「無じる真√N67」  徐州の淮陰。孫策はその館で政務に追われていた。本当は面倒だからと周瑜に押しつけてしまおうと考えていたのだが、彼女に看破されたうえ、半軟禁状態で強制労働をさせられていた。  もちろん、隙を見つけては抜け出そうとするが、周瑜がいないときでも周瑜の恋人である小喬がおり、常に警備は万全でとてもじゃないが抜け出せない。  武力行使でいけば逃げられるだろう。しかし、孫策にはそれが出来ない。小喬を相手に手など出るわけがないからだ。結局、彼女にできることと言えば「くっそー、冥琳の卑怯者ー」と呪詛のような愚痴を口から零すことだけである。  そうして、諦めの体で仕事に没頭している孫策の元に慌てた様子で女性が駆け込んできた。 「雪蓮、曹操が動いたぞ」  それは、孫策をここに軟禁した首謀者でもある周瑜だった。  彼女が来たら溜め込んでいた不満をぶつけてやろうとしていた孫策だったのだが、耳にした言葉の方が気になってしまい不満はすっかり何処かへと飛んでいってしまった。 「へえ、相手は誰かしら? やっぱり、公孫賛と河北をかけてとか?」 「いや、どうやら馬騰に狙いを定めたようだ」 「ふうん。後々、こうそ……なんだっけ? えっと……そう! 河北を掛けてやり合うときに背後からばっさりいかれないようにってことかしらね」 「まあ、そうだろう。公孫賛は袁紹を破ってから着々と領地を広げている。だが、その反動で内政にかかりきりとなっているようだからな、すぐに仕掛けてはこれないと判断したのだろう。日和見主義な劉備も張繍の二の舞にはなりたくはないだろうから動くまい」 「つまり現状としては曹操の独壇場ってことね。ん? てことは……」  周瑜の説明を聞きながら孫策は自分たちはどうすべきかを考え始める。幸いにも曹操軍の領地へ即座に迎える場所に駐屯している。 「それに今、曹操はおそらく西涼の連中と本気のぶつかり合いをするつもりだろうし戦力を相当つぎ込むことになるわね」  流石に片手間で相手ができるほど涼州連合は甘くはない。曹操もそれはわかっており、結果曹操軍の領土内における戦力の均衡も大きく崩れていると考えてまず間違いだろう。 (となれば、本拠の許昌はともかく、徐州は手薄になりそうね)  これは絶好の機会が到来したのでは、などと考える孫策を見ながら周瑜がため息を吐く。 「雪蓮、やめておけ」 「……む。まだ何も言ってないじゃない」 「大方、隙を突けば徐州全土を我等の物にできるのでは、などと考えているのだろう」 「あはは、バレバレってわけ。でも、実際狙い目だと思うんだけど、どう?」 「確かにお前の言うことも一理あるだろう。落としたばかりの洛陽の制圧、本拠の守備と、戦力をある程度置いておく必要のある地が曹操には多い。となれば、この徐州、戦力的には一番手薄となるだろう。それに徐州を本格的に統治下におくことができれば勢力図にも些かの変化が生じることだろう」 「うんうん」 「だが、私にはお前に報告していない話がまだある」 「え?」 「曹操が帝を掌中に収めた……つまり、朝廷を掌握したということだ。かつての董卓のようにな」  腰よりも下まで伸びたつややかな黒髪をさらりと泳がせながら周瑜が告げた一言に孫策は思わず唸る。  帝を背後に置いたということは、その行動に最低限であろうとも正当性を持たせることができたのなら、少なくとも曹操は正義を名乗れると言うことになる。そして、その逆もまたしかり。 「何も理由無く攻めればそれは大逆とされてもおかしくはない……てことか」 「ああ。正直、今曹操に目をつけられるのはまずい。せめて蓮華様たちが揚州を制圧しきるまでは待たなければ」 「うーん、こんなことになるなら、こっちの施政に乗り出すことで敢えて蓮華たちを鍛えてみようなんて考えなきゃよかったかも……」 「そう言うな。後々、後継となる者たちの力が必要となるときがくる。そのときに、てんで頼りにならないよりは力をつけ、十分に孫呉のために働いてもらう方が良いではないか」 「うー、それはそうだけどさ……むう、わかってるわよ」  とがらせた口先に不満の意を乗せながら孫策はしぶしぶ頷く。今更あれこれ悔いても始まらない。それは孫策もわかっている。だが、残念に思う気持ちは拭えない。 「……とにかくだ。そういうわけだからな、仕事の方はちゃんとしておけ」 「なにがそういうわけなのよ」 「尽力するのなら、後で特別美味い酒を振る舞おう」 「いよし、やるわよー! どんな書類だろうとかかってこいっての!」 「ふふ、それじゃあ失礼するとしよう。頑張れ、雪蓮」  意気込む孫策にくすりと笑みを零すと、周瑜は入り口にいる小喬に二言三言何か話して政務室をあとにした。  孫策は、後で口にできるであろう酒のことを想像しながら舌なめずりすると書簡の山に対して不敵な笑みを投げかけた。 「へへ、こんなんで美酒にありつけるならやすいものよ……」  この日、孫策は今までに見せたことのないような速度で山のような案件を片付けていった。  実際、夜になって彼女を迎えに来た周瑜が目をむいて驚いたほどであった。  そんな周瑜を前に孫策は今、へらへらと締まりのない顔を晒している。 「んふふ、流石冥琳。良い趣味してるわ」 「ま、まあなんだ……お前が予想以上に精勤してくれたのだからな、こうして労うのもよいだろう」 「いやあ、ホント仕事の後の一杯は格別だわ」 「それがわかるなら、普段から一層の精励するのだな」 「うふふ~、それとこれとはべ、つ!」 「どうせ酒を呑むのなら、仕事を抜け出してこっそり呑むよりはやること終えてすっきりした気持ちで呑んだ方が美味かろうに」 「ふん。冥琳にはわからないわよーだ」  そう言って孫策が片目を人差し指で開きながらべえっと舌を出すと、周瑜が微苦笑混じりに肩を竦める。 