「ここ、は、何処だ……?」 気が付けば夜が明けていた 気を抜けば崩れ落ちそうになる脚で、森を抜ける その先には見慣れない光景が広がっていた 「街……か?」 視線の先には、いやに広い街道と、そこで作業を始めようとしている無数の人々 工事用具を手にして他愛も無い話に花を咲かせる人々を、彼女はまるで別の世界の事のように眺めていた 一体何処まで歩いてきたのだろう 周囲に視線を巡らせれば、改修工事中なのだろう、街を囲う城壁の周りにも足場が組まれている 城壁の規模を見るだけでも、この街が相当に大きな都市である事が推測される 「何日、経った……?」 頭が上手く回らない 空腹と疲労とで朦朧とする意識の中で、足は自然と街の方向へ向いていた 何処でもいい、今は休みたかった ほんの数日間までの自分ならば、考えられない様なか弱い力でふらふらの身体を動かす その姿を目に止めたのか、道端で作業を始めていた人々がぎょっとした表情を浮かべて彼女を見る その奇異の視線に気付いているのか否か、彼女はまるで幽鬼の様な表情で歩みを進めていく 周囲の人々のざわざわとした話し声も、彼女の耳には入らない ただただ惰性で歩き続ける彼女の霞がかった瞳は、自分に近づいてくる何人かの兵士の姿を映しだした 次の瞬間に足下が崩れる様な感覚と共に、全身から力が抜けていく ぐらりと揺らぐ視界の中で、彼女は城壁に翻る『十』の我門旗を見て、次の瞬間、その意識は闇に落ちていった 次回、超空の恋姫〜5・詐術の戦場〜 「彼女が、そうか?」 「何でも今朝がた道路の拡張工事の現場の辺りで倒れていたそうなのですよ」 そう呟く一刀と風の視線の先では、1人の女性が小さく寝息をたてていた ここは漢中の城内にある客間、今は眠っている女性と、一刀と風しかこの部屋にはいない 医者の診察だと、疲労と空腹、睡眠不足によって身体に大きな負担がかかっているとの事だ 一刀は視線を外して、彼女の私物が突っ込まれた籠の中に目をやった 薄汚れてはいるものの品位と権威を感じさせる衣服に、一振りの剣、それに僅かばかりの貨幣が彼女の身の回りの全てだった 「洛陽からここまで徒歩で来たのかな……」 「相当、無理をしたのでしょうねー」 「無理しなきゃいけない理由があったんだろうな、何進さんには」 痛ましい姿を見せる漢の『元』大将軍、何進を見下ろしながら、一刀は沈痛な思いを募らせていた 「え……?」 張譲――凶香による『協力要請』から半月、月は洛陽にいた その一角、自身に与えられた屋敷で、月は呆然とした表情で詠の顔を見返した その詠の表情は、暗く、重い 強気な光を宿す瞳も、今は伏し目がちになって、正面から月を見ようとしない 「き、聞き間違い、だよ、ね、詠ちゃん?」 「……」 「ねぇ、聞き間違い、なんだよ、ね?」 何処か救いを求める様な声音で、何処か助けを請うような瞳で、月は詠に問いかける そんな親友に対し、詠は悔恨を滲ませた言葉しか吐き出す事が出来なかった 「……本当よ、何太后は、殺された」 「な、何で……」 「王朝を私物化しようとした罪……少帝も廃位になったわ」 「そ、んな……」 月が手にしていた筆が、からんと乾いた音を立てて床へと転げ落ちる それを目で追う事も出来ないほど、月の受けた衝撃は大きかった 自分は少帝や何太后を助ける為に洛陽に来た筈なのに 助けようと思った人が殺されるのに、何も出来ずにいたなんて じわり、と瞳に涙があふれる 自分の無力さに、自分の不甲斐なさに涙が出てくる 一刀と話した、皆が幸せになれる世界の為に頑張ろうと誓ったはずなのに そして、一刀の顔が思い出された瞬間、涙は堰を越えた 「うぇっ……ぐしゅ……」 「月……」 ぽろぽろと涙を零す月を、詠は優しく抱きしめる 自分自身で、余りにも大きなモノを背負い込んでしまう親友の背中を優しく撫で続けた 小さな声で「北郷様、北郷様」と呟く月に、詠の心も痛む (ボクじゃ無理なんだね、月。