小さな軍師達     もしくは       種馬は様子見中   一刀からの使いの者に先導され一刀の屋敷の門をくぐった朱里達は、その屋敷の豪華さと大陸の趣とは多少異なる造りに圧倒さ  れていた。基本的には大陸風の造りなのだが、細かい所や特に調度品の一部に見たことの無い物が多い。先ず通された応接室から  見る中庭等は、明らかに大陸の物では無かった。   魏の重鎮であり、最古参の一人でもある天の遣い北郷一刀の屋敷なのだからかなりの物であろうと想像はしていたが、これ程の  物とは思ってもみなかった。確かに屋敷の規模等は春蘭や桂花の屋敷の方が大きいが、二人の屋敷は洛陽の大火をを逃れた以前か  ら在る旧権力者が使っていたであろう古い物であるのに対して、一刀の屋敷は豪商が最近建てた比較的新しい物である為また違っ  た趣がある。この時代に生きる朱里達でさえ圧倒されているのだから、一刀が最初にこの屋敷を見て驚いたのは無理は無かったの  である。 「凄いなぁ……」 「ホントに凄いのだ。鈴々達のお城より凄いのだ……」   翠と鈴々が口々に感想を漏らす。流石に鈴々の感想は少々大袈裟であるが、規模だけなら成都の城の方が大きいのは明白で、彼  女が言っているのはその内装の造りや装飾に対してであった。   今の一刀の屋敷は麗羽の指示により、彼女の言うところの成金的で悪趣味な装飾は取り外されたり改修されたりして、上品さを  前面に出した落ち着きの在る趣を醸し出している。これについては華琳もかなりの高評価であった。ちなみにあの部屋については  何故か一刀の知らぬ間に麗羽と真桜の指揮の元(何時の間にか二人は真名の交換までしていた)更に手が加えられていた。この屋  敷の事に詳しく無い外部の者では判らない様な真桜謹製の仕掛けが施され、外部からの進入や内部からの声が漏れたりなどしない  様に更なる改良が施された。   話を成都の城に戻せば、現在の成都の城はその改修にまで予算が回っておらず、痛んだままの箇所が多数存在した。桃香の意向  も有り、成都の城壁以外には(特に城内の)施設改修の必要最小限の予算しか回していない。劉璋の時代にかなり金を掛けていた  ので造り自体はしっかりとしてはいるが、日々の改修や整備が出来ていない為、良く言えば質素、悪く言えば貧相に見える。三国  鼎立の一角を担う国の首都の城とすれば少々心許無い。民の暮らしや安全を最優先とした桃香の方針は家臣皆異論は無かったが、  事情を知る国内の者はまだしも、事情を知らない国外の客に関しては流石に体裁が悪く、朱里達の悩みの種の一つであった。 「お母さん、これ面白いよ」   金属製のオブジェの様な物を璃々は触りながら歓声を上げていた。 「璃々ダメよ、触っちゃあ。でも、確かに凄いわねぇ……、この内装の仕上げを指示した人は誰なのかしら?」 「判りません。魏のお城の内装とも少し違いますし……」   紫苑の問いに朱里が答える。すると朱里の隣で同じ様に部屋を眺めていた雛里が口を開いた。 「確かにお城の内装や、前に見せてもらった春蘭さんや秋蘭さんの御屋敷の内装とも趣が違うね朱里ちゃん」 「うん……」   雛里に言葉を返す朱里の声が小さくなっていく。   魏では主要な者達には屋敷が与えられ、その一つ一つがこうして威風を放っている。昼に視察した洛陽の街も人や物が溢れ、か  つ秩序を維持して拡大を続けている。正に帝都として相応しい都であった。それは近隣の都市にも波及しており、古都長安や元の  本拠地である許昌や陳留、そして業や南皮も以前に比べて輝きを増している。   それに比べ自分達の国はどうであろうか……。   三国で争っていた頃や、劉璋の時代に比べれば遥かにましに為っているとはいえ、洛陽という現実を目の当たりにすればそんな  ものは霞んでしまう。   そう思う朱里は気持ちが沈んでいくのを感じていた。この数年で益々魏に差を付けられ、例え呉と組もうが相手にすら成らない  のではないかとも思えば憂鬱さが増していく。   そんな朱里に紫苑が声を掛けようとした時、数名の女性が部屋の中に入って来て深々とお辞儀をして口を開いた。 「本日は皆様良く当家に御出で下さりました。用意が整いましたのでご案内させていただきます、我が主も奥で皆様をお待ちしてお  ります」   そう言って顔を上げた女性を見た朱里達は思わず声を上げそうになった。それが袁本初こと麗羽であったからだった。   麗羽を見る蜀の面々は目を丸くしていた。てっきり屋敷の侍女だと思っていたのは、麗羽と斗詩・猪々子の袁家の三人であった。  そして先頭の麗羽に紫苑が声を掛けた。 「失礼ですが、袁本初殿で間違いありませんか?」 「はい、間違いありませんわ。私は袁本初で御座います。あなたが黄漢升殿ですね、こうしてお話しするのは初めてですわね以後お  見知りおきを」 「えっええ、こちらこそ……」   以前聞いた評判とかけ離れた麗羽を見た紫苑は戸惑っているのが見て取れた。そして麗羽は他の蜀の面々に目を向けた。 「では皆様、我が主の元にご案内いたします。どうぞこちらに」   麗羽に先導されている蜀の面々が複雑な面持ちで付いて行く。麗羽の風評を聞いていただけの紫苑はまだしも、以前の連合での  彼女を知る朱里達四人は目の前の現実を未だ信じ切れないでいた。   そんな時、翠が側を歩く猪々子に声を掛けた。勿論麗羽には聞えぬ様小さな声で。 「なぁ、文醜だったよな。袁紹のやつどうしちゃったんだよ?」   そんな翠の質問に猪々子が答えた。 「おっ、あの勇名轟く錦馬超に名前を覚えてもらってたとは嬉しいぜ」 「その呼び名はくすぐったいから止めろよ。で、どうしちゃったんだよ?」 「んっ、麗羽さまの事か?アニキに出会ってからコロッと変わっちゃったんだよ。初めはアタイも変な感じだったけど、今は麗羽さ  まの気持ちも判るかなぁって……。でも、気の強いところや我が儘なところは変わってないぜ、何事もアニキの事が一番に成った  だけで」 「ふ〜ん……」   そう言って翠は感慨深げに先頭を行く麗羽の後ろ姿を見詰めていた。   そうこうしている内に目的の部屋へと到着する。先頭の麗羽が扉を開け皆を部屋の中へと招き入れると、その部屋の上座にこの  屋敷の主、北郷一刀が居た。 「待たせてすまなかったね。さぁ皆さん、どうぞこちらに」   そう言って蜀の面々に上座を譲る一刀。そんな一刀に朱里達は恐縮しながらそれぞれ席に着いていった。   食事は済ませて来たと言う朱里達にならばと一刀は軽いお酒や飲み物、そして菓子や果物を勧めた。珍しいお菓子に目を輝かせ  る璃々や、とても食事を済ませて来たとは思えないペースで目の前の物を口に運ぶ鈴々を皆笑顔で見ながら、一刀達は当たり障り  の無い雑談を先ずは始めた。   暫くすると少々沈んでいた朱里にも笑顔が戻りこの場の雰囲気も馴染んだところで、一刀の「ではそろそろ……」の言葉で朱里  と雛里の目付きが変わった。   そんな空気を読んだ斗詩が猪々子に耳打ちをし、猪々子は翠と鈴々、そして璃々を誘って部屋を後にする。翠も何か感じたのか  素直に猪々子に従って猪々子に付いて行く。 「では部屋を変えようか」   そう言って立ち上がる一刀に従って朱里・雛里・紫苑の三人と麗羽と斗詩は会談用に用意された別室へと移動して行く。   