「やれやれ、酔っ払いの相手はこれくらいにしておくとしよう。悪いが私はもう寝るぞ」 「へいへい、どうぞ御勝手にー」  さっさと去れとばかりに手を振ると、周瑜はもう一度苦笑を浮かべ溜め息混じりに去っていった。  孫策は頬杖を突きながら杯を傾ける。喉ごしがあり、キレがあって香りもよく味覚、嗅覚でじっくりと味わうことができる良い酒だ。 「くぅ~、美味いっ!」  赤い顔で顔をきゅっとすぼめて感動にうちひしがれる孫策。その瞳にぎらりとした光が宿る。 (さて……少し、整理しようかしらね)  周瑜がもたらした情報、曹操の動きについて孫策は考えを巡らせていく。  西涼へ向けて動いていると思しき、曹操。彼女が天子を奉戴したという情報からするに既に曹操自身は長安におり、戦力も集結させていると見てまず間違いない。 (そして、私たちにはまだ力が足りない)  朝廷を飲み込んだ覇王という龍は蒼天を覆うほどに強大となりつつある。それを討つには孫策の元にある戦力柄は些か心許ない。  だが、もし戦力を他でどうにかできるとしたら。そう孫策は考えていた。 (あのガキんちょを泣かしたときに出くわした彼……私の勘が正しければ間違いなく上手くいくわ)  一体、彼の青年がどこを見て何を最終的な目的として動いているのかは孫策にはわからない。だが、彼が悪人でないことだけは自慢の勘が訴えかけている。 「何故かしらね……彼と手を取り合えば孫呉にも悪いことはない気がするわ」  あの日、彼と二度目の遭遇を果たしてから孫策の中に妙な感覚が芽生えつつあった。青年に対して闇の中に差し込む光のようなものを孫策は感じているのだ。  もっとも、そんな感覚も幸せな日々を思いながらそれが非常に切なく思えている感傷的な気分の増大の前では霞がちである。 「ホント、何故かしらね。こんな日常が至大なものであって、それでいてどこか遠く感じちゃうのは」  ずきりと痛む胸の中を癒すように孫策は酒を流し込んでいく。優しい清流がほんの少しだけ心を落ち着けてくれる。  一体自分は何に対してそれほどまでに恐れを抱くのか、孫策にはわからない。 「この孫伯符が何を怖がるってのよ……」  何気なくも大切なこの有り触れた有り難い日々を失うことを、なのだろう。だが、果たしてどのような形で失うというのかが孫策には予測できない。  気がつけば、三度酒を流し込み、四杯目を口に持ってきている。そして、目を瞑って一気に飲み込むと鼻から息を吐き出しながらゆっくりと目を開く。  すると、まるで妖術でも使ったかのように唐突に小柄な少女が孫策の目の前に姿を現した。 「雪蓮さま? あの……」 「あら、どうしたの?」 「雪蓮さまが今一人でお呑みになっておられると周瑜さまから聞きまして」  少女はもじもじと小さな手を擦り合わせ、ちらちらと上目がちに見てくる大喬の仕草に孫策は頭の中で蛇のような舌を伸ばす。  先ほどまでの胸の重みは消え、ふつふつと別の感情が孫策の心にわき上がってくる。 (い、今にもとって食べちゃいたいわ)  孫策がそんなことを思っているなど知らない大喬は思わず捕食したくなるような可愛らしさ溢れる仕草で用件を述べる。 「その……もしよろしければ、お酌をさせていただこうかと」  大喬はそう言って孫策とは質の違う赤みを帯びた顔をほころばす。  孫策はしゃっくりをしながら数秒間じっと彼女の顔を見つめる。そして、おもむろに酒を飲み干すと空っぽになった杯を大喬の方へと差し出して優しげに微笑みかける。 「大喬ちゃんの手酌……それって素敵じゃない。是非、お願いしたいな」 「それでは、失礼しますね」  軽く会釈をすると、大喬はおずおずと孫策の隣へと腰掛けて酒瓶を手に取り、そっと手酌をしてくれた。  愛しい少女の手酌で呑む酒はこの世の如何なる美酒にも勝る最高の一杯だと孫策は思う。この一杯を守るためならばどれだけの苦労も厭わない覚悟がある。 「さ、どうぞ」 「ありがとう。うーん、大喬ちゃんは可愛いわねぇ」 「はぅ……」  ぎゅっと人形のように抱きしめると、大喬が頬を林檎のように赤く染めて瞳を潤ませる。少女の反応に胸を高鳴らせた孫策は彼女に触れていたい衝動に駆られ肩を抱き寄せる。  そして、再度手酌によって注がれた酒を口の中へと含むと強引に大喬の唇へと顔を寄せて口付けをする。 「し、しぇれさ……ン、んぅ……」 「はむ、ん……じゅ、じゅじゅ」  ほんの僅かに口を開き、緩慢な流れでとくとくと酒を口移しで流し込んでいく。 「はぁ……ん……ちゅっぱ……ふあ」  大喬の小さな小さな鼻から漏れる生暖かい息が孫策の表面をなぞり、彼女の背筋をぞくぞくとさせる。大喬の肩に置いていた手を自然と肩から背中、背中から腰へと撫でるようにしてしのばせていく。  きゅっと目を瞑る大喬の口の中へ舌をねじ込み、残っていた酒を注ぎ込んでいく。大喬の小さな喉がとくんとくんと動いているのが唇を通して伝わってくる。  大喬が酒を完全に飲み下したかどうかを口腔内に突っ込んだ舌で確認すると、孫策はぽんっと唇を離してにやりと笑う。 「ぷはっ、ふう……どうかしら、雪蓮汁配合のお酒のお味は?」 「…………はぅぅ。恥ずかしかったり幸せだったりが頭の中でまじゃってよくわかりましぇんでした」 「ふうん、そう。あ、空っぽになったからお酒」 「ひゃい。いま、しょしょぎましゅ」  蕩けた表情を浮かべたまま大喬が手酌する。だが、ぼけっとした様子で左右にゆらゆら揺れているため照準が危うくて孫策は再び彼女の肩を掴む。 「ほら、しっかり……ね?」 「ふぁい。しゅみません」 「ちょ、ちょっと……溢れてる溢れてる!」 「え? あ、ごめんなさいごめんなさい」 「なぁに? もしかして、もう酔っちゃったの?」 