アイツじゃなきゃ、駄目なんだ……) そっと頭を撫でる詠の心に、言いようのない寂しさが入り込んでくる それを押し込めるように目を閉じると、次に開いた瞳には烈火のような怒りが宿っていた (月を……泣かせる奴は、絶対に許さない) 現在、月の屋敷は凶香の手の者に監視されている 自由に軍勢を動かす事も出来ないが、それでも詠の意思は変わらなかった 親友を泣かせた奴を許さない、その一念が心の中を占めていく それぞれに異なる思いを抱きつつ、2人の少女は部屋の中で抱き合っていた 「気分はどうかな、何進さん」 「貴殿は……」 「俺は北郷一刀、因みにここは漢中だよ」 寝台の上、上半身を起こしている何進に一刀は声をかけた 漢中に運び込まれて2日、やっと目を覚ました何進はまだ何処か夢心地だった ぼんやりと一刀と、後ろに控える風を眺めていると、その瞳に理性の色が戻り始める 「北郷……あの、『天の御使い』か?」 「一応は。でもそんな大したもんじゃないよ」 恥ずかしそうに笑う一刀に、何進は瞳を向ける 噂だけは聞いていたが、確かに見慣れない服装をしている 『天の御使い』に対して少々の胡散臭さを持っていた何進だが、認識を改める必要がありそうだった 「……礼を言うのが遅れたな――助けて貰った事、感謝している」 「いいよ、倒れている人を無視なんか出来る訳無いし」 「あのー、お兄さん」 後ろから風が声をかける 振り向けば部屋の外では何人かの女官が待機しており、手にした盆からは湯気が上がっている あぁそうか、と納得して再び何進の方に向き直る 「医者によると、疲労と空腹で倒れたんだって」 「……」 「お粥だけどさ、持ってきたから食べてよ」 「……済まない」 少々の葛藤は何進の中であったようだが、結局は好意を素直に受け取る事にした 腹が減っては戦は出来ぬ、とは正に至言であろう お大事に、と言い残して部屋を出て行く一刀と風 それと入れ替わりに入ってきた女官の盆から漂う香りに、何進は自然と唾を飲み込んでいた 「大分、元気そうになったな」 「ゆっくり眠れたのがよかったんでしょう〜」 風を連れて城内の廊下を歩く一刀は、安心した様子で息を吐く 誰であれ、人が助かるというのは文句無しに良い事だ 小さな満足感を心に宿した一刀だったが、疑問も残る 「しかし、何でこの辺で倒れてたんだろう?」 「恐らくは張譲さんから逃げてきたのでしょうね」 風の何時ものと変わらぬ声音に、小さく頷く 史実通りだとすれば、何進は張譲によって殺される(直接的に、ではないが) 『この世界』では、殺される前に洛陽を脱出出来たのだろうか? そして、逃走の果てに漢中に辿り着いた そう考えると、何となく感慨深い気持ちになってしまう 「おや、あれは椿ちゃんではないですか?」 「ん?」 風の視線の先を見れば、確かに椿がこちらへと歩いてくる しかし、その表情は今までに見た事も無いほど緊張に満ちている 思わず一刀は傍らの風と顔を見合わせていた 「悪い事が起きたかな」 「椿ちゃんがあんな顔をするくらいですから」 凶報の確信を込めつつ吐いた呟きは、残念な事に全くその通りだった 「張譲様」 「何かしら?」 洛陽にそびえる宮中の一角、十常侍が支配する区画に声が響く 長椅子に身体を横たえて本を読んでいた凶香は、視線を上げた 目前には自分の手駒、息のかかった官軍兵士が畏まっていた 「董卓に不穏な動きあり、との事です」 「あらあら」 妖艶とも言える笑みを浮かべて、本を閉じる だが、その瞳の奥には陰惨な色が見え、兵士は僅かに身体を硬くした 「具体的には、どういう動き?」 