その部屋には三対の椅子が向かい合って配置されており、それぞれに分かれて一刀達は腰を掛けた。天の国のソファに模して作  られた大振りの椅子に掛け心地を気にしながらも浅めにちょこんと座る朱里と雛里を見ながら、一刀は「やはり小動物だ」と再確  認していた。   そして二人の座りが落ち着いたのを見計らって一刀が口を開く。 「では始めようか。だけど俺は臥龍鳳雛に注目される程の者では無いよ、まぁ確かに天の遣いなんて大層な呼ばれ方はしてるけど」 「そんな事はありません」   朱里が一刀の顔を真っ直ぐ見詰めて答えた。 「単刀直入にお聞きします。北郷一刀殿は現在の三国、いやこの大陸を見てどう思われますか?そしてこの先この大陸をどの様に向  かわせたいと思われますか?」   そんな朱里の言葉に一刀や斗詩そして紫苑が驚いた顔で彼女を見詰める。雛里の表情が変わっていないところを見れば二人での  間には意見のすり合わせが出来ているのだろう。麗羽は判っているのかいないのか、優雅に足を組んだ姿勢のまま表情を変えてい  ない。 「……いや、俺にはそんな大それた権限は無いよ。確かに自分の理想としている方向みたいなものは有るけれど、未だそれはきちん  とした形に成っていないし、それに最終的な決定をするのは華琳だ。俺は一臣下であって、それ以上でもそれ以下でもない」   朱里の問い掛けに直ぐには答えが返せず少し間が開いた一刀であったが、彼女の顔を真っ直ぐ見ながら何とか答えた。   しかし朱里は一刀の答えに納得がいかなかったのか首を横に振り再び口を開いた。 「いいえそんな事はありません。ここ数年に魏の国内で執り行われている私達が見た事も聞いた事も無い様な制度や施設、そして道  具等はその殆どが天の遣いから齎された物だと聞き及んでいます」 「それは確かに俺が伝えたものも在るのは在るけれど……、全てがこちらの世界に合う訳では無かったし、華琳達に全否定されたも  のも在る。俺の適当な説明や要点を上手く説明出来ていなかった物を形にしたのは魏の皆や華琳だ。それにそれらを最終的に行う  かどうか決めるのも三軍師達や華琳であって……」 「しかし三軍師や華琳さんにかなりの影響を与えているのは事実です。それにあなたが華琳さん達と特別な関係であるのも知ってい  ます」   少々不躾な朱里の言葉にムッとした一刀であったが、これも朱里の手管かとも思い落ち着こうとする。 「それは……」 「はい、ただあなたと華琳さんの男女の仲と言うだけで華琳さんが情に流されているとは思いません。しかし周りの人や華琳さんを  余り知らない人が思うほど彼女はただものの価値だけで判断する人でもありません。私は世間の人が思う以上に情の厚い人だと思  います。ですからあなたが思う以上に華琳さんは北郷一刀の影響を受けているのではないかと思うのです。これは三軍師の方達や  他の武将の方達にも言えることですが、三年前にあなたが一度天の国に帰った事にも影響していると思います」 「俺があちらに帰った事?」 「はい、三国の争いの後それまでの魏に在った勢いもしくは覇気とでも言うのでしょうか、そのようなものが感じられなかったので  す。言葉は悪いのですが、附抜けているとも思える程でした。戦の後の反動ではないかと当時のは私はそう思っていました」 「そっその時に感じたんです。天の遣い北郷一刀が天に帰ったって事との関係を」   今迄朱里と一刀の話を見守っていた雛里が口を開いた。雛里の言葉に朱里も頷く。そんな彼女達を紫苑は口を挟む事無く、優し  く見守っている様であった。 「そう考えれば納得できる所も有りました。洛陽に凱旋する折の戦の勝者とは思えない雰囲気や、その後の魏の有様は……。その頃  には魏の武将の中にはかなり荒れた生活を送っていた者も居たと聞き及んでいます」 「でも、戦後の処理が一段落してくると魏は少しづつ動き始めました。その頃から天の知識を用いた制度や施設が現れ始めたんです」 「それらの物は魏が独占する事も無く、情報の殆どが開示されていて蜀や呉にも広く行き渡っています。それらを見た私は愕然とし  ました。突然現れたかなり洗練された制度や、ほんの些細な事で効率が上がる道具など……。私や雛里ちゃんとで一生懸命考えて  未だ形に成らなかった物がいきなり完成された答えを出された様なものも有りましたし、全く思い付かなかったものも有りました」 「それらは天の遣いから齎されたものだと聞きました。それらは尽きる事無く泉の如く次から次へと出てきます。それらによって蜀  や呉も恩恵を預かりましたが、それ以上に魏は大きく強く成っていきます。その頃から五胡の襲来の数が極端に減り、わたし達は  より一層国内の充実に力を注ぐ事が出来ました。聞けば五胡の襲来の数が減ったのも魏の政策の成果だと……」 「それにより魏は蜀や呉以上に力を付け蓄えていきます。そして今から半年ほど前、魏の成長の速度が一段と上がりました。そんな  魏を見ていたら私は怖くなりました。元々国力の勝っている魏がこれ以上大きく強くなれば……、もし万が一魏が暴走を始めたら  例え蜀と呉が組んでも抵抗は不可能になるのではないかと、自分達の国が成す術も無く呑み込まれるのではないかと……。  三国が鼎立したとはいえ、事実上の敗戦国である私達がこんな事を言うのはおこがましいと云われるかも知れませんが、私達もこ  の大陸の安定や発展の役に立ちたいと思っています。私達と華琳さんとでは道筋は違っていたかもしれませんが、目指した所は同  じだと思うんです。ですが私達が一歩進んだと思えば、魏は二歩も三歩も前を進んでいる……、私達が一所懸命頑張っても差は開  く一方で……、ただ魏の後ろを付いて行くだけで……、そんな自分が情けなくって……、悔しくって……」   膝の上で手を握り締めながら朱里は感情が高ぶったまま言葉を吐き出していた。その大きな瞳からは涙が止め処無く流れ続けて  いる。 「朱里ちゃん……」   隣に居る雛里が心配そうに声を掛ける。朱里の話を途中から黙って聞いていた雛里の目尻にも涙が溜まっている。雛里も同じ気  持ちだったのだろう。   そんな二人の姿を見た一刀は朱里の側に近付き、膝を付いて彼女の目線に合わせた。そしてはにかんだ様な表情で話し掛けた。 「大丈夫?」   そう言って自分の持っていたハンカチを彼女に渡した。 「ごめんなさい……、興奮してしまって……。何だか押さえ切れなくなって……」   そう言って一刀から受け取ったハンカチで涙を拭く朱里。そんな彼女が落ち着くのを見計らって一刀は口を開いた。 「俺が居たあちら、君達の言うところの天の世界はね」 「えっ?」   泣き顔を見られ、気恥ずかしさからか見詰められている一刀から目を逸らし、俯いていた朱里が顔を上げた。 「俺が居た君達の言う天の世界は別の場所と言うだけじゃなくて、こちらの世界から一八〇〇年位未来の世界なんだよ」 「未来の世界……」   ぼそりと雛里が呟く。朱里は小首を傾げて一刀の話を聞いている。鼻の頭を赤くしてそんな表情でこちらを見る朱里が可笑しか  ったが、気にせず一刀は話を続けた。 「そう、未来の世界。だから例えばこの時代に発明されてその後何百年も掛けて改良され洗練され完成した物等を俺は知っている。  知識としてね。