って見学をしていると、一頻り動いたのか休憩に入った華雄が声を掛けてきた。 「さっきからいたようだが、何か用か?」 「まあ、ちょっと……ね」  腰に手を当てて近寄ってくる華雄に一刀は頭を掻きながら苦笑を浮かべる。 「いろいろあったよな、ここでこうしていられるようになるまで」 「そうだな。誰かさんは一度死にかけたりもしたな」 「はは、面目ない。でも、実はそのことでちょっと話があるんだ」  一刀がそう告げると、華雄は眉を顰めてその真意を問いただす。一刀は、彼女の言葉に真摯な表情で答えるが、それは華雄にとっても異論を挟む余地のないことだった。  †  公孫賛が下邳城入りを果たしてから暫しの時がたったある日のこと。  公孫賛軍本隊とは別行動を取り、落ち着きを取り戻すまで郯城の防衛に当たっていた趙雲は漸く余裕ができたということで下邳へと訪ねてきていた。  彼女は来訪の目的である公孫賛への報告のため、玉座にて謁見を行った。  郯城に関する報告、徐州西に駐屯している曹操軍への警戒についての話などが主"な内容であり、後は一刀の動きに関する話を公孫賛から聞かされたくらいで用は済んだ。  ふと、趙雲は気になったことがあり、彼女に尋ねてみることにした。 「白蓮殿、先程から気になっていたのですが、主はどこにおられるのですかな?」 「一刀? ああ、あいつなぁ……」  本来ならこのような場にいてもおかしくない人物がいなかった。公孫賛の反応からして何かあるのだろうかと趙雲が勘ぐっていると、彼女は頬を掻きながら苦笑しながら続けた。 「まあ、ちょっとな。近くの森に行ってみるといい。多分、今は華雄と一緒にいるはずだ」 「森ですか。よもや、外で行為に及んでいるというようなことはありますまいな?」 「そんなわけあるかっ! ……と言い切れないからなぁ」 「…………はあ、もう結構。適当に様子を見るとしますよ」 「おい、どうしたんだ? 何か変だぞ」  慌てて呼び止める公孫賛に「なんでもありませぬよ」と答えて趙雲は玉座の間を後にした。 「ふむ、これは困ったことになったな」  何故か今自分は苛立っている。正直、理由はよくわからない。だが、無性に腹が立っておりムカムカしている。  趙雲がこのような尖った気持ちになるようになったのはまだ鄴にいたときのことだ。  伝え聞いた話では、侍女として一刀の身の回りの世話をしている少女、董卓が一刀と一線を越えた関係となっているという話で、それを耳にした辺りから趙雲の胸に刺のようなものが刺さり、ささくれだった心は彼女を苛立たせていた。  別に董卓がそういう関係になったからどうとかではない……そう趙雲は信じている、公孫賛がそういう関係になったと聞いた時には今ほど感情が動かなかったのだから。  だが、そうなると今の感情には説明が付かなくなる。趙雲は僅かに困惑を覚えざるをえなかった。 「まったく、どうかしているとしか思えんな」  どこかが捻れているような感情を持て余しながら趙雲は馬を駆って城外へと出る。  公孫賛が言っていた森は直ぐに見つかった。  緑が生い茂り、非常に空気が澄み渡っていそうな印象を受ける景色に感嘆の声を零しながらあまり整備が行き届いていない険しい道を進んでいく。  枝々の隙間から差し込む日の光がとても眩しく、それでいて穏やかな温もりが感じられてささくれだった趙雲の心を癒やしてくれる。  やがて奥の方へと入りこんだ趙雲の前に異様な光景が映り込んできた。  四方八方には支柱となる木々、その枝ごとに縄がくくりつけられ縄の反対側は模擬槍に結びつけられている。  しかも、それが前後左右どころか八方位から真ん中にいる人物へと襲いかかっている。 「一つ当たるだけでも致命傷と思え!」 「ああ、わかってる。けど、結構難しい……うおっ」  目を懲らしてみると、中央にいるのは間違いなく趙雲の探し人である彼女の主だった。  彼に次々と襲いかかるように模擬槍を押し出しているのは猛将、華雄その人である。 「何をしているのだ……あれは」  趙雲はまだ彼らに声は掛けず、遠目から様子を窺うことにする。  