「いや、そうじゃなくて……雪蓮さまが急にあんなこと……」 「え? ちょっと、よく聞こえないからもう少しちゃんと言ってくれる?」 「もう……雪蓮さまの意地悪」  上目がちにむっとした顔を向けながら大喬が溢れた酒を拭き取る。孫策はそれをにやにやと眺めながらくっと酒を呷る。 「あはは! いやー楽しい! うん、大喬ちゃんと呑むと楽しいわホント」 「ああん、今は抱きつかないでくださいよ。服が濡れちゃいます。あっ!?」 「…………」  溢れた酒を拭いていた大喬が息を呑んで制止する。よく見てみると、着物の下腹部付近に酒がついて少し濡れてしまっている。  孫策は口もと邪悪に歪ませると、動揺しながらも腰のあたりを拭こうとする大喬の腕を掴む。 「あ、あの……」  驚いた大喬が首を傾げながら目で問いかけてくる。 「ダメよ。台ふきで拭いたりしちゃ……私が拭いてあげるわよ」  諭すように言うと孫策は手ぬぐいで大喬の腰回りを拭き始める。そっと下半身を擦る度に大喬がくすぐったそうに躰をくねらせる。口から「んっ」やら「ふぅう」やら何かを堪える声が漏れている。  その反応に口もとをにやつかせながら孫策は徐々に手を中心線へと平行移動させながら足の付け根の辺りへと下ろしていく。 「さて、ここは大事なところだし入念に拭いておかないとね」 「へ? ああっ、だ、だめれすぅ!」  大喬の股間を手ぬぐいでぐっぐっと押さえ込んで水分を吸い込ませていく。彼女は孫策が手に力を込める度にきゅっと脇を締めたままふるふると震える。  大喬の口からは湯気のように熱い吐息が漏れ出ており、それと同時に孫策は手の中にある感触が徐々にむくむくと動き始めているのを感じる。 「あら、刺激されて気持ち良くなってきちゃったのかしら」 「はぅ……も、も……やめ……んぁっ!」 「だーめ。もっと、ちゃんと拭かないと」 「そ、そんなぁ……」  嘆くような言葉とは裏腹に大喬の腰は孫策の手に擦りつけるように前面に押し出されている。仰け反りながら目を瞑った彼女の様子は小動物が怖がっているようでどこか愛らしい。  孫策は舌なめずりすると、筒状の何かを手のひらで包むように掴み、上へ下へと手を動かしていく。徐々に大きくなってきていたそれはすっかり一本の棒となり果てている。 「し、雪蓮さま……だめ、ですよぉ……これ以上は、あ、だめぇえ」 「もうビンビン……まんざらでもないんじゃない」 「そんな……んぅっ!?」  頸をいやいやと振りながら大喬が弱々しい力で孫策の手首を掴む。だが、只でさえ力に差があるうえに力が抜けつつある今の状況では更に孫策を止められない。  孫策は脈動する大喬の肉竿にあわせるように握力を緩めたり強めたりを交互に行う。孫策の手が揉み療治のような動きを続けていくにつれ大喬の吐息が切なげなものへと変化していく。 「…………もうすっかり気が飛びかけてるわね。んく」  孫策はふっと笑みを浮かべると器用に大喬の股間を愛でているのとは反対の手で酒をつぎ口へ放る。そして、先程同様に口付けをして大喬の中へと流し込んでいく。  突然のことに大喬の身体がびくんと撥ね、瞳が孫策の方を向く。どうやら正気に戻ったようだ。 「ふぁ、ふぁひ? んっ、ちゅ……じゅぱじゅ」 「ふぁめよ。ちゅぱちゅぱっ、くひをはへはら……んっ、おさへ、ほへちゃう……ちゅぱっ」  大喬が驚いて開き掛けたくちから垂れた酒を拭うように口を僅かに動かして舐め取ると、すぐにそれを大喬の口腔内へと舌でねじ込んでしまう。  動向が開いて痙攣する大喬。  孫策は変化に気付いたことで一層手と口で嬲りを激しくする。大喬の舌が段々激しく絡む、それも自発的に。 「んぁ……ぐじゅじゅ……んぅ……」  吐息は混ざり合い、喘ぎはまぎれどちらのものか性格に識別することは不可能となっている。孫策はとどめとばかりに手に力を込めてぎゅうっと亀頭付近を握りしめる。  数秒後、大喬は「きゃうん」と甲高い声を上げたかと思うと、がくりと孫策の胸に顔を埋めた。それから一拍遅れで孫策の手のひらにお湯のような熱い湿りが広がり始める。 「うあ……ん……はぁ……」 「あらら……下着のままだったわね……」  孫策は胸の谷間に顔の右半分を埋めて変態のように深呼吸している大喬の髪をすきながらそっと服の裾をめくると、彼女の大事な部分を覆っている未だ張りのある膨らみが残る下着が顔を覗かせる。  可愛らしいひらひらの装飾と少々扇情的な左右の紐という対極的な魅力を兼ね備える大喬の下着には前面の広範囲に渡って染みが広がり、べとべとになっている。  孫策はぐったりしている大喬の下着をするすると膝まで下ろすと、ぶるんと揺れた肉棒から残り汁が飛び散り孫策の顔に掛かる。 「まだ元気は残ってそうね」 「……ふぇ?」  大喬が遠くを見つめる瞳を動かして孫策の顔をのぞき見る。孫策は口もとについた白濁液をぺろりと舐め取ると下着との間に糸を引いている大喬の分身を弄り始める。 「そんな……ん……らめっ、つづけてらんてぇ」  否定の言葉を口にしながらも骨抜きになっている大喬は微塵も動く素振りがない。  孫策は刺激を与えながらそっと語りかける。 「ね、今度一緒にどこか出掛けよっか」 「え? はぅんっ! ひゃ、はい……ひやぁん」 「そうだ、冥琳から今度一日休みを貰うから遠乗りにでも出ましょう」 「んぅっ、遠……乗りですか……あふぅんっ!?」 「そ。遠乗り。でも、今はじっくりと二人の時間を堪能しましょー!」 「ひゃああああああん!」  まるで山賊が攫ってきた村娘においたするかのようにがばっと覆い被さると、孫策は大喬の肌を啄んでいく。  二人の熱く燃え盛るような激しい夜はこれからますます速度を増して更けていくのだった。  †  酒と美少女の味を堪能した翌朝のこと、孫策はとある人物の元を訪れていた。  