「はっ、呂布将軍、張遼将軍らを邸宅へと招き、何事か指示した様子」 「ふぅん……まぁ、実際にはあのおチビちゃんでしょうね」 凶香の見た所、月にはそんな度胸は無い 恐らく実際に糸を引いているのは軍師の詠だろう 小賢しい真似を、とは思う しかし、現状として主君である月がこちらの監視下に置かれている以上、強攻策はとらないだろう で、あればもう少し様子を見てからでも問題は無い 「いいわ……少し放って置きなさい」 「宜しいのですか?」 「今の彼女達には何も出来はしないわ」 そう言い放って鼻で笑う 今更何をしたところで、こちらの思惑を外す事など出来はしないというのに 「……仕込みの方はどうなっているかしら」 「万事問題なく、もう間もなく諸侯にも」 「結構よ」 満足そうに頷いた凶香は、再び本を広げて読み始める その姿を見て、兵士は踵を返して去る 凶香の、あの瞳で見詰められた事に冷や汗を流しながら 「向かい、いいかな?」 「ここは貴殿の城だろう、主なのだから遠慮する必要はないだろうに」 城内の中庭、東屋で腰掛けながら景色を眺めていた何進は、小さく笑った 性分でね、と返す一刀は彼女の正面に座り、一緒に景色を眺める 少しの間そうして景色を黙って眺めていた2人だったが、ややあって何進が小さく口を開いた 「何か、言う事があって来たんだろう?」 「……あぁ」 その指先が僅かに震えている事に、彼女は気付いているのだろうか? まだ目覚めてから3日しか経っていない 彼女に、事実を受け入れるだけの心の回復は望めたのだろうか 様々な思いが駆け巡るが、やがて意を決した一刀が口を開く 「義妹さんが……何太后が、殺された」 「っ!」 卓の上に投げ出していた手が、一瞬だけ強く握り締められる 何処か飄々としていた表情が消えて、唇を強く噛み締める様子は、見ていて痛ましかった 怒りか悔恨か、僅かに小刻みに震えていた身体は、しかし驚くほど短時間で平静を取り戻した 「そう、か……」 感情を押し殺した声音でそう呟くと、1度だけ深呼吸をした まるで心の中身を全て吐き出そうとするかのような、深呼吸 それを終える頃には、既に何時もの表情に戻っていた 「不思議そうな顔をしているな……」 「……そうかな」 「何で落ち着いてられるのか、という顔をしている」 小さく笑うが、その笑顔には何処か寂寥感が滲み出ている 一方の一刀は複雑な表情を崩さない 自身に近い誰かが死ぬと言う事は、もっと悲しい事の筈だ 彼女の言うとおり、落ち着きすぎている事に疑問を持っているのも事実だ 困惑と悲しさ、入り混じった感情がありありと顔に出ていた 「覚悟は、していたんだ」 「覚悟……?」 ぽつりぽつりと何進は口を開く 『あの日』、凶香達に殺されそうになった事 それを察した何太后が、寸での所で自分を逃がしてくれた事 そしてそれを――凶香達が見抜いている事も 「別れる時に、義妹は――雲雀はな、言ったんだ、『これが今生の別れでしょう』って」 「……」 「私は、何もしてやれなかった」 「何進さん……」 「酷い義姉だろう、私は」 そんな事は、と言いかけて一刀は口をつぐんだ 何進の瞳には涙が溜まり、今にもこぼれそうになっている あぁ、彼女は今、理性と感情の境界線上にいるんだ そう思うと、今ここで口を開くのはいけないような気がした 「結果、雲雀は死んで、私は生き残った。私より、生きるべきだった、雲雀が死んだ」 「……」 「本当はな、大将軍の地位なんてどうでも良かった」 「……」 「ただ、ただ雲雀を守ってやりたかっただけなんだ」 「本当に愛されていたんだね、義妹さんは」 「なの、に、この体たらく、だ……本当、に、酷い、義姉だ、よ……」 既に言葉が続かなくなってきている 感情の決壊は直ぐそこまできているのだろう しかし、最後の最後で理性がそれを押しとどめている 或いは、一刀がここにいる事が最後の堤防の代わりをしているのだろうか (少なくとも何進は人前で負の感情をさらけ出せるタイプでは無い) 「あの、さ、何進さん」 「?」 「俺って、困った癖があるんだ」 「……くせ?」 「少しの間、目も見えないし耳も聞こえなくなる。