趙雲の主……北郷一刀は足下に描かれた円の中で必至に動きながら模擬槍を避けている。捌いたり、軽く大地を蹴って後退したり、前進したり、横へ跳んだりしている。 「しかし、そう長くは持たなそうだな」  一刀は確かによけることに成功しているようだが息が上がっていて肩で息をしている。 「ぜぇ……はぁ……おっと、今の結構やばいだろ!?」 「問答無用! そら、どんどん行くぞ」 「くぅぅ……きっつい」 「おしゃべりなんぞ、している暇があると思うな!」 「ぐへっ、ちょっと掠ったぞ! っと、危ねっ!」  彼が一体何回目になるのかわからない前進をして模擬槍を避ける。そのとき、華雄が瞬時に矢を射って一刀を捉えた。 「いてっ!」 「……そこまで」  矢を受けて蹲る一刀を見下ろしながら華雄が模擬槍を制止する。  一段落付いたようだと判断し、趙雲は彼らの基へと近づくことにする。距離が縮まったことで気付いたが、華雄が放った矢は模擬用にちょっと弄られたものだった。もっとも、それでも命中すればそれなりの痛みがあるはずである。  近くを流れる小川のせせらぎが聞こえてくる中、華雄がじゃりっと地面を踏みつけながら一刀へと近寄っていく。 「おい、もうバテたのか」 「…………ハァ、ハァ」 「あんなものでは直ぐに命を落とすぞ」 「ぜぇ、ハァ……ぐぅ」  膝に手を突いて汗を垂れ流したまま肩で息をしている一刀に華雄が厳しい表情を向ける。  近づいたことで趙雲は気がついた、よく見ると、上着を脱いで腕まくりをしている一刀の剥き出しの腕に痣が幾つもできている。  腕だけでなく顔にも痣や擦り傷がついている。 (痣や傷、打ち身……全身の至る所にありそうだな……)  一刀自身は痛みや怪我どうのこうの言ってる場合ではないという気迫が感じられるため、気にしてはいないようだ。  それでも疲労だけは隠せていない一刀に向けて華雄が矢を番いながら声を上げる。 「よし、もう一度だ!」 「お……おう!」  汗を拭うと一刀は再び身構える。  華雄は弓に矢を番えたまま模擬槍の側まで駆け寄って腕で押し出す。  槍も矢も模擬仕様となっているとはいえ、その一つだけでも当たれば痣や打ち身となる。酷い場合には骨折なんて事態もあり得るかもしれない。  ましてや一刀は元来戦闘専属ではない。既に何本もその身に受けてしまっている、彼には非常に大きな苦痛がもたらされていることだろう。  だが、それでも一刀は気にした様子はない。華雄の理不尽なまでも攻撃の嵐にも耐えるように身体を動かして回避運動を取る。 「くそっ……なかなかっ……上手くいかないな」  額の汗を拭った一刀が苦しげに息を吐き出す。  華雄はそんな彼に一切の同情も優しさも見せず、ただ溜め息を零して一刀に声を掛ける。 「一刀よ、正直に言おう。お前は弱い! 未だ英傑には及ばぬどころか己の身一つすらも守れやしない程にだ」 「…………」  一刀が下唇をぎゅっと噛みしめて悔しさを露わにするが華雄の顔から目を逸らそうとはしない。そんな青年の顔つきは趙雲が最後に見た時とはどこか違って見える。 (どうやら、何か思うところがあったようですな……)  何があったかは詳しくは聞いていない。ただ、一刀が危機に陥りあわやというところで華雄が駆けつけ事なきを得たということだけは存知である。  恐らくは自らの命が危機に晒された今回の一件で何かを己の中に見出したのだろう。  だからこそ、こうして華雄相手に稽古をして自分を鍛えているのだろう。 「うおお、まだまだ!」 「気合いはいい。それよりも集中しろ!」  一刀が身構え、それを見るやいなや華雄が矢を次々と射ては槍を突き出す。慣性に乗った複数の槍が一直線に襲い、その槍と槍の合間を埋めるように矢が飛ぶ。  今にも倒れんばかりに疲弊しているはずの一刀だが、すれすれではあるものの雨のように複数同時に襲い来る矢や槍を避けていく。  一見すればぼろぼろな状態で間一髪に見える程に危ういのだが、趙雲の目には決してそうは見えず別の見解があった。 「全てを必要最低限の動きで避け始めているという訳か……」 「よし、いいぞ! 次!」 「ふっ! ほっ!」  