目の前で椅子に座っている女性はその長い足を組んだ状態で卓に頬杖を突いて孫策を見ている。孫策はそんな彼女に対して笑みを浮かべながら歩み寄ると、そのまま背中側へと回り込む。 「ね、ちょっとお願いがあるんだけど……て、何よその顔」 「雪蓮がそのニヤケ顔をしながら頼み事をする時は大抵妙な企みが裏にあるじゃない」 「そんなこと、な、ないわよ?」 「信用できん」 「冗談よ冗談。本気に取らないでよぉ、冥琳ちゃ~ん」 「気味の悪い猫なで声はやめろ」  周瑜の肩もみをしながら笑顔を向けるが、彼女は思いっきり引いている。どうやら逆効果だったらしい。  孫策は両肩から手を離すと、周瑜の正面へと出る。 「それじゃあ、実直に行くわよ」 「ああ、これから仕事なのだから手早く頼む」  きっと表情を引き締めると、孫策は顔の前でぱんと手を打って頭を下げる。 「私に休暇をちょうだい」 「却下」  言葉を言い切るか言い切らないかの時点で返答する周瑜に孫策はがくっとずっこけかける。 「ちょっ……即断すぎでしょ」  恨めしげにジト目を周瑜に向ける。孫策も内心では彼女がそう答えるだろうと予測していたのだが、いざ言われてみると思ったよりぐさっとくるものだった。  それでも負けじと孫策は周瑜にすがりつく。 「ねーいいでしょ。仕事頑張ってるんだしさぁ。そ、それに別にすぐ休みが欲しい訳じゃないのよ。そのうち、一日くらいはのんびり過ごしたいってだけなのよ」 「ほう、ではそれ以外は仕事詰めでも文句は言わんのだな」  悪戯な笑みを浮かべた周瑜が口もとに手を添えながら孫策に問いかける。 「うっ、そ、それは……うぐぐ、あの娘のためだし、わかったわ。それでも構わないわよ」 「珍しい。いつからそんなに仕事を好くようになったのだ」 「別に政務とかを好きにはなってないわよ……ただ、やることやらないとってだけよ」  孫策が片手を腰に添えながら溜め息混じりの返答をすると、周瑜が微苦笑じみた顔で小さく頷いた。 「ま、いいだろう。もう少しでこの徐州での我らの仕事も一段落付く。そうしたら、他の者に任せて我らは建業へと戻る」 「え、そうなの?」 「ああ。そこで、出立の前日……最終日なら私一人でも十分仕事はこなせるだろうから、一日自由に過ごすといい」 「本当! やりぃ、ありがとう冥琳」  孫策はその場で跳ね回りたい程の喜びで胸がいっぱいになる。そんな彼女に周瑜がにやりとした笑みを浮かべながら言葉を付け加える。 「くれぐれも、真面目に仕事に取り組んだら……の話であることを忘れないように」 「はーい。それじゃ、早速今日の仕事に精を出すとするわ」  そう言って孫策は軽い足取りで部屋を後にしようとする。 「雪蓮」 「ん?」 「休みには大喬と仲良く楽しんでくるといい」 「なによ。わかってたんじゃない。でも、ま、それまではお仕事頑張るとしますかね」  最初は周瑜へ向けて、後半は自分に言い聞かせるような気持ちで孫策はそう答えるのだった。  それから数日間、宣言通り孫策は仕事に専念して周瑜との約束を守り通した。  だが、唐突に変化は訪れた。  それは、ようやく最終日を前にした日の昼下がりだった、なんだか胸騒ぎを覚えるなと思いながら孫策が政務に励んでいるところへ周瑜が血相を変えて飛び込んで来たのだ。  以前にも同じように仕事中に急用と言ってやってきたことがあったが、今回はその比ではない。余程の事態が起こったということなのだろう。  周瑜から告げられた話は確かに孫策も驚かずにはいられないものだった。  孫策は高鳴る鼓動を抑えながら、確認するように聞かされたことを問い返す。 「徐州の曹操領で暴動が起きたって、本当なの?」 「ああ、少し前から動きがあって間者を放っていたのだが、今しがた詳しい情報が入った。正直、未だに理解が追いつかない部分もあるのだがな」  腕組みをして周瑜が真剣な眼差しで床を見つめる。気のせいか、このとき孫策には周瑜の目に闇が潜んでいるように見えた。 「まだ事実確認には至っていないから確実なこととは言い難いのだが……」 「何をもったいぶってるの。この孫伯符には遠慮など必要ないのだからさっさと言いなさい」 「うむ、それもそうだな。実はな、公孫賛が一枚噛んでいる可能性があるらしいのだ」 「公孫賛……ん? 誰?」 「河北の勇たる公孫賛に決まっているだろうが。ハァ……いや、まあ印象に残りにくい顔、いや外見? ……というか、地味な雰囲気だからそれも致し方ないかもしれないが強敵となる可能性がある相手くらいちゃんと覚えておけ」  孫策の反応に頭を抱える周瑜だが、どうにも普段通りの呆れの要素が薄いように見える。もしかしたら、彼女も少し忘れかけていたのかもしれないと、微妙な顔をしている周瑜を見て孫策は思った。 「とにかくだ、公孫賛の元にいた男が何やら曹操に不服のある豪族を抱き込もうと動いているようだ。その男、華雄や賈駆を連れて既に琅邪郡まできているらしい」 「武将に軍師をねぇ……確かに何かありそうね」 「そこでだ、もう少し奴らの様子を見ると言うことで、暫し滞在期間を延長する」 「え?」 「そして、すまんが休日にはあまり不用意に出歩くな。既に公孫賛軍の手の者が潜りこんでいるかもしれん」 「……なるほど、冥琳。貴方、公孫賛軍が狙うのは曹操軍だけでなく私たちもって思ってるのね」 「当然だ。徐州の一部を奪うだけとは思えん。恐らくは曹操の天子奉戴の影響を受け、慌てて勢力拡大に乗り出しているのだろう」  そう言った周瑜の顔には何か忌々しげに思うところがあるのか、彼女の崇高で高潔な精神にどす黒い感情がほんの一滴混じってしまっているように見えて孫策はどこか不安を覚える。 「まあ、以上だ。また、何か情報が入り次第報告する」 「ええ……あ、そうだ」  ふと、あることを思いだし孫策は大事に締まっていた物を取り出すと、周瑜に投げて渡す。 