俺が華琳達に伝えたものの殆どが俺にとって過去の人、過去の偉い学者や研究者の人達が苦労して考え出して、そ  の考え出した答えを知識として知っているだけなんだ。ただ俺はそれを伝令の兵士みたいに華琳達に伝えただけなんだよ」 「でっ、でも……」 「うん、初めはそんなものを伝えて良いか迷った事も有るんだ。俺の居た世界では当たり前に普通の事でも、ちょっと大袈裟だけど  こちらの世界では禁忌に触れる物とか、こちらの世界では再現が不可能な物とか、あちらの世界に居た俺でさえ理屈や仕組みが判  らない物だって有る。実際華琳は初めは聞くのを嫌がった知識も在ったしね。でもいきなりこの世界に飛ばされて来て、何処の馬  の骨かも判らない俺を受け入ててくれた華琳達の何か役に立ちたいと思ったから聞かれた事やそれ以上の事を話したんだ。まぁ、  その所為でこちらの世界から消える事に成ったんだけど……」 「はわわ、そうだったんですか?」 「あわわ、大変です……」 「ああ、口は災いの元ってのを身を持って体験したのさ」   一刀の軽口で二人に少し明るい表情が戻っていた。   一刀の話を聞いた雛里と朱里がお互い顔を見合わせ、こちらに顔を向け直した時雛里が口を開いた。 「こちらの世界から消える事に成った原因って……」   何故か雛里がすまなそうに一刀に聞いてきたが、そんな雛里に一刀は笑って答えた。 「歴史を変えちゃったんだよ」 「歴史ですか?」   朱里が驚いた声で反応した。隣の雛里だけでなく周りに居る紫苑や斗詩、それに麗羽ですら表情を変えている。 「うん、さっき言った様に俺はこの世界から一八〇〇年程未来から来た。だから当然あちらの世界でのこの時代のこの大陸の歴史を  知っていた。世界は違うけど、俺の知っていた歴史とこちらの世界の歴史と言うか大まかな出来事や事件の流れはかなり似ていた。  まぁ確かにこの時代にこの大陸には無い物が存在してたりなんて事が在ったり、多少の時間的なズレや出来事が起こる順番が違っ  たりも有ったけれど、流れ自体はほぼ同じだと言っていいと思う。漢王室の衰退が黄巾や連合、そして群雄割拠に繋がり、魏・蜀・  呉が台頭し、そして赤壁へ……」 「そして赤壁での魏の勝利が三国の争いの勝利を魏が収める事を決定的なものにした……」   そう呟いた雛里の顔が沈んだ表情へと変わっていくのが一刀にも明らかに見て取れた。 「そうかっ、やっぱりそうだったんだよ雛里ちゃん。北郷一刀は歴史を知っていた。だから私や雛里ちゃんと冥琳さん以外誰も知ら  ない策を魏は回避し、それを知っていたが如くそれに対処する為の策を施していた……。もしかして……、いや、きっとそう定軍  山の事も……」   一刀は黙ってただ頷く。   そう朱里が少々興奮気味に話すのに対し、雛里は沈んだ表情を見せたままである。   朱里にしてみれば、赤壁以降ずっと気になっていた疑問の答えが得られたのだ。戦後魏の者から「黄蓋の偽降を見抜き、魏王に  上申したのは天の遣いである」と聞いてはいたが、納得出来ないでいた。だが今日本人の口からそれが真実であると聞かされたの  だ。その理由まで聞かされれば納得する外無い。   そんな胸のつかえが取れた朱里とは違い、雛里は違う事を考えていた。 「じゃぁ、私達は手のひらの上で踊らされてたって事?初めから勝ち目の無い戦いを挑んでたって事?  私達が一生懸命考えてた策は意味が無くて……、私達は必要無かったって……」   そう言って雛里は俯いてしまう。雛里の肩が小刻みに震えているところを見れば泣いているのだろう。 「そんな事はないよ」   一刀は出来るだけ落ち着いた口調で雛里に語り掛ける。語り掛けられた雛里はゆっくりと顔を上げた。でも一刀の顔を正面から  見られ無いのか、涙を貯めた眼で上目使いに一刀を見る。 「そんな事は無いんだよ。華琳が一番聞きたがら無かったのが歴史やこの先に起こるであろう出来事についてなんだ。それに先程も  言った様に起こる出来事の順番が入れ替わっている事も多くてね、俺自身全てを細かく知っている訳ではなかったので俺の知識が  当てにならない事も多かったんだよ。だけど定軍山では秋蘭の命が関わっていたし、赤壁では華琳を魏の皆を勝たせたかった。だ  から話したんだ。その結果歴史を変えてしまった」 「変えてしまった?」 「ああ、俺の知っている歴史では定軍山で秋蘭は死んでいたし、赤壁では魏は大敗していた」   雛里と朱里は黙って一刀を見ていた。 「こちらの世界に来て直ぐにね占い師に言われたんだ『大局には逆らうな、逆らえば身の破滅』ってね。初めは華琳の事を言ってい  るのかと思っていたけど、どうやらアレは俺に言ってたみたいで、その後歴史を変える様な事をしたら体調を崩すようになった。  定軍山の時が頂点だったよ。その頃には薄々気が付いていたんだ『俺は何時までもこちらの世界には居られないだろう』って。そ  して赤壁の事でそれが決定的になって、成都での決戦に勝利した夜俺はこの世界から消える羽目に成ってしまった。だけど後悔は  無かったよ、華琳を勝たす事が出来たからね。この気持ちは劉玄徳を支えてた君達には判るだろう」   二人は言葉を発する事無くただ頷いた。「己の主を勝利へと導く」それが軍師や家臣の執るべき道である事は誰に言われるべき  事ではない。 「あちらの世界に戻されてこちらの世界に帰って来るまで時間は有ったから色々考えたんだ。自分がこちらの世界で一番長く接して  いたのが華琳だったからどうしても華琳の思想ややり方にかなりの影響を受けていたのは事実だった。だから蜀や呉に対する見方  がかなり偏っていたのに気が付いた。実際以前は二国を見ていてかなりもどかしく思っていたよ。  何故蜀は生温い事ばかり言っているのか?何故呉は自国以外に眼を向けないのか?」 「私達も思っていました。何故魏は暴力以外の解決手段を採らないのかって」 「華琳には違うもっと深い考えが有るのかもしれないけど、俺は争いを早期に終らせるのはこのやり方が良いと思っていた。あちら  の世界の歴史ではこの争いが長引いた影響で随分この大陸の人口が減ってしまったからね。でも争いが終わり三国が鼎立した今の  状態を俺は正直悪くないと思っている。この大陸の平和と発展に寄与するってところは一致しているんだし、思考が一つだけなら  君の言う様に暴走する危険性もある。だから考え方の違う蜀と呉が一緒に居るのは俺は意味が有ると思う。まぁ、ウチの連中もた  だの戦馬鹿ばかりじゃないし、第一華琳が何も言わないなら本人も良いと思ってるんじゃないかな。華琳もハッキリとは言わない  けれど、かなり今の状態を気に入っているみたいだし」 「でも……」   朱里が少し不安そうな顔で口を開く。続けて何か言いたげであったが、それ以上は続けなかった。   そんな朱里を見た一刀だが、朱里の心根まで判るはずは無く、そのまま話を続けた。 「だから行き詰ったり、困った事が有ったら魏や呉の軍師達でも何でも頼ればいいんだよ。華琳や桂花も君達二人が良くやっている、  頑張っているって褒めてたし、頼られても嫌な顔はしないと思うよ。下手に意固地になって手遅れになったりするよりはずっと良  いしね。もし軍師達に直接言い難かったら俺を間に挟んでもいいし。