披露によって全身から無駄な力みが消えたのだろう、一刀は柔軟かつ俊敏かつ小刻みな動きで飛び交う槍や矢を回避する。  その光景を見ている趙雲の方を一瞬だけ華雄が見てきた気がした。そして、すぐに趙雲の足下へと視線を下げた。 「ん? ……なるほど、仕方ない。私も一つ、主の為に手を貸すとしよう」  そう呟くと、地面に転がっていた弓矢を取って狙いを定める。 「ぬあああああああっ! やばい、これ以上はやばいーっ!」 「ふはははは、まだだ、まだ終わらんぞ!」 「くそおっ!」  ノリノリで槍を動かし矢を飛ばす華雄、槍と矢そのもの、そして、それらに気が向いている一刀、それらの動きをじっと見つめ流れを読む。  そして、華雄が特訓を終わりにしようとする素振りを見せた瞬間、警戒の解けた一刀へ向けて趙雲は矢を放った。 「お、終わりなのか? ぎゃあっ!」 「隙有り……ですぞ、主よ」 「痛つつつつっ……って、星?」  模擬矢が当たった後頭部をさすりながら一刀が涙目を向けてくる。 「おやおや、そのように睨まれても困りますな。主が油断なされたのが原因なのでは?」 「そうだぞ、一刀。お前は目の前のことにしか意識が向いていないから急に飛んできた矢に対処出来ない」 「わかってはいるんだけどさ……くそぅ、ようやく今日も華雄の仕掛けてくる矢は避けられるようになってきたと思ったのに……」  心底悔しそうに膝を打つ一刀。趙雲はそんな彼を見て微笑を浮かべながら華雄の元へと歩み寄る。 「それで、これは一体どうしたというのだ?」 「実は自衛のためにも強くなりたいと言い出してな」 「ほう……それは、やはりこの下邳での一件とやらが絡んでおるのか?」 「まあな、確かにあやつがそう思うのもおかしな話ではないし、別に構わんのだがな」  腕組みしてふうと息を吐き出しながら華雄は未だ地面に対してぶつぶつと言葉を投げかけている一刀を見る。  趙雲も彼女に倣って一刀の姿を視界の中心に治めながら問いかける。 「それにしても、華雄よ。お主のことだから、てっきり自分が守るから強くなろうとしなくてもよい。などと申すかと思ったのだがな」 「それに関しては思うところがあるのだ」 「ほう、してそれはどのような?」 「私が幾ら強くなろうとも守れぬ時は守れぬ……そういうことさ」  なんとなくの意味はわかるものの、華雄の瞳はどこか遠くを見据えており、彼女の言葉の奥には下邳での話以外の何かが大元にあるように思えた。 (一体、こやつには何が見えておるのだ……)  そう思い訝しむ趙雲に華雄が苦笑を浮かべる。 「何、遠い昔の事だ。そして、その後悔もあいつのおかげで幾分か取り返せそうではあるのだ」 「ほう、随分と思わせぶりな言葉だな」 「まあ、いずれお前にも分かるときが来よう」 「……また、それか」 「ん? 何か言ったか?」 「いや、何も」  目を丸くして首を傾げる華雄に趙雲はただ首を横に振るだけだった。 『いずれ、星さんにもわかるときが来ると思います』  それは趙雲がまだ鄴にいたとき、董卓本人にからかい半分に如何にして他の者たちを出し抜くようにして一刀との距離を縮めたのかと聞いた時に彼女が漏らした言葉だった。 (一体、私に何がわかるというのだ……)  その意味がわからないことも趙雲の胸にもやもやを残していた。そして、その董卓の口にしたものと似た言葉を華雄から聞かされるという予期せぬ出来事によって彼女は益々言い難いものを胸に宿すことになった。  趙雲はその感情の帰伏を隠すように華雄に別の話題を振る。 「それで? 主は今のところどうなのだ?」 「どうとは?」 「なに、どれ程に鍛えられたのかと思ってな。どうだ? 見所はありそうか?」 「んぅ……まあ、基礎体力の構築はそれなりにできているようだ。その点では評価はできる」 「ほう。華雄がそう言うのなら相当なのだろうな」  華雄の言葉に頷きながら趙雲は日頃走り込みや肉体の鍛錬を行っている青年の姿を思い起こす。公孫賛に拾われてから少しした頃から青年は暇な時間の一部を裂いて継続しているのだから基礎体力はばっちりなのだろう。 