「ん? なんだこれは……髪飾り?」 「ほら、私はしばらく仕事詰めだからさ、できればそれと同じやつを一つ仕入れてくれないかしら」 「使い走りにする気か」 「お願い。ちゃんと仕事はするからさ」 「まったく……注文は一つでよいのだな」 「あはは、さっすが冥琳。お願いね~」  孫策がにまにまと笑いながらそう言うと、周瑜はやれやれと肩を竦めて部屋から出ていった。  †  ようやく休日に辿り着いた孫策は周瑜に頼んだ髪飾り一つを手に館の廊下を歩いていた。  この数日の間に琅邪郡の方で起こったという変異が下邳にまで及びつつあるという報告があった。孫策は、動きが大きくなるに連れ警戒するよりも詳細を自らの目で見てみたいという欲求を募らせていた。  この淮陰の街の様子、民の息吹を孫策はその瞳、耳、肌、全てで感じてきた。だからこそ、周瑜を初めとした仲間と共に治世に励むことができたともいえる。 「そういえば、蓮華の方も江東制圧を順調に進めてるみたいだし、大方の豪族もねじ伏せるか従えたようだし、あの娘の為政者としての腕や才覚はやっぱり私よりも上っぽいわね」  公孫賛軍の一団と思しき者たちによる騒乱の情報と同じように揚州にいる孫権らの情報も入ってきていた。 「私はどうしようかな……っと、お、いたいた」  前方に大喬の姿を見つけて孫策は駆け寄る。 「あ、雪蓮さま」 「やっほー、大喬ちゃん」  手を振りながら声を掛けた孫策に大喬がぺこりとお辞儀をして返す。相変わらず丁寧な娘だな、と孫策はくすりと笑う。 「あ、そうだ。まずは、はいこれ」 「これって……红玫瑰の髪飾り、ですか?」 「そ。それで、これ……なんと、ほら! ちょっと凝った仕組みが仕込んであるのよ」  そう言って孫策は薔薇の形を模した髪飾りを中心線から二つに分ける。 「これ、実は二つの髪飾りの凸凹が見事にはまって一つの髪飾りになるってものらしいのよ」  そう言って孫策はまるで妖術のように一本の薔薇から二本の薔薇を作り出す。ちゃんと分離した後も、それぞれ髪飾りとしての機能、そして、一本の薔薇としての外観も損なわれていない。 (本当によくできてるわよね)  ちなみに孫策がそれに気付いたのも新しくもう一組を買ってきた周瑜に言われてだったりする。また、お揃いが既にできると判明したため、結局買ってきて貰った髪飾りは彼女へ贈ることにした。  もちろん、大喬にそんなことなど分かるはずもなく、ただ興味深げに髪飾りを見ている。 「へえ、絡繰りみたいで面白いですね」 「でしょ、だからこの片方ずつを二人でつけようかなって」  大喬の手のひらに片方を渡すと、彼女はほんのりと頬を染めて満面の笑みを浮かべる。 「……いいですね。それ」 「でも普通につけてもあれだし……そうね。大喬ちゃん、ちょっと動かないで」  膝を屈めて目線の高さを近づけると、孫策は自分が持っている方の薔薇の髪飾りを大喬の絹糸のような髪へと通していき、しっかり留めた。 「うん、ばっちり……」  ぽんと髪飾りを人撫ですると、孫策は大喬の頭から離れて満足げに頷く。 「そういうことですか。なら、私も……」 「うん。お願い」  両手で大事そうに髪飾りを持って見つめてくる大喬に優しい表情で頷くと孫策は屈んで頭を差し出す。孫策は垂れてくる長い石竹色の髪をそっと掻き上げると、準備よしとばかりに目を瞑る。  細くて柔らかい指が頭に触れる。それがこそばゆくて孫策は吹き出しそうになるのを堪える。小さな手のひらがそっと髪を掬う。留め具がその下に滑り込んでくる。  そして、そっと髪飾りが装着された。 「はい、完成です」 「ありがとう。で、どうかしら? 似合ってる?」 「はい! とっても、可愛いですよ、雪蓮さま。うふふ」 「あはは、大喬ちゃんもすっごくいいわよ」  そう言って顔を見合わせ、朗らかに笑い合う二人。そよそよとした風がそんな二人の髪を撫でる。 「それで、今日はどうするんですか?」 「ん? 遠乗りよ、もちろん」 「えっ!? でも、冥琳さまがそれはやめておくようにと」 「いいからいいから、ほらほら行きましょ」  納得がいっていない様子の大喬を孫策は笑顔で誤魔化しながら彼女の背を押していく。  そうして、連れて行った先は城門。無論、外へと出るための場所である。 「本気で遠乗りをなさるおつもりなんですか?」 「当たり前よ。でも、それは半分正解で半分外れかしら」 「え?」  きょとんとする大喬の手を引くと、孫策は城外へと出て行く。  そこには、数頭の馬に乗った軽装の兵が数人待っていた。 「え、あの……これは?」 「いや、実は昨日下邳で大層なことがあったらしくてさ、冥琳に無理言って様子見をしに行く許可を貰ったのよ。それで、彼らは私の警護ってこと」  本来なら間者を放つだけで済むことだったのだが、孫策には下邳に関する情報の中でどうしても気になる者があり、自ら志願した。  どうしても無視できなかったのは公孫賛軍所属の青年のこと。かつて袁術のものだったころの下邳城 で出会った人物。  天の御遣い。そんな大層な異名を持ちながらも普通の人間と大差ない存在。なのに、どこかつかみ所のない人物。  そんな彼ともう一度会う機会を得たと孫策は思っている。そして、何より彼ともう一度会えば何かが変わると彼女の自慢の勘が訴えているのだ。 「雪蓮さま?」  大喬が後ろ手に手を組んだまま孫策の顔をのぞき込むように歩み寄ってくる。 「ふふ、何でもないわ。さ、行きましょうか」  そう言って孫策は馬の背へと軽やかに乗った。  ふと、大喬の方を見ると、彼女は小柄なために苦戦し、周囲の兵に補助を受けながらなんとか乗馬を完了したところだった。 「さ、行きましょうか」  大喬、そして護衛の纏め役である太史慈にそう告げると、孫策は馬を走らせた。  †  淮陰から暫く走り、下邳郡へ向けて走り続ける孫策は途中、森林を見つけると器用に道取りを行いながら馬を走らせる。  背後を走っていた太史慈たちとの距離が徐々に空いていく。  隣を走る大喬だけが孫策にぴったりとくっついて並走している。 「流石、大喬ちゃんね。私との相性ピッタリ」 「あの……いいんですか、護衛の方たちを振り切っちゃいますよ」 「いいのいいの。大体、元々は大喬ちゃんと二人っきりでの遠乗りっていう約束だったんだから。ちゃんと先約は守らないとね」  そう言って孫策はぱちんと片目を瞑ってみせる。 「はぁ……知りませんよ、後で冥琳さまに怒られても」 「え、いや、えっと……うーん」  頬をぽりぽりと掻きながら孫策は帰ったときの周瑜の反応を想像する。 『また、お前は無茶なことをしだして! 自分の立場というものをもう少し考え手だな……くどくど』  しかめっ面の周瑜に延々と説教をされて泣いている自分の姿が思い浮かび孫策は背筋がぞくりとする。 「ま、まさかねぇ……」 「はい?」 「なんでもない、なんでもないのよ?」 「はぁ……」  首を傾げて曖昧に頷く大喬の姿に不覚にも孫策は胸をきゅんとさせる。 「ま、まあ、今はこうして二人っきりを楽しみましょ」 「……ふふ、そうですね」  くすりと悪戯な笑みを浮かべる大喬に孫策もにかっと快活な笑みで返すと更に馬を走らせる。 「そういえば、雪蓮さまはどうして下邳の偵察を買って出たんです?」 「大喬ちゃんとの約束を果たすため……というのもあるんだけど、まあ、ちょっとね」 「ちょっと、ですか」 「ううん、説明しにくいんだけど、やっぱり私としてもなんだか無性に気になることだったから……みたいな感じね」  最近になって範囲が拡大しついには徐州の半分近くを巻き込んで起こっている何か。それは孫策にとって絶好の機会であり気になることだった。  青年と会えるかもしれない、これはひいては孫策の中に一つの考えを表出させていた。 (やっぱり、彼がこの騒動の中心にいるのかしらね)  袁術討伐で出会ったときから……いや、反董卓連合のときからだろうか、孫策は青年のことを少しだけ気に入っていた。  そして、それは彼女の胸に期待を生じさせ時間と共に次第に大きさを増している。  孫策は隣を走る少女を見る。  大喬。江東の二喬と謳われ、大層な美しさと可愛らしさを持つ双子の片割れだ。  孫策と周瑜がそれぞれを娶ると決めて声をかけ、今では女同士とはいえ深い愛情で繋がっている。  大喬と自分の間に入れるのは、周瑜と小喬くらいだと思っている。だが、かつて大喬は二人の間に入るのではなく二人とも包み込むような者が現れると思う、などと言っていた。  それは結局誰の事なのだろう。 (て、なんで急にこんなことを?)  まさか、あの青年がそうなのだろうか? 「いや、そんな都合の良い話あるわけないわよねぇ」 「…………」 「って、どうしたの?」 「いえ、なんだか難しいお顔をなさっていたので、もしかしたら、やっぱり私はお邪魔だったのではと思いまして……その」  うつむきがちに答える大喬に深く息を吐き出すと、孫策は手綱から片手を離すと、彼女の頭にそっと乗せる。 「ん……」  細かくしなやかな赤みがかった頭髪の隙間からほのかな温もりが手のひらに伝わってくる。孫策はその温かさに心を綻ばせながら自分を見上げる大喬に微笑みかける。 「気にしない気にしない。私は大喬ちゃんといる時間がとっても大切なのです。だから、そんな寂しげな顔しないで」  元々は彼女との約束があったのだから、こうして連れてきた。それこそ、護衛の太史慈だろうと、周瑜であろうとも文句を言わせないと思うほど。だが、そのことで大喬を萎縮させてしまっては元も子もない。 「ごめんなさい。そうですよね、ちょっと後ろ向きに考えすぎました」  そう言って舌を出して笑う大喬の頭をわしゃわしゃと撫でると、孫策は手綱を握り直して、徐州で起きている事態について勘考しはじめる。  袁術が帝を僭称して討伐された後に分割された徐州。  下邳及び北半分は主な活躍をした上、朝廷直属の軍としてやってきた曹操が持っていった。  公孫賛軍の代表とおぼしき人物は袁術らの身柄と引き替えに分け合いへの参加を降りた。 (普通に考えると、今回の行動の目的って結局徐州が惜しくなったから公孫賛軍が……ってところが濃厚と考えていいのかしら)  公孫賛軍は袁紹軍を傘下に入れたり、青州の黄巾党残党を吸収したりして勢力拡大をして、人員整備も大分落ち着いてきているという報告も耳にしていた。  それに加え、曹操は公孫賛軍と河北をかけての決着をつけるために後顧の憂いをたとうと西涼の馬騰と対峙しており本拠は留守にしている。これは公孫賛軍にとって絶好の機会だったのだろう。  主力の駆けた曹操軍では多少の抵抗はできても守り通せない。孫策はそう睨んでいる。 (もし、あの青年が下邳にいて……そのうえ公孫賛軍が曹操軍に代わって徐州の半分を治めることになったとしたら、いっそのこと手を結んでしまうってのもありよね)  下邳で見た青年の姿を再度空中に描く、孫策の登場に驚いた様子だったがすぐに思考を切り替えて対応したりして袁術と孫策を合わせないようにしたことも考えると悪く言えば甘い性格、よく言えば、心根の優しい人物なのかもしれない。 「雪蓮さま?」 「あ、ごめんごめん。なんか変だわ今日の私……」 「何か、悩みでもあるんですか? でしたら、せめてお話を聞くくらいはします」 「ありがとう。でも、違うのよ。ただね、これから何か凄いことが起きる予感がするから、何があるのかなって考えていただけよ」  そう言った孫策は大喬が自分の顔を何とも言えない表情で見ていることに気がついてもう一度頭を撫でた。  †  護衛の兵たちを撒いて二人だけの時間を過ごしているうちに孫策たちは馬を北へと数里ほど走らせ、気がつけば森林へと入りこんでいた。  木々の隙間から差し込む光が落ち着いた雰囲気を漂わせている森をどこか神秘的なものへと変容させている。  隣を走る愛しい少女を一瞥すると、孫策は感嘆するように溜め息を零す。 「やっぱり、恋人同士ってのはこうじゃないとね」 「え? 何かおっしゃいましたか?」 「ううん。なんでもないわ。それより、どう? 少しは楽しい?」 「はい。久しぶりの雪蓮さまとのお出掛けですからとっても楽しいです」  そういて満面の笑みで頷く大喬は本当にこの遠乗りを和楽しているように見える。  今だけは、今だけは偵察の事なんて頭の隅に追いやってしまおう。孫策は顔に掛かった赤みのある長髪を手で払いながらそう決める。 「ほらほら、おいてっちゃうわよー!」  この瞬間を大事にしたい。 「あ、待ってください。待ってぇー」  愛しい彼女と共に過ごす穏やかな時間を。 「あはは、嘘よ。私が大喬をおいていくわけないじゃない」 「もう、雪蓮さまったら……いつも意地悪するんですから」 「ごめんって。機嫌直してよ、何でも言うこと聞いてあげるからさ」  本当に置いていかれると思ったのか不安と光るものが目に残っている大喬に巧笑を浮かべながら孫策は隣を走る彼女の方へ手を伸ばすと子供のように小さな頭をそっと撫でる。  きめ細やかな髪の感触は絹織物のようで触っていて心地がよく、孫策は思わずうっとりと悦に浸りそうになる。 「し、雪蓮さま! 危ない!」 「へっ!? うわぁ!」  大喬に促されて意識を前に向けると、巨木の枝が眼前に広がっていた。孫策は、それをすんでの所で躱すとほっとため息を吐く。 「あ、危なかったぁ…… 「急にぼうっとなされて、どうしたんです?」 「……ううん、触り心地良いのも考え物よね」 「え?」 「なんでもなーい。ほら、あまり注意散漫だと事故るわよ」 「今し方危険な目にあった方には言われたくありませんよぉ」 「なにぃ! 言ったわねー!」  くわっと表情を強張らせると、孫策は大喬を捕まえようと馬を寄せる。だが、大喬も「きゃあ、きゃあ」と言いながら逃げていく。 「まぁ~てぇ~」 「きゃあーっ! あはは、捕まえてみてくださーい」  二頭の馬は仲良く同じ速度で走り続ける。馬上の二人はじゃれあうように笑ったり怒ったりしている。  それはどこにでもあるようでない穏やかな光景だった。  そんな二人の前に唐突に人影が姿を現した。二人は馬を停止させると、通行を阻害するように立っている妙な服装の男を馬上から見つめる。 「孫伯符殿」  どこか気味の悪い雰囲気を纏っている男の全身を孫策は値踏みするように見ていく。服装は導士が着るようなものである以上彼が導士である可能性は非常に高いだろう。  眼鏡越しに見える瞳はどこかでみた闇が大きく広がっており、じっと見つめているだけでその漆黒に取り込まれてしまいそうである。  孫策が導き出した答えは『怪しい奴』『どこかの資格』『堕眼鏡』といったものだった。 (こいつ……凄くヤバイ感じがする)  警戒するにこしたことはない、そう考え孫策は馬から降りずに畏まったままの眼鏡男を見る。 「誰だったかしらね……どうも最近は、こうそん……なんとかといい人の名前を覚えてないことがあるみたいでさ、よかったら教えてくれるかしら」 「なに、大した者ではありませんよ。導士をしておりましてね」 「うん、それは見ればわかる。それより、誰?」 「ふふ……名乗るほどの者じゃ、と言ってもダメでしょうね。私、于吉と申します」 「于吉ねぇ、うーん、やっぱり覚えが無いわ。どこかで会ったことはあるのかしら?」 「あると言えばある。無いと言えば無い。としか答えようがありませんね」 「巫山戯てるの?」 「とんでもない。小覇王をいたずらにからかえば命が幾つあってもたりませんよ」  おどけるような仕草で微笑を浮かべる眼鏡男。だが、その目は一向に笑っているようには見えない。  どこまでも冷めた目をする眼鏡男を見ているうちに孫策は自分の胃がきりきりと痛み始めていることに気がついた。 (何か、こいつとは関わってはいけないって気がする……)  そんな内心とは裏腹に孫策は質問を投げかける。 「一体、どんな目的があって私の前に出てきたのかしら」 「おや、まだ申しておりませんでしたか。これは失礼。我が狙いは小覇王の命です」  事もなげにそう告げた眼鏡男に孫策の思考は一瞬止まる。  あまりにもあっさりすぎる。まるで、何げない日常の一部であるかのように眼鏡男は孫策暗殺の暴露をした。  目の前にいるのが孫策本人とわかっているのに、堂々と告げた。何かの悪戯だろうか、ついついそんなことを考えてしまいそうになる孫策の思考はすぐに正常を保つ。  目の前の男の瞳から暗い光が見えたのだ。眼鏡男はおもむろに手を上げる。そして、 「さあ、やってしまいなさい」  そう言うのと同時に手を勢いよく下げた。  びゅっという風を着る音がした。次の瞬間、孫策が乗っていた馬が横倒れになり、彼女は慌てて飛び降りた。  また、びゅっという音がして、今度は大喬の馬が崩れる。だが、馬は完全に倒れるよりも先に驚きのあまり暴れ出した。馬の背に乗っていた小さな身体が振り払われて宙へと投げ出される。 「きゃあああっ!」 「危ないっ!」  孫策は大慌てで馬の背から放り出された大喬の身体を抱き留める。  そして、二頭の馬を見る。それぞれ、腹部、脚部が矢で射貫かれていた。  孫策はきっと目の前の眼鏡男を睨み付けようとしたが、その瞳は驚きに満ちることになった。 「いつの間に……」 「な、なんなんですか……この人たち」  眼鏡男と孫策たちの間には十数人ほどの白装束の怪しい者たちが壁のように突っ立っている。  