……あっ、でも政に関しては俺じゃぁ相談相手としては余り  役には立たないか、でも日頃の愚痴位なら幾らでも聞いてあげられるから」 「あっ……」   一刀の言葉を聞いた朱里と雛里が同時に顔を上げ、一刀の顔を見詰めた。その時小さく声を上げたのはどちらだろうか、一刀に  は聞き分ける事は出来なかった。二人が同時で声が混ざっていたかもしれない。   そんな二人に一刀は微笑みながら話を続ける。 「二人で全てを抱え込んで無理しなくても良いんだ……。二人共、今迄良く頑張ったね」 「ふえぇぇぇ……」   一刀の言葉が終るやいなや、朱里は一刀の右腕に雛里は左腕に抱き付き、声を上げて泣き出してしまった。いきなり抱き付かれ  た一刀は二人を支えきれず、尻餅を付いしまう。しかし、そんな事はお構い無しに二人は腕に抱き付いたまま泣き続けている。そ  んな二人を今迄三人の話を聞いていた麗羽と斗詩も少々驚いた顔で見ていた。   暫くしても強く抱きついたまま離れようとしない二人の扱いに困り紫苑の方を一刀は見るが、紫苑はただニコニコと微笑を湛え  たままそんな三人を見守っていた。   結局そのまま泣き疲れて二人は眠ってしまい、急な泣き声に驚いて駆けつけた翠と猪々子に既にお腹が良くなって眠ってしまっ  ていた鈴々と璃々共々用意された客間へと運ばれて行った。   それを見届けた一刀は庭が見渡せる露台に置かれた椅子に座ってお茶を飲みながら庭を眺めていた。露台と言っても日除けの為  の簡易な屋根が設置されており、現代風に言えばバルコニーである。庭の所々で焚かれている篝火の光が庭を幻想的に照らしてい  る。そこへ璃々達の様子を見て来た紫苑が近付いて来る。 「綺麗な庭ですわね。こんな庭は私初めてですが、これも天の様式ですの?」   そう言って一刀の横の椅子に紫苑は腰を掛けた。その仕草を眼で追った一刀は、麗羽や華琳とは又違った紫苑の優雅な仕草に眼  を奪われていた。魏の仲間内には明らかな年上の女性が居なかったので、紫苑の様な女性は新鮮に感じる。 「まぁ、あくまでも天の様式風ですけどね。ここの庭の配置があちらの祖父の家の庭に似ていた物ですから、それ風に変えてみまし  た。ああ、勿論規模はこちらの方がずっと大きいですよ」 「そうですの……。不躾な質問ですが、あちらに未練がお有りで?」   本当にすまなそうな表情で聞いてくる紫苑に一刀は笑って答えた。 「あははっ……、これを見た華琳にも同じ事を聞かれました。未練は有りません、と言えば嘘になりますが別れは済ませてきました。  自分で決めた事です、後悔は有りません。それに先程も言いましたが俺は未来から来たんですよ、この時代未だ両親どころか祖父  すら産まれてません」 「それもそうですわね」   二人は顔を見合わせ笑い合う。口に手を当てコロコロと笑う紫苑の仕草が綺麗だと一刀は感じていた。   そんな紫苑が居住まいを正し一刀に頭を下げた。 「朱里ちゃんと雛里ちゃんの事、有難う御座いました。黄漢升謹んで御礼申し上げます」   いきなり頭を下げられた一刀は慌てていた。 「黄忠さん止めて下さい。俺は自分が思っていた事をただ考え無しに話しただけで、礼を言われる筋合いでは有りませんよ。逆にあ  の二人に説教じみた事を言ったのを後悔しているぐらいです。ですから止めて下さい」   そう言って紫苑の頭を上げさせ様とする一刀。一刀に言われ頭を上げた紫苑は一刀に微笑を返していた。 「あんな安らかな二人の寝顔は久しぶりに見ました。あなたに会えて、そして話せて、本当に良かったですわ」 「そう思ってもらえたなら俺も嬉しい限りです。華琳にも言われました、あの二人は蟠りを持っているって」 「華琳さんが……」 「ええ、確かにあの二人は視察の最中も色々見ている眼が鬼気迫るものと言えば少々大袈裟ですが、ん〜……、上手く言えませんが  何だか雰囲気がおかしかったのを感じました。だから少しでも二人の気が楽になればと思ってあんな偉そうな事を……」   そう言った一刀の手の甲に、紫苑はそっと自分の手の平を重ねる。そして微笑を湛えたまま一刀の顔を見詰めながら口を開いた。 「いいえ、あの子達も自分達の国以外の人に言われたかったんだと思いますの。二人は今日までずっと弱音も吐かずに本当によく頑  張ってきたんですのよ。それをあなたに、この三国をある意味一番第三者的に見る事の出来るあなたに言われたんですもの、二人  共嬉しかったに違い有りませんわ」 「なら良いのですが……」 「ええ、勿論です。後、私の事は紫苑とお呼び下さい」 「真名をいいのですか?」 「はい、朱里ちゃん達だけではなく璃々までお世話になったのです、ですからお気兼ね無く」 「では俺は真名が無いので北郷でも一刀でもお好きな方でお呼び下さい紫苑さん」 「ならば一刀さんと呼ばせて頂きますわ」   そう真名の交換を済ませた二人。その時の紫苑の一刀を見詰める熱を帯びた視線に一刀は耐え切れず、無理矢理話を変えた。 「しかし頭が良過ぎるのも大変ですね、考えなくてもいい事まで考えてしまう。自分が凡人で良かったですよ」   はぐらかされて少し苦笑いの紫苑が答える。 「あらあら、ご謙遜を……」   そう言った紫苑の意味有り気な台詞に思わず姿勢を正す一刀であった。   翌朝、一刀が毎朝の日課である素振りをしている所に翠が現れた。 「おはよう翠。早いな」 「おはよう一刀殿、勝手に厩舎を見せてもらったけど良かったよな?」 「ああ、勿論。ウチの馬は錦馬超の御眼鏡に適ったかな?」   素振りが一段落したのか手を止めた一刀が翠に軽口をたたいた。 「その呼び方は止めてくれよ、確かに良い馬だけど少し線が細くないか?あれじゃあ……、うわぁっ!」   翠の方に振り向いた一刀の胸元が汗を拭く為に開けているのを見た翠が顔を赤く染めて眼を逸らしている。 「んっ?ああ、悪い。しかし、こんな事で顔を赤くするとは……、可愛いなぁ翠は」 「うっ、五月蠅い!全くもう……」   そうブツブツと言いながら益々顔を赤く染めていく翠を見ながら一刀は着物を整えた。勿論顔はニヤニヤと笑ったままである。   そして一刀が着物の前を整えたのを確認して翠が再び口を開いた。 「あの馬達を選んだのは霞だろ?その割りに線が細い気がするな。確かに良い馬だとは思うんだけど」 「ああ、俺が馬に乗るのが余り上手くないから気性の優しい馬を選んでくれたんだよ。俺は先陣切って敵に突撃なんかしないから見  た目重視ってところかなぁ。まぁ、新しい鞍を付けるからマシには成るだろうけど」 「ああ、あたしに見せちゃったアレか」 「そうアレ。ああ、その件は華琳は問題無いって言ってた、まぁ俺は桂花から暫くの間はネチネチ言われるだろうけど……」   この先に起こる事を想像したのであろうか、一刀は顔を横に向け眉間に皺を寄せ渋い顔をしていた。 「ふ〜ん。あっ、ならこれ貰って良かったのか?」   貰った髪留めに手を当てながら、翠が不安そうな顔をする。そんな翠に一刀は笑いながら答えた。 「ああ、構わないよ、そんな事は翠は気にしなくていいから。それにそれは翠に良く似合ってる」   一刀の台詞に、再び顔を赤くする翠。勿論ただ顔を赤くするだけではなく、これを手放さなくて良いと知って安堵した様な、そ  して自分に似合っていると一刀に言われて嬉しそうな顔をしていたのは間違い無い。   そんな二人の元に可愛い乱入者が現れた。 「おじさん、おはよー!」   