誰が何をしていても気付かない」 「……」 「だからさ、もし『そう』なっていたら――肩でも叩いてくれないかな」 「北郷殿……」 返事を待たずに目を閉じて両手で耳を塞ぐ これで『ここでは誰も見ていないし、聞いてもいない』 きょとんとしていた何進が、誰にも聞こえないような小さな声でありがとぅ、と呟いた しかし、それも一刀には『聞こえていない』 だからこそ何進は、大声で泣いた 理性の堤防が決壊し、感情の赴くままに泣いた しかし、それは誰も『聞いていない』 向かいに座る一刀も 廊下の影で涙を拭う稟も じっと足元を眺めている風も 静かに瞳を閉じている椿も 誰も何進が泣いているのを『聞いていない』 だって、こんな時に涙を流せないなんて、余りに悲しすぎるじゃあないか あの日以来、何進は部屋から出て来なくなった 一頻り泣いた後は、照れたように笑っていたから、間違っても後追いはしないだろう それに運ばれる食事はきちんととっている様だから、大丈夫だとは思うが しかし、それよりも一刀の頭を悩ませている問題は別にあった 「反董卓連合、か」 「……そういう事になります」 何処か忌々しげに呟いた一刀に、珍しく椿が遠慮がちに答える 朝議の場で、卓上に広げられているのはいくつかの紙片と竹簡だ 半分は『公社』からの報告、そして半分は単に噂話を拾い集めただけのモノ その内1つを手に取ると、文面を目で追う 『董卓、洛陽にて暴虐の限りを尽くす』 ぎり、と歯が軋む音が聞こえ、稟が心配そうに一刀を見やる ここまで苛々を隠さない姿は稟や風でも見た事が無い 何時も明るく、お人好しで、誰かの為に動きたがる一刀からは想像も出来ない 次に手に取ったのは、袁紹本初からの書簡 あの、宮中に突入した袁紹本人である 『今こそ!悪逆董卓を討つ時ですわ!皆さん、私の元に集いなさい!』 余計な文面を削り取って意味だけ抽出すればこうなる その文字を見るたびに一刀の心が軋む音が聞こえる 苛々が止まらずに、大きく息を吐く 「椿、これの裏に張譲がいるのは間違いないんだな」 「……し、身命に代えましても」 一刀が纏う空気が常と違うものだからだろうか、椿でさえ息を呑む 稟と風はお互いに顔を見合わせて、僅かに不安そうな視線を交わす 「これも嘘に、あれも嘘、嘘ばっかりか……」 凶香の弄した策、それは月を悪逆非道の徒へと仕立てる事だった 自身の手駒を使って行った政敵の抹殺や民衆への虐殺の責任を、全て月に追い被せる その間に新たに祭り上げた帝を人形として、実権を握る 万が一、誰かに月が敗れたとしても、自身を表に出していない以上関係ないとも言い張れる 一方の袁紹も、この噂を最大限に利用するつもりらしい 実際に月が悪逆非道かどうかは別として、占領されている(に等しい)洛陽の開放は望む所だ そうなれば連合軍総指揮官である自身の名は高まり、皆が平伏す事だろう そういった思惑もあり、袁紹はこの噂に『乗った』訳だ 心の軋みは止まらない 言いようの無い激情に思わず身を任せたくなってしまう しかし、頭の片隅に異様なほど冷徹な『一刀』もいる その『一刀』のお陰で、今は爆発せずに済んでいる しかし、これ以上こんな事が続けば―― 「顔が怖いぞ、北郷殿」 「……え?」 不意にかけられた気軽な声に、思わず気の抜けた返事をしてしまう 顔を上げれば、扉にもたれかかるようにしながら何進がこちらを見ていた その表情には曇りの陰も無い 「済まないな、立ち聞きするつもりはなかったんだが」 「あ、うん、別にいいけど……いいよな、稟?」 「ま、まぁ何進殿も当事者と言えば言えますし……」 「ふむ、感謝する」 そう言うと、軽く頭を下げて部屋の中へと入ってくる 足取りはしっかりとし、顔色も良い どうやら体調の方は全快した様子だ そのまま一刀の真正面に座り、真剣な表情をして口を開く 「時に北郷殿、聞きたい事があるのだが」 「何?」 