「ところで華雄よ……」 「ん? なんだ」 「胸当てがずれておるぞ」 「っ!? な、なんだと!」  趙雲の言葉に焦りを露わにして華雄が顔を真っ赤にしながら胸当てに視線を移す。  その反応に眼を細めて趙雲は不敵な笑みを無理矢理作る。 「ふ、冗談だ」 「なっ、き……貴様」 「しかし、反応したと言うことは一度は脱いだと考え手よさそうだな」 「っ!?」  華雄が言葉を詰まらせてだらだらと冷や汗をかき始める。どうにも嘘がつくのが苦手な性格のようである。 (こういうのを馬鹿正直、というのだろうな)  そんなことを思いながら趙雲はそれとなく自分の方から話の続きを切り出す。 「まあ、さしずめ水浴びと言ったところか?」 「そ、そうなのだ。いや、鍛錬していたら汗をかいたのでなぁ、あっはっは」 「……主がいるのにか?」 「………………」  ひくつきそうになる口もとをニヤリと歪ませて趙雲は悪戯な笑みを作り上げる。華雄は言葉を失って真っ赤な顔であうあうと言葉にならない声を発している。  どうやら公孫賛の言っていたとおりのようだと趙雲は溜め息を零す。  さて、ここからどう追求してやろうかなどと考える趙雲の元に一刀がやってきて邪魔をする。 「ん? 何の話をしてるんだ?」 「それはですな、華雄と主――」 「なんでもない! それよりも、一刀。貴様、少しは防御に関しての感じは掴めたのか?」 「まあ、最低限の動きで避けて無駄な体力消費を抑える。そして、落ち着いて周囲に気を配り変化を汲み取る……みたいなのはわかったかな」 「よ、よーし、それだけわかったのなら次の特訓でも大丈夫だろう」 「そうだな。今度こそ、全部避けられるよう頑張るぞ!」  先ほどの鍛錬で何か手応えのようなものを覚えたのか、一刀は握りしめた拳を見つめて決意じみた顔をしている。  華雄はそんな一刀に満足そうに笑みを浮かべて頷くと、弓矢、槍、そして己の鍛錬用の金剛爆斧を担いで空を見上げる。 「まあ、とにかく今日はこれまでとしておこう」  来たばかりだと趙雲は思っていたが、いつの間にやら空はすっかり辺り一面朱色となっており、僅かに浮かぶ雲も、周囲の木々も小川の水面も皆、その色に染まっている。 「そうか、それじゃあ城に戻ろうか。あ、星は何か用があって来たんだよな? 帰りに聞くってことでいいかな?」 「別に主の顔を見に来ただけですのでお気になさらなくても構いませぬよ」  趙雲がそう言うと、一刀は「そっか」と笑顔で頷き、華雄はちょうど人の肩のような形状をした岩にかけてあった白き衣をとってきて一刀に羽織らせた。  そうして、二人は馬に乗ると仲良く並んで進み始める。  趙雲はその背中を長めなあら一体、何があって華雄や董卓……それに他の誰かとの差が開いてしまったのだろうかと考える。  趙雲にだって機会はあった。一刀を誘惑したら本気で来られたのだから、それほどの好機はそう他にはないだろう。 (だが、全ては覚悟が足らぬばかりに水の泡……か)  そう思う一方で趙雲の中には一つの予想があった。もしかしたら北郷一刀は、あのとき趙雲が受け入れようとしても何らかの理由で中断したのではないだろうかと。  いや、もしかすると――、 「既に私がどう反応するかを知っていた?」  急に過ぎった思惟に趙雲は身震いする。何かとても深い闇に触れたような薄ら寒い感覚。 「まさかな、そんな馬鹿なことあるはずもなかろう」 「なにがないって?」 「なんでもありませぬよ、主」  そう言って趙雲が小さく笑みを作って答えると、一刀は微笑み返して再び前を向いた。  振り向いた青年の顔を見た時に趙雲は思った。  先程、何か自分の中の仄暗い水の底のような場所にある何かよくわからないもの、そこに到達することが彼のことを理解する手立てとなるのではないかと。そして、何よりも一刀との距離を縮める再誕の方法と鳴るのではないかと。 「何が何でもという強固な意思を持ち、行動せねばならぬようですな……主よ」  馬に揺られながら暢気に鼻歌なんかを歌っている一刀の背を趙雲は眼を細めながら見つめる。  彼との関係を少しでも変えるためにも、趙雲はそう思い、密かにとある決意を固めるのだった。