一刀にそう声を掛け、そのまま一刀に跳び付く璃々。そんな璃々を一刀は受け止めそのまま抱き上げた。 「おはよう璃々ちゃん。良く眠れた?」 「うん!」   璃々の胸元には昨日の首飾りが掛っている。本人もかなり気に入っている様だ。 「ダメじゃない璃々、急に跳び付いたりしては。おはようございます一刀さん」 「おはよう紫苑さん」   そう笑顔で朝の挨拶を交わす二人。そんな和やかな雰囲気の一刀達を翠が生暖かい眼で見ている。 「おじさん、お庭見て来てもいい?」 「ああ良いよ。池には気を付けてね」 「は〜い」   紫苑と二人庭に向かう璃々。そんな二人を見送りながら翠が口を開いた。 「ふ〜ん……。紫苑の真名を預かったんだ……」   そう言った翠の表情は一言では言い表せない様な複雑な顔をしていた。 「ああ、昨日の夜にな。……何だよ?」 「やっぱりあの噂は本当だったんだ……。このエロエロ魔人」 「はぁ?あの噂って何だよ……」 「ふんっ!自分の胸に手を当てて聞いてみなよ。……で、何したんだよ」 「ええっ!?いやいや、何もしてないって」   何も見に覚えの無い一刀は翠の追求に対して否定するが、昨夜の朱里達との会話の内容を知らない翠は絶対何かいやらしい事を  したんだと一刀の言い分に聞く耳を持たない。そういえば紫苑が後から部屋を出て帰って来るのが遅かっただの、何やら化粧に気  合が入っていただの、一刀にしてみればここ数日では昨夜ほど清い夜は無かったのだが、普段の一刀を知らない翠にしてみればい  たしかた無い。魏以外での自分の噂とはどんな物だろうかと一刀は思ったが、翠の口ぶりから連想するにどうせ碌なものではなか  ろうと結論付けた。   実際のところ正に碌でもないものが多いのだが、そんな噂を他国で現地の者がしているのを魏から出稼ぎに行っている者や行商  に来ている者ががそれを否定し、少々誇張された一刀の話を広めるという不思議な噂の伝播を見せていた。それにより蜀や呉の首  都に近い所はまだしも、地方に行けば行くほど誇張の具合が酷くなり、黄巾の折の天和の手配書並みの訳の判らない物に成ってい  た。   「実は天の遣いとは真っ赤な嘘で、諸悪の権化の北郷一刀を三国が力を合わせこの世界から追い出した」と言うものから、「乱  れたこの大陸に安寧を齎す為天より遣わされた北郷一刀は争いを続ける三国の王や帝を諭し、この大陸を治める知恵を与え天へと  還った」等と華琳が聞けば大爆笑、桂花が聞けば大激怒な噂まで様々であった。   そんな一刀達に屋敷の方から声を掛ける者が居た。 「おーい!お兄ちゃん、みんなー!朝ごはんの用意が出来たってぐるぐるのお姉ちゃんが呼んでるのだ!早く来ないと鈴々が全部食  べちゃうのだ!!」   鈴々の声にホッとした表情を見せる一刀と、邪魔が入ったと言わんばかりの表情を見せる翠。璃々達にも知らせに行こうと其の  場をそそくさと後にする一刀の後ろを翠がブツブツと文句を呟きながら付いて行くのだった。   庭に居た面々が朝食の用意された部屋に着くと、そこには既に朱里と雛里の二人が席に付いていた。一刀が到着したのに気が付  いた二人はそそくさと一刀の側に寄って来ていきなり頭を下げた。 「昨夜は大変ご迷惑をお掛けして、すっすいませんでした」 「それにお見苦しいところをお見せしてしまって……、ごめんなさい」   二人はかなり恐縮しているのか中々頭を上げようとしない。そんな二人に頭を上げる様に促し、一刀は言葉を返した。 「二人ともそんな事は気にしないで。逆に俺の方こそ臥龍鳳雛に考え無しに説教じみた事をしてしまって……、こちらこそごめん」   頭を上げた二人に今度は一刀が頭を下げる。それを見た二人が慌て始め、紫苑の言うところの何時もの二人らしい地の部分が現  れた。 「はわわ!止めて下さい北郷さん。昨夜言ってくれた事は本当に嬉しかったんです。ですから頭を上げてくだしゃい……。  ううっ、肝心なところで噛んじゃった……」 「あわわ!そうです、朱里ちゃんの言う通りです。わたしも嬉しかったでしゅ。でしゅから頭なんか下げないでくだしゃい……。  あわわ……、グダグダですぅ……」   二人は手に持っていた帽子で顔を隠してしまった。隠しきれていない首筋までもが赤くなっているところを見れば、これ以上無  いと言うほど真っ赤な顔に成っているであろう事は容易に想像できる。このままでは恐らく謝り合うだけで埒が明かないであろう  と感じた一刀が再び口を開いた。 「なら、お互いお相子って事でいいかな。皆をこれ以上待たせてもいけないし、何だか張飛ちゃんが凄い目でこっちを見てるし」   確かに早々に席に付いていた鈴々が一刀達を睨んでいる。目の前に置かれた朝食を前に「おあずけ」を喰らっているのだから仕  方が無い。   しかし、他国の筆頭軍師相手に勢いとはいえ説教をしておいて「お相子」で良いのかとも一刀も思ったが、一刀の言葉を聞いた  二人の表情を見れば杞憂であった様だ。 「はい、それが良いです」   朱里が嬉しそうに答え、その横で雛里も頷いている。二人を見て一刀は「まぁ、いいか」等と考えていると、朱里と雛里が一瞬  お互い眼を合わせたかと思えば頷き合い、同時に一刀の方に向き直した。そして先ずは朱里が口を開く。 「わっ、わたしの事は朱里と呼んでください」 「わたしの真名は雛里です……」   続いて雛里が口を開く。そして二人はそのまま上目使いで一刀を見詰めた。そんな二人を見た一刀は「いやいや、それは反則だ  ろう……」等と考えたが、彼女達の折角の申し出を断る理由も無い。 「判ったからそんな顔で俺を見るのは止めてくれ……。二人の真名は有り難く預からしてもらうよ。ああ、君達は知っていると思う  けど、俺は真名が無いんだ。だから北郷でも一刀でも好きな呼び方で呼んでくれればいいから」   一刀の言葉に二人はホッとしたのか顔を綻ばせた。 「ではわたしは一刀さんと呼ばせてもらいます」   そう答える朱里。一方の雛里は一度口を開こうとしたが押し留まり、何やらモジモジとしている。そんな雛里を見た朱里が雛里  に尋ねる。 「どうしたの雛里ちゃん?」   そう尋ねられ一度雛里は朱里を見たが直ぐにまた俯いてしまう。が、何かを決心した様に一度頷き顔を上げ一刀に顔を向けた。 「あっ、あのぅ……、もしお嫌でなければ……、おっお兄さまって呼んでもいいですか……?」 「んっ?」 「はわわ!何で?雛里ちゃん」   雛里の言葉の真意が良く判らない一刀は首をひねり、それに驚いた朱里は思わず声を上げた。 「あのね朱里ちゃん。わたしは年上の兄弟とか姉妹が居ないからお姉さんの居る朱里ちゃんが昔から羨ましくて、それに北郷さんの  事を兄ちゃんって呼んでる季衣ちゃんや流琉ちゃんの事も……、だから……その……だめですか?」   先程と同じ上目使いに加えて、今回はウルウルと潤んだ瞳が加わっている。 「あっああ、君が……いや雛里がそう呼びたいのなら俺はかまわないよ」 「あわわ……、ありがとうございます」   何度も頭を下げ礼を言う雛里を一刀は笑顔で見詰め、一方朱里は少し複雑な表情で雛里を見詰めている。   朱里にしてみれば、かなりの人見知りで引っ込み思案な雛里が対面間もない一刀に甘える様な態度を見せた事に大いに驚いてい  た。