「……雲雀を殺したのは、誰なんだ?」 その言葉が紡がれた瞬間、部屋の空気が僅かに緊張した 思わず目を伏せてしまうそうになる一刀だったが、気力を奮い起こす 何進は『自分に』聞いているのだ、答える義務がある 「流布している話だと、ゆ……董卓って言われている」 「……本当の所は?」 「……彼女達の裏に居る張譲だ」 その返答と同時に、何進の瞳に稲妻のような光が宿る 自身にとって不倶戴天の敵の名前に少しの間だけ目を閉じた やがてゆっくりと目を開いた時には、その光は何処かへ押し込まれていた 「なぁ、北郷殿」 「ん」 「董卓殿とは、親しいのか?」 「……真名を預かってる」 「そうか……ならば、許せんよな」 自分の心を覗き込んだかのような発言に、一瞬だけ一刀の呼吸が止まる それでも僅かな沈黙の跡に、首を縦に振る 自分を慕ってくれている(筈だ)少女を利用しようとしている張譲も それを知っている筈なのに、更に利用しようとする袁紹以下の諸侯も 一刀にとっては許せない相手だった 「しかしな、自分の軍師達が怯える様な顔をしていてもいい理由にはならないぞ」 「……え?」 「自分では気付かないか?」 優しく問いかける何進に、気の抜けた返事しか出来ない一刀 やがて少し愕然とした表情で自分を見ている3人の方に顔を向ける 「俺さ……そんな顔、してた?」 「その、少し……苛々していたといいますか」 「お兄さんらしくないとは思いましたねー」 「……少し怖かったです」 三者三様の返答に、思わず頭を抱える 確かにちょっと苛々していたという自覚はあった でもまさか、自分を支えてくれている軍師達が怯える程の顔をしていたとは 月や詠の事があったとしても、少し熱くなりすぎたか 「……ごめんな、皆」 「い、いえ、一刀殿のお気持ちは分かっておりますから」 素直に頭を下げる一刀を、稟が代表する形で慰める 全く、情けない気持ちで一杯だ 周囲の人達の気持ちにも気付けないようでどうする 彼女達が支えてくれるから自分はこうして立っている だったらもっと、彼女達の事も考えないといけないだろう 密かに覚悟をしなおした一刀に、何進は満足げな顔を向けた 「いい顔に戻ったな、北郷殿」 「ありがとう、何進さん」 自分の心に平静さを取り戻してくれた礼を述べる 面映そうに頬を掻く何進が、更に言葉を続けた 「そう言えば、詐術ばかりだと言っていたな、北郷殿」 「……うん」 「いい事を教えよう、詐術を仕掛けてきた相手には詐術を仕掛けても、罪にはならんのだ」 何、と言いたげな一刀に何進は薄い笑みを浮かべていた いまいち理解し切れていない一刀の袖を、風がくいくいと引っ張る 「つまりですねー、何気なく反董卓に居て、それで月さん達を助けても、文句を言われる筋合いはない、と」 「……獅子身中の虫か」 「後は北郷殿の気持ち1つだがな」 そう言われて、一刀は少し黙り込む 反董卓連合に所属しながら月達を助け出す 確かに今となってはそれが最善の策なのではないだろうか その為には、何とかして月達と連絡をとる手段を考えねばならないが、『あて』はある それに『公社』を上手く利用してやれば、連合軍も張譲も出し抜ける可能性だって残っている 可能性があるなら、それに賭けてみようじゃないか 「……稟、風、椿。ちょっと面倒くさい仕事になるけど、手伝ってくれるか?」 「勿論ですよ、一刀殿」 「お任せくださいー」 「……御心のままに」 わが意を得たり、といった顔で賛同してくれる3人に、頼もしげな顔を向ける それを見ていた何進も、4人の絆を見たようで少し心が軽くなった 「ところで北郷殿、詐術ついでなんだが……」 ずい、と身を乗り出す何進 何事かと首を傾げた一刀に、何進は爽やかな笑みを見せた 「客将を1人、雇う気はないか?」 