皆一様に生気の感じられない顔大きな帽子で隠しており、そこにいるのかいなのかが曖昧に感じられ、孫策はそんな白装束たちの指揮を執っている眼鏡男にどこか寒気の様なものを覚え背筋がぞくりとする。  腰にかけていた南海覇王に手を添えながら大喬の手を取って後退する。 「大喬ちゃん、貴方は逃げなさい」 「そんな。雪蓮さまは……」 「あいつらの足止め。しかないわね」  じりじりと詰め寄る白装束たちを睨み付けながら孫策は答える。大喬はそんな孫策の服の裾をきゅっと掴んですがりついてくる。 「い、一緒に逃げましょう! それでいいじゃないですか」 「良い子だから。聞き分けよくしてちょうだい……あいつら、始めに馬を狙ったわ。つまり、それって私たちを逃がすつもりはないってことよ」  孫策がそう言うと、大喬がつばを飲み込む音がやけにはっきりと聞こえてくる。 「要するに、逆に考えれば、今は逃げにこそ活路があるってことになるわ。だから、せめて貴方一人だけでも逃げてその辺にいる太史慈たち護衛の連中を呼んできてほしいのよ」  風もないため木や草花が一切揺れず、自然の静寂と白装束たちの沈黙が空気を重々しくさせる。  馬の位置から自分の進んでいた方向、そして戻るべき方向を判断しながらも一旦身を隠そうと、木々の間を縫うようにして下がっていく。 「ふふ……無駄ですよ」 「っ!?」  眼鏡男の笑いと共に左右から白装束が姿を荒らして襲いかかってきた。 (既に潜んでいた!)  孫策は動揺を抑えこみ、即座に南海覇王を抜き放つ。その動きで白装束の頸元へと剣による軌跡を描く。一拍遅れで切り口から赤い液体をまき散らすように噴出させる。 「一体、どれだけいるのか見当も付かないわね……」  下唇を噛みしめながら孫策は護衛を振り切ったことを今更ながらに後悔する。 (今から呼ぶにしてもこの娘を逃がしきれるかしら)  不安は残る、大喬はもともと戦闘のために訓練を受けているわけではないか弱い少女。今この場で危険なのは孫策以上に彼女なのだ。  そして、大喬を庇いながらでは孫策もどれだけ白装束たちの攻撃に応じられるかがわからない。 「大喬ちゃん。凄く危険が伴うことだけど、さっき言ったとおりに使いを頼めるかしら?」 「護衛の方々ですね……が、頑張ってみます!」  両手をグッと握って答える大喬の瞳は緊張や動揺で揺れているが一本芯は通っていると孫策は見た。  互いに顔を見合わせて頷くと、大喬は駆け出し、孫策は白装束たちに向かって飛びかかる。 「せやあっ!」  下段からの一撃で数人の白装束が倒れる。だが、その後ろからすぐに別の白装束たちが沸きでるように姿を現す。 「ちっ、なんだか不気味な連中ね」  南海覇王の斬撃が次々と白装束を蹴散らしていく。剣を構えて飛び掛かってくるのに対して薙ぎ払いで対応し、倒す。  右から来た敵を斬り、孫策は糸が切れたようにがくりと崩れ去ろうとする白装束の懐に入りこんで背中で撥ね除け、反対側の敵にぶつける。 「よし、ひるんだ」  一瞬の隙を見逃さずに胴体を深々と刺し貫く。白装束はばたりと倒れるが、また新たな白装束が現れる。  次から次へと増加する白装束に孫策は流れる汗を拭って歯噛みする。 「鬱陶しいわね。湿気のあるところに発生するカビか、あんたたちは!」 「おやおや、随分と余裕ですねぇ」  声のする方を見ると、眼鏡男が不適な笑みを浮かべている。 「その笑顔止めてくれないかしら、癪に障るのよ」 「それよりも、お連れの方はよろしいので?」  そう言われて、孫策は白装束たちとの剣戟の合間にちらりと大喬が逃げていった方を見る。 「なっ!? 大喬ちゃん!」 「こ、こっちに来ないでください!」   逃亡しようとしていた大喬が白装束に挟まれるようにして立ち往生している。じりじりと追い詰められた彼女は自分が崖っぷちに立たされていることに気がついていない。 「危ないから、逃げてっ!」 「え? ……きゃあっ!?」  孫策が注意を促したが、時既に遅く、大喬は態勢を崩して崖の向こうへと倒れそうになり、必至に堪えている。 「ふむ……折角ですからあの娘から狙うとしましょう、やれ」  眼鏡男の言葉で遠めに距離を取っていた白装束が矢をつがえる。その意味するところを頭が察するよりも先に孫策の本能が肉体を動かした。 「させてたまるもんですかってのっ! 大喬ーっ!」  孫策は全速力で駆け寄り。多対一を耐えていたせいで披露を蓄積している身体が悲鳴を上げるが、気にしない。  駆ける。少しでも早くと本能が急かす。 「ええい、ままよ!」  孫策は大地を蹴って前方へと飛び出すと、半身を翻して南海覇王を眼鏡導士へと投げつける。 「おっと、危ない危ない」  眼鏡にはギリギリで躱されるが、背後の白装束を貫くことはできたようだ。  ほんの刹那の瞬間に、それを確認した孫策は飛び掛かるようにして大喬の小柄な身体を抱きしめた。 「ぐっ!」  次の瞬間、孫策の剥き出しの腿に矢が刺さり、そこから火をつけられたような熱さが走り彼女は顔をしかめる。 「これって……まさか……毒?」  それを理解したとき、孫策の前に地面はなかった。彼女は愛しい少女をその腕の中に抱きかかえたまま、ちょっとした城壁ほどの高さはあるであろう崖から宙へと身を投げていた。 「しまっ!?」  背後で何やら舌打ち混じりの苦々しい声が聞こえたが、孫策の意識は毒のためか薄らいでおり耳に入ってこなかった。  孫策は大喬の身体を抱きしめたまま川面へと飛び込み飛沫を高々と上げた。  二人が消えた川を見下ろしながら眼鏡の導士は苦笑を浮かべていた。 「ふう……まさか我が仮初めの名に従ったことをするとはなんとも皮肉なものです」  そう呟くと、眼鏡の導士は残った白装束を連れて空間へと溶け込むようにして姿を消していった。