付き合いの長い朱里相手には稀に見せる事は有っても、国許の愛紗や紫苑にはおろか桃香にすらこの様な態度を見せる事は無  い。朱里はこの様な行動に出た雛里に対してより、この様な行動を雛里に起こさせた一刀に対して益々興味を引かれるのであった。   そして一刀をじっと見ていた朱里と眼の合った一刀がおもむろに口を開いた。 「さぁ、皆も待たせてるし朝食にしよう」   そして三人は皆の待つ食卓へと向かう。そこには昨夜蜀の面々がこの館を訪れた時の様なある種の緊張感は微塵も無く、和やか  な朝の時間が流れていた。   蜀の面々が洛陽に逗留して三日目、今日の午前で魏との折衝はほぼ決着が付き、午後は軍の演習の見学、日を変えて郊外の視察、  三日後に合意の文章を交わすのみと成った。もっとも帝からの桃香への返信を受け取る為、合計では十日ほど逗留する事に成る。   前日の折衝と打って変わり、憑き物が取れた様な朱里と雛里に桂花と風は驚きの顔を隠せなかったが、彼女達のそんな変化を楽  しむが如く定例の折衝とは思えぬ白熱した論議を戦わせていた。本気を出したこの四人に掛れば普通の文官達ならば半日掛る議題  も直ぐに終わり、今は本来の議題には無かった漢中の譲渡に関わるものや蜀呉間の荊州の境界決定の報告へと移っていた。紫苑に  してみれば二人の変化は喜ばしい事であったが、周りに居る文官達にとっては彼女達の議論の展開の速さや内容の量や質の高さに  何とか付いて行くのがやっとであった。その不甲斐なさに桂花辺りはかなりお冠であったが、この四人と同じ舞台に立てと言うの  は少々酷な話である。   時間だけ見れば予定より些か早く終わったが、しかし内容は通常の数倍と言う定例の折衝が終わり、精根尽き果てた文官達を尻  目に朱里達は折衝の場を後にしようとしていた。 「では今回の合意の文章の草案を後で届けせせるわ、眼を通しておいて。この後は軍の演習の視察だったわね」   広間の出口辺りで桂花が朱里達に話し掛ける。手に持っている書類やら竹簡を整えながら朱里が答えた。 「はい。一刀さんや璃々ちゃんと合流してお昼を食べてから向かいます。でも変わってますね、郊外の荒野とかではなくて外れとは  言え洛陽の市内で演習なんて」 「ええ、今回の想定は市街戦、市街に侵入した賊の掃討ね。拡張に伴う街割りの変更で取毀す区画を使うのよ。こういうのも経験し  ているかして無いかでは全然違うしね……。まぁ、ただ毀すより有意義でしょう。そう言えば、今回は警備隊も参加するわよ」 「はわわ!北郷隊もですか?」 「お兄さまの部隊もですか?あわわ、楽しみです……」   何時の間にか朱里の隣に居た雛里も声を上げる。二人の表情や言葉から何かを感じたのか桂花が渋い顔に成った。 「アンタ達、あのバカに気を許し過ぎなんじゃないの?アンタ達二人がアイツにそんな簡単に丸め込まれてどうするのよ……」 「はわわ!べっ別に丸め込まれたなんて事は……」 「アンタ達も自分が軍師だって自覚が有るならアレをどうやって暗殺しようかって位の気概を見せなさいよ、……全く」 「あわわ……、物騒ですぅ……」 「あわわ、物騒ですぅ……、な〜んて寝惚けた事言ってんじゃないわよ!それに北郷隊ではなくて警備隊よ、そんな俗称で呼ばない  で」 「あははは……」 「あわわ……、しゅっ朱里ちゃん璃々ちゃんを迎えに行こうよ……」   桂花の少々物騒な物言いに二人は引き気味であったが、それを少し離れた場所で見ていた紫苑はクスクスと笑っていた。   口でこそ物騒な物言いをしている桂花であったが、彼女の顔の表情にこそ露骨に出していないが言葉尻や細かい仕草からそれが  真意ではない事等は紫苑から見れば一目瞭然である。 「あらあら」   思わず紫苑の口からこぼれた言葉に桂花が反応した。 「何よ……」   自分の心内を紫苑に見透かされた事に気が付いた桂花が赤い顔をして威嚇している。そんな可愛い威嚇など紫苑に対して効果が  有る訳でもなく、紫苑は涼しい顔で話を変える。 「一刀さんは今どちらに居られるのでしょうか?」 「えっ?……ああアイツなら午前中は警備隊の本部に居るはずよ。警邏と称して市街に居る可能性も有るけど……、姿が見えないと  思ったらもしかして璃々をあのバカに預けてるの?」 「ええ、璃々ったらどうしてもって聞かなくて……、ご迷惑を掛けてなければいいのだけれど」   それは今朝の事、午前の折衝の間また璃々一人で留守番をする旨を紫苑が伝えていると璃々が、「おじさんと一緒に居る」と言  い出した事に起因する。翠や鈴々は午後からの演習の準備や打ち合わせの見学に行く為に璃々を預ける訳にはいかなかったのだ。  璃々を可愛がってくれる一刀や、そんな一刀になついている璃々を見る紫苑は嬉しく思っていたが、流石に一刀の迷惑に成るであ  ろうと紫苑は反対した。しかし、当の一刀は一人慣れぬ城内で留守番する璃々を不憫に思い、尚且つ特に重要な仕事も無かった為  璃々の申し出を快諾していたのだ。   そんな二人に押し切られ、紫苑は一刀に璃々を預け午前の折衝に臨んでいた。 「よくもまぁ自分の娘をアイツに預けたりできるわね……、あのバカに預けて璃々が妊娠でもしたらどうするのよ」 「いえ、流石にそんな事は……、それに璃々はまだ……」   呆れた様な表情で話す桂花と、少し困った様な苦笑いの紫苑。そこに風がひょっこり顔を覗かせた。 「大陸随一の種馬のお兄さんでも、璃々ちゃんにはまだ手を出さないと思うのですよ〜、……多分。  まぁ、お兄さんは桂花ちゃんが言う程ケダモノでもなければ、紫苑さんが思う程紳士でもないですけどね〜」 「……」 「あらあら……」   そう言う風に桂花と紫苑が何かを言いたそうであったが、二人ともそれ以上話そうとはしなかった。   そんな彼女達に近付く者が居た。身なりを見れば彼女は警備隊に所属する者の様である。彼女は紫苑の前に立ち、居住まいを正  して口を開いた。良く見れば彼女はまだ年若く、新人の様である。魏や蜀の重鎮を前にかなり緊張しているであろう事は誰の眼か  ら見ても明らかであった。 「失礼します。黄将軍、北郷隊長からの伝言を預かって参りました」 「承りましょう」 「はっ、急な用が舞い込み、そちらに向かうので午後の演習場所で落ち合いましょう。との事です」 「伝言承りました。……では璃々は何処に?」 「はい、璃々ちゃ……いえ、璃々様も北郷隊長とご一緒に向かわれました」   交わす会話は明瞭ではあるが、いまいち要点がハッキリしない。其の場に居る紫苑達五人はそう思っていたが、そんな会話に納  得がいかない桂花が口を開いた。 「で、璃々を連れてあのバカは何処に行ったのよ?」   続けて風も口を開く。 「風達に何も無いって事は緊急性や重要度は高くないのでしょうが、ナンなのでしょうね〜」   紫苑や朱里、雛里も思っているであろう事を代弁するかのごとく二人が彼女に尋ねる。ソレを聞いた彼女は「あっ」っと小さく  声を発して直立不動の姿勢をとった。 「申し訳ございません、肝心な事を抜かしておりました。  北郷隊長は、帝の急なお召しにより宮殿に向かわれました。勿論璃々様もご一緒です」   彼女の言葉を聞いた紫苑・朱里・雛里の三人は絶句していた。それとは反対に桂花と風はやれやれと言うような顔で呆れている。 「またなの……」 「あ〜、何時もの事ですね〜……。