半月後、漢中郊外に展開した北郷軍の司令部に、見慣れない装束の将がいた 全身を黒い装束で覆い、顔の上半分を隠す仮面と黒の帽子、そして黒いスカーフを巻いた珍しい姿 一振りの刀を持ち、その将は一刀を見つけると大股で歩み寄った 「我が君よ、準備が整ったぞ」 「ん、有難う、何進さ……じゃなかった、燕さん」 「言い慣れんうちは構わんさ、しかし袁紹達の前では止めて欲しいな」 そう言って笑う仮面の将は、名を変えた何進その人であった 自身を死んだ事にして、真名である燕を名乗って北郷軍へと参加している 理由は、殺された義妹の復讐と、助けてくれた一刀への恩返しである 復讐の事は一刀には話していないが、多分薄々気付いているのだろう こういう時は察しがいいようだ 初めにこの話を聞いた時、一刀は迷っていたようだった しかし、武勇の将の不在を悩んでいた所に、何進の武勇(とは言っても軍師達に比べれば、だが)は有難い それに洛陽には、今も何進を慕う官軍のグループが地下活動を行っているらしい 彼等と連絡を付ける事が出来れば、月達救出の可能性は更にあがる 悩んだが、結局一刀は何進の提案を受け入れる事にした その後、自身を死んだ事にする為に、『何進』を捨てて『燕』を名乗り、今に至る 今は名乗り出ない方がいいだろうという彼女の判断だったが、思い切った判断ではあった 幸いにして彼女の真名を知っている者の殆どが地下グループに属していた為、正体がバレる心配はなかった 今、燕は『黒母衣衆』と呼ばれる彼女の部隊を率いる立場に居る 「稟、機動偵察隊の方はどうだ?」 「問題ありません、油送の方も万全です」 「風、留守中の領内の案件は大丈夫かな?」 「市中警備隊と、残された40000で何とか。今何か仕掛けてる人はいないかとー」 「椿、『荷物』と『種』はどうなった?」 「……『荷物』は確かに洛陽に。『種』の方はしっかりと芽を出したようです」 軍師達に声をかけ、準備が万端である事を確認する 今回、反董卓連合に参加する北郷軍戦力は約40000(後方援護部隊含まず) 全戦力の半分だが、残りの半分は風の言うとおり領地の防衛に当たってもらう そして、今回から北郷軍には幾つかの聞きなれない単語が飛び交っていた 「機動偵察隊は要とも言えるからな……宜しく頼む」 「万が一に備えて、薩摩丸には輸送をしてもらう事もあるかもしれない」 その意味が分からない兵士は、この場には居ない これから彼らが向かう戦場では、それらが様々な意味で注目を集めるだろう そしてそれは、もう1つの作戦を覆い隠すのに役に立ってくれる筈だ 「我が君、そろそろ出陣といこう」 「あぁ」 自身の白馬に跨って、遠い空を見上げる この空の下では月が、詠が、必死に戦っている だからこそ助けなければならない 自分を信じてくれる少女達を助ける為の、情報操作を利用した作戦 『Get The Moon』作戦は静かに幕を開けようとしていた 次回予告 面従腹背の『Get The Moon』作戦発動 第1段階として、北郷軍は水関の早期攻略に取り掛かる 守るは張遼・華雄、そして高順の3将軍 この要害を「半日で」攻略する、北郷軍の秘策とは? 次回、超空の恋姫〜6・知る者、知らない者〜 ちょっとしたおまけ 「なぁ、我が君よ」 「何、燕さん?」 「仮面はいい、すかーふとかいうのも別にいい」 「うん」 「この、そふと帽、とかいうのか。これについて聞きたい事がある」 「……何?」 「この、鍔の部分に縫いこんでる見慣れぬ文字は何だ?」 「あぁ、それは英語だよ、天の国で使われている文字の1つだよ」 「ほぅ、で、なんと読むのだ」 「Now count your crime……かな」 「な、なぅ……?」 「Now count your crime」 「難しいな、天の国の言葉は」 「その言葉は、平和を乱す悪党達に投げかける、平和の使者の言葉だよ」 「それは頼もしい、私も平和の使者でありたいものだ」 「……(間違った事は言ってないよ、な?)」