『たいみんぐ』的には桃香さんへの返礼の事でしょうかねぇ〜」 「こんな事はよく在るのですか?」   二人抱き合う様にくっついて「あわわ、はわわ」と眼を白黒させている朱里と雛里に替わり、紫苑が桂花と風に尋ねた。 「ええ、頻繁ではないけれど珍しい事ではないわね。全く……、あのバカのどこを気に入ったのかは判らないけど……」 「まぁ、お兄さんのあちらの話は面白いですからね。お兄さんの話し方も上手ですし、風もお兄さんの話を聞くのは好きですよ」   桂花達の雰囲気から大事では無いのは判っていた紫苑ではあるが、彼女が気に成っていた事を口にした。 「ですが、璃々が一緒と言うのは……」   紫苑の疑問に風が答えた。 「以前お兄さんが帝の周りに大人しか居ないのを気にしてましたからその為ではないかと……。流石に市井の子供達と交わりを持た  すのは無理でしょうから、璃々ちゃんを連れて行ったのでしょうね〜、歳も近いですし……。それに帝と世間話が出来るのは大陸  広しとは言え皇族を除けばお兄さんだけですし」   風の言葉を聞いた朱里が口を開いた。未だ朱里と雛里は手を繋いだままである。 「はわわ!でっ、では一刀さんと璃々ちゃんはは直接帝とお話を……?」   少々興奮気味に話す朱里と、その横で何に対して頷いているのか雛里は首を縦に振っている。 「でしょうね……」   朱里達とは対照的に素っ気無く言葉を返す桂花。   以前程の権威は今の帝や朝廷には無いとはいえ、桃香からの文を携えた紫苑ですら帝とはかなり離れた所からの拝謁であった。  勿論直接帝から声を掛けられる事など無い。未だ過去の権威やしきたりを頑なに守ろうとする朝廷を桂花辺りに言わせれば、「何  を今更」と切り捨てられるであろうが、「無用な波風を立てる事は無い」と華琳はあえて口を出さずにいる。時代が変わり、朝廷  内部にも変化の兆しもあり、変わっていかねばならないのは彼等とて重々承知してはいるが、いきなりの変化は未だ無理であった。   そんなしきたりが常識であると未だ身に付いている朱里達にとって、一刀の今の立場は驚き以外の何物でも無い。 「話どころか、緊急時以外で何の約束も召集もなしに帝に謁見出来るのは華琳さまとアイツだけよ」 「お兄さんは宮中での帯刀も許されてますしね〜。まぁ、お兄さんは基本平時は何時も丸腰ですから余り意味は有りませんが……。  ん〜、これはもしかすると今回の事が縁で璃々ちゃんが未来の后妃なんて事も……、ぐぅぅぅ……」   風の言葉に激しく反応する朱里と雛里。はわわ・あわわの何時もの口癖も忘れ、ただ口をパクパクとさせている。それに対して、  桂花は胡散臭そうな視線を風に送り、紫苑は手を頬に当て笑っていた。 「何を恐れ多い事を……。風さん、言うだけ言って寝たふりはおよしなさい」 「おおっ……、紫苑さんはノリがいまいちですね〜。まぁ、与太話はこれくらいにしてお昼にしましょう」   風の言葉で皆は食堂へと向かい始める。何事も無かった様に進む桂花・風・紫苑の三人と、その後ろをフラフラと付いて行く朱  里と雛里を城内の者達が不思議そうに眺めていた。   午後からの演習が取毀し予定の区画で先ずは軍対警備隊の取り合わせで始まった。現在軍の指揮は凪が、警備隊の指揮は斗詩が  執っている。今は軍が攻撃、警備隊が守備という形を採っており、人数は守備側が攻撃側より二割ほど多く配置されていた。   何時もより規模が小さい演習とはいえ洛陽の市内で行われる為、華琳以下魏の面々や現在洛陽に滞在中の蜀の面々、それに朝廷  からの見学者や物見高い洛陽の市民までもが詰掛け、それ目当てに屋台まで出現しある種お祭り騒ぎになっていた。   しかし、いざ演習が始まった時、その不思議な光景に皆は真意を測りかねていた。   華琳以下、一刀まで観に来ている事に朝から少々興奮気味であった凪が開始の合図と共に突撃を開始すると、その前方に斗詩の  指揮する警備隊が盾を構えて整然と陣を構えていた。そして両者激突すると思われた瞬間、攻撃側の突撃を受け流すように形を変  えた。しかし、攻撃側の軍の突撃の方向を逸らすだけで、決して後ろに回られるような事は無い。方向を戻し、再び押し込もうと  する攻撃側を受け止める様にじりじりと後退して行くがただ後退して行く訳ではなく、攻撃側の凪を中心に守備側は人員を集中さ  せ厚みを持たせた陣形に変更した。するとぴたりと後退を止め、今度は攻撃側を押し戻して行く。   結局凪が何度も攻める方向を変え再突撃を掛けるも、守備側の囲いを攻撃側は誰一人破る事が出来ず時間切れとなった。   ただ特筆すべきは、多少の怪我人は出たものの、この演習の規定上の死者(脱落者)が攻撃側守備側お互いに一人も出なかった  事である。   この結果に一刀一人が満足そうに頷いていた。 「申し訳ありません。醜態を晒してしまって……」   そう言って凪は演習を観ていた華琳や一刀達の前でうな垂れていた。その余りにも落ち込んだ姿を見かねた一刀が種明かしをし  ようと口を開こうとした時、其の場に物凄い剣幕で近付いてくる者が居た。軍の最高責任者でもある春蘭である。 「北郷!!さっきの警備隊の対応は何だ!斗詩に聞けばお前の指示だと言うでわないか。説明しろ!!」   鼻息も荒く一刀の前に仁王立ちの春蘭。その右手には抵抗する事を諦めて首根っこを掴まれ引き摺られる様に連れて来られた斗  詩の姿が有った。 「判った、説明するから斗詩を放して」 「おっ、おう」   春蘭から開放された斗詩が兵士達に抱えられ少し離れた所へと運ばれ介抱されている。   それを見届けたところで華琳が口を開いた。 「では一刀、説明してくれるかしら」 「ああ、これは一般市民が暴走して暴徒化した時の鎮圧の訓練として今回の演習を利用させてもらったんだ」   一刀の言葉を聞いた春蘭はキョトンとしていた。そして春蘭がおもむろに口を開く。 「暴徒の鎮圧?そんなもの何時も通りに切り捨ててしまえば……」 「いやいや春蘭。この間の邑を襲った賊達相手ならそれでもいいけど、天和達の『ふぁん』達が盛り上がった末に始めた喧嘩なんて  時はそういう訳にはいかないだろう。大体そういう連中は少し頭を冷やせば落ち着くんだから」 「それはそうだが……」   話は判るが、イマイチ納得の出来ていない感じの春蘭は恨めしそうに一刀を見ていた。凪はあの守備側の不可解な行動が一刀の  説明で理解出来たのか少し気を取り直している。 「要するに、あくまでも殲滅ではなく鎮圧が目的な訳ね」 「そういう事。だからさっきの脱落者無しってのが意味が有るんだ。賊ならまだしも一般の市民から人死にを出す訳にはいかないか  らね」 「ふ〜ん」   一人を除いて皆納得がいったのか口を出す者は居なかったが、その一人である春蘭が口を開く。 「しかし訓練とは言え、この何と言うか……、その……、ええっとだなぁ……」 「心配するな春蘭。次は少し毛色の違うのが出てくるから」   そう言って一刀はニヤリと笑う。それを見た春蘭も表情を変えた。 「良かろう!あんなのが続くと気が滅入る!真桜、行くぞ!!」   次の指揮を執る真桜の顔を見てから持ち場に向かう春蘭。そんな春蘭に真桜が慌てた様子で声を掛ける。 「ちょっ、ちょっと春蘭さま!あきまへんて、隊長があーゆう顔した時は大体碌な事考えてへんのですから……。春蘭さまぁぁぁ!」   真桜がすがる様に話し掛けるが、それを無視して春蘭は歩を進めていく。春蘭達が持ち場に戻り、静けさを取り戻した所で稟が  口を開いた。 「一刀殿、毛色の違うとは彼等の事ですか?彼等の調教……、いや再訓練は終ったので?」 「ああ、全員ではないけれど、使える連中を投入する。訓練の成果も見たいし、正規の軍相手に遅れを取らなければ賊相手に手こず  る事も無いだろう」   一刀と稟の会話を聞いていた桂花が怪訝そうな顔で口を開く。 「ちょっと、もしかしてこの間捕虜にした賊達の事?使えるのあの連中」 「沙和の再訓練が効いてるのか、今は落ち着いたもんだぞ。それに普段は案外気の良い連中も多いし」 「そうじゃなくて、くれぐれも華琳さまの名に瑕を付けるんじゃないわよって事!」 「おっ、おう。了解した」   まだ何やら言いたそうな桂花であったが、そこに華琳が割り込んできた。 「桂花、もうそのぐらいにしておきなさい。ほら、始まるみたいよ」   華琳の言葉に皆が配置が終わり対峙している軍と警備隊の方へと視線を移す。そこには先程の演習には見られなかった装備の異  なる警備隊員の姿が混ざっているのを確認できた。 「一刀、あれが毛色の違う連中なの?」 「ああ、まぁ見ててくれよ」   華琳の問いに一刀が答える。何やら自身有り気な一刀の表情を不思議そうに見ていた華琳であったが、元見ていた方に顔を戻し  てから再び口を開いた。 「一刀、蜀の件が終ったら襄陽に行ってくれない?」 「俺が襄陽に?」 「ええ、呉蜀間の荊州の境界問題が片付くまでは変に二国を緊張させない為にあの辺りの整備を必要最小限で控えていたのよ。それ  にけりが付いた様なのでこちらもそろそろ動かないと。細かい詰めは桂花達と話し合いなさい。何なら一刀の好きな様に弄っても  良いわよ」   一刀は華琳の本気ともこちらを試しているとも取れる言葉にしばし思案するも、その後口から出た言葉は華琳にとって素っ気の  無い物であった。 「ん〜、考えておくよ」   一刀の言葉自体は素っ気無かったが、答えたその表情に満足した華琳は微笑を浮かべていた。   が、華琳の心の中では別の事を考えていた。 「(華琳も一緒に行かないか?位言えないのかしら……。この唐変木は……)」   今回の軍の指揮を執るのは真桜である。前回とは攻守が逆になっており、真桜が率いる軍が建物を背にしていた。 「なんや、隊長が作ってくれて言った装備あいつ等が付けてんのかいな。なら警戒せんとあかんなぁ……。指揮を執ってるんは猪々  子はんて事は攻めて来る気満々やろから……、んっ?なんで沙和があんな所に?」   確かに装備の異なる警備隊の面々の前に沙和が立ってた。沙和はゆっくりとその面々を見渡した後口を開いた。 「注目!!聞けなのー!このク○虫共!!  貴様等はついこの間まではク○虫以下のう○虫だった!」 「サー、イエス、サー!」 「ク○虫以下の玉無しのオ○マちゃんだった!」 「サー、イエス、サー!」 「しかし!沙和の訓練を受け貴様等は立派なク○虫に成ったのー!」 「サー、イエス、サー!」 「そしてこの訓練において勝利を勝ち取る事によりク○虫を卒業するのー!」 「サー、イエス、サー!」 「何だ!声が小さいぞ!またう○虫に戻りたいのかなのー!」 「サー、ノー、サー!」 「ふざけるな!大声を出せなのー!タ○を落としたかなのー!」 「サー、ノー、サー!」 「この勝利を以って貴様等はク○虫を卒業して北郷特別機動隊に成るのー!そして貴様等は各人が兵器と成るのー!」 「サー、イエス、サー!」 「北郷特別機動隊とは何だなのー!」 「民には安寧を!愚か者には慈悲無き鉄槌を!」 「貴様等は北郷特別機動隊を愛しているか?」 「生涯忠誠!命懸けて!闘魂!闘魂!闘魂!」 「民を守るものは!」 「熱き血だ!血だ!血だ!」 「貴様等の商売は何だなのー、お嬢様達?」 「殺しだ!殺しだ!殺しだ!」 「よし!行けなのー!!」 「サー、イエス、サー!」   北郷特別機動隊の誕生の瞬間であった。                     小さな軍師達 了  参考サイト  「アカのどん百姓め! 聖母を敬うと言え!」  (http://www.hcn.zaq.ne.jp/ganso/neta/sergeant01.htm)     おまけ   ここは蜀の面々に宿舎として宛がわれている魏の城内の一室。日も暮れ薄暗くなった部屋の燭台の一つに明かりが燈っていた。 「つっ遂に手に入れた……、手に入っちゃったよう……。あははははは……」   その歓喜とも自嘲とも聞えるような笑い声をあげているのは蜀の二大軍師の片翼を担う朱里。机の上に置かれた小箱を前に、燭  台の灯りに照らされた朱里の顔は鬼気迫るものが有った。朱里はその小箱を見詰めながら何やらブツブツと呟いている。   そんな朱里に近付く一つの影が有った。もう片翼を担う雛里である。 「あわわ、朱里ちゃん帰ってたんだ。灯りも点けずにどうしたの?桂花さんから草案が届いたんだけど……。朱里ちゃん?」   雛里に声を掛けられ「ビクッ」っと身体を震わせた朱里が、ゆっくりと雛里の声がした方へ顔を向ける。そして朱里の顔を見た  雛里は背中に冷たいものを感じた。朱里の視線は焦点が合っておらず、自分を見ているのかただ虚空を見詰めているのか判断が付  かない。しかもその表情は笑いを浮かべている様に見える。   雛里はそんな朱里に怯えながらも声を掛けた。 「朱里ちゃんどうかしたの?そういえば夕方一人で街に出て行ってたみたいだけど、もしかしてその時何か有ったの?朱里ちゃん!」 「雛里ちゃん……、わたし……、……ちゃった……」 「えっ、何?朱里ちゃん聞えないよ……」 「雛里ちゃん、わたし遂にアレを手に入れちゃったよ!」 「朱里ちゃんアレって……。あわわ!アレを手に入れちゃったの?」 「風さんに教えて貰った古い本を扱っている古物商で風さんの紹介で来たって言ったらアレを出してくれたの。それも最新型を」 「あわわ!最新型って凄いよ朱里ちゃん。きっと蜀の人間でこれを持ってる人は居ないよ!」 「はわわ!きっとそうだね。じゃあ、箱を開けてみるね……」   箱の蓋を恐る恐る開ける朱里と、それを固唾を呑んで見守る雛里。その中身が良く見える様に燭台の灯りを近づけた瞬間、二人  は絶句していた。 「はわわ……」 「あわわ……」   暫くの沈黙の後、朱里が口を開いた。 「はわわ……、雛里ちゃん、これはわたし達には難度が高過ぎるよ……」 「あわわ……、そうだね朱里ちゃん……。こんなのわたし達じゃ無理だよ……、壊れちゃうよ……、死んじゃうよ……」   そう言って蓋を元に戻し、二人は大きな溜息を吐くのであった。   そんな二人のやり取りを扉の隙間から見ている者が居た。誰であろう紫苑である。 「(あらあら、やっぱり朱里ちゃんだったのね。もし朱里ちゃんと雛里ちゃんで一つずつ手に入れられてたら、危なく私が手に入れ  損ねる所だったわ……。でもそれは二人には未だ一寸早いかしらねぇ……)」   そう心で呟く紫苑の手には朱里が手に入れた物と同じ箱が有った。   その箱の蓋にはこう書かれてあった。 『隊長くん。帰還記念 すぺしゃるえでぃしょん』   後に、蜀の朱里の私室の掃除をしていた詠にそれを見付けられ、彼女の絶叫が城内に響き渡ったのは別の話。